伝統板・第二

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賢者の一日一言(R6年11月) - 夕刻版

2024/11/02 (Sat) 05:00:08


このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「リーディング(エドガー・ケイシー)29(R4.11)」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8300014

(2)伝統板・第二「安岡正篤・一日一言」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812217
  
(3)伝統板・第二「松下幸之助 一日一話」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7811995

(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733095

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言92
       ~楽しい心悲しい心・病気不孝は斯うして消える」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8299883

・・・

賢者の一日一言《1日》

(1)【 11月1日 】 

   毎日、毎時を、そして、どのような人に対しても、
   いつかその日の行為を振り返った時に、
   それを恥じることなくあなたの造り主に示すことが
   できるような生き方をしなさい。

   Rather, live each day, each hour, each association,
   in such a way and manner
   that thou canst EVER look upon the activities of that day
   and feel not ashamed to present them to thy Maker!

   (531-3)

・・・

(2)【 11月1日 】 寸陰を惜しむ

   どんな忙人にでも、寸陰というものはある。


   ちょっとした時間というものは必ずある。
   そのちょっとした時間をつかむのです。
   これに熟練をすれば、案外時間というものはあるものです。


   寸陰を惜しんでやっていると、
   その寸陰が、長い時間と同じ、
   あるいはそれ以上の値打ちを生じてくる。

・・・

(3)【 11月1日 】 人の世は雲の流れの如し

   青い空に、ゆったりと白い雲が流れていく。
   常日ごろ、あわただしさのままに、意識もしなかった雲の流れである。

   速くおそく、大きく小さく、白く淡く、高く低く、
   ひとときも同じ姿を保ってはいない。

   崩れるが如く崩れざるが如く、一瞬一瞬その形を変えて、
   青い空の中ほどを、さまざまに流れてゆく。


   これはまさに、人の心、人のさだめに似ている。
   人の心は日に日に変わっていく。
   そして、人の境遇もまた、きのうときょうは同じではないのである。

   喜びもよし、悲しみもまたよし、人の世は雲の流れの如し。
   そう思い定めれば、そこにまた人生の妙味も味わえるのではないだろうか。

・・・

(4)【 11月1日 】 「志を主とす」

   学(がく)を言ふは志(こころざし)を主とす。  

             安政2年7月2日「講孟剳記」

   【訳】

   学問というものは志、
   つまり、何のために学ぶのか、ということが最も大切である。

・・・

(5)《1日 心はこんなに肉体に影響する①》

   びっくりすると胸がどきどきします。
   胸がどきどきするのは心臓の鼓動がはげしくなったのです。

   悲しい時には胸がつまったような気がします。

   胸がつまったような気がするのは
   心臓の働きや呼吸器の働きが抑えられたのであります。

   「びっくり」や悲しみを続けていると心臓病の原因になります。

   激しい怒りは、筋肉が固くしまり、身体や腕がぶるぶる震えます。

   副腎と云うところからアドリナリンと云う毒素が分泌せられて、
   その作用で血管が硬くなったのです。

   こんな状態を長く続けて置けば、血管が硬くなるのが習慣となり、
   それが固まって、血管硬化や高血圧症の原因となります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P335)より

           <感謝合掌 令和6年11月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2024/11/03 (Sun) 04:58:58


(1)【 11月2日 】 

   果物でも野菜でも肉類でも、
   その地域に育ったものでなければ、多量に食べてはなりません。

   これは、すべての人が従うべき重要なルールです。

   Do not have large quantities of any fruits, vegetables, meats,
   that are not grown in or come to the area where
   the body is at the time it partakes of such foods.

   This will be found to be a good rule to be followed by all.

   (3542-1)

・・・

(2)【 11月2日 】 養寿規

   一、早起き、静坐、梅茶を服す。

   二、家人に対し、温言和容を失わず。

   三、養心の書を読み、養生の道を学ぶ。

   四、老壮の良友に交わり、内外の時勢に通ず。

   五、凡て宿滞(しゅくたい)を除き、陰徳を施(ほどこ)す。

・・・

(3)【 11月2日 】 生産者の感激

   私が昔、直接生産に従事していたとき、
   新しい品物を代理店へ持参して見せると、
   「松下さん、これは苦心された品ですね」と言われたことがあります。

   こう言われたとき、私は無料で進呈したいと思ったほど嬉しかったのです。
   これは高く売れて儲かるという欲望的な意識でなくて、
   よくぞ数カ月の造る労苦を認めてくださったという純粋な感激だったのです。


   こうした感激は、常に自分の魂と至誠を製品にこめる者のみが
   味わい得るものだと思います。

   そしてそのような喜びに全社員がひたりつつ生産してこそ、
   確固たる社会信用を獲得することのできる製品を生み出すことが
   可能になるのではないでしょうか。

・・・

(4)【 11月2日 】 「男子須らく」

   嗚呼(ああ)、人間の得失何ぞ問ふことを須(もち)ひん、

   男子須(すべか)らく塵俗(じんぞく)の表(おもて)に
   卓立(たくりつ)することを要すべし。
   
              嘉永5年4月1日「無題」

   【訳】

   ああ、人間としての成功や失敗などは何ら問題とする必要などあろうか。
   ありはしない。

   男子たるものは、まずもって、そのような俗世間を超越し、
   高くそびえ立つことが重要である。

・・・

(5)《2日 心はこんなに肉体に影響する②》

   始終身体(からだ)のふるえる病気、
   「ふるえ中風」や「震顫(しんせん)麻痺」などと云う
   からだのふるえる病気になるのであります。

   ビックリしたので心臓麻痺を起して死んだ人もありますし、
   悲しんだために盲目(めくら)になった人もあります。

   愛する子供に死に別れた悲しみで、
   その後(ご)身体(からだ)が弱って
   ブラブラ病(やまい)に罹(かか)っている人もあります。

   これは悲しみの思いが消化作用を妨げ栄養の補給を不充分にし、
   心臓の働きをにぶらせ、身体を衰弱させたのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P335~336)より

           <感謝合掌 令和6年11月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2024/11/04 (Mon) 04:57:49


(1)【 11月3日 】 

   覚えておきなさい、救い主は生きているということを。

   そして、あなたの手は
   救い主の愛と喜びと希望と平安を現すために用いられるかも
   知れないということを。

   Know that the Redeemer liveth,
   and THY hands may be used as manifestations of
   His LOVE, HIS joy, HIS hope, HIS peace.

   (254-54)

・・・

(2)【 11月3日 】 文化と文明

   文化とは民族の創造力をいい、文明とはその施設外観をいう。

   文明が文化の重荷になって来ると、
   その文明は永遠の生命から云えば危険だといわねばならぬ。

・・・

(3)【 11月3日 】 日本人としての自覚と誇り

   “国破れて山河あり”という言葉があります。
   たとえ国が滅んでも自然の山河は変わらないという意味ですが、
   山河はまた、われわれの心のふるさととも言えましょう。

   歴史に幾変転はあっても、人のふるさとを想う心には変わりはありません。
   この国に祖先が培ってきた伝統の精神、国民精神もまた変わることなく、
   お互い人間の基本的な心構えであると思います。


   われわれは日本という尊いふるさとを持っています。
   これを自覚し誇りとし活動する、そこにはじめて、
   お互いに納得のいく動きが起こるのではないでしょうか。

   日本人としての自覚や誇りのないところには、
   日本の政治も経済もないと思うのです。

・・・

(4)【 11月3日 】 「人材を長育するには」

   大凡(おおよそ)人材を長育するには
   其れをして多く怪異(かいい)非常(ひじょう)愧(は)づべきの事を
   見聞せしむるに如(し)くはなし。

   蓋(けだ)し尋常庸々(ようよう)の事は以て新たに視聴に入(い)るるも
   其の志気を発励するに足らざるなり。

              嘉永5年8月26日「※治心気斎先生に与ふる第三書」

   【訳】

   だいたい人材を大きく育てるには、不思議なこと、普通と違うこと、
   また自分を恥ずかしく思うようなこと、驚喜するようなことなどを
   見聞きさせることが一番だと思います。

   当たり前の平凡なことは、新しい経験となるでしょうが、
   それで新たに志を立て、励むには足りません。

    ※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
     松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

(5)《3日 心はこんなに肉体に影響する③》

   或る婦人は、ゴルフの打棒で顔を怪我しましたが、
   それは三針ほど縫って傷は治りました。
   しかし傷痕(きずあと)がかすかにあとに残りました。

   ところが、自分の顔に傷が出来て醜くなったと云うことが、
   この婦人の心に非常な苦痛を与えまして、それ以来、
   この婦人は神経衰弱にかかりまして、とうとう始終寝床で
   ブラベラしているようになりました。

   医者が診察しましても何処(どこ)にも
   具体的な病気はありませんでした。

   これは、自分が傷ついた醜い顔を人に見せたくない心が、
   自分を寝床(ねどこ)にかくしていたい心が
   病気をこしらえたのだと云えるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P336)より

           <感謝合掌 令和6年11月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2024/11/05 (Tue) 04:56:02


(1)【 11月4日 】 

   不親切に語ることをやめなさい。
   人について良いことを言うことが出来ないなら、黙っていなさい
   --たとえ、あなたの言うことが真実だとしても。

   Leave off speaking unkindly.
   If it is impossible to say nice things about a person, keep silent
   - even though what you might say may be true.

