伝統板・第二

3846826
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

松下幸之助 成功の金言365(7月) - 夕刻版

2026/07/01 (Wed) 12:58:36

【 7月1日 】 

《だれよりも熱心である》

私はよく、各部署の責任者の立場にある人に
対して、こういうことを言ってきた。

すなわち、その人がかりに部長だとすれば、

「君の部にはずいぶんいろいろな仕事がある。
 そのたくさんある仕事を、
 いかに君が部長だからといって、
 神様ではないのだから、
 何もかもできるわけではない。

 ある仕事については部下の人のほうが才能がある
 ということもあるだろう。

 こういう面では、彼のほうがわしより偉いな
 という場合もあるにちがいない。
 そういうことがたくさんあると思う。

 だから、
 君が責任者であり、指導者ではあるが、
 個々の面、専門的なことについては、
 指導できないことが多い。

 けれども、指導者の立場にあるのだから、
 指導もしなくてはならない。
 管理もしなくてはならない。
 
 そういう場合、

 《何がいちばん大事かということだ。
  それは、君の部の経営というものについて、
  だれよりも熱心であるということだ。

  部を経営する熱意においては、
  だれにも負けてはならない。》

 知識、才能というものについては負けてもいい。
 それはすぐれた人がたくさんいるだろうし、
 負けてもいい。

 だが、この仕事をやっていこうという熱意だけは
 君が最高でなくてはならない。
 そうであれば、皆が働いてくれるだろう。

 『うちの部長は、ぼんやりした点も
  たくさんあるけれど、
  あの熱心さだけはかなわない。
  あれには頭が下がる。

  これは、われわれも大いにやらなくて
  はならない』

 というようなことになって、
 皆、もてる才能というものを
 存分に発揮してくれるだろう。

 そういうものをもたずしては、
 部長としては失格だ」

というようなことを話すわけである。

『人事万華鏡』

        <感謝合掌 令和8年7月1日 頓首再拝>

【 7月2日 】  - 伝統

2026/07/02 (Thu) 14:41:28


《私の責任》


(前半略)

《長たるものは、その判断をするにあたって、
 最終的には自分一人の責任において
 これをしなければなりません。

 いくら大勢で決めたことだからといって、
 一度それを採用したからには、
 すべての責任をみずからが負うのが本当です。

 「それは私の『責任』です」ということが
 言い切れてこそ、責任者たりうるわけです。》

ところが実際においては、
そういうことをわきまえている人は、
それほど多くないように思われます。

したがって往々にして、
「みんなの意見で決まったことですので…」
と言って、責任者が負うべき責任をも回避する
というようなことが起こってきます。

しかし、
たとえ多数決で決まったことであっても、
その責任者が「これは絶対によくない。
自分の責任においてできることではない」
と判断した場合は、

そのことをはっきりと明言して
それをやめさせるか、それができなければ、
みずから責任者としての地位をいさぎよく退く
ということも考えられると思います。

とにかく責任者としての出処進退を
明らかにするということです。

それをせずして、
「自分としては賛成しかねるのだけれど、
 全体で決まったことなので…」
などと言うのは、
責任者として、とるべき責任の自覚が
欠けているということになるのではない
でしようか。

