伝統板・第二

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言葉の力⑥ - 伝統

2021/10/21 (Thu) 04:51:04

唯、善き言葉のみを語れ

       *『生長の家』(昭和25年9月3日の法語)より

吾らは苟(いやしく)も言葉を語るならば、
善き言葉を語らなければならない。

苟も言葉を語るならば
誰かを幸福にする言葉を語らなければならない。


人を傷け、人を悲しませ、人を憤(いか)らしめるような言葉を語ってはならない。
人を軽蔑(けいべつ)する言葉を語ってはならない。
怒気を含んだ言葉を語ってはならない。


「世の中に軽蔑さるべきものは存在しないのである。
 唯、軽蔑すると云う心のほかには。」と

知恵の言葉に書かれているのである。


吾等が唯、優しき言葉、愛の言葉のみを語るとき、
其処(そこ)に天国が実現するのである。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=100


・・・

<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板「言葉の持つ力 (5205)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1100  

(2)光明掲示板・第一「言葉の力」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=216    

(3)光明掲示板・第二「言葉の創化力」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=27 (消滅)

   伝統板・第二「言葉の創化力」(光明掲示板・第二)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7825464

(4)光明掲示板・第三「言葉の力 (213)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=77

(5)光明掲示板・伝統・第一「言葉の力 (71)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=44

(6)伝統板・第二「言葉の力①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6459722

(7)伝統板・第二「言葉の力②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6844600

(8)伝統板・第二「言葉の力③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7602123

(9)伝統板・第二「言葉の力④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7815156

(10)伝統板・第二「言葉の力⑤」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989520

           <感謝合掌 令和3年10月21日 頓首再拝>

聖者は言葉の音楽で人生を飾る - 伝統

2021/10/24 (Sun) 05:02:46


       *『生長の家』(昭和25年9月4日の法語)より

言葉も動作も優美でなければならない。美は調和であり、音楽である。

すべての人の言葉と動作が調和ある音楽を奏でるようになったとき、
其処に天国浄土が実現するのである。

実相に於いては人間はすべて完全であるのである。


聖者は言葉を慎みて悪しき言葉を使わないが、
世俗の人はみずからを高くせんとして相手を侮辱又は
見下した言葉を使う。

その結果却って自分自身が侮辱せられ、又、わざわいを招くのである。


実相を表現するものも言葉であれば、実相をくらますのも言葉であ

           <感謝合掌 令和3年10月24日 頓首再拝>

ひとつのことば - 伝統

2021/10/26 (Tue) 06:24:26


      *北島万紀子作詞・大中恩作曲「小さなねがい」より

たった ひとつのことばが
うれしくて
うれしくて
ありがとう ありがとう


羽根になった
あなたの
ことばを 抱いて
あの
光る雲の 彼方を
飛んでみたい


あったかい
ひとつの ことばを抱いて

<参照>

https://www.youtube.com/watch?v=Fys5vxjhQXQ

           <感謝合掌 令和3年10月26日 頓首再拝>

言葉の神秘を知る - 伝統

2021/10/31 (Sun) 03:35:44


    *「光明道中記」(10月31日《言葉の神秘を知る日》)」より

【言葉の力によって認めるものだけが存在に入る。 
                (『生命の實相』第二巻)】 

早稲田政治科出身の先輩、上田謙氏は言語学を深く研究している人である。
次のような草稿を送ってこられた。

―― 言(こと)とは音(おと)に子音Kなる無意味の接頭語を飾りたるものです。
葉とは端(はし)くれ即ち現象の意。

然らば音とは何ぞや。
是れ印度(いんど)、波斯(ペルシア)、希臘(ギリシア)等に於ける
拝火教によびなされし音即ち odo と称する veda 教典に説く
万有に貫通する生命乃至実在の事也(なり)。

希臘”オデ”イ・イリ”アド”は皆此の音乃至 odo の事にして、
是が又歌とも同じものです。

其の証拠には「斯う云う事を歌って置き乍(なが)ら」云々の言葉の中の
「歌う」とは「言う」乃至言葉の意味なるに依(よ)りても知らる。

又音無(おとな)しい人とは、喋らぬ人の謂(いい)にて、
是も音とは言葉である事が証さる。

かく日本人の上層を成せるものの名は正しく梵語と同一語源で
出羽(でわ)は deva(神)、佐分利(さぶり)は svara(日神<ひのかみ>) 

幣原(しではら)は svara では余り梵語其の儘故、これを隠して「て」を入れて
「し(て)はら」であり、されば神の意である弊(しで)の字があるので、
此の弊(へい)の字が「しで」と読む理由が解る訳で字引には謎である。
んと撥(は)ねて「しんばら」となる。

御社(おんしゃ)の「光明」も「しばら」で光明真言に言う「じんばら」は
此の「しばら」で光明(神)の事です。

・・・・・

谷口雅春先生が説かれる「言霊」については、
先代の掲示板「光明掲示板・第一」内のスレッド
「『言靈と神通力』」で学ぶことができます。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=613 

            <感謝合掌 令和3年10月31日 頓首再拝>

ひとつのことば 北原白秋 (朗読) - 伝統

2021/11/05 (Fri) 04:43:56

ひとつのことば 北原白秋 (朗読)

    https://www.youtube.com/watch?v=6Ic14rVs27I


ひとつのことばで けんかして

ひとつのことばで なかなおり

ひとつのことばで 頭が下がり

ひとつのことばで 心が痛む

ひとつのことばで 楽しく笑い

ひとつのことばで 泣かされる


ひとつのことばは それぞれに

ひとつの心を もっている

きれいなことばは きれいな心

やさしいことばは やさしい心

ひとつのことばを 大切に

ひとつのことばを 美しく

            <感謝合掌 令和3年11月5日 頓首再拝>

法は真理の法体であり、コトバである - 伝統

2021/11/16 (Tue) 04:52:01


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月16日)より

法(ほう)があっても法はコトバであるから説く者がなければ法は成就しない。
説く者があっても聴かせる者がなければ成就しない。

法は真理の法体であり、コトバである。
これを説く者は仏である。

成仏とは仏が法(しんり)を説き始めたことである。
大通智勝如来といえども法を説くまでは成仏しなかったのである。

仏法を説くとも、これを聴取させる媒介者がなければ衆生の耳に入らないのである。
その聴取の媒介者 ―― 取次者が僧である。
衆生それを聞いて法を行じて仏成就す。

法、仏、僧、衆生・・・・・と次第に法が循環するのが転法輪である。

           <感謝合掌 令和3年11月16日 頓首再拝>

ただ優しき言葉のみを語れ。 - 伝統

2021/12/05 (Sun) 04:44:32


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月5日)より抜粋

ただ真理のみを語れ。
多言なるべからず。
多言なれば調子にのりて虚偽を語ることあるべし。

ただ優しき言葉のみを語れ。
烈(はげ)しき語調の言葉は深切より出ずる場合にも、
憎悪をもって語らるる言葉なりと誤解せられることあり。

心のうちにでも言葉に現わしても、行ないにあらわしても、
人を傷つけてはならない。

誠実であれ。虚偽であってはならない。
素直に、直截に、かまえることなく、
そのままの心で生活し、行ない、言わねばならぬ。

           <感謝合掌 令和3年12月5日 頓首再拝>

【「調子はどう?」と聞かれたら】 - 伝統

2021/12/07 (Tue) 04:43:22


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.08.27)より

   (ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…)

   ネガティブ、平凡、ポジティブの
   各カテゴリーの典型的な答え方について調べた。

   あなたはこれらのセリフのうち、どれを最も頻繁に使っているだろうか。

   あなたの友人や家族はどういう答え方をしているだろうか。


   もし自分がネガティブか平凡なグループに入っていることに
   気づいたなら、答え方をすぐに改めてポジティブなグループに
   入ることを考えよう。

   理由はこうだ。

   「調子はどう?」と聞かれて、
   「ひどいもんだ」とか「あまりいい気分じゃないよ」などと答えれば、
   生理的に悪影響が出る。

   肩が落ち、首がうなだれ、落ち込んでいる姿勢になりやすい。


   感情面ではどうだろうか。

   「最低の気分だ」と言ったあとで、あなたは気分がよくなるだろうか。

   もちろん、そんなことはない。

   ネガティブな言葉と思考はネガティブな感情を生み、
   やがてネガティブな結果を生じる。

   だから、あなたはさらに気分が滅入ってくるはずだ。


   それを断ち切るかどうかは、あなた次第だ。

   前途有望なビジネスの取引が破談になったとか、
   子どもが学校で悪い成績をもらったなど、
   「最低の気分だ」と言いたくなる状況が現実に存在しても、
   ネガティブな心の姿勢では状況を改善できない。

   さらに悪いことに、あなたの平凡かネガティブな答え方は
   まわりの人びとをうんざりさせてしまう。

   あなたのまわりにいてあなたの悲劇的な言葉を聞いているだけで、
   人びとは気分が滅入ってしまうのだ。



   ネガティブな結果がすべて自分の言葉から生じるなら、
   なぜそのような言葉を使い続けるのか。

   理由は、言葉とその結果を自分自身が選択できる
   ということを認識していないからだ。

   身についた習慣に従っているだけなのだ。
   何の役にも立たない習慣なのに…。


   あなた自身の言葉が現実になる。

   もしあなたが「何もかもひどい」と言えば、
   あなたの心はその言葉を実現するような人や境遇に引きつけられる。

   その反対に「人生は素晴らしい」と何度も繰り返して言えば、
   あなたの心はポジティブな方向に進み始める。


   たとえば、「素晴らしい」とか「最高だ」と答えるとき、
   何が起こるか考えてみよう。

   これらの言葉を口にすると、
   あなたの生理機能はその楽天的な言葉に合わせる。

   体調がよくなり、動作がきびきびする。

   表情はいきいきとしてくる。

   まわりの人はあなたのエネルギーとバイタリティに引きつけられる。

   職場や私生活での人間関係は改善される。


   これは、「大きな差を生む小さな違い」のひとつであると断言できる。

   15年ほど前、私は元気なさそうに「まあまあだよ」と答えていた。

   これが何を意味するかは、もうおわかりだろう。

   私は「まあまあ」の人間関係を築き、
   「まあまあ」の成功を収め、
   「まあまあ」の心の姿勢で、
   「まあまあ」の人生を送るように設定していたのだ。

   しかし、私は幸運なことに、
   「まあまあ」の人生で妥協する必要はないことを学んだ。

   そこで、数段階レベルアップし、「絶好調だ」と答え始めた。

   しかも、元気よく言った。


   最初は少しぎこちなかったし、奇異な目で見る人もいた。

   しかし、一週間もすると板についてきて、すごく気分がよくなったし、
   みんなが私と話すことに興味を持ってくれるようになった。

   私はこれには驚いた。


   これはけっして複雑で高度な技術ではない。

   心の姿勢をポジティブにするためには、才能もお金もルックスもいらない。

   ポジティブで元気のいい答え方をする習慣を身につけさえすれば、
   私と同じようにエキサイティングな結果が得られるのだ。

     <『できる人とできない人の小さな違い』ディスカヴァー
                   https://amzn.to/3ljFidb >

              ・・・

多くの人は、調子もそんなによくないのに
「絶好調!」だとか「最高だよ!」などと言うことはできない、と。

しかしジェフ・ケラー氏は、こう語る。

『ある女性は、一日の激務を終えて、やっと家に帰った。

 すっかり疲れ果てている。

 座って新聞を開き、宝くじの当選番号を調べる。

 なんと、当選している!

