伝統板・第二
真理の生活 22 - 伝統
2025/02/26 (Wed) 11:53:24
十分合理性を持たせて事件を落着させることが大切である。
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月26日)」より
腹を立てることと、相手に対して悪意を抱くことは相手を殺すことになる。
今日(きょう)、中島さんが入って来てこんな話をした。
○○電気局長のN氏、ある婦人と婚約したが、
しばらくの後その婚約した婦人のところへN氏から送られて来たものは、
N氏がすでに別の婦人と結婚したという通知のハガキであった。
あとで聞いてみると、さきの婦人はその時ハッと思っただけで
深く怨みに思ったわけではなかったというが、ともかく重大な問題について
約束を破られたのであるから、強い衝動を受けたということは明らかである。
それからが問題である。――
爾来、N氏の結婚生活は不幸であった。
N氏の新妻は常に病気で、ほとんど健康な日とてはなかった。
その間に一人の女児を儲けたが、
N氏の家族は妻の病気のために不快な日がつづいた。
N氏が三回目に逓信省の辞令によって洋行したとき、N氏はどういう考えだか、
その夫人との13年間の結婚生活を解消すべく離縁状を送った。
夫人が結婚生活以来13年間の病気は、その結婚解消と同時に
たちまち完全に治ってしまったのであった。
N氏は今また別の婦人と夫婦生活を営んでいるが、
常に夫婦喧嘩の絶え間がないそうである。
中島さんの話はこれだけである。
あとはわたしの感想である。
第一の約束は先取的特権として最高権威をもち、
ぜひとも守られるべきものである。
守らないくらいならば、
イエス・キリストも「誓うなかれ」といったように
約束すべきではなかったのである。
やむをえずに約束を破らねばならぬようになったならば、
一片の葉書などで破約すべきではない。
先方が大調和の心持で快諾するまで十分話し合って、
心残りのないように十分合理性を持たせて事件を落着せしむべきものである。
最初の約束を破って、N氏が結婚した二人目の夫人が始終不健康であったのは、
最初の婦人の恨みの念が、二番目の婦人を縛っていたのだとも解することが
できるのである。
あるいはN氏自身の自己審判の潜在意識が夫人に移入して
夫人が13年間も病気していたのだとも解せられる。
ともかくとうとうN氏は二番目の婦人を去ることによって、
最初に約束をしたその婦人に申し訳をしたのである。
言葉で十分相手に申し訳をして潜在意識がその行為の合理性に
納得せしめられていたならば、生活や行為に不幸な現象を現わして
最初の夫人に申し訳する必要はなかったに相違ないのである。
・・・
<関連>
(1)伝統板・第二「真理の生活 ①」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6971129
(2)伝統板・第二「真理の生活 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7583747
(3)伝統板・第二「真理の生活 ③」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7707100
(4)伝統板・第二「真理の生活 ④」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7796617
(5)伝統板・第二「真理の生活 ⑤」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7854421
(6)伝統板・第二「真理の生活 ⑥」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7934282
(7)伝統板・第二「真理の生活 ⑦」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7988886
(8)伝統板・第二「真理の生活 ⑧」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8016563
(9)伝統板・第二「真理の生活 ⑨」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8061815
(10)伝統板・第二「真理の生活 ⑩」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8164957
(11)伝統板・第二「真理の生活 ⑪」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8209345