『社員心得帖』

        <感謝合掌 令和8年7月2日 頓首再拝>

【 7月3日 】  - 伝統

2026/07/03 (Fri) 13:26:01


《進歩》



人の上に立つ重要な地位にある人は
常に反省する必要があるということは、
人間は知っていても、その反面では
違ったことを考えている。

すなわち自分の地位の高さ、
自分の年齢によって人が動く
ということのみを認識して、
すべてを命令によって行おうとするのである。

これは上手な方法ではない。

いや憂うべき策といったほうがよい。

このようなことがくり返されれば、
部下は自然とそ自発的、自主的な
創意を出す機会が少なくなり、

命令に従ってさえいればよい
という習性ができてしまう。

そして多くの場合、その一団の能率は下がる
という結果になるのである。

《率先垂範ということは必要ではあるが、
 ただそれだけでは足りない。

 これはまどろこしい点もあるであろうが、
 部下に任せるということが必要である。

 そのうちには、部下も必ずや一人前になり、
 十分自分のかわりになり、
 ときには自分以上にうまくやるようになる
 であろう。

 そういう人を多く擁している
 会社や集団は進歩するものである。》

だが、このことは
心に余裕をもっていないとできにくい。

会社における経営者、責任者というものは、
多くの人を擁してともに仕事をするのであるから、
わがままで感情的な芸術家的潔癖さを
もっていたのでは務まらない。

このことは経営者の立場にある人や、
人の上に立つ人たちは考えねばならぬ点である。

「物の見方考え方」

        <感謝合掌 令和8年7月3日 頓首再拝>

【 7月4日 】  - 伝統

2026/07/04 (Sat) 13:27:12


《正しい意志決定》


すべての問題をその場で即決するのは、
実際問題としてむずかしいと思う。

ある程度検討したり、
他の人の意見も聞いてみるといったことが
必要な場合もあろう。

ただ、そういうときでも、
なんとなくあいまいのままに
ほうっておくのはいけない。

部下も意欲をなくしてしまうだろう。

「これは、今は即決できない。
 少し考えてみたいから一日待ってくれ。
 あすまでに決めよう」とか、

「こういう大事な問題は、
 多少研究する必要があると思うから、
 一週間ほど待ってほしい」

というように言えば、部下も安心すると思う。

そのように、意志決定はできるだけ
すみやかに行うことが大事だが、
ただ早く決めればいいというものではない。

その決定が正しいものでなくてはならない。
即断して、誤った意志決定をしてしまった
のではなんにもならない。

それでは、
どうしたら正しい意志決定ができるのか。
これは実際は非常にむずかしい問題だと思う。

神様でもないかぎり、
常に正しい意志決定をするということは
不可能だといってもよいだろう。

けれども、やはり、できるだけすみやかに、
できるだけ誤りのない意志決定を
行なっていかなくては、
人を使う立場としての職責は果たせない。

そこで、自分の体験なり見識にもとづきつつ、
その時々の情勢を勘案して総合的に
決定していくわけである。

ただ、その場合一つ

《大事なことは、根底に、
 一つの人生観、事業観、社会観というものを
 もつことではないかと思う。

 つまり正しい人生観、正しい社会観と
 いったものを常にみずから養い高めつつ、
 それにもとづいて意志決定をしていく
 ということである。》

そういうものでないと、ともすれば
場当たり的なものになってしまうし、
また部下を十分納得させることができない
おそれもある。

『人事万華鏡』


        <感謝合掌 令和8年7月4日 頓首再拝>

【 7月5日 】  - 伝統

2026/07/05 (Sun) 09:45:56


《具体的な指示》


「これはいかん」と思うたらね、
自分が乗り出さないかん。
自分がすぐ飛んでいかないかん。

今までのあいだにね、だいたい皆に任しとる。
「君はやれる、君はきっとやれるぞ、やってくれ」
と言うて任す。

任したけれども、
必ずそのとおりいかん場合がある。

叱るだけではいかん。
やっぱり手に取って教える。

技術は手に取って教えることは、
こっちは知らんからできないから、

「君は向こうへ行って聞いてみたまえ。
 必ずあの人は技術もってはるよって
 聞いてきたまえ。

 わしが知つとったら、君に言うけども、
 君の今の技術はどうもいかんように思う。
 きれいにできてへんやないか。

 だから頭を低くして訪ねていって
 教えてもろてこい。
 このことはどこへ行って教えてもろてこい」

といちいち指示したわけや。

その指示もしない、
その指示もしないとただ 
「ええもんせえ、ええもんせえ、
 君はけしからん」
と、そんなことではだれも働かない。

だから、

《私は人の長所を見て
 その長所を使ってきた。

 しかし、その長所が出ないという場合には
 自分がかわってやる。

 しかし、かわってやるというても