 賞金は1千ドルだ!

 彼女はどうするか。

 大歓声をあげて椅子から飛び上がるに違いない。

 エネルギーのかたまりのようになって、
 彼女は家族や友人に電話をかけ、賞金の使い道を考える。

 しかし、ちょっと待ってほしい。

 10秒ほど前、この女性は疲れ果てていたはずだ。

 それが今では、10代のチアリーダーのように元気だ。

 この10秒間に何が起こったのだろうか。

 栄養注射でもしてもらったのか。

 そうではない。

 彼女の変身は極めて精神的なものなのだ!

 これは彼女が何に焦点を当てたかという問題なのだ。

 疲れていることに焦点を当てることも、
 その反対に人生が恵まれていることに焦点を当てることもできるのだ。

 私たちがどう感じるかは、主観的な問題であることが非常に多い。

 「疲れている」と自分に言い聞かせれば、疲れを感じるようになる。

 「最高の気分だ」と言い聞かせれば、元気が出てくる。

 私たちは自分が考えているような人間になるのだ。』


モノの見方は、すべてどこに焦点を当てるかだ。

小林正観さんは、それを「モノやできごとには色が付いていない」という。

たとえば

「病気や事故」であっても、
 それを「この程度ですんで良かった、ありがたい」と思う人と
「ツイていない、最悪だ」という人がいる。

できごとは変わらないのに、
どこに焦点を当てるかで、見方はまるっきり違ってしまう。


「調子はどう?」と聞かれたら…

「絶好調!」と答えたい。

           <感謝合掌 令和3年12月7日 頓首再拝>

「こその妙味」 - 伝統

2021/12/12 (Sun) 04:42:51


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月12日)より

井上源蔵さんから「こその妙味」という題で興味ある原稿が来た。
本当に「こそ」の二字の置き所で地獄が極楽になり、極楽が地獄になるのである。
これが言葉の力というものである。

井上源蔵さんは中風で7年間半身不随で
腰が海老(えび)のように曲がっていた老人であったが、
この「こそ」の妙味を体得して中風が癒え腰が伸びたのである。


(こそという言葉を自分につけたとき争いの因(もと)となる)

夫  貴様みたよなお多福婆(おたふくばば)をわしでありゃ《こそ》置いてやる
妻  わしじゃから《こそ》辛抱もするが誰が見るぞえ痩せ世帯(じょたい)

親  誰がお蔭でそうまでなったおれが学問させりゃ《こそ》
子  学問させてもみんなはできぬわしが勉強したりゃ《こそ》

地主  あれがああして暮らしてゆくもこちが畑田(たはた)を貸せば《こそ》
小作人 地主の田畑が荒れずにいるのもわしが小作をすれば《こそ》



(こそという言葉を相手につけたとき互いに仲よく和解する)

夫  外でわたしが働かれるも内をそなたが守りゃ《こそ》
妻  私みたいな不束者(ふつつかもの)をあなたなりゃ《こそ》深切に


親  あの子なりゃ《こそ》出世もしたよ苦労したのも甲斐がある
子  今日(きょう)のわたしの出世もみんな親の苦労があれば《こそ》

地主  田畑つくらず暮らしのたつのも小作する人あれば《こそ》
小作人 わが田なくても暮らしてゆけるこれも地主あれば《こそ》


 (これによって)

《こそ》と威張ってこちらにつけりゃなにをこしゃくと喧嘩腰

《こそ》とあがめて相手につけりゃにっこり笑ってあなた《こそ》

喧嘩するのも仲よくするも《こそ》の付けどこただひとつ


夫婦、親子、妻子、地主、小作人は言うにおよばず、資本家と労働者の関係も
債権者と債務者の関係もないし教師と生徒、主人と番頭、奥様と女中などの関係も
皆こうしたものであろうと思われる。


井上源蔵さんは自分の背の伸びたのを都々逸(どどいつ)に歌って曰く ―― 

   背だけのばしてもろうたこの身骨(みほね)を惜(お)しまにゃ気が楽よ
   細い道でも我(われ)から退(よ)けて人を通せば気が楽よ

   理づめ言わずに理のある事もまけてしまえば気が楽よ
   腹を立てるは至らぬからと思いいりゃこそ気が楽よ
   我意(がい)や気ままや無理いう人に勝とうと思わにゃ気が楽よ

   正直あつい寒いのいといなくはたらく人はよろず円満
   他事(ひとごと)と思えばやがてわが事よまことつくせばやがてわが事(こと)

            <感謝合掌 令和3年12月12日 頓首再拝>

《医師のコトバは患者の症状を左右する》 - 伝統

2021/12/20 (Mon) 05:04:30


         *「生長の家」(昭和51年6月10日の法語)より

   ある人が近頃、肉体に元気がなく、衰弱を感ずるので
   医師の診察を請うと「これは肝硬変であるから絶対治らない。
   入院しても、入院しなくとも結局は死ぬ」という診断を受けた。

   この診断を下された当人は、妻の下に帰ってくると、
   顔色蒼白、気力喪失、診察を受けるまではそれほどでもなかった
   衰弱状態が倍加していたというのである。

   この場合の現象を考察してみると、

   (一)医師の診断というのはコトバで成さ れた。
   コトバによってその後の衰弱現象は、成ったのである。

   (二)コトバが患者の”心”を動かして、
   不安恐怖で満たしたのである。
   コトバは患者の”心 ”を動かしたのである。

   (三)”心”が不安恐怖で満たされた結果、 彼の肉体の
   症状が悪化して一層疲労憔悴を増したのである。
   即ち”心” は生理作用に影 響を与えるのである。

   以上、コトバを”心”を動かして次に起こる現象発生の
   第一原因者として解釈したのである。

   しかしこの医師の発したコトバというのは、本人のコトバではなく、
   第三者たる医師が発したコトバの影響である。

   わたしたちは第三者の不幸や病気を暗示するコトバに
   左右されてはならないのである。他より来る暗黒のコトバを
   防衛する方法を知っておかなければならない。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

            <感謝合掌 令和3年12月20日 頓首再拝>

《"心”はコトバと顕れて生理作用 を変化させる》 - 伝統

2021/12/26 (Sun) 04:52:47


         *「生長の家」(昭和51年6月11日の法語)より

   では、第三者たる医師のコトバに左右されず 、
   自分自身のコトバによって、自分自身の肉体の症状又は生理作用を
   健康の方向に支配することができないものだろうか。

   この場合は「自分の心」が先ず決意して
   「私は神の子である。病気はないのだ」という明るいコトバを
   心の中で発し、常に繰返し念ずるのである。

   即ち、「心 動き出でてコトバと成れば一切の現象展開して万物なる」
   と示されている『甘露の法雨』の聖句の順序に従って、
   ”心”先ず動いてそれ以後の現象が展開することに成っているのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

            <感謝合掌 令和3年12月26日 頓首再拝>

『言葉のご馳走』 - 伝統

2021/12/29 (Wed) 04:52:39


      *Web:鈴の鳴る道(2013.10.17)より抜粋
           ~太田典生

(1)感謝の言葉

   「忙しいところありがとう」「助かったよ,ご苦労さん」。

   このような言葉で苦労も吹き飛んでしまう。

   何度言っても言い過ぎることはありません。


(2)相談する言葉

   「あなたの意見を聞きたい」「あなたならどう思う」。

   誰でも嫌な気はしません。


(3)期待と激励の言葉

   「ひとつ,あなたに期待したい」。

   多少の心配があってもおのずと元気と自信が沸いてきます。


(4)信頼する言葉

   「あなたに任せた,頼むよ」「あなたならきっとできるよ」。

   人は任されて「よし,やってやるか」と頑張る ものです。


(5)誉め言葉

   「よくやった」「ここのところがなんとも言えないね」。

   自信が湧いてきて積極的になります。


「この5つの言葉は、素晴らしい効果を発揮する黄金の言葉と言われています。

 あなたは、『言葉のご馳走』を惜しんでいませんか。
 
 言葉は使っても減らない大事な宝物です。」

http://www.sendai-c.ed.jp/~yagiyama/tayori/H25tayori/1nentayori/H25-1-42-1017.pdf

            <感謝合掌 令和3年12月29日 頓首再拝>

自分にどんな言葉をかけるかで人生が変わる - 伝統

2022/01/14 (Fri) 04:49:54


      *『あなたはあなたが使っている言葉でできている』
         ゲイリー・ジョン・ビショップ(著)より

自分と何を話すかが人生の質を決定的に左右するということが、
神経科学や心理学の研究で証明されてきている。

アラバマ大学のウィル・ハート教授は、
被験者に楽しかった出来事とつらい出来事、
そのどちらでもない中間的な出来事を思い出してもらう実験を行った。

すると、何かの出来事をまるで今それが起こっているかのように語る人は、
中間的な出来事を楽しい思い出のように、
つらい出来事を実際よりもっとつらいように感じているのがわかったという。

