伝統板・第二

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或る譬話・寓話からの学び⑤ - 伝統

2020/08/27 (Thu) 20:33:12

………………………………
「旅人の話」
………………………………

    *『はじめて読む人のための人間学』より

ある町がありました。

一人の旅人がその町にやってきました。

町の入り口の門のところに一人の老人が座っていました。

旅人は聞きます。

「おじいさん、この町はどんな町?」


おじいさんは聞きます。

「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」


旅人は答えました。

「いやあ、前にいた町は嫌な人ばかりでろくな町じゃなかったよ」


「そうですか、 この町もあなたが前にいた町と同じ町です」


また別の日に旅人が来る。

「おじいさん、この町はいったいどんな町ですか?」


おじいさんは聞く。

「あなたがこの前にいた町はどんな町でしたか?」


「私が今までいた町は、すばらしい町で、
 人々は親切で、あんなによい町はありませんでした」


「そうですか、 この町もあなたが前にいた町と同じ町です」


と答える。
 

これは逸話です。

言い方はいろいろあるようですが、昔からある有名な話です。

二人の旅人が来た町は同じなんです。


結局この逸話の言いたいことは何か。

環境というものは、「その人の心が決める」ということです。

我々が何のために学ぶのかというのは、
環境をよりよく作るために学んでいるわけですね。

結局環境を作るのはその人なんですね。

その人の心が環境を決める。

環境に左右されるのではなく、環境を作れる人間になりたいものです。

最後に、安岡正篤先生の言葉を紹介します。


「環境が人を作るということに捉われてしまえば、
 人間は単なる物、単なる機械になってしまう。

 人は環境を作るからして、
 そこに人間の人間たる所以がある、自由がある。
 即ち主体性、創造性がある。

 だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。
 人間が出来ないと環境に支配される」

(「安岡正篤一日一言」4月13日)

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (9201)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1744    (消滅)  

(2)「光明掲示板・第二」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (25)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=13    (消滅)

(3)「光明掲示板第三」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30

(4)「光明掲示板・伝統・第一」内「或る譬話・寓話からの学び (102)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=61

(5)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464916

(6)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6728968

(7)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566

(8)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7870002

           <感謝合掌 令和2年8月27日 頓首再拝>

鎖につながれたゾウ - 伝統

2020/11/16 (Mon) 23:36:22


       *Web:note (2019/10/04)より

あるところに小さな杭につながれているゾウがいました。

ゾウの力があれば杭を引き抜いて抜け出すことができます。

ですが、ゾウは逃げようとしません。

なぜか。このゾウは子ゾウの時から鎖で繋がれていました。
小さな子ゾウの力では杭を引き抜くことはできません。
何度も試みますが、どうしても、杭は動かない。

そのうちに
「杭をはずす事は絶対に出来ない」とあきらめてしまいます。
そして二度と杭を引き抜こうとは思えなくなった。

          ・・・

こういう寓話があるそうです。

出来ない無理だと思い込む事で、本当は出来るのに出来なくてなるという話。

出来ない理由を探すより出来る方法を探す。

色んな事に挑戦をしていきたい。
息子たちにも、最初から限界を決めないで
出来る方法を探る大切さを伝えていきたい。

そのためには、いつも挑戦して
限界だと思ってるところを超えていきたい。
そんな姿を見せていきたい。

    (https://note.com/ekakinonakagawa/n/n0928dce2f0ec

・・・

<参照>
鎖に繋がれた象になってないか。負の思い込みから脱却する思考法
https://www.mag2.com/p/news/375003

           <感謝合掌 令和2年11月16日 頓首再拝>

仙厓和尚と七福神 - 伝統

2020/11/17 (Tue) 23:10:19


         *メルマガ「大和し」(2020.11.16)より抜粋

江戸時代の仙厓という禅僧の説話です。
仙厓和尚は、画家でもあり、当時とても人気がありました。

一筆書いて欲しいという人が絶えず訪れていたようです。

ある時、新築のお祝いの席に呼ばれた仙厓和尚は、
その席で一筆書いて欲しいと頼まれました。

「新築のお祝いとして、何か目出度い句でも書いて頂けませんか」と。

ご主人も来客もどんな名句ができるかと楽しみにしていました。

よしよしと仙厓和尚は、快く引き受け、ささっと書きました。

ところが、その文字に、
周りの者は驚き、ご主人は不機嫌になってしまいました。

そこには、

「ぐるりっと家を取り巻く貧乏神」

と書かれていたからです。

一緒に来ていた客人もこのお祝いの席に縁起でもない、
どうしたことかと困った顔をしていました。

それを感じた仙厓和尚。
まあまあ慌てるな、とでも言いたげな顔で、ケラケラと笑います。
そして、さらに一筆書き加えました・・・

この一筆を見た主人も客人も一同、これは新築にふさわしい!
と何度も頭を下げてお礼を言ったのです。
さて、仙厓和尚は一体どんな一句を付け加えたのでしょう。

それは、

「七福神は外に出られず」

・・・なんとも大逆転の発想です。


七福神とは、福徳を授けてくれる七人の勝ち神です。

実は、京都には「都七福神参り」があり、
1日をかけて七福神を巡り、福を集めます。

七福神を全て回ると、色紙が完成します。

その色紙を専用の額に入れて、毎年同じところに掛け替えます。
そして、その七福神の額には必ず今年の「しめ縄」を飾ります。

しめ縄は「結界」です。
つまり、しめ縄で七福神を閉じ込めているのです。

これを私のところでは一年中飾っていますので、
七福神はどこにも出ていきません。

「七福神は外に出られず」になっているのです。

外には貧乏神や疫病神がウヨウヨしています。
もしかしたら家のまわりを囲まれているのかもしれません。

でも大丈夫です。
家の中に入れた七福神はどこにも出ていかず、家を守ってくれます。

七福神の色紙としめ縄を結べば、勝ち神がやってきて出ていかないのです。

・・・

<参照Web>
石見銀山通信~博多の仙厓さん(2011.02.17)
http://iwami-gg.jugem.jp/?eid=579

           <感謝合掌 令和2年11月17日 頓首再拝>

「みそ買い橋」の話し - 伝統

2020/11/23 (Mon) 23:57:06

幸福の蜃気楼を求めさ迷っていないか~「みそ買い橋」の話し

       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年11月23日)より

私たちは砂漠を行く旅人のように、時にオアシスを求め、
存在しない蜃気楼を追いかけてしまう事があります。

のどの渇きを感じて、必死に湧き水の出るオアシスを求めるのですが、
行けども行けどもそこには到達できません。

蜃気楼の幻を追い求めてしまっているのです。


人生においても私たちは幻を求めてさ迷ってしまう事があります。

あの先に行けばきっと求めていたものが得られると考え、
歩き回っていってみても、そこには砂漠が広がっているだけでした。

ふと顔をあげてみると、
また別な遠くにオアシスの姿が揺らいで見えます。

そうしてまた別な場所へと移っていてオアシスを求めます。

ですが、どこへ行っても砂漠だからけ砂だらけで、
潤いのある水が手に入りません。

オアシスは必死になって追い求めても、逃げて行ってしまいます。


では、私たちを潤してくれる水は何処で手に入るでしょうか?

