伝統板・第二

2563003
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伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/02/27 (Sun) 08:19:45



ロシア侵攻も?ならば、伊勢ー白山 道様も?です!(^^)!。






 さて、今朝よりは、輝子先生の御話を謹写致します


宜しく御愛読くださいませ<m(__)m>。





 ”惚れるといふこと”    谷口輝子先生

        昭和四十八年「白鳩」誌四月號


 夜のテレビは余り刺激の強くないものを見ることに

してゐる私は、ゆふべの十時には「かつこうわるつ」

を見てゐた。毎回見ているわけではないので、くはし

いことは知らないが、珠子といふ美しい未亡人が、亡

父の母親と先輩の息子を連れて借家を探しに來て、一軒の家に住むことになつた。

燐家の家主の水道屋の主人官治は獨身だつた。官治は美しい珠子に魅せられてしまつてそはそはしてゐた。

近所に住むもう一人の男も珠子に心を寄せてゐた。そ

の男には妹と僞稱してゐる女があるのに、珠子にその

女より強く魅かれるので、二人の男性はライバルとな

つて、珠子の前で度々鉢合をして、輕いユーモアを巻き起こしてゐた。

                  (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/02/28 (Mon) 08:18:32



 田中宇様の展望は如何!(^^)!(?_?)(*^-^*)。


 志恩様の変身も如何!(^^)!(?_?)(*^-^*)。











 輝子先生、御話の続きです。


 その内に、妹だと言つてゐた女が妊娠したことから

ウソがばれて、官治一人が珠子の對象となつたので、珠子は官治に結婚の承諾を與へることになつた。

 夢かと思ふ官治は、浮き浮きとなり、踊つたり撥ねたりで、仕事も手に着かない有樣である。

官治の母親が温泉へ遊びに行つたので、珠子が官治の

食事を代つて作ることになり、自宅の食卓へ呼んだ

り、官治の家で作つたり、燐家から行つたり來たりし

てゐるうちに、珠子は官治宅の湯呑茶碗を一個落として割つてしまつた。

「どうも相済みません。申しわけございません」

 と恐縮して詫びる珠子に、

「いいえ、どういたしまして、ご遠慮なく割つてくだ

さいよ。これもどうですか」 と官治は大きなドンブ

リを珠子に差し出したりした。私は笑ひ出してしまつた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/01 (Tue) 08:04:37



 戦火飛び交う時、伝統様、白鳩箴言御転写有難うございます<m(__)m>。

 ロシアは悪者じゃないんですかね!(^^)!。SWIFTの危機なんでしょうかね!(^^)!。

 惑うばかりですわ。


 弥生三月、仙厓和尚は泰然なり(^^♪。


 九佐が またはか云

 御出家ハミな せんかいの世の中に

 只お一人の筆 ほしとぞおもふ


 九佐という男が(酒代欲しさに?)和尚の書画を
所望して来る、とかいうお話です(^^♪。








 輝子先生です。


 惚れるといふことは、あんなにもだらしなくなつて

しまふものか、しかし、何と可愛い官治青年であらうかと思つた。

 惚れられる珠子よりも、惚れてゐる官治の方が幸せ

ではなからうか。アバタもエクボといふ言葉は、惚れ

切つてゐる時の心狀をいふが、愛する人の缼點も惡も

一切見えなくなつて、愛する人のすること、為すこと何もかにも美しく見えよく見える。

 年月を經た愛が薄れて來た時、アバタはアバタに見

え出す迄はまだよいが、遂にはエクボがアバタに見え

出したりすると、戀愛の美しい虹は消えて墓場のやうな索漠としたものに變つてしまふ。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/02 (Wed) 08:11:22



 しからば?VS本流!(^^)!何か変な方向に向っていますか…。










 輝子先生です。


 私は若い頃淺草に住んでゐた。その頃私は時々近所

のある家に訪ねて行つた。そこの主婦は美しくて眞面

目な善い夫人だつたが、その夫には愛人があつて、そ

の愛人は夫人よりは美人でもないし教養も淺いが、何

か魅力があるらしく、その家の主人は妻に、愛人の出入りを黙認せよと強要した。

その主人は日頃は夫人に對して小皿を少し缼がしても

叱つた。夫人は食器の触れ合ふことをひどく恐れて大切にした。

 私が訪れた時は恰度愛人が來てゐる時であつた。愛

人も加へて夕食を共にすると言つて、夫人は臺所で働

いてゐた。夫人の手傳ひをするつもりで臺所へ來てゐ

た愛人は、そこらを片付けるつもりだつたらしいが、

ガチャンと大きな音をたてた。見ると、日ごろ主人が

大切に使つてゐた大型の藥罐の上に砥石が落ちて、藥罐の上部がへこんでゐた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/03 (Thu) 07:41:06


<全身が凍えてくるので、夫は寝床に腹這いになって

徹夜して書きつづけられる日もたびたびであった」。(『めざめゆく魂』)>


<「今にして知る『生長の家』は昭和五(いつ)の年三

(みつ)の月に月満(みち)て創刊号を生み、完成(なな)の年に『生命の實相』が完成すべきであったのだ。(七五三の数の因縁)>






 輝子先生です。



 夫人は靑くなつた。愛人がしたことではあつたが、

大事な器物だつたから、主人の怒りがこはかつた。物

音で臺所へ來た主人は、

「今の音は何だ」「この藥罐に砥石が落ちまして・・・・・」

「誰が落とした」

「私ですわ、御めんなさい」

 愛人はにこりとして頭を下げた。

「ふうん君か、風流な形になつたな」

夫人と私は顔を見合せた。若かつた私は、人ごとなのに腹を立て、直ぐ歸宅した。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/04 (Fri) 07:45:19



 こんなチャネリングは真偽は???

https://blog.goo.ne.jp/truthseeker/e/7a2a837ee709159cca2a6b9c1430347f











 輝子先生です。



 私は官治の”これもどうですか”と言つてドンブリ

を差し出しただらしない顔を見た時、五十年前の近所の主人の顔を思ひ出した。

愛情の失せた妻がすると、えくぼもアバタに見えた

が、のぼせ上つてゐる最中の愛人のしたことは、アバタであっても笑窪に見えたのであつた。

官治や近所の御主人が、戀愛にのぼせ上つてゐること

は、當事者たちだけの事柄であつて、大した問題では

なく、愛嬌すら感じられるほどの事であるが、お晝休

みの三十分間にみたテレビ「女の坂道」では、愚かな

一人の母親が、愛する一人息子を辨護士にさせたいた
めに、その學資を作らうとてスリの仲間にはひる。

眞面目な仕事をしてゐるだけでは収入が足りないといふのであつた。

法律の學問に勝れた息子は、辨護士になるのが一番出

世だ、出世する事が幸せだと決め込んでゐるのであつた。

                 (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/05 (Sat) 08:06:29



 日本会議会長・田久保忠衛氏の御壮健祈ります。






 輝子先生、続きです。


 「おれのいうことを聞かないと、おまえのスリをあ

ばいてやる。さうしたら犯人の母を持つ息子は辨護士になれない」

 と仲間のスリに脅迫されて、その男の女になつた

り、又仲間に脅迫されてその男を殺したりして、次ぎ

次ぎと罪を重ねて行く馬鹿な母親、息子にほれ込んで

上ずつてしまひ、理非、善惡の判斷も出來なくなり、

その盲目の母の愛のために、息子は誠實な戀人の愛も失ひ、深い苦惱に陥れられる。

 惚れることは良い。人に惚れることもよいし、仕事

に惚れるのもよい。しかし、そこに、おのづからなる

道に乗らなければならない。道をはづしては、自分も害ね、他をも不幸にしてしまふ事になる。

 道にはづれた行爲によつて、辨護士になつても検事

になつても大臣になつても、それが何の出世であら

う。幸せであらう。それはニセモノの出世であり、幸

せであるから、やがてはその高き臺から崩れ落ちてしまふであらう。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/06 (Sun) 08:22:10



 トランプ、プーチン2強叩き!(^^)!ほんとなの(^_-)。










 輝子先生です。


 「女の坂道」はまだ續いてゐるが、私は作者はどういふ風に結末をつけるかと見守つてゐる。

昔はずいぶん佛教が盛んだつたやうである。淨土宗で

も日蓮宗その他の宗派でも、求道の爲には命を懸ける

人たちが多かつた。それ等の人たちは佛の教にほれ込

んでゐて、その教と一體になるためには捨身の決意を

してゐたから、その眞剣な雰圍気の中で、佛教は隆盛にならざるを得なかつたのだと思ふ。

 日蓮聖人の弟子の阿佛房の事を、私は二、三年前に

知つてから、その熱烈な求道の態度を忘れることが出來なかつた。

阿佛房は元北面の武士で遠藤爲盛と言つて、順徳上皇

の流罪に随身した人であつた。阿彌陀佛信者であつ

て、ひまさえあれば念佛を口にしてゐるので、阿佛房

と言はれてゐた。その妻の千日尼は順徳上皇の侍女であつた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/07 (Mon) 08:31:48



 想像もつかない急斜面もものともせず、100kmの

スピードで、コンタクトレンズ外れても勇猛に突っ込む

25歳の女アスリート、150㎝、37kgです!(^^)!。









 輝子先生、です。


 日蓮聖人が佐渡に流罪となり、塚原と言はれる荒野

の三昧堂に居られると聞いた阿佛房は、日蓮はアミダ

佛の怨敵である。一刀のもとに斬り伏せ、亡き上皇の菩提を弔はんと忍び寄つた。

 ところがその時日蓮聖人は、威儀を正して、静かに

題目を唱へて居られるので、一刀兩斷の剣を振りかざ

すことが出來なかつた。思はずその場にひれ伏して、

聖人の法話と、お題目の功徳を聞いて、直ちに弟子入りした。

 山伏の辨圓が改宗して親鸞聖人の弟子入りしたかと

思ふと、念佛者の阿佛房は、法敵だと信じる日蓮聖人

を殺さうとして、その尊容と説得に逢つて、たちまち心をひるがへして弟子入りした。

阿佛房は日蓮聖人に惚れ込んでしまつた。妻の千日尼と共に、全心全霊で惚れ込んでしまつた。

弟子入りしてからの夫妻は、きびしい代官本間重連の

監視の目をかすめ、深夜ひそかに丈なす雪をかき分け

て三昧堂に食を運んでゐた。聖人が赦免になり、身延

の山に歸られてからも、聖人を慕つて、はるばると絶

海の佐渡から千里の道を遠しとせず、身延山に登るこ

と三度、最後は九十歳の老躯をひつさげて、自身の骨

を霊鷲山に埋めようと念願して山に登り、翌年目的を遂げられたといふ事である。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/08 (Tue) 08:36:38




