伝統板・第二
ひかりの一日一言98~ひかりの語録(5月)」 - 伝統
2023/05/01 (Mon) 04:59:09
ひかりの一日一言《1日》
愛は永遠の生命(せいめい)から放射する生長の力である。
この生長の力の中でのみ万物は生長する。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P31)より
・・・
<関連>
(1)伝統板・第二「ひかりの一日一言94~ひかりの語録(1月)」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8307567
(2)伝統板・第二「ひかりの一日一言95~ひかりの語録(2月)」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8311154
(3)伝統板・第二「ひかりの一日一言96~ひかりの語録(3月) 」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8314443
(4)伝統板・第二「ひかりの一日一言97~ひかりの語録(4月) 」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8317896
<感謝合掌 令和5年5月1日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《2日》 - 伝統
2023/05/02 (Tue) 04:52:09
光はエーテルの波動であるという。
併しエーテルの波動だけでは光にならない。
エーテルが光になるのは、
天の愛と地の愛とが結び合ったときにおいてのみである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P31)より
<感謝合掌 令和5年5月2日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《3日》 - 伝統
2023/05/03 (Wed) 04:41:55
大地の愛を遠ざかって高く高く地の生気のとどかない距離に上昇せよ。
そこは太陽に対して一層近い距離にあるけれども絶対暗黒である。
そこはまた絶対の寒冷であって地上の温度より華氏五百度も低いのである。
高山に昇れば昇るほど寒いのはそのためである。
しかし天の愛を遮(さえぎ)るな。
地の生気のみでは其処には光も温熱も顕れはしないのだ。
しかし、地の愛も軽んずるな。
天の愛と地の愛と。父の愛と母の愛と。
天の生気と地の生気と両々そろって万物は育成するのだ。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P31、32)より
<感謝合掌 令和5年5月3日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《4日》 - 伝統
2023/05/04 (Thu) 04:54:34
左(火足<ひだり>)はこれ天の愛、右(水極<みぎ>)はこれ地の愛。
合掌はこれ天地の愛。
合掌して天を指(さ)し、
跪(ひざまむ)いて坐(ざ)を地に順(したが)はしむ。
天地の生命(せいめい)が合掌にありありと生きてくるのである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P32)より
<感謝合掌 令和5年5月4日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《5日》 - 伝統
2023/05/05 (Fri) 09:08:17
地の愛はこれ横。天の愛はこれ縦。
|―(たてよこ)はこれ十字。
十字はこれ火水(かみ)。
火(か)は縦。水(み)は横。
火水(陰陽の原理)は神にして万物を造りたまう。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P32)より
<感謝合掌 令和5年5月5日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《6日》 - 伝統
2023/05/06 (Sat) 05:01:48
万物は陰電子(エレクトロン)と陽電体(プロトン)とより成る。
されど神は陰電子(いんでんし)にあらず
陽電体(ようでんたい)にあらず、
陰電子(いんでんし)を陰電子(いんでんし)たらしめ、
陽電体(ようでんたい)を陽電体(ようでんたい)たらしめるところの
原理である。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P32)より
<感謝合掌 令和5年5月6日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《7日》 - 伝統
2023/05/07 (Sun) 05:03:20
相対性原理で有名なアインシュタイン博士は
光線が引力によって引き寄せられて屈(ま)がることを発見した。
引力をエーテルの作用だと言っている学者もあるが、
引力とは結び合う力、愛の力、生命(せいめい)から放射する力である。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P32)より
<感謝合掌 令和5年5月7日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《8日》 - 伝統
2023/05/08 (Mon) 05:00:08
地上の植物は引力(愛)の方向に随うとき最も多く生長する。
姿勢の悪い植物はそれだけ生長が悪いのである。
これはあらゆる生物についても同じである。
あなたよ、姿勢を正しくせよ。
それだけあなたは健康になる。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P32)より
<感謝合掌 令和5年5月8日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《9日》 - 伝統
2023/05/09 (Tue) 04:53:50
損だと思うな。
損だと思う心が自分を傷つける。
損だと思う心が自分を損させるのである。
損だと思わなければ腹は立たぬ。
宇宙は一体だ。
どこにも損得はないのである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P33)より
