伝統板・第二

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「われら神の世嗣として(昭和48年3月)」 - 伝統

2023/05/01 (Mon) 13:00:21

”道産子 さま” ありがとうございます。
先日、道産子さまによる投稿が終わりました
「昭和四十八年「生長乃家」誌三月號~われら神の世嗣として」を、
このスレッドに独立させて、残させていただきます。

”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8314455 からの転載です)

3月の法語ではありますが、今月の日々に合わせ、順次、進めてまいります。


【一日の法語  あなたの自縄自縛を解け】 

あなたは自分の”心”を自己劣等感や、無駄な躊躇逡巡で、
自縄自縛してはなりません。

あなたは”神の子”として、神の最高實現として此の地上に
生を享けたのであるから、神から遺傳され、神の世嗣として
あたへられてゐる能力は、神そのものの如く無限なのですから、
自己縮小する事を止(や)めなさい。

           <感謝合掌 令和5年5月1日 頓首再拝>

【二日の法語  あなたの”内”にある大力量人を覺醒させよ】 - 伝統

2023/05/02 (Tue) 04:48:36


神をあなたの外にあつて、
あなたを規制してゐる権威だと思つてはなりません。

神はあなたの魂の底の底に、生命の根底に存在したまふ
あなたの實相なのであります。

その實相が肉體といふ物質層に埋められたまま、
長い間忘れられてゐたのです。

この事を『無門關』の公案二十則には、

「大力量の人、甚(なえ)に因つてか脚を擡(もた)げ起さざる」

と示されてゐる。

わたし達の”生命の根底”に、魂の底の底に、
神の生命なる” 大力量の人”が宿つてゐる。

その” 大力量の人”を何故お前は目醒めしめて活躍せしめないか
といふ意味である。

           <感謝合掌 令和5年5月2日 頓首再拝>

【三日の法語  あなた方は皆、大通智勝如來である】 - 伝統

2023/05/03 (Wed) 04:39:05

 
『無門關』といふのは御存知の通り禪宗の經典のうちでも特にすぐれたる
公案集だと言はれてゐるのであるが、その第九則に「大通智勝」といふ公案がある。

これは法華經の”化城喩品(けじょうゆほん)”の中にある大通智勝如來
といふ久遠無窮の過去から存在したまふ大通力無限智の如來が
十劫の間も結跏趺坐して悟りを得ようとしたが、尚この如來悟りを得ず、
佛法がこの如來の生活に實現しなかつたといふ事が書かれてゐる。

その法華經の一節を採り上げて、或る僧が興陽の譲和尚に問答を仕掛けた
言葉のやり取りが公案になつてゐるのである。

その言葉のやり取りは、

「興陽の譲和尚。因みに僧問ふ、
 大通智勝佛、十劫道場に坐して佛法現前せず・・・・・既に是れ道場に坐す。

 なにとしてか佛道を成ずることを得ざる。

 譲曰く、伊(かれ)が成仏せざるが爲なり」

となつてゐる。

この「伊(かれ)が成佛せざるが爲なり」といふことが
公案解決の中心命題なのである。

 
誰でも大通力、無限智能を備へてゐる。
神の子である。
謂わば各人それぞれが” 大通智勝如來である”のに、何故、
その大通力を發揮して決然と起ちあがらないのであるかといふのは、
禪宗の坐禪修行の公案だけの事ではないのである。

各人が今各自の人生に於て與へられてゐる『人生の公案』なのである。
各人自らこの人生の公案を解決する時、各人はそれぞれその大通力を
發揮することが出來るのである。

だから無門和尚の評譯には「凡夫若し知らば即ちこれ聖人」とある。

(谷口雅春著『無門關解釋』参照)

           <感謝合掌 令和5年5月3日 頓首再拝>

【四日の法語  汝のうちにある神性を”言葉の力”によつて喚び出すこと】 - 伝統

2023/05/04 (Thu) 04:51:19

 
三月號の『光の泉』の「易しく書いた”生命の實相”讀本」の欄に、
私は肺動脈瓣狭窄症といふ重症の心臓弁膜症にかかつて
長期間病床に横たはつて恐怖のために動けなかつた安藤嚴君が