   (3376-1)

・・・

(2)【 11月4日 】 僻

   修養学問のし始めはとかく鼻についたり、
   仲間外れになるものが多い。

   之(これ)を僻(へき)と謂う。

・・・

(3)【 11月4日 】 職種と適性

   文化が進むと職種が増え、自分の好む職種というものが、
   だんだんと選びやすくなってきます。

   そしてそこに生きがい、働きがいが求めやすくなってくるだろうと思います。

   しかし、今日のところは、まだ十分でなく、
   この仕事はあまり自分には適していないが、
   まあこれで甘んじていようかという場合もあると思います。

   けれども昔からみると、非常に恵まれています。


   そう考えてみると、今日に生きるわれわれは、非常に幸せだと思います。
   自分の好む仕事を求めやすい時代です。

   こういう時代に生まれながら、もしも仕事に生きがい、
   喜びを感じないというのであれば、
   それは原則として許されないことになると思うのです。

・・・

(4)【 11月4日 】 険阻艱難程大業を成すに宜しきもの之れなき様存じ奉り候

   足下(そっか)年少(ねんしょう)才(さい)富(と)み
   何事(なにごと)にでも御志(おこころざし)さへあれば、
   成(な)らずと申す事は之(こ)れある間敷(まじ)く候(そうろう)。

   若(も)し是(こ)れ式(しき)の事に御鋭気(ごえいき)挫(くじ)け
   候(そうろう)様(よう)にては、大業(たいぎょう)の創始(そうし)は
   迚(とて)も出来申さず候(そうろう)。

   (中略)

   万一(まんいち)英気(えいき)挫(くじ)け候様(そうろうよう)の事ども
   御座候(ござそうろう)も、古(いにしえ)の英雄(えいゆう)御覧(ごらん)
   成(な)さるべく候。

   険阻(けんそ)艱難(かんなん)程(ほど)大業(たいぎょう)を成(な)すに
   宜(よろ)しきもの之(こ)れなき様存じ奉(たてま)り候。

                嘉永三年九月二九日「※郡司覚之進あて書翰」


   【訳】

   あなたは、年齢は若いが、才能に富んでおられるので、
   何事であろうとも、志さえあれば、ならないということはあるはずがありません。

   もしも、これくらいのことで何事かをなそうとするお気持ちがくじける
   のであれば、大きな仕事を始めることなどはとてもできないでしょう。

   (中略)

   万一お気持ちがくじけるようなことがあったとしても、古の英雄をご覧なさい。
   苦しいこと、困難なことがあるほど大きな仕事をなしとげるには
   好都合だと思われます。

    ※長州藩士 郡司覚之進 生没年不詳。松陰の友人。砲術研究者。

・・・

(5)《4日 病気は自分が心で作る》

   誰でも病気になりたいと思ったら病気になれるのです。

   あまり忙しいので1週間ぐらいは寝てみたいな ―― などと
   思ったりしますと、すぐその日から病気にならないにしても、
   そう思ったことをわすれた時分に病気になることがあります。

   種を蒔いても、すぐその日に芽が出ないで、
   蒔いたことを忘れた時分に却って芽が出るようなものです。

   心でおもうことは種を蒔くことになるのであります。

   だから「病気で寝てみたいな」などと思ってはなりません。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P336~337)より

           <感謝合掌 令和6年11月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2024/11/06 (Wed) 04:57:09


(1)【 11月5日 】 

   自分のいるところで努力しなさい。
   召し出された人々に次の言葉が与えられました。

   「あなたの立っている場所は聖なる地である」と。

   あなたの居るところから始めなさい。

   Work where you are.
   As was given to those who were called,

   "The ground upon which ye stand is holy".

   Begin where you are.

   (4021-1)

・・・

(2)【 11月5日 】 自ら反る

   君子は自ら反(かえ)る
   ……「自反」ということは『論語』『孟子』の根本精神といってよい。

   自ら反る、自らに反る。自分で自分に反る。

   例えばつまずいてけがをした。
   「こん畜生!」といって石を蹴る人間がある、
   そういうのはつまらない人間である。

   つまずいた時「ああうっかりしていた。おれもまだいけないぞ」と反省する。

   例えば武道の達人だったら、
   つまずいてひっくり返るとかいうことは決してない。
   物につまずいてひっくり返るなんて、これは迂闊のいたすところだ。
   修行未熟のいたすところだ。


   だからそういう時には、
   「しまった。おれもうっかりしておった」と自ら反る。

   それが本当の人間である。
   その人は確かな人であり進歩する人だ。
   そこからも非常に変わってくる。


・・・

(3)【 11月5日 】 大器晩成ということ

   よく世間では、あの人は大器晩成型などと言いますが、
   その場合はどちらかといえば、
   あまりほめたようには使わないことが多いようです。

   つまり、いまはまあまあだけれども、
   そのうちになんとか一人前になるだろう、といった調子です。

   しかし私は、この大器晩成というのは、
   もっと大事な意味を持っているのではないかと思うのです。


   真の大器晩成型というものは、人生は終生勉強であるという考えを持って、
   ウサギとカメの昔話のカメのように、一歩一歩急がずあわてず日々精進し、
   進歩向上していく姿ではないかと思います。

   そういう姿をめざすことがお互いに大切だと思うのです。

・・・

(4)【 11月5日 】  同じからしむること能はず

   孔子人を教へしより、已に人をして皆己れに同じからしむること能はず。 
  
            嘉永5年8月26日「※治心気斎先生に与ふる第三書」

   【訳】

   あの聖人孔子でさえ、人を教えていた頃から、
   人を自分と同じようにすることは不可能であった。

    ※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
     松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

(5)《5日 人間決して心配や恐怖してはならぬ》

   心配や恐怖心は髪の毛を一夜のうちに白くすることがあります。

   イギリスのチャールズ一世の如きはその有名な実例です。

   戦地から引揚げて来た人の中には、
   見ちがえるように頭髪が白くなった人がありました。

   恐怖の念は血液中に有害性の硫黄の化合物をこしらえて、
   頭髪の色素を破壊するのだと科学者は云っています。

   身体を病気にするほどでもない。
   小さな恐怖が、頭髪だけには強くこたえて、白くしたり、
   頭を禿げさせたりすることがあります。

   人間たるもの決して恐れたり心配してはなりません。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P337~338)より

           <感謝合掌 令和6年11月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2024/11/07 (Thu) 04:58:57


(1)【 11月6日 】 

   人は、苦しみを通して、自分自身に出会い、
   魂そのものが神を表すのにふさわしくなるよう自らを整えるのです。

   Through suffering, individuals meet themselves,
   and fit themselves for the Divine expression in their soul selves.

   (1004-2)

・・・

(2)【 11月6日 】 立命の学

   人と生まれた以上、本当に自分を究尽(きゅうじん)し、修練すれば、
   何十億も人間がおろうが人相はみな違っているように、
   他人にない性質と能力を必ず持っている。

   それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。

   これを「運命学」「立命の学」という。
   今日の言葉でいうならば「人間科学」というものだ。
   これが東洋哲学の一番生粋(きっすい)である。

・・・

(3)【 11月6日 】 部下のために死ぬ

   経営者に求められるものはいろいろありましょうが、
   自分は部下のために死ぬ覚悟があるかどうかが一番の問題だと思います。

   そういう覚悟ができていない大将であれば、
   部下も心から敬服して、ほんとうにその人のために働こう
   ということにはならないでしょう。

   経営者の方も、そういうものを持たないと、
   妙に遠慮したり、恐れたりして社員を叱ることもできなくなります。
   それでは社内に混乱が起こることにもなってしまいます。


   ですから、やはり経営者たるものは、
   いざというときには部下のために死ぬというほどの思いで、
   日々の経営に当たるのでなければ力強い発展は期し得ないと思うのです。

・・・

(4)【 11月6日 】 平時直諌なくんば

   平時(へいじ)直諌(ちょっかん)なくんば、
   戦に臨みて先登(せんとう)なし。 

             安政6年3月「感傷の言」

   【訳】

   日ごろ、(殿を)直接諌(いさ)めるということができなければ、
   戦の際に、真っ先を駆けて、敵陣に斬り込むことなどできない。

・・・

(5)《6日 悦びと感謝は人を健康にする》

   よろこびの感情は人間を健康にいたします。

   歴史によりますと、ブラジル国王ドム・ぺドロが
   ヨーロッパで病気になって苦しんでおりましたときに、
   彼の摂政をしていました王女から、この病める国王の宿願であったところの
   奴隷禁止令に署名したという電報がまいりました。

   その電報を見ると、あまりのうれしさに王の病気は治ってしまいました。

   このように喜びの感情は人間を健康にする力があるのですから、
   常に喜び、常に希望に輝き、常に感謝している人は
   病気にかかるものではありません。

   病気にかかるのは、ふと腹を立てたり、不平に思ったり、
   口惜しかったり、悲しかったりしたあとで、
   その心のあらわれとして病気になるのです。

   腹立ちを「ゆるし」に替え、不平を感謝にかえ、口惜しさや悲しみを、
   「これがあるので私の魂が高まるのだ」と感謝とよろこびに
   替えるようにしますと、病気が治るのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P358)より

           <感謝合掌 令和6年11月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2024/11/08 (Fri) 04:56:57


(1)【 11月7日 】 

   必要とされている最高の医者は、自己の内にある。

   その医者とはキリスト意識である。

   The most physician needed is within self.

