伝統板・第二

2560071
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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩ - 夕刻版

2022/11/13 (Sun) 04:56:33


生長の家の講師たる者、『生命の實相』に直接触れ随え

          *『ヨハネ傳講義』 はしがき  より

何故、現在の概くのキリスト教会では、
イエスが行ったほどの奇蹟を実演することができなのであろうか。

イエスの此の言葉をキリスト教会の人たちは、
ただ空言だとして信じないのだろうか。

イエスの言葉を空言として彼らが信じないのならば、
彼らは既にキリストを信じないものである。

キリストを信じないのならば、
何故「キリスト教会」と称う門標を掲げるのであろうか。

またキリストを信ずるならば、

「我を信ずる者は我がなす業をなさん、
 かつ之よりも大なる業をなすべし」 

と云うキリスト自身の証言を
何故生活に実演することができないのであろうか。

それは、「キリストを信ずる」 と称しながらも、
キリストの教えを歪めて信じているからにほかならない
のではないだろうか。

真にキリストの教えを歪めないで信ずるならば
キリスト以上の奇蹟を実演し得なければならない。

   〈中略〉

私は、磔けに釘けられて後復活したキリストが、
ペテロと食事を共にしたのち、

「汝この者どもに勝りて我を愛するか」 と
三度繰返してたずねられる処に至って
滂沱として涙せずにはいられなかった。

「わが汝を愛する事はなんじ知り給う」 とペテロが答えると、
イエスは 「わが羊をやしなえ。 ・・・ われに従え」 と
仰せられているのである。

名称がキリスト教徒であるばかりではなく真にイエスの魂に触れ、
イエスに従う者のみが真にクリスチャンであるのである。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/5167945b832b3b45848ec0f4c504c514
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-01)

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8298091


(11)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6620484

(12)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7220053

(13)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7912130

        <感謝合掌 令和4年11月12日 頓首再拝> 

真理を生活に実践するための"静的工夫” 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/13 (Sun) 15:08:11

真理を生活に実践するための"静的工夫” 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/20)
https://www.youtube.com/watch?v=pBY7qEW02-E

        <感謝合掌 令和4年11月13日 頓首再拝>

本当の祈りは『訓への実践』である~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/14 (Mon) 04:53:20


       * 『生長の家』(昭和33年12月号)より

神は、人間が傲慢になることをきらい給うのである。

されば、悲しむ者、その人は慰められん。
「幸福なるかな、柔和なる者、その人は地を継がん」 と
教えられているのである。

「心の貧しき者」とは、そこで言う進歩的な文化人のように
頭脳的知識だけで、傲慢不遜にある。

 
生長の家では「喜べ、明るく笑え」と言うが、
その「喜びと明るさ」とは一度「肉体人間」としての弱さに気づいて、
それを悲しみ歎き、神を求めて「悲しみの奥にある聖地」に達した
「喜びと明るさ」しかならない。

 
「謙遜な心」とは「そのまま受ける心」である。
「無限の可能性」をもちながら、しかも有限なのはその理由である。

私は「人間・神の子・無限力・なんでも出来る」と傲慢になる
「神よ、神よと言う者、エルサレム天国に入るに非ず」
イエスとは教えられたが、

さらにまた「汝ら」神の教えを守ろうとする努力こそ
「神への愛」の表現であり、それこそが本当の祈りである。

「山上の垂訓」は私達が「柔和である」ことの次に
「義(ただしき)に飢え糧く者」であることを訓えられている。

釈尊は彼岸に至る六つの聖道〈六波羅〉として
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般を若訓えられたが、

イエスは
「幸福なるかな、義のために責められたる者、天国はその人のものなり。
 喜べ、天にて汝らの報いは大なり」と訓えていられるのである。

これは、仏教で言えば「忍辱」と「精進」の誡めである。

勇猛に精進努力して、いくら責められても喜び喜んで、
勇敢に義しいと思うことを実践する
―― これが「本当の祈り」だからこそある。

口先だけで、神様にオベッカを言うような祈りをしても
神の誡えを実行しないようなものは、口先だけが神と周波数が合っても、
実際に全生命が神と周波数が合わないから、
祈りが実現しないことになるのである。

常に努力して慈愛の心を起こし、それを実践せよ。、

光明思想を宣布し、人類を愛し、憐れ憫を実践する者でなければ、
その人は、神の慈愛を受けることができないであろう。

何故ならばその人は、自分が隣人に対して愛を実践していないから、
「神の慈愛の周波数」 と、 「神の心の周波数」 とに合わないからである。

「山上の垂訓」 に於いて
「幸福なるかな、憐憫ある者、その人は憐憫を得ん」 と教えている。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p31.html
晴れときどき(2014 年 4 月 6 日)

        <感謝合掌 令和4年11月13日 頓首再拝>

みすまるの歌の始まり 東山半之助 - 伝統

2022/11/14 (Mon) 15:27:53

みすまるの歌の始まり 東山半之助
seimeinojissoh(2022/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=FvLqpFjdElw

・・・

<参照>

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱( 2013年07月29日)
大調和(みすまる)の歌
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yu0529/mode=res&log=63

・・・

ブログ 柿のたね(2010年9月30日)
http://ma-honma.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-0b8f.html


光明思念の歌-大調和の歌(みすまるのうた)-
 
谷口雅春先生は、昭和十一年二月に発行された、
『生長の家』立教七周年記念増刊号において、全国の誌友に対して、
三月一日の立教記念日に「全人類光明化思念の放送」を一斉に送ることを
提唱されています。

その時に公表された思念歌が「光明思念の歌(大調和の歌)」でした。
それ以降、神想観実修の最後には、
次の「光明思念の歌」が唱えられることになったのです。
 
「天照す御親の神の大調和(みすまる)の生命射照(いてら)し宇宙(くに)静かなり」

谷口雅春先生は、この「光明思念の歌」の意味について
次のように示され、自己のためのみならず、
人類の至福と世界平和のために同志を集めて祈ることこそ神想観である
とお説き下さいました。

「天照す御親の神」というのは天照大神という固有名詞ではなくて
「あま」は宇宙で、宇宙を照らし給う御親の神、本源の神様のいのちが
 宇宙一杯に光明輝いて照らし渡って神の慈光の下に平和に、
 大調和に一つの世界を実現している
 ――その実相を諦視し、言葉の種子を天降して、
 世界平和が実現するように祈るところの荘厳な行事なのである。
(新版『詳説 神想観』111頁)

 
昭和十一年という年は、日本国内では<二・二六事件>が起こり、
翌十二年は、中国大陸で日中戦争(支那事変)が勃発し、
暗雲立ちこめる世界状勢の中で、

谷口雅春先生は世界平和の実現を祈る
「光明思念の歌」を提唱されたのです。

・・・

「光明思念の歌」についての考察
則天去私(2020年09月01日)
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/82867100.html

       <感謝合掌 令和4年11月14日 頓首再拝>

『生命の實相』 を経営に生かす - 伝統

2022/11/15 (Tue) 04:42:45


        *『精神科学』(昭和59年2月号) より
         ~ 江上 修三

なぜ、『生命の實相』 が沢山の産業人の間で読まれるのでしょう。 
なぜ、企業人、経営者の自己啓発の参考書として読まれるのでしょう。 
なぜ人材開発や企業の活性化のテキストとして親しまれているのでしょう。

ここには、私たち一人一人の生命の本当の姿、実の姿、本質が
あますところなく解き明かされいるからです。 
これを読んで自己の無限の可能性と偉大さが自覚できるからです。 

また、この 『生命の實相』 には、宇宙の生命の創造力と、
その無限の働きの内容がわかりやすく書かれています。 

 
私たちの生命の創造力は、実は宇宙大生命の創造力と一つなのです。 
宇宙大生命 〈神の生命〉 の個性的自己顕現が
私たち一人一人の生命なのです。 

この生命の偉大さを自覚し、生命の創造原理を生かすとき
私たちは創造性あふれる生活と仕事が出来るようになります。

 
また、『生命の實相』 には生命に関する一切の真理、
生命円満完全の真理とその生かし方が書かれていますから、
あらゆる人生問題解決の鍵があります。 

ものごとには、みんな原理原則があります。 
「汝ら、真理を知らざるべからず。 真理は汝を自由ならしめん」 
と聖書にありますように、

真理を知らない無知のために起った困難や迷いや不調和や問題は、
真理を知ることによって、無駄なく解決されるのであります。

 
この 『生命の實相』 の真理を企業や職場や経営に生かすとき、
無限供給の真理、無限繁栄の真理となるわけであります。


(1)『生命の實相』 を愛読して、自分の生命の本質と
   無限の可能性を悟れば、すばらしい仕事が出来ます。

   アイデア社長といわれた市村清さんも、また松下幸之助さんも、
   かつて 『生命の實相』 にふれた方です。 

   近くは京セラの稲盛社長さん、またソード電算機の椎名社長さんも 
   『生命の實相』 の賛同者です。

 
(2)『生命の實相』 の中に伝授されている宇宙大生命と
   一つになる瞑想法なる 神想観 を毎朝夕実修することによって、
   私たちの個生命と宇宙大生命と一体融合の境地が開けます。 

   そして、宇宙大生命の創造の本源世界に
   意識的につながることが出来ます。

   ここには、地上の現実界に生み出され顕現してくる、
   一切のアイデアとエネルギーがあります。 

   それにつながるとき、豊かなアイデアマンになり、
   神なる宇宙大生命から豊かな生命力を受け、
   疲れを知らないエネルギッシュな仕事が出来ます。

 
(3)『生命の實相』 の真理をよく勉強しますと
   生命の創造の法則がわかります。 

   即ち、神なる宇宙大生命は自己黙想によって
   天地万物を創造されました。 

   従って人間は思うこと 〈心に思い描くこと〉 によって、
   あらゆるものを創造します。

   これによって私たちは必要なものを実現することが可能になります。 
   従って、繁栄も富も仕事の完成も事業の成就も思うままになります。

 
(4)『生命の實相』 を勉強しますと、
   人間は神の子であり、神の無限の可能性を地上に実現するのが
   使命であるとわかります。 

   人間は神であるから、尊敬され、拝まれたいのです。 

   そこで、人はどこに集まるのか、人は何を買いにくるかがわかります。 
   人の魂の願いを知れば、人の心の流れがわかります。 

   人の心の流れに従ってお金も物も動くことを知れば、
   魂のマーケッティング、人の心の願いのマーケッティングが出来ます。 

   これに応えてあげられる商売は何時までも栄えるということになります。

 
(5)『生命の實相』 をよく勉強すれば、富の本質が 
   “人のお役に立つアイデアの実践と人のお役に立つ働きが富にかわる” 
   ことがわかります。

   富の本質は人を幸福にするアイデアと愛の働きだとわかれば、
   神の愛を実践するという仕事を通して宇宙繁栄の流れに乗って
   企業活動し、無限に栄えることができます。