「今斷々乎として病なきことを信じて起て」といふ『生命の實相』の生活篇
にある文章に奮起して病床から起ち上がつた事實を書いたのであるが、

安藤嚴君は、その體験談の中で
生長の家の推薦する神性自覺を喚び出す祈りの

「わが魂の底の底なる力、無限の力湧き出でよ」

といふ言葉を幾度も幾度も繰返し、つひにその言葉の力によつて
「人間は病むべきもの」といふ迷妄を吹き祓つて
つひに健康體として起ち上がつたのであつた。

           <感謝合掌 令和5年5月4日 頓首再拝>

【五日の法語  ”甘える心”を棄て去ること】 - 伝統

2023/05/05 (Fri) 09:05:39

 
人が”神の子”たる實相を自覺する上に
障碍(しょうげ)となるところの想念感情は
”甘える心”を起す事である。

換言すれば”同情されたい”といふ念を起す事である。

また「このくらゐなら、人が我慢してくれるだらう」と考へて、
自己の努力を最大限迄出さずに、他の人の寛大さや、
甘さに縋つて行かうとする生活態度である。

また、病氣や色々の都合を、自分が全力を出し切らずにゐられることの
口實やアリバイに使おうとするすることである。

これらの「甘える心」又は「甘える生活態度」はその人の能力の發揮を
自縄自縛してしまひ、最高の高さまで自分の天分を發揮することが出來ず、
自分自身を一般凡用者の一群の中にまで堕落させてしまふ事になるのである。

安藤嚴君は自分自身が病氣を口實にして母親に甘えるための
資料としてゐた事を反省した時、彼の難治の肺動脈瓣狭窄症から
起ち上つたのであつた。(『光の泉』三月號参照)

           <感謝合掌 令和5年5月5日 頓首再拝>

【六日の法語  自己憐愍(れんびん)の心を棄てよ】 - 伝統

2023/05/06 (Sat) 04:59:37


自分自身を”弱い”などと考へる心は”甘える心”だ。
それは自己憐愍の心であつて、自分が自分に甘えてゐるのだ。

自己憐愍を棄てない限りは人間は強くなれない ―― 換言すれば
”神の子”の自覺と能力を完全に發揮することが出來ないのである。

           <感謝合掌 令和5年5月6日 頓首再拝>

【七日の法語  ”甘え”の心を棄てて全力を出し切ること】 - 伝統

2023/05/07 (Sun) 05:01:22

  
あなたが自分の仕事に全力を盡さないで、
易々加減で片付けて置くやうなことがあるならば、
それは”甘えの心”の表現である。

「他の人がこの位ならば我慢してくれるだらう」と甘えてゐるのである。

そんな事では、あなたは折角”神の子”として大力量人として
資格と能力とを與へられてゐるのに、その大力量人を發揮せずに
生涯を終つてしまふ事になるのである。

「私は神の子、大力量人」と

心の中で唱へながら仕事に懸命なさるがよい。

屹度立派にあなたは神から授けられた天分を發揮することが出來るでせう。

           <感謝合掌 令和5年5月7日 頓首再拝>

【八日の法語  ”甘える心”を棄てること】 - 伝統

2023/05/08 (Mon) 04:57:52

  
病氣を口實にしてはならないし、
あなたの體に本當に病氣らしい症候を示してゐても、
それを人々に大袈裟に語つてはならない。

コトバで表現することが現實化するのであるから、
言葉であなたの病氣や不幸を大袈裟に表現すればするほど、
あなたの病氣は増悪して來るだらうし、
不幸は類を呼んで集つて來るであらう。

病氣の苦痛を人に訴へるのは、矢張り”甘える心”であり、
他から同情されたい心があるから、同情されねばならないやうな
不幸な狀態を作り出すことになるのである。

總じて ”甘える心”は、
甘えても差し支へないやうな卑屈な狀態をみづからつくりあげて、
甘え得る資格を作り出さうとすることになるのである。

           <感謝合掌 令和5年5月8日 頓首再拝>

【九日の法語  傳道のきびしさをイエスが示された範例】 - 伝統

2023/05/09 (Tue) 04:51:29


ヨハネ傳第二章第一節に次のやうなイエスの逸話が書かれてゐる。

「三日目にガラリアのカナに婚禮ありて、イエスの母そこに居り、
 イエスも弟子たちと共に婚禮に招かれて給ふ。葡萄酒つきれば。

 母はイエスに言ふ。「彼らに葡萄酒なし」
 イエス言ひ給ふ
 「をんなよ、我と汝となにの關係あらんや、
  我が時は未だ來らず」・・・・・」

このブッキラボーに母に對して何故イエスは
『我と汝となにの關係あらんや』などと冷淡な言葉を
發したのだらうか。
もつと愛情を含んだ語調で物が言へないものだらうか。

