伝統板・第二

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すべてに感謝!⑥ - 伝統

2021/09/03 (Fri) 04:55:45

すべてを感謝に変える

      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月3日)より

人を審判(さば)く者は、また自分も審判(さば)かれるのである。

聖書に「人の負債(おいめ)を赦せ」とあるのは、人に金を貸してあるのに
その借金証文を全部焼いてそれを帳消しにせよという意味ではないのである。
そんなことをしたら商取引は成り立たないのである。

「あいつはわしに損かけている」という感じを捨てて、
「あの人のお陰で商売(その他なんでも)が成り立っているのだ。ありがとうございます」
という気持ちになることなのである。

憎しみや、呪いや、腹立ちの感じを感謝に変化してしまうことである。

できるならば、憎んでいた人の名前をいちいちとなえて
「わたしはあなたを赦しました。わたしはあなたに感謝しています。ありがとうございます」
と毎朝夕20分くらいずつ思念するがよい。

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「本流掲示板「感謝」 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7820143

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278    

(3)伝統板・第二「光明掲示板第二<すべてに感謝!>」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7822652

(4)「光明掲示板・第三」内スレッド「すべてに感謝! (32)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17

(5)光明掲示板・伝統・第一「すべてに感謝! (49)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=31

(6)伝統板・第二「すべてに感謝!①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462213

(7)伝統板・第二「すべてに感謝!②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833611

(8)伝統板・第二「すべてに感謝!③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7651763

(9)伝統板・第二「すべてに感謝!④」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7822757

(10)伝統板・第二「すべてに感謝!⑤」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7987955

         <感謝合掌 令和3年9月3日 頓首再拝>

平常茶飯じに感謝をなさい - 伝統

2021/09/04 (Sat) 05:06:55


      *新装新版「真理」第10巻実相篇 より

「日々是好日(にちにちこれこうじつ」とか
「平常心(へいじょうしん)是道(これどう)」とか
とか云う禅宗の語(ことば)があります。

何か特別に変った良いことが来ないと喜べないのではいけません。

日々(にちにち)の平常常茶飯事に、その恩を感じ感謝の心を起すように
心を習慣づけることが、大切です。

空気、日光、水、簡単な食事、膝(ひざ)を入れるに足りる部屋
一枚の枚の着物……数えて行けば私たちの身辺には自分が造りもしないのに、
与えられている無数の恩恵に包まれていることを発見するのです。

その無数の恩恵を出来るだけ思い出しては感謝しなさい。

「感謝の念のうちにこそ、汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」

と神は教えていられるのです。

恐怖心と不平不満の心とは生命の生きる力を殺すのです。

明るい心と感謝の心とは生命の生きる力を喚(よ)び起すのです。

心を明るくするように努めなさい。

常に些細(ささい)なことにも感謝するように努めなさい。


(躍進する生長の家事業団 初秋号(No,25)令和3年9月1日
       http://www.seichonoie-sj.jp/img/organ25.pdf

         <感謝合掌 令和3年9月4日 頓首再拝>

感謝することで生きがいを - 伝統

2021/09/16 (Thu) 04:42:00


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/06/05)より

▼感謝することの大切さについて、ある人から聞いたお話です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

あるおばあさんのお話です。

そのおばあさんは、家族も親戚もおらず孤独でした。

自分の悩みをある人に、こう打ち明けました。

「自分はもう年老いていて病気で、入院しているので、人にお世話になりぱなし。
 若い頃と違って、もう人の役に立つことはできない。
 もう早く死んだ方がいい」

それは聞いた人はこう言いました。

「いいえ、おばあさん。おばあさんにも、
 人の役に立つこと、できることがありますよ」

おばあさんは驚いて、その人の話に耳を傾けました。

「たとえば、おばあさんに親切にしてくれる人、
 世話をしてくれる人に心から感謝するんです。

 そして『ありがとうございます』と言うんです。
 それだけでも、おばあさんは人から喜ばれる人なんですよ」

それを聞いておばあさんは、なんだそんなことかとがっかりしました。

しかし、おばあさんは、これまでのことを振り返ってみて、ふと気づきました。

病院に入って、自分は不満ばかりを言ってきた。

あれがない、これがない、あそこが痛い、ここが痛いと・・・。

看護師たちは、それに対応するのが仕事だから当たり前だと思ってきた。

少しでも対応が遅いとイライラして、
皮肉や嫌味の一つも言わねば気がすまなかった。

ああ自分はなんと感謝のない日々を送ってきたことか。

それで、おばあさんは、それから自分と関わる人に、
感謝の気持ちを表すことにしたのです。

自分の病室にやってきて世話をしてくれる看護師さんや掃除担当の方に

「ありがとうございます」

と、その人の顔をちゃんと見て頭を下げるようになりました。

すると、その人は笑顔になり、おばあさんも嬉しくなるのでした。

次第に、おばあさんの心から不平不満が消えていきました。

何週間か後、ある見知らぬ婦人が菓子包みをもって
おばあさんの元にやってきました。

「わたしは、この病院にボランティアに来たことのある中学生の母親です。
 うちの息子は、ずっと不登校だったんです。
 けれど、この病院で患者さんたちと接するうちにおかげさまで元気になりました。
 特に303号室のおばあさんのことをよく口にして・・・」

303号室のおばあさんとは自分のこと。

おばあさんは、その男子中学生のことを覚えていました。

その子は、食事のお盆や食器を朝昼晩、
体が思うように動かないおばあさん代わりに片付けくれたのです。

「ああ、あの子のお母さんですか・・・」

「はい、うちの子がお世話になりました」

「いえいえ、本当にいい子で、お世話になったのはわたしの方ですよ」

「はい、おばあさんがそう言って、感謝してくれるのを
 うちの子、とっても喜んでいました。

 自分も人の役に立てるのが分かったって。

 それから、あの子、学校に行くようになったんです。

 今まで、私がどんなに説得しても行かなかったのに・・・」

そこでお母さんは泣き出した。

「あの子、ちゃんと勉強して、将来は病院に勤めたいって・・・。
 目を輝かせながら言うんです。
 あの子のあんないい顔を見たのは、もう何年ぶりです。
 おばあさんのおかげです。本当にありがとうございます」

おばあさんも、涙がこみ上げてきました。

自分はただ少年に「ありがとう」と感謝をしただけなのに・・・。

それをこんなに喜んでくれる人がいる。

「おばあさんにも、人の役に立つこと、できることがありますよ」

あの言葉をおばあさんは今一度噛み締め、
目の前の婦人に深く頭を下げながら、
手を合わせて感謝するのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▼おばあさんは、ただ感謝しただけです。
 でも、まわりの人に喜びをもたらしました。
 おばあさん自身も幸せになりました。

▼感謝することで人の存在を大切に思えます。
 感謝することで自分の存在意義に気づきます。
 感謝することで私たちは人に役立つことができます。
 感謝することで私たちは喜び合えます。

 「ありがとう」は喜びの源です。  (^.^)

出典:『感謝の習慣が、いい人生をつくる』

  ( https://lucky.t-nakai.work/2019/06/05/custom-71/ )

         <感謝合掌 令和3年9月16日 頓首再拝>

感謝の念によって、神と波長を合わす - 伝統

2021/09/23 (Thu) 05:05:36


        *「眞理」第2巻基礎篇第8章(P214~215)より
         ~《神に波長を合わせよ》

既に自己に与えられている物に、その奥にある神の恵みに、
神の愛に、神の智慧に感謝しなければならない。

吾々は感謝の念によって、神と波長を合わすことが出来るのである。
かくて感謝の念によって神と波長を合わしているうちに
「新しき生命(せいめい)の自覚」が湧き出て来るのである。

次にかかげる向日葵(ひまわり)の花型の図解について考えて見よう。



この向日葵(ひまわり)の花型の中心を神といたします。

ひとつひとつの花弁は中心から生命(せいめい)を受けて
生長しているのである。
花弁ひとつひとつは引き離せば別々であります。

しかし実際の生命(せいめい)は中心の神からつながっています。

現在意識は点線でもって示した中心からの区画であります。
(花の写真でいうと筒状花の部分)

この現在意識の区画によって各個人は別々の感じを受けるのであります。

現在意識が中心の方へ向けば各人は一体であります。

中心に振り向くのが神への感謝である。

         <感謝合掌 令和3年9月23日 頓首再拝>

感謝を習慣にする技術 - 伝統

2021/10/04 (Mon) 03:55:02


       *Web:モチラボより 抜粋

(1)常に感謝を選択すると決める。

  ①自分の意思で「ひとまずやってみるか!」と決めることが大事です。

  ②これからは何に対しても感謝の気持ちから始めます。
   それを心に決めるわけです。

(2)言葉から始める。

  ①感謝の気持ちが湧いてくるようになるまでの
   突破口になるのが「言葉」です。

  ②「言葉」と「気持ち」はつながっています。
   感謝の気持ちが湧いてきたときには自然と
   「ありがとう」という言葉が出てくるはずです。

  ③感謝できる部分を探し出して、それに対して
   「ありがとう」と言うのではなく、何はともあれひとまず
   「感謝しています」と言って(思って)しまいます。

   (この場合、どんな言葉を選択するかは自由です。
    「ありがとう」でも「感謝しています」でも良いですし、
    他の言葉でも構いません。
    自分なりに感謝につながりやすい言葉を選択しましょう。)

(3)感謝の対象を探すコツ

  ①感謝の対象探しのコツは、
   「反転させること」「より大きなものを探す」ことです。

   例えば、「仕事で何か失敗をした」場合、、、

   「より大きな失敗に繋がる前に小さな失敗で済んだ。
    気をつけよう。感謝。」(反転)

   「そもそもこうして仕事をさせてもらっていることに感謝」
                    (より大きなもの)

   といった具合です。

  ②「反転させる」とは、
   不足しているもの、失ったものに目を向けるのではなく、
   今あるもの、これからどんな可能性があるのかに目を向ける
   ということです。

  ③「より大きなもの」とは、
   人生、生命、愛、自然、地球、宇宙といったものに感謝をする
   ということです。

(4)嫌いな人に感謝するコツ

  ①嫌いな人がいて、どうしてもその人に「感謝する」気持ちに
   なれないなら、「人」ではなく「その状況」に感謝するように
   しましょう。

  ②嫌いなものは嫌いなままで、とは言え
   「その人がいたら私は強くなれた」とか
   「そんな状態だったから私は人に優しくなれた」
   「何か大切なことに気づくことができた」
   「おかげでみんながまとまった」・・・、

