伝統板・第二

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心の力 ⑥ - 伝統

2024/11/24 (Sun) 10:50:07


心の波を道具として、神の子の理念を実現せよ!

        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月24日)より

生命(せいめい)なき物質と、生命ある有機体との間には
けざやかな相異があるのである。

それが等しく炭素と水素と酸素と窒素等の化合物であるにしても、
それに生命(いのち)が宿らない間は、その分解・結合の状態は
いつまでも無機物的な方向において行なわれる。

いったん、それに「生命(せいめい)」がやどるとき、
全然異なる分子の分解・結合が行なわれ、
一定の「理念」(または精神的原型)にしたがってあるいは
絢爛(けんらん)たるバラの花となり、
清楚(せいそ)なる百合(ゆり)の花となる。

イエスはその生命(せいめい)の力の不可思議さを見よという意味で
「野の百合はいかにして育つかを見よ」と言ったのである。

すべての生物は、野の百合にせよ、垣根のバラにせよ、
そこに「生命(せいめい)」が宿っているのである。

「生命(せいめい)」の一つの特徴は、
物質の分子の配列を、自己の「理念」または「精神的模型」の
秩序にしたがって、新しく再配置する力をもっていることである。

それは物質それ自身の性質を利用しつつ、
新たに自己の理念または精神的模型を造形しゆくこと、
あたかも美術家が、絵の具それ自身の性質を利用しつつ、
自己の内にある「美の精神的模型」の姿を造形してゆくようなものである。

宇宙精神の低次にして、受動的あらわれたる物質は、
宇宙精神の高次にして優位なるあらわれなる
いわゆる「生命(せいめい)」に対してはただ素材を
提供するのみであって、物質が生命(せいめい)
を左右することはできないのである。

逆に生命(せいめい)は自己の「心の波」を道具として、
物質の分解・結合の状態を変化し、自己の理想を表現するのである。

野の百合のごとき比較的低き植物階級の生命(せいめい)にしても、
物質それ自身の配列状態を克服して
自己の理念の姿を表現することができているのに、

人間という宇宙精神の最高顕現たる生物が物質の世界を克服して、
健康の上にも、経済の上にも発明の上にも自己の理念の姿を
表現することができないということはありえないのである。

諸君の健康が薄弱であったり、経済的に窮迫したりするのは、
「人間」の天爾(てんに)の「神の子」たる「完全模型」を
みずから主張しないからであって、

それは『法華経』にある大通智勝如来が十劫の間(あいだ)道場に
坐してなおさとりを開かなかったのと同じである。

大通智勝如来は、本来全能の大通力と全智の智勝(ちしょう)とを
そなえていながらみずから進んでそれを自覚しないから、
自分の実相の完全さがあらわれないにすぎないのである。

諸君がひとたび自己内在の大通力を自覚しそれを実現しうることを信じて、
たゆみなく精進努力をつづけるならば必ずやあらゆる方面において
人間完全・神の子実相が実現するに相違ないのである。

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「心の力」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7089178

(2)伝統板・第二「心の力 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7773474

(3)伝統板・第二「心の力 ③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7950841

(4)伝統板・第二「心の力 ④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8135312

(5)伝統板・第二「心の力 ⑤」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8302486

          <感謝合掌 令和6年11月24日 頓首再拝>

心が形の世界に顕(あら)われる3つの要素~決意、素描、実行 - 伝統

2024/12/15 (Sun) 11:14:26


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月15日)より抜粋

決意、心の世界における素描(そびょう)、
その素描の上に絵の具を塗る実行、
それは絵師(えかき)だけのことではない。

人生の画布(カンパス)の上に実生活の絵を描くところの
人間の一生もそれである。

真に富者(ふうじゃ)となるには、
「われすでに富めり」の素描を心の中に描き、
それを実践に移さなければならぬ。

(中略)