神は”愛”ではないか
 ―― と私は久しく疑問に思つてゐたのであるが、
これは「眞理の傳道者」が自分自身に對して”甘える心”を
切り棄てるきびしい訓練をしなければならないことを
イエスが實踐によつて示されてゐるのだとわかつた。

一燈園などではこれを”棄恩入無爲”と稱してゐる。
家族的な愛情は、それに甘えてをれば、眞理の傳道に出かける
機會を失つたり、縮小したりすることになるのである。

片手間で人類を救ひ得るなどといふ事は
『甘えた考へ方』に過ぎないのである。

イエスが『我が時は未だ來らず』といつてゐるのは、

「お母さん、あなたとパーソナルな家庭的な團欒の歓びを持つ時は、
 私が十字架にかかつた時です。
 それまではそんな悠長なことはできなのです」

といふ意味なのである。

 
そしてイエスは、十字架に釘けられた時、
ヨハネ傳第十九章によれば、

「イエスの十字架の傍らには、その母と姉妹と、
 クロバの妻マリアとマグダラのマリアとが立つてゐた。

 イエスはその母とその愛する弟子達が近くに立つてゐるのを見て、
 母に『をんなよ、視よ、なんぢの子なり』と言ひ給ひ、

 そして弟子達には『視よ、汝の母なり』と言ひ給ふた」

とあるのである。

「我が時は未だ來らず」と先に言つてゐられたところのその時が來て、
イエスは、はじめて肉親の母と子の愛情を示し給ふたのであつた。

傳道のみちはきびしいのである。

片手間でやれると思ふのは「甘える心」である。

           <感謝合掌 令和5年5月9日 頓首再拝>

【十日の法語  西田天香先生の示された傳道の範例】 - 伝統

2023/05/10 (Wed) 04:58:00


私は傳道のきびしさを憶ふとき、いつでも一燈園の
創始者西田天香先生の聖なるきびしさを思ひ出すのである。

天香先生の嫡子保太郎氏が重症で、いつ臨終となるやも
測り知ることが出來ないで近親者がその枕邊に集つてゐるとき、

天香先生は

「人類が私の救ひを求めて私を呼んでゐるのだ。
 私はその方に赴かねばならぬ。
 それがまた保太郎の菩提のためであるのだ。さやうなら」

といつて危篤の子どもを殘して人類救濟のために
旅立つて行かれるのであつた。

それは最近親者たる母に向つて
「われと汝と何の關係あらんや」と淡々と言ひ切つて、
「わが時は未だ來らず、また時が來たら會はうよ」と

十字架上で母と再會する約束をしたイエスの心境と
よく似てゐるのである。

義は重く、眞理傳道の使命は重く、
肉親の愛情はそれに比べれば輕いのである。

        <感謝合掌 令和5年5月10日 頓首再拝>

【十一日の法語  眞理の傳道は命懸けの使命である】 - 伝統

2023/05/11 (Thu) 04:58:29


「眞理の傳道」をイエスは「人の前にて我を言ひあらはす者」
といふ表現を用ひてゐられる。

「我は道なり真理なり、生命なり」とイエスは言つてゐられるので、
「我を言いあらはす者」とは眞理を言いあらはす者
―― 即ち内在のキリスト ―― 佛教的にいへば
”内在の佛性”—-を傳道する者の事である。

イエスは次の如く言ひ給ふ。

「暗黒(くらき)にて我が告ぐることを光明(あかるき)にて言へ。
 耳をあてて聴くことを屋(やね)の上にて宣べよ・・・・・
 凡そ人の前にて我をいいあらはす者を、
 我も又天にいます我が父の前にて言ひ顯さん。