それを語る前に、日本の昔話を紹介したいと思います。


「味噌買い橋」という話です

昔、山奥に長吉という信心深くて、正直な炭焼きが住んでいました。

ある夜のこと、長吉が寝ていると夢の中に白髪の老人が現れ、
「街のみそ買い橋の上に立つがよい。いいことが聞けるぞ」と言いました。

長吉は、これを神様のお告げと信じて、
早速炭を売りがてら街へ降りて行きました。

ところが、長吉が街のひとたちに
「みそ買い橋という橋はどこか?」と尋ね歩いても、
「そんな名前の橋など無い」と皆言います


長吉は「確かに神様がお告げしてくださったのだからきっとあるはずだ」
と思って諦めずに探し続けました。

そうこうしているうちに日も暮れてきて、
腹が空いた長吉は、村はずれの豆腐屋に入ります。

ふと長吉は豆腐屋の主人にみそ買い橋は知らないかと尋ねてみます。


すると豆腐屋の主人は、店の前の道に架かる小さな橋を指さし、
「あれがみそ買い橋だ」といいます。

今にも壊れそうなお粗末な橋でしたが、
橋向こうにある味噌屋に行くために使われているので、
みそ買い橋と呼ばれていました。

長吉は次の日から、
みそ買い橋の上で何かよい話が聞けると信じて立っていました。

ところが、長吉が丸一日橋の上に立っていても、
何も良い話しなど聞けません。

それでも長吉は夢のお告げを信じて、何日も橋に立っていました。


長吉の姿を見ていた豆腐屋の主人は
「どうして何日も立っているのか?」と不思議に思って理由を聞きました。


そこで長吉は、夢のお告げの事を豆腐屋の主人に話します。

豆腐屋の主人は、長吉の話を聞くと笑いながら
「そんなつまらない夢の事など、早く忘れなさい」と諭しました。

長吉はさすがに気落ちして、すごすごと家に引き返そうとしました。


すると豆腐屋の主人は、思い出した風に

「そういえば私も変わった夢を見た。山奥に住む長吉という者の家のそばに
 大きな松の木があって、その木の根元に宝が埋まっているという夢だった」

と独り言のように言います。

長吉は大慌てで家に帰って、松の木の根元を掘り返します。

すると、豆腐屋の言ったとおり、金銀財宝がザクザク出てきました。

長吉はおかげで大長者になり、
村の人たちから福徳長者と呼ばれるようになりました。


この昔話は実はイギリスとアイルランドに伝わる
「スワファムの行商人」を日本に置き換えた物語だそうです。

スワファムの行商人の物語では
行商人がロンドン橋でいい話を聞くという夢を見たという物語になっています。

以前に人気となった『アルケミスト』というパウロ・コエーリョ氏の小説も、
この話を下地にしているでしょう。


これらの物語は、大切なものは遠い先にあるのではなく、
身近に埋まっていることを示してくれています。

オアシスも遠い先にあるのではなく、
足もとを掘り進めると水は湧き出てくるのです。

遠くに探しに行くのではなく、
まずは自分の足元に井戸を掘り、掘り進めていく事で水は手に入ります。

  (https://www.spacebrothers.jp/2020/11/blog-post_23.html )

・・・

<参照>
まんが日本昔ばなし みそ買い橋
https://www.youtube.com/watch?v=hMVYOKMA-lk

           <感謝合掌 令和2年11月23日 頓首再拝>

謎婿 - 伝統

2020/11/24 (Tue) 23:37:02


        *Web:「お話歳時記~十一月のお話」(2019年08月29日)より

摂津の有馬温泉にある長者の一人娘が湯治をしていました。 
そこに若者が一人、やはり湯治にやって来て、
二人は同じ宿屋の隣の部屋に泊まりあわせました。

娘は美しい娘でしたが、若者もまた心持ちのやさしい若者でありましたから、
朝に昼に、顔を合わせてるうちに、二人は仲よくなり、
お互い思いあう、恋しい仲になってしまいました。

娘はまもなく家に帰る事になりました。 
まだお互いに名前も所も明かしていませんでした。 

「もしも、この人が本当に真心があるなら、きっと私を尋ねて来てくれる。」

娘は若者に置き手紙を残し、ふぃっと消えてしまいました。

若者は娘がいなくなった事を知り、探し回りました。
そして、置き手紙を見つけたのです。


  恋しくばたずねて来て見よ、十七の里。
  腐らぬ橋のたもとにて、
  夏鳴く虫の、牡丹餅(ぼたもち)の花。


男は荷物をまとめて宿を飛び出しました。 

しかし、東に走ったものか、西に走ったものかわかりません。 
ええい、ままよと、西に走りましたが、
その日ついに娘に会う事は出来ませんでした。

途方にくれた男は、なんども娘の残した文を読みました。 
しかし、いくら考えても、なんの事かわかりません。 

日の暮れの町外れで、男が考えていると、
目の前を按摩の座頭が歩いていきました。

按摩さんは知恵者と言うから、もしかしたら文の謎かけが
わかるかも知れない、若者は按摩さんに娘の謎かけを聞いてみました。

按摩さんは若者の側にすわり、しばらく、
ああでもないこうでもないと考えている様子でしたが、
ハッと手を打ちました。 

「十七の里とは、若いから若狭の里。腐らぬ橋とは石橋。 
 夏鳴く虫は蝉。牡丹餅はお萩だから娘さんの名前はお萩さん。 
 若狭の里、石橋のたもとの蝉屋、お萩さんと尋ねていけば、
 きっとわかるに違いない。」
  
それを聞いた若者は按摩さんに何度も礼を言うと、
そのまま若狭へかけて行きました。

若狭へ辿り着いた若者は、石橋のたもとの蝉屋へ行ってみました。 
蝉屋は門構えも大きく、沢山の蔵に囲まれ、
白壁の塀が長々と続いていました。 

こんなたいした家に、見ず知らずの者が、飛び込んでも
追い出されるだけだと考えた若者は、その晩、宿に泊まり、
どうしたものかと考えました。

そして翌朝、若者は日の明け切らぬうちに蝉屋の門前に行き、
誰にも知られぬよう、店の前を掃いてきれいにしておきました。

夜が明け、て門番が外に出てみると、
今朝は門の前がきれいに掃除してあります。 

「頼みもしないのにいったい誰が掃除したのだろう?」
門番はわけがわかりませんでした。 

ところが、あくる朝も、その次の朝も、きれいに門の前が掃いてありました。 

「これは、なにか分けがあるに違いない。
 誰がやったのか知れないが、見つけて問いたださねばならぬ。」

門番は夜が明けるより早くに起きて外に隠れていました。

そうと知らない若者はほうきをもってやって来ました。 
すると門番が飛んできて若者を捕まえ、問いただしました。

  「お前、毎朝人の家の前をはいて、
   どういうつもりじゃ?」

  「このお店は、大勢の人を雇っておるで、
   出来たら雇ってもらいたいんじゃ。
   じゃが、見も知らぬ者が頼んでも
   追い返されるじゃろう?」

  「そういう事じゃったのか、
   なら旦那さんに頼んでみてやろう。」

門番の男は早速主人に頼んでくれて、若者を雇ってくれました。 
若者は蝉屋の下働きとして、水を汲んだり、風呂を沸かしたり、
薪を運んだり、毎日真っ黒になって、いろんな仕事をしました。

