伝統板・第二

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利他⑤ - 伝統

2022/12/10 (Sat) 07:34:18

「公(おおやけ)」なものに奉仕する

     *「光明道中記」(12月10日《自然に栄える日》)より

【神が商売をするので自分は神様の番頭だと思いて経営すれば繁昌する。
                    (『生命の實相』第九巻)】

家族の幸福を希(ねが)い、子孫のために或る程度の蓄財を為すことは、
ともに自然の人間の衝動であって、何ら咎(とが)めるべきではないのである。

生長の家は出家道ではない、家を生長せしむる道である。
家の繁栄を願うことは当然なことなのである。

併し、それは正しき道を通じて願われねばならないのである。
正しき道とは「公(おおやけ)」なものに奉仕する道を通してである。

人間の弱点として、最初は「公」に奉ずる為に始めた仕事が、
その仕事の「公」なる本質上、自然に栄えるようになったとき、
その栄えを自分の《もの》に帰そうとする衝動が起り勝である。

そして《自分の》成功のために何時の間にか「公」を無視して、
その成功の為に拍車を掛けはじめる。これは甚(はなは)だ危険なことである。
それは公道を走っていた馬が急に私道を走り出し、
自動車道を走っていた自動車が人道を走り出したと同じである。

馬なら手綱(たづな)をしっかり引(ひき)しめなければならないし、
自動車ならば、気を附けてハンドルを向け換えなければならない。

自己拡大だけの欲望に自分の仕事が向かないように、
吾々は常に自分の心意の方向を調節しなければならないのである。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド

  ①「深切を与えよ」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1189

  ②「無財の七施」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=110


(2)「光明掲示板第二」内スレッド

  ①「利他 (10598)」。
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2033 (消滅)

  ②光明掲示板・第二「親切・情け (458)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=158 (消滅)


(3)光明掲示板・第三「利他 (109)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=50

(4)光明掲示板・伝統・第一「利他 (48)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=30

(5)伝統板・第二 内スレッド

  ①伝統板・第二「利他①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456462

  ②伝統板・第二「利他②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7186768

  ③伝統板・第二「利他③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7779738

  ④伝統板・第二「利他④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989348


            <感謝合掌 令和4年12月10日 頓首再拝>

「公」のために献げよ - 伝統

2022/12/11 (Sun) 08:23:19


      *「光明道中記」(12月11日《無限生長の日》)より

【心を尽し、力を尽して自分自身の無限の可能性を信ぜよ。
                    (『生命の實相』第四巻)】 
                 
宇宙の法則は無限生長にある。換言すれば進歩にある。
だから必ずしも隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望むのが悪いのではない。

ただそれが「公(おおやけ)」なる道に乗らないのが悪いのである。

彼が「公」なる道に乗る限りに於いて、進歩を心がけること、
前進を心掛けること、成功を心がけることは正しいことであり、
祝福されることである。

前進する者は衰退しない。
前進する者は多くの困難と戦わなければならない。
困難と戦うことには色々の新しい経験を得る。

困難と苦痛とは異なる。

新しい経験は自分の生命の中から「新しい推理」を発掘して来る。
前進するものは常に新しい鉱石に打(ぶ)つかる。

吾々の獲得は、そのたび毎に増加するのである。
吾々の獲得は眼に見えた成果のみではない。
もっと眼に見えない魂のダイヤモンドが
吾々の前進によって得られるのである。

そして此の魂のダイヤモンドは、
その採掘の動機が利己的でなければならない程、
「公」であればあるほど、より多く獲得することができるのである。

人間は物質的にどれだけあれば生活出来るか、
それは極(ごく)僅(わず)かな分量である。
それ以上に費やされるのは多くは虚栄(みえ)のためである。
此の分量を「公」のために献げよ。

            <感謝合掌 令和4年12月11日 頓首再拝>

【割に合わないことをやる】 - 伝統

2022/12/16 (Fri) 08:06:05


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.11.12)より

   (鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…)