 
(6)私たちの一切の運命は私たち自身の責任であります。 
   私たちは如意自在の生命の創造力を神から与えられています。 

   その如意自在の生命の創造力とは宇宙の生命力であり、
   それを善用するのも逆用するのも私達の心の思うこと、語ること、
   見ることの自由にあります。 

   この自由によって、ふやすこともへらすことも出来ます。

  (イ) 見るものがふえる   (ロ) 語ることがふえる
  (ハ) 思うことがふえる   (ニ) 認めるものがふえる
  (ホ) 讃嘆するものがふえる (ヘ) 拝むものがふえる
  (ト) 感謝するものがふえる (チ) 愛するものがふえる
  (リ) 受入れるものがふえる (ヌ) 肯定するものがふえる
 
   この反対をすると、みんな減って行きます。 
   それは富でも愛情でも人間関係でも、能力でも、
   仕事でもお金でも、あらゆることにあてはまります。

   『生命の實相』 を毎日読んで、自らの 「生命の実相」 の
   すばらしさを自覚するとき、あなたは無限の繁栄能力を
   我がものとすることが出来るのです。

(7)『生命の實相』 を毎日読み続けるとき、あらゆる能力が開きます。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/484881c3d63667e28f7df8b912075289
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-02)

       <感謝合掌 令和4年11月14日 頓首再拝>

師は壇上に泣き給う  東山半之助 - 伝統

2022/11/15 (Tue) 15:37:00

師は壇上に泣き給う  東山半之助
seimeinojissoh(2022/07/22)
https://www.youtube.com/watch?v=UHBqMRfTCSA

       <感謝合掌 令和4年11月15日 頓首再拝>

尊師は壇上に泣き給う - 伝統

2022/11/16 (Wed) 04:49:32


   *「ざっくばらん~その道三十年」東山半之助・著(165~167頁)より

明朗とほほ笑みと和顔をモットーとせられる先生が、
一千名近い信徒と若き血燃ゆる青年大衆の前で、
本当の衆人環視の壇上に立たれて、
白いハンカチで顔を蔽われつつ咽び泣かれたことがある。

そして聴講者大衆も先生の涙に誘われて鳴咽して泣き、
中には声をあげて泣くものさえあったのは、
まさに歴史的事態といわなければならぬ。
 
昭和25年5月3日。尾道市久保町の加藤慶一郎、豊子夫妻が
半生の心血で築きあげた割烹旅館「藤半」の全域を挙げて
生長の家に寄進した。

尾道市生長の家道場で、全国青年大会が開催され、
谷口総裁、輝子奥様、清超副総裁が西下御臨席で、
全館満員の大盛況であった。

まず清超先生が青年を湧かせる名講演で大会が開かれ、
輝子奥様はあの清麗なお姿に満場の視線を集めてお立ちになり

「私の父はすでに40年前 私の12歳の時に亡くなりました。
 私は十番目の末っ子で、ことに父に可愛がられましたが、
 その父の愛はいまだに私の心の中にはっきりと生きております。

 私は日本一の父だとその当時から今もなお固く信じております。
 父は無口な性で子供たちには何にも話しませんが、
 母は子供たちに町内第一の父だと常々言いつづけておりましたのが、
 私の心の底にしみとおったのでございましょう。

 父はまた、母を生涯一人の女として深く愛しておりました。
 いま私は娘恵美子にも、先生を日本一の父だ、夫だと教えております」

と冒頭されて、女性のため感激無上の御講演があり、
やがて谷口先生が登壇せられた。

沈痛なる語調で・・・・

「今、私は家内から、日本一の夫であり、父であるとか何とか
 言われましたが……私はそのような資格あるものではないので……」

と絶句して鳴咽され、白いハンカチで涙をぬぐわれつつ、涙声で

「ほんとう言えば、こうした壇上に立って多くの人々に向かって、
 教えを説く資格が自分にあるとみずから信じ得る人が
 はたして世にありましょうか…」

と鳴咽がつづく。

満場寂して静まり返った瞬間、
たちまちあちらこちらから咽び泣きの声が、
すすり上げる声が起こると思う間に、
悲鳴に似た男の泣き声が私のすぐそばから起こった

大阪教区の重鎮星丘重一氏であると認めた瞬間、
私もとうとう咽喉の奥から泣き声がほとばしってしまった。

満場惨然たる流涕嗚咽の声、悲しみにあらず、歎きにあらず、
哭するにあらず、慟するにあらず。

ただ如来大悲の前にみずからを顧みて
「心は蛇蝎の如くなり」と自責悲涙した親鸞と同じき、
谷口先生の謙虚無執の自己懺悔の大慟哭に、
呼び醒まされた自己叱陀の涙であった。

「師は壇上に泣き給う」と語り伝えられて、
全国の本部講師と地方講師は、粛然とその言動を慎むに至った。

「寝床を他に始末させるのは豚である。講師は豚であってはならぬ」と
神誌にお書きになり、本部講師が巡講の旅先で夜具蒲団を始末する習慣が
始まったのも、この頃からである。

Web:谷口雅春先生倶楽部(2020年01月17日 )by本音の時代
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/snihonryuu/mode=res&log=3161

       <感謝合掌 令和4年11月15日 頓首再拝>

神の子の自覚と感謝の心を深めるために 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/16 (Wed) 14:02:25


心の正体 --- 「浄心行」の意義 
神の子の自覚と感謝の心を深めるために 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/07/23)
https://www.youtube.com/watch?v=1FtB_SqUVhA

       <感謝合掌 令和4年11月16日 頓首再拝>

あなたの事業が成長するために~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/17 (Thu) 04:49:32


       *『生長の家』(昭和45年4月号)より

愛をもって隣人に語り、
輝きとともに自分の心を照らし、仕事を照らし、

研究室も愛をもって仕事に従事し、
愛をもって人に接し

執筆室も事務室も、
明るい自信とよろこびの雰囲気とともに満たすように、
あなたの事業か仕事は成長するほかはないのである。

そして、神の叡智と火が合い、
神の叡智の導かれることができるようになるのである。

愛と調和と明朗の雰囲気が家庭の中に漂うことになり、
さらに『病気本来無し』 の哲学を知って、
健康が人間の本来の姿であるという自信を得て
恐怖心が離れれば、結局すべての病気は癒えると
言っても差し支えないのである。

『愛と調和と明朗と、』
抽象的にそれが分ったつもりでは効果はないのである。

摩擦にも、心の中にも、
調和した心境にならなければならないのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p31.html
晴れときどき(2014 年 4 月 5 日)

       <感謝合掌 令和4年11月16日 頓首再拝>

大日本神国観 講義 - 伝統

2022/11/17 (Thu) 13:09:26

大日本神国観 講義
妙楽天国(2018/01/28)
https://www.youtube.com/watch?v=k8lX-Ywqn0g&t=9s

       <感謝合掌 令和4年11月17日 頓首再拝>

「大日本神國觀」 - 伝統

2022/11/18 (Fri) 05:03:39


        *VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-12-08 )
         ~日本教文社第一編集部長  別 府  正 大


 わたしたちは一体どこから生れてきたのであるか。 
 わたしたちは、一体何ものであるか。 
 わたしたちの真実の父は一体誰なるか。

これは私達の現象の肉体人間のことを言っているのではありません。 
私たちの魂の深い奥底からの問いであり、魂の問いかけであります。 
これを仏教的に言えば菩提心の動きといいましょう。

私たちは、生命(せいめい)をもっています。 
しからば私達を創ったものは生命あるものでなければなりません。 
すなわち、私たちの真実の父は、宇宙の大生命であるわけです。

さらに私たちは、人格をもち、意識をもっております。 
しからば、私たちを創造したものは、大いなる自覚意識をもち、
また人格あるものでなければなりません。 

すなわち宇宙の大生命は、また愛の原理であり、神格であるわけです。

私たちは、宇宙の原理の、この人格的な顕れに対して、祈らざるをえないのです。 
この生ける神との対話をもち、出会いをもちたいのです。 

「神よ、と呼べば神こたえたまう。 
 我れ神の‘みいのち’のなかに、生かされてあり」 
 
の実感を、しみじみ味わい、身も心も、
神との暖かき交わりにて、みち足らしめたいのです。

かくて私達は神をよび、神に祈り、日々の神想観にて神との一体感を深め、
たえず神を意識せずにはおられないのです。

むしろ、かの親鸞聖人のおおせの通り、念仏申す心のおこるのは、
あの弥陀の衆生を救わんとする本願が、こちらに回向されて、
仏がさきにこちらをよびたまうが故にであるともいえるのです。

呼ぶものと呼ばれるものとの一体。 
ここに神との一体、仏との一体の救いのよろこびと自覚が体感されるのです。

さらに、ここで、われわれの日本国は、如何なる国であるか。
われらの日本国は一体何ものであるか。
われらの日本国は、一体、どこから生まれてきたものであるか。

わたしたち日本人の血の中には、こう呼ぶものがあるのである。 
すなわち、われらの日本国の実相は、いかなるものであるか。

ここに、私達は、日本の国の根源にあるもの、日本建国の理念と、
日本国の実相を翹望してやまないのである。 

真理は言う。 

   大宇宙の実相は即ち、日本国の実相なりと。 

かくて我らは、その中心帰一金波羅華の宇宙荘厳の蓮華日宝王地に
かの大日本神國觀なる神想観を通して参入するのである。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ed3d380594902053804d2a9420e580c8
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-12-08 )

       <感謝合掌 令和4年11月17日 頓首再拝>

大日本神国観 講義 - 伝統

2022/11/18 (Fri) 18:17:06



『大日本神國觀』 講義 (1)

『生長の家』(昭和42年2月号 明窓浄机 84~87頁)

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/261a6ef434c5bb4910df8f1b47db497d
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-05)


『大日本神國觀』 講義  (2)

『生長の家』(昭和42年2月号  明窓浄机 87~89頁)

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/68a6f3efd60686fb97eaa0390da272f3
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-06)



『大日本神國觀』 講義  (3)

『生長の家』(昭和42年2月号 明窓浄机  90~93頁)

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/fb3737c63ea3319f7451ae4c1a593dec
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-06)


『大日本神國觀』 講義  (4)

『生長の家』(昭和42年2月号 明窓浄机 93~96頁)

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/223dc3ba0be67fa548a44df41f96bbf2
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-06)

       <感謝合掌 令和4年11月18日 頓首再拝>

『大日本神國観』批判をただす ~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/19 (Sat) 04:45:09

『大日本神國観』批判をただす 1 ~谷口雅春先生

谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶ二〇一三年一月十日

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/22105733.html


『大日本神國観』批判をただす 2 ~谷口雅春先生

谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶ二〇一三年一月十日

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/22105889.html

       <感謝合掌 令和4年11月18日 頓首再拝>

『大日本神国観』について - 伝統

2022/11/19 (Sat) 18:25:34


        *Web:則天去私(2017年01月29日)
             http://tecnopla1011.blog.jp/archives/68756334.html
             コメント欄に寄せられた情報より

