伝統板・第二

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賢者の一日一言(R4年6月) - 夕刻版

2022/06/02 (Thu) 04:52:57

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。


このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「『一日一語』(二宮尊徳) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7539379

(2)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

(3)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223

(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733095

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言63~愛と祝福の言葉の力」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7985461

・・・

賢者の一日一言《1日》

(1)【 6月1日 】天徳に報ゆる

   常に天徳に報ゆる無ければ常に天徳を失う
   常に天徳に報ゆる有れば常に天徳を得る

         〇

   常に文徳に報ゆる無ければ常に文徳を失う
   常に文徳に報ゆる有れば常に文徳を得る

         〇

   常に婦徳に報ゆる無ければ常に婦徳を失う
   常に婦徳に報ゆる有れば常に婦徳を得る

                 (報徳訓)


   【略解】

   すべては感恩報徳の一語に尽きるとの教えです。

・・・

(2)【 6月1日 】人生の歩み方① 

   人間の活動を大体60歳頃までと考えますと、
   そのうち20歳までは志を立てる時代と言ってよく、
   すなわち将来国家社会のために役立つ人間になろうという志は、
   15歳頃から、遅くとも20歳までには確立せねばならぬのです。

   そしてそれから以後の20年は、
   いわば準備期と言ってもよいでしょう。

・・・

(3)【 6月1日 】 《六魚庵箴言》

   狭くともいい
   一すじであれ

   どこまでも掘りさげてゆけ

   いつも澄んで
   天の一角を見つめろ

・・・

(4)【 6月1日 】 義より大なるはなし

   士の道は義より大なるはなし。
   義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。  

              安政2年3月「士規七則」

   【訳】

   武士の生きていく道は義、人として正しい生き方の他にはない。
   それは勇気によって実行される。
   また、勇気は正しい生き方のよって更に成長する。 

・・・

(5)《1日 原因結果の法則》

   蒔いた種は生(は)える。
   蒔かない種は生えぬ。
   瓜(うり)の蔓(つる)には茄子は生(な)らぬ。

   これは原因結果の法則である。

   蒔いた種は、蒔いた以上に増大して刈り取ることになるのである。

   ラジオの波長を合わすのも同じことである。
   たった1回波長を合わせておいたら、その波長の放送はどれもこれも
   全部アンテナにかかって来てそれが実現するのである。

   何よりも大切なことは、
   貴方の精神の全体的な波長が明るいと云う事である。
   明るい所に心の波長を合わせて置いたら凡(あら)ゆるよい物が、
   その心のところに集まって来て実現するのであります。

   人の富を贅沢だと思ってはならない。
   それは富を否定する心であるから自分の富も否定せられる。
   すなわち自分も富むことができなくなる。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P182~183))より

           <感謝合掌 令和4年6月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2022/06/03 (Fri) 04:04:28


(1)【 6月2日 】人道の極み

   予は人に教ふるに、
   百石の者は五十石、
   千石の者は五百石、
   総てその半にて生活を立て其の半を譲るべしと教ふ。

   (中略)

   各々明白にして、
   迷なく疑なし。

   此の如くに教へざれば用を成さぬなり。

   我が教是れ推譲の道と云ふ。
   則ち人道の極みなり。
           (夜話七七)

   【略解】
 
   まさに単純明解です。迷うことなかれ、疑うことなかれです。

・・・

(2)【 6月2日 】人生の歩み方②

   同時にこの20歳から40歳までの20年間の準備のいかんが、
   その人の後半の活動を左右すると言ってよいでしょう。

   それはいわば花火の玉を作るようなもので、
   どんな花火が出るかは、
   まったくその準備期中の努力のいかんによって決まることです。

   かくして40代と50代という、人間の仕上げ期の活動は、
   それまでの前半生において準備したところを、
   国家社会に貢献すべき時期であり、
   したがって40歳までの準備が手薄ですと、
   40歳以後60までの活動も、
   勢い、薄弱とならざるを得ないわけです。  

・・・

(3)【 6月2日 】 《試練》

   試練は
   鞭ではない

   愛なのだ
   慈悲なのだ

・・・

(4)【 6月2日 】 自ら励むことは中十年にある

   大凡十歳前後より四十歳比迄(ころまで)、
   三十余年中(ちゅう)学問を勤む。
   而して其の最も自ら励むことは中(ちゅう)十年にあるなり。  

              安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   だいたい、十歳前後から四十歳頃まで、
   三十余年間はずっと学問をするべきである。
   そして、その中で、最も自分から精進すべきは中の十年間にある。

・・・

(5)《2日 人に祝福を与えるの幸福》

   蒔いた種が刈り入れられるのであるから、
   他(た)を祝福したならば、自分がまた祝福せられることになるのである。

   しかし自分自身が祝福せられん事を欲して人を祝福するならば
   それらは既に、報いを求めて与えるのであるから、
   幾分商売主義に堕することになるのである。

   そのような報いを求めることなしに
   ただ相手の幸福のために祈るべきである。
   これが本当の祝福を与える事になるのである。

   本当は人を祝福した《あと》で来る報いよりも、
   祝福を与えつつあるその事自身が幸福感そのものであって、
   与える者は「受くる者」よりも一層幸福なのである。

   祝福は本来、魂(たましい)的なものであるから、
   物を与えるよりも価値は高いのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P183))より

           <感謝合掌 令和4年6月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2022/06/04 (Sat) 04:54:34


(1)【 6月3日 】推譲にも次第あり

   一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらさるべし。
   如何となれば我が為の譲なれはなり。
   この譲は教(おしえ)なくして出来安し。

   是より上の譲は、
   この譲は教によらざれば出来難し。

   是より上の譲とは何ぞ。
   親戚朋友の為に譲るなり。
   郷里の為に譲るなり。

   猶出来難きは、
   国家の為に譲るなり。

         (夜話七九)


   【略解】

   分度の推譲にもいろいろある。

   自分のため、
   わが子孫のためは出来やすいが、
   それ以上は教に由る一心決定がある者のみが出来る。

・・・

(2)【 6月3日 】人問の3段階

   すべて物事は、
   3段階に分けて考えることができましょうが、

   この場合、最もいけないのは、
   口汚く叱りながら、後になっても、
   一向悪かったと思わない人間でしょう。

   次は事がすんでしまってから、
   「アアまで言わなくてもよかったのに」と後悔する人間。

   その次は、怒りの言葉が出そうになったその瞬間
   「アッここだ!!ここだ!!」 と喰い止める人間というふうに、

   大別してこの3種に岐(わか)れるるでしよう。

   そして最後の、まさに怒ろうとするに先立って
   「イヤイヤここだ!!ここだ!!」 と自ら制し得る人、
   これはよほど修養の至つた人でないと、
   なかなかそこまではいけないですね。 

・・・

(3)【 6月3日 】 《喜びに生きる》

   「すべてのものはうつろいゆく、怠らずつとめよ」という言葉は、
   有名な釈迦の最後のお言葉である。

   わたくしはこのお言葉が大好きで、
   このお言葉を腹中に叩き込んで詩精進してきた。

   修行なくして仏教はない。
   どんなに他力の教えといっても修行を怠ってはならない。
 
   とはいっても何も瀧に打たれたり、断食したりするのを修行というのではない。
   平常心是れ道というように、日々の生活を人間らしく生きてゆくのも立派な修行である。

   そしてそれらはすべて喜びを持って行ってゆかねばならない。
   喜びなくして行うものは、どんな難行を果たしても、よい実を結ぶことはできない。

・・・

(4)【 6月3日 】 傍人(ぼうじん)に礙(さわ)らず

   傍人に礙らず、非礼を為さず、過言を出(いだ)さず。  

               安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   他人の妨げをしない、無礼なことをしない、(しゃべりすぎて)失言をしない。

・・・

(5)《3日 生長の家祝福班のこと》

   併し、「自分が彼に与えた」と思っている限り、その祝福は、
   まだ純粋無我の祝福ではない。
   従って最高の祝福だと言うことは出来ないのである。

   一切の祝福の本源は「神」であるから、「自分が祝福を与えた」と
   いうような傲慢な考えは本物ではないのである。

   「自分が神の祝福のパイプにならせて頂きました。有難うございます」
   と云う心境にならなければならない。

   最近、「生長の家祝福班」と云うのが出来て、各戸の門前に立って
   合掌して『甘露の法雨』又は「七つの燈台の點燈者の神示」を
   朗読して歩く行事が行われることになった。

   彼らの「天使(てんのつかい)」として「神の喇叭(ラッパ)」として
   祝福して歩くところが尊いのである。

   自分自身が祝福して歩くのではないのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P183~184))より

           <感謝合掌 令和4年6月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2022/06/05 (Sun) 04:56:46


(1)【 6月4日 】守成また雑し

   創業は難し、守るは易しと。

   守るの易きは論なしといへども、
   満ちたる身代を、
   平穏に維持するも又難き業なり。

   警(たと)へば器に水の満ちて、
   之を平(たいら)に持て居れと、
   命ずるカごとし。

            (夜話一四二)


   【略解】

   創業はもとより難しいが、
   この守成もまたある面で難しい。

   後継者は、
   心して身心の姿勢を正して取り組むほかないでしよう。

・・・

(2)【 6月4日 】忍の極致

   ある一人のお弟子が、
   梅岩先生に
   「忍ということの極致はどういうものでしょうか」
   とお尋ねしたところ、

   梅岩先生答えて曰く
   「忍は忍無きに至ってよしとす」
   と言われております。

   すなわち忍耐の理想は
   「やれ我慢する」の「やれ忍耐する」のという意識がなくなって、
   それが何でもない、至極当たり前となるのが理想だと言われたのです。

   これは、
   いかにもそれに相違ないですナ。
   実に千古の名言と言うべきでしよう。

・・・

(3)【 6月4日 】 《手を合わせる》

   手を合わすれば
   憎む心もとけてゆき
   離れた心も結ばれる

   まるいおむすび
   まるいもち
   両手合わせて作ったものは
   人の心をまるくする

   両手合わせて拝んでゆこう

・・・

(4)【 6月4日 】 総べて酸辛(さんしん)

   材を達し徳を成す総べて酸辛。  

               嘉永3年「先哲叢談前後編を読む」

   【訳】

   才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しい。

・・・

(5)《4日 神の愛の循環について》

   自分が神のパイプになって祝福の流れを他(ひと)に注ぐならば、
   水道のパイプがその蛇口から水を注ぎ出すとき、水源地の水が直ちに
   そのパイプに新しく流入して来るように、