決意、素描、実行
 ―― これは心が形の世界に顕(あら)われる3つの要素である。

       <感謝合掌 令和6年12月15日 頓首再拝>

【心のスイッチ】 - 伝統

2024/12/19 (Thu) 09:35:59


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.7.24)より

   (藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   孔子にこういう言葉がある。
 
   《苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者あり。秀でて実らざる者あり》


   学問をしても苗のままで、いつまでも穂を出さない者がいる。

   折角穂を出しても、 実を結ばずに終わってしまう者もいる。


   弟子三千人といわれる孔子。

   多くの弟子を育ててきた実感であり、慨嘆(がいたん)であろう。


   《之(これ)を如何(いかん)せん。
    之を如何せんといわざる者は、之を如何ともするなきのみ》


   孔子は『論語』の別のところでこうもいう。

   どうしたら自分をもっと向上させることができるか、
   いかにしたら自分をもっと磨くことができるか。

   真剣に問い、求めようとしない者は、
   この自分もどうすることもできない。


   苗のままで終わるか、実を結ぶ者になるか。
   その差は感奮興起のいかんで決まる
   ―― 孔子、痛憤(つうふん)の言葉である。

   生涯を小中学生の教育に捧げた教育者、
   東井義雄さんに「心のスイッ チ」と題する詩がある。

   感奮興起の大事さを託した詩である。



   人間の目は ふしぎな 目
   見ようという心がなかったら 
   見ていても 見えない

   人間の耳はふしぎな耳 

   聞こうという心がなかったら 
   聞いていても聞こえない

   頭もそうだ

   はじめからよい頭 わるい頭の
   区別があるのではないようだ

   「よし、やるぞ!」と 

   心のスイッチがはいると

   頭も
   すばらしい はたらきを しはじめる

   心のスイッチが 人間を 
   つまらなくもし すばらしくもしていく

   電灯のスイッチが 
   家の中を明るくもし 暗くもするように
 
      <『小さな人生論 4』致知出版社>

       ・・・

「ロバを水辺に連れていけても、ロバに水を飲ませることはできない」
ということわざがある。

ロバを引っ張って行って水辺に連れて行っても、
ロバが喉(のど)がかわいてなくて、水を飲みたくなければ、

ムチで叩こうが、鼻ずらを水につけようが、ロバは水を飲まない。

これは人も同じで、やる気がない人に、
いくら言っても、脅すように説得しても行動しない、ということ。


「感奮興起(かんぷんこうき)」とは、
心に深く感じ、感動して、奮い起こること、発奮すること。

「発奮」とは、自分の、恥や、劣等感、
貧乏などをバネにして、心を奮(ふる)い立たせること。


「やる気」とは、まさに、この「感奮興起」のこと。


ただし、「やる気」や「発奮」は熱いばかりではない。

冷静で、淡々とした大人の「やる気」や「発奮」もある。

それが継続だ。

継続は一時的な、燃えるような情熱だけでは長くはできない。

それが、「心のスイッチ」が入るということ。


スイッチをカチっと入れ…

黙々と継続する人でありたい。

       <感謝合掌 令和6年12月19日 頓首再拝>

精神力・心の力とは - 伝統

2025/01/06 (Mon) 11:36:17


     *「光明道中記」(1月6日《父と偕(とも)にある日》)より

【我れみずからは何事もなし能(あた)わず、
 父は子を愛してその為す所を悉く子に示し給う。(ヨハネ伝)】

精神力とか心の力とか言われるものは、語(ことば)の使い方にもよるが、
概(おおむ)ね本源の力を指すものではない。
それは本源の力が脳髄的ラジオセットに触れて副次的に反射して生じた力である。

それはラジオセットに生じた一種の電磁気的波が放送局の波を捉えて
吾々に美しい音楽を聞かせてくれるかのように、
宇宙本源の霊の力を捕捉(キャッチ)する媒介になる。

併し、吾々の心が何事をも為すのではなく、それによって捕捉せられたる
宇宙本源の霊の力がすべての事を為すのである。

所謂る精神力が第一次的生命そのものでないのは、
脳髄を破壊すれば精神力はあらわれなくなるので明らかである。

併し、精神力が消えようとも、脳髄を創造(つく)った力は消えるものではない。
精神力が現れない前に脳髄が造られたのである。
甲の脳髄が破壊されて、甲の精神力が消えたときにも、脳髄を創造ったところの
神秘なる生命力はまた乙の脳髄、丙の脳髄を創造り出すのである。

脳髄から発する精神力は、生命の前哨戦に立つ斥候のようなものなのである。

併し斥候だからとて軽んじてはならない。
斥候の指し示すところへ本隊は導かれて進む。

            <感謝合掌 令和7年1月6日 頓首再拝>

全自動の法則 - 伝統

2025/02/27 (Thu) 09:51:51

死後の世界で悟った宇宙の法則。引き寄せの法則は古い!?
全自動で上手くいく幸せの法則が革新的だった
だいちゃん先生の『人生開華!』チャンネル( 2025/02/22)
https://www.youtube.com/watch?v=dB4c4v75_40

            <感謝合掌 令和7年2月27日 頓首再拝>

《自分の心持は周囲に影響する》 - 伝統

2025/02/28 (Fri) 10:49:00


           *「光明法語」(2月28日)より

人の一挙一動は無論のこと、その心持ちは必ず周囲に影響を与えるものである。

社員を充分働かせるのも、働くのが興味がなくなって怠けるのも、
社長または上役の一つの励ましの言葉や、
冷酷な尊大ぶりなどによって、それが変わって来る。

やさしい言葉、やさしい態度、それがどんなに周囲に影響するか。

私に議論を吹きかけようとして演壇近くやって来た聴衆が私が演壇に立って
ただ「皆様ありがとうございます」とお辞儀をしただけで理屈がなくなり、
生長の家が好きになった人もある。

           <感謝合掌 令和7年2月28日 頓首再拝>

怒りと憎しみの心に捉われない - 伝統

2025/03/22 (Sat) 08:38:50


        *『ダライ・ラマの智恵 幸せな生き方、満ち足りた死に方』
          ダライ・ラマ十四世 テンジン・ギャツォ著(ハート出版)
           (P29)

怒りや憎しみは常に有害であり、もし私たちが心を鍛え、
ネガティブな力を減らす努力をしない限り、
怒りや憎しみは私たちの心を乱し続け、
私たちが穏やかな心を育もうとするのを妨げ続けるでしょう。