亀の子 2017年02月02日 09:52

5 合掌、ありがとうございます。

私も久しぶりに、横からお邪魔します。

『大日本神国観』については、
元本部講師 有留弘康氏の著書『大調和』に詳しく書かれております。

この本によれば、昭和41年3月号『生長の家』誌の「明窓浄机」に
現在の「大日本神国観」が発表されました。

因みに最初の「大日本神国観」の発表は、昭和16年1月号の『生長の家』誌です。
(『生長の家五十年史』より)

『明窓浄机 飛躍篇』には、昭和16年1月号の『生長の家』誌では、
『神國日本観』(別名、蓮華藏世界観)となっています。

昭和41年3月発表のものは、「大日本神国観」が
折本(谷口雅春先生著、有留弘泰揮毫)として出版されたのが
昭和41年5月(初版)が、現在のものです。

揮毫された有留弘泰氏の大日本神国の実相顕現のために、
この神想観を普及徹底しようとの努力が実り折本となった経緯があります。

ただ最初のご発表の御言葉と現在の御言葉には違いがあるようです。

       <感謝合掌 令和4年11月19日 頓首再拝>

大日本神國觀  - 伝統

2022/11/20 (Sun) 04:36:44


『生長の家』(昭和41年 3月号)

則天去私(2017年02月02日)
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/68843794.html

       <感謝合掌 令和4年11月19日 頓首再拝>

『大日本神國觀』 に就いて - 伝統

2022/11/20 (Sun) 13:20:39


       *谷口雅春先生に帰りましょう・第二
        https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1140

日時:2017年02月02日 (木) 15時49分
名前:童子

 山ちゃん1952様のブログにて話題にされておりましたので ・・・ こちらでも



 『昭和16年度秋季生長の家第51回講習会』(於:熊本)の資料として

 『大日本神国観』 『如意宝珠観』 『観普賢菩薩行法』 が配布されております。


 現在、我々が行じておりますところの 『大日本神国観』 と若干違うところがあります。



      『大日本神國觀』

 吾れ今五官の世界を去って實相の世界に入る。

 遥々と目路の限り眺むるに十方世界悉く神なり。  吾れ十方世界を禮拝す。


 中央にすめらみことの御座あり。 すめらみこと高御座に座し給ふ。

 これを周りて百官諸々の司あり、すめらみことに禮拝し奉行し奉る。

 十方に八百萬の神々あり。 護國の英霊あり、十方の諸佛、諸天あり

 中央に向ひて恭々しく禮拝し、すめらみことを守護し奉る。

 すめらみことの御座より御光さし出でて、遍く六合に照り徹らせり。

 六合照徹光明遍照 々々々々。

 天皇陛下有難う御座います 々々々々。

 百官諸々の司様有難う御座います 々々々々。

 十方の八百萬の神々様有難う御座います 々々々々。

 護國の英霊様有難う御座います 々々々々。

 諸佛諸天様有難う御座います。



童子 様へ (4786)
日時:2017年02月02日 (木) 20時49分
名前:亀の子


童子 様

合掌、ありがとうございます。

『大日本神國觀』の昭和16年発表の御言葉を紹介して戴き、誠にありがとうございます。

山ちゃん1952様のブログで、紹介させて戴いた、
有留弘泰氏著の『大調和』によれば、

戦前に発表された「大日本神国観」が、

>敗戦後日本弱体化を目的とする占領政策にかなわぬため葬り去られ、
 昭和二十八年独立後も惰性により実修せられず、
 爾来十数年「天之岩戸隠れ」の状態にあったのであります。<

その後、

>勇躍する生長の家の先覚聖徒の魂の魂の底よりの要請により、
 「まさに天の時到る」として、昭和四十年三月、谷口雅春先生が、
 更にこれを玉成強化して再授されたものが、
 現在行っている「大日本神国観」である。<

とあるので、最初の御言葉と違うと推測しておりました。


以前、「大日本神国観」のテープが絶版になった旨の投稿がありましたが、
『新版 詳説神想觀』に載せられなかった理由と通ずるものがあると感じます。


再拝

       <感謝合掌 令和4年11月20日 頓首再拝>

有留弘泰長老 - 伝統

2022/11/21 (Mon) 04:48:14


有留氏は『大日本神國觀』を戦後に復刊させた人物であります。

故有留弘泰長老の『養心健體法』と『大日本神國觀』と
『光明いろはかるた』そして『叡智の断片』

則天去私(2020年06月05日)
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/82218736.html

・・・

亀の子ブログ二〇二一年皐月廿五日
今日は、『大調和』有留弘泰著(日本教文社 昭和44年3月1日初版発行)を紹介します。
http://kamenoko4126.livedoor.blog/archives/9873797.html

       <感謝合掌 令和4年11月20日 頓首再拝>

「神想観」と偕なる生活をしましょう 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/21 (Mon) 15:19:36

「神想観」と偕なる生活をしましょう 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/08/01)
https://www.youtube.com/watch?v=-sm3O8o3syE

       <感謝合掌 令和4年11月21日 頓首再拝>

『 神の神義とその理解 住吉大神顕斎の意義 』  はしがき - 伝統

2022/11/21 (Mon) 18:51:35


        *『 類纂 神の神義とその理解 住吉大神顕斎の意義 』より

・・・・・それ故にわたしは、既に五十年間に亙(わた)って
人間の生命の実相(ほんとのすがた)が、
“ 神 ” の生命であることを 『 生命の實相 』 に於いて
説きつづけて来たのである。

かくて 私の著書 『 生命の實相 』 を読むことによって、
自己が決して 「 罪の子 」 ではなく、 「 罪悪深重の凡夫 」 でもなく、
神の生命こそ、自己に宿って、自己の生命となっており、
自己というものが 個性的に顕現した普遍的存在である という
神の真義を知り、自己の生命の尊厳と 本来の円満完全さとを自覚すると共に、

今まで、自己の罪悪意識に由(よ)るところの
“ 自己処罰 ” による色々の病気や、不幸や、遭難や、貧乏を克服して、
真の自由人となり、自己の生命を本当に尊重することによって
自己の人生を快適にして 裕(ゆた)かなる楽園たらしめ得ると同時に、

周囲の人々をも 救い得た幾多の人々の体験があらわれて来たのである。

生長の家の信者という人たちは、そのような人達の集まりである。

しかし 神は自己に内在する 「 生命の実相 」 としての神だけではなく、
色々の段階に於いて 神は無限の姿をあらわして い給うのである。・・・・・

・・・・・それ故に “ 一神即万神 ” として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。
また “ 一仏一切仏 ” として無数の如来を顕現し給い、
その使命又は役割も、個性をもって各々異り給うのである。


住吉大神の如く 宇宙天地の万物万生を浄め給うて、
地上に天国を建立(こんりゅう)する使命をもち給う神もあるのである。

最近 私は、日本の国情が混乱汚濁(おじょく)して、
日本国 本来の美しき荘厳なる秩序がなくなりつつあることを憂え、
住吉大神を 鎮護国家、龍宮無限の宝蔵を 開顕したまう
“ 場 ” であることを希(こいねが)いて、

龍宮住吉本宮を、九州長崎県西彼杵郡西彼町(せいひちょう)の
“ 大神平 (おおかみだいら) ” と称せられた土地を卜(ぼく)して、
建立したのである。

この地を 彼杵郡(そのぎぐん)と称したのは、
嘗(かつ)て天から神の祝福の黄金の杵(きね)が降って来た
という故事にもとづくと謂(い)うことである。

吾々人間の礼拝の “ 場 ” が出来ることは、
神がそこから祝福の霊波を放送し給う “ 放送局 ” が
一局 増加したようなものである。

詳しいことは 本文を読んで頂いて、神人の関係を
尚(なお)一層よく認識して、諸賢が、龍宮無量の寿福を
享受(きょうじゅ)し給わんことを庶幾(しょき)して、
この前文を擱筆(かくひつ)する。

昭和五十四年一月十六日

著者しるす



住 吉 大 神 浄 め 給 う(2017-01-11)
https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3ff5376394db7147d0c4dcbfd15d4144

       <感謝合掌 令和4年11月21日 頓首再拝>

神様のパイプとなって真理を弘めよう 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/22 (Tue) 15:07:42

神様のパイプとなって真理を弘めよう 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/08/09)
https://www.youtube.com/watch?v=IRNOBbW64Ko

       <感謝合掌 令和4年11月22日 頓首再拝>

住吉大神と谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/23 (Wed) 00:00:28

住吉大神
伝統板・第二
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7203134

       <感謝合掌 令和4年11月22日 頓首再拝>

視力を恢復するために祈る言葉 - 伝統

2022/11/23 (Wed) 04:35:52


        *『心の科學』アーネスト・ホルムス(著)より

ただ一つの完全なる実相の視力のみが存在し、 
ただ一つの完全なる “観” が存在するのである。

わが目は開かれて
われは “完全なる” “生命” を観る。

視力が不完全であるという如何なる暗示も、
わが想念に入ることはできない。

われは 「一つの神」 がすべての人を通して観たまい、
その視力は無限であると観ずる。

われは “真理” の完全なる理解そのものと一体である。
われはわが目を開いて観る。

この実相の言葉は、われを通して働き、
“今” わが目を通して成就するのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p32.html
晴れときどき(April 13, 2014)

・・・

『心の科學』アーネスト・ホルムス(著)
https://ifytreagercontinue.top/index.php?main_page=product_info&products_id=6549


アーネスト・ホームズ 「心の科學」
https://www.youtube.com/watch?v=dGw1Gb4Nb8M

       <感謝合掌 令和4年11月22日 頓首再拝>

神はすでに吾らにすべてを与え給う 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/23 (Wed) 13:20:28

神はすでに吾らにすべてを与え給う 谷口雅春先生
seimeinojissoh( 2022/09/20)
https://www.youtube.com/watch?v=wSAXP0IpdW8

       <感謝合掌 令和4年11月23日 頓首再拝>

自分が変れば一切が変る~菊地藤吉 - 伝統

2022/11/24 (Thu) 05:02:02


       *『生長の家』(昭和33年2月号 58頁 ~ )
         ~生長の家本部理事 青年部長  菊地 藤吉

「あなた、それでも生長の家ですか、生長の家を信ずる人がそんなことでよいのですか」

妻の言葉に 「しまった」 と、急所をつかまれたように苦しい。
 
以前は、妻の父と私の不調和から、
どれ程この妻を苦しめ、泣かせてきたことであったか ― 。 

それが、生長の家の御教に導かれて以来、舅や家族の皆とも調和し、
職場 (郵便局) も明るくなり、自分の心も落着き、気長にもなって、
性格もこうまで変るものかと自信ができて、
感激の中に光明化運動に情熱をかたむけてきたのであった。