   The physician is the Christ-Consciousness.

   (3384-1)

・・・

(2)【 11月7日 】 誠を尽くす

   『中庸』の中に、魯(ろ)の哀公(あいこう)が
   孔子に政治の要心を問うたものがある。

   孔子はそのとき、

   「天下古今に通じる人の従うべき道は五つあります。
    君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の道がこれです。

    尊ぶべきものとして三つの徳があります。
    知・仁・勇の徳がこれです。

    これを実践するためのものはただ一つ、誠を尽くすということです」

・・・

(3)【 11月7日 】 見る前に察する

   不当な競争は断じていけませんが、
   正常な競争には進んで乗りださなければ、進歩がありません。
   またその競争には勝たねばなりません。


   その場合、問題は相手の差し手を、
   それが形に表われないうちに感じることができるかどうかにあります。

   相手の企画が商品として市場に出てきてから、
   あれはいいな、うちでもやろうか、では遅いのです。

   まだ目に見えないものを、なんとなく感じる。
   むずかしいがそれをやるのが競争に勝つ経営というものです。

   ましてや相手の商品を見てすぐに手を打つならまだしも、
   それが売れ出してやっとみこしを上げるようでは
   “後手”にまわるもはなはだしいと言うべきです。

・・・

(4)【 11月7日 】  涵育薫陶して其の自ら化するを俟つ 

   養(よう)の一字最も心を付けて看(み)るべし。
   註に、養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟(ま)つを謂ふなりと云ふ。

   涵はひたすなり、綿を水にてひたす意なり。
   育は小児を乳にてそだつる意なり。
   薫は香をふすべ込むなり。
   陶は土器を?にて焼き堅むるなり。

   人を養ふも此の四つの者の如くにて、
   不中不才の人を縄にて縛り杖にて策(むち)うち、
   一朝一夕に中ならしめ才ならしめんとには非ず。

   仁義道徳の中に沐浴(もくよく)させて、覚えず知らず善に移り悪に遠ざかり、
   旧染(きゅうせん)の汗(お)自ら化するを待つことなり。

   是れ人の父兄たる道にして、父兄のみにあらず、人の上となりて政を施すも、
   人の師となりて教えを施すも、一の養の字を深く味ふべし。   

                安政2年11月11日「講孟剳記」

   【訳】

   「養」の一字に最も心をつけて、みるべきである。
   (※朱子の)註に、「養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなり」
   といっている。

   涵はひたすことである。綿を水でひたすという意味である。
   育は小児を乳で育てるという意味である。
   薫は香を炊き込めることである。
   陶は土器をかまどで焼き固めることである。

   人を育てる場合にも、この四つのように、自然に行うべきである。

   中庸の徳のない人、才能のない人を、
   縄で縛り上げ、杖で打ち、わずかの間に中庸の徳をつけ、
   才能のある人物にしようとするものではない。

   そういう人々を、仁義道徳の中にひたして、
   自らは気づかず、知らない内に、善に移り、悪から遠ざけ、
   もとから染みついていた悪い汚れが、
   自然に善に変わっていくのをまつべきである。

   これは人の父兄だけではなく、人の上に立って政治を執る上でも、
   また、人の先生となって、教える場合でも、
   「養」という一字を深く味わうべきである。

    ※1130~1200 中国宋代の儒教者。朱子学の創始者

・・・

(5)《7日 病気している暇がない》

   病気は人間の心の《とどこおり》でありますから、
   その《とどこおり》を無くすれば治るのであります。

   心の《とどこおり》は腹が立ったり、不平だったり、
   悲しかったりしても起りますが、

   あまり暇がありすぎて、
   《なまけて》いても差し支えのないときにも起ります。

   《なまける》と云うことは、やはり心が《とどこおって》いることですから、
   沢山仕事をもっていて、心をじっとさせている暇がないときには、
   病気になどかからないのです。

   忙がしいときには「私は病気をしている暇がない」と云う人がありますが、
   こんな人はいつも活発に心が活動しておりますから、
   心に《とどこおり》がない。

   従って病気にかからないのです。

   長い間、中風で動けなかった人が、
   関西の大風水害のとき自分の妻君が婦人会館の総出で罹災者のために
   御飯の炊(たき)出しに出たあとで、自分の家にも洪水がとうとう流れて来て、
   自分のねている床(ゆか)を洪水が浸(ひた)しはじめました。

   中風で脚が立たないままで寝ていましたら、溺れ死ぬより仕方ありません。
   その人は突然立ち上がりました。立ち上がっただけではありません。

   水に浸(ひた)してはならない貴重品を柳行李(やなぎこうり)につめて、
   幾回も幾回も二階へ運びました。

   もう「自分は中風だから動けない」と云う考えに
   心をとどこおらせている暇がなくなったのです。

   忙がしく逃げなければ死んでしまう。
   これも「病気している暇がない」と云うので病気が治ったと云う
   実例の中に入るのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P339)より

           <感謝合掌 令和6年11月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2024/11/09 (Sat) 04:59:38


(1)【 11月8日 】 

   神を欺くことはできません。
   何を蒔こうとも、人は自分の蒔いたものを刈り取ることになるのです。

   For God is not mocked,
   and whatsoever a man soweth that shall he also reap.

   (816-10)

・・・

(2)【 11月8日 】 背中が語る①

   儒は濡である。
   思想とか学問が単なる知識や趣味に止まらずに、身につく、体になることだ。

   孟子のいわゆる「面に見(あらわ)れ、背に?(あふ)る」に至って、
   学問は真にその人の性命になる。

   人間は面より背の方が大事だ。
   徳や力というものは先ず面に現われるが、
   それが背中、つまり後姿…肩背に攴れるようになってこそ本物といえる。

   後光がさすというが、前光よりは後光である。

・・・

(3)【 11月8日 】 ふりこの如く

   時計のふりこは、右にふれ左にふれる。
   そして休みなく時がきざまれる。
   それが原則であり、時計が生きている証拠であると言ってよい。


   世の中も、また人生もかくの如し。右にゆれ左にゆれる。
   ゆれてこそ、世の中は生きているのである。躍動しているのである。


   しかし、ここで大事なことは、右にゆれ左にゆれるといっても、
   そのゆれ方が中庸を得なければならぬということである。

   右にゆれ左にゆれるその振幅が適切適性であってこそ、
   そこから繁栄が生み出されてくる。

   小さくふれてもいけないし、大きくふれてもいけない。
   中庸を得た適切なふれ方、ゆれ方が大事なのである。

・・・

(4)【 11月8日 】  ならぬといふはなきものを

   何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり 
 
            嘉永4年8月17日「父叔父あて書翰」

   【訳】

   何事にあっても、できないということはない。
   できないというのは、やらないだけである。

・・・

(5)《8日 急に働かねばならぬ用事が出来たら病気が治る①》

   フローレンスの博物館に有名なペルセウスの銅像が保存されています。
   その作者たるベンヴェヌント・セリニは、
   その銅像の制作中に急に熱病にかかって家に帰って
   床(とこ)の中で苦しんでいました。

   その時、銅像制作の助手の一人がかけつけて来ました。

   「唯今大雨が降って鋳造中の銅像が駄目になりそうです。早く来て見て下さい。」
   そこでセリニは大急ぎで服装をととのえて、
   鋳造中のルツボの処へ往ってみました。

   大雨のために火が消えて溶かした金(かね)が固まりかけていました。

   彼は熱病の最中であったに拘らず、雨の中で濡れながら薪を運んだり、
   火を燃やしつけ、鞴(ふいご)を吹いたりして
   やっとその鋳造中の鋳物をしあげました。

   その仕事を終ったときに、彼はもうスッカリ病気を忘れてしまって、
   制作の助手たちと一緒に《たらふく》食事をいたしました。

   それ切り病気は何処えやらケシ飛んでしまって
   再発することもなかったのであります。

   病気は心が《なまける》ことによっても起るのであります。
   《なまける》のも心が《ずるけて》、《とどこおる》ことだからです。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P340~341)より

           <感謝合掌 令和6年11月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2024/11/10 (Sun) 04:57:48


(1)【 11月9日 】 

   天父の祝福は、奉仕する人、一途に奉仕する人の労働の上に注がれる。

   The blessings of the Father's rest upon the labors of those
   who would serve - serve - serve.

