伝統板・第二

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幸福の筐を開く⑫ - 伝統

2024/07/02 (Tue) 10:15:15


幸と福

安岡正篤・一日一語 1月24日~25日より

幸と福①

「さいわい」にも幸と福(福)と二字ある。

学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、
偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。

たまたまいい家庭に生まれたとか、
思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、これは幸。
これは当てにならない。



幸と福②

そうではなくて原因を自分の中に有する、
即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。

福という字がそれをよく表しておる。
示偏(しめすへん)というのは神さまのことだ。

示というのは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表す。

旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵(たわら)を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたるものが「福」である。


・・・

<関連Web>

   ”生長の家“本流宣言”掲示板”「幸せとは (5453)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1185   (消滅)

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「幸い (475)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=137     

(2)「光明掲示板・第ニ」内スレッド「幸福 (10773)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2071  (消滅)

   伝統板・第二 にて再掲示
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7817631

(3)光明掲示板・第三「幸福 (85)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=42

(4)光明掲示板・伝統・第一「幸福への出発」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=17

(5)伝統板・第二「幸福の筐を開く①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6493420

(6)伝統板・第二「幸福の筐を開く②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6840845

(7)伝統板・第二「幸福の筐を開く③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7564514

(8)伝統板・第二「幸福の筐を開く④」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7609493

(9)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑤」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7726414

(10)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑥」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7817369

(11)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑦」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7891876

(12)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑧」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7987733

(13)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑨」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8112999

(14)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑩」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8247383

(15)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑪」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8315660

       <感謝合掌 令和6年7月2日 頓首再拝>

幸福のテクニック3選 - 伝統

2024/08/11 (Sun) 11:08:37

【今日から簡単に使える!幸福のテクニック3選】
遠くの幸せを追いかけて、息切れしていませんか?
はるママ(2024.8.10)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/04983f64ee3efb10988d1a675d2f805ad95788e3

(以下は抜粋です)

(1)何気ない日常を大げさに喜ぶ。

(2)「もしなかったら?」と想像する。

(3)明日のいいことを思い描く。

・・・

<参照>

【要約】幸福の達人 科学的に自分を幸せにする行動リスト50【Testosterone】
フェルミ漫画大学(2021/12/28 )
https://www.youtube.com/watch?v=REfU381Lzs0

0:00 「幸福の達人 科学的に幸せになる方法8選」授業開始!!
1:13 2か月後の旅行を予約し先払いをする
2:44 モノではなく経験を買う
4:11 友達や同僚にランチを奢る
5:23 スマホ時間を減らす
6:33 他人と比較しない
7:50 もし〇〇がなかったら?と想像する
9:04 週に10分運動する
10:16 自分にとって正しいことをする
11:34 「幸福の達人 科学的に幸せになる方法8選」授業完了‼︎
12:24 END

・・・

<参照>
幸福の達人 科学的に自分を幸せにする行動リスト50~目次
https://mokuhon.net/?p=2436


第1章 脳のクセを攻略する(リスト01~10)

第2章 ポジティブな面に注目する(リスト11~20)

第3章 利他の心を持つ(リスト21~26)

第4章 人間関係に投資する(リスト27~33)

第5章 健康を死守する(リスト34~41)

第6章 自尊心を育てる(リスト42~50)

https://yuu0707.com/testosterone-master-of-happiness-book/

       <感謝合掌 令和6年8月11日 頓首再拝>

心が軽くなる方法 - 伝統

2024/09/02 (Mon) 11:15:13


【斎藤一人】※運命を変える言葉、心が軽くなる方法を特別に教えるよ。
幸運の近道切符(2024.8.5)
https://www.youtube.com/watch?v=cmuhruj3zao

        <感謝合掌 令和6年9月2日 頓首再拝>

幸せがずっと続く6つの秘訣 - 伝統

2024/09/03 (Tue) 09:51:23

     *「今日、誰のために生きる?」ひすいこたろう/SHOGEN(著)より

(1)小さな幸せが、一番大きな幸せだと気づく。

(2)自分の本音を大切にする。

(3)無駄を大切にする(効率を求めない・今ここを楽しむ)。

(4)ダメな自分を「かわいい」とゆるす(完璧であろうとしない)。

(5)一番身近な大自然、体の感覚を取り戻す(五感を磨く)。

(6)歓喜する!

https://x.com/mashiro369/status/1773110957511770530

       <感謝合掌 令和6年9月3日 頓首再拝>

幸福のコツ - 伝統

2024/09/04 (Wed) 11:26:11

【斎藤一人】※このひと言が9月を変えるます…簡単です!
幸運の近道切符(2024/08/27)
https://www.youtube.com/watch?v=AiUZvpUW78w

       <感謝合掌 令和6年9月4日 頓首再拝>

自分の内に平和を作り、調和を作る - 伝統

2024/09/13 (Fri) 11:26:53


【並木良和さん】激しく 幸せになる秘訣2024_09_08_月
Soso 14-16(2024/09/10)
https://www.youtube.com/watch?v=eQv-Wc3QmDw

       <感謝合掌 令和6年9月13日 頓首再拝>

【幸福を感じながら、生き生きと生きるコツ】 - 伝統

2024/09/14 (Sat) 12:20:37


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.9.2)より

   (医師、鎌田實(みのる)氏の心に響く言葉より…)

   数学者として出発し、のちにノーベル文学賞を受賞した
   哲学者・バートランド・ラッセルは、著書『幸福論』の中で、

   自分の関心を内へ向けるのではなく、
   外界へと向けることが幸福の条件と説いている。

   つまり「好奇心」が、幸福をもたらすのだと。

   僕の敬愛するアルトゥール・ショーペンハウエルは、
   悲観主義者として知られている。

   だが、そんな彼ですら、 著書『幸福について』において、
   「自分を幸福にしてくれるのは心の朗らかさ」と書いている。

   心が朗らかであるかどうか。

   「朗らかさ」も一つのキーワードになるのではないだろうか。


   一方で、フランスの近代哲学に大きな影響を与えたアランの『幸福論』には、
   「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」とある。

