伝統板・第二

2582023
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

幸福の筐を開く⑩ - 伝統

2022/01/23 (Sun) 20:14:08

心の平和を得ることが幸福の本

          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月23日)より

心の平和を得ることが幸福の本である。

心が平和を得なければ億兆の富といえども
なんの幸福をもわれわれにもたらしえない。
それはかえってわれわれの生活を掻きみだし、
われわれを地獄へ突き落とす重荷となる。

幸福は富の有無ではない。

しかしわれわれは富を排斥するのではない。


<関連Web>

   ”生長の家“本流宣言”掲示板”「幸せとは (5453)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1185   (消滅)

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「幸い (475)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=137     

(2)「光明掲示板・第ニ」内スレッド「幸福 (10773)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2071  (消滅)

   伝統板・第二 にて再掲示
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7817631

(3)光明掲示板・第三「幸福 (85)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=42

(4)光明掲示板・伝統・第一「幸福への出発」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=17

(5)伝統板・第二「幸福の筐を開く①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6493420

(6)伝統板・第二「幸福の筐を開く②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6840845

(7)伝統板・第二「幸福の筐を開く③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7564514

(8)伝統板・第二「幸福の筐を開く④」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7609493

(9)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑤」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7726414

(10)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑥」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7817369

(11)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑦」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7891876

(12)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑧」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7987733

(13)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑨」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8112999


         <感謝合掌 令和4年1月23日 頓首再拝>

人生に最大の幸福をもたらす"意外な要素" - 伝統

2022/01/24 (Mon) 19:23:44


史上最長「ハーバード大学の80年間724人追跡調査で判明」
人生に最大の幸福をもたらす"意外な要素"

        *Web:PRESIDENT online(2022.01.23)より抜粋

(1)私達を健康に幸福にするのは、良い人間関係に尽きる。

(2)人が実るも枯れるも、その人の「人間関係」次第。

(3)ケンカするパートナー、ムカつく子供、看病する親、
   実はすべていてくれるだけで有難いと思う日が
   きっと来るものなのです。

   その関係性を温める一番のコツは、
   あらためて話を丁寧に聴き届けるということです。

   パートナー、息子や娘、両親、それぞれの本心を聴いてあげることが
   お互いの関係性を温めることになります。

   具体的な行動として、
   月に1度くらいは家族で食事に行く習慣がバカになりません

(4)きる喜びをもたらす窓口のひとつは「友人」です。
   数は少なくていいのです。

   学生時代の友人一人、仕事仲間で一人、それ以外で一人は
   人間関係を活性化させて大切にしましょう! 

https://news.yahoo.co.jp/articles/8e1d51db03b16b3655a623e70e798f41d5bac3cd

         <感謝合掌 令和4年1月24日 頓首再拝>

幸せになる最強のツールとは? - 伝統

2022/01/25 (Tue) 14:54:17


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022年1月24日)より


幸せになるためのもっとも強力なツールとはなんでしょうか?

誰しもが幸せを求めていながら、
そのための大切な道具のことを見失っています。

そして、幸せは遠くにあると思って、必死に求め続けているのです。

しかし、幸せはどこか遠くにあるのではなく、
皆さんの目の前に置かれています。


幸せになるために大切なツール、それは”感謝”です。

感謝するほどに、人は幸せを感じて生きていけます。

普通は、何か自分の理想とする環境があらわれさえすれば、
感謝もわいてくるけど、現状は不満だらけだと思われるかもしれません。


ですが、私たちの意識を変えることで、
今現在の中に感謝を見つけることもできます。

美味しい空気が吸えること。

綺麗な景色が見れること。

自由に外を出歩けること。

美味しい料理を食べれること。

私たちは、いろんな幸せの中に生きていますが、
それが当たり前になって見失ってしまうのです。


逆に不幸になりたければ簡単です。

不足するものを、いつも数えていればよいのです。

あれが足りない、これが足りないと、いつも不平を漏らしていれば、
その人はきっと不幸になれるでしょう。

ですから、いろんな問題は日常の中に現れるはずですが、
不足の数ばかり数えていないで、与えられたものを数えてみましょう。

幸せはどこか遠くにあるのではなく、今目の前に広がっています。

そのことを知らせてくれる道具が、感謝なのです。


https://www.spacebrothers.jp/2022/01/blog-post_24.html

・・・

<参照>

伊勢ー白山 道(2022-01-22)
すべては自分の気付きのために起こってくれています
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/203ccecbfd0173e5c3bd41b6700d4ebc

   幸福とは、すでに自分にある、有り難いことに気づくことです。

   大切はことは、「有り難い」という感謝の思いを持てることです。

             ・・・

伊勢ー白山 道(2022-01-25)
「退屈過ぎて死にそう〜」にも感謝を
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/65ff71c3ee694012b9353e061308329c


         <感謝合掌 令和4年1月25日 頓首再拝>

「既に自分は幸福である」 - 伝統

2022/02/02 (Wed) 03:56:36


           *「光明道中記」(2月1日《賞め讃える日》)より

【真に幸福になろうと思うものは、既に自分が幸福であることを知らねばならぬ
                        (『生命の實相』第一巻)】

「既に自分は幸福である」此の言葉を繰返し唱えよ。
「既に自分は幸福である」と。

毎日それを繰返し重ねて行くことによって、
その人は現実生活に於いても本当に幸福になるのである。

呟くことを止めよ。
自己の不幸を口にすることを止めよ。
自己の病を口にすることを止めよ。

今ある運命を喜んで受けよ。
友は悪口を言われる毎に悪しき友となり、汝に仇(あだ)する者となるであろう。

運命も、それを呟く者には仇する者となり、
それを賞め讃える者には幸福を齎(もたら)す味方となるであろう。

世界は、観られたる通りの世界であり、呼ばれたる通りの世界である。

「アダムが生物(いきもの)に名づけたる所は皆其名となりぬ」(創世記第一章)

吾等は此の世界を幸福の世界と名(なず)けようと、
不幸の世界と名けようと、自由なのである。

吾等は自分の名(なづ)け具合によって此の世界を幸福にも不幸にもすることが
出来るのである。

これから吾等は此の世界を楽しい世界と呼ぼう。

         <感謝合掌 令和4年2月1日 頓首再拝>

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)う - 伝統

2022/03/07 (Mon) 00:41:34


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月6日)」より

明るさはあらゆるものに喜ばれる。

招かれないでも明るい人は、光線のようにどこへ行ってもそこで喜ばれる。
招かれても暗い人は、どこへ行ってもやがては嫌われる。

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)い、暗い人には常に不幸がつきまとう。

            <感謝合掌 令和4年3月6日 頓首再拝>

幸福は内にあり - 伝統

2022/03/14 (Mon) 06:03:30


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月12日)」より

持ち主もなく宝物がいたるところに埋(うず)められている。
誰もそれを掘り出さないだけだ。

幸福になる道はただ《自分で》掘り出すことにある。


・・・

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月13日)」より

幸福になりたければ、まず自分が幸福になれである。
あたりまえのことがあたりまえである。噛みしめれば味がある。

注意すべきは、幸福とは心の一つの状態であるということである。
金殿玉楼の中にいて、輾転(てんてん)反側して眠れない人もいれば、
弾丸雨飛の中にいて喜びいっぱいの人もある。

            <感謝合掌 令和4年3月13日 頓首再拝>

幸福の秘訣 - 伝統

2022/03/25 (Fri) 13:24:50


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月25日)」より

胸を広くして待っていること。

ここに幸福の秘訣がある。

            <感謝合掌 令和4年3月25日 頓首再拝>

【最高の幸せとは、淡々とした何も特別なことがない日々】 - 伝統

2022/04/09 (Sat) 14:39:47


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.04.08)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   人間は、病気や事故、トラブルなどに
   巻き込まれたときにはじめて、
   自分が幸せの中で生きていたことを知ります。

   たとえば右手を捻挫して使えなくなった、とします。

   全治2週間。

   電話ができないとか、お箸が持てないとか、
   すべて左手だけでやらなければいけないことが不便で、
   不幸感を味わいます。


   でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになったら
   「右手が使えることは、こんなにも幸せなことだったのか」
   と感謝できます。

   では、この右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか?

   いいえ。

   不幸だと思っていた2週間があった結果として、
   それから先ずっと右手に対する
   感謝の心が湧いてくるようになったわけです。


   右手が自由に動くことで「嬉しい。ありがとう」
   と思う喜びを1ついただいたわけですから、
   捻挫をしていた2週間は不幸でもなんでもなかった。

   この2週間は、罰が当たったとか、
   ペナルティーが課せられたとか、
   不幸があったということではなくて、

   この右手に感謝する心、喜びの心を1つ増やすため、
   何も起こらないことがどれほど幸せかということをわかるために、
   右手を捻挫したのかもしれない。

   そういうしくみがわかって、
   自分が幸せの中にいることを認識することによって、
   災難とは無縁になるようです。


   今、目の前に起きている最高の幸せとは、
   「淡々とした何も特別なことがない日々、
    普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」
   ことなのです。

   「お金も時間も手間ヒマもかけないと幸せになれない」
   という感性から、世間一般の人から見たら

   「だから、何?」と思われることに楽しみを感じられる、
   さらには「何もなくても幸せを感じられる」ように
   自分の感性を磨いていくと、自分がいつも楽しくいられます。

   英語で「現在」を「Present」と言いますが、
   現在、普通に淡々と過ぎていくこの 瞬間は
   「何も起きていない」のではなく、

   宇宙や神様からの最高の「プレゼント(贈りもの)」が来ている
   ということ。

   ですから「何かが起きてくれたら幸せなんだけど .....」
   という考え方では、いつまでたっても幸せにはなれないように思います。

       <『100%幸せな1%の人々』中経出版
                https://amzn.to/3rbSllB

              ・・・

所ジョージさんの心に響く言葉があります。

『例えば、あえてアポなしで出かけてみる。

 相手が留守。

 でも、「そこから面白いことが始まる」と所さんは言うのです。

 せっかくだからと近所をまわり、近くにある川を眺め、
 このへんで何か買っていこうということになる。

 そこを目指したわけではないのに、そこにいることが大事なのだと。

 「これが楽しいんですよ。新しい物語ができるじゃん。
  便利さを楽しさだと勘違いしてる人が多いけど、
  実は、不便さこそが幸せにつながるの。

  世の中がいろいろ見えるじゃない。
  いろんな経験もできる。
  痛い目にも遭うし、暑さや寒さや四季も感じる。
  そういうものを、世の中の人は才能と呼ぶのよ」』(上阪徹の名言百出)より



訪ねて行った人が留守だったとき、
たいていの人はツイてない、と思い不機嫌になります。

しかし、「そこから面白いことが始まる」と思える人は、
機嫌よく生きることができる達人です。


何気ない日常の中に、
幸せを見つけることができる人、面白がれる人、楽しめる人…

最高の幸せとは、淡々とした何も特別なことがない日々です。

            <感謝合掌 令和4年4月9日 頓首再拝>

《永続せる幸福を得よ》 - 伝統

2022/04/11 (Mon) 03:01:41


    *「眞理」第2巻基礎篇第13章(P372~373)より

他(ひと)を欺(あざむ)いたり、脅喝したり、
正しくない方法で得たところの善きものは、
神即ち「全8ぜん)」の力に支えられていないから、
たといそれを手に入れたとき美味と思ったものでも、
やがてそれは苦汁にかわるのである。

