伝統板・第二

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真理の生活 21 - 伝統

2024/10/07 (Mon) 11:48:26


【ユーモアは人生を変える】

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.7.2)より

   (藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   ユーモアという言葉が使われるようになったのは、
   人類誕生史からいえば、つい最近のことだといえます。

   時代の豊かさも大いに影響すると、渡部先生は指摘しています。

   渡部先生の話で興味深かったのは、
   王政復古の後に、「グッド・ユーモアド(good humored)」
   という形容詞が生まれた、ということです。


   「グッド・ユーモアド」とは、
   機嫌のいい人、陽気な人、気持ちのいい人という意味です。

   グッド・ユーモアドの人は
   危険な時でも落ち着いていて、楽しい面を見られる人だといいます。

   ユーモア精神が身についた人・・グッド・ユーモアドという言葉には
   そういう意味合いもあるかもしれません。


   ユーモアは人生を変える力を持っている。

   私たちも「グッド・ユーモアド」で
   人生という航海を漕いでいきたいものです。


   最後に、キューブラー・ロスの言葉を紹介します。


   グッド・ユーモアドの精神に長けた人で
   なくてはいえない素晴らしい言葉です。


   「人間はその死の瞬間まで、
    成長できる可能性を持った生物である。
    だからこそ希望の小窓を閉じてはいけない」

       <『心に響く言葉』致知出版社>

       ・・・

人に好かれる人は、人を楽しませることに徹している。

「グッド・ユーモアド」の人だ。


そういう人は、傍(はた)からみていると
いつも上機嫌で陽気で気持ちのいい人に見える。

反対に、まわりなど関係なく、
自分だけ楽しめばいいという自己中心的な人は、
気難しくて不機嫌そうにみえる。


笑いという「上機嫌」や「陽気さ」は肯定であり、
笑わないという「不機嫌」や「陰気」は否定だ。

暗そうに(話のはじめに)、
「でも」や「だって」という人だ。

否定的なことばかりいう人には、人は寄りつかない。


我々は、道を聞くときでも、
笑っている人や機嫌のいい「肯定」の人を探す。

「笑い」という「肯定」が人を引き寄せるからだ。


人を笑わせると、自分も明るくなって、笑顔になる。

人が笑うと、自分もパワーをもらえる。

その逆に、人を怒ったりすると、テンションが落ち、パワーがなくなる。


人を楽しませ、笑わせる「グッド・ユーモアド」の人。

「ユーモアは人生を変える」という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』
https://www.tcn.ac.jp/index.php?view=9480

晩年のキューブラー・ロス
Enishi Fujieda( 2015/03/25)NHK特番より
https://www.youtube.com/watch?v=4qj72ViiheA

・・・

<関連>

(1)伝統板・第二「真理の生活 ①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6971129

(2)伝統板・第二「真理の生活 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7583747

(3)伝統板・第二「真理の生活 ③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7707100

(4)伝統板・第二「真理の生活 ④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7796617

(5)伝統板・第二「真理の生活 ⑤」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7854421

(6)伝統板・第二「真理の生活 ⑥」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7934282

(7)伝統板・第二「真理の生活 ⑦」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7988886

(8)伝統板・第二「真理の生活 ⑧」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8016563

(9)伝統板・第二「真理の生活 ⑨」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8061815

(10)伝統板・第二「真理の生活 ⑩」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8164957

(11)伝統板・第二「真理の生活 ⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8209345

(12)伝統板・第二「真理の生活 ⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8238335

(13)伝統板・第二「真理の生活 ⑬」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8250384

(14)伝統板・第二「真理の生活 ⑭」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8263502

(15)伝統板・第二「真理の生活 ⑮」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8290983

(16)伝統板・第二「真理の生活 ⑯」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8305125

(17)伝統板・第二「真理の生活 ⑰」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8315921

(18)伝統板・第二「真理の生活 ⑱」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8331438

(19)伝統板・第二「真理の生活 ⑲」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8360609

(20)伝統板・第二「真理の生活 ⑳」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8372647

       <感謝合掌 令和6年10月7日 頓首再拝>

【お互いにゆずり合う】 - 伝統

2024/10/12 (Sat) 10:36:47


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.7.15)より

   (曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より… )

   日本人はディベート(討論)が苦手といわれています。

   欧米のように子どもの頃からディベート教育を受けていないので、
   仕方のないことなのかもしれません。

   討論や論争をネガティブに受け止めている人が大半でした。


   ところが、数年前、“論破ブーム”が巻き起こり、
   子どもたちまで「論破」という言葉をふつうに使うようになりました。

   聖徳太子が定めた『十七条憲法』の「和をもって貴しとなす」の精神に相反する、
   相手を言葉で打ち負かす論破が認知されたことに、私は驚きました。


   戦国武将の武田信玄は、
   「戦というものは五分をもって上とし、
    七分をもって中とし、十分をもって下とす」
   という言葉を残しています。

   勝負に勝たなくてならないのは当然だが、
   十分の完勝だと敵を侮ってしまい、おごりがでる。

   七分の勝ちではまだ、勝ったことに安心して手を抜く。

   今後いっそう頑張らせるためには五分の勝ちがよい、という
   信玄の勝ち方のこだわりです。


   半歩ゆずる五分勝ちがよいというのは、
   信玄が禅に傾倒していたことと無縁ではないでしょう。

   仏教には「中道」という教えがあります。

   極端を捨て、まさに中道を行くことです。


   お釈迦さまは、皆が幸せになれる道を求めて、
   王子としての生活を捨て、快楽に耽(ふけ)る生活を捨て、
   自身の肉体をとことんいじめる苦行に入りました。

   しかし、ほどほどぐらいがちょうどいい
   という考えに至り、さとりを得たのです。


   唯一無二の神を信じるキリスト教やイスラム教は、
   白黒をハッキリつける宗教です。

   神の意に沿わないものはすべて悪です。

   そのため聖戦(ジハード)という名のもとに 戦争が繰り返されています。


   いっぽう中道を旨とする仏教は右にも左にも偏らず、
   お互いのよいところを認め、
   ゆずり合いの心を大切にして共に生きる道を歩む宗教です。

   ビジネスの世界に目を転じてみると、
   以前は勝ち組と負け組にはっきりと分かれていました。

   しかし最近は、お互いによい状態を
   保てるようWin-Winでやっていくのがいいんじゃないかという風潮が
   強まっています。

   武田信玄のいう五分勝ちの精神がビジネス界に広まってきたようです。


   これはよい方に向いていると思います。

   そもそも日本には、
   近江商人の「三方良し」というビジネス哲学がありました。

   「商売において売り手と買い手が満足するのは当然である。
    さらに、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方を

   「売り手に良し、買い手に良し、世間に良 し」の「三方良し」といいます。


   三方良しやWin-Winを成り立たせるキーワードは"落としどころ”です。

   双方が納得する着地点、妥協点を見つけ合うことです。


   お互いにゆずり合って着地点を見つけていく。

   日本人の最も得意とするところだと思います。


   <『迷ったら、ゆずってみるとうまくいく』クロスメディア・パブリッシング>

       ・・・

相田みつを氏の言葉がある。

『「お先へどうぞ…」
 やさしくてうつくしい日本語ですね。

 いいことは、他人(ひと)様を先に… 自分のことは後まわし。

 遠い遠い、先祖の日本人がこんな美しい暖かい言葉を残してくれたんです。

 他人のことなんかそっちのけ
 自分さえよければ…我先に、我先に…とみんな夢中で突ッぱしる。

 もう一度「お先へどうぞ…」という、うるおいのある美しい日本語で、
 お互いに呼びかけ合える世の中になって欲しいなあ…』
               (雨の日には・・・・/文化出版局)より



「ゆずり合い」の精神の元にあるものは、「お先にどうぞ」の気持ち。

それが「先施(せんし)の心」。

先施とは、先に施(ほどこ)す、ということ。


それは…

自分から先に、挨拶する。

自分から先に、許す。

自分から先に、謝る。

自分から先に、感謝する。

自分から先に、笑顔を出す。


「お先へどうぞ」の気持ちを忘れず…

「お互いにゆずり合う」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

ゆずってみるとうまくいく
東洋経済ONLINE(2024/06/28)
https://toyokeizai.net/articles/-/764579

       <感謝合掌 令和6年10月12日 頓首再拝>

【怒ったら負け】 - 伝統

2024/10/19 (Sat) 10:17:21


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.8.10)より

   (枡野俊明(しゅんみょう)氏の心に響く言葉より…)


   《頭に来ても無礼者と闘わない》


   ■「怒ったら、自分の負け」と心得る

   人の悪口をいったり、バカにしたり、ちょっとしたミスをあげつらったり。

   失礼な物いいをされると、腹が立つものです。

   どうしてそんなふうに貶められなくてはいけないのかと、自尊心も傷つけられます。

   あまりに理不尽だと、文句の一つもいいたくなるし、
   さらに口論、ケンカに発展する場合もあるでしょう。


   それでも怒ってはいけません。

   難しいけれど「受け流す」のが賢明です。


   理由は二つ。

   一つは、非礼・無礼を働く本人は、だいたいにおいてその自覚がない、
   つまり自分が非礼・無礼な振る舞いをしているとは思っていないからです。

   そんな人と同じ土俵で争っても、こちらが疲れるだけ。

   相手にすることはありません。


   もう一つは、相手の指摘が正しいことがままあるからです。

   とくに劣等感や弱みを抱えている人は、
   痛いところを突かれると、瞬間的に怒りの感情が噴出します。

   そんなときはなんとか怒りをこらえて、しばし深呼吸。


   「彼(彼女)のいうとおり、図星だな。怒りは呑み込み、今後の反省材料にしよう」

   と、気持ちを切り替えましょう。

   いずれにせよ、非礼・無礼に対しては「怒ったら負け」と心得てください。

        <『引きずらない力』三笠書房>

      ・・・

「怒りは相手を苦しめるのではなく、自分を苦しめる」

という仏教の教えがある。

怒りは、まことにやっかいだ。

いくつになってもコントロールが難しい。

そして、怒ってしまったあとは必ず、悔やむ。


大声でねじ伏せ、相手に分からせようとしたり、
自分の正しさを押しつけようとする。

「自分を認めて欲しい」、
「なぜわかってくれないのだ」
という気持ちが、ゆがんだかたちで出てしまったのが怒り。


「アンガーマネジメント」という
1970年代にアメリカで始まった心理トレーニングの方法がある。

これは、怒らないことではなく
「怒りをコントロールすること」であり、「怒りと上手につき合うこと」。


それはたとえば、「衝動をコントロール」すること。

衝動をコントロールするとは、「最初の6秒をやりすごす」こと。

よく、「腹が立ったら十、数えよ」などといわれるが、間を置け、ということ。


まさに「受け流す」ということ。

「怒ったら負け」という言葉を胸に刻みたい。

       <感謝合掌 令和6年10月19日 頓首再拝>

【自尊心を満たすには】 - 伝統

2024/10/20 (Sun) 09:43:53


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.8.2)より

   (レス・ギブリン氏の心に響く言葉より…)

