伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑪ - 夕刻版

2022/12/08 (Thu) 04:56:15

常楽の宗教

     *『生命の實相』久遠仏性篇より

今まで多くの宗教は人間は苦しまなければ神に近づけないものである、
苦行しなければ魂が浄まらないものである、
頭に灰を被り、顔に薄墨をぬり、苦悶の形貌を見せ、 
「神よ私は罪人でございます」 と悲痛な絶叫をあげなければ
神様から喜ばれないものだと考えられていたのであった。 

特にキリスト教の信仰にはその傾向が最もはなはだしかったのである。 

しかし、人間は “神の子” であるのに、
神は 「人間」 の親であるのに、その親である神が、子である人間が
苦しまなければ喜び給わないなどということは、
とうていありえないことなのである。

人間は 「神の子」 である。 
「神の子」 であるとは 「生命の子」 であるとのことである。 

宇宙に眼に視えず普遍する大生命を神と言うのである。 
だから、大生命から生まれ出たわれらみな神の子である。 

だから神の子の生命の本然がそのまま健やかに発現すれば
楽しみとなり喜びとなるのは、健康なる子供が常に喜々として
喜びに満ちあふれており、

かれが病気になったときはじめて不快な楽しまない状態を
発顕するのでも明らかである。 

されば楽と歓びとは生命の本然の状態であり、
苦しみと不快とは生命の梗塞された状態であることがわかるであろう。


宗教の使命は、梗塞された生命を解き放って
本来の自由に復帰せしむるにあるのであるから、

宗教を信じながら、苦しんだり、罪について
いつまでも低徊して悲しんだ状態にあらしめる宗教がありとするならば、
その宗教は宗教としての使命を果していないと言わなければならないのである。 

抜苦与楽が宗教の使命であるのは何人も肯定して疑わないところであるのである。

歓びとは、一つの感情の快き流れである。 
感情は一つの波動であって、その快き流れとは必然的にそれが
一つの音楽であるということである。 

されば歓びの感情は一つの音楽であるのである
 ―― それが歓びであるかぎりにおいて、
その音楽はブロークンでない善き諧調をもっているのである。 

生命はリズムであるから、それが善き諧調をもっているということは、
その生命が高き段階にまで顕現しているということである。

ただちに喜べない生活は、それは真の神の子の生活ではないのである。 

われらはすべからく歓びの最高芸術にまで到達する生活を送るように
心すべきである。 

幸福感に満つる生活こそ本当の生活であるのである。 

悲しみと不幸に満たされた人々が 「生長の家」 の教えを受けて
旬日ならずして、家庭に夫婦喧嘩は絶え、幸福の空気が
その家庭に雰囲気を満たし、喜色が家族たちの顔貌にあらわれ、
間もなく、家族の人相までも変ってしまう事実が多くあるのは、 

「生長の家」 が悲しみの似而非宗教ではなく、
常楽我浄の実相を教える真宗教であるからである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p34.html
晴れときどき(2014 年 4 月 24 日)

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8298091

(11)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8301267



(12)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6620484

(13)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7220053

(14)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7912130

       <感謝合掌 令和4年12月7日 頓首再拝>

如意自在の生活法④~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/08 (Thu) 13:39:21

如意自在の生活法④~谷口雅春先生
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=rEDy9SsE5u8

       <感謝合掌 令和4年12月8日 頓首再拝>

如意自在の生活365章はしがき~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/09 (Fri) 05:00:16


     *『如意自在の生活365章』はしがき より

わたしは『幸福を招く365章』をその第一冊として
「何々の365章」と題して人生に生き甲斐を与え、健康を増進し、
企業が自然に繁栄する「心の法則」又は「心の科学」の本を
数冊書いてきたのである。

1年365日に分けて、読者に毎日約1ページ前後の”霊感”を与える
”真理の言葉”を提供して、その人の生き甲斐を鼓舞し、
人生を爽快なものとし、調和と健康と繁栄を自己の人生に創造する書物を
書くことをこのシリーズの目的としたのは、
あまりに此の人生は科学知識の発達と共に多忙すぎるようになって来たからである。

しかし物質科学の知識は発達したけれども”心の科学”は発達せず、
人間の生活は跛行的なものとなり、ただ物質の豊富と肉体の快楽とを追求して、
狭い地球上に多勢の人間が犇(ひし)めき合い摩擦し合っていて、
彼ら人間は真の幸福を得る道を知らな過ぎたからである。

イエス・キリストは「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」
といったが、多くの人達は物質の豊富と肉体の享楽を追求して忙しく、
東奔西走すればするほど、人生は益々複雑にして摩擦多きものとなり、

多くの若い人たちはノイローゼのようになり、相当の年輩に達した人たちは
色々の原因不明の変な病気や治療不可能の癌症状等の病気にかかり、

繁栄を求むれば、他の繁栄を追及する人たちの利益と衝突し、
人生は修羅の巷と化し、人々は真の幸福から遠ざかって行きつつあるのが
現代の人間模様であると言ってよい。

このような跛行的な人間生活が生まれて来たのは結局、
物質と肉体の科学は進歩したけれども、
人間は心の科学も霊の法則も知らない片手落ちの発達を遂げた結果、

彼らは真理を知らず、古代の巨大動物があまりに角が大きく発達した結果、
全滅してしまったと同様に、自分の巨大知識によって自縄自縛の状態に陥り、
真の自由を失って、今や全人類が精神的に滅亡しようとしているのである。

そして彼らは藻掻(もが)けばもがくほど足を海中の藻にまつわられて
煩悩海(ぼんのうかい)深く沈没して行きつつあるのが現状である。


この際、この時、何が必要であるかといっても、
イエスがもう二千年も前に警告した如く
「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」である。

煩悩海中深く溺没(できぼつ)しつつある人間を海上に浮かびあがらせて、
人間に真に自由と解放とを与え得るものは、もう物質方面の知識ではなく、
人類が「真理」を知ることである。


その真理を365日の「毎日の言葉」として提供せんとするものが、
此の、人間に真の幸福を知らせるこの365章シリーズである。

このシリーズは人間知によって書かれたものではないのである。
このシリーズのうち、この『如意自在の生活365章』は、
恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきものであり、

わたしが激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを
最も受け易い状態になり、わたしの霊が西アフリカのガーナ国の黒人の求道青年
プリンス・J・ブラックソン君の夢にあらわれて人間・神の子、本来完全自由の
真理を説いた結果、

彼がその夢中のうちに授かった真理を大衆に向かって説きはじめると
数年のうちに6万の信徒を得、大きな教会建物を造営し、

やがて彼ブラックソンは一昨年、日本に来たって、わたしが彼の夢中に
あらわれた真理の伝授者であることを確かめ、2ヶ月間日本に滞在して
更に深く真理を伝えられてガーナ国に帰ると、今では彼からの通信によると、
彼は既に60万人の黒人信徒を獲得したということである。

それはさておき、そのように私が霊感的状態になっていた頃の期間に
「法語」として書きつづけて来た真理を一冊にまとめたものが本書であるから、

本書の全巻は、生きてピチピチ現に魚發(は)ねている”真理“の書だ
ということが出来、読者のたましいに真理が直接つたわると思う。

わたし自身が本書出版のため校正をしながら、自分でその真理の表現に感動し、
読みながら、今や八十五歳に垂(なんな)んとするわたしが、
自分で書いた本に感動して若返った感じがするのである。

特にその第一章には深い真理が書いてあり、
それに続く各章には、実際に処する場合の心の法則が詳細に
説明されているのである。

老いも若きも、本書を読むことによって無量寿の人間生命無限力の自覚を、
新たに生まれ変わった自覚を得ることになるのであろうと信ずる。


本書は今後、生長の家の各県の道場で毎日催されている神性開発一般練成会の
テキストとして用いられることになるが、先ず最初に今年の10月の
京都府宇治市塔の川にある生長の家別格本山での3日間にわたる詳蜜講習会の
テキストとして用いるべく、校正を急いでいるのである。

各県の道場での神性開発練成会に参加して、真理の直接伝授を受けたい方は、
本書の巻末に、その道場所在地を書いておいたからそれを参考にせられるがよい。

読者諸賢が真の祥福を得られんために祈りつつ、この序文を終わる。


      昭和52年9月10日

                          著 者 し る す


谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=94

       <感謝合掌 令和4年12月8日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」 - 伝統

2022/12/09 (Fri) 14:53:00

徳久克己「ヨハネ伝講義」01-a 生長の家
妙楽天国(2018/04/06)
https://www.youtube.com/watch?v=RXCGMpVe294

       <感謝合掌 令和4年12月9日 頓首再拝>

「ヨハネ伝講義」はしがき~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/10 (Sat) 04:59:17