禁断の果実は虫くうて毒汁を滴(た)らし、
折角手に入れた美しい薔薇は忽(たちま)ち萎(しぼ)んで、
自分の手には棘(とげ)多き枝のみが残る。

罪悪の上には永遠に善きものは実らないのである。
神は「全」であるが故に、神の車の進むところに逆(さか)らって
宝を得んとする者は、その轍(わだち)にふみにじられ、
喜びと思ったのが苦痛と変わる。

間違った快楽、道にそむいた性愛の如きは、
それを幸福として握った次の日から魂の苦痛にかわる。

正しく実相の世界に於いて彼に割り当てられたもののみが
永続せる幸福を与えてくれるのである。

            <感謝合掌 令和4年4月10日 頓首再拝>

当り前のことを当たり前に感謝して、行なっていると、幸福が姿をあらわす - 伝統

2022/04/12 (Tue) 16:17:40


           *「光明道中記」(4月12日)より
            ~当り前の事が当り前に出来る日

【心が豊富になれば自然に物も豊富になる。
 心が固定すれば、自然に物も固定する。(『百事如意』)】

何かを紛失したときに、
イライラした心で探し廻っては決して見附からないものである。

そんな時には、神想観を修して心を平和にして
当り前の仕事を当り前に遂行していると、
突然その仕事の動作の進行中に、紛失した品物に出会すことが度々ある。

「先刻(さっき)ここを一所懸命に捜していたのに、
どうして見附らなかったのだろう。

それは、こんな何でもない見附かり易い所にあったじゃないか」と
気が着くことは随分とあり勝である。

またトンと胴忘れした事柄を、その時如何に思い出そうと思っても
思い出せないことが試験場その他で随分ある。

そして焦っている時には思い出せないでいながら、
もう思い出そうとも思わない時になって、
突然ポッカリと頭に思い浮かんで来ることもあり勝である。

「幸福」と云うものも同じようなものである。

「幸福」を追っ駈け廻している時には却って
「幸福」などと云うものはやって来ないのである。
「幸福」を追っ駈け廻すことを止めて、
ただ当り前のことを当たり前に感謝して行なっている人には
「幸福」が予期しないのにポッカリと姿を現す。

            <感謝合掌 令和4年4月12日 頓首再拝>

招かずして幸福来る日 - 伝統

2022/04/13 (Wed) 19:22:52


           *「光明道中記」(4月13日)より

【貨幣を与えると労働力が動き出して価値創造が始まるのであります。
                       (『百事如意』)】


何でもあまり追っ駈け廻すと嫌われる。
恋人にさえもあまり執着するならば、その人は嫌われるであろう。
執着と云うものは相手にまつわり着き、
相手を心で縛って窮屈な感情を起こさしめるからである。

「金」を追っかけると「金」は逃げて了(しま)うか、
「金」から来る「幸福」は逃げて了う。
「儲けよう」と思ってそればかりを追っかけている相場師に、
結局儲けた人も幸福になったひとも一人もない。

「眠り」を追っ駈け廻して「是非眠らねばならない」と
「眠り」を追っ駈け廻す時は「眠り」は逃げて了う。
―― 心の法則は何事に当て嵌めても同一効果である。

夜よく眠る法は、寝床は眠くなるところだ、と知らなければならない。

人生も同じことである。
幸福に《なろう》とするよりも、
人生と云うところは幸福な所だと気が附けば幸福がおのずから来るのである。

今晩はまた眠れないだろうと予想することは寝床とは眠くならぬ所だと
予想することになるから、不眠の原因となる。

今晩は眠れないだろうの感情は恐怖を伴った感情である。
恐怖は外敵に対峙する感情であるから、
外敵がある場合眠らないでいることが必要であるから、
不眠は自然の自衛作用である。

自衛作用を病気だと取違する者は愚か者である。

            <感謝合掌 令和4年4月13日 頓首再拝>

幸福の声を聴く日 - 伝統

2022/04/14 (Thu) 13:14:48


           *「光明道中記」(4月14日)より

【誰でもあらゆる物を有(も)って出発する。
 全てが吾がうちに在るんですからな。 (百事如意)】


「幸福」の天使(てんのつかい)が出て来まして
或る日私に斯(こ)う言いました。――

「私は常にあなたの後を追っ駆けて走っているのですのに、
 あなたは何故(なぜ)そんなに逃げるのですか。
 もっと緩(ゆっく)り歩きなさい。

 急ぐことは要らないのです。当たり前に歩いていさえすれば
 私は屹度あなたに追着くことが出来るのです。
 それだのにあなたはそんなに私から逃げて走って行くのですか」

私は答えました ――

「幸福さん、私は貴方(あなた)から逃げているのではありません。
 私は貴方に近附こうとして一所懸命走っているのです。
 それだのに貴方は私が走れば走る程逃げて行くのです」

「幸福」は斯う答えました。

「私は逃げていません。私も貴方に追着こうとして走っているのです。
 それだのに私は貴方に追着けないのです。
 あ、判りました。私たちは人生と云う円周の上を走っているのでした。
 どちらかが緩(ゆっく)り歩いたら、すぐ二人は一緒のところへ来るのでした」

「斯うですか? 」私は人生の歩みを止めました。
と同時に「幸福」の天使の姿は見えなくなり、

「止まっては可(い)けません。
 止まってはどう云うものか私にはあなたの姿が何処(どこ)にいるか
 見えなくなるのです」

と云う声だけが聞こえました。――

            <感謝合掌 令和4年4月14日 頓首再拝>

喜びに招かれる日 - 伝統

2022/04/16 (Sat) 02:48:25


           *「光明道中記」(4月15日)より

【・・・この力と接触する道は、
 最大多数の人間には最大多数の善を為そうと思って
 自己の生活を正しくすることです。『百事如意』】


「幸福」はあなたを愛人のように追駆けて走っており、
あなたも亦「幸福」を愛人のように追駆けて走っており、
そうして互いに相逢ことが出来ないのは、

「幸福」と同一円周上にいながら
あなたが「幸福」をあまりに追駆け廻しているからだ
と云うことに気がお着きになったことでしょう。

一所懸命に「幸福」を追賭け廻している限り、
ついに吾々は「幸福」に追着くことが出来ないのです。

では停止して了(しま)ったら、「幸福」の方から追着いてくれるでしょうか。

吾々が人生の働きの歩みを停止したら、
「幸福」の眼には吾々の姿が見えなくなるのです。

何故なら各人は、「生命」であり、「生命」は活動している時だけ、
その姿が顕れているからです。
「生命」が活動を止(や)めたときに、そこに吾々はもういない。

吾々の姿は無くなるのです。

だから「幸福」の天使(てんのつかい)に追着いて貰うためには
吾々は「幸福」を追駆け廻してはならないし、
それだと言って「生命」の歩みを止(と)めてはならないのです。

「幸福は必ず自分に追着いてくれるもの」と信じて、
急がず焦らず悠々と着実に今自分に与えられたる人生の行路を歩む者には
遂に幸福が追着いてくれるのです。 

            <感謝合掌 令和4年4月15日 頓首再拝>

幸せになる人・不幸になる人 2種類の人間の考え方の違い - 伝統

2022/04/18 (Mon) 01:48:47


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022.04.17)より

世の中には、大別すると二種類の人間がいます。


一つは他人から何かを得ようとしたり、奪うことに意識が向いている人。

二つ目は自分から進んで何かを得る努力をしたり、
人には分け与えることを意識した人です。

前者の場合は、人から同情を得たり、愛情を得ようとして、
無意識のうちに自らを不幸に陥れる場合があります。

自分を不幸にするなんて考えられないと、表面意識では思うでしょうが、
不幸な状況を作り出すことで責任を回避したり、
周りの同情を得ていることが人には多いのです。


たとえば、子供がよく熱を出して
親の愛情を得ようとする場合などが挙げられます。

これは子供の時ばかりでなく、大人になっても知らず知らずに、
周りから同情をかうために不幸を引き寄せていることがあるのです。

そのように消極的に自らが不幸になることによって、
周りからの愛情を得ようとすることもありますし、
積極的に人から何かを奪い取って、自らのものとしようとする場合もあります。

人から地位を奪ったり、恋人を奪うこともありますし、
お金を得ようとして必死になっている人もいるでしょう。

そのように、消極的に他人から得ようとしたり、
積極的に他人から奪おうとする考えの人がいます。

こうした人たちは、社会や環境が悪くて自分は不幸なったと考えたり、
人が愛情を注いでくれないと不平不満や愚痴の多い人となったり、
他人を見たら敵と思ったり、獲物を見るように情けなく人を見るようになります。


それとは反対に、自分の努力で何かを得ようとして頑張り、
自らの手で成功や幸せを手に入れて、それを周りの人にも還元していこう
と思える人です。

自らの努力で道を切り開いていくことの大切さを知っている人でも、
その後に、世の中に還元していく考えを持たない人もいます。

自ら努力しつつ、成功は周りの人たちの助けによって得られたものだと
謙虚に受け止め、世の中に役立つことをしていこうとする人が、
もう一つの種類の人間です。

自ら蒔いた種は、いずれ自らが刈り取ることを知っている人間であり、
その豊作を人々と共有する楽しさを知っている智者となります。

人はどのように物事を考えて捉えていくかで、未来を変えていける存在です。

https://www.spacebrothers.jp/2017/10/blog-post_28.html

            <感謝合掌 令和4年4月17日 頓首再拝>

《幸福の国を実現するには》 - 伝統

2022/04/27 (Wed) 04:48:12


          *「眞理」第2巻基礎篇第1章(P13~14)より

「神の国は汝の内にあり」と古聖は言われたが、
「汝の内にある神の国」とは自分の内にある「意識の国」のことである。

その主権を持って意識の国を支配する者は、
「内在の神の子」又は「内在の仏性」である。

そしてその「意識の国」の人民は、

吾々の考える「想念」、
吾々の語る「言葉」、
吾々の実践する「行い」

である。

先ず貴方の人生に、幸福を来(きた)らしめようと思うならば、

あなたはあなたの人民たる「想念」に命じて、
善き事をのみ想わしめなければならないし、

あなたの人民たる「言葉」に命じて、善き言葉を語らしめ、
あなたの人民たる「行為」に命じて、悪しき習慣を
断じて捨てしめなければならないのである。

例えば、健康を求むれば
健康を思い、健康を語り、健康者の如く行ずるのである。

            <感謝合掌 令和4年4月26日 頓首再拝>

「幸福」の機関の運転には、感と謝報恩が必要です - 伝統

2022/04/30 (Sat) 05:00:29


           *「光明道中記」(4月29日《感謝報恩の日》)より抜粋

吾々の潜在意識中の優勢観念が、
「人間神の子・万事良くなる」という大信念になりながも、

それでもその人に幸福がやって来ないならば、その人は傲慢になり過ぎて、
万事が神から来ることを忘れ、自力の信念の効果によるものとして
感謝と報恩との行を忘れて了ったからである。