怒りと憎しみこそ、私たちの本当の敵なのです。

           <感謝合掌 令和7年3月22日 頓首再拝>

心の本質的な性質 - 伝統

2025/03/25 (Tue) 10:08:07


        *『ダライ・ラマの智恵 幸せな生き方、満ち足りた死に方』
          ダライ・ラマ十四世 テンジン・ギャツォ著(ハート出版)
           (P107)

悟りの境地は、天国の住まいのような物理的な実態ではありません。
それは、その完全で肯定的な潜在力のなかで現れた、
心の本質的な性質なのです。

したがって、この覚醒の状態に到達するためには、
実践者は心の否定的なものを取り除き、
肯定的な性質を一つずつ発達させることから始めなければなりません。

(中略)

解毒剤を積極的に適用するのは、心です。
煩悩や精神的な障害は、何が起こっても
決して繰り返されない時がやってくるのです。

           <感謝合掌 令和7年3月25日 頓首再拝>

脳髄以前の「心」が肉体を創造した - 伝統

2025/04/07 (Mon) 10:14:30


   *「光明道中記」(4月7日《必ず知人一人を光明化する日》)より

【五官に顕れる状態で喜悲(きひ)する者は
 五官を信じているので神を信じていない。(『生命の實相』第十一巻)】

眼は物を視(み)ない、耳は音を聴かない、脳髄は《もの》を考えない。
視るのは心であり、聴くのは心であり、考えるのは心である。
心は自分の便宜のために眼を創造し、耳を創造し、脳髄を創造したのである。

ここに言う「心」とは脳髄から出る作用ではない。
脳髄を設計したところの「心」である。
それは脳髄以前の「心」であるから「生命」と同意義に解しても可(よ)い。

「生命」は《常に》ある。
併し脳髄は破壊する。眼球も破壊する。聴官も破壊する。
併し、破壊するものは《常にある》ものではない。

途中から造られたもの、暫定的なもの、ただの機関に過ぎないもので、
「生命」そのものではない、「人間」そのものではない。

人間は死なないものである。

常に破壊しつつある機関の中にあってそれを操縦しながら、
永遠に死なないところの機関手が「人間」なのである。

その機関の材質は、「固定的な物質」で出来ているものならば、
それが摩滅し、摩損したときに取換に不便であるかも知れぬが、

それは「エーテル」と一時科学者が名付けたところの
「無」を材質として、それを心の波でどんな形にでも造構したものであるから、
どんな破損でも摩滅でも「心」でそれを修繕し得るのである。

            <感謝合掌 令和7年4月7日 頓首再拝>

善事のみ心に描く日 - 伝統

2025/04/09 (Wed) 11:12:42


           *「光明道中記」(4月9日)より

【心そのものは吾らの本体にして病気になることはない。
 (『生命の實相』第四巻)】

心に描くことが第一の創造である。
心に描いた通り形にあらわれるのは第二の創造である。

家は建ち上ったとき初めて建ったのではなく、
それは設計家の心に出来上がったとき既に立ち上がったのである。

それよりも更に遡(さかのぼ)れば、
漠然たる建築主の心の中に何となく家を建てたくなったとき、
既にその家は建っているのだとも言えるのであろう。

或る地方では食事のときにする遊戯に「茶柱が建つ」と云って、
湯呑(ゆのみ)に注(つ)いだ茶の茎(くき)が
縦になって浮き上るのを楽しんで、左手で箸で拾い上げて
袂(たもと)の中に祝福しながら入れる風習がある。

盛んに茶柱が立つときには、
その人の運勢は盛んであり、家なども盛んに建つ。

昭和10年どこへ往っても私の茶碗に注がれる茶には
不思議に「茶柱」が立ったと言っていると、

本部の改築が出来上る、光明思想普及会の新社屋が出来上がる、
原宿の学生寮が新築される、家庭光明寮の第三寄宿舎「愛泉寮」が
新築される、研究室の新設等・・・建つ、建つ、建つ・・・

形あるものは、その奥にその形に相応する
心の波動(アイディア)が動いているのであるから、
自分の心の世界に「すべて立つ」アイディアが動き出すと、
現象界の事々物々にそのアイディアが映し出されて具象化するのである。

            <感謝合掌 令和7年4月9日 頓首再拝>

感覚の転移 - 伝統

2025/04/11 (Fri) 10:44:50


        『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月11日)」より

『天地の言葉』の中に書いてある
イタリアの大医ロンブロゾー博士の取り扱った患者が、感覚の転移を
起こして眼球以外の器官をもって物体を見たということについて、
その事実の出所を知らしてくれという詩友からの手紙が来た。

これは1919年フランス学士院賞を受けた
セブラユー博士の『死後の運命』という本の中に、
ロンブロゾーの言葉が引用してあるのである。

「1891年のこと、
 予は医学上の経験においてまったく思いがけない患者に遭遇した。
 予は一日郷里に住む一高官の令嬢を往診することになった。
 この娘は時おり激烈なヒステリーが発作し、しかもその症状は
 病理学上よりも、生理学上よりも、説明し難いものであった。