   名言だと思う。

   どう生きるかは、「意志」の問題であり、

   「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」

   という前向きな姿勢は、現代においても有効だろう。

   「笑う」ことにこだわりたい。



   内科医である私、鎌田實の「幸福論」はもっと俗っぽい。

   幸せホルモンと呼ばれるセロトニンを分泌すれば、人間は幸せな気持ちになる。

   反対に、セロトニンが足りなくなれば
   うつうつとしてしまう生き物なのだ。

   実際、うつ病の方は、セトロニンに関わる薬を飲むことが多い。

   うつ病でない方は、薬を飲む必要は全くない。

   なぜなら、自分で分泌できるからだ。


   どうすれば分泌されるのか もわかっている。

   (1)朝、太陽に当たる。

   (2)リズミカルな運動をする。
      鎌田式スクワットやかかと落としが有効。

   (3)トリプトファンを摂取する。
      これはセロトニンの材料となる物質で、
      肉や 卵、豆腐や高野豆腐、チーズなど、
      タンパク質に含まれる必須アミノ酸のこと。
  
      美味しいものを食べると幸福を感じるのは、
      セロトニンの原材料を摂取しているから。


   どんな時代でも幸福を感じるために必要なことは、それほど変わらない。

   好奇心を持つ、朗らかである、笑う、
   そして太陽に当たりながら軽い運動をして、美味しいものを食べる。

   これが、幸福を感じながら、生き生きと生きるコツ。

     <『鎌田式「にもかかわらず」という生き方』宝島社新書>

      ・・・

「ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は、遊び心と好奇心だ。

 遊び心とは、笑うことを愛する、というアピールをする気持ち。

 好奇心とは、常に人間の心にあって、想像力によって刺激されて生まれたものだ」
        
(ウォルト・ディズニー)



定年をとうに過ぎた年齢なのに、若々しい感性を持っている人がいる。

反対に、実年齢は若いのに、すでに老人のような人もいる。

その違いは、「好奇心」と「遊び心」の有無だ。

「好奇心」と「遊び心」をなくしたとき、人は老いる。



また、精神科医の斎藤茂太氏は「ユーモアは、“にもかかわらず”笑うこと」という。

どんな厳しい状況になっても、そこでユーモアを言って笑わせることだ。

すると、今までのトゲトゲした雰囲気が、笑いによってパッと明るくなる。



「好奇心を持つ、朗らかである、笑う、
 そして太陽に当たりながら軽い運動をして、美味しいものを食べる。」

幸福を感じながら、生き生きと生きるコツを身につけたい。

・・・

<参照>

『鎌田式「にもかかわらず」という生き方』書評
http://tunagaru.org/akiyama-essay/241


【動画本要約】「鎌田式「にもかかわらず」という生き方(鎌田實)」を
15分で解説してみた
10分読書@しまこ(2024/07/21)
https://www.youtube.com/watch?v=ZyK5ED6asCk

       <感謝合掌 令和6年9月14日 頓首再拝>

見ると腰を抜かすほどの幸運が・・・ - 伝統

2024/09/20 (Fri) 09:54:42


3秒でも良いです。大至急再生してください
すぐに見ると腰を抜かすほど幸運が訪れます
夢かと思うほど全て上手くいくように設定
Healing Lounge Channel(2024/06/11 )
https://www.youtube.com/watch?v=qAsrB0W4hzc

       <感謝合掌 令和6年9月20日 頓首再拝>

幸せな人の考え方・3選 - 伝統

2024/09/23 (Mon) 08:15:17

【幸福への近道】しあわせは考え方で決まる!幸せな人の考え方・3選
心理カウンセラー・ ラッキー(2021/02/21)
https://www.youtube.com/watch?v=UjIaZHRYZNY

(1)反すう思考がすくない。

(2)人との比較が少ない。

(3)感謝が多い。

       <感謝合掌 令和6年9月23日 頓首再拝>

幸運が訪れる音楽 - 伝統

2024/09/24 (Tue) 08:49:01


すぐに見ると腰を抜かすほど幸運が訪れます
夢かと思うほど全て上手くいくように設定
Healing Lounge Channel(2024/06/11 )
https://www.youtube.com/watch?v=qAsrB0W4hzc