 されど人の前にて我を否(いな)む者を、
 我もまた天にいます我が父の前にて否まん。

 われ地に平和を投ぜんが爲に來れりと思ふな。

 平和にあらず、反つて劍を投ぜんが爲に來れり。

 それ我が來れるは人をその父より、娘をその母より、
 嫁をその姑より分たん爲なり。

 人の仇は、その家の者なるべし。

 我よりも父または母を愛する者は我に相應(ふさは)しからず、
 我よりも息子又は娘を愛する者はこれを失ひ、
 我がために生命を失う者は、これを得べし。」
       (マタイ傳第十章第二七節三九節)

どんなに眞理の傳道がイエスに於いてはきびしものであつたか、
それは現象の生命よりも尚、尊いいのちがある。

その實相のいのちを傳道するためには汝の父を、汝の母を、
汝の息子を汝の娘を”執着の愛”から引き離たなければならない。

「人の仇は、その家の者なるべし」とイエスは宣言してゐるのである。

三島由紀夫氏はある意味に於いて、眞理のために、
自己をその家族より引き離し、更に現象の生命や、
文學的天分からさへも引き放し
みづから進んで十字架の道を選んだのであつた。

        <感謝合掌 令和5年5月11日 頓首再拝>

【十二日の法語  悅びの生活への新生】 - 伝統

2023/05/12 (Fri) 04:57:57


あなたは”神の子”であるから、
その毎日を”神の子”の自覺をもつて迎へなければならない。

”十字架を負ふ”とは悲しむことではないのである。
十字架はX(クロス・抹殺)と同時に
+(プラス・復活)であるのである。

それは過去の抹殺であり、唯物論の抹殺であり、
”神の子”靈的生命の復活であり、悅びの生活への新生である。

生きる歡喜と情熱を持つて生活しなければならない。
本當は、自分自身を肉體といふ物質的塊に過ぎないと
思つてゐた限りにおいては

あなたは本當の生き甲斐は感じられないで、
ただその時その場の感覺の刺戟によつて快感を感ずるといふ
物理化學的な反應みたいな生活をしてゐたのである。

何故なら物質には希望も理想も使命感もなくただ
”不可不の法則”(斯くなるより仕方がない法則)に
機械的に支配されてゐたにすぎなかつたのである。

今より後、あなたは”神の子”の自覺を得たのであるから、
靈的法悅の聖歡喜が充滿する生活を營むことが出來るのである。

それゆゑにあなたは今朝から必ず毎朝起床と同時に

「私は神の子、これから神の子の悅びの日が始まるのである。
 私は喜びを持つて生き甲斐ある一日の仕事に臨む。

 私は健康に恵まれ、良き家庭に恵まれ、深切な友人や同僚に恵まれ、
 私の仕事は樂しいのであり、現在の繫榮と將來の無限の發展とが
 約束されてゐるのである」

といふ風に念じてから、その出發をなさるがよい。

言葉は種子(たね)であり、よき言葉で想念することは、
その善き言葉の内容を發芽させ、生長させ、開花させ、
結實させることになるのである。

        <感謝合掌 令和5年5月12日 頓首再拝>

【十三日の法語  心と行動に太陽をもて】 - 伝統

2023/05/13 (Sat) 04:58:50

  
あなたは一分一秒といへえども暗い想念や陰鬱な感情で
自分の心を滿たしてはならないのである。

常に積極的に、前進的に、物を考へ、明るい心をもつて、
常に今よりも一層善き狀態が顕れて來ることを信じて、
勇氣を以て仕事に取り掛かるのがよいのである。

あなたは自分の”生命エネルギー”を情熱をもつて獻げなければならない。
豐かに獻げることをもつて歡びとせよ。

豐かに獻げるとき、
報い求めずして却つて一層大いなる報いが返つて來るのである。

        <感謝合掌 令和5年5月13日 頓首再拝>

【十四日の法語  あなたの肉體を完全健康に復するには】 - 伝統

2023/05/14 (Sun) 05:01:20

 
あなたが神想觀を實修して、自己の心を調律し、
神なる本源に波長を合はせる時、神の無限の智慧が
豐かにあなたに流れ入つて來ることになるのである。

私たちの體は決して單なる”物質身”ではないのである。

それは神の智慧によつて支配されて出現した
”アイディア”の體である。

神の智慧が完全にあなたの體を支配してゐるとき、
あなたの體は最高の健康さを發揮するのである。

もしあなたの體から神の生命が脱出し、
神の智慧の支配がなくなるとき、直ちにその肉體は
原形をとどめることができず、崩壊はじめるのである。

もしあなたの體に病弱の徴候があらはれるならば、
神の智慧の支配の他に、人間の雑念が混入して肉體を支配はじめて、
ただ”一つ”の最高の叡智に支配される%が減じ始めた徴候であるから、
神想觀を充分實修して自己の想念感情を神の波長に同調し得るやうに
調律するがよいのである。