「ヨハネ伝講義 (谷口 雅春著)」を読む  

        *Web:幸福学舎(2009年07月08日)より

この講義録は正統的なキリスト者ではない
生長の家創始者谷口雅春先生が其のことを謙虚に告白しつつ、

“わたくしが数ある福音書の中でもヨハネ伝が最も霊感的に優れている”
として41講に亘り詳細に講義されたものである。

地方に派遣される生長の家講師たちを対象になされた講義録を
基に編纂された著作であるが、青年時代から維摩居士を
理想の実業家像として信奉してきた私にとって、

この講義は私のキリスト教観を全く一新するほどのショッキングな著作であり、
宗教観に於いても大いなる開眼を迫られた真理の書の一つとなったのである。

あまりに感動的であったので以下にその“はしがき”の一部を転載する。


「ヨハネ伝」はキリストの福音書のうちで最も霊感的な著作である。
だから真にキリスト教を理解し、キリスト・イエスの霊的人格に触れるためには
「ヨハネ伝」を数十回、数百回読んでキリストの生命に直接触れなければならない。

教会キリスト教についてはむしろ門外漢である私が
「ヨハネ伝」を講義するのは僭越のそしりを免れないかも知れぬが、
既成の教会に属する人達は、伝統的な解釈や教権に縛られていて、
陳き(ふるき)無力な解釈になずんで、
却って真にキリストの生命に触れ得ない憾みがあるのである。

レッテルやポスターは「キリスト教会」と称しながら中身は全然、
反キリスト教を説いている教会すらあるのである。

私が敢えて、キリスト福音書のなかで
最も霊感的解釈を必要とする「ヨハネ伝」の講義の速記を
茲に発表しようとするのは、読者諸賢に真にキリストの生命に触れて
新生して頂きたいからである。

「では、汝はキリストの生命に触れたのであるか」と問う人があるならば、
私は躊躇なく「私はキリストの生命に触れ、キリストの魂を理解し得たと信ずる」
と答えるであろう。

イエスは、
「誠にまことに汝らに告ぐ、我を信ずる者は我がなす業をなさん、
 かつ之よりも、大いなる業をなすべし」

と「ヨハネ伝」第14章に断言していられるのに、
何故、現在の多くのキリスト教会では、イエスが行ったほどの奇跡を
実演することが出来ないのであろうか。
イエスのこの言葉を空言だとして信じないのだろうか。

キリストを信じないのならば、
彼等は既にキリストを信じないものである。

キリストを信じないのならば、何故「キリスト教会」と言う
門標を掲げるのであろうか。

又キリストを信ずるならば、
「我を信ずる者は我がなす業をなさん、かつ之より大いなる業をなすべし」
というキリスト自身の証言を何故生活に実演する事ができないのであろうか。

それは「キリストを信ずる」と称しながらも、
キリストの教えを歪めて信じているからにほかならないのではないだろうか。

真にキリストの教えを歪めないで信ずるならば
キリスト以上の奇跡を実演し得なければならない。

わたしは、どんな既成のキリスト教会にも属しないが、
わたしは独自の霊感によって聖書に接し、キリストの生命に触れたのである。

そして、誰よりも深くキリストを信ずる者である。

それ故に、私たちのグループは、キリスト自身が証言したとおりに
「キリストがなせし如き奇跡(わざ)を為し」つつあるのである。

私はイエスと共に、
「わが言う事を信ぜよ、我は父におり、父は我に居給うなり。
 もし信ぜずば我が業によりて信ぜよ」と言うことができるのである。   

中略

生長の家講師たちが、いろいろの奇跡的み業をなすことが出来るのは、
この講義によってキリストの生命に触れることになり、
「我を信ずるものは我がなす業を為さん」というイエスの言葉を
実演しつつあるからだと言いうるのである。

真の「キリスト教会」とは名称や看板に
「キリスト教会」と書かれていることではなく、
キリストの福音を間違いなく伝える教会でなければならない。

私は、あらゆるキリスト教会に属する人達が、
信者も宣教師をもひっくるめて、この「ヨハネ伝」講義により、
本当にキリストの生命にふれることが出来、

キリストより大いなる業をなすことができることになり、
まことの「キリスト教会」として人類救済の使命を完(まっとう)う
せられんことを希望するものである。

後略

https://plaza.rakuten.co.jp/masachanhirochan/diary/200907080000/?scid=wi_blg_amp_diary_next



ご高著『ヨハネ伝講義』はしがき より (1833)
日時:2016年06月08日 (水) 08時58分
名前:中仙堂

私は、本書を校正しながら、磔けに釘けられて後復活したキリストが、
ペテロと食事を共にしたのち、「汝この者どもに勝りて我を愛するか」と
三度繰返してたずねられる処に至って滂沱として涙せずにはいられなかった。

「わが汝を愛する事はなんじ知り給う」とペテロが答えると、
イエスは「我が羊をやしなえ。……われに従え」
と仰せられているのである。

名称がキリスト教会であるばかりではなく、
真にイエスの魂に触れ、イエスに従う者のみが真にクリスチャンであるのである。

昭和三十五年八月二十五日      著者識す

大聖師 谷口雅春先生 ご高著『ヨハネ伝講義』はしがき
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/sp/
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=361

       <感謝合掌 令和4年12月9日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」01-b - 伝統

2022/12/10 (Sat) 15:00:43

徳久克己「ヨハネ伝講義」01-b 生長の家
妙楽天国( 2018/04/07)
https://www.youtube.com/watch?v=RuMobNrjbOU

       <感謝合掌 令和4年12月10日 頓首再拝>

ヨハネ伝について~仙頭 泰 - 伝統

2022/12/11 (Sun) 04:57:15

ヨハネ伝について~仙頭 泰
Web:光の進軍(み教えの基本に関する講演と論文<仙頭 泰>)
http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/0101dno-sendou-ronbun/34yohane-den-nitsuite.htm

(以下は、谷口雅春先生の言葉を抜粋)

(1)「わたしは、どんな既成のキリスト教会にも属しないが、
    わたしは独自の霊感によって聖書に接し、
    キリストの生命に触れたのである。

    そして誰よりも深くキリストを信ずる者である。
    それ故に私たちのグループ、キリスト自身が証言したとおりに
    『キリストがなせる如き奇蹟(わざ)を為し、
     かつ之よりも大いなる業をなしつつある』

    私はイエスと共に、
    『わが言うことを信ぜよ、われは父にをり、父は我に居給うなり。
    もし信ぜずば我が業によりて信ぜよ』と言うことができるのである。」

(2)「神の恵みは分け与えれば無限に殖えるということは事実であって、
    私はパンを五千人に分けたことはありませんが、真理の書物を
    五十万人にも五百万人にも分かつことによって、
    与えたよりも富んできた実例をもっているのであります」

(3)「イエスがたった五つのパンを五千人に分けて不思議なことをして
    無限供給の実際を現して見せたのは、決して信仰をしたら、
    こう云う現世利益があるというようなことを示さんが為ではなかった
    のであります。

    『父の家』即ち『実相の家』には無限の供給が本来ある。
    それを悟らしめんがためであります。

    それなのに『あそこへ行くとお蔭がある』と、現世利益のみを
    目的に喜んで人々がやって来るのをイエスは非常に苦々しく
    感ぜられたのであります。」

(4)「そんな物質的の御蔭、そんなことを喜んで追っかけて来る
    と云うことでは、私の本当に伝えたいことをお前達は知っていない
    のである。

    永遠の生命――それを私は与えたいと思ってやって来たのである。
    肉体の生命はいくら長寿しても百年余の生涯である。
    そういう朽ちる寶のために働いては、働き甲斐がないのである。

    肉体が死ぬときにも、持って行ける寶
    ――永遠の生命に到るための糧として働け。

    これが自分がお前達に与えようとする寶である。
    肉体を養うパンなどの問題ではない。」

(5)「モーゼが群衆を連れて荒野をさまよった時に「マナ」と云う
    ものが天から降って来てそれを食べたと云うことが旧約聖書に
    あるけれども、そのような、実際肉体のお腹がふくれるようなパンは、
    本当の天よりのパンではない。

