伝統板・第二

2926174
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

神社~今月の言葉(11月) - 夕刻版

2024/11/01 (Fri) 15:23:48


【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和六年十一月)】


明治天皇

  天地も うごかすばかり
  言の葉の まことの道を
  きはめてしがな

  (この広大な天地をも感動させるほどの
   歌の言葉にこめる人の心のまことの道を
   深くきわめたいものである。)

    『明治の聖代』(明治神宮)

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0611/

          <感謝合掌 令和6年11月1日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和六年十一月)】 - 伝統

2024/11/02 (Sat) 04:56:29


 正直の頭(こうべ)に神宿る

    ~ 義経記 ~

   誠心を守って正直に世を渡るものには、
   必ず神の助けがあります。

   誠は宝の集り所であり、正直は一生の宝です。

https://www.shirayama.or.jp/kotoba/k06.html

          <感謝合掌 令和6年11月1日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(令和六年霜月)】 - 伝統

2024/11/02 (Sat) 15:04:42


天照皇太神の宣はく、
人は即ち天の下の神物なり、
須らく静謐を掌るべし

心は即ち神明の本主足たり
心神を痛ましむる莫れ。



     ~ 六根清浄大祓詞 ~


  六根清浄の六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意を指す、
  いづれも人間の感覚器官である。

  この六つの感覚器官を清浄にして穢れにふれないやうに
  することが、すべてを清浄ならしめる根本であり、
  これが六根清浄大祓詞の目的とするところである。

  昔からの言ひ伝へを、天照皇太神のお言葉として権威を
  持たせたのが、ここに引く言葉で、人間といふものは
  神の魂を受けて、この天の下に生まれて来たものである。

  それ故、自分の心の神を静めて静謐の状態に置いておく
  ことが神に対して一番大切なことである。

  又人間の心は神のみたまを受け、それと交通するもの
  であるから、人間の心こそは、神明を知る本体だと
  いふことが出来る。

  それ故、神から頂いたたましひを傷ましめるやうなこと
  があってはならぬ、との意である。

  六根清浄大祓、室町時代に出来たもので、恐らくは当代の
  神道家であった吉田兼倶の作であらうといわれてゐる。

      (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和六年11月<霜月>をクリック)

          <感謝合掌 令和6年11月2日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和五年十一月)】 - 伝統

2024/11/03 (Sun) 04:57:28


今上陛下

  御社の 静けき中に
  聞え来る 歌声ゆかし
  新嘗の祭

  ― 宮内庁 平成二十六年歌会始 お題「静」

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0511/

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202311.pdf

          <感謝合掌 令和6年11月2日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和五年十一月)】 - 伝統

2024/11/03 (Sun) 19:15:20


 泰山北斗の如し

    ~ 唐書 ~

   気高き山や北斗七星は、いずれも人々に仰ぎ見られる事から
   吾々も人々から尊敬されるような人間になれるように
   努力致しましょう。
    (泰山は中国の名山)

http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k05.html

          <感謝合掌 令和6年11月3日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(令和五年霜月)】 - 伝統

2024/11/04 (Mon) 04:53:18


人は即ち天下の神物なり.
心神を痛ましむるなかれ。

神は重るる祈祷を以て先とし、
冥は加ふるに正直を以て本となす

     ~ 伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記 ~


  ここに引いた御鎮座伝記は伊勢の神道五部書の一つで、
  大体鎌倉の神道思想を代表したものである。

  最初の
  「人は即ち天下の神物なり.心神を痛ましむるなかれ」
  も句は室町時代の吉田神道にも受けつがれ、

  その六根清浄大祓のうちにも
  「天照大神の宣はく、人は即ち天下の神物なり・・・
   心神を痛ましむるなかれ」よして受け継がれている。


  次の「神は重るる祈祷を以て先とし、
  冥は加ふるに正直を以て本となす」の句は、
  江戸時代の山崎闇斎の垂加社語のうちにも

  「神垂祈祷、冥加正直、我願くば之を守り、
   身を終わるまで惑ふことなからん」

  と語られ、彼の神道を垂加神道と称した由来が
  知られている。

  右(上)の「人は即ち天下の神物なり」との宣言は、
  天下の人間はすべて、神の「みたま」を受けて、
  此の世に生まれてきたものであるという神道の
  第一の宣言である。

      (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和五年11月<霜月>をクリック)