完全に調律せられれば、完全な健康が囘復するのである。

        <感謝合掌 令和5年5月14日 頓首再拝>

【十五日の法語  人體を再創造する不思議な力】 - 伝統

2023/05/15 (Mon) 05:08:40


あなたの人體を設計し、胎児の間から今日の成人の姿になるまで
造構して來た神秘な智慧は今もあなたの體内で活動を
つづけてゐるのである。

人體を創造したところの智慧は、
その人體に缼陥や消耗が生じ機能が減退して來たならば、
それを再創造する智慧と力とを持つてゐるのである。

それは激しい勞働で指紋が擦れちびて消えてしまつてゐても、
また元の指紋を間違ひなく作り出すことが出來るやうに、
内臓や腦組織の缼陥でも、本來の規格の通りに
再創造することが出來るのである。

しかし私たちは、その再創造の力を信じなければならないのである。
もしそれを信じないで、自分の勝手気ままな腦髄の不完全な知識で、
何とか修理しやうと思ふならば、

この本質の人體に宿つてゐる叡智はソッポを向いてしまつて、
人間知識の不完全な修理をただ傍觀してゐて、ただ御座なりの
生理作用を習慣的に繼續することになるであらう。

        <感謝合掌 令和5年5月15日 頓首再拝>

【十六日の法語  われ等、神の最高の自己實現として】 - 伝統

2023/05/16 (Tue) 05:01:04

 
わたしたちの心は、表面にあらはれて、
今明らかに動いてゐると見える現在意識は、
心の一少部分であつて、

意識されない意識は――即ち”無意識”とか”潜在意識”とか
稱せられる意識は、われわれの心の大部分を占めてゐるのである。

ある心理學者は、現在意識を心の5%とし潜在意識を心の95%
といふ風に心の領域を分割してゐたが、實際は、

潜在意識の領域は95%とハッキリ言ひ切ることが
出來るやうな狭隘なものではないのであつて、

その底邊は人類全體の潜在意識(人類意識)につながり、
更に宇宙意識につながり、又更にその最深層に於いては
超越意識ともいふべき”神の意識“につながるのである。

だからもし私たちが潜在意識の深層に横たはる叡智と力とを
動員することができるならば、人間は本當に神の最高の自己實現
たるにふさはしく想像に絶する力を發揮することができるのである。

        <感謝合掌 令和5年5月16日 頓首再拝>

【十七日の法語  人間の地上降誕の意義について】 - 伝統

2023/05/17 (Wed) 05:03:55

 
人間は神の最高の自己實現として、神なる普遍的大生命につながり、
その普遍の表現力に押し出されて、

彼でなくてはできないところの特殊な個性的使命を持つて、
神の叡智と無限大の生命力とを流し入れられて、
”神の愛”を地上に實現しようとする使命を
意識的又は無意識的に行はうとしつつあるのである。

そしてその使命が順調にのびのびと遂行される時には、
その使命を遂行することが、彼が地上に降誕した目的なのであるから、
彼は生き甲斐を感じ、

さうでないときは生きる歡びが感じられないので、
それを胡魔化すために肉體の享樂に走つたり、憂鬱にとぢ籠つて、
時には”死”さへも希望するのである。

      <感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>

【十八日の法語  個性の發揮と全體の調和と】 - 伝統

2023/05/18 (Thu) 05:00:15

  
宇宙普遍の神の叡智は、夫々の人間をその創造の起點及び據點とし、
新しきアイディアを各人の心の中に注ぎ込み、
その人でなければならない獨特の個性ある姿にて、
宇宙ぜんたいに美しき曼陀羅を織りなし給ひつつあるのである。

創造の本源者は”唯一”であるから、
各人の生活や行爲や創造はそれぞれ個性を發揮しながら、
與へられた個性が完全に發揮されれば發揮される程全體の調和が取れ
全體の美しき構圖の意義が發揮されるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月18日 頓首再拝>