 <トランプならウクライナ戦争は無かった>

<トランプさん、ゼレンスキー大統領認める(?)>

 いろいろ考えさせられますね!(^^)!。








 輝子先生です。


 阿佛房は教に惚れ、よき師に惚れた。その妻千日尼

も夫と共に同じ信仰を共にした。何といふ幸せな夫婦であつたことか。

 惚れるといふことには、いろいろな種類もあり、内容もさまざまであらう。

美しい顔をした女に惚れた。ハンサムな男に惚れたと

いふ事は、昔から今に至るまで、いつの世にもいつぱ

いあつて、或る時は歡喜にあふれ、或る時は悲嘆に暮

れたりして、人の世に複雑な色模様を染めだしてゐる

が、それらの美しい男女たちの容姿の若々しさや美し

さは永遠のものではない。永遠のものと信じてゐるそ

の瞬間から、刻々に移り変はつていくものであつて誰

一人として、皮膚の上の衰へや姿の老化は免れることが出來ない。

瑞々しい皮膚はやがて皺み、輝く瞳は年と共に光を消

してゆくものであるし、黒髪は白髪と化し、紅つばきのやうな唇も、やがては色あせてしまふ。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/09 (Wed) 07:47:15



 「維新と興亜」、「写経」!(^^)!。






 輝子先生です。


 移らうものに惚れて、それに縋り付いてゐては、い

つかはその縋っているものは崩れ去つてゆく。私たち

の惚れこんでゆくものは永遠のもの、久遠に消えない

もの、永遠に色褪せないもの、永遠に冷たくならないものでなければならない。

 それは何であらうか。眞理である。神である。佛である。

私たちは、ひたすらに神にほれ込んで、それへの道を

求めて進む時、永遠に崩れない幸せ、大安心を得られるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/10 (Thu) 08:12:31



 オデッサの悲劇、考えさせられます!(^^)!。









 輝子先生です。

 私は色あせた古新聞の切り抜きの一片を手にしてゐた。

それには定平さんなる人の事が書いてあつた。

「・・・・・定平さんは、日清戰争の時、負傷して護

送され、博多の陸軍病院に入り、療養中やゝ輕快とな

つたとき、看護兵と服を取替へて外出し、七里恒順和

上をたづねた。『私は和上さんの一口の御法話を聞き

たくて陸軍病院を脱出して來ました。どうか急いでゐ

ます。その旨お伝へ願います』と申し入れた時、七里

さんはちやうど書見中だつたが、すぐに出て來られ、

縁側に立たれ御文『末代無智』の文章をひらかれて、

お話の末、御當流の肝要はこれ以外にないと結ばれたさうだ。

                 (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/11 (Fri) 07:58:36



 そう、ナザレンコ・アンドリーさんがおりましたね。

やっぱり、プーチンさんは悪ですか!(^^)!。








 輝子先生です。


 定平さんは随喜身にあふれ、病院へ急いで歸つて見

ると、僞装脱走兵が出たといふので大變な騒動中であ

つた。早速營倉に入れられ、危く銃殺のところ、同郷の軍醫將校の口利きで助かつたといふ。

七里さんの御徳もさることながら、定平さんの道心の強盛さも驚き入るばかりである。先師の曰く。

身を捨てて望み求むる心より信を得べきなり」

 道を求めんがためと言ひながら、定平さんが軍の病

院を無斷脱出したことは軍規に反することだつたか

ら、銃殺は免れないことだつたのだが、定平さんは、

たとひ銃殺されても、佛の教を身に體したかつたのであつた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/12 (Sat) 08:23:23



 マシュー君、ロ米首脳は替え玉ですって!(^^)!。

さて、さて・・・!(^^)!。


 修二会は1300年も続く、魂の浄化を願います。










 輝子先生の御話、最終回です。


 肉體は殺されても、永遠のいのちを望んだのであつ

た。病院に歸つたら、銃殺されるかもしれないのに、

眞理を教へられた定平さんの心の中は随喜に滿たされ

てゐたのであつた。あの時の定平さんの心境では、た

とひ銃殺されても、笑つて死んでいつたのではなから

うか。肉體の死などは輕々と觀じて、魂の永生に生れ變つてゆけたのだと思ふ。

 教を聴聞し、教を身に體することを何よりの喜びとしてゐた定平さんは幸せ者だつた。

 今日は雨が降つてゐるから、聴聞に行くのは止めに

しよう。今日は嵐だからやめにしよう。體がだるいか

らやめにしようといふやうな不熱心な事では眞理は得

られない。雨が降つても槍が降つても聴聞に出掛ける

程のひたすらな求道の心あるものは、惚れた神から、惚れ返されるのである。

 とことんまで惚れ抜くこと。それは永遠なるものへの眞心である。

                  (おわり) 

『真理は死刑の鎖も断つ』  遠藤義雄先生 - 読者

2022/03/12 (Sat) 23:13:09

伝統様、ありがとうございます。

質問です。

『真理は死刑の鎖も断つ』  遠藤義雄先生 (2963)の記事を拝見しました。素晴らしいですね。

仏の忠太郎の10までありましたが、それ以降の記事がどこにあるのか教えていただけますか。探せませんでした。
宜しくお願い致します。

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 読者

2022/03/13 (Sun) 03:37:25

道産子さま

道産子さまの投稿を拝見しましたら、とても貴重な書写しの記事が感想の下にあるのですね。伝統さまと同じように、タイトル毎に別記事でアップなさってはいかがでしょうか。タイトルが外から見えないので見逃してしまい、もったいないです。また、元の書名も知りたいです。ご検討ください。
ありがとうございます。

管理人様
私のこれらは、邪魔ですので削除してください。
宜しくお願い致します。
削除キーを設定していませんでしたので。

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 読者

2022/03/13 (Sun) 03:47:13

神から方法を授かった遠藤義雄氏2017/02/08 (Wed) 08:16:38
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7161276

を拝見しました。

雅春先生と青年の対話 が元のようですが、なんという著書なのかしりたいです。わかりましたら宜しくお願い致します。

これも後ほど削除して下さい。

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/13 (Sun) 08:48:32



『真理は死刑の鎖も断つ』  遠藤義雄先生 - 読者様、
御感想有難うございます<m(__)m>。

 道産子の投稿は、あくまで、管理人様ー伝統様の上に成立しておりますので、御了解願います(*^-^*)。

 有難うございます。



 南三陸町の遠藤未希さんのことは記憶に新しい事です。
あの庁舎が波を被るなどということは彼女も思いもよらぬことだったでしょう。

 実際には20mだったらしいです。
痛ましい震災でした。


 佐倉惣五郎の出来事も凄まじいものです!(^^)!。

 破邪顕正様、有難うございます。






 さて、今朝よりは、久し振りに、恵美子先生です(^_-)-☆。
 
 御壮健であられますように、お祈り致します。




    呼べば應へる  谷口恵美子先生

     昭和四十八年「白鳩」誌 四月號


 北の國に大白鳥が一羽、十年ぶりに渡つて來たとい

ふ。村人はよろこび子供たちが餌付けをしようとして

ゐたある日、心ないハンターに撃たれて、看護の甲

斐もなくその大白鳥は死んでしまつたといふニュースを聞いたのは、一ヶ月ほど前だつたでせうか。

昨日は新聞に、焼鳥にする雀が公害などで減少し一羽

三十五圓の高値になつてしまつたので、タイ國より一

羽二十二圓の冷凍雀を二十四萬羽輸入したといふことが報じられてゐました。

タイ國では雀を食用にすることはタブーになつてゐる

といふのですから、先日來排日運動が盛んに行われて

ゐるタイ國で、この日本人の仕業をなんと受け取つてゐることでせう。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/14 (Mon) 08:13:33

 

 さすが、伝統様、見事にお応えされております!(^^)!。

 私めのたわ言が邪魔でした(*^-^*)。








 恵美子先生です。


 天地創造の初めに、美しい樹木の綠あり、枝々に鳥

が囀り、百花爛漫と咲き亂れ、川の水は清らかに池に

は龜や魚が泳ぎ、さまざまな動物が群れ遊んでゐた美しい世界があつたのではないでせうか。

それ等をよく支配し、神の御心の儘の美しい生活をす

ることが人間に與へられた神からの恩恵であつたと思ふのです。

人の心が美しくやさしければ今の世においてもそれは

決して夢物語ではないと思ふのですが、現實は自然破壊に拍車をかけるばかりです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/15 (Tue) 07:46:32



 饂飩屋の釜、キツイ御言葉です(*^-^*)。









 恵美子先生です。


 門の外の木立の下の池の縁に立つて、トントントン

と足音を立てると、小さな鯉は實に素早く、大きな鯉

は重たさうに身體の向きを變へて私の脚元に集つて來ます。

「立派な鯉ですね」と人に言はれる四十センチくらい

の鯉も、五年程前に夏休みに遠出した歸り、錦鯉を賣

つている立て看板の家で十五センチほどのを買つて來

たものです。それらのうち近所の子供に捕られたりし

ながらも生き殘つた連中と、うちで生まれた金魚など混ぜて五十尾ほどゐるのです。

                  (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/16 (Wed) 08:11:51

 

