伝統板・第二
英霊の言乃葉 35 - 夕刻版
2025/06/01 (Sun) 13:17:20
靖国神社社頭掲示~令和7年6月
遺書
陸軍軍曹 長田 義夫 命
昭和19年7月18日
マリアナ群島サイパン島にて戦死
宮城県名取郡岩沼町出身 21歳
此ノ世ニ生ヲ享(う)ケテヨリ二十一歳ノ今日ニ至ル迄、
大層御世話ニナリマシタ。
小学校ヲ卒業シテヨリ実社会ニ出マシタガ、両親兄弟程
仲良ク而(しか)モノ親切ニシテ呉レル人は居リマセンデシタ。
二年有余ケ月ノ学校教育モ終ヘテ、今第一線ニ向ヒマス。
義夫トシテハ本懐ノ至リデアリマス。
特ニ今回ノ卒業ハ陸軍大臣賞ヲ頂戴シ、此ノ絶頂ニ達シタルトキニ
生ヲ終ルコトガ、又何カ意義アルカノ如クニ思ハレマス。(中略)
今日此ノ日ガ最期ナルコトハ、日ヲ見ルヨリ明カデアリマス。
遺骨ノ帰ラザルハ勿論ナレド、遺品スラ変ルコトハ望マレナイコトヲ
良ク良ク覚悟シテ井テ下サイ。(中略)
喜ンデ護国ノ神トナツテ行キマス。
御両親様始メ兄弟ノ皆モ此ノ大戦争ニ勝ツ様、
一意奮闘シテ銃後ノ護リヲ固メラレンコトヲ祈ツテ居リマス。
昭和19年3月17日 書
長田義夫
長田儀之助殿
<感謝合掌 令和7年6月1日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~令和6年6月 - 伝統
2025/06/02 (Mon) 15:04:45
御両親様
陸軍曹長 熊坂 豊吉 命
昭和19年12月11日
フィリピン。パナイ島サンホセ附近にて戦死
山形県東置賜郡金山村出身 23歳
御両親様
豊吉は軍人として又陸鷲(りくわし)としての本分を立派に全うする
時が参りました。
覚悟は既に故郷出発のときより成つてゐます。
豊吉の身は大君に捧げしもの只専心任務に邁進、
刈れる成る戦局打開あるのみです。
聖代(せいだい)に生を享けし喜びと感激で一ぱいです。
只長生して十分なる御奉公の出来なかったのは残念ですが、
豊吉の死が大東亜永遠の平和の礎石となるのだと思へば、
此上もなき光栄と存じ悦んで散つて行きます。
豊吉なきあとは何卒一家挙(こぞ)つて聖恩(せいおん)の
万分の一にも御報い下されんことを御願します。
「神勅相違なければ日本は亡びず」日本は必ず勝ちます。
御両親様には十分御身御大切に末長く銃後の勤(つとめ)を
果たされんことを御祈りします。
親戚の方々始め、生前御交誼を頂いた方々に呉々も
宜敷く御伝え下さい。
豊吉
希望も夢も青空に
かけた甲斐ある今日ぞ嬉しき
https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html
<感謝合掌 令和7年6月2日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~令和5年6月 - 伝統
2025/06/03 (Tue) 13:07:10
充分覚悟は出来て居ります
陸軍伍長 宮川 卯之吉 命
昭和19年7月18日
マリアナ諸島にて戦死
東京都渋谷区田毎町出身 29歳
愈々、出発も目前にせまり、皆々様には色々とお世話になりました。
任地に到着後は、皆様の御迷惑にならないやう、
一心不乱に軍務に精励致します。
色々と書き残したき事は有りますが、女々しくなりますから別に
書き残しませんが、家内一同仲良くお暮らしあらんことを、
遠く任地よりお祈り致します。
面会の折には、お話しも充分に出来ませんと思ひますが、
行く先は南方第一線のやうです。
二度と皆様にお目にかかることも不可能の事と思つて居ります。
自分としましても、充分覚悟は出来て居りますから御安心の程を。
この日(面会の日)は、日直下士官勤務で面会の時間も一時間半です。
悪しからず。
自分達、拾年徴集の兵隊は、丁度中程のところです。
時間も無く思ふやうにも書いて居られないから、これくらいにします。
くれぐれもお身体御大切に。
https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html
<感謝合掌 令和7年6月3日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~令和4年6月 - 伝統
2025/06/04 (Wed) 14:14:51
妻への手紙
陸軍主計中尉 齋藤 大五郎 命
昭和20年3月17日
硫黄島にて戦死
東京都浅草区花川戸出身 31歳
出発以来、現戦局の苛烈さをつぶさに嘗(な)め乍(なが)らも、
身体だけは無事にて、所期の大東亜戦決戦場に臨(のぞ)で居ります。
時折(ときおり)内地への出張者より聞く所によれば、