    現世利益は今あるかの如く見えていても、
    それはしばらくして消えてしまうものである。

    天よりの真のパンは、永遠の生命のパンであって、
    永遠に消えないものでなければならない。

    「わが父は天よりの真のパンを与え給う。
     神のパンは天より下りて生命を世に与うるものなり」と言われた。

    この「天よりのパン」「神よりパン」と云うものは何であるかと云うと、
    吾々の生命の実相なのであります。

    実相、仏性、神性と云うもの、それを知らさんが為に
    イエスは来たり給うているのに、大衆はそれを知らない。

    肉体的にのみ生きている人々にとっては、自分の生命は
    物質のパンで生きているように思っている。

    しかし
    「人はパンのみにて生くるに非ず、神の口より出づるコトバに依る」と、
    イエスが言われたように、神より出たる生命波動で生きるのであります。

    すべての人間は、皆、神の子でありまして
    「神の口より出づるコトバ」即ち神性が宿っているのであります。

    しかし当時はキリストだけが、自己内在の神性を自覚していましたから、
    先ず自らを「神の子」だと宣言せられたのであります。

    そうしてこの「神の子」の自覚を万人に与えたい、
    そのためにこそイエスは伝道に苦労せられたのであります。

    イエスが説教されると、「われは神の子である」という
    実相の響きに触発されたものは、飢えず渇くことがないのであります。

    自分のうちに矢張り仏性がある、神性がある、
    自分は神の子だ、佛の子だと云うことを悟った者は、
    永遠に飢え渇くことのなきものであります。

    自分の内から無限に湧き出る富と云うもの、
    無限に湧き出る生命というもの
    ――それを自覚しなければならないのです。

    この自覚を与えるためにイエスはこの世に来られたのであります。」

         <感謝合掌 令和4年12月10日 頓首再拝>

真理は人間を解放する①~谷口雅春 - 伝統

2022/12/11 (Sun) 14:55:25

真理は人間を解放する①~谷口雅春
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=s4GdZSpHqeY

         <感謝合掌 令和4年12月11日 頓首再拝>

愛は刑より強し~スターデーリー - 伝統

2022/12/12 (Mon) 05:02:09

愛は刑より強し より
Web:田舎もんブログ(2019年01月10日)

その頃私は、いろいろな事からもっと神に近づきたい気持に
襲われざるを得なかったのである。

自分の無力さと徳の足りなさとが痛感され、
私は完全に神の前に打ちのめされたような気持であったのである。

それだけ私の心のなかに謙(へりくだ)りの情がつちかわれ、
その程度に応じて確かに神を呼ぶ回数が殖えて来たのであった。

 
一日幾回神想観し、黙念し、神に呼びかけ祈ったかわからない。

京都の石川さんは 「先生でさえあんなに神想観されるから、こら私達あかん」 と
言って驚嘆された。

人々は私を神様扱いするが、私は神様の前になお罪人として、
「すまない、すまない」 と思い続けているのである。

中略


私が、生涯のうちで私の心を打った獄中記が二つある。

その一つは青年時代に読んだオスカー・ワイルドの
『ド・プロファンデス』 であって、
ワイルドも 「愛」 の美を強調してキリストを
「最大の美的生活者」 であると説いていたが、

それを読んだ後、四十年後に、私は六十歳に近づいてから、
キリストが 「最大の美的生活者」 であることを再び見出し、
キリストの生活を説いている此の書の中のライファーの言葉に
頭が下がる思いがしたのである。

スター・デーリーよりも此の書の中ではライファーがむしろ主人公である。
 
ライファー(Lifer)と云うのは固有名詞ではない。
それは終身徒刑囚と云う意味のアメリカの俗語である。
本名は書かれていない。

スター・デーリーは彼を常に 「ライファー」 と俗称しているので、
私も、「ライファー」 を彼の固有名詞であるかの如く
片仮名で書くことにして置いた。

彼は終身刑であるから獄から出て来ることはないが、
恰もキリストが現代に生きていて獄舎にいたら、
此のライファーのような説教をするのではないかと思われるほど
深い教えをするのである。

このライファーの言葉は私にとっては第二の聖書といっても好い。

彼は多くの人々を救っているが、これによって

「彼は寧(むし)ろ自分が他を救い得る特権があるなどとは
 考えるべきではなかったので、それよりも彼は、自分が 『愛』 を
 行じさせて頂くために神から与えられた 『愛の対象』 である
 と見るべきであり、

 その 『愛』 を行ずる事によって誰が救われるのかと言えば、
 自分が救われるのである。」

などと説くところなど、痛く胸を打つものがあるのである。

多くの宗教の教師は、「自分が他を救う」 と高慢になっており、
「自分が誰かのためにこんなにはたらいているのに、感謝されない」
などと不平に思ったりし勝ちであるが、

此の書はそう云う宗教の教師に是非読ませたいし、
自分みずから幾度でも読んで反省の資料としたいのである。

ライファーは又言う。

「愛のない説教は未だ嘗て一人の魂を救ったことはないし、
 これからも決して救い得ないだろう。

 人類を愛し抱擁することによってのみ、
 君は君の魂を救うことが出来るのだ。」

http://jpqqm948.livedoor.blog/archives/2580975.html

         <感謝合掌 令和4年12月11日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」 - 伝統

2022/12/13 (Tue) 04:57:56

徳久克己「ヨハネ伝講義」02 a 生長の家
妙楽天国( 2018/04/08)
https://www.youtube.com/watch?v=ykbitGGQy7s

         <感謝合掌 令和4年12月12日 頓首再拝>

真理は人間を解放する②~谷口雅春 - 伝統

2022/12/13 (Tue) 14:36:32

真理は人間を解放する②~谷口雅春
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=tRbKKtBR10s

         <感謝合掌 令和4年12月13日 頓首再拝>

スター・デーリー語録~その1 - 伝統

2022/12/14 (Wed) 04:55:37


      *気の向くままに(2009年11月05日)より

○私は自分が罪を犯しているなどということは知らずに教会へ行ったが、
 帰るときには犯罪者になっていた。

 (教会で罪と地獄について教えられた幼いスター・デーリーは
  罪の観念に取りつかれ、死の恐怖に襲われるようになり、
  8歳になったとき教師を殺したいと思うほど恨むようになり、
  10歳の時に最初の犯罪を犯し、少年院に入れられ、
  やがては刑務所へ入ります。)


○牧師の予言した
 「逃げることのできないところへぶち込まれて、監禁されるのだ」
 ということが、刑務所へ入ることによって実現した。

 それは、「お前は罪人だ!罪から逃れることはできないのだ!」と
 教えられて、社会的な罪を犯した結果だった。


○罪を犯して私が刑務所に入ることになった時、
 父は一夜にして10年も年をとってしまった。

 父はげっそりして、苦しみと悲しみとを現し、
 目が苦しみ悲しみの涙で光っていた。

 私は完全に父を殺した。
 しかし、その時には、それをなんとも思わなかった。

 私自身が、魂の世界において死んでいたからである。


https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/31d57ffafeccdd180e1b06c46f0702f8

・・・

スターデーリー

Web:神は愛なり(2016年10月20日)
「愛は刑よりも強し」~はしがき
https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12211573945.html?frm=theme

         <感謝合掌 令和4年12月13日 頓首再拝>

真理は人間を解放する③~谷口雅春 - 伝統

2022/12/14 (Wed) 14:50:18

真理は人間を解放する③~谷口雅春
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=u_AvdGvMIWE

         <感謝合掌 令和4年12月14日 頓首再拝>

スター・デーリー語録~その2 - 伝統

2022/12/15 (Thu) 05:00:17


      *Web:気の向くままに(2009年11月06日)より

(1)刑務所が悪人を善導するものなら、
   私はとっくに善い人間になっていたはずだと思う。

   刑務所の中では随分ひどい罰にあわされ、
   ひどい体刑にあわされたが、どんなひどい体刑にあわされても、
   私は善人になろうなどと、一回でも思ったことはなかった。

(2)私は死ぬよりほかない人間であった。
   私は呼吸していた。しかし、死んでいた。心が死んでいた。

   心が死んだ時は、人間が死んだも同じである。
   精神の中枢が死んでいると、これを治す薬はない。
   いかなる人間もこれを治すことはできない。

(3)土牢で何日も何日もつるされて、私はとうとう気を失ってしまった。
   手をつるされた綱がほどかれて、殻の袋が下へ落ちると同じように、
   下へ落とされた。