 やっぱり、プーチンは侵略者ですか、破邪顕正様、コスモス様!(^^)!。











 恵美子先生です。


 鳥たちも私の仲良です。餌臺に餌を撒くやうになつ

て數年たちますが、はじめの頃は雀ばかりやつて來

て、たまに來るキジバトはすぐ人影におびえて飛び立つのでした。

雀はすつかり私の姿を覺えて朝の食事時間を、もみぢの枝に鈴なりになつて待つやうになりました。

私が縁側を歩くと、その方向に群れを成して移動して来るのも可愛いものです。

春になりますと、あどけない子雀を連れて來る親雀

の、キリッと引き締まつた態度は、子を育てる親の模範とさへ思へる程いじらしいものでした。

實によく氣を配り、自分は食べないでも二羽の子雀に

せつせと餌を與へ、独り立ちできる頃には次第に遠くへ離してゆく樣子が、よくわかるのでした。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/17 (Thu) 08:22:42



<上皇后陛下(当時皇后陛下)の御歌を思い出します。

謹掲いたします。

「生きてるといいねママお元気ですか」
 
  文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼(をさ)な児眠る


 東日本大震災の津波で両親と妹を失った岩手県宮古

市の昆愛海(こんまなみ)さん(15)が4歳の時に書いたお手紙。(下総の野人様より)









 恵美子先生です。


 昨年の春、新しい家が庭の奥に出來て、移つてから

も餌を撒いてゐますとキジバト夫婦もすつかり馴れて

傍に寄つても逃げなくなりました。寒くなつてからは

次々と野鳥がやつてくるやうになり、葉ぼたんだけの

さびしい冬枯れの庭はいつにない活氣を挺して鳥たちの樂しい姿に時を忘れることすらあるほどです。

 穀物の好きな雀とキジバト、水ばかり飲んでゐるヒ

ヨドリ、黒い帽子のおしゃれなオナガ。尾が短く嘴と

足がオレンジ色の威張り屋のムクドリ。オナガとムク

ドリはリンゴの芯でもてんぷらの揚げ玉でもマカロニ
グラタンでもなんでもペロリと食べてしまふのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/18 (Fri) 08:20:28



 信天翁様が遠藤義男著のYouTubeを御紹介されています。


 伊勢―白山 道様が、天津日継の神示を御紹介されています(?_?)。







 恵美子先生です。


 チ、チンチンと輕い冴えた声の主シジュウガラは、

てつぺんの支への竹につるした胡桃が大好き。

そこへ見慣れぬ美しい鳥がチュルンチュルンと尾を振

つて垣根に止るのです。その優雅な鳥は羽根の兩側に  

白い紋がついてゐて背から尾へかけてオレンジ色、調
べてみるとジョウビタキ、紋付き鳥ともいふらしい。


最近新しく一羽の新顔がせかせか、チョコチョコ歩き

廻り、用心深く餌は食べずに辺りを見廻してばかりゐる。

首の下には白と黒の丸い縞があり、羽根は茶色と黒の

ブチ模様、これがツグミであるといふ事は、私がお友

達に貸してあげた鳥の本がやつと戻つて來て解つたことでした。

東京でも水場を作り、餌付けすると鳥たちがやつてく

るといふので、お友達も樂しみに鳥を呼んでゐられる

のですが、八種類來ましたよ、といふことでした。

私の家にも今のところ烏まで混ぜると十二種類の鳥が訪れて來るのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/19 (Sat) 08:38:31



 「ワクチン効かない」YouTube観ました(*^-^*)。









 恵美子先生です。


 勝手口がガラッと開いてお隣の坊やが飛び込んでき

てピタツと締めました。かくれんぼうをしてゐるのです。

「ちよつと、ちよつと、上がつていらつしやい、静かにね、しずかによ」

 と私は食堂のガラス越しに庭で餌を食べてゐる鳥を見せてあげるのです。

「あれがムクドリよ、ほら今來たのがヒヨドリ、お水飲んでゐるでせう」

 小さなお姉ちゃんも足音を忍ばせて入つて來ました。

「ムクドリとヒヨドリよ。覺えて行つてお母さんに教へてあげてね」

 弟は「ムクドリ、ムクドリ」姉は「ヒヨドリ、ヒヨ

ドリ」といひながら嬉しさうに歸つてゆきました。し

ばらくしてお姉ちやんが勝手口を開けて、

「ムクドリじゃないのわすれちやつた、なあに?」

「ヒヨドリよ」

 今年小學校に入學するお姉ちやんは火曜日にお花の

おけいこに來る私の小さなお弟子さん、大人のやうに

は教へられないけど、お花が大好きといふ共通点が樂しい時間を作つてゐるのです。

それぞれのお花が、みんな違つてゐて何と美しいこと

でせう。毎週きれいなお花を眺めて触つてみること

が、子供心に神のいのちの神秘さを見出してくれることを信じてゐるのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/20 (Sun) 08:42:43



 よろず屋さん、真偽は…!(^^)!。

 怖い内容ですが…。












 恵美子先生です。


 東京が戰災によつて焼野原となつて二十八年経ちま

した。私の家を取り巻くやうに一軒づつ残つた周りの

家の樹木は年々高く伸びて行きました。裏隣の十米以

上のタイザンボクは毎年甘い香の白い大きな花が咲

き、金木犀の香は夏の終わりをさはやかに告げてくれ

ました。もみじは美しく紅葉して私の家の二階からも

樂しめるのでした。その家の老夫婦が去つてその土地

がマンション業者の手に入つてしまつて間もなく、そ

れ等の樹木はあとかたもなく伐り倒されてその姿を消

してしまつたのでした。こころないひとにとつて美しい樹木はただの邪魔者でしかないのでした。

 そして又、門前の茶室のあつた家も壊され空が急に

明るくなつたと思つて隣の塀の中を見ますとあつと驚いてしまひました。

大木と言はれるまでになつてゐないとはいへ二十數本

の、切り口も生々しい綠の葉の茂つた木々が倒れてゐ

るのでした。二日間の内に小枝は燃やされ太いところ

は電氣鋸で切つてトラックで運び去られました。うち

から南へのびた櫻はビルに觸れるといふので伐らせて

くれと言つてきました。地下一階地上六階のビルが建つといふのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/21 (Mon) 08:27:51



<6 春季(秋季)皇霊祭と春季(秋季)神殿祭≪大祭≫ 春分、秋分の日

 この御祭儀は皇室の御歴代、后妃をはじめ皇族方に

至るまでの、天皇陛下のご先祖の神々を皇霊殿で、ま

た天神地祇の神々を神殿において、年に二度、春と秋

に御霊の慰撫と奉賽の大孝を述べさせ給ふお祭りで、

御自から御告文を奏せられ、玉串を捧げて御拝礼にな

ります。また御神楽「東遊(あづまあそび)」が楽部に

よつて奏せられます。これは第二十七代安閑天皇の頃

に駿河の有度(うど)浜(現在の静岡県三保松原付近)
に舞ひ降りてきた天人の姿を象つた舞とされます。

 徳川時代までは御所の黒戸にて御先祖の追孝の御儀

を仏式で行はれてゐましたが、明治維新後、皇霊殿に

て神式でお祭りされて以来、明治十一年(一八七八)

の秋の皇霊祭からこのやうに行はれるやうになりまし

た。併せて神殿祭も春秋この日斎行となりました。日

取りは春分、秋分の日で今日では民間の彼岸行事です

が、この日は、古来我が国の祖先の霊祭りに因むものです。
 
                   (以上)>

 下総の野人様より立葵様のご投稿より<m(__)m>。







 恵美子先生、最終回です。


 仕方がない。近代化の波が押し寄せてゐるのだか

ら・・・・・さうでせうか、此の寒々とした氣持ちは

どうしたものでせう。大きな樹木にも小さな花にも小

鳥達にも神から與へられた生命を生きようとしてゐる

物言はぬ心があるでせう。人間の心の中には生命を殺

してはならないといふ、誰に教へられなくても知つている魂があるのです。

 こんな時、一番悲しく思へるのは、日本人の生命の

生活がこのやうに豊かになつてゐるにも拘はらず、子

供の數が平均二人位となつている陰に、物言はぬ胎児が犠牲になつてゐる數字の大きさです。

神樣は愛し合ひ、生かし合ふことのよろこびを私たちに経験させようとしてゐられるのです。

人間の生命のみならず、すべての物の生命をもつと尊

び、目新しさ便利さ、恰好の良さに惑はされずに、神

に生かされてゐる感謝を、すべての物を生かす愛行へ

と轉じてゆかなければ、幸福な世界は現はれて來ないでせう。

愛するものは愛され、與へるものは與へられ、奪ふものは奪はれる。

 これが眞理なのです。

                  (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/22 (Tue) 07:52:08

 
 日ロ平和条約交渉中断、当たり前っていえば、当たり前ですけれどね!(^^)!。



 今朝よりは、田中忠雄先生の細川ガラシャ物語です。
 

   心に残る女性たち  大阪、細川邸の猛火—-

    ガラシャ姫最後の日   田中忠雄先生

         昭和四十八年「白鳩」誌四月號


 細川ガラシャは、周知のやうに明智光秀の娘であ

る。織田信長の媒酌で細川幽齋の子、細川忠興と結婚した。

 それは天正六年八月の事で、このとき信長が明智光秀

に與へた書狀には、光秀の武勲を褒め讃え、西國平定

の後には汝を數ヶ國の大名にするであらうと述べ、次

に細川幽齋は文武兼備の優れた人物で、その子忠興も

また抜群の器量であつて、いづれは武門の棟梁たるべ

き武將であると言ひ、汝の娘が忠興に嫁して兩家が結ばれる事は、このうへもない仕合せだとある。

                  
                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/23 (Wed) 07:45:37



 即、田中先生へ。



 信長は此の祝福の書狀のなかで、光秀よ、汝いよい

よ忠義をつとむべしと激勵してゐるが、忠義どころか當の光秀によつて本能寺で殺されてしまつた。

 その光秀は豊臣秀吉によつて討ち滅ぼされた。機を

見るに敏な細川忠興は、逸早く信長の菩提を弔ふと稱

して坊主の姿となり、光秀との姻戚關係を斷絶し、夫

人を三戸野の山奥に追放したが、内心は愛する夫人を迫る危険から脱出せしめたのであつた。

 秀吉は此の誠意を大いに喜び、山崎の合戰が終ると

間もなく、自分から言ひ出して細川夫人明智氏をよび

戻させた。さすがに秀吉は度量が大きく、光秀の娘と

いふ事にはこだはらなかつた。かうして彼女は夫の榮

達につれた、このうへもなく恵まれた境遇の人になつた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/24 (Thu) 08:22:17