【十九日の法語  神への忠實と”自己”への忠實との一致】 - 伝統

2023/05/19 (Fri) 04:55:25


わたし達の”心”は” 全體の心”につながり、
今日思ふ”想念”は明日思ふ”想念”の土臺となり、

それは一連續に發展していくものであるから、
わたし達は、今日何を思ふかといふことを、
かりそめにもおろそかにしてはならないのである。

わたしたちは創造の本源者たる神の構圖を完成するための
一員なのであるから、常に心を神に振り向け、その叡智の導きを
受けて生活し、神の全體の構圖からはみ出ることのない
完璧な生活を營むやうにしなければならないのである。

それを完全に成し遂げることが、神への忠實の道であると共に、
”自己”に對しても忠實である道でもあるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月19日 頓首再拝>

【二十日の法語  ”生命の樹”に到る道】 - 伝統

2023/05/20 (Sat) 04:52:18


もし、あなたが常に神想觀を怠らず、
神の智慧とつながつて生活するならば、
あなたの判斷は萬事において間違いなく
聡明なる決定が出來るのである。

その決定は神の”全體智”につながるが故に、
己のみ利して他に公害を蒙らすやうな事業經營は
自然となくなるのである。
 
神の智慧は「すべてを知る智慧」であるから、
その知慧に導かれたやうな經營にある限り、後から、
氣がついて収拾することの出來ないやうな公害が
出て來る筈はないのである。

現在、日本をはじめとして全世界にあらはれてゐる公害は、
要するに、神の叡智から離れた、”蛇の知恵”に導かれて
「知識の樹の果」を食した結果生じたる所謂”樂園追放”の
『創世記』が預言せる通りの結果があらはれてゐるのである。

しかしまだ救濟の道はないことはないのである。
それは「生命の樹の果」を食して、神の生命と人間の生命との
活きたつながりを自覺して、新たに生活と經營とを出直す事である。

『生命の樹の實』を食するとは『創世記』(第三章二十四節)と
黙示錄(第二十二章)とに預言されてゐる象徴的神話であるが、

今迄”蛇の智慧”(唯分論的人間観)にあざむかれてゐた生活を停止し、
自己の生命の實相はいかなるものであるかをよく研究し、
自己が靈的實在なる”神の子”なることを自覺し、
神なる親樣の方へ振り返つて神の智慧の導きを受けることである。

      <感謝合掌 令和5年5月20日 頓首再拝>

【二十一日の法語  神智の生活と人間智の生活との相異】 - 伝統

2023/05/21 (Sun) 04:58:36


神の叡智に導かれて生活する時、
一方で福祉を増進しながら、他方で福祉を破壊してしまふやうな
自己矛盾や公害などは生じやうがないのである。

神の叡智は全體智であるから、
全体を構成する要員の中に抵抗や衝突が起こる筈はないのである。

神の叡智は常に全體調和の姿をもつてあらはれるのである。

何人か、何國かを犠牲にしなければ
自分または自國の安全や殷盛を成就し得ても、

それには、神の智慧でない人間の利己的知識がはたらいてゐるから、
長い目で見れば、その福祉は空中樓閣のやうに消えてしまふのである。

      <感謝合掌 令和5年5月21日 頓首再拝>

【二十二日の法語  ”虛(うそ)”の上に築かれたる繁榮はやがて消える】 - 伝統

2023/05/22 (Mon) 05:08:30


あなたは自分の安全を人の損失の上に築き上げてはならないのである。

わたし達は自己の安全と幸福を
”神”と謂う鞏固な地盤の上に築かなけばならないのである。

人の”損失”の上に築き上げられた繁榮と幸福は、
”損失”といふものはマイナスの別名であるから、
マイナスの上に築かれたる繁榮と幸福であるから
”砂上の樓閣”又は、空中に築かれた樓閣みたいなものである。

だから、それらは、やがて蜃氣樓のやうに消えて行く運命にあるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月22日 頓首再拝>

【二十三日の法語  壞けない神の地盤の上に立ちて】 - 伝統

2023/05/23 (Tue) 05:02:34

 
”神”といふ大慈悲・大智慧・大生命の上に築かれたるあなたの幸福は
地震(なお)揺り、洪水起り、山は崩れ、地は割れ、建物は火災を起して、
殆どすべてが灰燼に歸する時が來るとも、