   (254-18)

・・・

(2)【 11月9日 】 背中が語る②

   人を観るときは、前からより後から見るのがよい。
   前はつくろえるが後はごまかせないからだ。

   後姿の淋しいというのは何よりもよくない。

   逆だと人間が出来たのだ。

・・・

(3)【 11月9日 】 利害損失にとらわれない

   利害損失を考えることは、ある程度やむを得ないけれども、
   あまりそれにとらわれすぎると、
   自分の歩む道を誤ることにもなりかねない。


   学校を選ぶにしても、卒業して仕事を選ぶ場合でも、そうである。
   誰もが給与とか待遇のことを先に考える傾向があるが、
   やはり、自分には何が一番適しているだろうかということを、
   よく考えるべきだと思う。


   必ずしも大会社へ行ったから幸せかというとそうとばかりは言えない。
   人によっては、中小企業へ勤めてかえって用いられ、人生の味というか、
   アヤを知る尊い体験ができて、人間としても成長するということが
   往々にしてあるからである。

・・・

(4)【 11月9日 】  友に負くも 

   国を憂へて友に負(そむ)くも、友を愛して国に負(そむ)かんや。   

            安政6年正月23日「※子遠に与ふる俗牘の後に書す」

   【訳】

   国家を憂えて、友に背(そむ)くことがあったとしても、
   どうして友を愛して、国家に背こうか。背きはしない。

    ※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

(5)《9日 急に働かねばならぬ用事が出来たら病気が治る②》

   心の法則も、電気の法則と同じようなものです。
   それを上手につかえば大変便利なもので、
   人間の幸福を増してくれるものなのです。

   肉体は機械みたいなもので、
   それを操縦する働きをするのも心でありますし、
   それを修繕する働きをするのも心であります。

   同じ栄養分をとりましても、痩せる人と肥える人とが出来るのは、
   心によって栄養分の配達がかわるからであります。

   同じ薬をのみましても、それがきく人ときかぬとがあるのは、
   その薬の成分を、心によって、
   何処へ《どう》運ぶかがちがうからであります。

   心が常に悲しんでいましたら、折角の栄養物も吸収されません。

   悲しむ心は、「こんな悲しい世界にいる位なら、死んでしまいたい」
   と云う心ですから、元気になったら死〇ませんから、
   どんな栄養分も、どんなによくきく薬でも、
   心できかなくしてしまうのです。

   楽しい心は「こんなに楽しい世界なら、いつまでも生きておりたい」と
   云う心ですから、いつまでも生きているためには、
   健康でなければならぬから、健康になるのであります。

   「誰かのために働きたい」と云う心も人を健康にいたします。
   誰かのために働くためには健康でいなければならないからです。

   なまけ心を出さずに人のためになるよう働く決心をして立ち上ったとき
   病気の治った実例は沢山あります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P341~342)より

           <感謝合掌 令和6年11月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2024/11/11 (Mon) 04:59:54


(1)【 11月10日 】 

   主にあっては限界はなにもありません。
   人は疑いと不安によって自分で自分に限界を設けるだけです。

   In Him there are no limitations.
   One only limits self by doubt or fear.

   (2574-1)

・・・

(2)【 11月10日 】 女性に望む

   私は少年の頃幾度も故老から、
   もし旧幕時代に「武士の娘」という教育がなくて、
   あのだらしない江戸武士と、似た者夫婦の女だけであったなら、
   とても徳川幕府はあんなに保てなかっただろう
   という述懐を聞かされた記憶がある。


   男性が女性に掲望する至極のものは、あくまでもゆかしい心情であって、
   決して知識や技術や職業的活動などではない。

   なまなましい現実の必要に肱惑いて、
   軽率に女性の男性化を促すようなことをすれば、
   男性や国家への協力に似て実は恐るべき荒廃に沈む。

   没我の愛とそれによって輝く叡智(えいち)、
   こまやかな心づかい、ゆかしい礼節、そうした心情に養われた
   妻や母が一人でも多くあってこそ、国家は興隆し、外国も懐(なつ)くだろう。

・・・

(3)【 11月10日 】 商品の段位を高める

   いま、新しい開発商品が十品できたとします。
   十品とも碁や将棋にたとえると、初段の資格がある、
   いわゆる一人前の商品として一応は売れていくわけです。

   しかし、そのうちのどれか、これというものを取り上げて、
   一品くらいは永遠に名人として残っていく、
   という姿を生み出すことができないものかと思います。


   今までの姿には、新製品ができて少し日がたつと、
   もう旧製品として消えていくのが当たり前、という考え方がありました。

   しかし初段のものを今度は二段にする、三段にする、四段にする
   ことによって名人までもっていく。
   そういうことをたえず考えていく必要があると思うのです。

・・・

(4)【 11月10日 】  事務を知る者は俊傑に在り

   古人云はく、「儒生(じゅせい)俗吏(ぞくり)安(いずく)んぞ 
   ※1事務を知らん、事務を知る者は俊傑(しゅんけつ)に在り」と。   

            嘉永6年11月6日「※2有吉市郎兵衛あての書翰」

   【訳】

   昔の人がいった。
   「くだらない学者や役人に、どうしてその時になすべきことが分かろうか。
    それが分かるのは、心ある立派な人物だけである」と。

   ※1 事務は時務である。時務とはその時になすべき政務などの課題。

   ※2 肥後熊本藩の家老。 
      嘉永6年、松陰は熊本で有吉を訪ね、教えを受けている。
      ちなみに、この手紙は、『吉田松陰全集』では、
      「嘉永4年11月6日 某宛」となっている。

・・・

(5)《10日 微笑(びしょう)の功徳》

   微笑(びしょう)は
   神様のつくりたまえる完全な世界を現像するに必要な光です。

   明るい微笑(びしょう)は、
   魂にさしのぼる太陽の光みたいなものです。

   どんなに陰気くさく曇って見える日にでも
   太陽がさしのぼれば急に生々(いきいき)と
   万物が輝いて楽しく見えてまいります。

   それと同じくどんなに陰気な家庭でも、会社でも、そのうちのひとりが、
   にこにこ楽しそうに、善意に満ちた微笑(ほほえみ)をたたえているとき、
   そしてやさしい喜びに満ちた語調で話すとき、

   たちまち、その家庭が、会社が、楽しくなって、光が射してきたように見え、
   家族も社員も闊達になるものです。

   近江絹糸株式会社で争議がありましたとき、
   工員の神経衰弱が昂じて続々発狂した者が出たのは有名な話です。

   家族や仲間が争って暗い気持ちになっていると病気にかかりやすくなるのです。


   暗い気持は、暗いものを引寄せると云うことは真理です。
   昔から「泣き面に蜂」と云う諺があります。
   泣き面をしていると、益々わるいものが集って来ると云うたとえです。

   眉の間に皺を寄せ、口の縁を下に垂れて
   悲しい顔をしている家族がありましたら、
   その顔を見るだけでも陰気くさく不景気になってまいります。

   口の縁を引き上げ、眉の間をひろげ、目尻をさげて愉快に微笑して御覧なさい。
   心の不景気はふっ飛んでしまいます。

   笑いましょう。微笑しましょう。

   愉快に、楽しく、明るく、笑いましょう。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P342~343)より

           <感謝合掌 令和6年11月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2024/11/12 (Tue) 05:00:13


(1)【 11月11日 】 

   明日のことで思い悩んではなりません。
   他の人が何を為そうと、それを思い悩んではなりません。

   あなたが釈明しなければならないのは自分の為したことであって、
   誰か他の人の行為ではないのですから。

   Fret not thyself of tomorrow or as to what another doeth;
   for thou shalt give an accounting of the deeds done in the body,
   not in someone else's.

   (3213-1)

・・・

(2)【 11月11日 】 現代人の欠陥

   現代人の一般的欠陥は、あまりに雑書を読み、雑学になって、
   愛読書、座右の書、私淑する人などを持たない。
   一様に雑駁・横着になっている。

   自由だ、民主だということを誤解して、
   己をもって足れりとして、人に心から学ぼうとしない。

   これは大成するのに、もっとも禁物であります。

・・・

(3)【 11月11日 】 企業は儲けるべし

   企業というものは、終始一貫、どうすれば合理化できるか、
   どうすればムダな経費が省けるかと、一生懸命汗を流し、工夫し、
   そして苦心惨憺してやっと一定の利益を上げているのです。

   そして利益の大半を税金として納めています。
   企業も国民も、みんなが働いてプラスを生んで、
   税金を納めているから国の財源ができるわけです。

   どこも儲けなければ、税金もおさめられない。
   とすれば国の財源はどこから集め得るのでしょうか。


   企業は儲けてはいけないということであるなら、経営は簡単です。
   努力もいらなければ創意工夫もしなくていいのですから。
   それで国が成り立っていくのであれば何も苦労はいりません。

・・・

(4)【 11月11日 】 勤めざる者の情

   勤めざる者の情(じょう)に三あり、
   曰く、吾が年老いたり。
   曰く、吾が才鈍なり。
   然らずんば則ち曰く、吾が才髙し、学成れりと。 
 
            嘉永4年12月9日「※山田宇右衛門あての書翰」

   【訳】

   努力をしない人の気持ちには三つある。
   一にいう、年をとりました、と。
   二にいう、馬鹿ですから、と。そうでなければ、
   三にいう、私は才能が高く、もう学問は極めました、と。

   ※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
    松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

(5)《11日 自分の顔を研究して①》

   いつも其のままの顔で鏡を見て御覧なさい。
   あなたは楽しい顔をしていますか。
   陰気くさい顔をしていますか。

   若し不愉快な顔をしている習慣があれば、その習慣を破りなさい。
   固い表情をしているならば、その固さを破りなさい。
   固い澄ましている表情をやわらかくして笑って御覧なさい。

   そして、今まで自分の知っている、一番楽しい事を思い浮べるか、
   一番好きな人に逢ったときのことを思い出して
   楽しい表情をして微笑(びしょう)して御覧なさい。

   見ちがえるほどあなた自身の顔が生々と輝いて見えるでしょう。
   そう云う顔は誰からも好かれ、愛され、喜ばれるのです。

   その楽しい時の微笑(びしょう)の感じを思い出して、
   一日に少なくとも、5、6ぺんは微笑(びしょう)することです。

   微笑(びしょう)と云うものは魔術的、奇蹟的な働きをもっているものです。
   常に楽しく微笑(びしょう)して、人々に好い感じを与えると云うことは、
   金(かね)のかからない投資であります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P343~344)より

           <感謝合掌 令和6年11月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2024/11/13 (Wed) 04:57:17


(1)【 11月12日 】 

   自分が正しいと知っているなら、そのまま真っ直ぐ進みなさい。

   Know self is right, and then go straight ahead.

