伝統板・第二

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ひかりの一日一言87~心は病気を癒し得る・人間の運命 - 伝統

2022/06/01 (Wed) 06:01:29

真理第1巻入門篇 第16章17章(P237~252<12+4項>)から
の謹写です。


各項目については、「ひかりの一日一言」としては、
長文となるものがありますので、小項目に分けての紹介になります。

結果的に、30日分の構成を目指します。





ひかりの一日一言《1日》

《1日 病気は心から起る》

病気はなる法則と云うものは自然界の法則にはないのであります。
それは心の法則の中にのみあります。

だから心のないものは病気に罹らないのであります。

植物が動物が病気に罹るのは、
大抵、人間の病的観念の影響が受けるのであります。

人間の心の波から遠ざかっている野鳥や野獣には病気はありません。
尤も彼らの雖も多少、心の働きをもっていますから、
全然病気に罹らないと云うことはありません。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P237)より

       <感謝合掌 令和4年6月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2022/06/02 (Thu) 06:32:59


《2日 偶像は物質で心がないから病気に罹らぬ》

併し、全然心の働きをもっていないものには
物理的な被害はあっても病気と云うものはないのであります。

たとえば銅像はこれに弾丸を射ち込んだら、
其処には物理的な貫通銃創があるかも知れません。

しかし其の傷口は化膿もしなければ、
新しくその傷口が癒えると云うこともないのであります。

生きているものだけに此の傷口が癒えると云うことや化膿したり、
腐爛したりする現象が起るのであります。

だから化膿することも心の働きであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P237~238)より

       <感謝合掌 令和4年6月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2022/06/03 (Fri) 07:10:56


《3日 或る戦勝軍人①》

戦勝中、弾丸を受けて化膿した脚を、
幾度、その化膿部を切断して傷面を新しくしても、
すぐその傷が化膿して、段々脚を上部へと切断して行った患者が、

或る日、知人から『生命の實相』の本も貰って、
「これを読め! 読んだら治る」と云われました。

その傷痍軍人は、
「こんなに手当てして治らないで化膿にする傷が、
 どうして本を読んだ位で治る筈はない」と思いました。

しかし病院にいるのは退屈ですからそれを読んだのです。
すると、その患者の心が一変したのです。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P238~239)より


       <感謝合掌 令和4年6月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2022/06/04 (Sat) 07:05:33


《4日 或る戦勝軍人②》

この人は今まで、国家を恨んでいました。
国家は自分を犠牲にした。
戦争さえしてくれなかったら自分はこんな目に合わないのだ。

その恨むこころ ―― これが「内に毒を含む心」ですから、
内から内からと膿(うみ)が出て来て
その瘡面(そうめん)が治らないことになっているのでした。

又、「人は健康なのに、何故わたしだけはこんな目に合ったのだろう」と
内に悲しみを溜(た)めている心は又、内から、ジメジメとした汁が
出て治らない心になっているのです。

悲しみと云うものはジメジメしたものですから、
その心の通りに瘡口(きずぐち)がジメジメとして
いつまでも治らなくなるのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P239)より

       <感謝合掌 令和4年6月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2022/06/05 (Sun) 07:00:44


《5日 或る戦勝軍人③》

『生命の實相』を読んで、
この傷痍(しょうい)軍人は今まで恨んでいた其の恨みを
捨てようと決心しました。

今まで陰気くさく、ジメジメとした悲しみの心を捨てて、
明るく朗らかになろうと決心しました。

すると、今までどんなに治療しても化膿して治らなかった傷口が、
急に肉があがってなおって来ました。

そして1週間のうちに綺麗に皮膚が出来上ったのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P239)より

       <感謝合掌 令和4年6月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2022/06/06 (Mon) 06:46:59


《6日 傷口を癒やすのは中からの力です》

医者は外から薬をつけ、繃帯(ほうたい)いたしますが、
あたらしく肉が出来、皮膚が出来てくるのは、
中から働く生命(いのち)の力なのであります。

その生命(いのち)の力は誰にも与えられているのであります。

その生命(いのち)の力を、傷口へ運んで来る道を、邪魔していたのが、
自分自身の色々の思い煩(わずら)い、取越し苦労や、
「人を怨(うら)む心」や、「憎む心」や、「悲しむ心」や、
「人の幸福を羨(うらや)む心」なのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P240)より