それから1年半、北海道根室の北辺に、自分の住む町を中心に
4ヵ所も相愛会が発足した今なのに ― 。 

些細なことで腹を立ててつい妻をどなりつけ、
いつまでも、くどくど責めたので妻もたまらなかったのであろう。 

「悪かったなあ」 と、胸に言葉が浮んできているのに ― 、 
それより先に、自分の至らなさが、しみじみ感じられて、御教に対して申訳ない。 

しかも最愛の家内にさえこんなことを言われなければならないとは
 ― と情なくなり、

「どうせ僕は何時までも駄目なんだ。 生長の家もやめてしまった方が、
 誌友の皆さんに迷惑が掛らないだろうし」 
と涙がでそうなのを我慢して強がりを言ってみる。

しかし決して本意ではないのであって、こんな時こそ、
真理の書によって心を引き立てなければならない、と奥座敷で 
『生命の實相』 を開く。 
(昔ならこんな時にプイと表へ出て飲み歩いたものだが
 ― これだけでも有難い、と思いながら)


 「もっと自分を愛せよ。 欠点を指摘されたら喜んで直すのが自分を愛する道だ」
 「平明に自分のあやまちを承認せよ、あやまちを素直に承認される瞬間
  その人の神性は高いのである」
           (『生命の實相』 新修版 11巻 114頁等)


全く私一人のためにお示し下さったような尊師の御愛念の一節一節が、
肉を浄め、骨を浄め、心を浄め、生命を浄めて下さる。

いつの間にか、懺悔の涙がでて、しばし神想観をつづけ、
自分のニセモノを追い出すために、勇気をもって妻の前に合掌する。 
妻も内心反省していたらしく、「私が悪かったのです」 と合掌してくる。

 
そんなことが入信後1年以上経っても幾度か繰返され、
互に信仰の道に入ったのであるが、「心の法則」 だけを知って、
心の中で責め合う自分の心の‘みにくさ’苦しさから中々逃れられず、
「私達は信仰の道には向かない夫婦ではなかろうか」 と
馬鹿なことを真剣に考えたこともあった。

そのうち妻の方がだんだん御教に熱心になり、私が腹を立てても 
「私が悪かったのです」 と先に妻から詫びるようになり、
「何もあんたが悪くないではないか」 と言えば、
「どんな理由でも、あなたに腹立たせたのは私が至らないからでした」 という。

こうなると、御教を素直に実践している妻が、
自分よりはるかに尊く思われ、益々劣等感ができて、
これには随分苦しんだことであった。

地方講師もいない片田舎であったので、ともかく聖典の拝読により、
遂に私は神想観の中で  

「一切の本源は神であり、すべての人は神の使として
 観世音菩薩としてこの世に遣わされたのであるから、
 その実相のみを観ることができますように。 

 光明化運動の選士として活動するために、
 私の愛深い実相が完全に開顕されますように」  

という祈りだけを、毎日行じたのであった。


「飛田給練成道場へ行ったら必ず一切の人々の実相の完全なことを悟れます」 
と札幌の桑原裕規さんが、そのころ幾度もすすめて下さったのであるが、
「官庁勤めですから暇もないし ・・・ 」 という私に、 

「暇や金で行くのではないのです。 決意だけですよ。 
 想念は必ず実現するというのが生長の家の教えです」  という。 

「どう祈ったらよいか」 と聞くと  
「金や暇ができるように祈らなくてもよいから、既に飛田給道場に坐している。 
 と観ずればよい」  とのこと。 

 〈谷口雅春先生著 『詳説神想観』 197頁に、積極的、肯定的祈り、
  として御教え下さっている祈り方〉

その信念ある言葉に強く感動して、
唯、善のみに導き給う神の智慧に委せ切りの神想観をしているとき、
その年 〈昭和34年〉 の6月に、全逓信労働組合の全国大会が
東京で開催されることになり、北海道からの正式代議員の一人 〈共産党員〉 が
急病で出席不能のため代理として私が出席 
〈その頃私は全逓労組の役員を退いていたのだが〉 することに決議され、
そのため私は、労働組合の経費で上京した。 

ついでに、1年に20日間の法定休暇が認められているので、
手続きして、あこがれの飛田給練成に参加した時の嬉しさ ― 。

まことにも 「祈りは必ず叶えられる」 のである。 

それは神の導きは常に宇宙に充ち満ちているのであって、
善きものを与えるべく常に私達の周囲ふりそそいでいるのであり、
神の道に叶うことであれば、最も適当な時に、適当な人、事、処へ
導きが実現することを体験させて下さったのである。


しかし長い間の批判的唯物論者は何と罪深いことであったろうか。 
尊師の御教えには絶対の信をもちながら御教に比較して道場員を批判し、
練成会員が日毎に素晴らしくなってゆく姿を見ては、
批判的な自分の態度に醜さを覚え、素直になれないことに悩み、
いらいらし、だんだん悦びがなくなり、

そのくせ 「自分は 『生命の實相』 を一通り読んでいる」 と、
妙な自尊心を持ち、こんなことなら何のために練成道場へ来たのか、とさえ
思ったりしたのであるが、

今にしてみれば 「一切の現象は自分の念の影の影」 であった。

けれども飛田給道場には、谷口先生から練成会員に対する祝福の祈りと、
神の愛が充満しているのであって、いつも奇蹟的な導きが現われるのであるが、
そんな心の私にも、‘3つの大きな導き’ が現れた。 

そのことによって、真の神の愛を知らされ、
脚下照顧、愛行の実践に欠けていたことを懺悔して、
「祈りの間」 に入り、練成最後の3日間を 
「自分は日本一の優しい夫である」 と、繰返し自分の実相を観じて、
感謝と悦びに燃えて帰宅した。 

と、道場で祈ったことなどは一言も言わないのに、
帰宅して3日目の朝、食事の祈りのとき、妻が突然 
「あなた赦して下さい。 今までは、あなたにどなられる度に、
つらい、つらい、と思ってきましたが、あなたが今度帰ってからは
何もおっしゃらないのに、私が間違っていたことに気づきました」 と泣いたのである。

「どうしたの」 と聞くと、

「愛する妻をどなりたい夫は世の中にいる筈がないのに、
 私が至らなくてあなたに不満を感じさせ、その不満のために
 いらいらして私をどなったのでしょう。 

 どならなかったあなたの気持こそ、どんなに辛かったでしょうに。 
 どうか今までのことは赦して下さい」 と泣くのでした。

私こそ 「そのうちに妻に今までの横暴を詫びよう」 と思っていたのが、
又しても妻に先を越されたのです。 
しかし何という快い負けだった事か。 

「いや今までの一切は僕が悪かったのだ」 と言い切れた時の嬉しさ。

やはり自分が中心だったのだ。

「自分が変れば一切が変る」 とは何と偉大な真理であろうか ― 。


生長の家立教の使命である人類光明化運動も、
いよいよ第2次3ヵ年計画に入ったのであるが、
その人類光明化運動指針の 「第4条」 に示されているのが、 

『一切は自分の責任の自覚』 であって、この自覚の発動こそ、
真に人間神の子の生活であったのである。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ce21dcc72404b413b7fde8e74390c681
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-08)

       <感謝合掌 令和4年11月23日 頓首再拝>

無限供給を受ける道 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/24 (Thu) 13:11:51

無限供給を受ける道 谷口雅春先生
seimeinojissoh( 2022/09/24)
https://www.youtube.com/watch?v=ZuvsJm0uZoI

       <感謝合掌 令和4年11月24日 頓首再拝>

宿業を光明に転ずるには~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/25 (Fri) 04:59:41


        *『生長の家』(昭和47年2月号)より

宿命というものは、神が与えたものではないのである。 
それは生れ変りの 「前世代」〈複数〉 に
自分が “心” と “行い” と “言葉” とで
積み重ねて来た業の最後の “決算表” みたいなものである。 

その決算表を帳尻として、新年度を迎えたのが、
我らの此の世への誕生である。 

自分でつくった帳尻だから、それは自分が責任をもって
背負わねばならないが、前年度に赤字つづきの会社でも、
新年度に入って、社長の経営方針が変ると、
隆々としてその会社が栄えることもあるのと同じように、

宿命と見えるようなその人の運命も、
今世の心の持ち方と、実生活それ自体の経営如何によって、
どうにでも運命を改善する 「自由」 が人間には与えられているのだから、
宿命も宿命ではないのである。

しかしその運命の改善には “神の子” の自覚を深め、
神の叡智にどれだけ自分の心の波長が合って、 
「神の心」 をそのままに自分の生活を営むことが大切である。 

それには矢張り神想観を励むことが必要である。


「宿命と闘う」 というような “構える心” は必要ではない。 
相手を敵と見とめて心を構えるならば、
相手は一層自分を害する力を強めることになるのである。 

 
“宿命” というものは外部から自分の運命を規制するが如く
やって来るようだけれども、それは恰も癌細胞が何処か外から
人体を害するものが侵入して暴れ出したかの如く見えても、

実は外から来るのではなく、自分自身の体細胞が変形して
癌細胞となりつつ増殖しつつあるのと同じように、

宿業というものは、自分自身の善業・悪業の総結果として、
生れ変りの前世代の総決算としてあらわれて来ようとしているのだから、
それは 「敵」 ではなく、自分の積み立てておいた業果であるのだ。

だから、それが形にあらわれたら、見えざる世界に積まれた借金が、
形にあらわれて返済されつつあるようなものだから、寧ろ  

「ありがとうございます。 
 これで過去に借金した業が、形にあらわれて返済されたのであるから、
 これからは善いことばかり現れてまいります」  

と感謝合掌するがよい。

こうして心を明るい方に転ずることによって、
たとい暗い宿業が過去から積まれていても、
それを明るい方向に転ずることが出来るのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p33.html
晴れときどき(April 18, 2014)

       <感謝合掌 令和4年11月24日 頓首再拝>

『大和の国 日本 占領下の啓示とその後の論策』はしがき 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/25 (Fri) 13:52:30

『大和の国 日本 占領下の啓示とその後の論策』はしがき 谷口雅春先生 
seimeinojissoh( 2022/10/01)
https://www.youtube.com/watch?v=vvL3SGtaGCo

       <感謝合掌 令和4年11月25日 頓首再拝>

闘争主義からの脱却~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/26 (Sat) 04:56:21

闘争主義からの脱却  ―  ラジオ放送 『希望の泉』 を聞いて神経痛が治った

          * 『放送 人生讀本』(256頁 ~ 261頁)より


菊地藤吉さんは、嘗て日本共産党員として
北海道の全逓の闘争委員長をやっておられた人であります。 

きわめて真面目な人で、人類を救うためには、
どうしても、制度をかえなければならない、その制度によって
人間に配給される物質の量が変り、それによって人間の幸福の量がかわる
と言うのでありまして、共産党員の方は皆唯物論者でありまして、
この世の中は物質でできていると考えている。 