   自尊心が満たされれば、他人とうまくやっていくことができる。

   具体的に説明しよう。


   ●寛容の精神を発揮するので、
    相手の考え方にじっくり耳を傾けることができる。

   ●自分のニーズが満たされているので、
    相手のニーズに配慮することができる。

   ●精神的に安定しているので、
    相手にミスを指摘されても素直に認めることができる。

   ●批判を受け流すだけの自信があるので、
    大らかな態度で相手に接することができる。


   自尊心の低い人にとっては、
   ほんの少し非難のまなざしを向けられたり、厳しい言葉をかけられたりするだけで
   一大事のように思えてくる。

   たわいのない発言にも皮肉や嫌みのような隠された意味を見つけようとする
   過敏な人は、低い自尊心のために苦しんでいると見て間違いない。

   他人をこき下ろす傲慢な人も、低い自尊心のために苦しんでいる。


   こういう人の行動を理解するには、ふたつのことを知っておく必要がある。


   ひとつは、自分の重要感を高めようとして他人をこき下ろしていること。

   もうひとつは、誰かに少し批判されただけで、
   すでに低い自尊心が崩壊するのを恐れていること。


   こういう人はいつも心の中でびくびくしながら他人と接している。

   自尊心を傷つけられるという不安に耐えられないので、
   他人にやられる前に相手を攻撃することもある。

   《自尊心が満たされていないと、人々は摩擦やトラブルを起こしやすい。》

       <『人望が集まる人の考え方』ディスカヴァー>

       ・・・

自尊心がある人は、自己重要感が満たされている。

自己重要感とは、「自分は価値ある存在である」と思うこと。

自尊心があれば、他人に多少批判されても、
自分は自分、人は人、と受け流す余裕ができる。


自尊心を高めるには、まず自分を磨くことだ。

自分を磨き、自分の価値を高めること。


なかでも、一番大事な自分磨きは、「人の喜ぶこと」をすること。


それは…

●人が嫌がることは言わないこと(不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句)。

人を冷笑したり、皮肉を言わないこと。

人との会話は、常に肯定的にとらえ、「でも」「だって」と言わないこと。


●人の喜ぶことを言うこと(うれしい、たのしい、ありがとう、しあわせ)。

あたたかい心のこもった言葉(愛語)を言うこと。

常に、感謝することをみつけ、感謝多き人になること。


●人の喜ぶことをすること。

いつも、笑顔で、明るく、機嫌よくしていること。

人に優しく接し、親切にすること。


●身の回りに起こることの中に、幸せを見つけること。

それを、ただひたすら喜んで、うれしがって、幸せだ、ツイてると思うこと。


●そして、頼まれごとを淡々とやっていくこと。


すると、いつしか、感謝される人になる。

感謝される人は、自己重要感も、自尊心も満たされる。


一生をかけて、自分を磨き続けたい。

・・・

<参照動画>

【要約】人望が集まる人の考え方【レス・ギブリン】
フェルミ漫画大学(2024/01/27 )
https://www.youtube.com/watch?v=isEXIkmGQ0s

0:00 はじめに
2:28 人間関係は相手の自尊心を満たしたか
   傷つけたかで決まる

4:49 相手の自尊心を満たせば
   仕事も恋愛も上手くいく

6:41 絶対に待ち合わせ時間に遅れないこと

8:19 身だしなみを整える

10:42 相手を笑顔で迎える

13:01 会話で大切なのは相手に話させること
15:27 会話では相手を否定せずに
   相手に常に賛同すること

17:07 相手に愚痴や悩みを話してはいけない

19:07 相手の顔をみて、相手の名前を言って、
   褒めたり感謝したりする

20:27 第一印象を変えることは難しい

22:07 相手からではなく自分から働きかけよう
23:33 まとめ
24:46 END

・・・

【人望が集まる人の考え方①】
失業の理由の大半は才能ではなく人望!
人生を左右する必須の技術とは?
中田敦彦のYouTube大学(2022/12/17)
https://www.youtube.com/watch?v=iVFWuDO_Wj0

【動画目次】
00:00 OP
01:21 失業理由
02:32 人間関係の技術
04:18 基本原理
08:54 自尊心の罠
13:20 他者優先
15:52 3つの武器
21:07 ほほえみ
28:37 次回予告

         。。。

【人望が集まる人の考え方②】
相手の〇〇を満たせば上手くいく!
人間関係の世界的名著
中田敦彦のYouTube大学(2022/12/17)
https://www.youtube.com/watch?v=GxcV65OyL9Y

【動画目次】
00:00 話す力
04:32 上級編
12:48 協力要請
17:15 褒める力
23:17 まとめ

       <感謝合掌 令和6年10月20日 頓首再拝>

【努力より「遊び」が必要】 - 伝統

2024/10/21 (Mon) 11:03:47


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.9.5)より

   (中野信子氏の心に響く言葉より…)

   人間を人間たらしめている条件は、いったいなんでしょうか。

   わたしは、そのひとつは「遊ぶこと」だと考えています。

   「遊ぶ」ということは、
   生きていくために必要のない、 無駄な部分にリソースを割くということです。


   例えば、文化や芸術などに取り組むことは、
   人間として、本来的に豊かで洗練された営みです。

   少なくとも、知性がなければ遊ぶことはできませんから。


   しかし、現在は
  「賢く生きていくにはなるべく無駄なことをしない」
   という、合理的な方法ばかりが評価されがちです。

   仕事はもちろん、生活までも合理性を追求し、
   「必要なことしかしない」
   「必要なものしか持たない」姿勢が、
   まるで人間として素晴らしいことであるかのようにいわれることもあります。


   そのように社会から「遊び」を排除した反動なのか、
   逆に新興宗教やスピリチュアルなものに惹かれる人が増えました。

   また、怪しいビジネスやインターネットでの
   中傷行為などにハマっていく人も増えています。

   人間の脳は機械のようにはできていません。


   1998年に米国のソーク生物学研究所の研究者たちが、
   大人でも脳に新しく神経細胞が生まれることを発見しましたが、
   新しい細胞が生まれても、「刺激(=遊び)」 がなければ
   細胞は、すぐ死んでしまいます。

   脳にとって「遊び」は、生きていくために必要な餌でもあるわけです。


   いまの日本人は、「生き残るために努力せよ」といわれ続けて生きています。

   でも、こんな状態で、
   健全な自己肯定感を持って生きていくことなど到底できません。

   人間は、もっと「遊び」が必要な生き物なのです。


      《人間は努力よりも「遊び」が必要》

    <『感情に振り回されないレッスン』プレジデント社>

        ・・・

「遊ぶ」とは、酒を飲むだけではない。

「人生は冥途(めいど)までの暇つぶし」という今東光大僧正の言葉の通り、
「暇つぶし」のことだ。

「暇つぶし」というと言葉は悪いが、つまり、「無駄なこと」や「役に立たないこと」、
「ばかばかしいこと」、「生産性のないこと」などを、
大(だい)の大人が真剣にやることだ。


「まじめ」すぎる人を、「くそまじめ」という。

「くそまじめ」な人は、他人にも「まじめ」であることを強要しがちだ。

クスっと笑ったり、ふざけたりすると猛烈に怒ったりする。

「遊び」がないから融通がきかないし、冗談や遊び心も通じない。

余裕がないということだ。



千利休にこんな話がある。

『千利休の弟子である丿貫(へちかん)が、千利休を自分のお茶席に招いたときに、
 庭の入り口を入ったところに落とし穴をつくったというエピソードがあります。

 あらかじめ風呂を沸かしておいて、利休さんにお風呂に入ってさっぱりしてから
 お茶を召し上がってほしいというストーリーを、丿貫さんは考えていたのです。

 ちなみに、利休さんはきちんと落とし穴に落ちて、

 「穴があるのは知っていた。
  この丿貫のもてなしに、穴に落ちないのは失礼だと思った」と言ったそうです。』
                       (DIG THE TEA)より


『努力より「遊び」が必要』

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

『感情に振り回されないレッスン』記事一覧
https://president.jp/category/c05193


<要約動画>

感情に振り回されないレッスン
の本の全目次・要約を紹介!
https://www.youtube.com/watch?v=9tHgmeS9LOA

【11分で解説】幸福=オキシトシンだから、
オキシトシンを出す生活をすればいい 
感情に振り回されないレッスン 中野信子
https://www.youtube.com/watch?v=k1WrDrYx9u8

【本要約】「感情に振り回されないレッスン(中野信子)」
を15分で解説してみた
https://www.youtube.com/watch?v=V7wTDVyp_nE

       <感謝合掌 令和6年10月21日 頓首再拝>

【人に好かれる人と嫌われる人】 - 伝統

2024/10/23 (Wed) 09:19:37


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.6.29)より

   (植西聰(あきら)氏の心に響く言葉より…)

   世の中には、人に好かれる人もいれば嫌われる人もいます。

   誰とでもうまくやっていける人もいれば、そうでない人もいます。

   その人たちをつぶさに観察すると、一つの共通点を見出すことができます。


   まず、嫌われる人から見ていくと、他人を不快な気分にさせてしまうことです。

   相手が傷つき、カチンとくることやイヤミを平気で言います。

   相手の話を聞くよりも、自分の自慢話ばかりを聞いてもらいたがります。


   誰かに何かをしてもらっても、感謝の気持ちのかけらもありません。

   自分勝手でわがままなところがあります。

   約束しても、遅刻は日常茶飯事で、ひどいときは平気ですっぽかします。

   困っている人がいても、見て見ぬふりをして、親切心のかけらもありません。


   こんなふうにされたら誰だって おもしろくありません。

   腹を立てて大いに心証を害し、
   「向こうがああいう態度を取るなら、こちらにだって考えがある・・」
   というように、“報復の感情”を抱くようになります。

   その結果、その人は悪口を言われる、無視される、仲間はずれにされる、
   困っていても助けてもらえなくなるという具合に、
   みんなから嫌われてしまうのです。



   では、人に好かれる人はどうなのか?

   その人たちの共通点は、嫌われる人とはうって変わって、
   人を愉快な気分にさせることです。

   何かにつけ“相手を立てよう”とします。


   具体的には、聞き上手で、人の話を最後までさえぎらずに、よく聞きます。

   自分の意に反したことを相手が口にしても、いちいち反論しません。

   人に何かしてもらったときは、必ず、「ありがとう」とお礼を言います。

   身勝手な振る舞いをつつしみ、相手の好みを優先させます。

   一度、口にしたことは、どんなに些細なことであっても、絶対に守ります。

   人が困ったときや大変なときは、親身になって応援・協力します。


   こんなふうにされたら、周りの人はみんな嬉しくなります。

   その人のそばにずっといたくなり、いつも助けてもらっているから、
   その人が困っているときは助けてあげようという気持ちになります。

   そう、今度は“報復の感情”ではなく、“返報の感情”が芽生えるのです。


   みんなに嫌われている人がいたとしたら、
   それはその人がみんなを不快にする言動を取っているからであり、

   みんなに好かれている人がいたなら、
   それはその人がみんなの気分を良くする言動を取っているからです。

   言い換えると、相手のあなたに対する言動は、
   あなたの相手に対する言動そのもの。

   人間関係のすべては、あなたの言動のあらわれです。

    <『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』王様文庫>

        ・・・

人があの世に行くとき、聞かれることが二つあるという。


一つは、「人に喜んでもらったか?」、

もう一つは「人生を楽しんできたか?」。


人に喜んでもらうとは、人に好かれたか、ということ。

人を、愉快で楽しい気分にさせる行動や言動をとっているかどうか。


その反対の嫌われる人は、
人を不愉快にするような言葉を言ったり、気分を害するような行動をとる。

嫌味を言ったり、冷笑したり、バカにしたり、悪口をいったり…

相手の気持ちを冷やす言葉や行動をとる。



人を喜ばせる人は、「和顔愛語」の人。

温かくて愛ある言葉と、笑顔。


もう一つの「人生を楽しんできた人」は、いつも明るくて、前向きで、肯定的。

どんなときも、その中に楽しみや幸せを見つけることが上手。

そして、おかげさまの心と、感謝の念を常に持っている。

だから、人がまわりに集まり、さらに楽しい人生をおくることができる。


人生を楽しみ…

人に好かれる人でありたい。

       <感謝合掌 令和6年10月23日 頓首再拝>

真理を生きる - 伝統

2024/10/24 (Thu) 11:44:41


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月24日)より

真理は読むだけで、行じなければなんにもならぬ。

「汝ら天地一切のものと和解せよ」
―― 『生命の實相』のこの巻頭の一行さえも実行しないでいながら
『生命の實相』を読んだというのはおこがましいと思う。

勢力争いをするために張り合ってなんになるか。
争わねばならぬような”相手はない”と知ることが光明思想なのである。

人生の苦しみは嫉妬心から来るのである。
嫉妬は憎みを招(よ)び、争いを招(よ)び、
あれほど真理を知っているはずの人が、
感謝しなければならぬ人をさえ憎むようになるのである。

