伝統板・第二

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神社~今月の言葉(6月) - 夕刻版

2025/06/01 (Sun) 13:18:57


【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和六年六月)】

本田親徳

   往き還り 足踏むごとに
   産土の 神の恵みを
   思へ世の人

 
     家路の行き帰り
     その都度、大地を踏みしめて
     生活するものとして
     大地の神様の恵みを忘れてはならない。


本田親徳 (ほんだ ちかあつ)
明治時代の神道家。
文政五年(一八二二)一月、薩摩国川辺郡加世田郷武田村
(現鹿児島県南さつま市)の本田主蔵の長男として生まれた。

幼少期は漢学と剣術を学ぶ。天保十年(一八三九)十八歳のとき、
会沢正志斎に入門。

会沢門下として和漢を学び同時に平田篤胤の家にも出入りする。
天保十四年、狐憑きの少女に出会い憑霊現象を実見。

それ以来、霊学研究を始め、神霊を感合する道を求めた。


http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0706/

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202506.pdf

          <感謝合掌 令和7年6月1日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和七年六月)】 - 伝統

2025/06/02 (Mon) 04:55:06


人の和

    ~ 孟子 ~

  天の時より地の利、地の利より人の和と説かれています。

  「天の時」とは、天から与えられたチャンス。

  「地の利」とは、今自分が置かれている立場。

  「人の和」とは、組織の結束力。

  この3つが重要な条件であります。

  しっかりと好機を見定め、
  人と人とが寄り添い、
  人の和を大切にしましょう。


   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k07.html

          <感謝合掌 令和7年6月1日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和七年六月水無月)】 - 伝統

2025/06/02 (Mon) 15:07:07


日の本に生れ出でにし益人は

    神より出でて神に入るなり

      ~ 中西直方・死道百首 ~


 神道は神より出でて、神に帰一する道である。
 別言すれば、氏神のみ許に帰つていく。

 人は自分から生まれんとする意志を以て、
 生まれてきたものではない。

 といふ意味は、人間の生命も、生きようとする意志も、
 広く見れば神から与えられたものであることを意味する。

 死んで人間の帰つていくことも、自己の意思によるものではなく、
 総ては神の意志のまにまにである。

 神のみ手に引かれての生き方に、安心を見出す道がここにある。


 歌の意味は

 「この日本の国に生をうけた人々は、その生命・魂の親・祖先の神
  から受けたものであり、死んでからの行き先も親・祖先の所に
  帰る以外にない」

 ことを教へたものである。

     (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和7年6月<水無月>をクリック)

          <感謝合掌 令和7年6月2日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和六年六月)】 - 伝統

2025/06/03 (Tue) 04:49:22


中江藤樹

  それ神道は 正直を以て体となし
  敬愛を以て心となし
  無事を以て行となす



    神道の教えの
    「正直」を実現するには
    愛(包容・調和)と
    敬(慎しみ)の精神のもと
    誤ちの無いように
    日々実行することである

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0606/

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202406.pdf

          <感謝合掌 令和7年6月2日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和六年六月)】 - 伝統

2025/06/03 (Tue) 13:09:34


身に反(かえ)りて徳を修む

    ~ 易経 ~

  徳を修める上での大事な心得は、困難に遭ったり失敗した時こそ
  自分に原因がないかを反省することであります。

  松下幸之助氏は

  「物事がうまくいった時は皆のおかげ、
   うまくいかなかった時は全て自分の責任」

  と語っています。

  1年の折り返しの時を迎えました。

  過去半年をふりかえり、向う半年の糧としましょう。

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k06.html

          <感謝合掌 令和7年6月3日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和六年六月水無月)】 - 伝統

2025/06/04 (Wed) 01:56:04


  天つ神国つ社とわかちても

   誠をうくるみ日がかはらじ

    ~ 藤原実兼。風雅集 ~



  世に天つ神、国つ神の社とか、或いは大社、小社、
  或いは本社、末社といふ区別や言ひ方はあるが、
  等しく神を祀つたところであることに変りはない。

  等しく神である以上は、その社殿の大小や、社格等によつて、
  その御神徳を云々すべきでない。

  世に「富者の万燈より貧者の一燈」といふことがある
  伊勢神宮の教へにも、神は誠の心を受けるのであつて、
  供へ物の多寡によつて、神徳を左右し得るものではないとある。