  ポジティブヒーリング最強528hz+4096hz+369hz+高次倍音20000hz

       <感謝合掌 令和6年9月24日 頓首再拝>

幸福になるための2か条 - 伝統

2024/09/28 (Sat) 11:22:56


      *『森信三 幻の講話』第28講「生きがいのある人生」より


「幸福」について話をするさい、わたしくはいつも、

「幸福というものは、これを求めようとしたら
 かえって得られないものであり、
 逆に自分の為すべきつとめを真剣にやっていれば、
 自然に与えられるもの」

ということを、よく申して来たものであります。


つまり幸福というものは、それ自身を追求すると、
かえって得にくいものであり、
かりに得られたとしても、すぐに消えてゆくものだと思うのであります。


そこで、それでは一たいどうしたら幸せが得られるかと申しますと、

それはその人が人間として為すべき事がらと、真剣に取り組んでいれば、
しぜんと与えられるものだと思うのであります。


では、その人が人間として為すべき事がらとは、
一体どういうことかと申しますと、それは、


(一)その人が自分の天分を十分に発揮し実現することであり、


(二)今ひとつは、
   「人のために親切にする」ということであります。


そしてこの二つの事に真剣に取り組んだなら、
どんな人でもいつかは、自然に幸福に恵まれて、
幸せになると思うのであります。


したがってわたくしは、この二カ条を
人生の生き方の上から考えて、もっとも大切な根本的な二カ条だと
考えるのであります。

同時に、それ故にこそ、
この二つの事を守りさえすれば、
やがてその人は幸せになれると確信するわけであります。

       <感謝合掌 令和6年9月28日 頓首再拝>

福を身につける3つの道 - 伝統

2024/09/29 (Sun) 11:16:00


    *メルマガ「人間力」(2024.9.28)より

─────────────────
明治から大正、昭和にかけて活躍した
文豪・幸田露伴。

数々の名作を生み出す一方で、
『努力論』や『修省論』など、
よりよき人生をひらくための
随筆も書き残しています。

それらを座右に置いてきた
碩学・渡部昇一先生に、
幸田露伴が説く福を招き寄せる
生き方を教えていただきました。

─────────────────

〈渡部〉

露伴は福を身につける三つの道を示します。
「惜福」「分福」「植福」です。

運が巡ってきて福に恵まれます。

そこでどうするか。

恵まれた福を使い切らず、
その福の一部を見えないところを
巡っている運にお返しするような気持ちでとっておく。
その心掛けが惜福です。

露伴は母親に新しい着物を
作ってもらった兄弟を例に述べます。

一人は古い着物はまだ着られるのに
行李の底に放り込んで黴だらけにし、
新しい着物を毎日着てたちまち着崩してしまいます。

一人は古い着物は日常着とし、
新しい着物は改まった場で着るようにします。

前者には惜福の工夫がなく、
後者の態度こそ福を惜しむということだ、
と露伴は言っています。


「幸運は七度人に訪れる」という諺があります。

その一方、自分は非運続き、
一度も運に恵まれなかった、と嘆く人がいます。
本当にそうでしょうか。

七度訪れるかどうかは別にして、
仔細に見れば、運と全く無縁の人など
いるはずがありません。

問題は、微かにでも巡ってきた運を感じ取り、
有り難く受け止めることができるかどうかです。

どのようなものであれ、
自分に巡ってきた運を感じ取り、感謝する。

この心が惜福を心掛け、
惜福の工夫をする土台になります。

惜福は自分に来た福をどう扱うか、
言ってみれば自己一身の問題で、
どちらかと言えば福に対処する消極的側面です。

しかし、これだけでは十分ではありません。


自分に来た福を他に及ぼしていく
積極性がなければならない、と露伴は述べます。
それが分福です。

自分に来た福を自分で使い切らず、
いくらかは分けていく。

分福は特に人の上に立つ者にとっては
不可欠の心掛けだと言えましょう。

惜福分福は自分に来た福への対処の問題です。

だが、福に対して受け身であるだけでは、
万全とは言えません。いつになるかは分からない。
どこに行くのかも分からない。

だが、いつか誰かに巡っていく福の種を蒔き、
幼木を植えておく心掛けと工夫があってこそ、
福は万全のものになる、と言えましょう。
それが植福です。

「福を論じて最も重要なのは植福である」

と露伴は言い、
一本のリンゴの木を譬えにして説明しています。

リンゴの木を植え、適宜剪定をして
木を長持ちさせるのは惜福です。

そうして豊かに実った果実は
自分が味わうのはもちろんですが、
自分だけでなく他にも分けて楽しみます。分福です。


さらにリンゴの種を蒔き、
幼木を育ててリンゴの木を増やしていきます。

増やしたリンゴの木がつける果実を、
自分は味わえないかもしれません。

だが、子や孫と次の世代が
そのおいしさを堪能できるのは確かです。
これが植福です。
植福とは福を作り出すことなのです。

これを繰り返せば、
「無量無辺の発生と産出とを為す」と露伴は言います。

・・・

<参照>

文豪・幸田露伴に学ぶ福を身につける三つの道【渡部昇一】
https://www.chichi.co.jp/web/20230713_watanabe_shoichi/

       <感謝合掌 令和6年9月29日 頓首再拝>

ある末期患者の話 - 伝統

2024/10/01 (Tue) 10:53:51


       *Web:今日も良いことがあるように(2023/05/16)より

長く病院でチャプレンの仕事をされている
沼野尚美さんから教えていただいたお話です。

悪性脳腫瘍で入院していた、二十歳の健ちゃんは、
ガンが末期状態にあり、手術は不可能、ただ死を待つという状況でした。

手足の末端から麻痺が進み、食物はおろか唾液すら口の中にためては
吐き出す毎日で、精神的にもまいっていました。医療者を罵り、
神などいないと言っていました。

ところが、そんな彼に転機が訪れます。
かつて一度、無意識のうちに危篤状態におちいった時の話を母親から聞いたのです。
彼は考えます。

「その時にぼくが死んでいても不思議でなかったのなら、
 今生きているのではなく、生かされているのだ」と。

それなら、生かしてくださっている方を知りたい」と言い、
沼野さんが読み聞かせる聖書の話をどんどん吸収していくようになったのです。

やがて彼は、洗礼を受けたいと望むようになります。



《人間の幸せとは》

ある時、沼野さんは健ちゃんに聞きます。

「人間の幸せって何かしら」

言ってしまった後に、しまった、と思ったそうです。
首から下がほとんど麻痺した状態で毎日ベッドに横たわり、
死を予感している彼になんと配慮のない質問をしてしまったのかと。

が、健ちゃんはすぐに確信をもってこう答えたのです。

「人間の本当の幸せとは、心が自由であること。
 憎しみ、妬み、怒りから自由に解放されていること。
 体の自由さより心の自由さの方が大切だと思う」

彼は聖書を通してイエスを知り、神さまに愛されていることを感じ、
心を開いてイエスといっしょに生きる決心をしてから
心は自由になったと言います。

「嬉しくて、胸がビシビシと張り裂けそうや。
 みんなにもこの喜びを知ってほしい」と。


その一週間後、彼の容態は悪化します。

人工呼吸器がつけられる前日、「どうしてそんなに平静でいられるの」
と問う沼野さんに彼はこう答えたのでした。

「今まで覚えた聖書のみ言葉を心の中で繰り返すことと、
 感謝している出来事を思い出して、心の中で繰り返すと、平安になるよ」

人工呼吸器をつけて声を失ってからは、
大きく口を動かして自分を訪れる人に気持ちを伝えました。

「あ・り・が・と・う」

そのまま彼は、二十一歳で旅立ちました。

(沼野尚美著『いのちの輝き』(くすのき出版)とご講演から)

https://lucky.t-nakai.work/2023/05/16/kiji-56/

       <感謝合掌 令和6年10月1日 頓首再拝>

【幸福度をアップさせる方法】 - 伝統

2024/10/12 (Sat) 10:56:14


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.7.18)より

   (東海大学医学部教授、川田浩志(ひろし)氏の心に響く言葉より…)

   1週間、毎日帰宅後に、その日に起こった良い出来事3つと、
   それらが起こった理由を記録すると、幸福度が明らかに上昇することが
   調査研究でわかっています。

   その効果発現パターンは、
   「性格上の強みをもっと使う」効果と似ていて、
   記録後1ヶ月経った時点から幸福度が上昇してきます。


   この方法が幸福度を上昇させるメカニズムは、
   自分を取り巻いている世界に対して
   自分自身が抱いている認識を変える効果によると考えられます。

   一日のなかで、良いことと、良くなかったことが同じ割合で起こったときに、
   幸福度の低い人は良くなかったことばかりに意識が向きがちのため、
   今日もあまり良い一日ではなかったと認識する傾向があります。