           <感謝合掌 令和6年10月24日 頓首再拝>

【背筋を伸ばす】 - 伝統

2024/10/30 (Wed) 08:33:27


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.7.7)より

   (精神科医、ゆうきゆう氏の心に響く言葉より…)

   《自信を高めたいなら、背筋を伸ばすこと》

   よく「有名人にはオーラがある」 といいますが、
   そういった人たちは たいてい姿勢がよく、
   きりっとした 表情をしています。

   私たちが「オーラ」とよぶものは、じつはこうした
   「自信に満ちた見た目」によるところが大きいといえます。


   姿勢と気持ちは連動しているもので、
   自信にあふれた人は背筋がピン と伸びていることが多く、
   逆に気持ちが沈んでいると姿勢も悪くなりがちです。

   もし「自信がない」「気持ちが落ち込む」ことがあれば、
   背筋を伸ばすよう心がけてみてください。

   意識を変えようとするより、「形から入る」ほうが意外に近道です。


   アメリカの心理学者ムラビンによる実験でも、
   背筋を伸ばして胸を張るように心がけるだけで自信が増し、
   気持ちも明るくなったという結果が得られています。

   上を見る(首を上げる)だけで
   気持ちが上向きになることもよくいわれています。

   自信が高まれば、能力も発揮しやすくなり、印象もさらにアップします。

   大事な会議や初デートなど、
   ここぞというときは胸を張って臨んでみてください。

   そんな小さな行動が結果を左右することもあるのです。


   ■《悪い姿勢は体にも悪影響》

   人間の頭は体重の約100分の1もの重さがあり、
   悪い姿勢でいるとそれを支えるために体に大きな負担がかかります。

   悪い姿勢は、緊張型頭痛を引き起こす原因にもなり、
   そうなると頭痛でさらに気持ちが沈みやすくなります。

   姿勢を正すことは心身の健康にとって、とても大切なことなのです。

         <『ズルい心理学大全』西東社>

       ・・・

スポーツの試合では、監督がよく
「うつむくな」、「顔を上げろ」などと指示することがある。

大量に点が入ってしまったり、負け試合になっているようなときに、
うつむいてしまう。


人は、がっかりしたときや、元気がないときに、それが外見に表れる。

表情が暗くなり、背中が曲がって、姿勢も悪くなる。

笑顔で、顔を上げている人は、やる気があって元気そうに見える。


アゴを上げ、背筋を伸ばすこと。

そして、胸を張り、前を向いて颯爽(さっそう)と歩き出したい。

・・・

<参照>
人の心を動かすズルい心理学大全:
心理テクニックで自分の優位を築こう
Web:note cococara(2024年5月8日)
https://note.com/cococaranavi/n/n1297b0e99178

       <感謝合掌 令和6年10月30日 頓首再拝>

濁り水を捨て、真理の水を注げ! - 伝統

2024/11/03 (Sun) 10:59:31


       *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月3日)より

生命(せいめい)の清水(しみず)を注ぎ込むには
全部の濁り水を捨ててから、注ぎ込むことが必要である。

濁り水を残しておいて清水を注ぎ込んでも、
われわれは依然として濁り水を見るのみである。

怒り、憎み、恐怖、利己心、冷酷・・・等、すべて愛に背く心を残しておいて
『生命の實相』を読んで真理を注ぎ込んでみてもなんにもならぬ。

せっかく清冽(せいれつ)な真理の水が濁るばかりである。

よき衣装をまとうには、古き弊(やぶ)れ衣を脱ぎ捨てねばならぬ。
襤褸(ぼろ)の上に美しい衣装をまとってみても不似合なばかりである。

心の襤褸の上に、真理を羽織ってみても効果はない。
真理をまとうくらいならば、今までのものを全部捨てて真理を着ねばならぬ。

       <感謝合掌 令和6年11月3日 頓首再拝>

永遠価値のものを愛し、考え、求めよ! - 伝統

2024/11/06 (Wed) 11:13:17


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月6日)より

万事物質的なものは遷りかわるものであり、
その遷りかわるものに心惹かれているかぎりは、
波にさらわれた小舟のようなものであって不安は去らない。

われわれは遷り変わらないものを愛しなければならぬ。
永遠価値のものを愛しなければならぬ。
絶対的なものを愛しなければならぬ。

すべて心を労してもとめても、
やがて価値の変わるものに心を労してはならぬ。

神より出ずるもの、神の属性であるもののみ無限価値がある。
愛は無限の価値あるものである。
赦しは無限価値あるものである。

忠、孝はむろんのこと、
すべて肉体を超えて永存する価値のことを考え、求めねばならぬ。

           <感謝合掌 令和6年11月6日 頓首再拝>

【腹を立てるとは】 - 伝統

2024/11/17 (Sun) 10:42:26


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.9.12)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   《本来は、人の心に怒りの感情はない。
    おだやかな心を「起こらせる(立たせる)」ことを
    「怒る」「腹が立つ」という。

    もともと人の心は平静。
    腹が立つようにはできていない。》



   赤ちゃんは生まれてきたときに3つの感情しか持っていないそうです。

   スヤスヤ寝ているときの「安らぐ」という感情が一つ。

   「お腹が減った」「おしめが濡れている」などの要求を
   訴えるときの「泣く」という感情。

   さらに赤ちゃんと目が合うとニコッと笑う。

   なぜ、本能的に組みこまれているのかはわかりませんが、
   「笑う」というのが3つ目の感情です。


   「怒る」という感情はありません。

   もともと人はその感情を持って生まれてきていません。

   おそらくは親や社会から後天的に刷りこまれたのではないでしょうか。

   ならば、どこから人は「怒る」という
   感情を学んだのでしょうか。


   「怒る」というのは、おだやかな心を
   「起こらせる(立たせる)」ことをいいます。

   これは気に入らないことがあったときに
   「腹を立ててみせる」という大人の方法論です。

   大人が怒ったときに、立場の弱い子どもは
   譲歩して口答えをしなくなります。

   その代わり、自分も方法論として
   「怒る」ことを真似るようになっていきます。


   宇宙現象に「腹を立てる状況」はありません。

   自分が勝手に演技しているだけです。

   それに気づけば、腹を立てることもなくなるのではないでしょうか。

      <『心を軽くする言葉』文庫ぎんが堂>

       ・・・

家の中で家族に対して、怒ってみせる3つの行動があるという。(本書より)

(1)食器を洗うときに、ガチャガチャ音を立てる。

(2)ドアをものすごい音を立ててバタンと閉める。

(3)スリッパでパタンパタンと大きな音を立てて歩く。


気に入らないことがあると、「怒ったぞアピール」をする大人。

それは、テーブルに
モノをガシャっと大きな音を立てて置いたり、モノを投げたりする。

自分は「不愉快」なんだ、「不機嫌」なんだ、という身体表現だ。

自分は納得していない、怒っているんだ、
と荒々しくまわりにアピールする。

これらは、「幼児性」以外の何ものでもない。


多くの人は、腹が立っても、他人に対してはなんとか我慢できる。

だが、家族や夫婦、親子など、近しい関係になればなるほど、
その歯止めは効かなくなる。

問題なのは、昨今、他人に対しても
「怒り」のコントロールができない人が増えていることだ。



「腹を立てる状況」はありません。

「自分が勝手に演技しているだけです」

という言葉を胸に刻みたい。

       <感謝合掌 令和6年11月17日 頓首再拝>

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に書かれていること。 - 伝統

2024/11/19 (Tue) 09:05:38


    *「永遠の命が輝く霊界案内」きた よしお・著 より抜粋

(1)自分がプログラムした使命を果たすには丈夫な心身が必要である。

(2)欲をなくすれば、怒りや憎しみ、やきもちを持たなくてすむ。
   
(3)簡素、質素をむねとすれば食の欲も減る。

(4)自分さ良ければという自己欲をなくし
   
(5)他者を思いやり理解できる調和の心をもって

(6)人様のために自分を役立てる利他の精神で行い

(7)大自然の力に到底及ばない人間の非力を嘆かずに

(8)平凡かつ謙虚に暮らす

(9)これらを成し遂げられれば「どう生きる」の真実が見えてくる。

       <感謝合掌 令和6年11月19日 頓首再拝>

味わい深い人になる日 - 伝統

2024/11/21 (Thu) 11:31:18


          *「光明道中記」(11月21日)より

【家族に礼を言うこころになれ。(『生命の實相』三巻)】

親が死んでも泣かぬのが悟ではない。
大いに泣いて後が残らぬのが悟である。

弟子が下手に音楽を奏するならば、
その下手さがよく判って不快なのが悟である。
時にはその下手さに腹が立って弟子を擲(う)っても悟である。

禅家ではよく先輩が三頓(とん)の棒や三十棒を喰わせると言うが、
雪の積った竹を叩くのは、竹を憎むからではなく竹を愛して
雪を払ってやるためである。

叩かれて相手に咬み着く犬の様な心にはなりたくないものである。
と言って私は叩くことを奨励する訳ではない。

何事が起っても、淡々として空言のような顔をして
空嘯(そらうそぶ)いている人には深い味わいは感じられない。

味わいの深い人は、やっぱり人間味の深い人であると思う。

じっと人を抱きしめるような思い、一緒に咽(むせ)び泣きたい思い、
味方のチームが優勝したといっては歓喜の乱舞をしたい思い、
病人を見ては何とかして救ってあげたい思い・・・

現象は無いことは無いとして、心に跡を残しはしないが、
その時、その時の、出て来ることに
真剣に魂の底から感じて行ける人間は味がある。

併し、いつまでもクヨクヨ思っているのは見苦しい。
文殊菩薩が維摩を病問に来たときに「不来の相で来た」と云う語があるが、
「鳥飛んで跡を残さぬ心で深く行ずる」ことが大切である。