            <感謝合掌 令和6年11月3日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和四年十一月)】 - 伝統

2024/11/04 (Mon) 15:20:35


夏目漱石

  やろうと思わなければ
  横に寝た箸を
  竪(たて)にする事も出来ん

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202211.pdf

          <感謝合掌 令和6年11月4日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和四年十一月)】 - 伝統

2024/11/05 (Tue) 04:53:38


  人は惟(こ)れ邦(くに)の本(もと)なり

    本(もと)固(かた)ければ邦(くに)寧(やす)し

      ~ 書経  (原文は【民惟邦本】) ~

   人は国の根本であり、その根本を固めれば国は安泰であります。
   情報にまどわされず良い国を築きましょう。

http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k04.html


          <感謝合掌 令和6年11月4日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁、11月のことば(令和四年霜月)】 - 伝統

2024/11/05 (Tue) 15:27:18


 朝よひに物喰ふごとに豊宇気の 神のめぐみを思へ世の人

        ~ 本居宣長・玉鉾百首~

日本全国の神社のうちで、稲荷神社が約3分の1で、
その最首に位する。

それほど、イナリの信仰は一般に普及し、且つ一般の生活に
直結するものとして、広く信仰されている。

「豊受の神」とは「立派な食物の守護神」の意味で、
伊勢神宮の外宮は「豊受大御神」を祀り、
伏見の稲荷大社では「宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)」
(食物を食物たらしめている根元の魂)を奉祀している。

そのいづれにしても農耕時代には、五穀豊穣の祈りに応える神であり、
商工業の時代から今日の労働時代に於いても、
物を食わねば生きられぬ現実に即しても、「食べ物の守護神」・
「食物を食物足らしめている魂の神」のご加護がなければ、
生命をつないでいけぬ。

その意味でいつの世になっても、朝晩人々は食事をする度ごとに、
この「豊受の神」のお蔭によるものであることを銘記すべきであるとした、
この歌は、くりかえしつつ顧みられてよい。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和4年11月<霜月>をクリック)

          <感謝合掌 令和6年11月5日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和三年十一月)】 - 伝統

2024/11/06 (Wed) 04:55:16


世阿弥

上手は下手の手本
下手は上手の手本なりと
工夫すべし


「人のふり見て我が振りを直せ」の格言がありますが、
世阿弥は下手にも得意な芸があり、上手の及ばない芸もあると言います。

優れた役者になるためには常に慢心せず
謙虚な心で他者から学ぶなど芸に対する
たゆまぬ工夫が必要であると説きます。

『風姿花伝』

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0311/

https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202111.pdf

          <感謝合掌 令和6年11月5日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和三年十一月)】 - 伝統

2024/11/06 (Wed) 15:04:49


  士気は無(な)かるべからず

      ~ 呻吟語 ~

   「士気」つまり人間としての誇りとは、
   自分と他人の別を わきまえ、あくまでも正しい道を守って、
   他人と迎合しないということが肝要なのであります。



     明治天皇御製

       いかならむ 時に逢うとも 人は皆 
         
            眞(まこと)の道を 踏(ふ)めと教えよ 

http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k03.html


          <感謝合掌 令和6年11月6日 頓首再拝>

【今月の北海道神社庁、11月のことば(令和三年霜月)】 - 伝統

2024/11/07 (Thu) 04:56:53


  志を立つることは、大にして高くすべし、
  小にして、低ければ、小成に安んじて成就しがたし

       ~ 貝原益軒・五常訓 ~


  青年よ大志を抱けと説いたクラークの言にも似たものがある。
  初めから低い、小さい理想を懐いていたのでは大人になれない。

  大志を抱いても、成就することは難しいかもしれぬ。
  然し小志を懐いていたのでは、
  それが実現しても小さい志しか達成されない。


  低い所に理想を置くのではなく、
  一つひとつ昂めていく努力を怠らないこと。
  その努力がこれを達成せしめよう。

  倦まず、たゆまない努力をつづけていけば、必ず手にすることが出来る。
  これを手にするとは、身体にそれだけの実力がついた証拠である。

  他人に出来るなら自分にも出来ぬことはない
  という理想に燃えることである。

  仕事でも学問でも同じことである。
  大志は抱くことがよい。

  それが実現するか、しないかは。
  その人の努力如何にかかる。

  「大志と努力」
  この2つは離れることはできない。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和3年11月<霜月>をクリック)