  (豊受太神御鎮座本紀に「神明は徳と信とを饗(う)けて
   物を備ふることを求めず」とある。)

  人の誠心は、どの神も心よく受け、聞き入れて下さることに
  変りのあらう筈はない。

  神に奉仕するものも、これに祈りを捧げるものも、
  只一筋の誠の道を通す以外に神の御納受はない。

  これは神の道だけでなく、お互の交際についても、
  身分によつて、誠の使ひ分けがあつてよい筈はないのと同じである。

  神の道は「誠」一筋であるとした古い証左のひとつである。

     (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和6年6月<水無月>をクリック)

          <感謝合掌 令和7年6月3日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和五年六月)】 - 伝統

2025/06/04 (Wed) 14:34:04


明治天皇

  いそのかみ 古きためしを
  たづねつつ 新しき世の
  こともさだめむ


   わが国の古来より伝わる先例のもとつ心を
   探り求めながら新しい時代の
   さまざまなことも定めてゆこう

    『明治の聖代』(明治神宮)

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0506/

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202306.pdf

          <感謝合掌 令和7年6月4日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和五年六月)】 - 伝統

2025/06/05 (Thu) 04:56:46


言語を寡(すくな)くして気を養う

    ~ 孫真人(そしんじん)・養生雑訣~


  むだ口をしないで、心を休める意

   「思慮を寡(すくな)くし以て神を養い
     嗜欲(しよく)を寡(すくな)くし以て精を養い
      言語を寡(すくな)くして以て気を養う」

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k05.html

          <感謝合掌 令和7年6月4日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和五年六月水無月)】 - 伝統

2025/06/05 (Thu) 14:41:33


神と申すものは正直なる事を好み、又清浄なることを好み給う。
それ故、神を拝むには先づ己が心を正直にし又己が体を清浄にして、
外に名の心もなく、ただ謹み拝むべし、是れを誠の神信心と申すなり。

    ~ 吉田松陰。妹児玉千代宛書翰 ~



  幕末、長州藩の勤王学者であった吉田松陰が、安政元年に
  自分の妹の児玉千代に対し、神道の心がまえを、「神信心」の
  名の下に、わかり易く教えたものである。

  神は正直と清浄を好む。
  神信心するものは、神の好まれる正直・清浄の心を、
  自分の心がまえとすべきである。

  その故、「神信心」は神を拝む作法を行うについても、
  その心がまえは正直の心に成り切ることが大切であり、
  又神拝以前の身体は清浄に持続すべきである。

  これが「身清浄・心正直」である。

  神信心はこの六文字を拳拳服膺(けんけんふくよう)して忘れず、
  神拝を実行する以外にないとしたのである。

  正直・清浄の教えに、どれだけてっていできるか、
  神信心が成るか、どうかの岐れ道がここにある。

     (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和5年6月<水無月>をクリック)

          <感謝合掌 令和7年6月5日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和四年六月)】 - 伝統

2025/06/06 (Fri) 04:48:09


『倭姫命世紀』(やまとひめのみことせいき)

  神は垂(た)るるに祈祷を以て先と為し
  冥(めい)は加ふるに正直を以て本と為す


    神より御恵みを授かるには
    祈りと正直が第一である

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0406/

 https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202206.pdf

          <感謝合掌 令和7年6月5日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和四年六月)】 - 伝統

2025/06/06 (Fri) 13:14:02


 至誠神の如し

       ~ 中庸 ~


   心に邪念がなく、
   物事にきわめて誠実であれば、
   やる事なす事全て神様のように予見するごとくに
   道理がわかることを表しています。

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k04.html

             <感謝合掌 令和7年6月6日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和四年六月水無月)】 - 伝統

2025/06/07 (Sat) 04:54:07


 不自由を常と思へば不足なし

       ~ 徳川家康遺訓 ~

  (説明)