感謝は「幸福」の機関が回転する心棒に注す油のようなものである。

報恩は「幸福」の機関が生産した物品の配給である。

いくら「幸福」の機関が上等だからとて、
油を注さなかったり、生産品を処置しなかったら、その機関は詰って了い、
「幸福」の機関の運転は停止して了うであろう。

            <感謝合掌 令和4年4月29日 頓首再拝>

《幸福を得(う)るには》 - 伝統

2022/05/03 (Tue) 04:14:49


      *「眞理」第2巻基礎篇第3章(P59~60)より

幸福のみを常に見詰めているならば幸福がやって来るのです。

「いいえ、私は常に幸福を心に描いて求めていましたけれども
 幸福はやって来ませんでした」

と言う人があるかも知れません。

併(しか)し「常に幸福を心に描いて求める」のと、
「幸福のみを常に見詰める」のとは非常に異なるのです。

幸福を《求める》人が幸福を求めるのは、
「自分は幸福では《ない》」と思っているからなのです。

「既に幸福である」と自覚したならば、
もう幸福を求める必要はないのです。

「常に幸福のみを見詰める人」とは、
「既に私は幸福である」と自覚している人のことです。

「既に私は幸福である」と自覚すれば、
もう幸福を求める必要はなく、
人に幸福をあたえたくなるでしょう。

そして幸福を与える人のみが本当に幸福になれるのです。

         <感謝合掌 令和4年5月2日 頓首再拝>

《現状に飽き足らぬ人は現在が不幸になる》 - 伝統

2022/05/08 (Sun) 04:46:04


        *『生長の家』(昭和25年7月27日の法語)より

   「 どうして あの様な立派な人も不幸になるのだろうか。
   心善きものがよき運命を受けると教えられているのに 」
   という人があるのである。

   然(しか)し乍(なが)ら吾々の心には
   現在意識と潜在意識とがあるのである。

   現在意識では心のよきものも、
   潜在意識の底に自分の現状にあきたらざる思いがある場合には、
   その現状を破壊して新境地に出でんがために
   現在の環境に斧鉞(ふえつ)を加えて打ちくだいて
   しまうことがあるのである。

   現在の破壊は新しき進歩への道である。

   いつまでも腰弁でいるのが
   人間の目的ではないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=12

         <感謝合掌 令和4年5月7日 頓首再拝>

4630万円誤送金に見る人生の禍福とタモリさんが浪人時代に得られたもの - 伝統

2022/05/21 (Sat) 13:13:36


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022.05.19)より

山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の特別給付金463世帯分を
誤って1世帯に計4630万円を振り込んだ問題が世間を賑わせています。

誤送金を受けた24歳の男性は、そのお金をよそへ移し、
返金しなかったとして警察に逮捕されてしまいました。

使い道としてはオンラインカジノにつぎ込んで、
すべて使い込んだと供述しているそうです。

いまでは少しずつでも返金していきたいとも述べていると言います。


今回のケースを参考に私たちが考えるのは、人生の禍福についてです。

禍福というのは、禍(わざわい)が思わぬ不幸の事であり、福は幸いの事です。

「禍福は糾える縄の如し」という言葉があり、
これは不幸と幸福は縄のように交差して重なっており、
予測が出来ないさまを言います。

以前に「人間万事塞翁が馬」のことわざの元となる故事を紹介したことがあります。

幸いから転落したり、悩みの種が幸福の種に変わる事もある。

このように幸福と思ったことが不幸の種になったり、
逆に不幸だと思ったことが幸福の種になる事があります。

今回の出来事も、当人は思わぬ大金が振り込まれてきて
、幸運が舞い込んだと思った事でしょう。

しかし、いまは警察に逮捕され、全国に名前も知れ渡り、
顔写真までテレビなどで流されています。

これでは社会に戻っても、周囲から嫌な目で見られたり、
再就職も厳しくなっていきます。

誤送金が無ければ彼の人生は変わっていたかもしれませんが、
ラッキーのように思えた誤送金が、
かえって彼の人生を暗転させているように見えます。

今回の誤送金が無ければ、彼も逮捕されることもなく、
全国に顔と名前を公表されることも無かったでしょうが、
このように人生が暗転してしまっています。

たとえお金を隠し持っていたとしても、
警察に捜査されれば見つけられてしまうのではないかと思われます。

幸運だと思っていたことが、一転して不幸になってしまう出来事でした。


こうした事は人生でよくあることです。

たとえばプロのスポーツ選手を目指して、学生時代などで頑張る生徒も多いですが
なかには怪我などでその道を断念しなくてはならない人も出てきます。

その人からすれば、将来の夢が断たれて、大きな不運のように感じる事でしょう。

絶望の淵に立ってしまう人もいます。

ですが、その人には後に、別な道が開かれるようになっています。

人生は一つのドアが閉じると、新しいドアが開いていきます。

自分の望んでいた未来が閉じられたと嘆いていても、
実はもっと本人にあった未来が用意されているのです。

実際には多くの人は、自分が望んでいた道に行くと、
不幸が待っていることを知らないことが多いのです。

夢がかなってその直後は有頂天になるのですが、
その後には不幸が待っていることも多くあります。

たとえば受験で一流大学にどうしても受かりたいと望んでいるとします

ですが実際に受かって通ってみると、周りが優秀な人ばかりで、
本人は地元では天才のように褒められていたのに、
そこに入ると劣等生に落ちてしまう事があります。

そうするとプライドが傷ついてしまって、
なかには自殺を図ってしまう人もいます。

せっかく人がうらやむような一流学校に受かっても、
それが次の不幸のもとになる事もあるのです。

一方で、希望していた大学に受からず、自分は不幸だと嘆いている人が、
別な大学に通っていて、そこで人生の伴侶との出会いが待っていることもありますし、
大切な仲間との出会いがそこにある場合があります。

あるいは受験に失敗して浪人生活を送っている時に、
大切な事を学ぶ時期になる事もあるでしょう。


芸能人のタモリさんは、大学受験に失敗し、一浪されたそうですが、
その浪人時代に押し入れに入り込んで、韓国語や中国の
意味の分からないラジオ放送を長時間聞いていたと言います。

それが後に、「6か国語マージャン」など、タモリさんの得意な
「インチキ外国語芸」へとつながったそうです。

幸運が舞い込んだと思った時には、
有頂天にならずに気を引き締めなくてはなりません。

不運が舞い込んだと思っても、
そこから幸福の扉が開いていくのだと信じてください。

https://www.spacebrothers.jp/2022/05/4630.html

         <感謝合掌 令和4年5月21日 頓首再拝>

《心の幸福が本当の幸福》 - 伝統

2022/05/24 (Tue) 05:00:27


     *『幸福を招く365章』第11項(P236~237) より

この事さえ成就すれば私は屹度(きっと)幸福になれると思っている人が、
それが成就した後で幸福になれない実例は沢山ある。

胃病の人は胃が治れば幸福になれると思うが、
胃が治ったあとは又別なことを悩み出すのである。

あの女と結婚すれば幸福になれると思っていた人が結婚した後(のち)に
毎日夫婦喧嘩(げんか)をして決して幸福でない実例もある。

これだけ富が出来たら屹度幸福だと思っていた人が、
それだけ富が出来たときに、社会的な色々複雑な問題が紛糾して
幸福になれない人もある。

考えて見れば、幸福とは個々の事物にあるのではなく、
其の人の心の状態にあるのである。

心の幸福な人は常に幸福な人である。

(初出~「生長の家(昭和26年5月25日)」)

         <感謝合掌 令和4年5月23日 頓首再拝>

《幸福は外の世界に求めるな》 - 伝統

2022/06/03 (Fri) 13:08:10


       *『光明法語』(6月3日)より

吾々は誰も幸福を求める。

然し乍(なが)ら大抵は外の世界にそれを求め、
外の手段方法をとつおいつ心配して心を労するのである。

併しそれは拙劣(せつれつ)なる求め方である。

労して誰も幸福になれるのであったら、
「稼ぐに追いつく貧乏なし」の諺その儘に
誰も彼も幸福に豊かに富める筈であるが、

事実は
「はたらけどはたらけど
 猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりじっと手を見る」
という石川啄木の歌のように、
いくら人間力で労して見ても幸福になり切れない場合が多いのである。

ここに反省しなければならぬものがある。

心の方向を転換しなければならぬ。

        <感謝合掌 令和4年6月3日 頓首再拝>

神は不幸を与え給わない - 伝統

2022/06/07 (Tue) 15:58:46


        *『光明法語』(6月7日)より

神は吾々の親様である。
神が吾々に不幸を強要したまうことはあり得ないのである。

神は吾々神の子に幸福を与えたくて仕方がないのである。

幸福が来ないのは親が与えたまわないのではなく、
『法華経』の長者窮子の譬えにあるように神の子みずから
親のみ許(もと)をはなれて神の賜(たまもの)から逃げ出しているのである。

先ず自身が神の子であると知ることが
貧窮の子が長者の父のみ許(もと)に到ることにあたるのである。

そして自分の本来の位置を自覚して人間を、
不幸になるよう定められているような下らないものだと思わぬことである。

        <感謝合掌 令和4年6月7日 頓首再拝>

言葉が人間を幸福にする - 伝統

2022/06/08 (Wed) 04:58:20


           *『真理』第五巻女性篇(P220~221)より

ともかく言葉が一切を支配しているのです。

ですから、皆さんが幸福になろうと思ったら、
まず、「私は幸福だ」と暇ある毎唱えることです。

「先生私は不幸です。不幸なのにどうして幸福だなんて唱えられますか」

と言う人があるかもしれないが、そうじゃないのです。

わたしの詠んだ歌に、

「漂える雲のかなたにまん丸に澄みきる月ぞわが相(すがた)なる」

と云うのがありますが、

お空に雲が漂うておっても、
いまだ一度もお月様には雲がかかったことがないのです。

お月様に雲がかかったように見えるのは、
実は地球に雲がかかっていて、そこから月を見るからです。

        <感謝合掌 令和4年6月7日 頓首再拝>

働き(活動)の中に人間の本当の幸福がある - 伝統

2022/06/11 (Sat) 19:15:25


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月11日)より

金(かね)が幾億万円自分の前に積み上げられたとて、
それを使うことができなければ自分が幸福だというわけではない。
そこでわれらは、金を使うことができるので幸福だと考える。

では魔法使いが一瞬目の前に幾億万円の金をあらわして、
次の瞬間その幾億万円を眼界から消し去って
「もうお前は金を使ってしまった。お前は金を使ったから幸福だろう」と
宣告してもわれらは幸福になれる訳ではない。

そこで「それが幸福でないのは、その金を自分で使わないからだ」と
われわらは考えるであろう。

では、自分で金を使うことが幸福であろうか。

金を自分で使うのが幸福であるならば、
なぜ金持はその金を召使や他の人に対して
自分が坐っていて必要な品物を買わせているのであろう。

なんでも自分で買物に出かけなければ幸福でありえないというならば、
金持はその多くの金を消費するために、
毎日自分で多数の商家を訪問して歩かねば幸福になりえないであろう。
しかしそんなことをしている金持も幸福者も一人もない。

そこでこんなことがわかる。
金はたくさん持っているということが幸福ではなく、
それを使うということが幸福でもなく、
自分が使うということが幸福でもない。

金というものは持っていても使っても
幸福になんの関係もないものなのである。

ただ金はわれわれに、また他々(ひとびと)に、働きの動機を与える。
金はわれわれを、そして人々を働かせる媒介となるものなのである。

その「働き」または「働かせ」の感じが幸福であるのを錯覚して
「金が幸福を与える」と誤想しているのである。

働き ―― 活動 ―― のみが人間の本当の幸福なのである。
猟師は獲物をことごとく自分が食べるのではない。
猟師は猟(りょう)をすること、その働きのみが楽しいのである。

人を救うことそのことが楽しいのである。
救った結果収入がないとかあるとかいうことは問題ではない。

多くの生長の家の誌友たちが自分で自動車賃などを費やして、
人々を救(たす)けてあげているのは涙ぐましい立派な行ないであるが、
それはその人の中に宿っている「神」が働いているのである。