 実際にできないから、
 かわってやるがごとき具体的な指示をした。

 しかし、具体的な指示ができないときには、
 具体的な指示に等しい方法を提案した。》

「君はどこへ行って会社を見てこい、
 だれに会うてだれにこういうことを聞いてこい。
 それじゃ、君よくわかるで。

 それでもわからんなんだら、
 君はほかへかわれ、ほかの人に譲れ。
 そしてほかで仕事せえ」

と、そこまでやったわけである。
それをいちいちやってきたわけである。

それをやらずしてこの会社できないです、
ほんとうは。私はそう思うんですよ。

やっぱりね、社に長たる人は、部に長たる人はそ
の分に応じてその仕事をせないかん。

実際に指示せないかん。
ただ「しつかりやってくれ」だけではいかん。

『松下幸之助経営百話(下巻)』(昭和51年の発言より)
        <感謝合掌 令和8年7月5日 頓首再拝>


【 7月6日 】  - 伝統

2026/07/06 (Mon) 13:19:38


《見本を見せる》


今まではリーダーとして
当を得たらそれでよかったけれども、
今はリーダーとして当を得るだけやなくして、
みずから一兵卒となって働くということも
可能でなければならん。

そういうことをしなければ、
とうていこの乱世に会社を全うすることが
できないと、かように思うんです。

これを皆さんにひとつお願いをしておきたい。
だから、今までは事業部長に聞いてやっていた、
事業部長がそれを命令したらそれでよかった。

けれども、今は命令を待つということなく
部下が働かないといかんし、

事業部長も命令するんやなくして、
自分みずから命令する前にやっていく
というようなことが一面に必要である。

乱世のときは必ずそうである。
それに勝ちぬいたならば、
それで勝利を得るわけである。

会社の経営も、こういうときは事業部長が
最先端に立ってやらないといかん。

会社であれば、社長、会長が
最先端に立ってやらないといかん。

だから、実務的知識、実務的才能が
この際要求されると、こう私は思うんですね。

その実務的才能は、
大きな会社になるほど薄くなっている。

そして、大きな観点でものを見る。
そういうようにやってきているわけである。


けれども

《今は違う。
 今はそういう最高位にある事業部の部長、
 会社であれば社長、会長という人が
 いちばん率先してあたる、それで見本を見せる。

 “こういうように販売するんや、
  こういうように売りこむんだ”
 ということをやれるだけの人でなくてはいかん。》

事あるたびに発展する会社と、
事あるたびに左前になっていく会社とがあるのは、
やはり首脳者の心がまえ次第だと思うんです。

首脳者の心がまえによって、無から有が
生まれてくるということがいえる。

そういう点を十分心得て、
今後の経営に取り組んでいただくことを
お願いいたします。

『松下幸之助発言集第28巻」(昭和53年の発言より)

        <感謝合掌 令和8年7月6日 頓首再拝>

【 7月7日 】  - 伝統

2026/07/07 (Tue) 14:00:57

《決断》


問題が複雑な場合には、一つの決断を行えば、
さらにまたつぎの決断を迫られ、
そのあとも続いて決断すべきことが出てくる
といったように、
決断が決断を生むというような姿も出てくる。

だから決断をすればそれで万事が終わり、
といった簡単なものではないわけである。

けれども、そうはいっても、
初めに決断がなければ、何をしていいか
わからないということにもなりかねない。

《決断があってはじめて、何をなすべきか、
 どういう方向へ歩んでいけばよいか、
 といったことが明らかとなるのである。》

だから、そういう点からいえば、
決断というものは非常に大事であり、
いかに正しい決断を行うかが、
やはりきわめて大切な問題といえるわけである。

『決断の経営』

        <感謝合掌 令和8年7月7日 頓首再拝>

【 7月8日 】  - 伝統

2026/07/08 (Wed) 12:52:54


《説得力》


政治家や経営者にとって、最も大事なものの
一つは説得力だとよくいわれる。

よい考えをもっていても、
それを他の人に理解、納得させるには、
それ相応の説得力が必要だというわけである。

確かにそのとおりだと思う。

ただ、

《説得力というものは、
 自然に生まれてくるものでもなければ、
 口先だけの技術でもない。

 やはり、これが正しいのだ、
 こうしなくてはいけないのだ、
 という強い信念なり熱意が根底にあって
 はじめて生まれてくるものであろう。》

『思うまま』

        <感謝合掌 令和8年7月8日 頓首再拝>

【 7月9日 】  - 伝統

2026/07/09 (Thu) 14:41:49


《心は最前線》


部下に任せるということは
きわめて大事だけれども、その一方で、
いつでも自分が率先垂範するというか、
身を挺して事にあたるという気迫を
もっていなくてはならないと思う。