(12)伝統板・第二「真理の生活 ⑫」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8238335
(13)伝統板・第二「真理の生活 ⑬」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8250384
(14)伝統板・第二「真理の生活 ⑭」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8263502
(15)伝統板・第二「真理の生活 ⑮」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8290983
(16)伝統板・第二「真理の生活 ⑯」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8305125
(17)伝統板・第二「真理の生活 ⑰」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8315921
(18)伝統板・第二「真理の生活 ⑱」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8331438
(19)伝統板・第二「真理の生活 ⑲」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8360609
(20)伝統板・第二「真理の生活 ⑳」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8372647
(21)伝統板・第二「真理の生活 21」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8389298
<感謝合掌 令和7年2月26日 頓首再拝>
《自分を見苦しく広告してはならない》 - 伝統
2025/02/27 (Thu) 11:42:51
*「光明法語」(2月27日)より
吾々の生活は一言一行が広告である。
それは「此処にこんな人がいる」と云うことを
広告して歩いているのだからである。
怒りっぽい人は「此処にこんな怒りっぽい下らない人間がいる」と
広告をしているのだし、
ニコニコした人は「此処にこんなニコニコした人がいる」と
広告しているのである。
膨れっ面は、不平な人を広告しているし、
泣き面は悲しい心持を広告しているのである。
何のために諸君はそんなに自分の見苦しい面ばかりを広告してあるくのか。
それは人生を見苦しくし、諸君自身の値打を下げる。
<感謝合掌 令和7年2月27日 頓首再拝>
今、目前の仕事にサービスせよ - 伝統
2025/03/01 (Sat) 10:33:03
*「光明法語」(3月1日)より
若し諸君に職業が見つからぬならば、金を得る仕事だけを職業だと思うな。
諸君の前に偶然あるところの何の仕事にでも(便所掃除でも、カド掃きでも、
障子硝子拭きでも)報いを求めることなしに奉仕せよ。
これが無条件に与えると云うことである。
やがて其処から諸君に最も必要にして適切なる仕事を得る
緒(いとぐち)が得られるであろう。
神は決してケチではないのである。
人間が与えることにケチなのである。
そして入り口をひらかないものだから神の恵みが流入しないのである。
<感謝合掌 令和7年3月1日 頓首再拝>
自己の使命感を生かせ - 伝統
2025/03/02 (Sun) 14:59:03
*「光明法語」(3月2日)より
或る有名な音楽家のところへ一人の娘がたずねて来て、
どうしたら自分は早くラジオに出られるようになりますか。
オペラのシンガーになることが出来ますかとたずねた。
その有名な音楽家は答えた。
「どんな天才でもそのような気持ちで天才を伸ばすことは出来ません。
歌手が歌手として成功するためにはどんな苦労をしてでも歌を立派に歌いたい
と云うような一念にならねばなりません。
かくて其の一念不動の決意によって音楽が自分自身をさえも
魅するような上手さに達した時他の人々をも魅することが出来るのである」と。
<感謝合掌 令和7年3月2日 頓首再拝>
使命感と天分を目的とせよ - 伝統
2025/03/03 (Mon) 11:31:37
*「光明法語」(3月3日)より
名声や金儲けを目的にしているのは本道(ほんみち)ではない。
それは天分のない証拠だと言えるのである。
私が早稲田の文科にいたとき、その分科が甲クラス乙クラスとに分かれて、
乙クラスは専門に文学のみを修業して中等学校の英語教師たる資格を
抛棄(ほうき)する。
甲クラスは若し文学で飯が食えねば