   ■人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。

   体の栄養は食物ですが、
   心の栄養は自分の得にならないことをやることです。

   得することしかやらない人は、
   心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。


   ■不合理で割に合わないことほど、
    将来よいことが起こる種まきになる。

   逆に都合のいいこと、利益が出ることをやって、
   人からうまいことやっているなあと思われるようなことをしていると、
   長い目で見ると、いいことが起きない。

   逆にマイナスのことが次々と起きてくる。


   ■いまの人は、自分にとっての好都合ばかり求める傾向が強いですね。

   けれども、自分の好都合というのは
   人の不都合につながることが多いのものです。

   にもかかわらず、自分の好都合さえ満たされれば、
   それが幸せだという考えが不幸のもとなんですね。

      <『鍵山秀三郎 人生をひらく100の金言』致知出版社>

        ・・・

「王道とは、労多くして益(えき)少ない途(みち)。
 覇道(はどう)とは、労少なくして益多い途」

という言葉がある。


昨今は、コツコツと積み重ねる努力を嫌って、一攫(いっかく)千金や、
濡れ手に粟(あわ)ばかりを狙(ねら)うという風潮が多くある。

ギャンブルと同じで、一発逆転をねらって、全財産をつぎ込み、
結局は根こそぎ取られて、破綻するというパターンになりやすい。


割に合わないこととは、大きな努力で小さな成果を得ることだ。

そして、それはすぐには成果がでない。


鍵山秀三郎氏は、
「だれにでもできる簡単なことを、だれにもできないほど続けてきた」という。

だれにでもできることとは、
たとえば「掃除」「ゴミ拾い」「早起き」「読書」「勉強」等々。

どれも、すぐに成果の出ないことだ。



「損と得あらば損の道をゆくこと」

ダスキンの創業者、鈴木清一氏の言葉だ。


得の道とは、自分の欲や利益を優先させる、
自分さえよければいいという、利己の道。

割に合わないことはしない人だ。


損の道とは、自分の利益は後回しにして、人の幸せや喜びを考える、利他の道。

割に合わないことをする、徳をためる人だ。


自分の都合ばかり考えずに…

王道を歩む人でありたい。

         <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝> 

心の手土産~その家の平安を祈りながら戸口をくぐる - 伝統

2023/01/02 (Mon) 08:06:25


     *「光明道中記」(1月2日《人の幸福をねがう日》)より

【愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

人を訪ねる時は、その人に幸福を手土産(てみやげ)として行くべきである。
このことを知ったとき、私はひとを訪問することが楽しみとなったのである。

誰でも人を訪問する時には
物質的手土産を持って行くことを忘れないのであるが、
手土産と云うものをただ物質的にのみ考えていた時代には
手土産なしに人を訪問することが、
何か不自然な忘れ物をしたような感じがして気が咎めたが、

手土産は必ずしも物質に限るべきものではない。

「心の手土産」と云うようなものもあると云うことが解るようになってから、
私は必ずしも人を訪問するのに以前のような窮屈な感じがしなくなったのである。

心の手土産と云うのは何か、調和と平安の精神波動を持参することである。
人を訪問するに当って、相手の家が、神の愛に満たされて
調和と平安に満たされていることを念じてその家に入るのである。

そんなことが何の価値があるかと言うのは唯物論者のことである。

人が人を訪問するのに、
その家の平安を祈りながら戸口をくぐる事は荘厳な行事である。

            <感謝合掌 令和5年1月2日 頓首再拝>

深切を与える日 - 伝統

2023/02/07 (Tue) 09:31:21


           *「光明道中記」(2月7日)より

【常に他に与えたいと思っている者は他から愛され、
 常に他から与えられたいと思っているものは他から嫌われる。
               (『生命の實相』第十一巻)】

