伝統板・第二

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祈り(9) - 伝統

2024/10/13 (Sun) 09:50:43


祈り

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月13日)より

祈りと思念は宇宙の大自療力に触れるところの道である。
しかし祈っても思念しても治らない人もあるのはなぜであろうか。

祈りはけっして口先だけの業(わざ)ではないのである。

それは精神を高揚したる状態であり、信仰の高調したる状態であり、
ハッキリと神の恵みを確認したる状態であり、
健全なる想念の持続したる状態であり、
悪の存在を全的に否認して、神の存在のみを全的に承認したる状態である
からである。

だからこの精神状態に達しえない祈りや思念においては、必ずしも完全に
効果を挙げることができないのである。

キリストが
「もし芥子種ほどの信だにあればこの山に動いて海に入(い)れと言うと
 いえども必ず成らん」といった所以である。



・・・

<関連Web>

(1)本流宣言掲示板「人は何のために「祈る」のか (4612)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=965

(2)光明掲示・第一「祈りとは」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1417 (消滅)

(3)光明掲示板・第二「「不断念仏」「平生業成」」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2014(消滅)

(4)伝統板・第二「祈り」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818447

(5)伝統板・第二「祈り(2)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7543475 

(6)伝統板・第二「祈り(3)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7738427

(7)伝統板・第二「祈り(4)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7866654

(8)伝統板・第二「祈り(5)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7980268

(9)伝統板・第二「祈り(6)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8139198

(10)伝統板・第二「祈り(7)」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8254440

(11)伝統板・第二「祈り(8)」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8319284

          <感謝合掌 令和6年10月13日 頓首再拝>

祈りの効果は、自分の心の調節いかんにある - 伝統

2024/10/14 (Mon) 11:54:43


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月14日)より

ラジオが鳴り出すのは、
ラジオ・セットそのものの中の機構の調節によるがごとく、
祈りが効果をあらわすのも、自分の心の調節いかんにあるのである。

われわれがラジオ・セットの調節を誤って、
ラジオが鳴り出さないときにも、
放送局の放送はプログラムのとおりに《ある》と同じように、

われわれの心の調節を誤って、
神の恵みが現実世界にあらわれてこない時にも、
依然として神の恵みは、宇宙に充つること
あたかもラジオ波(なみ)のようにである。

祈らないでも神の恵みは充ち満ちているが、
本当の祈りによって、その心境になったとき
現実世界に、その恵みがテレビジョン化して現われてくるのである。

           <感謝合掌 令和6年10月14日 頓首再拝>

神を讃美する祈り - 伝統

2024/10/15 (Tue) 10:57:50


       *「光明法語(10月15日)」より

天の父われに在(いま)してみ業(わざ)を成し給う式の祈りは、
天の父のみ業の荘厳極(きわま)りなく美しき事を認め、
ただ讃(ほ)め称(たた)えるだけで好いのである。