  自由とか民主とか、その文字の主張は立派である。
  然しこれを自分に当てはめると、すべて自分の考え、
  生活が自由であるとばかりはいえない。

  人生は百を満点とすれば、七十、八十点は不足であるが、
  それが常だと思って満足している人の方が幸せである。

  徳川家康が戦国の世にあって、不自由を常としたことは、
  戦国という時代即応の生き方だったとしてよい。

  自分の自由と他人の自由とがぶつかれば、
  どちらかが折れねば片が付かない。
  片が付くということは、片方が折れるということである。

  東照公家康の教えが、実際の生き方をしめしたものとして、
  顧みられるのは、その考え方が実際的だからである。

        (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和4年6月<水無月>をクリック)

             <感謝合掌 令和7年6月6日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和三年六月)】 - 伝統

2025/06/07 (Sat) 14:27:26


『御成敗式目』

神は人の敬(うやまひ)に依(よ)りて威(い)を増(ま)し
人は神の徳(とく)に依(よ)りて運(うん)を添(そ)ふ

         ・・・

  神さまを敬う人の
  純粋な真心にふれ
  神さまのご威光は
  さらに輝きを増し
  神さまの広き厚き
  ご神徳のご加護で
  人は導かれ運を開く

  神さまと人とは
  一方通行ではなく
  お互いがお互いを
  高めあう存在である

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0306/

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202106.pdf

          <感謝合掌 令和7年6月7日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和三年六月)】 - 伝統

2025/06/08 (Sun) 04:44:05


 鉄杵(てっしょ)を磨く

       ~ 唐書 ~


   鉄製の大きな杵(きね)でも根気よく磨いていれば
   針のように細くなるという意味で、
   小さな力が地道に作用し続けることによって
   顕著な効果が現れます。

   忍耐と努力は必ず実を結びます。

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k03.html

             <感謝合掌 令和7年6月7日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和三年六月水無月)】 - 伝統

2025/06/08 (Sun) 15:09:30


 うそ云ふな、ものほしがるな、からだだわるな

       ~ 橘 曙覧・家訓 ~

  (説明)

 橘曙覧が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、
 これを墨にすって書き残したという「家訓」の一節。

 
 「だわるな」は「怠けるな」の意。

 倭姫命が日本武尊に仰せられた
 「慎んで怠るなかれ」の御言葉にも通ずるものがある。
 
 全体としては「嘘を言うな、物を欲しがるな、
 身体を怠けさせてはならぬ」の意で、

 日常の教えとしては、これだけ実行出来ても、
 立派だといえよう。

 神道が「日用の道」である以上、むずかしく考えることなく、
 平易に説くことも大切だといえよう。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)


 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和3年6月<水無月>をクリック)

             <感謝合掌 令和7年6月8日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和ニ年六月)】 - 伝統

2025/06/09 (Mon) 04:57:56


詠み人しらず


  水無月(みなづき)の 夏越(なごし)の祓(はらへ)
  する人は 千年(ちとせ)のいのち
  延(の)ぶといふなり



    半年間を過ごす日々で
    知らず識らずのうちに内(心)と外(身)に
    降り積もる罪(つみ)・穢(けがれ)を祓清め
    心身を清浄な形に戻すことで
    暑い夏も健康に過ごし
    長命を得られると考えられています

  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0206/ )

   https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202006.pdf

         <感謝合掌 令和7年6月8日 頓首再拝>

【白山比咩神社 6月のことば(令和2年6月)】 - 伝統

2025/06/09 (Mon) 13:05:19


  これを勢(せい)に求めて人に責(もと)めず

         ~ 孫子 ~


    物事は何よりも勢いに乗ることを重視し
    一人ひとりの働きに過度の期待をかけてはならない。

    組織は管理も大切であるが、
    全体を勢いに乗せて一致団結して
    物事に対処することが必要なのであります。

      (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k02.html )