そういう気迫、心がまえをもちつつ、
部下に仕事を任せるということである。

いわば、

《形の上では仕事を任せているが、
 精神的には自分が直接やっているような
 気迫を一面にもっていることが大切なのである。

 体は後方にあっても、心は最前線にいる
 というようなものである。》

そうすれば、部下の人も
そうした社長の気迫を感じ取って、
自分は社長にかわってこの仕事をやっているのだ、
というような気持ちでそれに取り組んでいくと思う。

それによって、仕事の成果もあがり、
人もほんとうに育ってくるだろう。

まあ昔の武将でいえば、織田信長などは
そうしたいい例ではないかと思う。

信長は、
秀吉とか光秀とか柴田勝家といった部下に
軍をあずけて、各地を攻略させている。

けれども、彼自身はいざというときには、
あの桶狭間の合戦で単身先頭に立って
城から討って出たように、
いつでも率先して戦いに臨もうという気迫を
もっていたのだと思う。

それが部下たちにも強く感じられたから、
みな信長の心をわが心として戦った。
そこに、
あのようにわずかのあいだに天下統一への歩みを
急速に進めえた原因があると思う。

「人事万華鏡」

        <感謝合掌 令和8年7月9日 頓首再拝>

【 7月10日 】  - 伝統

2026/07/10 (Fri) 15:09:37


《人を育てるということ》


(前半略)

《人を育てるというのは、
 結局、経営のわかる人、
 どんな小さな仕事でも経営的な感覚をもって
 できる人を育てることである。

 そのためには、何でもあれこれ
 命令してやらせるのではいけない。》

(中略)

