伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑬ - 夕刻版

2023/01/29 (Sun) 04:54:58


方便と行動を失った信仰は空念仏である~谷口雅春先生

         *生長の家』(昭和43年6月号)より

毎日、そして毎刻、あなたの心の世界に神を念ぜよ。 

『神があらわるれば善となり、義となり調和おのずから備わり、
 一切の生物ところを得て争う者なく、相食む者なく ・・・・・ 』 

と聖経は示し給うているのである。 

常に神を念うことなく、常に敵と、戦いとのみを念うことによって
調和ある平和の世界は実現のしようはないのである。 

私たちは常に 「敵の無い世界」 「争いのない世界」 のみを
想見しなければならないのである。

聖経 『天使の言葉』 には、  

『実相世界の住居は悉くこれ生長の家なれば、住民に飢えなく、
 悲しみなく、争いなく、病なく、万の物ことごとく意に従って出現し、
 用足りておのずから姿を消す。 

 円満具足清浄微妙の世界、これ実相世界、
 これ汝らの世界、このほかに世界あることなし。』   

と示されているのである。 

この聖句を法華経の  

『衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時にも
 わが此土は安穏にして天人常に充満せり』  と対比してみるとき、 

『このほかに世界あることなし』 の意が津々として
無限に深い意味をもって感得できるのである。

 
観普賢菩薩行法経には 

『無量の勝方便は実相を思うより得』 と示されているのである。 

実相世界の 『一切の生物処を得て争うものなく相食むものなき』 
永久平和の世界は、決して毀れることはない常住の世界ではあるけれども、
その  『実相を思う』  又は  『実相を観ずる』  ことだけで、
実相世界の永久平和の世界が実現するのではないのである。

 
『無量の勝方便は実相を思うより得』 という普賢経の意味は、
実相を思うとき、実相の円満完全な姿が実現するための
勝れたる方便、過程、手段が自然に思い浮んで来て、

それを実行することによって、
実相世界の完全円満な風光が現実化して来るという意味である。

『実相を思う』 ことなしに、人間智 ―― 単なる頭脳智によって、
永久平和の世界を来たらしめようと思っても、
人間智は、一寸先を予知することのできない黒暗の智慧であるから、
善と思ってしたことが、その結果が悪に転ずることが度々あるのである。


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晴れときどき(2014 年 5 月 1 日)


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8298091

(11)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8301267

(12)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8304221

(13)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8307975



(14)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6620484

(15)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7220053

(16)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7912130

       <感謝合掌 令和5年1月28日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」20-a 生長の家 - 伝統

2023/01/29 (Sun) 17:18:39

徳久克己「ヨハネ伝講義」20-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/14)
https://www.youtube.com/watch?v=hDCkaRSZfZA

          <感謝合掌 令和5年1月29日 頓首再拝>

明るい言葉のあふれる家庭に善い子供が育つ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/01/30 (Mon) 04:42:33


        *『 生命の實相 』頭注版第14巻 より

子供は、鋭敏な言葉の感受装置であるがゆえに、
子供の側(かたわ)らで善きことを話すのは
非常に善き効果があるのである。


聖人の魂の奥底にきざみつけられている深切や、
いたわりや、愛や、偉大なものに対する憧憬の大部分は、

幼きころに、特に母の和顔(わがん)愛語(あいご)が
生みつけてくれた精神的影響であるのである。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e9044e38cef70a76668b39db242a131a
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-25)

          <感謝合掌 令和5年1月29日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」20-b 生長の家 - 伝統

2023/01/30 (Mon) 15:18:30

徳久克己「ヨハネ伝講義」20-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/15)
https://www.youtube.com/watch?v=3VKOzMIDSdE

          <感謝合掌 令和5年1月30日 頓首再拝>

行 = 徹底感謝 である~藤原 敏之 - 伝統

2023/01/31 (Tue) 04:52:49

 
生長の家に限らず、宗教はすべて哲学でありますが、
生長の家の教えを 『生命の實相』哲学 と呼ばれ、
また仏教を仏教哲学と申しまして、いずれも最高の哲学なのであります。

一般にいう哲学とちがう所は、
学問としての哲学はただ考えるだけの哲学であります。 

宗教としての哲学は実践哲学といいまして、
“行” が伴い、実行してみて結論を出すというところが
ちがうのであります。

いわゆる哲学者というのは大抵行きつまりますが、
正しい宗教哲学では一つ一つ一所懸命やってみて、
その結果をみて正しいか間違っているかを確めてゆく方法なのであります。 

生長の家の信徒でも、絶えず考えてばかりいて、
現象に現れた結果だけをみては苦にしたり、恐れたり、
心配しているのでは信仰生活者ではなく哲学者になっているだけで
信者ではないことになります。 

知るだけで救われるのであれば、ことは簡単でありますが、
なかなかそうはいかないのであります。

私達の上に起ってくる出来事は、現実なのであります。 
たとえ現象にせよ、事実は事実なのでありますから、
考えただけで解決しようとすることには根本的な誤りがあるわけです。 

今現実に腹がへってどうにもならないとき、
どんなに上手に考えてみても空いたお腹は満たされないでしょう。 

空いたお腹を満たす方法は食べる以外に方法がないのと同じように、
宗教哲学ではこの実践が欠かすことの出来ない条件なのであります。

 
行ずる以外にないということをまず気づかなければなりません。 
ただし、この条件を救われるための条件であると
思い違いしてはならないことであります。 

宗教の救いが形や条件でないことは、既に述べましたが、
ここでいう “行” とは救いの根本条件としての行ではなく、
現象に執われ、現象の問題を何とかしようと焦り、
努力している人にとってだけ必要なのであり、

現象界には現象界の法則がありますから、
その現象処理の方法として必要なのであります。

このことを仏教でも生長の家でも、方便とお教え頂いております。 
この真実 〈真理〉 と方便とを明らかに区別することが
最も大切なことなのであります。 

この行としての努力は、例えば目をつぶって暗いといっている人には、
何とかして目を開いてもらわないことには明るくする方法がないでしょう。 

そのときにはどうしても順序として
本当は暗くないことを納得してもらい、
次に暗いのはあなたが目を閉じて光を見ないからであると
気づかせる 〈自覚〉 ことであります。 

次に目を開かせる方法を示して、
その通りに実行して目を開いてもらうことによって、
本来の明るさに戻るのであります。

 
これと同じように宗教でいう“行”とは、
この最後のどうして目を開かせるかという方法でありまして、
もともと暗いものを明るくすることではないのであります。 

実相は常に明るいのでありますから、その間違いに気づき、
どうしなくても既に明るいのでありますから、
本来の明るさを現せばよいわけであります。 

これを方便といいます。


“行”が救いの条件となると、実は根本がまた間違って来ますので、
充分注意しなければならないのであります。

方便をそのまま真理だと解釈することは大変な間違いであります。 

宗教において、また特に生長の家の御教で一番大切なことは、
実相と現象の区別をハッキリすることであり、
真理と方便とをわけて考えることであります。 

この二つが混同されますと、残念ながら混乱するばかりで、
本当の悟りにも救いにもならないのであります。

 
長い間、御教えを頂きながら、
救われたような救われないような状態でフラフラしていると
いわれる方々のお話をきいてみると、

大抵この一番肝腎なところが、今一つハッキリしていない方々であり、
このことが極めて大事なところであります。

 
生長の家では “三行” として、
次の三つの行を根本的な行として、お示し頂いております。

すなわち、

『神想観』 

『聖経・聖典読誦』 次に 

『愛行』 

の三つであります。 

これが基本行であるわけでありますが、
この三行がなぜ大切であるかと申しますと、
私たちが神につながり、神を顕わす上の根本行だからであります。 

神様は実相であり、私達は現象界に生活しております。 
そこで実相世界に神様の万ずの御徳は既に充ち満ちており、
無限に供給せられているわけであります。

ただし小切手のようなものでありまして、現金ではないわけであります。 
小切手のままでは現金ではありませんから、
いったんその小切手を現金に換えないことには
通貨としての価値がないのであります。 

そこで現金と同じ価値のある小切手を、
通貨としての現金に換える手続きが必要となります。 

そのお金に換える手続き方法が、先の “三行” であります。

 
生長の家でお教えを頂く“行”も、悪いものを善くしたり、
無いものを造り出すためのものではないのであります。 
既にあるところのもの 〈実相〉 を形に現すための方法なのであります。