          <感謝合掌 令和6年11月21日 頓首再拝>

自然は低く謙(へりく)れるものに与えんとするのである。 - 伝統

2024/11/29 (Fri) 11:32:00


          *「光明道中記」(11月29日)より
           ~心、水の如く柔らかくなる日

【生命は常に生きている。吾々の生命は進んで行く、停止はない。(『百事如意』)】


生きているものは温い。

あまり熱くても生命は死に、あまり冷たくても生命は隠れる。
激しすぎてもならないし、熱し過ぎてもならないし、
冷たすぎても、無頓着過ぎてもならないのである。

調和した温かさこそ必要である。
激せず、熱せず、冷たくもならず、程よく温かいところに生命は大きく顕れる。

天は高きを以て低きを埋める。
水は上より下を満たし、山は崩れて低地をうずめる。

自然は《ひとり》高からんとする者を崩して低く謙(へりく)れるものに与えんとするのである。
だから高からんことを願わずして、低きに与えんとするものは
却って天の道に護られて力が強いのである。

水は低きにつこうとするが故に力が強い。
水は柔かであるが故に力が強い。

水が若し硬ければ蒸気となって諸種の機関を動かすことが出来ない。
水が若し硬ければ滝となって降ることが出来ない。
水が若し硬ければ落差によって水力電気を起すことは出来ない。
水が若し硬ければ蒸気になって空中に飛び上がることは出来ない。

水の偉大さはその柔かさにあり、人間の偉大さも亦(また)柔かさにある。

          <感謝合掌 令和6年11月29日 頓首再拝>

《気尚(けだか)く生きよう!》 - 伝統

2024/12/01 (Sun) 11:18:30


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月1日)より

もっともっと気尚(けだか)く生きよう。
最も気尚(けだか)いことのほか何事も考えまい、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も為すまい。

他(ひと)を助けよう、
他(ひと)のためになろう。
他(ひと)に愛を注ごう。
愛を注げば
愛が自分に還(かえ)って来る。

悪い人というのは本来一人もない、
地獄というものも決してない。
悪いことがそこに語られるとき
そこが地獄であり、
それを語る人が悪い人である。

汝の世界に天国浄土を実現せんと欲するならば
決して人の悪を語るな、
決して人の悪を思うな、
天国を目指しつつ人の悪を語るものは
必ずや穽(おとしあな)に陥(おちい)って地獄へと墜落せん。

            <感謝合掌 令和6年12月1日 頓首再拝>

気高き生活を - 伝統

2024/12/05 (Thu) 10:33:08


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月5日)より抜粋

値いなしに受けようとしてはならぬ。
肉体の汗か、心の汗か、金銭か、物質的な贈物か、
いずれにせよなんらかの値いを払って受けよ。
値いなしに受けたものは、いつかは奪い返されることがある。

自己の生活が気高き基礎に立つかどうか省みよ。

なんじの生活を、愛と赦しと忍耐との上に築きて、怒りと憎みとを常に支配せよ。
怒りと憎みととは神と汝とを隔てる最も大なる敵である。

常に朗らかであれ。
不快なこと、争いのこと、憎むべきこと、人の悪しきことを忘れ去れ。
忘れ上手が光明生活の第一歩である。

          <感謝合掌 令和6年12月5日 頓首再拝>

【他は是れ吾に非らず】 - 伝統

2024/12/08 (Sun) 11:18:36


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.10.5)より

   (曹洞宗の尼僧、愛知専門尼僧堂堂長、
     青山俊董(しゅんどう)氏の心に響く言葉より…)

    《他(た)は是(こ)れ吾(われ)に非(あ)らず》


   道元禅師は二十四歳で、さらに道を求めて入宋された。

   天童山(てんどうざん)での修行のある日、
   炎天下で滝のように流れる汗をぬぐおうともせず、
   曲がった腰を杖で支えながら椎茸を干している
   老典座(てんぞ・台所を務める役の人)に会う。


   道元さまは思わず「何も年老いた貴僧ご自身がなさらなくても、
   若い者か下働きの者にさせてはいかがですか」と語りかける。

   老典座の口から「他は是れ吾に非らず」の一言が返ってきて、
   道元さまはハッとされる。

   他人にやらせたら、その人の修行にはなっても
   私の修行にはならない。

   私の修行は私がせねばならない、というのである。


   われわれはとかく、苦労の多いことは他人にやらせ、
   楽なほうへまわろうとする。

   楽なほうへまわった分だけ、徳を損じたのだと
   気づかねばならないのだが。

    <『あなたに贈る 人生の道しるべ 続・ことばの花束』春秋社>

         ・・・

釈尊は、「生・老・病・死」について、こうおっしゃった。

「生まれるのも独り、年老いるもの独り、病むのも独り、死するのも独り」

そして、「独り来たり独り去る。一として従う者なし」、と。


人は一人で生まれる。

そして、死ぬときも一人。

たとえ、どんなに親しい友であろうと、
あの世につき合ってくれる人は、一人もいない。


勉強も読書も同じだ。

自分を高めるための読書。

自分を磨くための勉強。

だれも、かわりにやってくれる人はいない。


「他は是れ吾に非らず」という言葉を胸に刻みたい。


・・・

<参照>

命とは「いま、いま、いま」の連続
——青山俊董老師が選んだ人生の結論
https://www.chichi.co.jp/web/20220525_aoyama_shundoh/


今をどう生きる.青山俊董
KSH勉強動画( 2023/02/13)
https://www.youtube.com/watch?v=dD_ZuOBBsso


       <感謝合掌 令和6年12月8日 頓首再拝>

《商売主義を排す》 - 伝統

2024/12/12 (Thu) 11:22:56


       *「光明法語」(12月12日)より)

イエスはユダヤ人の過越(すぎこし)の祭りのちかづいたとき、
イエルサレムの宮の境内に、牛、羊、鳩を売るもの、

両替する者などが坐っているのを見て縄の鞭をつくり、
羊をも牛をもみな宮より逐(お)い出し両替する者の金を散らし、
その台を倒し、鳩を売る者に

「これらの物を此処より取去れ、わが父の家を商売の家とすな」
と言った事が聖書に書かれている。

イエスは神を利用して儲けるところの商売主義に反対したのである。

神に対して商売的な功利主義で相対することは間違いである。

         <感謝合掌 令和6年12月12日 頓首再拝> 

《形式主義を排す》 - 伝統

2024/12/13 (Fri) 11:11:44


       *「光明法語」(12月13日)より)

イエスは暴力を用いなかったか、絶対に無抵抗主義であったかどうか
と云う問題についての議論の際引用せられるのが此の『縄の鞭』である。

イエスは形式主義者ではなかった。
『つるぎを執る者は剣に滅ぶ』といったイエスも剣のほかに
『縄の鞭』は使ったのである。

イエスは『審判(さば)く勿れ』と教えたが、
彼は激して形式主義のパリサイ人を審判いている。

また『審判(さばき)は子にゆだね給えり』とも言っているイエスは
生命主義者であり、生命の動く儘に自由に振舞ったのである。

         <感謝合掌 令和6年12月13日 頓首再拝>

【陽気さこそすべての源泉】 - 伝統

2024/12/14 (Sat) 12:07:52


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.10.15)より

   (無能唱元氏の心に響く言葉より…)

   「金離れの良い人」は魅力のある人であり、「ケチな人」は嫌われる、

   という非常に単純にして明快な真理がここにあります。

   これはつまり、金を与えることによって、
   良き評判を買い取っていることになります。


   ところが、これと同じ意味で、人々の自己重要感を高めてあげてやり、
   その代償としてお金、すなわち富を受け取る、というのも
   「支払いをして、欲するものを買った」ということになるのです。

   そして、この点こそ、世の中のほとんどの人が気づいていない、
   いわば盲点なのです。


   私たちは、他人に対し、
   「形あるもの(お金など)を支払って、 形あるもの(物)を入手する」し、

   「形ないもの(笑顔、愛など)を支払って形あるもの(お金、物)を入手する」
   こともできるのであります。

   そして、この支払いが、たっぷりとなされればなされるほど、
   それに比例して、あなたの魅力度は上がり、
   そして欲するものの入手可能性は高まるのであります。

   私たちは、
   支払うものが有形のものであるにしろ、無形のものであるにしろ、

   とにかく支払いをすることによって、
   有形無形を問わず、欲するものを手に入れているのです。

   ですから、
   「やらずぶったくり」の精神こそ、
   自分の魅力を最も強烈に損なうものであることが、
   これで皆さんにはよくよく理解できたことと思います。



   しかし、繰り返しますが、
   与えるためには、まず自分が豊かでなければ、それはできない相談です。

   精神的にも物質的にも豊かであるためには、
   生命力が横溢していなければなりません。

   すなわち丈夫で、若々しく、気力に満ちており、
   人々に対し「陽気」を与えるものでなければならないのです。



   ここに「陽気」ということばが出てきました。

   実は、これは自然に人間に備わるものではなく、
   かなり人為的に、「自分に動機づけ」しないと、
   なかなか得られるものではないことに、多くの人は気づいていないのです。

   それはつまり、努力の結果得られる一種の雰囲気ともいうべきもので、
   実にこの陽気さこそ、すべての成功のためには
   欠かすことのできない生命力の源泉なのです。

   歴史上において、終わりをまっとうした
   成功者のほとんどに共通するものは、この「陽気さ」にあります。

   また、私たちの周囲を見まわしても、
   物質的な意味において成功した人々のほとんどは、
   この陽気さが身についていることに気がつくのです。



   しかしこの陽気さも、
   自らを自らがコントロールし、自分にそれを動機づけることによって、
   初めて得られてくるものであることに、
   私たちは深い注意を払わなくてはなりません。

   では、この陽気さを自分の身につけるには、どうしたらよいのでしょうか?

   その秘訣は、そんなに難しいことではありません。

   抽象的にいえば「積極的になれ」ということですが、
   これではどうやって積極的を表現していいか分からないむきもありましょう。



   これを具体的にいえば、
   次の3つの行動を起こすことによって得られるものなのです。

   1.笑顔

   2.あいさつ

   3.話しかけ



   まず、鏡を見て、微笑を浮かべる練習をしてみてください。


   次は、だれにでも、こちらから気軽に
   あいさつの言葉をかけるのです。

   「こんにちは」「よいお天気ですね」といったように。


   そして第3は「話しかけ」です。

   「春ですねぇ。もう梅が三分咲きですね」
   「日中は暑いですが、さすがに朝夕は涼しいですね」と

   べつに返事をしなくてもよいような言葉を用意しておいて、
   気軽に話しかけるのです。

   この時、大切なことは、話題は肯定的な内容にすることで、
   気分が快く、人生を明るくするようなことを、つとめて選ぶことです。

        <『人蕩(じんとう)術奥義』致知出版社>

        ・・・

「陽気」とはにぎやかで明るいことだ。

陽気な人には「笑顔」がある。

どんなことがあってもめげずに、明るく考えることができる。

ちょっとしたことも面白がったり、楽しんだりできる。

そして、すべてにわたって肯定的。


つまり、よく笑う人。

笑いは肯定だから。


にぎやかな人は、子どもの心をもっている。

子供と一緒になってキャッキャと楽しく遊ぶことができる。

いくつになっても、ふざけたり、大騒ぎできる人だ。

そして、ふざけすぎて、「うるさい」なんて、
ときどき子供のように怒られたりもする。



無能唱元氏は、

「魅(み)は与(よ)によって生(しょう)じ、
 求(ぐ)によって滅(めっ)す」という。

魅力は与えることによって生まれ、
他人から何かを取ろうとしたらその魅力は即座に消えてしまう。



陽気な人も、与え続けている、魅力ある人。

「陽気さこそすべての源泉」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

【価値ある絶版本】人生の攻略本「人蕩術奥義」が手に入ったから
ちょっと中身を紹介するよ
https://nishikei.jp/uranai-books/8029/