   骨のなくなった肉の塊のようにコンクリートの上に落とされて、
   私はほとんど死んでいた。
   魂も、心も、良心も死んでいた。

   まるで死骸のように投げ出された。

(4)そのようにして死骸のように投げ出されていた時、私の頭部が
   自然に部屋の扉の方へ向いた。
   しかし、私は立ち上がれなかった。

   土牢の扉が開いて、一人誰かが入ってきた。
   それがだんだん明るく見えだした。
   そして近づいてきて、私を見おろしている。

   私の視線が上を向いて、彼の視線とあった。
   そこにキリストが立っていた。
   キリストをとおして神が現れたのだ。

   神の愛が、現れたのだ。
   神の愛が、キリストの目を通して、現れたのだ。
   キリストは、“愛のまなざし”で、私を見つめていた。

   罪人である私に、過去の多くの、数知れない罪を
   犯していることに一言も触れず、また、その罪を認めず、
   限りない愛を持って、私を、じっと愛深く見つめた。

   ただ、それだけのことであるが、
   その一瞬が私をすっかり変えてしまったのだ。

   今まで、私の心の中に巣食っていた、犯罪への欲望を、
   瞬間的に、すっかり取り去ってしまった。

   それ以来、私は罪を犯していないし、
   また、罪を犯したいという心が起こらなくなってしまった。

   小さい瓶一つでも他人のものを盗もうとは思わなくなってしまった。

   それは神が、私の外も、内も、一瞬にして変えてくださったのだ。

   時計が、三つか四つ響く間に、今まで誰もなしえなかった、
   私を変えることが成就したのだ。

   それは1926年11月26日であり、
   結婚した妻の誕生日でもあった。

   それから、1930年3月30日、刑務所を出た。
   それ以来、私は刑務所へ入ったことは一度もない。

(5)(高知の刑務所での講演では、その時のことを次のように語っている。)

   キリストの愛深い“眼差し”が、私の視線を引きずり込んだ。
   キリストの“眼差し”の中に、神の愛が溢れていた。

   「この人こそ、私が長いあいだ求めていた救い主だ!」

   瞬間的に私は知った。

   私は今まで、自分で自分をどうしても救いえなかったし、
   いかなる刑を受けても私の救いとはならなかったが、
   キリストを見た瞬間、“この人こそ、私の救い主だ!”と知った。

   キリストの目に輝く愛で、私は完全に救われた。
   それは、一瞬の出来事であった。

   そのキリストが去った時に、その瞬間に、
   私は“神の子”として立ち上がったのだ。


   キリストの愛が、私の罪を犯す性格を全部消してしまった。
   酒を飲んで仕方のなかった性格、アヘンの中毒、バクチ打ちの習慣、
   そんな悪いものが、一瞬のうちに消え去ってしまった。

   その一瞬の間に、ぜんぜん新しい頭となり、
   魂は完全に新しく入れ替えられてしまった。

   キリストは、魂を一瞬のうちに復活させ、
   一瞬のうちに身体まで入れ替えてしまった。

https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/bc91e72b8489f93166ad532d9146bb72

         <感謝合掌 令和4年12月14日 頓首再拝>

真理は人間を解放する④~谷口雅春 - 伝統

2022/12/15 (Thu) 13:51:33

真理は人間を解放する④~谷口雅春
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=pZ2Yt-w-nIs

         <感謝合掌 令和4年12月15日 頓首再拝>

スター・デーリー語録~その3 - 伝統

2022/12/16 (Fri) 04:54:29


      *Web:気の向くままに(2009年11月08日)より

誰からもサジを投げられていたスター・デーリーは、
キリストの愛(神の愛)によって、一瞬にして生まれ変わり、
刑務所内でキリストの愛を伝える伝道者となりました。

(刑務所内での伝道の様子については『愛は刑よりも強し』に詳しい)

そして、最も重い20年の刑から模範囚として減刑され、
6年あまりで刑務所の扉が開かれることになり、
1930年にスター・デーリーは刑務所を出ました。

刑務所を出てからは、生活のため10篇ほどの短編小説を書いたとのこと。
お金を貯め、自分の生活を確保したうえで、
神の道につくそうとスター・デーリーは考えていたそうです。


しかし、ある時、ある婦人の手伝いで、
800キロも離れた山の上にある家まで、
家具を運ぶ仕事をしていたときのこと、
突然にタイヤが外れて車が道路から落ちるというアクシデントがありました。

車から降り、転がってゆくタイヤをつかまえようと走ると、
タイヤが壁に当たって止まった。

そのタイヤをつかまえ、ふと、その壁を見ると、壁には

「お前は、今、ただちに神を求めよ!」

と書いてあったそうです。

それを見たとき、「神にすべてをささげよう」と決意するのですが、
とりあえず二人は(奥さんと)真剣に、
「この仕事を無事に終わらせてください」と神に祈り、
その仕事を終わらせることができました。

しかし、終わった途端に4つのタイヤはみんなパンクしたそうです。

そういうことがあって、短編小説をやめ、
「神のための本を書こう」と決意して書かれたのが
『愛は刑務所の扉を開く』だそうです。


徳久先生が、
「金儲けのできる医者をやめて、生長の家へ入ったことをバカだ
 という友人もいるが、私は絶対正しい道を歩んでいると信じ、
 生長の家に入らせて頂いたことを、心から喜んでいる」と語った時、

デーリーは、

(1)自分も小説を書けば、金はいくらでも儲けることはできるが、
   それをやめて神の道へ入った。

   アメリカの大きい出版会社が2つも巨額の金を先払いするから
   小説を書かないか、という話をもってきたが断った。

   それは1932年だったが、自分としては一大決心だった。

   と、語っています。

   『愛は刑務所の扉を開く』は1934年に出版され、
   人々に大きな感動を与え、スター・デーリーはアメリカ中を
   講演してまわるようになりました。

   また講演だけではなく、大学からは「教授になってもらいたい」
   という誘いも、一つや二つではないとのこと。また、

(2)上院議員の牧師にきてくれという話もあった。
   アメリカの最も有名な、アブラハム・リンカーンの創立した
   教会の牧師であった。

   私はその教会のメンバーでもないのに、そのような申し込みを受けた。

   だから真理に立脚していれば、あらゆるものの扉は開かれる、
   ということを私は知った。

   とも、語っています。

このように、「キリストの愛」によって救われたスター・デーリーですが、
さらに自身の「神の道に生涯を捧げる」という一大決心が、
彼自身の生涯に栄光をもたらし、また多くの人に感動と救いを
与えることになりました。

https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/05dfb5f1c7343ab71c5878740d153fdf

         <感謝合掌 令和4年12月15日 頓首再拝>

真理は人間を解放する⑤~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/16 (Fri) 15:44:37

真理は人間を解放する⑤~谷口雅春先生
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=-wL-Rsuo2a8

         <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝>

スター・デーリー語録~その4 - 伝統

2022/12/17 (Sat) 05:00:31


      *Web:気の向くままに(2009年11月09日)より

下記はスター・デーリーの高知刑務所における話です。
(「生長の家」誌 昭和60年5、6月号からの抜粋)


――高知の刑務所で――   

(1)私は、ここで皆様にお目にかかることを、本当は希望しない。
   皆様がひとり残らず自由になって、
   ここを出られることを、私は最も希望する。

   私の盗んだ金は、私の精神を根本的に破壊した。

   そして係官は、
   「お前をまともな人間にすることは、絶対に不可能だ」とサジを投げた。

   私は常習犯の折り紙を付けられ、折り紙を付けられたとおり、
   14年間も常習的に犯罪を続けた。

   健康は完全に犯され、魂は完全に死んでいた。
   私は、日々神を恨み、社会を呪っていた。

(スター・デーリーの体験の話が続くが省略。その体験を語り終えた後)