   (1739-6)

・・・

(2)【 11月12日 】 惰眠

   西洋でも東洋でもそうだが、
   有為有能な人に共通しておることは、“惰眠”をせぬことである。

・・・

(3)【 11月12日 】 立場を交換する

   たとえば経営者と労働組合、与党と野党の関係など、
   社会では対立して相争うという姿が各所に見られる。

   その結果、精神的にいがみ合いがあるばかりでなく、
   物事の円滑な進行が妨げられ、そこから大きなロスが生まれている。


   そういう傾向になりがちなのは、
   やはりそれぞれが自分の立場中心にものを見るからではないだろうか。

   自分の立場中心に考えれば、
   どうしても自分というものにとらわれてものの見方がせまくなり、
   全体が見えにくくなってしまう。

   だからときに相手の立場にわが身を置く気持で、
   お互いの立場を交換して考えてみてはどうか。

   そうすることによって相互の理解も深まり、合意点も見出せるのではないだろうか。

・・・

(4)【 11月12日 】  習は必ず風となる

   才学を恃(たの)みて少成に安んずるは※1本藩の弊習なり。
   習(しゅう)は必ず風(ふう)となる。 
 
            嘉永4年12月9日「※2山田宇右衛門あての書翰」

   【訳】

   (ちょっとした)才知や学識があるからといって、
   少しの成功で満足するのは、我が長州人の悪しき習わしである。
   習わしは、必ず、気質となる。

    ※1 長州藩

    ※2 長州藩士 山田宇右衛門。治心気斎は号。
       松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

(5)《12日 自分の顔を研究して②》

   若(も)し面白くない事が起って来たり、
   心配する出来事が起って来ても、
   心配すればするほど物事は悪くなるばかりです。

   心配する代りに、鏡に向いなさい。
   心配の時にはきっと暗い顔をしています。
   眼は輝かず、眉間(みけん)には皺が寄り、口の角は下に垂れ下がって
   実に不快な感じの顔をしています。

   そんな時には、先ず「私は楽しい・・・」と考えなさい。

   「何事が起って来ても、神さまが、その解決法を教えて下さるから私は楽しい! 
    よくなるほかに仕方はない!」と考えなさい。

   そして微笑(びしょう)しなさい。

   そして
   「屹度(きっと)よい考えが湧いてくる。
    神が導き、護って下さるのだもの」
   と考えなさい。

   そして微笑(びしょう)しながら、その問題の解決法を考えなさい。

   苦虫(にがむし)を咬みつぶした時のような顔をしている時よりも、
   屹度(きっと)よい考えが浮んできます。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P344~345)より

           <感謝合掌 令和6年11月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2024/11/14 (Thu) 04:59:40


(1)【 11月13日 】 

   望んでいる治癒がこの体に達成されつつあるという期待をもって
   すべてのことを行いなさい。
   そうすれば本当にそうなる。

   Do all with that EXPECTANCY of that which is desired
   to be accomplished in this body - and it will come to pass.

   (456-1)

・・・

(2)【 11月13日 】 人物の根本①

   人物ということはどういうことをいうのであろうか。
   ……まず看過することのできない根本は何か。

   それはわれわれの活力であり、気魄(きはく)であります。
   性命力
   (これも生の字よりは性のほうがよろしい。
    肉体のみでない、霊を持っているという意味で性命という)
   に富んでいる、つまり神経衰弱的であってはならない。

   意気地がないというのではならない、
   根本において肉体精神を通じて活発々たる、
   焔々(えんえん)たる迫力を持っている、これが大切です。

・・・

(3)【 11月13日 】 部下に使われる

   一般に、形の上では指導者が人を使って仕事をしているようにみえるが、
   見方によっては指導者の方が使われているのだとも言える。

   だから、口では「ああせいこうせい」と命令しても心の奥底では、
   「頼みます」「お願いします」さらには「祈ります」
   といった気持を持つことが大事だと思う。

   そういうものを持たずして、
   ただ命令しさえすれば人は動くと思ったら大変なまちがいである。

   指導者は一面部下に使われるという心持を持たねばならないのである。
   こうした心境があって、はじめて部下に信頼される大将になり得るのである。


   特に大きな組織、集団の指導者ほど、
   この心がまえに徹することが必要だと言えよう。

・・・

(4)【 11月13日 】  尤も恃むべきは

   尤(もっと)も恃(たの)むべきは大丈夫の志気(しき)なり。   

            嘉永5年正月12日以降「※兄杉梅太郎あての書翰」

   【訳】

   最も頼りにすべきものは、心ある立派な君子の気概、志である。

   ※ 兄杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。
    後、民治と改名した。

・・・

(5)《13日 幸福になるには先ず微笑(ほほえ)みなさい①》

   微笑(びしょう)! 
   それから自分は神の子だと考えること。

   其処から人生即ち、人間と世界とに新しい楽しい観方が
   生れて来るのです。

   心が憂鬱に沈んでいたのが、
   愉快に活発に働いて来るようになります。

   肉体は健康となり、すべての調子が整うて来て、
   何事も順調に運ぶようになり、人と人との争いもなくなり、
   すべての人が貴方を祝福するようになって来ます。

   微笑(ほほえ)みなさい。
   喜びなさい。
   そして「私は神の子だ」と思いなさい。

   其処から万事が愉快に解決するようになるのです。

   すぐ、あなたの行(ゆ)き詰っている問題が解決しないにしても、
   微笑するときから、一層すべてがよいように、
   方向がかわってくるのです。

   しかもその微笑(びしょう)が、
   「人間は神の子だ、幸福になるより仕方がないのだ」と云う
   考えから出発したものである場合には、
   更に更に一層あなたを幸福にするのです。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P345~346)より

           <感謝合掌 令和6年11月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2024/11/15 (Fri) 05:01:31


(1)【 11月14日 】 

   内なる静かで小さな声こそが、人を動かす力に命をもたらし、
   その命が人間の奮闘努力の土台となるものを与えるのです。

   Rather in the still small voice from within does
   the impelling influence come to life in an individual
   that gives for that which must be the basis of human endeavor.

   (239-1)

・・・

(2)【 11月14日 】 人物の根本②

   一体、万有一切、光といい、熱といい、あるいは電気といい、磁気といい、
   すべてはエネルギーの活動であり、変化です。

   エネルギーが旺盛でなければ森羅万象もない。

   われわれも根本において性命力が旺盛でなければ、
   迫力がなければ、活力気魄というものがなければ、
   善も悪も何もない。是も非もない。

   活力、気魄を旺盛にする、これが一番大事であります。

・・・

(3)【 11月14日 】 自分を戒めるために

   松下電器では、昭和八年に“遵奉すべき五大精神”を定め発表して以来、
   毎日の朝会で唱和している(十二年に二精神を加え七精神)。

   これはもちろん、社員としての心がまえを説いたものであるが、
   それと同時に私自身を鞭撻するためのものである。

   みんなで確認しあった使命であっても、
   何もなければついつい忘れていきがちになる。
   だから毎日の仕事のスタート時にかみしめる。
   言ってみれば自分への戒めである。


   人間は頼りないものである。
   いかに強い決意をしても、時間がたてばやがてそれが弱まってくる。
   だからそれを防ぐためには、常に自分自身に言い聞かせる。
   自分に対する説得、戒めを続けなければならない。

・・・

(4)【 11月14日 】  小事却つて大害を為す

   大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧みずは勿論の事なれども、
   小事却つて大害を為す事もあるなり。  
 
            嘉永5年5月某日「※山縣半蔵あての書翰」

   【訳】

   大きな仕事をする時には、些細なことなど気に懸けないのはもちろんである。
   しかし、その些細なことが大きな害を引き起こすこともある。

   ※ 長州藩 山縣半蔵、後、宍戸?。明倫館学頭 山縣太華の養子。
         二十歳前後まで、松陰の門人だったが、以後、疎遠となった。

・・・

(5)《14日 幸福になるには先ず微笑(ほほえ)みなさい②》

   「人間・神の子」何という素晴らしい思想でしょう。
   この考えは、貴方をあらゆる方面に高め上げてくれます。

   「人間は神の子だから、何でも出来る。
    善いことなら何でも出来る」と考えなさい。

   心配や取越苦労をしている暇に、
   「人間・神の子、神様に護られているからきっとよいことが来る」と
   考えるのです。

   そして喜びなさい。
   微笑(びしょう)なさい。
   本当に善いことが来るのです。

   そして毎日、善い事が来る前から、
   「既に日々よい事を与えて下さいまして有りがとうございます」と
   感謝するのです。

   感謝すればするほど善いことが来るのです。
   まだ、善い事があなたの前にあらわれなくっても、
   それは既に与えられていて、今、来つつある途上にあるのだ
   と考えるのです。

   そして希望に満ちて毎日あかるく微笑(びしょう)をするのです。

   あなたの境遇でも、あなたの肉体でも、健康でも、
   善いことが来ると云う想像と、希望と、明るい心と、
   微笑(びしょう)とには、きわめて敏感に反応するのです。

        *「眞理」第1巻入門篇 第24章(P346~347)より

           <感謝合掌 令和6年11月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2024/11/16 (Sat) 05:00:31


(1)【 11月15日 】 

   自分が得ている知識に対して、何を為しているかが重要である!
  