しかし、同じお屋敷で働くようになっても、
あの娘とは出会う事がありませんでした。 

あの娘は待っていてくれるのだろうか?
もう忘れてしまっていないだろうか?
時々不安がよぎる事がありました。 

それでも若者はいつか娘と会える日が来ると、
あきらめずに一生懸命働きました。

娘は待っていました。 
あんな手紙を書いてしまって後悔していました。 
謎かけがわからないのか、あの若者はまだ尋ねて来てくれませんでした。

 
娘には幼い頃、許婚(いいなづけ)が決められていました。 
娘はその男が少しも好きではありませんでしたが、
親の決めた相手に嫌だと言い出せませんでした。 

そのうち、だんだん月日がたち、
いよいよ許婚の男と祝言をしなければいけなくなりました。 

娘はあの若者を思うと、せつなくてたまりませんでしたが、
祝言の日取りが決まってしまったのです。

若者は娘の祝言が決まった事に大変驚きました。 
こんなに近くにいるのに一度も会う事も出来ないままでした。 
お屋敷は広く、娘のいる所には近づけませんでした。 

いくつかの塀の向こうに、娘の部屋があることだろう事だけしか
わからなかったのです。

若者は、門番に呼ばれ、娘の祝言の日、カゴを担ぐように言われました。 
そんな事をしなければならないのか。 若者は思いました。 
しかし、ただ一目だけでも娘に会いたいと思ったのです。

祝言の日、若者は身ぎれいにしてカゴを前に立ち、娘の来るのを待ちました。 
しばらくして白むくを着た娘が出てきて、カゴに乗り込もうとしました。

そして、カゴの担ぎ手を見て驚きました。

若者に気がついたのです。

若者は娘が顔色を変えた事に気がついていました。 
それでも何も言えないまま、娘をかごに乗せて、
祝言の席へと向かったのでした。

娘は、カゴの中でどうしていいのかわからなくなりました。 

すぐ側から、若者の「えいさっ、ほいさっ。」と掛け声が聞こえてきました。 
娘は涙がどんどんこぼれてきました。 

そして、激しくせき込んだかと思うと、
胸が急に苦しくなり、倒れてしまいました。 

驚いた両親はそのままカゴを蝉屋に引き返させ、娘を寝かしつけました。

  
式は延期となりました。
夜、屋敷のどこからか、娘の泣き声が聞こえました。

若者はその声を聞くと胸がしめつけられるのでした。

蝉屋の主人は、わけがわかりませんでした。 
祝言を取りやめて、帰ってきたら、
娘はそのまま大病をわずらったようになりました。 

あちこちから医者を呼び寄せ、薬を取り寄せ、
あらゆる手を使いましたが、いっこうによくならず、
夜になるとしくしく泣くのです。

  
娘には誰か好きな人でもいるのではないか?

それとはなしに聞いてみても、
娘は恥ずかしがって何も言いませんでした。

主人は何を思い立ったか、易者の名人を呼びました。 
その易者の見たては、確かに娘には好きな者があり、
それも屋敷の中にいると出ました。

  「ご主人、その者の書いた物を娘御に見せれば、わかりますぞ。」
  
主人は易者の言う通りに、店にいる男達に何か書いてみよと命じました。
お嬢さんの好きな者は自分かもしれない。 

店の者たちはこぞって、なにやらいろんなものを書いて、
主人の所に持っていきました。 
主人は、それを娘に見せるのですが、娘は何も答えませんでした。

  「おかしいのう、易者の先生の言う通りにしたのに、他に誰もいないのか?」

門番は風呂焚きの若者の事を思い出しました。 
若者は主人の前に呼び出されました。 

  「何か娘に、書いてもらえまいか?」

主人は筆と硯と紙を渡しました。
若者はしばらく考えた後、さらさらと歌をしたためました。

  恋しくばたずねて来て見よ、十七の里。
  腐らぬ橋のたもとにて、
  夏鳴く虫の、牡丹餅(ぼたもち)の花。

主人は、若者の書いたものが、なにがなんだかわからず、
おかしな事を書く男だ、易者の先生にもう一度見てもらわねばの、
とぶつぶつ言いながら、娘の所に持っていったのです。
  
娘はそれを見るとぱっと起き上がり、やっと笑顔が戻りました。 
主人がどうした事か?とたずねると、
娘は有馬温泉からの事を話したのでした。 

主人は娘に身繕いをさせると、若者を呼びました。

若者は娘の部屋の前の庭に出てきました。

  「私の名前は光太郎。
   お萩さん、牡丹の花が咲いているよ。」

  「はい、光太郎さん。」

   お萩は、そう答えました。

庭には、牡丹の花が咲いていました。
春の宵の事でした。

         「謎婿。」

   (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM105.html )

           <感謝合掌 令和2年11月24日 頓首再拝>

山の神とほうき神 - 伝統

2020/11/25 (Wed) 23:36:14


        *Web:「お話歳時記~十一月のお話」(2019年08月30日)より

昔、ある所に貧乏な夫婦がありました。

おかみさんは臨月で、もうじき子供が生まれるからと、
亭主は山に入り、薪取りにせいを出しました。 

もう少し、もう少しと思っているうち、日が暮れて、
ある洞のそばの大きな木の下に泊まりました。

  
夜半過ぎに、どこからか、
馬の鈴の音と「ほいや、ほいや。」と言う掛け声が聞こえて来ました。 
そして、その鈴の音と掛け声だけが、大きな木の前に来ると止まりました。 
亭主は何が起きたのかわからず、木の陰に隠れました。

  「さぁ、山の神殿、参ろうか。
    時刻に遅れてはなりません。」

  「やぁ、産土の神殿でござったか。
   塞の神どのもご一緒でござるか。」

  「一緒でござるぞ。」

  「実はのう、
   今夜わしの所に客人があっての、行かれんのじゃ。
   どうかお前様だけで行ってもらえぬか?」

  「さようでござるか、
   ではわしらだけで行って参りましょう。」

   神様達はまた、鈴の音と共に行ってしまいました。


亭主は不思議な事もあるものじゃと思っていると、
明け方になって、また鈴の音が帰ってきました。

  「山の神殿、今戻りましたぞ。
   お産は一軒かと思っておりましたら、
   隣の家でもお産がありました。

   男の子の方は、ワラ一本の持ち運でしたが、
   女の子の方は九十九の宝が付いております。
   その日その日の使いは塩三升ほどでござる。

   塞の神殿の取り持ちで、
   夫婦にしようと言う事じゃが、山の神殿はどう思われる?」

  「うむ、わしも賛成じゃ。」

  
亭主はその話を聞くと、急いで家に帰りました。 
すると、家ではお産があって、男の子が生まれていました。 
隣の家では女の子が生まれていました。 

亭主は不思議な事があるものじゃと、
隣の家にいって二人を夫婦にしようと決めました。

女の子の名前は美菜、男の子の名前は晋三と名付けられました。 
二人は大きくなって夫婦となりました。 

女房の方は心が広く、お酒もたしなみ、また人にも勧め、
お金を使う所は使い、また払い、商売も手広く、よく働きました。

そのため、物がたまり、蔵も次々に増え、ちょうど九十九の蔵が建ちました。 
しかし主人の方はたいそうな小心者で、あと一戸の蔵を建てると
百戸の蔵が立つと言うのに、ただ、心配ばかりしていました。


