伝統板・第二
法則としての《神》 ⑥ - 伝統
2025/07/27 (Sun) 11:57:00
心の法則と物質の法則との調和
*「光明法語」(7月27日《行く処必ず安全》)より
爆弾に中(あた)っても死なないと云うのは
神の法則の自己破壊であって、そんな事が尊いのではない。
爆弾の中らぬような所へ、
自然に、心の働きで、自分の身体(からだ)が行っている事が、
心の法則と物質の法則との調和である。
毒を飲んでも死なぬのではなく、
毒など自然に飲まなくなる事が、
心の法則と物質の法則との調和である。
天災地変や列(汽)車の顛覆が起こっても大丈夫と云うのではなく、
天災地変や列(汽)車の顛覆の所などへ立ち寄らぬ様になるのが
心の法則と物質の法則との調和である。
・・・
<参考>
(1)伝統板・第二「法則としての《神》①」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6532750
(2)伝統板・第二「法則としての《神》②」からの継続です。
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6957478
(3)伝統板・第二「法則としての《神》 ③」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7708844
(4)伝統板・第二「法則としての《神》 ④」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7973986
(5)伝統板・第二「法則としての《神》 ⑤」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8273815
<感謝合掌 令和7年7月27日 頓首再拝>
法則は神の顕現 - 伝統
2025/08/08 (Fri) 10:13:38
*「光明法語」(8月8日)より
人間の頭脳が、自然を研究するに従って
それを支配する法則が段々徐々にわかれば、
自然を構造したところの知性(神)は、
吾々人間の頭脳知よりも遥かに発達した知性であると
言わなければならない。
「神」と言うと迷信くさく思う人があるが、
「法則」と言えば、科学者も信仰しているものである。
『甘露の法雨』には、神の事を「宇宙を貫く法則」と書かれている。
すべての事物は法則によって支配されている。
併し法則をば必ずしも「物質法則」に限る必要はない。
<感謝合掌 令和7年8月8日 頓首再拝>
物質科学の目的 - 伝統
2025/08/14 (Thu) 11:59:46
*「光明法語」(8月14日)より
物質を研究する科学は、その研究が次第に深くなるに随って、
その奥に横たわる法則や秩序や、智慧なしには構造することが出来ない
微妙複雑なる構造に、驚異の眼(まなこ)をみはるに到り、
此処についに、
物質の奥底にあって一切のものを構造する本源者「霊なる神」を
みとめずにはいられなくなるのである。
凡(およ)そ「法則」とは神が人間にわざと利用しやすきよう、
常に普遍妥当なる形においてあらわれたものであって、
結局「法則」を研究する科学は神を研究することになるのである。
<感謝合掌 令和7年8月14日 頓首再拝>
宇宙の美徳(誠実と純潔)に波長を合わす - 伝統
2025/09/16 (Tue) 11:34:10
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月16日)より
宇宙には動かすべからざる法則が支配しているのである。
その法則は人間が作った法律のようにごまかしたり、
くぐり抜けたりできぬものであり、
絶対に終始一貫かわらざるものであるのである。
もしこの宇宙の法則の一貫不動性というものがなかったならば、
太陽系統は成り立たず、人類の生活は成り立たないことになるのである。
終始一貫性はある意味では純潔の美徳であり、
ある意味では誠実の美徳である。
宇宙は純潔と誠実との美徳によって支えられている
というも過言ではないのである。
人間もこの宇宙に存在する以上、誠実と純潔との美徳なければ、
大宇宙の生活と波長が合わないのである。
人生に繁昌成功せんとするには純潔と誠実とが必要である。