その物質でできていると考えているこの世界をよくするには
、物質的なものを破壊して行かなければならない。 

従って人間を幸福にするのは制度を破壊しなければならないというわけで、
きわめて真面目にそれに従事しておられたのでありますけれども、

 
「生長の家」 に触れられましてから、
この世界は物質の塊でできているのじゃない、
物質と見えているのは、実は心の相が現れているのである。 

いくら形をかえても、結局心が変化しなかったならば、人類は救われないのである。 
こういう気持におなりになりまして、そして 「生長の家」 の講師として
活動し、各所で講演をやっておられるのであります。


この間北海道の 「滝上」 という所で講演をやられました。 
そして講演を終りまして、演壇から降りて控室の方へ行こうとすると、
後から菊地君の肩をポンと叩く男はある。 

「おい、君、菊地君」 振り向いて見ると、「おお、下山君か」 ― 
というのは全逓の闘争委員長をしておった時に、相棒になって
大いに活動しておったところの、やはり共産党員の友達であります。

「おお、しばらくぶりだな、今日は道を歩いていると、
 君の講演会があるというので久しぶりに君の顔も見たいし、
 そして話も聞こう、どんな話をするのだろうと思ってやって来たんだが、
 君の話を聞いていると、この間ぼくが10月の11日に、
 あのラジオ放送を聞いたその時に、谷口雅春という人が、
 『希望の泉』 という時間で話しておったが、
 その時に話をしておったこととよく似たことを話しているではないか。」

 
「いや、僕はその谷口雅春という人のやっている 『生長の家』 という、
 その教えの団体に今入っているんだよ。」

「どうしてまたそんな団体に入ったのか?」
 
「いや。 それじゃ君もしばらくぶりだから、
 一緒にお茶でも飲みながら話そうじゃないか。」  

こういう訳で喫茶店に入ってお茶を飲みながら話したのであります。


そのとき菊地君が言うのに、この世の中は物質の塊じゃない、
すべてこの肉体と見えているもの、形ありと見えているもの、
あるいは制度と見えているもの、ことごとく形の現れていると見えるものは、
これは心の相というものが現れているものなんだ。 

肉体の病気だってやはり同じことなんだけれども、
心で見る通りにこの世界というものは現れて来るのである。

われわれはいままで闘争闘争と考えていた闘争によって
世界をよくすることができるんだ、できるんだ、こう思っていたんだけれども、
人を悪いと思い、そして悪いことを認めて彼と闘争して、
相手をよくしようと思ったってそれはできないんだ、

悪いと見れば悪い相が現れて来るのであって、
よくしてやろうと思っても、相手を悪いと思っている限りにおいては、
人間は決して相手をよくすることができないということがわかったのである。

本当にすべてのものをよくするのには、すべての人間は神の子であって、
初めから完全円満なものであるから、罪なんていうものは決してないんだ、
悪いやつは一人だってないんだ、皆神の子であり、仏の子であるということを
本当にこちらの心で拝みきることができた時に、相手が完全な姿になって現れて来る。 

 
すべての人間はそういうように神の子であり、仏の姿だと本当に拝んだ時に、
この世界が血塗らずして、闘争せずして完全になってしまうのだ。

 ・・・・ 菊地君がこういう話をしました時に、

下山藤太郎君は 「この間、ぼくが10月の11日にあの 『希望の泉』 の
時間に、谷口という人の話を聞いておったら、僕の神経痛が治ったのは、
その谷口と云う人の話をきいた結果かも知れない』 

と言って次のような話をしたのであります。 ――


実はその頃、私の家内が、自分の子供が思うように行かないので、
自分の子供は、悪い子だ、悪い子だ、何とかしてよくしようと思って
悩んでおった最中でしたので、ラジオ放送を聞いて、

人間は神の子で完全であると知って、
「ああ、今まで自分の子供が悪い子供だ、悪い子供だと思って、
 それをよくしようと思っておってもどうしてもよくならなかったが、
 これは自分が、うちの子供は悪い子供だ、悪い子供だと思っておったために
 そうなっておったのだ、ああ、神様こしらえた神の子なるものが私の子なんだ、
 罪なんてないのだ、罪ある子供はないのだ、悪い子供はないのだ」  

こう感じられてそこに思わず涙を流して泣き出したというのであります。

その時に、ラジオ東京の放送が、北海道では実に距離が遠いものですから、
時々音が大きくなったり消えそうになったりする

 ―  その時すうっとその音が低くなって来ましたので私 〈下山藤太郎君〉 は、
右の手を延して、ラジオの音量を加減するあのつまみをひねってぐつと廻した。 
そうしたらまた大きく聞えて来た。 家内が泣いている。 

泣いていた家内が “あなた右手が動いたじゃないですか” と言った。 
ハッと気がついてみると、2,3ヶ月前から、右手が神経痛で動かなかった。 

もし動かそうとすると痛くてたまらなかったのが、痛くも何ともなく、
手を伸ばしてラジオの 「つまみ」 を廻すことができておったのだ
ということが判ったのですね。

“あ、どうしてこんなに治ったのだろう、これは偶然に治ったのだろう” 
と私は今まで思っておったのです。 

ところが君の話を聞いた時に、
“人間は物質じゃないのだ、肉体じゃないのだ、そんな悪い者はないのだ、
病気になるような肉体はないのである” ということを聞いた時に、そうして 

“悪い子供はないのだ、悪い人間はないのだ、罪ある人間はないのだ” 
ということを聞いて私の心が変ってしまった。 

“ああ、人間は神の子だ、完全だ、呪うものは一つもないのだ” 
こう気がついた時に、その時にぼくの心が変ったのでしょう。 

そしたら、本来 “人間神の子” の完全な相がここに現れて、
そうしてこの病気が治ったに違いない。


これが下山藤太郎君の述懐だったのであります。

『生命の實相』 第1巻の巻頭に、

「生命の自性完全円満を自覚すれば神癒となって一切の病が消えてしまう」 

ということが書いてありますが、それが本当に此処に実証せられたのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/186dfb6eec69e5455a147da5c6003dcf
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-08)

       <感謝合掌 令和4年11月25日 頓首再拝>

天皇制の理念に就いて 谷口雅春先生  - 伝統

2022/11/26 (Sat) 12:23:42

天皇制の理念に就いて 谷口雅春先生 
『白鳩』誌 昭和21年3月号掲載の予定なるも検閲にて全文削除さる 
『大和の国 日本』より
seimeinojissoh( 2022/10/02)
https://www.youtube.com/watch?v=LboO-xgPPjE

       <感謝合掌 令和4年11月26日 頓首再拝>

天皇制の理念に就いて~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/27 (Sun) 04:58:28


(『白鳩』誌昭和二十一年三月号掲載の予定なるも検閲にて全文削除さる)


凡そ形あるものは、内在の『形なき形』-理念的存在の具象化せるものである。

日本が皇統連綿二千六百余年の光栄ある歴史を存続せしめ得たのは、
唯偶然の所産ではないのであって、

日本民族に内在する民族理念が終始一貫『中心』をもとめ、
その『中心』に帰趨し還帰し復元しそこより再び出発して
其処に復るところの生命の中心本体を礼拝帰一せずにはおれない
ところの其の本然性の然らしむるところであるのである。

斯く、中心者をもとめ、それに礼拝帰一せんとの本然性を、
単なる封建性であると考えることは間違いである。

事物にはすべて中心がある。
中心者の前には容易にひれ伏す素直な心情こそ、
日本人に与えられる純粋なる幼な児の如き、
『神への帰一の心』-宗教心の発露であって、
日本人の忠誠心は此の心の現われの一つであるのである。

そしてその生命の必然的礼拝の対象者として
吾々の心の中に内在する理念的実在が
『天皇なるもの』であらせられるのである。

歴代の天皇はその理念の表現として具体的天皇であらせられた。

そしてその具体的天皇は常に必ずしも理想的天皇の状態を
あらわし給うとは限らないのであって、
その時代の国民の精神状態が反映して理念の完全なる天皇にも
色々の影が反映したのである。

かくて古事記にも
必ずしも完璧なる天皇の御状態のみが書いてあるのではない。

武烈天皇の如き天皇も歴代のうちには描かれているのである。

具体的現象の天皇が如何にあろうとも
本当の天皇は理念の世界に理念的完全の天皇として
日本民族の心の中にあるのである。

永遠に完全でまします天皇 
吾々の心の中には斯くの如き理念が存在して、
それにすべての細胞的存在なる臣民の理念が奉仕しているのである

斯くの如き、有機的生命的世界観 日本民族に於ける
中心への還帰帰一の心、忠誠心があるのが欠点なのではない。

この心を利用して自己の幕府的存在の野心を満足せしめよう
とした重臣的、又は軍閥的、将軍的存在が
理念の完璧なる天皇の真象の顕現を隠覆して、
その聖明を蒙まし奉ったのである。

それは月蝕に於ける表面の暗黒的存在が、
太陽そのものにあるのではなくして、
地球みずからの影であるが如くである。

かくて、月蝕について太陽それ自体を犯罪者として
非難する如きは愚かなることであって。地球みずからが
懺悔し反省しなければならないと同じように、

国家の重臣、軍閥、将軍家的存在が、天皇の『久遠神聖の理念』の
顕現を曇らし奉ったことについて真に深き懺悔を必要とするのである。

『大和の国 日本』 谷口雅春 先生著 P89-90

       <感謝合掌 令和4年11月26日 頓首再拝>

大東亜戦争の意義と、日本人の使命 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/27 (Sun) 15:19:22

大東亜戦争の意義と、日本人の使命 谷口雅春先生
seimeinojissoh( 2022/10/21)
https://www.youtube.com/watch?v=K70l0A8RVAs

       <感謝合掌 令和4年11月27日 頓首再拝>

大東亜戦争の意義 - 伝統

2022/11/28 (Mon) 04:53:21


      *『生長する青年』昭和27年10月号)より      

「日本は大東亜民族の解放の旗幟(きし)をかかげて戦ったのである。
そして日本は侵略国として色々の汚辱を蒙ったけれども、
それは恰もキリストが十字架に釘(はりつけ)けられたのと同じことである。

「人を救いてみずからを救い得ざる者よ」と当時のユダヤ人は
十字架上のキリストを嘲笑したけれども、
この汚辱ある刑罰の中に彼は全人類を解放したのである。

それと同じく、日本は「侵略国」と云う汚名の下に侮辱され、
戦争犯罪人と称して裁判にかけられ、上衣を奪われて十字架上にのぼった
キリストのように領土の十分の四を奪われたけれども、その犠牲によって、
東洋民族は自己の内部に、西欧民族と同様に尊ぶべき人権が、
尊ぶべき「神性」が宿っていることを自覚することを得たのである。

それまでは多くの東洋民族はみずからの無自覚によって自縄自縛していたために
白色民族の支配下に土地はその植民地となり、人間は奴隷の如き生活を
送っていたのである。

日本の蹶起(けっき)のために多くの東洋民族は目覚めた。

西洋民族と同じように彼らも神が平等に造った神の子であり、
「何でも出来るぞ」という自覚を得たのだ。

かくて東洋民族は続々として白色民族の桎梏から解放されて独立したのである。」

http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html より抜粋)