 
ですから、“行”が大切であるときけば、
すぐに“行”に執われ、引かかって、“行”にしばられて、
身動き出来ない程不自由になって苦しんでいる人は、
この肝腎の“行”の本質すなわち行の目的と内容を明らかにすることが、
また大切なのであります。

 
この第一の神想観は“三行”の中で最も大切な“根本行”なのであります。 
この“観行”こそは、神を顕わす唯一の方法でありまして、
この“行”抜きにして神を把握することは絶対に出来ないことであります。 

神様は先にも述べた通り、姿も形も色も臭いもなく、
全く空の中に円満具足していらっしゃる存在でありまして、
捉え所が全然ないわけでありますから、
神につながり、神を観るのは、想う以外、他に方法がないのであります。 

仏教でも念仏といって、仏を想う以外にないと教えています。

この神想観とは書いて字の通り、神を想い観ると示されております。 
もっとハッキリいいますと、神様以外のものは絶対に思いません、みません、
ということなのであります。 

生長の家の 「唯神実相論」 をそのまま生活することであり、
実現することでありますから、
本当の神想観は、自我滅却であり、無我であります。

“私”がやる神想観では形は神想観でありますが、
中身は神想観でなくて、神以外のものを想い観ていることになります。 

例えば病気のことを心配しながら、
「神様どうかこの病気を治して頂きとうございます」 と
心に想いながら、神想観の格好をしているときは、
神想観の格好をした病想観になるのであります。

 
第二の聖経の読誦でも、何か目的をもって読んでおりますと、
残念ながら聖なる“行”ではなくなります。 

自分が満足を得るために、神様の御機嫌とりのつもりで
聖経をどんなに上手によんでも聖なる“行”とはなりません。

自分の都合という混じりものが入っておりますから、
純粋ではなく、心の底にはやはり神様を利用しようという
浅ましい根性がまじっておりますから、
一所懸命やりながらすっきりするどころか逆に不安が伴うのであります。

目的があるとどうしても「これでよいのか」という心配があり、
効果や結果ばかり気になるのであります。 

このような神想観や聖経読誦は“楽行”ではなく“苦行”となります。 

生長の家では苦行があってはならないのであります。 
生長の家は光明思想であり、悪や不完全を徹底的に否定した教え
でありますから、苦行などあるはずはなく、
あるのは“楽行”だけであります。

 
谷口雅春先生が私たちに常にお教え頂きますことは  
「生長の家の行は他力の行でありますよ」  とお示し頂くことであります。 

このことを肝に銘じて再出発することこそは救いの根本義でもあります。

“他力の行”とはどんなことであるかと申しますと、
“徹底感謝”ということであり、

感謝以外のものは形がどんなに立派でも
生長の家の“行”ではなくなるのであります。

“行”の目的が現象処理になり、現象否定どころか
現象を認めて取りのぞくための努力や方法となりますと、
あるものをなくしようとすることになり、
正しい方便ではなくなるのであります。 

正しい方便とはあくまでもないものをなくするためのものであります。 
もともと夢はないのでありますが、見ている最中はあると思いこんで、
恐れたり苦しんだりしますけれども、夢はないのでありますから、
ない夢をなくするには目を覚ませばよいわけであります。 

夢の中で起っている苦しい事件を、夢の中でどうしてなくしようかと
もがいているのとは全然ちがうのであります。 

“他力行” とはすなわち “感謝行” ということなのであります。 
既に救われてあり、既に完全であることに感謝することこそ、
生長の家の“行”であります。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/7b2f5e8330a0c99af0932863766adf96
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-21)

       <感謝合掌 令和5年1月30日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」21-a 生長の家 - 伝統

2023/01/31 (Tue) 16:51:39

徳久克己「ヨハネ伝講義」21-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/16)
https://www.youtube.com/watch?v=HXL7ro9kugI

          <感謝合掌 令和5年1月31日 頓首再拝>

神の意識的自己顕現の“座”としての人間生命~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/01 (Wed) 04:53:53


       *『神真理を告げ給う』 より

“わたし” の意識的顕現としての “生命” は、
あなた達の肉体生命を、地上顕現の “座” として、
そこに天降って来たのである。 

人間の肉体生命が尊ばれなければならないのは、
それが単なる “人間の肉体” ではなく、
神の生命の意識的自己顕現の “座” であるからである。

 
胎児の肉体生命といえども、それは出産後の人間の肉体生命と同じく 
“わたし” の意識的自己顕現の “座” として予定されたるもの
であるから、その尊さは同じことなのである。 

出産後の “人間生命” は殺してはならないが、
胎児の “人間生命” は殺すことは “殺生” ではない
などと考えるのは間違いである。

 
人間は物質的な損得の価値判断で考えたがるので、
胎児を殺すのは経済的に安くつくから “殺してしまえ”。 

そして胎児を殺せば大人の生活が楽になるから、
その方がよいなどと勝手気侭な評価をするけれども、

神から見れば “神の意識的自己顕現の座” が破壊されるのだから、
その罪悪は大人の肉体を殺すのと同罪なのである。



https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p39.html
晴れときどき(2014 年 6 月 1 日)

          <感謝合掌 令和5年1月31日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」21-b 生長の家 - 伝統

2023/02/01 (Wed) 15:09:27

徳久克己「ヨハネ伝講義」21-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/17)
https://www.youtube.com/watch?v=Qkii8LWr494

          <感謝合掌 令和5年2月1日 頓首再拝>

神は 「 自己の努力 」 の中に顕(あらわ)れたまう~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/02 (Thu) 04:18:45


       *『 栄える生活365章 』 より

魂の底の底なる深き願いは必ず成就するのである。

併(しか)し、「 屹度(きっと)、神様が成就させて下さる 」と信じて、
それが成就するに必要な 「 自己の努力 」を棄ててはならない。


「 神はみずから助くる者を助く 」という古諺(こげん)があるが、
「 あなた自身の努力 」のすがたとあらわれて
「 神の力 」が迸(ほとばし)り出るのである。 

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/65bbf85fb28c478b07b4b4296c0b98ea
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-26)

          <感謝合掌 令和5年2月1日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」22-a 生長の家 - 伝統

2023/02/02 (Thu) 14:18:00

徳久克己「ヨハネ伝講義」22-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/18)
https://www.youtube.com/watch?v=pFyH71tpMMA

          <感謝合掌 令和5年2月2日 頓首再拝>

「無限の富」とはいかなるものか - 伝統

2023/02/03 (Fri) 04:05:50


           * 徳久 克己「『生命の實相』教室」より

『生命の實相』 第5巻 聖霊篇205頁に

「無限の富と申しますのは自分の名義になっている富だけを数えるのは、
 本当の富ではないのであります。 自分の名義になっている富だけを言うならば、
 百億万円の金持でも有限の金持であって無限の富ではないのです。 

 また現在必要もないのに自分の懐中に百億万円もあっては、
 その富は重いばかりで自分の自由を縛るばかりである。 

 本当の無限の富とは必要なだけ、
 滾々と井戸の水を汲んでも汲んでも尽きないように、
 いくら使っても使っても必要に応じて無限に湧き出て来るのが
 本当の吾々の自由を縛らない自由無限を展開するための無限の富であるのです。」

この「無限の富」というものを、よく理解していないと生長の家の
「無限供給」の本当の意味がわかりません。

「欲するもの、好ましきもの、おのずから集りきたり、
 欲せざるもの、好ましからざるもの、おのずから去る」

如意宝珠観のこの一節が心の底から理解されますと、
実に楽しい、明るい、嬉しい生活ができます。

なんでもかんでも自分の名義でみんな持っているのが「無限の富」だと思うと、
富を持ちながら自由を失った悩みの生活になってしまいます。


次の頁に 

「本当の無限の富の所有者は使っても減らないで、打出の小槌のようにまた出て来る」  

と説かれています。 

「神の子」である私たちはすべて 「富の本源」 である神の子なのである、
ということを、まず根本的に理解しなければなりません。

http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p9.html
晴れときどき(2013 年 8 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年2月2日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」22-b 生長の家 - 伝統

2023/02/03 (Fri) 14:33:08

徳久克己「ヨハネ伝講義」22-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/19)
https://www.youtube.com/watch?v=u2OMfWFDPW4

          <感謝合掌 令和5年2月3日 頓首再拝>

菩薩の道は無抵抗主義ではない~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/04 (Sat) 04:58:43