英語教師に無試験検定でなれる資格を保留することにしたのである。
その時、乙クラスにみずから進んで入学をした者は僅か数名だったが、
彼らは文壇でとも角有名人になった。
西条八十、木村毅、細田民樹、細田源吾、鷲尾雨工・・・・・等々。
<感謝合掌 令和7年3月3日 頓首再拝>
【プロセスを楽しむ】 - 伝統
2025/03/05 (Wed) 11:31:56
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.9.10)より
(中谷彰宏氏の心に響く言葉より…)
■《誘われなかったんじゃない。一人の時間をもらえたのだ。》
自分だけ誘われなかったのは、嫌われたからではありません。
誘われなかったことで、自分の時間をもらえたのです。
誘われていたら、今日したかったことが、できなくなります。
せっかく誘われなかった時間を、感謝して活かしましょう。
■《結果を求めると、疲れる。プロセスを楽しむと、楽しくなる。》
「うまくいくかどうか、わからない」と しんどくなっている人は、
結果を求めています。
プロセスを楽しめる人は、結果に左右されません。
受け身の人は結果を求め、自発的な人はプロセスを楽しむのです。
<『うまくいかなくて、ちょうどいい。』あさ出版>
・・・
■自分だけ誘われなかったと思うと、
なんだか除(の)け者にされたようで、一気にテンションが下がってしまう。
「仲間外れにされた」
「嫌われているのかも」
「なぜ、声がかからなかったのか」等々、いろいろ考えてしまう。
SNSで別の仲間同士で集まっていることが分かるときがある。
でも、誘われなかったのは、
「お休みして体を休めなさい」
「お稽古とか、自分磨きをしなさい」
ってことなのかも、と思えば気が楽になる。
そして、逆に自分が誘う会をつくること。
誘われるのを待っているばかりでは、いつまでも受け身でいなければならない。
■旅の最上の楽しみは、
目的地を目指すのではなく、仲間と道中を楽しむこと。
道中が楽しければ、目的地はどこだって楽しい。
これは、人生と同じ。
斎藤一人さんは、
「人はあの世に往くとき、そこで2つ聞かれることがある」という。
1つは、「あなたは人生を楽しんだか」。
もう1つは、「人に親切にしたか」。
人に必要とされる人は、
「人に親切にした人」であり、「自分の人生を楽しんでいる人」。
自分の人生を楽しんでいる人は、まわりを明るく照らす。
道中というプロセスを楽しめる人でありたい。
・・・
<参照>
【本要約】「うまくいかなくて、ちょうどいい。」
10分読書@しまこ( 2024/03/21)
https://www.youtube.com/watch?v=qkwpQyOKdiQ
●目次●
0:00 ご挨拶
1:17 第1章 「人間関係」に疲れたら
2:40 第2章 「お金」のことが不安になったら
3:31 第3章 「健康」が不安になったら
4:17 第4章 「家族」に疲れたら
5:10 第5章 「生活」に疲れたら
6:01 第6章 「明日」が不安になったら
7:12 第7章 「生きること」に疲れたら
<感謝合掌 令和7年3月5日 頓首再拝>
一事を見て万事を判断してはならぬ - 伝統
2025/03/06 (Thu) 11:54:19
*「光明法語」(3月6日)より
霊的の事物は霊的に理解してのみ其の真実意を汲み取ることが出来るのである。
だから自分が霊的に発達した程度に随って、
聖書でも仏典でも本当に理解することが出来るのである。
生長の家の教えも同じことである。
郡盲象を評するような調子で、色々に理解したり批評したりしているけれども、
象には耳もあり、牙もあり、脚もあり、胴体もある。
牙に触れたものは猛獣だと思うかも知れないが、実は至極おとなしい動物であり、
その象牙も彫刻すれば素晴らしい価値が出て来る。
<感謝合掌 令和7年3月6日 頓首再拝>
悪事を断ち切る道 - 伝統
2025/03/07 (Fri) 11:33:42
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月7日)」より
悪事はさらに悪事を生む。
善事はさらに善事を生む。
幸福者とは悪事を未だ犯さなかった人のことではない。
悪事が次に悪事を招(よ)ぶのを断ち切ることのできた人だ。
悪事を断ち切る道は、
この悪事をしているのは本当の「私」でないと知ること。
そして本当の「私」でない者に、
今日かぎり断じて加勢しないと決心することにある。
<感謝合掌 令和7年3月7日 頓首再拝>
自己弁護する自分は「本物の自己でない」 - 伝統
2025/03/08 (Sat) 11:54:51