つまり、どう表現するかで自分が置かれた状況のとらえ方が感じ方は
変わってくるし、人生の過ごし方やさまざまな問題への対応の仕方も
ずいぶん変わってくるということだ。

        ・・・

自分とポジティブな会話を行えば、気分がよくなり、自信が増し、
生産性が高まるという好影響が出ることが次々と解明されている。

ハート教授の研究からわかるように、
言葉は幸せな人生を送るためのカギになる。

ところがその逆もまたしかりで、
自分とのネガティブな会話は気持ちを落ち込ませ、絶望を抱く。

ささいな問題を大問題のように見せ、ありもしない問題をつくり出す。

話し方によっては、想像を絶する苦しみを味わいかねない。

https://understandlove.hatenablog.com/entry/2021/01/04/070000 より抜粋)

            <感謝合掌 令和4年1月14日 頓首再拝>

《人生は料理屋の如きものである》 - 伝統

2022/01/19 (Wed) 04:34:51


        *「眞理」第2巻基礎篇第3章(P58~59)より

人生は大きな整った料理屋へ入って往ったようなものである。
其処にはどんな種類の御馳走もあるのである。

贅沢な料理から、実に貧しい料理に至るまで
ピンからキリまであるのである。

あなたが其の料理屋へ入って往って食卓の前に坐ったとする。
しかし何時まで経ってもどんな料理も運んで来ないのである。
あなたは腹を減らしている。

ほかの人たちは
皆それぞれ美味しい料理を運んで来て貰って食べている。
野菜が好きなのか菜食料理を食べている人もある。

併(しか)しあなたの前には何の料理も持って来ない。

何故(なぜ)だかわかりますか。
それはあなたが言葉の力で、
自分の欲する料理を註文なさらないからです。

            <感謝合掌 令和4年1月19日 頓首再拝>

悲観的なことばを発するな、よき言葉を語れ。 - 伝統

2022/01/23 (Sun) 06:38:08


      *「光明法語」(1月23日)より
       ~《在(あ)るものはただ神のみと思念せよ》

人々よ、よき言葉を語れ。
悪しきことばに惑わされること勿れ。

悲観的なことばを発するな。
悲観的なことばに惑わされること勿れ。

ことばは種であるから悪しきことばは言わぬがいい。
悪しきことばを聞いたならば直ちに心の中でそれを打消すことである。

人もし悪しきことばを語るともその人を非難するな。
人の悪しきことばは吾が心の中にある隠れたる所の想念の影であると思いて
自ら明るくなるように反省せよ。

神のみが實在であるから悪しきものは存在しないものだと否定せよ。

            <感謝合掌 令和4年1月23日 頓首再拝>

【心の食べ物は言葉】 - 伝統

2022/01/24 (Mon) 04:17:38


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.12.31)より

   (致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   鎌倉の円覚寺の禅道場の入口には板があり、
   次のように記されています。


   「生死事大(しょうじじだい)

    無常迅速(むじょうじんそく)

    時人(ときひと)を待たず

    謹(つつし)んで放逸(ほういつ)するなかれ」


   古来、禅者はこの言葉に自らを叱咤し、 修行に励んできたといいますが、
   この言葉はこの世に生を得たすべての人が 等しく
   反芻(はんすう)すべき言葉でしょう。

   いわば、この世に生を得たすべての人に
   与えられた公案といっていいと思います。


   書家の相田みつをさんは
   この言葉を誰にでもわかる言葉で詩にされています。

   「生きているうち

    はたらけるうち

    日のくれぬうち」



   人生も半ばを過ぎると、こういう言葉が身に迫ってきます。

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            ・・・

藤尾秀昭氏は、本書のあとがきに次のように記している。


『「心の糧」の「糧」は、文字通り食べ物のことです。

 身体の食べ物は食料です。
 人は健全な食料を食することによって健康な身体を維持します。
 悪い食べ物ばかり食べていると身体を壊します。

 心の食べ物は言葉です。

 人は昔から、言葉を心の糧として生きてきました。
 よい言葉を食べていると心は生き生きとして元気が出てきますが、
 悪い言葉ばかり食していると、病んできます。

 私たちはできるだけよい言葉、よい教えにふれ、
 それを糧とすべく心術の工夫をしていかねばなりません。

 北宋の学者で政治家でもあった欧陽脩(おうようしゅう)の言葉があります。

 「人の性は物に因(よ)りて則(すなわ)ち遷(うつ)る。
  学ばざれば則ち君子を捨(や)めて小人と為る」

 人の性質はふれる物によって変わる。

 聖賢の教え、よき言葉にふれて学ばないと、
 いつの間にかつまらない人物になってしまう、ということ です。

 心したい言葉です。』



「生死は人生にとっての一大事。

 時は、無常にも、あっという間に過ぎ去っていき、待ってはくれない。

 各人このことに目覚めて、無駄に時を過ごしてはいけない。」


人生は、あっという間のドラマ。

この地球で過ごせる時間は限られている。

(中略)

一刻一刻を無駄にせず、

「よき言葉」がたえまなく降り注(そそ)ぐ年でありたい。

            <感謝合掌 令和4年1月24日 頓首再拝>

《心で註文する言葉を変えよ》 - 伝統

2022/01/30 (Sun) 04:40:30


        *「眞理」第2巻基礎篇第3章(P62~63)より

欲するものを強く主張する人は
ついにそれを得(う)ることが出来るのである。

人生の色々の料理 ―― 貧乏、富、病気、健康、調和、争闘
・・・その他(た)何でも貴方が心に強く描いて主張すれば
「人生」と云う名前の料理屋の「法則」と云う給仕人が
それを持って来てくれるのである。

はっきり貴方は心の内で、
どの料理の名前を唱えているか考えて御覧なさい。

貧乏、病気、不幸などと始終心の中で唱えてはいませんか。
心で呟くことは、それを心で唱(とな)えていることになります。

そんな料理の名前を貴方が唱えている限り、
「法則」と云う給仕人が貴方の前に出してくれる料理は
やっぱり貧乏、病気、不幸と云う種類のものであります。

不幸の人々よ、あなたが始終心の中で唱えている
「註文」の言葉を「明るいもの」に更えて御覧なさい。

            <感謝合掌 令和4年1月30日 頓首再拝>

《自分の言葉で、運命の切符を買う》 - 伝統

2022/02/13 (Sun) 02:45:39


          *「眞理」第2巻基礎篇第3章(P78)より

不幸なときほど心を不幸から転ずることが必要であります。

胃病の人は「胃が悪い、胃が悪い」と胃病にばかり心を統一していますから、
「思うことは現れる」と云う原則で何時(いつ)までも胃病が去らないのです。

貧乏の人は「貧乏でやり切れない・・・々々」と
常に貧乏にばかり精神を統一していますから
何時(いつ)までたっても貧乏が去らないのです。

心で唱えるものが出て来るのは、
駅の切符売場に立って自分の言葉で唱える行先の切符が出て来て、
自然に自分の行動もその行先の汽車に乗ることになり、
ついに言葉で唱えた処へ到着するのであります。

あなたが「言葉」で言うこと、又は心の中で唱える「言葉」は、
あなたの行先を決定する「運命の切符」を買うことになるのであります。

            <感謝合掌 令和4年2月13日 頓首再拝>

言葉は創造の力をもっている - 伝統

2022/02/18 (Fri) 02:41:25


    *「光明道中記」(2月18日《万(よろず)円満大調和の日》)より

【言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素である(『生命の實相』第八巻)】

言葉は創造の力をもっているのである。

”太郎”と呼べば”太郎”が出て来る。
”次郎”と呼べば”次郎”が出て来る。
”馬鹿野郎”と怒鳴りつければ、相手は狂い立って馬鹿な行為をする。

多くの家庭はその家の主人の言葉の乱暴さによって、
どんなに毒されているか知れないものである。

或る家庭では、その家の主人が妻を呼ぶのに
「オイ、馬鹿」と云う言葉以外で読んだことがない。

「馬鹿と言われて腹が立つが、私を呼んでいるに違いないから、主人の方を向き、
用事をきき、嫌々ながら仕事をしました」と言って述懐された奥様もある。

そう云う家庭の空気が棘(とげ)立ったものであり、
不愉快なものであり、不調和なものであり、従って、
その家の運命が暗いものであり、不明朗なものであり、
病人が絶えないのは当然である。

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にするものである。
先ず家長から目下の者に、朝起きたとき、
丁寧に「お早うございます」と言い得るようでないと本当でない。

何でも横柄に権利のような態度でせられると、味わいがすっかり無くなって了う。
細君が古くなるほど飽きられて来るのは、
何でも権利のような顔をして押が強くなるからである。

            <感謝合掌 令和4年2月18日 頓首再拝>

できるだけ善いことを喋る - 伝統

2022/02/23 (Wed) 07:56:52


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月23日)」より

ある教化団体のある講師があるところへ講演に出かけて行った。
彼はその教化団体で救われ人生観が一変し、性格が一変し、
生活が一変したものであるから。そのことを聴衆に語りたかった。

どんなに自分の生活が一変したかということを知らせるには、
自分の過去の生活を述べねばならない。

彼は「わたしはこんなに悪い者だったのです」といって
女を騙したことや、酒を飲んだことなどを
過去の生活を懺悔のつもりで50分間も喋り続けた。

そしてこんな浄まった生活になったのはこういう動機であるといって、
その転向の明暗を明朗(はっきり)させるつもりであったのだが、
彼が50分間も自分の過去の罪悪を喋っている間に、
聴衆は「そんな悪い人の話は聴く必要はない」と一人去り二人去りして、
彼が本当によくなったところを話すころには聴衆は四分の一に減ってしまった。

懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。

言葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。

美人の色の白さを引き立てるための斑点美粧(ビューティ・スポット)も、
それが顔半面イッパイに及ぶようになっては痣(あざ)としてまちがえられる。

光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  

           <感謝合掌 令和4年2月23日 頓首再拝>

人の善きところのみを語る - 伝統

2022/04/09 (Sat) 07:22:33


       *『女性の幸福365章』(P4《賛(ほ)めよ、讃えよ》)より

神を賛(ほ)めたたえよ。
人々を称(ほ)め讃(たた)えよ。

新しき日はきたれり。

すべての人の善きところを見て、悪しきところを見ることなかれ。

悪しきところを見る眼は乾き、嘲(あざけ)る者の口はゆがむ。

愚かなる者は賢(さと)き者のごとく、人を批評し、
みずからの生命(いのち)に悪しき記録を残すことを知らず、
女3人寄れば姦(かしま)しとの諺(ことわざ)にそむかず。