日本国実相顕現の祈り


住吉大神あれましぬ。
住吉大神あれましぬ。
住吉大神宇宙を浄め給う。
住吉大神宇宙を浄め給う。
住吉大神、宇宙を浄め給りて、天照大御神あれましぬ。
その光あまねく六合に照り徹らせり。
その光あまねく六合に照り徹らせり。
天照大御神みことのらせ給う。
「豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」と。
その理念(かみこと)あまくだりて瓊瓊杵尊の降誕となりぬ。

その理念いよいよ具体化して神武天皇の建国となりぬ。
神武天皇の建国以来二千六百三十年、
今われら住吉大神のみたま受け奉りて
宇宙の迷いの心を浄めて
天照大御神より歴代の天皇を通して連綿として継承し来たり給える皇位(みくらい)の巌(いず)の
御光厳かに発揚すべく使命うけたる選士としてここに選ばれたるわが光栄を感謝し奉る。
吾ら一同、大神のこと依(よ)さしに応え奉りて
日本国の実相顕現と世界平和の実現のために全力を竭(つく)して
必ずや大神の御心に副い奉らんことを誓い奉る。








 田中先生、続きです。


 しかし夫人は心に深い打撃を受けた。あれ謀反人の

娘よ、あれ三日天下の娘よ、といふ世の人の目も堪へ

がたくつらかつた。いや、それよりも父光秀の没落を

よそに、日の出の如き秀吉の勢を見るにつけ、一榮一落のこの世の儚さがそぞろに身に染みるのであつた。

彼女が耶蘇教に心を傾けるやうになつたのは、このためであつたと思はれる。

 夫人の美貌は世に並びなきものであつた。しかも、

その天性は聰明で才智卓越し、さうして全身に凛然た
る意志の強さを秘めてゐた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/25 (Fri) 08:10:34



 藤棚の家、参りましたよ、懐かしき(*^-^*)。







 細川ガラシャ物語です。


 忠興はこの才色兼ね備へた夫人を熱愛し、嫉妬し、

尊敬し、畏怖した。彼女が朝鮮征伐の陣中から夫人に送つた歌は、後の世の語り草になつてゐる。

   靡くなよ わが袖垣の 女郎花(をみなへし) 

   男山より 風は吹くとも

 
 誰が彼女に言ひ寄るものがないかと、氣が氣ではな

かつたのだ。特に秀吉の目に留まつて、あれを呉れと

言はれる恐れのあることが彼の最も恐れるところで、

さすがに猛きこの武將も戰々競々として夫人の姿を秀吉に近づけないために心を砕いたのである。

 忠興はキリシタン大名として名高い高山右近と親交

があり、高山右近から耶蘇教の話を聞き入信を勧めら

れたが、彼にはこれに應ずる氣がなかつた。ただ夫人
と茶話の折などにしばしばその教を語つた。

右近がかう言つた、と語り聞かせたのである。それが

胸中晴れやらぬ女性の魂を揺り動かし、彼女はいつしか耶蘇教に心を傾けるやうになつた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/26 (Sat) 08:30:04


 田中宇先生を信じようか、信じまいか!(^^)!。









 田中忠雄先生は信じ得ます(^^♪。


 機會は到來した。忠興が秀吉に從つて九州に兵を進

めた留守中、變裝してひそかに大坂の屋敷を抜け出

し、教會堂の門をくぐり神父セスペードに教を受けた。

忠興の命令で、家臣たちは美貌の夫人を嚴重に警戒し

てゐた。彼らはこの日彼女の不在を發見して色を失

ひ、八方探し廻ってやうやく教會堂に居る彼女を見つ

けてつれ戻し、それからいよいよ監視が嚴重になつた。

そこで彼女はひそかに侍女たちをして教義を問はし

め、宣教師の與へる書物をたよりとして一心不亂に勉強した。

さうしてラテン語及びポルトガル語を解するやうにな

つた。外人宣教師の報告にも「容貌の美しさは比類な

く、精神生き生きとして志操高潔、才知卓越・・・・・」と記されてゐる。(『日本西教史』)


                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/27 (Sun) 08:38:12



 ウクライナの真実、知りたいですね(^^♪。








 細川ガラシャ、です。


 十七人の侍女たちが洗禮を受けた。そのうち最も信

頼する侍女メリー(徳川家の親類、清原頼賢の娘、當

時十七歳)を神父のもとにやつて、洗禮の法を授けて

もらひ、メリーの手によつて細川夫人は念願の洗禮を受け、教名をガラシャと稱した。

 忠興は九州から凱旋して此の事を知るや、烈火の如

く怒つて、信仰を捨てよと迫り、短刀を伽羅奢姫の喉

元に突き付けた。彼女は神色自若として「御身はわが

肉體の生命を斷つことはできても、私の心を變へることはできませぬ」と言ひ放つた。

 彼女が神父セスペードに送つた手紙に、「わが夫は

洗禮を受けた侍女等の髪を切り落として追放し、意に

添はぬことありと怒つて子供の乳母の鼻をけずり、兩

耳をそいだ。それでも天主によつて勇氣を與へられた

私は、たとへ關白の命令でも信仰を捨てはしませぬ」とある。(前掲『日本西教史』)

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/28 (Mon) 08:12:11



 源流様、輝子先生の御話御転載有難うございます<m(__)m>。








 細川ガラシャ物語です。


 かくて歴史の舞臺は、天下分け目の合戰關ヶ原に移

る。石田三成は、徳川家康が上杉景勝を征伐するため

諸將をひきゐて遠征してゐる時、大阪に殘つた諸將の

妻子を人質にしたうへで一擧に家康を討伐しやうとする。

 時は慶長五年七月、細川家は石田側から人質を出す

やう要求された。當時、忠興は家康に從つて遠征、三

人の子息はいづれも他國に在り、細川夫人が人質になるより仕方がなかつた。

再三にわたつて石田側から要求があり、應じないなら
兵を以て押し掛けるといふ最後通牒があつた。

 細川ガラシャは斷乎としてこの要求を拒んだ。敵軍

が押し寄せてきた。當時ガラシャに仕へてゐた「霜」といふ侍女の語つた文書が殘つてゐる。

それによると、七月十六日の深夜、家臣稲富は表口で

防戰すると稱して討つて出たが、にはかに變心して敵

軍と合流した。奮戰した家臣小笠原小齋が夫人の御座
所に平伏して、「只今が最後に候」と言つた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/29 (Tue) 08:06:07



 源流様、恵美子先生の御話御転載有難うございます<m(__)m>。


 ウクライナのネオナチ、アゾフ大隊、真相はいかに!(^^)!。








 細川ガラシャ物語です。


 「三齋樣(忠興)、與一郎樣(子息忠隆)へ、御書

置(かきおき)被成候。私(霜女)へ御渡被成、仰候

は、奥の女房と私には、落ちのき候て、御書置を相

届、御最後の樣子、三齋樣(忠興)へ申上樣にと御意被成候」

このとき霜女は、夫人の最後を見届けて死出のお供を

と、涙ながらに願ひ出た。しかし夫人はこれを許さな

かつた。霜女が泣く泣く門を出る時は、すでに宏大な館に火の手が上がつてゐた。

 細川ガラシャは、小齋に向つて介錯を命じた。彼女

は自殺を禁ずる耶蘇教の教に從つて、みずから喉をつ

かず、「御髪を御手づから上へ、きりきりとお巻き上

げ給ひ・・・・・」いざ首討ち落せといふ姿になつたが、

小齋が「左様にては無御座候」といふや、夫人はさら

ばとて、「御胸の所を、くわつと御押開被成候」
 
 すると今まで敷居を隔てて平伏した小齋が、自分が

夫人の御座所に入るのは憚り多しとためらつたので、

夫人はみづから身を敷居に乗り出し、しづかに觀念の目を閉じた。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/30 (Wed) 07:51:36



 防大生任官辞退、う~ん、ですね!(^^)!。

ぼう大とは行かないようですから、いいでしょうけれども!(^^)!。










 細川ガラシャ物語です。


 小齋は長刀にて、夫人の胸元を突き通した。ときに

慶長五年七月十六日の深夜、彼女は三十八歳であつた。

小齋は家臣と共に表に打つて出て、「日本に名を得た

る越中守の妻、敵の爲に虜にならんや」と

聲々に呼ばわり、「一同に切腹致し候」(『藩譜採用』)

 夫人の死骸のほとりには蔀(しとみ)やり戸を打ち

かけ、部屋の近くには鐵砲の藥を撒き散らし、これに
火を掛けたので、館は見る見る猛火に包まれた。

 外人宣教師の報告も、以上とほぼ一致してゐる。そ

れによると、忠興は出世に際して家臣に向い、夫人が

他の諸侯に戀慕されたり、または略奪されるやうな事

があつたら、直ちに夫人を殺して切腹せよと告げた。

いよいよその時が來た。しかし、誰一人夫人にそれを告げることができず、ただ泣くのみだつた。

                  (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/03/31 (Thu) 08:35:33



 水仙様のご紹介のYouTubu、何か、頷けますよね!(^^)!


 源流様、やまと新聞の御転載有難うございます<m(__)m>。

<相手の幸福のために祈れ>・・・某大統領(^_-)に対してもこうありたい?