やはり仕事は思い切って任せることである。

そうすることによって、その人は自分で
いろいろ考え工夫するようになり、
そのもてる力が十分発揮されて、
それだけ成長もしてくる。

『実践経営哲学』

        <感謝合掌 令和8年7月10日 頓首再拝>

【 7月11日 】  - 伝統

2026/07/12 (Sun) 04:45:51


《任せて任せず》


「好きこそものの上手なれ」
という言葉がありますが、

人に仕事を任せるという場合、
原則としては、こういう仕事をやりたい
と思っている人にその仕事を任せる
ということがいいのではないかと思います。


そういうようにもっていったほうが、
やはり結果がいい場合が多いような気がします。

といっても、その人が、その立場を利用して
何か自分のダメにするといったように、

自分の都合中心で考えているのであれば、
どんなに強く「やりたい」
ということを言ってきても、
「ああそうか」と言うわけにはいきません。

しかし、そうではなくて、
この仕事が自分はいちばん好きだから
やってみたいというのであれば、
そうさせたほうがうまくいくことが多い
と思うのです。

もちろん、任せてみたところ、
その人の欠点が出るということもあります。

その欠点については、やはり経営者が
直してやるようにしなければならない
と思います。

直しても直らないようであれば、
その人をかえるというところまで
やらなければなりません。

これはいいかえますと、〃任せて任せず〃
ということになると思います。

任せて任せずというのは
、文字どおり〃任せた〃のであって、
ほうり出したのではないということです。

経営者というものは、どんな場合でも、
最後の責任は自分のところにある
という自覚をもっていなければならない
と思いますが、

そのように腹をくくっていますと、
仕事を任せた場合、
どういうようにやっているか
いつも気になっているというのが
本当のところでしょう。

《任せてはいるけれども、
 絶えず頭の中で気になっている。

 そこでときに報告を求め、
 問題がある場合には、
 適切な助言や、指示をしていく。》

それが経営者のあるべき姿だと思います。

『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』

        <感謝合掌 令和8年7月11日 頓首再拝>

【 7月12日 】  - 伝統

2026/07/12 (Sun) 15:35:34


《チームワーク》


会社というものは、個々の社員の
実力が高まることが肝要です。

皆さんが個々に成長していけば、
皆さんの会社の実力が高まることになります。

しかし、個々の実力が高まったから
その会社はうまくいくかというと、
必ずしもそうではありません。

個々バラバラではうまくいかないのです。
それをうまくまとめていく力が
その会社になければいけません。

また、その力があるからもう安心かというと、
そうでもないのです。

というのは、

《会社に力があっても、
 それをはね返すというか、
 弱める力があっては何もなりません。

 だから皆さんは、
 個々の力を養成すると同時に、

 養成して高まった個々の力を
 いい意味に調和させるチームワークを
 とることが大切です。》

野球でいえば一塁手が絶えず二塁手の
立場も見守っているといった、

そういうチームワークをとることに、
お互いが努力しなければいけません。

そうすれば、個々の力もいいし、
チームワークもいいということで、
そこに生まれるところの活動力は、
社会に大きなプラスをもたらします。

よき仕事もでき、
よりよき会社の姿につながるのです。

『道は無限にある』

        <感謝合掌 令和8年7月12日 頓首再拝>

【 7月13日 】  - 伝統

2026/07/13 (Mon) 12:51:28


《自然に、素直に叱る》


ぼくのことをいえば、
だいたい叱るときは無我夢中でしたよ。

心して叱るとか意識して叱る
ということはめったになかったですな。

また、心して叱っていたのでは、
相手は少しもこたえんですわ、
(笑)ほんとうは……。だからストレートに叱る。

しかし、これはぼくなりの叱り方であって、
それが必ずしも最善だとはいえないでしょうな。

人によってそれぞれ持ち味が違うのですからね。
すると、

《結局はその人その人の持ち味で叱る
 ということが非常に大切になってくる。

 ただ、この際、注意しなくてはならないのは、
 作為をもって叱る、

 さらにいえば私心というか邪心をもって叱る、
 これだけは厳に慎まんといかんでしょうな。

 やはり自然というか素直でなくてはならない。》

まあ、よほどの叱り上手であれば、
こういう場合はこうして叱るとか、

あの場合にはこうだとか、
初めから想定して叱れるかもしれませんが、

その場合でも、
何らかの作為があってはいけない
と思うのです。

いずれにしても、
素直に叱るということが
やはりいちばん大切なのではないでしょうかね。

『PHP』昭和53年5月号

        <感謝合掌 令和8年7月13日 頓首再拝>

【 7月14 】  - 伝統

2026/07/14 (Tue) 13:06:53


《耳を傾ける》


二人の上司がいる。
能力的にはどちらも同じくらいである。

ところが、一人のほうの下では、
部下がよく育ち、いきいきと仕事をしている。

けれども、もう一人のところでは、
なんとなく人が育たない。
なにかしら活気がない。

そういう姿は、しばしば
見かけることではないかと思う。

同じような力をもち、
同じように熱心に仕事をしていながら、
その下で人が育つ人と育ちにくい人とある。

一方はいわば人を使える人であり、
もう一方は人を使えない人ということになる。

そういう違いがどこから出てくるかは、
いろいろあるが、
その大きな一つとして、
部下の言葉に耳を傾けるかどうか
ということがあるように思う。

《日ごろ部下の言うことをよく聞く人の
 ところでは比較的人が育っている。

 それに対して、あまり耳を傾けない人の
 下では人が育ちにくい。

 そういう傾向があるように思われる。》

なぜそうなるかというと、
やはり部下の言葉に耳を傾ける
ことによって、

部下が自主的にものを考えるようになり、
そのことがその人を成長させるのだと思う。

自分の言うことを上司に聞いてもらえば、
部下としてもうれしいし、
そこにまた自信も湧いてくるだろう。

そしてさらに次々と新しいことを考え、
提案するということになるだろう。

それによって、視野も広くなり、
考え方も深くなるなど
しだいに成長してくると思う。

けれども、自分の言うことに
上司が耳を傾けてくれない、
あまり聞いてもらえないというのでは
なんとなく面白くないし、自信ももてない。

そういうことが度重なれば、
言ってもしかたがないということで意
見を出さなくなるし、
あまり考えたり工夫したりせずに
ただ惰性で仕事をするということになって
成長も止まってしまうと思う。