賢(さと)き者は嘲(あざけ)る者の前にありて倶(とも)に語らず。

ただ人の善きところのみを語る。

           <感謝合掌 令和4年4月9日 頓首再拝>

言(ことば)が万事の本 - 伝統

2022/05/03 (Tue) 06:31:00


      *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月3日)」より
       
「太初(はじめ)に言(ことば)あり、
言(ことば)は神なりき、万(よろず)のものこれによりて成る」と
「ヨハネ伝」の冒頭にあるとおり、言(ことば)が万事の本である。

言(ことば)というのは空気の振動ばかりのことではない。
心の振動も、顔の皮膚の振動も、身体(からだ)の態度も、文章も、
手紙もすべてコトバである。

しかし根本的には心の振動が、言語(げんご)という空気の振動ともなり、
表情という皮膚の振動ともなる。

見ゆる形は、見えない心的エネルギーが現れたのである。

心を平和に、言葉に善きことのみを発し、表情を明るくすることが大切である。

           <感謝合掌 令和4年5月3日 頓首再拝>

【精神科医に必要なものは《ことば》だけ】 - 伝統

2022/05/16 (Mon) 07:00:30


       *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.04.26)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   フロイトは1856年に生まれ、1939年まで生きました。
   83年の生涯でし た。

   オーストリアの人です。


   彼は「精神分析」というものを、初めて地球上で始めた人でした。

   『夢判断』とか 『精神分析入門』という、有名な本を残しています。

   精神科医として、フロイトはこんなことを言いました。


   「医者に必要なものは、メスとか、手術台とか、病室とか、薬とか、病院である。

    しかし、精神科医に必要なものはことばだけだ。

    患者をことばによって、真っ暗闇に突き落とすこともできるし、
    天国に昇らせることもできる。

    ことばはそれほどに重要なものである」

   と唱えたのです。

   「ことばを信じてはいけない」という人がいます。

   「ことばに信頼を置いてはいけない」という人がいます。


   しかし、こういう人もいました。

   「よいことばに出会うことは、よい友人に出会ったのと同じである」

   よいことばに出会ったことが、よい友人と出会ったのと同じ価値を持つ。

   すばらし いことばです。


   和歌山県の高野山に行ったとき、お店にポスターのようなかたちで、
   次のようなことばが書いてありました。

   記憶で書いているので、正確ではないかもしれませんが、
   こんなような意味でした。

   「出会いは人の心を広げてくれる。別れは人の心を深くしてくれる」


   「う〜ん」と、うなりました。

   本当にそうです。

   自分で気が付くのには何十年もかかりますが、
   こんなことばに出会ったら、自分なりに納得できます。

   何十年も待つ必要がなく、なるほどと理解ができるのです。

   「出会いはありがたいが、別れがいけないものである」

   というような価値観を、私たちは教え込まれました。

   離婚がいけないこととか、親子の別れが悲しいとか、
   そういうふうに教え込まれてしまったのですが、

   「別れは人の心を深くしてくれる」と考えたら、
   それはそれでまたよしということになるではありませんか。

   その一言で、別れというものが決して悪いものではないと思えるわけです。

   そのポスターを見たとき、たまたま数人の人と一緒にいたのですが、
   その中に離婚をした人がいました。

   その人がこんなことを言いました。


   「離婚をしたことにほんの少し残っていた後ろめたさがなくなりました。
    卒業できた気がします」

   短いことばによって、人間は救われることがあるのです。
   よい一言、よいことばは、 よい友人を一人得たのと同じくらいの
   重さと深みを持っています。

   フロイトが言ったのはそういうことだったのでしょう。


   ことばをバカにしないこと。

   荒っぽいことばを使わないこと。

   そういうことの積み重ねとして、
   私たちはとても穏やかで幸せな日々を迎えることができるのかもしれません。

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               ・・・

新約聖書にはこう記されているそうです。

「はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であった」


これは神道でいう「言霊(ことだま)」にも通じます。

日本では、古(いにしえ)より、言葉には霊力が宿っていると言われました。

日本は「言霊の幸はふ国」という言葉の霊力が幸福をもたらす国であり、
「言霊の助くる国」すなわち、言葉の霊力が助けてくれる国である、と。


何気ない「ひとこと」によって、刃物をつかわなくても、人は深い傷を負ったり、
立ち上がれないほどの心の病におかされたりします。

逆に、「ひとこと」で、心が温かくなったり、元気になったり、
あるいは病気まで治ってしまうことさえあります。


日本は「言霊の助くる国」です。

丁寧で、あたたかな愛ある言葉を使い…

少しでもまわりを、明るく元気にする人でありたいと思います。

           <感謝合掌 令和4年5月16日 頓首再拝>

『言葉の持つパワーと最初の合意』 - 伝統

2022/05/30 (Mon) 10:03:20


     *Web:ラミーコのブログ3(2021-10-30)より

聖書は「初めに言葉ありき」と謳っています。

つまり、何よりも最初にあったのが『言葉』だそうです。

これはどう言う意味でしょう。

言葉は “Black Magic(黒魔術)”だとも言われています。

英語で、『綴り』のことを “spell(スペル)”と言いますが、
spellには『呪文』と言う意味もあります。

言葉は、発する者、耳にする者、両者にとって、毒ともなり、薬ともなります。


無意識であろうと意識的にであろうと、
誰かが貴方に、否定的な言葉を投げ掛けたとします。

例えば「あら、貴方のその髪型、何だか変ね。」とか
「お前ってブスだな」とか

「貴方、ちょっと太り過ぎじゃない?」とか
「お前、顔色が悪いぞ。病気なんじゃないか?」とか
「貴方って本当にダメね」とか…


或いは、直接的にではなくとも、
陰で誰かが言った否定的な言葉が、貴方の耳に入ったり。

それを聴いた時、貴方はどう反応しますか?

大抵は、嫌な気分になり、落ち込んだり自信を無くしたり、
どこも体調は悪くないのに急に具合が悪くなったり、

又は、そんな事を言った人に対して腹を立てたり嫌ったり、
仕返しに同じように否定的な言葉を言い返したりするのではないでしょうか。


それはなぜでしょう?

実は、その時、貴方は、心の中で
“first agreement (最初の合意)”をしてしまっているからです。

その言葉自体には何の力も無いのに、
貴方自身が『合意』することで、それに力を与えてしまっているのです。

その言葉が真実でなくても、
合意する事で、貴方自身が、それを真実にしてしまうのです。


言葉が魔術だと言うのは、こう言う意味です。

では、その魔術にかからないようにするにはどうすれば良いのでしょう。

簡単です。

貴方自身が『合意』しなければ良いのです。


貴方に対する『否定的』な言葉を『受け入れなければ』良いのです。

貴方が合意しなければ、その言葉は、発した本人に返って行きます。

試してみてください。

『合意』されなかった言葉は、貴方にとって何の力もなくなり、
行き場を失って、結局は、その言葉を最初に耳にした
『発した本人』に返って行くことになるのです。

私は以前、クラブハウスで
『カルマ』について話させて頂いたことがありますが、

本当の意味でのカルマとは、
貴方が affectし、affectされる相手との関係の解消のことを言います。

Affectとは『影響を与える』ことで、
特に『悪い影響』を及ぼす時に使われる単語です。


私達は、知らず知らずの間に、沢山の人から影響を及ぼされると同時に、
沢山の人に影響を及ぼしています。

貴方に対して否定的な言葉を投げた人に対して、貴方がその言葉を受け取らず、
let goすれば(手放せば)、後は、それを発した本人のカルマとなります。

そして、カルマが解消されるまで、
その人は何度も何度も同じ事を繰り返すのです。


言葉が黒魔術であり、spellが呪文である以上、

私達は、受け取る言葉同様、
発する言葉にも気を付ける必要があると言うのは、こう言う意味です。

なので、もし今後、誰かが貴方に対して否定的な言葉を発した時、
”first agreement”の契約にサインせずに、
それを破って捨てる自分を想像してみてください。

そうする事で、その言葉を無力化することが出来ます。


言葉と言う黒魔術の、奴隷となるか、自由でいるかは、貴方次第なのです。

https://ameblo.jp/higa-okinawa1216/entry-12707079473.html

           <感謝合掌 令和4年5月30日 頓首再拝>

善き言葉を駆使する術を知らねばならぬ - 伝統

2022/06/03 (Fri) 07:18:40


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月3日)」より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。
 善き語(ことば)、悪しき語は知力と直覚とをあるいは構成し、
 あるいはそこなうがゆえ、十分語を選択する術(すべ)を知らねばならぬ」

とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、智力を増し、直覚を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子供の学修を指導しつつある父母がすぐ焦(じ)れてきて
「子供の頭の悪さ」に不平を言うがようなことでは、
その子供の学業成績は挙がるものではない。

           <感謝合掌 令和4年6月3日 頓首再拝>

誰かが傷つくときは、黙して其の人の為にわが唇を守る - 伝統

2022/06/15 (Wed) 07:05:50


       *『女性の幸福365章』(P4《賛(ほ)めよ、讃えよ》)より

人はその出づる言葉によりて自己を量らる。

善き言葉を出す者は幸いを受け、悪しき言葉を吐くものは不幸を招く。

いつわりの言葉を吐く者は人に信じられず、みずから滅びの道を歩む。

常に真実を語る者は人の信頼を受く。

真実を語れば、誰かが傷つくときは
真実を語らず、虚偽をも語らず、黙して其の人の為にわが唇を守る。

言葉軽き者には、禍きたる。

           <感謝合掌 令和4年6月15日 頓首再拝>

言葉は、人生航海の舵 - 伝統

2022/06/18 (Sat) 07:30:22


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月18日)より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。