  「あんた、気持ちよう働いて、
   気持ちよう稼いで、気持ちよう使えばええ。」

   笑って答える女房に晋三は腹を立てました。

  「女房は金遣いが荒く、
   無駄に酒を飲み困ったものだ。
   なんとか戒めたいものだ。」と、考えていました。

晋三はある時、旅の六部に出会いました。 
女房の事を話してみると六部は、どうすればよいか、教えてくれました。

  「それなら、満月の朝、
   九十九戸の蔵の真ん中に土蔵の屋根を見るがよい。

   朝日の中に紫のひただれを着た小人が三人、
   舞を舞うておるのが見える。

   その三人の真ん中の翁の左のヒザを、
   うつぎの弓に蓬の矢をつがえて射るがよい。
   お前の思うようになろじゃろうよ。」

満月の朝、晋三はうつぎの弓と蓬の矢をもって外に出ました。 
すると、九十九の真ん中の蔵の屋根に、三人の小人の翁がいました。 
三人の翁は、赤い扇をひらひらと、東から、西から、南から、北から、
招くように、朝日の中に舞い踊っていたのです。

晋三は、真ん中の翁の左ヒザめがけて、矢を撃ちました。

  ビュオン。

矢は音を立てて翁の左ヒザを射ぬきました。 
翁たちはあっと声をあげると、晋三を見ながら崩れるように消えてしまいました。

  
それから、晋三の家はおかしくなってしまいました。 
働いても働いても、これまでと違って、稼ぐどころか、
どんどん貧乏になっていきました。 

たずねてくる人も少なくなり、使用人も一人、また一人とやめていきました。 

腹を立てた晋三は「みんなお前が悪いのだ!」と
女房を家から追い出してしまいました。

女房の美菜は女中を一人連れて、どこ行くあても無く歩きました。 
日が暮れて、あたりは真っ暗となり、もう前に進めませんでした。

  「これからどこにいったらよいのでしょう?」
   美菜は女中と一緒に一晩泣きました。

夜が明けました。 
美菜が顔をあげて見ると、朝日の中から、若い美しい娘が三人、
こちらの方へ歩いてきました。 

一人足をケガしているのか、二人が両脇をささえていました。

  美菜は駆け寄り手を貸すと、

  「あなた達は、どこに行きなさる?」と尋ねました。

   娘の一人が答えました。

  「私たちはあの山の、もう一つ向こうの、
   雉の里と言う所にいく所です。」

美菜には行くあてがありませんでした。 
目の前に怪我ををしたものがいました。 
自分にも出来る事があるのが、うれしくてしかたありませんでした。

美菜は、ケガをした娘を連れて、その娘達と雉の里へ行く事にしました。 
五人の女達は、険しい山道を登り支え合いながら進みました。 
苦しい道でしたが、不思議と楽しくありました。 

途方に暮れていた心が、ほんの少し、軽くなったのです。

  日が暮れる頃、野原の中に、あばら屋が見えました。

  「あの家です。」

   娘達が言いました。

  「何もありませんが、今晩一晩お泊まりになりませんか?」

   娘達は美菜たちを誘いました。

  「ええ、そうさせてください。」

   二人は喜んで中に入りました。
   中には囲炉裏に三升入りくらいのふるい釜がかかっていました。

  「何もありませんが、
   大根でも取って来て、煮て食べましょう。」

娘の一人が、外から大根を取って来ました。 
味噌をつけて食べると、たいそう良い味がしました。 
その日、五人は暖い小屋の中で眠りました。

翌朝、目がさめていると、三人の娘がいません。 
小屋の中には、美菜と女中と、そして赤い扇が三つ、あるだけでした。 

二人は外に出て三人を探しました。 
小屋の回りは大根畑で、昨日抜いた後に、
水が泉のようにコンコンと湧いていました。 

その水をすくって飲むと、それは立派なお酒でした。 
美菜と女中は不思議な事に顔を見合わせました。

三人の娘は戻ってきませんでした。 
次の日も、次の日も、いつまでたっても帰ってきませんでした。 

美菜と女中は、釜に酒を汲んで町に売りに行く事にしました。

  「酒や~、酒や。 泉酒や~。」

こういって触れ歩くとあっという間に酒は売り切れてしまいました。 
酒はたいそう良い味で、町に持っていくと飛ぶように売れました。 

泉の酒は汲めども汲めどもつきませんでした。

お酒を売って得たお金で、美菜と女中は、いろんな品物を買いました。 

あばら屋は、いつの間にか大きな酒屋になりました。 
家を建て、蔵を沢山建てました。 
大根畑のまわりは、いつしか、立派な町になっていたのです。

  
その頃、晋三は九十九の蔵も無くなり、ひどい貧乏となって、
その日の暮らしもままならなくなりました。 

晋三は雉の里と言う所で、酒屋の大尽(だいじん)が出来て、
たいそうにぎわう町が出来たと噂を聞きました。 
そこで草履でも作って売りに行こうと出かけていきました。

  「ごめんくだされ。草履をこうてくださらんかの?」

   草履売りの男を見た美菜は、はっとしました。 
   どうもどこかで見かけた男だが、誰なのかさっぱり思い出せないと、
   あれこれ考え、思い巡らしていました。

  「奥様、あの男は先の旦那様です。」

   一緒に追い出された女中が、美菜にささやきました。 
   ああ、そうであったのか、しかしなんと落ちぶれた事かと
   かわいそうに思いました。 
   そこで、ワラの束に黄金を一升計って包み、

  「これで草履を作って持ってきてくださいと言って
   渡しておくれ。」と、女中に頼みました。

晋三は女中に渡されたワラを家に持って帰りました。

しかし、その日はあまりに寒く、晋三はそのワラを囲炉裏にくべてしまったのでした。

何日かして、晋三はまた草履を持って雉の里に行きました。

美菜は晋三が着物くらい替えて来るかと思っていましたが、
相変わらずのぼろぼろの着物を着ているのを見て、
どうした事かと思いました。 

そこで、今度はおにぎりに小判を入れて、持たせて、
そっと後をつけて行きました。
  
晋三は握り飯をもって、夜道を歩いて行きました。 
途中沼にさしかかると、鴨を見つけました。 
晋三は石を拾って鴨めがけて投げましたが、一つも当たりませんでした。 

晋三は腹を立てたのか、持っていた握り飯まで、鴨に向かって投げつけました。

何と言う事をするのだろう・・・。

美菜は心が暗くなりました。 
男はみずから持っていた福をドブに捨てていくのでした。 

何日かして、また晋三が草履をもってやって来ました。

  美菜は晋三の前に出て行きました。

  「お前だったのか。」
   晋三は驚きました。

  「はい、あれからまた商売をしてこうなりました。」

   二人はしばらく黙っていました。

  「この酒屋で、下男となって暮らしていただけませんか?」
  「・・・うむ、そうしよう。」
   晋三は美菜の申し出を受けました。

  
美菜は気持ちよく働いて、気持ちよく稼いで、気持ちよく使いました。 
晋三は、細かい事を始末して、物を大事にしました。 

美菜の福分は、物を分け与えると言う幸せ、
そして晋三の福分は、物を大事に使うと言う幸せでした。

二人はそれぞれの福分に見合う幸せを得て、一生穏やかに暮らしたと言う事です。

           「山の神とほうき神。」

  
このお話では神様達に福分が定められるのですが、
定められる運命は、寿命であったり、結婚相手であったり、
さまざまなものがあります。

あなたに定められている運命があるとしたら、どうしますか?