内地も平穏の内にも緊張して頑張つて居るとの事、
御同慶の至りに存じます。
貴女(あなた)も九月には出産の事と存じますが、
早速その時は様子を知らせて下さい。
幸子(ゆきこ)ちやんも相変はらず元気でいたづらして居る事と存じます。
十分注意して怪我(けが)のない様に気付けて下さい。
新田の御父上様にもお変はりなき事と存じますが、何分(なにぶん)
出す手紙の枚数が今度は一枚なので、貴方より呉々(くれぐれ)も
よろしく申し上げて下さい。
(中略)
長崎の母上へも貴女より早速手紙を出して
元気の旨(むね)言つてやつて下さい。
https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html
<感謝合掌 令和7年6月4日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~令和3年6月 - 伝統
2025/06/05 (Thu) 14:39:23
遺書
陸軍上等兵 白井 治雄 命
昭和19年5月15日
中国河南省信陽県にて戦病死
京都府京都市上京区椹木町(さわらぎちょう)出身 34歳
祖母殿
母上殿
今回、晴れの御召(おめし)を拝受致し男子としての名誉は勿論、
一家の誉(ほまれ)として勇躍、指定の地に出動します。
今日までマルキイースト研究所に勤務致し、身体健全にて日夜
愉快に自己の職務に邁進し得た事、終生の御厚恩の賜(たまもの)と
厚く御礼申し上げます。
何事も思ひ残す事なし、
一家朗らかに無事御暮し下さるやう祈つて居(お)ります。
晴子殿
名誉の応召(おうしょう)に依り喜び出立す。
国家の干城(かんじょう)として辱(はずか)しからぬ
働きを約して最後の言葉とす。
武運の良否は天命なり。
留守中は祖母・母上に充分仕へよ。
之(これ)銃後の妻の最大の務めなり。
聰一(そういち)は、また物の判別は出来ねど
将来は父の意志を体得させよ。
治雄
https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html
<感謝合掌 令和7年6月5日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~令和2年6月 - 伝統
2025/06/06 (Fri) 13:12:02
幹ちゃんへ
陸軍伍長 笠原 務 命
昭和二十年六月二日
フィリピンルソン島ハンガシナンにて戦死
岡山県後月郡荏原村出身
ニ十八歳
幹(もと)ちゃん お便りありがたう。
相変はらずとても元気で お母さん達を困らせるとの事 安心してゐる。
お父ちゃんもとても張り切って
毎日皆(みんな)のお蔭でやってゐるから安心してくれ。
まだ歩けないんだつてね 体よわいね もつともつと強くなつて
大きくなつたら 父ちゃんよりもえらい兵隊になる様
今から身体を大切になさいね。
お父ちゃんが帰るころは歩けるだらうね。
何時(いつ)ごろ帰れるかまだよくわからない。
早く幹ちゃんの顔が見たくてならない。
毎日の様に夢を見るんだ。
でも此(こ)の夢が一番楽しい。
(https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )
<感謝合掌 令和7年6月6日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~令和元年6月 - 伝統
2025/06/07 (Sat) 14:18:46
愛する妻へ
陸軍伍長 柳田 満彦 命
昭和二十年六月三十日
フィリピン・ルソン島日本戦病死
鹿児島県肝属郡垂水町出身
三十歳
信枝殿、御苦労の程察して感謝してゐる。
これも偏に御国の為なのです。
何分(なにぶん)身体を大事に出征軍人の妻として両親への孝養、
子供や弟妹の教育に養育に僕の分まで御働き下さい。
兄や弟、また両親から「よくやってくれる」と知らされる度に
僕は嬉しくて唯(ただ)、君が面影をひしと抱きしめて
有難うと言ひたい様な気がします。
とにかく、共々に耐へ忍んで頑張るべき秋(とき)だ。
くれぐれも身体を大事にやってくれ。
(中略)
満代の写真まだかね。
できる事なら一家揃った写真が見たいね。
懐かしい気がする。
◎注意(これは大声では言ひにくいが、実際のところ愛しい
我が妻の写真が見たいのだ。常に肌身はなさず抱いてゐたいのだ)
是非頼む。
では何卒(なにとぞ)御身体を御大事に、皆様へよろしく。
夫より
愛妻へ
*「満代」は、御長女の御名前
( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )
<感謝合掌 令和7年6月7日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成30年6月 - 伝統
2025/06/08 (Sun) 15:07:39
遺書
陸軍兵長 庄子 勇 命
昭和十九年十二月二十三日
フィリピンにて戦死
宮城県仙台市荒町出身
二十二歳
この世に生を享けて二十有二年、
何一つ孝行もせず散つて行く勇をどうぞお許しください。
今更何も想ひ残すこともありません。
温かい膝下に育つた自分は幸福者でした。
ばたばたと軍装を整へる間は、何か実習にでも行くやうな気持ちでしたが、
さて遺書なんて改まると一瞬悲壮な感じが致します。
皆様のご健康をお祈り致します。
母上様、特にご自愛のほどお願ひします。
勝美もまつしぐら頑張るやう、妙子も年頃、お幸せをお祈りする。
英子は勉強と身体並行して、しつかりやるやう。
幸男ももう分かる時分、兄ちやん兄ちやんと言つた声がこびりついて離れません。
想ひ出せば繰返せば、きりのないことばかり。
唯、懐かしさで一杯です。
では元気で征きます。皆様もお元気で。
敬白
勇拝
家中
御一同様
( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )
( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/db54756cd44b75883656049ecab8162b )
・・・
『6月拝殿掲示』
御製
沖縄平和祈念堂前 (平成5年)
激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば
平らけき海その果てに見ゆ
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-entry-3913.html )
<感謝合掌 令和7年6月8日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成29年6月 - 伝統
2025/06/09 (Mon) 13:02:57
孝行はこれからで
陸軍伍長 西川 正一 命
昭和十九年六月十三日
中華民国湖南省長沙県にて戦死
岐阜県本巣郡北方町出身
二十四歳
興国の為に第一線に出て十二分に働く時が今来たのだ。
海山の如く大恩受けし父母様にお別れする時が来ました。
孝行はこれからです。
どうか今少しお待ちください。
ではお体を大切に。
正一より
御父母様
親愛なる弟等よ。
兄亡き後は兄に代つて孝行すべし。
此れは兄の最後の願ひだぞ。
兄より
弟一同へ
( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/1c3831a321208c9bdb495f7495065740 )
・・・
『6月拝殿掲示』
明治天皇御製
寄道祝 (明治45年)
萬代に みだれぬみちを うれしくも 神ぞひらきし あしはらの國
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20170613.html)
<感謝合掌 令和7年6月9日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成28年6月 - 伝統
2025/06/10 (Tue) 15:10:00
すめら御國を 永久に守らむ
海軍一等飛行兵曹 辻 始 命
昭和十八年七月二十四日
本州東方海面にて戦死
徳島県那賀郡富岡町出身
二十一歳
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)の譬(たとえ)は、
常に胸中に在り。
日出る皇國に大和男子として生をうけ
聖恩に報い奉り祖國を永遠に護らむと
海軍航空兵として軍籍に身を投ぜり。
幼十歳にして荒鷲を望みし身とて、
殉職はもとより期せし処。
されど我が本懐は、太平洋上紺碧の空に聖寿の万歳を寿ぎつつ散華するにあり。
我が日頃神仏に祈りし処は
「皇國日本の為尽し得る立派な人間とならさせ給へ」
とのみ申せしにあり。
(中略)
散りてのち なほ白雲と とどまりて
すめら御國を 永久に守らむ
昭和十七年 元旦記之
始
( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/3e82be91bcbd9bc20752b789cc3e4d10 )
・・・
『6月拝殿掲示』
香淳皇后御歌
氷雪の門 (昭和43年)
なすべきをなしをへてつひに命たちし