   しかし、無理矢理にでも3つの良い出来事をあげなければならないとして
   一日をあらためて振り返ってみると、

   そういえば朝の電車のなかでウトウトしているうちに落としてしまった文庫本を、
   隣の見知らぬ人が拾って渡してくれた、などの、
   意識の片隅に追いやられていた小さな良い出来事の数々を思い出すことになります。


   これを繰り返しているうちに、
   よく考えてみれば自分にもけっこう良いことが、じつは起きている。

   自分の人生もなかなか捨てたものではないかもしれない、
   と自分の人生をポジティブに再認識することになります。

   さらに、この1週間続けた記録がきっかけになって、
   それ以後も、以前よりも良いことにもっと目が向くようになることが、
   幸福度の上昇につながっていると考えられます。


   私は、この三つの良い出来事を書く方法を、
   「幸福の積立貯金」と考えて日々実践しています。


    <『人生を楽しんでいる人は歳をとらない』ディスカヴァー>

          ・・・

小林正観さんは、「見方道」というものを提唱している。


ものの見方は、一生涯かけて会得するくらい価値あるものだからだ。

一つひとつの事件や自分に起きた出来事を、
すべて見方によって変えていく訓練。

たとえば、コップに半分水が入っていた場合。

一つ目は、
「半分しか水が入っていないじゃないか、不愉快だ」
という否定的な捉え方。

二つ目は、
「コップに半分も水が入っていて、嬉しい、幸せ」
という肯定的な捉え方。

三つ目は、
「誰かがコップに半分も水を残してくれた、ありがたい」と
いう感謝の捉え方。

以上(豊かな心で豊かな暮らし/廣済堂出版)より抜粋引用



一日の中で、よいことが起きたことを3つ記録するという、
幸福度をアップさせる方法も、まさに「見方道」の考え方だ。

訓練によって、よきものを見つけるのが上手になる。

同様に、「感謝すること」も訓練によって上達する。

毎日の出来事の中で、他の人に感謝することを探す訓練だ。

感謝が多ければ、幸福度は確実にアップする。


幸福度をアップさせる方法を身につけたい。

       <感謝合掌 令和6年10月12日 頓首再拝>

【幸せになるための6つのコツ】 - 伝統

2024/11/08 (Fri) 09:39:14


NHK「幸福学」白熱教室』エリザベス・ダン,ロバート・ビスワス=ディーナー
幸せについて知っておきたい5つのこと


(1)他者と良好な関係を築く。

   「人との交わり」は、決して魔法の切符ではありません。
   でも他者と良好な関係を築くことは、
   確実に「幸せになるための必須条件」なのです。

(2)感謝を表現する。

   感謝を表現した人たちはみな、
   ただ日記をつけていたグループよりも、
   驚くほど幸福感が増していたのです。

(3)モノよりも「経験」を買う。

   社会的な経験こそ、物質よりもはるかに
   心に大きな価値を生み出す。

(4)他人への投資をする。

   自分のために使った学生よりも、
   人のためにお金を使った学生のほうが、
   幸福度がはるかに高くなっていることがわかったのです。

(5)誰かにした親切を数える。

   今日1日、自分がした親切を書き留めたり、
   日記や手帳に印をつけましょう。
 
   ドアを押さえてあげるとか、コーヒーを1杯おごるとか、
   高速道路で車を前に入れてあげるとか、小さなことでかまいません。
   ささやかな無償の親切です。

(6)過去の楽しい記憶を思い出す。

  ①自分の過去から楽しい記憶を引き出せば、
   確実に幸せな気分に浸れます。

  ②悲しいときや孤独を感じたときには、
   楽しかったことを思い出すといいでしょう。
   ボジティブな回想をすれば、前向きな気持ちになります。

https://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/52161477.html

・・・

白熱教室海外版“幸福学”白熱教室~幸せの処方箋~ 第4回 20140131
https://www.youtube.com/watch?v=v2ph9SlR01Y&t=46s

       <感謝合掌 令和6年11月8日 頓首再拝>

自分の思いを変えて、現実を変えていく - 伝統

2024/11/11 (Mon) 09:13:36


潜在意識『既にある』が腑に落ちたのでシェアします
思考の学校【潜在意識・引き寄せ】大石洋子(2023/08/21)
https://www.youtube.com/watch?v=BKgQ_4ltWa8

(1)「ザ マジック」を道しるべにして、
   「既にある」現実、満たされている現実に
   気づいていく。

   「すでに与えられている現実」の中から
   気づいていく。

(2)親の愛がすでにあったという想いを
   作っていく、深めていく。


<参照>

ザ マジック【感謝ワーク】のすごい効果とは?
https://sinusrhythm-coaching.com/themagic_thankswork/

ザ・マジック 感謝ワーク実践:28日間のまとめ
https://ameblo.jp/ooo-mizutama-ooo/entry-12774689560.html

厳選本「ザ・マジック」の名言と要約。人生を好転させる「魔法」
https://worldbestthing.com/themagic-meigen-youyaku/

       <感謝合掌 令和6年11月11日 頓首再拝>

【受け入れること】 - 伝統

2024/11/12 (Tue) 08:30:32


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.8.13)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   《お釈迦様の教えは「受け入れること」》