         <感謝合掌 令和6年12月14日 頓首再拝>

【毎日を楽しく生きる】 - 伝統

2024/12/23 (Mon) 12:03:17


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.10.19)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   身内やなんかに病気の人がいたら、
   心配してあげることが愛だと思っている人がいるんです。

   だけど、愛ってそういうことじゃなくて、
   病気でつらいかもしれないけど、
   その中でも楽しく生きる方法があるよってことを教えてあげられること。

   幸せになるというのは、
   与えられた環境の中で、どうやって幸せになるかなんだよ。


   病気で苦しんでる人もいれば、病気でも楽しく生きている人もいる。

   あのね、看護師さんを口説いてるツワモノだっているよ(笑)。


   どう生きるかは、自分の人生の問題だよね。

   病気だから不幸だって思う人は、実はその前から不幸なの。

   会社でこういうことがあって不幸だとか、
   ああいうことがあって不幸だとか。

   幸せになりたいんだったら、
   どんな環境でも幸せになることを考えたほうがいいよね。


   私がいつも思ってるのはね、神様から
   「これならもう、一人さんも参ったをするだろう」
   っていう苦しい課題が出てきたときでも、
   絶対に参ったはしないぞってこと。

   それが一人さん流の生き方なんです。

   だから私の場合には、何か問題が起きると
   「これをどう乗り越えようか」って考えるだけで楽しくなるの。


   できるだけ苦しみを混ぜないこと。

   毎日を楽しく生きること。

   みんなに、たくさん、たくさん幸せが訪れて欲しい。

   一人さんは、心からそう願っています。


       <『斎藤一人 俺の人生』マキノ出版>

       ・・・

斎藤一人さんは、「幸せと商売」についてこう語っている。


『しあわせを見つけるのがヘタな人は、
 商売の成功の仕方を見つけるのもヘタです。

 うまくいってない人って、
 しあわせも成功も、「見つけるもの」だと思ってないの。

 「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと思っているんです。

 チャンスも「来るもの」だと思っていて、「見つけるもの」だと思っていません。

 ようは、日ごろから“見つけグセ”がないんだよ。

 「ご飯が食べられてしあわせ」とか
 「仕事ができてしあわせ」とか、
 しあわせを探すクセが日頃からあるかどうかなんです。

 ちょっと自分にイヤなことがあっただけで
 「最悪だ!」って言っている人生と、
 「今日も朝起きられてしあわせ」って言う人生では違います。

 「しあわせのタネ」を見つけられる人って、
 「商売のタネ」を見つけるのも上手です。

 しあわせな人って、
 いいところを見つけるのが上手なんだよね。』



そして、大事なことは、生き方や考え方の中に、苦しみや苦労を混ぜないこと。

苦労話はずっと聞いているとドッと疲れがでて、どんよりしてしまう。

苦労話や苦しくてつらい話を聞いて、元気が出てくる人はあまりいない。

たとえ大変な苦労したとしても、
その苦労を微塵(みじん)も感じさせない人は、さわやかで元気を与えてくれる。

毎日を楽しく生きることができる人だ。


どんな環境でも幸せになれる人でありたい。

・・・

<参照>

【要約】斎藤一人 俺の人生【斎藤一人】
フェルミ漫画大学( 2021/12/16)
https://www.youtube.com/watch?v=gZYIQD6aJd0

0:00 「斎藤一人 俺の人生」授業開始!!

1:07 絶対に人の悪口を言わない

2:23 人生を変えたいなら今までと違うことをする

3:44 楽しいと思えることをやる

5:05 「できない」という思い込みをなくす

6:28 失敗するたびに見えない階段を登っている

7:42 他人を許せる人の周りには人が集まる

9:09 人の意見を否定するときは代案を出す

10:28 与えられた環境でどう幸せになるかを考える

11:37 「斎藤一人 俺の人生」授業終了!!
12:37 END


         <感謝合掌 令和6年12月23日 頓首再拝>

常に、後味のよいことを考える - 伝統

2024/12/25 (Wed) 09:27:55


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月25日)より

憎みを考えるものではない。
話題をそういう問題から常に避けるようにしなければならぬ。
常に、愛のことを、深切のことを、心に残る後味のよいことを
考えるようにしなければならぬ。

ピシリと相手をやっつけても、
そのあとで心が後味の悪さで苦しむようでは、
その相手に負けているのである。

勝つとは、後味までも歓べることである。

        <感謝合掌 令和6年12月25日 頓首再拝>

難癖をつける習慣をやめよう - 伝統

2024/12/28 (Sat) 12:54:21


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月28日)より

「勝てる」という自信はよいが、「負けまい」という焦燥は自分自身を殺すものである。
「勝てる」という自信はその人を寛大にし、「負けまい」という焦燥は人に難癖をつけて
不条理に蹂躙(ふみにじ)ろうとする。

難癖をつける心は、一方に相手の立派さを認めながら、それを強いて逆に蹂躙(ふみにじ)ろうと
するのであるから、その人の心中は自己葛藤に満たされる。

自己葛藤は自己自身を粉砕し、自己の人格を低卑にし、自己の健康を傷つける。
この場合、人格の低卑と健康と不良とは同意義である。

・・・

        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月29日)より

人々よ、今日(きょう)から他(ひと)に難癖をつける習慣をやめようではないか。

あなたがもし他(ひと)に難癖をつける習慣を改めるならば、
あなたの周囲がきっと前よりもいっそう輝き出すだろう。

世界が明るくなるであろう。
人々もあなたにまた難癖をつけることをやめるであろう。
世界が広々とした海闊明朗な世界になるであろう。
全体があなたを祝福し、あなたは今よりも幸福になるであろう。

呟く歌や悲しむ歌を雑誌などに書いている人を見るごとに、
わたしはその人をかわいそうと思わずにはいられないのである。

いたるところに眼を開けば光が充ち満ちているではないか。


   観終わり東(ひんがし)の空を見てありき燃ゆるがごとく雲流れけり

   太陽も大空も樹(き)も空も鳥もすべて生きてあり生かされてあり

            <感謝合掌 令和6年12月28日 頓首再拝>

【流れに逆らわない】 - 伝統

2024/12/29 (Sun) 11:24:13

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.7.9)より

   (順天堂大学医学部教授、小林弘幸氏の心に響く言葉より…)


   モヤモヤした気持ちを抱えたまま
   日々暮らすことほど自律神経を乱す生き方はありません。

   今職場がイヤでイヤで仕方がなく
   「できれば異動したい」「転職したい」と
   思っている人もいるでしょう。

   あるいは、まったく望まない部署に
   配属されてしまった人もいるかもしれません。


   そんなとき、思い切って会社を辞めるなど大胆な決断ができる人は
   そうやって自分で切り開いていけばいいと思います。

   でも、世の中そんな人ばかりではありません。

 
   ここで大事なのは「流れに逆らわない生き方」。


   私自身、多くの方から「医者として順風満帆ですね」と
   いわれることがありますが、 決してそんなことはありません。

   むしろ挫折ばかりの医師人生です。

   もともとは小児外科医だったので、
   その分野で高みを目指し、研究を進めることを志していました。

   しかし私よりもはるかに優秀な医師を目の前にして
   「とても自分が突き詰められる分野ではない」
   と思い挫折しました。


   それから医療訴訟の分野に携わるようになりました。

   多くの医者が見向きもしないと考えられていたような分野です。

   そんなことに従事しながら、私は医師になってからずっと続けていた
   研究の軸「自律神経」の研究をより真剣に継続するようになり、
   現在のような活動につながっています。


   自分の希望からは外れて、外れて、外れた果てに今がある。

   そんな感覚です。

   挫折ばかりの医師人生で、私が意識してきたのは
   「流れに逆らわず、だからといって腐りもせず、
    置かれた場所で咲こうとしたこと」です。


   どんな人の人生も思い通りにいかないこと、
   望まない境遇に立たされることはしょっちゅうです。

   そんなとき、いつまでもモヤモヤを抱えて暮らすのではなく、
   スパッと気持ちをリセットして
   「流れに任せてみよう」と思い直して前を向く。

   しなやかで、悪くない生き方ではないでしょうか。

         <『リセットの習慣』日経ビジネス文庫>

         ・・・

小林正観さんは「流れに逆らわない」について、こう述べている。


『ひと言で言うと、風が吹いているか、川が流れているか、ということです。

 自分の希望を振りまわして、希望通りのものを探すのではなくて、
 なんでもいいから、とりあえず一生懸命やるぞという生き方を選ぶことです。

 この風と流れに逆らわずに生きていく、ということ。

 これを私は、「風流な人」と名づけました。

 これはおまかせの人生です。

 それで道が開けます。

 宇宙や神は、目の前にいつも楽しい人生を 提示してくれています。

 しかしそれを個人の好き嫌いで左右すると、
 そういう提示を止めてしまいます。

 「せっかくいい出来事を示してあげているのに、
  自分の好き嫌いで選ぶんだなぁ。

  乗っかってこないのだなぁ。
  だったら、教えてあげるのをやめよう」
  ということになるみたいです。』

   (豊かな心で豊かな暮らし /廣済堂文庫)より



好き嫌いで選ばず、目の前にやってきた風や流れに身をまかせる。

宇宙からのメッセージにゆだねる生き方でもある。

おまかせの人生だ。


流れに逆らわないで生きる人でありたい。

・・・

<参照>

『リセットの習慣』の要約について
https://shoty417.com/risetnosyukan/


【リセットの習慣】書籍要約|
疲れ切っているあなたに、本当に必要なこと|小林弘幸
ビジネス書の書評(2023/01/16 )
https://www.youtube.com/watch?v=sjN4eNlv5mM&t=11s

    ・・・

『豊かな心で豊かな暮らし』小林 正観
本のコンパス//ビジネスと自己成長のための読書ガイド(2024年12月11日)
https://note.com/bookreview_lab/n/na23b5651e1ba


小林正観【最終メッセージ①】
「豊かな心で豊かな暮らし」究極のまとめ
人生を変える学校( 2021/08/28)
https://www.youtube.com/watch?v=0-Sc64H53AU


小林正観【最終メッセージ②】
「豊かな心で豊かな暮らし」究極のまとめ
人生を変える学校( 2021/08/29)
https://www.youtube.com/watch?v=XZ5hXYsIidI


小林正観【最終メッセージ③】
「豊かな心で豊かな暮らし」究極のまとめ
人生を変える学校( 2021/08/30)
https://www.youtube.com/watch?v=BZnWcKmZIZ0&t=0s

      <感謝合掌 令和6年12月29日 頓首再拝>

神の心、太陽の心、親分の心 - 伝統

2024/12/30 (Mon) 09:16:45


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月30日)より

健康が心の中にあるのみではなく、財福もその人の心の中にあるのである。

親分の心になることが、自分自身の運命を親分にまで推し進める。
いつまでも子分の根性で功(こう)を同僚の間で争い、
眼を偸(ぬす)んで安らかさを希(こいねが)っているようなことでは、
その人の運命はいつまでも子分であるのであろう。

親分の心の最大なるものは、神の心である。

すべてを赦し、すべてのものを太陽のごとく照り、温(あたた)め、
みずからは光線と温熱と生命(せいめい)を投げ出すのみで、
敢(あ)えてみずからは求めぬのが神心(かみごころ)。