       * 『維摩経講義』 ― 菩薩随意転身の巻 ― より 

『我心驕慢の者には、為めに大力士と現じ、
諸々の貢高を消伏して、無上道に住せしむ』

菩薩は必ずしも柔和なだけではないのであります。 
「右の頬を打つ者あらば左の頬をもめぐらせて之に打たせよ」 
と云う無抵抗主義が効を奏することもありますけれども、
必ずしもそうは行かない。

戦争放棄、無抵抗主義が好いこともありますけれども、
それも時と場合、相手の人や国に応じて施策をめぐらせて行くのが 
『實相』 把握の菩薩の勝方便なのであります。

観世音菩薩行法経には、「無量の勝方便は実相を観ずるより得らる」 
と示されているのでありまして、実相を把握したときには、
人・時・処に三相応して自由自在の働きが出来て来るのであります。

だから無抵抗ばかりが菩薩の勝れたる方便ではないのであります。 

時として、大力士の姿を現じて、ガチンとその高慢の鼻を
くじいてやる事も必要なのであります。 

これが 『心驕慢の者には、為に大力士と現じ、
諸々の貢高を消伏して、無上道に住せしむ』 であります。 

無上道と云うのは此の上ないサトリの道であります。

嘗て、白色人種が有色人種を馬鹿にして、
東亜の諸国は殆ど悉くその植民地化か属領化していた頃、
日本が蹶起してガチンと白色人種の膨大な軍備の国に対して
一撃をくらわしたのであります。 

その為に日本は軍国主義者だと言われ、
戦場には附随し勝ちな暴虐事件などもあって、
日本は世界から色々の批難を受け、自国もまた一時占領されるなどの 
「剣をとるものは剣にて滅びる」 との心の法則を実演するに
到ったのであります。

併しながら、かくの如き 『菩薩日本』 の十字架によって、
東亜の有色人種はどうなったかと云いますと、 
「人類は皮膚の色彩によって、その天賦の本質に高下があるのではない。 
みんな 『神の子』 又は 『仏の子』 として平等の権をもっているのだ」 
という無上のサトリ〈無上道〉を得るに近づいて来、
東亜の民族独立の機運を醸成されたのであります。 

東亜民族が殆どすべて独立して自主性を恢復しつつあるのは
日本のおかげなのであります。


だから菩薩道は無抵抗主義ばかりでは可かんし、
また軍国主義ばかりでも可かん。 

なぐる時にはなぐらなければならないし、
お辞儀する時には正直にお辞儀をしなければならない。 
そうかと言って、いつまでもお辞儀をつづけている必要もない。 

菩薩は自由自在に千変万化して衆生を救済するのであります。 

これを便乗だとかオポチュニズムだとか云って
攻撃するのは間違いなのであります。 

どんな「善」と見える行いにでも、時と場所と人とをわきまえずに
「この形が善だ」と「善」の一定の「形」を捉えていては、
善が善でなくなるのであります。 

それを 「善中の悪と云います」 と私は戯曲 
『イエスは十字架にかからず』 〈『生命の實相』 第16巻にも収録〉 
に書いて置いたのであります。 

 ・・・・・ (中略) ・・・・

観世音菩薩を普現色身菩薩とも云いますが、
観世音菩薩のように「世音」即ち、相手の人の心の音(ひびき)を観じて、
どんな色身でも普く現すのでなければなりません。 

これが中々むずかしいのです。 

時とすると善人は「善」にとらわれますし、
非戦論者は「非戦」にとらわれ、
戦争放棄論者は「戦争放棄」にとらわれます。 

現象界の事物は何でも時と場所と人との三相応を得なければなりませぬ。 
主義や形を握ってはならないのであります。 

心中に観世音菩薩の慈悲を持しながら、
形には不動明王の忿憤の形相を顕じなければならぬこともあります。 

善をば或る「形」だと思って、
「形」に捉われたら生命が死んでしまいます。 

これは国家でも個人でも同じことであります。 

相手に従い、時に従い、随意転身しなければなりませぬ。 


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ca46df6ae289d7cee4cc951a3b87e96d
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-25)

          <感謝合掌 令和5年2月3日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」23-a 生長の家 - 伝統

2023/02/04 (Sat) 13:32:30

徳久克己「ヨハネ伝講義」23-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/20)
https://www.youtube.com/watch?v=8McrQgFIfKM

          <感謝合掌 令和5年2月4日 頓首再拝>

「 求める心 」から「 与える心 」に変ると幸福になる - 伝統

2023/02/05 (Sun) 04:54:27


        *『 感謝の奇跡 』谷口清超先生より

この世の中には、「 奪うものは、奪われる 」という「 法則 」がある。

これを言いかえると、
「 与える者は、与えられる 」という「 法則 」でもあります。


私達が、「 与える 」心を起して、
人に深切をし、豊かな心になっていると、

多くの人々から深切にされたり、与えられたりして、
豊かになるのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/c598aa0df4585ed4857e2b534bd3af3c
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-27)

          <感謝合掌 令和5年2月4日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」23-b 生長の家 - 伝統

2023/02/05 (Sun) 12:55:49

徳久克己「ヨハネ伝講義」23-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/21)
https://www.youtube.com/watch?v=XqEQnxE5hu8

          <感謝合掌 令和5年2月5日 頓首再拝>

無いものは無い~徳久 克己 - 伝統

2023/02/06 (Mon) 04:55:30



『生命の實相』 のなかに、聖経のなかに、いたるところに 
「病気は無い」 と書いてあるのを拝読していながら、
潜在意識のなかには 「病気はある」 と思っているような
中途ハンパな信仰だから、すべてのことがスッキリしないのだと反省しました。

生長の家が発祥した当時の大先輩である
服部仁郎先生、吉田國太郎先生のお話はハッキリと 「病気は無い」 
と宣言しておられたことを今でも思い出します。 

先生たちのお話を聞いていますと、
理論的にはドウシテモ理解できないような、
飛躍したお話が多かったのですが、それでいてとても魅力があり、
先生たちのお話を追いかけまわして聞いた私でした。

 
「病気は無い」 ということは、谷口雅春先生がお悟りになられた真理で、
理屈がこうだから 「病気は無い」 のではなく、
病気は無いから無いのだ、ということをわからせていただいて、
私は本当にスッキリしました。


 「なぜ無いのだ?」

という疑問が出るということは、
「現象あり」 とみる 「迷い」 がある証拠で、
「病気がある」 と思っているからです。 

結局 「病気は無い」 と知るためには、
谷口先生が神から最初に受けられた啓示である 
「物質はない」 という、生長の家の御教がはじまった最初の原点を、
よくみきわめることが大切であるとわかりました。


 「“無い”ものを“無い”としたところに、本当にアルモノが出て来るのだ」

                 (『生命の實相』 第20巻 135頁)


この「“無い”ものを“無い”とする」 これが最も大切なことで、
それによって本当にアルモノが出て来るのです。 

「病気は無い」 と知った時、本当にアルモノ、即ち 
「永遠の生命 〈健康そのもの〉」 が出て来るのです。

先生が 「人間は病気をしないのがアタリマエで、病気をするのは奇蹟だ」 
とお説きになられるのは、 「無いものを無い」 とハッキリ自覚された時に
出てくる真理であります。 

どうしても私たちは五感にたよって毎日の現象の生活をしていますので、
五感によって知る現象をあるかのように錯覚してしまうのです。

 
谷口先生は 「病気は無い」 と教えておられるのですから、
無い肉体の病気などあるはずがないのですが、
五官で感知するものを 「ある」 と思うと、
そこからイロイロの 「迷い」 があらわれてきます。

 
 「無明(まよい)はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。 
  真相を知らざるを迷いと云う」  

と聖経 『甘露の法雨』 に説かれています。 

「無いものをあると想像する」 のが迷いでありますから、 
「病いの原因は “心” にあり。 しかも “迷いの心” にあり」 
と聖経 『続々甘露の法雨』 に説かれています。 

このように教えられますと、私たちは 「病気は無いんですよ」 と
ハッキリどんな時でも言えるようになります。


生長の家が発祥した当時、私たちの先輩が 「病気は無いのですよ」 
と宣言して、いたるところで奇蹟が起ったということは、
それが真理であるからです。

私たちは先輩のあとをついで、生長の家の根本真理をハッキリと宣言して、
多くの人びとを悪夢からさましてあげる必要があります。

http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p9.html
晴れときどき(August 26, 2013)