   The CONDITION is,
   what does the entity DO ABOUT the knowledge that is gained!

   (342-2)

・・・

(2)【 11月15日 】 人に嫌われぬための五箇条

  一、初対面に無心で接すること
    有能な人ほど、とかく慢心や偏見があり、
    どうしても有心で接する、これはいけない。

  一、批評癖を直し、悪口屋にならぬこと

  一、努めて、人の美点・良所を見ること

  一、世の中に隠れて案外善いことが行われているのに平生注意すること

  一、好悪を問わず、人に誠を尽くすこと

・・・

(3)【 11月15日 】 自分の働きの価値は

   皆さんは自分の働きの価値というものをどのように考えているでしょうか。
   かりに月給が10万円の人であれば、10万円の仕事をしたのでは
   会社には何も残らないことになります。

   私は自分が10万円もらっていれば、少なくとも30万円、
   できれば100万円ぐらいの仕事をしなくてはいけないと考えます。
   そうすれば会社に金が残ります。

   その金は会社だけでなく社会へ還元されるわけです。
   会社から10万円もらって8万円の仕事をしていたなら、会社は2万円損ですから、
   そういう人ばかりだと、その会社は潰れてしまいます。

   会社に働く者としては、
   そういうことを絶えず頭に置いておく必要があると思います。

・・・

(4)【 11月15日 】  志のみ、胆のみ

   君子に貴(たっと)ぶ所のものは志(こころざし)のみ、胆(きも)のみ。
   胆なく志なくんば、則ち区々の才知将た何の用か之れを為さん。 
  
            嘉永6年正月某日「※中村道太郎あての書翰」

   【訳】

   心ある立派な人に大切ことは、志だけである。肝っ玉だけである。
   志がなく、肝っ玉がすわっていなければ、
   わずかな才能や知識があったとしても、何の役に立つであろうか。
   立ちはしない。

   ※ 長州藩士 中村道太郎、後、九郎。松陰の友人、同志。赤川淡水の実兄

・・・

(5)《15日 天地は一つであった》

   聖書には「はじめに神、天地をつくりたまえり」と書いてあります。
   「はじめ」と云うのは「一」であります。
   はじめは神さま一つだけで、総ては一つだったのです。

   その総(すべ)ての一つが
   それが天と地に分れたと云うのであります。

   天地(てんち)と云うのは
   必ずしもこのお空の天と吾々の歩く地面と云うような
   意味ではないのであります。

   陰陽の原理であります。
   陰陽の原理と云うのは、電気でもマイナスとプラスとがあるでしょう。
   そのマイナスが「陰」でありまして、プラスが「陽」であります。

   神さまは姿かたちがないのですから、
   機械で《もの》を拵(こしら)えたりするようにしては
   天地をつくられたのではないのでありまして、

   初めに神さまと云う「すべての《もと》」がありまして、
   それが陰(マイナス)と陽(プラス)との電気になりまして、
   それがいろいろのものに結びあわされて、
   皆さんが生れて来たのであります。

   そこで総てのものは神さまから来た兄弟である
   と云う事が分りましたならば、
   吾々の利己主義と云うものは消えてしまうのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P348~349)より

           <感謝合掌 令和6年11月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2024/11/17 (Sun) 04:54:46

(1)【 11月16日 】 

   汝の日々の努力のうちに主の栄光の現れていることを、
   忍耐をもって、静かに見続けよ。

   Be ye patient; be ye quiet and SEE the glory of the Lord in that
   thou may do in thine efforts day by day.

   (518-2)

・・・

(2)【 11月16日 】 成功の条件

   此れからの急務は形式的資格や功利の追求ではなく、
   心がけを練り、信念識見、才能を養うて、
   仕事の為に、家国の為に、立派に役立ってゆく人物人材の修練養成にあり、
   これが真の成功の条件であります。

・・・

(3)【 11月16日 】 成功するまで続ける

   何事によらず、志を立てて事を始めたら、
   少少うまくいかないとか、失敗したというようなことで
   簡単に諦めてしまってはいけないと思う。

   一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、
   ほんとうに物事を成し遂げていくことはできない。


   世の中は常に変化し、流動しているものである。
   一度は失敗し、志を得なくても、それにめげず、
   辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、周囲の情勢が有利に転換して、
   新たな道が開けてくるということもあろう。

   世に言う失敗の多くは、
   成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。

   最後の最後まで諦めてはいけないのである。

・・・

(4)【 11月16日 】  「学べば為すあり」

   君子の道に志すや、則ち学び則ち思ふ。
   昼日之を学び、暮夜(ぼや)之を思ふ。
   思へば得るあり、学べば為すあり。  

            安政元年11月27日「※兄杉梅太郎あての書翰」

   【訳】

   心ある立派な人が道に志を立てた際には、学問に励み、
   また、それを(我が身にあてて)考えるものである。
   昼間、学問に励み、夜分(その日に学んだことを)考える。
   考えれば得るものがあり、学べば行うべきことがある。

   ※ 兄杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。後、民治と改名した。

・・・

(5)《16日 利己主義は自分を狭く見ている》

   すべて利己主義と云うものは一番不幸な心の状態でありまして、
   世の中の不幸な人はみんな利己主義から起っていると
   見てもいいのであります。

   利己主義と云うものは自分と云うものを、
   ほかの人と対立させて、誰でも自分の敵のように、
   自分の利益を奪うかのように人を非常に狭く見ているものです。

   人を非常に狭く見ていると、自分の心が窮屈になってきまして、
   どうしてものびのびとした気持で生きる事が出来ないのであります。

   のびのびとして生きられなかったらどうしても神経衰弱になったり、
   胃病になったり、生きるのが嫌になったり、
   厭世観を起したりする事になるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P349)より

           <感謝合掌 令和6年11月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2024/11/18 (Mon) 04:50:58


(1)【 11月17日 】 

   ドングリから大きな樫の木が育つのです。
   キリストは馬屋で生まれた赤児でした。

   あらゆる偉大な組織、あらゆる大事業は、
   無限の力に触れた人々の心から始まったのです。

   From acorns great oaks grow.
   The Son of Man was the Babe in the Manger.

   The beginning of all great institutions, of all great things,
   begin first in the mind of individuals who are in touch
   with infinite forces.

   (254-31)

・・・

(2)【 11月17日 】 欲と道

   道徳とは人間の小欲を卻(しりぞ)けて大欲を全(まっと)うすることだ。

   欲を離れて道はない。
   ただ大志あって、コセコセした小欲に拘泥せぬだけだ。

・・・

(3)【 11月17日 】 権威を認める

   一つの会社の経営でも、また個々の責任者が一つの部署を運営する場合でも、
   そこにみなが認めるような権威というものを求めて、
   それに基づいて事を成していくことが能率的、効果的な
   運営をしていく上できわめて大切だと思う。


   会社の創業の精神、経営理念なり使命感、
   あるいは経営者自身の人徳なり熱意、そういったものを
   みなが得心して権威として認めるようになれば、物事が能率的に治まっていく。

   今日では権力というものを否定する風潮が強く、
   さらにそれが進んでいい意味の権威までも認めないような傾向もみられるが、
   それはかえって非能率を生むものであるとも言えるのではないだろうか。

・・・

(4)【 11月17日 】  思ふまいと思うても

   扠(さて)も々思ふまいと思うても又思ひ、
   云ふまいと云うても又云ふものは国家天下の事なり。   

            安政元年12月12日「※兄杉梅太郎あての書翰」

   【訳】

   いやどうも、考えまいとしてもまた考え、
   いうまいとしてもついいってしまうのは、国家天下のことである。

   ※ 兄杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。後、民治と改名した。

・・・

(5)《17日 人間を肉体だと考えるな》

   そこでのびのびとして生きる為には
   世界は一つ、人類は一つ、人間は互に兄弟である
   と云う事を知らなければならないのです。

   自分は神と一つである。
   一切の生きとし生けるものと一つである。

   天地と一つであると云う事を知った時に、
   自分の自覚と云うものが、五尺何寸の十何貫の小さい肉体だ
   と云う考えから解放せられまして、

   ひろびろとした天地と一つの自覚を得る事になりますから、
   利己的なコセコセした事をする必要がなくなるのであります。


   自分と云うものを肉体だけであると考えますと、
   この肉体に属するものばかりを大切に守ろう
   と云う事になるわけでありまして、

   そうして自分の肉体に属するものを引き寄せなければ損になる
   と云う気にもなり、自分の肉体に属するものを人に渡したら
   またそれだけ自分のものが減ると云う気になるものですから、
   吾々は常に利己主義をしていなければならないことになるのです。

   常に人から奪われないように出来るだけ警戒していなければならないから、
   心に取り越し苦労をしなければならない。

   又自分以外のものから出来るだけ奪ってくるように、
   鵜の目鷹の目で見張っていなければならないと云う事になり
   吾々は非常に心を労しなければならない事になるのです。

   それは非常に窮屈な考えでありまして、
   その窮屈さから神経衰弱や凡ゆる病気が起ってくるのです。

   一切の病気は神経衰弱の変形であると云ったお医者さんもあるくらいで、
   精神がしっかりして楽しかったらどんな病気も起らないのであります。

   だからすべてのの病気は利己主義から起ると云っても好(よ)い位です。

        *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P350~351)より

           <感謝合掌 令和6年11月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2024/11/19 (Tue) 05:00:01


(1)【 11月18日 】 

   まずは正しく考えることです!