太陽の心。太陽の心。これが親分の心である。
かくのごとき人はよく衆(しゅう)を率(ひき)い
大いに伸びるのである。

            <感謝合掌 令和6年12月30日 頓首再拝>

《再び新生をする》 - 伝統

2024/12/31 (Tue) 10:47:44


        *「光明法語」(12月31日)より

愈々今年もこれで終わる。

吾等は今日限り一切の悪しき習慣、
人を怒ること、憎むこと、恨むこと、不平に思うこと、悲しむこと、
取越苦労すること、持越苦労する事を止めることを誓うのである。

何事に対しても腹立てることなく、常に愉快に、明るく、
人々の心の中に、行いの中に、常に善のみを見て悪を見ず、

物事は今を生かして積極的に取進み、
常に自らが神の子であり、円満完全であり、
無限の能力と健康とを所有していることを自覚自信し、

撓(たゆ)むことなくひるむことなく神の道に邁進せんことを誓う。

            <感謝合掌 令和6年12月31日 頓首再拝>

天鼓と曼陀羅華とで飾られたる天国 - 伝統

2025/01/03 (Fri) 09:09:59


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月3日)より

人生の唯一の目的は神の国をこの世に実現するということである。
神の国とは天人常に充満し、絶えず天鼓(てんく)の響きを妙(たえ)に、
摩訶曼陀羅華の花降る世界である。

天鼓(てんく)とは天の鼓ではない。
人間の人を賞(ほ)め讃える声である。

曼陀羅華とはインドにある華(はな)ではない。

華(はな)の笑(え)むように
和やかな微笑、深切な言葉、思いやりのある行ないが
天上から降る曼陀羅華である。

これら天鼓(てんく)と曼陀羅華とで飾られたる
妙(たえ)なる世界の姿が天国である。

天国とは別の世界のことではない。
われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。

           <感謝合掌 令和7年1月3日 頓首再拝>

家族を愛せよ - 伝統

2025/01/04 (Sat) 11:25:30


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月4日)より

何よりも大切なのは、まず自分の家庭を天国とする術(すべ)である。
それができなければ人間生活の土台が完成したとは言えぬ。

まず手近にある家族を愛せよ。
そこから天国が生まれてくるのである。

われわれは天国とはどこか遠い国にあるように思い、
幸福とはどこか外のところにあるように思っていたが、
脚下(あしもと)になるのである。

まず、朝起きたとき、すべての家族たちに優しい言葉を、
朗らかな韻(ひびき)のある語調で投げかけよ。
これが第一家庭を幸福な天国にする秘訣である。

気がついたら今日(きょう)からそれを始めよう。

           <感謝合掌 令和6年1月4日 頓首再拝>

善事をなすという習慣を続ける - 伝統

2025/01/05 (Sun) 10:05:57


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月5日)より

一日だけで、やりかけた善事を止めてしまうような者は、
何事も成功から墜落する。

つまらないことのようでも小さき善事を継続することによって、
その人の魂は進歩し、環境は天国化するのである。

一日ぐらい懶(なま)けてもいいだろうというような考えから、
善事をなす習慣をたった一日廃絶したことによって
堕落した人は世間にたくさんある。

昨日(きのう)きめた、
朝起きた時に家族一同に優しい言葉を朗らかな調子で
投げかけることを今日も続けなければならない。
そしてさらに進んでいっそうの善事をつけ加えることをしたい。

食膳で感謝することである。
食物の本源である神の生かす力に、それを造ってくれた百姓の労苦に、
それを調理してくれた妻・娘または召使にである。

食物はまずくとも決して小言を言わぬことである。
食物の小言を言ったために終日その家庭が不快になったような経験は、
人類の誰でもが持っていることである。

食物そのものよりも、心の愉快さと、空腹とが食物の味を増すのである。
遠足に行って食べる梅干と握り飯の美味しさを思えば、
このとこの真理は解る。

心が愉快でないときどんな食物もまずい、
まずいのは自分自身の心の罪であり、
料理をしてくれる他(た)の家族や召使の罪ではない。

空腹でないために、美味しくないのは、
習慣に捉えられて空腹でないのに食事をするためである。

精神的に進歩したい人は、朝食を廃して、
出勤前の2時間を善き読書に費やすがよい。
毎朝2時間の読書の習慣は、その人をかなり向上もさせれば、
博学多識にもする。

時間がないという者は、時間を造らない人のことである。
時間は、他の多くの道具などと同じく、
人間によって製造せられるものである。

           <感謝合掌 令和7年1月5日 頓首再拝>

仕事の秘訣 - 伝統

2025/01/06 (Mon) 11:25:16


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月6日)より抜粋

常に人の《ため》になる仕事、常に世の《ため》になる仕事、
たゆみなくかかる仕事に従事している人には魂の喜びが伴う。
仕事が無上の喜びとなり、仕事の中に休息と慰安とがある。

金(かね)を貰って働いている人も、
金を貰って働くと思えばその時から魂の喜びは消えてしまう。

金(かね)を頂くのは、
それが多いにせよ少ないにせよ神様から恵まれたものであると感謝し、
仕事は仕事で人のため世のためへの自分の魂の献(ささ)げ物であると思って、
人のために尽くすという喜びの中に仕事をするがよいのである。

かかる仕事の中からは不断の喜びが湧く。
金と仕事とを交換的に考えてはならぬ。

仕事はいかなる「金(かね)」よりも尊いものであるがゆえに、
仕事のために「金(かね)」を貰っているという考えが起こるや否や、
仕事の歓びは半減される。

仕事を常に支配すること。
仕事に支配されてはならぬ。
仕事を追い回すことは、仕事から追い回されない秘訣である。

仕事に予定を立てておいて、そのゴールまで突進するのは
仕事を捗(はかど)らせる良き方法である。

しかし、ゴールに到着しない日があっても焦(あせ)ってはならぬ。
一日の労は、一日の労で足りるのである。

常に働いていながら、その仕事が捗らないのは、
何か神の摂理(おぼしめし)があるのであろうと、
またそのことに感謝するがよい。

そこからいらいらした心持(こころもち)が
和(なご)やかになり、平和が魂に戻ってくるであろう。

急がず、たゆまずに進むのが仕事の秘訣である。

        <感謝合掌 令和7年1月6日 頓首再拝>

緩急自在な生活 - 伝統

2025/01/07 (Tue) 10:51:00


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月7日)より

常に仕事をすると言っても、緩急がなければならぬ。
緩急のない生活は、張り切ってばかりいる弓の弦(つる)のように、
次の矢をつがえることができぬ。

一張(ちょう)一弛(し)の交代によって弓の矢は的(まと)を射抜(いぬ)く。
張り切ってばかりいる弦(げん)はついに切れる。

さればといって、仕事をする時に懶(なま)けよと言うのではない。
弓を射るときには一心(しん)でなければならぬ。
仕事をするときにも一心でなければならぬ。

本当に張り切ったとき仕事は前に命中する。

仕事が終わるか、定められた休息の時間が来るか、家に帰って家族と
うち寛(くつろ)ぐ時が来た等のときには本当に打ち寛(くつろ)がねばならぬ。

仕事は渋面(じゅうめん)をつくるためにあるのではない。
仕事は喜びを感ずるためにあるのである。
仕事を渋面をつくるためにあるように思ったり、
渋面をつくらねば真面目でないと思ったりするのはまちがいである。

団欒のときには楽しくすることが一つの仕事である。
家庭の団欒が忘れられているがために、妻が不平を言ったり、家族が病気になったり、
良人が危険の淵に近づいてゆくことも考えねばならぬ。

人間は金を積んで走る馬車馬のために造られているのではない。

            <感謝合掌 令和7年1月7日 頓首再拝>

団欒と仕事との調和を考えること - 伝統

2025/01/08 (Wed) 11:06:38


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月8日)より

あまりに四角四面な余裕のない押しつめられた生活からは
幸福な生活は生まれぬ。

曲線と直線とが巧みに調和していなければ
美術でも生活でも美しくないのである。

団欒と仕事との調和を考えること、
あたかも美術家が曲線と直線との調和を考えるがごとくでなければならぬ。

            <感謝合掌 令和7年1月8日 頓首再拝>

八方正面の心境で自由自在に生きる - 伝統

2025/01/13 (Mon) 11:03:31


      *「光明道中記」(1月13日《八面玲瓏の日》)より

【心が柳の枝に雪折れなしの様な状態になったら神経衰弱が治りました。
                      (『生命の實相』第三巻)】

すべての人の立場を認めるとき、吾々は八方正面の心境に到達するのである。
八方正面とは隙がないことである。
凡ゆる立場に於ける相手の位置が、その儘に自分の心の中に映り来るのである。

すべての立場を認めることが出来ず、一つの立場のみを正しいと思い、
その立場にのみ心を執しているとき、その他の方面は全然隙だらけになって
打ち込まれてしまうのである。

あのことに熱中していましたので、つい忘れていましたと言うのは、
弁解にはならないのである。

剣も碁も兵法も商道も、すべての方面見て行き届かねば名人ではない。

如何に鋭くとも折れ易い刃は役に立たない。
人間は剃刀(かみそり)の如く鋭い一面も必要ではあるが、
柳の枝のような強靭性も必要である。

世の中は「硬(かと)う柔(やわら)こう、柔こう硬う、
円(まる)う四角う、四角う円う」
自由自在に生きなければならないのである。

仏教に通達するには無字の門関を透過しなければならぬ。
無字を透過するは、柳の枝の如く無抵抗に、そして
「我れ地に穏かを出さんが為に来れるに非ず、剣を投ぜん為に来れるなり」
と言った基督のように鋭くならん為である。

            <感謝合掌 令和6年1月13日 頓首再拝>

《その所に於いて生き切れ》 - 伝統

2025/01/15 (Wed) 10:45:01


       *「光明法語」(1月15日)より

すべての人は神の子であるから、
必ず何か特殊のその人でなければならない才能が宿っているのである。

その才能を伸ばしさえすれば必ず自己は幸福となり、世界も亦、
それによって幸福を得るのである。

その才能とは何であるか、自己に与えられている才能が何であるかが
自分に解らないときには、現在の仕事と環境に於いて、
自分の出来るだけの力を尽くして精出せばよいのである。