決して毀けるといふことはないのである。

『法華經』の”如來壽量品”の自我偈に、

「衆生、劫盡きて大火に燒かるると見る時にも、
 わが此の土は安穏にして天人常に充滿せり」

とあるのがそれである。

砕け滅び去る現象の地盤の上に生活を築くことなく、
壞けない生命の實相の上に生活を築くものは永遠の地盤の立つてゐて、
その幸福が壞けることはないのである。

      <感謝合掌 令和5年5月23日 頓首再拝>

【二十四日の法語  無限生長を約束された吾等】 - 伝統

2023/05/24 (Wed) 04:59:14


神は無限の内容を持ち給ひ、
それが時間空間面に表現せられるのが現象世界であるから、
われわれの現象世界の生活は、常に新しき内容が展開して來るのであつて、

それを一連續として觀察する時、それは生命體(人間を含む)に於いても、
文化に就いて言つても「無限生長」といふ樣相を持つて展開する事になるのである。

それ故に、人間も文化も途中に於いては
一進一退の現象をあらはすと雖も結局は無限の生長であり、
無限の進歩であり、無限の前進であるのである。

我らに宿る”神の生命”に於いては退歩や停屯といふことは
あり得ないのであつて常に積極的な前進あるのみなのである。

      <感謝合掌 令和5年5月24日 頓首再拝>

【二十五日の法語  ”神の子”たる資格證明書の提出】 - 伝統

2023/05/25 (Thu) 05:06:55


あなたは自分が”神の子”である
といふ實相をハッキリと受納れなければならない。

神を無限の富者にたとへれば、
あなたはその無限の富を繼承する資格をもつところの
唯ひとりの嗣子であるのである。

既に嗣子たる資格はありながらも、それをあなたが確認しないで、
「私は猿の子孫でございます」などと自ら言つて
”神の子”たる資格證明書を提出しない限りは、

神の嗣子たる資格は先天的に持ちながらも、
現實的には、何ものをも神から繼承することはできないのである。

あなたが神想觀中に

「神の生命流れ入つてわが生命となり給へり、もはや、われ生くるに非ず、
 神の生命ここにあつて生くるなり」

と確乎として念ずるならば、
あなたは神の戸籍役場に、”神の子”たる資格證明書を
提出してゐることになつてゐるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月25日 頓首再拝>

【二十六日の法語  今此処が天國淨土となること】 - 伝統

2023/05/26 (Fri) 05:00:07


あなたが神想觀を實修して、
意識の上に於いて神と融合し神と一體になるならば、

あなたの世界は神の國の平和と調和と歡喜と豊穣とに滿たされて、
其処に直ちに” 神の國”が實現することになるのである。

それは大無量壽經に
「至心廻向卽得往生」と示されてゐることが實現するのである。

佛教では佛の名號を稱へて至心に心を廻らして佛に向へば卽座に
”極樂往生”即ち極樂世界に往(ゆ)いて生れることを得るといふのであるが、
”至心”といふのは、

キリストが弟子に對して
『汝精神を盡し力を盡して汝の神を愛すべし』といつてゐる
――その精神の全力を盡して心が佛に向ふのが” 至心廻向”である。

そして「心の世界」に於いて完全に佛と一體になつた時、
自分が佛であり、佛が自分であるから、
佛の住み給ふ世界が極樂世界であるから、今此處が極樂淨土になるのである。

往かずしてそのまま極樂に往いて生れたことになるのである。

何故ならこの世界は唯心所現の世界であるからである。

      <感謝合掌 令和5年5月26日 頓首再拝>

【二十七日の法語  あなたは神の宇宙創造の據點である】 - 伝統

2023/05/27 (Sat) 07:28:04


今、此處、此の自分が、神の宇宙創造の起點であり、據點であるのである。

わたし達は自分を輕んじてはならない。

毎朝目が醒めた時、
「今、此處、此の自分が、神の宇宙創造の起點であり、據點である」と
十囘以上念じて起き上がれ。

そしてその自覺をもつて愼重に誠意をもつて
神の宇宙創造の發出口として生活するがよい。

あせることはいらない。
急ぐこともいらない。

神と偕に神の智慧と共に、前進して行く者には自然に道が開かれ、
平和と調和と、そして自然に協力者があらはれて來るのである。

神の創造の據點であるといふ自覺は
一種の磁石的力となつて同志を呼び寄せることになるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月27日 頓首再拝>