   考えてみれば、「だからこそ良かったこと」が色々あるはずです。

   もしくは、「だからこそ、これから良くなるであろうこと」が
   色々あるはずです。

(5)朝一番の感謝

  ①感謝を習慣にするための仕組みとして大きく役に立つのは
   毎日1回感謝の時間を持つことです。

   例えば、朝カーテンを開けて外を見ながら
   「今日も素敵な1日が始まります。ありがとう」と心の中で唱える。

  ②寝る前に、今日一日感謝できることを日記に書く。などといったものです。

   https://motivation-up.com/up/kansha_habit.html

         <感謝合掌 令和3年10月4日 頓首再拝>

感謝によって辱(はずかし)めが消える - 伝統

2021/10/11 (Mon) 04:53:16


    *「光明道中記」(10月11日《精進堅固の日》)より

【悟りの中間過程にある時は、信念を以て怠らず進め。(『生命の實相』第六巻)】

波羅蜜多(神格の内流による自覚)を得る方法に尚三つある。

尸(し)羅波羅蜜多(持戒波羅蜜多)、せん提波羅蜜多(忍辱波羅蜜多)、
毘利耶(びりや)羅蜜多(精進波羅蜜多)の三波羅蜜多がそれである。
これはいずれも「良心として顕れる神格の内流」に関係している。

神格の内流の愛行面が「布施」であり、神格の内流の悟道面が般若と禅那(換言すれば
智慧と静慮)とである。そして神格の内流の道徳面又は良心面が持戒、忍辱、精進である。

神格(仏性)そのものは一つであって不可分であるけれども、それに波長を合わせる方面
から言うと、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の六つを立てて六羅蜜多としたのが
仏教である。

生長の家では忍辱の方面はあまり言わぬ。
如何なる不遇、不幸、逆境、侮辱に対しても克(よ)く耐え忍ぶことによって
仏性を開顕せんとする忍辱に代って感謝を強調したのである。

無理に「怺(こら)える」のでは和解が出来ていないと説かれている。
感謝が出来たとき「怺(こら)える」ことが要らないので辱(はずかし)めが
消えるのである。

           <感謝合掌 令和3年10月11日 頓首再拝>

耐忍・安忍・諦忍から感謝の道へ - 伝統

2021/10/12 (Tue) 05:00:13


    *「光明道中記」(10月12日《人を全部宥(ゆる)す日》)より

【人を恨む心を以てしては恨み心を解くことは出来ぬ。(『生命の實相』第七巻)】

尤も仏教でも忍辱(にんにく)と云う到彼岸法(はらみたほう)をただ如何なる苦痛も、
迫害も、圧迫も、意地悪も耐え忍ぶと言う如く「怺(こら)える」程度に於てのみ
説いている訳ではない。

これは「忍辱」の第一段階であって
他より害を加えられたのを耐え忍ぶところの
(一)”耐忍”である。

更に仏教では(二)”安忍”と云うのが説かれている。

単に怺えるのではなく、安んじて忍受するのである。
受くべきものは受けるより道はない。
逃れようとすればする程苦しいのだと云う真理を知って安んじてうけるのである。

この境地に於ては病気が治ることさえある。

生長の家でも、病苦に喘いでいる人にこの「安忍」を説くことによって
病苦頓(とみ)に癒される実例さえある。

更に仏教ではその上の段階の「忍辱」が説かれている。
それは(三)諦忍(たいにん)と言うので、
迫害する者も迫害される者も、それらは”有る”ように見えても本来存在しないと
道理を諦めることによって瞋(いかり)の心を除くようにするのである。


生長の家ではもう「忍」と言わずに(四)感謝を説くのである。

迫害者も被迫害者も本来存在しないと否定して諦(あきら)めるのではなく、
斯く見えているのは観世音菩薩が我らを済度し給う為にわが心の相(すがた)を
仮りに斯くの如くあらわし示し給うのである。

有難いと、感謝の心を積極的に起すのである。

           <感謝合掌 令和3年10月12日 頓首再拝>

一切を感謝に変える~生長の家の到彼岸(はらみた)術 - 伝統

2021/10/13 (Wed) 04:59:15


    *「光明道中記」(10月13日《甘露を飲む爽やかな日》)より

【一つの憎みは十人の憎みを招び、一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。
                    (『生命の實相』第十一巻)】


「忍」がまだ自覚されているのは「忍」の最上のものではない。
キリストは、「終りまで耐え忍べ」と言ったし、
また「汝の敵を愛せよ」とも言った。

「終りまで耐え忍べ」と云う語(ことば)には「忍」がまだ忘れられていないし、
「汝の敵を愛せよ」と言う語は、「忍」が超えられて「愛」に変じている点では
一段の進歩ではあるけれども、まだ「敵」が忘れられていない。

生長の家では「敵はない」と言い、
「忍」に代うるに「感謝」を以てするのである。

永嘉大師は、

「他の謗(ぼう)するに従(まか)せ、他の非するに任(まか)す。
 火を把(と)りて天を焼く、徒(いたずら)に自ら疲るるのみ、
 我れ聞いて却(かえ)って甘露を飲むに似たり、
 鎖融(しょうゆう)して頓(とみ)に不思議に入る」

と言われたそうであるが、
この境地は素晴らしい高い大きな境地であるが、
相手を見下げた感じがある。

「火を把(と)りて天を焼く、徒(いたず)らに自ら疲るるのみ」
と云う語(ことば)には、相手に対する呪詛さえある。
その心境には感謝がない。
「我れ聞いて甘露を飲むに似たり」には、一種の独善的な感じがする。

どうしても一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術は
忍辱波羅蜜多以上のものである。

        <感謝合掌 令和3年10月13日 頓首再拝>

感謝は商売の基本〜京都の老舗八ツ橋店に伝わる感謝の心 - 伝統

2021/10/27 (Wed) 04:38:46


         *Web:今日も良いことがあるように(2020/10/01)より

感謝は、商売の基本です。

京都で200年以上の伝統ある老舗、井筒八ッ橋本舗で
勤続約40年の西川洋さんのお話です。

《「はい」という返事の意味》

西川さんは、京都市教育委員会・学校・企業などが提携して行う
「スチューデントシティ学習」のスタッフを毎年、担当しています。

「スチューデントシティ学習」の学習対象者は、市内の小学生高学年全員。
各学校での事前学習を基に、京都まなびの街生き方探究館で行う
体験学習を通して、働くことの意味や社会とのつながりなどを学習し、
自らの生き方を探究していきます。

これまで約8万人参加した子どもたちのうち数千人を、
西川さんは直接、指導してきたのですが、
その際、尋ねてきたことがあります。

それは、返事の意味です。

 「みなさん、『はい』という返事は漢字でどう書くか、ご存じですか?」

西川さんは、このように子どもにも敬語で話しかける人です。

しかし、そう聞かれても、ふつう誰も手が挙がりません。

これまで、すぐに答えることができたのは、3、4人くらいだったそうです。

そこで、ヒントを出します。

 「お父さんやお母さんが手紙を書かれるときの最初の言葉は何でしょうか?
  これがヒントです」

すると、「あっ」と声をあげて、手を挙げる子が出てきます。

 「拝啓の『拝』です」

 「そうです!よくわかりましたね!
 「はい」は拝啓の「拝」つまり、相手を敬う心から生まれてくるものなんですね」

子どもたちは、いっそう真剣な眼差しで聞きます。

 「『はい』という返事は、気持ちがいいものですね。
  それは相手を大切に思い、敬う気持ち、思いやりの心がこもっているからですよ。

  それに「はい」と言っていると、自分の心が素直になっていきます。
  ですから、『はい!』という、たった一言だけで、
  自分もまわりの人も幸せな気持ちになれるんですよ」

 
そういうことを西川さんはニコニコしながら教えてあげるのです。

すると、子どもたちの様子が明るく変わってきます。

 「はい!」という返事に心をこめるようになってくるのです。

さらに、子どもたちの表情や目がイキイキと変わっていく言葉があるそうです。


《感謝で、人は幸せになる》

それは、「ありがとうございます」。

西川さんは、子どもたちが模擬店を出して商品を売り買いする
お店体験の指導もします。その前に、次のようなことを言うそうです。

 「皆さん、お客様と応対するとき、いちばん大切なのは、
  お客様への感謝の気持ちです。
  お客様はお店までわざわざ足を運んでくださいます。
  そして、商品を買ってくださいます。

  これは当たり前のことではないんですよ。

  商品を買ってくださるだけでなく、来ていただけるだけでも、
  ありがたいことなんです。

  そこには私たちへの信頼があります。

  その信頼に一所懸命応えていかなければなりません。

  そうすることで、お店をこれまで長く続かせていただき、
  私たちもいま働かせていただいているのです。

  ですから、一人ひとりのお客様に感謝の心を持って
  応対することが大切なんですよ」

はじめてそんな話を聞いた子どもたちは、次第に目の輝きが変わっていきます。

「ありがとうございました」と頭を何度の角度で下げなさいと言わなくても、
自然に頭を下げるようにもなります。

あるとき、一人の男の子がイキイキした表情で、
「ありがとうございました」と深くお辞儀をしているのを見て、
西川さんはすかさずほめました。

 「あなたの『ありがとうございました』は、すごくいいですね。
  あなたのおかげで店の中がパッと明るくなりましたよ。
  いい応対をしてくださって、ありがとうございます。」

すると、そばで聞いていた付き添いの先生が、ふいに目頭を押さえました。

 「どうされたんですか?」

驚いて西川さんが尋ねると、先生は涙をこらえながらこう言いました。 

 「この子は、特別支援学級の子で、学校外の人から、
  これまでほめられたことも、感謝されたこともなかったんです。

  西川さんから今日はじめて「ありがとう」って言ってもらえました。

  それなので、うれしくて……。
  感謝されるって、こんなにうれしいことなんですね。
  本当にありがとうございました」

感謝すること、感謝されること、
それは人が人として認め合い、人が人として尊重し合うなかで生まれる、
素晴らしい行いなのです。

https://lucky.t-nakai.work/2020/10/01/story-118/

        <感謝合掌 令和3年10月27日 頓首再拝>

感謝の名言30選 - 伝統

2021/11/09 (Tue) 04:47:12


       *Web:モチラボ より

「感謝は人の心を開き、運命を開く」(本田健:作家)


「感謝は、過去を意味あるものとし、
 今日に平和をもたらし、明日のための展望を創る。」
(メロディ・ビーティ:アメリカの作家)


「感謝は、あなたが成長し、広がるのを助けます。
 感謝は、あなたの人生に、喜びと笑いをもたらすだけでなく、
 あなたの周りにいる全ての人々の人生にも喜びと笑いをもたらします。」
(アイリーン・キャディ:「聖なる楽園」フィンドホーンの創設者の一人。)


「感謝はライフスタイル。選ぶもの」(こうのひろゆき:コーチ)