   そのパイプになった人に流れ入って来て、
   其処に祝福の無限循環が行なわれるのである。

   すべて与えるものは与えられるのは、
   こちらが、その報いを期待しなくても循環的に自然に来るのは、
   電流の配線がプラスと、マイナスとが円環的につながれたときにのみ
   電流が完全に流れるのと同様であるのである。

   神の愛の円環的回路を断ち切ってはならない。
   吾々は神の愛が電流の如く流れる回路(サーキット)に
   ならなければならない。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P184~185))より

           <感謝合掌 令和4年6月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2022/06/06 (Mon) 04:46:42


(1)【 6月5日 】根のカ

   樹木を植えるに、
   根を伐る時は、
   必ず枝葉を切り捨つべし。

   根少なくして、
   水を吸う力少なければ枯るる物なり。

   大いに枝葉を伐りすかして、
   根のカに応ずべし。
   然(し)かせざれば枯るるなり。

            (夜話一四五)

   【略解】

   樹木の植え替えと同じく、
   生活経済力に変動のあるときは、
   大いに暮らし方を縮小すべきです。

・・・

(2)【 6月5日 】自分の位置を知る

   我々人間は、
   一足飛びにニ階へは上がれないように、
   結局は一つ一つ階段を登っていく外ないでしょう。

   そして最も大事な点は、
   現在自分の立っている段階は、
   全体の上から見て、おおよそ何段目くらいかということを、
   はっきり自分で承知しているということででしょう。

・・・

(3)【 6月5日 】 《本ものの道》

   この道はあきることはない ―― あきる道は本ものではない。
   この仕事はあきることはない ―― あきる仕事は本ものではない。

   あきない道だから、あきない仕事だから、
   いつも新しく、いつも生き生きしている。

・・・

(4)【 6月5日 】 斯道(しどう)の塞がる所以

   近時、風俗澆薄にして教化陵遅し、書を読む人は天下に満つれども、
   道を求むる者は絶えてなくして僅かにあり。

   而して其の自ら是(ぜ)とし自ら高ぶり、
   先知は已(すで)に肯(あえ)へて後知(こうち)を覚(さと)さず、
   後覚(こうかく)も亦肯へて先覚を師とせず。

   是れ斯道の塞がる所以にして、志士の憂ふる所以なり。  

        安政2年9月18日「※太華山縣先生に与へて講孟剳記の評を乞ふ書」

   【訳】

   この頃は、風俗が軽薄になり、(後進を)教え導いて善に向かわせる、
   という風潮が次第に衰えている。

   本を読む人は多いけれども、人としての道を求めるものはおらず、
   いたとしてもわずかでしかない。

   そして、人々は自分の現状に満足し、尊大になり、
   先知、つまり悟っている人は後知、まだ悟っていない人を指導しようとせず、
   また、後知も先知を師としない。こ

   れこそが、人の人たる道が行き詰まる理由であり、
   心ある立派な人が憂えている理由である。

    ※山縣太華(やまがたたいか)。長州藩藩校明倫館の学頭。

・・・

(5)《5日 先ず如何に多く祝福されているかに目覚めよ》

   無限に祝福が与えらえていても、それを自覚することが出来ない人がある。
   無限に愛を注がれていても、それを自覚することが出来ない人がある。

   そんな人は祝福を与えられていながらも、祝福を与えられていないのと
   同様であり、愛を与えられていないのと同じことである。

   すべて自分の心に受けたものだけが、
   その人にとって存在に入(はい)るのだからである。

   されば、吾々は、自分が与えられている祝福が
   どれほど大(おお)いなるものであるかに
   先ず気がつかなければならないのである。

   気がついた後(あと)には、直ちに感謝しなければならぬ。

   感謝は祝福を与えかえすことになるのであって、
   祝福の愛の円環的回路をつなぐことになるのである。


          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P185~186))より

           <感謝合掌 令和4年6月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2022/06/07 (Tue) 04:47:55


(1)【 6月6日 】贋(にせ)の学問

   学者書を講ずる、
   悉(くわ)しといへども、活用する事を知らず。

   いたずらに仁は云々、義は云々と云へり。

   故に社会の用を成さず。
   ただ本読みにて、
   道心法師の誦経(じゅきょう)するに同じ。

               (夜話二一三)

   【略解】

   真の学者とニセ学者との違いを指摘されました。 

・・・

(2)【 6月6日 】学校のみにたよらず

   なるほど学校には、
   学校独持の長所のあることは申すまでもありません。

   しかしながら、
   人は決して学校だけで完成されるものではないのです。

   人間としての深みや味わいは、
   学校のみにたよらず、常に他の半面、
   自ら自己を築いていく覚悟によって得られるものです。

・・・

(3)【 6月6日 】 《こころ》

   こころを持って生れてきた
   これほど尊いものがあろうか

   そしてこのこころを悪く使う
   これほど相すまぬことがあろうか

   一番大事なことは
   このこころに
   花を咲かせること

   小さい花でもいい
   自分の花を咲かせて
   仏さまの前に持ってゆくことだ

・・・

(4)【 6月6日 】 平生の言行各々其の遺命なり

   明君賢将と暗君愚将とは平生に定まることなれば、
   平生の言行各々其の遺命なり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   立派な殿様、賢明な将軍であるか、
   あるいは馬鹿な殿様、愚かな将軍であるか否かは、
   日ごろの生活において決まることである。

   つまり、日ごろの言葉や行いはそれぞれ(その人の)遺言、
   臨終の時のいいつけと一緒である。

・・・

(5)《6日 神に感謝するには行動を伴わねばならぬ》

   感謝したとき、感謝は輝き出すのである。
   祝福に対して感謝がないときは、プラスの電源に配線は結んだが、
   マイナスの電源には配線を忘れているようなものである。

   マイナスの電源にも線をつなぐことによって、
   プラスの電源から電流が流れ入(い)って来るのである。

   献(ささ)げるのはマイナスになるから損だからといって
   献(ささ)げることを忘れている者は、
   プラスの供給も与えられなくなって来るのである。

   感謝でも祈りでも、行動を伴わぬものは空念仏である。

   神に感謝するならば、その感謝の実現として、神の人類救済運動に
   対して実際に協力を行なう行動を伴わななければならないのである。

   祈りも唯(ただ)、坐っているだけではいけない。
   行動しつつ実現しなければならぬ。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P186))より

           <感謝合掌 令和4年6月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2022/06/08 (Wed) 04:50:55


(1)【 6月7日 】譲の道一(一)

   終身労して、
   安堵の地を得る事能はざるは、
   譲る事を知らず、
   生涯己が為のみなるが故に労して功なきなり。

   たとひ人といへども、譲の道を知らず。

   勤めざれば、
   安堵の地を得ざる事、禽獣(きんじゅう)に同じ。

               (夜話一七七)

   【略解】
 
   人生最後の安心立命は利他の行いすなわち推譲の行いの如何にあると言えましょう。

・・・

(2)【 6月7日 】自修の人

   とにか人間は、

   「自己を築くのは自己以外にない」

   ということを、
   改めて深く覚悟しなければならぬと思います。

   すなわち、我々の日々の生活は、

   この「自分」という、
   一生に唯一つの彫刻を刻みつつあるのだということを、
   忘れないことが何より大切です。

   そしてこれすなわち、
   真の「自修の人」と言うべきでしよう。

・・・

(3)【 6月7日 】 《知ること》

   世界中のこと、
   男女のこと、
   その他いろいろのことなど知らなくてもいいのだ。

   限りのないことだもの。

   それより一つのことをはっきりと知った方がいい。

   愛とは何か。
   神とは何か。
   仏とは何か。

   生と死とは。
   己とは。

   その何れの一つでもいい。
   納得のいくまで知ることが大切だ。
・・・

(4)【 6月7日 】 蒼天に附す

   身跡(しんせき)を将(も)つて蒼天(そうてん)に附す。  

               安政2年正月元日「乙卯稿(いつぽうこう)」

   【訳】

   我が身は全て天運にまかせる。(自分であれこれと画策しない。)

・・・

(5)《7日 お経を流して歩くには》

   人の家の門前(もんぜん)に立ってお経を読んでも、
   そのお経を流して歩くことによって自分の生計(くらし)を立てようと
   思ってお経を読むのだったら、それは取引勘定であり、商売であり、
   不純な利己的観念が混じっているのであるから「無我に祝福」と
   言うことは出来ないのである。

   すべて吾々の行為は、外形は同じであっても
   中味がニセモノであってはならないのである。

   人の家の門前に立ってお経を読むには、何物をも求めないで、
   ただその家の幸福を祈ってあげるための読経であると思い、
   それを実践するときに自然に不思議な教化力をあらわすことになるのである。

   相手が自然に感謝したくなるような祝福の権威を顕わさねばならぬ。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P186~187))より

           <感謝合掌 令和4年6月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2022/06/09 (Thu) 04:19:01


(1)【 6月8日 】譲の道(二)

   仍(よっ)て人たる者は、
   智慧は無くとも、
   力は弱くとも、
   今年の物を来年に譲り、
   子孫に譲り、

   他に譲るの道を知りて、
   能く行けば、
   其の功必ず成るべし。

   其の上に又恩に報(むく)うの心掛けあり。
   是れ又知らずば有るべからず。
   勤めずば有るべからざるの道なり。

               (夜話一七七)

   【略解】

   人問として大事なことは推譲と報恩の心がけとも言えましょう。

・・・

(2)【 6月8日 】時問はつくるもの

   諸君らのうちには、
   「今は学生時代で、学科に追われて読書などできないが、
    しかしそのうちに卒業でもしたら、読書もするつもりだ」
   などとのんきなことを考えている人もあるようですが、

   しかし現在学科におわれて読書のできないような人に、
   どうして卒業後読書などできるはずがありません。

・・・

(3)【 6月8日 】 《闇と苦》

   闇があるから
   光がある

   苦があるから
   楽がある

   闇を生かせ
   苦を生かせ

・・・

(4)【 6月8日 】 細行(さいこう)を矜(つつし)まざれば

   「行住坐臥、暫くも放心せば則ち必ず変に臨みて常を失ひ、
    一生の恪勤(かっきん)、一事に於て闕滅(けつめつ)す。
    変の至るや知るべからず」と云ふは、

   細行を矜(つつし)まざれば、遂に大徳を累(わずら)はすと
   云ふと同一種の語にして、最も謹厳なる語(ご)なり。  

                 安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   「普段の生活において、一瞬でも安心して、気を抜けば、
    必ず非常事態に遭遇した時、平常心を失い、
    生涯をかけて励み勉めてきたことも、一つのちょっとしたことで、
    全てをなくし、失ってしまう。いつ変が起こるか、予測することは難しい」
   ということは、些細なことにも心を尽くして対応しなければ、

