伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨ - 夕刻版

2022/10/17 (Mon) 14:47:09


神に心を振り向けましょう 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/04/17)
https://www.youtube.com/watch?v=3OIcZMrMiSU



・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989007


(10)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6620484

(11)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7220053

(12)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7912130

        <感謝合掌 令和4年10月17日 頓首再拝> 

愛は正しさよりも尊い~谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/18 (Tue) 04:59:04


民主主義時代だからすべての人間は思想の自由がある。 
何を考えようと勝手だ ― と云うことはただ机上の抽象論にすぎない。

家族の意見がテンデンばらばらであったならば、
その家庭は常に意見の衝突があって誰一人幸福である訳には行かない。 

人間が社会的生物であり、愛によって幸福感を得るようにつくられている限り、
家族の思想が大調和してのみ幸福が得られるのである。

その人が抱懐する思想がその人及び周囲の人々に
幸福をもたらさない思想であるならば、
それは “正しい” かも知れないけれども、
“愛にそむく” ものである。 

そして “愛” は “正しさ” よりも尊いのである。


家庭に家族が心の中で争っているようでは、
始終子供が病気したり、事業が旨く行かなかったりする。 

事業が旨く行くならば、その家の主人が二号さんをこしられたりする
ような色々の困難が起って来るものである。

 
どんな良人でも、みんな妻を愛し子を愛しているのである。 
若し妻を愛しない良人のように見えるならば、
それは妻の心の影が映っているのである。

「自分は良人を本当に尊敬しているか、
 自分は本当に誠心(まごころ)をもって良人につかえているか、
 自分は良人をただ“生活の道具”に使ってはいないか、
 自分は本当に良人に素直であるか」 

と反省してみるがよい。

「自分自身よりも良人を愛する妻」 でないと
良人はその妻に満足できないのである。


信念は山をも動かす。 
“自分の良人は世界一の良い良人である” と、
どこどこまでも信ずれば其の通りになるのだ。 

若しあなたの良人が甲斐性なしであるならば、
それは、あなたが心の奥底に、“うちの良人は甲斐性なしだ” と
信じている信念があるからである。

若し、あなたの良人が癇癪持で、短気であるならば、
あなたの心の底には、「わたしの良人は癇癪持で、短気だ」 と
信じている信念があるからである。 

あなたの信念を変えよ、良人が変る。

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ad9ae7b574becbb88e45a9666f5fc158
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-28)

        <感謝合掌 令和4年10月17日 頓首再拝> 

あなたの運命に幸福のみを招く話~谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/18 (Tue) 13:46:12



あなたの運命に幸福のみを招く話 谷口雅春先生 
やさしく書いた『生命の實相』読本 『光の泉』より
seimeinojissoh(2022/05/02)
https://www.youtube.com/watch?v=FcC5DV--OD8

        <感謝合掌 令和4年10月18日 頓首再拝> 

谷口雅春先生から頂戴した御詩~鎌田久子 - 伝統

2022/10/19 (Wed) 04:30:04



  ひとが なんとおん身を批評しようとも
  おん身は毅然として真理と共に立たねばならぬ
  おん身は 真理がいっさいのよろこびの
  源泉であることを知らねばならぬ


  (み教えを生きる悦び (13)平成17年 2月号
   http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/donnaoshieka.htm
   鎌田 久子 氏をクリック
   →13 谷口雅春先生から頂戴した御詩を心に抱きて をクリック)

        <感謝合掌 令和4年10月18日 頓首再拝>

アガシャの予言と人類の将来の運命 谷口雅春先生  - 伝統

2022/10/19 (Wed) 15:19:08

アガシャの予言と人類の将来の運命 谷口雅春先生 
やさしく書いた『生命の實相』読本 『光の泉』より  
seimeinojissoh(2022/05/05)
https://www.youtube.com/watch?v=LNx-oWAXlOA

        <感謝合掌 令和4年10月19日 頓首再拝>

唯物論者の新生する道 - 伝統

2022/10/20 (Thu) 05:00:51


      *『白鳩』(昭和49年新年号~谷口雅春先生)より

あなたの魂が“新生”しているか否かは、
あなたの心が、常に光の方向を向いているか、
“常に”ではなく、時々まだ“暗黒”の方向に振向くことがあるか
によって見別けることができるのである。 

また、あなたが人間の性善説を信ずるか、性悪説を信ずるかによっても、
見別けることが出来るのである。 

近頃、どこかで催された国際的なアンケートによると、
日本の青年が、最も多く人間の性悪説を信じているという回答が出て来た
ということをきいて私は驚いたのであるが、併しそれは無理はない、
日本では学校では宗教教育が禁じられているので、神を教えられないで、
日本の青年は幼少時代から無神論で教育せられているからである。

 
唯物論の結果するところは、肉体の快不快と物質的利益不利益が
人間の行動を左右するところの原理となるから、
人間は肉体の苦痛や困難をきらって、快楽に走り、
人を傷つけても自分の利益と快楽を求めることになる。 

そして彼らはそのような傾向を“悪”だとみとめる“良心”が
幾分か残っているものだから、そのような傾向を有する人間を“悪”だと認め、
人間の性悪説を支持するようになっているのである。


それでも“悪”を“悪”とみとめる道徳的規準をもっているのは、
彼ら自身の中にある“善”なる基準が消えていないからであって、

それだけでも、人間は本来“性善”であり、
善悪を知る“神の子”が宿っていることがわかるのである。

共産主義でも、人間を幸福にしてやりたいという“愛”の衝動によって行動し、
それが成就するには革命をも辞せずという理想をもっている。 

そのような人間を幸福にしたい“愛”が彼らに宿っているのは、
彼らも“神の子”であるからである。

 
しかし彼らが間違っているのは人生観及び世界観が唯物論的であって、
物資や生産の道具や生産物の配分の統制によって
人間の幸福が招来されるものだと思って、
彼らの心のはたらき及び行動の向き方が、
物質の方向にばかり向いているからである。 

その結果、彼らは魂の光を見ることが出来ない。 
愛の光を見ることが出来ない ―― 物質には魂の光はないからである。 

そして彼らは暗黒面のみを見ざるを得ない。 
しかも彼らは“神の子”であるから、
その暗黒面を破壊して光を見出そうとする。 

それが制度や体制を破壊しようとするのがそれである。

しかし制度や体制はなかなか頑固な牆壁となって
彼等の前に立ちふさがっていて破壊し得ない。 

彼らは、もどかしさを感じずにはいられない。 
彼らは自己の力が制度の前に無力であるのを痛感する。 

彼らは“神の子”だから、“神の子”にふさわしくない自分の弱さを憎む。 
その憎しみが自己嫌悪となり、やり切れなくなり、
その内向的やり切れなさが蓄積して飽和状態を超えると、
やがて一転してそれが外交的に爆発して、内ゲバとなり、
仲間同士が殺し合いをするような残虐行為となってあらわれるのだ。

 
彼らを救う道は、彼らが“神の子”であり、
人間の幸福は、唯物論的方向からはかち得られるものでなく、
人間の実相は“神の子”であり、性善であるから、
その性善をあらわすようにすれば地上天国が実現するのだという、
実相哲学を知らせてあげるほかはないのである。

そのような青年たちに読ませてあげたいのは 『生命の實相』 であり 
『信仰の科学』 であり、 『いのちの革命』 というような
反唯物論哲学である。

ウイリアム・ジェームズ教授のプラグマチズムが教える如く、
その人の把持する哲学が正しいか正しくないかは、
その哲学を奉ずる人が幸福になれるか、なれないかで
判別することができるのである。 

マルキシズムを把持しながら、心がやり切れなくなって、
同志互に殺傷し合わねばならぬようになっている現状は、
彼らの捧持するマルキシズムの哲学が正しくないこど
みずから証明しているのである。


晴れときどき(February 20, 2014, 8:36 am)
https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p24.html

        <感謝合掌 令和4年10月19日 頓首再拝>

生きた生命 (朗読女性BGMあり)谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/20 (Thu) 13:17:06

生きた生命 (朗読女性BGMあり)谷口雅春先生
tmr0423(2013/07/14)
https://www.youtube.com/watch?v=l3UjkI8GWgU

        <感謝合掌 令和4年10月20日 頓首再拝>

『谷口雅春先生のご日常』(栗原得二・著)より - 伝統

2022/10/21 (Fri) 04:55:14


(12頁)

神様の仕事をよろこんでさせてもらっているだけなんだ。
私は人に使われていると思って仕事をするな、
そこにはさもしい勤め人根性が出るのだとよく話している。…


神の一番番頭であるという自覚が起きて来なければならないのであります。
吾、神の一番番頭なり。

・・・

(14頁~)

先生(谷口雅春先生)は、執筆に、口述筆記に、
すべてインスピレーションに指導されておられるのであります。


私が先生の原稿を速記していました頃は、どんな寒中でも、
実相の間には、火鉢が一つ置かれているだけであります。

寒がり屋の先生は、手をもみもみ、或は手を火鉢にかざし、
或はふところ手をして口述されるのであります。

あらゆることがすらすらと先生の口から出るくらい
すばらしいことはないのであります。

・・・

(18頁)

先生が御揮毫なされる際-
第一に、御揮毫に必要な墨汁を作ることが大変な仕事なのであります。

…二、三時間の中に大体百枚に及ぶ半折の軸、
或は額がことごとく御揮毫なされてしまうのであります。

誰だって、こんな短時間に半折のものを
百枚も揮毫することなど出来ないでありましょう。

これ神のなさしめ給うからであると思うのであります。


先生の御揮毫は、全く日常茶飯事と少しも遜色なく、
筆と紙と墨汁と人との真の一体化を物語るものであります。
こんなにたくさん書かれても少しもおつかれのご様子は見受けられません。

・・・

(81頁)

『常に手に汗する』ような恐怖の感じをいだいていたり、
拳を固めて、人を叩きつけるような悩みや怒りの感じをいだいていると、
拳をにぎったときに掌が横に折りたたまれるから、横筋が多くなる。

神に心が向えば、心が縦に上方に向うから、縦の手の筋がふえる。…

・・・

(84頁)

先生はお泊りになった家の仏壇や祖霊の祭壇が目につくと
御先祖霊に対して、深い深い祈りをなされるのであります。

毎日引続きの講演で喉が痛んでいらっしゃるときには誦経はなさいませんが、
幸い前日が旅行日で講演がないので、喉がくたびれていないときには
聖経『甘露の法雨』を霊前で読誦なされます。


・・・

(198頁)

この「實相」の大軸が掛けられている部屋を称して「実相の間」と言われています。
この実相の間で、先生と二人で仕事をしておった時、何かの用事で、
先生が實相の軸の前におかれてある大聖典の所に行かれ、
實相の軸をしばし眺めておいでになられて、

「實相の軸に、ネズミが小尿をひっかけたよ。すっかり汚れてしまったようだ。
 これこそ、実相がくもらされたと言うんだね……」
とおっしゃられました。
 
近頃は、新しい「實相」が墨痕あざやかに掛っており、
鼠が全然天井を走らなくなり、静謐清浄な客室になっているとの事であります。

すべて吾々の心の影と言うべきであります。
 
全く、実相がくもらされてはならないのであります。

・・・

上記は、「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」において、
「谷口雅春先生のご日常」をキーワードとして検索して
表示されたものから引用いたしました。(伝統)