「私の、このヘタな文字、つたない文章も、
 見てくれる人のおかげで書かせていただけるんです。
 〈おかげさん〉でないものは、この世に一ツもありません。
 みんな〈おかげさん〉で成り立っているんです」(相田みつを:詩人・書家)


「感謝のキャッチボールが幸せのホームランとなる」(作者不明)


「「今日は勘弁してくれたまえ、一文の持ち合わせもないんだ」
 こう言いつつ詩人はこじきの手をぎゅっと握った。
 こじきはどんな大金をもらうよりも詩人の手のぬくもりを感謝した。」
(ツルゲーネフ:ロシアの小説家)


「感謝の心が人を育て、感謝の心が自分を磨く」(作者不明)


「感謝の念は教養の結実である。粗野な人々の間には見受けられない。」
          (サミュエル・ジョンソン:イギリスの詩人)


「「感謝する心」は、人間社会のなかで心穏やかに生きる最高の発明品」
                (斎藤茂太:精神科医・随筆家)


「感謝を口にすることは礼儀正しく楽しい。
 感謝を行動で表すことは、高潔で気高い。
 感謝を生きることは天国に触れること。」
      (ジョハニス・A・ゲイアートナー:アメリカの神学者)


「素敵な夫婦関係の決め手は、「ありがとう」のたった一言。」
                 (斎藤茂太:精神科医・随筆家)


「感謝する理由が見つからなければ、落ち度はあなた自身にある」
                   (北米ミンカス族の格言)


「仏法が分かるということは、今まで当り前にしておったことが、
 ひじょうにありがたいことになるということ。」
                      (米沢英雄:医師)


「我々が感じる不満の全ては、我々が持っているものに対して
 感謝の念を抱くことがないことから生じている。」
                  (デフォー:イギリスの作家)


「毎朝、目を覚ますたびに、お前はこう言ってもいいだろう
 ──「目が見える。耳が聞こえる。体が動く。気分も悪くない。
 有難い!人生は美しい!」
                 (ルナール:フランスの劇作家)


「恩恵に感謝するものは、恩恵からより以上のものを引き出す」
            (パブリアス・シラス:古代ローマの詩人)


「感謝の心が高まれば高まるほど、
 それに正比例して幸福感が高まっていく」
                (松下幸之助:パナソニック創業者)


「苦労を語る前に、私はまず自分自身の幸運に感謝したい。」
                (松下幸之助:パナソニック創業者)


「感謝しなさいと人から言われても感謝できるものではない。
 自然に自発的に様々なものに感謝できた時が
 脱皮であり人格者となるのである」(作者不明)


「人が人よりも機械を信用し、人の情熱や誠意よりも数字を信頼し、
 社会が人を信頼しなくなった時、感謝の気持ちは存在するのだろうか。」
                 (M・トケイヤー:ユダヤ教指導者)


「不満はね、ストレスの素よ。感謝はエネルギーになるのよね」
                       (森光子:女優)


「感謝する技術とは、あなたの感謝の気持ちに手や腕や脚をつけ、
 声を加えることで感謝することである。
 感謝する技術とは、他人も幸福にしようと努力することで
 自分の幸福を感謝することである」(W・A・ピーターソン:アメリカの作家)


「トイレでも感謝。何事も感謝。」(松浦弥太郎:雑誌『暮しの手帖』編集長)


「現在の生活の状態、境遇、職業、何もかも一切のすべてを、
 心の底から本当に満足し、感謝して生きているとしたら、
 本当にその人は幸福なのである。
 心が積極的になれば、たとえ人生に苦難苦痛があろうと、
 心の力で喜びと感謝に振りかえることができる」(中村天風:思想家)


「祈りをしているうち、感謝の気持ちが生ずるようであれば、
 (潜在意識への引き渡しが完了した証拠なので)その祈りはかなえられる。」
              (ジョセフ・マーフィー:アイルランドの著述家)


「感謝は喜劇、でも求めたら悲劇」(こうのひろゆき:コーチ)

「私たちをとりまくすべての美、
 気づかれないような美に、感謝の心を持ちなさい。
 太陽の光、夕焼け、星、雲、木、人々に感謝の心を持ちなさい。」
                  (オショウ:インドの宗教家)


「お礼を言っても、心で感謝してないのは、「お礼お礼詐欺」だよ」
                 (ながれおとや:なぞなぞ作家)


「私は感謝しなけりゃいけないな。
 本当に不思議なものだな、家内を思い出すとありがとうっていうのが
 自然と出てくるんだから、これは不思議だ。」(加藤楸邨:俳人)

https://motivation-up.com/word/037.html

        <感謝合掌 令和3年11月9日 頓首再拝>

感謝の本当の力 - 伝統

2021/12/03 (Fri) 04:40:27


    *「「感謝」で思考は現実になる」
       パム・グラウト(著)(P1~3)より抜粋

(1)ナポレオンヒルは「思考は現実化する」と言った。
   だが実は、本当の力は「思考」の中の「感謝」にある。

(2)本書で言う「感謝」は「猛烈な感謝」「見境のない感謝」と呼んでもいい。

(3)感謝するのは、決して難しいことではない。
   ただ、日々の生活で少し立ち止まって、
   絶対的な宇宙の存在を意識するだけでいい。

(4)ネガティブな声ばかり聞いていると、
   宇宙からの素晴らしい贈り物が見えなくなってしまう。

   この地球上に存在すること、今日という日を見来ていること、
   人生という冒険を楽しんでいること ―― 
   そのすべてが、宇宙からの贈り物だ。

   それなのに、意地悪なウソの声 ―― 
   「人生は最低だ」「人生はつらい」 ―― を信じてばかりいると、
   無限の可能性とのつながりが断たれてしまう。

(5)宇宙の電波塔からは、いつでも喜びの音楽が流れている。
   その音は、耳を澄ましさえすれば、誰にだって聞こえる。   
   少し意識を変えるだけで、その音楽が聞こえるようになる。

           ・・・

*動画による本書の紹介
 【引き寄せの法則】お金も恋愛も引き寄せる
 【感謝で思考は現実になる】を解説
  ナカセの本棚(2020/01/11)
  https://www.youtube.com/watch?v=bvI48jLQNNY

        <感謝合掌 令和3年12月3日 頓首再拝>

”猛烈な感謝” - 伝統

2021/12/20 (Mon) 04:43:42


        <「「感謝」で思考は現実になる」(P5~8)
         パム・グラウト(著)>

(1)自分が「感謝の周波数」に乗らなければ、より大きなものと
   つながることはできない。

   聖なる電波塔から送られてくる無限の愛、可能性、喜び、
   自由は、不安や恐怖の声に頭の中を占領されている状態では
   受け止めきれないからだ。

(2)普段の私たちは、宇宙とつながるパイプが詰まってしまって
   いるような状態だ。宇宙からの無限の恵みを、常識という
   小さな器に無理やり押し込もうとしている。

   まるでシンデレラのお姉さんが、
   ガラスの靴に自分の足をねじ込もうとするように。

(3)大切なのは、「すべてに感謝する」ことだ。
   山になった請求書に感謝する。
   予期していなかった病気の診断に感謝する。
   酔っ払って新品のカーペットの上に吐いたボーイフレンドに
   感謝する・・・・・。

(4)よく見えようが悪く見えようが、あらゆる物事に感謝する――
   これが私の言う「猛烈な感謝」だ。

   猛烈な感謝、見境のない感謝は、
   FP(Field of infinite Potentiality = 
   可能性のフィールド)への入り口だ。

   感謝は、FPの中心に直接つながっている。
   FPのことを宇宙と呼ぶ人もいれば、神と呼ぶ人もいる。
   でも、呼び方は何でもいい。

(5)とにかく、感謝をして感謝の周波数に乗ると、奇跡を起こす
   エネルギーとつながることができる。

   感謝の周波数に乗れば、自分で努力しなければならないこと
   はもうほとんどない。

   あとのことは、宇宙が喜んで引き受けてくれる。
   あなたはただうなずいて、宇宙の導きに従うだけでいい。

(6)「猛烈な感謝」を実践していると、
   「こんなにがんばる必要はなかったんだ」ということに
   気づくだろう。

   むしろ、がんばりすぎるのは逆効果だ。
   いつでもそこにあり、私たちを導いてくれている宇宙の
   エネルギーを、かえってブロックすることになってしまう。

(7)感謝すること。人生の「いいこと」のすべてに気づくこと。
   それが、最高にすばらしい人生への入り口だ。

   感謝の気持ちを抱くだけで、美しさ、喜び、創造性で満た
   されたエネルギーに、ひとっ飛びで乗ることができる。

(8)まず、30日間、猛烈に感謝するという実験から始めよう!