全て既に与えられている所のものを充分感謝してそれを生かせば、
必ずそれは真の自己の才能を伸ばす所の踏み台となり、第一歩となるのである。

           <感謝合掌 令和7年1月15日 頓首再拝>

《惰性的安定感に堕ちてはならぬ》 - 伝統

2025/01/16 (Thu) 11:28:09


      *「光明法語」(1月16日)より

新しい想念を入れることが出来ず、変化すべき時に変化に抵抗し、
新しき経験が自分の生涯に入(い)り来(きた)ることを拒む人間には
進歩はない。

この種の抵抗は前途に対する不安恐怖の念から来る。
今までやってきたことが一番安全だという
愚かしき固定概念に支配されているからである。

もしすべての人類がかくの如き固定概念に支配されていたとしたならば
この世界にも人間にもどんな進歩も発達も得られなかったのである。

現在の状態の崩壊することは悲しいことのように見えるけれども
それは却(かえ)って進歩と幸福への契機である。

            <感謝合掌 令和6年1月17日 頓首再拝>

心清き人になる - 伝統

2025/01/19 (Sun) 10:25:36


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月19日)より

心が清くなることを心がけよ。
衣裳や白粉(おしろい)で飾っても、心の清さには及ばない。

心を清くするには悪を思ってはならない。
特に他人(ひと)の悪を思ってはならない。
他人(ひと)の悪を思ったら、他人(ひと)の悪が入って来る。

これは「自分に深切でない」ことである。
心を汚(けが)すのが唯一の罪であり、唯一の穢(きた)ないことである。

それでも他人(ひと)の悪が自分の心の中へ毒薬のように入って来たならば、
その毒薬の害毒を避ける道は、赦すことである。

腹を立てたり、興奮してはならない。
その人が善に立ち戻ることができるように静かに祈り、
かつその人のために考えてやらねばならぬ。

         <感謝合掌 令和7年1月19日 頓首再拝>

否定しない習慣 - 伝統

2025/01/22 (Wed) 10:56:37

否定しない習慣

<林 健太郎(著)、フォレスト出版(刊)>

(1)褒めるよりもまず否定しないことが大切。

(2)事実だから否定しても良いという思考はしない。

(3)過剰な期待はしない。

(4)否定してしまった時はリカバリーをする。

(5)『さすが』と言って相手を褒める。

【1分読書】否定しない習慣
【忙しい人のための要約・まとめ】より抜粋
https://note.com/unpsymind/n/n8c957f2283df

<参照>

ビジネス選書
https://www.bbook.jp/backnumber/2024/07/7670.html


【要約図】人間関係が9割よくなる
『否定しない習慣』
https://mindmeister.jp/posts/daigaku-reading-map04


否定しない習慣(著:林 健太郎)【要約・書評】
無意識に否定的な態度を見直す
https://oicho-book-tama.com/donotdeny/


否定しない習慣3分で読める本要約
https://note.com/lovely_clover718/n/n0aa12db40865


<要約動画>

【要約】否定しない習慣【林健太郎】
フェルミ漫画大学(2023/08/15 )
https://www.youtube.com/watch?v=C8riMIUZ2pI

0:00 はじめに/良い人間関係を保つ方法

2:41 褒めるよりもまず否定しないことが大事

4:50 事実だから否定してもいい
   という思考はしないこと

8:15 自分は正しいという思い込み

11:11 過剰な期待はしない

13:41 「否定しそうになったときは
   「かもしれない」をつけて視野を広げる」

15:53 「そうなんですね」「なるほど」で
   まず相手を承認する

17:52 つい否定してしまったときはリカバリーする

19:07 否定しない態度で接することを心がける

21:58 「さすが」と言って
   相手をちょこちょこ褒める

23:42 まとめ
25:38 END


【驚愕】無意識に〇〇している人、
否定して大損していました!
『否定しない習慣』
学識サロン(2024/09/10)
https://www.youtube.com/watch?v=3oYNShjKZaE

【目次】
0:00 オープニング
1:25①否定しないの勘違い
4:09②否定しないマインド
6:11③承認を使いこなす

          <感謝合掌 令和7年1月22日 頓首再拝>

深刻と暗黒とを混同するなかれ! - 伝統

2025/01/25 (Sat) 11:49:25


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月25日)より

悲劇は深淵であり、どん底であり、暗黒であるかもしれぬが、
悲劇を深刻だというのはまちがっている。

深刻とは深切と同じ意味の言葉であって、
人間の 魂 の深奥から湧き出でるところの、
深々とした生命(せいめい)の表現、叡智の表現、法愛の表現が、
深切であり深刻であるのである。

深切を親切などとまちがえて書かれている世の中であるから、
なれなれしく親しくするのが深切だと思っている人もあるが、
深切とは時として峻厳な統制であり、
仮借(かしゃく)することなき規律である。

人類の 魂 の《深》奥から《切》実に深々として湧き出でるかぎり、
どんな明るいものでも深刻である。

人類は深刻と暗黒とを混同する愚(ぐ)から避けねばならぬ。

           <感謝合掌 令和7年1月25日 頓首再拝>

【「肯定」を人生の中心に】 - 伝統

2025/01/27 (Mon) 09:50:55


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024/10/19 )より
 
  (本田直之氏の心に響く言葉より…)

   人によっていろんな見方がある。

   いくらまわりで評判になっていても、
   自分にはいいと思えないものもあるだろう。

   ただ、わざわざ否定しなくてもいい。


   たとえ訪れたレストランが、自分の口に合わなかったとしても、
   ネガティブな印象を文字や言葉にして伝えるのは損だ。

   毒を吐けば、自分に戻ってくるし、
   そこから先にいい展開が生まれることはない。


   「批判」を人生の中心に据えて生きている人がいるが、
   当人はつねに戦わなければいけなくなる。

   自己満足のために、
   自分の幸福感を犠牲にする必要なんてあるだろうか。

   よかったことだけを、よかったと言えばいい。

   よくなければ、なにも言わなければいいだけの話だ。


   《もちろん、仕事や家庭では
    率直に厳しい意見を言うべきときもある。
    それはリスクをともなうからだ。》


    【うまく批評できたとしても、誰もきみを尊敬しない。】


     <『思考をやわらかくする授業』サンクチュアリ出版>

       ・・・

本やその読書ブログに対して、口汚い言葉で罵(ののし)り、
激しい言葉で、コメントしてくる人がいる。

そもそも、本は、その人に向けて書かれたわけではない。

何百ページとある中で、いくつかは自分とは、
意見が異なるページがあることは当たり前だ。

しかも、それを見ている人は、その著者のファンが大部分を占める。

それなのに、それを真っ向否定するような意見を書くというのは、
自分から敵を増やしているようなものだ。

自己肯定感の低い人だ。


自己肯定感の高い人は、
多少自分と異なる意見があったとしても、それを聞き流すことができる。

意見が違ったら、その場では言わず、自分のブログなりSNSで、
遠まわしにひっそりと、自分の意見として書けばいいだけの話だ。

もちろん、相手の名前を出したり、
わかるように書くような無粋なマネはしない。


何でも否定したり、批判したり、ケンカ腰で生きる人は、どこか暗い。

しかし、どんな場面でも肯定から入る人は、明るくて元気がある。

そして、人気者だ。


「肯定」を人生の中心に据えて生きる人でありたい。

・・・

<参照>

『思考をやわらかくする授業』要約
https://sharedoku.com/archives/1820


【読書ノート】『思考をやわらかくする授業』
https://note.com/syosai_club/n/nb47222091b59

       <感謝合掌 令和7年1月27日 頓首再拝>

心朗かに、日に日に進歩する - 伝統

2025/01/30 (Thu) 11:15:06


       *「光明道中記」(1月30日《美点を見る日》)より

【憂欝になって来た時哄笑(こうしょう)を爆発させよ、
 之(これ)が健康と若さを保つ秘法である。(『生命の實相』第十一巻)】

心朗かになる道は、世の中に悪と云うものが
決して存在せぬことを根本に知ることである。

一局部だけを見ずに大局を見る。
短かい眼を以て見ずに長い眼を以て見ることである。

冬のうちに春の兆(きざ)していることを知ることである。
陰極は必ず陽転することを知ることである。

心朗かになる道はすべての人を赦すことである。
憎しみを放ち去ること、憤(いきどお)りを含まぬこと。
すべての人の美点を見ること。

相手の立場に自分を置いて考えること。
気にくわぬことは忘れること。
呟(つぶや)かぬこと。罵(ののし)らぬこと。

みずから立ちて我れに無限力ありと思い返すこと。
他と協力するのは好いが、こちらが弱者的角度から同情を請わぬこと。

人生の戦いはその人の執(と)る生活の角度で最初にきまるのである。

負ける人は常に負ける角度から出発し、既に負けているかの如く呟き、
既に負けているかの如く左顧右眄(さこ うべん)し、
既に負けているかの如く人に依頼し、依頼心を裏切られたと言って
嘆き悲しみ呪い呟く。

呟くひまに、呪うひまに、悲しむひまに、嘆くひまに、
日に日に進歩する者はついに勝利するものである。

        <感謝合掌 令和7年1月30日 頓首再拝>

時処相応の真善美の生活 - 伝統

2025/01/31 (Fri) 11:53:29


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月31日)より

事件に巻き込まれてはならない。
また時処(じしょ)に超然としてもならない。
生命(せいめい)は時処を超越しながら時処の中に美しき華を開く。

「真(しん)」は時空の外に超越している存在であるが、
「善」と「美」とは真(しん)が時処(じしょ)相応(そうおう)を
得たときにあらわれる。

「二二ンガ四」は「真(しん)」であるが、
「三三ンガ九」が必要な時処(ときところ)に
「二二ンガ四」が出て来たのでは時処相応でないということでそれは悪である。

数理の「真(しん)」の世界には無限の数の組合せがあるが、
そのうちで時処相応はただ一つである。

生命(せいめい)の「真」の世界においても
無数の生命(せいめい)の行き方があるが、
その中で、ただ一つだけ「時処相応」がある。

常に「時処相応」の生活をしている人は生活の名人である。
われわれはこの生活の名人になるべく常に心がけたいものである。

常に神の叡智の導きに耳を傾けよ。
そこから本当の時処相応の真善美の生活が顕われてくるのであろう。

        <感謝合掌 令和7年1月31日 頓首再拝>

《自分の立場を捨てること》 - 伝統

2025/02/05 (Wed) 11:35:24


           *「光明法語」(2月5日)より

自分の立場だけを考えては可かぬ。
人には色々の立場があり、その立場に立って思い、考え、
感じ、悲しみ、苦しみ、喜んでいるのである。

彼の立場に立って同喜同悲してやるのでなければ本当に愛深いという事は出来ぬ。
愛とは自分の立場に立たず、彼の立場に立って、彼のために考えてやることである。

「汝みずからの如く汝の隣人を愛せよ」とのイエスの聖訓はまさにこの事に他ならない。

『甘露の法雨』を読んでも神想観をしても治らぬ病人で
「自分の立場を捨てよ、頑固に自分を主張する心を捨てよ」と
教えられて治った人もある。

        <感謝合掌 令和7年2月5日 頓首再拝>

《一寸でも愛に反(そむ)く行為をするな》 - 伝統

2025/02/10 (Mon) 11:15:35


           *「光明法語」(2月10日)より

ベージル・キング氏はその著書のなかで、
人の見ないところでも一寸でも不深切な行為をすることを全然やめた時に、
自分の資産が著しく増加することになったと云う事を書いている。

これも「天地一切のものと和解した」ために
神の愛の流れに入口をひらいた為であると言い得る。

キング氏は

「神と自分との間にある通路は、
 實に何でもないとおろそかにする小事によって
 塞がれてしまうことがある。

 一寸したズルい行為。
 一寸した不深切な嘲笑。
 一寸した世間話。
 一寸した酷評。

 すべて一寸した愛にそむく行為によって」

と言っている。

          <感謝合掌 令和7年2月10日 頓首再拝>

責任を喜ぶ日 - 伝統

2025/02/11 (Tue) 10:44:47


           *「光明道中記」(2月11日)より

【罪を他に帰するは、自分を土偶(でく)人形にすることである。
                 (『生命の實相』第二巻)】

責任回避は生長の家の生き方とは大凡(おおよそ)反対のものである。
宗教的生活とは、すべての結果に対して
其の原因を自分に反照して自分自身を浄(きよ)める生活である。

