伝統板・第二 2496701

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英霊の言乃葉 26

1:夕刻版 :

2024/04/01 (Mon) 15:25:13

靖国神社社頭掲示~令和6年4月

御両親様

陸軍一等兵曹 關 義信 命

昭和十九年十一月二日 フィリピンにて戦死 

富山県氷見郡神代村堀田出身 二十三歳


長らく御無沙汰に打ち過ぎ申し訳ありません。
其の後、御一同様には益々元気にて増産報国に精励、
頑張つて居られる事と推察致し居ります。

小生も相変はらず元気百倍といふ所で、軍務に奮闘致して居る次第です。

内地も懐かしき春季の大祭も何時しか過ぎ、今、多忙なる農繁期の頃、
さず皆様も御苦労の事、推察致します。

我々も益々時局重大なる折(おり)、艦(ふね)の修理も早く完成いたし、
近日中に完成の見込みです。感性の暁には再び戦線に急ぐ事でせう。

(中略)

今日は三十九年前我々の先輩諸氏が、日本海において敵ロシア艦隊を
撃滅致した由緒深き記念日であります。

此時(このとき)に我々は一層一層決意を堅くして、皇国のために
報(むく)ゆる覚悟を新たにして、一日も早く戦線に出撃する日を
楽しみに待つて居る次第です。

皆様も健康には充分注意致され、
今年も増産報告を目標に頑張つて下さい。

本日は久しぶりに一筆申し上げた次第で、悪筆にて御免ください。
後日、又便り。
                            終

                       義信より

御両親様

            <感謝合掌 令和6年4月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2024/04/02 (Tue) 14:42:06


御両親様

陸軍大尉 渡邊 勇 命

昭和二十年八月四日 松島基地付近にて戦死 

北海道北見市山下通出身 二十五歳


冠省(かんしょう)

御両親様 達者にて御暮しの事と存じます

                 小生

出撃に当り何等(なんら)思ひ残す事はありません

二十有五年の御高恩に対し 何等為(な)事なくして
死ぬる身の不孝深くお詫び申します。

悠久の大義のもと 歓喜邁進立派に頑張り抜きます
御安心ください

御長命の程(ほど)祈(いの)り上(あげ)ます

                     敬具
                    勇生

父上様
母上様

 一(ひと)すじに みことかしこみ 征(よ)かむ身の
   大和(やまと)島根(しまね)を 護るうれしさ

           <感謝合掌 令和6年4月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2024/04/03 (Wed) 15:30:13


妻と新入学の娘へ

陸軍上等兵曹 大山竹市 命

昭和十九年八月二日 マリアナ諸島にて戦死 

岐阜県土岐郡 駄知町出身 三十六歳


春雨がしとしとと降る今朝、此の手紙を書く、
近頃は大変に暖かく暮らし良き時と成りましたが、
此の二、三日何か寒くて折角桜も開きかけたのに又、
蕾(つぼ)んでしまいそうです。

(中略)

敏子には先日も知らせた通り、
カバン及び学用品を買ってやつて下さい。

(中略)

敏子モイヨイヨニユウガクデスネ、ガツコウにユケバ、
センセイノイフコトヲヨクキイテ、トモダチトナカヨクシテ、
イツシヨウケンメイニベンキヨウシテ、
リツパナヒトニナツテクダサイ。

ウチデハオアカアサンヤ、オヂイサンヤアバアサンノイフコトヲ、
ヨクイテ、オツカイナドモヨクヤリナサイ、マタ、
チヅコヤタケヲトモナカヨクアソビナサイ。

オリコウノコドモニナレバ、オトウサンカラ、
ナニカヨイゴホウビヲオクリマス。

              サヨウナラ

   三月三十一日
                   オトウサンヨリ

敏子サマへ

 「きみ お前の写真を一枚撮(うつ)して送って呉れないか
  お前だけ写真が無くて淋しいから早い所で一つお願ひします。」

    *「きみ」は、竹市命の奥様

           <感謝合掌 令和6年4月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2024/04/04 (Thu) 15:35:55