言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために
「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、
「幸福」の方向にのみ自分の「人生」を進めたいならば、
われわれは自分の人生の船長であるから
「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、
毎日「自分は不幸だ」と掛け声をかけたり、呟いたりしている人があり、
「健康」を切に求めながら、毎日「自分は虚弱だ」と
掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人は
こういう種類の人であって、その人がその生活習慣を改めないかぎり、
本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ
位置を変じはじめると同様に、「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

           <感謝合掌 令和4年6月18日 頓首再拝>

否定的な言葉は打ち消しておくことが必要 - 伝統

2022/06/19 (Sun) 07:14:16


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月19日)より

「アダムの名づけたるところのものは、その物の名となれり」と
「創世記」にあるように言葉のとおりに事物はなるのである。

宇宙は感受力鋭敏なラジオ・セットのようなものである。
このラジオ・セットは言葉で放送したものを感受するほか、
心で放送したものを鋭敏に感受して、
それを具体的可聴的可視的な存在とするのである。

自分の放送しないところのものは一つとしてこの世界に形を顕わさない。

妻を呪う言葉を出したときには、
妻はやがてその呪わるべき形に変って来るだろう。

良人を呪う言葉を出したとき、
良人はやがてその呪ったとおりの姿に現われて来るであろう。

自分の職業を呪い、境遇を呪うがごとき言葉は
冗談にも発すべきではないのである。

もし過ってそんな言葉を出したならば、それと反対の言葉、

「善い良人だ」

「善い妻だ」

「自分の職業は良い職業だ」

「自分の境遇は幸福な境遇だ」

というような言葉で打ち消しておくことが必要なのである。

           <感謝合掌 令和4年6月19日 頓首再拝>

目覚めの言葉 - 伝統

2022/06/23 (Thu) 07:16:25


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月23日)より

朝目を覚ましたとき、その疲労感に捉われるな。
多くの病人は、半睡半覚状態における身体の《だるい》感じを
「病気の執拗(しつこ)いためである」と錯覚しているのである。

「身体(からだ)の《だるい》のは同じ姿勢で長く寝ていたからである」と信ぜよ。

そして

「今後自分には善きことばかりが来るのである。
自分は神の子であり、神に祝福されたるものであるから、
常にいっそう幸運は訪れ、常にいっそう健康になるのである」

と瞑目のまま低声(こごえ)をもって繰り返し念ぜよ。

必ずその言葉の力のとおりになるのである。

           <感謝合掌 令和4年6月23日 頓首再拝>

魂を高揚せしめる文章を読むべし - 伝統

2022/06/28 (Tue) 07:18:57

      *「光明法語」(6月28日《荘厳なる生活をせよ》)より

吾等は吾が生活を荘厳なるものたらしめるべからず。
何となれば人間は神の子であるからです。

魂を高揚せしめる大思想家の文章は汝の魂をして荘厳ならしむべし。

低卑なる市井(しせい)の俗語に耳傾くべからず。
闇の話、脱税の話、野卑の話、猥褻なる話きくべからず。

仏典を読むべし。
聖書を読むべし。

『甘露の法雨』を読むべし、
『生命の實相』を読むべし。

すべて天啓、神示に基づく荘厳なる文章を読むべし。

猥雑極まる近代のエロ文学読むべからず。

言葉の力は恐ろしき迄強き也。

        <感謝合掌 令和4年6月28日 頓首再拝>

人生で迷ったら思い出して欲しい言葉 - 伝統

2022/06/30 (Thu) 06:59:37

【深イイ話】人生で迷ったら思い出して欲しい言葉
鴨頭嘉人(かもがしら よしひと)(2020/06/02)
https://www.youtube.com/watch?v=GoyRX0KtLAg

        <感謝合掌 令和4年6月30日 頓首再拝>

《言葉の混乱は心の混乱のあらわす》 - 伝統

2022/07/10 (Sun) 07:59:33


       『 理想世界 』(昭和43年9月11の法語)より

   「リーダーズ・ダイジェスト」誌七月号に
   “破壊か建設か――反抗する若者たち”と言う文章を
   ウェスチングハウス放送・解説委員マクリーシュ氏が書いている。

   七年ぶりにイギリスからアメリカに帰って来て飛行機で母国アメリカの
   ニューヨークに着陸した瞬間、驚いたのは正確な母国語でなしに
   乱暴に寸断され歪められた無秩序な英語が怒鳴られている
   ということだったというのである。――

   「ロンドンで見送ってくれた友人たちは、穏やかで正確な言葉を話した。
    一方、ニューヨークの運転手やドア係やボーイたちは、母国語なのに、
    まるでそれを軽蔑でもしているかのように、乱暴な調子で
    言葉を吐き散らしていた。・・・・・。

    “イギリスに帰りたいわ! こんな所にはいたくないもの!”
    と十一歳になる私の娘は・・・・・泣き出す始末だった・・・・・』

   言葉の頽廃は、人間の心の頽廃のあらわれであり、
   言葉の混乱は人間の心の混乱をあらわしているのである。

   日本は終戦以来、善にせよ、悪にせよ、
   色々の影響をアメリカから受けているのである。

   日本の歴史を学校で教えることを禁じ、正しい日本の伝統の根拠を
   抹殺するために神話を軽蔑し、歴史的カナ遣いの使用を停止したところに
   日本の言語の混乱ははじまった。

   吾々明治時代に生まれた人間から見ると、現代の若い人の語る言葉は、
   七年ぶりにイギリスからアメリカのニューヨークに帰って来た十一歳の
   お嬢さんが、“とてもこんな世界は居たたまらない”と叫びを発したと同じ程に、
   今の日本の若い人の使う言葉は、歪んで崩れているのである。

   それだけに日本人の伝統を尊重する愛国心のある人にとっては
   現代の若い人の言葉の混乱は憂慮すべき問題となっているのである。
   
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7775396

        <感謝合掌 令和4年7月10日 頓首再拝>

負の言葉、正の言葉の力 - 伝統

2022/07/16 (Sat) 07:02:58


       *メルマガ「成功への道しるべ〈2022年7月4日)より

《何故、私には次々とイヤなことが起こるのだろう?》

原因は、私達がイヤなことを引寄せている可能性が高いのです。

好ましいことを次々と引き寄せたいと思うなら、
実現して欲しくないことは思わず、
実現して欲しいことを思うようにすることです。

何をいまさら、そんな当たり前のことをといわれるかもしれません。 

ところが実際、「実現して欲しくないことを思っている」ことが多いのです。

そのことに気付かなずにいることが、さらに問題です。
これは思い通りの人生を歩むことの障害になります。 

否定形で目標設定したり、アファーメーションをすることが
問題なのは下記の事例などから明白です。

*「ガンにだけはなりたくない」は  
       「ガンになりたい。どうしてもガンになりたい」に。

*「靴ズレができませんように」は、靴ズレになってほしい」に。

*「人と論争したくない」は、「人と論争したい」に。

*「私はカゼを引きたくない」は、「カゼを引きたい」に。

*「あの人には侮辱されたくない」は、「あの人に侮辱されい」に。

*「スピーチする時、あがらない」は
       「スピーチする時あがってしまいたい」に。


他人に対する注意や助言も、多くは否定形でなされています。
善意のつもりが、実は余計なおせっかいになりかねません。

*「汚さないで下さい」は、「もっと汚してください」に。 
(以前のトイレはそうでした)


子供対する助言も多くは否定形でなされます。

*「道で遊んではいけません」は、「道で遊びなさい」に。

*「口答えをしてはいけません」は、「口答えをもっとしなさい」に。

*「ウサギをいじめないようにしましょう」は
       「ウサギをもっといじめましょう」に。
          (益々いじめるのが頻発した)


野村克也元監督が妻のサッチーへの口癖

 *「オレより先に逝くなよ」は、「オレより先に逝けよ」に。
           (実際サッチーが先に逝った)


国家レベルでも過ちを犯しています。

*「少子化対策担当大臣」は、少子化の推進が、毎年確実に達成されています。



◆表現が否定形の目標だたと、否定形の状態をイメージ(想像)しながら
 目標を達成しようとすることになります。

 「想像力」の方が「意志力」より強いので、
 想像していることが実現されることになります。


ですから出來ないのではとイメージしながら、
頑張って目標を達成しようとするのは最悪です。 

目標が達成されず、疲れ果て、落胆することになります。

努力は成功に必要な要素ですが、「頑張るよりイメージせよ」です。

目標が達成された姿を心(頭)に描きながら、やれば
ルンルンとした気分で頑張ることが出来ることが出来ます。

良い結果も獲得できます。


一つの解決法として、
目標やアファーメーションの後に「ありがとう」を付けることです。

目標設定もアファーメーションも、自動的に肯定形でやらざるを得ないようになります。

「(トイレを)キレイに使っていただき、ありがとうございます」  
   
のように

「○○が達成でき、ありがとうございます」 とすれば否定形になりません。


■編集後記
 原田隆史先生が松虫中学の陸上部の監督をされていた時のお話です。

砲丸投げの指導で
「○○君、ヒジが曲がっているから飛ばんのや」を  
「○○君、ヒジをもっと伸ばしてみ!もっと飛ぶから」と云われると、
即結果が変わるのを目の当たりにしたことがあります。

「潜在意識」は、よく言うことを聞くのです。

        <感謝合掌 令和4年7月16日 頓首再拝>

【人を癒せる言葉を知ること】 - 伝統

2022/07/18 (Mon) 07:31:06


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.06.28)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   自分を愛して、自分にいい言葉をかけてあげられるようになったら、
   他人にも愛のある言葉をかけてあげられるよね。

   コロナ禍で長い間、人に会えなかった時期があったけど、
   そろそろ人と会うことができるようになってきたしね。

   人に会うときは、「愛のある素敵な言葉」を持って出かけるといいよ。


   「天国言葉」以外にも、口ぐせにするといい素敵な言葉はいっぱいある。

    ( *天国言葉 「愛しています」 「ツイてる」 「嬉しい」
       「楽しい」 「幸せ」 「感謝してます」 「ありがとう」
       「許します」)


   ウィズコロナの今、人を楽にさせてあげる言葉が大事だよね。


   コロナ禍を不安がっている人には
   「もうじき普通の生活に戻るよ。 安心しな」

   介護の中、疲れている人には「あなたは十分、よくやっている」

   友人が何かに挑んでいるときは「君ならできる、大丈夫だよ」

   何かに悩んでいる人には「そのことで何かを学んでいるんだね。
   経験したことはダイヤモンドに変わるよ」


   このように、愛をもって人の心に寄り添っていくことなんです。

   「がんばれよ」「大丈夫だよ」と声をかけると
   「そんなにがんばれないよ」「大丈夫なんかじゃないよ」と、
   答えが返ってくるときもある。

   だからね、「がんばれよ」ではなく、
   「がんばっているよね」と言ってあげてほしいんです。

   もうすでにその人はがんばっているのだからね。

   また、「大丈夫なんかじゃないよ」って言われたら、
   「そうだよね」と言って寄り添ってあげる。

   「その気持ちはわかるよ」って伝えてもいい。

   人の気持ちを汲む力をつけることだよね。


   仕事の場では、何より返事なんだよ。

   頼まれたことを「はい、わかりました」とハッキリ伝えること。

   相手に聞こえるよう、大きな声で言うんだよ。

   きちんと返事が聞こえるって、気持ちいいだろ?