       <感謝合掌 令和4年6月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2022/06/07 (Tue) 07:22:32


《7日 本来健康な生命(いのち)は自分の中にある》

大体、人間が健康にあこがれるのは、
本来人間は健康につくられているからなのです。

この、「本来の健康な相(すがた)」を「実相」と云うのです。

この「本来の健康な相(すがた)」は、肉眼に見えなくとも、
いつもその人の内部に宿っていて、外の肉体の姿に、
内部の健康な相(すがた)を運んで来つつあるのであります。

その運んで来る道を綺麗に平らかに整えて置かなかったならば、
それが肉体の見えるところにあらわれて来るのに暇(ひま)が
かかるのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P240~241)より

       <感謝合掌 令和4年6月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2022/06/08 (Wed) 07:01:34


《8日 健康な道をふさいでいるのは何ですか①》

その本来健康な実相を、
肉体の見えるところに運んでくる道をふさいでいるものは、
その人の「習慣的な心の想い」なのであります。

人には、それぞれの習慣的な心の癖と云うものがあります。

暗い、陰気な、取越苦労がちな心の習慣をもっている人、
人の欠点ばかりを見る心の習慣性をもっている人、

絶えず人のことを羨(うらや)み、
自分の現在頂いている位置、境遇、給与等種々の恵みに対して
感謝の念を少しも持たずに不平ばかりを思っている心の習慣の人、

すぐカッと腹を立てる心の習慣の人、
一ぺん憎んだらいつまでも相手を赦さないような習慣の人、

このような「習慣的な心の想い」は、本来健康な人間の「実相」を、
目に見える肉体にまで運んでくる道をふさぐところの
妨礙物になっているのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P241)より

       <感謝合掌 令和4年6月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2022/06/09 (Thu) 06:44:15


《9日 健康な道をふさいでいるのは何ですか②》

だから、こう云う心の習慣性をもっている人は、
若し怪我をしたり、病気にかかったりすると治りにくいのであります。

このような心をもっていますと、
肉体組織の中に毒素が分泌されるのであります。

その毒素が血液によって全身に運ばれ、
全身の器官の働きを不完全にし、活力を奪ってしまうのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P241~242)より

       <感謝合掌 令和4年6月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2022/06/10 (Fri) 07:22:21


《10日 どんな心が幸福の道をふさぐか①》

人間は誰でも幸福になりたいのであります。
それは、本来人間は、神様から幸福であるように造られているからです。

神が幸福であるようにおつくりになった人間を、
如何なるものも不幸にすることは出来ないのであります。

だから人間は本来幸福なのです。

これが人間の「実相」すなわち本当の相(すがた)です。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P242)より

       <感謝合掌 令和4年6月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2022/06/11 (Sat) 07:18:33


《11日 どんな心が幸福の道をふさぐか②》

その本当の相(すがた)は、
誰も変えることは出来ないのですから、
あなたは今も既に幸福なのです。

「いいえ、私は幸福ではありません」と貴方は仰しゃるのですか。

だって、あなたは既に幸福である「神の子」の
本当の相(すがた)を、あなたの内に有っているのです。

その内にある幸福な「実相」が
眼に見えるところにあらわれて来ないだけなのです。

その幸福な「実相」が中から外へあらわれて来る道が
邪魔物でふさがれているだけなのです。

その邪魔物と云うのは、何かと云いますと、
「悪いこと」を心に思い浮べる「心の習慣」であります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P242~243)より


       <感謝合掌 令和4年6月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2022/06/12 (Sun) 06:28:26


《12日 どんな心が幸福の道をふさぐか③》

たとえば、次のような思い方が幸福の道をふさぐ邪魔物なのであります。

人を見たら泥棒と思うとか、
あの人は自分を害しようと思っていると思うとか、

自分は運が悪いのに定(き)まっていると思うとか、
自分たち夫婦は相性が悪いから仕方がないと思うとか、

どうせ私の頭は悪いのだから成績が悪いのはあたり前だとか、
今日(きょう)は日柄(ひがら)が悪いから駄目だとか、
私は生れつき身体(からだ)が弱いから駄目だとか、

・・・・兎も角、何でも悪い方を考える「心の習慣」が、
あなたに与えられている幸福が、眼に見えない世界から、
眼に見える世界へとあらわれて来る道をふさいでいるのであります。