<感謝合掌 令和7年9月16日 頓首再拝>
人生に奇跡を呼ぶ「幸運の種」の蒔き方 - 伝統
2025/10/24 (Fri) 09:54:52
あなたの人生に奇跡を呼ぶ「幸運の種」の蒔き方
宇宙の兄弟たちへ(2025年10月22日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/10/blog-post_22.html
(以下は抜粋です)
(1)私たちの宇宙には、物理法則と同じように、
決して揺らぐことのない霊的な法則が存在します。
その中でも最も根源的なものが「原因と結果の法則」、
すなわち「因果の法則」です。
(2)私たちが体験しているこの人生は、
魂の永遠の旅路における、ほんの一瞬に過ぎません。
因果の法則は、この世の一生だけで完結するのではなく、
過去世から現在、そして未来世へと続く、
壮大な魂の物語の中で働いています。
今、私たちが直面している状況は、
過去世で蒔いた種の刈り取りであるかもしれません。
そして、今この瞬間の行いが、
未来の自分自身を創造していくのです。
(3)一見、不公平に見える出来事も、魂の学びや成長、
あるいは過去のカルマ(業)を解消するための、
大いなる宇宙の采配の一部なのです。
(4)幸運の循環を創り出す「与える」という魔法。
(5)不昧因果 - 誰も法則から逃れることはできない。
①人を欺き、一時的に利益を得たとしても、
その行いの結果から逃れることは絶対にできません。
蒔いた種は、必ず刈り取らねばならないのです。
②しかし、これを罰と捉える必要はありません。
それは、私たちの魂が学び、成長するための、
正確無比な宇宙のフィードバックなのです。
(6)あなたの人生は、幸運の種を蒔くための神聖な畑です。
①誰かに優しい微笑みを向けること、感謝の言葉を伝えること、
困っている人にそっと手を差し伸べること。
そんな日常のささやかな「与える」行為の一つひとつが、
未来のあなたを豊かに彩る、素晴らしい幸運の種となります。
②与えることで、あなたの内なる愛の泉はさらに豊かに湧き出し、
その愛の波動が、さらなる幸運と奇跡をあなたの人生に
引き寄せるでしょう。
<感謝合掌 令和7年10月24日 頓首再拝>
摂理と云うこと - 伝統
2025/10/27 (Mon) 11:20:47
*「光明法語(10月27日)」より
神の波長に合わぬと言っても、
その場合、神が人間を罰し給うのではないのである。
光に対して眼をつぶっている者が「暗い」のは、神罰ではなくして、
理としてそれが出て来るのである。
そして「暗く」して打突(ぶつ)かり、頭を打って痛いと思って、
その人が眼をひらいて、そして方向転換するのは、
神が頭をなぐったのではなくて、自分が頭をぶつけたのであり、
そして自然に眼がひらくのは、「理」として自然に来るのである。
これを「摂理」と言う。
不幸に出遇(であ)ったと思っている時に神の導きがある。
<感謝合掌 令和7年10月27日 頓首再拝>
魂が見ている“発信の法則” - 伝統
2025/10/28 (Tue) 10:17:52
ネットの書き込みが運を左右する?魂が見ている“発信の法則”
宇宙の兄弟たちへ(2025年10月27日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/10/blog-post_27.html
(以下は抜粋です)
(1)言葉には波動がある
①言葉は単なる音や文字ではなく、エネルギーそのものです。
②あなたが発する言葉の一つひとつには、思念が込められています。
その思念は、目に見えないけれど、
確かに波動となって世界へと放たれ、周囲の人や、
あなた自身の現実に影響を及ぼしていきます。
③それを受けた相手のオーラや運気を曇らせるだけでなく、
同時にその波動を発した本人のエネルギーも濁らせてしまうのです。
(2)ネットの匿名性が引き出す“影”
①匿名の世界では、自分の本名や顔が見えないために、
心のブレーキが外れやすくなります。
その結果、実生活では言えないような強い言葉や批判を、
軽い気持ちで書き込んでしまうことがあります。
②“匿名”であっても魂はすべてを記録しています。
宇宙の法則は、人の目ではなく、
魂の波動を基準に作用するのです。
