伝統板・第二

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ちょっとした「いい話」 ② - 夕刻版

2021/04/26 (Mon) 13:53:33

「お連れ様はどちらですか?」妻に先立たれた男性、客室乗務員の対応に…

        *Web:西日本新聞(2017/7/13 )より

【デスク日記】

半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた、
横浜市の知人男性からこんな話を聞いた。

男性は葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市の寺に納骨するため、
羽田空港から空路、九州へと向かった。


遺骨を機内に持ち込めることは知っていた。
でも入れたバッグがかなり大きく、
念のため搭乗手続きの際に中身を伝えた。

機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、
客室乗務員がやって来てこう言った。

「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」

搭乗手続きで言ったことが機内に伝わっていたのだ。

男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、
乗務員はバッグごと下ろしてシートベ〇トを締めてくれた。

    *〇:ル

飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたという。

「最後に2人でいい“旅行”ができた」と男性。

その表情を見ていたら、こちらも温かい気持ちになった。 

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/357086/

・・・

<関連>
伝統板・第二「ちょっとした「いい話」 」
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6670465

           <感謝合掌 令和3年4月26日 頓首再拝>

鬼塚さんの供養祭 - 伝統

2022/04/18 (Mon) 01:51:34


      *メルマガ「致知BOOK」(2022.04.17)より
       ~『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』

……………………………………………

「鬼塚さんの供養祭」

 林 覚乗(南蔵院住職)

……………………………………………


長崎県の時津町に、打坂(うちざか)という
急勾配の坂があります。

そのバス停のそばに建てられている
記念碑とお地蔵さんの前では、
毎年慰霊の行事が執り行われています。

昭和二十四年のことです。

地元長崎自動車のバスが乗客を乗せて、
この坂を上っていました。

坂の半ばに差しかかったとき、
突然エンジンが故障し、
バスは止まってしまいました。

運転手はすぐにブレーキを踏んでエンジンを
かけ直そうとしましたが、ブレーキが利かない。

補助ブレーキも前進ギアも入りません。

三重のトラブルが重なって、
バスはズルズルと後退し始めたのです。

そのバスには、鬼塚道男さんという
二十一歳の若い車掌が乗っていました。

運転手は彼に大声で、

「鬼塚、すぐ飛び降りろ。
 棒でも石でも何でもいい、
 車止めに放り込んでくれ!」

と指示しました。

鬼塚さんはすぐに外へ飛び出し、
目につくものを車輪に向かって
片っ端から投げ込みました。


しかしバスは止まりません。

乗客のほとんどは、原爆症の治療に通う
お年寄りと子どもたちで、脱出はとても不可能です。

その間にもバスのスピードは
見る見る上がっていきます。


坂の下は崖でした。

ガードレールもなく、落ちればバスは大破します。


崖まであと十メートル、

五メートル……。


全員が観念したところで、
バスは奇跡的に止まりました。

我に返った運転手は、鬼塚さんがいないことに気づきます。

まだ車止めになるものを探しているのかと思い、
乗客と一緒に探し始めます。

ふと、バスの後ろのほうを見て
思わず息をのみました。

そこには何と、後車輪に身を投げ、
自ら車止めになっている鬼塚さんの
無惨な姿があったのです。

内臓破裂ですでに息を引き取っていました。

乗客は鬼塚さんを戸板で運びながら、
「この方は仏さんか菩薩さんの生まれ変わりだ」
と口々に言い、涙に暮れました。

貧しい時代で何もしてあげることができず、
また、鬼塚さんの死は一部の人にしか
語り伝えられなかったため、
次第にその出来事は忘れ去られようとしていました。


二十四年後、乗客の証言に基づいて、
その事件が小さな新聞記事になりました。

それをたまたま目にした長崎自動車の社長は、
大変なショックを受けました。

「こんな立派な社員がいたことを、
 われわれ役員が忘れてはいけない」

そう考えた社長は、その日のうちに役員会を招集し、
会社で打坂のそばに記念碑とお地蔵さんを建てて
供養することを決めました。

鬼塚さんの供養祭は、いまでも続いています。

        <感謝合掌 令和4年4月17日 頓首再拝>

涙なくして見られない!思いやりのある行動の数々 - 伝統

2022/12/16 (Fri) 15:32:49

涙なくして見られない!思いやりのある行動の数々
Web:トニーラエリアン(2022-12-16 )
https://ameblo.jp/tony-9/entry-12779560601.html

        <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝>

「目配り、気配り、おもてなし」 - 伝統

2022/12/17 (Sat) 04:53:48

       *メルマガ「人間力」(2022.04.25)より

全日空で24年間客室乗務員を務め、
天皇皇后両陛下や国賓などトップVIPをおもてなしし、
人材育成コンサルタントとして活躍を続ける里岡美津奈さん。


そんな里岡さんは�伝説�と呼ばれるようになる前、
客室乗務員時代に出逢ったお客様とのエピソードを
「いまも忘れられません」と語られました。

業界屈指の経営コンサルタントとして知られる
横田尚哉さん(ファンクショナル・アプローチ研究所社長)
との対談からお届けします。



〈横田〉
    丁寧に生きるという意味で言えば、里岡さんはこれまでCAとして
    一人ひとりのお客様に真心を込めて接してこられたと思いますけど、
    特に忘れられない出来事ってありますか。