        <感謝合掌 令和4年10月20日 頓首再拝>

人間の尊厳さを知り劣等感を棄てましょう - 伝統

2022/10/21 (Fri) 15:09:04

人間の尊厳さを知り劣等感を棄てましょう 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/05/05)
https://www.youtube.com/watch?v=2_2I1v1efMc

        <感謝合掌 令和4年10月21日 頓首再拝>

宗教指導者となるべき者の心構え  ―  菩薩の二つの相 - 伝統

2022/10/22 (Sat) 04:55:27


        * 『維摩経解釋』(544頁 ~ )より

釈尊が続いて仰せられるのには、

「弥勒よ、よく知れよ。 菩薩に二つの相がある。 
 その二つとは何であるかというと、

 第一の相の菩薩というのは、色々の美辞麗句を好むのであって、
 経文の美しい文句を暗記していてそれをよく復誦したりすることができる。 
 しかし、その深義に到達することができないのである。 
 このようなものは是を 『新学の菩薩』 というのである。


 ところが菩薩のもう一つの相の者はどうかというと、
 このような煩悩の染著のない甚深の経典の深い意味に畏るるところなく入ろうとし、
 しかも、間違うことなく、経典の説こうとする実の意味によく入ることができ、
 その経を聞きおわって心浄まり、その意味をよく受け持ち常によく読み復誦して、
 経文の教えるごとく修業する。 

 このような菩薩は 『久修の道行』 を修する菩薩と称せられるのである。」


 【弥勒復二法あり、新学の者と名づけ、甚深の法を決定すること能わず、何等をか二と為す。 
  一には、未だ聞かざる所の深経、之を聞いて驚怖して疑を生じ、随順すること能わずして、
  毀謗して信ぜず、而も是の言を作さく、我れ初めより聞かず、何所よりか来ると。 

  二には、若し是くの如きの深経を、護持し解説する者あるも、肯て親近し、供養し、
  恭敬せず、或時は、中に於いて其の過悪を説く。 
  此の二法あらば、当に知るべし、是れ新学の菩薩なり、
  自ら毀傷を為して、深法の中に於いて、其の心を調伏すること能わず。】


釈尊の御言葉の続きであります。 
この場所に書かれている 「二法」 というのは唯漠然と 
「二つの‘もの’」 又は 「二つの状態」 というような意味であります。 

「斯ういう二つの状態が菩薩にあるならば、
 その菩薩は新学の菩薩であって大した菩薩ではないぞ」 

と菩薩の心境の見分け方を教えられたのであります。

 
「第一には、未だ聞いたことのない深い真理を聞いて吃驚仰天して疑の心を起し、
 その真理を受けて素直に随うことができないで、それを攻撃したり
 謗ったりして信じないで、

 しかも 『あんな真理は何じゃ。 僕はあんな真理は初めから聴きたくない。 
 あんな教え一体どこから来たのじゃろ』 などと空うそぶく種類の菩薩である」 
 
と釈尊の仰せられているところに
私たちは大いに傾聴しなければならない教訓があると考えられるのであります。

私たちが人々の体験談をきいていても、
自分の尺度だけでその体験談の価値をはかって、
あんな体験談はつまらん、聴きたくない。 

あんな信者どこから来たんじゃろ。 

わしはあんな詰らん体験談ははじめから聴く値打がないからきいとらん
などと言う人がありますが、斯ういう人はいくらその人が誌友になってから古くとも 
『新学の菩薩』 だという訳であります。

本当に深い心境に達した菩薩は、
どんな人の体験談をもおろそかには聞かないのでありまして、
一木一草からでも深い真理を受取るのでありますから、
どんな小さな体験談でもそこから深い真理を汲みとろうとして
熱心に傾聴するのであります。


「もう一つの 『新学の菩薩』 の特徴というべきものは」 
と釈尊は仰せられたのであります。 

「此のような深遠なる真理を護持し、よく解説する者があっても、
 なかなかそれに近づこうとせず、たまに近づいたかと思うと、
 あの教えのなかには斯ういう間違いがあるなどと、悪をわざわざみとめて、
 その教えのよいところを素直に受けようとしないのである。

 これら二つの部類に属する菩薩はたとい深い真理を信じ且つ了解していても、
 みずから自己毀損を行って、深い真理の中に浸っていながら、
 自分自身の心を調え、悪を克服することができないものである。」


続いて釈尊は、

「弥勒菩薩よ、また二つの状態の菩薩がある。 
 菩薩の境涯にありながら深い真理を信じ理解はしているけれども、
 なお自分が自分を縛って、自分自身を毀け、
 一切現象本来無生のサトリに入ることができない人たちである。 

 その二つの状態というのは、新しく真理に志す菩薩を軽蔑して、自分が慢心して、
 よくよく彼らを深切に教え誨してやることをしない者だ。 

 他を軽蔑して毀けることは、自分自身のサトリを毀けることになるのである。

 もう一つの状態は、みずから深い真理を信じ理解していながら、
 実際問題になると、現象の形にあらわれている状態にとらわれ、
 色々と差別の見解を起こしたりする。 

 これが自分自身のサトリを毀ける二つの状態である。」

こういって釈尊は指導者となるべき者の心構えの注意を懇切にせられました。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/f1d649b3051af3649c212daef9d198e0
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-29)

        <感謝合掌 令和4年10月21日 頓首再拝>

松田巳代志先生ご講話 - 伝統

2022/10/22 (Sat) 12:29:30

松田巳代志先生ご講話  世界に伸びる「生長の家」
seimeinojissoh(2013/04/14)
https://www.youtube.com/watch?v=Ae2wMTtlX7w

        <感謝合掌 令和4年10月22日 頓首再拝>

果して人間は肉体を有つか 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/23 (Sun) 14:16:06

果して人間は肉体を有つか 谷口雅春先生 
やさしく書いた『生命の實相』読本 『光の泉』より  
seimeinojissoh(2022/05/06)
https://www.youtube.com/watch?v=xR0XUZHBO8g

        <感謝合掌 令和4年10月23日 頓首再拝>

すべての富を私的所有としてはならい - 伝統

2022/10/24 (Mon) 04:53:08


         *『生長の家』 昭和40年10月号(谷口雅春先生)

人が成長の道に乗るのは、
実相世界にける神の無限のよきアイデアが現象世界に顕現するためであって、
本来の「神」のものであり、実相世界の裕かなる光景(すがた)が
地上に顕現したのであるから、それは決して個人個人の所有ではないのである。

この財産は、自分の“永遠の所有”だなどと思ってはならないのである。
また実際に何人も何物をも永遠に所有することはできない。

(中略)

金銭は無論のこと、土地も、家屋も、
すべて永遠に個人の所有ではあり得ないのである。

であるから、アイデアは普遍的な存在であるから
永遠に私的なすべては許されないのである。

私は、ただ一時、現象界に影を映したところのその映像を楽しみにしていて、
自分の魂の進歩のための教材として色々に扱うだけの事なのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p25.html
晴れときどき(2014 年 2 月 25 日)

        <感謝合掌 令和4年10月23日 頓首再拝>

”中心”ということ 生長の家立教四十周年にちなみて 画家 林武 - 伝統

2022/10/24 (Mon) 15:29:29

”中心”ということ 生長の家立教四十周年にちなみて 画家 林武
seimeinojissoh(2022/05/14)
https://www.youtube.com/watch?v=S6TeiewwoBw


        <感謝合掌 令和4年10月24日 頓首再拝>

偶像崇拝~谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/25 (Tue) 04:49:57


         *『生長の家』(昭和15年11月号)より

若し形ある者に叩頭するのが 偶像崇拝 でありましたら、
吾々は形ある人間に挨拶することも出来ないでありましょう。

併しどんな基督教牧師でも形あるその信者に挨拶するではありませんか。 
それが 偶像崇拝 にならないのは 『形』 に対して挨拶しているのではなく、
その内部的生命 〈彼に宿る神性〉 に敬礼しているのだからであります。

形は内部生命の象徴でありますから、肉体として象(あら)われている
お互い同士が互に愛し合い、敬し合い、礼し合っても 
偶像崇拝 にはならないのであります。

吾々が神社に祭祀されたる御神体を礼拝するのは
その御神璽(おおみしるし)を構成している
物質的組成分たる炭素や金属を礼拝するのではありません。 

かかる物質的構成分子を拝むのでありましたら、
それは 拝物宗 であり 偶像崇拝 であったでありましょう。 

併しそう云う物質的構成分子で礼拝するのではなく、
御神璽(ごしんたい)を象徴として、
その奥 〈奥と云っても物質の空間的位置の奥にあらず〉 にあるところの
神霊を礼拝するのでありますから、
それは決して 偶像崇拝 ではないのであります。

日本の宗教は世界の宗教のうち最も高等な宗教でありますから、
古来 『像』 を礼拝するなどの事はなく、
仏像を礼拝するなどは仏教渡来後の外国的風習であります。

 
日本では概ね 『鏡』 を御神璽(ごしんたい)として奉斎したのであります。 
鏡面は無相にして一切の相を反映し、神を象徴するものとして恰好のものであります。 

日本人は神を無相にして無限相、一即多、多則一と観たのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ede0ddf4ebcebf8f61dbff1075c43c09
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-22)

        <感謝合掌 令和4年10月24日 頓首再拝>

神様と一体となる”言葉の力” 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/25 (Tue) 13:49:28

神様と一体となる”言葉の力” 谷口雅春先生 
seimeinojissoh(2022/05/22)
https://www.youtube.com/watch?v=Na2q7cpwPk4

        <感謝合掌 令和4年10月25日 頓首再拝>

真理の自覚を研いておくこと~谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/26 (Wed) 04:57:37


         *『生長の家』(昭和36年新年号)より

聖書や仏典を心讀すれば、
人間の本質(実相)が如何なるものであるかを知ることができる筈であるが、
なかなかその解釈がむつかしいのと、

何処にその真理の中心があるのか不明なために、
その真理を捉え得ないのが普通である。

 
ところが 『生命の實相』 を讀めば、
聖書や仏典に書かれている真理を開く鍵が得られ、
それによって今まで難解であった聖書仏典の章句の意義があきらかになり、
祖先伝来の宗教のよさがわかり、それがそのまま有り難くなるばかりでなく、
宗教が実生活に応用できることになるのである。

 
だから真理を自覚する最善の道は 『生命の實相』 を
一日数頁は必ず讀むと云うことが、幸福生活を実現する道だ
と云うことになるのである。 

その次に必要なことは教えの集りに出席して、
真理を一歩でも多く到達した人に接触し、
その座談を聴き、体験に接することである。


私たちの日常生活は、大抵、物質の争奪や、
虚栄、虚名をもとめる煩労に汚されているのであるから、
一日のうちの或る時間を、それらの汚れた生活から離れ去って、 

『生命の實相』 を讀み、神想観をし、
或は真理を求める同信者との会合に列席して
心を清めることが必要なのであるのである。

人間は神の子であり、霊的実在であることは、
一度でも 『生命の實相』 を讀んだり、講習を受けた者には
明らかなことであるが、

その真理を知っていながら、その真理が日常生活の煩労による
ゴミに掩われてしまって役に立たないような状態になっていることが
実に多いのである。

嘗て讀んで知っている真理は、整理箪笥の抽斗の中に入れてあって
忘れている道具のようなものであって、
‘ある’には在るのだけれども、何処に入れてあったかを
急にそれを持出して実用に使えないのである。 