自分が若し他から害を受けたことを承認するならば、
それは既に自己が弱者であることを自己確認したのである。

そして自己が弱者であることを自己確認する位ならば、
他から害を受けたことに就いて呟くことなかれ。

弱き者は結局他から害を受けるほかはないのであるからである。
若し汝が弱者であるならば、原因を他動的なものに帰してはならない。

若し自身が不幸であるならば、
自己を傷つけたものは自分のほかにないと自分自身に語れ。

いずれにしても他を恨み、
他を憤(おこ)るべき理由は一つもないのである。

最大の優強者は自己を以て宇宙の一切の事物に責任ある者だと
自覚を持つ聖者である。

世の中の人々が、まだ全部、光明思想によって救われ切らないのは、
自分の罪だと私は言いたい。

        <感謝合掌 令和7年2月11日 頓首再拝>

自他の悪口を言ってはならぬ - 伝統

2025/02/13 (Thu) 11:34:21


       *「光明法語」(2月13日《自己の不運をかこつな》)より

不深切、残忍、卑怯、殺人、盗罪ーそのようなことは神の愛にそむくのである。
神は愛であるから、神の愛にそむく一切の行は神と波長が合わないのである。

吾々が人の悪を決して云わないことに決心し、
それを実行した時に屹度その人は運が向くのである。
更に自分の不運をかこたぬことにしたら一層運が向くだろう。

他人の不運(悪口)を呟くのも、どちらも神の子をけがす罪なのである。
キリストはすべての罪は赦されるけれども
聖霊をけがす罪は赦されないと言っている。

聖霊の出生である人間の悪口を言ってはならぬ。

            <感謝合掌 令和7年2月13日 頓首再拝>

【感情は放っておく】 - 伝統

2025/02/14 (Fri) 08:54:45


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.9.8)より

   (精神科医、和田秀樹氏の心に響く言葉より… )

   わたしが嫌う考え方に、「決めつけ」があります。

   たとえばこちらがメルマガでなにかいったり書いたりしたことを、
   「なにもわかってない」「頭が悪い」「偏見だ」といった調子で、
   ボロクソにけなします。

   そういう人たちに共通するのは、まず礼儀の欠如です。

   メールでもネット上のコメントでも、
   乱暴な文章だし誤字も多いし、 悪意に満ちています。


   わたしは自分の意見が批判されることじたいはなんとも思いませんが、
   根拠も論理性もなく、しかも無礼な物言いで
   決めつけられるとやっぱり頭にきます。

   ムシャクシャして、仕事が手につかないときだってあるのです。

   そもそもわたしの意見はあくまで一つの見方です。

   それが絶対に正しいとはわたし自身、思っていません。

   「いろいろな見方があるだろうけど、わたしはこう思う」
   ということを主張しているだけです。


   それを最初から「わかってない」と
   決めつけられれば、議論は成り立ちません。

   もちろん「こんなの、相手しなくていい」とわかっているのですが、
   うっかり読んでしまって腹を立てることが何度もありました。

   そこで対策を講じました。


   まず、メールなら読まないことです。

   悪意に満ちたコメントを送ってくる相手は匿名がほとんどであり、
   件名を見ただけでイヤな感じがしますから無視。

   うっかり読んでしまった場合でも、反論なんかしません
   (といいながらたまにしてしまうのが、感情のこわいところですが)。

   そんなヒマがあったら毎日、
   やることはいくらでもありますから、それを一つずつ片づけていきます。


   黙殺、これは感情コントロールの基本です。

   そのうちわたしの意見に賛成してくれたり、
   わたしと同じような意見を伝えてくれるメールが届きます。

   こちらは礼儀正しく、冷静で、しかも決めつけをしていません。

   そういうメールを読むと、すっかり機嫌よくなるのです。


   じつに単純です。

   でも、この単純さが感情のいいところです。

   つまらないこと、ほんとうにくだらないことで
   カッとなっても、そんなものは放っておいて、

   できることや、やらなければいけないことを
   淡々と続けていると、ふっといいことに出合います。

   その瞬間、気持ちが明るくなってしまうのです。


     《感情コントロールには基本的な技術がある》

   <『感情的にならない本 不機嫌な人は幼稚に見える』PHP文庫>

       ・・・

本書の中に「森田療法」のことが書いてあった。

『神経症の治療法として世界中に広まっている森田療法には、
 「感情の法則」と呼ばれる考え方があります。

 その中に一つだけ、ものすごくシンプルなものがあります。

 「感情は放っておけばだんだん収まってくる」という法則です。

 不快なことを気にすればよけいに不快な気分になりますが、
 感情というのは放っておけばそのうち静まってくるのです。

 「腹が立つ」・・・放っておく。

 「悔しい」・・・放っておく。

 「憎い」・・・放っておく。』


高校生や大学生の頃、
「人生最大の恥ずかしいこと」や
「最悪な嫌な思い出」と思ったことも、

大人になってみると、実際に「あれ、何だったのかな」と
思い出せなかったりする。

1ヵ月や2ヵ月前の、
はらわたが煮えくり返ったような怒りの出来事であってもそれは同じだ。

「感情は放っておけばだんだん収まってくる」

だから、すぐに敏感に反応しないこと。


鈍(どん)になること。

ボーっとすること。


「感情は放っておく」という言葉を胸に刻みたい。

            <感謝合掌 令和7年2月14日 頓首再拝>

とげとげしい心を捨てるには - 伝統

2025/02/15 (Sat) 12:13:45


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月15日)」より

どんな美しいバラの花でも、その棘に触ったときにはハッと驚いて捨てられる。
人に嫌われるのは心に棘があるからである。

これだけ立派な仕事をしているのに人が自分を遠ざけるというような人は、
これだけ美しい花が咲いているのになぜ人が自分を捨てるのだろうと、
みずから疑うバラの花のようなものである。

とげとげしい眼、とげとげしい言葉、とげとげしい行動、
その一つ一つを抑えようとしてもなかなか直るものではない。

まずとげとげしい心を捨てなければならぬ。
とげとげしい心を捨てるには「とげとげしい心」を
アリとして抑えてもなかなか直るものではない。

暗は暗をいくら押さえてみても消えるものではない。
暗を消すには光を持ってくるにかぎる。

とげとげしい心が自分にあると気づいたら、その反対を持って来るのである。
「自分は優しい優しい人間であって、とげとげしいところはちょっともない」と、
その反対の念を自分自身にいって聞かせればよいのである。

           <感謝合掌 令和7年2月15日 頓首再拝>

嫌なことに向き合うことの危険 - 伝統

2025/02/16 (Sun) 09:35:06

嫌なことに向き合うことの危険
【プレアデスからの使者】マイア(2025/02/15 )
https://www.youtube.com/watch?v=GeCwXk2dW7s

           <感謝合掌 令和7年2月16日 頓首再拝>

凋落の兆し - 伝統

2025/02/20 (Thu) 11:33:13


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月20日)」より

伸びることを忘れた時に凋落が始まる。

樹木を見て、その真理を悟れ。

            <感謝合掌 令和7年2月20日 頓首再拝>

【我々は元々全員「狩猟採集民」】 - 伝統

2025/02/25 (Tue) 11:13:57


      *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.9.10)>

   (アンデシュ・ハンセン氏の心に響く言葉より…)

   実感がないかもしれませんが、私たちも全員、元は狩猟採集民です。

   しかし世界がすっかり変わってしまって、
   今は命に関わる危険といえばタバコや車の運転、
   ソファに座りっぱなしで過ごすといったことですが、

   それに対して危険を感じる本能は持っていません。

   人間が進化した世界には存在しなかった種類の危険だからです。


   つまり私たちの身体や脳は生きのびて
   子孫を残すために進化したのです。

   気分良く幸せに暮らすためではありません。

   そうだったら良かったのですが、何より命が優先です。

   死んでしまったら元も子もないのですから、
   脳にとってはそのような優先順位になります。


   そのため脳はあらゆる危険を遠ざけようとします。

   私たちを守り、安全な状態にいさせたいのです。

   どうやってそれをするかというと「感情」を使います。

   しかし、そこでハッピーな感情や心地良い感情は使いません。

   恐怖や不安を使うのです。


   崖のふちに近づいたら「ちょっと怖いな」と思うでしょう。

   その不安がどんどん強くなり、最後には怖くて足がすくみます。

   それで正解なのです。


   脳が生きのびるために正しい選択をさせようとしている、
   つまり崖から引き返すように働きかけて いるのですから。

   引き返すとほっとして、「安心」という感情のごほうびをもらえます。

   よかった、これで今回も生きのびられました。


   つまり感情というのは、
   脳が私たちを生かしておくために使う道具なのです。

   そのため、生きのびられるようなことをすると
   気持ちの良い感情がわくのです。

   例えば群れに属しているのは良いことなので、友人と会うとうれしくなったり、
   好きな料理の香りを嗅ぐとお腹が空いたりするのです。

   しかし何よりも危険を避けることが最優先、
   人間はそうやって生きのびてきたの です。

          <『メンタル脳』新潮新書>

      ・・・

本書の中に「狩猟採集民」について、こう書いてあった。


『狩猟採集民の人生は非常に過酷でした。
 子供の半数が10代になる前に死んでいたのです。

 それは、人類の歴史の99.9%の時間に及んでいる。

 その理由は感染症、出血多量、事故、脱水症状や殺人でした。

 私たちの脳がそういった種類の危険に
 強く反応するように進化したのも無理はありません。

 だから、目の前にカロリーたっぷりの食べ物があれば
 いくらでも食べてしまいます。

 草むらでちょっと何かが動いただけでびくりとしてしまうのは
 ・・・危険な動物が隠れているかもしれないと思うからです。

 独りぽっちになるのも嫌いで、
 群れの中にいられるように全力を尽くします。

 サバンナでは群れで暮らすのが1番安全で、
 独りになったら死んだも同然だからです。』



人類は600万年の間、ずっと狩猟採集生活だったという。

食料を見つけたら次に見つける保証がないので、
その場で食べられるだけ食べて、これを脂肪として蓄えた。

野山での外敵から身を守るため、心配性で、怖がり、危険に敏感で、臆病で、
ストレスをためやすい性質が600万年続いたのだ。

そして、最後の1万年で定住、農耕と牧畜が始まった。


長い人類の歴史からすると、最後の1万年は、あってないようなもので、
600万年かけて身についた性質は、人間の本能のようなものでなかなか変わらない。

『我々は元々全員「狩猟採集民」』

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

【驚愕】人の悩みは日頃の、ある癖のせいでした!
『メンタル脳』
学識サロン( 2024/03/19 )
https://www.youtube.com/watch?v=89WoHxlLfGc

【目次】
0:00 オープニング
2:17①なぜ不安を感じるのか

5:50②メンタルを強化できる方法~運動

8:07③SNSがあなたを不幸にする

・・・

【動画要約】メンタル脳【アンデシュ・ハンセン】
フェルミ漫画大学(2024/02/12)
https://www.youtube.com/watch?v=fakyallt-lo

0:00 はじめに/私たちの心のメカニズム
1:28 脳は今でもサバンナで狩猟採集をして
   暮らしていると思っている

3:45 脳は感情という道具を使って
   私たちを危険から守っている

5:13 私たちの祖先は群れで生きてきたので、
   孤独に不安を感じる

7:09 ストレスや不安が問題なのではなく、
   それが長く続くことが問題

9:20 まず運動、身体を動かすと気分が和らぐ

11:35 信用できる人たちに囲まれること

13:42 毎日、7〜8時間以上寝る

15:39 SNSやニュースを控える

17:46 自分の能力を活かして他人の役に立つ
19:17 まとめ
20:50 END

       <感謝合掌 令和7年2月25日 頓首再拝>

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