   私たちは、小学校、中学校の教育において、

   「思いを持って、努力をして、頑張って、
    必死になって、今ないものを手に入れなさい」

   「自分の思い通りにすることが幸せである」

   と洗脳されてきました。


   でも、お釈迦様の教えは、「受け入れること」。

   思いを持たないで、目の前に起こったことに対して
   「そうきましたか」と受け入れてしまうほうがラクなんです。

   「この人をどうにかしたい」とか、
   「この状況から抜け出したい」とか
   「もっと実績を上げたい」と

   思うから苦しいのであって、丸ごと受け入れてしまえばいい。


   自分の達成目標、努力目標を掲げ、それに向けて努力してもいい。

   けれど「努力する人生」「思い通りにする人生」を選んだ人は、
   「寂しい人」なのかもしれません。

   自分で階段を駆け上がらなければ、
   人に評価してもらえないのかもしれません。

   外的なものを身につけていなければ、愛されないのかもしれません。


   愛されたいなら、駆け上がらないで、「今、愛されたらいい」。

   愛されたいなら、目の前の現象を「受け入れればいい」。

   愛されたいなら、「自分から愛していけばいい」。

   愛されたいなら、「喜ばれる存在」になればいい。

   愛されたいなら、「頼まれやすい人」になればいい。


   喜ばれるように生きていれば、
   いつの間にか「自分が喜ばせてもらえる」ような
   「よき仲間」に囲まれるようになるのです。

       <『もうひとつの幸せ論』(ダイヤモンド社)>

         ・・・

幸せになりたいなら、「今、この場で、この瞬間になればいい」と
小林正観さんはいう。

それは、今目の前にある当たり前の幸せに気づくこと。

何事もない淡々とした毎日の中に幸せを見つけること。


お釈迦様の教えである「受け入れること」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

小林正観 著 「もうひとつの幸せ論」
http://phm202.blog.fc2.com/blog-entry-407.html


もうひとつの幸せ論~正観さんの言葉~2023 5 1~
株式会社SKP(2023/05/01)
https://www.youtube.com/watch?v=OHC0GFvSbEo

       <感謝合掌 令和6年11月12日 頓首再拝>

【陽気に楽しく生きること】 - 伝統

2024/11/27 (Wed) 10:14:49


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.9.28)より

   (分子生物学者、村上和雄氏の心に響く言葉より…)


   プラトンの弟子であったアリストテレスは
   「ヒトは笑う動物である」という有名な言葉を残し、
 
   カントは「笑いとは緊張の緩和から来る」と言いました。

   また、ニーチエは
   「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである」
   「笑いは世の中を変革する武器の一つにもなる」
   とまで言っています。

   こうした賢人たちが笑いについて真剣に向き合ったのも、
   笑いには秘めた力があることを
   どこかで見抜いていたからなのでしょう。


   ところが、偉大な先人たちが「笑いの力」に
   ついて多くの示唆をしてくれているにもかかわらず、

   現代人は「笑い」を邪魔とまでは言わないまでも、
   何かのオマケのような扱いにしてしまっています。

   そんなことよりも、もっと賢くなければならない、
   しっかりお金儲けできるように ならなければならないと。

   親も、それこそが人間の究極の目的であるかのように
   子どもたちを育てています。


   しかし私は、遺伝子の科学者として言えることがあります。

   それは、どれだけ人間が賢くなっても、
   生物はそもそも何の目的でつくられた存在なのかは
   そう簡単にはわからない、ということです。

   さらに、存在自体が奇跡的な生命そのものをデザインした
   「something great (大いなる何か)」の望みは、
   私たちがもっと単純に、陽気に楽しく生きることなのではないか。

   そんなふうに思えてならないのです。


   もし、自分が親の立場なら、
   ニコリとも笑わず勉強の成績とお金儲けばかり追求している子よりも、
   少々抜けていようが、笑顔を絶やさず他人のために何かするのを
   厭わない子の方がかわいくはないでしょうか。

   遺伝子工学が進歩して、生命の実相に踏み込んでいけばいくほど、
   むしろ「わからないことがたくさんある」ということが
   明らかになっていきます。

   そうなると、科学では手におえない哲学や宗教の世界にも通じてきます。


   人間とは何か。

   生命とは何か。

   そんな深遠なテーマを、いまの教育は蔑ろにしているように思います。


   人間は何のために生まれ、どう生きるべきかという
   大事な課題を無視して、

   知識ばかり増やしていくわけですから、
   現代人がどこかで病的な状態を
   引き起こしてしまうのも無理のないことです。

   昔はもう少し、そういった神や仏、おてんとうさまなどの世界とも
   つながるようなことを、親たちは日常的に話し、
   子どもを諭していました。

   そんな話が親子でできることこそ、
   人間として本当に大切なことではないでしょうか。

       <『どうせ生きるなら「バカ」がいい』水玉舎>

        ・・・

生まれ変わり(輪廻)の話の中で、
あらゆる本の中に書かれているある一つのことがある。

あの世に行くと、向こう(あの世)で決まって聞かれる言葉だ。

それは、「人生を、どれほど楽しんできたか」という問い。

つまり、人生という現象をどう捉えたか、という質問だ。


「陽気に楽しく生きること」とは、
楽しく飲んだり食べたり、ゲームしたり、
旅行したりすることだけではない。

そんな特別なイベントだけが楽しいのだったら、
それ以外の日常は楽しくない日々となってしまう。

「陽気に楽しく生きる」とは、
日常に起こることを、いかに陽気に、楽しく、面白く、
受け取ることができるか、ということ。


目の前に起こるすべてのできごとには色がついていない。

色とは、

「楽しいこと」か「楽しくないこと」、
「面白いこと」か「面白くないこと」、
「幸せ」か「不幸せ」か、という色だ。

風邪をひいたときでも、
「まったく嫌になっちゃう、ツイてない」
と思うのか、

「少し休めってことだな、ありがたい」と
思うのかで受け取り方はまったく違う。

「まとまった時間ができた、今まで読めなかった本が読める。嬉しいなぁ」、と。


目の前に起きたできごとを、どう受け取るか、どんな見方をするかという、
その人の考え方次第で「幸、不幸」は決まるのだ。

どんなことが起きても、陽気に楽しく生きること。

毎日のできごとが、神さまからのテスト。

・・・

<参照>

【村上和雄】3分で読める
「どうせ生きるなら「バカ」がいい」
https://www.youtube.com/watch?v=A0iuBMJhyZY

       <感謝合掌 令和6年11月27日 頓首再拝>

冬至前後、この奇跡波動で、最幸の年末年始を - 伝統

2024/12/19 (Thu) 09:38:33

冬至前後、この奇跡波動を見ると→信じられないほど最幸の年末年始が来ます
自分大好きもっちー(2024/12/17)
https://www.youtube.com/watch?v=L2ZmKRikG2A