大工はつねに自分の道具を磨いて整備して置くものであるが、
真理を有効に使おうと思ったら、常に真理の自覚を磨いておかねばならぬ。 

その磨きが聖典読誦であり、神想観である。


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晴れときどき(February 27, 2014, 4:33 pm)

        <感謝合掌 令和4年10月25日 頓首再拝>

明るく祈ろう~谷口清超先生 - 伝統

2022/10/26 (Wed) 13:15:39

明るく祈ろう~谷口清超先生
ユキチャンネル(2020/11/22)
https://www.youtube.com/watch?v=JRXupIzQozQ

明るく祈ろう
谷口清超 著

        <感謝合掌 令和4年10月26日 頓首再拝>

生長の家の念願 - 伝統

2022/10/27 (Thu) 04:55:36


          *『生命の實相』第1巻 総説篇 より

人間の念(こころ)は幼ければ幼いほど、
まだ一定の習慣性を備えていませんから、
善い方へでも悪い方へでも環境に感化せられやすいのであります。 

これを悪い環境のうちに放っておけば不良少年少女となるべき者も、
幼いときから生長の家式に、 愛 と 信 と 讃嘆 との環境において
感化を受け、事物の明るい方面に心が向くようになっていれば、

彼らのたましいは健やかに伸び伸びと発達しまして、
ひねくれた厭味な性格や、人を苦しめることで
自分の快感や利益をえようとするような卑劣な性格は影を潜め、

これらの少年少女が成長して社会の中堅となって行くころには、人
類がこの世界でつくる悪業もよほど減ってゆき、
地上に天国建設の理想実現にだんだん近づいてくるに相違ないのであります。


生長の家が、聖典の 實相篇、光明篇、生命篇、観行篇等によって
人間の肉体を健康化する道を説き、「生長の家の生き方」 によって
生活を光明化する方法を指導するほか、

さらに 「生長の家の教育法」 によって人間を若芽のうちから、
その神性を発揮せしめ、天才を伸ばさしめようとしているのは、
地上の天国建設を子供の生長と共に生長せしめたいと念願しているからであります。

存在(ものみな)の実相を円満完全なりと認むるこの 「生長の家」 の
人生観と、生活法〈生長の家の生き方〉 と、児童教育法 〈生長の家の教育法〉 とが
全世界を風靡するようになれば、その時こそ地上天国の成就せるときであります。

そのときにはメタフィジカル・ヒーリングによってこの世に病なく 
「生長の家の生き方」 によってこの世に苦悩なく、
「生長の家の教育法」 によってすべての人間はその子供の時から
神性の発達を妨げられないで、皆そのもって生まれた天才を
発揮することになるのであります。

こんな世界がいつ来るかは初期に 「生長の家」 に集ってくださった
熱心な同志または誌友の尽力にまつところが多いのであります。 

しかし何事も生長は徐々でありますから
今はその第一歩からはじめてゆかねばなりません。

「生長の家」 で最初に天国建設事業として手を出そうとするのは、
やはり正しい人生観と、正しい生活法と、正しい教育法とを
出版物によって人類に知らせることであります。 

本書が出版されたのも、地上天国建設事業の一端でありますが、
この人生観、生活法、教育法を実地におしえる学校のようなものも、
「生長の家」 の誌友たちによって生まれて来るに相違ないのであります。 

すでにその芽生えは所々に生えかかっています。

ああ、人生はなんという喜ばしさだ! 

わたしは諸君とともに手をたずさえて、
この善き事業が大きくひろがる日のために尽したい。


VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ
2015-05-31
https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/19440c136f2118ce0d9a4b1292771409

        <感謝合掌 令和4年10月26日 頓首再拝>

高級霊の光明思念による導きを受けて 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/27 (Thu) 14:43:28

高級霊の光明思念による導きを受けて 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/05/26)
https://www.youtube.com/watch?v=hLvYzEGqWn8

        <感謝合掌 令和4年10月27日 頓首再拝>

吾々は神に対する責任をもって、指導しなければならない - 伝統

2022/10/28 (Fri) 04:59:18


        *『生命の實相』頭注版第4巻生命篇下(118頁~ )より

[中畑] 
わたしはただ今結核で妊娠している人が、医者から中絶せよとすすめられ、
わたしにも相談されたので、どう教えたらよいかと思いまどっているのです。 
医者は懐妊中の婦人が結核である場合、
妊娠を中絶せよとすすめる権利があるのですか。

[船橋] 
母体の生命がその妊娠によって危険だと認められるような場合には、
2名の医師から妊娠中絶を要すを認むという証明書を得て、
妊娠中絶の施術を受けてよいことになっています。


【谷口】 
わたしの経験では、結核患者に妊娠中絶さす必要はないと思いますね。 
脊椎カリエスで、今後5年間に妊娠したら妊娠を中絶しなければ
母体があぶないといわれた人で妊娠し、妊娠中かえって妊娠前よりも
栄養が良くなり、立派な胎児をお産みになった実例があります。

その方はお産に帰郷していて、2.3日前こちらへお帰りになりましたが、
実に立派な赤ちゃんである。 風呂へはいっても、他の赤ちゃんにくらべると
発育がよくて、段がちがう。 
手首や足首がこうくびれるほどにまるまる肥っているのです。 

「生長の家」家族におはいりになって生まれた子はみな発育がよいようです。

一昨日も呉市の誌友から、結核で妊娠された方でこの15日の朝、
男児を無事安産して母子ともに健全である。 

この児は妊娠中医者にまかせておいては地上に出生しなかった子供であるから、
いわば 「生長の家」 が生みの親であるから名前をつけてくれと
頼んでよこされたのです。 

名前は光生とつけてあげましたが、光から生まれた子という意味です。

今後、わたしはこういう子供をこの世にたくさん生み出したいと思っています。 
だから中畑さんの御相談をお受けになった方も、
だんぜん妊娠を中絶してはいけないとお答えになるとよいと思います。


[中畑] 
医者なら自分の勧告の結果が悪くても責任はありませんが、
われわれはしろうとですから、医者が妊娠を中絶させなければならない
というのに、わたしが妊娠を中絶する必要がないとお答えして、
医者の勧告を退け、もしその婦人が今後経過が悪かったときには、
わたしは責任を負わねばなりません。

【谷口】 
医者の勧告に従って妊娠中絶の手術をしたのち、
その予後が必ずよいとはいえないでしょう。 
 
先日もわたしのところへたずねて来た婦人があった。 
あなたもあの時ここへ来ていらしたじゃありませんか。 

肋膜炎をわずらってもうほとんどまったく治っていた。 
それにちょっとばかり脚気の気があるので内蔵はどこも悪くないが、
このまま妊娠を継続させたら母体が危険だという
大阪庶民病院と某医師との診断で、妊娠中絶手術を行なった。 

手術中脈搏もたしかであり経過も非常によかったのに、
突然3日目から非常な発熱をして脈がほとんどなくなり危険状態に陥った。 

危険状態はすぎたがそれからしばらく患者は視力を失ってなにも見えない。 
そして 「わたしの子供はどうしたの」 
「皆して、わたしをどうするつもりなの」 などといい出して、
一時すっかり精神病になってしまった。

今ではその精神病もほとんど治ってはいるけれども、
まあ痴呆といおうか、低能といおうか、先日ラジオで
エスペラントの講義があったときなども、
そのエスペラントの講義ばかりにかじりついて、
一日中ラジオのテキストの1ページ半ぐらいをいつまでも
繰り返し繰り返し復習していて、家事いっさいをみず、
良人のいうことも母のいうこともきかない一個の廃人が
でき上がったのでありました。
 
医者にかかっても、このように手術後の経過は必ずしもよいとはいえない。 

そこで、中畑さん、あなたがその相談を受けなすった婦人に、
「それじゃ医師のいうとおりに手術しなさい」 とお答えになって、
その結果がよくなかったらあなたはその結果に責任はもてますか。

どちらにせよ、いったん相談を受けて右すべきか左すべきかを委された以上は、
どちらを答えても一半の責任は分たねばならないでしょう。


[中畑] 
医者はそういう妊娠を中絶してもよいという権利をもっているのを、
非医者であるわれわれが妨げるということは ・・・・ 。

[船橋] 
権利といっても、それは法律上の権利であって道徳上の権利じゃありません。 
また医者には、手術した後の結果が悪くても、責任がないというのも
法律上の責任だけであって、道徳上の責任はないというわけにゆきません。 
神に対する責任は医者にもしろうとにもどうようだと思います。

[山口] 
医者のうちには法律上の権利を濫用して、ずいぶんいい加減な治療をして
金もうけをはかり、施術の必要がなくとも、施術をすすめて施術料をとる
というのがあるそうですし、治らなくても、予後がかえって悪くても、
それには責任を負わないのですから無責任といえば無責任な話です。


【谷口】 
話が元に帰りまして、われわれが非医者として、
医者が妊娠中絶をすすめている患者から相談を受けて、
どう答えたらよいかという問題については、

われわれは神に対する責任をもって、神の思し召しに最も近い
と思われる方向にお答えしなければならないと思います。 

神がなにゆえに母親の胎内に赤ン坊を宿したかという問題から出発してですねえ。 
なんですか、その患者の病気はよほど進行しているのですか。

[中畑] 
わたしのところへ最初たずねて来られた時には非常に衰弱して、
腹ばかり妊娠で膨れて、ほかはただ、骨と皮とのようにやせていられて、
見るから気の毒な姿でありましたが、

しばらくわたしが治療してあげているうちに、
結核の方はしだいに快くだんだん元気になられ、
身体も少し肉がついて4,5百匁は体量もふえられたようです。 

だからこの分なら結核そのものはこれ以上進行のおそれはないと思います。


【谷口】 
そのくらいなら妊娠中絶の必要は断じてないじゃありませんか。 
わたしが相談された患者は血を吐きながら妊娠している。 
つわりの悪い癖があって一粒の食物ものどを通らない。 

これは人間は物質でできている、
「2足す2は4」 「4引く2は2」 であるというような
数学的勘定の現代医学では、この問題の結果は明瞭である。 

結核は消耗性の疾患であって栄養が十分でなければ治らない。 
ところが食物が一粒ものどを通らないのであれば栄養はゼロである。 

栄養はゼロであって、内部から胎児が発育しえ母体の栄養を吸いとる
というのだから、現代の 「22ンが4」 の医学では
妊娠中絶さすよりほかに母体の助けようがない。

ところが、「生命」 というものは 「22ンが4」 というように
数学でゆくものではない。 ゼロからでも、どれだけでも信仰によって
生きる力が出てくるというのが 「生長の家」 の医学であります。 