          <感謝合掌 令和5年2月5日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」24-a 生長の家 - 伝統

2023/02/06 (Mon) 18:49:12

徳久克己「ヨハネ伝講義」24-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/22)
https://www.youtube.com/watch?v=7-1_Wg-WO9Q

          <感謝合掌 令和5年2月6日 頓首再拝>

自主憲法の“自主”とは何を意味するか~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/07 (Tue) 04:54:12

 
われわれは「自主憲法制定国民会議」に参加しているのであるが、
自主憲法の“自主”とは一体いかなることであろうか。

日本国家の憲法であるから、日本国民が自分自身で
その制定の主人公となって、占領軍や、他国の圧力等によって
煩わされることなく自分の好き勝手に条文をつくって制定すればよい
という意味だろうか。 

否、決してそんな意味であってはならないのである。

もし共産党が政権を握れば、彼らの今までの主張によれば、
自分の好き勝手に共産主義憲法をつくり、天皇制を廃して、
徴兵制度のある軍隊設置の憲法を自主憲法として作るであろうし、

もし社会党が政権を握れば、社会主義政権の下においては
天皇制は両立しないと、かねがね言っていたのであるから、
天皇制のない、そして無武装中立の憲法を自主憲法として
制定するかもしれない。

これでは自主憲法制定などといっても、
政党としては自主憲法制定かもしれぬけれども、
国家としてはしっかりとした“自主的意思というもの”はどこにもない。 

これでよいのだろうか。

われわれが自主憲法と称しているものは、日本国家の自主憲法であって、
共産党や社会党の自主憲法でもなく、また自民党の自主憲法でもないのである。 

そんな一党一派の政見による自主憲法ではないのである。

日本国家がその成立又は誕生の根本精神となった個性的な理念、
他国のまねをするのではなく、みずからその発生の根拠となった
個性的な精神内容 

― すなわち天照大御神の 

「豊葦原の瑞穂国は世々わが子孫の王たるべき国なり」 

という国家統治の中心生命が万世一系の天皇にましましという
他国に比類なき個性的な国家理念 ― 

その理念の顕現として神武天皇の建国となって以来、
わが国は二千六百三十年間、天皇国家が持続している ― 

この天皇中心の国家的個性にもとづいた憲法こそ、
国家それ自身が主人公であるところの自主憲法でなければならないのである。

 
すなわち、「大日本帝國ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 とある 
『大日本帝國憲法』 を復活することこそ日本国家の個性ある生命
それみずからが主人公であるところの自主憲法の制定であるのであって、

それ以外の憲法を各個人や各政党の勝手気ままに制定することが
自主憲法の制定ではないのである。


国家は生命体であって
国民はその生命体たる国家を形成する細胞にあたるのである。 

全身の細胞が健全になることによって、人体全体が健康になるが如く、
国家という生命体が調和して全体が繁栄することによって、
国民ぜんたいが健全になり、幸福になり、ゆたかになり、

また国民全体が健全と幸福となることによって、
国家という生命体もいよいよ健全になり偉大となり繁栄する。 

そして、国家の繁栄に従って国民も共にその恵沢を享け、
互いにその繁栄と恵沢とが循環するのである。

ところが国家が生命体であることを無視し、
国民のみが主権をもち、その国民が徒党を組んで、
自己の属する徒党のみの福利を追求するようになれば、

それはある一部の細胞群が徒党を組んで、全身の健康のことを思わず、
自分の徒党のみの自己発展、自己増殖を民主主義と称して企図し、
その方向に向ってのみ自己拡張をつづけるならば、
それはあたかも癌細胞や肉腫細胞の自分勝手な発展となり、
全身を冒すところの致命的病気をひき起すことになるのである。

 
日本国家においては、この「全身を冒すところの致命的疾患」とは、
日本国家を滅亡にまで導く団体行動が起るということである。 

今やすでにその団体行動は起りつつあるのである。 
私たちは速かにこの癌細胞に精神的栄養を与えつつある
占領憲法の無効を宣言し、自主憲法の制定

 ― すなわち日本国家本来の個性ある建国理念を主軸とした
明治憲法の復効を宣言しなければならないのである。


なお自主憲法とは、その国の建国の精神と、
その精神の発達の歴史を通じて、建国の理念が
国民の生活の上に顕現している「伝統」を破壊するもので
あってはならないのである。

それゆえに、たとい共産党や社会党がマルクスなどの
舶来のイデオロギーにもとづいて、自分勝手に
「日本国憲法」なるものを作りあげても、それは自主憲法ではなく、
他国の建国イデオロギーの移植であるから、
それは植民地憲法というほかはないのである。

近頃の青年たちのうちには伝統の破壊をもって革新の理想として、
何でも過去のものを破壊する事をもって正しいと考えている者も
あるようだけれども、これは大きな間違であるのである。 

国家の伝統とは、その国家を創建したその民族の連綿たる
生命の個性ある特色が、歴代のその民族の生活を通して
顕現しつつあるものであって、
その民族国家の個性ある容貌または指紋ともいうべきものであって、
決して単なる生活習慣の型というようなものではないのである。

人は自分の容貌がまずいと思っても、
その顔を他の人の顔と取りかえたいとは決して思わないであろう。 

自分の顔を取り替えてしまったら、もう自分ではなくなってしまうからである。 

自分の顔には、自分の生命が、過去の生命発展の歴史を通じて、
自分以外のものと区別するところの個性ある理念と生命の体験とが
表現されているのである。 

それと同じく日本民族国家の伝統には、日本民族それ自身が、
その生命発展の歴史を通じて、自分以外のものと区別するところの
個性ある理念と生命の体験とが表現されているのであって、

この伝統的なものを棄てることは、あたかも自分の顔を棄てて、
他人の顔を貼りつける整形手術をするのと同じことであるのである。 

したがって日本国家の伝統にかなう憲法でなければ、
日本人にとっては決して 自主憲法 にはならないことを申しそえておく。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/641ff5b7f2c1722e765c435c573330bd
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-07-01)

          <感謝合掌 令和5年2月6日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」24-b 生長の家 - 伝統

2023/02/07 (Tue) 14:32:23

徳久克己「ヨハネ伝講義」24-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/23)
https://www.youtube.com/watch?v=6Myj8u_PU1E

          <感謝合掌 令和5年2月7日 頓首再拝>

神の大道(たいどう)に載(の)るためには~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/08 (Wed) 04:55:59


        *『 聖経版 真理の吟唱 』 より

神は大道であって、この“道”に載るとき、
私たちは如何(いか)なる場合にも、
行(ゆ)き詰(づ)まるということはないのである。

では、大道に載るには如何(いか)にすべきであろうか。

祈るがよいのである。

自我(じが)の観念(かんねん)を棄(す)て去り、
ひたすら神と一体ならんことを期(き)し、
神想観し、神と融合(ゆうごう)する心境でいるのがよいのである。



https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/8fba61eb2a269e68e0146de558c4a7a2
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-28)

          <感謝合掌 令和5年2月7日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」25-a 生長の家 - 伝統

2023/02/08 (Wed) 14:42:52

徳久克己「ヨハネ伝講義」25-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/24)
https://www.youtube.com/watch?v=vfG6ahuR7zg

          <感謝合掌 令和5年2月8日 頓首再拝>

『神国実現への手紙』 九月の手紙~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/09 (Thu) 04:50:56


        *「静思集」より

ついに吾々は悟らねばならぬ時に到達するのでございます。

まことの幸福は物質的環境の好転でもなければ、肉体の健康でもない。 

それらはただ当り前のことが当り前にあるだけであって、
積極的な歓喜を与えるのは魂の喜びであって、
物質や肉体の満足のことではなかったのでございます。

真の悦びの源泉はただ霊より来るのでございます。 
そして霊の悦びは愛より来るのでございます。 
愛せよ、愛の悦びは捧げる悦びでございます。

御利益信心が行き詰るのは
捧げる代りに奪い取る悦びであったからでございます。 
奪いとる悦びは浅い、そして捧げる悦びは深いのでございます。

奪いとる悦びは地に貯える宝でございます。 
どんなに貯蔵してもそれはいつか捨てねばならないのでございます。 

キリストはこれを蠢魚食い銹び腐る富だと仰せられました。 
そんな蠢魚食い銹び腐るものを追求致しますまい。 

尤も自然に集ってくるのを避けるには及ばないのでございます。 

天の倉に吾らは宝を貯えることに致したいのでございます。 

憐れなる者に対する施し、小さなその日その日の隠れたる行事
 ―― すべて眼だたぬ善事こそ尊いのでございます。 

これこそ天の倉に貯える富でございます。


http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p9.html
晴れときどき(August 31, 2013,)