   First, THINK RIGHT!

   (1645-1)

・・・

(2)【 11月18日 】 二宿・三昧

   二宿

   御互に心して、二宿を去ろう。
   二宿とは宿便と※宿慝(しゅくとく)のこと。
   いかなる医師もこれに異論はない。
   国運、民生も同じである。

   ※宿慝とはかくれた罪過の固まり。人間は結局この二宿で死ぬ。


   三昧(さんまい)

   お互いに三昧を心がけよう。
   現代生活の一大悪弊は、諸種の散乱である。

   心体寂静、邪乱を離るるを三昧という。
   一心不乱、三昧の力は偉大である。

・・・

(3)【 11月18日 】 民主主義と勝手主義

   民主主義というものは、自分がよければ人はどうでもいい、
   というような勝手なものでは決してないと思うのです。

   今日の日本の民主主義はわがまま勝手主義である。
   勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないか、
   というような感じがします。


   民主主義というものは、自分の権利も主張することは認められるが、
   それと同時に他人の権利なり、福祉なりというものも認めてゆかなければならない。

   そういうことをしなかったならば、
   法律によってぴしっとやられるというような
   非常に戒律の厳しいものだと思います。

   それがあってはじめて民主主義というものが保ち得るのだと思うのです。

・・・

(4)【 11月18日 】  有の儘

   人に交はる事は有(あり)の儘(まま)なる事を貴(とうと)ぶ。   

            安政2年3月某日「※松本源四郎あての書翰」

   【訳】

   人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。

   ※ 長州藩士 松本彦右衛門の子。天文・暦・数学教師。松陰の友人。

・・・

(5)《18日 神経衰弱はこうして治る》

   穏田(おんでん)の私の宅で誌友会の集りをして居りました時に、
   一人の人が不眠症にかかって神経衰弱がどうしても治らない。

   苦しいと云う事を云ってお尋ねになりましたが、
   どう云う心を持ったら宜しいかと云う事をお訊きになりましたから、
   私はその方に申上げました。

   「貴方は利己主義なんだ。神経衰弱の人はみんな利己主義だよ。」
   こう申したのであります。

   そうしますとその人は不平そうな顔をして、
   私の云った意味がわからぬらしかったものですから、私は、

   「あなたは利己主義に違いないのです。
    貴方は自分の病気ばかり治りたいと思って居られるでしょう。」

   「そうです、そればかり考えております。」

   「だから貴方は利己主義なんだ。
    自分の体(からだ)治りたい、自分の不眠症治りたいと、
    自分の事ばかり一所懸命考えてほかの人の事は考えてやった事がない。
    それを利己主義と云うのだ。」

   と申しましたら、その人は矢張り不平そうな顔しておられました。

   そのうちに、集りの時間が済みまして、
   多勢の方がお帰りになりましたら、後ろの方にいらっしゃった
   一人の北海道から来た頭の禿げた50位の人が私の前に出て来られまして、

   「先生」と云ってひとつお辞儀して、
   「先生のお蔭で私の神経衰弱が治りました」

   と云われるのです。


   「どうしました」とききますと、

   「実は、私は神経衰弱で不眠症が治らないのを苦しんで、
    頭がぼっとして鍋をかぶったようで苦しくて困っておりました。
    併し先生に直接訊いては失礼だと思ってうしろで控えておりました。

    ところが、さっき神経衰弱の質問があって、その人に先生が
    『神経衰弱は利己主義だ』と言われた途端、私は、
    実に三斗の冷水(れいすい)を浴びたように《ひやっ》としました。

    成る程私は利己主義だった、自分の事以外は考えず、
    自分の事ばかり守ろうとしていたから治らなかった
    と云う事が分ると同時に、頭から一ペンに冷水を浴びせられたように
    《すっ》として、頭のかぶり物がとれたように軽くなって
    治ってしまいました」

   と云ってお礼を言われたのであります。

   そう云う風な実例も時々ありまして、
   道場で、色々御自分の病気の事を質問なさる人がありますけれども、
   却って質問なさる方が治らないで、
   側(はた)から聞いている人が治る事が多いのであります。

   それは、病気を治そうと心に把んでいる人は却って治らず、
   そのままの心で真理をきいている人には、心にぴたりと入りまして、
   真理が本当に分った時に、病気なんて《ない》のですから消えてしまう
   と云う事になるのであります。

   「この“病気”を治して欲しい」と思って
   病気ばかり把んでいる人は却って治らないのです。

   それで「神経衰弱は利己主義だ」ときかされても

   「自分の生活の利己主義なんてそんな講義を聞きに来たのではない。
    私は病気を治して貰いに来たんだ」

   などと考えている人は、心に反省がないから治らないのです。

   そう云う風に、利己主義と云うものは、
   自分の生命(せいめい)を自分の心で小さく限っているのです。

   ここからここまでだけが私だと、小さく限っているものですから、
   のびのびとした生命(せいめい)の力が出て来ないで
   病気にかかりやすいのであります。

   そこで神と私とは一体だと云う気持ちになれば、
   もう天上天下、自分のものであると云う事になり、
   これ以上のびのびした事はないのですから、
   心も楽しく肉体も健康になるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P351~354)より

           <感謝合掌 令和6年11月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2024/11/20 (Wed) 05:02:35


(1)【 11月19日 】 

   今日あなたが持っているものを使いなさい。
   そうすれば、それがあなたの前で展開するにつれて、
   さらなる歩み、さらなる手段が与えられるでしょう。

   Use that in hand.
   Use that ye have today.
   Then as it opens before thee, other steps, other measures may be given thee.

   (1776-1)

・・・

(2)【 11月19日 】 位に素して行なう

   人を指導する立場にある人、
   いやしくもエリートたる者は「其の位に素して行なう」
   ――― 自分の立場に基づいて行なう。

   自分の場から遊離しないで行なうものである。
   現実から遊離するのが一番いけない。


   ところが人間というものはとかく自分というものを忘れて
   人を羨(うらや)んでみたり、足下(もと)を見失って、ほかに心を奪われる。

   職業人としてもそうだ。
   自分の職業に徹するということは、案外少ないものである。

   たいていは自分の職業に不満や不安をもって他がよく見える

・・・

(3)【 11月19日 】 くり返し訴える

   経営者が、その思うところの考え、意志を社員に十分伝え、
   浸透させようとするにはどうすればいいだろうか。


   それは、何よりもまずくり返し話すことである。
   大切なこと、相手に覚えてもらいたいことは、何度も何度もくり返して言う。
   くり返し訴える。

   二度でも三度でも、五へんでも十ぺんでも言う。
   そうすれば、いやでも頭に入る。覚えることになる。


   またそれとあわせて、文字をつづって文章にしておく、ということも大切だと思う。
   文章にしておけば、それを読みなさい、と言えば事が足りる。
   読んでもらえば、くり返し訴えるのと同じことになる。

・・・

(4)【 11月19日 】 肝要の心得

   人の話を徒(いたず)らに聞かぬ事と、聞いた事見た事、
   皆書留め置く事、肝要の心得なり。


            安政ニ年三月某日「*松本源四郎あて書翰」

   【訳】

   人の話をただぼっーとして聞かないこと、
   聞いたことや見たことを記録すること、
   これらは非常に大切な心得である。

   ※ 長州藩士 松本彦右衛門の子。天文・暦・数学教師。松陰の友人。

・・・

(5)《19日 病気は内部の生命力が治す》

   吾々は外から病気を治そうと思っても
   外から治るものではありません。

   手術をして腫物(はれもの)を切除しましても、
   その切除は外科医のはたらきでありますけれども、

   切除されたあとに筋肉を再生せしめ、
   皮膚や粘膜をととのえるのは
   内部からの生命力の働きなのであります。

   その生命力は如何にしたら増大することが出来るのでしょうか。

   それは、限りある「個生命」を無限の「全体の生命」
    ―― 宇宙の生命(せいめい)と一つに
   結び合わすことによってであります。

   然(しか)らば有限の個生命を如何にすれば、
   無限の「個生命」と結び合わすことが出来るでしょうか。

   それは正しき信仰と正しき精神の状態によってであります。

   どんな医者でも名医なら、重体の病人が癒えるか癒えないかは、
   その患者の精神状態の如何にあるかと云うことを
   知っているのであります。

      *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P354~355)より

           <感謝合掌 令和6年11月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2024/11/21 (Thu) 04:57:04


(1)【 11月20日 】 

   障害は常に踏み石として使いなさい。

   あなたを目的や理想から引きずり下ろすような怒りにしてはなりません。

   Use hindrances then ever as stepping-stones
   and not as wraths that would drag thee from thy purpose or from thy ideal.