キリストは5つのパンで5千人を食べさせて、
まだかごに一杯パンが余ったと聖書に書いてある。 

数理的にいえば、そんなばかなことが起こるはずはない。 
けれども数理を超越して結核患者が食物を食わないでいて、
胎児を成長させて自分も肥えるというのが 
「生長の家」 の医学なのであります。 

わたしは、だから、この患者からどうしようかと質問されたとき、
「妊娠を中絶する必要はない。 
 食物が咽喉を通らないのは心に不安があるから、
 胸につかえて戻って来るのであるから、

 心を神にまかせて不安をないようにすれば、
 御飯は食べられ腹の中に落つくようになるのである。 

 だいたい神が一個の生命を胎内に宿されたのは、
 必ず神がそこでその胎児を生かそうとの御意志の発現であるから、
 神を信じ、神にまかせて心が平和になりさえしたらならば、
 食物は必ずたべられ、妊娠したことがかえって母親を健康ならしめるものである」 

と実例を引いて手紙を差し上げましたところが、
もっとも、こちらからも祈ってあげたからでもありますが、
その手紙を読んだ日から、食物をとっても吐かぬようになられ、
しだいに健康になられた。

この話は先日の講演会の席でもちょっと話したのでありますが、
これは 「22ンが4」 を超越した医学である。 

この結果、この奥さんは非常な信仰を得られた。 


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/7fbaec53724e11146ae56ac8ec4bd65e
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-03)

        <感謝合掌 令和4年10月27日 頓首再拝>

谷口雅春 聖なる光の言葉 - 伝統

2022/10/28 (Fri) 13:11:18

谷口雅春 聖なる光の言葉
ユキチャンネル(2020/08/02)
https://www.youtube.com/watch?v=mQ-2dt6MAeI

        <感謝合掌 令和4年10月28日 頓首再拝>

真理に触れさせ、そして・・・ - 伝統

2022/10/29 (Sat) 04:57:06


        *『生長の家』(昭和45年8月号谷口雅春先生)より

「この“真理”を知れば治る」と確信して、
本当に真理を知るために『生命の實相』を読み、
『聖経』を読誦する気持にならせることが必要なのである。

病気だけを治して、その人が真に真実を知るために、
聖典を読誦する努力をつづける気持にならせることが出来なければ、
たとい病気が治ったとしても、その伝道は失敗だったというほかないのである。

聖書を見るとイエスに病気を治してもらった人は、
ただ治してもらっただけで、
ひとりも伝道する権限にはなっていないのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p27.html
晴れときどき(2014 年 3 月 11 日)

        <感謝合掌 令和4年10月28日 頓首再拝>

生命之實相と申候事は 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/29 (Sat) 15:31:43

生命之實相と申候事は 谷口雅春先生 『谷口雅春墨滴集』より
seimeinojissoh(2022/05/28)
https://www.youtube.com/watch?v=o8ZXUSc_gtc

        <感謝合掌 令和4年10月29日 頓首再拝>

真理 言葉の力 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/30 (Sun) 04:54:35

真理 言葉の力 谷口雅春
ユキチャンネル(2021/04/26)
https://www.youtube.com/watch?v=lwaPjmgDzMc

生命の實相 精神分析篇 抜粋

        <感謝合掌 令和4年10月29日 頓首再拝>

心に重荷を負わないために 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/30 (Sun) 14:51:30

心に重荷を負わないために 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/01)
https://www.youtube.com/watch?v=Eg1jz5HP3Iw

        <感謝合掌 令和4年10月30日 頓首再拝>

自分が変れば一切が変る - 伝統

2022/10/31 (Mon) 04:25:46


          *『生長の家』誌  昭和33年2月号 58頁 ~ 
            ~生長の家本部理事 青年部長  菊地 藤吉

「あなた、それでも生長の家ですか、生長の家を信ずる人がそんなことでよいのですか」

妻の言葉に 「しまった」 と、急所をつかまれたように苦しい。

以前は、妻の父と私の不調和から、どれ程この妻を苦しめ、泣かせてきたことであったか ― 。
それが、生長の家の御教に導かれて以来、舅や家族の皆とも調和し、
職場 (郵便局) も明るくなり、自分の心も落着き、気長にもなって、
性格もこうまで変るものかと自信ができて、感激の中に光明化運動に情熱を
かたむけてきたのであった。

それから1年半、北海道根室の北辺に、自分の住む町を中心に4ヵ所も相愛会が発足した
今なのに ― 。 些細なことで腹を立ててつい妻をどなりつけ、いつまでも、
くどくど責めたので妻もたまらなかったのであろう。 

「悪かったなあ」 と、胸に言葉が浮んできているのに ― 、 
それより先に、自分の至らなさが、しみじみ感じられて、御教に対して申訳ない。 
しかも最愛の家内にさえこんなことを言われなければならないとは ― と情なくなり、

「どうせ僕は何時までも駄目なんだ。 生長の家もやめてしまった方が、
誌友の皆さんに迷惑が掛らないだろうし」 と涙がでそうなのを我慢して
強がりを言ってみる。

しかし決して本意ではないのであって、こんな時こそ、
真理の書によって心を引き立てなければならない、と奥座敷で 
『生命の實相』 を開く。 

(昔ならこんな時にプイと表へ出て飲み歩いたものだが ― 
これだけでも有難い、と思いながら)


 「もっと自分を愛せよ。 欠点を指摘されたら喜んで直すのが自分を愛する道だ」

 「平明に自分のあやまちを承認せよ、あやまちを素直に承認される瞬間
  その人の神性は高いのである」
     (『生命の實相』 新修版 11巻 114頁等)


全く私一人のためにお示し下さったような尊師の御愛念の一節一節が、
肉を浄め、骨を浄め、心を浄め、生命を浄めて下さる。

いつの間にか、懺悔の涙がでて、しばし神想観をつづけ、
自分のニセモノを追い出すために、勇気をもって妻の前に合掌する。 
妻も内心反省していたらしく、「私が悪かったのです」 と合掌してくる。

 
そんなことが入信後1年以上経っても幾度か繰返され、互に信仰の道に入ったのであるが、
「心の法則」 だけを知って、心の中で責め合う自分の心の‘みにくさ’苦しさから
中々逃れられず、「私達は信仰の道には向かない夫婦ではなかろうか」 と
馬鹿なことを真剣に考えたこともあった。

 
そのうち妻の方がだんだん御教に熱心になり、私が腹を立てても 「私が悪かったのです」 
と先に妻から詫びるようになり、「何もあんたが悪くないではないか」 と言えば、
「どんな理由でも、あなたに腹立たせたのは私が至らないからでした」 という。

こうなると、御教を素直に実践している妻が、自分よりはるかに尊く思われ、
益々劣等感ができて、これには随分苦しんだことであった。

地方講師もいない片田舎であったので、ともかく聖典の拝読により、
遂に私は神想観の中で  

「一切の本源は神であり、すべての人は神の使として観世音菩薩として
この世に遣わされたのであるから、その実相のみを観ることができますように。 
光明化運動の選士として活動するために、私の愛深い実相が完全に開顕されますように」  

という祈りだけを、毎日行じたのであった。


「飛田給練成道場へ行ったら必ず一切の人々の実相の完全なことを悟れます」 
と札幌の桑原裕規さんが、そのころ幾度もすすめて下さったのであるが、
「官庁勤めですから暇もないし ・・・ 」 という私に、 

「暇や金で行くのではないのです。 決意だけですよ。 
想念は必ず実現するというのが生長の家の教えです」  という。 

「どう祈ったらよいか」 と聞くと  
「金や暇ができるように祈らなくてもよいから、既に飛田給道場に坐している。 
と観ずればよい」  とのこと。  

〈谷口雅春先生著 『詳説神想観』 197頁に、
積極的、肯定的祈り、として御教え下さっている祈り方〉

その信念ある言葉に強く感動して、唯、善のみに導き給う神の智慧に
委せ切りの神想観をしているとき、

その年 〈昭和34年〉 の6月に、
全逓信労働組合の全国大会が東京で開催されることになり、
北海道からの正式代議員の一人 〈共産党員〉 が急病で出席不能のため
代理として私が出席 〈その頃私は全逓労組の役員を退いていたのだが〉 することに
決議され、そのため私は、労働組合の経費で上京した。 

ついでに、1年に20日間の法定休暇が認められているので、
手続きして、あこがれの飛田給練成に参加した時の嬉しさ ― 。

まことにも 「祈りは必ず叶えられる」 のである。 

それは神の導きは常に宇宙に充ち満ちているのであって、
善きものを与えるべく常に私達の周囲ふりそそいでいるのであり、
神の道に叶うことであれば、最も適当な時に、適当な人、事、処へ導きが実現する
ことを体験させて下さったのである。


しかし長い間の批判的唯物論者は何と罪深いことであったろうか。 
尊師の御教えには絶対の信をもちながら御教に比較して道場員を批判し、
練成会員が日毎に素晴らしくなってゆく姿を見ては、批判的な自分の態度に醜さを覚え、
素直になれないことに悩み、いらいらし、だんだん悦びがなくなり、

そのくせ 「自分は 『生命の實相』 を一通り読んでいる」 と、
妙な自尊心を持ち、こんなことなら何のために練成道場へ来たのか、
とさえ思ったりしたのであるが、

今にしてみれば 「一切の現象は自分の念の影の影」 であった。

けれども飛田給道場には、谷口先生から練成会員に対する祝福の祈りと、
神の愛が充満しているのであって、いつも奇蹟的な導きが現われるのであるが、
そんな心の私にも、‘3つの大きな導き’ が現れた。 

そのことによって、真の神の愛を知らされ、
脚下照顧、愛行の実践に欠けていたことを懺悔して、「祈りの間」 に入り、
練成最後の3日間を 「自分は日本一の優しい夫である」 と、
繰返し自分の実相を観じて、感謝と悦びに燃えて帰宅した。 

と、道場で祈ったことなどは一言も言わないのに、帰宅して3日目の朝、
食事の祈りのとき、妻が突然 

「あなた赦して下さい。 今までは、あなたにどなられる度に、つらい、つらい、
と思ってきましたが、あなたが今度帰ってからは何もおっしゃらないのに、
私が間違っていたことに気づきました」 と泣いたのである。

「どうしたの」 と聞くと、

「愛する妻をどなりたい夫は世の中にいる筈がないのに、私が至らなくて
あなたに不満を感じさせ、その不満のためにいらいらして私をどなったのでしょう。 
どならなかったあなたの気持こそ、どんなに辛かったでしょうに。 
どうか今までのことは赦して下さい」 と泣くのでした。

私こそ 「そのうちに妻に今までの横暴を詫びよう」 と思っていたのが、
又しても妻に先を越されたのです。 

しかし何という快い負けだった事か。 

「いや今までの一切は僕が悪かったのだ」 と言い切れた時の嬉しさ。

やはり自分が中心だったのだ。

「自分が変れば一切が変る」 とは何と偉大な真理であろうか ― 。


生長の家立教の使命である人類光明化運動も、
いよいよ第2次3ヵ年計画に入ったのであるが、
その人類光明化運動指針の 「第4条」 に示されているのが、 

『一切は自分の責任の自覚』 であって、この自覚の発動こそ、
真に人間神の子の生活であったのである。

  VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-06-08)
  http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ce21dcc72404b413b7fde8e74390c681