          <感謝合掌 令和5年2月8日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」25-b 生長の家 - 伝統

2023/02/09 (Thu) 12:55:30

徳久克己「ヨハネ伝講義」25-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/25)
https://www.youtube.com/watch?v=AmXPXb8uwVM

          <感謝合掌 令和5年2月9日 頓首再拝>

祈るだけでは卑怯な逃避者である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/10 (Fri) 04:50:07


           *『憲法の正しい理解』より

あなたは政治と宗教とを結びつけることに反対なさいますが、
その反対が、日本の社会主義革命の最大の防壁となっている
生長の家の思想及び信仰を、

「人間・神の子」という生長の家みづからの教義をもって、
「天皇信仰は教えに矛盾するではないか」と逆手をとって反駁して来られ、
革命の最大防壁を切崩そうとしている左派の謀略にあなたが乗せられている
とも受取れるふしがあるのでありますが、

正しい宗教が一国の政治家を導かない限り、
その国は健全な発達をとげることができないのであります。

 
統計から察する人工流産毎年3百万人の如きことは、
政治が改まり、法律が改正されると、全部は防止できなくとも
その3分の2位は防止できると思います。 

 
なおそれよりも重大なことは、1970年(昭和45年)の
安保条約の改廃が可能となる時機にあたって、そして多分、
この形勢のままで推移すれば、革新派の国会議員選挙に於ける得票数が
保守系の‘それ’よりも著しく上まわる時機に於て、

現行憲法が、革新系の多数決によって改正せられ、
天皇の地位なき社会主義国家憲法が起草せられる惧れが多分にあるので、
それを吾々は、死力を尽し防止しなければならないと思っているのであります。


あなたは、「宗教家はただ祈っておれ、政治などに手を出すな。 
法律で規制するくらいなら生長の家はいらないではないか」 といわれますが、

祈っているとき、自然の動きとなって、
それが日常生活の動作となり政治的行動ともなり、
正しき食餌法ともなり、法律の改正ともなり、
憲法への働きかけとも現実化し具体化して来るのであります。

 
もし祈るばかりで、何の動作もしないのが宗教家ならば、
彼は現実を逃避した卑怯なニセ者であって、
人類愛があるならば、人類のために生命を賭しても胎児虐殺を
防止するために働きかけなければならないし、

愛国精神があるならば生命を賭しても憲法や法律の方面へも
働きかけなければならないのであります。

祈って万事が整うという考え方は、
「神様、既にお食事を与えて下さいました。 有りがとうございます」 と
祈っておれば、行動しなくとも腹がふくれ、栄養が摂れるというような
間違いであり、

祈りによって自他に起る自然の‘行動によって’
万事が整って来るのであります。

 
二人の童子がありました。 二人は毎朝仲よく小学校に通う
のでありましたが、或る朝、学校の近くまで着いたときに、
授業開始5分前のサイレンが鳴るのが聴こえました。 

一人の童子は 「神様、遅刻しないように助けて下さい」 
と祈りながら走りました。 

もう一人の童子は、そこに跪いて 
「神様、どうぞ遅刻しないようにして下さい」 と一心に祈るだけで 
「走る」 ことを忘れました。 

言うまでもなく、「走る」という行動を伴った祈りをした
童子の方が遅刻を免れたのであります。

 
私は祈ると共に、
国家を危機から救うために走ろうと思っているのであります。

あまり走ると躓いて怪我をするかも知れません。 
これをあなたは 「生長の家の危機を招く」 おそれがあるから
止めさせたいと思われるのでしょうが、

一身上の怪我など忘れて走って国家の火事を今のうちに
少しでも多く消さなければ、将来は到底消すことの出来ない
大火になると思うのです。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/m/201507/7
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-07-05)

          <感謝合掌 令和5年2月9日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」26-a 生長の家 - 伝統

2023/02/10 (Fri) 15:24:02

徳久克己「ヨハネ伝講義」26-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/26)
https://www.youtube.com/watch?v=bU6cDZMdn-s

          <感謝合掌 令和5年2月10日 頓首再拝>

団体ではなく、教えに従う~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/11 (Sat) 04:46:30


昭和47年12月3日 白鳩会座談会での 谷口雅春先生 の御指導

『人間を救う真理は一つであって、
 教団とか宗派とかいう団体が救うのではないのです。

 宗教団体に入るとか出るとかいうことは、問題じゃないのです。

 そういう団体が、自分の団体からメンバーが減ると、
 それだけ教勢が衰えるというので、無理につなぎとめておきたい
 というような計らいが起る。

 それに貴女は引かかって、
 半分出たいようなフラフラした気持になっている。

 それで貴女の運命もフラフラと定まらないのです。

 そんな団体はスカッとやめたら好いのです。

 宗教というものは、団体じゃない、教えなんです。

 真理の中に入れば、そのままで平和でいられる。』


http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=579
谷口雅春先生に帰りましょう・第二(2016年07月08日)

          <感謝合掌 令和5年2月10日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」26-b 生長の家 - 伝統

2023/02/11 (Sat) 13:52:52

徳久克己「ヨハネ伝講義」26-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/27)
https://www.youtube.com/watch?v=XZALX2kRDyw

          <感謝合掌 令和5年2月11日 頓首再拝>

神、祖先、父母への感謝報恩が全ての人の生活の基礎である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/12 (Sun) 04:40:16


         *『 真理は生活にあり 』より

人間が幸福に生活するための基礎工事は
生命の基礎をしっかりさせることであります。

神 ・ 祖先 ・ 父母 を通して生かされて
この世に出現している私たちは、

神 ・ 祖先 ・ 父母 に対して感謝報恩の念を起し、
神 を礼拝し、祖先供養 を怠らず、父母に深切を尽すとき、

その人の生活の基礎が定まったのである。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/c45c76faa221250e9998aba702f2b438
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-29)

          <感謝合掌 令和5年2月11日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」27-a 生長の家 - 伝統

2023/02/12 (Sun) 15:08:38

徳久克己「ヨハネ伝講義」27-a 生長の家
妙楽天国( 2018/05/28)
https://www.youtube.com/watch?v=u9vRtqZtyw0

          <感謝合掌 令和5年2月12日 頓首再拝>

生長の家の運動とは如何なるものか ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/13 (Mon) 04:19:54


       *「日本の奇蹟の人」より

谷口雅春先生は書いています。

「わたしは教祖ではない。霊的真理の発見者である。
 大生命が顕現するところ必ず“無限の生命と力が君臨する”、
 すなわち原因結果の法則が存在するのである。

 この真理に一致した生活が『生長の家』の生活であり、
 それは生命においても、力においても、豊かさにおいても
 無限に与えられたいる生活である」


「わたしは大生命に導かれているのであって、
 その大生命が用いたまう道具にすぎないのである。

 霊感によってわたしが与えられたこの真理の本源は、
 “神の国”すなわち“実相世界”に在るのである。

 これが生長の家の本当の『本部』であり、
 それは現象世界の本部のことではない。

 わたしは、霊感的に神から与えられた啓示を宣布する
 この地上の本部を便宜上“生長の家本部”と呼んでいるのであって、
 この地上の本部と、それから聖典頒布所を通して
 神の言葉が世に出ていくのである」

  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/snihonryuu/mode=res&log=3159
    谷口雅春先生倶楽部(2019年10月30日))

              ・・・

生長の家とは何か~藤原敏之

        *『安心と喜びを得る道」 233頁

生長の家のみ教えを信じて実行、行じたならばその通り
病気も不幸も災難も、たちどころに解消し、
安心と喜びのみの生活が如実に実現し、
この世ながらの天国浄土と化するのであります。

それは尊師谷口雅春先生を通して、
神様が宣言せられ、お示しになられたものであり、
谷口雅春先生を通して言葉となり、ご文章となって
私達に判るように示されたものだからであります。

  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/snihonryuu/&mode=res&log=3158
    谷口雅春先生倶楽部(2019年10月18日))

          <感謝合掌 令和5年2月12日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」27-b 生長の家 - 伝統

2023/02/13 (Mon) 12:32:55

徳久克己「ヨハネ伝講義」27-b 生長の家
妙楽天国( 2018/05/29)
https://www.youtube.com/watch?v=pIAQzEQ4rWg