         <感謝合掌 令和7年6月9日 頓首再拝>

【北海道神社庁、6月のことば(令和2年水無月)】 - 伝統

2025/06/10 (Tue) 04:55:41


  慎みて怠ること莫れ

       ~ 古語拾遺 ~

 景行天皇の御代、日本武尊は東征の途中、伊勢の神宮に詣で、
 神宮御奉仕の倭姫命(やまとひめのみこと)に御暇乞(おひまごい)
 をされた。

 倭姫命は、天叢雲剣(あめのむらぐものつるぎ)を日本武尊に
 授けられ、この御言葉を、はなむけとされた。

 人生は常に身を慎み、怠けることなく、
 精進に精進を重ねよとの意味です。


 成功の基は、これ以外にないということです。 

        (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和2年6月<水無月>をクリック)

<参照>
「神の道」-神道の教え:「慎み」
https://ameblo.jp/harusame1229/entry-11610801789.html

         <感謝合掌 令和7年6月9日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和元年六月)】 - 伝統

2025/06/10 (Tue) 15:14:01


昭和天皇

   さしのぼる 朝日の光

   へだてなく 世を照らさむぞ

   我がねがひなる

    ( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0106/ )

     ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201906.pdf  )

          <感謝合掌 令和7年6月10日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和元年六月)】 - 伝統

2025/06/11 (Wed) 04:56:48


  礼儀は富足(ふそく)に生ず

           ~ 潜夫論 ~


   心が豊かになり、
   周囲に目配りが出来るようになると、
   自然に礼儀を重んずるようになります。


   <参考>

    衣食足って礼節を知る

    礼は有に生じ、無に崩る

  (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html#m3106 )

          <感謝合掌 令和7年6月10日 頓首再拝>

【北海道神社庁、6月のことば(令和元年水無月)】 - 伝統

2025/06/11 (Wed) 14:39:11


 天地の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

            ~ 昭和天皇御製 ~


  昭和八年の御製である。
  全国の神社では『浦安の舞』の歌として、
  神前でこの御歌を歌い舞っている。

  歴史は時代のベールの向こう側去って、
  歌の御心だけが今日に生きつづけている

  それは陛下の御心が永遠のもので、いついかなる時も
  『朝なぎの海のごとくに波たたぬ世』の実現を祈り以外にない。

  それは神社の祈り ―― 神の御心も同じで、全国の神社が、
  その祭礼に『村内安全』『天下太平』の幟をたてるのも、
  それが神の御心に外ならないからである。


  私たちは天皇の御心は、神の御心を表現される以外にないことを知っている。
  その神の祖神の天照大神は、日本書紀によれば、
  「恩親心」をつくされるにある。

  一般的に睦まじい心(仲良くする心)を第一とされる。
  それに「恩」の字にあてられるのは、神のお蔭、人のお蔭によって
  生きられることに対する感謝の念を持つことである。

  それが神、人、自然に対する敬愛と親しみに通ずる。


  自然現象としては 「朝なぎの海のごとくに波たたぬ世」で
  平和の姿の実現こそ、天地の神に祈らないではいられない。

  人生も穏やかな晩年を迎えたいと思うように、
  村内のこの祈り ―― 万世太平の祈りこそ、陛下の根本の祈りであり、
  神の御心であることに思いをいたしたい。

        (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和元年6月<水無月>をクリック)

          <感謝合掌 令和7年6月11日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成三十年六月)】 - 伝統

2025/06/12 (Thu) 04:47:25


  本居宣長

   尋常(よのつね)ならずすぐれたる

    徳(こと)のありて可畏(かしこ)き物を

     迦微(かみ)とは云(いふ)なり

 (説明)

 「普通でない優れたところがあって、恐れ多いものを神という。」
 古事記を研究し著した『古事記伝』中で、
 日本人が古くから持っていた「神」に対する考え方を述べたもの。

           ・・・

本居宣長 (もとおり のりなが)

江戸時代の国学者・文献学者・医師。
伊勢国(三重県)松坂の人。二十二歳で医学の修行のため京都へ遊学し、
儒学・古典等を修め国学の道に入ることを志す。
松坂に帰り診療所を開業し、そのかたわら古事記、源氏物語など
古典文学の注釈や漢字音、文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。

また復古思想を説いて儒教を排し、国学の思想的基礎を固めた。
国学四大人(こくがくしうし)の一人。
著書に『源氏物語玉の小櫛』『古事記伝』『玉勝間』『直毘霊』などがある。