        <感謝合掌 令和3年12月20日 頓首再拝>

”素直に驚き、感謝する” - 伝統

2021/12/25 (Sat) 06:28:31

        
      *「「感謝」で思考は現実になる」パム・グラウト(著)
       (P21~25)より

(1)感謝の周波数に乗っているときは、自分でも必ずわかる。
   とにかく人生がうまくいくからだ。

   私自身も、感謝の周波数で振動しているときは、
   いい文章がかけるし、いい母親になれるし、食事もおいしく感じるし、
   音楽を聴くときの喜びも大きくなる。

   それに、
   まったく知らない人からラブレターが届いたりもする。

(2)強力に愛を引き寄せる電波を出したいのなら、遊び心が大切だ。

   世界の驚異に素直に驚き、そして感謝しよう。

   そういう人だけが、宇宙に真剣に相手をしてもらえる。

(3)ここですごい「秘密」を教えよう。

  ①奇跡を起こすエネルギー・フィールドとつながるのに、
   努力はまったく必要ない。
   あなたがいい子でなくても大丈夫だ。

   何かの公式に従う必要もない。
   つまり、なんにもしなくていいということだ。

  ②宇宙のエネルギーは永遠になくならない。
   どこかに隠れたりもしない。
   絶対に失敗しない。いつでも愛だけを与え、祝福だけを与えてくれる。

   そして奇跡は、一切れのパイと同じくらい、
   簡単に手に入るものなのだ。

  ③ただし、たった一つだけ条件がある・・・・・。
   その条件とは、頭の中の意地悪な声を聞くのをやめることだ。

   頭の中の意地悪な声を聞きつづけていると、
   エネルギーに雑音が入ってしまう。

  ④私たちが永遠に続く魔法の中で生きていないのは、
   私たちが、宇宙の電波を安定して受け取れていないからだ。

   電波障害によって携帯電話やラジオにときどき雑音が入るのと同じだ。

   宇宙から流れてくるエネルギーを、
   雲のようなものがブロックしているのだ。

   こちらの受信機の状態が悪いせいで、雑音が入ってしまっている。

  ⑤問題は、宇宙がエネルギーをけちっていることではない。
   宇宙は絶対にそんなことはしない。

   問題は私たちにあるのだ。
   宇宙が送り出してくれている無限の愛に気づかないのが問題なのだ。

  ⑥不機嫌なエネルギーを出しているときは、雑音が多く入る。

        <感謝合掌 令和3年12月25日 頓首再拝>

”感謝のゲームの、収益報告書を作成しよう” - 伝統

2022/01/08 (Sat) 04:37:33


      *「「感謝」で思考は現実になる」パム・グラウト(著)
       (P54~66)より

(1)うまくいってることに感謝する。

  ①「うまくいっていること探し」を自分の使命にする。

  ②いつでも物事のいい面を見るように心がける。

  ③人生が変わるのは、私よりもずっと賢くて美しい宇宙が、
   私のために働いてくれたということだからだ。


(2)大いなる力に人生をゆだねる。

  ①目に見えない力を信じて、感謝の気持ちで過ごすだけで
   宇宙はあなたをいつでも手助けしてくれる。

  ②サルと人間の違いは
   人間の精神が、美しい芸術作品を創造し、会話を生み、
   物事の意味を考え、他者のための行動に私たちを駆り立てる。


(3)ワクワクするものに向かっていく。

  ①どんな人でも、想像力だけで一大帝国を築くことができる。
   創造の女神の恵みは永遠に続く。

  ②宇宙の中で、新しいものを想像するのは人間の役目だ。
   これは神聖な仕事であり、誰もがその仕事を任されている。


(4)全力で楽しむ。

  ①人間は永遠には生きられないのだから、
   全ての瞬間を最大限に楽しまなければならない。

  ②すべての行動が他者へのサービスだ。

(5)応援してくれる友達。

  ①自分の幸運をまき散らそう。

  ②命を救い、地球を救おう。

  ③一緒においしいものを食べ、深い会話を楽しむ仲間だ。

  ④地球上のすべての存在を楽しい気持ちにさせることだ。
   たくさんの愛を届けることが、あなたの使命になる。

        <感謝合掌 令和4年1月8日 頓首再拝>

包まれている恩恵に感謝 - 伝統

2022/01/10 (Mon) 04:51:31


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月10日)より

冬の日光ほど嬉しいものはない。
寒いときに日光の恩恵について考えるほどには、
われわれは空気の恩恵について感謝していない。

われわれは食物に感謝するように空気にも感謝しなければならぬ。

われわれは空気の恩恵について感謝すべきことに気がついたとき、
われわれの周囲に感謝すべきものがかくも多数に充ち満ちていることに
気がつくだろう。

大地、家、畳、すべての調度
 ―― ひとつも自分が造ったことのないこれらのものを
われわれは平然と使いながら生きているのである!

         <感謝合掌 令和4年1月10日 頓首再拝>

万物ただ有難い - 伝統

2022/01/15 (Sat) 01:59:24


    *「光明道中記」(1月15日《新天地開ける日》)より抜粋

愛に眼覚めること、愛の心を起すこと、
神の愛を感ずること、大自然の愛を感ずること、
人の愛を感ずること、すべての物と事とに内在する愛を感ずること

 ―― 一言にして言えば、すべての事物をただ有難く拝まさせて戴く
心になることが此の月の毎日の課題であったのである。

有難く思わなかったことがあったら、
それは其の事物に有難さが宿っていなかったからではなかったのである。
自分が有難さを見る眼を開いて見なかったからに過ぎない。

「机さん有難う」「空気さん有難う」「御食事有難う」「日光有難う」
「お父さん有難う」「お母さん有難う」 

斯う声を掛けてみれば、万物ただ有難いことが判るのである。

         <感謝合掌 令和4年1月15日 頓首再拝>

《感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である》 - 伝統

2022/02/01 (Tue) 05:01:40


         *「光明法語」(2月1日)より

吾々は電燈の光を得ようと思えば先ずスイッチをひねる事が必要である。
先ず吾々みずから或る力を与えるのである。
すると光が与えられる。

太陽は照っていても、その光を受けようと思えば先ず自分が眼を開かなければならぬ。
眼を開くと云う動作を与えることによってのみ太陽の光は与えられるのである。

そのように吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
その恩恵がわがものになるのである。

感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。

         <感謝合掌 令和4年2月1日 頓首再拝>

”30日間毎日やるエクササイズ「AA2・0」” - 伝統

2022/02/18 (Fri) 02:27:39


       *「「感謝」で思考は現実になる」(P68~70)
        パム・グラウト(著)より

(1)ステップ①
   「今日、何かとてつもなくすばらしいことが起こる」と認める

   このワークは、朝起きたら、まっさきに行う。
   掛け布団を蹴飛ばしてベッドから飛び出る前に、
   熱いコーヒーを淹(い)れる前に、

   「何か予想もできないこと、ワクワクすること、
    とてつもなくすばらしいことが起こる」と、

   世界に向かって宣言する。
   時間なんてほとんどかからない。3秒か、4秒くらいのものだ。

   それでも、これほど大切な朝の行動はないと言ってもいいだろう。

   朝の最初の数秒が、
   その後の24時間をポジティブに変えるのだ。

   前向きな気持ちで一日を始めることができる。
   いいことを期待するので、いいことばかりに注目するようになる。


(2)ステップ②祝福と奇跡を信じる

   あなたは私立探偵だ。
   依頼を受けた仕事は、世界に存在するすべての美しいもの、
   大きいものを発見すること。

   世間の常識は、むしろ逆のことを言っているかもしれない。
   世界は醜くて小さい場所だと証言する人が多いかもしれない。

   それでも粘り強く捜査を続ければ、
   まったく違う世界が見えてくるだろう。

   問題を探すのをやめて、祝福を探すようになれば、
   「世界は祝福に満ちている」ということに気づくだろう。

   昔のネガティブ思考に戻ってしまわないために、毎日
   「とてつもなくすばらしいこと」を3つ見つけて記録しよう。

   メールで仲間に送ってもいいし、ツイートしてもいいし、
   フェイスブックに投稿するのでもいい。

   ここでのルールはただ一つ、それは「毎日違う内容にすること」だ。


(3)「感謝の周波数」に乗るためのパーティーゲーム

   ①宝物リストを作ろう
   ②応援団に入部せよ
   ③感謝の筋肉を鍛える
   ④壊れたレコードになる
   ⑤砂浜から目を離すな!
   ⑥幸運を引き寄せる『磁石』になる
   ⑦宇宙に全て任せる
   ⑧『サイテー』とハイタッチ!
   ⑨未来宣言
   ⑩『お気に入りの木』を探せ
   ⑪ストップ!『かわいそうな私』
   ⑫シャーロック・ホームズになれ!
   ⑬魔法の『真逆の言葉』を言う
   ⑭ワンダーウーマンは君だ!
   ⑮宝物を探せ!
   ⑯まろUP !
   ⑰携帯電話に『ありがとう』を言う
   ⑱愛のレーザービームを発射!
   ⑲笑いの伝染病を起こせ!
   ⑳病院ごっこ

         <感謝合掌 令和4年2月18日 頓首再拝>

岡山市の路面電車が感謝の気持ち伝える“メッセージ伝車”に - 伝統

2022/02/25 (Fri) 03:35:23

        *Web:NHK(2022.02.23)より抜粋

(1)岡山市内を走る路面電車では、「メッセージ伝車」と名付けられた
   取り組みで。家族や恋人に日ごろの感謝の気持ちなどを伝えて
   もらう録音メッセージが流されました。

(2)車内では、次に止まる電停の名前とともに男性と子どもの声で


   「ママへ。いつもおいしいごはんを作ってくれてありがとう」とか、

   女性の声で

   「25歳の誕生日おめでとう。私は一番に応援しています。
    生まれてきてくれてありがとう」

   といったメッセージが放送され、
   乗客はほほえみながら聞いていました。

(3)この取り組みは今月26日と27日にも行われる。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20220223/4020011864.html

         <感謝合掌 令和4年2月25日 頓首再拝>

人生と云う食膳に上り来る出来事をありがたく食する - 伝統

2022/03/31 (Thu) 07:19:41


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月31日)」より

必需物(なくてならのもの)はすべて与えられている。
必需物(なくてならのもの)は一つの事物ではない。一つの事物にのみ執着する者は、
自分の人生に流れ入って来る「神の与えた必需物(なくてならのもの)」を拒むものである。

世に肥(こ)えることのできない児童に偏食者というのがある。
食膳に上がったものをそのままありがたく受け入れない。
アレかコレかの選択が多すぎる者である。

食膳の食物(しょくもつ)をすべてありがたく拝んで食べる者の
胃腸病は治って肉体が肥えてくるように、

自分の人生に流れ入(い)ってくるいっさいの事件を喜んで受け、そのすべてから滋味を吸収し、
去り行くコースには執着せず、新たに人生の食膳に上(のぼ)り来るものを
また新たに合掌して受け、食する者はついには人生の豊かなる肥満者となるのである。

            <感謝合掌 令和4年3月31日 頓首再拝>

心の眼をひらき、すべてを感謝して受け入れる - 伝統

2022/04/12 (Tue) 08:17:47


       *『女性の幸福365章』(P5)より

天地万物、心の眼をひらいて見れば、悉く神のいのちのあらわれである。

其処には無数の啓示と教えとがダイヤモンドの如く輝いているのである。
それを見出すものもあれば、見出さないものもある。


空気も、水も、日光も、家も、着物も、
天地万物ことごとく神のいのちの表現である。

感謝して受ける心はこれらを浄め、
その恩沢を増幅するのであり、
感謝しない心は、その恩恵をけがし
減弱して受けとるから充分の功徳を受けることはできない。

            <感謝合掌 令和4年4月12日 頓首再拝>

《常に感謝する祈り》 - 伝統

2022/04/13 (Wed) 07:43:23


       *「光明法語」(4月13日)より

常に間断なく善き事を考えている者のみが
善き事を来る様に祈っている事になるのである。

常に間断なく善き事を考えている者とは、常に今ある状態を不平に思わず、
既に「實相の完全な相(すがた)」があるとして感謝している者の事である。

常に感謝している者は、常に善き事を祈っていることになる。

併し、単に今ある状態に甘んじている者は、
それ以上の状態を祈っているのではないから、
其れ以上の結構な事物は現れて来ないだろう。

「實相無限の善」を今ありと感謝する者のみが無限に改善し
生長する善き事を得るのである。

            <感謝合掌 令和4年4月13日 頓首再拝>

今豊かにすでに与えられている恵みに感謝する - 伝統

2022/04/29 (Fri) 09:22:31


       *「生長の家」(昭和25年6月15日の法語)より
        ~《神の子に本来 経済難はない》

   神は人間をこの世に生んだ限りは
   人間に職業が与えられているということは確かである。

   吾々は まず失業や金づまりの不自由な状態を 心に描く代りに、
   今豊かにすでに与えられている恵みに感謝することから
   始めればいいのである。

   すべての欠乏を数えず、
   満ちたりたものを数えあげて
   感謝することから始めよ。

   吾々は空気を与えられ
   水を与えられ
   日光を与えられ、

   足を与えられ、
   手を与えられ、
   目を与えられ、
   鼻を与えられ、

   凡ゆるよきものを与えられている事を
   数えあげて毎日感謝せよ。

   「 豊かなる想念をおこせば豊かさが出現するのである 」 。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2

            <感謝合掌 令和4年4月29日 頓首再拝>

感謝で与えられ、不平で奪われる - 伝統

2022/05/10 (Tue) 07:50:26


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月10日)」より

感謝する程度にしたがって与えられ、不平を持つ程度にしたがって奪われる。

           <感謝合掌 令和4年5月10日 頓首再拝>

仕事でうまくいく習慣(感謝すればまたいいことがある) - 伝統

2022/05/13 (Fri) 10:10:53

        *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/22)より

仕事で「ありがとう」を伝える


あなたが、職場で働いているとします。

仕事のやり方で、もう一つ要領がつかめていないのをみかねて、
上司か同僚が仕事のやり方のコツを教えてくれました。

ふつうなら、「ありがとうございます」とお礼を言いますよね。


あなたは、それ以外にどうしますか?