観と讃嘆である。

此の種の祈りは長時間やってもつかれる事はない。

天の父の無限の力が流れ入って
却って心気爽快、再生の思いがするものである。

聖書によれば、
イエスは常に暁方(あけがた)に山に入って長時間祈っていたらしい。

彼はそれによって力を得、実際病いを治す時には、
「神が成し給う」と思うだけで、祈りもしないで、
「起ちて歩め」と言ったようである。

          <感謝合掌 令和6年10月15日 頓首再拝>

「祈り」は願望実現が目的でない - 伝統

2024/10/22 (Tue) 11:07:18


          *「光明法語(10月22日)」より

神様にまかす位ならば、「祈り」の必要はない。
「祈り」をするのは自分の願いをかなえる為であって、
祈りに志向性はつきものである。

自分の願いがないならば「祈る」必要はない
 ―― と考えるのは間違いである。


「祈り」と云うものは、
「親なる神」と「子なる人間」との人格的交わりとして
欠くべからざる人間の行事なのである。

だから、潜在意識の深き願いは、神のみこころでなくても
「心の影」として実現するのである。
だから、欲するものを実現するばかりが祈りではないのである。

        <感謝合掌 令和6年10月22日 頓首再拝>

神様が味方するすごいお祈り - 伝統

2024/10/27 (Sun) 11:09:18

神様が味方するすごいお祈り
佐川 奈津子(著)
https://www.digigi.jp/bin/showprod?c=2048754600006

著者による「祈り」
佐川 奈津子(2019/08/08)
https://www.youtube.com/watch?v=4HBK6Tq0JXI

<目次より抜粋>

【祈りの法則Ⅰ】わたしたちはたったひとつの愛に戻っていく

【祈りの法則Ⅱ】ゴールはたったひとつの愛に戻ること

【祈りの法則Ⅲ】祈りは完璧な存在によって完璧に成される

【祈りの法則Ⅳ】完璧な存在に感謝をするだけでいい

【祈りの法則Ⅴ】今、ここで感謝をする

【祈りの法則Ⅵ】祈りは約束してきた出逢いを速める

【祈りの法則Ⅶ】ほんとうの愛以外の事柄はすべて浄化されていく

【祈りの法則Ⅷ】二人以上で祈るとパワフルに現実化される

【祈りの法則Ⅸ】小さな感謝は大いなる存在への感謝につながっている

        <感謝合掌 令和6年10月27日 頓首再拝>

祈りの「声」と「コトバ」 - 伝統

2024/11/15 (Fri) 11:11:55


     *「光明法語」(11月15日《「声」と「コトバ」》)より

祈りには自力の祈りと、他力の祈りとがある。
自力の祈りは、洗礼のヨハネの如く 「曠野(あらの)に叫べる声」 である。
曠野とは、そこに神の生命が満ちていないと云う意味である。

人と人とは個々に孤立していて、
神の生命によって互いにつながっている自覚がないのである。
互いに呼び交わす声は、声にとどまり、
互いに意味が疎通する 「コトバ」 にはなっていない。

互いに意味が疎通するには一人の生命の動きが神と云う共通の媒介によって
他の人々の生命の動きと共感しなければならぬ。

            <感謝合掌 令和6年11月15日 頓首再拝>

《一切衆生のための祈り》 - 伝統

2024/12/01 (Sun) 11:25:58


        *「光明道中記」(12月はじめの祈り)より

わが毎朝念ずる衆生のための祈り――

私の生命は宇宙の生命と一体である。
されば吾は宇宙の凡てのものを知っているのである。

わが生命は神と一体なるが故に、わが欲(おも)うところは、
神必ずこれを成し給うのである。

光が昇れば隈なくすべての所を照らすが如く、
暗(やみ)のあるところにわが光明思念は必ず
行き亘り、悩みのあるところにわが念ずる光明の言葉は満ち亘るのである。

われは光明思念をすべての悩みありと迷える人々に送る。
送るに随って人々の悩みは消えるのである。

与えれば与えるほど殖えるのが法則であるが故に、
このことによって吾が光明は愈々輝き、
吾が健康は愈々増進するのである。

病める者、悩める者、重荷を負える者に、
われは「光明思念」の導管より生命の水を送るのである。

「今より後、罪も病も死も貧も争いも一切の不調和もなし」

われは今「光明思念」を放送する。わが光明思念は、
われを通して流れ出でたる神の生命であるから、
その光明思念は宇宙全体に充ちひろがり、すべての悩める者を癒すのである。

神よ、わが祈りを聴き給いしことを感謝します。

        <感謝合掌 令和6年12月1日 頓首再拝>

神様が味方するすごいお祈り/佐川奈津子 - 伝統

2024/12/03 (Tue) 10:51:04

神様が味方するすごいお祈り/佐川奈津子 著
愛を学ぶ宇宙美容部♡ゆき(2021/10/11 )
https://www.youtube.com/watch?v=OZcqPfDeubs

        <感謝合掌 令和6年12月3日 頓首再拝>

神と《とも》に祈る - 伝統

2024/12/08 (Sun) 11:30:22


       *「光明法語」(12月8日)より)

神よ、生きとし生ける者を生かし給える吾等の《みおや》なる神よ。
わたし自身の本来のものでない願いを、
わが胸より去らしめ給え、わが心を浄め給え。
わが魂の切なる願いのみを願うことが出来る様になりますように   
 <今日の祈り>