          <感謝合掌 令和6年11月6日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和ニ年十一月)】 - 伝統

2024/11/07 (Thu) 14:37:12


佐久間象山


士は過ちなきを貴しとせず
過ちを改むるを貴しと為す


   失敗しない事のみを
   優先するよりも
   一所懸命に取り組んだ末の
   失敗を正す事にこそ
   人の成長がある

   (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0211/

    (https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202011.pdf

          <感謝合掌 令和6年11月7日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和ニ年十一月)】 - 伝統

2024/11/08 (Fri) 04:54:59


  中(うち)に誠あれば外(そと)に形(あらわ)る

              ~ 大学 ~


    自分の良心に誠意が伴えば、努力が無くとも
    自ら周囲の人々に認められるものであります。

    疫病には先ず自分に心を致し、周囲の人々にも
    思いやりの心を以って接しましょう。

    (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k02.html

          <感謝合掌 令和6年11月7日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(令和ニ年霜月)】 - 伝統

2024/11/08 (Fri) 14:00:07


 目に見えぬ 神にむかひいて はぢざるは 人の心の まことなりけり

          ~ 明治天皇御製 ~

  目に見える現実的な相手が目の前におれば、
  その相手に応じていかにも相対応することが出来る。

  しかし神は目には見えないが、実在せられる。
  その目には見えない神に向かっても恥ずかしくない
  自分を持ち続けるのは、その人の「誠」以外にはない。

  誰が見ていなくても、神だけは、どこからでも見ていられる。

  その神に対しても恥ずかしくない自分を常に維持していくためには、
  「誠」以外にはない。

  常にどこにあっていつでも、人の道として大切なことは、
  「誠」の心である旨を強調された御製である。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

   (https://hokkaidojinjacho.jp/
     → 「今月のことば」令和2年11月<霜月> をクリック )

          <感謝合掌 令和6年11月8日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和元年十一月)】 - 伝統

2024/11/09 (Sat) 04:57:30

 上皇陛下

  父君の にひなめまつり しのびつつ 我がおほにへの まつり行なふ


   ( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0111/ )
    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201911.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月8日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(令和五年霜月)】 - 伝統

2024/11/09 (Sat) 15:04:56


人は即ち天下の神物なり.
心神を痛ましむるなかれ。

神は重るる祈祷を以て先とし、
冥は加ふるに正直を以て本となす

     ~ 伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記 ~


  ここに引いた御鎮座伝記は伊勢の神道五部書の一つで、
  大体鎌倉の神道思想を代表したものである。

  最初の
  「人は即ち天下の神物なり.心神を痛ましむるなかれ」
  も句は室町時代の吉田神道にも受けつがれ、

  その六根清浄大祓のうちにも
  「天照大神の宣はく、人は即ち天下の神物なり・・・
   心神を痛ましむるなかれ」よして受け継がれている。


  次の「神は重るる祈祷を以て先とし、
  冥は加ふるに正直を以て本となす」の句は、
  江戸時代の山崎闇斎の垂加社語のうちにも

  「神垂祈祷、冥加正直、我願くば之を守り、
   身を終わるまで惑ふことなからん」

  と語られ、彼の神道を垂加神道と称した由来が
  知られている。

  右(上)の「人は即ち天下の神物なり」との宣言は、
  天下の人間はすべて、神の「みたま」を受けて、
  此の世に生まれてきたものであるという神道の
  第一の宣言である。

      (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和五年11月<霜月>をクリック)

            <感謝合掌 令和6年11月9日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和元年十一月) - 伝統

2024/11/10 (Sun) 04:56:08


 陽気発する処 金石(こんせき)亦透(とお)る

            ~ 朱子語類(朱熹) ~


  (全精神を一事に傾注して努力すれば、
    何事でも成就しないことはないのであります)

     ( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html )

            <感謝合掌 令和6年11月9日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(令和元年霜月)】 - 伝統

2024/11/10 (Sun) 13:22:54


 あめつちの 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を

          ~ 昭和天皇御製 ~


 (説明)