 すなわちその発作に臨んではまったく視覚を失うと
 同時に耳をもって物を見ることができ、
 目には目隠しを施しているにもかかわらず、
 耳の前にかざした数行の印刷物を読みうるのである。

 試みに拡大鏡をもって耳腔内に日光を反射せしむると、さも眩しげにしながら
 『目が潰れてしまう』と叫び、なおこの発作中には自分の周囲に起こるべき
 いっさいの事件を予言し、しかもその予断は極めて数理的に正確なものがあった。

 なお、この感覚の転移はいたるところに起こったのである。
 この事実はむろん現在のことではないが、実に奇怪の症状といわざるをえない。

 予は当時心中に思えらく、
 今日の生理学や病理学ではとうていこの説明はむつかしい。
 将来心霊学の発達によって、真理の開発される折を待つの外あるまい。」

ロンブロゾー博士は言っているのである。

ある人はそういう異常現象をもって人間全体に類推してゆくのはいけない
と抗議する場合もあるが、かかる異常現象は常人の域を超えて
心的能力がいっそう強く発現した場合であるから、

しかもやはり人間において発現した実例であるから、
人間を鼓舞して、常人を超ゆる域に達すべき鼓舞鞭撻の言葉として
用いる場合には、人間の成しえたるかぎりの能力の最高限度の実例を
挙げて、われらの能力をできるだけ強き程度に発現する機会を与えることが
肝要なのである。

          <感謝合掌 令和7年4月11日 頓首再拝>

決意をもって断じて行え - 伝統

2025/06/22 (Sun) 11:23:49


       *「光明法語」(6月22日)より

「断じて行えば鬼神も避く」と諺(ことわざ)は言う。

道は、決然たる意志の前にはその扉を開く。

道がなければ自分が道を造れば好い。

キリストは「我は道なり」と言った。

八方が塞がっても上方はあいているのだ。
上方は神に通ずる道である。
道なき時には神に頼れである。

不可能を可能にかえ得るものは決意である。

「意志の教育こそは吾人存在の目的である。
 断乎たる決意ある者の前には常に時と機会とが待っている」

とエマーソンは言っている。

世界を動かす梃子(てこ)は意志の力である。

        <感謝合掌 令和7年6月22日 頓首再拝>

心を整えることによっても肉体を調整し得る - 伝統

2025/07/09 (Wed) 11:38:20


      *「光明法語」(7月9日)より
        ~全身は霊的エネルギーの層である。

ロック〇ェラー研究所の外科医長故アレキシス・カレル博士は言っている。

「吾々の意識のすべての状態は脳髄の化学的変化に相互連関をもっている。
 脳髄は全身に相互連関をもち、吾等の全身は恰(あたか)も
 心的及び霊的エネルギーの層をなしているのである。

 意識のすべての状態は人体に一定の化学的又は生理的状態を引起こす。

 されば人間は或る動作によって自分の肉体を調整し得ると同様に、
 瞑想により心を整えることによっても肉体を調整し得るのである。」

是が凡(あら)ゆる方面から人間の肉体を解剖した世界一の大医の言である。

           <感謝合掌 令和7年7月9日 頓首再拝>

心の「絞り」を調整する - 伝統

2025/07/18 (Fri) 11:18:38


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月18日)より

写真を写すにも、絞りを調整することによって、
その写真が上手に写ったり下手に写ったりするのである。

それと同じく現世をよくするには心の「絞り」を調整することが必要である。

内部が整うて、外界が整うのである。
何か外界に悪しきことが起こったら、まず内部を調整すべきである。

         <感謝合掌 令和7年7月18日 頓首再拝>

【思考で肉体が若返る】ハーバード大の実験 - 伝統

2025/07/21 (Mon) 11:33:40

【思考で肉体が若返る】ハーバード大の実験。
「これ」だけで身体が20歳若返った話
真理の扉( 2025/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=q26WDYuipUY