   ついに、(それまでの生涯をかけて築き上げてきた)大きな恩徳さえも
   台無しにしてしまう、というのと同じ教えである。

   最も慎み深くて厳格な言葉である。

・・・

(5)《8日 生命(せいめい)の高さと、低さと》

   その人の生命(せいめい)が「高い」感じがするためには、
   その人の生命(せいめい)が、他(た)のために献(ささ)げられたる
   生命(せいめい)でなければならぬ。

   その人の生命(せいめい)が、「低い」感じがするときには、
   その人の生命(せいめい)が「利己的」になった時である。

   「高い」感じと「低い」感じは理論ではなく、
   本能的に誰もが知っているのである。

   「自分の得が行くように」何でも得ようと思うときには、
   何だか自分が卑しく感じられるのである。

   自分が損してでも人を救けようと試みたり、社会のためや、人類のために
   尽くそうとする人を見ると、吾々は尊敬したくなるのである。

   それは他(た)に献げられたる生命(いのち)になっているからである。

   かくの如く他(た)に献げられた生命(いのち)は高まった感じがするのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P187~188))より

           <感謝合掌 令和4年6月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2022/06/10 (Fri) 04:52:45


(1)【 6月9日 】大海航海の術

   世上一般、
   貧富苦楽をいひ、
   噪(さわ)げども世上は大海の如くなれば、
   是非なし。

   只水を泳ぐ術の上手と下手とのみ。
   時によりて風に順風あり逆風あり。

   海の荒き時あり穏やかなる時あるのみ。
   されば溺死を免(まぬ)がるるは、
   泳ぎの術一つなり。

   世の海を穏やかに渡るの術は、
   勤と倹と譲の三つのみ。

          (夜話一五九)

   【略解】
 
   人生の大海を無事平穏に航海する秘義は、
   勤労・節倹・推譲の三大原理の実践にあるとされる。

・・・

(2)【 6月9日 】心にすが入らぬように

   諸君らが今日忙しさに口実を求めて、
   何ら自発的な読書をしないということは、
   すでに諸君らの心にすが入りかけている何よりの証拠です。

・・・

(3)【 6月9日 】 《妥協》

   決して妥協するな
   妥協したらもうおしまい

   一番恐ろしいのは
   自己との妥協だ

   つねに鞭うち
   つねに叱咤し
   つねに前進せよ

・・・

(4)【 6月9日 】 速久処仕(そくきゅうしょし)已(すで)に初めに決す

   易に云ふ如く、「君子は幾を見て作(た)ち、日を終ることを待たず」
   の理(ことわり)にて、道(みち)の否(ひたい)泰、時の可否は聖人一目瞭然にして、
   速久処仕(そくきゅうしょし)已(すで)に初めに決す、亦明決(めいけつ)ならずや。  

                   安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   『易経』にいうように、
   「心ある立派な人は、ことのきざしを見て、すぐに行動を起こし、
   一日たりともぐずぐずしてがいない」。

   この通りであり、聖人は、人としての道が正しくないか、正しいか、
   また、時宜(じぎ)が適当であるか否かをすぐに見抜き、
   その最初において、自分の進退を決めている。
   まことにはっきりした決意ではないか。

・・・

(5)《9日 神のみが価値であるから、神が表現されただけ高く感ずる》

   このような生命(せいめい)に高いと卑(ひく)いとの
   価値判断が生ずるのは何故であろうか。

   生命(せいめい)は「神」であり、神は愛であるからである。
   そして愛は「他(た)のために生命(いのち)を与える」
   ことであるからである。

   神は実に報いを求めず人に与え給うているないか、
   太陽の高熱の豊かなる恵みを、無限に与えられている空気の恵みを、
   無尽蔵の海の水を・・・。

   数えれば限りない恵みである。

   太陽の光を、空気を、海水を・・・
   それを単なる物質だと思っているかも知れないが、
   それは決して単なる物質ではないのである。

   それは与えても与えても止(や)まない神の愛の、
   報いを求めない恩恵であるのである。

   愛のある所に神は顕れ、神のみが真実の価値であるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P188~189))より

           <感謝合掌 令和4年6月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2022/06/11 (Sat) 04:48:50


(1)【 6月10日 】心眼を開く

   夫(そ)れ天地の真理は、
   不書の経文にあらざれば、
   見えざる物なり、

   此不書の経文を見るには、
   内眼を以て、
   一度見渡して、
   而(しか)して後肉眼を閉ぢ、
   心眼を開きて能く見るべし、

   如何なる微細の理も見えざる事なし、
   肉眼の見る処は限あり、
   心眼の見る処は限なければなりと。

              (夜話四五)

   【略解】
 
   肉眼だけでは天地の理法は見えない。
   心眼をもってしなければ天地の理法は永遠に門戸を開いてくださらないとの意。


・・・

(2)【 6月10日 】人問の幅は読書で決まる

   いやしくも自分の前途を展望して、
   将来ひとかどの人物になって活躍しようと思うなら、

   今日から遠大な志を立てて、
   大いに書物を読まねばならぬでしよう。

   それというのも、
   一人の人間の持つ世界の広さ深さは、
   要するにその人の読書の広さと深さに、
   比例すると言ってもよいからです。

・・・

(3)【 6月10日 】 《前向き人生》

   人生は一度きり

   だから
   ころんでも
   立ちあがり

   前向きに
   生きてゆくのだ

・・・

(4)【 6月10日 】 楽しむ所を楽しむ

   徒(ともがら)(中略)曰く、
   「遇不遇は天のみ、我れに於て何かあらん。我れは我が楽しむ所を楽しみ、
    以て慊(あきた)らざることなかるべし。
    況や人の共に其の楽しむ所を楽しむあるをや」と。 
  
            嘉永2年4月7日「児玉君管美島軍事を拝するを賀する序」

   【訳】

   仲間が(中略)いった。

   「世に認められるか否かは全て天命である。私にとっては何の問題でもない。
    私は自分の楽しいと思うところを楽しみ、それで十分満足である。
    ましてや、他の人が一緒に私の楽しむものを楽しんでくれているのに」と。

・・・

(5)《10日 最高の与え方は祝福して与えることである》

   神の祝福を受けるには、先ず自分が他(た)を祝福しなければならぬ。

   類は類を招ぶからである。

   人を憎むものはみずからも憎まれ、人を審くものはみずからも審かれ、
   人を悪しざまに罵る者はみずからも亦悪しざまに罵られるのである。

   その代わりに人を祝福する者は、他(た)からも祝福されるのである。

   愛は交流し、祝福は交流する。

   祝福と云うのは、単なる「与える」以上のものである。
   それは祈りを伴う与え方である。

   物を与えるにも軽蔑して「投げつけるように与える」のもあれば、
   「憐れんで与える」のもあり、「強制されて与える」のもあれば
   「報いを求めて与える」のもある。

   併し「祝福して与える」のは、相手を尊敬して「神の子」たる
   実相の顕現するよう祈って与えることである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P189))より

           <感謝合掌 令和4年6月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2022/06/12 (Sun) 04:59:42


(1)【 6月11日 】親への孝

   人の子たる者は宜(よろ)しく父母の心を安んずるを以て要と為すべし。

   苟(いやし)くも父母の心を安んぜんと欲すれば
   宜しく心を正しうし身を修むべし。

                         (語録一五八)

   【略解】
 
   かねてより「孝は百行の基(もとい)」と言う。

   また「孝は神明に通ず」とも言う。

   また「眼を閉じてトッサに親の祈り心を察する者これ天下第一等の人材なり」
   (徳永康起)と。

・・・

(2)【 6月11日 】ヒントは書物の中に

   諸君が将来何らかの事に当たって、必要の生じた場合、
   少なくともそれを処理する立場は、
   自分がかつて読んだ書物の中に、
   その示唆(しさ)の求められる場合が少なくないでしよう。

   つまりかつての日、内心の要求に駆られて読んだ書物の中から、
   現在の自分の必要に対して、解決へのヒントが
   浮かび上がってくるわけです。

・・・

(3)【 6月11日 】 《自力》

   求めよ、さらば与えられん。
   叩けよ、さらば開かれん。
   自力でやるのだ。

   権利だけ主張する根性はいかん。

   仏さまから貰ってばかりいる者は、
   本当の仏さまの御恩を知らない。
   だからわたしは、過保護的な今の行政をあまり尊く思わない。

   けんめいに求めなくちゃならん。
   けんめいに叩かなくちゃならん。

   そういうものが、今の日本には少なくなった。
   衰微衰亡は、そういうところから始まる。

・・・

(4)【 6月11日 】 武士道が闕(か)くる

   武士たる者は只今にても君命あらんには、槍を提(ひっさ)げ馬に打乗り、
   水火に駆け込むべき身分なれば、飲食男女の欲を縦(ほしいまま)にし、
   疾病を生じ、懶惰(らんだ)に陥り、気根を弱くしては、武士道が闕くるなり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   武士たるものは、今すぐにでも命令があれば、槍をひっさげ馬に乗り、
   水や火の中に駆け込むべき身である。

   だから、暴飲暴食をしたり、男女の欲望を貪(むさぼ)ったり、
   病気になったり、ものぐさになったり、気力や根気を弱くしたりしては、
   武士の道に欠けるというものである。

・・・

(5)《11日 実相の完全さを礼拝して呼び出すのが祝福である》

   祝福の根元となる真理は、

   「汝は神の子であると云うことである。」
   「既に神の子として、すべての善きものを汝は与えられている」

   ―― この実相を礼拝して、相手からその実相の善さを呼び出すことである。

   「お前は是々(これこれ)のものが足らぬから与えよう」と云う与え方は、
   「憐れんだり、軽蔑したり」してあたえるのであるから、
   祝福して与えると云う部類には入らないのである。

   人間は「神に於いて、すべてのものは根本から与えられている」のである。

   しかしそれは実相に於いて斯(か)くの如く与えられえているのであって、
   それを現象化する際に於いては人間がその「現象化の法則」を
   如何に使用するかの自由はまかされており、

   祝福は実相に於いて潜在する「善さ」を呼び出す最高の法則である。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P190))より

           <感謝合掌 令和4年6月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2022/06/13 (Mon) 04:52:45


(1)【 6月12日 】不動の徳

   日夜炎炎たる欲情の中にあって殻昧として動かざるは不動の徳なり。

   能く不動の徳を修むれば何の家を喪い国を亡すことか之あらん。

                         (語録ニニ九)