だから、上にのべたような心の習慣をお捨てなさい。

そうしたら、あなたは幸福になれるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P243)より


       <感謝合掌 令和4年6月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2022/06/13 (Mon) 07:24:52


《13日 人間の本当の幸福とは何ですか①》

人間が幸福になるのは、出世したり、お金が出来るだけでは
幸福になれるのではありません。

代議士や大臣になっても議会でなぐり合いをしたり、
酒をのまされて、おかげで家庭で夫婦の仲がわるくて、
少しも楽しくないので、益々酒を飲む人があります。

お金が出来たお蔭で悪いあそびをして堕落する人もあります。

人間の幸福は、出世やお金ではなく、愛情の関係であります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P243~244)より

       <感謝合掌 令和4年6月13日 頓首再拝>

《14日 人間の本当の幸福とは何ですか②》 - 伝統

2022/06/14 (Tue) 06:58:55


人間は「神の子」であり、神は愛でありますから、愛がなかったら、
金があっても、位があっても、互に相愛し、いたわり合い、同情し、信頼し、
慰め合う誰かがなかったら、生き甲斐が感じられないのであります。

どんな他の宝も、この愛情の悦びの代用となるものはないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P244)より

       <感謝合掌 令和4年6月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2022/06/15 (Wed) 06:52:41


《15日 人間の本当の幸福とは何ですか③》

本当に人間が幸福になるには、
人間は誰かを愛し、誰かに愛されなければならないのであります。

先ず自分から、他(た)の人のために、
その人たちの喜ぶことをしてやって下さい。

愛するとは相手の喜ぶことをしてあげることです。

相手を自分の好きにすることではありません。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P244)より

       <感謝合掌 令和4年6月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2022/06/16 (Thu) 07:29:05


《16日 何故愛していながら仲が悪くなるのですか①》

吾々は愛し、また愛されることを望んでいながら、
時々、憎み合ったり、仲たがいをして
別れなければならなくなったりするのです。

何故そんなことになるのでしょうか。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P244~245)より


       <感謝合掌 令和4年6月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2022/06/17 (Fri) 07:07:49


《17日 何故愛していながら仲が悪くなるのですか②》

友情や、家庭の感情がそこなわれるのは、
互いに相手を批評し過ぎるからなのであります。

自分が折角よい気持ちでやっているところを、
「それは拙(まず)い」と云ってケチをつけられると、
誰でも好(よ)い気持ちはいたしません。

人の欠点は見ないことです。

美点のみ認めて褒め合うように致しましたならば、
欠点はおのずから影を消して
美点のみがやって来るようになるのであります。


        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P245)より

       <感謝合掌 令和4年6月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2022/06/18 (Sat) 07:25:32


《18日 人の欠点をとがめてはならない①》

人間は「神の子」であり、その内なる「実相」は完全でありますけれども、
その完全さは、徐々に次第次第にあらわれて来るのでありますから、
現在、あらゆる方面から見て既に完全だと云うような人はないのであります。

だから、或る人には、人からきらわれるような変な癖があったり、
妙な欠点があったり、気のつかぬ所があったり致します。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P245)より


       <感謝合掌 令和4年6月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2022/06/19 (Sun) 07:07:39


《19日 人の欠点をとがめてはならない②》

しかし此のような癖や欠点をいちいちとがめ立てしていたのでは、
相手を腹立てさせるばかりで、決して相手を喜ばすことは出来ません。

互に感情を害し、憎み合うようになり、
お互いの友情をそこなうようになりがちです。

何故なら、「言葉は作り手」でありまして、
言葉で、相手の悪を云いあらわせば、
益々相手の悪を作り出すようになるのです。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P245~246)より

       <感謝合掌 令和4年6月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2022/06/20 (Mon) 07:13:36