『人事万華鏡』

        <感謝合掌 令和8年7月14日 頓首再拝>

【 7月15日 】  - 伝統

2026/07/15 (Wed) 13:22:35


《相談的》


《上司が部下に何かを命ずる場合でも
 単に命令的にするのでなく、
 なるべく相談的にやることが大事だと思う。

 つまり、ただ「こうしてくれ」と
 言うのでなく、
 「こういうことをしようと思うが、君どう思うか」
 あるいは「君やってくれるか」
 という具合にするわけである。》

そうすれば部下のほうも、
「私も賛成です。ぜひやりましょう」
と言う場合もあるだろうし、

「たいへん結構なことだと思いますが、
 このところはこうしたらどうでしょう」
というように意見を言う場合もあると思う。

そのように部下の意見が加わることによって、
さらによりよいものができるかもしれない。

また、ただ「よろしゅうございます」と
言う場合でも、相談的に言われたのであれば、
そこに部下としての判断が加わるから
自主的にそれに取り組むということになると思う。

それをただ命令的に言ったのでは、
いわゆる〃命(めい)これに従う〃
ということになってしまう。

そういう姿で仕事をやるというのも
それはそれで一つの行き方かもしれないが、
やはりそれだけでは部下の十分な成長は
期待できないと思う。

もちろん、それぞれの職場の事情とかいろいろあって、
形の上では命令的になるという場合もあるだろう。

しかし、
そういう場合でも心の中では相談的にやる
という気持ちをもつことが大切だと思う。

そうすれば、同じように
「これをやってくれ」と言っても、
その言葉の響き一つにしても違ってくるといえよう。

そして、それがなんとなく部下にも感じられる
ということになると思う。

『人事万華鏡』

        <感謝合掌 令和8年7月15日 頓首再拝>

【 7月16日 】  - 伝統

2026/07/16 (Thu) 14:57:17


《報告》


ぼくの体験から言うと、その人のこぼす
愚痴の内容一つをとってみても、
その人間の器量がわかりますな。

愚痴で始まり愚痴で終わる人は、
どうも具合が悪い。
それはもう責任者たる資格がない。

自分の意見をもってその意見がええか悪いか、
それを聞きに来る人でなければいかんですね。

なかには、聞きに来ん人がいる。
それがいちばんいかん。

やっぱり偉いなと思う人は、
ちゃんとやっていてもキチッと報告しますわ。
そうすると、こっちも「それは結構やつたな」
と非常に愉快になる。

《いい結果の場合も報告する。
 悪い場合にも報告する。
 その報告を怠る人間はあきまへんな。》

打てば響くというか、以心伝心というか、
肝胆相(かんたんあい)照らす仲
であれば必ず報告するものですよ。

使いに行ったら帰って、
「あれはこうでした」とか、
ぼくの代理で行った場合でも必ず報告する。

それが普通ですよ。

それをしない連中は、やっぱりいかんですな。
「君、それは報告してくれよ」と言えば、
最初のうちは報告に来ても、
じき忘れてしまう人がいる。

やはり、本人の癖でしょうな。
外国の人は必ず報告しますわ。
出張員でも毎日本社へ報告している。

日本人は概して報告せんですね。
だから、そういうことはよほど
仕込まんといかんでしょうな。
癖をつけんといかん。

今は各事業部長とも、
ぼくに報告する時間がない。
第一、こっちも聞く時間がない。

だから、今は然るべく
やってもらっているわけですが、
昭和十年ごろは時々刻々報告しあうことができた。

こっちも聞く時間があったし、
指示する余裕もあった。
そういう時代がぼくにとって
いちばん楽しい時代でしたな。


『新版松下幸之助経営回想録』

        <感謝合掌 令和8年7月16日 頓首再拝>

【 7月17日 】  - 伝統