   【略解】

   尊徳翁はひそかに成田の不動尊にて、
   水浴断食修行に従事し、
   不動の徳を誓願せられたのです。

・・・

(2)【 6月12日 】人問としての嗜(たしな)み

   諸君らは、傘をさして歩く時は、
   斜に肩にもたせ掛けたりなどしないで、
   柄を垂直にしてさすものです。

   また天気になったらキチンと畳んで、
   柄の先が地面を引きずらないようにするのです。

   なお、
   雨の降っている際に傘なしで歩く場合は、
   前かがみになったり、チョコチヨコ走りをしないのです。

   これは「葉隠」という書物にも出ていることです。 

・・・

(3)【 6月12日 】 《どうしたら救われるか》

   どうしたら救われるか
   木に聞いてみた

   木は答えてくれた
   気を充実させることだと

   こんどは石に聞いてみた
   意思を強くすることだと言う

   つぎには鳥たちに聞いてみた
   鳥たちは異口同音に
   すべてを任せることだと

   これには深く感動した

・・・

(4)【 6月12日 】 慨然として

   慨然(がいぜん)として国天下を以て自ら任ずべし。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   気力を奮い起こして、国家、天下の維持・発展を、
   自分の責任として自覚しなさい。

・・・

(5)《12日 感謝と祝福はその人の人格の匂いを高める》

   既にすべての善きものは与えられているのである。

   しかしそれを現象界にあらわし得ると否とは、
   その与えられている事物に感謝すること、又は祝福することである。

   感謝と祝福とは単に喜ばしき事物を
   現象界に呼び出す働きをするだけではなく、
   その人の人格を高め、雰囲気を善くするのである。

   感謝と祝福とはその人の全人格を、
   柔かく温かく浄(きよ)きものとするのである。

   感謝のない人間、他(た)を祝福することを知らない人間ほど
   粗雑な感じのする人間はないのである。

   祝福の一面は礼賛することである。
   神を讃えるということは神を祝福することである。

   現在与えられている事物を讃美することは
   その事物を祝福することになるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P190~191))より

           <感謝合掌 令和4年6月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2022/06/14 (Tue) 04:56:57


(1)【 6月13日 】わが助貸法

   叔世(しゅくせい)国家の患は荒蕪(こうぶ)と負債とにあるのみ。

   苟(いやし)くも此の二患を除かんと欲すれば我が助貸法に若(し)くはなし。

   (中略)

   苟くも我が法に頼らば以て荒蕪負債の二患を除き、

   国家をして豊寧(ほうねい)に帰せしむべきなり。

                        (語録二八四)


   【略解】
 
   荒蕪とは、荒れはてた土地。
   負債とは、借財で、

   この荒地と借財が、
   国家の二大病患で、

   これを除去するには、
   助貸法すなわち無利息貸付法が唯一の対策であるとされた。

   叔世とは末の世。

・・・

(2)【 6月13日 】人間の知恵

   人問の知恵というものは、
   自分で自分の問題に気付いて、
   自らこれを解決するところにあるのです。

   教育とは、
   そういう知恵を身に付けた人間をつくることです。

・・・

(3)【 6月13日 】 《いのちの張り》

   大切なのは
   いのちの張り

   恐ろしいのは
   この喪失

   懸命に
   一途に
   鳴く
   虫たちの
   声声

・・・

(4)【 6月13日 】 死して後已むの四字は 

   死して後(のち)已(や)むの四字は言簡(げんかん)にして義(ぎ)広し。
   堅忍果決、確乎として抜くべからざるものは、
   是(こ)れを舎(お)きて術(すべ)なきなり。  

                  安政2年3月「士規七則」

   【訳】

   死而後已(ししてのちやむ)の四字は文字は簡潔であるが、
   その意味する所は大変広い。

   意志が強く、我慢強く、思い切りがよい。
   また、しっかりしていて、容易に動かされない男子たるやめには、
   これをおいて、他に手段はない。

・・・

(5)《13日 先ず神を祝福せよ》

   キリストが教えた主の祈りの冒頭に

   「天にま我らの父よ。み名をあがめしめ給え」

   とあるのは、神をあがめ、讃美し、祝福することが
   本当の祈りであるという実例である。

   神を賛美するならば、神の世界(実相の世界)にあるところの
   すべての悦ばしき事物と自然に波長が合うようになるのである。

   波長が合えば、別に「求める」心がなくとも、
   自然にそれが現象界にあらわれて来るのは、
   ラジオ・セットと同じことである。

   ラジオ・セットは波長を合わしさえするならば、
   別に求めなくても、放送局から放送されるすべての番組が、
   現象界に聴き得るようにあらわれて来るのである。

   神を讃美し、事物を讃美し、人を讃美することが大切である。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P191~192))より

           <感謝合掌 令和4年6月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2022/06/15 (Wed) 04:43:58


(1)【 6月14日 】貧民の救済

   村長若(も)し謙譲を主とし、
   奢を禁じ、約を守り、分を縮し財を推(お)し、

   以て貧民を済わば則ち貧民感動し、
   歆艶(きんえん)依頼の念消して、

   勤労を厭(いと)わず、
   悪衣悪食を恥じず、
   分を守るを以て楽と為す。

   然らば則ち汚俗を洗い、
   廃邑(はいゆう)を興す、
   何の難きことか之れあらん。

           (語録二九〇)


   【略解】
 
   歆艶依頼の念とは、
   むさぽり、うらやみ、たよる心を指す。

   村長自身の生き方を正すことによって、
   貧民への感化影響、
   ひいては、
   廃村興隆につながることになる。

・・・

(2)【 6月14日 】気付きが支柱となる

   人間は自ら気付き、
   自ら克服した事柄のみが、
   自己を形づくる支柱となるのです。

   単に受身的に聞いたことは、
   壁土ほどの価値もありません。 

・・・

(3)【 6月14日 】 《今》

   大切なのは
   かってでもなく
   これからでもない

   一呼吸
   一呼吸の
   今である 

・・・

(4)【 6月14日 】 賢母あらば

   賢母あらば賢子あり。  

          安政4年4月5日「※周布君の大孺人某氏八十寿の序」

   【訳】

   人として優れた母がいれば、人として優れた子供がいる。

    ※長州藩士 周布政之助公輔。松陰の同志だったが、後、離反。
          松陰刑死後、遺骸埋葬を助けた。

・・・

(5)《14日 あなたと同車した人々を祝福すること》

   電車に乗っても、他の乗り物(文中では汽車となっております)に乗っても、

   「神よ、此処に同乗している人たちが生長の真理に導かれまして、
    本当に幸福になりますように」

   と暫く目を瞑(つむ)って繰り返し祈り又は念じてあげることは
   同乗している人々を祝福してあげることになっているのである。

   それは心の中で「コトバ」を念ずるが故に、
   それはコトバで、その人がやがて真理に導かれて
   救われる種を播(ま)くことになるのである。

   「コトバは種なり」 と言われている所以(ゆえん)である。

   イエスは又 

   「天地は亡(う)せん。されど我が言(ことば)は亡(う)せず」

   とも言っている。

   あなたが善念の言(ことば)で、同している人々を祝福し、
   その人々の幸福を祈ってあげた事は、それが種となり、発芽して
   其の人が実際救われるまで決して亡(ほろ)びることはないのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P192~193))より

           <感謝合掌 令和4年6月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2022/06/16 (Thu) 04:29:13


(1)【 6月15日 】勤労を以て貴しと為す

   茅(かや)を生ずるの地も之を聞けば則ち麦(むぎ)を生ずるの圃と為り、
   之を蕪(あら)せば則ち茅を生ずるの地と為る。

   均(ひと)しく是れ一地なり。
   人力用うれば則ち麦と為り、
   天然に在せば則ち茅となる。
   是の故に人道は勤労を以て貴しと為す。

                  (語録二八八)

   【略解】

   「和を以て貴しと為す」の一語がある如く、
   「勤労を以て貴しと為す」の一語はよく心に納得される例話です。

・・・

(2)【 5月15日 】卑屈と功利打算

   そもそも私達が、
   一つの徳目を真に徹底的に履(ふ)み行わんがためには、
   結局根本において、人格の転換を必要とすると言えましょう。

   たとえば人が傲慢に振舞うということは、
   畢竟するに、その人が調子に乗っているということであり、

   したがってそれは、
   一見いかにもえらそうにしていながら、
   実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。

   つまり自分のそうした態度が、心ある人から見られて、
   いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。

   同時にまた卑屈ということは、
   一面からは、その人間のずるさの証拠とも言えましょう。

   何となれば、
   人間は卑屈の裏には、
   必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。

・・・

(3)【 6月15日 】 《純粋一途》

   禅の本がよく売れており、仏教学の本も
   流行のようだが、私はあまり読まない。
   いろんなことはあまり知る必要はないのだ。

   大事なことは、
   どう生き、どう死ぬかと言うことである。

   私がこおろぎの声に感動したりするのも、
   あの純粋一途さにある。

   イエスも一途に純粋に生きられた。
   あの純粋一途さがキリストの心なのである。

   純粋一途なものは、
   すべて私の師であり、友である。
   花にひかれるのもこの一途さにある。

・・・

(4)【 6月15日 】 文武は士の家業なれば

   文武は士の家業なれば、是れを習練するは論を俟(ま)たず。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   学問をし、武芸を修めることは武士の生業(なりわい)である。
   これを繰り返し学ぶことはいうまでもないことである。 

・・・

(5)《15日 実相を現象界にあらわすには》

   実相の世界とは、神の造りたまうた其の儘の世界である。

   神は「霊」であるから実相世界の事物は「霊」で成り立っているから
   肉眼には見えないのである。

   それは恰(あたか)も放送の電波があっても、
   電波の世界は肉眼には見えないようなものである。

   それを肉眼に見えるようにあらわすには電波をブラウン管に当てて
   それを光の波に変化しなければならない。
   これがテレビの装置である。

   その時、放送の電波に波長を合わせないと、その電波を捉える事が出来ないから、
   無論 光の波に変化することは出来ない。

   人間の心は、実相世界の霊波を、その波長と同調することによって
   それを捉え。それを肉眼に見えるように顕すテレビ・セットの働きを
   するのである。

   我々がもし神の造り給うた霊の世界に完全に波長を合わすことが出来るならば、
   この現象界に実相世界其儘(そのまま)の完全な世界が現れて来るのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P193)より

           <感謝合掌 令和4年6月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2022/06/17 (Fri) 05:00:12