少女(をとめ)のこころわが胸をうつ
八重桜咲く春となりけり
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-entry-3053.html )
<感謝合掌 令和7年6月10日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成27年6月 - 伝統
2025/06/11 (Wed) 14:30:26
辞世の書
陸軍准尉 北野正憲 命
昭和十八年十一月五日
ニューギニアブーツ東飛行場にて戦死
鳥取県東伯郡赤碕町出身
二十四歳
父上様、母上様
謹みて正憲辞世の言葉を開陳申し上げます。
過去二十有余年、永々の御養育下されました事を厚く御礼申し上げます。
有難うございました。
その間、何一つ孝行のできなかった事を先づ御許し下さい。
私も此の歴史的大東亜戦に参加でき、帝国軍人として国家に御奉公
できました事を嬉しく思って居ります。
小さい時より軍人を志しその願いが叶って
身を国家に捧ぐる事は、私として最大の宿望であったのです。
(中略)
軍人の父として又母として、国家に盡(つく)した功労は
実に最大の名誉であり是以上の光栄はありません。
決して泣いて下さいますな。
血湧き肉躍らせつつ勇躍征途に登りし空中戦の花と散った南海の大空に向って、
正憲はよくやったわいと褒めて下さい。
そして声の続く限り萬歳を三唱して下さい。
(中略)
時巡りて若芽吹く桜の春来たれば、靖國の花の下で
老いた父上母上様を始め兄弟揃って再会する日を待っています。
親戚一同様にも生来お世話になりました。
何も盡すことが出来なかった事を御許し下さい。
正憲の魂は故郷の仏壇にありて、
北野家代々の繁栄を守り私は永遠に生きています。
北野正憲
( http://seirei.org/?p=665 )
<感謝合掌 令和7年6月11日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成26年6月 - 伝統
2025/06/12 (Thu) 13:12:38
遺書
陸軍中尉 阿部司郎命
昭和二十年六月五日
三重県紀伊長島町熊野灘沖合にて戦死
神奈川県相模原市上鶴間出身
二十三歳
天皇陛下萬歳
皇國永遠の発展を祈り奉る。
明野戦闘隊、皇軍戦闘隊の発展と各位の御健康を祈る。
同期生各位の健康と発展を祈り、永き交友を謝す。
両親宛
平素の御教訓に遵(したが)ひ、司郎は喜びて皇國の為に死す。
乞(こう)安心。
生存中は直接何等の孝養を盡(つく)し得(え)ざりしも、
大孝の道に死したるは、御両親様も満足の事と拝す。
陛下の御為、國の為、不肖なる我が身が御役に立ちますこと
司郎最大の嬉(き)悦(えつ)を感じます。
七生報國の覚悟なれば、此の次生まれ来たる時には必ず膝下(しっか)に参ぜん。
祈御健康。
阿 部 司 郎
(関連 http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=2095)
・・・
『6月拝殿掲示』
御製
沖縄県訪問 (平成24年)
弾を避けあだんの陰にかくれしとふ
戦の日々思い島の道行く
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-entry-2031.html )
<感謝合掌 令和7年6月12日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成25年6月 - 伝統
2025/06/13 (Fri) 15:03:28
遺書
海軍大尉 小野寺徳治命
昭和二十年六月十三日
沖縄島方面にて戦死
宮城県栗原郡有賀村出身
三十九歳
日本に 生を禀(う)けし 男子が
御盾となりて 散るぞ嬉しき
生ある者は必ず死す。国難に殉ずるは男子の本懐、之に過ぐるなし。喜んで殉ず。
軍人の妻として、今日あるを覚悟し、決して取乱すべ可らず。
余の亡き後は軍人の妻として、恥かしからざる生活をせよ。
博重は、必ず海陸軍人と致す様、養育すべし。
浩子は、婦女子として恥かしからざる教育を致させ、
良縁があったら嫁(とつ)がすべし。
御腹の子供が男子であったら、博重と同様軍人に致し、
女子の場合、浩子同様嫁がすべし。
余の亡き後は、速やかに帰郷致し、養父母に孝養を尽すべし。
決して世間の人様から後指を指されない様、心得る可し。
余の肉体は滅す共、精神は護国の鬼と化して朝敵を亡ぼす。
浮世の荒波に打ち勝って、子供の教育に専心すべし。
御前達の幸福を見守る。
右、遺言す。
昭和十五年十一月二十九日
徳治
悦子殿