 田中忠雄先生の最終回です。


  けれども、夫人は既に覺悟し、家臣に向つて死に

先だつて耶蘇に帰依せよと説き、死裝を整へ、天主に

祈り、それから侍女たちに永の別れを告げ、相抱いて

泣いた。護衛の兵が邸内に火藥を散布した。夫人は

こころしづかに基督と馬利亞の名をとなへ、襟を開いた。護衛の兵は敬禮の後、刀を抜いた。

なきがらは絹布で覆ひ、その室にて切腹するのは憚りありとて、部屋を出て行つた。

一人が火を放つた。かくて宏大な細川邸は、一時間に
してすべて灰燼に歸した。(『日本西教史』)


 なほ宣教師は次のやうに述べてゐる。—-夫人は容

貌美麗のため人々に戀慕され、またその夫から嫉妬を

受けた。しかるに彼女は戒を守り、斷食の時間を勵行し、あらゆる訓練(デンプリン)に堪へた。

多数の捨子を邸内に収容して育て、みづから子どもたちに着物を着せたり風呂に入れてやつたりした。

彼女はフレール・ワンサン神父から贈られた文典によ

つて、ヨーロッパ人にまけないほど拉丁語や葡萄(ポルトガル)の國語を書くことができた。と。

 私が日本にこのやうな女性がゐた事を知つたのは、

徳富蘇峰の『近代日本國民史』百五十巻を讀みふけつたときであつた。

寝食を忘れて讀みつづけたとき、私は細川伽羅奢姫に

出逢ひ、「むかしは、かかる女ありけり」と、天を仰いで歎息したのであつた。

 知らず、彼女は耶蘇教に殉じたるか、日本婦道に殉じたるか。

恐らくは、その何れでもあつたであらう。何れにせ

よ、その凛然たる氣概に至つては、天下の男子たちを

瞠若たらしめる。「むかしは、かかる女ありけり」と、今もなほ私は長歎せずにはをれないのだ。

 蘇峰はその大著の第十一巻のなかで、この細川ガル

シャの死は夫忠興の戰功よりもはるかに大きい打撃を

光成側に與へたと評してゐた。この批評も、いまなほ私の忘れ得ないところである。

                  (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/01 (Fri) 08:40:05


 
 下総の野人様、菅原神社御参拝で、甘露の法雨他様々な読誦をされておりますね!(^^)!。











 さて今朝よりは、雅春先生の御箴言です。


 写真は、仙厓和尚の布袋さま画賛、自分を布袋様に

見立てて?歳は喰ったが、まだやらねば、というような意味の画賛のようです。


 釈迦己帰宗林 弥勒未出内宮

 甚矣吾衰也 不復夢見周公





  四月の箴言 生命の尊重と佛性の囘復 女性のための智慧  
              谷口雅春先生

     昭和四十八年「白鳩」誌四月號


    一日の箴言 ”神”は決して單なる個人の空

想による觀念的存在ではない


ユングの心理學の本が近く日本教文社から『ユング

心理學』と題して新しく出るさうだが、ユングの心理

學は、生長の家の教義を理解する上に非常に參考になるものなのである。

マルキシストその他の唯物論者は、”神”の客觀的存

在を否定して、”神”とは、人間自身が勝手に發明し

た空想的存在又は觀念的存在であると説くのである
が、ユングはそれを次のやうに説明するのである。—-

「心理的な出來事は、我儘勝手な憶測からうまれた恣

意的な産物であるとか、更に進んでは、それらはそれ

らの生みの親である人間が發明したものであるとかい

ふ考へ方に餘りにも馴染んでしまつてゐるわれわれ

は、心理やそのもろもろの内容は吾々自身が勝手に發

明したもの、ないしは、色々な推測や判斷にもとづい

て多かれ少なかれ空想的にでつち上げられたものに他

ならないといふ先入觀念からなかなか脱却することが出來ないのです。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/02 (Sat) 07:52:08



 地球→月→太陽、一直線に並んだようですね、昨日は!(^^)!。朔様のご投稿より<m(__)m>。

まさに、「朔」というのですね。








 雅春先生の一日目、続きです。


 ところが事實はどうであるかといへば、ある種の觀

念は、伝播や傳承とは全然關係なしに、殆どいたる所

で、しかもあらゆる時代に現はれて來ますし、場合に

よつては自然に發生してくることすらあり得るのです。

これ等の觀念は個人によつてつくられるのではなく、
個人の方がこれらの觀念に遭遇するのである。


いやそれどころか、これらの觀念は無理やりに個人の

意識の中に侵入して來るのだのだと言つた方がよいかも知れません」と彼は強く言い切つてゐるのである。

 ”神”なる 觀念も、そんな觀念が、たつた一人の

個人の心理の中に表れてゐるだけだつたら、それは單

なる心理的主觀的なものだけれども、「このやうな觀

念が、ほとんど到る處で、あらゆる時代に、一定數以

上の共有になつた場合にはそれは客觀的なものである」とユングは説くのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/03 (Sun) 08:33:34



 破邪顕正様は祖国防衛を主張され、コスモス様は満州

からのリアルな帰還、そして半生?を書かれています!(^^)!。お見事。







 雅春先生、二日目です。


 二日の箴言 ”生命”は單に空想された觀念ではない


 ”生命”といふ觀念も”神”といふ觀念も同じ

く、”生命”そのものは肉眼には見えないものである

けれども、それは「傳播や傳承」とは全然無關係に、

ほとんど到る處であらゆる時代に、すべての人種を通

じて「一般的同意」を得てあらはれているものだか

ら、それは客觀的の存在だとみとめてよいものである。

”生命”とは決して單なる觀念ではなく、個人の恣意

的な勝手な空想ではないのである。そこに「生命尊

重」といふ語が「一般的同意」を得て、個人の利己的

私欲的行爲を生命尊重の立場から制約し得る所以があるのである。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/04 (Mon) 07:58:48



 この緊迫時に失礼<m(__)m>、渋野日向子、メジャー5位(あと1ホール残し)に浮上(^^♪。

 大坂なおみも、準V!(^^)!。










 雅春先生、三日目です。


 三日の箴言 唯物論では”生命の尊重”は出て來ない


 ”生命”は單に空想された觀念ではない。それゆゑ

に生長の家發祥時の”七つの光明宣言”の第一絛に書かれてゐる。

「吾らは宗派を超越し生命を禮拜し、生命の法則に随

順して生活せん事を期す」が正當な意義を持つて來るのである。

”生命”が何故尊重せられなければならないかといふ

と、それは單なる物質の結合より生ずる化學作用では

ないからです。もしそれが物質の化學作用で「生命」

といふものが生れて來、その生命が大腦を作り、大腦

から精神が生れて來て、そのために苦痛の意識や惱み

の感情がわいてくるのであれば、その化學作用の根源

となる物質の結合(肉體)を破壊してしまふならば、

苦痛も惱みもなくなる――それこそ”根本的救ひ”と

いふことになるはずである。つまり「安樂殺人」が根

本的救濟といふことである。このやうな唯物論的人間

觀からは「生命の尊重」といふ事は發生しがたいので

ある。更に況んや「生命を禮賛」といふやうな深い心境は生れて來ないのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/05 (Tue) 08:21:47




 Web:真実の泉 - ディスクロージャー、はびこる陰謀論(今朝の新聞)なんですかねえ(^_-)。











 雅春先生、四日目です。


 四日の箴言 ” 生命の尊重”に人類全體の”一般的同意”が得られるのは


 ”生命の尊重”が叫ばれると、殆どすべての人間

が、場所も時も人種も超えて「一般的同意」

(general consensus)を與へたといふ事實

は、 ”生命”といふものの實在(實在しないものは

尊重に價しない)をすべての人間が潜在意識の底に信

じてをり、”生命”といふものが物質の單なる化學的

結合によつて生じたものではないといふ事を知つてゐる證據だとみとめられるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/06 (Wed) 08:07:43


 スペイン人ジャーナリストの勇気あるレポート!(^^)!、
 これが真相(?_?)。










 雅春先生、五日目です。



   五日の箴言 生命は何故尊重されるか


 ”尊重”の感情が湧いて來るのは、そのものに”價

値”があるからである。”價値”があるのは、そのも

のが”本當に存在する”からである。”価値”がある

と思つて貰つたものが、掌の上で消えてしまつたなら

ば、それは”價値”がないのであり、”價値”があるとだまされてゐたのである。

”生命の尊重”といふものが尊重されるには、それ

は”本當に存在する”からであり、”本當に存在す

る”ものを”實在”といふのである。”生命”はそれ

みづから實在する。それゆゑにそれは尊敬され尊重されるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/07 (Thu) 08:12:10



 ブチャの真相,breakin信ずるか!(^^)!。









 雅春先生、六日目です。


  六日の箴言 神モーセにその名を語り給ふ


 ”生命”は實在する。それゆゑに生命は「實在」である。唯一の「實在」は”神”のみである。


モーセがエジプトからの俘囚から解放される直前の出

來事である。モーセが家畜の群れを引き連れてホレブ

の山に到れるとき、棘(しば)の中の輝く焔の中

に”神”が現れたまふ。モーセこれを見るに棘が炎に

包まれてあるのにその棘燒けず。神言ひ給ふ『我必ず

汝と共にあるべし」。是はわが汝をつかはせる證據な

り。汝、民をエジプトより導きい出したる時、汝らこの山にて神に事へん』と。

モーセ神にいひけるは、「我イスラエルの子孫(ひと

びと)の所にゆきて、汝らの先祖等(たち)の神、我

をなんぢらに遣はしたまふと言はんに、彼等も其の名

は何と我にいはば何とかれらに言ふべきや」


神モーセにいひたまひけるは「我はありてある者な

り」神またモーセにいひたまひけるは、「汝かくイス

ラエルの子孫にいふべし”我有り”といふ者、我をな

んぢらに遣はしたまふと」(『出埃及記』

これが唯一神なる實在者なる神のみ聲である。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/08 (Fri) 08:27:04



<アイヌを北海道の先住民族だというフェイク>

 コスモス様が教えてくれました!(^^)!。

道産子は無智ですね(*^-^*)。占領されちゃいますよ(';')ほんとに。

 源流様が、懐かしき童子様を採り上げました!(^^)!。







 雅春先生、七日目です。



 七日の箴言 神は名前を付けて限定することはできない


 神は本來”無名”であり給ふ。神は絶對者であるか

ら、限定しがたきものである。若し名前を付けたら、

名前の表現し得る内容にしたがつて、それだ
け”神”を限定してしまふ事になるのである。

だいたいモーセが神のお名前をたづねたことが、まだ

彼が”神”を人間と對立的にある存在だと見てゐたモーセの妄想からである。

もっとも棘の燃えずしてしかも輝く焔の上る靈光の中

から神はモーセに語り給ふたのであるから、モーセに

とつて見れば、その神は、自分の外にあつて自分に對

立してゐる神であり、多神教的に色々の神々の中のひと柱の神であると感じたのも無理はないのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/09 (Sat) 08:26:10