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月8日)」より
自己弁護をする者は、まだ本当に真理を求めているものではない。
「本当の自己」は常に昭々として輝いており、弁護してかろうじて
その尊厳の保たれるようなさもしい存在ではない。
弁護しなければならぬような自己は、
ただその「弁護しなければ尊厳が保てぬ」という理由だけで
「本物の自己でない」ことを証明している。
<感謝合掌 令和7年3月8日 頓首再拝>
【終生学び続けること】 - 伝統
2025/03/12 (Wed) 10:23:05
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.12.20)より
(松下幸之助氏の心に響く言葉より…)
一般に学校を出て社会に出ると、勉強する心を失ってしまう人が
ずいぶん多いようですが、そういう人はあとで伸びる人ではないと思います。
たとえ学校では目立たない存在であっても、
社会に出てからコツコツと地道になすべきことをなし、
学ぶべきことを学んでいる人は、あとでぐんと伸びる人であるといえるでしょう。
こういうことは、人の一生を通じていえると思います。
そして、生涯そのようにみずから新しいものを吸収し、勉強する
という態度をもち続けることのできる人が、
大器晩成型であると私は思うのです。
そのような態度をもち続ける人には、進歩があって停滞はありません。
一歩 一歩、年を経るにつれ着実に伸びていきます。
一年たてば一年の実力が養われ、
二年たてば二年の実力が養われ、
さらに十年、二十年、三十年とたてば、
それぞれの年限にふさわしい力が養われるでしょう。
そういう人こそほんとうの大器晩成の人だと思います。
《終生学び続けること》
<『すべてがうまくいく』PHP研究所>
・・・
「人生の前半にいくら立身出世をしたり、功成り名を遂げても、
後半生で自己実現を果たさなかったら、それは成功者とはいえない」
といったのは、田中真澄氏だ。
それは、会社にいる現役時代に、どんなに活躍し、地位や名誉を獲得したとしても、
定年後、人から必要とされず、何もすることがなく、テレビばかり見ていたら、
それは失敗の人生だ、ということになる。
反対に、現役時代はあまりうだつがあがらず、目だった活躍もしなかったが、
定年後は、まわりから必要とされ、あっちこっちからお呼びがかかり、
水を得た魚のように、いきいきとして活躍している人もいる。
人生は、「終わりよければすべてよし」だと言われる。
シェイクスピアの戯曲の中にも出てくる言葉だ。
マザーテレサは、「死を待つ人の家」を開設し、
行き倒れの人や、道端で倒れている瀕死の病人を見つけると、ここに連れてきた。
マザーは、
「たとえ、人生の99%が不幸であったとしても、
最後の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」と語り、
最後の瞬間を安らいだ気持ちで過ごしてもらうよう手厚く介護した。
そして、ほとんどの人が、息を引き取るとき、
「ありがとう」と言って亡くなったそうだ。
これは、映画も同じで、物語の途中、
どんなに困難なことや、嫌になるようなひどい出来事が次から次へあったとしても、
映画の最後がハッピーで終わるなら、
我々は幸せな気持ちで映画館を出ることができる。
人生も同様だ。
前半生、どんなに、嫌なことや不運なことがあっても、
最後がハッピーだったら、幸せな人生だった、ということになる。
だからこそ、そのために必要なのが「学び」であり、自分を高め続けること。
人生の後半生、何の学びもせず、自堕落に、勝手気ままに過ごし、
自分をおとし続けている人が、幸せになった、などということは聞いたことがない。
「終生学び続けること」という言葉を胸に刻みたい。
<感謝合掌 令和7年3月12日 頓首再拝>
時節に乗ることが大切 - 伝統
2025/03/14 (Fri) 11:35:53
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月14日)」より
現象界においては時節が事を成就する。
時節に乗ると乗らぬとは、成敗(せいはい)の基(もとい)である。
時節に乗る秘訣は神に一致すること。
神に一致するには、《今ある》状態をまずありがたいと享受して、
そこで百%を行ずること。
急ぐはことを破壊し、急ぐ息はセク息である。
<感謝合掌 令和7年3月14日 頓首再拝>
あなたの友人なのか、あなたのお金と影響力の友人なのか - 伝統
2025/03/17 (Mon) 11:14:38
*『ダライ・ラマの智恵 幸せな生き方、満ち足りた死に方』