   大きな声ってさ、意外と出せないものなの。

   だから、声の大きい人って、貴重な存在になるんです。

   これも相手への配慮だからね。


   家族やパートナーには、ついつい嫌みや小言を言いたくなる。

   言いたくなったら、あえてほめ言葉を言ってごらん。

   ご主人には「今日のあなたかっこいいわね」とか、
   「そのスーツ似合っているわね」とか、
   思ってなくても言ってみるんだよ。

   ほめ言葉を言っていると、相手のほうも言いやすくなるからね。

   「いつも優しいね」でも、「お仕事してくれてありがたいわ」でも
   「笑顔が素敵ね」でもいい。

   うれしくなるような言葉をかけ続けるんだよ。

   これも訓練なの。

   言い続けてくると、自然に言葉が出るし、
   いいところがすぐに見つかるようになるんです。


   そして、子どもには
   「あなたは私の宝物だよ」「天使のようにかわいいね」
   「どんなときでも愛してるよ」 こういう言葉を常にかけてあげるといいよね。

   成績が悪いとか、失敗したとかで、
   「なんでできないの!」「こんなことしてたらダメじゃない」
   「本当にできない子ね」って、きつい言葉を投げるのはよくない。

   地獄言葉を聞いて育った子は、天国言葉が言えなくなるの。

   子どもには、天国言葉をシャワーのように浴びせてください。


   そしてね、魅力的な人は「ふわふわ」したものを持っているって書いたけど、
   「ふわふわ」って言葉も口ぐせにするといいよ。

   「ふわふわ」って言っていると、心も体も軽くなって、重荷が取れるんだよ。

   愛のある優しい響きだろ?

   「ふわふわ」って言ってると、我慢してきたこ とが解放されて、
   ありのままに行動することができるんです。

   この「ふわふわ」って言葉は、これからの時代、不可欠な言葉になると思うよ。


   《魅力の極意:相手に合わせて、素敵な言葉をいつも言えるようにしておく。》

        <『魅力的な人になるためのヒント』ぴあ
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               ・・・

人を癒すのとは反対に、
人を嫌な気持ちにさせたり、テンションを下げるような人がいます。

本人は、ほめたり、冗談のつもりでも、
ちょっとした心無い言葉で、相手を傷つけたり、心を冷やすような人です。

つまり、無神経な人です。


無神経とは、たとえば…

●アドバイスなど欲しくないのに、勝手に自分の意見を押し付ける。

●ふれて欲しくないようなデリケートなことをズケズケという。

●デリカシーのない笑えないような冗談を言う。

●冗談めかしてバカにするようなことを言う。

●聞いてはいけないようなことを平気で聞いてくる。



孔子は、人間にとって一番必要な徳目は、「恕(じょ)」だと言いました。

「恕」とは、思いやりであり、
自分がしてほしくないことは相手にしないことであり、
相手の気持ちを察することです。

まさに、無神経ではいけないということです。


愛ある素敵な言葉を使い…

人を癒すことができる魅力的な人でありたいと思います。

         <感謝合掌 令和4年7月18日 頓首再拝>

【口から出てくる言葉を肯定的に】 - 伝統

2022/07/21 (Thu) 08:43:20


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.07.20)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   私は、「こうするとこうなる」という、楽しくて面白い話の収集家です。

   講演会で話をするのは、
   世の中を変えたいためではなく、
   友人から話を聞きたいと頼まれるので、話をしています。

   なぜ頼まれるかというと、
   私の話には「心が暗くなる話」「楽しくない話」が
   出てこないからかもしれません。


   私は「こうするとこんなに楽しいことがある」という法則の研究家なのです。

   聞いていて楽しいようです。

   自分の口から出てくる言葉を、半分以上、
   役に立つ話、面白い話、楽しい話、勇気づけられる話、励まされる話に
   限定してしまう。

   そのような話をしていると、
   聞いている人は体が温まり、元気になっていきます。

   さらに、周りに集まる人がとても素敵な人になり、
   対人関係や、対神関係(神との関係)も変わっていきます。


   口から出てくる言葉を肯定的に変えた人を、
   これまでにたくさん見てきました。

   そのままつまらない人生だった人は一人もいません。

   すべてがあなたにちょうどいい。

   自分にとって、一番心地のいい人が自分の周りに集まってきます。

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          ・・・

本書の中に「ついている人の考え方」という心に響く話がありました。

『パナソニックを創業した松下幸之助さんは、
 幼いころからとても体が弱い方でした。

 しかし、いつも「私は体が弱くてよかった。運が良かった。運が強かった」と
 言っていたそうです。

 松下さんは、小学校を中退していますが、

 「もし大学でも出ていたら、恥ずかしくてわからないことを人に聞けなかった。
  学問のある人たちにたくさん聞くことができて、
  良い知恵を頂けた。私はついていた」

 と言っています。

 十五歳の夏、海の上にあるセメント会社へアルバイトに通っていました。

 そこまでは船で通勤していたそうです。

 仕事が終わり、 帰りの船の船べりに腰をかけていたところ、
 船べりを歩いてきた男性が、ちょうど松下さんのところで足を滑らせました。

 その男性が肩にしがみつき、二人とも海に落ちてしまいます。

 二人が乗っていた船は、
 人が落ちたことにすぐ気がついて、助けられました。

 まさに不運というほかないような状況です。

 しかし、松下さんは、  

 「私は運が強かった。あれがもし冬だったら死んでいた。
  夏の夕方でとてもついていた。私は運が強い男だ」 と、

 生涯言い続けたそうです。

 ありとあらゆることを、「運が強かった」 と言っています。

 一般的に運が悪いと思えることも、
 自分が「運が強い」と思うことによって、運が強い方向に変換されるようです。』


ついている人は、口から出てくる言葉がすべて肯定的です。

どんなピンチになっても、
そこから肯定的なことを探し、肯定的なことを言います。

人は、肯定的になると、冒険的になり、
活力が湧き、挑戦を恐れないようになります。

そして、まわりに肯定的な人ばかりが集まるようになります。


ものごとは、すべて見方しだい、考え方次第で決まります。

松下幸之助さんのように、すべてのことを自分にとって良き事と捉え、
「運が強い」と考えることができるかどうかです。


人前で挨拶するときも、スピーチするときも、雑談でも、
口から出てくる言葉を肯定的に変えると、
まわりに明るくて、元気で、楽しくて、
肯定的で素敵な人たちが集まるようになります。

どんなときも、
肯定的な言葉を発することができる人でありたい、
と思います。

         <感謝合掌 令和4年7月21日 頓首再拝>

明瞭に語られたる言葉は、実現力が強い - 伝統

2022/08/30 (Tue) 06:55:02


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月30日)より

明瞭に語られたる言葉は、曖昧に念ぜられたる言葉よりも実現力は強いのである。

合掌瞑目神想観の形式をとり、自分の耳に聞こえるほどの声をもって、
次のごとく誦(とな)えることは自己内在の無限の力が自覚する上に効果がある。

「神はすべてのものを我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
 神は無限の智慧を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
 神は無限の愛を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)
 神は無限の生命(いのち)を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)」

十回には限らないのであるが、
あまり永いのも長時間かかるし、短くても感銘が浅くなる。
十回と限定したのはそのためである。

敬虔の念を起こすために合掌の形式をとっているから、
1回称えれば、右手の拇指に軽く力を入れ相対する拇指を押し、
2回称えれば右手の人差指に軽く力を入れて相対する指を押し、
順次に中指、紅指指、小指と移り、

さらに左手の拇指より始めて左手の小指に至りて、
終われば合掌のまま、数のことを考えて意識を複雑にすることなしに
十回称え終わるのである。

「ありがとうございます」と称える時は、
すでにそれを受けたる感激に浸りつつ
本当にありがたい気持を起こすのである。

言葉は単なる思想以上の感情を招(よ)び起こし、
感情は単なる思想以上の動的創化力となるのである。

      <感謝合掌 令和4年8月30日 頓首再拝>

言霊(ことだま)~ネガティブ思考はただの癖です~」 - 伝統

2022/09/16 (Fri) 11:51:09

【並木良和さん】
「言霊(ことだま)~ネガティブ思考はただの癖です~」
ASUNA DESIGN WORKS(2022/09/14)
https://www.youtube.com/watch?v=0bRU5k4RF40

      <感謝合掌 令和4年9月16日 頓首再拝>

自分が発するマイナス言葉をチェックしてください - 伝統

2022/09/21 (Wed) 05:08:51


あなたの運命に幸福のみを招く話 谷口雅春先生 
やさしく書いた『生命の實相』読本 『光の泉』より
seimeinojissoh(2022/05/02)
https://www.youtube.com/watch?v=FcC5DV--OD8

      <感謝合掌 令和4年9月21日 頓首再拝>

善きことを信じて言葉に出す - 伝統

2022/10/08 (Sat) 08:25:43


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月8日)より

善きことのみを語り、善きことのみを考える習慣をつけなければならない。
自分の嫌いなこと、望ましくないことを語ってはならないし、思ってもならない。
言葉は想念と同様に強力なる具象化(かたちにあらわす)の力を持っているのである。