「神」は「生命(せいめい)」であり「働き」である。
働くもののみが幸福であり、健康であり、活々(いきいき)してくるのである。

           <感謝合掌 令和4年6月11日 頓首再拝>

幸福の法則を知る - 伝統

2022/06/19 (Sun) 05:04:11


        *『幸福生活論』 の 「はしがき」 より
    
多くの人達は、幸福をもとめながら、しかも不幸になっているのは何故でしょうか。
幸福の法則を知らないからです。

多くの人達は物質や、富や、領土や、凡(およ)そ形あるものを目蒐(めが)けて
それを掴もうと思って驀進(ばくしん)して行くのでありますが、

「形あるものは形なきものの影」でありますから、
影のみを掴むと、掴んだと思った刹那(せつな)、それは消えてしまうのであります。

本当に幸福になるためには吾々は影の奥にある
「実物」(実相)を把まなければなりません。

人類が平和を求めながら戦争に突入し、永久平和の至福の世界を求めながら、
それが実現しないのも同じ原理によるのです。

また、あなたが健康を求めながら健康を得る事が出来ないのも同じ原理によるのです。

形あるものはすべてその奥にある、形なきフィルムの投映(かげ)ですから、
形なき世界を捉えて自由にすることを知らなければならないのです。

幸福の法則を知ると云うことは、換言すれば原因結果の法則を知ると云うことです。

これは簡単に云えば、因果の法則を知ると云うことです。

昔から蒔かぬ種子は生えぬ、
瓜の蔓(つる)には茄子(なす)が生(な)らぬと申します。

仏教では三界唯心(さんがいゆいしん)と申します。
基督(キリスト)教では「汝の信ずる如く汝になれ」と申します。
あなたの心の状態が形の世界にあらわれて来るのです。

 
あなたが何を心に捉えているかと云うことが形の世界にあらわれて来るのです。

争いの心で「物」を捉えたのでは、
「争い」が出て来るばかりで、幸福が出て来る筈はありませぬ。

  (谷口雅春先生著 『幸福生活論』 はしがきより)
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2901-3000

           <感謝合掌 令和4年6月18日 頓首再拝>

心の煙害となってしまうもの 愚痴 - 伝統

2022/07/05 (Tue) 15:21:59


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022.07.05)より

あなたもつい愚痴をこぼすことがあるでしょうか?

職場への愚痴、夫婦への愚痴、恋人への愚痴、友達などへ愚痴を、
周りの人に聞かせます。

そうすることで本人は、
心の中に溜まったストレスを発散しているように感じているのでしょう。

友達などに聞いてもらい、共感してもらうことで、
慰められた気になるのかも知れません。

愚痴を聞かされた方は、相槌を打ってくれても、
本心ではそんなことを聞かされて
もっと迷惑に感じている事もあるでしょう。

言ってみれば、重い荷物を自分一人で担うのは負担が大きいと考えて、
周りの人にも少しづつ負担させてしまう行為なのかも知れません。

最近はタバコの喫煙について厳しい目が向けられていて、
タバコを吸っていない人にも副流煙によって
健康被害を起こすといわれれています。

それで社会的にもいろんな場所でタバコは吸えなくなり、
一部の区画された場所で吸うようにされています。


実は、愚痴というのも、タバコと同じくらい心の害になるものと思います。

愚痴をいう本人だけではなく、聞いている人も
副流煙を吸ってしまうように、
心を少しづつ害している部分があるでしょう。


ですので、タバコの愛煙家と同じように、
愚痴を言いたい人は、区画された部分に集まって、
お互いの愚痴を聞きあうようにするといいかもしれません。


愚痴という言葉は、もともとは仏教用語から来ています。

愚も痴も、ともに愚かなさまを言います。

仏教では心の三毒と言って、貪・瞋・痴を指しますが、
その中の痴が愚かさであり、愚痴という言葉のもとです。

仏教でのべる愚かさとは、真理を知らないさまで、
無知によて惑わされている状態をいいます。

お釈迦様は因果の理法を説かれましたが、
これは善因善果・悪因悪果の法則であり、自らに起こる出来事は、
自身の過去の行いと思いによって作られているとするものです。


色々な出来事が起こりますが、それらは実は、
自らの過去に原因があって、
自分自身で引き寄せた結果だということです。

自らが招き入れた結果なのに、
それに不平不満を述べて愚痴をこぼすというのは、
真理を知らない愚かさから来るということですね。

人によっては厳しい教えのように思われますが、
現実に、私たちの思考は、私たちの現在と未来を形作っていくものです。

良き果実を得たいと望むなら、
今現在のご自身の心の在り方を変えていくことが重要です。

愚痴っても何も変わりません。

自らの心を変えていくことで、人は望む結果を得られるようになります。

https://www.spacebrothers.jp/2018/04/blog-post_7.html

           <感謝合掌 令和4年7月5日 頓首再拝>

幸福になるための2か条 - 伝統

2022/08/17 (Wed) 05:02:39


        *『森信三 幻の講話』 第28講「生きがいのある人生」より
         メルマガ「致知bOOK」(2022.08.06)

「幸福」について話をするさい、わたしくはいつも、

「幸福というものは、これを求めようとしたら
 かえって得られないものであり、
 逆に自分の為すべきつとめを真剣にやっていれば、
 自然に与えられるもの」

ということを、よく申して来たものであります。

つまり幸福というものは、
それ自身を追求すると、かえって得にくいものであり、
かりに得られたとしても、すぐに消えてゆくものだと思うのであります。

そこで、それでは一たいどうしたら幸せが得られるかと申しますと、
それはその人が人間として為すべき事がらと、真剣に取り組んでいれば、
しぜんと与えられるものだと思うのであります。


では、その人が人間として為すべき事がらとは、
一体どういうことかと申しますと、それは、


(一)その人が自分の天分を十分に発揮し
   実現することであり、


(二)今ひとつは、
   「人のために親切にする」ということであります。


そしてこの二つの事に真剣に取り組んだなら、
どんな人でもいつかは、自然に幸福に恵まれて、
幸せになると思うのであります。


したがってわたくしは、この二カ条を人生の生き方の上から考えて、
もっとも大切な根本的な二カ条だと考えるのであります。

同時に、それ故にこそ、
この二つの事を守りさえすれば、
やがてその人は幸せになれると確信するわけであります。

           <感謝合掌 令和4年8月16日 頓首再拝>

幸せはゴールにあるのではない - 伝統

2022/08/19 (Fri) 12:50:03


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022年8月19日)より

多くの人が誤解している事があります。

それは幸せはゴールの先であり、到着地点だと思い込むことです。

登山家が険しい山道を登り、ようやく到着した山頂にこそ、
幸せはあるのだと勘違います。

あるいは、もう一方に、山頂を目指すよりも、
山道を下っていく方が、楽できて幸せだと思う人もいるでしょう。

大抵の人は、これら二つの、どちらかに属しています。

一生懸命に努力して、やっとゴールを迎えたら、そこに幸せはあるはずだと思って、
必死に頑張っている人もいれば、

ゴールなど目指さずに、楽して生きていくことが幸せだと思って、
自堕落に生きる人もいます。

これらが合わさったようなタイプで、頑張ってゴールを目指していた人でも、
到着したと思ったら、あとはゆっくりと下っていけばいいのだと思う人もいるでしょう。

たとえば、志望校を決めて、その目標とする学校に入るために、
一生懸命に勉強する姿を考えてみましょう。

その学生さんには、志望校に受かる事が幸せであり、
合格しさえすれば、自分は幸せになれるのだと思っているかも知れません。

そのため必死になって努力を重ねるのですが、
合格できなかったら悲しいでしょうし、合格できたとしても、
しばらくすれば、当たり前のことになってきて、
次のゴールを求めなくてはならないかも知れません。


一方で、努力などせずに、今だけを楽しめばいいと思う人もいるでしょう。

無理して受験勉強に精を出したりせず、
実力の範囲内で入れるところに行けばいいと思います。

ゴールを持たずに、ただ日々の生活に追われる生き方です。

しかし、それもまた、本当の幸せからは離れていってしまうように思います。

本当の幸せというのは、
ゴールを目指して歩んでいる中にも、幸せを見出していくことだと思います。

登山をして、山頂につかなければ、得られないものでは無く、
山頂を目指して歩む中にも、幸せはあり、
それを見出していくことが大切なのだと思います。

本当の幸せは、山道を楽して下っていく生き方の中にも無く、
がむしゃらに山頂を目指していく中にも見いだせないように思います。


山頂を目指しつつ、途中の道に咲く野花の美しさに、喜びを見出したり、
途中で見える山下の景色に感動したりする、心のゆとりも大切です。

がむしゃらに進んでいる時には、見えない景色というものもあります。

下っているだけでは、味わえない感動もあります。

人生を、山道を登る旅と捉えて、喜びを見出していくことが大切ではないでしょうか。

旅に出かけるとなると、事前に準備をしたり、
どのようなルートで登ろうかと考えますが、
そのように計画を立てたり準備している事も楽しみになります。

目的地に到着知れば楽しいのではなく、
旅をすると決めて、頭で思い浮かべているだけで、すでに楽しいものです。


そのようにゴールにつきさえすれば幸せなのではなく、
その前の段階でも、途中にあっても幸せは幾つも転がっています。

それを見出す心のゆとりがなければ、気づかずに通り過ぎてしまうでしょう。

人生は旅だと思って、途中の行程も楽しんでください。


https://www.spacebrothers.jp/2022/08/blog-post_19.html

           <感謝合掌 令和4年8月19日 頓首再拝>

あなたの幸せ、世界の幸せ - 伝統

2022/09/23 (Fri) 04:51:47


      *「あなたが幸せになれば、世界が幸せになる」石井貴士(著)より

(1)あなたが幸せになれば、お金も恋人も、オプションのように、勝手についてくる。

(2)あなたが幸せになるということは、周りも幸せになるということだ。

   あなたが悪口ばかりを言う人であれば、周りも悪口が好きな人が集まる。

   あなたが相手を幸せにしようとすれば、
   周りにもあなたを、幸せにしようとする人が集まる。

(3)あなたが「幸せの磁石」になった状態を想像してみてください。

   あなたを幸せにしてくれる人が、どんどん引き寄せられる。

   あなたが笑顔でいれば、笑顔が好きな人が引き寄せられる。

(4)借金がある人の中でも、

  ①借金はあるが、一切そのことを口に出さずに、笑顔でいる人。
  ②借金があって、いつも文句を言って、仏頂面の人。

   の2通りの人がいる。
   ①の人は、借金があることさえ忘れているので、いつのまにか借金を返している。

(5)おなたは「幸せの磁石」になることで、人生においても成功するのだ。

   あなたが笑顔でいることで、あなたの元に来る人の周りにも、
   笑顔の磁力が宿る。

(6)自分の意識空間に、「モテている」「お金持ちだ」「成功者だ」という念を
   つけていくことができれば、あなたの人生は、うまくいく。

(7)出会っている人の空間によって、あなたの人生は変わる。

   あなたの成功の度合いは、いつも出会っている人の空間に、引きずられる。

   わたしがオススメしているのは、
   高級タワーマンションの、家賃が一番安いところに住むことだ。

(8)「あなたは必ず成功する」と信じてくれる人だけと、付き合う。

(9)成功していると思わせることができれば、成功できる。

   「笑顔でいるから、いいことがある」というのが正しい。

   周りから、成功している人だと思ってもらうことができれば、あなたも成功する。

(10)「あなたの夢はなんですか?」
   唐突にそう聞かれたら、あなたはゼロ秒で答えられるか?