ダライ・ラマ十四世 テンジン・ギャツォ著(ハート出版)
(P30)
物質主義社会では、
お金と権力があれば、友人が沢山いるようにみえます。
しかし、彼らはあなたの友人ではなく、
あなたのお金と権力の友人なのです。
あなたが富と影響力をうしなったとき、
彼らを見つけ出すのは難しいでしょう。
<感謝合掌 令和7年3月17日 頓首再拝>
人生を花をもって飾り、讃えましょう - 伝統
2025/03/19 (Wed) 10:14:50
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月19日)」より
人生を花をもって飾りましょう。
縮かんでしまってはなりません。
死人があるからとて、バラの花は咲くように神様から美を与えられているのです。
地上に悲惨があればこそ、われわれはいっそう地上を美しく飾らねばなりません。
委縮するものはついに国を滅ぼすのです。
元気にその日その日を生き、元気に人生を讃(たた)えましょう。
<感謝合掌 令和7年3月19日 頓首再拝>
人生を値切るなかれ! - 伝統
2025/03/20 (Thu) 11:45:04
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月18日)」より
人生は値切ってはなりませぬ。
対手(あいて)を値切るものは自分自身をも値切られる。
<感謝合掌 令和7年3月20日 頓首再拝>
憎み、悪口は、殺人に等しい - 伝統
2025/03/22 (Sat) 11:19:13
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月22日)」より
人を心で憎むことと、人の悪口(わるぐち)を言うこととは、
短刀をもってその人を刺し貫くに等しい。
善人だという人の中に、そういう人が多いというのは驚くべきことである。
善人よ、みずから省みよ。
われわれは人の善悪を測る標準を変えなければならぬ。
<感謝合掌 令和7年3月22日 頓首再拝>
“無価値感”を手放し波動を整える究極の習慣 - 伝統
2025/03/24 (Mon) 11:02:56
【並木良和さん】人生が激変!“無価値感”を手放し波動を整える究極の習慣
光の導き - 魂の旅(2025/03/11)
https://www.youtube.com/watch?v=_9mXKpBZ1CI
(以下は抜粋です)
(1)すべてを手放すことです。
(2)中途半端をやめることです。
(3)変り続けることです。
(4)自分はそのままで十分に価値があるという
真実を知ることです。
(5)リセットの習慣を持つことです。(=過去を手放す)
①就寝時、
「今日はここまで、明日は新しい自分として始めよう」
と意識的にリセットします。
②呼吸を深くして、
「今日までの出来事をすべて手放します」
と心の中で宣言します。
(6)自然な流れの中で、自分が本当に楽しいと感じる
ことに没頭し、無理なく生きるのです。
(7)試練は、宇宙からのテスト。
(8)現実は、常に自分の内面を反映しています。
自分が変われば現実も変わるということを真に理解し、
現実に振り回されるのではなく、自分の意識を先にします。
(9)波動を高める
①日常の中で自分が心地よいと感じる時間を
積極的に取り入れることが大切です。
②例えば、好きな音楽を聞いたり、自然の中で過ごしたり、
心地よい香りを楽しむなど五感を満たすことが
波動を高めることに直結します。
③また、瞑想や深呼吸を習慣にするのも良いでしょう。
④意識の中で「ある」にフォーカスすることも
波動を上げるためのポイントです。
⑤自分にすでに「ある」ものに感謝し意識を向けていくのです。
この感謝のエネルギーは非常に強力で波動を一気に高めてくれます。
(10)手放し、波動を上げ、意識を整えていくことで
あなたは本当の意味で自由になり、
宇宙の流れに自然と乗ることができるようになります。
そしてこの流れに乗った時、驚くほどのスピードで
現実が変化し始めるのです。
もう無理に努力する必要はありません。
ただ自分の意識を整え、軽やかに波動を高めていくだけで
あなたの人生は想像以上に豊かで自由なものとなっていくでしょう。
これが宇宙の試練を乗り越え、真の変化を現実化させるための
確かな道なのです。
宇宙とつながりそこからのインスピレーションを受け取ることは
人生において非常に重要な意味を持っています。
自分の内側が静かであればあるほど、
宇宙からのメッセージは鮮明に、そして確実に届きます。
(11)そしてもう1つ大切なことは行動すること。
インスピレーションを受け取るだけでは現実は何も変わりません。
宇宙はあなたにヒントを与えていますが、