  昭和8年の正月の宮中御歌会に於ける「朝ノ海」の御題の御詠。

  四海波穏やかな国たらしめたいというのが、
  陛下の常日頃のお変りのない御念願である。

  浦安の舞のこの御歌は多忠朝氏によって舞詠化され、
  今日に於いても、各神社で詠舞されている。


  『朝なぎの海』は『波たたぬ世』の静かにして穏やかさを形容している。
  そうした平穏な世を天神地祇のあらゆる神々に祈られる陛下のお気持ちが、
  この御歌の内に横溢している。

  終戦のご詔勅の『万世のために太平を祈られる』
  お気持ちと相通ずるものがある。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

 (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
    → 「今月のことば」令和四年11月<霜月>をクリック)

            <感謝合掌 令和6年11月10日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成三十年十一月)】 - 伝統

2024/11/11 (Mon) 04:53:27


 賈誼

  愛出(い)ずる者は愛返り

  福住(ゆ)くものは福来(きた)る



    人を愛すれば、人もまた自分を愛し、

    善行をすれば、幸福がやってくる。

    『新書』


 賈誼 (かぎ)

  中国前漢時代の政治思想家・文章家。
  文帝のとき、年少でありながら諸家の書に通じ
  文章に優れていることから博士に抜擢され、
  さらに太中大夫を授けられる。

  儒教と五行説に基づく制度を献議したが中傷により左遷。
  のちに再び信任され、梁懐王の太傳となり国防政策等を上奏した。
  著作『新書』が伝わる


  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3011/

   ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201811.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月10日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成三十年 十一月)】 - 伝統

2024/11/11 (Mon) 14:13:54


 人(ひと)以(もっ)て恥なかるべからず


        ~ 孟子・心盡上 ~

 
 (説明)

 人は恥という気持ちをなくしてはいけない。

 日本の武士道は、面目を失うことや
 名誉が汚れることを恥としました。

 名誉を取り返すことを恥(辱)を雪(すす)ぐと言います

     (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html )

         <感謝合掌 令和6年11月11日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(平成30年霜月)】 - 伝統

2024/11/12 (Tue) 04:58:29


 皇国学は我が大和魂を磨くにあり

          ~ 吉田令世・宇摩実道 ~


 (説明)

 皇国元来の学問をすることは日本人として根本の学問である。

 神道が日本の根本を積み重ねることにある以上、
 神道が神職の根本の学問だといわねばならぬ。

 そこに心がなければ、見れども見えず、聞けども聞こえずである。


 神職が神道全般について一応の知識・教養を持つのはよい。
 然し、「神」とは何ぞや、神を自分のものとし、
 神から本当のものを敢えて習うことが、最も必要である。

 そのために古典を読むのである。


 古典を読むとは、古典の根本を自分のものにすることである。
 古典の根本とは神の姿、神の在り方を自分のものにすることである。

 つきつめれば 「大和魂」 をしっかり掴むことを第一とする。


 神道人らしい神道人とは、神をしっかり掴めた人のことである。
 然し、しっかり根本義を掴むことは容易なことではない。
 日にあらたに努力の連続であらねばならぬ。

 慎しんで怠ることなかれである。

 
   
    吉田令世は幕末、神道に精進した先輩である。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

  (https://hokkaidojinjacho.jp/
     → 「今月のことば」平成30年11月<霜月> をクリック )

            <感謝合掌 令和6年11月11日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成ニ十九年十一月)】 - 伝統

2024/11/12 (Tue) 19:19:09


  世阿弥

   命には終りあり

   能には果てあるべからず


 (説明)

  世阿弥著「花鏡」の一節。

  死は誰にでもくる避けられない宿命であるが、
  役者の能芸にはこれで良いという終点があってはならない。


  (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2911

   ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201711.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月12日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成ニ十九年十一月)】 - 伝統

2024/11/13 (Wed) 04:55:30


 人至(ひといた)って察(さつ)なれば、

  則(すなわ)ち徒(と)なし


        ~ 孔子 家語 ~

 
 (説明)

 人の行いの細かいところをとがめ、
 干渉すると水平の関係では嫌われ、
 上下の関係ではやる気を失う。

 その結果、人が集まってこなくなるものである。

 「小禍を寛(ゆる)し、大網を総(す)ぶるのみ」の
 思想をもちたいものであります。

     (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )

            <感謝合掌 令和6年11月12日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(平成29年霜月)】 - 伝統

2024/11/13 (Wed) 15:39:12


 良馬は毛にあらず、

   士たるはその志にあり

          ~ 尾藤二州・約山詩集 ~


 (説明)