(1)【 6月16日 】小事を務むぺし

   大事を成さんと欲すれば宜(よろ)しく先ず小事を務むべきなり。

   大事を成さんと欲して小事を怠り其の成り難きを憂えて、
   成り易きを務めざるは小人の常なり。

   小事を務めて怠らざれば則ち大事必ず成る。
   小事を務めずして怠る者は庸(いずく)んぞ大事を成すを得んや。

                         (語録三〇ニ)

   【略解】

   「積小為大」の日常実践の威力はいかほど力説しても力説すぎることはない。

・・・

(2)【 6月16日 】仕事の処理は修養の中心

   仕事の処理いかんに、
   その人の人間としての偉さのほどが、
   伺えるとさえ言えるほどであります。

   実際我々は、平生うっかりしていると、
   仕事の処理などということに、
   修養上の一つの大事な点があろうなどとは、
   ともすれば気付きがたいのでありますが、
   事実は必ずしもそうではないのです。

   否、
   真の修養というものは、
   その現れた形の上からは、
   ある意味ではこの仕事の処理という点に、
   その中心があるとさえ言えるほどです。

・・・

(3)【 6月16日 】 《一日一信》

   一日
   一信

   やっと楽しい
   ひとときがきた

   あの人
   この人を
   身近かにおいて

   一字
   一字
   書くひとときの
   うれしさ

・・・

(4)【 6月16日 】 独り自ら志す所は

   独り自ら志す所は皇国の大恩に報い、武門武士の職分を勤むるにあり。
   此の志は死すと雖も吾れ敢へて変ぜす。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   一人で自分から志しているのは、国家の大きな御恩に報い、
   武門にある武士としての当然の務めを行う、ということである。
   この志は死んだとしても、強いて変えることはない。

・・・

(5)《16日 第一印象の悪い人を祝福せよ》

   人間は実は「三重の人間」である。

   中味は「実相の人間」であり、外層は「肉体の人間」であり、
   「心」はその中間の層をなしていて、「中味の人間」を「外層」に現す
   「扉」または「レンズ」の働きをするのである。

   その「心」の働きを「コトバ」と云うのである。
   「心」はコトバによって念じ、その念によって
   外層の人間を賦彩(ふさい)するのである。

   だから「心で念ずる言葉」は余程吟味しなければならない。

   いやしくも人に出会って、
   「この人は善くない人だ」などと思ってはならない。

   尤(もっと)も、その相手の人が悪念を懐いている場合には、
   第一印象として「この人は善くない」と感じられても、そんな場合には、
   殊更(ことさら)にその実相の善さを心に描いて
   「この人は神の子で善人だ」と祝福してあげるべきである。

   その祝福の念が徹底すれば、
   その人の仮相としてのよくない相(すがた)は消えてしまって、
   本来の善良なる人間があらわれて来るのである。

   祝福が中途半端で徹底しない場合には、
   祝福しながら相手からだまされることもあり得る。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P194))より

           <感謝合掌 令和4年6月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2022/06/18 (Sat) 04:46:43


(1)【 6月17日 】善因善果

   佛に所謂(いわゆる)因果とは何ぞや、
   種を播(ま)けば実を結ぶ是れなり。

   夫(そ)れを善因に善果あり、
   悪因に悪果あり。
   人皆之を知る。

   然れども目前に見(あら)われずして数十歳の後に見わる。
   故に人之を畏れず。
   況(いわ)んや前世の因縁に於てをや。

                      (語録三〇五)

   【略解】

   よき種子を蒔けばよき実を結ぶという
   単純明快な哲理を軽んずるなかれということです。

・・・

(2)【 6月17日 】寡兵もって大敵に向かう

   仕事の処理ということは、
   いわば寡兵(かへい)をもって大敵に向かうようなものであって、
   一心を集中して、もって中央突破を試みるにも等しいのです。

   同時にまた広くは人生の秘訣も、
   結局これ以外にないとも言えましょう。

   実際あれこれと気が散って、
   自分がなさねばならぬ眼前の仕事を後回しにしているような人間は、
   仮に才子ではあるとしても、
   真に深く人生を生きる人とは言えないでしょう。

・・・

(3)【 6月17日 】 《人のねうち》

   おのれが尊いのではない。
   おのれをおのれたらしめるものが、
   おのれの中にあるから尊いのである。

   だからこのおのれをおのれたらしめるものを
   見出さなくてはならぬ。
   自覚しなくてはならぬ。

   そのことなくして
   人は人としてのねうちがあるとはいえない。

   花を花たらしめるもの、
   光を光たらしめるもの、
   香りを香りたらしめるもの、
   その存在をはっきりと知ることが大切である。

・・・

(4)【 6月17日 】 凡(およ)そ生を天地間に稟(う)くる者

   凡そ生を天地間に稟くる者、貴(き)となく賤(せん)となく、
   男となく女となく、一人の逸居(いっきょ)すべきなく、一人の教なかるべきなし。
   然(しか)る後(のち)初めて古道に合ふと云ふべし。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   この世の中に人として生まれたものは、身分、性別にかかわらず、
   一人として怠けて気ままにしているべきものはなく、
   また、一人として教えないでいいというものはない。
   こうして後、初めて昔からの正しい教えに及ぶというべきである。

・・・

(5)《17日 愛の力を増大するには》

   常に人々を祝福する習慣をつける場合には
   その人が他(ひと)を祝福する愛の能力が増加して来るのである。

   「愛する」とは単に「可愛い」と云う感情ではないのである。

   「愛の力」とは相手を祝福する能力である。
   愛の力が強いと云うことは相手を祝福する力が強いと云うことである。

   重いものを持ち上げる練習を常に積んでいる時には
   筋肉の力が発達して来るのと同じように、

   感情では「可愛い」とも「好きな」とも感じない相手であっても、
   その人を「祝福する言葉」を常に心で唱えるようにするときには、
   その人の「愛」の力は増加して来るのである。

   一例を挙げれば、繰り返し繰り返し、精神を統一して、

   「神よ、この人がやがて生長の家に触れて 魂 までも救われますように」

   と念ずるが如きことを毎日重ね行なう時は、
   其の人の愛の力は増大するのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P195))より

           <感謝合掌 令和4年6月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2022/06/19 (Sun) 04:51:24


(1)【 6月18日 】倹動富に至る

   倹勤愚の如しと雖(いえど)も、
   而(しか)も其の為す所必ず成る。

   奢怠(しゃたい)賢に似ると雖も、
   而も其の為す所必ず敗る。

   是れ倹勤富に至り、
   奢怠貧に陥る所以(ゆえん)なり。

               (語録六七)

   【略解】

   倹の反対は奢、
   勤の反対は怠。

   奢すなわち贅沢を避け、
   怠すなわち怠慢をさけて倹勤に精を出す、

   これが貧富の岐れ路ということ。

・・・

(2)【 6月18日 】こせつかない

   すべて偉大なものは、
   自ら出来上がるものであって、
   あまりに早くからこせつきますと、
   大きな実りはできにくいものであります。

・・・

(3)【 6月18日 】 《昼の月》

   昼の月を見ると
   母を思う

   こちらが忘れていても
   ちゃんと見守っていて下さる
   母を思う

   かすかであるがゆえに
   かえって心にしみる
   昼の月よ

・・・

(4)【 6月18日 】 軽蔑する者は

   貧賤を以て是れを軽蔑する者は、必ず富貴を以て是れに諂屈す。  

                安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   貧乏や身分の低いことをもって、その人を軽蔑するようなものは、
   必ず、お金持ちや地位の高いことをもって、その人に媚(こ)びへつらう。

・・・

(5)《18日 天国の門を開くための祈り》

   吾々が相互の紛争を解決するために神に祈る場合に、
   みずからを傲慢にも正しいとして主張し、相手を罪ありとして
   咎める心で祈っても、神からの祝福は吾々に天降って来ないのである。

   人を咎める心は神の祝福が天降って来るところの天国の門を
   閉鎖してしまうことになるのである。

   相互の紛争を解決するための祈りは、神の愛と智慧と調和とを讃美し、

   「神の愛が天降って来て、自分も相手も共に幸福になることが出来ますように。
    神の智慧はすべての人に処を得せしめ給い、彼も私も倶(とも)に
    幸福になるように円満解決の道を見出し給う。

    神の完全なる護りに感謝いたします」

   こう云う風に、彼をも幸福になるよう祈る時、
   天国の門がひらかれるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P195~196))より

           <感謝合掌 令和4年6月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2022/06/20 (Mon) 04:31:57


(1)【 6月19日 】後世のために

   樹木を植うるや、
   三十年を経ざれば、則ち材を成さず。
   宜(よろ)しく後世の為に之を植うべし。

   今日用うる所の材木は則ち前人の植うる所。
   然らば安(な)んぞ後人の為に之を植えざると得ん。

   夫(そ)れ禽獣は今口の食を貪るのみ。

                   (語録六八)

   【略解】
 
   後世のために樹を植えるべしの教えは、
   まことに傾聴すべき卓説です。

・・・

(2)【 6月19日 】ねばり

   粘りというものこそ、
   仕事を完成させるための最後の秘訣であり、

   同時にまたある意味では、
   人間としての価値も、最後の土壇場において、
   このねばりが出るか否かによって、
   決まると言ってもよいと思うほどです。

・・・

(3)【 6月19日 】 《深さ》

   海の深さは
   測ることができるが

   愛の深さは     
   測ることはできない

・・・

(4)【 6月19日 】 君子小人並びに服するの人①

   君子に二等あり。高尚の士は固(もと)より流俗に同じうせず、
   汀世(おせい)に合せず、こう々然として古人を以て師とす。
   此の人の世に居る、俗人庸夫其の奇怪に駭き、口を交へて唾罵するは固よりなり。
   而して独り有識の士のみ深く是れを推服す。

   【訳】

   心ある立派な人に二種類ある。
   その一つは高尚の人、つまり、学問・言行などの程度が高く、
   世俗を超越した気高い人物である。

   このような人はくだらない世間に同調せず、濁世に合わせず、
   志を大きくもって、昔の心ある人物を師としている。

   このような人物がいると、俗人や凡庸な人物は、
   その、常識では考えられない言動に驚き、
   そろって非難することは、いうまでもない。

   しかし、学問があり見識の高い人物のみは、このような人物を、
   心から偉い人として推し、心服するのである。

・・・

(5)《19日 人間の脳髄は一種のラジオ・セット》

   人間の心は、常に脳髄意識と云うラジオ設備をもって、自分自身の
   想念感情を周囲に対して放送しつつあるものである。

   その想念感情の強度に応じて、それは遠隔の地に達するものもあれば、
   近距離にしか達しないものもある。

   併しいずれにせよ、吾々は数億の人々から放送されつつある
   思想感情の波に取り巻かれているのである。

   吾々はそれを、恰(あたか)もラジオの波が肉眼には見えないのと
   同様に肉眼では見ることが出来ないが、自分の精神波動の波長が合う
   ものを自己に感受して何となく感ずることが出来るのである。