あなたもきっとそうだと思いますが、
仕事がうまくいく人というのは、それだけで終わらせないものです。

まずは、教えてもらったことをすぐにやってみます。

やってみて少しでもうまくいったら、

「〇〇さん、さっきのうまくいきましたよ。ほら、みてください」

とわざわざ報告に行くのです。

「(これまでの苦労がウソみたいです)どうもありがとうございました。」

と再度、感謝するのです。



このように、人から教えていただいたら、
基本的に次の3つのことをすればよいと思います。

(1)その場で感謝する

(2)実行する

(3)後で報告して、感謝する


ふつうは、(1)か(2)で終わりますが、
仕事を通してよい人間関係をつくれる人は、ほとんどが(3)までやっています。

    (https://lucky.t-nakai.work/2019/02/22/custom-26/ )

         <感謝合掌 令和4年5月13日 頓首再拝>

【感謝を学ぶこと】 - 伝統

2022/05/14 (Sat) 07:14:00

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.05.14)より

   (石川洋氏の心に響く言葉より…)

   私は、自分に対する戒め、自戒というものを五つ持っておりますが、
   その最初は 「つらいことが多いのは、感謝を知らないからだ」。

   つらくない人なんていうのはいないし、
   つらくない人生なんていうものは、薄っぺらなものだと思いますけれども、
   つらさだけで終わってしまったら、それこそ、人生、
   何のために生きてきたかわからないんではないでしょうか。


   十七歳のときに、一燈園での生活に入らせていただいた最初のころ、
   滋賀県の米原というところで田おこしから田植えまで行ってきなさい
   ということで、ご奉仕に参ったことがあります。

   私は百姓をしたことがありませんので、随分悪戦苦闘いたしました。

   手にいっぱいのマメを作り、琵琶湖を干拓したところですから、
   地元の人がバカガイと呼ぶ大きな貝がありまして、
   その貝に足が触れるとザクッと切れ、 随分けがもいたしました。

   そんな満身創痍で一カ月たって、実家に帰らせていただいたんです。

   当時の大事な先輩で末廣木魚さんという、大変な苦労人でございまして、
   東京都新聞の記者をなすってらした、大変ユニークな方がおりました。

   その方に、満身創痍で手がマメだらけで、
   ヒョウソウまでおこして帰ってきたということを一気に語ったんですね。


   それを黙って聞いててくださいまして、その手を一遍出させ、
   そして私のマメを見て、「石川さん、そのマメは食えんな」 とおっしゃいました。

   当たり前のことでございまして、手のマメが食べられるわけではございません。

   お昼を一緒にいただいて、いろいろお話を聞かせていただいたんですが、
   最後に木魚さんがおっしゃいました。


   「これからな、あんた長い人生、修行生活をしていかなきゃならない。
    つらいこともたくさんあるだろうと思うけれども、
    今のおまえの生き方は、道を誤る」 とおっしゃいました。

   「慣れない百姓をしてきて、手にいっぱいのマメを作り、
    そして貝で足を切って、 ヒョウソウまでしてきて、随分大変だと思うけれども、
    おまえ、それしか言えないのか」

   「はい、それしか私はわかりません」

   「うん。慣れない百姓をして、たくさんのマメを作って、
    ヒョウソウまでした苦労、そこで終わっちゃいけない。
    初めて、お百姓さんのご苦労、一粒の米のもったいなさ、
    皆さんのおかげで生かしていただいているんだなという、
    大自然をはじめとするさまざまな人のご苦労があって、
    一粒のお米をいただいている。

    その感謝が わからなかったら、
    おまえはつらいだけの人生で終わってしまうぞ」


   それが、私が最初に先輩からいただいたおしかりと、導きでした。

   「つらいことが多いのは、感謝をしないからだ」

   つらいだけの人生で終わってしまったら、本当に無意味でございます。

   大事なことは、つらいことよりも感謝を学ぶことではないでしょうか。


    《辛い仕事が多いのは感謝をしないからだ》

        <『やるなら決めよ決めたら迷うな』勉誠出版
                 https://amzn.to/3Mb63ha >

               ・・・

長い人生の中では、病気になったり、事故にあったり、
さまざまな予期せぬトラブルに見舞われることもあります。

しかしながら、それをどう受け止めるかによって人生は変わってきます。


ある人は、

「あの事故にあってしまったが、あの程度ですんでよかった。
 本当に守られている。感謝しかない」と。

また、ある人は、

「あんな事故にあったために、こんなにお金を使ってしまって、
 ホントにツイてない。あの車が悪いんだ」と、
いつもまでも愚痴をいい、だれかを恨(うら)みます。

事実はひとつですが、捉え方は正反対です。

「つらいこと」が、つらいままで終わってしまい、愚痴や泣き言を言い続けるのか。

「つらいこと」を、感謝に変え、「おかげさま」「ありがとう」と
いい続けることができる感謝の人生なのか。


つらいことから…

感謝を学ぶ人生でありたいと思います。

         <感謝合掌 令和4年5月14日 頓首再拝>

仕事でうまくいく習慣(感謝すればまたいいことがある) - 伝統

2022/05/17 (Tue) 07:14:15

       *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/22)より

「ありがとう」と報告する

上司(先輩)に「この書類を見ていただけないでしょうか」と
お願いして、見てもらうとします。

そのとき、赤ペンで直され、
「ここは、こういう表現にした方がいいよ」と教えてもらうことがあります。

そのとき、お礼を言うのは当然です。

次には、教えてもらったことをできるだけ速やかに実行します。

このケースでは、速やかに書類を修正することです。

その後、

「この通り、修正し終えました。
 おかげさまで前より良くなったと思います。
 ありがとうございました」

と報告をするのです。

上司(先輩)は教えてはあげたが、その後どうなったかなと気にしています。

気にしてはいないように見えても、
部下が自分の言葉をどう受けとめたのか知りたいのが、上に立つ者の心理です。

ですから報告することで、上司(先輩)は安心します。

感謝されることで、また教えてあげたくなるのです。

    (https://lucky.t-nakai.work/2019/02/22/custom-26/ )

         <感謝合掌 令和4年5月17日 頓首再拝>

「不足」ゆえにこそ感謝しなければならない - 伝統

2022/06/10 (Fri) 11:04:50


    *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月10日)」より

すべてがすでに与えられて、
もう生み出しの必要のない世界にいるほど退屈なことはない。

「不足」を不平に思う人は、
「不足」をこのゆえにこそ感謝しなければならないのである。

           <感謝合掌 令和4年6月10日 頓首再拝>

《感謝、到る処に天国を生み出す》 - 伝統

2022/06/14 (Tue) 07:16:01


        *『 生長の家 』(昭和46年10月1日の法語)より

   その人の幸福の大小は、
   その人を取り巻く物質の大小によるのではないのであり、
   その人自身の感謝の感情の大小によって定まるのである。

   感謝の念、大なれば乏(とぼ)しき物質の中にいても、
   その人は天国の悦びを享受することができるし、

   豪華絢爛(ごうかけんらん)の物質に豊富にとり囲まれていても、
   心が不幸や憤(いか)りに満たされ、他(ひと)を呪っているならば、
   地獄の苦悩を体験するのである。

   それゆえに常に万物に感謝せよ。
   見るもの聞くもの、触れるもの、その悉(ことごと)くに感謝せよ、

   念々 感謝の中から天国は生み出され、浄土は誕生するのである。

   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=32

           <感謝合掌 令和4年6月14日 頓首再拝>

真の神を知り、神に感謝する - 伝統

2022/06/25 (Sat) 07:28:06


        *『希望を叶える365章』(P200)より
         ~神は今、あなたの中に

神に感謝せよ。

感謝の想念及び感謝の言葉は、ただそれだけでも心を平和にし、
ホルモンの平衡を調節し、血液の循環を順当にし、健康を増進し、
病気の恢復を速(はや)める効果があるのであります。

しかし、神に感謝すると言っても、
神とは如何なるものかと云うことを知らなかったら、
その感謝が的をはずれたものになり、その効果が少ない
と云うことになるのであります。