 あいつは毛並みがよい奴だとよくいわれる。
 しかし、人間の表皮の毛がよいのではない。
 士(紳士)たるものの美しさ、光というものは、
 その志の如何にかかるのである。

 競馬にも毛並みのよい馬は推薦される。
 騎手はその毛並みを整えるのに苦労している。

 人間が紳士として尊ばれ、敬われるのは、その外形からではない。
 その人格・人柄によってきまるのである。
 その人格・人柄の良し、悪しというものは、
 その人の心の持ち方によってきまる。


 志とは、心の持ち方のことである。
 特に、神職の志は、神のみ心を手本とすることが第一である。
 神のみ心に反する行いをしたのでは、神の道に反することになる。

 神職の毛並みのよさは、神のみ心に叶うかどうかによって決まる。
 自らが率先して、神のみ心を示すものになる以外は、
 神職の生き方があるのであろうか。

  尾藤二州は江戸末期の漢学者である。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)


  (https://hokkaidojinjacho.jp/
     → 「今月のことば」平成29年11月<霜月> をクリック )

            <感謝合掌 令和6年11月13日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十八年十一月)】 - 伝統

2024/11/14 (Thu) 04:54:20



  荒木田守武

   世の中に親に孝ある人はただ   

       何につけても頼もしきかな



 (説明)

  両親に孝行をつくせる人は、どんな時でも誠実で頼もしい。


  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201611.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月13日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成ニ十八年十一月)】 - 伝統

2024/11/14 (Thu) 14:52:09


 禍(わざわい)は細微(さいび)に起(お)こる


        ~ 説苑 ~

 
 (説明)

 災難はちょっとした些細なことが原因で
 取り返しのつかない事態を招くものである。

 何か問題が起こっても、些細なこととして目をつぶろうとすると、
 その結果問題をこじらせていよいよ解決を難しくする。

 したがって「細微」の段階で対処することが、禍を未然に防ぐことになる。

     (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )

            <感謝合掌 令和6年11月14日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(平成28年霜月)】 - 伝統

2024/11/15 (Fri) 04:59:57


 世の中の人の本の本末思はずて

   末の本いふがおろかさ

          ~ 本居宣長・鈴屋集 ~


 (説明)

 何事につけても、世には根本の道理、歴史を掴んで、
 大筋を立てて行くことが肝要である。

 宣長の自撰和歌集たる鈴屋集の中で本居宣長は採りあげた
 「本の本末」とは、我が国の根本の道義、歴史と末梢的なことの
 区別を明らかにすべきことを言ったもので、

 日本人が日本の道の根本を思はず、末の世の外国から来た
 知識や思想に踏み迷へ、自分の国本来の在り方を忘れてゐる
 ことに対する警告だと見ることができる。

 神道を説くについて古事記・日本書紀等の古典に、
 道の本源を尋ねることを忘れて、世界の宗教学だけに、
 今日生きる道を求めようとしてゐる愚に警告を発した
 ものといふべきである。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

  (https://hokkaidojinjacho.jp/
     → 「今月のことば」平成28年11月<霜月> をクリック )

            <感謝合掌 令和6年11月14日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十七年十一月)】 - 伝統

2024/11/15 (Fri) 15:09:51


  橘弘政

   恩を受け 恩を恩とも おもふなら

         恩を報ずる 心あるべし




 (説明)

  人から恩を受け、その恩を本当に感謝しているならば

   常にその恩に報いるだけの心構えでいるべきである


  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201511.pdf )
    ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201511.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月15日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成ニ十七年十一月)】 - 伝統

2024/11/15 (Fri) 19:01:20


 久安(きゅうあん)を恃(たの)むなかれ


        ~ 菜根譚 ~

 
 (説明)

 長く続いた平穏無事な状態を頼りにしてはならない。

 好調がいつまでも持続するという保証は何もないので、
 逆に好調なときこそ一層気持ちを引き締めて、やがてくる
 危機に備え十分な用意をしておくことが望まれるのである。

     (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html )

            <感謝合掌 令和6年11月15日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(平成27年霜月)】 - 伝統

2024/11/16 (Sat) 04:58:26


 大神の道はかしこし天地(あめつち)の

   萬(よろず)の物の出で来る見れば

          ~ 本田親徳・霊魂百首 ~


 (説明)