   夢を明確にすることだ。
   夢は、明確になった瞬間に、「目標」と呼ばれるものに変わる。

(11)大きな夢を持てば、多くの人を幸せにできる。
   小さな夢しか持っていないと、
   少しの人しか幸せにしなくてもいいと脳が勘違いする。

(12)夢が叶う人は、自分には無限の可能性があると信じている。
   夢が叶う人は、いつ奇跡が起きてもいいように、準備している。

   夢が叶う人は、「もっと」をつける。

(13)お金を引き寄せるのではなく、
   お金持ちになる方法を教えてくれる人を引き寄せたほうが、
   現実的にお金持ちになれる。

(14)借金で苦しんでいる場合に、どうしたら立ち直れるか。
   それは、簡単だ。

   借金をものともしない自分になれば、借金はいとも簡単に返せるのだ。

(15)人間関係の9割の悩みをなくす「1億円の法則」。

   あなたが預金残高に1億円あったら、上司に腹を立てるだろうか。
   1億あれば、すぐに辞められる。

(16)自分の幸せは、自分でコントロールできる。
   恋人がほしいのであれば、外見も内面も磨くのが一番早い。

   自分を磨いた後に、いい人に出会えば、理想の恋人が手に入る可能性が高い。

(17)夢を叶えることは、環境を変えることだ。
   環境を理想のものにすれば、夢は叶う。

(18)引き寄せが起きる人は、願いを引き寄せる。

   引き寄せが起きる人は、信じている時間が長い。

   やりたいではなく、やると決めたことに、引き寄せが起こる。

   引き寄せ磁石は、努力次第で強くなる。

   磁力の中心を作ると、引き寄せる力は強くなる。

   準備ができている人は、引き寄せ磁石が強くなる。

           <感謝合掌 令和4年9月22日 頓首再拝>

どんな人でも幸せになれる9つの選択 - 伝統

2022/09/24 (Sat) 15:25:42


           *「ハッピーな人々の秘密」グレッグ ヒックス(著)より

(1)「強い意志を持つ」。

  ①ハッピーな人は、ハッピーになるという強い意志を持っています。
  
  ②誰にでも嫌なことは起きますが、ハッピーな人々は、
   普通の人より幸せな選択をしようと心がけているのです。

  ③人の意見に流されず、自分の道を行くというのも、幸せになる秘訣です。


(2)「自分が責任をとる」。

  ①自分の意志で選んだ道だから、自分で責任をとる。

  ②ハッピーな人々は人を非難しません。

  ③ハッピーな人々は、「自分で自分の人生を決める」という決断を下しています。

  ④人生を自分の力で創造していく彼らは、至極前向きです。


(3)「自分をしっかり見つめ、確認する」。

  ①ハッピーな人々はたえず自分のことを確認しています。

  ②自分の選択を愛し、自分を受け入れる。

  ③自己尊重の心が基本にあるのです。


(4)「 大切なものに集中し、生活の中心に置く」。

  ①ハッピーな人々は、大切なものを選び取り、生活の中心に置きます。

  ②家庭も仕事も友人も、自分の選択で選んだ大切なものばかり。
   故に彼らはハッピーなのです。


(5)「改鋳(リキャスト)し、今までの自分を作り替える」。

  ①ハッピーな人々は辛い出来事がおきた時、
   辛いことから逃げずに、深く体験します。

  ②その後、新しい自分に、元の幸せな生活に戻っていくのです。


(6)「柔軟にたくさんのオプションから選ぶ」。

  ①ハッピーな人々は一つの物事にとらわれず、
   新しい可能性にどんどんチャレンジしていきます。

  ②これと思ったものを手に入れられなくても、
   すぐに別のすばらしい選択肢を選ぶ柔軟さがあるのです。


(7)「真価を認め、尊重し、感謝する」。

  ①ありがたいと感謝する気持ちは、他の人の真価を認めることです。

  ②毎日感謝すると、
   普通のものも、かけがえなのないすばらしいものとなります。


(8)「人に分かち与える」。

  ①ハッピーな人々は、価値、仕事を人々に分かち与えます。

  ②喜んで与えることもまた、他人を尊重する気持ちのあらわれです。


(9)「真実を大切にし、正直になる」。

  ①ハッピーな人々は社会の常識に対して、
   自分が感じる真実を大切にします。

  ②嘘偽りなく、自分を表現すると、ずれがなくハッピーとなります。

   http://www.ne.jp/asahi/golden/world/selfhelp/happy.html

          <感謝合掌 令和4年9月24日 頓首再拝>

幸運の扉を開く鍵 - 伝統

2022/11/26 (Sat) 04:48:15


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022.09.23)より

これは実際にあった話です。

ある会社が、他所の会社に買い取られてしまう事になりました。
そして元の会社に勤めていた人は、全員リストラにあってしまったのです。
元の会社の社員は、全員、解雇となってしまう事が決まりました。

そこで一応、説明のために、社員全員を面談することになります。

普通であれば、今まで会社に尽くしてきたのに、
手のひらを返されたような事態に、
恨めしい思いを持ったり、怒りを向けてしまうでしょう。

ある社員も、はじめは愕然としたそうですが、
家に帰って妻にリストラの話をするとこう言われたそうです。

「今まで働いた会社に感謝しなくちゃだめよ」っと

普通であれば、これからの生活も考えると、憤ってしまう所ですが、
その妻は感謝するように伝えたそうです。

そこでこの会社員は、面接のときにクビを言い渡されて
「私も家内も、会社には感謝しています」と伝えたそうです。

おそらく面接官としては、
いままで「これだけ会社に尽くしてきたのに」とか
「幼い子供も抱えて、家のローンも組んだばかりなのに」などと、
恨み節をたくさん聞いていた事でしょう。

しかし、その中で
感謝の言葉を述べる彼に会って、心を動かされたようです。

買収側の会社は、その社員を再雇用し、
新入社員の教育係に採用したと言います。

おそらくその社員の方も、最後となる場面で、
嘘はつかずに、正直な気持ちを述べたのでしょう。

(中略)

感謝は幸運の扉を開く鍵なのだと思います。

https://www.spacebrothers.jp/2022/09/blog-post_23.html

          <感謝合掌 令和4年11月25日 頓首再拝>

【人のせいにして幸せになった人はいない】 - 伝統

2022/11/28 (Mon) 04:46:47


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.11.14)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   日本は、世界でも指折りの豊かな国です。

   これだけ豊かに暮らすことができて、
   私たちはものすごく幸せなんだよね。

   仕事だって、探せばいくらでもある。


   心身に問題を抱えているとか、
   なにか特別な事情があるわけじゃなかったら、
   誰でもそれなりにお金を稼ぐことはできます。

   お金が全然なくて、暮らしていけないってことはないよね。

   働けばお金が入ってくるし、それなりに生活ができる。


   で、そう思ってる人は、ちゃんと生活しているんだよね。

   ところが、自分にできる仕事を顔晴ることもせず、
   政治が悪い、役人が悪い、会社が悪いとかって、
   なんでもかんでも人のせいにする人がいます。

   そうやって人のせいにすること自体、おかしいんだよね。

   お金がなくて貧しいのではなく、
   その心が貧しいから、いつまでたっても豊かになれないんです。

   わかるかい?


   政治が悪いって言うんだったら、じゃあ自分がやってみなって。

   誰がやったって、今以上のことはできないと思うよ。

   そもそも、素人がいきなり
   選挙に立候補したって、そう簡単に受からない(笑)。

   受かるだけで大変だし、もし当選しても、
   そこからさらに大変なんです。

   それを、はたから文句ばっかり言うのはおかしいよね。


   私もたまに、
   「斎藤さんが政治家になったら、世の中はもっとよくなりますか?」
   とかって聞かれるんだけど、みんな一生懸命やっているの。

   誰だって顔晴っているんです。

   一人さんが政治家になったからって、
   急に世の中がよくなるようなもんじゃない。

   第一、私は政治家になるつもりもないですからね(笑)。


   人のせいにして豊かになった人はいないよ。

   人のせいにして幸せになった人もいないよ。

       <『斎藤一人 絶対、なんとかなる!』マキノ出版>

           ・・・

斎藤一人さんは
「楽しく仕事をすること」についてこう語っている。


『「楽しく仕事をしている人には、神様がうんと味方をしてくれる」。

 楽しんでいるということは、「今世(こんせ)、幸せになる」という
 神様との約束を守るために顔晴(がんば)っている証(あかし)だから、
 神様が喜んでくれるの。

 そして、一人さんは、ひたすら毎日を楽しく生きている。

 湯水のようにジョークを連発して、自分も周りも楽しませているの。

 楽しいことを考えるのが仕事だと思っているから、
 毎日を全力で楽しくしているのです。

 だから、日常会話が笑いそのものなんだよね。

 あなたは朝から晩まで楽しいことを考えていますか?

 24時間、自分を楽しませ続けていますか?』


人や世の中や会社のせいにしている人は、いつも表情が暗い。

そもそも、不平不満や文句を言っている人で、
明るい表情や笑顔の人は一人もいない。

いつも不機嫌で、つまらなそうな生き方をしている。

だから、人がみな離れていく。


反対に、楽しそうに仕事をし、
いつも笑いや笑顔にあふれている人のまわりには、人が集まる。


「人のせいにして幸せになった人はいない」

人のせいにせず…

自分もまわりも楽しませる人でありたい。

       <感謝合掌 令和4年11月27日 頓首再拝>

偽りの幸福 - 伝統

2022/11/29 (Tue) 04:48:39


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022年10月7日)より
            ~地面に引かれた線を短くするには?

昔、インドにあったムガル帝国のアクバル皇帝に
バーバルという道化師が仕えていました。

バーバルは、とても頓智の利く賢い者で有名でした。

日本で言えば一休さんのような方ですね。

アクバル皇帝は、よくバーバルの知恵を試しては、喜んでいました。

ある日、アクバル皇帝は、床に1本の線を引いてこう言いました。

「バーバルよ、この線を短くしてみよ。
 ただし、どこも消してはならぬ!」

難しいお題を出して、知恵者のバーバルを試してみます。

聞いていた家臣たちは、
今回はきっとバーバルの負けに違いないと思います。
どこも消さずに線を短くするなど、出来るわけが無いからです。

ところがこの難題を、バーバルはいとも容易く解きました。

いったいどうやったと思いますか?