人類はずっと長い間、神を、天上にいて絶対権威をもち吾々を見張っていて、
善人に褒賞を与え、悪人を地獄におとす裁判官のように考えて来たのであります。

また仏教でも真宗に於いては十方億土の彼方に極楽浄土があり、
その浄土の主人公が阿弥陀仏だなどと考えた信徒が多かったのであります。

しかし、神も阿弥陀仏も決してそのような遠方にいられる神仏ではなく、
ただあなたの中に今此処に坐(いま)し給うのであります。

           <感謝合掌 令和4年6月25日 頓首再拝>

理想の世界に感謝する - 伝統

2022/07/01 (Fri) 07:03:57


       *メルマガ「星のしずく」(2022.06.30)より抜粋

今、「これまでの生き方や社会のあり方は、もう十分」
と、新しい生き方を模索する人たちが出始めています。

その世界的な流れは止めることはできません。

これからは、一人ひとりが
過去の、あらゆる枠から自由になって理想を生きる時代です。

しかし、それでも、現状に不満をもってしまうと
その不満によって、過去の枠から抜け出せなくなります。


大切なことは、現状に不満を向けるのではなく

「こうなったらいいな」 とイメージする

理想の世界に感謝すること。



感謝には不思議な作用があります。


感謝は
過去の出来事に対してだけでなく、未来の可能性にも開かれています。

特定の人に向けたものではなく、特定の行為に向けたものでもなく。

こうした世界があったらいいなという、イメージ・存在に対する感謝。


その感謝は
あなたの足もとから理想の世界へ向かう道筋を照らしだします。

このように感謝は
道徳的によいという意味だけでなく、時間を超越したエネルギーです。


理想の世界に対して
感謝の気持ちをもつことは
すでに理想の世界へ足を踏み入れているのと同じ。


あなたの存在そのものを
一挙一動を感謝で満たしていきましょう。


その感謝は
楽しい、嬉しいというにぎやかよりも、
もっと静かで厳かな雰囲気で。

あなたの存在が感謝で満たされたとき

「あえて静けさを保つことで」

感謝のエネルギーは
もう一段階、高まり昇華していきます。


そう

「厳かな雰囲気」とは
感謝の、もう一段高いレベルにある現象なのです。

「感謝の光をまとい、厳かなオーラを放つ」

そのようにして、あなたが変われば
その変化の波動を感じとり、引き寄せるものも変化していきます。


あなたは、細かな計算をせずとも
理想の世界へと駆け上っていきます。

           <感謝合掌 令和4年7月1日 頓首再拝>

仕事でうまくいく習慣(感謝すればまたいいことがある) - 伝統

2022/07/05 (Tue) 07:18:34


        *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/22)より

「ありがとう」は普段から

これは、仕事以外の人間関係にもあてはまります。

たとえば、おいしいラーメン屋さんを教えてもらったときもそうです。

「ありがとう!この前教えてくれたラーメン屋さん、行ってみたよ。おいしかった!」

と報告すれば、相手はきっと喜んでくれます。

「そう、実は、またおいしいラーメン屋、見つけたんだよ。あのね、……」

とまた教えてくれるかもしれません。

人は自分の話を役立てて感謝してくれた人に、
また何かしてあげたくなるものです。

(ケーキの好きな人にはおいしいケーキの情報が、
 映画が好きな人には面白い映画の情報が・・・)

ですから、報告して感謝する人には、
役に立つ良い情報がどんどん集まってくるのです。

報告して感謝しよう。

すると、またいいことがあります。(^.^)

    (https://lucky.t-nakai.work/2019/02/22/custom-26/ )

         <感謝合掌 令和4年7月5日 頓首再拝>

なぜ感謝が大事なのか、科学的に解説 - 伝統

2022/07/10 (Sun) 07:17:11

【超重要】なぜ感謝が大事なのか、量子力学と脳科学で科学的に解説しました |
「感謝」で思考は現実になる by パム・グラウト
シンプリィライフ【量子力学への扉】(2022/05/28)
https://www.youtube.com/watch?v=o5WtP_FkgYM

・・・

<参照>
伊勢ー白山 道(2022-07-08)
忘れている無意識の視点に注意
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/195688be3dced2d7273253755ae56872

         <感謝合掌 令和4年7月10日 頓首再拝>

躓きを含めすべてに感謝 - 伝統

2022/08/05 (Fri) 09:13:13


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月5日)より

躓きは不幸な出来事であるが、われらがまた躓きにも感謝しなければならぬ。

躓きはわれらが人生の道を歩むのに、十分高く足を挙げていなかったことを
教えてくれるものである。われらは躓きによって、躓かないときよりもいっそう
多くのことを学ぶことができるのである。

躓きはまたわたしの心の眼を開いてくれるものである。
もし、今少し手前で躓かなかったら、自分の今歩いている道が、
谷底へ落下する道であることに気がつかなかったかもしれないのである。

理屈で言うのでも、失敗を諦めるために言うのでもない。
躓きは当然感謝さるべきものである。

躓かなくなりえた者は、その幸福をいっそう感謝すべきであるが、
躓きもまた感謝する価値がある。

そうすればわれらは人生のどこにも感謝すべきものが充ちていることを
発見しうるのである。

       <感謝合掌 令和4年8月5日 頓首再拝>

症状は生命の活動、症状に感謝せよ! - 伝統

2022/08/22 (Mon) 08:58:40


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月22日)より

症状が生命の活動であって死の活動でないのは、
死んだら症状が無くなるので明らかである。

発熱や喀血や下痢や咳嗽(せき)を病気の活動だと思うのは
明らかに錯覚である。

いわゆるわれわれが「病気」だと思っているこれらのごとき症状は、
生活環境に抵抗または対応せんとする内部生命の活動の顕われであって、
「病気」そのものではないのである。

されば賢者は症状に感謝し、発熱や喀血や下痢や咳嗽が起こるごとに、
内部生命の、かほどまでにして自分を生かそうとしている努力に
感謝するのである。

      <感謝合掌 令和4年8月22日 頓首再拝>

精神分析で止まるな! 感謝にまで誘え! - 伝統

2022/08/28 (Sun) 07:26:34


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月28日)より抜粋

夫婦間の仲がわるいために病気になれば、
胸の病気か、泌尿器生殖器の病気となって現われる。

岳父母(しゅうとたち)を憎んだり、自分をこんな家へ嫁がせたのは父母が悪いと、
父母を恨んだりすると脊椎カリエスになったり、頭の病気になったりする。

こうしてその人を精神分析しただけでは病気は治らない。

本人を説得して、本人の不平や憎みを捨てさせねばならぬ。

「ここがわたしの家である。どんな苦しみであろうが
 どんな悪いところであろうがわたしの家である。
 わたしが受けてそれを改善してゆくしか道がないのである」

そう思って、受くべきものを受けてしまう心境にならせたときに、
そしてそれを感謝の念に変えしめた時に
苦しみというものが消えてしまうのである。

これが和解の真理の応用である。

和解の真理というものは、都合のいいことだけに和解している
のじゃ足りないのであって、悪く見えるものをそのまま素直に受けて拝む。

痛み来たれば痛みに礼(らい)し、熱来たれば熱に礼し、
下痢来たれば下痢に礼し、いかなる症状をも敵と思わず、
自然療能の催しなりとして感謝して受けるのである。
―― この心境に導くとき、病が消える。カリエスが消え、癌が消える。

精神分析は、分析の仕荒(しあ)らしだけではいかぬのである。
最後は「天地一切のものに和解し、感謝せよ」という
宗教的心境にまで誘導することが必要なのである。

神経性心悸亢進症などは心臓の動悸を恐怖していたのを、
一転して「心臓が動悸しているので血が循(めぐ)っているのである。
ありがとうございます」と感謝の言葉を唱えさせるだけで、
治ってしまった実例がある。

以前樺太の敷香(しすか)町の巡査をしていた星平治という人のごときは
札幌医大で両腎臓が結核に冒されているから治療の道なしと
宣言せられたのを、

腎臓の疼痛ごとに
「自然療能博士が治してくださる信号だ。ありがとうございます」と
その疼痛に感謝し妻に和解するように指導しただけで治ってしまい、
戦争中召集されて満州へ3年も従軍していてなんら病気が再発しなかったと
報告せられた実例もある。

腎臓の病気も夫婦の心的葛藤から来るのであるから、
それを調和させたとき治った実例は多い。

      <感謝合掌 令和4年8月28日 頓首再拝>

すべてを感謝に変える - 伝統

2022/09/03 (Sat) 10:06:55


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月3日)より

人を審判(さば)く者は、また自分も審判(さば)かれるのである。

聖書に「人の負債(おいめ)を赦せ」とあるのは、人に金を貸してあるのに
その借金証文を全部焼いてそれを帳消しにせよという意味ではないのである。
そんなことをしたら商取引は成り立たないのである。

「あいつはわしに損かけている」という感じを捨てて、
「あの人のお陰で商売(その他なんでも)が成り立っているのだ。ありがとうございます」
という気持ちになることなのである。

憎しみや、呪いや、腹立ちの感じを感謝に変化してしまうことである。

できるならば、憎んでいた人の名前をいちいちとなえて
「わたしはあなたを赦しました。わたしはあなたに感謝しています。ありがとうございます」
と毎朝夕20分くらいずつ思念するがよい。

             <感謝合掌 令和4年9月3日 頓首再拝>

【不満ではなく、感謝を先に言おう】 - 伝統

2022/10/08 (Sat) 08:22:25


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.09.28)より

   (致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   作家の故三浦綾子さんの人生は難病の連続だった。
 
   二十四歳で突然高熱に倒れたのが発端である。
   それがその後、十三年に及ぶ肺結核との闘病の始まりだった。


   当時、肺結核は死に至る病だった。

   入退院の繰り返しの中で、三浦さんは自殺未遂も起こしている。

   さらに悲惨が重なる。

   脊椎カリエスを併発。

   ギプスベッドに固定され、動かせるのは首だけで寝返りもできず、
   来る日も来る日も天井を目にするのみ。

   排泄も一人ではできず、すべての世話はお母さんがした。

   そんな生活が4年も続いたとは想像を超える。


   そこに一人の男性が現れて結婚を申し込む。
   光世さんである。

   その日から薄紙を剥ぐように快方に向かい、二人は結婚する。

   綾子さん37 歳、光世さん35歳だった。

   そして綾子さんの書いた小説『氷点』が 新聞社の懸賞小説に当選、
   作家への道が開ける。


   しかし、その後も病魔はこの人を襲い続けた。
   紫斑病。
   喉頭がん。
   三大痛い病といわれる帯状疱疹が顔に斜めに発症、鼻がつぶれる。

   それが治ったと思ったら大腸がん。
   そしてパーキンソン病。

   この二つを併発している時に、私は初めてお会いしたのだった。


   次々と襲いかかる難病。

   それだけで絶望し、人生を呪っても不思議はない。

   だが三浦さんは常に明るく、ユーモアに溢れていた。


   「これだけ難病に押しかけられたら、
    普通の人なら精神的に参ってしまいますね」という
   私の質問に三浦さんは笑顔で答えた。

   「神様が何か思し召しがあって私を病気にしたんだと思っています。
    神様にひいきにされていると思うこともあります。
    特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと..。
    いい気なもんですねえ(笑)」

   誰の人生にも絶望的な状況はある。
   だが、心が受け入れない限り、絶望はない。

   同様に、誰の人生にも不幸な状況はある。
   しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。

   三浦さんの生き方はそのことを教えてくれているように思う。

   その三浦さんがこんな言葉を残している。


   「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
    人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。

    自分を顧みてつくづくそう思う。

    なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう」

         <『小さな人生論 3』致知出版社>

         ・・・

「一生に一度も
 転んだことの
 ない人はいない。

 転べば
 立ち上がればいいのだ。」(帰りこぬ風)