  (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM106.html )

・・・
上の「山の神とほうき神」に関連して

【熊本県の話】まんが日本昔ばなし「神社の絵馬」
https://www.youtube.com/watch?v=qb_LsMhJ4jA

           <感謝合掌 令和2年11月25日 頓首再拝>

鬼女房。 - 伝統

2020/11/26 (Thu) 23:19:25


   *Web:「お話歳時記~十一月のお話」(2019年08月30日)より

むかし、むかし。

金沢山のほとりに、キノコ取りのあにさんがいました。 
毎日毎日、山に入ってキノコを採り、盆が来ても正月が来ても、
遊び事もなく、ただ、毎日毎日稼ぎにせいを出していました。

ある時、いつものようにキノコを採りに山に入った時、
木の枝から枝へ、キラキラ光るものがありました。 

それは絹のような、とてもキレイなものでした。

あにさんは、その長く光るものを家にもって帰り、
軒にくくりつけました。

それは、かぜにひらひら、キラキラ、キラキラ、
光を散らしていましたが、いつの間にか、なくなっていました。

田の刈り上げも終わり、豆も芋も取り上げて、
鳥海山に雪が降りた頃の夜更けの事です。

  「こんばんは、こんばんは。」

   暗い風の音の中に、声がします。

  「まんず、たまげた。 こんな自分に、何ようだべ?」

  あにさんが戸をあけると、すっと女ご一人、立っていました。 
  行き倒れでもないだろうし、もう夜中だと言うのに、
  女ご一人、立っていました。

  「どうか一晩とめてくだっせ。
   道さ、迷って難儀しております。
   お願いします。
   どうか一晩とめてくだっせ。」


頭を下げて、必死に頼むので、
あにさんは、女ごを中に入れるとお湯を飲ませ、
綿の入った半纏を着せて、火の近くで眠らせました。 
とても美しい女ごでした。 

しかし、次の日になっても、女ごは、どこか帰る様子が見えませんでした。 
あにさは追い出す事もできず、いたいだけおればよいと、しました。 

女ごは、あにさが家におれば、家の仕事を、
あにさが山に行けば、山の仕事を、一緒にしました。

子供の頃からキノコを採るあにさは、
山のことならスミからスミへと知っているはずでしたが、
女ごは、あにさが気がつかなかった、岩のすみ、川のほとり、
森の向こうへと、あにさを連れて入っていきました。 

そこには、めずらしいキノコや、不思議な薬草がたくさんあったのです。

こうして二人で暮らすうち、生活も楽になり、若い男と女ごですから、
いつの間にか夫婦となり、女ごは、あにさの妻となったのです。

そして次の年、山があかね色に染まるころ、元気な女の子が生まれました。 

めんこい子で、あにさと女ごは、たいそうかわいがり、
家では、どちらかが抱き、山でもどちらかが抱き、
色とりどりの木々の中に、元気な笑い声が聞こえました。

そんな日々の中、次第に女ごの元気がなくなってきました。 
声をかけても考え事をしている、赤ん坊をじっとみて、ひとつも笑わない。 
そして、ついには赤ん坊を抱こうとしなくなりました。

  「おめぇ、どうしただや?
   なぜ、赤んぼを見て笑わねぇ?
   なして、抱こうとしねぇ?
   こげな暮らしが嫌になったか?
   何か困った事があったか?」

  あにさが聞くと、女ごはボロボロ泣き始めました。

  「うちは、人になって、
   あにさとずっと暮らして生きたかっただども、
   どうしても、どうしても、
   この子のそばにいられね。」

  「・・・何言ってるだ?」

  あにさは聞き返しました。

  「・・・あにさが山からもって帰った糸のようなものは、
   おらの髪の毛だ。
   山から取り返しに来たけれども、
   あにさがやさしくて、やさしくて、
   人になってずっと一緒にいたかったんだよ。」

   女ごは、はぁと大きく息をはくと、ボロボロ涙をこぼしました。 
   あにさは、わけがわかりませんでした。

  「うちはこの子が大好きなのに、
   昔の自分が戻ってきてしまう。
   この子を抱くと、
   はあっと息を吹きかけて、
   喰いたくなってきてしまう。
   元の鬼の心が戻って来て、
   とても人の親でいられない。」

  女ごは両手をついて、肩をふるわせました。

  「あにさ、どうか、この子をたのみやす。」

  そう言うと、女ごは、バザラッと髪を金色に変えて、
  フォンと飛んでいってしまいました。 

  あにさは、外に飛び出して、女ごを呼びましたが、
  ついに帰っては来ませんでした。

  
それから、あにさは子供を一人で育てました。 
子供を背負って、山に入り、昔のように、
二人で暮らしていた時のように、キノコや薬草を取りました。 

あにさが山に入ると、たくさんキノコが採れて、大金持ちになりました。

  
月の明るい夜、女ごは金沢山から飛んできて、
高窓に座り、自分の産んだ子の寝顔を
いつまでもいつまでも見ていたと言います。

  月の光が、キラキラ、キラキラ、光る夜の事でした。

       「鬼女房。」

  
このお話、「喰わず女房」というより、
「信太妻」の狐のお話に近いかも知れません。

鬼とはいえ母。

悲しいお母さんのお話でした。

  (http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM131.html

           <感謝合掌 令和2年11月26日 頓首再拝>

うぐいす長者 - 伝統

2021/03/20 (Sat) 15:09:49

まんが日本昔ばなし うぐいす長者

https://www.youtube.com/watch?v=gQe2XL7AyPk


(あらすじ)

あらすじ

昔々、北風の吹く山道を一人の男がとぼとぼと歩いておりました。
男はお茶売りです。

その日はどうしたものかさっぱり売れず、
行ったことのない田舎の方へ足を伸ばしてみることにしました。

いつのまにか道に迷ってしまい、風すれの音がする竹藪の中を心細げに進んでいると
奥からうぐいすの声が聞こえて来るので足を止め、ふと見てみると、
そこには梅の花の脇で梅の香りを楽しむように一人うっとりと
美しい娘がたたずんでいました。


男が近づくと、もう一人、また一人と娘たちが四人も現れ、
にっこりと男に笑いかけてきます。

いつしか娘たちは男の手を取り自分たちの家へと案内しました。
そこは男が今まで見たこともない長者屋敷。

早速男は商売を始めます。母親と四人の娘たちに
お茶、お箸、かんざしを見せると喜んで残らず買い上げてくれました。

そして母親は女ばかりの屋敷のこと、男の人が来てくれたら心強いからと
娘をもらってくれないかと申し出るのです。

男は長女の婿になりました。

男は一夜のうちに長者になり、毎日を夢のように暮らします。
季節が巡り女たちがお花見に出掛けたとき、男は留守番をすることになりました。

母親が「もし退屈したら家の蔵をご覧になってください。
四つのうち最初の三つまでは見ていいが、
どんなことがあっても四つ目を見てはいけません」と言い残し、
女たちは出掛けていきます。


やはり男は退屈し、蔵を見てみることにしました。

一番目の蔵を空けるとどうでしょう、
そこは海です。男は夏の海の上を鳥になって飛んでおりました。
「これはおもしろい、愉快じゃ愉快じゃ」

二番目の蔵は秋の景色。「風流じゃのぅー」

三番目の蔵は樹氷が輝く冬の景色。

四番目の蔵は見てはいけないと言われていましたが
とうとう我慢しきれなくなってしまいました。

中は思った通り美しい春の景色。梅の花が咲き匂いうぐいすの啼く声がしました。

男は、その鶯たちの顔をどこかで見たような気がして、
はっとしたとたんうぐいすたちは母親と娘たちの姿に戻りました。

「あなたは約束を破りました。私たちはここに住むうぐいすだたのです。
見られてしまってはもうおしまいです。さようなら」そう母親が言い終わると
男はまた元のお茶売りの姿になって、
冷たい北風の吹く山の中に一人残されていたそうです。

男は竹藪の中の梅の木から、一目散に逃げ帰りました。

 (https://ameblo.jp/7owl/entry-12579996117.html

        ・・・

うぐいす長者の特徴の意味や解釈は?