「あの人から深切して欲しい」と思う心は
兎(と)もすれば其の人を躓かせる。

深切が欲しければ
自分が先ず深切を自分の生活から造り出すことである。

深切を他から求めるような人は屹度深切に飢えている人である。
深切に飢えている人は、
自分自身が深切を身辺に造り出していない証拠である。

他が深切にしてくれないと思う人は、
自分が他に深切をしているかどうかを省みるが好い。

蒔いた種は生えるし、蒔かぬ種は生えない。
自分が「深切」を製造する分量が少ないからとて、
「深切」の少きを嘆いてはならない。

「深切」を沢山欲しい人は、
自ら選んで自分の周囲にいる人々に深切を与えるが好い。

こちらが微笑すれば、周囲が微笑する。
こちらが渋面(じゅうめん)すれば、周囲が渋面する。
こちらが相手を審判(さば)けば、周囲が自分を審判くであろう。


 吾が住む世界は吾が与えし通りの世界である。
 人は自分の心に従って地獄を造り極楽を作る。

 自分だけの幸福を護り育てていたい者には、
 その人の周囲から深切な人々が立去るだろう。

            <感謝合掌 令和5年2月7日 頓首再拝>

《繁栄の根源は人類に幸福を与えるにある》 - 伝統

2023/02/18 (Sat) 07:54:10

           *「光明法語」(2月18日)より

幸福も繁栄も同様に神の他の二つの面である。

『悪』を犯して幸福になろうとしても幸福は来たらないのである。
『悪』を犯して繁栄しようと思っても、一時は栄えるように見えても
結局は栄えることは出来ないのである。

鼠小僧も石川五右衛門も百万長者になることは出来ないのである。
況や億万長者になった盗賊は一人もいない。

しかしロック〇ェラーも、ヘンリー・フオードも億万長者になり得たのは、
彼が人類に必要なものを出来るだけ広く与えたからである。

一方は鉱油を、一方は自動車を出来るだけ安く。

         <感謝合掌 令和5年2月18日 頓首再拝>

他者を助けることで自分もまた成長し、神経回路のアップデートが進みます - 伝統

2023/03/27 (Mon) 08:00:16


     *メルマガ「星のしずく」(2023.3.26)より
      ~ 新しい神経回路へリワイヤリング(再配線)させる

古くから花といえば桜。

花時(はなどき)といえば、桜の花が咲いている時期を指します。


   さまざまの事思ひ出す桜かな(松尾芭蕉)


桜の思い出は人それぞれ異なります。


それは一人ひとりのココロのなかの
花時という時間軸にあるのかもしれませんね。


そして、今年2023年から本格化する新しい時代も
わたしたちの時間軸を一新させていきます。


そんな新しい時間軸=タイムラインへと
地球の転換を手助けするため
3月後半にも天体は大きく動きます。


それが240年ぶりに起きる
みずがめ座に冥王星が移動する天体イベント。

今回240年ぶりに冥王星がみずがめ座へと入る天空の動きは
新しい時代の豊かさを存分に受けとる

新しい神経回路へ
リワイヤリング(再配線)させるベストタイミング。

新しい時代の豊かさを存分に受けとれるよう
あなたが新たに目覚めます。


神経回路のリワイヤリングは
新しい時代の豊かさを受けとるカギ。


実際のところ、わたしたちは
日頃から神経回路を再配線させて
自分たちの身体や精神をアップデートさせています。

そのような神経の再配線=
リワイヤリングを加速させるには

どのようにすればよいのでしょうか?