         <感謝合掌 令和7年7月21日 頓首再拝>

心が完全に動くと、適時、適所、適人となる - 伝統

2025/07/25 (Fri) 10:00:05


        *「光明法語」(7月25日)より
         ~ 適時、適所、適人

生長の家は毒物を食しながら、
心で「これは毒物ではない、栄養食品である」と思念しながら食べたら、
毒が変じて栄養となると云うのではない。

心が完全に働けば、
本来食物でない物(毒物と仮に称す)を食べなくなるのである。

そして食物の分量や質の配置なども適当となり、
すべてが《ある》べきところに《ある》ように
適当におかれると云うのである。

神の創造には、一物も「悪い物」はないのであって、悪く見えるのは、
それを置く場所と時と人とが適当でないからにすぎない。

         <感謝合掌 令和7年7月25日 頓首再拝>

物質の原因は心である - 伝統

2025/08/02 (Sat) 10:35:19


       *「光明法語」(8月2日)より

原因あって結果来る。精神科学も物質科学も同様である。

物質科学は物質にのみ原因をもとめるが、
吾らは、その物質は如何にして生じたるかを追求し、
それがエネルギーの波動であることを明らかにし、

そのエネルギーの波動は、
智慧あり秩序あるエネルギーの波動であることを明らかにし、

智慧あり秩序あるエネルギーとは、物質的なるものではなく、
心的なるものであることを明らかにし、

心によって物質の変化することを明らかにし、
心によって健康と運命をと支配するのである。

         <感謝合掌 令和7年8月2日 頓首再拝>

心の中の複雑混迷 - 伝統

2025/08/03 (Sun) 11:32:59


       *「光明法語」(8月3日)より

精神科学の研究家は、病気の大部分は殆どすべて心に根源を発し、
心によって病み、心によって癒される事を知る。

併しながら、それは決して、「病気になる」と思ったから病気になり、
単に「病気は無い」と想ったから治ると云う様な単純なものではない。

病気なんて一切考えないのに病気になった人もあり、
心はその儘で一時治る人もある。

人間の心の内部にはもっと
複雑な混輻輳(コンプレックス)があるのである。

この混雑輻輳(ふくそう)極まりなき心の解剖と
その浄化こそ真に癒す道である。

         <感謝合掌 令和7年8月3日 頓首再拝>

「心」が万事に先行する - 伝統

2025/08/12 (Tue) 09:53:29


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月12日)より

列車に乗ってその列車が転覆したからといって、
その列車に乗せた駅員が悪いのではない。

転覆するような列車に乗るのは、乗ったその人自身にそ
の列車に乗るようになっている「心」があったからである。

「心」が万事に先行するとういうことを知る人は不幸に逢っても、
他を憎んだり恨んだりするものではない。

自分の「心」がそれを造ったということを知っているからだ。

列車に乗って不慮の災難に逢うことも、
人の口車に乗って不幸に陥ったり物事が失敗に終わるということも、
「乗る」のは、自分がその乗物に引きつけられて乗ったのだから、
自分自身の「心」の中に原因があるのである。

他(ひと)が「悪い、悪い」と思っている人は、
要するに責任を他(た)に転嫁する卑怯者のことである。

人間は強くなるにしたがって、
いっさいの原因を自分自身に帰するようになる。

そして聖者と言われるほどの人になると、
衆生の一人でもまだ苦しんでいる者があると
自分自身の責任だと感ずるものである。

世界のすべての人類が「光明思想」を知らず、また知っても十分実践せず、
不幸に沈淪(ちんりん)している者があるのは、
わたしの宣伝が足りないからなのである。
皆わたしの罪なのである。

      <感謝合掌 令和7年8月12日 頓首再拝>

心の中の運命は、磁石に喩えられる - 伝統

2025/08/13 (Wed) 08:15:53


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月13日)より

一つの結婚に破れて、「惜しいことをした。あそこまで進んでいたのに。
あの人が要らぬ口添えをしたからだ」などと後悔する者は愚かなる者である。

成らない結婚は、それは成らないことによってそれは良かったのである。
だれかの少しの口添えくらいで破壊するような結婚は砂の上に建てられた家のようなもので、
結婚してからも少しの風波に揺られると破壊したかもしれないのである。

結婚してから、夫婦関係を破壊するのは遅すぎる。
破壊するなら婚前のちょっとした問題で破壊したが良かったのである。

物の成ると成らざるとは、「誰かがどう言った」などのことに原因があるのではない。
不思議なその人おのおのの「心」の中にある運命が招(よ)び寄せる力が、
ある運命を反発し、ある運命を磁石のように吸い寄せるのである。

      <感謝合掌 令和7年8月13日 頓首再拝>

心の王国を征服する - 伝統

2025/08/14 (Thu) 12:03:37


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月14日)より

世界を征服することは偉大であるが、
まず自分の心の王国を征服することはいっそう偉大である。

ます自分の心の王国を征服し、自分の心に真理を実現すれば、
一家に平和は来たり、一家に平和来たれば近隣相和す。

近隣相和せば、一町一村に平和来たり、
一町一村に平和来たれば、一群一県に真理来たる。

一群一県に真理来たれば、国家はじめて正法に立脚し、
国家正法に立脚すれば四隣の国おのずから相和し、
四隣の国おのずから相和せば、もって世界の平和を招くに足るのである。

      <感謝合掌 令和7年8月14日 頓首再拝>

微生物と念の感応 - 伝統

2025/08/15 (Fri) 11:01:16


        *「光明法語」(8月15日)より

近頃、柴田酵素や渡辺酵素で肥料を速成して、
その施肥効果により二倍増産三倍増産を得る事が可能であると説くものがある。

実際試みて何等効果がなかったと言うものもあり、効果著しかりしと言うものあり、
批評まちまちであって一定の結果を得ない。

農事試験場では実際上効果なしとして一旦否定したるも、
此の種民間の評判高き故、もう一度実験して見ると云うことである。

酵素は微生物の生産物である。
微生物は人間の念に感応し易い。

念によって効果を異(こと)にするは当然である。

      <感謝合掌 令和7年8月15日 頓首再拝>

斯く心は病菌に作用す - 伝統

2025/08/16 (Sat) 11:14:57


        *「光明法語」(8月16日)より

嘗て、千葉大医科と、慶応大医科とで、
チフス菌は鼠の腸内にて殺菌消化されて形を止めなくなると言い、
一方は然らずと言い、両大学にて各々実験を行い、
両方とも自己の主張する通りの実験の結果を得、
孰(いず)れにも勝敗決せずして物別れになった事があった。