<感謝合掌 令和5年5月9日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《10日》 - 伝統
2023/05/10 (Wed) 05:01:48
言葉が万物を造ったのなら、
言葉が万物を癒すに相違ないのである。
言葉の力を信ぜよ。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P33)より
<感謝合掌 令和5年5月10日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《11日》 - 伝統
2023/05/11 (Thu) 05:00:49
神を信ぜよ。
生命(せいめい)を信ぜよ。
自分のうちにやどる生命(せいめい)が神であることを信ぜよ。
この信念から内に蔵(かく)されている無限力が開発される。
吾が生活は心の生活である。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P33)より
<感謝合掌 令和5年5月11日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《12日》 - 伝統
2023/05/12 (Fri) 05:00:18
人間が物質であるところの食物(しょくもつ)で
生命(せいめい)を保っている限りは、
生命(せいめい)は物質の化学的作用だと云う暗示観念を間断なく
受けつつあるのである。
だから彼はその観念の作用で結局は死の現象をあらわすのである。
人間が食物(しょくもつ)で養われる必要がなくなったとき
彼は生命(せいめい)が物質の化学的作用でないことを断然知る。
彼はその心の自覚の結果として不死をあらわすのである。
この例をわれわれは仙人に見る。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P33)より
<感謝合掌 令和5年5月12日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《13日》 - 伝統
2023/05/13 (Sat) 05:01:33
黙然黙祷は神の前には大いなる言葉である。
心でねがうことはすでに祈りである。
自己のねがいを大生命にゆだねよ。
大生命は無限大の力である。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P33)より
<感謝合掌 令和5年5月13日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《14日》 - 伝統
2023/05/14 (Sun) 05:03:27
「祈り」で自分の心が調(ととの)うことが第一であって、
自分と大生命とのつながりができたとき、
人間力以上のものが人間の行為を導くのである。
たとえば筮竹(ぜいちく)と算木(さんぎ)とをもって
神啓を受けるとき、形式は一つでも、それを扱う人々の祈りの深さで、
顕われる啓示には、百パーセント神啓であるものと、
ほとんど神啓でないものとが別れるのである。
鍼灸(しんきゅう)療法でも、指圧療法でも、
平田内蔵吉氏の熱鍼快療術でも、
経穴(つぼ・けいけつ)にあたってきくか
経穴(つぼ)を外(はず)れてきかぬかは、
実に微妙な分厘(ぶんりん)の差によって決するのである。
医者の診断も霊感とか直覚とかによって正しく導かれねばならない。
医者こそ最も多く祈らねばならない人たちである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P33、34)より
<感謝合掌 令和5年5月14日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《15日》 - 伝統
2023/05/15 (Mon) 05:05:58
生長の家ではだいたい薬を用いない。
「生命(せいめい)の法則」に順(したが)うとき
病気にならないのが普通であるからである。
しかしもし「生命の法則」を破って病気になったときはどうするか。
祈りを深めてゆくことによってどういう療法をとるべきかについて
大生命からおはからいがあるのである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P34)より
<感謝合掌 令和5年5月15日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《16日》 - 伝統
2023/05/16 (Tue) 05:03:15
チラと頭にひらめいた直覚、よき思いつき
―― こうしたものが世界をどんなに益(えき)していることだろう。
チラと頭に浮かんだ思いつきで、
どんなに多くのよい療法が見つかっていることだろう。
チラと思浮んだ発案こそ大成功、不成功を分つ要素である。
この「チラと」の神啓をいかにして得(う)るかが
われわれの問題である。
病児をどの医者にかからせるかも、
この「チラと」の思いつきで決する。
病児が死ぬか生きるかもこの「チラと」で決する。
甲はある仕事を「チラと」思いつきて一大富豪となる。
乙は儲からない仕事ばかりを「チラと」思いつきて
一生涯貧窮(ひんきゅう)で終わる。
人間の運命はこの「チラと」で決するのである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P34、35)より
・・・
<参照>(追記)
自分の肉体からの悲鳴を、聞く気持ちが有るのか無いのか
伊勢ー白山 道(2023-05-16)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/cb27a3d52a76760eb9c257a58da4dd25
<感謝合掌 令和5年5月16日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《17日》 - 伝統
2023/05/17 (Wed) 05:06:30
生滅(しょうめつ)するものは真の実在ではない。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P35)より
<感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《18日》 - 伝統