【二十八日の法語  あなたは大生命のエネルギーの噴出口である。】 - 伝統

2023/05/28 (Sun) 05:01:29


神の創造の據點であり、起點であるあなたが、その使命を自覺して、
實踐に踏み切る時大生命の偉大なるエネルギーが、滔々とあなたに流れ入つて、
偉大なる活力となり勇氣となり、斷行力となつて
あなたを大人物たらしめるのである。

如何なる大事業も、困難と見える事業も、
神の大なるエネルギーの行進するところには困難の扉は開かれ、
人事所三相應するはたらきが縱横無盡に出來るのである。

あなたはそれを信ずるが故に、常に神に護られてゐる自覺で、
心は常に明朗で愉しく希望と生き甲斐に滿ちた生活が出來るのである。

      <感謝合掌 令和5年5月28日 頓首再拝>

【二十九日の法語  ”われ動けば宇宙動く”】 - 伝統

2023/05/29 (Mon) 05:07:32


あなたは、”神の子”であり、想念といふ鋭利な掘削機を與へられて、
どんな困難な岩窟をも貫いて進むことが出來るのである。

あなたの想念は、あなたが神との一體感を強めるならば、
神から天降り來つた創造的なアイディアがあなたの想念となつて
發想せられるのである。

あなたは、”神の子”として、今此処に神の無限の力を発揮し得て、
あなたに割り當てられた獨創のアイディアを實現するために、
勇敢に前進することができるのである。

あなたの獨創は神の獨創であり、
神の創造の全體智の中の必須缼くべからざる一部分をなすのである。

それ故にあなたの勇敢にして大膽なる遂行は、
全體の創造の一部分として他の人人すべてを
直接または間接に生かす事になるのである。

「われ動けば宇宙動く」と「實相を觀ずる歌」にある

が、その通りにあなたの動きが宇宙全體に影響を與へるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月29日 頓首再拝>

【三十日の法語  “観る”ことは”顕はす”ことになる】  - 伝統

2023/05/30 (Tue) 05:07:06


あなたは、今、自己が”神の子”であり、神の無限の愛に護られ、
神の無限の智慧に導かれ、神の無限の生命力を動力として、
神があなたに與ヘ給ふた偉大なる使命を遂行せしめんがために、

地上に神から遣はされた、天の使ひであることを知るが故に、
常に心明朗にして、決して暗い事を考へないのである。

決して貧しさや、病氣や、行き詰まりや、不幸や、
災難などを考へないのである。

想念は磁石であり、想念するところのものを引き寄せるのであるから、
あなたの想念しないところの貧しさや病氣や、行き詰まりや、災難は
決してあなたに近づいて來ることはないのである。

あなたは常に、自己自身をその實相であるところの”完全な姿”で観るのである。

観ることはあらはす事となるのである。

      <感謝合掌 令和5年5月30日 頓首再拝>

【三十一日の法語  あなたは”神國建設”の聖業を割り當てられた】 - 伝統

2023/05/31 (Wed) 05:09:28


”神の子”たるあなたは、あなたがそれを自覺しようと自覺しまいと、
實相に於いては神の生命に包まれ滲透せしめられてゐるのである。

神の智慧はあなたを通して、
この世界に”神の國”を實現すべく導いてゐられるのである。

どんな人間的な大事業でも、
”神の國”を地上に顕現する大聖業にくらぶれば、いと小さきものである。

あなたは特に神から選ばれて神の” 神の國建設”の聖業を
割り當てられたればこそ”生長の家”に觸れ、”心の法則”を知り、
神と人間との關係を知り、
眞理を傳へることによつて人の病を癒す力すら授かつてゐるのである。

嘗て人類に与へられたる仕事のうち
” 神の國”建設の聖業程偉大にして神聖なる仕事は他にないのである。

それをあなたが本當に自覺する時
歡喜勇躍手の舞ひ足の踊ることを禁ずることができないであらう。

天の使ひたるあなたに感謝し奉る。

      <感謝合掌 令和5年5月31日 頓首再拝>

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