バーバルは、その線の横に、もっと長い線を引いて見せたのです。

すると比較する者が出来て、周りの者たちには、
たしかに短くなったように見えました。

このお話は、
人間は比較によって物事を測る性質がある事を示しています。

同じようなものが近くに二つあると、
それを比べて価値判断を下すのです。

商売などでも、この錯覚はよく使われています。

たとえばテレビ通販などでは、はじめに定価などを伝えて、
その後にもっと低い販売価格を伝えます。

そうすると、はじめに高い値段を聞かされた視聴者は、
いまならこんなに安く買えると思って、買いやすくなります。

これがはじめから、販売価格を伝えていたら、
それが安いか高いのか、比較対象が無いために、
人は判断がつかずに、購入を控えるのです。

そのためテレビ通販などでは、はじめに高い値段を言ってから、
今回はそれより安い値段を言います。

比較できる数値が出てきたため、
それで安いか高いかを判断し、購入に繋がるわけです。

このように人は、比較によって物事を判断しがちですが、
それでは錯覚に陥って、真の正しい判断は出来なくなります。

比較の中で生きていると、真実を見失ってしまいます。

私たちが幸せを感じる時にも、
ついつい他者との比較で考えてしまいます。

他人よりもよい学校に入れたとか、良い会社に勤められた、
出世が早かった、同僚より給料が高かった、よい所に住めた、
高級な車に乗れた、等々、これらは他社との比較で、
幸福を感じている状況です。

しかしそれは、偽りの幸福でしかありません。

比較して得られる幸福感は、
移ろいやすく、やがては失われる、幻なのです。

他者との比較では無く、
自分自身の尺度で測った絶対的な幸福こそ、真の幸福です。

比較の幸福は幻であり、
それに執着していれば、苦しみを生じてきます。

幻を追い求めてばかりいては、
砂漠で陽炎を求める旅人のように、乾いて干からびるでしょう。

https://www.spacebrothers.jp/2022/10/blog-post_7.html

          <感謝合掌 令和4年11月28日 頓首再拝>

魂の眼(まなこ)が開かなかったならば幸福は何処にもない - 伝統

2022/12/28 (Wed) 08:39:19


     *「光明道中記」(12月28日《幸福成就の日》)より

【実相を悟るものに不足の感じは起こらない。(『生命の實相』第一巻)】

人間は誰でも幸福に成りたい。
しかも多くの人達は幸福に向う道を誤まっているのである。
或る人たちは幸福と快楽とを混同している。

そして幸福になろうとして快楽を得ようとし、
快楽を追求して結局得るところのものとては幸福ではなくて、
苦痛であったと云う場合が多いのである。

仏者は五官の快楽を、瘡面(かさぶた)の痒きを掻くに喩えたことがある。
また渇者が塩水を飲んで渇を医(い)やすに喩えたことがある。

五官の快楽を求める習慣を得るときは、それを得なければ淋しいし、
得れば尚一層、得なければ淋しいこと、阿片中毒の如き状態となる。

阿片中毒者は阿片の奴隷であるし、
五官の快楽を追求せねば淋しい人達も、五官の奴隷である。

金銭の欲望を追求し、追及し、
飽くことなき渇欲に心身を疲労せしめている者も金銭の奴隷である。

本当の幸福は五官の快楽や、金銭の集積で得られないこと、
本当の幸福は阿片の吸引では得られないのと同じである。

本当の幸福は愛と深切と思いやりと、
些(ささ)やかな事物の奥にも輝いている天地の恵みを見ることである。

若し魂の眼(まなこ)が開かなかったならば幸福は何処にもない。

            <感謝合掌 令和4年12月28日 頓首再拝> 

与える方向から得られる幸福 - 伝統

2022/12/29 (Thu) 09:38:03


    *「光明道中記」(12月29日《気高き心を把持する日》)より

【心は容貌に彫刻の鑿を揮う。心が刻まないとき年の皺は刻まれない。
                        (『生命の實相』第一巻)】

幸福は五官の満足、所有の満足によって得られるのではない
と云うことが判ったならば、
吾等は別の方向から幸福を求めなければならないのである。

それはどんな方向からかと言えば与える方向からある。

所有欲は奪う方向から幸福を得ようとしたのであるが、
吾々が世のために尽す真行(しんぎょう)や、国のために尽す忠誠や、
社会のために尽す奉公の幸福感などは、
孰(いず)れも与える方向から得られる幸福なのである。

また幸福は、
それが触覚的方面、味覚的方面、所有的方面より来るものである限り、
それは著しく物質的であり、即(つ)いた感じであり、低卑な感じであり、
それは余りに多く満たすときは苦痛に変ずる性質のものである。

いつまでも変わらない幸福は、
次第に、触感的、味覚的、所有的な方面から離れて来る。

視覚的な喜びは、触覚的な又は味覚的な悦びに比べて、
著しく「離れたる性質」のものである。

それは必ずしも触れなくとも、所有しなくとも、
離れていて味わい得るのである。

芸術を味わうよろこび、自然を鑑賞するよろこびなどは
後味の好い喜びである。

鑑賞するよろこびには、必ずしも所有することを必要としない。

        <感謝合掌 令和4年12月29日 頓首再拝> 

人間の幸福は、神の生命(いのち)を顕現すること - 伝統

2023/01/04 (Wed) 14:13:29


     *「光明道中記」(1月4日《神われに生き給う日》)より

 【幸福とは神の実現である。そのほかに人間の幸福はない。
                  (「生命の實相」第十一巻)】

「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
 元津神霊(みおやがみもとつみやま)ゆ幸(さきは)え給え」

「幸(さきは)え」は「咲(さ)き生(は)え」であり、
「割(さ)き延(は)え」であり、神の生命の顕現である。

「霊(みたま)さきはえ」のみが人間の幸福なのである。

人間の幸福は富を実現することではない。
名声を挙げることでもない。

神の生命(いのち)を顕現することである。

梅の花は咲き出でることが幸福である。
それは名声を博するがためではないから
奥山にいても依然として芳しく咲き匂うのである。
それは金銭のためでないから、
盆栽として売られなくとも咲き出でるのである。

梅の花はただ咲き出で、人間はただ与えられた使命を生きる。
幸福そのなかにあり、悦びその中にあり、楽しきこと限りなし。

若(も)し人が労苦して、そこに悦びが感じられなかったならば、
それはその人が第二義的なものを求めている証拠である。

働きそのものが第一義的目的であり、
働きの中に生命が延び、霊魂が進歩する。

第二義的なものは、そのときは値打があるように見えても、
その価値には永遠性がない。

         <感謝合掌 令和5年1月4日 頓首再拝>

幸福の4因子 - 伝統

2023/01/19 (Thu) 15:10:07

Well-Being~幸福の4因子~ | 前野 隆司 | TEDxShintomi
TEDx Talks (2021/07/07)
https://www.youtube.com/watch?v=5Uo5_-kq4j0&t=160s

<参照>

「幸せの4つの因子」を知れば「幸福度」を上げられる
https://news.mynavi.jp/article/20200918-1313798/

         <感謝合掌 令和5年1月19日 頓首再拝>

幸福は感染する - 伝統

2023/01/20 (Fri) 14:56:23


    *「光明道中記」(1月20日《幸福の感染する日》)より

【心に善き言葉を食して心を幸福にすれば肉体は健康化し運命は良化する。
                    (『生命の實相』第一巻)】

幸福は感染する。
病気が感染するばかりでなく幸福は必ず感染するものである。

家庭の一人が不幸せになった時、
その家全体は何となく不幸の雰囲気に包まれ初(そ)める。

その一人の不幸が堤に穿(うが)たれた蟻(あり)の孔(あな)のように
全体の幸福を押し流して了うこともあるものである。

だから一人だけ不幸でいても好いと云うようなものではない。

自分一人が悲しみのために全体を不幸に陥れて好い権利はない。

悲しみが感染するものならば、
悲しむ者はその悲しみを他の人に伝えることを、
伝染病を予防するが如き注意深さを以て避けなければならぬ。

悲しみのある時には、神にその悲しみを訴えよ。
神は光であるから悲しみの暗(やみ)は必ず消える。

悩みのある時には、神にその悩みを訴えよ。
神は悦びであるから、その悩みは悦びに必ず変る。

腹の立った時には人に手紙を書いてはならぬ。
必ずその手紙に剣があって相手に立腹を伝染するのである。

腹の立ったときには

「腹の立つことは何もない、大調和が実相である」と念じて神想観せよ。

         <感謝合掌 令和5年1月20日 頓首再拝>

幸福について - 伝統

2023/01/22 (Sun) 12:51:26


       *『幸福についての小さな書』ミカエル・ダレーン・著より要点の紹介

(本書は、ストックホルム商科大学教授で、幸福研究で知られる
 ミカエル・ダレーン氏による幸福論。

 著者は、経営戦略およびマーケティング学部の教授ですが、
 なぜか有名なのは幸福論で、著者がスウェーデン王立劇場で行った
 「幸福について」というレクチャーは満席御礼だったようです。)


(1)私たちは相互に発生しうる関係性をもっと考慮すべきだ。

   創造性が高まっているとき幸福を感じるように、
   幸福であるときこそ創造性が高まるといった関係性を。

   あるいはあなたが幸福なら健康になり、
   健康なら幸福を感じるといったことを。

(2)あなたの幸福度の約50%は、どんな遺伝子を持って生まれたかによる。

(3)幸福は人によって異なる。
   誰もほかの人と同じ方法やまったく同じレベルで
   幸福になることはできない。

   つまり、あなたの幸福を他人と比較することはできないし、
   他人をものさしにすることもできない。

(4)幸福なパートナーを選ぼう。

   とくに父親の選択は重要で、遺伝子工学研究者によれば
   男性側の遺伝子の影響は大きく、
   おおよそ60対40で男性によって幸福度が決まる。

(5)「信じるもの」を持とう。

(6)1万人のイギリス人におこなわれた疫学調査によると、
   ヴィーガンフードだけを食べ続けると鬱傾向が倍に高まるという。

(7)幸福感は「休日の前」に最大になる。

(8)幸福感を高めてくれる出来事に気がつき楽しめる工夫

  ①しっかり「目を留める」こと (=マインドフルネス)

  ②喜びを存分に味わう。

  ③人にそれを「示す」。

  ④経験したことを思い出す「再体験」。

(9)研究者は、できるだけ運動をするように努めていた若者たちは、
   成人後も少々幸福度が高いことを発見した。

(10)単純に、得意なことをしているときには気分が上がる。

(11)他人に何かを与えるとき、
   私たちは自分自身も同じものを得ているように感じる。

(12)感謝の気持ちを持つことで、人は物欲が減る。


<参照>

幸福についての小さな書(ミカエル・ダレーン)の書評
https://tokumoto.jp/2022/01/39736/

<動画>
https://www.youtube.com/watch?v=-_na2gORbn0

          <感謝合掌 令和5年1月22日 頓首再拝>

幸運はみんなのもとに来ます。それを捉まえる事が大切 - 伝統

2023/01/24 (Tue) 16:29:41


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年1月21日)より

みなさんの中には、
「自分には幸運は巡ってこないだろうか?」とか、
「いつも別な人だけ幸運が来てずるい」などと思っている人もいるでしょう。

ですが皆さんの元にも幸運を運ぶ鳥はひっそりと訪れています。

しかしそれに気づかずに逃がしたり、
準備が整わないうちに去ってしまうのです。


それに関連する、ひとつのお話をしましょう。

ある村には、金色の鳥が訪れて、鳥が軒先に巣を作ると、
その家は幸せになるという言い伝えがありました。

村人は自分のお家に幸運の鳥がやってこないかと、
みなソワソワしていました。

村に厳しい冬が過ぎて、あたたかな春が訪れた時期に、
南の空から一羽の金色の鳥が飛んでくるのが目撃されました。

その鳥は村の家々を回り、様子をうかがっているようでした。

「どうやら巣を作る場所を探しているらしいぞ。自分の家に来てくれないか」
そう村人たちは話し合っています。

やがて幸運の鳥は、村はずれにひっそりと建つ、
貧しい農家の暮らす小さな茅葺の家の軒先に巣を作りました。

村人たちは自分の家に鳥が来なかったことを残念がり
「運が悪かった、今度は自分の家に来ると良いが」とがっかりしています。

やがて鳥の巣にはどこからかもう一匹の鳥が来て、
卵を産み、ヒナを育て、秋頃にはもう親子とも巣立っていきました。


幸運の鳥が巣を作った貧しい農家のひとは、
それ以来良いことが次々に訪れて、
やがて村一番の豊かな者となっていきました。

ある祝の日に彼は村人を集めてごちそうを振る舞いました。

そこで村人の一人が聞きました。

「ところで、君はどうして鳥を迎えることが出来たのだ?
 たんなる偶然だったのか」

そこで彼は何故鳥が彼の家の軒先に巣を作ったかを話します。

実は彼は、いつ幸運の鳥が訪れてもいいように、
軒先に鳥が好みそうな巣箱を作って置き、
餌となる虫が好みそうな野草を裏庭で育てていました。

彼が村から離れた場所に暮らしていたのも、
静かな場所を鳥は好むと考えたからです。

それを聞いた村人は「ほう」と感心する人もいれば
「なんだ、簡単な事ではないか。それなら自分にもできる」
と腐る人もいました。


この話のように、幸運の鳥はみなさんの家先まで訪れるのですが、
それを得る人は得るに相応しい準備と努力をしたものなのです。


いまや世界中で愛好されている、
ある製品の誕生話はそのことを示しています。

アメリカのアトランタに住む
ジョン・ペンバートンという薬剤師さんがいました。

彼は多くの薬を考え出してはお店で売っていました。

ある日、ペンバートン氏が店の奥にある倉庫に入ると、
従業員の2人が隠れて、新製品の頭痛薬を
美味しそうに水で割って飲んでいたそうです。

そこでペンバートン氏は
「ひょっとして、ソーダ水を入れたらさらにおいしくなるのかも!」
と考えて、ソーダ水で割ってみました。

すると新しい頭痛薬はたいへん美味い飲み物になりました。

彼は、それをコカ・コーラという名前をつけて店で売ることにしました。

これがコカ・コーラの誕生した話として知られています。


もしも普通の人が同じ状況に遭遇したらどうでしょう?

