伝統板・第二

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ひかりの一日一言123~ひかりの語録(6月) - 伝統

2025/06/01 (Sun) 05:04:55

ひかりの一日一言《1日》

全宇宙は一つの生命体でありますから、例えば人間の身体にも
比(くら)ぶべきものであります。

(中略~身体の損傷時には、血液によって癒しの成分が送られて、
    癒しが行なわれる)

それと同じことが、吾々の経済状態に於いても起こるのであります。

吾々が経済状態に或るマイナス状態を生じますと、必ず全宇宙の供給の
流れが還流してそのマイナス状態を埋めてくれるようになっている
のであります。

だから吾々の生活が大宇宙と一つの流れに繋がっている限り、
吾等(われら)には絶対に『貧(ひん)』と云うことはあり得ない
のです。

宇宙は無限供給である。
その無限供給に繋がっているときに、どうして吾々に『貧(ひん)』と
云うことがありましょうぞ。

      *「百事如意」(P48)

       <感謝合掌 令和7年6月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2025/06/02 (Mon) 05:05:19


すべての富は今既に吾等に与えられえているのであります。

吾々は宇宙の無限供給の富の中心にいるのであります。

      *「百事如意」(P48)

       <感謝合掌 令和7年6月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2025/06/03 (Tue) 05:04:38


誰でも神立『大宇宙銀行』には無限の預金をもっているのですが、
それを自覚しないために必要に応じてそれを引き出すことが
できないと云うのが普通の人の普通の状態なのであります。

また別の人たちは神立の『大宇宙銀行』と云うものがあると
云うことを知らないから、当座用以外を永久つぶれることのない
此の『大宇宙銀行』に預けて置けば好(よ)いものを、

財産を搔き集め搔き集めしていつ潰れるかもしれない人間の銀行に
預けて置いて、常にその財産が無くなりはしないかと、
戦々兢々(せんせんきょうきょう)としている方もあるのであります。

      *「百事如意」(P49)

       <感謝合掌 令和7年6月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2025/06/04 (Wed) 02:06:10


金持ちとか財産家とか云いましても、『金(かね)』と云うものを
『形(かたち)』あるだけのもののように思い、

『財産(ざいさん)』云うものを
『形(かたち)』あるだけのもののように思い、

或る一定の銀行にある額だけとか、自分の名義になっている
証券の額だけとかを自分の財産のように思っていられる方は、

その額」がどんなに多額にありましても。
それは大した富豪ではないのであります。

何故(なぜ)なら、《かかる富は既に数えられているからであります》。

本当の大富豪と云い得る者は、自分名義の財産は何一つなくとも
『大宇宙銀行』に無限無形の預金があって、それをいつでも
引き出せると云う自覚をもっている人だけであります。

      *「百事如意」(P50)

       <感謝合掌 令和7年6月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2025/06/05 (Thu) 05:05:16


大宇宙銀行の頭取は宇宙主宰の神様であって、
宇宙の富の総(すべ)てを総覧していられるのであります。

そして常のその預金者たる吾等に対して云い給う

『汝の自覚する程度に従って、吾れ汝の預金を支払わん。
 吾(わ)が資本金は無限億万円である。

 吾が銀行に千円を預金せりと自覚せるものに対しては
 吾彼に千円を払い戻し、

 百万円を預金せりと自覚せものに対しては、
 吾彼に百万円を払い戻し。
 
 無尽蔵を預金せりと自覚せものには無尽蔵を支払わん。』

これが大宇宙銀行と吾々との関係であります。

      *「百事如意」(P50)

       <感謝合掌 令和7年6月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2025/06/06 (Fri) 04:57:12


神は破綻銀行の出納係ではないのでありますから、
大宇宙銀行の支払い口に突立って、払い戻しを要求する人に
支払いを拒絶し給うことは決してないのであります。

ただ人間の方が、大宇宙銀行に滅多に行かないで、
人間の設立した破綻銀行へ出掛けて行って小さな預金を
払い戻してくれと云ったり、人間の設立した小産業会社に行って
就職口を世話して呉れなどど云うから、
往々にして拒絶を食らうのであります。

      *「百事如意」(P50~51)

       <感謝合掌 令和7年6月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2025/06/07 (Sat) 05:04:34


『神と富とは兼ね仕ふること能(あた)わず』と古聖が云ったのは
ある点に於いて真理でありますが、
ある点に於いては真理ではないのであります。

      *「百事如意」(P51)

       <感謝合掌 令和7年6月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2025/06/08 (Sun) 04:56:39


『富』と云うものを個人銀行や個人的な経済的カラクリから
のみ来(く)るものだと思っているような『富(とみ)』で
ありましたならば、

そう云う『富(とみ)』を『富(とみ)』をと目がけていたり、
そう云う富ばかりを握っていることは神立の大宇宙銀行に
背を向けて走ることになりますので、

富に近寄れば神に遠ざかる、神に近寄れば富に遠ざかる―― 
結局、神と富とは兼ね仕うること能(あた)わずと云うことに
なるのであります。

      *「百事如意」(P51)

       <感謝合掌 令和7年6月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2025/06/09 (Mon) 05:04:35


併し『富』と云うものをそう云う私的な経済的カラクリによって
来るのではない、神の大宇宙銀行から引き出すのであると云う
ことを自覚している者にとっては『富』に近づく程(ほど)、
神に近づくことになります。

さればこそ法華経の中にある長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の
喩(たと)えでは、

《父の子は父に遠ざかっていればいつまでもルンペンであるが、
 父の御許へ走れば国中第一の長者の跡継ぎになることが出来た
 と書いてあるのであります。》

      *「百事如意」(P51)