       <感謝合掌 令和4年11月27日 頓首再拝>

如意自在の生活法①~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/28 (Mon) 15:55:33

如意自在の生活法①
無礙光(2014/07/18)
https://www.youtube.com/watch?v=Tw--4Ph9ea0

       <感謝合掌 令和4年11月28日 頓首再拝>

如意自在の生活365章~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/29 (Tue) 04:54:49


     *『如意自在の生活365章』はしがきより

わたしは『幸福を招く365章』をその第一冊として
「何々の365章」と題して人生に生き甲斐を与え、健康を増進し、
企業が自然に繁栄する「心の法則」又は「心の科学」の本を
数冊書いてきたのである。

1年365日に分けて、読者に毎日約1ページ前後の”霊感”を与える
”真理の言葉”を提供して、その人の生き甲斐を鼓舞し、
人生を爽快なものとし、調和と健康と繁栄を自己の人生に創造する
書物を書くことをこのシリーズの目的としたのは、あまりに此の人生は
科学知識の発達と共に多忙すぎるようになって来たからである。

しかし物質科学の知識は発達したけれども”心の科学”は発達せず、
人間の生活は跛行的なものとなり、
ただ物質の豊富と肉体の快楽とを追求して、
狭い地球上に多勢の人間が犇(ひし)めき合い摩擦し合っていて、
彼ら人間は真の幸福を得る道を知らな過ぎたからである。

イエス・キリストは
「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」
といったが、

多くの人達は物質の豊富と肉体の享楽を追求して忙しく、
東奔西走すればするほど、人生は益々複雑にして摩擦多きものとなり、

多くの若い人たちはノイローゼのようになり、
相当の年輩に達した人たちは色々の原因不明の変な病気や
治療不可能の癌症状等の病気にかかり、

繁栄を求むれば、他の繁栄を追及する人たちの利益と衝突し、
人生は修羅の巷と化し、人々は真の幸福から遠ざかって
行きつつあるのが現代の人間模様であると言ってよい。

このような跛行的な人間生活が生まれて来たのは結局、
物質と肉体の科学は進歩したけれども、
人間は心の科学も霊の法則も知らない片手落ちの発達を遂げた結果、

彼らは真理を知らず、
古代の巨大動物があまりに角が大きく発達した結果、
全滅してしまったと同様に、

自分の巨大知識によって自縄自縛の状態に陥り、真の自由を失って、
今や全人類が精神的に滅亡しようとしているのである。

そして彼らは藻掻(もが)けばもがくほど足を海中の藻にまつわられて
煩悩海(ぼんのうかい)深く沈没して行きつつあるのが現状である。


この際、この時、何が必要であるかといっても、
イエスがもう二千年も前に警告した如く
「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」である。

煩悩海中深く溺没(できぼつ)しつつある人間を
海上に浮かびあがらせて、人間に真に自由と解放とを与え得るものは、
もう物質方面の知識ではなく、人類が「真理」を知ることである。


その真理を365日の「毎日の言葉」として提供せんとするものが、
此の、人間に真の幸福を知らせるこの365章シリーズである。

このシリーズは人間知によって書かれたものではないのである。

このシリーズのうち、この『如意自在の生活365章』は、
恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきものであり、

わたしが激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを
最も受け易い状態になり、

わたしの霊が西アフリカのガーナ国の黒人の求道青年
プリンス・J・ブラックソン君の夢にあらわれて
人間・神の子、本来完全自由の真理を説いた結果、

彼がその夢中のうちに授かった真理を大衆に向かって説きはじめると
数年のうちに6万の信徒を得、大きな教会建物を造営し、

やがて彼ブラックソンは一昨年、日本に来たって、わたしが彼の夢中に
あらわれた真理の伝授者であることを確かめ、2ヶ月間日本に滞在して
更に深く真理を伝えられてガーナ国に帰ると、今では彼からの通信によると、
彼は既に60万人の黒人信徒を獲得したということである。

それはさておき、そのように私が霊感的状態になっていた頃の期間に
「法語」として書きつづけて来た真理を一冊にまとめたものが
本書であるから、

本書の全巻は、生きてピチピチ現に魚發(は)ねている”真理“の書だ
ということが出来、読者のたましいに真理が直接つたわると思う。

わたし自身が本書出版のため校正をしながら、
自分でその真理の表現に感動し、読みながら、
今や八十五歳に垂(なんな)んとするわたしが、
自分で書いた本に感動して若返った感じがするのである。

特にその第一章には深い真理が書いてあり、
それに続く各章には、実際に処する場合の心の法則が詳細に
説明されているのである。

老いも若きも、本書を読むことによって
無量寿の人間生命無限力の自覚を、
新たに生まれ変わった自覚を
得ることになるのであろうと信ずる。


本書は今後、生長の家の各県の道場で毎日催されている
神性開発一般練成会のテキストとして用いられることになるが、
先ず最初に今年の10月の京都府宇治市塔の川にある
生長の家別格本山での3日間にわたる詳蜜講習会の
テキストとして用いるべく、校正を急いでいるのである。

各県の道場での神性開発練成会に参加して、
真理の直接伝授を受けたい方は、本書の巻末に、その道場所在地を
書いておいたからそれを参考にせられるがよい。

読者諸賢が真の祥福を得られんために祈りつつ、この序文を終わる。


      昭和52年9月10日

                         著者しるす

       <感謝合掌 令和4年11月28日 頓首再拝>

世界一周講演旅行時の谷口雅春先生のメッセージ~仙頭 泰 - 伝統

2022/11/29 (Tue) 14:35:29

世界一周講演旅行時の谷口雅春先生のメッセージ  
仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)
seimeinojissoh( 2022/04/211)
https://www.youtube.com/watch?v=E2pahNzg_y8

       <感謝合掌 令和4年11月29日 頓首再拝>

世界一周講演旅行時の谷口雅春先生のメッセージ - 伝統

2022/11/30 (Wed) 04:53:31

世界一周講演旅行時の谷口雅春先生のメッセージ
    仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)
 
昭和三十八年(1963年)三月十日、谷口雅春先生ご夫妻は
世界一周、七カ月間の御巡錫の旅に出かけられました。

この日の東京は雪が降り白一色で清浄な雰囲気に包まれていました。

谷口雅春先生は、世界一周の御巡錫をするにあたり、
「このたびの講演旅行の目的」について発表されておられます。

この頃は、世界の各地にいる数多くの信徒の間から、
自分の生涯に一度だけでもよいから直接谷口雅春先生にお会いして、
神理のお話を伺いたいとの切なる願いが澎湃として起っていました。

実際に御巡錫が゙始まりますと、現地での信徒の方々の歓迎ぶりは
言葉で表現できないほどの熱烈なものであり、
また数多くの奇跡がありました。

その当時の様子の記録は、谷口輝子奥様が『世界を旅して』と
題する前編、後編の二冊の本でまとめられています。

この本には旅行中の講演筆記や興味ある海外事情の観察記録などが
たくみなペンのながれで書かれてあり、今読みなおしても
当時の光景がまざまざと目の前に浮かんできます。

 
さて、この講演旅行の目的という御文章の中に、
谷口雅春先生が旅行を必要であると感じられたのは、

「真理運動をしている自分たちが、単なる個人の治病に
 止まっていてはならないという急迫した要請」

を霊感されたというのであります。

世界平和に絶対必要なのは「人類の潜在意識の浄化」であり、
このことを世界の政治家や学者や宗教家に訴える努力の必要なことを
強く感じられたのであります。

私は、或るアメリカの心理学者が、キリスト教会で毎日曜日に繰り返し、
「人間は生まれながらにして罪深い存在である」という説教をしているが、
これは戦争の心的原因であると述べていたことを思いだします。

 
谷口雅春先生は、戦争は先ず「人間の心」に発生し、
ついで現象界に顕れてくるのであるから、戦争を防止するためには、
人間の心の中に「一つの神から生まれた一つの人類」、
即ち「人類はいのちの兄弟姉妹だ」という思想を徹底的に、
潜在意識の底まで浸透させる必要があることを説かれるのであります。

皮膚の色が違うという理由だけで、
人間を差別するのは間違った観念であります。

 
谷口雅春先生は

「戦争は、人類意識の自己処罰から生まれるのであるから、
人間は罪の子であるという偽の信仰を除き、人間は神の子であるということ、
即ち原罪なき清浄受胎ということの自覚を通して、
本来自己処罰の必要なしということを徹底的に人類の潜在意識に
銘記させるということは、至上の重要性を持つのである。」

と述べておられます。

谷口雅春先生は、人類に世界平和をもたらすためには、
全人類の思想と信念を一変させることが、
現在至急に必要だということを感じられ、
「人間・神の子」という本当の信仰をもって、
いつも神の愛に護られて、随処に主となる生活を展開することを
望んでおられることを強く感じます。

世界平和のために、生長の家が「万教帰一」の旗印のもと
「人間本来神の子・原罪本来なし」と、光の進軍を進めることが
如何に大切なことであるかを、あらためて考えさせられるのであります。

 
谷口雅春先生は昭和四十七年三月から四月にかけて
アメリカ、カナダ、メキシコに二度目の海外御巡錫をなさいました。

そのときに、谷口雅春先生は如何なる話をすべきかを、
毎夜、神にお祈りになられました。そうしておられましたら、
「暁方(あけがた)に目覚めたときに夢うつつの如き心境に於いて、
神がわたくしに真理を、"かく語れ"というかのような意味の声を聞いたのである。」
と述べておられます。

 
谷口雅春先生は神が諄々と説き給うのを聴いておられたのです。
そのときに筆記されたのではなく、唯、神が谷口雅春先生に
繰り返し告げ給うた言葉を記憶によって再現して、
それを文章表現したものが『神真理を告げ給う』と題する本なのであります。

この「はしがき」の中に次のようなお言葉があります。

「従ってその文中"わたし"とあるのは
 "神"御自身のことであって谷口のことではない。」

と述べておられることです。

私には、「生命の實相」第一巻にある「『生長の家』とわたし」の
ご文章が浮かんできます。つぎにその要点を抜粋させていただきます。  

「なかにはわたしを教祖あつかいにしてくださる誌友もあるが、
 わたしは『生長の家』の教祖ではない。わたしは諸君と共に
 『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく
 生きて行こうと努力する一人の求道者にすぎない。」

 
「しかしもし『生長の家』に教祖というべきものがあるならば、
 この地上のわたしではないであろう。」

 
「およそ宗教的な深さをもったものは、
 それが教えであると芸術であるとを問わず、
 その源は霊界にあるのである。

 古来から神品といい神徠といいインスピレーションと
 いったのはこれである。

 われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に
 放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。」