(2)つまり、罪というものは、人間の“迷い”である。
   あなたがたは罪の子ではなく、神の子である。

   今、ここにキリストが立っている。
   キリストは、あなたがたの前にも後にも立っていて、
   「お前は神の子である!」と告げている。

   現実の目には見えないかもしれないが、
   心の目が開くと、それを見ることができる。
   すぐ間近に見ることができる。

   キリストに従って生涯を送るなら、再び問題は起こらない。
   キリストの愛であなたがたを守ることができるし、
   キリストは、あなたがたを導くことができる。

   また、あなたがたを希望に満たすことができる。
   なぜなら、あなたがたは神の子だからである。

(3)アメリカにおける刑務所は、罪に対する罰を与えるだけで、
   何かの職業に導いてくれるというようなことは一切なかった。

   私が神の救いによらずに刑務所を出ていたら、
   自分で仕事は得られなかったと思う。

   しかし、神は常に私と共にあって私を導き給うた。
   私は病院で働き、結婚し、良い妻と娘をもっているが、
   それは神の導きによって得たものである。

   私の本は世界中で読まれ、アメリカのあらゆるところで講演し、
   あらゆるアメリカの刑務所でも話した。

   極悪人と自分も他人も思っていた自分に、こんなことができるのは、
   キリストの愛によって、私が神の子であると教えられ、
   それを信じたからである。

   私は教育を受けていないが、アメリカ中の大学や高校で講演したし、
   一番大きい大学の教授としての席をもらっている。

   欲しいと思えば大学教授の椅子ぐらいは、
   5つや6つはすぐくれるところがある。

   私は学校の教育は受けていないが、神から直接教育された。


(4)私は1日、4~5時間の祈りをする。
   それは、神と自分とを直接つなぐ必要があるからである。

   私が祈っている時には神と一緒にいる。
   神と共にあれば、神は私を導いてくれる。

   神は戦後の日本に行け、と私に告げられ、
   その扉は日本の生長の家によって開かれた。

   そして今、日本の町々で講演をしている。
   そして、日本の各地の刑務所で話をしている。

   それは私の力ではなく、神の力によるものである。

(5)今、私はあなたがたに話をしているように見えるが、
   それは、私への“神のささやき”を伝えているだけなのだ。

   私の心のままに話をすれば、誤りを犯すことになる。
   “神のささやき”を話した時のみ、それは真理である。

   私はひとつの耳で“神のささやき”を聞きつつ、
   ひとつの耳で、あなたがたがどんなことを要求しているかを
   聞いているのだ。

(6)あなたがたが完全な神の子として生きようと思うならば、
   真理の本を常に読み、祈るが良い。

   そうすれば、神が私を導いたように、
   神はあなたがたを導くことは間違いないのである。

   そして神が、あなたがたがこの世に生まれてきた使命を
   果たさせるのである。

(7)キリストが処女から生まれたということを、不思議だという人もある。
   キリストは父をもたない。
   アダムは母をもたない。

   それはなぜか知らない。
   しかし、それを信じる。

   キリストの復活も、私はそれを絶対に信じている。

   「キリストは、本当の救い主か?」と尋ねる人もいる。
   キリストは、罪を犯した人を救ったかどうか、私は知らない。

   しかし、キリストが、この地上に神の愛から生まれてきたことを、
   私は絶対に信じている。

   事実、私はキリストを信じた時、赦されて、罪から解放された。
   キリストを信ずることによって、キリストの力が現れて救われるのだ。

   キリストは、私に説明したり弁解したりしない。
   キリストは、天国の知識を私に与えなかった。
   キリストは自分についてもぜんぜん説明しない。

   ただ“われを愛せよ”と言った。
   私はそれを信じて、キリストを愛することによって、
   今まで予想もしなかった力を得た。

   なぜ力を得たか、私は知らないが、事実が証明する。

――高知刑務所の講演を終えて――

(8)今日、刑務所で話をしている時、
   私と通訳の横田さんとの間にキリストが立った。

   そして、皆の前で話せよということを、
   ひとつひとつ私に告げてくれた。

   聴衆の前の方にひとりの若者がいたが、彼の側にキリストが立った。
   彼は魂が救われたと私は信ずる。

   今日の集まりは、今までにかつてない厳粛な集まりであった。
   聞く人たちもとても厳粛であった。

   そしてキリストが私に、“皆、神の子である”と告げた。
   私はそれを皆に告げたが、皆それを信じてくれた。

   二人の若者が来て私と握手をしたが、その時、
   私の魂が手を通じて彼らの中へ流れ入った。

   二人は罪から完全に逃れることを、私は信じる。
   彼らは神の子である。

   彼ら自身が自分を神の子と信ずれば、
   その通り行動する以外に、なにもない。

   われわれは信ずる通りになるのである。

https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/bd5f6daace463a8389bab719dbc65c65?fm=entry_awp

         <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝>

真理は人間を解放する⑥~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/17 (Sat) 15:25:22

真理は人間を解放する⑥~谷口雅春先生
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=lH_qW_nfUcE

         <感謝合掌 令和4年12月17日 頓首再拝>

スター・デーリー語録~その5(番外編) - 伝統

2022/12/18 (Sun) 05:02:18


      *Web:気の向くままに(2009年11月24日)より抜粋

スター・デーリーは金庫破りの名人だそうで、
すっかり改心してから一度だけ金庫破りをしたことがあるそうです。

それはどういうことかというと、銀行の金庫が壊れて、
アメリカ中の金庫の専門家が開けようと挑戦したのだそうです。

ところが、誰も、どうしても開けることが出来ず、
最後にスター・デーリーのところへ頼みに来て、
それをスター・デーリーが24時間を費やして見事に開けたのだそうです。

このような金庫破りの技を、スター・デーリーは誰に教わったかというと、
これがまた面白いのです。

それは、日本で言う「ねずみ小僧」のような、
義賊の秘密結社があって、デーリーは13歳の時から
その秘密結社の親分に教えられたのだそうです。

そして、その秘密結社について次のように語っています。


○彼らは富める者から金を盗って、その全部を貧乏人に与える義賊であった。
 ベッドの上で寝ず、レストランで食べず、家庭と縁を切り、
 普通の人の社会とは交際せず、百億ドル以上の金を盗んだが、
 それを全部貧乏人に与えた。そして、一度もつかまらなかった。

のだそうで、彼ら自身は椀を持って乞食に行き、それで生活していたとのこと。
そして、デーリーが秘密結社に入った13歳からの5年間というものは、
物凄い訓練で厳しい期間であったとも語っています。

しかしその秘密結社も、酒呑みの一人が入って来たのがもとで、
チームが乱れ、解散となったとのこと。


○世界をまたにかけた、最悪の泥棒の親分であったという彼の眼は、
 時々、チラッと昔を想わせる凄さを見せていた。(徳久先生)


さて、強盗の親分、拷問にあっても屈しなかったほど剛の
スター・デーリーですが、驚く勿れ、最初、獄舎の中で
演説をしようと演壇に立ったとき、どんな状態であったかというと、

つい3日ほど前に読んだ谷口雅春先生のご文章の中には
こんなことが書かれていました。


○スター・デーリーはどんな強盗の首魁でも彼の名前を聞けば震え上がる程に、
 肝の据わった泥棒であった。

 しかし獄舎の中で大衆を相手に説教しようと演壇に立った時には、
 その肝の据わりはどこへやら、ボーっとして周囲が見えなくなり、
 一語も発することができないほどに、恐怖心を感じたのであった。

のだそうです。

ここでは、谷口雅春先生は、

「時として人には到底克服できない嫌悪や不快や恐怖を抱く
 心の傷があるものである。
 そういう心の傷は労わってやるべきで攻撃すべきではない」

ということをお説きくださっているのですが、
私はこれを読んだとき、あの迫真の演説からは想像できない
スター・デーリーの一面を知り、「へえー!」と思いました。

と、同時にスター・デーリーの次の印象的な話が思い出されました。

https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/959e63a1451a696545975c6fd94f50e4

         <感謝合掌 令和4年12月17日 頓首再拝>

スター・デーリー語録~その5(番外編~その2) - 伝統

2022/12/19 (Mon) 04:51:59


      *Web:気の向くままに(2009年11月25日)より抜粋

それは、デーリーが刑務所を出て、街頭演説をしていた時のこと。

一人の20代の女性が彼に近づいて来て、こう相談を持ちかけたそうです。
「私は酒場で働いていて、
 そこから抜け出したいと思うのですが抜け出せないのです」

デーリーは答えて言う。
「あなたは20代だというが、40代に見えるじゃないか。
 もう2年もここにいると、あなたは完全に破壊されてしまう。
 なるべく早く出なさい」

彼女「どうしたら抜け出せるでしょうか?」

そこでデーリーは、その女性と共に喫茶店へ行き、先ず祈ったそうです。

そして、次の如く言いました。
「ただちに街頭演説をせよ。そして今まで自分がどんな者であったかを、
 自分のところへ酒を飲みに来る人々に告げることだ!
 これができたら、あなたはこの酒場から出ることができる!」

すると、その女性は震えながら答えた。
「あなたが一緒についていてくれるなら・・・」と。

そして、彼女は街頭演説に立った。
そして「神」という言葉を口に出そうとした。
が、どうしても出なかった。

どんなに力を入れても、声にならなかった。
スター・デーリーも、声が出せるよう彼女を励ました。
そして努力を続けた。

ようやく声が出た。
その声は側にいるスター・デーリーにしか聞こえない小さな声だった。
が、その瞬間、「神の精霊が天下り、ほとばしるように話し出した」とのこと。

その彼女の前には500人以上の人々が集まってきていたとのこと。
話したことのない彼女が、ほとばしるように演説を続け、
やがて彼女の話が終わった。

終わった時には、
「彼女はもう元の彼女ではなく、すっかり真人間に変わっていた」とのこと。

そして、彼女自身だけでなく、
「友達を1人救って、酒場から出ることもでき、
 その上9人の男を教会へ引っ張って行った」とのことでした。


私は、最初、スター・デーリーのこの話を読んだとき、
いきなり20代の女性に街頭演説をさせるとは、
ずいぶん無茶な思い切ったことをさせるもんだなあと思いました。

が、谷口雅春先生の文章を読んで、
スター・デーリーの、最初は声も出なかったということを知り、
なるほどなあと思いました。

スター・デーリー自身が、同じ経験をし、失敗しているからこそ
できたことだなあと納得し、失敗に見えても失敗ではなく、
その失敗と見えることが、このようなところで生きてくるんだなあ、
無駄は一つもないとは本当なんだなあと、教えられた気持ちになりました。