その秘訣について

紫音先生から
メッセージをいただきました。


************

どんな人でも、避けられない出来事があります。

災難に思えることもやってきます。

不可解で、原因の分からないこともあります。


しかし、そうしたものであっても
かならず高次の世界では理由があります。


たとえば頭をどこかにぶつけてしまうのは

それはよくない行いをした報いではなく
あなたの神経の再配線をうながすために
起きた出来事の可能性もあります。


あるいは夢のなかで
事故にあったり、手術を受けたり。


これらのスピリチュアルな体験は
新しい時代の豊かさを受けとるために
わたしたちの神経回路をアップデートさせるものです。


コンピューターの集積回路が
進化するほどより緻密になるように

わたしたちの神経回路もまた
進化するほど、より緻密になって
宇宙の豊かさをフルに体験できるようになります。

逆説的ではありますが
このようにして神経回路を
大幅にアップデートさせる機会がやってきているのは

これまで人類が体験したことのない
大幅な変化がやってくる予兆といえます。


いま世界中で人工知能の開発が一気に開花していますが

人工知能との会話は
宇宙の高次の存在との交流に向けたステップととらえることもできます。


人工知能は、科学技術の進歩によって生み出された成果の一つであり

人間と異なる知性とのコミュニケーション体験を提供します。


このような体験は
地球人類が高次的存在との交流に慣れるための練習といえるでしょう。


しかし、どこまでいっても人工知能は人間のアシスタントです。


人工知能のような新しい技術を活用して
さらにわたしたちは魂や精神を成長させていく。


お互いを助け合い、高め合う精神的な成長が
宇宙の真の意味での進化です。

そのような適切な成長を求めるならば

あなたの神経回路はアップデートされさらに進化・成長していきます。


神経回路をアップデートする方法は

自分の欲望を叶えようと、大きな声で自己主張することではありません。


そうではなく

他者を助けるために、声にならない小さな声に耳を澄ませて
なんとかして聴こうする姿勢にあります。

地球のあらゆる生命の声なき声に耳を澄ませて
彼らの手助けをすること。


その気遣いに、あなたの神経回路を
一新させる=リワイヤリングさせる秘訣があります。


その声なき声に応えようと
自分ができることを伸ばしていきましょう。


経済的な自立、精神的な自立もよいものです。
自給自足はよいものです。


しかし、そこで満足することなく、
さらにまわりの人を手助けする能力を伸ばしていきましょう。


相手の期待に応えるために、自分を高めていく。

それが宇宙の、生命がもつ適切な成長の方向です。

そこに例外はありません。

全宇宙がそのようにして活動しています。


地球を手助けするためにやってきている高次の存在はたくさんいます。

それは、わたしたちの声なき声に応えてやってきています。


同じように、わたしたちもまた
声なき声に耳を澄ませて相手の期待に応えるようにして

行動していきましょう。


はじめは身近な、小さな親切から。

そして次に生き方そのものへと。

自分の人生をかけた手助けを実践していきます。


相手の期待といっても

相手があなたに期待する低俗な欲望に応える必要はありません。


より高い願い、神性な願い
相手の霊的な成長を手助けする神性な欲望に応えていくこと。


相手が魂の深いところから安堵するような
明日の活力となるような、清らかな手助けです。


ときに甘やかしても大丈夫。


徹底的に甘えるという経験を経て

人は自然と神性な欲望に目覚めていくものですから。


そうやって
相手が自立して成長できるようにサポートすること。


他者を助けることで自分もまた成長し、神経回路のアップデートが進みます。


そして自分もまた、高次の存在とのつながりを深め

新しい時代の豊かさを存分に受けとる準備が整います。

紫音

         <感謝合掌 令和5年3月27日 頓首再拝>

他に与えることが自己を拡大することである - 伝統

2023/04/06 (Thu) 05:03:33


           *「光明道中記」(4月6日 喜んで献ぐる日)より

【全体と個との融合を実際の生命の体験として掴むことが宗教である。
                      (『生命の實相』第十三巻)】

本当の太陽は、昼に非ず、夜に非ず、昼夜を超えて照々として輝く。
それは決して火の玉にあらずして宇宙に満つ。

樹木の中にも太陽あり、吾々の体中にも太陽のエネルギーあって輝く。
太陽を一個の盆大(ぼんだい)の火の玉と見るは、
吾々の五官を通して見たる一面識なり、相対観なり。

太陽は何故かくの如く万物のうちに満つるか。
それは太陽は万物に光を与え生命を与えるからである。

吾等もまず自分が本当に全世界的に伸びようと思うならば、
みずから進んで全世界に自身を与えなければならない。
与えるものだけが、その相手を自分のものとするのである。