「一生を終えて 
 のちに残るのは、
 われわれが
 集めたものではなくて、

 われわれが
 与えたものである。」(続氷点)



我々は、少し熱が出て寝込んだだけでも、バタバタして、うろたえてしまう。

ちょっとした体の痛みにも我慢できなかったりする。

それが、もし難病の連続が自分に起こったとしたらどうだろう。


転ぶのが恥ずかしいことではない。

転んでも立ち上がらないことが恥ずかしいことなのだ。


一生をかけて、人に何かを与えることができたのか。

もらうばかりではなかったか。

人生の途上、自問自答する必要がある。


不満ではなく…
感謝を先に言える人でありたい。

        <感謝合掌 令和4年10月8日 頓首再拝>

「忍」から「感謝」へ - 伝統

2022/10/12 (Wed) 07:44:36


    *「光明道中記」(10月12日《人を全部宥(ゆる)す日》)より

【人を恨む心を以てしては恨み心を解くことは出来ぬ。
                      (『生命の實相』第七巻)】

尤も仏教でも忍辱(にんにく)と云う到彼岸法(はらみたほう)を
ただ如何なる苦痛も、迫害も、圧迫も、意地悪も耐え忍ぶと言う如く
「怺(こら)える」程度に於てのみ説いている訳ではない。

これは「忍辱」の第一段階であって他より害を加えられたのを
耐え忍ぶところの(一)”耐忍”である。

更に仏教では(二)”安忍”と云うのが説かれている。
単に怺えるのではなく、安んじて忍受するのである。
受くべきものは受けるより道はない。
逃れようとすればする程苦しいのだと云う真理を知って
安んじてうけるのである。

この境地に於ては病気が治ることさえある。
生長の家でも、病苦に喘いでいる人にこの「安忍」を説くことによって
病苦頓(とみ)に癒される実例さえある。

更に仏教ではその上の段階の「忍辱」が説かれている。
それは(三)諦忍(たいにん)と言うので、迫害する者も迫害される者も、
それらは”有る”ように見えても本来存在しないと
道理を諦めることによって瞋(いかり)の心を除くようにするのである。


生長の家ではもう「忍」と言わずに(四)感謝を説くのである。

迫害者も被迫害者も本来存在しないと否定して諦(あきら)めるのではなく、
斯く見えているのは観世音菩薩が我らを済度し給う為にわが心の相(すがた)を
仮りに斯くの如くあらわし示し給うのである。

有難いと、感謝の心を積極的に起すのである。

           <感謝合掌 令和4年10月12日 頓首再拝>

一切を感謝に変える - 伝統

2022/10/13 (Thu) 06:58:09


    *「光明道中記」(10月13日《甘露を飲む爽やかな日》)より

【一つの憎みは十人の憎みを招び、一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

「忍」がまだ自覚されているのは「忍」の最上のものではない。
キリストは、「終りまで耐え忍べ」と言ったし、
また「汝の敵を愛せよ」とも言った。

「終りまで耐え忍べ」と云う語(ことば)には
「忍」がまだ忘れられていないし、

「汝の敵を愛せよ」と言う語は、
「忍」が超えられて「愛」に変じている点では一段の進歩ではあるけれども、
まだ「敵」が忘れられていない。

生長の家では「敵はない」と言い、
「忍」に代うるに「感謝」を以てするのである。

永嘉大師は、

「他の謗(ぼう)するに従(まか)せ、他の非するに任(まか)す。
 火を把(と)りて天を焼く、徒(いたずら)に自ら疲るるのみ、
 我れ聞いて却(かえ)って甘露を飲むに似たり、
 鎖融(しょうゆう)して頓(とみ)に不思議に入る」

と言われたそうであるが、
この境地は素晴らしい高い大きな境地であるが、相手を見下げた感じがある。

「火を把(と)りて天を焼く、徒(いたず)らに自ら疲るるのみ」と云う
語(ことば)には、相手に対する呪詛さえある。その心境には感謝がない。
「我れ聞いて甘露を飲むに似たり」には、一種の独善的な感じがする。

どうしても一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術は
忍辱波羅蜜多以上のものである。

           <感謝合掌 令和4年10月13日 頓首再拝>

無心の総感謝 - 伝統

2022/10/16 (Sun) 07:25:45


         *「光明道中記」
          (10月16日《誰も赦した、憎む人のない日》)より

【実在すなわち光明、これを不可思議光と言い、如来自在と言う。
                 (『生命の實相』第十一巻)】

   善し悪しやにくや可愛いと思わねば世界がまるでわがもの

誰の歌か知らぬがなかなか好い歌である。
生長の家の教は「天地一切のものと和解せよ」との教えである。
さてその和解はどうしたら出来るのか、答えて曰く、総感謝であると。

そんなに和解していたら戦争は出来ぬではありませぬかと
質問されたこともあった。
和解した時本当に不死身の力が出て来る。

こんな話がある。

戦争のときに敵の間諜を捕えたが、軍の掟で斬らねばならぬ。
そう云う時にその間諜が平然として微笑したり、
平然として合掌していたりするとどうしても斬ることが出来ぬ。

そこで何か侮辱を与えて間諜を怒らせる
 ―― 憤ると云うことは「斬る心」を起すことである。
間諜が憤って「斬る心」を起して
憎らしそうな顔をした時に思い切ってバッサリ斬れる。

斬られるのは、「斬る心」を起したからである。


無心の小児は斬ることが出来ぬ。
愛憎を超え、善し悪しを超えたところに不死身を得るのである。

キリストも
「此の幼児(おさなご)の如きものならずば神の国に入ること能わず」と言ったし、

白隠禅師も
「是非憎愛総に拈抛(ねんほう)すれば、汝に許す生身(いきみ)の観自在」と
言ったが、愛憎に心が捉われるから地獄が現出するのである。

           <感謝合掌 令和4年10月16日 頓首再拝>

真の「ありがたさ」 - 伝統

2022/10/28 (Fri) 07:16:57


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月28日)より

感謝は必要であるが、ただむやむにありがたいばかりでは足りないのである。
神がすべてのものをすでに与えられている実相を知っての
ありがたさにならなければ本当ではない。

ただ手段として「ありがたい」を言っていれば
無限供給やいろいろの利益が与えられると思うのは
「ありがたい」を手段として、方法としたのである。
手段や方法は過程であり、実験室でのことである。

ある程度の功徳は実験せられるかもしれないが、
大生命の海原にそのまま坐しているような大きな功徳はないのである。

法悦というものは手段としての「ありだたさ」でもなく、
方法としての「ありがたさ」でもなく、
利益が得られたからの「ありがさた」でもなく、
そのまますでに与えれている意味での「ありがたさ」である。

           <感謝合掌 令和4年10月28日 頓首再拝>

《感謝している時、天国を製造しているのである》 - 伝統

2022/11/23 (Wed) 10:57:04


       *『 生長の家 』(昭和46年10月2日の法語)より

   窮乏している時に、僅(わず)かな金を恵まれたり、
   住む家のない時に、部屋を貸して貰えたりするならば、
   その恩恵に対して誰でも感謝するのである。

   しかし私たちは眼に見えない多くの物の恩恵に
   感謝を忘れ勝ちであるのである。

   たとえば空気の御恩のようなもの。

   また眼に見えていても、それがあまり豊かであるので、
   それを受けることが当り前だと思って感謝しないもの、

   太陽の光と熱、そして父母(ちちはは)の愛。

   わたしたちは常にあまりに多くの御恩の中に生かされているので、
   却ってそれを忘れ勝ちであるのである。

   私たちは常に多くの恩恵に取り巻かれ、とり囲まれ、
   それによって生かされていることを思い出して感謝するがよい。

   あなたが感謝の念を起しているとき、
   あなたは天国を製造しつつあるのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=32

            <感謝合掌 令和4年11月23日 頓首再拝>

【感謝の次にすべきこと】 - 伝統

2022/12/29 (Thu) 09:24:12


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.09.27)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   日本というのは、感謝の国です。

   だから神社に行ったときには、お参りする時間 がすごく短い。

   極端なことを言うと、
   10時間かけて伊勢神宮に行っても、
   1時間も拝(おが)んでいる人はまずいません。


   これが外国に行くと、
   何時間も拝んでいる人がいっぱいいる。

   これはなぜかといえば、外国の場合は、
   神様にお願い事をしに行くのです。

   だから何時間もかけて、真剣にお願い事をします。


   だけど、日本の場合は感謝なのです。

   「ありがとうございました」とか、
   「神様のおかげで幸せに暮らしています」とか、

   要するに感謝を言いに行くのです。

   願い事は長いけれど、感謝は短いでしょう。

   簡単に言うと、神様と同じで、
   人は感謝され、「ありがとう」と言われる生き方をしないといけない。


   最近、「ありがとう」という言葉が
   はやっているようです。

   この言葉自体、絶対にいい。

   けれど、それを言うことだけを最終目的にしないでほしい。

   今まで言えなかったけれど、
   「ありがとう」「感謝してます」という言葉を、やっと言えるようになった。

   それは拍手物です。

   私も拍手するし、「えらいね」と言い ます。


   しかし、それが終着駅ではない。

   やっとスタートラインに着いたところ。

   マラソンでも、スタートラインで寝ている人はいないでしょう。

   スタートラインで「バンザイ」と言っている人もいない。


   ここが魂を成長させるスタート地点なのです。

   どうしたら他人から
   「ありがとう」「感謝してます」と言われるようになるだろうか。

   「あなたが生きててくれてよかったよ」とか、
   「あなたがいてよかった」とか、
   「このお店があってよかった」とか、
   「この歌があってよかった」とか、

   どうすれば そんなふうに、言われるようになるのかを考えて実行する。


   人間の究極の目的は、人から喜ばれるような存在になること、
 
   「ありがとう」「感謝してます」と
 
   広くたくさんの人から言われるようになることなのです。

       <『普通はつらいよ』マキノ出版>

         ・・・

「ありがとう」と感謝するときは、何かをもらっているとき。

それは、お金やプレゼントだったり、
教訓や教えだったり、気づかいや思いやりだったりという、
相手から何かをもらっている状態。


しかし、いつまでも何かをもらっていたら、
ずっと「子どものままでいる」ということになってしまう。

それは、逆にいうなら、何かを欲しがる人、「ちょうだいの人」になってしまう。

「ちょうだいの人」は、何かをもらってもお礼はいうが、
こちらからは「あげる」ことはしない。

結局それが続くと、
まわりから疎(うと)まれたり、避けられる人になってしまう。


大人になったら、こちらから、何かをあげる人にならなければいけない。

すると、まわりから感謝される人となる。

「あの人がいてくれてよかった」、
「またあの人を呼ぼう」と言われる人になる。


「感謝する人」から「感謝される人」へ、レベルアップすること。

人間の究極の目的は…

人から喜ばれるような存在になること。

          <感謝合掌 令和4年12月29日 頓首再拝>

【千の恵みと一つの文句】 - 伝統

2023/01/05 (Thu) 07:41:17


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.12.19)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