○人間には愛が絶対に必要である。
 ただ愛のみが、すべての罪から人間を自由にするのだ。
 ・・・・中略・・・・
 愛が、私の身体を閉じ込めていた刑務所の扉を開いたように見えるのだが、
 実は、愛が私の心の中にあった扉を開いてくれたのであり、
 私の魂の中から手錠をほどいてくれたのである。

 私の魂の中の扉が開かれ、私の身体が刑務所から解放され、
 自由の身になったのである。

 その上、愛は私の身体の病をすべて取り去ってしまった。
 肺病、心臓病、アルコール中毒などはすっかり消えてしまった。

 当時の私は唾を吐くと血が出ていて、半死半生の状態であった。

 愛こそ、この世の完全な“癒しの薬”である。


○誰の魂の中にも、完全な愛が既に宿っており、
 その愛にふれると、たちどころにどんな難問題でも、
 どんな病でも消えてゆき、癒されるのである。

 愛しがたい人もあるが、その人々を愛することによって、
 神と間断なく触れ合うことができるのだ。

https://blog.goo.ne.jp/suzuhide1123/e/ae3af1337e2f5539c7f610aa30f4f7d9

         <感謝合掌 令和4年12月18日 頓首再拝>

魂がふるえる…… ことば! 「スターデーリー」 - 伝統

2022/12/20 (Tue) 04:55:57


     *Web:神は愛なり(2019年01月08日)より抜粋

スター・デーリーは二度まで破獄を企てた
重犯の極悪非道の典型的囚人であつたと云ふ。

その極悪非道の囚人が最後の破獄の計畫が破れると地下牢へ入れられ、
兩手を上方に縛り上げられ、兩手の間に竿を通して
半ば吊り下げられ足を爪先立にして一日中立つてゐる姿勢を
刑罰として課せられるやうになつたのである。

その間に糞尿を催して來ても便所へ行くことはゆるされない。

…… 中略 ……

しかし剛膽不敵な彼は死んでも屈服しないと頑張つてゐるうちに
人事不省に陥つたのである。……それからどうなつたか彼は覚えてゐない。

氣がついて見ると、枕元にキリストが立つてゐるのである。

「彼は私の方へ近づいて來た。彼の唇は動いてゐる。然し言葉はきこえない。

 彼は私の側に來た。そして私を見下した。
 そして深く私の眼に見入つたのである。

 それはまるで私の魂深く貫きとほるやうな慈愛の眼であつた。

 自分は未だ嘗て人間の眼で、彼の眼に輝いてゐるが如き
 そんな深い愛を見たことがなかつた。

 愛の虜となつてわけもなく、まったく其處にひざまづいてしまった
 私をはじめて私は見出した。

 私はこの夢の中の或る神秘的な感覚によつて、
 私が『實在」の世界の中に浸されてゐることを知つたのである。

 永遠に、久遠に、私の生命に力を與へてゐる
 アルモノを私は見たのである』(「リリーズ」四六頁)と

デーリーは書いてゐる。

https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12431518158.html?frm=theme

         <感謝合掌 令和4年12月19日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」02-b 生長の家 - 伝統

2022/12/20 (Tue) 13:50:17

徳久克己「ヨハネ伝講義」02-b 生長の家
妙楽天国( 2018/04/09)
https://www.youtube.com/watch?v=LCXv-7Hop7c

         <感謝合掌 令和4年12月20日 頓首再拝>

スターデーリー「愛は刑よりも強し」~その1 - 伝統

2022/12/21 (Wed) 04:58:37


Web:神は愛なり(2016年10月20日~2016年10月31日)


(1)愛は刑よりも強し~はしがき
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12211573945.html?frm=theme

(2)愛は刑よりも強し~スター・デーリーの人物 3頁~6頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12211688547.html?frm=theme

(3)愛は刑よりも強し~宗教的光耀後のデーリー 6頁~13頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12211719455.html?frm=theme

(4)愛は刑よりも強し~宗教的光耀後のデーリー(續き) 17頁~24頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12211720372.html?frm=theme

(5)愛は刑よりも強し~宗教的光耀後のデーリー(續き)   24頁~30頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12212636474.html?frm=theme

(6)愛は刑よりも強し~ライファーの精神集中力法 30頁~39頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12213129958.html?frm=theme

(7)愛は刑よりも強し~默想について       42頁~44頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12213585043.html?frm=theme

(8)愛は刑よりも強し~愛としてのキリスト論   45頁~47頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12213976723.html?frm=theme

(9)愛は刑よりも強し~愛としてのキリスト論②
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12214307024.html?frm=theme

(10)愛は刑よりも強し~愛としてのキリスト論③
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12214810942.html?frm=theme

         <感謝合掌 令和4年12月20日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」03-a 生長の家 - 伝統

2022/12/21 (Wed) 13:06:29

徳久克己「ヨハネ伝講義」03-a 生長の家
妙楽天国( 2018/04/10)
https://www.youtube.com/watch?v=keZNk4WOYw4

         <感謝合掌 令和4年12月21日 頓首再拝>

スターデーリー「愛は刑よりも強し」~その2 - 伝統

2022/12/22 (Thu) 05:00:54


Web:神は愛なり(2016年11月01日~2016年11月27日)

(11)愛は刑よりも強し~無我歸依について    54頁~61頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12215146920.html?frm=theme

(12)愛は刑よりも強し~急激なる霊の焔の先禮について
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12215879730.html?frm=theme

(13)愛は刑よりも強し~急激なる霊の焔の先禮について   61頁~66頁
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12216222334.html?frm=theme

(14)愛は刑よりも強し~急激なる霊の焔の先禮について
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12216549906.html?frm=theme

(15)愛は刑よりも強し~日曜日を愛の實践日とした
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12218390025.html?frm=theme

(16)愛は刑よりも強し~愛し得ない者を愛するためには
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12219345090.html?frm=theme

(17)愛は刑よりも強し~愛によって如何に彼は病ひを治したか
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12219430370.html?frm=theme

(18)愛は刑よりも強し~食物は愛によって栄養価を増す
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12219755581.html?frm=theme

(19)愛は刑よりも強し~愛と家庭の調和に就いて
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12223131964.html?frm=theme

(20)愛は刑よりも強し~愛のみが最高價値である
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12223402573.html?frm=theme

         <感謝合掌 令和4年12月21日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」03-b 生長の家 - 伝統

2022/12/22 (Thu) 15:20:00

徳久克己「ヨハネ伝講義」03-b 生長の家
妙楽天国( 2018/04/11)
https://www.youtube.com/watch?v=MFeDPpmjCX8

         <感謝合掌 令和4年12月22日 頓首再拝>

スターデーリー「愛は刑よりも強し」~その3 - 伝統

2022/12/23 (Fri) 04:57:09

Web:神は愛なり(2016年12月03日~2017年01月09日)

(21)愛は刑よりも強し
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12225312245.html?frm=theme

(22)愛は刑よりも強し
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12225542127.html?frm=theme

(23)愛は刑よりも強し
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12225852115.html?frm=theme

(24)愛は刑よりも強し~急激なる霊の焔の先禮について
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12227443156.html?frm=theme

(25)愛は刑よりも強し~如何にしてジェリーは癒やされたか
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12230866927.html?frm=theme

(26)愛は刑よりも強し
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12231442529.html?frm=theme

(27)愛は刑よりも強し~神は豊かなる生命であること
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12234807533.html?frm=theme

(28)愛は刑よりも強し~現代の牧師たちの生活には生命の豊富さがない
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12235614146.html?frm=theme

(29)愛は刑よりも強し~魂の中に楽しい歌をうたふ生活
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12235868416.html?frm=theme

(30)愛は刑よりも強し~現象を見ず實相を觀る修行について
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12236561312.html?frm=theme

         <感謝合掌 令和4年12月22日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」04-a 生長の家 - 伝統

2022/12/23 (Fri) 13:59:25

徳久克己「ヨハネ伝講義」04-a 生長の家
妙楽天国( 2018/04/12)
https://www.youtube.com/watch?v=Js0FArd_yw8