同一程度の重症の結核患者で、一方は暗く悲哀と絶望の精神をもち、
他方は明るく楽天的なる精神をもったとせよ。

明るき楽天的なる精神の者は快方に向かい、
悲哀と絶望に沈みたる者の結核菌は益々繁殖して病は増悪する。

      <感謝合掌 令和7年8月16日 頓首再拝>

【あなたが前に住んでいた町は?】 - 伝統

2025/09/29 (Mon) 09:30:18


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.6.2)より

   (柳平彬(さかん)氏の心に響く言葉より…)

   《こちらの心の持ち方で相手も変わる》

   日本では、全国で44秒に1組の新婚さんが誕生し、
   逆に約2分5秒に1組が離婚しています。

   これらは平成21年の数字ですが、結婚の数が
   40年前をピークに減ってきているのに対して、
   離婚の数は上昇を続けています。


   日本では「あなた、お別れしましょう」と、
   妻の方から離婚を切り出すケースが増える傾向にあるらしいのです。

   女性の経済力の向上と社会福祉の充実だとも言われています。

   男女に賃金格差のない国では、
    「家事負担の不公平」や「アルコール依存症」が
   離婚原因の上位にあるのですが、
   日本では「性格が合わない」がトップのようです。



   こんな昔話を聞いたことがあります。

   砂漠のオアシスの木陰に一人の老人が腰を下ろしていました。

   そこへラクダをひいた若者が通りかかり、老人に次のように尋ねたのです。

  「この村に落ち着きたいが、どんな人が住んでいるのですか」

   すると、老人は問い返しました。

   「お前さんが住んでいた村はどうじゃった?」

   若者が、

   「ひどい村でね。 たちの悪い人間ばっかりだった」
 
   と答えると、老人は言いました。

   「この村も同じよ。もっとましな所に行った方がいいよ」


   しばらくして別の若者がもう一人オアシスに着き、
   老人に話しかけました。

   「この村に落ち着きたいんだが、どんな人が住んでいるのですか」

   老人は問い返す。

   「お前さんが住んでいた村はどうじゃった」

   若者が、

   「良い人ばかりで実に楽しい村だった」
 
   と答えると、老人はこう言いました。

   「この村も同じよ。良い人ばかりだ。住まわれるとよい」


   このやり取りを近くの木陰で聞いていた男が、
   「ご老体、いい加減なことを言って」と非難すると、老人は答えました。

   「自分の住んでいた村を悪く言うのにろくな奴はおらん。
    心の持ちようで周囲も変わる」


   離婚で心機一転やる気を回復する人もいます。

   しかし、転職の場合もそうですが、
   別れた相手、辞めた会社の悪口を言っている人は、
   また同じ問題を起こしているケースも多いのです。

   不平不満の主張、クレームをぶつけ合うだけでは、
   やる気も起きませんし、幸せはつかめないのです。

      <『やる気を引き出す言氣の心理学』ぱるす出版>

        ・・・

物事には必ず、表があれば裏がある。

いい面もあれば悪い面もある、ということだ。


ポジティブな面を見るか、ネガティブな面を見るか。

明るい面を見るのか、暗い面を見るのか。

その人の見方次第でどうにでも変わる。
それは、普段の見方の癖(くせ)であり、習慣でもある。


いつも、暗い面ばかりを見る癖のある人は、
スピーチや挨拶も、ネガティブで、棘(とげ)があったり、
シニカル(皮肉っぽい)だったりする。

その言葉は、相手の気持ちをヒヤッと冷たくする。


反対に、明るい面を見る習慣のある人は、
スピーチや挨拶も、ポジティブで、明るくて、
未来が感じられて、勇気がでる。

その言葉は、相手の気持ちをじんわり温かくする。


マスコミや新聞は、暗くて悪いニュースや、恐ろしい情報ばかりを流す。

なぜなら、その方が目立つからだ。

反対に楽しいことや、嬉しいこと、明るい話はほとんどニュースにはならない。

なぜなら、当たり前すぎて、ニュース性(話題性)がないからだ。

つまり、当たり前のことが大多数で、目立つ方が少数。


ずっと長い間、テレビや新聞のニュースに触れていると、
ネガティブでシニカルな見方に染まってしまいやすい。

世の中は悪いことや嫌なことであふれかえっている、と思ってしまうからだ。


どんなときも、明るい面を見続ける人でありたい。

      <感謝合掌 令和7年9月29日 頓首再拝>

心に「想うもの」が出て来る - 伝統

2025/10/01 (Wed) 10:53:56


     *『生命の實相第三十八巻・幸福篇下』(10月1日)より

すべての事物は、心の想うことによって存在に入ったのである。

神が心に星辰を想い、天体を想うことによって、
諸々の星辰天体が生じたようにである。

われわれの周囲の事物はわれわれが心に想うことによって存在に入ったのである。
そうすれば自分の好まない事物を心に想わないようにしなければならない。

「想うもの」が出て来るのであるから、敵を想えば敵が出て来る。
戦争を想えば戦争が出て来る。
病気を恐れて、心に警戒すればするほど病気にかかるのである。

ということは予防的なことをいっさいするなという意味ではない。
戸締りをしないで徹夜で泥棒を恐れているよりも、
戸締りをして泥棒を思わないで眠る方がよい。

           <感謝合掌 令和7年10月1日 頓首再拝>

【人間と人間の心のつながり】 - 伝統

2025/10/02 (Thu) 08:50:05


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.6.8)より

   (松下幸之助氏の心に響く言葉より…)