・・・

<参照>

菊地藤吉氏沖縄の赤化防止のために其の教育センターに挺身

     明窓浄机  谷口雅春先生

      昭和四十八年「生長乃家」誌六月號
      (伝統第二~by道産子(2022/05/27~2022/06/01)
      https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8259983

        <感謝合掌 令和4年10月30日 頓首再拝>

「人間神の子」の真理を生活に現し出そう 谷口雅春先生 - 伝統

2022/10/31 (Mon) 13:40:56

「人間神の子」の真理を生活に現し出そう 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/01)
https://www.youtube.com/watch?v=adHVipDnjkg

        <感謝合掌 令和4年10月31日 頓首再拝>

或る日の生命の国 - 伝統

2022/11/01 (Tue) 15:32:16

谷口雅春 著 『ひかりの語録』 或る日の生命の国より抜粋
ユキチャンネル(2022/05/25)
https://www.youtube.com/watch?v=jaRsYZGbtdg

        <感謝合掌 令和4年11月1日 頓首再拝>

あなたの幸福は約束される - 伝統

2022/11/02 (Wed) 05:05:12


        *『幸福をひらく鍵』 より

どんなに目鼻立が立派でも冷淡な愛のない表情では魅力はありません。 

言葉の力によって  

『私は愛深いのである。 すべての事に行き届くのである』  

と毎日一寸した暇の時間を利用して眼を瞑って
心の中で三分間位ずつ一日数回呪文のようにとなえなさい。 

言葉は神なのですから、 

「私は何々です」 

と言葉で念ずる通りにやがてなって来るのです。 

怠らず忍耐強く繰返すことが必要です。


(P80))

人をゆたかに寛大に讃めうる人は、
自分の心の窓が実相の美に打ち開くことになり、
自分自身の心が大きくなり、美しくなるのです。 

だからそれは美貌の原因ともなるのです。 

人の欠点を見て攻撃したり、あらさがしばかりしている人は、
自分の心の窓が、 “醜しさ” や “悪” にのみ打ち開いて、
自分自身の心が狭くなり、醜しくなるのです。 

心の通りの人相が自分の容貌にあらわれるのであります。 


美しくなりたい人は人の 「醜」 や 「悪」 を見てはなりません。

常に善き言葉、
明るい言葉、
楽天的な言葉、
人を賞める言葉、
人を勇気づける言葉、
建設的な言葉のみを語りましょう。 

言葉はその語る内容である想念を具象化する
強力な力をもっているものなのです。 

悪しき言葉、暗い言葉、悲観的な言葉、人を貶す言葉、悪口、
人を傷つける言葉、破壊的な言葉を語ってはなりません。 

あなたの語る言葉は周囲に影響を与えると同時に、
自分自身にそれが撥ね返って来て自分を傷つけることになるのであります。

 
まず、朝起きたら、すぐに感謝することです。 
眠っている間、全然自己の意識で自分を防禦することができない間も
何者にも害されず、傷つけられず、生理作用も順潮に行われて、
再び意識の世界にかえることができたということは
何という悦びでありましょう。 

それを恩恵だと考えないのは、
あまりにも恩恵に狎れ過ぎているからです。 

あらためて其の恩恵を思い出し、感謝し、悦び、
神をたたえることに致しましょう。 

其処から今日のあなたの祥福が約束されるのです。

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p28.html
晴れときどき(March 16, 2014)

        <感謝合掌 令和4年11月1日 頓首再拝>

死中につかんだ黄金の綱 『生命の實相』 ~東山半之助 - 伝統

2022/11/02 (Wed) 13:32:59

死中につかんだ黄金の綱 『生命の實相』
生長の家本部講師 東山半之助『理想世界』誌 昭和59年1月号より
seimeinojissoh(2022/06/03)
https://www.youtube.com/watch?v=FFxlo1uQTjs

        <感謝合掌 令和4年11月2日 頓首再拝>

死中につかんだ黄金の綱 『生命の實相』 - 伝統

2022/11/03 (Thu) 04:59:11


     *『理想世界』(昭和59年1月号) ~東山半之助 より


死! そうだ。 それよりほかに私の逃れる道はない。
人間は誰でも必ず死ぬ、
ただ幾年か、幾月か早目に失敬するだけだ。

なに? 自殺は罪悪だって? 冗談じゃない。 
私の生命を私自身が始末する、それも長生きして
社会に御迷惑をかけようというのと違って、

早目に“さようなら”して消えようというのが
なんで罪悪だ! 

自殺は罪悪なのか、そう、聖書(バイブル)か西洋小説かなんかに
そんな文句があったが、それは人生の絶体絶命の窮地に追いこまれた
苦しみを知らない人間の意見であって、
今日ただ今の東山半之助を拘束する力があるものか。

これが当時(昭和9年の冬ごろ)の私の強い感情であり、
意志であり、理論だった。

学歴は小学校だけで新聞配達夫、貸本屋、
田舎新聞社の時間ぎめ(パート・タイム)の校正助手など、
いわば櫛風沐雨の20年。 

辛くもかちえた新聞社長。
たとい田舎の郷土新聞にせよ、
大学の卒業生を8名ほどもわが部下とし、
わずか百人内外の社員工員にせよ、

何かの機会には全員に敬礼せしめて一場の訓示を述べる、
権威ある「社長」として、報道界の一国一城の主と
齧りついた自分が、

借金とともに姿なく声なく、唯一の遁路を“死”に選ばんとする
最悪の非常時なのである。 

悩むだけ悩み、悶えるだけ悶えた究極が「死」への逃避だ。

ただし、いかに郷土新聞社の田神(でんしん)社長といえども、
自殺したと社会に知れたら、その日から読者も広告主(スポンサー)も
晩秋の落葉のように落ちて、新聞社は数ヶ月もしないで倒れてしまう。

自殺とわからずに死ぬうまい方法は?
 ・・・ 沈思黙考の末、やっと名案? を案出した。

それはラッシュアワーの商店街で疾走する自動車に体あたりして死ぬこと、
つまり自製交通事故である。 

それが死後 “さては東山君は自殺したか” などと
夢にも思わせないために、ステッキを七三に逆に提げること、
左手には吸いつつある煙草をキッと指にはさむこと等々、
細心周到にゼスチュアを研究して、街頭に立った。

後事を託すべき社内幹部、6つの銀行の頭取または支店長、
大先輩と大株主、それに妻子(一人子裕はまだ中学3年生だった)等々に
7通の遺書を、5日間もかかってひそかに墨書し、

帳箪笥の袋戸の中にきちんと並べて鍵をかけ、
死後すぐ発見される所に鍵は糸で釣るしておくなど、
舞台装置と演出には私らしい細心を尽した。

そうした一日(あるひ)、ふとひらいた新聞。
記憶では朝日新聞だが、当時谷口雅春先生にさし上げた手紙には
讀賣新聞と書いてあるから讀賣新聞が本当であろう。 

一面の下5段ぶっ通しの広告に、黒地に白抜きの雄渾な行書で
『生命の烈風 (いのちのはやて)』の額下に、

初号活字で「神も抹する能わず」 左下に 
「それが金剛不壊の汝自身である」とやや小さい字で副題してある
キャッチフレーズに私の目は吸いつけられた。

それは人間の胸をガーンと殴るほどに雄渾な文句だ。

この書籍に対する待望の一念で自殺は一時中止して、
真に一日千秋の思いで待つこと10余日、
やっと到着したのは昭和10年1月号の 『生長の家』 誌であった。 

『太陽』や『キング』や『文芸倶楽部』を見なれた目には、
64ページB6判の雑誌ははなはだ貧弱に見えて、
ちょっと物足らぬ感がしたものの、あの日から11日間
私を自殺から引きとめていた雄渾なる広告 ――。 

雑誌の体裁が貧弱であろうと、この神秘なる魅力ある広告文を作るほどの
広告作成者(アド・プランナー)を使う谷口という人は
非凡の人にちがいないと、心の感激をかきたてて雑誌を読み出す、
読むうちに驚いた。 

感心した、敬服した、うなり出した。

一字一字が宝石のように輝き、各行から光を発するようである。 

「と云うことになる筈であるのであります」 といった
回りくどいクネクネした文体が、チョウを捕えるクモの網のような
魅力をもって私を恍惚たらしめる。 

新聞社の社長室で一気に読んでしまい、その感激で自宅に走って帰り、
2階書斎でまた2回繰り返して読む。 

奥付のすみずみまで読みおわるや、思わず大声で 
「助かった! ありがたい! 
ああ、死ななくてよかった」 と、

‘ひし’と雑誌を抱きしめ、狂喜して、
子供のように畳の上をあちらへコロコロ、こちらへコロコロと
転げつつ嬉し泣きに泣きむせんだ。

やがて涙をふいて縁側に出ると、
早春の空の深い碧さ、銀色に光る白雲、
松葉がことごとく金銀に輝き、夕雀の群れがみな一様に
私に話しかけているようで、その啼き声の意味が何だか
私にわかるようだ。 

一体この世界は、今までもこんなに荘厳な美しさだったのか ―― 。

「そうだ。これが今読んだ実相世界の風光そのものだ。 
 私はすでに菩薩なんだ!」

私は涙に頬を濡らしながら、呵々大笑した。

10年ぶりに今晩からお仏壇拝礼を復活しようと、
夕飯後、お仏壇の前に坐って御灯やお線香を焚きはじめると、
妻はその後ろ姿を不安な瞳でじっと見る。

お鈴を鳴らして 「帰命無量寿如来 ―― 」 とはじめると、
うしろで縫い物の手を止めてじっと私を見つめる、
その視線が背筋にひりっと感ずる思い。

今日読んだばかりの 『生長の家』誌で、
一偈一偈の意味がありがたく身に沁みてわかるので、つい涙声にもなる。

 「極重悪人唯称仏、我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、
  大悲無倦常照我 ・・・ 」

ああ、ありがたい! 私のような凡愚不信のものでも、
実相の如来は一瞬のお見放しもなく、常にお慈悲の光で
つつみ護って下さっているとは、何というもったいないことだ。 

嬉しさ、ありがたさがこみ上げて、ついに泣きむせぶ、と、

妻はとっさに、「しっかりして! すぐ電話しますから」 

「え? どこへ電話する」

「あなたは私にかくして晩酌の中に毒薬を入れて服んだんでしょう。
 もう今日は昼からようすが変なので、さてはと
 わたしは気を配っていたんだけど、いつの間にか服んでしまって、
 医者を呼びますから」

「おいっ、待て、毒なんか服まんよ。 私がなんで自殺するもんか」 

「いいえ、新聞社のことで苦しんでいるのはわたしだって
 よくわかっていますけど、女でどうにもしようがないし、
 実家の父に言ったとて手に合わぬ大金だから、黙っていたんです。
 手おくれになったら大変です。 お医者さんを呼びます」