道に迷って冬山で凍死するところを救われた商人。

救われて歓待されて、とても大満足。

うぐいすたちがおもてなしをしてくれるのですが、
約束を破ったために全てを失ってしまいます。

約束はとても大事ですということです。

    (https://fukusaisin.com/5746.html


           <感謝合掌 令和3年3月20日 頓首再拝>

京都・安国寺の桜 - 伝統

2021/03/21 (Sun) 14:31:06


      *Web:福娘童話集~京都府の民話 より

むかしむかし、京都の綾部(あやべ)の安国寺に、
植木が大好きな和尚さんが住んでいました。
 
ある日の事、植木屋がこの寺にやってきて、めずらしい桜の苗木を見せました。

「和尚さん、この桜の苗木は、そんじょそこらの桜とは違います。
 どうでしょう。なんならおわけしてもよろしいが。
 ・・・ まあ、ちょっとは値がはるのですが」

「ふむ、なるほど、これは見事な苗木じゃ。
 それで一体、何両なら、わしに売ってくれる?」

和尚さんの言葉を聞いた植木屋は、心の中でニヤリと笑いました。

(しめしめ、この桜の苗木は隣の村から一両で買うてきたものじゃが、
 うまくすれば何倍にももうかるぞ)

 植木屋は、いかにも親切そうな顔で、
「そうですな。和尚さんにはお世話になっているので、十両ならおわけしましょう」

「十両?」
 
十両といえば、大金です。
桜の苗木は欲しいのですが、和尚さんにはそんな大金はありません。

「なんとか、五両に負けてくれんかのう。五両なら出せるのじゃが」

 植木屋は、心の中でしめしめと思いながら、
「そうですか。うーん。それではもうけがありませんが、和尚さんの為です。
 それでお売りいたしましょう」

と、言って、桜の苗木を渡そうとすると、
不思議な事に桜の苗木から急に根が伸び始めて、
植木屋の足にぐるぐる巻きついたではありませんか。

「うわーぁ! 苗木のやつが怒った! 
 和尚さん、この苗木は本当は一両で買うたもんじゃ。だから一両でいい」
 
植木屋がそう言うと、桜の苗木はさらに根を伸ばして、
植木屋の体をギシギシとしめつけました。

「わかったわかった! 金はいらん! だから助けてくれー!」
 
植木屋がそう言うと、植木屋に巻き付いた桜の苗木の根は、すーっと外れました。
 
そんなわけで桜の苗木は安国寺に植えられて、美しい桜を咲かせたのです。
 
そして数百年たった現在、幹は枯れてしまったのですが、
根だけはまるで生きているかのように、しっかりと残っているそうです。

  (http://hukumusume.com/douwa/kisetu/hanami/html/06.htm )

           <感謝合掌 令和3年3月21日 頓首再拝>

貧乏神と福の神 - 伝統

2021/05/05 (Wed) 11:34:23

      *Web:日本昔話(昭和51年01月10日放送)より

ものすごく貧乏な男がいたが、それは家に貧乏神が住んでいたからだった。

その暮らしを見かねた村の人たちが、その男に嫁を世話してやった。
嫁はとても働き者で朝から晩まで良く働いた。
それにつられて男もせっせと働いたので、貧乏神はだんだん居づらくなってきた。

ある年の大晦日、夫婦が年越しの支度も済ませて正月を迎えようとしていると、
天井裏から泣き声が聞こえる。見てみると貧乏神が泣いていて、
明日福の神がやってくるので、それまでに家を出なくてはならないと言う。


やさしい夫婦は貧乏神にずっといても良いというので
、貧乏神は今度は嬉しくて泣いた。

除夜の鐘がなり、福の神がやってくるなり、
貧乏神を力ずくで追い出しにかかった。

貧乏神と福の神の押し合いになり、貧乏神が押されていると
夫婦がこれを助けて福の神を家の外に追い出した。


驚いたのは福の神。
自分は歓迎されるものとばかり思っていたので、呆然としてしまった。
しばらく考えていたが、首をひねりながらもと来た道を帰っていった。

その後、貧乏神の住むこの家は金持ちにはならなかったが、
それでも結構幸せに暮らしたとさ。

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=27

・・・

<参照>

伊勢ー白山 道(2021-05-04)
他人から愛情(慈悲)を受ければ、「人」も「霊」も悟ります
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/2246aede27a0a73f160c883cc39dee0b

           <感謝合掌 令和3年5月5日 頓首再拝>


<参照>

伊勢ー白山 道(2021-05-06)
「自分で自分自身を試している」という側面
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/6598ba7730b5060339087d45a1c06354

           <感謝合掌 令和3年5月6日 追記 頓首再拝>

『信心婆さまと欲深和尚』 - 伝統

2021/05/11 (Tue) 14:18:51


        *Web:やまんばぁ~のひとりごと(2021年2月28日)より

むかし、あったけど。
 
あるところに、貧(まず)しいけれど、
信心深い婆(ばあ)さまが住んでおった。
 
婆さまは、死んだらば、地獄(じごく)には行きたくねぇ、
なんとか極楽に行きたいと思うて、毎日、毎日、お寺参りをしたんだと。

それはそれは、一生懸命(いっしょうけんめい)に
仏(ほとけ)さまに手を合わせて、お経(きょう)を唱えたと。

婆さまは、お寺に行くと、ふところから一文銭(いちもんせん)を出して、
ポーンとさい銭箱に投げ入れる。

そして、お願いがすむと、手に握(にぎ)っている糸をたぐり寄(よ)せ、
一文銭をさい銭箱から釣(つ)りあげると、

 「仏さま、すんません」
と言うて、家に帰って行くんだと。

寺の欲深和尚(よくふかおしょう)は、婆さまが寺から出ると、
すぐにさい銭箱を開けて見るが、いっつも、銭は入っておらん。
 
「あの、ばばぁめ、毎日毎日、仏さまにお願いをするくせに、
 一文もさい銭を入れん。あんなばばぁ、極楽なんかやるものか。地獄におちればええ」

と、くやしがっておった。


ある日のこと。
 
和尚は、仏さまの後ろに隠(かく)れると、婆さまの来るのを待っていた。
そして、婆さまがやって来ると、大きな声で、

「ばばよ。わしは阿弥陀仏(あみだぶつ)じゃ。
 極楽に行きたくば、わしの言う事をきけ」

と言うた。
 
「は、はい。仏さまの言われることなら、何でもききますだ」
 
「よーし。では、まず、寺の池の中にある島にわたり、松の木のてっぺんに登れ」
 
さまは、仏さまの言うことを信じて、汗(あせ)をかきかき、
ようやく松の木のてっぺんへ登った。


和尚は、婆さまのあとをついてゆき、松の木の下から、
 
「ばばよ、左の手を離(はな)せ」

と大声で言うた。
 
婆さまは、言われた通り、左の手を離した。
 
「ばばよ、右の手も離せ」
 
今度は右の手も離した。
 
婆さまは池の中にまっさかさま。と思うたら、
サッと金色の雲が婆さまを受けとめ、
そのまんま空高く昇(のぼ)っていったんだと。
 
さあ、欲深和尚はたまげた。


わしも、婆さまのように金色の雲に乗って極楽に行きたい思うて、
すぐに寺の小僧(こぞう)を呼(よ)んだ。
そして、さっき婆さまに言うた通りのことを小僧に教えこんだんだと。
 