2023/05/18 (Thu) 05:02:37
罪が真に実在であり、信に実体があるならば
阿弥陀仏でもキリストでも祓戸(はらいど)四柱(はしら)の神でも
これを消滅することは出来ない。
これを消滅することが出来るのは実在ではないからだ。
罪人々々と云うなかれ、皆(み)な神の子だ。
罪人はひとりもいないのである。
けがれたるこの身このまま罪なしと思う心はまた迷いである。
このままで罪なしと思うのは 驕慢(きょうまん)の心である、
けがれたるこの身は本当の自分ではないのだ。
けがれない円満なる本性が自分のうちにあって、
この本性こそ本当の自分であると知るものが
自己の本性を知るものである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P35)より
<感謝合掌 令和5年5月18日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《19日》 - 伝統
2023/05/19 (Fri) 04:57:35
このままで罪なしと自任(じにん)するのは、
このままの自分を本当の自分だと思い違えているのである。
迷いを実在と見、それに執着しているのである。
省(かえり)みて迷いと本性とを区別し、
迷いの相(あらわれ)を否定し尽くし、
円満完全なる自性(じしょう)を肯定しつくしたとき、
五官の眼でこれが自分だと思っていた不完全な相(すがた)が消滅して、
円満完全融通無礙なる自分の本性(ほんせい)が開顕するのである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P35、36)より
<感謝合掌 令和5年5月19日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《20日》 - 伝統
2023/05/20 (Sat) 04:54:35
周囲と調和する生命(せいめい)は生長する。
世界に生き残っている生物は、皆周囲と調和しえた生物のみである。
自我を発揮しすぎるとき周囲と調和しなくなる。
和光同塵(わこうどうじん)は愛の道である。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P36)より
<感謝合掌 令和5年5月20日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《21日》 - 伝統
2023/05/21 (Sun) 05:00:52
人間知の行きづまったとき神の知恵が出る。
自力(じりき)の行きづまったとき他力(たりき)に目覚める。
神の知恵を解(わか)らしていただいたとき、
いままでの知恵が皆(み)な人間の迷いであったことが解る。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P36)より
<感謝合掌 令和5年5月21日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《22日》 - 伝統
2023/05/22 (Mon) 05:04:42
自分を苦しめるものは自分の迷いのほかにはない。
迷いを去ればこの世界は光明浄土。
この身このまま救われていると云う
「この身」とは迷いの肉体のことではない。
誰にもある 本当の自分、実相身、実在身、金剛身のことだ。
迷いの肉体は救われるも救われぬも無い。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P36)より
<感謝合掌 令和5年5月22日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《23日》 - 伝統
2023/05/23 (Tue) 05:04:40
薬と病気とは同じ種類のものである。
類(るい)をもって集まるのが心の法則であるから
薬が好きな人のところへは病気がおのずから集まる。
薬は病気を連想せしめる。
思うものは引き寄せられる。
想念(そうねん)は引力であるからである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P36)より
<感謝合掌 令和5年5月23日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《24日》 - 伝統
2023/05/24 (Wed) 05:02:07
よく働いても「これだけ自分は働いている」と云う
働き誇(ほこ)りがあってはならぬ。
働き誇りのある人は他(ひと)から嫌われる。
修行中には我流を出してはならぬ。
ひらいた掌(てのひら)だけが
新しいものを掴むことが出来るのである。
神は常に働き給う。
いくら良く働いても、人間の働きぐらいは誇るに足りない。
能率の点では人間は機械の前では誇るに足らぬ。
速力では馬に及ばす、力では象に及ばず、敏捷では獅子に及ばず、
人間の誇るべきはその働きの嵩や分量ではない。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P36、37)より
<感謝合掌 令和5年5月24日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《25日》 - 伝統
2023/05/25 (Thu) 05:01:18
すべての善徳のうちで、従順がまず挙(あ)げられる。
左の頬(ほお)を打たれた場合、
右の頬をも、従順に相手に差出すのは、
神の子としての高い自覚があってできることである。
神の子としての高い自覚は負けまいとして、
相手と争(あらそ)うような小さな強さではない。
左の頬を打たれても右の頬をも差出し得る強さである。
しかし右の頬をも差出すとき
膨(ふく)れた面(かお)して差出すようではその人はまだ弱い。
その時その人の顔には無限の愛が輝いていなければならぬ。
本当に強くなったら、誰に打たれても、
赤ん坊に打たれた時にニッコリと赤ん坊の顔を見うるように、
微笑(ほほえ)んで相手に譲(ゆず)りうるものである。
打たれて腹が立ったり、膨れたり、反抗したりするのは
負けた感じがするからである。
強がりは本当は弱いのである。
上手(じょうず)がりは本当は下手(へた)なのである。
赤ん坊に対して腹が立たぬのは負けた感じがテンデしないからである。