       <感謝合掌 令和6年12月19日 頓首再拝>

すでに、幸福で祥益と健康とにめぐまれていると念ぜよ - 伝統

2024/12/26 (Thu) 09:50:12


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月26日)より

不幸、災厄、病気
・・・ことごとく心に描かれた観念が具象化するものであるから、
不幸を喞(かこ)つなかれ、災厄を呟くなかれ、
病気を愬(うった)えるなかれ。

不幸来たるごとに、災厄来たるごとに、病気が来たるごとに、
その反対の幸福を語れ、祥益(しょうえき)を語れ、健康を語れ。

すでにかく幸福で祥益と健康とにめぐまれていると念ぜよ
―― それが実現するために完全なる智慧か流入し来たると念ぜよ。

自己が不幸を、災厄を、病気を語らないばかりでなく、
他(た)の人々がかかることを語る時聴き手になってはならぬ。

もし聴き手になったならば、あなたは自己に、不幸災厄病気に対して
無防備に扉をひらいたと言わなければならないであろう。

そんな時に最もよいことは、
ツンと澄まして相手との調和を悪くすることではなく、
話題を転ずることである。

         <感謝合掌 令和6年12月26日 頓首再拝>

幸福成就の日 - 伝統

2024/12/28 (Sat) 12:56:55


           *「光明道中記」(12月28日)より

【実相を悟るものに不足の感じは起こらない。(『生命の實相』第一巻)】

人間は誰でも幸福に成りたい。
しかも多くの人達は幸福に向う道を誤まっているのである。
或る人たちは幸福と快楽とを混同している。

そして幸福になろうとして快楽を得ようとし、
快楽を追求して結局得るところのものとては幸福ではなくて、
苦痛であったと云う場合が多いのである。

仏者は五官の快楽を、瘡面(かさぶた)の痒きを掻くに喩えたことがある。
また渇者が塩水を飲んで渇を医(い)やすに喩えたことがある。

五官の快楽を求める習慣を得るときは、それを得なければ淋しいし、
得れば尚一層、得なければ淋しいこと、阿片中毒の如き状態となる。

阿片中毒者は阿片の奴隷であるし、
五官の快楽を追求せねば淋しい人達も、五官の奴隷である。

金銭の欲望を追求し、追及し、飽くことなき渇欲に
心身を疲労せしめている者も金銭の奴隷である。

本当の幸福は五官の快楽や、金銭の集積で得られないこと、
本当の幸福は阿片の吸引では得られないのと同じである。

本当の幸福は愛と深切と思いやりと、些(ささ)やかな事物の奥にも
輝いている天地の恵みを見ることである。

若し魂の眼(まなこ)が開かなかったならば幸福は何処にもない。

            <感謝合掌 令和6年12月28日 頓首再拝>

気高き心を把持する日 - 伝統

2024/12/29 (Sun) 13:23:47


           *「光明道中記」(12月29日)より

【心は容貌に彫刻の鑿を揮う。心が刻まないとき年の皺は刻まれない。
                   (『生命の實相』第一巻)】

幸福は五官の満足、所有の満足によって得られるのではない
と云うことが判ったならば、
吾等は別の方向から幸福を求めなければならないのである。
それはどんな方向からかと言えば与える方向からある。

所有欲は奪う方向から幸福を得ようとしたのであるが、
吾々が世のために尽す真行(しんぎょう)や、国のために尽す忠誠や、
社会のために尽す奉公の幸福感などは、孰(いず)れも与える
方向から得られる幸福なのである。

また幸福は、
それが触覚的方面、味覚的方面、所有的方面より来るものである限り、
それは著しく物質的であり、即(つ)いた感じであり、低卑な感じであり、
それは余りに多く満たすときは苦痛に変ずる性質のものである。

いつまでも変わらない幸福は、次第に、
触感的、味覚的、所有的な方面から離れて来る。

視覚的な喜びは、触覚的な又は味覚的な悦びに比べて、
著しく「離れたる性質」のものである。

それは必ずしも触れなくとも、所有しなくとも、
離れていて味わい得るのである。

芸術を味わうよろこび、自然を鑑賞するよろこびなどは
後味の好い喜びである。

鑑賞するよろこびには、必ずしも所有することを必要としない。

         <感謝合掌 令和6年12月29日 頓首再拝>

人の幸福をねがう日 - 伝統

2025/01/02 (Thu) 10:00:36


           *「光明道中記」(1月2日)より

【愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

人を訪ねる時は、その人に幸福を手土産(てみやげ)として行くべきである。
このことを知ったとき、私はひとを訪問することが楽しみとなったのである。

誰でも人を訪問する時には
物質的手土産を持って行くことを忘れないのであるが、

手土産と云うものをただ物質的にのみ考えていた時代には
手土産なしに人を訪問することが、
何か不自然な忘れ物をしたような感じがして気が咎めたが、
手土産は必ずしも物質に限るべきものではない。

「心の手土産」と云うようなものもあると云うことが解るようになってから、
私は必ずしも人を訪問するのに以前のような窮屈な感じがしなくなったのである。

心の手土産と云うのは何か、調和と平安の精神波動を持参することである。
人を訪問するに当って、相手の家が、神の愛に満たされて
調和と平安に満たされていることを念じてその家に入るのである。

そんなことが何の価値があるかと言うのは唯物論者のことである。

人が人を訪問するのに、
その家の平安を祈りながら戸口をくぐる事は荘厳な行事である。

         <感謝合掌 令和7年1月2日 頓首再拝>

与えられた使命を生きるとき、幸福がある - 伝統

2025/01/04 (Sat) 11:36:03


   *「光明道中記」(1月4日《神われに生き給う日》)より

【幸福とは神の実現である。そのほかに人間の幸福はない。
               (「生命の實相」第十一巻)】

「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津神霊(みおやがみもとつみやま)ゆ幸(さきは)え給え」

「幸(さきは)え」は「咲(さ)き生(は)え」であり、
「割(さ)き延(は)え」であり、神の生命の顕現である。

「霊(みたま)さきはえ」のみが人間の幸福なのである。

人間の幸福は富を実現することではない。
名声を挙げることでもない。

神の生命(いのち)を顕現することである。

梅の花は咲き出でることが幸福である。
それは名声を博するがためではないから奥山にいても
依然として芳しく咲き匂うのである。

それは金銭のためでないから、
盆栽として売られなくとも咲き出でるのである。

梅の花はただ咲き出で、人間はただ与えられた使命を生きる。
幸福そのなかにあり、悦びその中にあり、楽しきこと限りなし。

若(も)し人が労苦して、そこに悦びが感じられなかったならば、
それはその人が第二義的なものを求めている証拠である。

働きそのものが第一義的目的であり、
働きの中に生命が延び、霊魂が進歩する。

第二義的なものは、そのときは値打があるように見えても、
その価値には永遠性がない。

        <感謝合掌 令和7年1月4日 頓首再拝>

暗い生活、偽りの快感からは、本当の幸福は生まれぬ - - 伝統

2025/01/06 (Mon) 11:22:04


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月6日)より抜粋

たえず活(はたら)いているということが喜びの源泉である。
活(はたら)かないものは、何か自分の内部から気がとがめるあるものを感ずる。
この気がとがめる囁きをごまかすために多くの人は外面を麻酔する誘惑に身を投ずる。