   そして、自分の感受した放送精神波動が病的なものであれば、
   自分が病的な不快感を何となく感ずるし、

   感受した波長が光明輝くものである場合は、
   自分の精神が自然に明るくなるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P196~197))より

           <感謝合掌 令和4年6月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2022/06/21 (Tue) 04:55:53


(1)【 6月20日 】嵐吹や

   〇 嵐吹(ふく)や烏の中に鷺まじり

   〇 田畑のみのる今宵の月夜かな

   〇 馳馬(はせうま)に鞭打いづる田植かな

                     (報徳要典)

  【略解】

   ・嵐吹や・・・:嵐ふく予兆を知らす烏の一群のおかげで鷺も救われているの意。

   ・田畑の・・・:田畑の豊作を喜ぶような今夜の月はなおうれしい。

   ・馳馬に・・・:気のはやる馬を制御しつつ田植えの準備の開墾よ。

・・・

(2)【 6月20日 】不滅なる精神

   我々人問は、
   その人の願いにして真に真実であるならば、
   仮にその人の肉体が生きている間には実現せられなくても、
   必ずやその死後に至って、実現せられるものであります。

   否、
   その志が深くて大きければ、
   それだけその実現には時を要して、
   多くはその肉体の死してのち、
   初めてその実現の緒(ちょ)につくと言ってもよいでしよう。

   そしてこれがいわゆる「不滅なる精神」、
   または「精神の不滅」と呼ばれるものであります。

・・・

(3)【 6月20日 】 《本物》

   ぐっとくるものがなくなったらもうおしまい 
   すべて本物には肺府を突く

   何ものかがなくてはならぬ   
   ゴッホの絵のように

・・・

(4)【 6月20日 】 君子小人並びに服するの人② 

   徳行の士は「居処恭しく事を執りて敬し、
   人と忠なるは夷狄に之くと雖も棄つべからざるなり」<(論語)子路>

   「言忠信、行篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行はれん」<(論語)衛霊公>の類にて、
   斯くの如き者は君子小人並びに服するの人なり。  

               安政3年6月7日「講孟剳記」

   【訳】

   二つめは、徳行の人、つまり、道徳にかなった人物であり、
   「日頃の生活態度はうやうやしく、仕事に際しては心をそのことに専らにし、
   敬い謹んで、怠らず、ゆるがせにしない。

   また、人と交際する時には忠誠を尽くして、斯き偽らない。

   この三つは、夷狄のような、礼儀道徳の低い所へ行っても、
   すてて、これを失ってはいけない」<(論語)子路>とか、

   「言葉が誠実で正直であり、行いが人情に厚くつつしみ深ければ、
   言行共に誠があるので、自然に人を感動させて、(中国はいうまでもなく)
   どんな未開の土地に行っても行われることであろう」<(論語)衛霊公>
   という類である。

   このような人物に対しては、君子も小人もともに敬服するものである。 

・・・

(5)《20日 「祝福」の功徳について》

   人間の脳髄をラジオ・セットであると考えて、
   吾々が他(た)を祝福する想念を起すと、

   それが遠くにまで波及して、
   他(た)の人々に幸福な愉悦の感情をおこさせることになる
   理由がよく分かるのである。

   「健やかなる者は医者を要せず」とイエスは言ったが、

   みずから健全なる思想を有し、明るい感情で伸び伸びと生活している者には、
   「祝福」の感情はそれほど珍しく感じられないが、

   その人が不健康にも憂鬱になり、暗い感情の虜となっている時に、
   祝福の感情の放送を受けることは全く砂漠にオアシスを発見したような
   悦びに満たされ、それを契機として、
   暗い生活から明るい生活に転向し得る事もあるのである。

   これは眼に見えない功徳を施しつつあるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P197~198))より

           <感謝合掌 令和4年6月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2022/06/22 (Wed) 04:46:21


(1)【 6月21日 】古聖の丹誠

    今の艱難(かんなん)を以て古聖草創の丹誠を悟るぺし。

      〇

    亭々として雲に聳(そび)ゆる大木は昔一粒の種子なり。

      〇

    一理を学べば一理を行へ。
                 (金言集)

   【註】

    とりわけ「一理を学べば一理を行へ」の教えは心魂に徹する教えです。

・・・

(2)【 6月21日 】 真実は現出する

   真実というものは、
   必ずやいつかは現れずにおかぬ。

・・・

(3)【 6月21日 】 《脱皮と解脱》

   個性というのは脱皮することによって、
   その濃度を増してゆくものである。

   それを家庭でも学校でも教えなくなった。
   それが今の日本である。

   わたしが宗教が大切だというのは、
   このことを言いたいからである。

   宗教とは脱皮、解脱のことなのである。
   かっての彼と今の彼とは、別人のようになっている。

   そしてそれによって面(顔)も一変してくる。
   わたしは、そういう人を何人か知っている。

・・・

(4)【 6月21日 】  輟(や)めざるなり

   一月(ひとつき)にして能(よ)くぜんずば、則ち両月にして之れを為さん。
   両月にして能くせずんば、則ち百日にして之れを為さん。
   之れを為して成らずんば輟(や)めざるなり。 

                  安政4年5月3日「諸生に示す」

   【訳】

   (一旦立てた志というもの)
   1ヶ月でできなければ、2ヶ月かけても、これをなし遂げたい。
   2ヶ月でもできなければ、百日かけてもこれをなし遂げたい。
   いくらやってもできなければ、できるまで絶対にやめない。

・・・

(5)《21日 みずからの「祝福」の足らぬことを反省せよ》

   吾々は常に神を讃美し、人々を祝福しなければならないのである。
   また間断なくすべての「事物」に対して、
   「汝は神の顕現としてただ吾々に善のみを与えるのである。有りがとうございます」
   と心の中で唱えながら呼びかけることが必要である。

   どんな難問題が出て来ようとも、その事を祝福することによって
   其の問題の解決の緒(いとぐち)を得ることが出来るのである。

   若しあなたが、これは宿命として自分に課せられた苦難であるとあきらめてしまうならば、
   あなたはその苦難を自分の念(こころ)で固定させてしまうから、
   その苦難を解決する道を見出すことは出来ない。

   自分が事物を祝福しようが足りないためにこんな苦難が来ったと反省して
   一切万事を祝福するとき解決の鍵が見出される。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P198))より

           <感謝合掌 令和4年6月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2022/06/23 (Thu) 04:55:59


(1)【 6月22日 】神儒佛の働き

   神道は興国の道なり。
   儒教は治国の道なり。
   佛法は治心の教なり。

   〇

   善言を聞いて直ちに行ふは人より樹種を噌られて直ちに蒔く如し。
   後必ず大木となるなり。

   〇

   漬物の切り様にてもその人の用意を知るべし。

                        (金言集)

   【註】

   神道と儒教と佛法の教えの特色をよくとらえておられます。

   尊徳翁の教えは神儒佛一粒丸とも仰せられた。

・・・

(2)【 6月22日 】 負けじ魂を燃やせ

   実際修養ということさえ、
   ある意味では負けじ魂がなければ、
   なかなかできるものではありません。

   その点からは、
   偉人とは道を履み行う上で、
   何人にも負(ひ)けをとるまいと、
   生涯覚悟して生き貫いた人と言ってもよいでしょう。

・・・

(3)【 6月22日 】 《大木》

   木が美しいのは   
   自分の力で立っているからだ

・・・

(4)【 6月22日 】 伐柯(ばっか)遠からず

   伐柯(ばっか)遠からず。

                  安政四年閏五月「両秀録に跋(ばっ)す」

   【訳】

   手本とすることは眼前にある。
   決して遠方まで探す必要はない。

・・・

(5)《22日 賃銀のために働く者は奴隷である》

   神は勤務時間と云うようなものを有ち給わないのである。
   神は常に働き給う。
   されば私も常に働くのである。

   どうして人間は勤務時間外は働きたくないと言うのであろうか。
   又、出来るだけ働く時間を少なくして賃金を多く得たいと思うのであろうか。

   人間の生命(せいめい)は活動するために、
   「働く」ために地上に生れたのであるから、
   「働く」ときだけが自分の生命(いのち)なのである。

   全然その人が働かなくなったとき、その人は死んだも同様である。
   働くと云うことは、本当は賃金の報酬を得るためではなく、
   自分の使命を果し、他(た)の人を幸福にしてあげるための営みである筈である。

   賃金を得るために働く者は、如何にその賃金が高くとも
   それは売られたる生命(せいめい)、即ち奴隷の生命(いのち)である。

   観点を変えるとき、働きが悦びにかわるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P199)より

           <感謝合掌 令和4年6月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2022/06/24 (Fri) 04:54:52


(1)【 6月23日 】通すべきを通す

   心の内に関を置き、
   自ら己の心を以て己の心吟味し通すべきを通すべし。
   通すべからざるを通す勿れ。

    〇

   桜は一年に一度花咲けども花の名を得て人に愛せらる。
   人も善事を為して花の名を取らずんぱあるべからず。

                            (金言集)

   【註】

   心の関所を設けるとは自己の生活規律を立てこれを守りきるということ。

・・・

(2)【 6月23日 】凝り性と意地

   凝り性というのと意地というのとでは、
   必ずしも同じものとは言えない。

   それというのも凝り性というのは、
   自分の勉強なりその他何でも、
   自分の仕事に打ち込むことであるのに対して、

   意地という方は、
   そこに対他的な意味が含まれているからです。

・・・

(3)【 6月23日 】 《朴》

   朴(ほお)は字もいいし、ひびきも実によい。
   花は純白で、大きく、
   そして何とも言えない芳香を持っている。

   葉もまた天狗の団扇(うちわ)といわれるほど
   大きく堂々とした男性的な木である。

   特にわたしが、この木に心ひかれるのは、
   わたしが晩成(おくて)の人間であるように、
   この木もまた晩成だからである。

・・・

(4)【 6月23日 】 味ひあるかな

   古人(こじん)言へるあり、「其の非(ひ)心を格(ただ)す」と。
   味ひあるかな、味ひあるかな。  

                  安政4年6月6日「戯れに対策に擬す」

   【訳】

   昔の人が、「その人のよこしまな心を正す」といっている。
   実に、味わいがある教えだなあ。

・・・

(5)《23日 言葉は重大なる行為である》

   千の説法よりも、一つの実行だと言う人がある。
   こう言う人は、言葉が最大の実行だと云う事がわからない人である。

   日蓮の辻説法も一つの実行である。
   キリストの路傍伝道も一つの実行である。

   言葉を出すことによって、それは実現の種子が蒔かれつつあるのである。

   マレンコフが一言(ひとこと)言うと
   金偏(かねへん)株が暴落し、多くの財界人が致命傷を受け、
   某(あ)る大臣が興奮して「バカヤロウ」と失言すると衆議院が解散し、
   国中の人々が投票所に脚(あし)を運んで、誰か自分の期待する人の氏名を書くのである。