〈里岡〉

   国内線のチーフパーサーを務めていた入社6、7年目の時、
   あるフライトで出逢ったお客様のことはいまも忘れられません。

   離陸の際、チーフパーサーは全CAから安全の確認をもらって、
   それをキャプテンに伝える。

   そうすると、キャプテンが管制塔に離陸準備完了の合図を出し、
   管制塔から許可が下りると離陸できるんですね。

   だから、滑走路に着くまでに
   キャプテンにオッケーを出すことが、
   チーフパーサーとしての離陸前の重要な使命なんです。


   ところが、あるフライトで一人のCAから全然オッケーが来ませんでした。

   外を見たらもうすぐ滑走路に着くし、
   キャプテンからもインターホンで催促されるので、
   そのCAのもとに行ったんですよ。


   そうしたら、ある夫婦連れの女性のお客様が
   お人形と一緒にベ〇トをしているので
   オッケーが出せませんと。

   何度説明しても聞き入れてくれないと言うので、
   どういうふうに説明したのか聞いたら、

   「緊急の際に危険ですので、お人形は隣に置いてベ〇トをしてください」と。


   私は事の顛末(てんまつ)を聞き、
   お客様の様子を拝見した上で、こう話し掛けました。

   「お客様、本日はご搭乗ありがとうございます。
    間もなく離陸いたしますので、
    お子様を隣の空席に座らせて、ベ〇トをしてもいいですか」

   と。

   そうしたら、その女性は「ああ、いいですよ」と言って、
   普通にそのお人形を隣に置いてベ〇トをして、
   ご自身もベ〇トをしてくれたんです。


   大人の女性がお人形を手放さないというのは異様ですよね。

   何かよほどの事情があるんだなってことは
   誰が見ても分かると思います。

   で、そのCAと私の違いは
   「お人形」と言ったか「お子様」と言ったかです。


   後日、ご主人から手紙をいただきました。
   子供を亡くしてから、
   妻はあの人形と一緒じゃないと外出できなかった。

   あの時、初めて人形じゃなくてお子様と言ってくれてから、
   妻は人形を留守番させて出掛けるようになりましたと。


   「目配り、気配り、おもてなし」

   とよく言うんですけど、お客様の言動を見て、
   そこからお客様の背景を察知した上で、
   どうおもてなしするか決めることの大事さを身を以て感じた出来事でした。

        <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝>

息子の弔辞 - 伝統

2024/04/25 (Thu) 13:51:38

      *メルマガ「人間力」(2024.4.25)より

■父親の遺影の前で
…………………………………………

7月29日の11時少し前に、
葬式の会場である九十九里町片貝の公民館に入った。

会場の大部屋は畳敷きで、棺の置かれた祭壇の前には、
すでに遺族と親戚の方々が座していた。

私は中川夫婦に黙礼をして
後方に並んでいる折りたたみ椅子に腰掛けた。

祭壇の中央では、故人の遺影がこちらを向いてわずかに微笑んでいる。

ドキリとするほど二枚目で、その表情からは男らしさが滲み出ていた。

会場には私のほかに高校生が五、六人、中学生の制服を着た女の子が数人、
そして私のような弔問客が三十人くらい座していた。

広間に並べられた座布団の席はまばらに空いていた。


葬式は11時ちょうどに始まった。

右側の廊下から入ってきた二人の導師が座すと、鐘の音とともに読経が始まった。

後ろから見ると、二人ともごま塩頭を奇麗に剃っていた。

読経の半ばで焼香のためのお盆が前列から順々に廻されてきた。

私も型通り三回故人に向けて焼香し、盆を膝の上に載せて合掌した。

しばらくして全員の焼香が終わると、進行係の人がマイクでボソリと

「弔辞」

とつぶやいた。

名前は呼ばれなかったが、前列の中央に座っていた
高校生らしい男の子が立った。


すぐに故人の長男であることが分かった。

私には、彼の後ろ姿しか見えないが、
手櫛でかき上げたような黒い髪はばさついている。

高校の制服らしき白い半袖シャツと
黒い学生ズボンに身を包み、白いベ〇トを締めていた。

彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。

「きのう……」。

言いかけて声を詰まらせ、気を取り直してポツリと語り始めた。

「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかなぁ」。

少し間をおいて、

「もちろん勝ったよ」。


■「俺がそっちに行くまで待っててね」
…………………………………………

28日が葬式であったら、彼は試合には出られなかった。

司法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。

悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、

「もちろん勝ったよ」

の言葉の中に込められていたように思えた。


「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、
 犬と散歩している姿も見られないんだね」。

後ろ姿は毅然としていた。

淋しさや悲しみをそのまま父に語りかけている。


「もうおいしい料理を作ってくれることも、
 俺のベッドで眠り込んでいることも、もうないんだね……」

あたかもそこにいる人に話すように

「今度は8月27日に試合があるから、上から見ていてね」。

その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙を拭っていた。

「小さい時キャッチボールをしたね。
 ノックで五本捕れたら五百円とか、十本捕れたら千円とか言っていたね。

 二十歳になったら『一緒に酒を飲もう』って言ってたのに、まだ3年半もある。

 クソ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」


涙声になりながらも、ひと言、ひと言、ハッキリと父に語りかけていた。


「本当におつかれさま、ありがとう。

 俺がそっちに行くまで待っててね。

 さようなら」。

息子の弔辞は終わった。

父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。

<「致知」2004年11月号に掲載された
 井坂晃氏(ケミコート名誉会長)の心に沁みる随想>より

       <感謝合掌 令和6年4月25日 頓首再拝>

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