《釈尊も一遍肉体が自分だと云う自覚を抹殺してそし

て新たに生れられたのです。それが釈尊誕生の神話の

形で仏典に書かれております。即ち釈尊がお生れにな

った時に、七歩お歩きになって「我は天上天下唯我独

尊である」と斯う仰ったとあります。赤ん坊が生れる

なり歩くと云うことも、こんな難解な言語を話すこと

もありませぬ。これは、二度目の誕生即ち一度「物質

としての自己」を否定したときの「復活」即ち「二度

の誕生」をしたとき「天上天下唯我独尊」――「天上

天下に自分こそ最も尊きいのちである、自分は決して

物質が生きているのでない。宇宙に充ちている仏のい

のちがここに生きているのだ」斯う宣言されたことが

象徴的に描かれているのであります。斯ういう悟りの

境涯に入ることを日本語では「仏」になるというので

あります。「仏」というのは解けた姿、解放された姿

であります。何物にも縛られない自由自在の自分のい

のちの実相(ほんとのすがた)に目覚めた状態なので

あります。生長の家で説いているところは、「肉体な

し、物質なし」といって、肉体・物質を十字架につけ

て抹殺することによって「唯仏のみ実在である、唯神

のみ実在である、自分の生きているいのちは仏のいの

ちであり、神のいのちである」と生命の実相(ほんと

のすがた)を再認識し復活せしめるのでありまして、

この生命の実相の復活的自覚により、人間が本来の生

命の自由自在を恢復し、仏教的に謂えば「天上天下唯

我独尊」の自覚を得、キリスト教的に謂えば「われ神

の子」(最早われ生くるに非ず、キリスト我にあって

生くるなり――パウロ)の自覚を得て、現象界に於い

ては肉体は健康に、社会百般の事業に於いて自由自在を得るに到のであります。》

 
 昨日の下総の野人様のご投稿より<m(__)m>。









 雅春先生の八日目です。


  八日の箴言 ”ヱホバ神”の本當の意味について


 神はその時、「我有り」といふ者が自分だと答へら

れたのである。英語聖書では「我有り」と和譯された

部分をI AMと英譯されてゐるのである。すべての人

に、物に、宿り給ふI AMこそが、「我有り」(われ

は實在者なり)といふ”神の本體”なのである。即ち

すべての人に物に宿り給ふ「内在の神性」が「我有り」なのである。

ヘブライ語では、この「我有り」といふ語をYahowah

(ヱホバー)と言ふので。神はモーセの問に答へて

「ヱホバー」と言ひ給うたのである。人々これを勘ち

がひして「ヱホバ」といふ固有名詞の名前の付いた神

だと思つて「ヱホバ神」といふ個別的な神にしてしまつたのである。

                  (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/10 (Sun) 08:08:46



 マシュー君やルイーズさんの予言、どこまで信じてよいものやら!(^^)!。










 雅春先生の九日目です。



  九日の箴言 舊約の靈媒的豫言者にあらはれたるヱホバ神


 舊約聖書には、多くの”靈”が「ヱホバ神」の名を

用ひて諸々の豫言者に靈媒的現象を起させて豫言をし

てゐるのである。その豫言の中には正しいものもあれ
ば、荒唐無稽なものもある。

「本當の神は靈媒にはかからぬ」のである。しかし時

にはある階級の正しき高級靈が、宇宙不遍の「唯一

神」の神意を受けて、”唯一神”の名のもとに神意を傳へるところの正しき預言を語ることがある。

それは、勅使が、一天萬乗の天子の御諚を携へて來て

天使の名に於てその御諚を朗讀するのにも似てゐるの

である。だからそれらの預言には、實際、神意を傳へてゐる部分も多いのである。

                 (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/11 (Mon) 07:40:57


 佐々木投手、陰で父、祖父、祖母が力を与えてくれているのでしょうか!(^^)!。






 雅春先生の十日目です。



 十日の箴言 「われは何々である」といふ通りにあらはれる


 モーセが、棘の燃ゆるが如き靈光の中にあらはれた

神に對して「その神樣のお名前は何と傳へたらよろし

うございますか」とたづねたのに對して、神は「我有

り」(I AM)とも言はれたが「我有りて在る者なり

(I AM that I am・・・・)と先ず答へられ

てゐるのである。これは「われは心の法則として汝の

内に宿るところのものなり」といふ意味なのである。


(I AM that I am・・・・)を直譯するなら

ば、「我は” I am sick”(私は病氣です)と言

へば病氣の姿を以てあらはれるものであり、”I am 

son of God”(われは神の子”である)と言へ

ば”神の子”の完全な姿をもつてあらはれるところの

唯心所現的實態であるといふ意味である譯である。だ

からわれわれが言葉を使ふ場合、「われは何々であ

る」といふ其の”何々”を「立派なもの」に定置して

おかなければならない。われわれは言葉を慎んで、苟くも惡を表現する言葉を慎まねばならないのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/12 (Tue) 07:22:04



 北海道も、一丁前にあったかいです!(^^)!。






 雅春先生の十一日目です。


  十一日の箴言 一遍上人の語録は素晴しい


 最近『念佛信仰の神髄』と題する善い本が谷口清超

宗教論集の完結集(第十二巻)として出たのを讀んだ。

一遍上人の法語の神髄を解説した眞理の書であるが、序文よりも本文が素晴しい。

 ”決定(けつじょう)往生の信たらずとて人ごとに

歎くはいはれなき事なり。凡夫のこころには決定な

し。決定は名號なり。しかれば決定の信たらずとも、

口にまかせて稱せば往生すべし。是の故に往生は心によらず。名號によつて往生するなり。”

 といふのが一遍上人の法語の一節である。「口にま

かせて稱せば往生すべし」といふ事があり得るのは、

人間の本體はI AMであり、「南無阿彌陀佛」(英語

で譯せばアイ アム ナミダブツ)といへば、自分自身が阿彌陀佛になつてしまふのである。

往生極樂がこの身此の儘、今實現するのである。

名號の秘密神通力ともいふべき不可思議力は、神は

「唯心所現の法則」として萬人に宿つてゐられるので

あるからである。兎も角一遍上人の語録の清超先生の

解釋を幾度も心讀して自己に宿る秘密神通力を悟られるがよいと思ふ。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/13 (Wed) 07:49:21



 源流様、雅春先生の箴言御転載誠に有難うございます<m(__)m>。

 どの御文章を観ても、愛の溢れた、しみじみとした感動を与えて下さいます。








 雅春先生の十二日目です。


  十二日目の箴言 自分が阿彌陀佛になり切る


 一遍上人の語録には、

「決定といふは名號なり。わが身わが心は不定なり。

身は無情遷流の形なれば念々に生滅す。心は妄心なれば虚妄なり。たのむべからず」となる。

 身は無情であつて常に變化して念々にその細胞は死

滅して新生細胞にとつて代られる。そんな肉體の腦髄

から生じた”心”なんて他愛もない。ニセモノの心で

ある。そんな心で信心して極樂へ生れるとか、そんな

肉體の唇で稱名をしたところが何の役にも立たぬ。變

化無情の”非存在の者”が信心しようが稱名しよう

が、そんなことで人間が極樂往生できるわけではない。

そんな虚妄の體を捨てなければ本物が出て來ないといふのが一遍上人なのである。

體を捨てていのちぜんたいが名號そのものになり切

る。自分の實相が阿彌陀佛であり、その實相即ち名號

が名號を稱へて阿彌陀佛に成り切る。これが即得往生極樂なのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/14 (Thu) 08:22:52



 学ぶ誌で、田久保先生も憲法改正で軍隊と天皇を取り戻すことを主張されております。

 何か、私の記憶で、雅春先生が軍事力では解決できぬ、世界の光明化こそ大事と説かれた御文章がどこかにあったような・・・。理想はその通りです、と思いました。(*^-^*)。


 西田×馬淵会談も小気味よいですよね!(^^)!。









 雅春先生の十三、十四日目です。



  十三日の箴言 大信心は佛性の發顕である

 
 その事を一遍上人は、

「我が體を捨て南無阿彌陀佛と獨一なるを一心不亂と

いふなり。されば念々稱名は念佛が念佛を申すなり」と説かれてゐる。

 これは親鸞聖人の和讃に「信心よろこぶその人を如

來と等しと説き給ふ。大信心は佛性なり。佛性すなわ

ち如來なり」とあるのと同じである。――即ち佛性が

大信心を起すのであり、その佛性とは自己に宿る如來である。

如來が念佛して如來の實相があらはれるのである。



 十四日の箴言 瓦礫は磨いても寶石にはならない


 本来、如來でない者がいくら念佛しても如來になれ

るものではない。本來寶石でない瓦礫はいくら磨かれ

ても寶石にはなることは出來ない。寶石のみが寶石に

なれるのである。如來のみが如來になれるのである。

人間は本來如來なのである。念佛は如來がするのであ

る。如來が念佛して、如來の實相があらはれるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/15 (Fri) 08:43:19







 雅春先生の十五日目です。


 十五日の箴言 妄念が念佛して何の甲斐もない


 谷口清超氏の『念佛信仰の神髄』には、一遍上人の

「・・・・・我よく意得、我よく念佛申して往生せん

とおもふは、自力我執がうしなへざるなり。おそらく

かくのごとき人は往生すべからず。念不念・作意不作

意、總じてわが分にいろはず、唯一念佛に成るを一向

専念といふなり」といふ語錄を引用して、

”罪人である「私が」「念佛を」申して「往生せん」

と思ふやうなバラバラの信仰ではない。そのやうな信

仰は自力我執であつて本當の他力絶對の信仰ではあり得ない。

「私が」「念佛する」といふ場合には、もうその

「私」なるものは「念佛」と離れた「私」である”と
説いてゐられる。(『念佛信仰の神髄』参照)