   そして、その氏名を書いた人に議会に出て貰いたい理由は、
   議会で発言して欲しいからである。

   言葉が世界を動かし、人類を動かすのである。
   説教を止めて実行せよと云うのは一知半解の人の言うことである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P199~200)より

           <感謝合掌 令和4年6月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2022/06/25 (Sat) 04:57:43


(1)【 6月24日 】片楽を棄てて全楽を取る

   我道は常に片楽を棄てて全楽を取るに在り。
   衆生をして片楽を免かれ全楽を得しむ。
   これを済度の第一といふ。

   〇

   人々各々受け得る恩を以て譲るべし。
   然らば四海父子の如くならん。
      
          (金言集)

   【註】

   片楽とは一時的な楽しみということで、
   衆生済度とは長久の真楽を体得せしめるにある。

・・・

(2)【 6月24日 】苦労の注意点

   苦労ということについて、
   気をつけねばならぬのは、

   なるほど人間は、
   苦労によってその甘さとお目出たさとはとれましようが、
   しかしうっかりすると、
   人間がひねくれたり冷たくなる危険があるわけです。

   そこで苦労の結果、
   かような点に陥ることなく、
   しみじみとした心のうるおいと、
   暖みとが出るようになるためには、

   平素から人間の道というものについて深く考、
   かつ教えを受けておかねばならぬと思うわけです。

・・・

(3)【 6月24日 】 《生きていればこそ》

   生きていればこそ
   会えないひとにも会え
   ふしぎな契りを
   結ばせていただき
   こんな嬉しいことはない

・・・

(4)【 6月24日 】 風化を起こさんと欲す

   今諸君と松下村の風化を起こさんと欲す。
   宜しく此の語(ご)を以て令甲(れいこう)となすべし。
   遺忘(いぼう)することなかれ。  

                  安政3年6月10日「講孟剳記」

   【訳】

   今、私は諸君と一緒に我が松下村を徳によって教化しようと思う。
   であるから、この言葉をして、我々の掟の第一条としよう。
   忘れてはいけない。

・・・

(5)《24日 言葉なき行動は無機物に過ぎぬ》

   若し言葉が無しに、汝の頭に打撃が加えられたならば、
   それは風で飛んで来た屋根瓦にでも打たれたように、
   何の恨みも憎みもないであろう。

   若し「馬鹿野郎」と云う言葉とともに汝の頭に打撃が加えられるならば、
   それは怒りとなり、憎みとなり、呪いとなって、それは、彼が完全に
   赦し切るまでは悪業循環して尽くることがないのである。

   言葉(想念をも含む)なき実行は、無機物の打撃の如く、
   それは長く印象し継続する実行とならないのである。

   代議士の当落も言葉によって定(き)まるのである。
   何を彼が喋るか。彼の名前(コトバ)はどの程度知られているか。
   どの程度、彼のコトバが国民の心に印象せられたか等々・・・。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P200~201)より

           <感謝合掌 令和4年6月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2022/06/26 (Sun) 04:50:10


(1)【 6月25日 】専心没頭

   身をすててここを先途(せんど)と勤むれば
        月日の数もしらで年(とし)経(へ)ん

                     (二宮翁道歌)

   【略解】

   先途とは物事の最後ということ。

   譬(たと)えて言えば、
   自分に与えられた仕事を、
   今生最後の仕事として専心没頭すれば、
   月日の経つのも忘れて、
   いつしか一年が過ぎてしまうということで、

   「仕事の報酬は仕事である」という先人の言葉が思い出されます。
 
・・・

(2)【 6月25日 】二種の苦労人

   同じく苦労しながらも、
   その人の平生の心がけのいかんによって、
   そこにはまったく相反する結果が現れるということです。

   すなわち一方には、
   苦労したために人間の甘さとお目出たさはなくなったが、
   同時にそのために冷たい人間となり、
   えぐい人間となる場合と、

   今一つは、
   苦労したために、
   かえって他人の不幸に対しても、
   心から同情のできるような心の柔らかさや、
   うるおいの出る場合とです。

   そしてそれは結局、
   平素真の教えを聞いているか否かによって、
   分かれると言えましょう。

・・・

(3)【 6月25日 】 《声》

   生きていることは
   すばらしいぞ

   そういっている
   石がある
   木がある

   川辺に立つと
   水も
   そういって
   流れてゆく

・・・

(4)【 6月25日 】 君子は渇(かっ)すとも

   君子は渇すとも※盗泉を飲まず、志士は窮すとも溝壑を忘れず。 

                  安政4年8月「※溝三郎の説」

   【訳】

   心ある立派な人は、どんなに困っても悪いことは行わない。
   志のある武士は困難な状況に陥っても、正しい道を守るためには、
   死んでも棺桶がなく、溝や谷間にそのまま
   捨てられるくらいのことを覚悟するものである。

   ※1山東省泗水県にある泉。
     孔子は(盗泉という)悪い名前からその水を飲まなかったという。

     不義の意に用いる。

   ※2萩松本村の商家の子。高弟 吉田栄太郎稔麿が松陰に託した子。

・・・

(5)《25日 コトバによって国民の幸不幸は定まる》

   一国の政治が如何に行われるか、
   (それによって国民全体の幸不幸は定まるのであるが)
   それは議会で代議士が何を議決するかによって定まるのである。

   議決とはコトバで決定することである。
   そして決定せられたものが、法律として文字に表された「言葉」となるとき、
   それは八千万の日本国民の行為を強制する力を持つのである。

   言葉が如何に実行力の強いものであるかと云うことがこれで分るのである。
   「宗教家よ、説教するよりも実行せよ」と云う人があるが、
   宗教家の実行は、説教することが第一でなければならない。

   釈迦もイエスも農耕もしなかったし、大工の仕事もしなかったが、
   ただ説教だけをしたのである。

   しかしその説教は今も全世界の人類を動かしつつあるのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P201~202)より

           <感謝合掌 令和4年6月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2022/06/27 (Mon) 05:01:13


(1)【 6月26日 】無碍自在

   西にせよ東にもせよ吹く風の
      さそふ右へとなびく青柳

              (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   西風にしろ、東風にしろ、
   いずれの風の吹くままに、
   なびきさからわぬ青柳の姿を歌ったものですが、
   無碍自在な柔軟心を歌いあげたものです。

   論語に「意なく必なく固なく我なし」とあるように、
   我意、私欲、固定観念やわがまま、
   気ままを戒めたものです。
 
・・・

(2)【 6月26日 】思いつめるカ

   「自分もいつまでもこんなことをしていたんでは、
    大した教師にはなれないだろう。
    一端(いっぱし)の教育者となるには、
    何とかして現在のこの生温(なまぬる)さを克服しなければならぬ」

   と、
   日夜思いつめるところがなくてはならぬのです。

   この思いつめるカそのものが、
   実は刻々に、自分に対して内面的なカを与え、
   それがやがてまた将来の飛躍への原動カとなるのです。 

・・・

(3)【 6月26日 】 《捨の修行①》

   年をとると、どうして駄目になるのか。
   これだけは自分が年をとらねばわからぬことである。

   どんな英雄でも、
   年をとって駄目になり、
   その栄光の歴史を、晩年で汚している。

   そのわけは一言でいえば、
   自分を捨てきれないからである。

   捨てるということが、どんなに大事であるか、
   そしてどんなに難しいことであるか、

   かっての柔軟な魂を喪失し、
   頑固さだけが残り、
   一切の判断が齟齬(そご)してゆくのである。

・・・

(4)【 6月26日 】 小成(しょうせい)に安んずることなかれ

   老兄(ろうけい)の為す所学ぶ所、事々皆実なり、
   但(た)だ軽用(けいよう)妄挙(ぼうきょ)して以て
   小成に安んずることなかれ。 

                  安政4年6月27日「※福原清介に復す」

   【訳】

   (現在の)あなたの生き方、また、学んでおられることは、
   全て道理に適ったものです。

   しかし、簡単な気持ちで、道理にはずれた振る舞いをして、
   ほどほどの人物になることで満足してはいけませんよ。

    ※長州藩士 福原周峰。名は公亮。松陰の友人。

・・・

(5)《26日 もっと大きく発言せよ》

   過去に就いて言うこと勿れ。
   過去は既に過ぎ去ったのである ―― これは一面の真理である。
   しかしそれは全面の真理ではないのである。

   一切の過去は「今」の一点に収約せられて、
   未来に大きくも小さくも展開せんとする契機を孕む「今」なのである。

   だから「過去」は大いに反省して忌憚なく自己批判し、
   改むべきものは改めなければならないし、
   社会にうったうべきところは、大いにうったえねばならないし、
   かく愬(うった)えることによって、社会の枢要の位置にあるものの心を
   目覚めしめて、それを正しく導くことが出来るのである。

   一燈園の西田天香氏は議会に於いて便所掃除を実行したであろうが、
   6年間何の発言もしなかったので、国民代表としては何の実行もないと云うので、
   その次の参議院選挙では落選したのである。

   吾々は不言実行よりも身口意の三業(さんごう)の実行を尊ぶのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P202)より

           <感謝合掌 令和4年6月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2022/06/28 (Tue) 04:50:28