われわれは自己の運命ラジオのアナウンサーである。
われわれ自身が言葉に発するとおりに現象世界にあらわれてくるのである。

だから常に自己の欲することを、希望することをあたかもすでに実現せるがごとく
想念し言葉に出すようにつとめなければならない。
そして言葉に出す場合にそれを信じて出すことが必要である。

善き言葉がかえって実現しないように見えるのは、
悪いことを言う時にかえって信じながら話すからである。

           <感謝合掌 令和4年10月8日 頓首再拝>

人生が変わるとんでもない言霊の力! - 伝統

2022/10/14 (Fri) 07:19:42

衝撃!人生が変わるとんでもない言霊の力!「ヤバすぎる」実験結果とは
【うわさのゆっくり解説】(2022/07/02)
https://www.youtube.com/watch?v=zIqeDSqr3fA

           <感謝合掌 令和4年10月14日 頓首再拝>

コトバの力で、「全一」から呼び出し創造する - 伝統

2022/10/19 (Wed) 07:30:24


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月19日)より

実在は「全一(ぜんいつ)」である。
「全一」は表現せられえない。
「全一」は一度に知覚せられえない。

そのことはわれわれの記憶内容全体のようである。

われわれは生れてからいろいろの機会に
無数に触れ、見、聞き、経験した事柄を記憶しているのであるけれども、

その全体が一度に記憶の表面に浮かび上がって来ないのは、
「全一」なるものは、無数の相(すがた)が超時空的な世界に
重なり合っているから、知覚することができないためである。

それを記憶心象として脳髄の知覚面に浮かび上がらせうるには、
「全一」の中から、必要でないものを残して置いて、
「今」必要なものだけを、空間的表象面に浮かび上がらせなければならぬ。

それと同じく、「全一」なる存在が、
それが知覚しうるように表現せられるためには、
「全一」の中からある物を”呼び出し”て来て、
他を「全一」の中に残しておかなければならぬ。

表現はコトバであり、コトバは呼び出しであるのはこのためである。
われわれは善きコトバの力によって善き物を創造することができるのである。

           <感謝合掌 令和4年10月19日 頓首再拝>

「真象」と「偽象」 - 伝統

2022/10/20 (Thu) 07:01:06


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月20日)より

善き言葉は実在の中から出して来た言葉である。
いわば「神」の国策線に沿うコトバである。

悪しき言葉は本来虚のコトバである。
神策に沿わぬコトバである。
虚のコトバから発生したものは本来が虚であるから
”ある”ように見えても存在せぬ。

そういう現象を偽象または虚象と言う。

善き言葉であらわれた現象は、実在の延長であるから真象と言うのである。
真象は神御自身のコトバの延長であるから、
神の嘉(よみ)したまうところである。
神は表現を求めていられるのである。

真象は神の表現であり、神の発展であり、
み心の天になるがごとく地に成ることである。

真象は神の御稜威の降臨である。
永遠の表現である。

現象にも真象と偽象とがあることを知らねばならぬ。
「現象なし」と断ち切る場合は「偽象」なしの意味である。

「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」
という場合の「現象」は真象である。

           <感謝合掌 令和4年10月20日 頓首再拝>

言葉の神秘を知る - 伝統

2022/10/31 (Mon) 07:36:26


    *「光明道中記」(10月31日《言葉の神秘を知る日》)より 

【言葉の力によって認めるものだけが存在に入る。 
                (『生命の實相』第二巻)】 

早稲田政治科出身の先輩、上田謙氏は言語学を深く研究している人である。
次のような草稿を送ってこられた。

―― 言(こと)とは音(おと)に子音なる
   無意味の接頭語を飾りたるものです。
   葉とは端(はし)くれ即ち現象の意。

然らば音とは何ぞや。
是れ印度(いんど)、波斯(ペルシア)、希臘(ギリシア)等に於ける
拝火教によびなされし音即ち odo と称する veda 教典に説く
万有に貫通する生命乃至実在の事也(なり)。

希臘”オデ”イ・イリ”アド”は皆此の音乃至 odo の事にして、
是が又歌とも同じものです。

其の証拠には「斯う云う事を歌って置き乍(なが)ら」云々の言葉の中の
「歌う」とは「言う」乃至言葉の意味なるに依(よ)りても知らる。

又音無(おとな)しい人とは、喋らぬ人の謂(いい)にて、
是も音とは言葉である事が証さる。

かく日本人の上層を成せるものの名は正しく梵語と同一語源で
出羽(でわ)は deva(神)、
佐分利(さぶり)は svara(日神<ひのかみ>) 

幣原(しではら)は svara では余り
梵語其の儘故、これを隠して「て」を入れて
「し(て)はら」であり、
されば神の意である弊(しで)の字があるので、
此の弊(へい)の字が「しで」と読む理由が解る訳で字引には謎である。
んと撥(は)ねて「しんばら」となる。

御社(おんしゃ)の「光明」も「しばら」で
光明真言に言う「じんばら」は此の「しばら」で光明(神)の事です。

・・・・・

谷口雅春先生が説かれる「言霊」については、
光明掲示板・第一のスレッド「『言靈と神通力』」で学ぶことができます。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=613 

            <感謝合掌 令和4年10月31日 頓首再拝>

「こその妙味」 - 伝統

2022/12/12 (Mon) 09:54:33


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月12日)より

井上源蔵さんから「こその妙味」という題で興味ある原稿が来た。
本当に「こそ」の二字の置き所で地獄が極楽になり、
極楽が地獄になるのである。

これが言葉の力というものである。

井上源蔵さんは中風で7年間半身不随で
腰が海老(えび)のように曲がっていた老人であったが、
この「こそ」の妙味を体得して中風が癒え腰が伸びたのである。


(こそという言葉を自分につけたとき争いの因(もと)となる)

夫  貴様みたよなお多福婆(おたふくばば)をわしでありゃ《こそ》置いてやる
妻  わしじゃから《こそ》辛抱もするが誰が見るぞえ痩せ世帯(じょたい)

親  誰がお蔭でそうまでなったおれが学問させりゃ《こそ》
子  学問させてもみんなはできぬわしが勉強したりゃ《こそ》

地主  あれがああして暮らしてゆくもこちが畑田(たはた)を貸せば《こそ》
小作人 地主の田畑が荒れずにいるのもわしが小作をすれば《こそ》



(こそという言葉を相手につけたとき互いに仲よく和解する)

夫  外でわたしが働かれるも内をそなたが守りゃ《こそ》
妻  私みたいな不束者(ふつつかもの)をあなたなりゃ《こそ》深切に


親  あの子なりゃ《こそ》出世もしたよ苦労したのも甲斐がある
子  今日(きょう)のわたしの出世もみんな親の苦労があれば《こそ》

地主  田畑つくらず暮らしのたつのも小作する人あれば《こそ》
小作人 わが田なくても暮らしてゆけるこれも地主あれば《こそ》


 (これによって)

《こそ》と威張ってこちらにつけりゃなにをこしゃくと喧嘩腰

《こそ》とあがめて相手につけりゃにっこり笑ってあなた《こそ》

喧嘩するのも仲よくするも《こそ》の付けどこただひとつ


夫婦、親子、妻子、地主、小作人は言うにおよばず、
資本家と労働者の関係も債権者と債務者の関係もないし
教師と生徒、主人と番頭、奥様と女中などの関係も
皆こうしたものであろうと思われる。


井上源蔵さんは自分の背の伸びたのを都々逸(どどいつ)に歌って曰く ―― 

   背だけのばしてもろうたこの身骨(みほね)を惜(お)しまにゃ気が楽よ
   細い道でも我(われ)から退(よ)けて人を通せば気が楽よ

   理づめ言わずに理のある事もまけてしまえば気が楽よ
   腹を立てるは至らぬからと思いいりゃこそ気が楽よ
   我意(がい)や気ままや無理いう人に勝とうと思わにゃ気が楽よ

   正直あつい寒いのいといなくはたらく人はよろず円満
   他事(ひとごと)と思えばやがてわが事よまことつくせばやがてわが事(こと)

            <感謝合掌 令和4年12月12日 頓首再拝>

幸福を語り、祥益を語り、健康を語り、そして念ぜよ! - 伝統

2022/12/26 (Mon) 08:02:54


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月26日)より抜粋

不幸、災厄、病気・・・ことごとく心に描かれた観念が具象化するものであるから、
不幸を喞(かこ)つなかれ、災厄を呟くなかれ、病気を愬(うった)えるなかれ。

不幸来たるごとに、災厄来たるごとに、病気が来たるごとに、
その反対の幸福を語れ、祥益(しょうえき)を語れ、健康を語れ。

すでにかく幸福で祥益と健康とにめぐまれていると念ぜよ
―― それが実現するために完全なる智慧か流入し来たると念ぜよ。

            <感謝合掌 令和4年12月26日 頓首再拝>

善き話題を語る - 伝統

2022/12/27 (Tue) 07:45:20

        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月27日)より抜粋

善き話題 ――
彼はこんな深切なことをした。
彼はこんなに向上した。

自分はこんなに楽しいのだ。
自分は近頃大変健康だ。
(まだ現象的には健康になりきっていなくともよい、こう話すのだ。)
自分の従事する事業はますます栄えてゆきつつある。


そのほか何でも、進歩、繁栄、向上、元気、光明、健康の雰囲気を伴うことが
話題として最もよいのである。

            <感謝合掌 令和4年12月27日 頓首再拝>

問題の次元を切り替える言葉~【それはそれとして】 - 伝統

2022/12/30 (Fri) 08:40:53


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.12.16)より

   (樺沢紫苑(かばさわしおん)氏の心に響く言葉より…)

   「それはそれとして」は、
   「日本最大の仏教研究家」と呼ばれる鈴木大拙がよく用いた言葉
   として知られます。

   彼の出身地の金沢には、「鈴木大拙館」という記念館があります。

   私がそこを訪れた時、「それはそれとして」という
   大拙直筆の掛け軸が飾られているのを見ました。


   大拙の下には、多くの方が相談に来ていました。

   大拙は、彼らの話を丁寧に聞いたあとに、
   「それはそれとして」と切り出して、
   自分の意見を述べ、アドバイスをしたそうです。


   「がたがたした次元は置いといて、もっと違う次元があるんじゃないか。
    それ以上のものが元にあるんじゃないか。
     元とは本来で、分別視以前の状態のこと」