   昔の商売人は
   「お客様の家のほうには足を向けて寝ない」というほどの
   感謝の気持ちでお客に接したといわれる。

   そういうものがおのずとお客にも伝わり、
   そこにその店に対する“ひいき”の気持ちが生まれる。


   どこで買っても品物は一緒だけれど、
   なんとなくあそこで買わないと気がすまない、
   というようなことになって、
 
   両者の心がかよいあい、ひいては社会全体が潤いあるものになってくる。

   そういったものが世の中が便利になり、
   あるいは会社の機構が大きくなっていくにつれ、
   いつとはなしに薄れてくるという面があるのではないだろうか。


   そして物を売りさえすれば、それで事足れりといったことになる。

   しかしそういうことでは、
   だんだん人間と人間の心のつながりがなくなり、
   国民全体の情緒も薄れていってしまうだろう。
                       (経済談義)より

      <『松下幸之助 成功の金言365』PHP研究所>

        ・・・

「かんじんなことは目に見えないんだよ」 (サン=テグジュペリ)

「星の王子さま」の一節にある有名な言葉だ。



お客様への「感謝の気持ち」も、「大切に思う気持ち」も目には見えない。

そして、お店を「ひいきする」というお客の心も目には見えない。


村上和雄氏のこんな言葉がある。

『アメリカの病院で、大変興味深い実験が行われました。

 心臓病患者393人に対する実験で、
 「他人に祈られた患者」は、そうでない患者に比べて
 人口呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない、
 ということが分かったのです。

 しかも驚くべきことに、
 西海岸にあるこの病院に近い場所にいたグループからの祈りは
 もちろんのこと、
 遠く離れた東海岸からの祈りでも、同様の効果があったのです。

 そして、何よりも興味深いのは、
 患者さんたち本人は自分が祈られていることは、
 全く知らなかったということです。

 この実験の効果については医学者の間でも
 賛否両論が、今なおあります。

 「どうして祈りの効果があるのか、科学的に解明できないじゃないか」と
 異議を唱える方もいることでしょう。

 けれど、私はひとりの科学者として、こう思うのです。


「理由は分からない。

 しかし、実際に効果があるのは、それは、
 人知の及ばない力による作用なのではないか。

 何よりも効果があるのだから、理由を解明できなくとも、
 祈ることの大切さに変わりはないではないか」

 と。(奇跡を呼ぶ100万回の祈り/ソフトバンククリエイティブ)より



お客様への感謝の気持ち。

そして、

家族や、友人や、部下や、様々な場所で出会った縁ある人たちへの、
感謝の気持ちを忘れてはいないだろうか。

目には見えなくても、その気持ちはいつか必ず伝わる。


「人間と人間の心のつながり」

を大切にする人でありたい。

・・・

<参照>

『松下幸之助 成功の金言365』
Web:BBM
https://eliesbook.co.jp/review/
→書評検索欄にて検索

   ・・・

『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』
一条真也の読書館
https://ichijyo-bookreview.com/2013/04/post-264.html

         <感謝合掌 令和7年10月2日 頓首再拝>

精神は互いに感応する - 伝統

2025/10/18 (Sat) 11:58:52


          *「光明法語(10月18日)」より

眠っている子供の枕元で数学の公式を幾度も唱えて聞かせて、
覚めてからその数学の公式を思い出させると完全に暗誦し得たと云う実例もある。

リーテル・ブルバンクは自分の妹に会いたいと思うとき手紙を書かないで、
思念で「今日はお前に会いたいんだが」と念じたら必ずその次の列車で
その妹はブルバンクのところへやって来たと伝えられている。

夫婦の思いが互いに感応した実例は沢山ある。
妻があやまる気になったとき、夫が妻に済まぬと思うようになった例も多い。

            <感謝合掌 令和7年10月18日 頓首再拝>

病気の形を思い浮かべるな - 伝統

2025/11/04 (Tue) 11:44:39


       *「光明法語」(11月4日の法語)より

ヘンリー・ヴィクトリー・モルガン氏が指摘したように、
或る夫人は自分の少数の白髪(しらが)が出来かかったのを
「白髪は無くなる、白髪は無くなる」と毎日思念し続けた結果、
1ヵ月後には全頭が真白(まっしろ)になって
「思念の力もクソもあるか」と大いに憤慨したそうであるが、

「白髪がなくなる」と念ずる事は
「白髪は今ある」と念ずる事を言換えたもので、
毎日「白髪」を思い起こさせる事になるのである。

総(すべ)て、病気の形や状態について、それを論議し、
思い浮かべる必要はないのである。

         <感謝合掌 令和7年11月4日 頓首再拝>

心の世界に、神の国を描くことが必要 - 伝統

2025/11/23 (Sun) 10:15:16


        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月23日)より

人間の心の思いは動力であることを知らなければなりません。
心に描いたことが形にあらわれるのであります。

このことは何度繰り返しても繰り返しすぎるということはないくらい
重大な問題なのであります。

キリストは
「まず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。
その余(よ)のものは汝らに加えらるべし」
と教えられました。