    営業職の人で
   「会社で売上を上げろといわれているのですが、
    どうしたら売上が上がりますか」と聞いてきた人がいます。

   「自営業を夫婦でやっているのですが、
    売上が去年に比べて右肩下がりで、思うように全然売上が上がらない。
    どうしたらいいでしょうか」と聞く人がいます。


   私の答えは全部一緒です。

   「目が見えますか。 耳が聞こえますか。
    自分の足で歩けていますか。
    自分の口で食べられますか。
    自分の話す日本語をわかってくれる友人がいますか」
   
   そう聞くと、皆さん「その通りです」と言います。

   「では、そのことについて感謝をしたことがありますか」
   と聞くと「えっ」と絶句します。


   売上を上げろ、ノルマとして営業成績を上げたい、
   ということだけを挙げて、

   今自分がどれほど恵まれているか、ということに
   感謝をすることが足りない人が多いようです。

   ここが気に入らなくて、ここを何とかしてほしい、
   と言っている人は、気に入らない一点だけは
   宇宙に向かって一生懸命訴えかけるのですが、

   恵まれていることについては、まったく感謝をしていない。

   それを神さまは見ているみたいです。


   そして、一千もの喜びと幸せをあげているにもかかわらず、
   なぜ一回も感謝をしたことがないのかな、と思う。

   それに腹を立てたりはしません。

   ただ、方程式として、この人に一千の喜びを
   与えているものについて、一つ取り上げてみるのです。

   そうするとそこで九百九十九の喜びと幸せを
   いただいていたことに気がついた人は、
   突然にその一つ分がドンと片付きます。


   「売上が上がらない、上がらない」と言っていた人が、
  
   「そうだ、私は感謝が足りませんでした」と言って、
 
   感謝を始めた途端に、何もしないのに売上が上がるのです。

   人間の努力などというものは、まったく関係がない世界です。

   九百九十九のことについて、
   幸せで喜びで感謝で、ということをやっていくと、
   この一つはクリアされる。

   でも、この一つや二つに対して文句を言っている人は、
   残りの九百九十八に対してまったく感謝をしない。

   悩み苦しみとは、実は気に入らないその一つ二つだけをピックアップして
   「何とかしろ」といっている状況のことです。

   これをこれを悩みというのです。


   悩みがあってもいいのですが、
   それは思い通りになっていないということ。

   ですから、たくさんいただいている九百九十九のことにまず
   手を合わせて感謝をしてみる、

   ということを提案しておきます。


   《すでにいただいているたくさんのことにまず感謝すれば、恵みがふえる》


      <『「人生を楽しむ」ための30の法則』講談社>

         ・・・

人から文句や不平不満を言われて、嬉しい人はひとりもいない。

もし、神様がいるとしたら、これは神様も同じで、嬉しくはないはずだ。


たとえば、

「今日は寒くて嫌になっちゃうね」とか
「雨が降って憂(ゆう)うつ」というのも、

立派な不平不満だ。

自然現象である天気に対して文句を言っているからだ。

自然現象は神の領域。


これは、煎(せん)じ詰めると、
ありとあらゆる文句や不平不満も同じ、ということになる。

どんな些細(ささい)な文句であれ、
神様にケンカをふっかけているのと同じだからだ。

つまり、文句は、「天に向かって唾(つば)を吐く」という状態。

文句を言えば、それがそっくり自分にかえってくる。


文句や不平不満の反対は、「感謝」。

感謝すれば、感謝するような状況がやってくる。


感謝多き人でありたい。

            <感謝合掌 令和5年1月5日 頓首再拝>

恩恵に包まれていることに気づき、感謝する - 伝統

2023/01/10 (Tue) 07:48:01


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月10日)より

冬の日光ほど嬉しいものはない。
寒いときに日光の恩恵について考えるほどには、
われわれは空気の恩恵について感謝していない。

われわれは食物に感謝するように空気にも感謝しなければならぬ。

われわれは空気の恩恵について感謝すべきことに気がついたとき、
われわれの周囲に感謝すべきものがかくも多数に充ち満ちていることに
気がつくだろう。

大地、家、畳、すべての調度
 ―― ひとつも自分が造ったことのないこれらのものを
われわれは平然と使いながら生きているのである!

         <感謝合掌 令和5年1月10日 頓首再拝>

【「気遣い」や「感謝」を伝える】 - 伝統

2023/01/12 (Thu) 07:33:46


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.12.24)より

   (植西聰(あきら)氏の心に響く言葉より…)

   昔、アメリカの大学で心理学を教えている教授が、
   ユニークな実験を行いました。

   大学で、教授のゼミを受講している30人の学生を、10人ずつ、
   A・B・ Cと三グループに分け、
   教授が所有する広大な土地の芝刈りを頼んだのです。

   そして、芝刈りの作業終了後、
   学生全員に感謝の言葉を述べたのですが、数日後、

   Cグループの学生10人にだけ、
   「先日はどうもありがとう。おかげで助かりました」
   と感謝の気持ちをしたためた手紙を送りました。

   するとCグループの学生だけが、その後、
   教授の授業に熱心に聞くようになったというのです。



   なぜでしょうか。それについて、教授は次のような見解を寄せています。

   『「この人はずっと自分に感謝している」
    「いつも、自分に感謝してくれている」
    ということが分かると、
    人は言った人に対して好意を寄せるからだろう』

   なるほど、その通りかもしれません。


   同僚の仕事を手伝ってあげたら、「ありがとう。助かる」と言われた。

   そのときは、「ああ、感謝してくれているな」と、
   ちょっぴり嬉しく感じるものですが、しばらくすれば忘れてしまいます。

   しかし、その晩、再度
 
   「今日は手伝ってくれて本当にありがとう。おかげで助かった」と

   メールがきたら、また、嬉しさが込み上げてくるというものです。

   感謝された余韻に浸りながら、ハッピーな気持ちで床に就けるし、
   これからもその同僚をフォローしてあげようという気持ちにもなるでしょう。

   誰かに何かをしてもらったら、後日、
   感謝の気持ちを活字や形であらわすのを習慣にすれば、
   相手からも感謝され、関係は良好になります。

     <『「いいこと」がいっぱい起こる!鏡の法則』王様文庫>

        ・・・

本書の中に、ヘンリー・フォードの素敵なエピソードがあった。

『アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、
 誰かと知りあい、ある程度親しくなると、
 相手の関心事を聞き出し、専用のノートに
 以下のようなことを書き込んでいたといいます。

 ●相手の趣味→登山、チェス

 ●相手がやろうとしていること
  →カナダに登山に行く予定でいる

 ●相手の好きな食べ物
  → ローストビーフ、シーフードサラダ

 ●相手の悩み
  → 高血圧症がなかなか改善しないこと

 そして手紙をまめに書いて、彼らの心をつなぎとめたのです。

 「ご無沙汰していますが、持病の高血圧症はどうですか。
   少々、気掛かりだったので、筆をとらせていただきました」

 「この前、お会いしたとき、カナダへ登山に行くと言っていましたが、
   カナダ はどうでしたか。登山されたのですか」

  「ローストビーフの美味しい店を見つけました。今度一杯やりましょう」

 手紙を受け取った相手は、
 「私のことを気にかけてくれている」と感激したはずです。

 それがフォードへの好感へと転じ、
 「あの人に協力しよう、応援しよう」という気持ちになったことでしょう。

 フォードが一代で大成功をおさめることができたのは、
 こうして多くの人の 応援を得てきたのが要因の一つなのは、間違いありません。』


忘れたころに、感謝の手紙やメールが届くのはうれしいものだ。

うれしいのは、感謝の手紙だけではない。

「知人に人を紹介したら、後日その報告があった」等の、
経過報告があると「ああ、紹介してよかったな」とうれしくなる。

「いつもあなたのことを思っています」という
気持ちが感じられるメッセージほど、もらってグッとくるものはない。

「気遣い」が伝わるからだ。


時間をおいて、「気遣い」や「感謝」を伝える…

真の「気遣い」と「感謝」のできる人でありたい。

         <感謝合掌 令和5年1月12日 頓首再拝>

汝が感謝している心がそのまま仏である - 伝統

2023/01/19 (Thu) 07:41:34


   *「光明道中記」(1月19日《万物有り難く合掌する日》)より

【そのままで既にその本来相が仏であり神の子である。
                    (『生命の實相』第六巻)】

そのまま有難いと拝むこころが仏である。
仏はどこに在るかと探して見ても判らないが、
有難いと汝が感謝している心がそのまま仏である。

感謝が仏であり、慈悲が仏である。

仏が隠れた相(すがた)が鬼である。
鬼と云うものが別にあるのではない。
仏が隠れたのが鬼である。

死んだら鬼に成ると云うのは、
死ぬとは生命が其処から離れたと云うことに他ならぬ。
生命が現れたら鬼は自ら消えるのである。

お前は鬼のような心をしている ―― と言われたら、
大抵の人間は「そんな筈はない」と言って驚く。

併し「貴方はそれでは感謝と慈悲とに充たされているか」と訊くと
「そうではありません」と答える。

感謝に充たされていない者は鬼なのである。
慈悲に満たされていない者も鬼である。

今日から鬼である事を止め、
今日から仏にならんとするのは大いなる進歩である。

         <感謝合掌 令和5年1月19日 頓首再拝>

《感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である》  - 伝統

2023/02/01 (Wed) 08:10:38


         *「光明法語」(2月1日)より

吾々は電燈の光を得ようと思えば先ずスイッチをひねる事が必要である。
先ず吾々みずから或る力を与えるのである。
すると光が与えられる。

太陽は照っていても、その光を受けようと思えば
先ず自分が眼を開かなければならぬ。
眼を開くと云う動作を与えることによってのみ
太陽の光は与えられるのである。

そのように吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
その恩恵がわがものになるのである。

感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。

         <感謝合掌 令和5年2月1日 頓首再拝>

《すべての物に感謝する祈り》 - 伝統

2023/04/09 (Sun) 05:00:56


        *「光明法語」(4月9日)より

また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、
それを讃(ほ)めたたえることは偉大なる祈りである。

神に感謝しても万物に感謝しえないものは、
真に全く神に感謝しているのではないのである。

ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、
尚一層直接的であると言い得るのである。

されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して
心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行事なければならぬ。

それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。

         <感謝合掌 令和5年4月9日 頓首再拝>

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