自分が真に何をもとめているかを知らない人が随分多いのである。

そして自分のものでないものを憧れ求め、
それが成就しないからとて嘆き悲しみ、
それが成就したからとて図に乗って悪く働く。

ああ迷える人々よ。

        <感謝合掌 令和6年12月8日 頓首再拝>

公なる愛に基づく祈りが大なる奇蹟を見るであろう - 伝統

2024/12/11 (Wed) 12:05:38


      *「光明法語」(12月11日《私のために奇蹟を求むな》)より

キリストの奇蹟は預言や透視や治病のほかに
水を葡萄酒に変じた物理的心霊現象(「ヨハネ伝」第二章)さえも起したのである。

日本にも孝子が瀧の水を汲んで父に与えたとき、
それが酒に変じていたと云うごとき養老の瀧の奇蹟もある。

しかしこれらの奇蹟は、神を試みるための奇蹟でもなく、
自己を誇らんがための奇蹟でもなく、
神の栄光をあらわすところの奇蹟である。

それは私的な求めによる奇蹟ではなく、公なる内部要請に基づく奇蹟なのである。
真に公なる愛に基づく祈りが起こるならば更に一層大なる奇蹟を見るであろう。

         <感謝合掌 令和6年12月11日 頓首再拝> 

日本人の祈りの力であなたの金運が覚醒します - 伝統

2025/02/08 (Sat) 09:11:10

日本人の祈りの力であなたの金運が覚醒します
【プレアデスからの使者】マイア(2025/02/07 )
https://www.youtube.com/watch?v=om89bc6efI4


金運の祈り

祓い給へ清め給へ
我に豊かさ満ちることを許し給へ
感謝と共に受け取り申す

      ・・・

この祈りを、朝夕に唱える。
朝は東を向いて、夜は静かな場所で唱える。

大事なことは続けることで波動が調整され、
豊かさの流れに乗ることになります。

             <感謝合掌 令和7年2月8日 頓首再拝>

祝福と祈りの秘訣 - 伝統

2025/02/28 (Fri) 09:54:53

新春の祝福と祈りの秘訣
Web:宇宙の兄弟たちへ(2025年1月4日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/01/blog-post_4.html

(以下は抜粋です)

(1)新春は、過ぎ去った年を振り返り、
   新たな希望を抱いて未来へと踏み出す特別な時期です。

(2)祈りと祝福の本質

  ①祈りとは、心を込めて願いや感謝を宇宙や神仏に届ける行為です。
   それは、思いを言語化し、自分の内なる声を表現する行為です。

  ③祝福は、自分や他者に向けてポジティブな意図を送り、
   幸福や平安、繁栄を願う行為です。

(3)祈りと祝福の持つ力

  ①感謝の祈りは、感情をポジティブに保ち、
   波動を高める助けになります。

  ②他者に祝福を送る行為は、善意や愛を相手に送ると共に、
   自分自身にもそのエネルギーが返ってくるという相乗効果が
   あります。

  ③祈りは、内なる声に耳を傾ける時間を提供し、
   直感やインスピレーションを得るための道を開きます。

  ④祈りや祝福は、私たちのストレスを軽減し、
   心身の健康に寄与することが報告されています。

(4)新春にふさわしい祈りと祝福の実践

  ①朝日とともに祈る。

   祈りの例:
   「新しい年の光に感謝します。私と周りの人々とすべての存在が
    平和と幸福に包まれますように」

  ②感謝のリストを作る。

   感謝の祈りは、心を満たし、新しい年への
   豊かなスタートを切る助けになります。

  ③自分や他者への祝福を送る。

   祝福の例:
   「この新しい年が、あなたにとって喜びと繁栄に
    満ちたものとなりますように」

  ④家や空間を浄化して感謝する。

(5)祈りと祝福を日常に取り入れる。

      <感謝合掌 令和7年2月28日 頓首再拝>

祈りと呪い - 伝統

2025/03/20 (Thu) 10:10:06

祈りと呪い
Web:中村 篤史/ナカムラクリニック(2025年3月16日)
https://note.com/nakamuraclinic/n/n37ebfe2bc5d6?magazine_key=m76003541a54a