2026/07/17 (Fri) 13:13:23


《昇進》


お互いに、相手の身になって考え、
いたわりあって、
持ち場持ち場の仕事をしていく。

このことは、
勤め人だけの心がけではなく、
すべての人の基本の心がまえ
ではないでしょうか。

そして、仕事をうまく導き
成功させる道はそこにあり、
したがって、あなたが成功する
大道(たいどう)もまた、
そこにあると思います。

相手の身になって考える。

商人でしたら、買う身になって
品物を扱うことですが、
ここでついでにもう一つ、
あなたに言っておきたいことがあります。

それは、人間としてありがちなことであり、
われわれ日本人にも感じられることですが、
お互いに、いかにも肚が小さいのではないか、
ということです。

たとえば、同じ職場の同期生のうちの
だれかが昇進すると、それを嫉妬する、
そしてひがむということが少なくない。

また反対に、失敗があると、かげで喜ぶ
という心の貧困な風景もあるようです。

そういうねたみ、ひがみ、心の貧困さでは、
それこそ昇進させるに不足な人間なのです。

人間ができていない、練れていないことを
公表しているようなものだと思います。

《人の昇進や成功に
 拍手を送る素直な心をもち、
 日々の仕事に命がけで打ちこむなら、

 そういう人に適当な処遇をしない職場は、
 まずないであろうというのが、
 私の考えです。》

『若さに贈る』

        <感謝合掌 令和8年7月17日 頓首再拝>


【 7月18日 】  - 伝統

2026/07/18 (Sat) 14:18:44


《即断即行》


昔から「兵は神速(しんそく)を貴ぶ」
という言葉もある。

また「先んずれば人を制す」ともいわれる。

一瞬の勝機を的確につかむかどうかに
勝敗の帰趨(きすう)がかかっている
場合もある。

そういうときにいたずらに
躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)
していたのでは機会は永遠に去ってしまう。

だから、大将たるものは、即断即行
ということがきわめて大事である。

これはなにも戦に限らず、一国の運営、
会社の経営でも同じことである。

情勢は刻々に移り変わっていく。
だから、1日の遅れが1年の遅れを生む
というような場合も少なくない。

決断もせず、実行もせずといった姿で
日を過ごすことは許されない。

もちろん、熟慮に熟慮を重ね、
他人の意見も聞いた上で決断し、
しかもきわめて慎重に時間をかけて
事を運ぶことが必要だという場合も
あるだろう。

だからそういうことは一面に
十分に考慮に入れておくことは
大切であるが、

しかし、
《大事にあたって即断即行できる見識と
 機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だ
 といえよう。》

『指導者の条件』

        <感謝合掌 令和8年7月18日 頓首再拝>

【 7月19日 】  - 伝統

2026/07/19 (Sun) 14:24:18


《失敗の原因》


明暦(めいれき)の大火で江戸城や
江戸市中が大きな損害を受けたときのこと、

役人の中には、非常な働きをした者もあるが、
いたずらに右往左往してなすすべを知らず
といった姿の者が多かった。

そこで、
今後のためにいちいち詮議(せんぎ)して
処置すべきだという首脳者もあった。

そのときに、大老保科正之は、
「今後のためというのはまことにもっともだが、
 考えてみるとそれでは教えずして罪をつくる
 ということになってしまう。

 今度の火災は家康公のご入国以来70年間に
 かつてなかった大きなものであり、
 こういう大火のときはどうせよと
 いうことが決まっていなかったので、
 みな混乱したのだ。