母上様


陸軍大尉  野本 憲志 命

昭和19年7月18日
マリアナ諸島・サイパン島にて戦死

愛媛県八幡浜市大平出身 22歳



拝啓 一日一日春風が濃くなって来ました。
本桜は既に降り八重(やえ)の重厚な蕾が今やほどなく
絢爛(けんらん)たる開花の日を偲ばせてをります。

其の後一同益々御壮健の由(よし)何よりです。

家も変はられたとの事、何時か皆揃って家の前に集まった
写真を一枚送って下さい。

私の方の写真は後(あと)しばらく ――
昨今なかなか多忙で、外へもゆつくり出てをれません。

二十三日は軍旗を立てて靖國神社に部隊参拝、
続いて二十九日は栄(は)えある近衛騎兵中隊長として
陛下の御馬前(おんばぜん)に分列を行ひます。

何としても当日の快晴を祈らざるにはをれません。
来週から、早速、観兵式準備です。

(中略)

東京は愈々(いよいよ)空襲時期に入りました。
これだけは天命、何時おだぶつになるかも知れませんが、
武人の覚悟だけは物心両面とも如何なる時にも
失はなぬつもりです故(ゆえ)、御安心ください。

では御壮健で、又。

                     敬具
  
  四月十八日
                     憲志

母上様

・・・

<参照>
ひとりの「みはた会」
http://ginnews.whoselab.com/210410/tsuido.htm

            <感謝合掌 令和6年4月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2024/04/05 (Fri) 14:12:10



あと1時間にて当基地を立ちます

陸軍少佐 片岡 喜作 命

昭和二十年四月二十二日
沖縄周辺にて戦死

茨木県筑波郡大穂町出身

三十一歳


お父様

お母様

                 喜作


長い間我儘(わがまま)を申し、何等(なんら)子としての
努めを果たし得ずして去ること何卒(なにとぞ)お許しください。
あと1時間にて当基地を立ちます。

然(しか)し喜作は良き部下を頂(いただ)き、且つ世の人から
誠心からの世話を受け幸福の裡(うち)に敵艦に人機(じんき)
命中し去り行きます。

必ず大物を轟沈し御恩に報ゆる覚悟です。


一、作四月十九日、最後の座談会にて録音を取り、
  近く放送せらるる由(よし)なれば、お聞きください。
  また小倉放送局より音盤をお送りくださるはずです。


一、当地にての遺品は当部隊にて発送してくれます。

  (https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

・・・

銀座展望台(2020-4-4)
http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=3693


         <感謝合掌 令和6年4月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2024/04/06 (Sat) 12:16:42


遺書

陸軍兵長 玉田久太夫(きゅうたゆう)命

昭和20年4月8日
フィリピン ルソン島にて戦死

兵庫県多可郡中町出身
33歳


其の後変はりなきや、俺はこの度戦地に向かふについて最後に一言記す。
お前は俺のもとに嫁いで一意貞節をもって又、温情をもって今日まで
約十ヶ年、本当によく盡してくれた事を深く感謝する。

お前と結婚して十ヶ年、あまり長い契りとも言へないが、
思い出せば懐かしく又、嬉しき事もあり、だ。
しかし、俺も一度家を出たからは、敢(あ)へて生還は期すことは出来ないと。

しかし、これこそ皇国男子の本懐だ。

又、俺の戦死を聞いても決して取り乱した振る舞ひはしてくれるな。
俺は一足先にあの世とかへ行って、お前の必ず来るのを待ってゐる。
二十年三十年は長い様でも悠久の天地から見れば、ほんの一瞬だ。

(中略)

何卒、今後は身の重責を自覚して健康に注意して、俺亡き後は
心丈夫にしっかりとこの世の中を渡ってくれる事、
靖国の社内より祈って居る。

又、幼児(おさなご)成長すれば一度は靖国神社へ連れて参ってくれ。

では家内皆、達者で暮らしてくれ。
なほ村の人や親類や友達にも宜しくね。

                       玉田久太夫          

玉田志ずゑ殿

   ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

・・・

拝殿掲示の御製は

『戦日に逝きし船人を悼む碑の彼方に見ゆる海平らけし』

(平成四年一月二十日、天皇陛下行幸の際、戦没船員を悼んでお詠みになられたうたです。)

     (http://www.dairo.website/cn107/cn110/pg1245.html

         <感謝合掌 令和6年4月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2024/04/07 (Sun) 15:04:27


遺書

海軍少尉 上田 兵二 命

昭和二十年四月十六日  
沖縄県近海にて戦死
兵庫県揖保郡余部村出身 
二十三歳
 

絶筆 出撃寸前
謹呈

小生いよいよ 出撃突入す

遺品送り方頼みし故
すぐ着く事と存じます

電替も送り返す様お頼み致しました
遺品喜んでお受け取り下さい

公電が有れば赤飯で祝つてくれ

乱筆にて

    昭和二十年四月二日
       
               海軍一等飛行兵曹
                 上田 兵二

 ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/6b0cd280589aa518b69c5c4f2b189b04 )

   ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

・・・

『4月拝殿掲示』
       
     明治天皇御製

      祝  (明治40年)
   
   神がきにぬさをささげてたひらかに
   をさまれる世をいはう春かな

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/category16-2.html )

         <感謝合掌 令和6年4月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2024/04/08 (Mon) 12:54:26


元気で征きます

陸軍大尉 小林克己命

昭和20年4月13日
千葉県上空で敵機と交戦被弾し戦死
新潟県新潟市島屋野出身
二十三歳 


暫く出発となりました。
今更もう何も申し上げる事もありません。

今私は己が幸福に感激しつつ、何等後顧の憂ひなく
欣喜雀躍(きんきじゃくやく)征途に就かむとして居ります。

何卒、健康に御留意の上、御長生あらむ事を御祈り申し上げます。

では元気で征きます。

                       克己

御両親様

   膝下

https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/83909fef340a1e1c1dc989b18d605c82 )

・・・

『4月拝殿掲示』
       
     明治天皇御製

        軍人      (明治44年)
   
   こともなくをさまる世にも國守る
   ますらたけをはこころたゆまじ  

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=3423 )

         <感謝合掌 令和6年4月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2024/04/09 (Tue) 15:15:43


でつかい奴を沈めます


陸軍少尉 加 藤 虎 男 命 

昭和二十年五月四日
沖縄方面にて戦死

東京都目黒区駒場出身 
二十歳



お母さん

大元気で、でつかい奴を沈めます。

御祖母様

お元気にてお暮らし下さい。
小学校に通つて居た頃、滑り台より落ちて祖母さまに手当てして
頂いた事を思ひ出しました。
虎男は立派に働いて死にます。


功兄、麗子へ
元気で暮らして下さい。
必ず命中します。
自分の居なくなつた後は、兄さんと麗子だけがお母さんの世話が出来るのだ。
麗子、お母さんには心配を掛けるなよ。


 何を惜しまん 君が御楯となれる我は
 五尺の身 粉々になるとも

第一〇九振武隊 加藤虎男


( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/d3bf4b43a665a7f06fd1d54a507671f5 )

・・・

『4月拝殿掲示』

  貞明皇后御歌
            
       靖国神社大祭のおこなはれけるをりに    (昭和14年)

     うからどち神をろがみていまさらに
     かど出のさまをしのびてやなく

     (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=2996


         <感謝合掌 令和6年4月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2024/04/10 (Wed) 15:06:14



遺言書


陸軍憲兵軍曹
相馬竹三郎命

昭和二十三年四月八日
セレベス島メナドにて法務死

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身
二十九歳

(前略)

我が身は既に陛下に捧げ奉りし身にて、何等惜しくありませんが
戦ひ終りました今日、国の為にたてた勲が仇となり、
刑場の露と消えるのは残念至極です。

只皇国の復興と郷里に遺せる祖父弟妹の身上が案ぜられるのみです。

今後の兄上様の前途は多岐多難なるも祖父弟妹と御互に扶け合ひ、
又夫婦仲良く暮されん事を望みます。

今となっては何も思ひ残す事もありません。

(中略)

では兄弟よ、長い間の生涯本当に御世話様になりました。
一足先に永遠の庭へ心静かに旅立ちます。
元気にて御身体を大切に、

さよなら。

昭和二十三年二月十七日


                       相馬竹三郎

大日本帝國万歳
天皇陛下万歳
大アジア万歳 

 遺詠

国破れ捕はれの身となりつれど 天地の神に恥づる事なし

  ( http://seirei.org/?p=670 )

  ( https://ameblo.jp/pika-fujikawa22/entry-12016337803.html )

  ( https://koubeinoko.exblog.jp/d2015-04-21/  ) 

・・・

『4月拝殿掲示』

大正天皇御製(大正3年)

「春の夜のほがらほがらとあけそめてあらはれ渡る庭桜花」

   (http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=2289 )

         <感謝合掌 令和6年4月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2024/04/11 (Thu) 13:15:58