(以下は抜粋です)

(1)祈り

   アイスランド大学のエルレンドゥール・ハラルドソン
   (Erlendur Haraldsson)教授がこんな実験をした。

   試験管240本に酵母菌をいれて、
   120本にはお祈りをする。他の120本には祈らない。

   すると、どうなったか。


   祈ったほうの試験管では、酵母菌の成長率がはるかに高かった。
   何度実験しても同じような結果になった。

   どういうことか。

   人間の意識とか愛情、思念が微生物に影響を与えているということです。

(2)呪い

   先の大戦末期、敗戦の空気が色濃く漂い始め、
   いよいよ「本土決戦」と「1億総玉砕」が現実味を帯びてきた。

   しかし日本軍は、敗戦のそのときを手を拱いて待つばかりではなかった。
   起死回生を図るべく、極秘計画が準備されていた。

   それは、呪術である。

   真言密教の高僧たちが東京某所に呼び集められた。
   目的は米国第32代大統領フランクリン・ルーズベ〇トを呪い殺すことである。

   動員された高僧たちが、護摩壇を焚いて祈祷を開始した。
   呪詛の祈祷である。
   この呪詛の念は、某所の電波塔から米国に向けて送信された。

   呪詛には即効性がない。
   それは、あたかも癌細胞が健康な肉体を徐々に蝕むように、
   人の魂を蝕む。

   ルーズベ〇ト大統領を呪い殺すにも、その効果が確認されるまで、
   辛抱強く継続する必要があった。

   この作戦の成否が戦争の勝敗、さらには日本の国体護持が
   できるかどうかの分水嶺なのだとされれば、
   簡単に打ち切ることはできなかった。

   しかしついに、そのときがやってきた。

   1945年4月12日、ジョージア州ウォームスプリングは快晴だった。
   静養先の別荘で、ルーズベ〇トは画家に肖像画を描かせていた。

   すでに日本の敗戦は決定的で、大統領は勝利を確信している。
   何の不安もない心持ちだった。

   ただ、大統領として気位高く姿勢を正し、後世に残る肖像画を描かせる。
   至福の時間だった。

   そのとき、いきなりルーズベ〇トは激しい頭痛に襲われ、
   椅子から崩れ落ちるように倒れた。

   すぐさまボディーガードが駆け寄ったが、意識がない。
   医者が呼ばれたが、午後3時35分死亡が確認された。

   戦時中の大統領の突然死である。
   敵国による何らかの電波攻撃だろうか。それとも毒殺か。
   あらゆる可能性が考慮され、死後解剖が行われたが、
   死因は高血圧性脳出血と結論付けられた。

   他殺の可能性は否定された。

   呪詛は成就した。
   ついに日本は計画を成功裡に終わらせたのである。


   上記の話は、それぞれの断片的な事実がある。
   しかし、それぞれの事実の間に因果関係を認めるかどうか。
   日本政府、米国政府、両国の歴史家。恐らく誰も認めないだろう。


(3)病気に苦しむ人が、自分の回復する姿をイメージする。
   それも強く、明確に。
   すると、医学的には治らないはずの病気が治る。

   そんな事例は世間に無数にある。

   当然、逆もあるだろう。
   人の死を強く祈れば、それが通じてしまうことも。

   もちろん、「人を呪わば穴二つ」で、他人の不幸を祈った人は、
   自らの不幸をも覚悟する必要があるけれども。

        <感謝合掌 令和7年3月20日 頓首再拝>

徒らに祈りを反復するな - 伝統

2025/03/25 (Tue) 11:54:17


           *「光明法語」(3月25日)より

イエスは『祈るとき、徒(いたず)らに言(ことば)を反覆すな。
彼らは言多きによりて聴かれんと思うなり』と教えている。

これは言を反覆してはいけないと云う意味ではない。
『徒らに反覆』しては役には立たぬのである。
言葉多く執濃(しつこ)くからみつくように懇請するから神がききたもうと思うのは
間違いである。