私は丹前のふところにしまっていた 『生長の家』誌 を出した。

「今日、東京から送ってもらったこの雑誌で、
 10年この方の不信心と事業の不振とは、
 同じ心の裏表だったとわかったんだ。 

 それでおわびのお読経(つとめ)だよ。
 これっぱかりの負債で自殺するような東山半之助だと思うか。
 見くびるなよ!」 

昂然と肩を張ってそういうと、せがれの裕も、

「そうじゃ、お母さん、東山空洋(筆者のペンネーム)は
 四国の千早城主だと 徳富(蘇峰)先生さえほめているじゃないか。
 自殺なんて馬鹿な、ハハハ ・・・ 」

と笑う。 

自分より背の高い我が子を見上げ、

「うん、裕君はえらい! そうだとも!」、

と豪傑笑いはしたものの、
遺書7通を並べた帳箪笥の袋戸棚をそっと見上げる‘うしろめたさ’。 

やっと安心して笑顔になった妻と肩をならべて 「帰命無量寿如来」 から
またやり直しのお読経のほのぼのとした法悦境。 

こうしてこの夜は、私の転心・新生の日となった。 

7通の遺書は、翌朝妻を郵便局へ行かせた留守に、
台所のかまどで全部焼きすて、奉書巻紙の残灰を溝に流して淫滅した。

やがて、待ちこがれた 『生命の實相』 の、
黒紬貼りに金線の重厚な装幀の第1巻、2巻、3巻と配達され、
私は貪りくらうように家庭でも、社長室でも、寝床の中でも、
‘しゃにむに’一心不乱に読みふけった。 

死の深淵の崖にさまよった私は、ここに黄金の太綱にすがりついたのだ。

        <感謝合掌 令和4年11月2日 頓首再拝>

人間は物質に非ず、生き通しであると云う確かな証拠~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/03 (Thu) 15:40:57

人間は物質に非ず、生き通しであると云う確かな証拠~谷口雅春先生
  小林昭三青年のこと
seimeinojissoh(2022/06/06)
https://www.youtube.com/watch?v=PrFOu4YwfPs

        <感謝合掌 令和4年11月3日 頓首再拝>

人間は物質に非ず、生き通しであると云う確かな証拠 小林昭三青年のこと - 伝統

2022/11/04 (Fri) 04:51:27


        *『光の泉』(昭和28年新年号)より

この講話は、「光明掲示板・第一」で、
”童子さま”によって、謹写されております。
是非、ご確認くださいますよう、お勧めいたします。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=379


以下は、その要点を抜粋したものです。

         *『光の泉』誌(昭和28年新年号)より

(1)昨年の十月、新潟県三條町の青年講師、
   小林昭三君が昇天したときのことです。

   実に此の青年は、霊魂の脱出をハッキリ自覚しながら、
   霊魂が肉体をはなれて天界に昇ったのです。

(2)岡山県の久山信也さんの昇天も、
   肉体が坐ったまま霊魂が昇天せられまして、
   肉体死後、「霊魂の存在を知らして下さい」とたのみますと、
   故障の起っていたラジオ・セットを、
   一夜のうちに修理して鳴るようにせられました。

(3)小林昭三君の霊も、霊の生き通しを知らして下さいと云いますと、

   サラサラと霊風が吹いて来て風もないのに
   小机の上の活花を下から上へと
   揺り動かして見せたと云うことであります。

(4)小林昭三君の荘厳なる霊の昇天

  ①昭三君は、肉体よりも霊魂に重点を措いて、
   肉体を道具として霊魂の進化をはかると云うよりも、

   肉体をとび超えて霊魂だけ急速に向上しようと云うような
   烈しい性格の人でありましたから、
   肉体は徐々に霊魂から見棄てられて衰弱してまいりました。

   昭三君の母と春恵さんの心配は、
   若し昭三君に万一のことがあった場合には
   医者にかかっていないので死亡診断書が貰えないかも知れない
   と云うことでした。

  ②昭三君の肉体はますます衰弱してくるけれども仕事は一日も休まない。
   肉体は衰弱してくるに従って昭三君は
   霊魂が肉体から遊離し易い状態になっていたのであります。

   その昇天の四十日前頃から一種の霊媒的状態になり、
   指導を求めて来た人に対して、
   「神様が斯う被仰る」と云うような事を云って、
   それがピタリピタリと実現するのでありました。

   小林昭三君は時々、自分の霊が霊界に脱出して
   他の霊が入れかわって霊媒状態になり、
   霊のお告げをきかせるようになっていたのであります。

  ③昭三君の昇天の日、
   小林昭三夫妻の媒酌をした医学博士饒村祐一さんが来られました。
   時間の都合で帰る汽車がなくなり、
   饒村博士は昭三君宅へ一泊することになったのでした。

  ④(昇天前の昭三さんの言葉)

   「春恵、生長の家の霊人がこう被仰るよ。
    業が一瞬にして自壊する相(すがた)だよと。」

   「春恵、私の霊は肉体をぬけて終ったよ。
    肉体はただ惰性で生きているが、
    これも間もなく停止するよ。
    併し人間は死ぬのではない。」

   「春恵、心を取乱すな.人間は本来死はないぞ。
    不生不滅であって、生滅を超えた『本来生』なのだ。
    滅はないのだ。
   
    輪廻転生は素直に感謝して享けるのだ。
   
    現象に『人』はいないぞ。現象を相手にするな。」

  ⑤(昇天時)

   暫くして、三條から母が到着しました。
   「昭三君、大変楽しそうだね。」

   「はい、有りがとうございます」と昭三君は母の手をしっかり握って
   うれしそうな表情がその顔に浮ぶ。

   そして母に
   「お母さん私は疲れました。春恵も疲れている。ゆっくり眠もうのう。」

   「おお、その方が好いな。」と母はいたわるようにいいました。

   「お母、『甘露の法雨』を春恵から読んでもらう。」

   「昭三。春恵さんは疲れているから私が読んであげようなァ。」

   「そうねえ。春恵は疲れているな。
    そう、そんなら読まなくても大丈夫。
    眠まれるよ。
    もし眠めなかったらお願いしますよ」

   そう云うかと思うと、
   昭三君はそれっきりガクリと肉体の力が尽きる・・・・・・
   肉体の呼吸も脈拍も止ってしまったのでした。

   それは実に安らかな、しかし静寂にして厳かな
   生長の家信徒に往々にあるところの
   合掌して肉体が坐ったままの霊(たましい)の昇天でした。

(5)肉体死後も斯くの如く生きている

  ①春恵さんは、「人間、生通し」の真理を教えられていましても、
   肉体の死を見ると悲しくて涙が流れて来るのでした。
   そして寝棺の前に坐って合掌して昭三君の魂に呼びかけました。

   「お父さん。春恵は、お父さんを肉体だけだと思って、
    真理がよくわからないで、肉体の死をなげいて
    貴方のお棺の前で泣いているのです。

    どうか、これから『久遠いのちの歌』を読みますから、
    春恵に貴方が死んでいらっしゃらないことを、
    生きていらっしゃることを教えて下さい。」

   こう彼女は掻きくどくように云ってから
   『久遠いのちの歌』を読みました。

   『久遠いのちの歌』の終る頃になりますと、
   風もないのに、何と云おうか、春恵さんの頭の上に
   サラサラと輝く波のような軽く押すような波動が起こって
   しばらく彼女の頭を愛撫するように揺れるのでした。

   その瞬間、春恵さんの悲しみの感情はけし飛んでしまって
   黎明のようにすがすがしい明るさが差し登りました。

   おそらく昭三君の魂の光明輝く歓喜の波が春恵さんの心を
   明るく照りかがやしたからでありましょう。

  ②霊柩の側には、
   加茂市からお伴して来た加茂山新田の小出タケさんが
   悲しげな表情をして坐って黙然していました。

   「タケにも、霊は生き通しだと云うことを知らして下さいと、
    小林先生の霊魂にお願いしてご覧なさい」

   と春恵さんは小出さんに云いますと、
   小出さんは、そのように黙然しました。

   またしても、美しいさらさらと気持のよい波動が小出さんの頭の辺に起ると、
   タケさんは急に霊前の小机の上に頭を押しつけられたような姿勢になって、
   気持よさそうに昏々と恍惚状態をつづけるのでした。

   あまりいつまでも昏々と恍惚状態を続けているので、
   春恵さんは小出さんの背中を叩くと、
   小出さんは、やっと恍惚した状態からさめて、
   「本当の霊魂の存在がわかりました」と云いました。

  ③そこへ三條会館の加藤マキさんがこられて、
   棺に向ってすすり泣いているのです。

   「マキさん、そんなに泣かないで、
    先生の霊に霊は生き通しだと云うことを知らせて頂きなさい」

   と春恵さんが云いますと、

   この時は、風もないのに
   小机の上に供養の花がヒラヒラヒラヒラと下から上に、
   下から上にと枝を昇って揺れつづけるのでした。

   「お父さん、よくわかりました。それでよいですよ、よくわかりました」
   と春恵さんが云いますと、供養の花は揺れるのをピタリと止めて、
   元のままの静さに復りました。


   このようにして、昭三君の霊は、みづから肉体から脱出することを自覚し、
   肉体から脱出た直後にも、ある働きを通じて、肉体は人間ではない、
   「生き通しの霊」こそ本当の人間だと云うことを知らせることが出来たのは、
   高級霊であった証拠であります。

(6)養嗣子の良一君の手遅れの盲腸炎が手術なしに治る

   (医者から手遅れ状態だとの診断があった頃)

   夕刻、高田から霊媒になれる人が春恵さんを訪れてまいりました。
   良一君の病床の側に坐ると、突然その人が、霊媒状態になりました。

   そして昭三君の声で、

   「春恵、良一が病んでいるな、私が治してやる。心配するな」と云いました。

   そして霊媒は眼を瞑っていて、
   良一君の身体が何処にどんな位置にあるか見えない筈だのに、
   良一君の盲腸の部分を軽く撫でて

   「病気はない。これでよい。起きて御覧」

   と云いました。

   良一君は起上がりました。

   やがて外科の医長が往診に来てよく診察した挙句、

   「とにかく現在では外科のものではありません。
    手術しないでよかったですね。
    しかし熱が熱だから、これは内科へ廻ってもらいたい」

   と云われました。


   春恵さんは、良一君をそのまま神様に全托して、安心し切って
   長岡市の生長の家講習会を受けに行かれました。

   帰って見ると、良一君は完全に平熱になり健康を回復していました。

   これも昭三君の霊魂が昇天せられてからの
   一つの奇蹟と云えば奇蹟であります。

(7)(谷口雅春先生の結語)

   新たに生れるとは、永遠に死なない「生命」が自分であって、
   自分と云うものは「肉体」でなかったと云う
   新しい自覚に新生することでなければならないのであります。

   ここに人間が新たに生れる鍵があるのであります。

   「われは復活なり、生命(いのち)なり、真理なり」

   とイエスは仰せられました。

   昭三君も死して、更に次の「生」へ復活して
   無限に向上しつつある生命(せいめい)であるのであります。

        <感謝合掌 令和4年11月3日 頓首再拝>

人間は霊的実在であるという体験~粟野真弘 - 伝統

2022/11/05 (Sat) 04:55:07

人間は霊的実在であるという体験~粟野真弘
seimeinojissoh(2022/06/06)
https://www.youtube.com/watch?v=LfLZ_Tr0s6c