それを実際に行動に移すことで初めて人生は動き出します。
(12)大切なのはインスピレーションに従う素直さと
(行動する)勇気です。
(13)過去の成功体験や固定概念を手放し、
本当に自分が何を望んでいるのか、
どう生きたいのかを深く問いかけていくことが必要です。
自分が本当に望んでいる未来を選び取るためには、
過去の線上で物事を考えるのではなく、
ゼロの状態から自分の人生を見つめなす覚悟が必要なのです。
(14)今の人生に違和感や不満を感じているのなら、
それは眠りの意識から目覚めるサインです。
そして自分の心に正直になり、
私はどんな人生を生きたいのかを真剣に考えてみてください。
その問いかけに素直に向き合い行動に移していくことで、
あなたは本当に望む未来を手にすることができるのです。
<感謝合掌 令和7年3月24日 頓首再拝>
【悲観的な人は残酷】 - 伝統
2025/03/25 (Tue) 10:00:23
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.12.24)より
(渋沢健氏の心に響く言葉より…)
《残酷な人になるな》
悲観的の人は残酷である(渋沢栄一訓言集/一言集)
■現代の言葉で言うと・・・
物事を悲観的に見る人は、
実は他人に対して残酷になれる人である。
■悲観的になるということは、自己中心的になる、
ということと同義です。
なぜなら、「もうダメだ」と絶望すると、
人は、相手の気持ちを考える余裕など、
どこかへ吹っ飛んでしまうからです。
たとえば、仕事で大きな失敗をしたとき。
自分が常に被害者である、と思い込みがちな人は、
たとえ自分が加害者であったとしても、
それを自覚することができません。
「また私が嫌な目に遭うのだ」としか思えず、
「私も悪かったかも...」という共感性が欠けています。
一方、楽観的な人は、心に余裕を持った人だ、といえるでしょう。
「なんとかなる、なんとかしよう」と前向きに考えれば、
おのずとまわりも見えてきて、 他人の立場や気持ちにも気づきつつ、
進歩できるのです。
このように、心に余裕を持てる人だけが、人に優しくなれるのです。
《前に進めるのは楽観的な人のみ》
<『渋沢栄一 100の訓言』日経ビジネス人文庫>
・・・
心に余裕のない人は、ものごとを否定的にとらえる。
否定的な人は、「新しいこと」や「変わったもの」、
「面白そうなこと」に興味を持たない。
それは、新しい人や、変わった人、面白そうな人にも
興味関心が薄いということだ。
「そんなことして何の役に立つの」とか、
「そんなことする人って暇だね」といって否定する。
否定的で、悲観的な人だ。
反対に、心に余裕のある人は、何事も肯定的にとらえる。
好奇心旺盛で、新しい人や、変わった人、面白そうな人が大好きだ。
新しいコミュニティや、変わったイベントなどにも、
「面白そう」といって積極的に参加する。
肯定的で、楽観的な人だ。
「悲観的な人は残酷」という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
はじめに:『渋沢栄一 100の訓言
「日本資本主義の父」が教える黄金の知恵』
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/032900009/061700625/
<感謝合掌 令和7年3月25日 頓首再拝>
真理とともに立つ - 伝統
2025/03/27 (Thu) 11:19:06
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月27日)」より
ひとがなんとおん身を批評しようとも、
おん身は毅然として真理とともに立たねばならぬ。
おん身は真理がいっさいのよろこびの源泉であることを知らねばならぬ。
一等悪いことは眼先の他の批評に捉えられて、
真理の永遠の評価の前で無価値になってしまうことである。
<感謝合掌 令和7年3月27日 頓首再拝>
【出会う人全部を味方に】 - 伝統
2025/04/03 (Thu) 09:31:31
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.12.26)より
(小林正観さんの心に響く言葉より…)
空海と龍馬。
二人の決定的な共通項は、
出会う人出会う人を全部味方にしていったことです。
味方になってくれ、と長広舌をふるって説得したりはしません。
ただ用件を、たとえばどこかの大名に
「こういうふうにしたいのです」と自分の希望を伝えるだけで、
ほとんどの人が「わかりました」と返事をした。
次から次 へとそのとおりになった。
なぜでしょうか?