          <感謝合掌 令和5年2月13日 頓首再拝>

宗教と自動車~中林 政吉 - 伝統

2023/02/14 (Tue) 04:42:42


       *『生長の家』(昭和24年7月号 26~27頁)

宗教というものを何か堅苦しいもの、面倒くさい儀礼、窮屈なもの、
しかつめらしいものであるかの如く思っている人があるかも
知れないけれども、これは大変な間違いであるのである。 

宗教というものは楽しむべきものであり、又楽しみ得るものなのである。 

宗教とは生命の歓喜を教えるものであるから、
宗教を生活に真に生きることができたならば、
生活がたのしくなり、宗教が楽しくなるのである。 

もし何か宗教を信じていてそこへ深い喜びが湧いて来ないとしたならば、
その宗教がまちがっているか、その宗教の信じ方がまちがっているか
どちらかなのである。


宗教を自動車にたとえた人がある。 
その人はいうのである。 

「その自動車はのり心地がよろしいか。 もしのり心地が悪ければ、
 自動車の状態が悪いか、その操縦がへたであるかどちらかである。 

 いい自動車ととりかえて、そのあつかいを適当にすれば、
 のり心地は満点である。 宗教もその通りである。」  

というのである。

もしあなたの宗教が完全な喜びをあなたに与えないならば、
そんな宗教は、がたがたの自動車と同じようにのり捨ててしまって、
新しい宗教にのりかえればいいのである。 

宗教の価値も実用主義の立場から批判されねばならないのである。 
極楽へ行くというのも実用であれば現世に利益があるというのも実用である。 

しかし立派な教であるのに、それを完全に自分が操縦することが
できないからというので、この宗教はまちがっているというのは、
立派な自動車であるのに、運転の仕方がわからないために、
この自動車は故障があって動かないといって捨ててしまうので同じである。

何故、自分の信じている宗教でお蔭がないのか。 
宗教そのものが悪いのであるか。 
自分がその宗教の教の組立てをしらず、
それを如何に使用すべきかを知らないがためにお蔭がないのか。 

その点をよく考えて見なければならないのである。

宗教も自動車と同じように、
もっている人ともっていない人とがあるのである。 

又、もっていながら、ただ置いておく人と、
それを自由に乗り廻す人とがあるのである。 

宗教も折角もっている限りは、
それを運転して日常生活にのり廻すことが必要である。


吾々は富をもっている。 
どんな貧乏人でも多少の富をもっているのである。 
それを大きくする人としない人とがあるのである。 

富を増大する道は、今ある富を最大限に利用して
それを利殖することにあるのである。 

そのためには富の活用法を勉強しなければならないし、
実際に当って色々の場面に面して研究することが必要なのである。

宗教も同じことである。 
宗教をただもっているというだけでは、
自動車のもちぐされと同じことである。 

「私の宗教は祖先から真宗でございます」 或は 
「私の宗教は真言宗でございます」 ・・・ 等々というけれども、
さて真宗とは何ですか、真言宗とはどういう生活をするのですか、
ときかれてみると何も知らぬ、ただ祖先がそういう名前の
宗教を信じたというのでは、祖先が、こんな古自動車を
遺産に残しておいてくれたけれども使い道がわからないというに
等しいのである。

吾々は祖先の残してくれた宗教がどんな宗教であろうとも、
よくその構造を検べて見て、役に立つ部分を生かして、
それを実際に活用することができるようにすることが
祖先に忠実なのである。


どんな自動車にも必ずエンジンがついているように、
どんな宗教にも必ず生きて働く部分があるのである。 

一ぺんも生きて働いたことのない宗教であるならば、
祖先がわざわざ残しておく筈がないのである。 

一度も運転したことのないエンジンのない自動車なら、
そんな自動車なら古金屋へとっくに払下げてしまって、
現に残っている筈がないのである。 

それと同じく、今迄残っているような大宗教であるならば、
どこかで生きて働いている部分がある筈である。

宗教のエンジンともいうべき、生きて働く部分を
 『真理』 というのである。 

吾々はどんな宗教にも真理が存在することを信じている。 
吾々は無暗に今までの宗教を破壊しようというのではないのである。 

どんなガタガタの古自動車のような宗教でもエンジンを
動かすように修理し部分品を近代的なものにとりかえると、
かなり乗り心地よく運転さすことができるのである。

その真理というのは人間には、仏教的にいうならば 
「仏性」 即ち 「仏の生命」 が宿っているという事である。 

神道やキリスト教的にいうならば、人間は神の子であり 
「命(ミコト)」 であるということである。

それをただ自動車に貼り紙して 「この自動車にエンジンあり」 
と書いておくだけでは何にもならないのである。 

エンジンがあるとわかったならば、そ
れを実地に運転する工夫をするということが必要である。 

それと同じように人間に 「仏の生命」 が宿っており、
「神の生命」 が宿っているということがわかったならば、
仏らしく、又神らしく実際に日常生活に生きることが必要なのである。 

そこから宗教のおかげというものが現われてくるのである。


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          <感謝合掌 令和5年2月13日 頓首再拝>

幸福への道 1 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/14 (Tue) 14:38:04

幸福への道 1 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/05/30)
https://www.youtube.com/watch?v=Sso_OZFP1Ys

          <感謝合掌 令和5年2月14日 頓首再拝>

人間は 「 無限力 」 の持主である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/15 (Wed) 04:55:42


      *『 新版 真理 』 第一巻 「 入門篇 」より

人間には無限の力が宿っている。
無限の智力(ちりょく)が宿っている。
無限の能力が宿っている。

併(しか)し、それを掘り出す者は少ないのだ。
掘り出したものだけが向上し、出世する。

あなたは他(ひと)に求める前に、
自分自身に求めようが足りないことを省みなければならないのです。

まだまだあなたの力は出るのです。 

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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-30)

          <感謝合掌 令和5年2月14日 頓首再拝>

幸福への道 2 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/15 (Wed) 15:19:34

幸福への道 2 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/05/31)
https://www.youtube.com/watch?v=lQlZnBBMQqU

          <感謝合掌 令和5年2月15日 頓首再拝>

感謝するということ~北尾 巳代次 - 伝統

2023/02/16 (Thu) 04:43:41

      *『生長の家』(昭和45年6月号)より

兎に角感謝は癒す、と生長の家で教えて頂きますが、
感謝の功徳は絶大です。

でも一体何に感謝するのですか、と時々反問せられる方があります。 
何に感謝すると言って当り前に感謝するのです。 
当り前程有難い事は無いと思うのです。

目が見える事、耳が聴える事、ものが言える事、手足が動く事、
この当然の事が一度当然さを失うと、
忽ち天地が暗くなる程悩むものなのです。 

私達は平素から此の当り前に感謝する習慣をつけなければなりません。

皆様は子供の目が見える事を喜んでいらっしゃいますか。 
耳が聴えること、手足が動く事、考えてみると感謝すべきことは
山程あるのでは無いでしょうか。


あの大無量壽経の第十七の願の中で  『咨嗟して吾が名を称せよ』  
と教えられております。

咨嗟するとは声を大にして阿弥陀仏の徳を讃えよ、という事ですね。 

一杯の水を飲むにも  

『阿弥陀さま、
 あなたのおかげで此の有難い生命の水を頂かして頂けるのです。 
 有難うございます』  

と感謝せよという事なんです。

御飯を頂くにも単に物質の御飯を頂戴するのではない。 
これ悉く仏の功徳ならざるものは無いのであります。 

声を大にしてその功徳を讃え讃嘆称揚する人が
極楽に住まわせて頂くのです。 

子供を育てるのも、吾が子であって吾が子では無い。 
これ皆神が授け給うた尊いみ宝として、
常にその徳を讃えるのが育児の根本になるのであります。 

夫婦の生活も互に咨嗟し合う所に幸福が築かれるのです。 

 
『汝等互に相愛せよ』 と創世記に有りますが、
この調和と感謝の悦びの生活こそ
人間が神の祝福を享ける根本に成るのであります。

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晴れときどき(September 1, 2013,)

          <感謝合掌 令和5年2月15日 頓首再拝>

幸福への道 3 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/16 (Thu) 13:28:03

幸福への道 3 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/01)
https://www.youtube.com/watch?v=NijbAJ5abGs