本当に強者(きょうしゃ)としての自覚があれば、
従順になれるのである。
従順になる稽古は強者になる稽古である。
神の子になる稽古である。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P37、38)より
<感謝合掌 令和5年5月25日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《26日》 - 伝統
2023/05/26 (Fri) 05:04:32
昔ある所に非常な大富豪があった。
その家のひとり息子に嫁が必要になった。
その嫁の資格としては何も要らない、
ただその家の姑の気に入るように幕を家の前に張ることであった。
毎日多勢(おおぜい)のお嫁さんの候補者がつめかけた。
なかにはずいぶん作法や儀式に通じた自信のあるお嫁さんもあったが、
ひとりとしてその姑の気に入るように幕の張れる人がなかった。
やがて最後に来たお嫁さんはどうしたかと云うと、
「あの、おっかさん、この幕(まく)は何処から張りましょう?」と訊いた。
姑は「ここから張って下さい」と答えた。
「どういうふうに持って張ったらよいでしょうか」と嫁は訊いた。
「こういうふうに持って下さい」と姑は教えた。
こうして一から十まで婦(おんな)は姑の教に従って幕を張った。
それは従順そのものの徳であった。
自然姑の気に入るように幕は張られていた。
彼女は大富豪のお嫁になって大富豪の宝を継(つ)いだ。
天国の宝(たから)を継(つ)ぐのもこのたとえの通りである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P38)より
<感謝合掌 令和5年5月26日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《27日》 - 伝統
2023/05/27 (Sat) 07:30:39
愛に一時報いがないように見えても愛の力を疑うな。
愛した相手に叛(そむ)かれても愛の力を疑うな。
すぐ結果が出るような功利的なものよりも
大きな果(み)を愛は結ぶのだ。
愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。
この世に隠れたる愛がなかったら
もっとこの世は悲惨であったに違いない。
愛の精神波動は永遠に消えないでついに神のみ許(もと)に達するのだ。
今まで注がれた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。
愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実(み)を結ぶ。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P38、39)より
<感謝合掌 令和5年5月27日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《28日》 - 伝統
2023/05/28 (Sun) 05:03:54
愛せよ。
少しも求めずに愛せよ。
これが愛の秘訣である。
こんなに愛してやっているのに相手はこうだと非難するな。
呟(つぶや)くな。
愛は、その結果がどうなるからとて愛するのであってはならない。
愛することそのことが神の道だから愛するのだ。
愛することそのことが幸福だから愛するのだ。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P39)より
<感謝合掌 令和5年5月28日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《29日》 - 伝統
2023/05/29 (Mon) 05:04:41
結果を求めた愛は必ず不幸に終わる。
愛した結果の、利益を予想する愛は低い愛だ。
功利的な愛だ。
利益にならなければ腹が立つ。
相手が喜んでくれるから愛する愛はその次だ。
功利的ではないが相手が喜んでくれなかったり
相手が自分の好意に気がついてくれなかったら腹が立つ。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P39)より
<感謝合掌 令和5年5月29日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《30日》 - 伝統
2023/05/30 (Tue) 05:04:29
愛は、人と人の接触を和(やわ)らげ、人生を住みよきものたらしめる。
そこまでは誰でも知っている。
されど、人間の愛が自然界に及ぼす影響を知っている人は少ない。
すべての人間が互いに愛するようになり、
怒りや憎みや妬みなどの不調和な精神波動がこの世から消滅してしまえば、
自然界の現象を支えている内的な力に一大変化が起こり、
調和がおのずから自然界を支配し、
聖書にあるような獅子と羊とが一緒に遊んでいる世界が出現するのである。
眼に見える世界は心の世界の影でしかないからである。
ことに万物の霊長たる人間の心は 万物を支配する。
その時は植物は今より一層美しき花を開き、
小鳥は今よりいっそう美しき声で鳴き、
猛獣も猫のように人間の膝に眠る。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P39、40)より
<感謝合掌 令和5年5月30日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《31日》 - 伝統
2023/05/31 (Wed) 05:03:55
生長の家が憎みに反対するのは
憎みが人生の不幸の根であるからである。
宇宙を支(ささ)えている心の力を清めなければ、
外界の一つの不調和を何らかの方法で刈(か)りとっても、
またほかから不調和の芽が出て来る。
不調和の根が残っているからである。
心の改造に立脚せぬ社会改造運動が善いように見えて、
結果が面白くないのは、不調和の根(心的実在)を刈りとることを
忘れているからである。
「剣をとるものは剣で滅びる。」
憎みで立つものは憎みで滅びる。
なんじら憎みのパン種(だね)で膨らしたパンを慎(つつし)めよ。
それは美味(おい)しく見えても
食べる者の心を憎みで膨(ふく)らすのである。
*「生命の實相」第22巻聖語篇(P40)より
<感謝合掌 令和5年5月31日 頓首再拝>