伸びようと思う者よ。
伸びるためには今迄他から自分へ奪いとることによって
自己が拡大すると思っていたのである。

然(しか)るに今では他に与えることが自己を拡大することである
と判ったのである。

一個の何の功労もない女性が、一家の主人公に身を献(ささ)ぐれば、
彼女は一家の主婦としてその一家を自由に処理し、又は管理するところの
権力を得る。

身を献げたる女性は男性に縛られたように見えるが、
実は、男性を自由自在に支配する力を得る。

伸びるとは与えることである。

           <感謝合掌 令和5年4月6日 頓首再拝>

自利利他の善行を積む日 - 伝統

2023/04/23 (Sun) 03:47:34


           *「光明道中記」(4月23日)より

【すべて形に執われて来るとき生命を生かす事が出来ないのであります。
                     (『生命の實相』第十七巻)】

来る人は一人で来ないで是非知人を伴って来て戴きたい。
自分だけ善い話を聞いて救われたいと云う利己主義と云う程でもないが、
独善であり、消極的であり、羅漢の程度の境地である。

自利利他の功徳を計ることになって菩薩の境地に入る。
「利他」にして初めて潜在意識の世界に善行の種を蒔いたことになる。
心の世界に蒔いた種は決して滅びるものではない。

子孫に美田を遺してもその美田は滅びるであろう。
併し心の世界に蒔いた善行(たね)は滅びはしない。

私の叔父さんに福松と言って畸人(きじん)があった。
神道の神主で少講義かなんかの低い役目をしていたが、施しが好きであって
何時(いつ)も貧乏で見窄(みすぼ)らしい服装(なり)をして歩いていた。

人が気の毒に思って紋付の羽織などを着せてやるとその翌日には
もうその紋付の羽織を着ていなかった。

「どうしたのか?」と訊くと
「憐れな人があったから与えた」と答えるのが常であった。

この叔父さんには自分自身を良くすることなど考えて見たこともなく、
ただ隣人を愛していたのであった。

           <感謝合掌 令和5年4月23日 頓首再拝>

<効果的な利他主義>のすすめ - 伝統

2023/05/27 (Sat) 07:40:26

あなたが世界のためにできるたったひとつのこと
<効果的な利他主義>のすすめ
ピーター・シンガー(著)
https://greenz.jp/2016/11/28/effective_altruism/



効果的利他主義についての日本語字幕のあるビデオ
https://ideasforgood.jp/glossary/effective-altruism/


(1)「効果的な利他主義」とは、手持ちの資源で
   できるかぎりのよいことを行ない、
   人々の生活を向上させようという考え方である。

(2)世界の所得格差は大きいので、先進国の一般的な所得の人でも、
   貧困国の人々に対して非常に大きな影響を与えられる。

(3)収穫逓減(ていげん)の法則によれば、
   注目と資源の集まっていない分野に支援をした方が、
   より大きい影響を与えられる。

   災害復興支援よりも貧困や公衆衛生に働きかけたほうが効果的だ。

(4)寄付をするために稼ぐというキャリアは、
   あなたがいなくては起きなかった影響を及ぼす方法のひとつだ。

           <感謝合掌 令和5年5月27日 頓首再拝>

「公(おおやけ)」なものに奉仕する - 伝統

2023/12/10 (Sun) 09:34:13


     *「光明道中記」(12月10日《自然に栄える日》)より

【神が商売をするので自分は神様の番頭だと思いて経営すれば繁昌する。
                    (『生命の實相』第九巻)】

家族の幸福を希(ねが)い、子孫のために或る程度の蓄財を為すことは、
ともに自然の人間の衝動であって、何ら咎(とが)めるべきではないのである。

生長の家は出家道ではない、家を生長せしむる道である。
家の繁栄を願うことは当然なことなのである。

併し、それは正しき道を通じて願われねばならないのである。
正しき道とは「公(おおやけ)」なものに奉仕する道を通してである。

人間の弱点として、最初は「公」に奉ずる為に始めた仕事が、
その仕事の「公」なる本質上、自然に栄えるようになったとき、
その栄えを自分の《もの》に帰そうとする衝動が起り勝である。