 
「それと同じくわれらがいっそう高き世界より来る
 思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に
 調子を合わさねばならぬのである。

 ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの
 波動に感ずるように訓練しなければならない。」

 
「この訓練がたりないとき雑音が混じる。
 受けるインスピレーションが不純なものとなる。
 もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、
 それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に
 『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。」

この御文章は、立教当初のものでありますが、
谷口雅春先生の御著書を年代ごとに紐解いて行きますと、
その中を貫いている力強い一筋の神理の光が、
ますます強く私たちに迫ってきて、谷口雅春先生の偉大さを
強く感じ、み教えにふれた喜びはますます強烈に拡大し、
「われ今何を為すべきか」と自己の使命感が高揚してくるのであります。

『神真理を告げ給う』の御著書の
「第一章宇宙及び人間の創造について」の一番初めのところに
つぎの如く述べてあります。

「 "わたし"は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。
 君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、
 色々の学者の説を読み、それに基いて思索をし、
 既に人生の意義を知ることが出来た人もある。

 しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や
 既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで
 実際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではない
 のだという絶望感で、"聖なる求め"を放棄している人もある。

 そのような人たちに"私"は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念
 によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

 
かくの如き谷口雅春先生は、常に神に祈り、神から授けられた啓示を、
私どもに伝道し続けられたのでありました。

先生は何時でも『聖経』を携帯しておられ、
旅先の乗り物などの中でも讀誦をされたり、
また神想観をされたりしておられました。

勿論、乗り物の中で原稿をお書きになることもありました。

或るとき先生が笑いながら、
「自分ほど原稿を読み直す人間はいないだろうね」とおっしゃいました。

それは、原稿を日本教文社に送付され印刷原稿で返却され、
校正されそれを送りかえされ、さらにまた再校を御覧になり
間違いのない原稿にして送付されるからだそうです。

このような先生のご努力 ご愛念の結晶が私たちの手元にある本なのであります。

 
このように谷口雅春先生は、
神理を誤り無く人々に伝えるご努力をしてくださいました。

私たちは御著書を拝読するときに、先生の深い御愛念に感謝しつつ
「文底の秘沈」を読みとらなくてはならないと思います。

谷口雅春先生の御著書の「はしがき」で公式に最後のものといわれるものは、
『実相と現象』と題する御本の「はしがき」であります。

これには「昭和六十年五月二十八日 著者 谷口雅春 識す」と
署名がされています。

谷口雅春先生は、昭和六十年六月十七日、午前七時五十三分、
九十一歳の天寿を完うされて神界に還られました。

ですからこの「はしがき」は帰天される二十日前に
お書きになられた原稿であります。

私はいつもこの「はしがき」を拝読しては、
谷口雅春先生が如何に偉大な霊的指導者であり、
優れた神の預言者(豫言者ではありません)であられたかを
しみじみと追慕するのであります。

その「はしがき」の中の終わりの部分のご文章をここに抜粋いたします。

 
「このような文章― 神の言に接する毎に、私は畏れ平伏すのである。
 そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、
 谷口は十二分にお応えし得たであろうか、
 この九十余年の生を以て些かの悔いることなく尽くし得たであろうか、
 と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。

http://hikarinoshingun.giri.jp/02-gyouseki/0201gysk-sendou-kouen/03sekai-kouen.htm

       <感謝合掌 令和4年11月29日 頓首再拝>

谷口雅春先生を語る~仙頭 泰 - 伝統

2022/11/30 (Wed) 11:45:43

谷口雅春先生を語る  仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)
seimeinojissoh( 2022/04/22)
https://www.youtube.com/watch?v=PMnFKmPBIvA

       <感謝合掌 令和4年11月30日 頓首再拝>

谷口雅春先生を語る~仙頭 泰 - 伝統

2022/12/01 (Thu) 03:48:02

                                       
http://hikarinoshingun.giri.jp/02-gyouseki/0201gysk-sendou-kouen/19-sensei-wo-kataru.htm

(以下は抜粋です))

(1)谷口雅春先生は宗教の面から言えば、何千年に一遍といった形で
   この地上に天降ってこられて、人類のために神理を説かれる方である
   と思います。

(2)谷口雅春先生は、「無為にして化する」という方ででありまして、
   海外御巡錫のお供をして、ニューヨークの国連本部に行った時のことです。

   先生御夫妻が国連の内部を見て廻られた時に、
   外国の人達が、先生御夫妻を見て
   「あの方は、一体どういう方なのですか。」と、尋ねるのです。

   谷口先生御夫妻から出る、雰囲気・オーラーが全く違うというのです。
   側に居るだけで、心が安らぐというのです。

(3)、昭和五十七年〔一九八二年}十二月号の『動向』誌に投稿されました、
   「耿耿の言」・《教科書に日本の誇りを》

(4)戦後、間もない頃に生長の家青年会全国大会を神田の共立講堂を
   借用して開催した時の事。

   輝子奥様のことば

   私は『谷口先生の第一の弟子』。
   それは、先生の為なら、いつでも自分の生命を投げ出すことが出来る
   ということです。

(5)神様は宇宙に遍くみちみちていらっしゃる、
   だから我が内にもみちみちていらっしゃるのです。

   『わが魂の底の底なる神よ!無限の力、湧きいでよ。』

   常に内なる神に呼びかけましょう。

(6)谷口雅春先生御夫妻が昭和三十八年三月十日に日本を出発されて、
   七か月間に亘る海外御巡錫をされた時に、世界平和のために絶対必要な
   「人類の潜在意識の浄化が必要であることを、世界の政治家や、
   学者や宗教家に訴える努力をしょうとされました。

   戦争は先ず「人間の心」に発生し、次いで現象界に顕れるからです。
   戦争を防止するためには、人間の心の中に「一つの神から生まれた一つの人類」
   ――即ち「人類は兄弟だ 」という思想を徹底的に銘記させることが
   絶対に必要であると云われたのであります。

(7)谷口雅春先生は、神よりの大きな使命を感じられて、
   世界の各地で講演をなさいました。

   聖書に出てくるような奇跡が現実に色々と起こりました。気象までもです。

(8)ニューヨークでのこと

   谷口雅春先生が、人間は誰でも、使命を持ってこの世に生まれてくること、
   あなたでなければ出来ない使命を神様がお与えになっていること、
   神様はあなたが生きていることだけでもお喜びであることなどを話されました。

   そして本当の人間は「霊的実在者であり、生き通しの生命であり、
   本来完全円満なすばらしい存在である」ことなどを話され、
   お話はどんどんと佳境に進んで行きました。

   「神様は私達一人一人をみんな自分の子供として、
    心から愛して大切にしておられるのですよ。
    誰一人として、神様の愛の御手から離れることは出来ないのですよ。」

   全人類が「原罪なき清浄受胎」であると自覚したときに、
   世界が感謝・合掌・礼拝し合うすばらしい状態になるのです。

(9)「『碧巌録』終講の辞」と題する、谷口雅春先生のご遺稿から

   三界は唯心の所現でありますから、皆さん自身の心境如何に
   よりまして何事も、そんなに力まないでも何事でも、
   自分の日常生活が円滑に滞り無く行われる
   ――円滑現象が起こるようになり得るのです。

(10)『神真理を告げ給う』

   「私はかって『神真理を告げ給う』と題する本を著した。
    それは私の名を冠してはあるが、決して私の本ではなかった。

    それは神が、私の二度目の海外巡錫の講話の内容につき、
    暁方の夢うつつの如き目覚めの心境に於いて、
    “真理をかく語れ”と導き給う内容であった。」


   「“私(神)”は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、
    今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」


   「“本当の教祖”というべき“真理の啓示者”は
    “実相世界”にある“神”のみなのである。」

(11)昇天20日前のご文章

   「谷口に賜った神々の大いなる恩寵」に心から感謝を捧げられ、
   そして谷口雅春先生の魂の悦びが全宇宙に拡がってゆくさまを
   心眼にご覧になられたことは、前述の通りです。

   私達の言葉で表現するならば、
   「与えられた使命を、百%やり遂げた、否、百十%、否、
    それどころではない百二十%完全にやり遂げたぞ」

       <感謝合掌 令和4年11月30日 頓首再拝>

希望の夢を描きましょう~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/01 (Thu) 14:56:08

希望の夢を描きましょう~谷口雅春先生
seimeinojissoh( 2022/04/16)
https://www.youtube.com/watch?v=vLKdu_9qBME

       <感謝合掌 令和4年12月1日 頓首再拝>

心に夢をえがけ(「生活読本」P55~57)~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/02 (Fri) 04:54:59

希望の夢を描きましょう(「生活読本」第6章)

心に夢をえがけ(「生活読本」P55~57)


心に夢をえがくということは
何でも大きなことを成し就(と)げるのに大切な事であります。

夢をえがくと言うのは、決して出鱈目なことを考えるのではなく、
「必ず出来る」と未来に起こる善いことを心に思い浮かべることであります。

コロンブスは、これから西へ西へと進んで行けば大陸があると、
まだ肉眼に見えない世界を心にえがいて突進して行きましたから、
とうとう其の心にえがいたアメリカ大陸を発見したのです。

まだ見えないが、心の眼でじっと未来におこって来る善き世界を、
善き状態を、一層よき自分を、心に描くことを「夢を描く」と云うのです。

       <感謝合掌 令和4年12月1日 頓首再拝>

谷口雅春先生の海外での思い出~仙頭 泰 - 伝統

2022/12/02 (Fri) 14:54:59

谷口雅春先生の海外での思い出  仙頭 泰
seimeinojissoh( 2022/04/21)
https://www.youtube.com/watch?v=YHdYeaiwja4

       <感謝合掌 令和4年12月2日 頓首再拝>

谷口雅春先生の海外での思い出~仙頭 泰 - 伝統

2022/12/03 (Sat) 05:01:10

谷口雅春先生の海外での思い出
仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)
http://hikarinoshingun.giri.jp/02-gyouseki/0201gysk-sendou-kouen/10kaigai-deno-omoide.htm

(後半の谷口雅春先生の言葉を抜粋)

夢にあらわれた人物が、諄々と真理を説き、
その夢を見た人が、その説かれたる真理を明確に憶え、そ
の憶えた真理を人々に伝えると難病が治ったり、
色々の奇跡的功徳をあらわしたところに特に神通的な現象として
人が驚くのである。

それはどうしてかというと、霊は四次元的存在であって、
第四次元の通路を経るのであるから、
縦横厚みの三次元の廻り遠い距離を通るのではないので、
地球の裏側に達することも、別に遠いことではないのである。

わたしは、こうしてアフリカやブラジルを
翔けめぐって人類救済に忙しいのである。

しかし私の肉体はやはり日本にいるのである。

日本にいながら全世界を翔けめぐって人類救済する。

このような神通力を六神通のうちの神足通と称するのである。

       <感謝合掌 令和4年12月2日 頓首再拝>

自己表現としての世界~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/04 (Sun) 04:53:05