ニッコリ笑う。
それだけで味方になったらしいのです。
坂本龍馬は、「人たらし」というあだ名を持っていました。
人に会ってニコッと笑うと、皆、たらしこまれてしまうというので、
「人たらし」というあだ名がつけられました。
空海も同じです。
空海が乗った遣唐使船では、
遣唐大使の藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)を
ニコッと笑って惹きつけました。
同じく同船した橘逸勢(たちばなのはやなり)との場合もそうです。
橘逸勢は最澄とはあまり仲がよくなかった。
橘逸勢は、官費留学生であり、朝廷が認めた最澄よりも、
私費留学僧の空海と出会った瞬間から仲がよくなります。
橘逸勢がなぜ最澄よりも空海に興味を持ったかというと、
ニコッと笑った瞬間に、空海の人柄が
すべて伝わってくるような笑顔だったからです。
橘逸勢は、嵯峨天皇に向かって
「空海というすごい人がいる」と話します。
そこで嵯峨天皇が興味を持って、空海に会おうということになります。
空海がそのニコッと笑うという武器をたずさえて、
嵯峨天皇に会いに行くと、
嵯峨天皇も、出会った瞬間に、いきなり空海の味方になった。
青龍寺の恵果(えか)もまた、そうだったかもしれません。
恵果は、「あなたが来るのを私はずっと待っていた」と言いました。
空海はそれまでひと言も話をしたことのない高僧を
初対面で味方にしてしまうような魅力の持ち主だったのです。
人の中で、比べて比べて、自分が努力して、
がんばって抜きん出ようと思うよりは、
出会う人出会う人全部を味方にしていったほうが、
自分も楽だし、周りの空気も和みます。
がんばってがんばって、抜きん出るという方法論は存在しますが、
ニコッと笑ったらどうでしょうか。
<『淡々と生きる』風雲舎>
・・・
司馬遼太郎は愛嬌についてこう書いている。
『竜馬も、ニコニコした。
その笑顔が、ひどく愛嬌(あいきょう)があり、
(おおみごとな男じゃ)と西郷はおもった。
漢(おとこ)は愛嬌こそ大事だと西郷はおもっている。
鈴虫が草の露を慕うように万人がその愛嬌に
慕い寄り、いつのまにか人を動かし世を動かし、
大事をなすにいたる、と西郷はおもっている。
もっとも、西郷の哲学では、愛嬌とは女の愛嬌ではない。
無欲と至誠からにじみ出る分泌液だと思っている。』
《竜馬がゆく 五》
「運と愛嬌(あいきょう)がない人間はあきまへん」と言ったのは、松下幸之助翁。
愛嬌とは、可愛(かわい)げであり笑顔だ。
愛嬌や可愛げがある人はまわりから、可愛がられるので、情報や人が集まる。
夏目漱石の小説「虞美人草(ぐびじんそう)」に、
『愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ』
という会話がある。
どんなに実力があろうが、学問ができようが、
笑顔と愛嬌のない人には引きがない。
上司や監督から可愛がられない社員やスポーツ選手には出番がないからだ。
出会う人全部を味方にするために…
笑顔と愛嬌力を磨きたい。
・・・
<参照>
【苦しい心に響く言葉】小林正観さんに学ぶ
「運命」との向き合い方
(小林正観さんの本「淡々と生きる」を紹介!)