そして《自分の》成功のために何時の間にか「公」を無視して、
その成功の為に拍車を掛けはじめる。これは甚(はなは)だ危険なことである。
それは公道を走っていた馬が急に私道を走り出し、
自動車道を走っていた自動車が人道を走り出したと同じである。

馬なら手綱(たづな)をしっかり引(ひき)しめなければならないし、
自動車ならば、気を附けてハンドルを向け換えなければならない。

自己拡大だけの欲望に自分の仕事が向かないように、
吾々は常に自分の心意の方向を調節しなければならないのである。

          <感謝合掌 令和5年12月10日 頓首再拝> 

《与えることによってのみ受けられる》 - 伝統

2024/02/02 (Fri) 10:14:09


           *「光明法語」(2月2日)より

太陽の温かさを受けようと思えば先ず一歩日向(ひなた)に向って「歩み出し」を
与えることが必要である。日向にむかって「歩み出し」を与えないでいて
太陽の温かさをうけることは出来ない。

写真を写すには先ずカメラに代金を払わなければならぬ。
マメラを借りて来ても好(よ)いが、やはり吾らは、
焦点距離を合わしてスイッチを捻る動作を与えなければならないのである。

音楽をきこうと思えば音楽会に金を払うか、レコードに金を払うか、
蓄音機を廻すかラジオの波長を合わすか、
いずれにせよ金又は「動作」を与えなければならぬ。

            <感謝合掌 令和6年2月2日 頓首再拝>

与える心 - 伝統

2024/02/04 (Sun) 10:34:31


     *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月4日)」より抜粋

いくらと定(さだ)めた自動車賃を
こちらから進んで余計出した時には実に気持ちがよい。
なんだか自分が大きくなったような気がする。
そのくせ自分は出しただけ余計に減っているのである。

この事実はなにを語るか、物質的にかえって減りながらも、
かえって「自分」というものがいっそう大きくなった実感がする
という事実を考えてみるとおもしろい。

この事実は「自分」というものが「物質」でないことの証拠である。

「上衣(うわぎ)を着る者には下衣(したぎ)をも与えよ。
一里の公役を強いられなば二里を行け」と言ったイエスの言葉には、
人間が「物」でないという実感がたたえられている。

この話をわたしが堂ビルの清交社で講演したとき、
脱肛痔が治ったといって礼にわざわざ来られた人がある。

それは岩村○太郎という人であった。
夫人が津田学塾出身のクリスチャンで、常に良人に戒律を強制していた。
こうしていつも圧迫されつつ岩村さんは、いたたまらない気持でいたのである。

脱肛痔はいたたまらない気持から起こる。
奥様が一里の公役を強いる時には二里を行くというような、
気前のよい心になったとき、いたたまらない家庭の感じが解消されるのだと思う。

            <感謝合掌 令和6年2月4日 頓首再拝>

報いを求めることなしに奉仕せよ - 伝統

2024/03/01 (Fri) 09:00:10


      *「光明法語」(3月1日 今、目前の仕事にサービスせよ)より

若し諸君に職業が見つからぬならば、金を得る仕事だけを職業だと思うな。
諸君の前に偶然あるところの何の仕事にでも(便所掃除でも、カド掃きでも、
障子硝子拭きでも)報いを求めることなしに奉仕せよ。