  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3006/ より転写)

    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201806.pdf )

          <感謝合掌 令和7年6月11日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成三十年 六月)】 - 伝統

2025/06/12 (Thu) 13:15:49


  実践躬行(じっせんきゅうこう)

    (躬行君子、則吾未之有得)

              ~論語(述而)~


  (意味)

   どんなに立派な事を言っていても、
   行動が伴わなくては人はついてきません。

   思い立ったら、自ら進んで実行することが大切であります。

      *ノーベル生理学・医学賞の大村智さんの座右の銘。

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html )

          <感謝合掌 令和7年6月12日 頓首再拝>

【北海道神社庁、6月のことば(平成三十年水無月)】 - 伝統

2025/06/13 (Fri) 04:53:25


「神は人の敬によりて威を増し、

    人は神の徳によりて運を添う」

             「北条泰時・御成敗式目」

  (説明)

我が国に於いては。古来、政治を執るものも、国民全般も、
民族思想の根幹、底流を無視した政治は物にならなかった。

鎌倉時代に於いても、北条泰時が、幕府の司法制度たる
御成敗式目を立てたとき、ここに示す名言を述べて後世に残した。


神及び神社は、人々がこれを尊信する敬意を以て、奉仕するとき、
神及び神社の有難さが一層発揮されるのである。

これに対し、人としては神の御心を頂き、神に祈ることによって
神から有り難い御恵みを受け、愈々発展することが出来る。
人と神との関係を説いたものとして尊重すべき文句といえよう。


鎌倉幕府の執権北条泰時が、貞永元年(1232)に制定されたので、
この御成敗式目を一つに貞永式目ともいう。
51ヶ条から成る、鎌倉幕府の武家法制書である。


北条泰時は北条第三代の執権で義時の子、
元仁元年(1224)執権となる。
仁治三年(1242)に没した。
享年六十。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成30年6月<水無月>をクリック)

          <感謝合掌 令和7年6月12日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十九年六月)】 - 伝統

2025/06/13 (Fri) 15:09:21


度会延佳

   神道は日用の間(ま)にあり


(説明)

   神道は特殊な道ではなく、
   毎日の行為が神のみ心にかなっているかどうかを反省し、
   精進する以外にない。


慶安三年(一六五〇)著『陽復記』の一節。
また、同人著『太宮神道或間』(寛文六年著一六六六年)には、
「日本国に生まれたる人は、心に得て、身に行はでは叶はざる道
……日用の間、神道ならざという事なし」とあるのも同義である。
『神道百言』より


           ・・・

度会延佳 (わたらい のぶよし)

元和元年(一六一五)~元禄三年(一六九〇)。
江戸中期の伊勢神宮の神道学者。
初め延良、後に延佳と改めた。
号は愚太夫・直庵と号した。

この二つの号をまとめると「愚直」で、
延佳は人から「馬鹿正直」といわれても、
まことしやかな人間になるよりはましとして一生正直の二字を守り通したという。
豊受大神宮の権禰宜に補し、元禄三年に歿した。享年は七十六。


  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2906

    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201706.pdf )

            <感謝合掌 令和7年6月13日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成二十九年 六月)】 - 伝統

2025/06/14 (Sat) 04:47:10


 爾(なんじ)に出ずる者は爾に返る


              ~孟子・梁恵王下~


  (意味)

   あなたがしたことは、あなたに返る。

   よいことをすればよいことが返ってくるし、
   不義理なことをやれば不義理が返ってくる。

   人にやさしく接すれば、相手からやさしさが返る。

   全て自分のことばや行いが、反映される。

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html

            <感謝合掌 令和7年6月13日 頓首再拝>

【北海道神社庁、6月のことば(平成二十九年水無月)】 - 伝統

2025/06/14 (Sat) 18:28:01



 二見なき至誠は 神道の極意なり

           ~ 神宮秘伝問答 ~

  (説明)