       *『生長の家』(昭和33年8月号)より

この世界は自己表現の世界である。 
自己の内部に播かれたる普遍的にして個性的な天分を表現したとき、
その人は悦びを感ずるのである。
 
母親は子供に対する愛情を完全に表現し得たとき、
母親としての普遍的な悦びを感ずる。 

しかしその表現の仕方は個性的であって、
ひとりひとりの母親によって異るのである。 

だからこれを 「普遍的にして個性的な天分の表現」 と言うのである。

良人は妻を愛し得たとき良人としての普遍的な悦びを感ずる。 
しかしその愛し方は個性的である。  

宗教家は信仰をその体験と説教とを通じて表現し得たとき、
宗教家としての普遍的な悦びを感ずる。 
しかしその体験と信仰とは、その人に独特の個性的なものである。  

美術家は美を表現し得たとき普遍的な悦びを感ずる。 
併しその美の表現の仕方は個性的なものである。  

この世界はまことに普遍的にして個性的な表現の世界である。

この世界は自己表現の世界ではあるけれども、
自己表現を遂げるがために、他の人の自己表現を妨げたり、
他の人に苦痛や不幸を与えるようなことをしてはならないのである。 

何故なら、此の世界を表現している 「奥なる生命」 は
すべてのものが一体であり、互に侵し合うことなく
調和した生かし合いの世界であるからである。 

これが 「実相の世界」 の秩序である。

だから此の 「実相の世界」 にある善きものを
現象界に調和してあらわすには、他の幸福を侵すような形で
それを求めてはならないのである。 

他を侵すような形に於いて求めるならば、
それは実相の秩序と相反することになるから、
実相の世界の秩序と波長が合わず、
求むる事物が得られないことになるばかりではなく、

若し、それが得られたら、実相の秩序が崩れて
不調和な状態に苦しむようになるのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p33.html
晴れときどき(April 16, 2014)

       <感謝合掌 令和4年12月3日 頓首再拝>

平等”と“混沌”とを混同してはならない~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/04 (Sun) 18:10:49


       *『白鳩』(昭和39年12月号 72 ~ 74頁)より

社会的身分  ―  “平等”と“混沌”とを混同してはならない、 
憲法第14条の問題点


現行の日本国憲法第14条には 
「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、
社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に於いて、
差別されない」 とありますが、

「法の下に平等である」 ということを、
あらゆる ‘人間関係に於いて平等である’ 
という風に解釈されているらしく  

〈注:法の下に平等とは、大人でも小児でも泥坊をしたものは、
 同じように平等に法律によって裁かれるという意味で、
 大人も小児も同じ身の丈の着物をきせるような取扱いせよということでもない。 
 それなのに〉  

学校の先生も、生徒も平等の権利を主張し、両親も子供も、
兄姉も弟妹も平等の権利を主張して、長幼の序も師弟の宜も
へちまもない現状であります。

だいたい 「平等」 ということを 
「混沌」 と同意に解しているらしいのであって、

「平等」 は秩序の一形式であるけれども、
「混沌」 は味噌も糞も一緒クタの無秩序のことを言うのであります。

 
先日、戸塚文子さんは、日経新聞で、戦後の先生と生徒の関係を
次のように描写して、嘆いておられるのでありました。

「戦後の先生がたは、人間味豊かになられた。 それはいい。 
 生徒の心の中に、はいりこんで、親しみ深く指導されようと、
 努力していらっしゃる。 その方針も、悪くない。 

 だが、友だちみたいに、なれ親しむ度が過ぎるあまり、
 生徒の線まで、下落なすっては困るのである。 

 平たくいえば、親しまれてもナメられるな、ということだ、

 まして、生徒やPTAの人気を気にして迎合なさるようでは大困りだ。 
 いわんや、手におえなくなった生徒をこわがって、おっかなびっくり、
 へっぴりごしで、おつき合いになるのでは、もはや教育とはいえなかろう」

このような状態が大多数の、“平等” と “混沌” とを
穿きちがえた日本の教師と生徒との関係なのであります。


前掲の憲法第14条にある 
「社会的身分により ・・・ 差別されない」 とある 
「社会的身分」 という人間関係は、教師と生徒 ― 師弟の関係をも
含んでいるように見えるのであります。 

だから先生も生徒も同一の権利をもっていて
差別されないというように解釈されます。

 
師弟の関係だけではなく、親子関係に於いても、
これを社会的‘身分’によって差別されないという風に
解釈されているらしいのであります。 

社会的身分というのは、親子関係、夫婦関係などが含まれているのである。 
だから 「身分証明書」 というのを役場から貰うと、
そのような関係のことが書いてあるのであります。 

それだから親も子も差別がない平等の権利があるというので、
最近では、両親が子供に対してビクビクしている。 

親が、「これは善事である」 「これは道徳的である」 と思っても
それを子供に対して強制することができない。 

親が肉食をいやがっても、娘が牛肉を買って来て平気で食べても
それをやめさせる権利を親はもっていない。 

親は始終、食卓で腹を立てているので、
彼は始終胃が悪いというような家庭もあります。 

「手におえなくなった子供を、おっかなびっくり、へっぴり腰でおつき合いを」 
子供にねがっているのは、教師ばかりでなく、
両親も同様のように見えるのであります。 


これだから青少年に非行者が続々あらわれても致し方がない訳です。 
彼等は 「平等」 と 「混沌」 とを間違えているのであります。 

頭も、口唇も、肛門も、一列の平面に置きならべて、それを平等だと考え、
「口が物を食うなら、俺だって平等の権利があるから、
 肛門にも物を食わせろ!!」 というのに似ています。 

これは 「混沌」 であって 「平等」 ではないのであります。 
しかしそのような間違った解釈がでて来るのは日本国憲法第14条の
条文がわるいからであります。

 
本当の平等ということは、「平等即差別」 「差別即平等」 と
いうことがわからないと、本当には理解できないものであります。

平等ということは 「人間」 の実相はすべて “神の子” であり、
仏教的表現をもってすれば、「一切衆生悉く仏性あり」 ということです。 

みんな平等に仏性を宿すのである。 
しかも柳は緑、花は紅、それぞれの天分にしたがって差別があり、
これは “生け花” にでも活けるならば、
天地人おのおの位置を異にすることによって全体に統一的美があらわれる、

これが真の “処を得せしめる平等” なのであります。 

美が其処にあらわれるということは、
そこに生命が生き生きとあらわれたということであり、
更に宗教的にいうならば其処に神があらわれたということである。 

これが 「本当の平等」 であって 
「差別されながらに平等」 であり、
「平等そのままに差別がある」 のであります。

ところが現代の多くの人々には、それがわからないで 
「平等、平等」 と権利を主張して、“秩序” を破壊し、
“混沌” の世界に逆戻りすることを民主主義の生活だと、
青少年も、先生も、子供も生徒も学生も考えているから、
国内にいつも混乱と争闘とがみちみちているのであります。 

この擾乱を基本的にバックしているのが現行の日本国憲法であります。 

これでは 「日本は何処へ行く?」 と嘆かずにはいられないのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/267250df99685ecaeea808ce7d01576a
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-10)

       <感謝合掌 令和4年12月4日 頓首再拝>

如意自在の生活法② - 伝統

2022/12/05 (Mon) 05:00:55

如意自在の生活法②
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=cOgXyfypSo0

       <感謝合掌 令和4年12月4日 頓首再拝>

生命の實相講義~徳久克己 - 伝統

2022/12/05 (Mon) 15:37:26

生命の實相講義 01a 徳久克己
妙楽天国(2018/01/28)
https://www.youtube.com/watch?v=H8qcj3nPjR4

       <感謝合掌 令和4年12月5日 頓首再拝>

善意、深切、愛念~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/06 (Tue) 04:55:33


       *『生長の家』(昭和47年2月号)より

善意も深切も愛念も、それは人生に咲いた美しい花である。 
しかしそれは凋み易い可憐な花である。 

それは実行に移さなかったら、果(み)を結ばないで
散ってしまう花である。

しかも、それを実行に移しても善き果を結ばないで
却って誤解を招くことがある。 

歴史を繙いてみても、善意の人間が逆遇せられ、
困難に遭遇し倒れてしまった実例は沢山ある。 

それは、何処で何を如何に誰になすべきかの四相応が得られなかった結果である。 
この四つの適行が出来るためには神の叡智を頂かねばならぬのである。 

そのためには 『神想観』 を怠らぬことである。

善意をもって、その実行中に倒れてしまった人と、
善意をもたずに利己一点張りで、大いに栄えた人との
魂の価値はどちらが高いであろうか。 

現実的世界に於ける評価は後者の方が時には高いことがある。 
併しその人が現象世界を去って、魂が霊界に往った後の評価は、
現象界とは異る霊界に於ける価値判断の基準がある。 

そこは “霊” の世界であるから、
物質的成功は、評価の基準にならないのである。

彼が如何に善意をもち、彼が如何に人間及び生物を愛し、
彼が如何にそれを実践しようとして忍耐づよく
意志の努力をつくしたかが基準になるのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p33.html
晴れときどき(2014 年 4 月 15 日)

       <感謝合掌 令和4年12月5日 頓首再拝>

生命の實相講義 01b 徳久克己 - 伝統

2022/12/06 (Tue) 13:56:41

生命の實相講義 01b 徳久克己
妙楽天国(2018/01/31)
https://www.youtube.com/watch?v=glbwGXC8hvk

       <感謝合掌 令和4年12月6日 頓首再拝>

幹部は菩薩たれ~谷口清超先生 - 伝統

2022/12/07 (Wed) 04:58:59


     *昭和59年3月31日 
      生長の家幹部養成学校 第1期生卒業式 での御言葉

幹部というのは生長の家の場合は
菩薩行をやる人でありますから、人を救わなければならない。

この複雑な社会で私たちが菩薩行をやっていこうとすると、
こういう人は救うがあとの人は知らんというのではニセモノである。

患者を選ばない僻地の医者のように、あらゆる人を救わなければならない。 

しかも心の医者であるから中々難しい。

だから、これからがまた修業であり、卒業は従ってないのである。


皆さんは生長の家本部で菩薩行をやろうと決心された。 
それは尊い素晴しいことであります。

その決心を崩さないだけではなく、
教養を深めれば深めるほど益々謙虚な心をもって欲しいと思う。

その逆を行ってしまうと、少なくとも宗教的幹部とは言えない。


私も死ぬまで勉強するし、修業するが、
死んでからでもやろうというわけでありますから、
皆さんもしっかり人生研修に励んで下さい。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/135d24060d57552f45e3876b0ad8988e
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-10)

       <感謝合掌 令和4年12月6日 頓首再拝>

如意自在の生活法③~谷口雅春先生 - 伝統

2022/12/07 (Wed) 14:38:41


如意自在の生活法③
無礙光( 2014/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=mH2TCfKg0c4

       <感謝合掌 令和4年12月7日 頓首再拝>

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