コトゾラ【スピリチュアル本の紹介】(2023/06/25)
https://www.youtube.com/watch?v=5bHCI3ujXfs
<感謝合掌 令和7年4月3日 頓首再拝>
与えられた以上に発展工夫する者は常に新しく、常に老いない - 伝統
2025/04/04 (Fri) 12:58:02
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(4月4日)」より
環境が彼の表現欲望を強いて抑えつけるならば、
人間は狂乱状態に陥るか、ヒステリーになるか、
生命(せいめい)が委縮して病気になるかする。
ロシアのある囚人の刑務の一つとして
終日2つのバケツに同じ水を交互に空(あ)けかえる仕事を課したときには、
その囚人は気が狂ったという。(ドストエフスキー『死人の家の記録』)
これは仕事が強制として課せられて
「自己自身の生命」を表現するなんらの道を与えられなかったからである。
またある精神病者は、
自己の好む仕事に熱心に従事せしむることによって治ったという。
彼はその「仕事」の中に「自己」を表現する道を見出したからである。
自己創造のない「仕事」は人類を窒息または狂死せしめ、
自己創造のある「仕事」は人類の生命を伸び伸びせしめ、
たえず自分に生気を吹き込み、たえず自分を若返らしめる。
「仕事」が面白くない人は、その仕事に自分の生命を打ち込まないからである。
自己創造をしないからである。いかなる仕事の中にも自己創造ができる。
仕事に愛を持つとき、愛は生み出す力であるから自己創造となる。
与えられただけの仕事のみをするところに自己創造はありえない。
仕事を愛して、与えられた以上にその仕事の発展のために工夫するところに
自己創造があるのである。
与えられただけの仕事だけしかしない人はロシアの囚人に甘んずる人である。
彼はただ生命を擦(す)り減らし、老いゆくのみである。
今ある立場において、与えられた以上に発展工夫する者は常に新しく、
常に老いない者である。
<感謝合掌 令和7年4月4日 頓首再拝>
楽しむことの重要性 - 伝統
2025/04/10 (Thu) 09:42:10
楽しむことの重要性
Web:Apu Medicina(2024-05-08)
https://blog.goo.ne.jp/apu-medicina/e/c192544f9b82bd387d857b9ee4a01117
(以下は抜粋です)
(1)普通に人生を楽しむことです。
(2)生真面目だけでは、この3次元に来ている大事な部分を
見逃していると思うのです。
(3)今地球では深刻な問題も沢山ありますが、
でも日常でお皿を洗いながら、ベッドを整頓しながらでも、
歩いている時も「楽しむ」ことを心がける事で、
その周波数が地球のエネルギー・フィールドに貢献します。
(4)何か新しいものを創造したいのなら、
また最初の七年間(幼児期)にやったようなことをするのです。
頭を柔らかくして、柔軟な思考、想像力旺盛な子供のように、
遊んで、楽しみ、新しいものを吸収していくのです。
(5)常に遊び、楽しみ、子供のようになることで、
自分を変容して行くことができます。
(6)人生には、笑いが本当に大事です。
その日、どれだけ成功したか、上手く行ったかは、
どれだけ笑ったかどうかで測るようにしています。
(7)沢山笑って、遊んで、楽しみとその周波数が
周りにも影響を与えて、愛を広げることになります。
周波数をあげる、意識を高める過程で、
自分を超越する為には童心に戻ることがとても大事です。
(8)「あまり深刻にならない事。
貴方はそんなに重要ではありません。
私達は地球のためにここに来ています。
私達をやることは、ずっと永遠に続いていきます。
だから間違いを犯すことを恐れないでください。
ただ進化するために、ここに来ていて、
間違いを犯すことで、進歩する理解が湧いて来ます。
成長します。
私達は、地球のために来ていて、私達=地球であり、
間違うことを恐れない、終わりはなく、常に続いていること」
<感謝合掌 令和7年4月10日 頓首再拝>