(https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2013-07-01-1)
・・・
『6月拝殿掲示』
御製
平和の礎(いしじ) (平成7年)
沖縄のいくさに失せし人の名を
あまねく刻み碑は並み立てり
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20130606.html )
<感謝合掌 令和7年6月13日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成24年6月 - 伝統
2025/06/14 (Sat) 18:25:24
父母ニ誓フ
海軍二等飛行兵曹 和田博之命
昭和二十年六月十日
土浦海軍航空隊に於て
空襲のため戦死
群馬県高崎市新町出身
十九歳
一、永年、親不孝ヲシタ罪ノ償ヒニ、粉骨砕身御国ノ為ニ働クト共ニ
父母ニ対シ真心ヨリ仕(つか)ヘル事ヲ、心ヨリ誓ヒマス。
二、二度ト父母ニ対シ心配ヲ掛ケズ、自分ノ体ヲ大切ニ、何時モ元気デ朗ラカニ、
真面目ニ働キマス。
三、常ニ弟妹ノ良キ模範トナリ、立派ニ指導シ、兄弟妹ソロッテ親孝行シマス。
四、本日以後、「父サン」「母サン」ト称へ、孝ヲ誓ヒマス。
昭和二十年五月二十二日
和田博之
( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/31bd67b9a97a8c7ae7150bc08c061abb )
(http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=1618&uid=3 )
・・・
『6月拝殿掲示』
御製
沖縄平和祈念堂前 (平成5年)
激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば
平らけき海その果てに見ゆ
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20120608.html )
<感謝合掌 令和7年6月14日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成23年6月 - 伝統
2025/06/15 (Sun) 14:59:06
遺 書
陸軍兵長 岡 敏雄命
昭和二十年六月九日
比島ミンダナオ島にて戦死
岡山県児島郡下津井町出身 二十八歳
此度の戦斗にて大君の御為に死所を得ました事は、
皇国に生を享(う)くる男子としての本懐、
正に之(これ)に過ぎるものはありません。
成人するに及び故郷を遠く離れ、親子別々の生活致し、
何等孝養らしき事も尽さず死するは、
全く慙愧(ざんき)の極(きわみ)であります。
小生亡き後は前途多端の一家の為、
万全の善後策を講じて下さる可(べ)く、切に御願ひ致します。
尚、京子の件に関しても、結婚後僅々(きんきん)四ヶ月余日の生活にて、
夫を失ふ身は誠に不憫(ふびん)とは考へますが、出征前能(よ)く能く申聞かせ、
既に覚悟の程も出来居る事と存じますれば、今後は本人とも充分御相談の上、
宜敷御取計らひ下さいます様、御願ひ致す次第で御座居ます。
小生身は仮令(たとい)何れの地にて果(はて)ませうとも、
皇国の万代(ばんだい)不易(ふえき)と一家の隆盛を祈って安けく冥(めい)じます。
最後に、父上の英霊に続いた子として不肖の身でありましたが、
何卒御許しの程願ひます。
では、御身体呉々も御大切に。
母上の御幸福を蔭乍ら御祈り致します。
昭和十九年四月二十九日
岡 敏 雄
御 母 上 様
( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/05a1d83def1d3d427a14312614b32b9d )
・・・
『6月拝殿掲示』
明治天皇御製
心 (明治42年)
ことなしとゆるぶこころはなかなかに
仇あるよりもあやふかりけり
(http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20110606.html )
<感謝合掌 令和7年6月15日 頓首再拝>
10歳の男の子に宿った特攻隊の記憶 - 伝統
2025/06/16 (Mon) 12:44:12
【涙腺崩壊】涙なくしては見れない4枚に綴られた想い…~穴澤利夫と智恵子の記録~
歴史オタクの雑学(2024/05/13)
https://www.youtube.com/watch?v=h8G62IVrwS4
・・・
全ての日本人は知ってください。人は何のために生きるのか?