一遍上人によれば我執のある肉體人間が念佛しても、それは何の甲斐もない。

「妄執は所因もなく實體もなし」と説いてゐられるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/16 (Sat) 08:26:38




 雅春先生の十六日目です。


 十六日の箴言 地獄も極樂も自分の心の中にある


 妄執が念佛に執著して極樂へ往かうと思つても「所

因もなく實體もない妄執」が極樂へ行かれる譯はな

い。妄執や執著がなくなつたとき、そこに極樂がある

のである。念佛妄執で、念佛に執著して他宗と喧嘩し

てゐる宗教家もある。その喧嘩の心の相が修羅の妄執

であり、修羅道に墜ちてゐるのだといふことが出來る

し、その互に責め合ふ相が地獄の有様であり、地獄に

墜ちてゐるといふ事も出來るのである。責め合ふこと

がなくなり、妄執に縛られなくなつたときそこが極樂であるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/17 (Sun) 07:40:36



 産経新聞全面カラー広告、快挙(^^♪。購入しましょう(^^♪。









 雅春先生の十七日目です。


   十七日の箴言 極樂とは場所ではない


 一たい極樂とは如何なる境であらうか。それは一定の面積を持つた場所の事ではないのである。

完全に繋縛から脱して、何にも縛られなくなつた自由

解脱の境なのである。極樂は場所ではなく境涯である。

                 (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/18 (Mon) 08:15:32



 雅春先生の十八日目です。



  十八日の箴言 ”救はれる”といふこと


 一體、宗教的に”救はれる”といふ意味は如何なる

ことであるであらうか。”救はれる”といふことは、

何ものにも縛られない自己解放を得ることなのである。

色々の煩惱に縛られて自由を失つた狀態のままで「罪

ある儘で救はれる」といふ言葉に騙されて、たとひ

「ここは極樂淨土です」と標札がたてられてゐる場所

に入れてもらつても、その人の心がクヨクヨといろい

ろの俗世間の出來事に煩はされてゐる心を持ち、肉體

の欲望に縛られて渇欲にさいなまれてゐるならば、い

くら住む場所が淨土であつても、その人は「救はれてゐない」のである。

                 (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/19 (Tue) 07:48:29



    讃春歌    谷口雅春作詞


一、外に花咲く 春が来た、

  内にも花咲く 春が来た、

  外にも内にも 春が来た、

  心の中(うち)に 眠ってた

  神が目覚めて 春うたう

  心ほのぼの 春が来た。

  心ほがらか 春が来た。

二、うれしいうれしい 春が来た、

  すべての人に にこにこと

  瞳の中に 神の愛、

  ことばの中に 神の智慧、

  かみの生命(いのち)を 今いきて

  こころ明るく 笑いましょう。

  こころ青空 笑いましょう。

三、わが魂の神めざめ

  すべての人に神を見る、

  過去のなげきの 夢さめて

  あらたに生れた この生命(いのち)、

  ここが天国 極楽と

  ひかりの世界に 歌いましょう。

  いのちの春を 歌いましょう。


 粟野先生たちが歌っています(^^♪。本当に、つい

先日迄枯れ枯れの周りが、何時の間にか緑緑して来ました、スゴイですね、自然というものは・・・。







 雅春先生の十九日目です。


  十九日の箴言 人間の” 救はれる可能性”


 人間が少なくとも救はれる可能性があるならば、今

は濁つて不透明な原石だけれども、その原石の奥底を

磨けば、完全な光を發する寶石となる本質があるとの

と同じやうに、人間の本質に、一見その不透明な濁つ

てゐると見える肉體的欲望のその奥に”本來救はれてゐる本質”があるからなのである。

 宗教といふのは、その”本來救はれてゐる本

質”(即ち實相)をあらはすために、色々の修行又は

行持を行はしめることによつて人々を導くのである。

その導き方の相異によつて宗派が分かれて來るのであつて、

「人間を救ふ眞理」が宗派によつて色いろ異なつてあるといふ譯ではないのである。

                 (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/20 (Wed) 08:10:09



<キリストは
2022年昔に顕われた
人間神の子のモデルである。>(?_?)。

<霊とは、純粋にして混じり気のない 心のエッセンス。

心とは、霊が動き出して知性的 又は感情的 又意志

的波動となって表れたもの。

魂とは、人間の全体性のバランスを維持する働きの精神的エネルギイ。>!(^^)!。








 雅春先生の二十日目です。


 二十日の箴言 華嚴の”三無差別”と白隠の”坐禪和讃”


 白隠禅師は、その”本來救はれてゐる人間の本

質”について、その御作「坐禪和讃」の中に單的に次の如く説いてゐるのである。

  衆生本來佛なり 水と氷の如くにて

  水を離れて氷なく 衆生の外に佛なし

 衆生といふのは一般生類すなわち「生きとし生ける

もの」を意味するのであるが、狭い意味にとると”人

間たち”とか人類とかいふ意味である。時には”凡

夫”といふ意味に使はれる語でもある。人間が救はれ

るのは、人間は本來佛であつて、はじめから救はれてゐる本質(實相)をもつからである。

華嚴經には「心(しん)・佛・衆生・三無差別(むし

ゃべつ)」と説かれてゐる。”心(こころ)”が悟れ

ば”佛”となり、”心”が迷へば”衆生”となるとい
ふ意味である。

佛といつても衆生が離れてあるのではないといふこと

である。このやうな場合には”衆生”は”凡夫”といふ意味につかはれてゐる。

華嚴の” 三無差別”と白隠禅師の「衆生本來佛な

り、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に佛なし」とは一應一致するのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/21 (Thu) 07:37:06



 こんなに早く暖房を消したのは初めてです。

付け始めも遅かったので、さぞや暖房費は節約できたと

思いきや、燃料費の値上がりで、元の木阿弥(^_-)。

 消したと言っても、小暖房(^^♪は時々つけていますけどね(^^♪。











 雅春先生の二十一日目です。


 二十一日の箴言 人間の實相は凡夫であるか如來であるか


 私は大分以前の講習會で華嚴經の一節を講義してこ

の「心・佛・衆生・三無差別」の思想を批判して、

「心が悟れば佛に成り迷へば衆生となる」といふ句に

は一つの陥穽(おとしあな)があるのであつて、多く

の佛教者は此の陥穽にひつかかるといつて指摘したこ

とがある。即ち人間の實相は、”心が迷へば衆生とな

り、その衆生の心が悟れば佛になる”では、”衆

生”の方が實相なのか、”佛”の方が實相なのか、差

別なくどちらが、實相なのであるか有耶無耶になつてしまふ。

つまり”心”といふ者は無自性の”空”なるものとな

り、人間の本體が” 無自性であるならば、如何に生

きるが正しいのであるか基準も理想も規範もなくなる。

これを白隠の如く水をもつてたとへれ

ば、”水”を”心”の譬とし、蒸氣を”衆生”の譬と

し、氷を”佛”の譬とした場合、衆生が實相であるか、佛が實相であるか不明となる。

”水”が本來の姿なのか、”氷”が本來の姿なのか、

蒸氣といふ”ガス體”が本來の姿なのか、この三者の

うち主體はどれであるか判らなければ、人間は、蒸気

として生きるのが正しいのか、氷となつて生きるのが正しいのかわからなくなる。

だから南方の佛教者は「實相・完全の姿」を生活し得

ずして”空”に捉はれ、乞食のような貧しい生活を

し、國家までも空じ去つて、その國が滅びてしまつてゐるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/22 (Fri) 07:51:11



 雅春先生の二十二日目です。


 二十二日の箴言 實相獨在・圓滿完全・萬福現在


 人間の生命の實相は”佛”であり、”如來”であ

り、”神の子”なのだと生長の家では大声疾呼するの

である。たとひ”心”が迷つて”凡夫”となつてあら

はれてゐても、本當は”心を觀ずるに心無し”であり、(『觀普賢菩薩行法經』)

從つて、その本來無い心が悟つて成る”佛”も無しで

あり、況んや”心”が迷つて生ずる”凡夫”もないのである。

ただ「萬福現在」の實相のみが獨在する。それ故に我

らは、「實相獨在・圓滿完全・萬福現在」といふ聖句を常に誦行するのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/23 (Sat) 08:19:48



 <4月24日は谷口輝子先生の御命日ですね。>

 下総の野人様が教えてくれました<m(__)m>。

もうあんなに藤の花がきれいに咲いているのですね(^^♪。







 雅春先生の二十三日目です。


  二十三日の箴言 死の刹那に於ける人間の念力


 水と氷の譬で思ひ出したのであるが、白隠は二十四

歳の時、越後の高田の英巖寺で催された夏安居(げあ

んご)に加はり、性徹和尚の下で修行してゐられた

時、たまたま『正宗賛(しょうじょうさん)』といふ

禪書に、禪家の大徳嚴頭和尚が常に衆に向つて「老僧

去る時、大吼一聲して了つて去る」といつていたが、

その語の通りに賊の爲に首を斬られ、その刹那大いに

叫んだその聲が、數里の彼方に聞えたといふ公案が書かれてあつた。

 白隠はこの嚴頭和尚臨終の奇蹟を讀んで、” 嚴頭

和尚のやうな高僧の老師でさへも賊の爲に首を斬られ

るやうな災難に遭ふのはどうした事だらう。どこかに

矢張り迷があつたのだらうか。さうすれば私のやうな

凡人がどうして長夜の心の迷から醒めて悟りを開くこ
とが出來るであらうか」と大いに惱んだのであつた。

 しかし本當は、嚴頭、死の刹那の奇跡的大音聲は不

思議でもなんでないのである。これは心靈學上時々引

例せられる「死の刹那における人間の念力」として知

られるものであつて、難破した船の乗組員も刹那に家

族を思ひ詰めたその念力で、數百里を隔てた郷里の父

母や妻子の枕元に姿を現す如き實例が隋分あるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/24 (Sun) 08:25:57