二見とは右を見、左を見、前を見、後ろを見ることで、
うろちょろすることである。

一応は思慮分別に富んだ考え方のようにもとれる。

然し信仰にあっての心の持ち方は、真実の一点を見定めたら、
その一点を見つめつつ実践する以外にない。

或る教えがよい、いや此の教えもよいとして右顧左眄していたのでは、
いつまでたっても心の落ちつき、安らぎを見出し得ない。


伊勢では「神道とは正直の二字につきる」とする。
それを徹底すればよい。

その正直とは天照大神の天の岩戸開きの際に示された
次の大神の教えであって、それに従う以外ない。


(1)我が儘の心、行いを捨てる。
   『俺が』という利己主義の心や行動をしない。

(2)恩徳を感じ、感謝の心、お蔭さまで生きていることに
   感謝する心を持つこと。

(3)お互い許し合うこと、自分が完全でないのに、
   どうして他人の不完全を責められようか。

   不完全同士なら、お互いに責め合わないで、
   助け合い、許し合っていくこと。


この3つの心がまえが大神の正直の内容であるとするなら、
この3つの教えを金科玉条として一生持ちつづける。

ここには右顧左眄、即ち二見はない。
これが神道の極意だというのである。


神道秘伝問答は万治3年(1660)、伊勢下宮の神主出口延佳の著、
内宮下宮崇拝の仕方について述べたもの。

延佳は直庵と号し、一生正直の二字を守った人である。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成29年6月<水無月>をクリック)

            <感謝合掌 令和7年6月14日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十八年六月)】 - 伝統

2025/06/15 (Sun) 04:52:03


   全徳の人は得難し

     一失あれば一徳あり

            ~ 徳川吉宗 ~


(説明)

   全てに優れた人を得ることは難しいが、
   どの人間にも、必ず短所もあれば長所もある。
   
   短所ばかりを見るのではなく、
   長所を見つけて
   それを活かして用いなければならない。

      『兼山麗澤秘策』

        ・・・

徳川吉宗

貞享元年(1684)~寛永四年(1751)。
二代紀州藩主徳川光貞の四男として生まれ、
葛野(かずらの)藩主、紀州藩主を経て八代将軍となる。

身分にこだわらず、目安箱等にて庶民の意見にも耳を傾けて、
質素倹約を旨とする経済政策、享保の改革を行った。


  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201606.pdf

    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201606.pdf )

            <感謝合掌 令和7年6月14日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成二十八年 六月)】 - 伝統

2025/06/15 (Sun) 15:02:11


  鎡基(じき)ありといえども

   時(とき)を待つに如(し)かず


              ~ 孟子 ~


  (意味)

   良い道具があっても、季節の到来に合わせて
   農作業をしなければ良い収穫はできない。

   事を成す時には、実力と共に、
   我慢強く時が来るのを待つべきである。

   *鎡基とは、畑を耕す農具のこと。 

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )

          <感謝合掌 令和7年6月15日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十七年六月)】 - 伝統

2025/06/16 (Mon) 04:56:34


   ちはやぶる 神の御坂(みさか)に 幣(ぬさ)まつり

     いはふ命は 父母のため

            ~ 神人部子忍男 ~


(説明)

   荒ぶる神のいらっしゃる神坂峠に
   お供えをして道中の安全と無事帰還を祈るのは、
   自分のためではない。

   命を授けてくれた父母のためである。



        ・・・

神人部子忍男(みわひとべのこ おしお)

天平勝宝七(755)年、防人として厳しい任務を帯びて
九州に派遣される折、東国と西国をつなぐ東山道の
最大の難所である神坂峠で、故郷で自分の帰りを待つ
両親を思って歌ったと言われる。

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201506.pdf

    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201506.pdf )

  参考 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/koosio.html
 
*「神の御坂」は長野県と岐阜県を結ぶ神坂峠(みさかとうげ)のこと。
 昔は東山道最大の難所とされていました。
 作者は3年間の防人の任に就くため、信濃からこの峠を越えて美濃へ出、
 そして筑紫に向かいました。