10歳の男の子に宿った特攻隊の記憶
水江卓也のHERO'Sチャンネル(2025/01/29)
https://www.youtube.com/watch?v=AwXdYMXA-dQ
・・・
【涙が止まらない】10歳の少年が語る“特攻隊”への想い
愛と笑いの宇宙法則ちゃんねる( 2025/05/15 )
https://www.youtube.com/watch?v=eepyhnLuHsk
【神コラボ後編!】時空を超えた!?語り継がれる愛と友情の物語
愛と笑いの宇宙法則ちゃんねる( 2025/05/22 )
https://www.youtube.com/watch?v=tB7LaifbFEI
<感謝合掌 令和7年6月16日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成22年6月 - 伝統
2025/06/17 (Tue) 13:27:16
遺 言
陸軍兵長 大瀧一郎 命
昭和二十年六月十四日
フィリピンにて戦死
東京都出身
一、産業戦士として比島へ赴任するとは謂ふも
現戦局は皇国未曾有の機局に直面し居る秋(とき)に當り
赴任する故に軍人と何等変らざる覚悟を以って壮途に就くものなり
幸にして途中無事故にて任地に到着の上は
一死報国の誠を以って一意増産に奮励するものなり
その時と謂ふも父は御前等兄妹の事を
毎日無事で健やかに大きくなるやう祈ってゐる
父は三年比島で勤務すると
懐かしい御前達の元気な顔を見に帰って来られる筈であるが、
然し此の戦局が有利に終らない限りは何年でも帰って来られないが、
御父さんが留守である時は御母様や御老父さん御老母さんの云ふ事を
良く聞いて立派な人になるやうに言行一致よく勉強してくれ
それのみを祈ってゐると共に
御前達の躰の上には何時何處ででも
目に見えない御父さんの魂が御前達の無事を守ってゐるぞ
(中略)
比島赴任にのぞみ
昭和十九年八月六日
父より
( https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-06-20-1 )
<感謝合掌 令和7年6月17日 頓首再拝>
靖国神社社頭掲示~平成21年6月 - 伝統
2025/06/18 (Wed) 13:21:06
私の心さながら名月の如くです
海軍一等飛行兵曹 地藏垰 總憲(じぞうだお ふさのり)命
昭和二十年六月四日
南西諸島にて戦死
島根県那賀郡二宮村出身
御母上様
愈々これが最後です。
總憲、この世に生れて以来二十一年、
其の間、何一つ御両親様を安んずるが如き事をなし得ず、
誠に申訳ございません。
今こそ、この御両親様の御高恩に報ゆる時が参りました。
總憲一生一度の御奉公、これが父母様へのせめてもの孝行かと思ひます。
にっこり笑って散って行きます。
祖国のこの危機を救ふは誰ぞ、我々青年搭乗員です。
その男の中の男として空に散らん。
悠久の大義に生きるこそ日本男児の本懐(ほんかい)、
之(これ)に過ぐるものはありません。
(中略)
今は丁度桜も満開です。
あの日本の花と一緒に散って行きます。
私の心さながら明月の如くです。
身も心も清く一才の童児に立ち帰って散って行きます。
(中略)
若(も)し、私散りたりとの報に接せられましたなら、
總憲必ず敵空母とさしちがへて散ったと思って喜んで下さい。
明るく清い心と体で散ってゆきます。
(後略)
( https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2009-06-09-3 )
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『6月拝殿掲示』
明治天皇御製(明治40年)
「目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは
人の心の まことなけり」
(http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=907 )
<感謝合掌 令和7年6月18日 頓首再拝>