つまり、「バレなければいい」ではなく、
「どんな波動を放ったか」がその人の未来に影響します。
(3)思念のブーメラン現象
①ネガティブな言葉を発するたびに、その波動は
円を描くように放たれ、最終的に自分のオーラに戻ってきます。
それが“因果の法則”であり、“念の反射”です。
②悪意の言葉は、時に自分の心を不安定にし、眠れなくなったり、
運気の流れが滞ったりする原因にもなります。
逆に、愛や感謝、祈りの言葉を放つと、それが光の波となって
あなた自身を包み、運命の流れを好転させていきます。
(4)言葉で光を放つという選択
①インターネットの世界は、集合意識の鏡でもあります。
そこにどんな波動の言葉が満ちているかで、
社会全体のエネルギーも変わっていきます。
②ネット社会は、まるで“魂の鏡”のような場所です。
そこに何を映し出すかは、
私たち一人ひとりの心にかかっています。
③心をこめて人を励ます言葉、
誰かを思いやるコメント、感謝のつぶやき――。
それらは、見えない世界で光の粒となり、あなたと周囲を照らします。
そして、そうした光の発信は、いつかあなた自身の人生をも
優しく包み返してくれるのです。
<感謝合掌 令和7年10月28日 頓首再拝>
「理」は神から来る - 伝統
2025/10/29 (Wed) 10:38:45
*「光明法語(10月29日)」より
「理」はどこから来たかと言うと、神から来たとも言える。
しかしそれは神罰と云うものを課するために神がつくったものではなく、
むしろ神御自身が人間によって利用できるように
「一定不変」の形になってあらわれ給うたものである。
自然界の法則も同じである。
神は「自由の本体」であるから変幻自在である。
しかし「変幻自在」では人間は神を利用することが出来ないのである。
それで神は一定不変の法則となり、一方では「科学の法則」となり、
一方では「心の法則」となってあらわれたのである。
<感謝合掌 令和7年10月29日 頓首再拝>
「理」に順応せよ - 伝統
2025/10/30 (Thu) 10:14:46
*「光明法語(10月30日)」より
高圧電線に触れて傷つくのも、
機械の歯輪(はぐるま)にはさまれて傷つくのも、
食い過ぎて胃を悪くするのも、
「科学の法則」にふれたからである。
腹が立ったり、悲しんだり、取越苦労をして
病気になるのは「心の法則」にふれたからである。
食いすぎて胃病になっても別にそれは神が罰を当てたのではない。
それは「理」によってなっているのであって、
「理」に逆らったからに過ぎない。
省みて「理」に順応して、高圧電線にふれる時にゴムの手袋をはめ、
歯輪(はぐるま)の間に手を入れず、食べすぎねば傷つくことはない。
<感謝合掌 令和7年10月30日 頓首再拝>
宇宙の法則は無限生長にある - 伝統
2025/12/11 (Thu) 10:00:34
*「光明道中記」(12月11日《無限生長の日》)より
【心を尽し、力を尽して自分自身の無限の可能性を信ぜよ。(『生命の實相』第四巻)】
宇宙の法則は無限生長にある。換言すれば進歩にある。
だから必ずしも隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望むのが悪いのではない。
ただそれが「公(おおやけ)」なる道に乗らないのが悪いのである。
彼が「公」なる道に乗る限りに於いて、進歩を心がけること、前進を心掛けること、
成功を心がけることは正しいことであり、祝福されることである。
前進する者は衰退しない。
前進する者は多くの困難と戦わなければならない。
困難と戦うことには色々の新しい経験を得る。困難と苦痛とは異なる。
新しい経験は自分の生命の中から「新しい推理」を発掘して来る。
前進するものは常に新しい鉱石に打(ぶ)つかる。
吾々の獲得は、そのたび毎に増加するのである。
吾々の獲得は眼に見えた成果のみではない。
もっと眼に見えない魂のダイヤモンドが吾々の前進によって得られるのである。
そして此の魂のダイヤモンドは、その採掘の動機が利己的でなければならない程、
「公」であればあるほど、より多く獲得することができるのである。
人間は物質的にどれだけあれば生活出来るか、
それは極(ごく)僅(わず)かな分量である。