         <感謝合掌 令和4年12月23日 頓首再拝>

スターデーリー「愛は刑よりも強し」~その4 - 伝統

2022/12/24 (Sat) 04:59:47


Web:神は愛なり(2017年01月12日~2017年01月18日)

(31)愛は刑よりも強し~病気の徴候について研究してはならない
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12237456509.html?frm=theme

(32)愛は刑よりも強し~病気の徴候について研究してはならない②
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12237806291.html?frm=theme

(33)愛は刑より強し~生命は豊かに無限に生長する
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12238583837.html?frm=theme

(34)愛は刑より強し~神の生活は何處にゐても営み得ること
   https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12239315447.html?frm=theme

         <感謝合掌 令和4年12月23日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」04-b 生長の家 - 伝統

2022/12/24 (Sat) 15:57:25

徳久克己「ヨハネ伝講義」04-b 生長の家
妙楽天国( 2018/04/13)
https://www.youtube.com/watch?v=ovBhr5-FghU

         <感謝合掌 令和4年12月24日 頓首再拝>

生長の家は過去・現在・未来を救う - 伝統

2022/12/25 (Sun) 04:44:12


      *藤原敏之「すべてを癒やす道」より
       Web「神は愛なり」(2021年10月25日)
        https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12706136731.html?frm=theme

(以下は抜粋です)

(1)「生長の家」のみ教えが、どこがどんなにすばらしいかといいますと、
   その目的とするところが「人生の目的」と一致しているからであります。

   ゛人生の目的゛と゛宗教の目的゛とが一致しないようでは、
   それは人間に縁のない教えとなり、人間社会においては発展しないのであります。

(2)「生長の家」は、未来(死後)の救いだけが目的でもなく、
   又現世の幸せだけが得られるというのでもなく、
   過去も現在も未来も三世を通しての救いであり、根本的な解決法なのであります。

   部分的な救いでなく、絶対的な救いであります。

   そこが生長の家の本当にすばらしいところであり、
   超宗教といわれるところであります。

         <感謝合掌 令和4年12月24日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」05-a 生長の家 - 伝統

2022/12/25 (Sun) 13:58:32

徳久克己「ヨハネ伝講義」05-a 生長の家
妙楽天国( 2018/04/14)
https://www.youtube.com/watch?v=qySPcz9EHs0

         <感謝合掌 令和4年12月25日 頓首再拝>

現代を預言する古事記①~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/26 (Mon) 04:07:56

現代を預言する古事記①~谷口雅春先生
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=hMS4HtW4A7E

         <感謝合掌 令和4年12月25日 頓首再拝>

古事記と現代の預言(目次)~谷口雅春先生・著 - 伝統

2022/12/26 (Mon) 14:30:05


(目次)



第一章 古事記の直感把握

第二章 古事記の神

第三章 部分が先か、全体が先か

第四章 伊邪那岐・伊邪那美二神の使命

第五章 古事記の預言

第六章 霊的文化と物質文明

第七章 コトバによる宇宙浄化

第八章 天皇・日本の使命と終戦の真相

第九章 "霊主物従"の宇宙の法則

第十章 天に成る「幽の世界」の霊交

第十一章 実相世界の現象化

第十二章 赤き龍、稲田姫を覘う

第十三章 国際情勢の預言

第十四章 久遠金剛不壊の皇位の現成

第十五章 天皇の「絶対無」への還帰

         <感謝合掌 令和4年12月26日 頓首再拝>

「生長の家」三大使命~三つの桃の實(「生命の實相」) - 伝統

2022/12/27 (Tue) 04:51:27


      *「現代を預言する古事記」谷口雅春先生(著)より

(1)「日本天皇の生命の實相」~天皇陛下の生命の実相顕現

(2)「日本国の生命の實相」~日本国家の生命の実相顕現(真理国家・日本の建設)
               「国家」の救済(成仏)

(3)「人間の生命の實相」~生命礼拝による人類生活光明化、すなわち
              「個人」の救済(成仏)・個々人の生命の実相の顕現

         <感謝合掌 令和4年12月26日 頓首再拝>

現代を預言する古事記②~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/27 (Tue) 15:47:29

現代を預言する古事記②~谷口雅春先生
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=k_n_WmXU4Jg

         <感謝合掌 令和4年12月27日 頓首再拝>

日本の建国は神話からはじまる~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/28 (Wed) 04:53:12


         *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて より

   建国記念日を二月十一日に制定するときに、神武天皇建国が二月十一日である
   ということは神話に過ぎないのであるからとて(旧)社会党や進歩的文化人から
   反論せられたのであるけれども日本の建国が神話から始まるところに日本の建国が
   なお一層尊貴なものであることを唯物論者たちには理解できないのであったのだ。


   新約聖書の「ヨハネ傳」には「太初(はじめ)に、コトバあり、
   コトバは神と偕(とも)にあり、コトバは神かりき。

   …萬(よろず)のものこれに由りて成り、…これに生命(いのち)あり…」
   というふうに示されているのであるが、私は「はじめにコトバあり」ということは、
   「はじめに神話あり」ということだと言うのである。


   神話を排斥する唯物論者は、事物の根元を単に物質の素粒子が結合して成立した
   ものであるかの如く考えていて、素粒子や原子や分子を現実の形態に排列統合して
   それを有機的組織にまで発展せしめた「内在の力」については知ることができない
   のである。


   日本的思惟(しい)に従うならば、
   日本人は「存在」の根元を神より発したものとしてこれを把える。

   日本人には、「存在」はコト(事)であり神はミコトであり、ミコトとは
   御言(みこと)であり、”言事不二(ごんじふじ)”であり、みことを漢字にて
   表現するのに「命」(いのち)なる文字をもってする。

   存在の根本生命であるものは、”コトバ”であることを直感的に知っていたのが
   日本民族なのである。

         <感謝合掌 令和4年12月27日 頓首再拝>

現代を預言する古事記③~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/28 (Wed) 13:01:49

現代を預言する古事記③~谷口雅春先生
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=A1Ff12i_WZ0

         <感謝合掌 令和4年12月28日 頓首再拝>

一切のものは神話によって始まる - 伝統

2022/12/29 (Thu) 04:58:58


         *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(2)より

   神話は虚構のものであり、架空の物語であるとして唯物論者は排斥するけれども、
   一切のものは神話によって始まるのである。

   ”東京タワー”も神話によって始まったし、
   霞ヶ関ビルも神話によって始まったのである。

   神話は「いまだ現実にあらわれていないものを心の中に想像し、心の中に
   描かれたもの」のことである。

   ”東京タワー”もはじめからあんな現実的造形物が存在したのではないのであって、
   建築設計家の心の中に、想像力によって描かれたもの即ち神話であったのだ。

   
   想像力によって、はじめに心に描かれたものが神話である。

   それを近代人は計画といったり、設計といったり、プランといったり、
   アイディアといったりするのである。

   そして計画とか設計とかプランとかアイディアとかいう語を使えば、
   それは当然のこととして反対しないのであるけれども、
   神話といったら排斥するのである。


   つまり近代人は概ね、頭脳が混乱していて
   「神話アレルギー」に罹っているのである。

   そんな混乱した頭脳から見たのでは、「存在」の根元も判らないし、
   日本建国の尊さも理解できないのは当然である。

         <感謝合掌 令和4年12月28日 頓首再拝>

現代を預言する古事記④~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/29 (Thu) 15:09:30

現代を預言する古事記④~谷口雅春先生
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=nbAebgLNVoI

         <感謝合掌 令和4年12月29日 頓首再拝>

「聲字即実相」 - 伝統

2022/12/30 (Fri) 04:52:21


         *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(3) より

   キリスト教では、「はじめにコトバあり」と宣言したが、
   弘法大師は「大日経」にもとづいて、「聲字即実相」(しょうじそくじっそう)
   と喝破したのである。

   「聲字即実相」とは、事物の本質即ち実相はコトバであり文字であるという
   ことである。

   コトバに表現し、文字に表現すれば、それは具体的事物になるから、
   具体的事物の本質即ち実相は結局「コトバ」でありは「文字」であると
   いうことを弘法大師は指摘したのである。

   その直感力のすぐれたること、現在の唯物論者や、
   進歩的文化人のとうてい及ぶところではないのである。

         <感謝合掌 令和4年12月29日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」05-b 生長の家 - 伝統

2022/12/30 (Fri) 15:05:57

徳久克己「ヨハネ伝講義」05-b 生長の家
妙楽天国( 2018/04/15)
https://www.youtube.com/watch?v=CT3Ng2XsQZw