「小人(しょうじん)閑居すれば不善をなす」というのは、働かないものが内部に
感ずる良心の囁きをごまかすために誘惑に身を委(まか)せることをいう。

酒や麻酔薬で内部の囁きをごまかしてみても本当の幸福は来ぬのである。
ごまかしの生活の中には必ず何か暗いものがある。

本当の幸福というものは暗い生活からは生まれぬ。

暗い生活をごまかしごまかしして偽りの快感らしい生活を送るのは、
湿疹(しっしん)の瘡蓋(かさぶた)の痒きを掻(か)いてごまかすところの快楽である。
掻けば掻くほど、魂は爛(ただ)れ、みぐるしい膿血(のうけつ)が流れるのである。

            <感謝合掌 令和7年1月6日 頓首再拝>

不幸なことも幸運の可能性 - 伝統

2025/01/08 (Wed) 13:14:23

不幸なことも幸運の可能性
伊勢ー白山 道(2025-01-08 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/ec15c0b3c292cdf0cb102fc147e9a3b2

            <感謝合掌 令和7年1月8日 頓首再拝>

本当の幸福を把(つか)む日 - 伝統

2025/01/16 (Thu) 11:50:52


           *「光明道中記」(1月16日)より

【ただよえる雲の彼方にまんまるに澄み切る月ごわが姿なる。
                (『生命の實相』第十一巻)】

雲を幾ら積んでも光は出て来るものではない。
肉体の快楽、五官の楽しみ、富の集積
 ―― それらは多くなればなるほど人生に光が出て
来るように思って夫(それ)を積んで見る人は沢山あるが、
いずれも幸福を見出してはいないのである。

幸福は先ず光を見出すことにある。
自分が光であると云うことを先ず知ることである。

光がなければ雲は重なれば重なるほど黯澹(あんたん)として
淋しくなるばかりである。

智慧のない、愛のない、我利我利亡者が
金を蓄めているほど黯澹たるものはない。

光がさし昇れば雲の”ある”無しは問題にはならぬ。

人間の「光」は自分が照らす愛であり智慧であることを知るべしである。
自分が「愛」でなければ積み重なっているすべての持物は、
光のない荒涼な暴風(あらし)の日の雲のようなものに過ぎない。

自分に智慧がなければ、持てるすべての物は
氷山と衝突して難破する船のようなものである。

神は愛である、我は愛である。
神は智慧である、我は智慧である。

            <感謝合掌 令和7年1月16日 頓首再拝>

幸福の感染する日 - 伝統

2025/01/20 (Mon) 11:47:22


           *「光明道中記」(1月20日)より

【心に善き言葉を食して心を幸福にすれば肉体は健康化し運命は良化する。
                     (『生命の實相』第一巻)】

幸福は感染する。
病気が感染するばかりでなく幸福は必ず感染するものである。

家庭の一人が不幸せになった時、
その家全体は何となく不幸の雰囲気に包まれ初(そ)める。
その一人の不幸が堤に穿(うが)たれた蟻(あり)の孔(あな)のように
全体の幸福を押し流して了うこともあるものである。

だから一人だけ不幸でいても好いと云うようなものではない。
自分一人が悲しみのために全体を不幸に陥れて好い権利はない。

悲しみが感染するものならば、
悲しむ者はその悲しみを他の人に伝えることを、
伝染病を予防するが如き注意深さを以て避けなければならぬ。

悲しみのある時には、神にその悲しみを訴えよ。
神は光であるから悲しみの暗(やみ)は必ず消える。

悩みのある時には、神にその悩みを訴えよ。
神は悦びであるから、その悩みは悦びに必ず変る。

腹の立った時には人に手紙を書いてはならぬ。
必ずその手紙に剣があって相手に立腹を伝染するのである。

腹の立ったときには

「腹の立つことは何もない、大調和が実相である」と念じて神想観せよ。

         <感謝合掌 令和7年1月20日 頓首再拝>

「既に自分は幸福である」 - 伝統

2025/02/01 (Sat) 11:26:55


      *「光明道中記」(2月1日 賞め讃える日)より抜粋

【真に幸福になろうと思うものは、既に自分が幸福であることを知らねばならぬ
                        (『生命の實相』第一巻)】

「既に自分は幸福である」此の言葉を繰返し唱えよ。
「既に自分は幸福である」と。

毎日それを繰返し重ねて行くことによって、
その人は現実生活に於いても本当に幸福になるのである。

           <感謝合掌 令和7年2月1日 頓首再拝>

【幸せだと思うのか、不幸だと思うのか】 - 伝統

2025/02/23 (Sun) 11:12:15


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.11.30)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   本当の幸せとはなにか。

   それは、どんな状況になろうとも、
   「自分は幸せだ」と思う気持ちが揺らがないことを指します。

   ふつうの人は、

   「いいことが起きたら幸せ」
   「嫌なことがあったら不幸」

   みたいな受け止めなんだけど、
   それだと、起きる現象に自分の幸せを委ねることになる。

   そうじゃなくて、
   「俺は幸せなんだ」と決めてしまったら、
   なにが出てきても幸せなんだよね。


   人生が面白いのは、いろんなことが起きるからです。

   思いもよらないことが出てくるから
   ワクワクするし、スリリングで楽しい。

   嫌なことを避けたがる人も多いけど、
   困ったことがあるから、人は悩み、失敗を重ね、
   そのなかで学びを深めるんだよ。

   嫌なことがなきゃ、人生に深みは出ないと思います。


   それに、問題解決したときの達成感とか喜びなんて、
   穏やかな日々が続くだけでは
   絶対に得られない感覚でしょ?