《20日 あまり自分中心になってはならない①》

更に、人間が幸福になるためには、利己主義を捨てねばなりません。
利己主義者は、永久に幸福になることは出来ません。
利己主義者というのは、自己中心の人です。

何でも「自分」の考えばかりを、自分の「好き」ばかりを、中心にして、
他の人の「考え」を考えに入れてやらない人です。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P246)より

       <感謝合掌 令和4年6月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2022/06/21 (Tue) 07:09:39


《21日 あまり自分中心になってはならない②》

こう云う自己中心の人は、
あたたかい友情が萌え出ようとしていましても、
その芽を摘(つ)んでしまうことになるのであります。

金(かね)と友情と、どちらが尊いかと云いましても
友情ほど尊いものは無いのであります。

金(かね)があってもあたたかい友情のない世界は、
石炭ガラばかりあって美しい花の咲かない世界のようなもので、
まことに味気ない極みであります。

よき友を得ようとするには
「己の欲せざるところを他(ひと)に施すこと勿れ」とイエスが教えたように、
先ず自分が相手にとって気持のよい友達になってやらねばなりません。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P246~247)より

       <感謝合掌 令和4年6月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2022/06/22 (Wed) 07:06:16


《22日 何故人は成功しないのですか①》

誰でも成功したいと考えるのに成功しないのは何故でしょうか。

人間は神の子ですから、
「成功」は既に其の人の内に種として宿っているのであります。

その成功の種が芽を吹き、葉を伸ばし、蕾を生じ、花を開き、
果を結ぶためには下手な肥料を注(そそ)いではならないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P247)より

       <感謝合掌 令和4年6月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2022/06/23 (Thu) 07:09:40


《23日 何故人は成功しないのですか②》

不平や小言や悲観的な思いや言葉は、下手な肥料でありまして、
そんな肥料をかけましたら、折角の「成功」の種が
枯れてしまうのであります。

明るい心、楽観的な心、必ず成功すると信ずる自信力などは
成功の「種子」を伸ばすための、よき肥料なのであります。

成功するためには、常に明るい心をもって、成功することを信じて、
善いと教えられたことを必ず実行することなのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P247)より

       <感謝合掌 令和4年6月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2022/06/24 (Fri) 07:11:40

《24日 何故人は成功しないのですか③》

成功するためには、常に明るい心をもって、成功することを信じて、
善いと教えられたことを必ず実行することなのであります。

「明るい心になれ」と教えられたら、
ハイと素直に明るい心になることです。

「希望を持て」と云われれば、
ハイと素直に希望を持つことです。

「神の子だから希望を有て」と云われたら、
ハイと素直に自信を有(も)つことです。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P247~248)より

       <感謝合掌 令和4年6月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2022/06/25 (Sat) 07:12:56


《25日 何故人は成功しないのですか④》

人生の行路(こうろ)には相手があるのですから、
碁(ご)を打つようなもので、相手に一目(いちもく)もとらせないで
勝つと云うことはないのです。

相手にも与えながら、究極において
自分が一層すぐれておれば勝つのであります。

だから或る場面で自分の方が失敗したからとて、
1分間もそのためにクヨクヨ歎いていてはならないのです。

クヨクヨ嘆く思いは、暗い心ですから、
暗いものを引寄せることになります。

成功への道を綺麗に掃除するとしないとは、自分の心次第であります。

        *「眞理」第1巻入門篇第16章(P248)より

(以上で、第16章「心は病気を癒し得るか」の紹介を終えます)

       <感謝合掌 令和4年6月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2022/06/26 (Sun) 07:12:07


ここからは、第17章「人間の運命について」からの紹介です。

《26日 無價(むげ)の宝珠は既に自分の腕にある》

ボルチモアの或る婦人が高価なダイヤ入りの腕輪をもっていました。

或る日舞踏会にその腕輪をつけてまいりましたが気がついて見ますと、
腕輪が腕から紛失してしまっているのです。

それはきっと舞踏中に掏(す)られたにちがいないと思いました。

その後、彼女は落零(おちぶ)れ或る学院の掃除婦にやとわれて
その階段を洗いながら、どうして生活をつづけるお金を得ようかと
考えるほどになっていました。

或る日、彼女は古い外套(がいとう)の布のよい所だけを生かして
頭巾をこしらえようと思って、古外套の布をほぐしていますと、
その裏の《ふちどり》のところに挟まっているダイヤの腕輪を
発見したのでした。