念佛三萬遍でも好いし、臨終の一念佛でも好い。

ただ言葉多きがゆえにきかれると思うのは、
言葉少なければきかれぬと云う恐怖心が内在する現れとも言える。

思念の言葉を反覆するのは、自分の心の波長を調整する為である。

       <感謝合掌 令和7年3月25日 頓首再拝>

神と波長を合わすには - 伝統

2025/03/26 (Wed) 11:03:26


           *「光明法語」(3月26日)より

「神の国は汝の内にあり」とイエスの言った如く、
わが祈りの密室は《自己の内》にあるのである。

この至聖所(しせいしょ)に吾々が入るならば、
どれだけでも無尽蔵の豊富な生命、智慧、愛の供給があるのである。

しかしこの至聖所に入るにはすべての憎み、怒り、恨み、呪い、悲しみ、悩みの
非存在(ニセモノ)を排除(とりのぞ)かなければならないのである。

そして先ず神を愛することである。
隣人を愛することである。

愛なくして、欲ばっていて、自分の祈りが神に通じないと言っても、
波長が合わぬから仕方がない。

           <感謝合掌 令和7年3月26日 頓首再拝>

祈りは「奇跡への道具」 - 伝統

2025/03/28 (Fri) 09:59:03

奇跡とは、たったひとつの愛に戻っていく完璧な法則

「神様が味方するすごいお祈り」佐川 奈津子(著)(P22~31)

【祈りの法則Ⅰ】 わたしたちはたったひとつの愛に戻っていく


(1)奇跡体験とは、”たったひとつの愛”に。
   わたしたちの願いや想いがすべて戻って行く完璧な法則の
   ことです。

(2)怖れというネガティブで間違った願いや
   「何を祈ったらいいのかわからない想いも、
   ジャッジや否定をせずに、

   ありのままの状態で祈りの中で完璧な存在に差し出すと、
   等しく愛に戻っていく、「奇跡の道具」になります。

   なぜなら、すべてがたったひとつの愛だからです。

           <感謝合掌 令和7年3月28日 頓首再拝>

われ祈れば天地応(こた)える - 伝統

2025/04/01 (Tue) 10:47:47


      *「生命の實相」第37巻幸福篇上(4月1日)」より

なんという歓びであろう。
自分の棲んでいる宇宙には、
自分の意志に反対する意志は一つとして存在しないのである。
 
なぜなら、自分は神の子であり、宇宙生命は神御自身であり、
宇宙は神の支配下にあるからである。

われ祈れば天地応(こた)える。

神は常に我が祈りに応えたまい、
我がために処を備え給い、宝を備え給い、時を得せしめたまい、
すべての必需物(なくてはならぬもの)を与えたまうからである。

        <感謝合掌 令和7年4月1日 頓首再拝>

祈りとは人格的交わりである - 伝統

2025/04/08 (Tue) 10:29:03


        *「光明法語」(4月8日)より

祈りと云うものは必ずしも結果をもとめて祈るものではないのである。
祈りは「神」と「神の子」との人格的交わりである。

神から与えられた生命であるところの「神の子」なる人格は、
親なるところの神に心を転回して、神と人格的に交わる時間を
持つことは是非共必要なところの行事である。

それ自身が荘厳きわまりなき処の行事であって、
結果があるとか無いとかの問題ではなく、
直接的にそれ自身が目的である。

神から生れた人間にとっては、
神へ生命(いのち)を転回し振り向けることは、
唯嬉しい行事である。

           <感謝合掌 令和7年4月8日 頓首再拝>

喜悦の祈り - 伝統

2025/04/10 (Thu) 11:08:38


         *「光明法語」(4月10日)より

神に祈るときは喜びの感情を以って祈るべきである。
神に対して泣きついてはならない。

若し、久し振りに逢った実子が其の親に対して、
自己の不幸を嘆き訴えたならば、
その親は実際好い気持ちがするであろうか。
またかかる実子は親孝行だと云えるだろうか。