   「それはそれとして」には、そんな意味があるそうです。

   「それはそれとして」という言葉は、問題の次元を切り替える言葉。

   そして、それまでの話題、相手の考えや感情を、
   「否定」も「肯定」もしていないという点が重要です。


   「あなたの悩みはわかりました。
    しかし、Bという考え方もありますね」

   普通の会話ですが、逆説の接続詞「しかし」を使うと、
   相手の悩みや感情を否定している印象を与えます。

   言われた方は、自己否定されたような嫌な気分となり、
   アドバイスを素直に受け入れられなくなります。


   「あなたの悩みはわかりました。
    それはそれとして、Bという考え方もありますね」

   こちらは、相手の悩み、考え、感情を、否定も肯定もしていません。

   むしろ、「あなたの気持ちはよくわかりました。
   それはそれとして・・・・・・」という、そんな印象を与えます。


   相手を否定する言葉ではなく、相手を受容しながら、
   話をより高次元へと引き上げる、非常 に高度な心理テクニックです。

   それを、誰でも、今から、使えるのです。

   実際私は、鈴木大拙館を訪れてから、
   ネガティブ感情が浮かんだ時に、
   「それはそれとして」を独り言のようにつぶやくようになりました。


   「わー、原稿が間に合わない!……それはそれとして、
    今から30分だけ集中して原稿を書こう」

   切り替え効果は、絶大です。

   パニック状態にある脳を、リセットできるのです。


   「それはそれとして」は、様々な場面で、
   自らの感情や思考を「切り替える」言葉として使えます。

   ネガティブな過去の記憶が蘇ってきた時には、
   「それはそれとして」のあとに、
   「今できることは ?」と続けて言ってみてください。

   脳は「過去の出来事」「過去の体験」に執着しています。

   「過去」にフォーカスしている脳 の注意を、
   「今」「現在」に持ってくる。

   つまり、
   「今にチューニングする」ことが重要ですから、
   「今できることは ?」と続けるのです。


   「それはそれとして、過去は変えられない。
    今できることをやろう!」

   「過去」に限らず、「ネガティブ感情」を切り替えたい時など、
   いろいろな場面で使えます。

         <『言語化の、魔力』幻冬舎>
    
       ・・・

言葉によって、気持ちを切り替える方法は他にもある(本書より)。

たとえば…

〇〇さんがあなたの悪口を言っているらしい、という噂を聞いた。

そんなとき、ムッとするが、心のなかで「そんな人もいる」とつぶやく。

不条理なことを言われたときの魔法の言葉だ。


また、上司や先輩からの怒られたり、
嫌みや悪口などのネガティブなことを言われたら、
「ありがとうございます。(以後注意します)」と言う。

「ありがとう」と言われて、不快になる人はいないからだ。

心の中では、怒りや反撃の感情がうずまいても、
「ありがとうございます」という言葉を言うことで、
自分のネガティブ感情をマスキングすることができる。

戦わずに「スルーする言葉」だ。


人間関係で、嫌な気持ちになったとき、
そのたびにカチンときたり、いちいち相手に反撃したりしていては、
いずれ満身創痍(そうい)になってしまう。

発した言葉や態度は、必ず反作用として自分にかえってくるからだ。


「ネガティブ感情」を切り替え、自分をリセットしたいとき…

「それはそれとして」という言葉を使いたい。

・・・

<参照>

『言語化の魔力』の内容についてわかりやすく解説してみた【精神科医・樺沢紫苑】
https://www.youtube.com/watch?v=LqKE0ZlNYO8

「言語化の魔力」の意味【精神科医・樺沢紫苑】
https://kabasawa3.com/blog/socialmedia/the-magic-of-verbalization-mean



【要約】言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える
フェルミ漫画大学 (2022/12/01)
https://www.youtube.com/watch?v=q5z-PPPqYfA


【要約】言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える
学識サロン(2022/12/13 )
https://www.youtube.com/watch?v=e2qckQLXQek

(以下は抜粋です)

 悩みが激減する3つの言葉

 (1)なんとかなるさ

 (2)できる

    「無理」だと思ったとしてもまず「できる」

 (3)やれることをやれる範囲でやっていく


【ベストセラー】樺沢紫苑「言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える」を
世界一わかりやすく要約してみた【本要約】
本要約チャンネル( 2022/11/28)
https://www.youtube.com/watch?v=g54Haf28SdU

       <感謝合掌 令和4年12月30日 頓首再拝>

ことばは種である、よき言葉を語れ。 - 伝統

2023/01/23 (Mon) 07:27:40


     *「光明法語」(1月23日)より
       《在(あ)るものはただ神のみと思念せよ》

人々よ、よき言葉を語れ。
悪しきことばに惑わされること勿れ。

悲観的なことばを発するな。
悲観的なことばに惑わされること勿れ。

ことばは種であるから悪しきことばは言わぬがいい。
悪しきことばを聞いたならば直ちに心の中でそれを打消すことである。

人もし悪しきことばを語るともその人を非難するな。
人の悪しきことばは吾が心の中にある隠れたる所の想念の影であると思いて
自ら明るくなるように反省せよ。

神のみが實在であるから悪しきものは存在しないものだと否定せよ。

           <感謝合掌 令和5年1月23日 頓首再拝>

悪しき言葉を止めよ、善き言葉で楽しい世界を呼び込もう - 伝統

2023/02/01 (Wed) 08:04:01


      *「光明道中記」(2月1日 賞め讃える日)より抜粋

呟くことを止めよ。
自己の不幸を口にすることを止めよ。
自己の病を口にすることを止めよ。

今ある運命を喜んで受けよ。
友は悪口を言われる毎に悪しき友となり、
汝に仇(あだ)する者となるであろう。

運命も、それを呟く者には仇する者となり、
それを賞め讃える者には幸福を齎(もたら)す味方となるであろう。

世界は、観られたる通りの世界であり、呼ばれたる通りの世界である。

「アダムが生物(いきもの)に名づけたる所は皆其名となりぬ」(創世記第一章)

吾等は此の世界を幸福の世界と名(なず)けようと、
不幸の世界と名けようと、自由なのである。

吾等は自分の名(なづ)け具合によって
此の世界を幸福にも不幸にもすることが出来るのである。

これから吾等は此の世界を楽しい世界と呼ぼう。

           <感謝合掌 令和5年2月1日 頓首再拝>

あなたはあなたが使っている言葉でできている - 伝統

2023/02/15 (Wed) 07:32:55

あなたはあなたが使っている言葉でできている Unfu*k Yourself
【ゲイリー・ジョン・ビショップ】
フェルミ漫画大学(2021/04/19)
https://www.youtube.com/watch?v=1kYISflVQ2k

0:00 「あなたはあなたが使っている言葉でできている」授業開始!!
1:17 自分にどんな言葉をかけるのかで行動が変わる
2:53 今悩んでいることは大した悩みではない
5:31 全ては自分の捉え方次第
6:23 「でも」という言葉を使わない
8:13 自分がどうしてもしたいことをはっきりさせておく
10:08 考えるのをやめて行動する
11:47 先が分からないから面白い
13:02 何も期待せず、全てを受け入れる
14:06 まとめ
15:01 END

      ・・・

「 あなたはあなたが使っている言葉でできている」を
世界一わかりやすく要約してみた
【本要約チャンネル】(2022/05/30)
https://www.youtube.com/watch?v=m_E2JAQ1as0

▼【目次】
0:00 ご挨拶・導入
1:39 本日のお品書き
1:59 ①限 自分にどんな言葉をかけるかで人生が変わる
12:57 ②限 「自分のためになるしゃべり方」で望む現実を手に入れる
20:23 ③限 あなたの人生を変える言葉

・・・

本書の目次

第1章 最初に心に刻むべきこと

  人は常に自分と会話している
  自分にどんな言葉をかけるかで人生が変わる

  ネガティブな言葉がネガティブな感情を呼ぶ
  自分にとっての現実は、自分の頭でつくり出せる

  脳を少しずつ鍛え直そう
  セルフトークをアサーティブ(主張型)に変える
  この本の使い方

第2章 「私には意志がある」

  人生を変えられないことに言い訳をするな

  「やるぞ!」という意志があるか?
  「意志がない」と宣言してもいい

  ネガティブな意志のパワーを活用する

  本当にその目標を達成したいのか?
  目標への道筋をはっきりさせる

  本当に大切なものに集中しよう

第3章 「私は勝つに決まっている」
 
  人生で起こるすべての出来事は勝利だ
  「負けているのに勝っている」というミステリー

  自分を縛っている限界に気づこう
  自分は何に「勝っているのか」を振り返る

  自分の「勝ち癖」を目標に向けよう

第4章 「私にはできる!」

  問題は必ず起こる
  大変なのはあなただけではない
  あなたはこれまで問題を乗り越えてきた

  未来に目を向ける
  人生の舵を握れ

  あなたにはできる!

第5章 「先がわからないからおもしろい」

  確実さを求める病
  確実な成功などあり得ない
  ありもしないものを追いかけるな!

  一歩踏み出して白い目で見られよう
  先が見えない状況を楽しもう

  人生は冒険だ

第6章 「自分は思考ではなくて行動だ」

  思考が変われば人生は変わるか?
  人間は思考ではない

  行動が思考を変える
  心がやる気になるのを待っていてはいけない

  思考と自分を切り離せ

第7章 「私はがむしゃらになる」

  安全圏の中では成功できない

  がむしゃらになる
  信じれば真実になる

  道を自分で切り開け
  誰でもがむしゃらになれる

第8章 「私は何も期待せず、すべてを受け入れる」

  こんなときどうする?
  期待がパワーを失わせる
  期待を手放せ!

  人は無意識に支配されている

  すべてを受け入れるとはどういうことか?
  何も期待せず、すべてを受け入れる

第9章 次はどこへ?

  死ぬ前に何を後悔するだろう?
  ごまかすのはやめよう

  過去のせいにするのはやめよう

  自由になるための2ステップ

  頭の中から跳び出せ

https://d21.co.jp/book/detail/978-4-7993-2369-4

           <感謝合掌 令和5年2月15日 頓首再拝>

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