あなたが店長だとして、
従業員が裏で製品をこっそり飲んでいるのを目撃したら、
きっとしかりつけて元の持ち場に帰らすだけではないでしょうか?

そして「薬を水で薄めて飲むなんて、あいつらどうかしている」と
怒るだけで終わってしまうかも知れません。


ペンバートン氏はずっと新しいものを開発する努力を重ねていて、
たえず良いものはないだろうか?とアンテナを張っていたのです。

それゆえに準備が整っていた彼は、幸運を手にすることが出来ました。

準備が整っていない人に同じような状況が訪れても、
ただチャンスを棒に振るだけに終わっていたでしょう。

それが自分のもとに訪れた絶好の幸運だったとも知らずに!

そして自分には全然幸運が訪れないと嘆くのです。


事業や仕事での成功だけではなく、異性との縁もそうでしょう。

素敵なお相手が目の前に現れたとしても、
その人が準備不足で、手間取っているうちに、
白馬の王子さまは通り過ぎていってしまいます。

白馬の王子が現れる前からすでに準備が整っていると、
あなたを抱えて連れていきますが、あれもまだ、これもまだ
と言って待たせているうちに、彼はあなたの元を去っていきます。


皆さんの元にも幸運は舞い込んできているのですが、
準備が整っていないと、知らず知らずにそれを逃してしまっているのです。


https://www.spacebrothers.jp/2018/07/blog-post_29.html

          <感謝合掌 令和5年1月24日 頓首再拝>

運気が急上昇する神秘の音楽 - 伝統

2023/01/25 (Wed) 04:45:12

聞き流すだけ☆幸運波動に包まれて運気が急上昇する神秘の音楽
https://www.youtube.com/watch?v=mF9TUWKN_GE

(1)この音楽は宇宙の根源からやってくる神秘の音を
   イメージして作られています。

   あなたの潜在意識と宇宙エネルギーがダイレクトにつながり、
   あなたに幸運波動を宿します。

(2)潜在意識レベルから心身をリラックスさせていきます。

(3)聞き流すだけで、あなたは幸運波動に包まれて、
   次々と幸運が引き寄せられてきます。

   臨時収入があったり、運命の人と出会ったり、
   お仕事が評価されたり。

   あなたの状況に応じて、
   いまもっとも必要とされる恩恵がもたらされます。

          <感謝合掌 令和5年1月24日 頓首再拝>

青い鳥症候群 - 伝統

2023/01/26 (Thu) 04:27:37


        *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022年11月25日)より

メーテルリンクの名作「青い鳥」では、
主人公のチルチルとミチルが、幸せの象徴である青い鳥を求めて、
様々な世界を探索していきます。

チルチルとミチルと同じように、
理想の場所や相手、幸せになれる所を探し求めて
ずっと旅をしている人がいます。


自分を取り巻く現実が受け入れられずに、
「もっと自分にふさわしい場所(相手)があるはずだ」という
思いを捨てられずに、転職や恋愛を繰り返す人々です。

一般には職を転々とする人の事を指す言葉として使われますが、
女性の方でも、理想のお相手を求めて、さ迷っている人も見かけますので、
そうした人も青い鳥症候群と呼んでいいかと思います。

もちろん、本人に合わない環境や職場、
そしてお相手の方というのはいますので、
別なものを求めることはあるでしょう。

しかし、あまりに移り気であり、
自分にふさわしい職場や、理想のお相手がいるはずだと
思い込んでいる人には、思い違いをしている事があります。


人間は誰しも自分は特別な存在だと思う者です。

そんな特別な自分には、
相応し環境やお相手が出て来るに違いないと考えます。

ですがそれは、客観的に自分を見れていないだけで、
実際にはそこまで才能があったり、
努力を重ねたりしていない場合があります。

自分の事が客観的に見られずに、他の人とは違うのだと、
優越感を持っているだけなのかもしれません。

人は誰しも、自分だけは特別だと思いたい生き物ですが、
大人になるにつれて、平凡性を受け入れていかなくてはならないのです。

無謀な運転をして交通事故を起こしてしまう悲劇が無くならないのも、
みな自分は特別だと思って、ニュースで見る様な事故など、
自分が起こす訳は無いと思い込んでいるからです。


しかし、誰であっても、起こる可能性のある出来事は起こります。

大人になっても平凡性を受け入れられない者が、
油断をして大事故を起こしてしまいますし、
青い鳥症候群のように、いつまでも現実を受け入れられずに、
世間をさ迷うものになります。

自分にふさわしい場所や、相応しい相手を見つけることも大切ですが、
青い鳥症候群の人にとって大切なのは、探し求めるのではなく、
作っていく事なのです。

自分が幸せになれる場所を探し求めてばかりいるのではなく、
自分自身で作らなくてはなりません。

自分にふさわしい場所を、幸せな住処を
自分で積み立てていき、作り出していくのです・

そうした発想の転換をしていく事が大切です。

https://www.spacebrothers.jp/2022/11/blog-post_25.html

          <感謝合掌 令和5年1月25日 頓首再拝>

氣が回復し、充実して楽しく生きていける - 伝統

2023/01/28 (Sat) 04:57:15


【警告 超強力】再生して1分で劇的に氣が回復!
今から1年間お金も有り余り人間関係も円満で何一つ困らずに
充実して楽しく生きてられる人は、神仏を尊び、自然に感謝し、
一つ一つの問題を確実に解決していく人成り
Healing Sound JAPAN(2021/01/01)
https://www.youtube.com/watch?v=8Hls65k2TEw

          <感謝合掌 令和5年1月27日 頓首再拝>

人生は苦労の多いもの、わずかな楽しさを大切にすると幸せも舞い込んでくる - 伝統

2023/01/29 (Sun) 17:16:14


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年1月29日)より

B子さんは年の頃は五十歳半ばほどで、
小柄で少しふっくらとした女性です。

いつもニコニコしている印象があります。

その方は保険の外交員をされていますが、
成績優秀で凄腕の方でもあります。

であるのに、見た目は温和な方で、
いつも謙虚にしているため、ぱっと見は普通の方のようで、
トップクラスの優秀な成績の方とはわかりません。

そして彼女は後輩にも親切に指導し、
自分の利害を度外視して、助けてあげるのです。

そのB子さんと、何かの会場で同じテーブルになった時に、
少しお話しする機会がありました。

そこで私は「いつもニコニコ笑顔が絶えませんね」と言いました。

すると彼女は「いつもありがたいと思っているんですよ」と答えました。

「何がありがたいのですか?」

「こんなに楽しい会に呼ばれて、
 みなさんにお会いすることが楽しいから、
 ありがたいなって思うんです」

「でもあなたにはよくあることではないですか?」

「ええ、ですから楽しい事がたくさんあって、
 私は幸せだなって思っています」

「いつも感謝の思いを持たれているんですね」

「私の母親から教わったんです」

「どんな教えですか?」

「母は子だくさんの貧乏で暮らして、たいへん苦労した人だったのですが、
 生きているのは苦労するのは当たり前で、少しでも楽しい事があれば、
 幸せなんだって言っていました」

「苦労の多い人生の中で、
 少しの楽しい出来事を大切にされていたんですね」

「ええ、ですから私も、楽しい日がたくさんあって
 本当に幸せ者だなって思っています」

B子さんはそういって笑っていました。

彼女の成功には、きっと母の教えがあったのでしょう。

苦労の多い日々の中で、わずかな楽しい時をありがたいと感じるか、
それとも、あって当たり前と思うかで、人生はだいぶ変わってきます。

現代の私たちは、満たされた人生を送っていますが、
それを当たり前と思っていると、
幸せは遠くに飛び発っていってしまうようです。


人生は苦労の多い事が普通であり、
少しでも楽しい事があればそれを大切に出来る人は、
きっと幸せが舞い込んでくるのでしょう・

https://www.spacebrothers.jp/2023/01/blog-post_29.html

          <感謝合掌 令和5年1月29日 頓首再拝>

幸せの方程式5次元の周波数/エリザベス・エイプリル - 伝統

2023/01/30 (Mon) 15:16:16


       *Web:Jのあっちもこっちも(2023年01月30日)より抜粋

(1)幸せの概念は人それぞれ。

   あなたが人生の瞬間瞬間で幸せを見つけられるよう、
   方程式を紹介しようと思うの。

(2)今、多くの人が、大変革の時を迎えてるの。

   この変革の時期に、私たちは内側に深く入り込み、
   もう役に立たない古いエネルギーを浄化し、一掃してるの。

   それってとっても素晴らしいことなんだけど、同時に恐怖を伴うの。
   私たちは人生の中で純粋な本当のつながりを持ち、
   純粋な本当の幸せを手にいれようとしてる。

   だから、変革って素晴らしいことなの!


【幸せの方程式:感謝+受容=幸福】

(1)「受容」

  ①今、あなたが戦ってるもの、抵抗してるもの
   それを受け入れなくても、それはあなたの人生に存在し続ける。

  ②全てを完全に受け入れて人生を歩めば、
   私たちはニュートラルな、平静な場所に到達できる。

   これがどういうことかっていうと、反感や執着、反応なしに
   全てを客観的に認識できるようになるってこと。
 
   これこそが、本当の幸せなの。

  ③すべてを観察し、すべてを受け入れる!
   抵抗せずに、すべてを経験するの!
   抵抗しちゃうと、その幸せな場所から遠ざかってしまう。

  ④挑戦することは、私たちを成長させ、エネルギーに動きを与えるの!
   挑戦を受け入れることができれば、
   私たちは、さらなる幸せへと向かうことができる!