親に会ったとき、唯会うだけで嬉しい感情に満たされるのが
親孝行の子供ではないであろうか。

神に対して泣き言を訴えるな。
私は幸福です。健康です。豊かに暮らしていますと言え。

これが本当の親孝行の「神の子」の祈りである。

         <感謝合掌 令和7年4月10日 頓首再拝>

明るい心持で祈るがよい、しかし、酒は飲まぬ方が好い - 伝統

2025/04/11 (Fri) 10:46:50


     *「光明法語」(4月11日《酒は飲まぬ方が好い》)より

祈りをする時には茶断ちの如き「断ち物」は要らないのである。
祈りは親に会う時であるから憔悴したる如き顔付をして見せるな。

寧ろ神の恵みであるすべてのものを豊富にとり、顔を剃り、脂(あぶら)を塗り、
髪を梳(くしけず)って元気な顔をして祈るべきである。
全て明るい心持は明るい事物を引き寄せるのである。

併し酒は飲まぬ方が好い。
酒を飲むと一時気分を明るくするが、それは麻酔剤であるから
一時の心の暗さを誤魔化すのであって、次が乱れて来る。

生活に節度がなくなり、
節度がない事を豪傑ぶって自慢にするようになる。

         <感謝合掌 令和7年4月11日 頓首再拝>

《祈りは必ず成就する》 - 伝統

2025/04/12 (Sat) 08:48:36


      *「光明法語」(4月12日)より

吾々の祈りは必ず成就する。それは間違いのなきことである。
併しながらその祈りとは、数分間、神社または祭壇でとなえることのみが
祈りではないである。

祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。
生命の奥深くで、念じていること、唱えていること、呟いていることは
悉く”いのり”である。

だから、不幸を呟いている者は不幸が来るように祈っているのである。
病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴えている者は病気や苦痛が来るように
訴えているのと同じことである。

         <感謝合掌 令和7年4月12日 頓首再拝>

本性に合致する祈り - 伝統

2025/04/16 (Wed) 11:07:22


      *「光明法語」(4月16日)より

祈りが成就しないのは、その祈りが其の人の本性に合致しない場合か、
その祈りがまだ実を結ぶ時期に達していない場合かである。

若し吾々が自分の本性に合致しない祈りを、
たとえば「大和の国」なる日本が「戦力によって勝たしめ給え」と云うような
祈りを行なうとも其の祈りは成就しないことになるのである。

朝顔は美しき朝顔の花を咲かしめ給えとこそ祈るべきであり、
梅の樹は美しき梅の花を咲かしめ給えとこそ祈るべきである。
其の他の花を咲かしめたまえと祈っても成就するものではない。

         <感謝合掌 令和7年4月16日 頓首再拝>

時期に適する祈り - 伝統

2025/04/17 (Thu) 11:55:58


      *「光明法語」(4月17日)より

時期に適しない祈りは成就しないが、その祈りを持ちつづけるならば、
時期が来たときになって自然成就するのである。
急いではならない。

寒中に朝顔の花を咲かしめ給えと祈るような祈りは成就しないが、
温室で咲かせても貧弱な花しか咲かないのである。
何事も時期が来ると云うことが必要である。

時期にの乗ると云うことは神のみこころに乗ると云うことである。
「みこころの儘に適当な時期に、適当な場所に、適当な何々を与えたまえ」と
云うような祈りこそ最も謙遜な祈りである。

         <感謝合掌 令和7年4月17日 頓首再拝>

祈りの成就には時の要素が要る - 伝統

2025/05/04 (Sun) 11:30:18


        *「光明法語」(5月4日)より)

祈りが成就するには「時」の要素がいるのである。
今日(きょう)、種子(たね)を蒔いたからとて
明日必ず芽が出ると云う訳のものではない。

「時」の要素を忘れてしまって、
今日の種子が明日ただちに芽が出ないからとて、
種子を掘り返してしまうようでは駄目である。

必ず神(法則)はその種蒔(たねまき)に応えたまう
と云う確信が必要なのである。

何事も急いではならないのである。
時が解決して呉れるのである。

「果報は寝て待て」と云う言葉があるが、信じて待てば、
種子を蒔いて置きさえすれば必ず発芽するのである。

            <感謝合掌 令和7年5月4日 頓首再拝>

電源に結びついても直ぐには熱くならぬ - 伝統

2025/05/06 (Tue) 11:12:50


        *「光明法語」(5月6日)より

電気鏝(こて)を温めるのでも、
スイッチを入れたからとて急に一ぺんに加熱する訳ではない。
スイッチを入れることは電源につながることに過ぎない。
と同時に電流は流れ入って来るが鏝は必ずしもすぐに温かくはならない。