その価格は当時の値段で3千5百弗だったと云います。
彼女がどんなに貧乏をしている時でも彼女はやはり、
ダイヤの腕輪の持主だったのです。

     *「眞理」第1巻入門篇第17章(P249~250)より

       <感謝合掌 令和4年6月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2022/06/27 (Mon) 07:26:43


《27 今持てる貴いものを捨ててはならない》

また、こんな話もあります。

或るブラジルの羊飼いがカリフォルニアにある金鉱を採掘しようと思って
自分の持っている山を売って、その山裾(やますそ)にちらばっている
透明な石塊(いしころ)を一握り拾って航海の途中の憂さ晴らしに
西洋囲碁(チェッカー)の碁石にしようと持って往ったが、
サンフランシスコに到着すると、その大部分を捨ててしまった。

唯一個、記念にもっていたその透明な石を米人に見せると、
それは正真正銘のダイヤモンドだと云うのだった。

そこで驚いてブラジルへ引返して、先般売った山を買戻そうと思ったが、
それは既に他(た)の人の手を経て政府へ売却済みとなっていたので、
施(ほどこ)すすべもなかったのであります。

今持てるものを捨ててはならぬのです。

今を大切にせねばなりません。

        *「眞理」第1巻入門篇第17章(P250)より

       <感謝合掌 令和4年6月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2022/06/28 (Tue) 07:11:05


《28日 福田のない人は富があっても発掘できぬ》

ネヴァダ州の米国最大とも云われる金銀の鉱区は、
その持主がたった42弗で、別の鉱区に買いかえるために
売り渡したものだと云われています。

こんな実例は随分沢山あるものなのです。

その人が所有している間は、碌な鉱脈にぶつからないでいて、
他の人に売り渡すと、急に素晴らしい新鉱脈が発見される。

人間の運命というものは斯う云うものなのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第17章(P251)より

       <感謝合掌 令和4年6月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2022/06/29 (Wed) 07:10:26

《29日 魂の高級な人は野心を出しても却って旨くいかぬ①》

心霊研究で有名な故浅野和三郎氏が鳴尾の競馬の明日の一等は
どの名前の馬で、何分何秒で一着になるかを霊媒によって、
実験室で研究しましたら、百発百中でよくあたるのです。

そこで、これなら大丈夫だろうと思って、
本当にお金をもって鳴尾の競馬場へ出掛けて行き、馬券を買って、
昨日たしかに霊媒が一着になると云う馬にかけましたが、
その馬はとうとう優勝しないで、お金をかけただけ損をしました。

実験室でやって見ると、どの馬が一着になるかがわかるのは、
なんでも肉眼の世界に出てくるまでに「心の世界」につくられて、
その「心の世界」のものが肉眼に見える世界へ、
映画のように映って来るものだからです。

ですから「心の世界」を感じやすい霊媒には、
どの馬が明日一等になるかは、わかるのです。

しかしそれがわかっても、その預言で金儲けをしようと思って
その馬に賭けて見ても当らないで損をするのは、
その人が、賭け事のようなバクチに類(るい)したつまらないやり方で、
金を儲けるようなフィルムが「心の世界」に出来ていないからです。


        *「眞理」第1巻入門篇第17章(P251~252)より

       <感謝合掌 令和4年6月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2022/06/30 (Thu) 07:09:07

《30日 魂の高級な人は野心を出しても却って旨くいかぬ②》

大抵、高級な人の魂は賭け事などで儲けることをきらいますから、
肉体の心が時に野心を起して賭博のようなことで儲けようとしても、
損をさせるものです。

そういう人は、パチ〇コや競馬や競輪などで儲けようとせず、
人を救うために働き、人のためになる事ばかりしていますと、
自然に天の倉によき原因がたくわえられて、「肉眼の世界」にも
豊かな富があらわれて来るようになるのであります。

         *「眞理」第1巻入門篇第17章(P252)より

(以上で、第17章「人間の運命について」の紹介を終えます)

       <感謝合掌 令和4年6月30日 頓首再拝>

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