   (1549-1)

・・・

(2)【 11月20日 】 貧の生き方

   貧乏だから人の世話ができぬというのは間違っている。
   貧乏なら貧乏で情を尽くす道はある。

   むしろ富貴の人の形式的な儀礼より
   遙(はる)かに濃(こま)やかな人間味があるものだ。

・・・

(3)【 11月20日 】 寛容の心で包含

   世の中にはいい人ばかりはいない。
   相当いい人もいるが相当悪い人もいるわけです。

   ですから、きれいな人、心の清らかな人、
   そういう人ばかりを世の中に望んでも実際にはなかなかその通りにはなりません。

   十人いたらその中に必ず美ならざる者も正ならざる者も入ってくる。
   そういう状態で活動を進めているのが、この広い世の中の姿ではないでしょうか。

   そこに寛容ということが必要になってきます。


   力弱き者、力強き者があるならば、両者が互いに包含し合って、
   そこに総合した共同の力を生み出してゆく。

   そういうところにわれわれ人間のいき方があるのではないかと私は思うのです。

・・・

(4)【 11月20日 】  天下才なきに非ず

   天下才なきに非ず、用ふる人なきのみ、哀しいかな。  
 
            安政2年7月14日「※小田村伊之助あての書翰」

   【訳】

   世間に才能のある人がいないのではない。
   それを用いる人がいないだけである。
   何とも悲しいことである。

   ※ 長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

・・・

(5)《20日 宇宙に満ちている無限の癒やす力を信ぜよ》

   正しき信仰によって、
   宇宙に満ちている無限の癒やす力と「自分」とを結び合わすには、
   先ず宇宙には無限の癒やす力が到る処に満ちていることを
   知らなければなりません。

   吾々は信仰が先生のようにはないから、
   どうも先生のおっしゃるようにはまいりませぬと言う人が
   往々あるのですが、

   信仰と云うものは「無い」ものを勝手に想像して
   そしてそれを信ずるのではないのであります。

   自分に恋してもいない女を、
   自分に惚れていると甘く見て有頂天になって瞞(だま)されるのが
   信仰ではないのであります。

   信仰と云うのは、眼に見えない空気のようなものを
   眼に見えない心の中へ、誰かから注(つ)ぎ込んで貰う
   ようなものではないのです。

   信仰は事実を見て《知る》ことなのです。

   宇宙到る処に充ち満ちている大生命の癒やす力は、
   吾々が心の眼をひらいて見れば知ることができるのです。

   野獣には病気はない、野鳥にも病気はない。
   彼らは時々或る自然の脅威に曝されて負傷したり、
   ジャングルの中で怪我をしたり、
   或は猛鳥に襲われて羽をむしられたりします。

   しかし彼らは水を飲むか、ただ穴の中にじっと横たわっているか、
   傷口を舐めるかするだけで治ってしまうのであります。

   何等、他動的な治療法と言うのを行わないのであります。

   吾々の皮膚の傷でも、若しそこへ黴菌でも侵入しさえしなかったらば、
   何ら外科的治療法を講じなくても治ってしまうのであります。

      *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P355~356)より

           <感謝合掌 令和6年11月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2024/11/22 (Fri) 04:59:22


(1)【 11月21日 】 

   あたかも、今晩は神と共に過ごすことになっているかのように、
   毎日を生きなさい。

   そして朝は、今日も自分を人々への奉仕に役立てられることを神に感謝する。

   そのような生き方を心がけなさい。

   Live each and every day as if the evening was to be spent with THY Creator,
   and in the MORNING of each day give thanks to the Creator
   for that thou may be able to give in service and self to others.

   (4185-3)

・・・

(2)【 11月21日 】 むすび

   いかに死すべきかということは唯(ただ)、死を願う消極的な心ではない。
   いうまでもなく、ある偉大な感激の対象を求めて、
   それに向かって没我的になって行く。

   己れを忘れ、あるいは己れを抛(なげうつべき
   ある偉大なる感激の対象を得る生活であります。

   我々が喜んで、勇んで、己れを空しうし、
   己れを忘れて没入して行くような、そういう感激の対象を得ることを、
   大和言葉では「むすび」(産霊)という。

   日本精神を最も活き活きとつかむため、日本精神の真骨頭を把握するためには、
   この「むすび」ということを知ることが、根本の問題であります。

・・・

(3)【 11月21日 】 心をときはなつ

   自由な発想の転換ができるということは、
   指導者にとってきわめて大事なことである。

   しかし、発想の転換ということはさかんに言われるが、
   実際はなかなかむずかしい。

   みずから自分の心をしばったり、せばめている場合が多いのである。


   だから大事なことは、自分の心をときはなち、ひろげていくことである。
   そしてたとえば、いままでオモテから見ていたものをウラから見、
   またウラを見ていたものをオモテも見てみる。

   そういったことをあらゆる機会にくり返していくことであろう。
   そうした心の訓練によって、随所に発想の転換ができるようにしたいものである。

・・・

(4)【 11月21日 】 英雄男児忘るべからざる事

   「人(ひと)にして不仁なる、之れを疾(にく)むこと
    已甚(はなはだ)しければ、乱)らん)するなり」。

    是の言(げん)、英雄男児忘れるべからざる事。  

           安政2年7月17日「※久保清太郎あての書翰」

   【訳】

   「不仁、慈しみの心のない人を甚だしく憎むと、その人は必ず乱をおこす」。

   この言葉、英雄たる男児は、忘れてはいけないことである。

   ※ 長州藩士 久保清太郎。玉木文之進主宰の松下村塾以来の友人。
     後、松陰主宰の松下村塾を助け、また、同志として活躍をした。

・・・

(5)《21日 各種の治療法に就いて》

   ところが人間の世界には無数の種類の治療法があります。

   そして「これこそ真に唯一の権威ある治療法である」と
   主張し合っているのであります。

   併し、それが真に「《唯一の》」治療法であるならば、
   他(ほか)の方法をもってしては治らない、
   その方法のみが治し得なければならないのに、
   他(ほか)の方法によっても治ることがある。

   或は何ら方法を用いないでも治ることがあるのですから、
   その「《唯一の》」治療法と云う「或る方法」も
   実は好(い)い加減なものであって、その「或る方法」の背後に、
   方法ならざる或る癒やす原理が働いているのだと
   云わなければならないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P357)より

           <感謝合掌 令和6年11月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2024/11/23 (Sat) 04:58:02


(1)【 11月22日 】 

   あなたは、
   他の人達があなたに対して何をすべきかということばかりを考えている。

   そうではなく、あなたが、他の人達のために何ができるかを考えなさい。

   Do not consider so much what others should do for or to YOU,

   but what will you do for and towards others?

   (1889-1)

・・・

(2)【 11月22日 】 宗教の目的

   宗教というものは、俗世間を浄めて、
   民衆を正しい道に導く、即ち教化すべきものである。

   だから自ずから俗世間と離れておらなければいけない。

   それを民衆と同じ世界へはいってきて、そうして民衆と同じ様に
   利益だとか、名誉だとか、権力・支配というようなものを要求するようになると、
   これは民衆と同列になって争うことになるわけで、
   そうなると必ずその教団は堕落する。

・・・

(3)【 11月22日 】 弁解より反省

   仕事でもなんでも、物事がうまくいかない場合、
   必ずそこに原因があるはずである。

   だからうまくいかなかったときに、その原因を考えることは、
   同じ失敗を重ねないためにも、きわめて大切である。


   そのことは誰もが承知しているのであるが、
   人間というものは往々にしてうまくいかない原因を究明し反省するよりも、

   「こういう情況だったからうまくいかなかったのだ。
   あんな思いがけないことが起こって、それで失敗したのだ」というように弁解し、
   自分を納得させてしまう。原因は自分が招いたことである、
   という思いに徹してこそ、失敗の経験も生かされるのではないだろうか。

・・・

(4)【 11月22日 】 大丈夫の嫉妬私心ほど

   大丈夫の嫉妬私心ほど畏(おそ)るべき夷狄(いてき)は之れなく候。   

           安政2年9月以降「※桂小五郎あての書翰」

   【訳】

   立派な男子でもついおこしてしまう嫉妬心や、
   自分ひとりだけの利益をはかろうとする気持ちほど、
   恐れなければならない敵はありません。

   ※ 長州藩士 桂小五郎。後、木戸孝允。松陰の親友。

・・・

(5)《22日 治療法には大別して二種ある》

   古(いにしえ)から治療の方法は二種類に大別せられました。

   その一つは霊的の方法であり、
   もう一つは物質的方法(医薬等の方法)であります。

   支那では神農氏(じんのうし)が医薬の法を創(はじ)めたと云われており、
   日本では大国主命の弟、少名毘古命(すくなひこのみこと)が
   医薬を創始したと云うことになっております。

   西洋ではヒポクラテスが医薬の始祖であると云われておりますが、
   彼は霊感によって服用すべき薬剤を教えられて、
   その信念によって投薬したのでありますから
   純粋に物質的医薬と云うよりも多少信仰的治療の方面も加味されていた
   と見えるのであります。

   兎も角、一方には斯う云う物質的治療方法がある、

   他方には加持祈祷によって病気を治すと云う方法があります。

   病気と云うものは何か悪鬼とか悪霊のようなものに
   つかれているのであるから、その悪鬼とか悪霊のようなものを
   追い出せば治るというのであります。

   それで古代日本では大祓いと云うのをやった。
   伊吹祓(いぶきはら)うと云うので、
   息を吹きかける息吹法と云うのをやった。

   仏教では加持と云うのをやる。
   キリストは悪鬼を追い出すと云う方法で癲癇などの病気をなおしました。

        *「眞理」第1巻入門篇 第25章(P357~358)より

           <感謝合掌 令和6年11月22日 頓首再拝>

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