それ以上に費やされるのは多くは虚栄(みえ)のためである。
此の分量を「公」にために献げよ。
<感謝合掌 令和7年12月11日 頓首再拝>
《神から功徳を得るには神の法則に従わねばならぬ》 - 伝統
2026/02/28 (Sat) 11:51:19
*「光明法語」(2月29日)より
電気の働きによって、電燈を得、電熱を得るためには、
吾等は電気の法則に従わねばならぬ。
神の働きによって色々の功徳を得る為には、
吾々は神の法則に従わねばならぬ。
神の法則とは、『与える通り与えられる』と云うことである。
若し与えられなかったら祝すべきである。
それはなお天の倉に蓄えられて増殖しつつあるのだからである。
その報いが遅ければ遅いほどそれは複利計算で
神様から利子がつけられるであろう。
一方に与えて置いたら、軈(やが)て予想もしない他のところから
無限の供給がやって来ると云うことである。
<感謝合掌 令和8年2月28日 頓首再拝>
《神は法則である》 - 伝統
2026/04/26 (Sun) 10:25:22
*「光明法語」(4月26日)より
神は法則である。
『甘露の法雨』には「神は宇宙を貫く法則」であると書かれている。
法則は秩序である。
秩序性は一定の規則があると云うことである。
生命は一定の秩序あるところのみ出現し、
秩序が破るれば生命は姿を消すのである。
動物は本能によって其の秩序性を守って生活し、
人間は自主的統制によって其の秩序性を守って健康に生活する。
人間の自由とは無秩序のことではなく、
自由意志と自由選択とによる完全なる自己統制である。
孔子の所謂(いわゆ)る
「心の趣く所に随って矩(のり)を超えず」である。
<感謝合掌 令和8年4月26日 頓首再拝>
「神は法則である」と云うことを知り、法則にまかせる - 伝統
2026/04/28 (Tue) 11:16:42
*「光明法語」(4月28日《信仰の本質は「知る」にある》)より
神に対する信仰を深めるためには、
神は法則であると云うことを先ず知ることである。
種子を植えるにしても、それが必ず生えるという信仰がないと
種子を途中で掘り返して結局芽が出ないであろう。
それと同じく、神を信ずると云うことは、
法則が先ず此の世界を支配していると云うことを「知り」、
法則にまかせると云うことである。
即ち「知り」て「まかせる」のが信仰であって、
信ずるとは「知らないから、出鱈目に信ずる」と云うような
アヤフヤなものではないのである。
信ずるとは「真に知る」ことである。
<感謝合掌 令和8年4月28日 頓首再拝>
《神は法則であり偏頗はない》 - 伝統
2026/04/30 (Thu) 11:17:02
*「光明法語」(4月30日)より
種子(たね)を植えて恐怖なしに土地に委ねることが出来るのは、
法則が支配していることを知っているからである。
法則の支配を信じなければ恐怖するほかはない。
神は法則であり、蒔いた種子の通りの芽を出さしめるのであり、
例外なしにそうであるから吾々は恐れる必要がないのである。
罪人が蒔いても善人が蒔いても法則によれば
同じ種子には同じ植物が生えるのであるから、
どんな罪人も、善き種子をこれから蒔けば
善き植物が間違いなく生ずるのである。
何も恐るることはないのである。
神は法則であり偏頗(へんぱ)はない。
<感謝合掌 令和8年4月30日 頓首再拝>
物質の法則の上に精神の法則の優位がある - 伝統
2026/07/22 (Wed) 11:22:56
*「光明法語」(7月22日)より
生長の家は科学を否定しない。
寧ろ精神と物質との間に科学的法則を見出す。
だから精神科学といわれる所以である。
今迄は物質と物質の間のみに法則を見出して、
精神と物質との間に相互の因果関係があると云う事を忘れていた。
物質の法則の上に精神の法則の優位があるのは、ただの物理化学的法則以上に
それに精神が働きかけた時、物質はただの物質ではなく肉体となり、霊妙なはたらきを
現し、自然の物理化学的変化以上を有意志の変化にかえて了(しま)うのである。
<感謝合掌 令和8年7月22日 頓首再拝>
法則とは何ぞや - 伝統
2026/07/23 (Thu) 11:08:34
*「光明法語」(7月23日)より
法則とは物理化学の法則でも、精神の法則でも、