         <感謝合掌 令和4年12月30日 頓首再拝>

日本建国の神話 - 伝統

2022/12/31 (Sat) 04:46:41


         *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(4) より

   「古事記」や「日本書紀」にあらわれたる日本建国の神話は、
   単に一個の人間の創作ではないのであるそれは民族神話である。

   日本の古代民族がいつのまにかそのような神話を想像力によって創作したので
   あって、日本の建国も日本の文化の発達も、古代日本民族の想像力がつくり
   出した神話の創作したものである。

   日本建国以来の日本の国体も、歴史の発展も、
   「古事記」や「日本書紀」にあらわれた神話の具体化に過ぎないのである。

   唯物論者は、この世界が物質の微粒子が偶然的契機によって結合して出来上がった
   という神話をつくり出したのである。彼らは、物質の素粒子が如何なる意図で結合
   してこのような宇宙や世界をつくり出したか、それを見て来た訳ではない。

   ただ彼らは自己の想像力によって宇宙の起源を想像して唯物論をつくり出したに
   過ぎないのである。だから唯物論は、物質の存在しか知ることのできない
   低次の人間精神がつくり出した神話に過ぎないのである。

   彼らは唯物論そのものが「低次の神話」であることに気がつかないで、
   もっと高次の神話であるところの神の宇宙創造や、神による日本建国の事実に
   ついては反対しようとするのである。

         <感謝合掌 令和4年12月30日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」06-a 生長の家 - 伝統

2022/12/31 (Sat) 21:15:22

徳久克己「ヨハネ伝講義」06-a 生長の家
妙楽天国( 2018/04/16)
https://www.youtube.com/watch?v=b7vzJ6593og

         <感謝合掌 令和4年12月31日 頓首再拝>

唯物論は、西欧人のつくり出した神話 - 伝統

2023/01/01 (Sun) 20:56:30


       *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(5) より


   要するに、唯物論は、西欧人のつくり出した神話である

   唯物論から出発した唯物史観からはマルクスの創作した神話であり、
   人間は猿から進化した動物に過ぎないというのは、ダーウィンの創作した神話
   である。

   それは想像力の貧困を物語るほか何ものでもないのである。
   彼らには物質しか見えない低次の意識しかもっていないのである。

   物質の奥に、物質を超えたところに霊的な本質があるということを知るだけの
   高次の意識がないのである。

   彼らにもっと高次の意識があるならば、想像力がもっと飛躍して霊的物語を創作
   し得たのであろうに、彼らは唯物論とか、唯物史観とか、類人猿の進化物語以上
   には飛躍し得ない神話しか創作し得なかったのである。

   しかし

   「はじめに神話(コトバ)あり、神話は神と偕にあり、神話は現実化する力あり」

   であるから、ダーウインが類人猿からの人間進化の神話をつくり出したとき、
   人類はその方向に動き出したのである。

   そしてそのような人間観がひろまるに従って、「人間の解放」と称して
   人間の動物面又は獣性が解放され始めたのである。


   そしてマルクスが唯物史観をつくり出し、その史観の中でやがて世界に共産主義
   が蔓延するという神話をつくり出したとき、その神話が世界各国の政治型態や、
   経済組織をその神話の通り変革し始めたのである。

   ソ連(ロシア)や中国やその他の共産主義的国家群はすべて
   マルクスの作り出した神話が具象化したものである。

         <感謝合掌 令和5年1月1日 頓首再拝>

徳久克己「ヨハネ伝講義」06-b 生長の家 - 伝統

2023/01/02 (Mon) 04:53:28

徳久克己「ヨハネ伝講義」06-b 生長の家
妙楽天国( 2018/04/17)
https://www.youtube.com/watch?v=2xbqv0uprfU

         <感謝合掌 令和5年1月1日 頓首再拝>

日本人よ。もっと自己の尊厳を知り、自国の尊厳を知れ。 - 伝統

2023/01/02 (Mon) 19:10:37


       *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(6) より

   西洋人のつくり出した神話によって、その国が支配されるようになったとき、
   その国は形の上では独立国であっても、中味は植民地であるのである。

   凡そその国の文化といい得るものは、その国の民族それ自身が創作したもので
   なければならないのである。そうでなければ、その国の文化が如何に絢爛たる
   ものであっても、それは輸入文化であり、植民地文化であるのである。


   ダーウインの類人猿進化説や、マルクスの唯物史観に動かされて、
   日本古来の文化の傳統が歪められるならば、日本は文化の面において既に独立国家
   たる本質を失いつつあるのである。


   吾々日本人は断じて、ダーウインのつくった神話や、マルクスの創作した神話に
   よって、日本の文化を侵略させてはないのである。

   日本の完全独立が叫ばれる聲が激しいけれども、形の上で外国軍隊が駐屯しなく
   なっても、日本人たちの精神の世界において、そして、もっと深い、そして、魂、
   の深層において、外国人のつくった唯物論的人間観や、唯物論的国家観を君臨
   させておく限りにおいて、

   精神の上、魂の上では、本来の日本国は滅びてしまって植民地となっていると
   いわなければならないのである。


   日本人よ、日本人の顔していて中味の精神は外国の神話で満たされ、
   それによって動かされている半人半獣の怪物になってはならないのである。

         <感謝合掌 令和5年1月2日 頓首再拝>

日本民族は人間を、神人として把握したのである。 - 伝統

2023/01/03 (Tue) 05:03:18


       *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(7) より

(7)日本民族は人間をダーウインの如く、獣人、として把握しないで、
   神人、として把握したのである。

   それゆえに、古代人は、すべて何々之命(なになにのみこと)と称したのである。
   そして男子を、日子(ひこ)即ち天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御子(みこ)
   と称し、女子を、日女(ひめ)即ち天照大御神の御子と称したのである。

   
   そして日本民族ぜんたいを天孫民族(てんそんみんぞく)と称して、
   神の生命の降臨であると把握し、国号を「大和」(ヤマト)
   又は日本(ひのもと)と称して、

   日の大神の降臨によって六合(りくごう)を照徹してこれを光明化し、
   一切の人類を大和(だいわ)の理想のもとに包容する偉大なる国家として
   この国を出発させたのである。

   「六合を兼ねて都を開き、八紘(はつこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為さん」
   という神武建国の宣言は、まさに日本民族が創作した一大戯曲であり、
   一大詩劇の一節であり、神話の実現であるのである。


   戦後の唯物論的歴史家は「実證、実證」と称して、遺跡や日本文化の残留物だけを
   探しまわって、日本民族の精神的歴史を知ろうとしないから本当の日本国も
   本当の日本民族もわからないのである。

   残留物を探しまわって日本の生命を知ろうとしても不可能なのは、
   死骸をいくら探して見ても生命が見当たらないのと同じである。


   日本国の生命の歴史は神話に求めることによってのみ得られるのである。

         <感謝合掌 令和5年1月2日 頓首再拝>

「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作 - 伝統

2023/01/03 (Tue) 17:14:26


       *「古事記と現代の預言」<序>神話というものについて(8) より

   「日出ずる国」として天照大御神(あまてらすおおみかみ)の
   「豊葦原(とよあしはら)の千五秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
   是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」


   という神勅(しんちょく)より出発した日本国は、世界を光をもって照らして
   地上に「大和」の天国を招来する使命をもつ国であるとの神話を自覚意識は勿論、
   潜在意識の深層にもっていて建てられた国家である。

   マルクスの神話が西欧諸国や中共を動かして特殊の文化を形成しつつあると
   同じように、

   文書以前に出発し、やがて「古事記」や「日本書記」によって傳承されたる
   日本民族の神話が、日本の建国となり、そこに独自の日本文化を形成し、
   日本独得の天皇中心国家を形成して今日に至ったのである。


   この日本民族神話の中核を形成するものは、「大和」(やまと)の理念であり、
   天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)なる創造神をもって始まる神話の
   第一章の「御中」を中心として全世界が大調和にまとまる理想である。


   日本は概ね東洋文化に属し、東洋文化は霊的文化、宗教文化であると
   称せられているけれども、

   実は日本民族の創作した神話は、、御中主、の理念によって、一切万象を統合し、
   東洋の霊的文化と西欧の物質文化と両方を一つの「絶対無」の中心に包摂して、
   それを大和(だいわ)する理想を表現しているのである。

   日本民族創作の衣食住の習慣又は方式をよくよく観察してみると、
   その事がよく分かるのである。


   日本民族よ、もっと日本民族の創作した独自の文化の尊厳に自身をもって頂きたい
   のであり、ゆめゆめ、外国創作の神話に日本文化を蹂躙せしめてはならないのである。

   そして「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、
   これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、
   この国體を尊重して貰いたいものである。

        昭和43年4月22日      著者しるす

         <感謝合掌 令和5年1月3日 頓首再拝>

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