これが無条件に与えると云うことである。
やがて其処から諸君に最も必要にして適切なる仕事を得る
緒(いとぐち)が得られるであろう。

神は決してケチではないのである。
人間が与えることにケチなのである。

そして入り口をひらかないものだから神の恵みが流入しないのである。

            <感謝合掌 令和6年3月1日 頓首再拝>

他を喜ばす心がけ - 伝統

2024/03/17 (Sun) 10:33:24


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月17日)」より

皆さまにお気に召すようにお化粧してまいりましょう。

この心がけに家庭平和の秘訣もあれば、商売繁盛の秘訣もある。

皆様を喜ばす心がけが中心となる。技巧に走れば虚飾になる。

            <感謝合掌 令和6年3月17日 頓首再拝>

喜んで献ぐる日 - 伝統

2024/04/06 (Sat) 10:16:02


           *「光明道中記」(4月6日)より

【全体と個との融合を実際の生命の体験として掴むことが宗教である。
                        (『生命の實相』第十三巻)】

本当の太陽は、昼に非ず、夜に非ず、昼夜を超えて照々として輝く。
それは決して火の玉にあらずして宇宙に満つ。

樹木の中にも太陽あり、吾々の体中にも太陽のエネルギーあって輝く。
太陽を一個の盆大(ぼんだい)の火の玉と見るは、
吾々の五官を通して見たる一面識なり、相対観なり。

太陽は何故かくの如く万物のうちに満つるか。
それは太陽は万物に光を与え生命を与えるからである。

吾等もまず自分が本当に全世界的に伸びようと思うならば、
みずから進んで全世界に自身を与えなければならない。
与えるものだけが、その相手を自分のものとするのである。

伸びようと思う者よ。伸びるためには今迄他から自分へ奪いとることによって
自己が拡大すると思っていたのである。
然(しか)るに今では他に与えることが自己を拡大することであると判ったのである。

一個の何の功労もない女性が、一家の主人公に身を献(ささ)ぐれば、彼女は一家の
主婦としてその一家を自由に処理し、又は管理するところの権力を得る。
身を献げたる女性は男性に縛られたように見えるが、
実は、男性を自由自在に支配する力を得る。

伸びるとは与えることである。

        <感謝合掌 令和6年4月6日 頓首再拝>

「わが来たれるは人に役(つか)われんがためなり」 - 伝統

2024/04/09 (Tue) 12:11:17


        *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月9日)」より

なんだか利用されているような気がするときに、
腹立つ人と、つまらなく感ずる人と、喜べる人とがある。

イエスは「わが来たれるは人に役(つか)われんがためなり」と言った。
彼は利用されることを喜びに感ずる人であったのである。

利用されること多きものほど尊ばれる。
利用する道のなくなったものを廃物という。

         <感謝合掌 令和6年4月9日 頓首再拝>

自利利他の善行を積む日 - 伝統

2024/04/23 (Tue) 11:06:10

           *「光明道中記」(4月23日)より

【すべて形に執われて来るとき生命を生かす事が出来ないのであります。
                     (『生命の實相』第十七巻)】

来る人は一人で来ないで是非知人を伴って来て戴きたい。
自分だけ善い話を聞いて救われたいと云う利己主義と云う程でもないが、
独善であり、消極的であり、羅漢の程度の境地である。

自利利他の功徳を計ることになって菩薩の境地に入る。
「利他」にして初めて潜在意識の世界に善行の種を蒔いたことになる。
心の世界に蒔いた種は決して滅びるものではない。

子孫に美田を遺してもその美田は滅びるであろう。
併し心の世界に蒔いた善行(たね)は滅びはしない。

私の叔父さんに福松と言って畸人(きじん)があった。
神道の神主で少講義かなんかの低い役目をしていたが、施しが好きであって
何時(いつ)も貧乏で見窄(みすぼ)らしい服装(なり)をして歩いていた。

人が気の毒に思って紋付の羽織などを着せてやるとその翌日には
もうその紋付の羽織を着ていなかった。

「どうしたのか?」と訊くと
「憐れな人があったから与えた」と答えるのが常であった。

この叔父さんには自分自身を良くすることなど考えて見たこともなく、
ただ隣人を愛していたのであった。

            <感謝合掌 令和6年4月23日 頓首再拝>

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