神のはたらきの「道」である。
かかる「道」を通って、霊が、生命が、はたらくのである。
霊が、生命が、創造力が、働くところの
「道」「方法」を知らないときに吾々は生命の創造力の「道」に
邪魔物を、知らず識(し)らずに置くことになる。
そこに生命の創造力は閉ざされ、
病気を生じ、不幸を生じ、禍を生ずることになる。
科学とはかくの如き「道」を発見して、
生命の創造力を豊かに流露(るろ)せしめんがためのものである。
<感謝合掌 令和8年7月23日 頓首再拝>
二つの法則 - 伝統
2026/07/24 (Fri) 11:35:23
*「光明法語」(7月24日)より
人生には、精神の道と、肉体の道とが
互いに縄のように交わりながら進んでいる。
吾々は心の法則の中にも住んでいるし、
物質の法則の中にも住んでいるのである。
毒物(本来食物として創造(つく)られていない物の意であって、
それは他の用途に使えば毒物ではない。本来毒物は何もない)を
食すれば胃腸を害し消化力を減ずるのは
物質の法則によるのであるが、
心配したり、腹立ったり、不快な思いをしながら食べるとき
胃腸を害し、消化力がにぶるのは心の法則によるのである。
<感謝合掌 令和8年7月24日 頓首再拝>
神に於いては無法則 - 伝統
2026/07/26 (Sun) 10:36:38
*「光明法語」(7月26日)より
神は決して「法則」と云うようなもので
自縄自縛されてい給うような方ではない。
その意味に於いて、神自身から言えば、「無法則」である。
しかし、神はその創造活動があらゆる方面において調和し、
秩序だっているから、
それを人間の方から見ると、
神の創造は「法則」と云う「道」を通って行なわれるように
見えるのである。
精神の法則も、物質の法則も
「一(ひとつ)」の神の調和した創造の二面であるから、
互いに調和しているのである。
不調和に見えるのは観察が足らなぬのである。
<感謝合掌 令和8年7月26日 頓首再拝>
心の法則と物質の法則との調和 - 伝統
2026/07/27 (Mon) 10:55:20
*「光明法語」(7月27日《行く処必ず安全》)より
爆弾に中(あた)っても死なないと云うのは
神の法則の自己破壊であって、そんな事が尊いのではない。
爆弾の中らぬような所へ、
自然に、心の働きで、自分の身体(からだ)が行っている事が、
心の法則と物質の法則との調和である。
毒を飲んでも死なぬのではなく、
毒など自然に飲まなくなる事が、
心の法則と物質の法則との調和である。
天災地変や列(汽)車の顛覆が起こっても大丈夫と云うのではなく、
天災地変や列(汽)車の顛覆の所などへ立ち寄らぬ様になるのが
心の法則と物質の法則との調和である。
<感謝合掌 令和8年7月27日 頓首再拝>
法則は神の顕現 - 伝統
2026/08/08 (Sat) 12:03:28
*「光明法語」(8月8日)より
人間の頭脳が、自然を研究するに従って
それを支配する法則が段々徐々にわかれば、
自然を構造したところの知性(神)は、
吾々人間の頭脳知よりも遥かに発達した知性であると
言わなければならない。
「神」と言うと迷信くさく思う人があるが、
「法則」と言えば、科学者も信仰しているものである。
『甘露の法雨』には、神の事を「宇宙を貫く法則」と書かれている。
すべての事物は法則によって支配されている。
併し法則をば必ずしも「物質法則」に限る必要はない。
<感謝合掌 令和8年8月8日 頓首再拝>
「法則」を研究する科学は神を研究することになる - 伝統
2026/08/14 (Fri) 11:20:20
*「光明法語」(8月14日《物質科学の目的》)より
物質を研究する科学は、その研究が次第に深くなるに随って、
その奥に横たわる法則や秩序や、
智慧なしには構造することが出来ない微妙複雑なる構造に、
驚異の眼(まなこ)をみはるに到り、
此処についに、
物質の奥底にあって一切のものを構造する本源者「霊なる神」を
みとめずにはいられなくなるのである。
凡(およ)そ「法則」とは神が人間にわざと利用しやすきよう、
常に普遍妥当なる形においてあらわれたものであって、
結局「法則」を研究する科学は神を研究することになるのである。
<感謝合掌 令和8年8月14日 頓首再拝>