        <感謝合掌 令和4年11月4日 頓首再拝>

われわれの生命は永遠に不滅である 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/05 (Sat) 13:08:45

われわれの生命は永遠に不滅である 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/07)
https://www.youtube.com/watch?v=b7J_QBPfTis

        <感謝合掌 令和4年11月5日 頓首再拝>

絶対の信 - 伝統

2022/11/06 (Sun) 04:53:51


       *『生長の家』(昭和56年11月号)より
         ~ 生長の家本部理事長  和田 英雄

谷口雅春先生は一貫してお説き下さっておられます。

 「人間は神の子なんだよ、肉体ではないんだよ、物質ではないんだよ」

そこで 「ハイ!!」 と言って信仰を有つと、
深いところで人間を把えることが出来るのです。 

「本当にそうでしょうか?」 と言って疑う人もあるが、
「疑うなら徹底的に疑ってごらん」 と、先生は仰言る。 

疑って疑って行きますと、しまいに何が何だか分らなくなってしまう。 
分らなくなって 「どうしてだろう、不思議だなあ、妙だなあ」 と
そこに妙が出て来る。 
結局、疑って行った先も、妙だけしかなくなってしまう。

この 「妙」 の世界というのは、結局、何も無くなってしまう世界である。 
空っぽの世界であり、真空の世界であり、未知の世界である。 

そこにはもう ‘芯’ であり、ここまで辿りついたらいよいよ 
‘信’ の世界、信仰だけの世界に入って来るわけであります。

 
谷口雅春先生は、『生命の實相』 の中でニュートンのことを述べておられます。 

ニュートンは “妙” の天才であった。 
誰も妙だと思わないのに、彼だけが、リンゴが落ちるのを見て
 “妙だなあ” と不思議に思った。 

そうしてついに、そこに万有引力の法則があることを発見した。 

しかし、もっと奥へ入ってみたらどうだろう。 
どうせ妙だと思うのなら、もっと徹底的に奥まで入ってみたら、
そこでこの法則を司っている本は一体何なのだろうと思うにちがいない。 
そう思った時に、神を発見できたであろうに ――

こういう内容のことを、先生は書かれています。

私たちだって同じことですね。 ものごとの門口だけで
ウロウロしているのではなく、徹底的に奥まで入って行かなければ、
真実は分らない。 

無の門関をとび超えて行かなければ、真理はわからない。 
だから禅では難しい公案をわざわざこしらえては、
何とか無の門関を超えさせようとするわけです。

ところが、谷口先生はもっと素晴しく教えて下さっている。 
はじめから門なんかない、ただ “ハイ” と言って
神を信じてしまえばよいのである  ――  と。

谷口清超先生の今日の御法語に書かれていますね。 
「信じて行なうことと疑って行なうこととの間には、
 結果に差があることが分ったからである」 と。

そこで、吾々が 「信じて行なう」 とき、
何を信じるかというところが問題になります。 

科学のもっと奥にあるところのものを信じて行かなければならない。 
それは何であるかと言えば、‘実在’ であります。

スペンサーという哲学者は 「第一原理」 という言葉を使っています。 
何か原因があってそこから作られているもの、はじめから在るものである。 
それが実在であり、実相である。 

そこに厳然として在るのだから、疑いようもない。 
しかし、在ると言っても、吾々の五官や六感でつかまえられるものではなくして、
無限に存在しているものであって、もう信じるより他に仕方がないわけであります。

弥陀和讃の中には 「信心喜ぶその人を如来と等しきと説き給う」 とあります。 
信心することが、もう嬉しくって嬉しくってたまらない、
それがそのまま如来の世界である

 ― 「大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり」 ― 徹底的に信ずるとき、
そこにみ仏の御いのちが顕れて来るのである  ――

それが私達の生命の実相であると、
谷口雅春先生は教えて下さっているのであります。

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/fd96e492308629e6272557ea47cacd16
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-26)

        <感謝合掌 令和4年11月5日 頓首再拝>  

幸福と想念の力 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/06 (Sun) 15:11:30

幸福と想念の力 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/07)
https://www.youtube.com/watch?v=gzJ1d-DCeWw

        <感謝合掌 令和4年11月6日 頓首再拝>

字のクセ ― 潜在意識 - 伝統

2022/11/07 (Mon) 04:53:44


       *『精神科学』 より
        ~徳久 克己 医学博士 

その人の書いた字をみると、その人の性格がわかる、と昔からいわれています。 
ですから筆跡判断などもできるわけです。 

筆と墨で、『一』 の字を書かして、その人の運命判断をする人がある、
ということも聞いています。 それはたしかにあたるでしょう。

なぜ字にクセがあるのでしょうか。 
それは、その人の潜在意識のなかに積み重ねられた習慣が出るからです。 

私は自分の字のクセに不満を感じまして、
二回ばかり自分の字の書き方を根本的に変えるように努力したことがあります。 

大学時代にノートをとった時に、早く書いて、わかりやすい、
ということを常に心がけて書いていましたために、
字に妙なクセがつきましたので、それを努力して変えました。 

その時には字を書くのがとても遅くなりました。 
なぜかといいますと、一字一字、考えて書くからです。 

このような字を書こうという意志に従って、
一字一字、とても注意して現在意識を働かして書くのです。 

字を書くのに、いちいち考えながら習字の練習のような書き方をするのですから、
おそくなるのは当り前です。 

私は自分の書く字のクセを変えようという努力をしてみて、
潜在意識というものが、どんなに強力な力をもっているのかを
改めてしみじみ知りました。

それまで何も考えずにどんどん書いていた時には、
この字を書こうと思うだけで、どんな形に書こうと考えずに、
無意識に書いていました。 

つまり潜在意識でかいていたわけです。 
自分の長い間の習慣に従って、自分なりのクセに従って書いていたのです。

ところが、その字の形を変えようとしますと、
一字一字、有意識で、考え考え書かねばなりません。 

新しい形の字を書こうと努力しても、いつの間にか前のクセが出て、
それを変えるのに私はとても苦労しました。 

私は自分の字のクセを変えようと努力してみて、
人間が心を入れかえて新しい生活に入るということは、
なみなみならぬ努力がいるものだということもわかりました。

字のクセを変えるだけでも、こんなに努力がいるものなら、
生活全体のクセを変えるためには、
自分を絶えず精進する必要のあることを感じました。 

字のクセを変えるのでも、私のようにその日からムリヤリに変えようとしますと、
ひどく努力が必要なのですが、
習字といって、手本を習って、手本どおりに書く練習を長く続けますと、
ひどい努力をして苦しまなくても、いつの間にか字が変ってきます。

それは手本をみて、自分のクセを捨てて、
スナオに手本のとおりに書く練習をすることによって、
古いクセを捨てようという努力でなく、新しい字の形を繰返し書くことによって、
潜在意識のなかに入れてしまうことなのです。


この習字によって自分のクセのある字を変え、
新しい自分の希望する字にする方法を、人間の日常生活に応用しますと、
生活を楽にいつの間にか変えることができます。 

今までの古いクセを気にせず、
新しいよい習慣を繰返し繰返し練習すればよいのです。 
古い悪いクセを気にして、それを直そうとするのではなく、
新しい良い習慣を一つでも多くつけようという努力をすることです。

毎日、無意識に書いていて、私の字はこんなクセの字だと思っている人でも、
習字によって新しいクセを潜在意識に入れれば、その人の書く字が変るのです。 

繰返し新しい習慣をつけて、潜在意識を変えれば、性格でも運命でも変ります。 
小さいことでも、繰返しと、積み重ねで、潜在意識をかえ、
自分をより良い方向にむけましょう。 

自分の性格や運命は自分のことですから、
自分で努力して良い方向にむけることです。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p29.html
晴れときどき(March 27, 2014)

        <感謝合掌 令和4年11月6日 頓首再拝>

いのちを拝む 榎本恵吾 - 伝統

2022/11/07 (Mon) 13:13:06

いのちを拝む 榎本恵吾 『光のある内に--聖歌のすすめ--』
seimeinojissoh(2022/06/14)
https://www.youtube.com/watch?v=AAH1M38BNSs

        <感謝合掌 令和4年11月7日 頓首再拝>

あなたの魂の奥底には全智全能の力が宿る - 伝統

2022/11/08 (Tue) 05:01:29


            *昭和46年1月9日 ラジオ放送分 より
             
インドの神話に、こういう話がございます。

神様はその全智全能の力をもって、
神の子を人間としてお創りになりまして、
それに全智全能の力を授けたのであります。

ところが人間は、その全智全能の力を利用して、
勝手気侭な振舞いをして、とうとういろいろの乱行を営む
ということになったのであります。

そこで神様は、彼にそんな全智全能の力を与えておいたらいかんから、
あれを奪い取って何処かへ隠さなければならないというので、
八百万神を集めて、彼に与えておいた全智全能の力を奪い取って、
どこへ隠したらよかろうかという相談をしたというのであります。

ある神様は、
「その全智全能の力を山の奥へ隠しておいたら、彼は発見しないであろう」 
と言いましたけれども、山の奥などへ隠したのでは、すぐ発見されるというので、
それでは地面の奥深く埋めておいたらよかろうと言いましたけれど、

いや、人間は、やがて科学の力によって、地面の底まで掘り出して、
また探し出して、全智全能を我がものとして
勝手気侭な振舞いをするかもしれないから、
地面の底では駄目であるというので、

それではどうしたらよかろうかということになりました。

それは海の底へ埋めたらよかろう。 いや、科学が発達してくると、
海洋開発ということになって、海の底に沈めてあるところの
全智全能の力をまた掘り出して、それを使って勝手気侭なことをする
ということになる恐れがある。 

それではどうしたらよかろうかなどと考えましたけれども、
八百万神は、どこへ隠したらいいか、
どうしても見当がつかないのでありました。

その時に、一番中心の神様がこうお仰言ったのであります。

「そういう外の世界へ隠したのでは、科学の力によって必ず発見される。 
 けれども、科学の力で発見されない一つの隠し場所がある。 
 それはどこであるかというと、彼の魂の奥底だ。 

 彼の魂の奥底へ隠しておいたら、彼は外ばかり探して、
 ついにそれを見出さないであろう」

こう言われて、人間の魂の奥底に、
全智全能なるものを埋めておかれたという話であります。


この話は、全ての人間には、全智全能なる実相が
宿っているということを表わしているのであります。 

その全智全能なる実相を発見して、
今まで肉体が自分であると考えておったところの考えから一転して、
内に宿るところの全智全能なる神なる本質 ― 即ち実相、それを見出して、
その実相に則って生きるというのが、これが “新たに生れる” 
ということなのであります。

キリストは 「人新たに生まれずば、神の国を見ること能わず」
 ― こういうように仰言ったのであります。 

その新たに生まれるというのは、決してもう一度母親の胎内に宿って、
生まれ変って出るということではないのであります。 

自覚によって、今まで肉体が自分だと思っておった迷いから目覚めて、
霊なる神の命 ― 全智全能がその内に宿っている、その霊なる神の命が
自分の実相、実の相(すがた)であるということを見出して、
この実相に則って生きるのが “新たに生まれる” ということなのであります。