 祈りを捧げた御坂神社はその登り口に座しています。

  (http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/31985722.html


<参考Web>

(1)天皇國日本燦歌 94 防人の歌  6
   https://ameblo.jp/kotodama-1606/entry-11904537159.html

(2)万葉の旅 「神の御坂」「御坂神社」
   http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoukochi/nagano/misaka.html

          <感謝合掌 令和7年6月15日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十七年 六月)】 - 伝統

2025/06/16 (Mon) 12:47:04


     安(やす)きに居(お)りて

      危(あや)うきを思う


              ~左伝(春秋左氏伝)~


  (意味)

   安定しているときや安泰なときこそ、
   いっそう気持ちを引き締めて
   将来の異変に備えなければならない。

   「安きに居りて危うきを思う。
   思えば即ち備えあり、備えあれば患いなし」

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html )

 
          <感謝合掌 令和7年6月16日 頓首再拝>

【北海道神社庁、6月のことば(平成27年水無月)】 - 伝統

2025/06/17 (Tue) 04:50:23


  なにとなくただありがたき心こそ、

       伊勢の内外の神の道なれ

              ~ 度会延佳詠草 ~


  (説明)

度会(出口)延佳は、
伊勢神宮(内外両宮)の神道とは何かと、人に聞かれたとき
「ただ有難いことです」また「有り難いという感謝の心を持つことです」
と教えたという。

日本書紀にいう天照大御神の
み心は「恩親心(むつまじき)」を持つにありとされています。

「恩親」の二字を何故「むつまじい」と訓ませたのか。
その一字の「恩」こそ、有り難い心であり、お蔭に感謝する心に外ならない。

毎日、こうして元気でいられるのも、神のお蔭、親のお蔭だと
感謝するのが「恩」のあり方である。

生まれてから死ぬまで自分たちの有り方は「有り難い」という心を持ち、
この言葉を申して終わるより外に、道はないのです。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」平成27年6月<水無月>をクリック)

          <感謝合掌 令和7年6月16日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成26年6月)】 - 伝統

2025/06/17 (Tue) 13:30:12


   おもしろき

    こともなき世を

     おもしろく

            ~ 高杉晋作 ~


(説明)

   この句に、福岡の野村望東尼(もとに)が続けて

   「すみなすものは、心なりけり」

   と加えたとされる。

   
   この世をおもしろいと感じるか、
   おもしろくないと感じるかは、
   心のもち方次第であるという意味。


   (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201406.pdf )

    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201406.pdf )

          <感謝合掌 令和7年6月17日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十六年 六月)】 - 伝統

2025/06/18 (Wed) 06:13:10


 仁者(じんしゃ)は難(かた)きを先(さき)にして

      獲(う)ることを後(のち)にす


              ~ 論語 ~


  (意味)

   仁者とは、慈愛、すなわち思いやりに溢れた人をいう。

   自分の利益になるようなことは後回しにして、
   たとえ困難な事でも世の為人の為になるような事を、
   日々努力して率先して行なう。

   そういう人をお手本にしたいものです。
   いっそう気持ちを引き締めて
   将来の異変に備えなければならない。

   「安きに居りて危うきを思う。
   思えば即ち備えあり、備えあれば患いなし」

   (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )
 
          <感謝合掌 令和7年6月17日 頓首再拝>

【北海道神社庁、6月のことば(平成26年水無月)】 - 伝統

2025/06/18 (Wed) 13:23:33


  習いつつ見てこそ習へ 習わずに

     善悪(よしあし)いふは愚かなりけり

              ~ 千利休・茶道百首 ~


  (説明)

千利休が茶道の精神を説いたものであるが、
これは茶道だけでなく、世の万般の道についても
同じ道理が含まれている。

すべての勉強は、人から「こうするものだ」と教えられたまず習い(倣い)、
人の振りを見てこれを確かめ、更に自分でやってみてこれを身につけていく。

それを人から習わず(教えられることなく)、
すべての行為に対して、善(よし)悪(あし)を言い、
批評することは、愚か(無駄)なことだという意味である。


学習も、よい先生について手ほどきを受け、
その通りにやる事が無駄な時間を費やすことなく、
早く本質をつかむことが出来る。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
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          <感謝合掌 令和7年6月18日 頓首再拝>

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