 だから、ほんとうに今後のためを考えれば、
 この経験を生かして、大火のときには
 それぞれどうすべきかを定めておくことが
 肝心だ」

と言って、詮議はとりやめになったという。

《何か失敗したり、問題が起こったりすると、
 だれでもその原因をとかく外に求めがちである。

 だれが悪い、彼が悪い、あるいは社会が悪い、
 運が悪いといった具合である。

 しかし、実際は、ほとんどの場合失敗の原因は
 自分にあると思う。

 事前に十分な計画を立て、行う過礎でも
 慎重な配慮を怠らなければ、
 たいていのことはうまくいくものである。》

まして指導者ともなれば、
ほとんど100%その責任を
自分に帰さなくてはいけないと思う。

かりに部下に失敗があったとしても、
その部下がはたしてその任に
ふさわしかったかどうか、

またそれをさせるについて、
十分な指導なり教育をしたかどうか、

そういうことを指導者として
まず反省してみることが大事だと思う。

『指導者の条件』

        <感謝合掌 令和8年7月19日 頓首再拝>

【 7月20日 】  - 伝統

2026/07/20 (Mon) 13:33:44


《信賞必罰》


古来、何ごとによらず信賞必罰と
いうことがきわめて大切とされている。

功績あればこれを賞し、
過ちあればこれを罰する。

その信賞必罰が適切に行われてはじめて、
集団の規律も保たれ、人々も励むようになる。

いいことをしてもほめられず、
よくないことをしても罰せられない
となったら、

人間は勝手気ままにしたい放題をして、
規律も秩序もめちゃめちゃになってしまう
だろう。

だから、

《信賞必罰ということは
 ぜひとも行われなくてはならないし、
 またそれは適切、公平に
 なされなくてはならない。》

賞するにせよ罰するにせよ、軽すぎては効果が薄く、
重すぎてもかえって逆効果ということになり、
まことにむずかしいものである。

信賞必罰が適切にできれば、
それだけで指導者たりうる
といってもいいくらいである。

したがって指導者は、常日ごろから十分心して、
適切な信賞必罰というものを求めなくてはいけない。

そして、その際大事なのは
やはり私情をさしはさまないということだろう。
私情が入っては、
どうしても万人を納得させる賞罰はできない。

『指導者の条件』

        <感謝合掌 令和8年7月20日 頓首再拝>

【 7月21日 】  - 伝統

2026/07/21 (Tue) 14:12:29


《欠点》


「自分にこんな欠点があることを知ったら、
 部下は自分を軽んじはしないだろうか」
などと考えてしまう。

そういうことも、
また人間の一面かもしれないが、
しかし、私はそんな心配は無用だと思う。

現に私自身が、自分の欠点を皆に知ってもらい、
カバーしてもらうことによって、
今日までやってきたわけである。

たとえば、私は学問をあまりしていないから、
知らないことがたくさんある。

それで、入ったばかりの新入社員にでも、
「君、○○○という言葉があるが、
 あれはどういう意味や」
といったように聞くわけである。

そうすると、向こうはたいてい
みな私よりは学問をしているから、
「それはこういうことです」と教えてくれる。

「なんや、大将はこんなことも知りまへんのか」
とはだれも言わない。

もし私が、「こんなことを聞いたら体裁が悪い」
などと考えて、わからないことでも聞かずに
そのままにしておいたら、
だれも教えてくれなかったろう。

それではみんなの知恵も生かされないし、
会社も発展しなかっただろうと思う。

《私が、自分は知らないことが
 たくさんあるということを
 ありのままにみんなに知ってもらったから、

 そうした欠点をカバーするために
 皆がもてる知識や知恵を提供してくれ、
 そこから成果が生まれてきたのだと思う。》

『人事万華鏡』

        <感謝合掌 令和8年7月21日 頓首再拝>

【 7月22日 】  - 伝統

2026/07/22 (Wed) 14:43:01


《悪い情報》


指導者が物事を進めていくにあたっては、
皆からいろいろな意見や情報を聞きながら
やっていくのは当然の姿である。

そしてその場合大事なのは、
いいことよりも、むしろ悪いことを
多く聞くということである。

賞賛の言葉、うまくいっていること
についての情報であれば、
それはただ聞いておくだけでいい。

けれども、こんな問題がある、
ここはこうしなくてはいけない、
といったことがあれば、それについては
いろいろな手を打たなければいけない。

ところが、それが指導者の耳に
入ってこないというのでは、
必要な手も打てなくなってしまう。

けれども、実際には、そういう悪いことは
なかなか伝わってこないものである。

だれでも悪いことより
いいことを聞くほうがいいのが人情である。

いいことを聞けば喜ぶが、
悪いことを聞けば不愉快になり、
機嫌も悪くなる。

だから、いきおい皆もいい話しか
もってこなくなり、
真実がわからなくなってしまいがち
なのが世の常である。

徳川家康は、
主君に対する諌言(かんげん)は
一番槍よりも値うちがあるといっている。

一番槍は昔の武士にとって
最高の名誉とされたが、
それ以上の価値があるというわけである。

いいかえれば、

諌言というものは、それほど貴重でかつ
むずかしいものだということになる。

だから、

《指導者はできるだけそうした
 諌言なり悪い情報を求め、
 皆がそれを出しやすいような雰囲気を
 つくらなくてはいけない。》

「指導者の条件」

        <感謝合掌 令和8年7月22日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.