(1)【 6月27日 】一切全托

   おのが身は有無の湊(みなと)の渡し船

            ゆくも帰るも風にまかせて

                (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   有無の湊とは、
   生から死への港を意味し、

   人生とは、
   まさに生から死への渡し船のようなもので、
   その往来は、
   風という天意に一切全托するほかないとも言えましょう。

   人事を尽くして天命を待つとも、
   天命に従い人事を尽す生き方の両面を示すともいえます。

・・・

(2)【 6月27日 】教育の意義は立志に極まる

   教育の意義は、
   この立志の一事に極まると言ってもよいほどです。

   故にまた真に志が立つならば、
   ある意味では、
   もはやしいて教え込む必要はないとさえ言えましょう。

   というのも真に志が立ったら、
   自分に必要な一切の知識は、
   自ら求めて止まないからであります。

・・・

(3)【 6月27日 】 《捨の修行②》

   仏典も聖書も捨を言う。
   だから究極はここにこなくてはならぬ。

   でも、ここにくることの
   何と至難なことであろう。

   大変な行(ぎょう)を積んだ人でも、
   その行からきた名声地位を捨てきれずに
   駄目になってゆく。

   (中略)

   人間は修行を怠ると
   一ぺんに駄目になる。

   捨にも修行が大事である。

・・・

(4)【 6月27日 】 今人(こんじん)大眼目(だいがんもく)なし

   今人大眼目なし、好んで瑣事末節を論ず。
   此の弊読書人尤(もっと)も甚(はなはだ)し。(中略)

   其の自ら行ふ所を見れば、辺幅(へんぷく)を修飾し、言語を珍重し、
   小廉(しょうれん)曲謹(きょっきん)、郷里善人の名を貪(むさぼ)り、
   権勢の門に伺候し、阿諛曲従(あゆきょくじゅう)至らざる所なし。

   行々(こうこう)の色(いろ)著(あら)はれず、侃々(かんかん)の声聞えず、
   忠ならず孝ならず、尤(もっと)も朋友に信ならず、
   而して自ら居りて愧(は)づることを知らず。
   是れを之れ務(つとめ)を知らずと謂ふ。

                   安政3年5月29日「講孟剳記」

   【訳】

   今の人は大きな見方ができず、つまらない、枝葉のことばかり論じている。
   この欠点は読書をしている人に大変顕著である。(中略)

   そのような人の行動を見れば、上辺を飾り、言葉づかいを重々しくしている。
   また、さっぱりとして、欲がなく、細かいことも注意深く謹み、
   ふるさとで立派な人と呼ばれたいと望み、権力のある家にはおべっかをつかい、
   自分を曲げてでも追従している。

   剛健な態度、剛直な見識はなく、忠孝を実践する様子もない。
   友人に信義がなく、自分の行いを恥じることも知らない。

   このような人を、人としてのなすべきことを知らない人という。

・・・

(5)《27日 言葉が世界の平和を決定する》

   善き言葉の発言は「祝福」となり、悪しき言葉の発言は「呪い」となる。
   議会に、もっと善き言葉を発言する国民代表を送ることが必要である。

   議会で発する言葉がよくなれば政治がよくなり、
   政治がよくなれば、内に於いては国民がよくなり、
   外に於いては国際的関係が改善し、
   人類が戦争のために悩まされることがなくなるのである。

   しかも政治家を動かすには、与論を喚起しなければならない。
   与論を喚起するには言論の力にまたなければならない。

   まことに言葉が世界の平和を決し、言葉が戦争を終結せしめ、
   言葉で相互の親善が高まり、言葉で国策が決定し、言葉で宣戦が布告され、
   言葉でストライキが起り、言葉で貿易が振興する。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P203)より

           <感謝合掌 令和4年6月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2022/06/29 (Wed) 04:43:50


(1)【 6月28日 】生々息まず

   先生諭して曰く、
   汝(なんじ)富を得るの道を知らざるが故に窮せり。
   夫(そ)れ天地の運動頃刻(けいここく)の間断あるなし。
   この故に万物生々息(や)まず。

   人之に法(のっと)り、
   間断なく勉励する天の運動の如くならば、
   困窮を求むると雖(いえど)も得べからず。

                       (報徳記)

   【註】

   日々勤労を重んずる刻苦勉励こそは、
   人間の第一の勤めである。

・・・

(2)【 6月28日 】充実した一日を生きる

   一日を真に充実して生きるには、
   一体どうしたらよいかが問題でしょう。

   その秘訣としては私は、
   その日になすべきことは、
   決してこれを明日に延(のば)ささぬことだと思うのです。

・・・

(3)【 6月28日 】 《ひらく》

   花ひらく 
   運ひらく 
   道ひらく 
   目ひらく 
   心ひらく

   すべて 
   開くことが 
   大事だ 

   大道は無門 
   閉ざしてはならぬ

・・・

(4)【 6月28日 】 苛数(かすう)を以て 

   聖人固より苛数を以て人を責めざるなり。 

                   安政4年4月7日「※小田村士毅に与ふ」

   【訳】

   心ある立派な人は、罪を数えあげて、人を厳しく責めとがめることをしない。

    ※長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

・・・

(5)《28日 祝福する者が祝福せられる》

   あなたが心を集注して思うものがあなたの生活に実現し、
   それがあなたの運命を決定するのである。
   何に精神を集注するかが、あなたの運命をよくも悪くも決定するのである。

   あなたは他(ひと)を「祝福」することに心を集注していますか。
   それとも他を呪ったり、憎んだりすることに心を集注していますか。

   それによってあなたの運命も祝福されるか、
   呪われるかの岐(わか)れ目になるのである。

   「おのれにせられんと欲する如く人に為せ」と云う教えも
   「己れの欲せざる所を人に施す勿れ」と云う教えも、

   結局は人を「祝福せよ、汝等も祝福せられん」と云う真理を
   裏表から述べられたものであるのである。

   毎時毎刻、人々を祝福せよ。
   そして仕事をなすときにも、それを祝福しながらそれを為せ。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P203~204))より

           <感謝合掌 令和4年6月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2022/06/30 (Thu) 05:03:14


(1)【 6月29日 】天之れを悪む

   先生少しく色を和(やわ)らげて日く、
   嗚呼(ああ)積善積不善に由(よ)りて禍福吉凶を生ずること
   聖人の確言何んぞ疑はんや。

   (中略)

   夫(そ)れ孫右衛門の家、
   天明度の凶飢(きょうき)に当り、
   汝が家財に富めるを以て弥々(いよいよ)救助の心なく、
   高価に栗(ぞく)をひさぎて独り利を専(もっぱ)らにし、
   益々富をなせり。

   天之を悪(にく)み鬼神之を捨てむ。
   一家の廃絶この時に作(おこ)れり。

                      (報徳記)

   【註】
 
   「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よおう)あり」の名言通りです。

・・・

(2)【 6月29日 】人生の至楽

   何よりももまず自分の仕事を果たす。

   そしてその上でなおゆとりがあったら、
   そこで初めて本を読む。

   これ実に人生の至楽というものでしよう。

・・・

(3)【 6月29日 】 《光と力》

   光は一隅より      
   力は一人より

・・・

(4)【 6月29日 】 士此(しこ)の世に生まれては 

   士此の世に生まれては、才の高下と学の深浅とに随ひて、
   各々志す所なくんばあらず、但だ事変に遭逢(そうほう)して、
   自ら暴棄(ぼうき)に安んずるは、是れ悲しむべきのみ。 

                   安政4年8月17日「※木原慎斎に与ふる書」

   【訳】

   侍たるもの、この世に生を受けたからには、
   もって生まれた才能の高下、修めた学問の深浅に従って、
   それぞれ志す所がなければいけない。

   ただ、避けることのできない辛い状況に出会って、
   自暴自棄になることは、実に悲しむべきことである。

・・・

(5)《29日 問題解決の鍵は先ず心の調和にあり》

   若し何か問題が起ったときには、
   その問題を、混乱したままの心で解決しようと試みるより先に、
   自分の心を振返って見ることである。

   自分の心があらゆる人に、物に、事に対して
   祝福の心を有っていたかどうかと反省せよ。

   問題が起る前には必ず心の中に問題が起っているのである。
   即ち心の中の問題が反映して現実的事実を紛糾に導いているのである。

   すべての人々に先ず感謝せよ。
   そしてすべての人々が皆神の子であって完全であることを祝福せよ。

   そして現在あらわれているすべての事象は、
   わが心の有様(ありさま)をお示し下さっている
   観世音菩薩の示現であるとして感謝せよ。

   徹底的に感謝したとき、次なる道が拓かれて来るのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P204~205))より

           <感謝合掌 令和4年6月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2022/07/01 (Fri) 04:53:28


(1)【 6月30日 】分度を立て節度を守る

   先生細川侯の憂慮を察し、
   玄順に謂ひて日く、
   我が小田原の臣として外諸侯の政事を談ずる事能わず、
   然りと雖(いえど)も君明らかに仁心あり、

   (中略)

   巳(や)むを得ずんばわれ一言を呈せん。

   此の禍何に由て生ずるや、
   唯国に分度立たざるの過なり。

   国に分度なき時は幾万の財を入るるといへども、
   破桶に水を入るるが如く一滴も保つこと能はず。

   今子の君家、
   極難なりと雖も明かに分度を立て節度を守り仁術を行ふ時は、
   国の興復難しとせず。

                       (報徳記)

   【註】
 
   「分度を立て、節度を守り、仁術を行う」―国家興隆の道なりとの真言です

・・・

(2)【 6月30日 】継続はカ

   永続きしないものは決して真のカとなるものではありません。 

・・・

(3)【 6月30日 】 《存在》

   ザコはザコなり   
   大海を泳ぎ

   われはわれなり  
   大地を歩く

・・・

(4)【 6月30日 】 志士と云ふは

   志士と云ふは即ち道に志すの士なり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

   【訳】

   志士というのは人として正しい生き方をしようとする人である。


・・・

(5)《30日 心も練習する必要がある》

   やがて、あなたの生活におとずれて来る幸福と不幸とは、
   あなたが毎日何を如何に考え、如何なる感情で生活しておられるか
   と云う貴方の「想い」の種が芽を噴き実を結んで来るのである。

   吾らは自己の思いを常に祝福に満ちたものたらしめる
   練習を積まなければならない。

   事毎(ことごと)に感謝する練習をしなければならない。

   最初は、それでも時々不平の思いが湧いて来るかも知れないが、
   「悪いものを神は決して造り給わないのであるから、悪いものは無いのだ」と、
   否定し否定し、すべて感謝するよう、心の練習をするのがよいのである。

   若し、悪い事態がおこって来た場合には、
   「どうして悪い相(すがた)が顕れているのであるか」と反問して、
   それは過去の自分の「心」の具象化であるから、
   その「心」の力は具象化することによって消えつつあるのだと感謝し、
   且つ、過去の心の過ちを再び繰り返さないように心にちかうことによって
   事態は必ず好い方に向うのである。

          *「眞理」第2巻基礎編第7章(P184~185))より

           <感謝合掌 令和4年6月30日 頓首再拝>

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