■『真理の吟唱』、言葉の力で内在の神性・仏性を引き出す

その実相を悟って新たに生きるのには、どうしたらいいかというと、
言葉の力によって、内部に宿っているところの実相を引き出すのであります。 

全ての宗教というものは、「南無阿弥陀仏」 と念仏するのも、
「南無妙法蓮華経」 とお題目を唱えるのも、
あるいはキリスト教において祈りを唱えるのも、悉く言葉の力なのであります。 

自己に内在するところの神性 ― 神なる本質、仏性 ― 即ち
仏の本性を引き出すのは、言葉の力によるのであります。

キリストは、「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」 
と言ったのであります。 

しかし 「真理とは何ぞや?」 と言いますと、
人間は神から無限の智慧と力と愛と、
あらゆる善きものを与えられているという実相、
それを悟ることが、真理を悟るということであります。

1回や2回、真理の書物を読んでも、脳髄の表面をかすめるだけであって、
本当に命の力となるためには、毎日繰り返してそれを朗読するということが
必要なのであります。 

どうぞ皆さんも 『真理の吟唱』 を毎日吟唱して下さいまして、
言葉の力によって潜在意識の中に真理を印象して、
そして本当に新たに生まれ変って幸福なる人生を送られんことを希望します。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/a21e0ac798a9c0f12258aa4dfcbee9ad
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-25)

        <感謝合掌 令和4年11月7日 頓首再拝>

自覚を深めるための初伝 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/08 (Tue) 15:53:33

自覚を深めるための初伝 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/15)
https://www.youtube.com/watch?v=7xlKIwh2TnY

        <感謝合掌 令和4年11月8日 頓首再拝>

気品はどうして得られるか。~谷口輝子先生 - 伝統

2022/11/09 (Wed) 05:00:11

        * 谷口輝子先生著『めざめゆく魂』(P43~44)より

それは、気高い心を持つことであり、
気高い行動を日常に為しつづけることである。

自分の職業が良心に恥じないものであり、
自分の仕事が、たとい屑拾いであろうと、便所掃除であろうと、
いささかも賤しいものでなく、

何かのお役に立っている大切な仕事の一つであると信じたら、
その人の容貌は決して下品にはならないのである。

どんな仕事にも、正しい心で接し、愛の心で行えば
明るく尊い表情となるより仕方がないのである。

先祖代々の劣等感によって、生れつき低い鼻や、
頬骨の高い顔だちになっていても、

今、自分が尊い神の子であることを悟り、
神の子らしい気高い心となり、神の子らしい生活をして行ったら、
一日一日と神の子らしい気品が現われて来るようになり、

その人の心境の速度や深度に比例して、
その人の雰囲気の浄化も大きくなるのである。

親の心境の高まるに従って、
その子らも高貴の相貌へと変って行くに相違ない。

        <感謝合掌 令和4年11月8日 頓首再拝>

あなたの家庭を幸福の家とするには 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/09 (Wed) 13:36:49

あなたの家庭を幸福の家とするには 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/15)
https://www.youtube.com/watch?v=5olW5mMAyb8

        <感謝合掌 令和4年11月9日 頓首再拝>

人間は第二の創造者である~谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/10 (Thu) 04:59:10


         *『生長の家』(昭和40年2月号)より

この世の中には、「神がある」と思っている人もあるし、
「神なんてない」と思っている人もある。

それでも、競合名称で「神」を考え、
神に一致した生活をしようとしているのである。

唯物論者であり、社会主義者である人でさえ、
「社会的正義が行われなければならない」とか、
「富を正義に分配しなければならない」とかいう理想をもって、

その理想の実現のためには身を挺し、生命の危険をも顧みず
奮闘している者があるのは、それは無形の存在ではあるが、
有形の存在(肉体の生命)を棄却してでも、
それに応じなければならないところの尊貴な神の存在
(「正義」と称するようなもの)があることを信じているからそうある。

あるいはまた、
「この世界は神が造ったのではない、自然にあるのだと思う」と
いう人もある。ある。

自然は、今もあり、過去にもあり、未来にもある。
過去・現在・未来を通じて永遠に、その法則によって
一切のものを造り出しつつあるのが自然であり、神であるのである。

 
聖経『甘露の法雨』には、神を「宇宙を貫く法則」として示されている。
自身の創意によってその運命を切りひらくことはできなかったのである。

動物でも精神的な要素をもっていて、巣を計画したり、
産卵の場所を定めたりします でも、大体、「本能」と称する
他の動的な力によって動いているのであって、自己の精神の境地
自主的な計画や希望や理想によって動くのではないのである。

併し、人間に於いて、神は自己のイメージを具体化して
あくまでその全相を明らかにされたものであって、
人間は神のイメージとして、自然界の法則に随いながら、
原則法則に支配されるのではなく、自然界の法則を否定して
希望を実行するのみならず、さらに「心の法則」を発見して、
自己の運命を「心の法則」によって変革することができるのが人間なのである。

つまり人間に於いては、神が“真空”の世界から“想念”の方法によって
一切を創造したと同じように、

“想念”を否定することによって万物を創造し、
自己の運命さえも変革することが出来、まことに人間は「神の子」と称するに
ふさわしき「第二の創造者」となったのである。

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p29.html
晴れときどき(2014 年 3 月 23 日)


        <感謝合掌 令和4年11月9日 頓首再拝>

真理は爾を自由ならしめん 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/10 (Thu) 13:29:57

真理は爾を自由ならしめん 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/19)
https://www.youtube.com/watch?v=p47CFB43ZKU

        <感謝合掌 令和4年11月10日 頓首再拝>

生長の家の念願 - 伝統

2022/11/11 (Fri) 04:52:48


       『生命の實相』第1巻総説篇(P37~39)より

人間の念(こころ)は幼ければ幼いほど、
まだ一定の習慣性を備えていませんから、
善い方へでも悪い方へでも環境に感化せられやすいのであります。 

これを悪い環境のうちに放っておけば不良少年少女となるべき者も、
幼いときから生長の家式に、 愛 と 信 と 讃嘆 との環境において
感化を受け、事物の明るい方面に心が向くようになっていれば、

彼らのたましいは健やかに伸び伸びと発達しまして、
ひねくれた厭味な性格や、人を苦しめることで
自分の快感や利益をえようとするような卑劣な性格は影を潜め、

これらの少年少女が成長して社会の中堅となって行くころには、
人類がこの世界でつくる悪業もよほど減ってゆき、
地上に天国建設の理想実現にだんだん近づいてくるに相違ないのであります。


生長の家が、聖典の 實相篇、光明篇、生命篇、観行篇等によって
人間の肉体を健康化する道を説き、「生長の家の生き方」 によって
生活を光明化する方法を指導するほか、

さらに 「生長の家の教育法」 によって人間を若芽のうちから、
その神性を発揮せしめ、天才を伸ばさしめようとしているのは、
地上の天国建設を子供の生長と共に生長せしめたいと
念願しているからであります。

 
存在(ものみな)の実相を円満完全なりと認むる
この 「生長の家」 の人生観と、生活法〈生長の家の生き方〉 と、
児童教育法 〈生長の家の教育法〉 とが全世界を風靡するようになれば、
その時こそ地上天国の成就せるときであります。

そのときにはメタフィジカル・ヒーリングによってこの世に病なく 
「生長の家の生き方」 によってこの世に苦悩なく、
「生長の家の教育法」 によってすべての人間はその子供の時から
神性の発達を妨げられないで、皆そのもって生まれた天才を発揮する
ことになるのであります。

こんな世界がいつ来るかは初期に 「生長の家」 に集ってくださった
熱心な同志または誌友の尽力にまつところが多いのであります。 

しかし何事も生長は徐々でありますから
今はその第一歩からはじめてゆかねばなりません。

「生長の家」 で最初に天国建設事業として手を出そうとするのは、
やはり正しい人生観と、正しい生活法と、正しい教育法とを
出版物によって人類に知らせることであります。 

本書が出版されたのも、地上天国建設事業の一端でありますが、
この人生観、生活法、教育法を実地におしえる学校のようなものも、
「生長の家」 の誌友たちによって生まれて来るに相違ないのであります。 
すでにその芽生えは所々に生えかかっています。

ああ、人生はなんという喜ばしさだ! 
わたしは諸君とともに手をたずさえて、
この善き事業が大きくひろがる日のために尽したい との念願で一杯です。

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/19440c136f2118ce0d9a4b1292771409
VANNON32のブログ『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-31)

        <感謝合掌 令和4年11月10日 頓首再拝>

真理を生活に実践するための"動的工夫” 谷口雅春先生 - 伝統

2022/11/11 (Fri) 13:29:20

真理を生活に実践するための"動的工夫” 谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/19)
https://www.youtube.com/watch?v=-z-51IxOCTc

        <感謝合掌 令和4年11月11日 頓首再拝>

デリケートな「成功の樹」を育てるには - 伝統

2022/11/12 (Sat) 05:00:04


      *谷口雅春師 『進歩的産業の生き方』 より
       (「精神科学」掲載 ~心に“繁栄”を描け)

いつも自分の携わっている事業又は仕事が旨く行かないと
呟いている人間で成功したという事実を私は未だ聞いたことはないのである。

あなたの心の事物の暗い面に引っかかっらせて
グズグズ思い煩うようなことは決してするな。 

市場の不景気の話や、金融逼迫の話などを断じて語るな。

“言葉の力”を駆使して繁栄のみを語るようにし衰退のことを決して語るな。

多くの産業人は慢性的に不平不満のコボシ屋になったり
欠陥ばかりのサガシ屋になっているのである。 

このような人たちにとっては、運命は常にきびしきものとなるのである。 
また彼らは常習悲観論者になっていて
事物の光明面や成功面を決して見ないのである。 

こんな人たちには繁栄は決して訪れて来られないのである。

 
“成功の樹”はデリケートな樹であって、
それを育てるには心に太陽の明るさが要るのであり、
それを育てる肥料としては、鼓舞激励を要するのである。

わたしたちは、自分が常に心に描き、心に宿し、
間断なくわが思いを馳せているところのものを段々成就し、
層一層それを増長せしめる傾向をもっているのであり、

また自分が憎み、軽蔑し、習慣的に否定しているところのものを
剥落せしめて、それと異なるものとなる傾向をもつのである。

わたしたちが今当面しているところの困難を心で否定するならば、
それが今まで吾々を縛っていた縄を解き、やがてそれは消えてしまうのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p30.html
晴れときどき(2014 年 3 月 28 日)

        <感謝合掌 令和4年11月11日 頓首再拝>

相互合掌挨拶のおこり 東山半之助 - 伝統

2022/11/12 (Sat) 14:14:25

相互合掌挨拶のおこり 東山半之助
seimeinojissoh( 2022/07/19)
https://www.youtube.com/watch?v=zV3MyODex4c

        <感謝合掌 令和4年11月12日 頓首再拝>

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