九段のお社でお待ちして居ります


海軍少尉 川越 勇命

昭和二十年四月十四日
朝鮮延海にて戦死

宮崎県東諸縣郡本庄町出身    
三十六歳


紀子(としこ)さんへ          

                   父ちゃんより

紀子さんは小さくて良くわからないかも知れないが、
父さんは海軍軍人として天皇陛下様の御為、悦んで死〇ます。
父さんはこんな嬉しい事はありません。

    *〇:ね

父さんは何時も忙しい体で、
紀子を可愛がる事も出来ませんでしたが、ゆるして下さい。

之(これ)から父さんはいなくても、
一番良いお母様やオヂイ様オバア様方の教へを良く聞いて立派な人になって下さい。
さうして大きく成ったら、お母様にたくさん孝行をして下さいね。

貴女方はお父さんの子として、決して恥しくない人になって下さいね。
お願ひします。

そして、お母様達と靖國神社に会ひに来て下さい。
お父さんは九段のお社でお待ちして居ります。
お会ひしたらお約束のお土産を上げませうね。

紀子達には、良いお母様が居ます。
さびしがらず立派な強い日本人になって下さい。

お父さんは何時も貴女達をお守りします。
御幸福を祈ります。御機嫌宜しく。


  ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/861c15a5e33eac28262f95160b9f5d5a )

・・・

『4月拝殿掲示』

     昭憲皇太后御歌

       親           (明治22年)

    なほざりにききてすぎにしたらちねの
    親のいさめぞ今はこひしき

    (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=1947 )

         <感謝合掌 令和6年4月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2024/04/12 (Fri) 14:59:20


遺言


陸軍中尉 長崎太郎命

昭和二十年四月十六日
ニューギニア、パンガンにて戦死

福岡県宗像郡福間町出身
二十五歳



御両親様。太郎ハ、オ先キニ逝キマス。
二十三才ノ今日マデノ御恩情ニ、ムクユルコトナク不孝之罪、
御赦(ゆる)シ下サイ。

御両親様ニハ、入営ヨリ御覚悟ノコトト思ヒマス。
太郎ハ、父上ノ子デモナケレバ、母上ノ子デモアリマセン。
御天子様ノ赤子(せきし)デス。

太郎ハ、二十一才ニテ長崎家ト別離シマシタ。
家ニハ正ガ居マス。弟達ガヰマス。
長崎家ノ将来ハ万々歳デス。

ミツエモ、母上ヲオ助ケ申シテクレ。
妹弟ノ者ニモ兄トシテ、何ニ一ツシテヤルコトモナク、済マナカッタ。
之カラ兄ノ分マデ、皆デ仲良ク御両親様ニ孝行タノムヨ。

病気スルンヂャナイゾ。仲良クナ。
申シ上ゲルコトモアリマセン。長崎家之万福ヲ祈リマス。

  昭和拾八年一月五日
                        長崎太郎
    長崎家御祖先様
    長崎武雄 様
    長崎タマノ様
    長崎ミツエ殿
    長崎 正 殿
    長崎哲也 殿
    長崎俊之 殿
    長崎正幸 殿

  ( https://devlin.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2013-04-29-1 )

・・・

『4月拝殿掲示』

   明治天皇御製

     花         (明治45年)

    たかどのの 窓てふ窓 あけさせて 四方の櫻の さかりをぞみる

     (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20130405.html )

         <感謝合掌 令和6年4月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2024/04/13 (Sat) 14:23:54


我が故郷

海軍大尉  小久保節彌命

昭和二十年四月十六日
南西諸島にて戦死

愛知県渥美郡伊良湖岬村出身
二十四歳


我が故郷。

何と美しき四季とりどりの花は咲き、鳥は歌い山あり海あり。
太平洋の何と雄大なる、あの土用波の光景が眼にうかぶ。

椿は咲く。紅い花が咲く。
その下で図画を書いた事もあったっけ。
ゑのぐ筆をなめなめ稚い絵を書いた。

或いは夕野田に鮒釣に行った。
稲を荒して叱られた事もあったっけ。

海 そのもつひびき何と雄々しき事よ。
幼時より海辺に育ち真に偉大なる海に親しむ事が出来た。
ドンとうつ波の音は太古より未来永久につづくであらう。

我が故郷よ。無尽の幸あれ。
然して生れ来る国の童等を何時までも何時までも育んで呉れ。

我がふるさと人よ。
何時までも何時までも、純粋であってくれ。

(遺稿『句集 はまゆふ』から抜粋)

   ( https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2012-04-22-1 )

・・・

『4月拝殿掲示』

  昭和天皇御製

      別府の宿にて      (昭和33年)

    桜花 今を盛りと 咲きみちて 霞にまがう 宿の見わたし

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=984 )

         <感謝合掌 令和6年4月13日 頓首再拝>

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