具体的に現実世界に善きものが現れてくるに先立って
まず心の世界に、神の国を描くことが必要なのであります。

「もし芥子種ほどの信だにあらば
 この山に動いて海に入れと言うといえども必ず成らん」

とキリストが言われたのも、

実現に対する信仰が心の世界に打ち建てられれば、
神の国にあるいっさいのものがこの世に実現するということであります。

すべての地上の建造物は、
まず建築家の心の内に描かれたものが実現したのであります。
原子爆弾といえども
科学者の心の内に描かれたものが実現したのであります。

「心はすべての造り主」と言われている所以(ゆえん)であります。

物質はみずから自発的に動いて一定の形をとることはできません。
湯呑みが勝手に歩いたり、万年筆が勝手に動いて文章を書く
ということもありません。

ブランシェット(心霊現象の自働書記でお筆先を書く道具)が
自働して文字や絵を書くのは、その道具が勝手に動くからではなく、
それを動かす霊があるからです。

われわれの肉体細胞の成分が一定の姿に配列されて
健康になるのも病気になるのも皆心の働きです。

       <感謝合掌 令和7年11月23日 頓首再拝>

心の波を道具として、神の子の理念を実現せよ! - 伝統

2025/11/24 (Mon) 10:55:42


        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月24日)より

生命(せいめい)なき物質と、生命ある有機体との間には
けざやかな相異があるのである。

それが等しく炭素と水素と酸素と窒素等の化合物であるにしても、
それに生命(いのち)が宿らない間は、その分解・結合の状態は
いつまでも無機物的な方向において行なわれる。

いったん、それに「生命(せいめい)」がやどるとき、
全然異なる分子の分解・結合が行なわれ、
一定の「理念」(または精神的原型)にしたがってあるいは
絢爛(けんらん)たるバラの花となり、
清楚(せいそ)なる百合(ゆり)の花となる。

イエスはその生命(せいめい)の力の不可思議さを見よという意味で
「野の百合はいかにして育つかを見よ」と言ったのである。

すべての生物は、野の百合にせよ、垣根のバラにせよ、
そこに「生命(せいめい)」が宿っているのである。

「生命(せいめい)」の一つの特徴は、
物質の分子の配列を、自己の「理念」または「精神的模型」の
秩序にしたがって、新しく再配置する力をもっていることである。

それは物質それ自身の性質を利用しつつ、
新たに自己の理念または精神的模型を造形しゆくこと、
あたかも美術家が、絵の具それ自身の性質を利用しつつ、
自己の内にある「美の精神的模型」の姿を造形してゆくようなものである。

宇宙精神の低次にして、受動的あらわれたる物質は、
宇宙精神の高次にして優位なるあらわれなる
いわゆる「生命(せいめい)」に対してはただ素材を
提供するのみであって、物質が生命(せいめい)
を左右することはできないのである。

逆に生命(せいめい)は自己の「心の波」を道具として、
物質の分解・結合の状態を変化し、自己の理想を表現するのである。

野の百合のごとき比較的低き植物階級の生命(せいめい)にしても、
物質それ自身の配列状態を克服して
自己の理念の姿を表現することができているのに、

人間という宇宙精神の最高顕現たる生物が物質の世界を克服して、
健康の上にも、経済の上にも発明の上にも自己の理念の姿を
表現することができないということはありえないのである。

諸君の健康が薄弱であったり、経済的に窮迫したりするのは、
「人間」の天爾(てんに)の「神の子」たる「完全模型」を
みずから主張しないからであって、

それは『法華経』にある大通智勝如来が十劫の間(あいだ)道場に
坐してなおさとりを開かなかったのと同じである。

大通智勝如来は、本来全能の大通力と全智の智勝(ちしょう)とを
そなえていながらみずから進んでそれを自覚しないから、
自分の実相の完全さがあらわれないにすぎないのである。

諸君がひとたび自己内在の大通力を自覚しそれを実現しうることを信じて、
たゆみなく精進努力をつづけるならば必ずやあらゆる方面において
人間完全・神の子実相が実現するに相違ないのである。

       <感謝合掌 令和7年11月24日 頓首再拝>

心が形の世界に顕(あら)われる3つの要素~決意、素描、実行 - 伝統

2025/12/15 (Mon) 11:54:14


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月15日)より抜粋

決意、心の世界における素描(そびょう)、
その素描の上に絵の具を塗る実行、
それは絵師(えかき)だけのことではない。

人生の画布(カンパス)の上に実生活の絵を描くところの
人間の一生もそれである。

真に富者(ふうじゃ)となるには、
「われすでに富めり」の素描を心の中に描き、
それを実践に移さなければならぬ。

(中略)

決意、素描、実行
 ―― これは心が形の世界に顕(あら)われる3つの要素である。

       <感謝合掌 令和7年12月15日 頓首再拝>

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