鏝が温かくならないのは電流が来ないからではなく、
時間の要素が足りないからだ。

祈りと云うことは「神」と云う無限供給の電源とつながることではあるが、
その電源につながっても、その瞬間に欲する物が出るとは限らない。

鏝が温まるのを待つと同じに、
祈りに於いても結果が現れるまで待つ忍耐が必要である。

            <感謝合掌 令和7年5月6日 頓首再拝>

《不景気を心に思うな》 - 伝統

2025/05/14 (Wed) 11:16:18


       *「光明法語」(5月14日)より

祈りというものが短時間の言葉で神に所謂(いわゆ)る「祈り」を
捧げるものであると思うのは間違いである。

「祈り」と云うのは魂の底ふかくその人が生命で宣(の)べているところのもの
であるから、今朝(けさ)「神の無限供給が自分に流れ入る」と念じながら、
ラジオ放送や新聞記事で世間の経済恐怖をきいて、

「こんなに不景気になってはたまらない」などと考え、
または人と人との噂話に不景気や物質の不足を話しているようなことでは、
それは「不景気」や「物質不足」を祈り顕わしているようなものである。

            <感謝合掌 令和7年5月14日 頓首再拝>

《不断の祈り》 - 伝統

2025/05/15 (Thu) 10:47:20


       *「光明法語」(5月15日)より

「常の祈り」が大切である。
所謂る「不断念仏」「平生業成(へいじょうごうじょう)」である。
平生(へいぜい)の祈りの業(ごう)が成就して、現象界に現れるのである。

朝起きれば、「寝ている間にも呼吸をなさしめ給い、血液を循環せしめたまい、
夜中自分の生命を護り給うた神よ、有難うございます」と神に感謝し、
「一夜を暖かく眠らせ給うた布団よ有難うございます」と感謝して起きるのである。

今与えられている事に充分感謝しないでいて、次の善きものが与えられると
云うことはあり得ない。

感謝することによってのみ、今与えられたものの充分の価値が享受出来る

            <感謝合掌 令和6年5月15日 頓首再拝>

《仕事をなす時の祈り》 - 伝統

2025/05/18 (Sun) 10:15:01


       *「光明法語」(5月18日)より

「わが仕事はわれとわが家族と全人類の福祉のための祈りである」。
常に仕事をなさんとする時には目をつぶりてかく祈りてから始めよ。
仕事のあいまに、「仕事が祈りである、祈りが仕事である」と念ぜよ。

かくすれば仕事の質が上がり、量が殖え、新しき智慧が発現し、
仕事に新生面がひらかれるのである。
思わぬ間違いが発見され故障に到らずにすむのである。

「仕事よ有りがとう。この仕事は神のみ栄えである」と念ぜよ。
かくすれば神のみ栄えの顕現として立派な仕事が成就するのである。

            <感謝合掌 令和7年5月18日 頓首再拝>

飲食をなす時の祈り - 伝統

2025/05/19 (Mon) 11:07:32


       *「光明法語」(5月19日)より

食事のときには、

「神の生命と愛とが食物の形となって吾に栄養を与え、
 我が生活をして神の光栄をあらわさし給う」

と念じて食せよ。


飲料をとるときには

「わが過ちて人を憎み、恨み、憤りたる罪をこの飲料にて洗い流し、
 再びかかる罪を繰返すことなきしるしとして之を飲む」

と念じて飲むが好いのである。

不平や不快や憤り恐怖を感じながら食物をとることは
唾液の中に毒素をつくり、それを服(の)んでいると同じである。

食事は不味くなり消化不良となり、身体を不健康にするのである。

        <感謝合掌 令和7年5月19日 頓首再拝>

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