小僧は、さっそく、仏さまの後ろに隠れると、
 
「和尚よ、わしは阿弥陀仏じゃ。
 極楽に行きたくば、わしの言う事をきけ。
 まず、池の中にある島にわたり、松の木のてっぺんに登れ」
 
和尚はうれしくて、うれしくて、スイスイ松の木に登った。

小僧が松の木の下から、
 
「和尚よ、左の手を離せ」

と言うと、左の手を離した。
 
「和尚よ、右の手も離せ」
 
和尚は、ニタリッと笑って右の手も離すと、そのまんま、池の中にドボーン。


和尚は、もがきながら、ブクブク、ブクブク、池に沈(しず)んでしもうたと。

 どっとはらい。

http://sagrace.cocolog-nifty.com/blog/2021/02/post-6480a2.html

・・・

<参照>

伊勢ー白山 道(2021-05-11)
本当に「自分なりの精一杯」か? が大切です
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/0bd027428c7d4d49e1c1c0449a653182


           <感謝合掌 令和3年5月11日 頓首再拝>

おおきなかぶ - 伝統

2021/07/14 (Wed) 13:11:31


        *Web:寓話のあらすじと教訓解説( 2018.07.18)より抜粋

むかしのお話です。

おじいさんが、かぶの種をうえ、毎日大事に世話をします。

そうすると、かぶはどんどんと育ち、人より、大きな丈になるのです。


おじいさんは、さっそくかぶを抜こうと引っ張ってみます。

ところが、かぶは少しも動かなかったのです。


そして、おじいさんは、おばあさんを呼んできて、手伝ってもらいます。

それから、おじいさんとおばあさんは、
一緒にかぶをひっぱりますが、かぶはちっとも動きません。


次に、おばあさんは、まごを呼んできます。

それから、おじいさんと、おばあさんと、まごは
一緒にかぶを引っ張るのですが、かぶはやっぱり動きませんでした。


ですので、次は、まごが犬を呼んできます。

それで、おじいさんと、おばあさんと、まごと、犬は
一緒に、かぶをひっぱりますが、かぶはぜんぜん抜けません。


だから、今度は、犬が、猫をよんできました。

そして、おじいさんと、おばあさんと、まごと、犬と猫は
一緒にかぶを引っ張りますが、まだまだかぶは抜けないのです。


ですので、次に、猫がネズミを呼んできます。

それから、おじいさんと、おばあさんと、まごと、犬と、猫とネズミは
一緒に、かぶをひっぱりました。


そうすると、スッポンっとかぶが抜けたのです。

そして、みんなは仲良くかぶのスープを頂きました。

おしまい。

https://longago-hanashi.com/449.html

<参照>

(1)「おおきなかぶ」に秘められた教えとは【トルストイの隠した問い】
   https://sandanoumesan.com/archives/4229

(2)【絵本】おおきなかぶ・白鳥の王子(はくちょうのおうじ)
   【読み聞かせ】世界の童話
   https://www.youtube.com/watch?v=GlTsn3Abys4

   【絵本】おおきなかぶ は、0~6分の間。

(3)伊勢ー白山 道(2021-07-14)
   天敵同士でも1つに成れる時とは
   https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/a751a6041846274b9f8dd7ddc2338eec

           <感謝合掌 令和3年7月14日 頓首再拝>

セレンディップの3人の王子 - 伝統

2021/08/29 (Sun) 12:43:21


     *Web:ローザのこの世をまるごと楽しむブログ(2020-03-10)より抜粋

王様のジアファが、
大きくなった3人の息子たちを鍛えるために旅に出します。

王子たちはペルシャで1人の男に会います。

男がとても落ち込んでいたので王子たちは理由をたずねます。

男は、ラクダがいなくなってしまって困っている。
ラクダを見なかったかと王子たちに言いました。


王子たちはまるでそのラクダを知っているかのように答えました。

・片目が見えない
・歯が1本抜けている
・足も1本悪くて引きずって歩く

王子たちが言う事がラクダの特徴を言い当てていたので、
きっと彼らがラクダを見たにちがいないと思った男は、
王子たちが来た方向へラクダを探しに行きますが、見つかりません。


男は、ラクダがいなかったこと、
本当にラクダを見たのか?
どうして知っていたのか?
と王子たちに質問します。


王子たちはまたラクダの特徴について話します

・ラクダはバターとはちみつを背負っている
・女性を乗せている
・女性は妊娠している

王子たちの言う事はあっているので、
男は王子たちが自分のラクダを盗んだと思いました。

男は王子たちを訴え、兵士に王子たちはつかまってしまいました。

その国の皇帝により、王子たちは死刑宣告をされてしまったものの、
ラクダが見つかり刑を免れました。


皇帝は王子たちに、
「どうして見たことがないラクダの特徴を知っているのか」と聞きました。

王子たちはその理由を答えました。

・道端に生えている草が左側だけ食べられていたので、
 右目は見えていないかもしれない。

・草に残った歯型を見て、歯が1本ないと思った。

・道に片足をひきずったあとがあったので足が悪いと思った。

・道の片側にはそれぞれアリの行列とはえが飛んでいたから、
 アリのところにはバターで、はえのところにははちみつかと思った。

・ラクダが座ったあとの近くに用が足されたあとがあった。

・女性が座ったと思われるところに手のあとがついていて、
 そのあとが妊娠してお腹が大きくなった女性がついたものだと思った。


王子たちの話に皇帝は驚き、
自分の側において色々な問題を解決させました。

やがて王子たちはペルシャからセレンディップへ帰り、
それぞれ別の国の王様になり、幸せになりました。

https://ameblo.jp/rozaroza-s/entry-12581494755.html

・・・

セレンディピティマネジメントのすすめ
https://leadershipinsight.jp/2005/06/post_6030.html

           <感謝合掌 令和3年8月29日 頓首再拝>

大きな岩と小さな石の話 - 伝統

2021/09/03 (Fri) 13:44:59


      *Web:今日も良いことがあるように(2021/01/26)より

ある大学でこんな授業があったという。

「クイズの時間だ」

教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。

壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えた。


「本当に?」

そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの 砂利をとり出した。

そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」

学生は答えられない。


一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から、砂の入ったバケツを取り出した。

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれでいっぱいになったか?」

学生は声を揃えて、「いいえ」と答えた。


教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。

彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」


一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、
  最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。
 この例が私達に示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、
 それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」

「君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう」

と教授は話し始める。

「それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
 家庭であったり、自分の夢であったり…。

 ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。

 それを最初に壺の中に入れなさい。

 さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。

 もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから
 自分の壺を満たしていけば、 君達の人生は重要でない「何か」に
 満たされたものになるだろう。

 そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
 その結果、それ自体失うだろう」  

 出典:『ビジネス寓話50選』(博報堂ブランドデザイン編)


(このお話しは、次のWebにて、ご確認ください。
  → https://ameblo.jp/goromichi/entry-10494123170.html )

            ・・・

《自分にとって一番大事なものとは》

自分にとって一番大事なものとは何か?