   いいことだけの人生より、嫌なこともあったほうが楽しい。

   嫌なことも幸せな人生の一部であり、あなたはいつだって幸せなんだよ。


   そもそも、この世界に起きる現象はどれも中立です。

   そこに善悪はありません。


   同じ雨でも、ある人にとっては迷惑かもしれないけど、
   別の人にしてみれば恵みとなる。

   いい悪いは、人間の決めつけが生み出しているだけなんだよね。

   すべては、自分の思いがどこにあるかで決まります。

   起きたことを
   明るく受け止めることもできるし、不幸とも受け取れる。

   じゃあ、あなたはどっちを選びますかってことなの。


   幸せな人は、なにをしてもうまくいきます。

   ただしそれは、
   幸せな人に悪いことが ひとつも起きないという意味じゃない。

   あなただけに幸運が集中することもなければ、
   悪いことばかり起きることもないの。

   ただ、起きたことの明るい面を見るのか、暗い面を見るのかで、
   その次の展開は全然違ってきちゃうんだよね。


   なぜかと言うと、明るい面では、いいものがいっぱい見えるからです。

   明るいから、ご縁やチャンスがよく見える。

   だから、それを使って幸せになれるの。


   その反対に、暗い面だけを見てしまうと、
   たとえそこにチャンスがあっても、よく見えません。

   それに、暗闇は恐い。

   不安や心配ばかり募らせるんだよ。


   あなたが「なにをしてもうまくいく」人になりたいんだったら、
   ここで「自分は幸せなんだ」と決めることです。

   そしてなにが起きようが、ぜんぶ、幸せの一部なんだと考えてごらん。

   そうすれば、自然と明るい面に目が行くし、
   そこにあるチャンスや学びを簡単に得られる。

   こういう人は神様も応援してあげたくなるものだから、
   天のひらめきだって降りてきます。

   そのひらめきで、どんな問題も解決するんだ。

     <『斎藤一人の自分を生きる極意』サンマーク出版>

       ・・・

「世の中には幸も不幸もない。ただ考え方でどうにもなるのだ」

と言ったのは、およそ400年前に活躍した
ウィリアム・シェイクスピア(イギリスの劇作家)だ。


古今の賢人、哲人は、この「人生の極意」をみな知っていた。

幸福や不幸は、この世に存在するものではなく、
自分が見つけるものであり、自分が決めることだということを。


すべての人が指をさして、
これが「幸福」だ、これが「不幸だ」と言えるものはない。

ケガをしてしまったとき、
「こんな大事なときに、ケガをしてしまってツイてない、不幸だ」と思う人もいれば、
「この程度で済んでよかったラッキー、幸せだ」と思う人もいる。


すべてのことは、「見方次第」「考え方次第」で人生は変わる。


明るい面を見るのか、暗い面を見るのか。

ポジティブに考えるか、ネガティブに考えるか。

ツイてると思うのか、ツイてないと思うのか。

面白いと思うのか、つまらないと思うのか。


幸せだと思うのか、不幸だと思うのか…

「世の中には幸も不幸もない。ただ考え方でどうにもなるのだ」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

【斎藤一人】
今から絶対に信じられない話をします!
https://www.youtube.com/watch?v=emNdZTBvm6I

           <感謝合掌 令和7年2月23日 頓首再拝>

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)う - 伝統

2025/03/06 (Thu) 11:56:18


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月6日)」より

明るさはあらゆるものに喜ばれる。

招かれないでも明るい人は、
光線のようにどこへ行ってもそこで喜ばれる。
招かれても暗い人は、どこへ行ってもやがては嫌われる。

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)い、
暗い人には常に不幸がつきまとう。

            <感謝合掌 令和7年3月6日 頓首再拝>

【幸せのタネをまく】 - 伝統

2025/03/08 (Sat) 11:42:58


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.12.1)より

   (岡本一志(かずし)氏の心に響く言葉より…)

   仏教では、私たちの行ないのことを「業」といいますが、
   その行ないは、体と、口と、心の三つがあります。

   これを、身業(しんごう)、口業(くごう)、意業(いごう)といいます。

   これらの行ないがタネとなって、運命を生み出していると説かれています。


   「身業」とは、体の行ないのことです。

   たとえば、どんなものを食べているのか、
   適当な運動をしているかという行ないによって、
   健康になったり、不健康になったりしますね。


   「口業」とは、口の行ないのことです。

   口は災いの元といわれるように、人間関係が円滑にいくかどうかは、
   言葉の使い方、話し方によるところが大きいのです。

   丁寧な言い方を心がけていると、人間関係もスムーズにいきます。


   「意業」とは心の行ないのことです。

   心の中だけでいろいろと思うことも、仏教では行ないだと説かれます。

   頭に浮かぶ取り留めのないことから、
   感謝や喜び、イライラや、怒りの感情も心の行ないです。

   その人の考え方や価値観も、心の行ないに入るでしょう。


   心で思っていることは、口や体に表わさなければ誰にも分かりません。

   だから、 何を思っていても
   言葉や行動に出さなければ、いいだろうと考える人があります。

   しかし、仏教では、身と口と心の三つの中で、
   心の行ないを、最も重く見ます。


   なぜなら、心の行ないがあらゆる行動の元になっているからです。

   イライラしているときは、どうしても、口調も荒くなってしまいます。

   焦っているときは、注意力が散慢になって、
   ケアレスミスが多くなってしまいます。

   ストレスがあると、過食になったり逆に食欲が落ちたりします。

   私たちのさまざまな行動の元が心にあることは、
   誰でも納得できることでしょう。

     <『心がほっとする ほとけさまの50の話』王様文庫>

         ・・・

身業、口業、意業の三つを「身口意(しんくい)」の三業という。

また、「業」には、よい行い(善業)と、悪い行い(悪業)の二つがある。

悪業を重ねれば、やがて「悪果(あっか)」という悪い結果があらわれる。

善業を重ねれば、やがて「善果」という善い結果があらわれる。


善業とは、「人に喜ばれる」ような、「行動」をして、「言葉」を発し、
「思い」を持つことをいう。


幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く。

不幸のタネをまけば、不幸の花が咲く。


これを仏教では、「自業自得」という。

自らが行った、良き行為も、悪しき行為も、
その報いを自らが受ける、ということだ。


どんなときも…

「幸せのタネをまく」人でありたい。

            <感謝合掌 令和7年3月8日 頓首再拝>

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