          <感謝合掌 令和5年2月16日 頓首再拝>

愛深く~谷口 恵美子  - 伝統

2023/02/17 (Fri) 04:48:27


       *昭和40年5月7日  創立30周年記念白鳩会全国大会 
        における御講話

谷口先生は、何時も各地をお廻りになっておりまして、
素晴しい講演をなさって沢山の方を救っていらっしゃいますけれども、
それは全てお金を貰うからではなくて、全部ただなのです。 

ただ与え切っていらっしゃいます。 
そうした天の倉に宝を積むことによって、
人も自分も本当の幸せになってゆくのでございます。

給料を上げてくれたら働くとか、何かくれたら、こうするとか
いう風な目先のことばかり捉われている人たちに、
私たちは愛深い神の子の素晴しい生活を弘めてゆきたいと思います。 

全て環境は心の影、みんな互に拝み合い、愛し合った時に、
全ては良くなってくるのです。

 
谷口先生は 『女性の幸福365章』 の中に、こう書いていらっしゃいます。

「愛は天上より天降って来た火である。  
 愛は神からの賜物のうち最高のものである。  
 何故なら神は愛そのものであるからである。

 誰かを自分が、自分の利益や幸福や快楽のためでなしに
 純粋に愛し得たとき、其処に神があらわれているのである。  

 臨終に当って、ただ一語 
 『わたしは愛した。 それがわたくしの生活であった』  
 と言い得るような人になりたいものである。  

 愛はまことにも天国の扉をひらく」


今眼をつぶってみて、自分はこの世を去る時に、本当に私は愛した! 
それが私の人生であった。 と言えるでしょうか。 
本当にそういう素晴しい愛を実行したいと思うのであります。

ただ一人の人を愛して、満足して死んでゆく人もあるでしょう。 
また誰ひとりも愛することができないで死んでゆく人もあります。 

先生のおっしゃる愛は一人の人を愛するというような小さな愛ではなく、
もっと広く大きな愛だと思います。

 
人類を光明化する運動などと言いますと、
とても漠然として、余りにも大きいことのように思いますけれども、
皆さんの家庭にいらっしゃるお父様やお母様御主人、お子様、
また今お隣に坐っている方も、みんな人類なのです。 

ですから、身近な人を愛し、家庭を素晴しくしてゆくことが、
人類光明化運動の第一歩だと思います。

 
谷口先生は、朝5時から神想観をしていらっしゃいます。 
世界中の人が、本当に平和に幸福になるために祈っていて下さるのです。 

それは、あの人と和解したい、この病気を治したい、
子供を受験に成功させたいなどという風に祈られるような
個人的な祈りではないのです。

 
私たちは、もっと大きな愛をもって、多くの人の幸せを考え、
身近なことから愛行を実践していった時に、
素晴しい神の國が現われると思います。 

自分自身の家庭が調和し、どんなに幸福であっても、
隣りの人が若し苦しんでいるとしたら、
やっぱりそれを見て自分は楽しいと言ってはいられない筈です。

先日、新聞に親を殺して刑務所に入っている青年が、

“俺が親を殺したのが、どうして悪い。 
 親は、お胎にいる子供を沢山殺しているではないか。 
 親が子供を殺していながら、子供が親を殺してどうして悪いのか?” 

と叫んだということが書いてありました。

大人は胎児を沢山殺すことをしております。 
白鳩会の皆様は以前から、人命尊重運動を続け
人々に呼びかけていらっしゃいますが、
もっと積極的にそういうことがなくなるように努力して頂きたいものです。

 
夫婦互いに愛し合い、親と子は拝み合って、
人間同志が感謝し合った生活をしたいと思いながら、
どうしたらばそういう生活ができるのか解らない方たちが沢山いるのです。 

人々の本当の善き姿を拝み、善き言葉で讃め合い感謝し合う生活が第一です。 
ことに言葉の力というものは大切だと思います。


谷口先生は毎朝神想観をなさり、夜も神想観をなさって絶えず祈りながら、
もう70を越されましたのに、まだ各地を廻って一所懸命に
御教を伝えていて下さるのです。 

もうこれ位のお年になれば、大抵の方は家庭の心配もないし、
のんびりと家にいて、好きな本を読んだり、お芝居を見たり、
詩を書いたり、絵を描いたりなさいます。 

先生もいくらでもなさりたいことは沢山あるのです。 
けれども、自分には人類光明化運動をする使命があると感じ、
思うだけでなく、実行していらっしゃるのです。

皆様も、思うだけではなく、先生の後について絶えず祈り、
神誌を拝読し、信念を強めながら、政界浄化のために、
人命尊重運動のために、マスコミ浄化のために。 
愛深く生甲斐ある生活をして頂きたいと思います。

 
もう一度、谷口先生の言葉を読ませて頂きます。

「愛は天上より天降って来た火である。  
 愛は神からの賜物のうち最高のものである。  
 何故なら神は愛そのものであるからである。

 誰かを自分が、自分の利益や幸福や快楽のためでなしに
 純粋に愛し得たとき、其処に神があらわれているのである。  

 臨終に当って、ただ一語 
 『わたしは愛した。 それがわたくしの生活であった』  
 と言い得るような人になりたいものである。  
 愛はまことにも天国の扉をひらく」


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/387c432bc56ca40b15d1ff794b850cdd
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          <感謝合掌 令和5年2月16日 頓首再拝>

幸福への道 4 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/17 (Fri) 15:57:28

幸福への道 4 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/02)
https://www.youtube.com/watch?v=ebBdxGKcYl8

          <感謝合掌 令和5年2月17日 頓首再拝>

本当の美しさは、深切な愛の行(おこな)いの内に輝く~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/18 (Sat) 04:55:52


           *『 幸福の原理 』より

無我になって、
心の奥底に深く切にあるところのものを本当に尽すところに、
そこに本当の光というものが出て来るのであります。

無我になるところに、
仏であり、神であるところのものが出て来るのであります。

すると容貌(ようぼう)、態度にも、
仏の光、神の光が出てまいります。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/efa8027c491fe739cd7f882c60f4dce9
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-07-31)

          <感謝合掌 令和5年2月17日 頓首再拝>

幸福への道 5 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/18 (Sat) 13:24:18

幸福への道 5 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/03)
https://www.youtube.com/watch?v=naS38Kw05aY

          <感謝合掌 令和5年2月18日 頓首再拝>

存在と認識~谷口雅春先生 - 伝統

2023/02/19 (Sun) 04:38:03


       *『生長の家』)昭和43年3月号)より

ここに『点』が一つあると仮定します。
肉眼で見える点は、いくらかの面積がある。

ここでは幾何学上の一点というように、長さも幅も広さもない、
唯の位置だけある境界『点』であると考えて下さい。

その『点』を一定の方向に真直にころがしその『点』のころんだ跡がある
と考えますと、その跡は幅のない唯の『長さ』だけの延長のある
『線』が考えられます。

つまり、この『線』というものは幅も薄くなく、
ただ『長さ』という『一つ』だけの延長があります。

発達のにぶい、ただ自分の考えだけが正しいと考えて、
右も左も、周囲の人への思いやりも何もなしに利己的に生きて行く人は、
一次元的存在として生きる人で、左右が見えないのです。
目を隠した馬車馬のような人なのです。


点をころがして其処に出来た『線』を、
丸太棒を横にころがすように、線長さに対して直角にころがします。

そのころんだ跡を考えますと、『線』の『長さ』 』 のほかに、
『幅』 の延長ができます。

境界が見えるから、周囲と仲よく共存しようと考えたり、
周囲への配慮のそれが悪い方にはたらくと、
周囲のものを侵略しようという風にはたらきます。

神が上方から見ていてもそんなことはわからない奪い合いや、
侵略を平気でやる種類の人があれば、
その人は二次元的生物だというほかはありません。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p10.html
晴れときどき(2013 年 9 月 7 日)

          <感謝合掌 令和5年2月18日 頓首再拝>

幸福への道 6 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/19 (Sun) 13:15:35

幸福への道 6 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/04)
https://www.youtube.com/watch?v=7aVPxBvpFyU

          <感謝合掌 令和5年2月19日 頓首再拝>

本当の闘いは憲法ですよ ー 愛国と信仰と詩魂の生涯  山口 悌治 - 伝統

2023/02/20 (Mon) 04:29:50


              (村上正邦)