 北海道にも桜が咲きましたが、水難事故が起きてしまいました。

 サケマス交渉妥結はいいnewsですね。











 雅春先生の二十四日目です。


   二十四日の箴言 「念體」といふもの


 死の刹那に於ける人間の念力が、個性を持つた”

念體”といふ獨立した靈體を以て活動し、その死者に

生前又は死の直前加害を與へたところの人を惱ます實
例などは市井の度々見られるところの事である。

 殺人犯人が、警察の手を逃れて諸方に匿れ隠れして

ゐても、夜な夜なその被害者の靈が枕邊に出て惱ます

ので、苦しくて仕方がないので、つひに「こんなに苦

しい位なら自首して出て刑を受けた方がましだ」と自
首して出る實例も時々ある。

こんな例では、それは加害者本人の良心のトガメから

來た妄想だといふ解釋もあるであらうし、その解釋が

正しい場合もあるであらうが、實際「念體」(怨靈)が惱ます場合も屢〃あるのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/25 (Mon) 07:59:46



 ウクライナ・・・、やっぱりね!(^^)!。

まずまず、惑います(^_-)。











 雅春先生の二十五日目です。


 二十五日の箴言 首を斬られた嚴頭和尚は無かつた


 白隠の一大疑團は、そんな實例が「念體」か「良心

の譴(とがめ)」の疑問でなく、「このやうな大徳が

盗賊に首を斬られて死ぬ」といふやうな悲惨な果報を

受けなければならぬのは何故であらうかといふ疑惑であつたと思はれる。

この問題を解決しなければならぬと白隠は、坐禪瞑想

に専念して三昧の境地に入つた時、

「阿可々!! 嚴頭和尚・萬福現在。生死(しょうじ)

の厭ふべきなく、涅槃の求むべきなし」と大悟したといふ事である。

 白隠は「ア、可々」と大笑したのだ。禪師は「現象

の無」を悟つたのであつた。そして實相の嚴頭和尚を

悟眼を持つて見た時に、既に萬福現在・五體圓滿具足

してゐて、首の刎ねられてゐない完全な相を見たのである。

首をはねられるとか、生きたとか死んだとか、迷つて

ゐる自分が今、涅槃の境地に入つたとか、そんなこと

は迷人夢中の幻影であり、涅槃を求むべきもなく、厭

つて免れるべき生死流轉もない。既に萬福現前する如

來(神の子といつてもよい)そのものが人間の實相であると大悟したのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/26 (Tue) 08:13:03



 <古代人が持っていた、シェイプシフト能力>

(無人様が仰る)興味がありますね(^^♪。











 雅春先生の二十六日目です。


   二十六日の箴言 ”凡聖(ぼんしょう)不二”か”凡聖不一”か


 水と氷との譬で、連想されるのは、”凡聖一如”と

か”迷悟不二”とか”生佛一如”とかいふ佛教の成句

があることである。けれども、これは大變誤解されやすい言葉である。


凡夫とあらはれ、聖人とあらはれ、”迷”とあらは

れ、悟りとあらはれ、衆生とあらはれ、佛とあらはれ

るのが、皆、”不二”であり、”同一”であるならば、何も悟る必要もない譯だ。

 彌勒菩薩も五十六億七千萬年修行してから彌勒佛に

成る必要もない譯だ。だから凡夫と聖人とは”不

一”である。つまり凡聖不一である。しかし、凡夫が

悟れば佛となる――これは”佛”といふ別人が出て來

るのではなく、同一人が聖人または佛となるのであ

る。さうすれば凡聖不二であり、凡佛一如である。

凡夫とあらはれるのも、聖人とあらはれるのも、別人

でなく同一人であるからだ。”凡聖不一”であると共に、 ”凡聖不二”でもある譯だ。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/27 (Wed) 07:42:17



 学ぶ会や社会事業団が発展しなくては、日本は救われないでしょう(^^♪。





 雅春先生の二十七日目です。


 二十七日の箴言 ”現象佛”も”現象凡夫”も本來無し


「凡聖不二か、凡聖不一か」「凡佛不二か凡佛一如」

の微妙な問題を、もつと明解に説くことができないだらうか。

 そこで生長の家はかく説くのである。――悟つて佛

になつたり、また迷つて衆生に成つたりするやうなグ

ラグラと迷悟の間をふらついてゐるやうな「「心・

佛・衆生三無差別」のやうな”現象佛”も、”現象凡

夫”も本來無いのだと。それなら本來本當にあるの

は何かといふ問に答へて、それは、現象佛や現象衆生

の去來や轉換を超越して存在する圓滿完全・萬福現在

の、實相如來である。その實相如來こそ自分そのものであるのだと説くのである。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/28 (Thu) 07:42:53



 天皇陛下の水に関する御講演、素晴しい事です。






 雅春先生の二十八日目です。


 二十八日の箴言 生死・涅槃ともに昨夢の如し


 この事を『圓覺經』には、「始めて知る衆生本來成

佛、生死・涅槃、猶、昨夢の如し」とあるのである。

「人間は本來如來であつて、悟つてから如來になるの

でも佛になるのでもない、本來如來が實相である。

生死の世界を去來したり、迷を去つて涅槃(さとり)

の境地に入るなどといふことは、なほも昨日の夢の如しぢや」といふのがこの『圓覺經』の意味である。

                  (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/29 (Fri) 12:08:11



 認知症気味でした<m(__)m>。









 雅春先生の二十九日目です。

 
 二十九日の箴言 すべての人間は如來の智慧徳相を本具する


 佛子、如來の智慧徳相、所として遍ねからざるな

し。何を以ての故に。一衆生として如來の智慧を具有

せざる者なければなり。只妄想顚倒(もうぞうてんど

う)の執著を以て、而も證悟せず、若し妄想を離るれ

ば一切智,自然智、無礙智現前する事を得ん。(『法華經』如來出現品)

 『涅槃經』には「一切衆生悉く佛性あり煩惱の覆ふ

が故に見る能はず。」とある。一切衆生本來、佛の徳

相を具有してゐるのに、それをあらはれないのは、

『法華經』に於ては” 妄想顚倒”の執著が覆ふが故

にと説かれてゐる。これによつて是を観れば「妄想顚

倒による執著」と「煩惱」とは同一のものであるといふことが解るのである。

從つて、本来本具の圓滿完全な如來の智慧徳相(實

相)をあらはすには、「妄想顚倒による執著」即ち
「煩惱」を去ればよいといふ事になるのである。

                 
                  (つづく)

 

Re: 伝統様、ありがとうございます。42 - 道産子

2022/04/30 (Sat) 08:14:41



 破邪顕正様、立葵様、コスモス様それぞれ御立派!(^^)!。








 雅春先生の三十日目です。


 三十日の箴言 如來の智慧徳相を顯現するには


 さて人間本來の實相たる” 如來の智慧徳相”を如

實に顯現するにはどうすればよいかの問題に入る。そ

の事こそ、宗教の唯一最高の目的であるのである。わ

たしは”「妄執」や「執著」がなくなつたとき、そこ

に極樂があるのである”と十六日の項(ところ)に書

いておいたが、妄執や執著や、顚倒妄想や、煩惱を無

くするには如何にすべきであるかといふと、これらの

事は”心”が因になつて、その”心”が何かに引つか

かって” 顚倒”すなわち”在るもの”(實在)を無

いと思ひ、”無いもの”(虚妄)を有ると思ふサカサ

マの思ひを起すのであるから「無心」になれば人間本

具の實相たる「如來の十全なる智慧徳相を覆ひ隠

す”妄信”がなくなるから實相十全の姿がそのままにあらわれることになるといふのである。

宗教は宗派によつて”無心”にならしめる方法や行持

などが異なるが、“口誦念佛”では、その念佛する聲

に散亂する心が集約されて散亂しなくなり、それがつ

ひに一點の焦點に集約される時、その一點もなくなつ

て、”無心”になり、ただ念佛が念佛白す境地にな

り、如來の實相がそのままあらはれることになるのである。

 生長の家の練成會では「實相圓滿完全」の語を繰り

返し誦行する――その誦行の聲に心が集約されて”無

心”となり、肉體の私のはからひの誦行がなくなり、

われわれの生命の本質にある「實相圓滿完全」そのま

まが誦行してゐることになる。「實相が實相する」の
であつて假相の不完全さは自然に消えるのである。

 またわれわれは神想觀といふ實相を瞑想する方法に

よつて、妄信を去つて”眞實心”(實相の心)のみを

引出すのである。すべてのあしき業因、業緣、業果は

假妄(けもう)の心から生ずるのであり、” 假妄の

心”を去らうと思へば” 假妄の心”をつかんで、そ
れを「去らう、去らう」と努力しても駄目である。

「實相」の念に心が集中して”無心”となれば自然に” 假妄の心”は消えるのである。

甘露の法雨には「假相(かそう)に對しては實相をも

つて相對せよ」と訓へられてゐるのである。また「闇
に對しては光を以て相對せよ」とも訓へられてゐる。

神は一切の惡をつくらないのであるから、一切の惡は

妄想より生ずるのである。その妄想さへ消してしまへ

ば、いままで隠覆されてゐた佛性の完全さがあらはれ

る。その妄想は、”妄想”といふものがあるのではな

く、實相を 隠覆した陰影みたいなものであるから、

闇を消すのには唯燈をともせばよいのと同じく、唯、

實相の方へ心を轉ずればよいのである。その實相を唯

觀する修行が神想觀なのである。『觀普賢菩薩行法

經』には、

  「一切の業障海は、皆妄想より生ず、

若し懺悔せんと欲せば端坐して實相を念へ。

衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。」

 と示されてゐるのである。懺悔とは今迄の一切の迷

誤を洗い淨めることである。唯觀實相の神想觀を修す

れば「慧日」すなはち智慧の太陽が、迷夢を、たとへ

ば朝露が日光に照らされて消えてしまうやうに衆(も

ろもろ)の隠覆(やみ)を消去して實相の圓滿完全さを堂々と顯現させてくれるのである。

                   (おわり)

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