       <感謝合掌 令和7年6月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2025/06/10 (Tue) 05:04:21


『富』と『神』とを対立した関係に見ないで、
神は一切の根元(こんげん)であり、神の中にこそ
無限の供給があり、無限の富があると云うことを知る者は、
いつも神にもとめて富を得る、即ち神から富を引き出して
来るのであります。

此の境地に於いては神を拝むことと富を得ることとは
当然同じことなのであります。

      *「百事如意」(P51~52)

       <感謝合掌 令和7年6月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2025/06/11 (Wed) 05:04:36


神は無限供給でありますから、
吾々が神に近づけば近づく程(ほど)、
吾らの富は殖えてくるのであります。

而(しか)もその富と云うものは
他(た)から奪ってくるのではないのでありまして、
神から引き出して来るのでありますから、
いくら自分の富が殖えても他(た)から奪ったと云うことには
ならないのであります。

      *「百事如意」(P52)

       <感謝合掌 令和7年6月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2025/06/12 (Thu) 05:05:20


これに反して、『富』と云うものを、神から賜うる無限の供給とは
考えず、人間の造り出したものであって、一人が多く占用すれば、
他(た)の人の占用し得る分量は減って了(しま)うものであると
考えていられる方(かた)には、可能の最少限度を占用しても、
それは貧しき者から奪った結果になるのであります。  

      *「百事如意」(P52~53)

       <感謝合掌 令和7年6月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2025/06/13 (Fri) 05:06:26


人は往々前半生に於いて『富(とみ)』に捉われて遮二無二働いて
長者になったら、晩年その反動で今度は『貧(ひん)』に捉われ、

何でも上等らしいものと粗末なものと両方あると、
その粗末なものを選ばないと不愉快に感ずることがあるものです。

精巧なものと御粗末なものと両方あって、
そのどちらかを採(と)るかと云うならば御粗末ものをとろう、
そうでないと貧しい人に済まないと思う ―― 
一寸(ちょっと)考えると貧民愛の深い人のように見えますが、

根本が、今迄『富』に執して来た反動として
感情的に『貧』に執しているので、
健全な理性の上からは何の根拠もないことであります。

      *「百事如意」(P54)

       <感謝合掌 令和7年6月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2025/06/14 (Sat) 04:59:04


節約する心は、『物質の有限観』に捉われている ―― 
《使えば減る》と云う有限観念に捉えられている。

それでその減ると云う有限観念の具象化として、
国富(こくふ)が有限となり段々減って了(しま)うのであります。

      *「百事如意」(P59)

       <感謝合掌 令和7年6月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2025/06/15 (Sun) 04:57:40


現象界は有限の世界でありますから、
有限の世界に実相世界の供給無限が投影されて来るには、
有限のものを以って無限が象徴されることになるのである。

有限を以って無限が象徴されるにはどうしたら好いかと云うと、
循環回転、相(あい)連続して止(や)まないと云うことであります。

      *「百事如意」(P61)

       <感謝合掌 令和7年6月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2025/06/16 (Mon) 05:04:42


経済界に於ける貨幣は、惜しむことなく次に渡し、次に渡して
循環せしめて行きますならば、貨幣の総量は同一量でありましても、

酸素の総量が同一であっても酸素が循環する毎に動物が生長し、
植物が生長して増殖するが如く、

貨幣の循環する毎に、人間が活動し、活動に伴うて生産が生じ、
地上の物資の増殖を来(きた)し、人間の富は無限に増加して
行くのであります。

      *「百事如意」(P62)

       <感謝合掌 令和7年6月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2025/06/17 (Tue) 04:59:08


此のように貨幣は酸素の如きものであって、
酸素はその消費者(動物界)と生産者(植物界)との間を
円滑に回転循環して行きますと、動物も植物も、ともに
繁殖生長して行きますが、

一朝その酸素の循環が停止しますと、
動物も植物も生活が停止しますと同じように、

人間界に於いても、貨幣が消費者と生産者との間を
クルクル循環回転して行きますと人間はそれに刺激されて
活動し『価値』を創造することになりますが、

一朝貨幣の循環が円滑に行きませぬと、人間は失業し
何らの『価値』をも創造しなくなるのであります。

      *「百事如意」(P62)

       <感謝合掌 令和7年6月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2025/06/18 (Wed) 06:23:18


諸君が仮(かり)に今失業したと仮定しますと、収入がなくなったから
経費を節約せねばならぬとと第一にお考えになるでしょう。

が、失業したならばその時こそ一層自己進出に猛然ととりかかるべき
時なのです。

失業に意気阻喪して、出費の節約、キリツメ、委縮を重ねているならば、
その人の潜在意識の主流が、委縮した裕(ゆと)りのない、
切り詰めた貧弱な、引っ込み思案なものになり、人相までも貧弱になって
来ます。

そしてついには社会的に進出する機会をなくして了(しま)います。

貧より起(た)って経済界に雄飛していられる人は、
節約から起(た)ち上がったと云う人もあります。

併(しか)し、彼が本当に、雄飛した程(ほど)の人ならば、
豪胆(ごうたん)な、偉大な、奔放(ほんぽう)なところが
何処(どこ)かにあり、必ずや単に切り詰めや引っ込み思案ばかり
ではなく、勇敢な進出、出資を吝(おし)まない所があったに
相違ありません。

個人的経済界でも、貯(た)めるばかりで、出すべき時に出すことを
知らねば、真(しん)に大きく富んで来るものではないのであります。

      *「百事如意」(P67~68)

       <感謝合掌 令和7年6月18日 頓首再拝>

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