  この川のちろろ流れに茎ながき姿うつして曼珠沙華花さきぬ。

  頂ける花冠その色の赤くあかきは釈迦牟尼か成道の燃ゆる焔か。

  秋風の彼岸会にここかしこ咲きむれてなよ草のいのちささぐや。

  人の世の熱情せつなくわが心しとどにぬるる。


昭和53年7月16日逝去された生長の家本部理事長山口悌治先生、
昭和22年のお歌である。

先生の作の中で私の一番好きな一首である。 
切ない程に美しく、哀しい情感が惻々と胸に伝わる。 

祖国が、歴史始まって以来、未曾有の敗北と外国占領という屈辱を受けるのを、
燃えたぎる愛国の詩人 山口悌治先生の目は、どれ程の悲しみでとらえたか。 

祖国占領の苦渋の最中に歌われたこの一首は、
直截的にその思いを表わしていないだけに、
私はよけい先生の魂の悲泣が聞えてくるようで、思わず涙ぐむ。 

 
生涯、萬葉のあの壮大でおおらかな、
汚れなき生命躍動する世界を愛してやまなかった山口先生には、
ひょっとしたら、この一首は不本意なお歌かも知れない。 

しかしこの切ない程の情感と底に流れるやるせない程の悲しみが
私の心をとらえるのである。


しばらく病床に伏しておられた山口先生が逝去されたという報を聞いたのは、
2日後の7月18日に元号法制化実現国民会議を結成すべく
都内を走り回っていた時である。 

先生を最後にお見舞した2週間前のことが思い出されて涙は止まらず、
真夏の暑ささえも悲しみに凍て、汗は、全て涙と化すほどであった。

元号運動の進展状況を御報告申上げると、
先生はやせ衰えた手を私にさし伸べて 

「よくここまできましたね、村上さん。 元号の次の憲法が本当の闘いですよ」 
と激励して下さった。 

その時の強い力の感触は今も私の両の掌に残って、
元号運動の最後の苦しい時も、現在、全国を駆けめぐって
肉体がへとへとに疲れ切る時も、 『本当の闘いは憲法ですよ』 と
私に無言の激励を与えてくれるのである。

先生は、私たちに古事記にある「御中の理念」の発揚こそ、
天皇仰慕と愛国の至誠の根本であると教えられた。 

理念か観念ではなく天皇陛下を恋い慕う心とは何か。 
真に国を愛し国に誠を尽す生き方はどうあるべきかを、身を以て実践された。 

それは 「国の歴史は自分の外にあるものではなく、自分の内にあるのだ」 
という、国と自己との一体感から導き出される一切者の自覚に立つものであった。

先生は私たちにひたすら原点を語り、
愛してやまなかった萬葉の世界を語り続けられた。 

「萬葉」のあの生命の躍動こそ、
『生命の實相』の生命観であり、民族の原点であり、理想であると
認識されたのであろう。 

お会いする度に、あまり政治の生ぐさい話はなく、
もっぱら萬葉の精神と日本及び日本人の理想を切々と語り続けられた。

山口先生が20数年にわたり血をこめて綴ってこられた
『万葉の世界と精神』の出版記念会の時である。 

山口悌治先生を真中にして、
当時の理事長中林政吉先生と副理事長清都理之先生の3人が、
マイクの前で上梓された一冊の『万葉の世界と精神』の本に
手を合せて絶句されて手をとりあった泣かれたという。

 
占領軍による谷口雅春先生の執筆活動追放という生長の家教団として
最大の苦悩の中で、生長の家を支えてこられた3人の大先達の感慨が、
この本の中に紛れもなく息づいていることを知った。 

そして私たちの運動は如何に多くの先達の支えの中で進展しているかと深く思った。

昭和10年谷口雅春先生の麾下に参じて以来、
43年の長きを唯一筋、谷口先生の御跡を生き切り、
その生命を燃焼された山口悌治先生に、

谷口先生は 『實相光明宮覚行圓萬浄徳大居士』 を解脱名を授戒された。 
そして新盆の折に

  「悌治翁新生之ために」
  西に沈む日よ沈むなと祈れどもついに沈みて朝日昇りぬ 

 
の一首を献歌された。 
谷口雅春先生の悲しみの深さ如何ばかりであったか。

山口先生はうつそ身を隠された。 
しかしその魂は必ずや天空を駆って、
吾らの今後の運動を励ましていただいているはずだ。

 『本当の闘いは憲法ですよ』

日本に真に正しい憲法が回復するとき、
西に沈みし日は、再び東より燦然と昇るときである。 

これが日本の夜明けである。 
日本の夜明けのために立ち上がれと、
山口先生の魂は私にいつもそう語りかけておられる。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/85abeca91a7bfa28dfd710a2dc42a056
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          <感謝合掌 令和5年2月19日 頓首再拝>

幸福への道 7 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/20 (Mon) 15:31:15

幸福への道 7 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/05)
https://www.youtube.com/watch?v=A1w1z-_ZSzo

          <感謝合掌 令和5年2月20日 頓首再拝>

明るい表情は 「 幸福の運命 」 を受信するアンテナである - 伝統

2023/02/21 (Tue) 04:59:04


        *『 神と偕に生きる真理365章 』より

気持が沈んで来たときには、
鏡に自分の顔を映(うつ)して、

出来るだけ晴れやかな表情をして、
ニッコリ笑いかけるがよい。


「これからこの明るい表情がアンテナとなって
 幸福な運命が必ず私にやって来る 」 と

心に数回となえなさい。


明るい表情は“幸福の運命”を受信する
アンテナの働きをするものである。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/b71e221b0687333044cbbd841e4339dd
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-01)

          <感謝合掌 令和5年2月20日 頓首再拝>

幸福への道 8 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/21 (Tue) 13:53:05

幸福への道 8 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/06)
https://www.youtube.com/watch?v=DCOBEPJi_-Q

          <感謝合掌 令和5年2月21日 頓首再拝>

人類を愛するとは ・・・・・~徳久克己 - 伝統

2023/02/22 (Wed) 04:52:56


        *『生長する青年』より

生長の家の 『七つの光明宣言』 の第七條に、

「吾らは正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより
 病苦その他一切の人生苦を克服し相愛協力の天国を地上に建設せんが為に
 実際運動を起す」  と宣言されています。


生長の家の 「人類光明化運動」 は、
最も正しい意味での 「世界平和運動」 であります。  

生長の家を病気治しだけの宗教であると思ったり、
家庭調和だけの宗教である、と思ったりしている人がありますが、
そんな人は生長の家を正しく認識していない人です。

勿論、病気も治ります、家庭調和も実現します。 
しかし、それは生長の家の真理を実践した一つの功徳で、
それが目的ではありません。

「相愛協力の天国を地上に建設する」 ということは、
世界平和を実現するということでありまして、
生長の家の運動が正しい平和運動であるということを深く認識しますと、
私たちはこの運動に挺身せずにはいられなくなります。


ある時、練成会にきた一青年が私のところへきて、

「私は人類を愛します。 ですから、平和運動に挺身しているのです」 といいます。

『君が人類を愛するということは、ほんとうにすばらしいことだね!』

「はい、私はイノチの限りガンバリます」 と胸を張っています。


『君がそんなに人類を愛するなら、家へ帰って、まず、
 君の最も身近なお父さん、お母さんをしっかり愛し、感謝してきなさいよ』

青年の顔色はサッと変りました。

「いや、それは!」

『君は、あんなに人類を愛するといっていたのに、
 お父さんやお母さんは、君のいう人類のなかには、入っていないのですか?』

胸を張っていた彼はすごすごと帰って行きました。 

人類という漠然とした、抽象的なものは愛せても、
人類のなかで自分に最も近い、具体的な父母は愛せない、
ということになると、まことにおかしなことです。


このようなムジュンはどうして起るかといいますと、
正しい人生観、正しい生活法が確立されていないからなのです。 

どんなに言葉の上で 「人類を愛する」 とか 「平和運動に挺身する」 
といってみても、正しい意味での 「人類愛」 「平和運動」 が
わかっていないと、とんでもない 「人類愛」 や 「平和運動」 に
なってしまうのです。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p10.html
晴れときどき(2013 年 9 月 5 日)

          <感謝合掌 令和5年2月21日 頓首再拝>

幸福への道 9 生長の家 徳久克己 - 伝統

2023/02/22 (Wed) 14:12:36

幸福への道 9 生長の家 徳久克己
妙楽天国( 2018/06/07)
https://www.youtube.com/watch?v=bJOWG6AeFtk

          <感謝合掌 令和5年2月22日 頓首再拝>

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