  ⑤挑戦や変化や成長や努力から感じることのある不幸を受け入れることで、
   もっと幸せになれる。

  ⑥私たちを取り巻くすべてのものは、常に変化してる。

   変化を恐れたり、変化に抵抗したりするなら、
   自分自身を低い波動状態に追い込んでることになる。

   変化が永久に続く無限の資源だって受け入れることができれば、
   人生をより幸せな状態で歩むことができる。


(2)「感謝」

  ①波動を上げる一番手っ取り早い方法は、感謝すること。

  ②まずは、基本的なところから感謝していくの。

   基本から感謝して、そこからさらに視野を広げていくの。

  ③日常的に感謝すればするほど、より多くの豊かさ、
   より多くの機会、より多くのものを人生に引き寄せることが
   できるようになる。

  ④感謝こそが、あなたの波動を上げ、
   あなたを幸せな状態にしてくれる最大のものなの。

  ⑤何を持っているかじゃなくて、
   あなたの心がどんな状態にあるかってことが重要。

(3)すべては自分から

  ①あなたの人生を変える力を持ってるのは、
   あなたの周りにいる人でも、政治家でも、ス
   ピリチュアルリーダーでも、空にいるスピリットガイドでもない!

   それはあなたなの!

  ②今日、この瞬間から、
   「私は幸せになることを選びます」、
   「私は幸せになる価値があります」って言うの!

   そうすると、あなたの人生に必要でないものや人は、自然と離れてく。

https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12786719341.html

          <感謝合掌 令和5年1月30日 頓首再拝>

「既に自分は幸福である」と繰返し唱える - 伝統

2023/02/01 (Wed) 15:11:41


      *「光明道中記」(2月1日《賞め讃える日》)より抜粋

【真に幸福になろうと思うものは、
 既に自分が幸福であることを知らねばならぬ(『生命の實相』第一巻)】

「既に自分は幸福である」此の言葉を繰返し唱えよ。
「既に自分は幸福である」と。

毎日それを繰返し重ねて行くことによって、
その人は現実生活に於いても本当に幸福になるのである。

          <感謝合掌 令和5年2月1日 頓首再拝>

地獄にきた男 何でも願いがすぐに叶うと - 伝統

2023/02/11 (Sat) 04:39:53


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年2月10日)より
        米国テレビ番組で「トワイライトゾーン」第28話「地獄にきた男」

犯罪者のロッキーは警官に撃たれて死んでしまいます。

彼は目覚めると見たことのない場所に自分がいる事に気付きます。

そこへ見知らぬ男性が現れ、
ロッキーに何か望みはないか?と聞いてきます。

ロッキーいろんな願望を言うとそれを何でもすぐに叶えてくれます。

たとえば大金を手に入れたいと思えばすぐに叶い、
豪華な食事をしたいと思えば目の前に現れ、
美女に囲まれたいと思えば、すぐに実現します。

ここは天国で、見知らぬ男性は天使だと気づきます。

だから何でも望みが叶うのだと思うのです。


そこで今度は好きなギャンブルを開始します。

いくらギャンブルをやってもロッキーは勝ち続けます。
何度やっても勝って勝って勝ちまくるのです。

いっこうに負けることも無いギャンブルをして、
次第にロッキーも飽きてきてしまいます。


何でもすぐ手に入る生活に、次第に飽き飽きしてしまうのです。

そこでロッキーは、やりがいのある仕事がしたいと願います。

しかし、天使はこう告げました
「ここでは何でも叶うが、欲しいものを手に入れるために
 働く機会だけは与えられないのだ」と。

努力してようやく手に入れる喜びが無い世界なのです。


次第にイライラが募って来たロッキーは、
ついに天国から出る事を望みます。

天使に向かって、
「別な場所(地獄)に行かせてくれ」っと頼みます。

すると天使と思っていた人物の顔が、邪悪な顔に変わり
「ここがその別な場所なのだよ」と教えます。

つまりロッキーは、死んで何でも願いが叶う天国に行った
と思っていたら、実はそこは地獄だっというものです。

何でもすぐに手に入れられると、
人はその価値が薄く感じて、喜びを得られなくなります。

たとえば海外のセレブの生活を移したテレビ番組を見ると、
金持ちの親が、子供の欲しいものを何でも買ってあげているのです。

子供も何でも好きなものをねだれば、それが簡単に手に入ります。

その姿を見ていると、子供は手に入れた高価な品ものに、
それほど喜びを感じておらず、
当たり前のように思っているようでした。

つまり、いつでも何でも手に入る状況では、
それを得た時の喜びは薄らいできてしますのです。

人間は努力して、やっと求めていたものが手に入った時ほど、
喜びも大きなものとなります。

お金持ちの親に、何でも買ってもらえる子どもというのは、
このトワイライトゾーンのお話のように、
自分の努力で手に入れる喜びを失った世界にいるのかも知れません。

人の幸せというのは、努力がともなってこそ深まるというものです

仕事をするのが嫌と思う事もあるでしょうが、

人は体が動かせて、人様のお役に立つ仕事が出来るほど、
幸せな事も稀なのです。

ただ求める物をすぐに得れば幸せだと思って、
犯罪に走ったり、人を騙してでも得ようとすると、
ほんとうの幸せは得られません。

その事をこのお話は教えてくれているように思います。

https://www.spacebrothers.jp/2023/02/blog-post_10.html

          <感謝合掌 令和5年2月10日 頓首再拝>

幸せは奪えば減っていき与えれば増えていく話 - 伝統

2023/02/22 (Wed) 14:07:16


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年2月22日)より

人はどうしても他人からの愛を求めるものです。

「これだけ努力している事を褒めて欲しい」
「こんなに才能がある自分を認めて」
そのように承認される欲求が人にはあるものです。

ですが、なかなか世間では、
人の事を褒めたり、認めてあげたりすることは少ないものです。

一生懸命に仕事をしても、どれだけ会社や家族に貢献したとしても、
褒められることは少ないのでしょう。

しかし、それが時には、行き過ぎてしまって、
他人から認められたいとする欲が高まり、
愛を奪う気持ちになってしまっている事があります。

そしていつしか、自分だけ求めてばかりで、
既に与えられている事に感謝を忘れてしまいがちです。

今日はそうした話を物語にしましたので、読んでいただけたら幸いです。


「幸せのかけら」

彼女は一生懸命に努力していた。
家事も育児も完璧にこなし、夫や子供たちに愛情を注いでいた。
でも、それが誰からも評価されることはなかった。

夫は仕事に忙しく、子供たちは学校や友達のことで頭がいっぱいだった。

彼女は自分の存在意義を見出せず、孤独を感じていた。

ある日、彼女は近所の主婦と話す機会があった。
その主婦は彼女と同じように家事や育児に奮闘している人だったが、
何故か明るく楽しそうだった。

彼女はその主婦に尋ねた。

「どうしてそんなに幸せそうなの?私は一生懸命やってるのに、
 誰も私を褒めてくれないし、感謝してくれないし・・・」

するとその主婦は笑って答えた。

「私も最初はそう思っていましたよ。
 でもね、最近気づいたの。
 自分が他人からの愛を求めてばかりで、
 他人のことを愛してあげてなかったんだって。

 だから今では、夫や子供や友達や隣人の良いところを見つけて
 褒めてあげるようにしています。

 すると不思議なことに、自分も愛されてるって感じられるようになったのよ」

彼女はその言葉に驚いた。
自分が他人から求めていたものは、
自分が他人に与えられていなかったものだったのかもしれない。

今まで当然だと思って受け取ってきた夫や子供や友達からの愛情に
気付かなかっただけではないか。

彼女は心を入れ替える決意をした。
これからは自分が愛されることばかり考えず、
周りの人々を愛することを考えようと思った。

そして家族や友達や隣人に感謝し、褒め言葉や
励ましの言葉を掛けるようにした。

すると不思議なことに、彼女の周りでは素敵な出来事が起き始めた。
夫は仕事で大きな成果を上げて昇進した。
子供達は学業や部活で活躍したり新しい友達を作ったりした。
友達や隣人からも親切や助け合いが増えてきた。

そして何よりも嬉しかったことは、
家族から「ありがとう」と「大好き」と言われるようになったことだった。

彼女は幸せだった。
家族や友達や隣人との関係が良くなり、
自分も愛されていることを実感していた。


https://www.spacebrothers.jp/2023/02/blog-post_22.html

          <感謝合掌 令和5年2月22日 頓首再拝>

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)う - 伝統

2023/03/06 (Mon) 05:04:04


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月6日)」より

明るさはあらゆるものに喜ばれる。

招かれないでも明るい人は、光線のようにどこへ行ってもそこで喜ばれる。
招かれても暗い人は、どこへ行ってもやがては嫌われる。

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)い、暗い人には常に不幸がつきまとう。

            <感謝合掌 平成26年3月6日 頓首再拝>

【幸・不幸はすべて自分が決めている】 - 伝統

2023/03/07 (Tue) 07:53:52


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.1.27)より

   (渡辺和子氏の心に響く言葉より…
    岡山ノートルダム清心女子大学創立者、2016没)

   【幸・不幸は、自分に由(よ)る】

   人間にとって、どなたかが温かい優しい手を
   差し伸べてくださった時に、それを素直にありがたく
   いただくことも大切なことです。

   しかしながら、いつも他の方が助けてくださると思いこみ、
   他人の好意をあてにして、それがいただけない時に
   その方を恨んだりすることは間違いです。


   リベラル・アーツ・カレッジという性格を持つ
   ノートルダム清心女子大学は、自由人の育成を目指しています。

   そしてそれは、読んで字の如く、
   自らに由って自分の人生を生きていく人たちです。

   他人に由るのでなく、他人に甘えるのでなく、
   自分の幸・不幸は、自分に由るという
   淋しさとつらさと、そして喜びを持って生きてゆく人たちなのです。


   ヴィクトール・E・フランクルという人が
   人間の自由について、このように書いています。

   「人間の自由というのは、諸条件からの自由ではなくて、
    これら諸条件に対して、自分のあり方を決めていく自由である」


   神ならぬ身の私たちは、
   いろいろな条件のもとでしか生きていくことができません。

   中には、生まれつき逃れることのできない条件を身に負って
   生まれていらした方たちもあります。

   人は誰もが、周囲の人やさまざまな環境という条件のもとで
   生きていかざるを得ないし、病気とか災難といった思わぬ条件に
   出遭うこともあるでしょう。

   それらの条件と闘って、排除していくこともたいせつです。

   しかしながら、それができない時、
   それらの条件に対して自分がいかにあるか、
   それらをどのように受けとめていくか…
   ということが、自由人であることの証(あかし)になります。


   《依頼心や甘えを捨てた時、力が生まれ、道がひらける。》

  (長く暗いトンネルを抜けた人だけが、
   抜けた時の喜びや明るさを知ることができる。)

       <『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所>

       ・・・

ヴィクトール・E・フランクルは
アウシュビッツに収監され、奇跡的に生還した精神科医だ。

自分以外の家族は全員収容所で亡くなった。

収容所の経験をもとに書かれた「夜と霧」は
世界中でベストセラーとなり、今でも読み継がれている。


そして、こんな言葉を残している…


「あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない。
 何かや誰かのためにできることがきっとある。
 時があなたを待っている。」


「どのような状況になろうとも
 人間にはひとつだけ自由が残されている。
 それはどう行動するかだ。」


「真の勇気が試されるのは逆境のときではない。
 幸運なときどれだけ謙虚でいられるかで試される。」



身体に障碍を持って生まれてきた人もいる。

平和な日本ではなく、
戦争の真っただ中の戦地に放り込まれた人もいる。

フランクルのように、収容所に入れられてしまった人もいる。


いずれも、本人の努力とはまったく関係のないところで生じたことだ。

「それらの条件に対して自分がいかにあるか、
 それらをどのように受けとめていくか」

そして、その幸・不幸はすべて自分が決めている。


今、生かされている幸せに感謝し…

「幸・不幸はすべて自分が決めている」

という言葉を胸に刻みたい。

           <感謝合掌 令和5年3月7日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.