 神道は「産霊(むすび)の道」であるといわれる。
 「産霊の道」とは生成化育・修理固成の道である。

 それは、この天地も、大地の上のあらゆる生物が、
 芽を出し、育ち伸びていく姿を見ても、かくあらしめている、
 すべてのものを生み、育て、伸ばす大きな力が
 この天地間に存在することを知り得る。

 神道をいって、すべてのものを生み、育て、伸ばす大きな力に
 対して感謝し、この大きな力の発現を祈る道です。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

  (https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
     → 「今月のことば」平成27年11月<霜月> をクリック )

            <感謝合掌 令和6年11月15日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十六年十一月)】 - 伝統

2024/11/17 (Sun) 00:15:42



 中西直方

  日の本に生れ出でにし益人は
  
     神より出でて神に入るなり



 (説明)

  日本人はすべて
  神のもとから「生命=神霊(みたま)」をいただいて生まれ、
  死に際しては、再び神のもとへ還っていくのである。

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201411.pdf )
   ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201411.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月16日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成ニ十六年十一月)】 - 伝統

2024/11/17 (Sun) 14:48:20


 和(わ)して流(りゅう)せず


        ~ 中庸 ~

 
 (説明)

 まわりの人々と協調はするけれども流されないという意味で、
 流されないとは、自分の判断をしっかりと持っているので、
 必ずしも人の意見に左右されないということである。

 【中庸】

 儒教における重要な書物「四書」の一つ。
 中庸とは儒教における最も尊ぶべき考え方。
 本の成立及び作者は不明だが、古くより多くの人々に読まれてきた。

     (http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )

            <感謝合掌 令和6年11月17日 頓首再拝>

【北海道神社庁、11月のことば(平成26年霜月)】 - 伝統

2024/11/18 (Mon) 15:09:44


 天地(あめつち)の神のめぐみしなかりせば

   一と日夜もありえてましや

          ~ 本居宣長・玉鉾百首 ~


 (説明)

 天地の神の恵みがあればこそ、毎日の生活も事もなく送ることが出来る。
 自分が生まれるについては、すでにその背後に祖先・両親のお蔭がある。
 世に生まれ出で衣食住の満足に出来るのも、天地人総てのお蔭である。


 更に自分達の生きている国土も自分達の造ったものではなく、
 天地の神の賜物であり、呼吸して生きられる息も
 天地の神の恵みに外ならない。


 それを思うとき、こうして生きていられるのは、
 大小となく、天地の神の恩恵によらざるはない。
 ここに自分が生きているのではなく、
 生かされている道理がある。


 神あっての自分であり、
 神の懐に抱かれて生かされていることに対して、
 感謝と報恩の念を持つべきであります。

       (神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

  (https://hokkaidojinjacho.jp/
     → 「今月のことば」平成26年11月<霜月> をクリック )

            <感謝合掌 令和6年11月18日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十五年十一月)】 - 伝統

2024/11/19 (Tue) 15:32:46


 本居宣長


  朝よひに 物くふごとに 豊宇気の

     神のめぐみを おもへ世のひと



 (説明)

  朝も夕も食べ物をいただくたびに、
  食べ物の神様である豊受大神の恵みに感謝すべきである。

       出典『玉鉾百首』

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201311.pdf )

   ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201311.pdf )

            <感謝合掌 令和6年11月19日 頓首再拝>

【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成ニ十五年十一月)】 - 伝統

2024/11/20 (Wed) 15:22:43


 功過(こうか)は少しも

    混(ま)ず容(べ)からず


        ~ 洪応明「菜根譚」 ~

 
 (説明)

 功績があればきっちりと評価して賞を与え、
 過失があれば罰することが必要である。

 これをあいまいにすれば指導力が疑われ、
 周囲の人はやる気を失ってしまう。

            <感謝合掌 令和6年11月20日 頓首再拝>

【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十四年十一月)】 - 伝統

2024/11/21 (Thu) 13:08:56


 若山牧水


  白玉の歯にしみとほる秋の夜の

     酒はしづかに飲むべかりけり




 (説明)

  秋の夜長、ひとり静かに酒を飲み、来し方行末を思い人生を考える。

  みんなで楽しく飲む酒もよいが、
  心を清ましてひとり飲む酒はまた格別の味わいである。

          『路上』

  (http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201211.pdf )

   ( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201211.pdf )


            <感謝合掌 令和6年11月21日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.