その大事なもののために時間を割いているか?

つまらないことのために時間を浪費してはいないか?

充実した人生を送るために、
今日というかけがえのない日を輝かせるために、
自ら問いかけ、自ら答えを出していく必要がありそうです。


   「大切なことを、つまらぬものの犠牲にしてはならぬ」 ゲーテ

https://lucky.t-nakai.work/2021/01/26/story-21/

           <感謝合掌 令和3年9月3日 頓首再拝>

沖縄版アダムとイヴ - 伝統

2022/01/09 (Sun) 15:00:10


         Web:宇宙の兄弟たちへ(2022年1月8日)より
             ~人類の創生と宇宙人の存在

沖縄本島の北部に位置する古宇利島には
「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝承があります。

遠い昔に、古宇利島に天空から男女二人の子供が降りてきました。

彼らは着るものもなく裸で生活していて、
毎日天から落ちてくる餅を食べて幸福に暮らしていました。

二人は最初は空から餅が落ちてくることに疑問を抱かずに暮らしていましたが、
ある日、餅が降らなくなったらどうしようと不安が芽生え、
少しずつお餅を食べ残して保管しました。

ところが二人が貯えを始めると、空から餅は降らなくなってしまいました。

二人は天の月に向かい声を嗄らして歌いましたが、
餅は二度と降ってくることはありませんでした。

そこで二人は浜で生活するようになり、
魚や貝を捕って暮らし、生活と労働の苦しみを知ります。

また、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識しはじめ、
恥部をクバの葉で隠すようになりました。

この二人の子孫が増え琉球人の祖となった、と云う神話があります。

はじめは裸で暮らして、恥ずかしさを知らなかったのが、
ある時から葉っぱで隠すようになったという話は
旧約聖書に出てくるアダムとイブの話に似ています。

アダムとイブは、楽園になる知恵の木の実を食べてから
恥ずかしくなって葉っぱで隠し、
それを知った神様から楽園を追われるという話です。


アダムとイブも、楽園エデンに住んでいたころは
何不自由なく暮らしていなのですが、
失楽園によって、労働の苦しみを負うようになります。


古宇利島の神話は、アダムとイブの物語に類似しています。

また、旧約聖書の出エジプトにも類似性が見られます。

エジプトで奴隷の生活をおくっていたアブラハムの子孫たちは、
指導者モーゼのもとで、出エジプトを行います。

苦役のエジプトを逃れて、乳と蜜とに溢れる楽園のような
カナンの地を目指すという、失楽園の反対の、楽園への回帰のような出来事です。

そこで、出エジプトを行った一行のもとに、食糧危機が訪れます。

モーセが神に祈ると、
民を食べさせるために空からマナという食べ物を降ろされたといます。

それは蜜を含んだ煎餅のように甘く、白い食べ物だったと言われます。

神は毎日マナを降らせて、民を養っていたのですが、
それを翌日まで取っておくと、腐って虫が沸いたといわれます。


古宇利島の神話でも、ため置いたら天からの食料が降らなくなった
と言われていますので、ここでも類似性があるでしょう。

こうした古宇利島の神話や、アダムとイブの物語、
そして出エジプトの物語には類似性があるわけですが、それはなぜでしょうか?


実は、古代において、人類の創成期や民族の誕生時には、
宇宙からの介入があって、人類が滅びないように、
見守られていたと思われるのです。

数が増えていって安定するまでは
、宇宙人が食料の供給まで見ていたことをあらわすのではないでしょうか。

古宇利島の男女二人が空から降りてきたというのも、
宇宙人の存在を感じさせるものです。

おそらく古代においては、宇宙人による介入があったのだ
という真実が伝わって出てきたものと思います。


https://www.spacebrothers.jp/2017/07/blog-post_13.html

           <感謝合掌 令和4年1月9日 頓首再拝>

おにはうち、ふくはそと - 伝統

2022/02/02 (Wed) 18:26:43



明日2月3日は節分の豆まきです。


今年の節分の恵方は北北西です。
   https://saijilab.com/eho/


      *Web:「昔話、童話童謡の王国」より

むかし、むかし、ある所に貧しいお百姓さんとそのおかみさんが住んでいました。

今日は節分ですが、貧乏で、家から鬼を追い出す豆もありません。

「福は内、鬼は外。鬼は外、福は内。」元気な声が隣りから聞こえてきます。

「わしも豆をまきたいの。」とお百姓さんがおかみさんに言うと、
「私もよ。でも豆がないわ。情けないね。」

すると、お百姓さんは空の枡を持って立ち上がり、
「福は外、鬼は内。鬼は内、福は外。」と必死に叫びました。

家の外で、赤鬼さんと青鬼さんが、それを聞き、その家に飛び込みました。

「お、お、鬼が来た。」とお百姓さんとおかみさんは、
たいそうビックリして腰が抜けてしまいました。

「恐がることはない。俺達は、どこへ行っても豆を投げつけられ、
 追い出されてしまう。どこにも行くところがない。しばらくおかせてくれ。」

「だ、だ、だめです。・・う、うちには寝る布団がありません。」
「それに、食べる米もありません。」お百姓とお上さんは首を振り振り言いました。

赤鬼は、これを聞くと笑いだし、
「心配するな。お前に俺の虎の短パンをやる。米屋に持って行って米と換えてこい。」

そういって、赤鬼は短パンを脱いで渡し、
おかみさんは、鬼の虎の短パンを持って町の米屋に出かけました。

「何、これは本物の赤鬼の短パンか。」
と主人は言うと、しばらく念入りに見たり、触ったりしました。
「おお、なんとこの虎の短パンは最高だ。」

主人は、かご一杯の米を渡し、お上さんはそれを持ち帰ると米をたき、
鬼に出しましたが、鬼はあっという間に米を全部食べきってしまったので、
次の朝、おかみさんは鬼に言いました。

「もう米を食べきってしまいました。もうお帰りになって下さい。」

青鬼は、これを聞くと笑って、
「心配するな。お前に俺の熊の短パンをやる。また米屋に持って行って米と換えてこい。」
そういって、青鬼は短パンを脱いでおかみさんに渡しました。

おかみさんは、さっそく青鬼の熊の短パンを持って町の米屋に出かけ、
「何、これは本物の青鬼の短パンか。」と主人は、
しばらく念入りに見たり、触ったりしました。

「とにかく、この熊の短パンは最高だ。
 鬼の短パンが二つも手に入るとはな。家の家宝にしよう。」

主人は、嬉しくて、馬を借りてくると、馬が運べるだけの米をくれたので、
おかみさんは、お昼に米を炊き、鬼は全部たいらげてしまいましたが、
お米はまだ沢山残っています。

「晩ご飯には、ご飯とおいしいおかずも出したいな。」
おかみさんは、お米を売って魚と野菜と酒を買いました。

「うわ。今日の食事はすごいな。」と、
鬼達は食卓の上に載っている山のような食べ物に驚きました。

「ご飯とお酒、好きなだけ召し上がってくだされ。」とおかみさんは鬼に酒をつぎます。

「今夜は豪華な祝宴じゃ。お前達も、食って飲め。」と赤鬼が二人に言いました。

赤鬼と青鬼は、しらばくすると歌ったり踊ったりし始めたので、
お百姓とおかみさんもたくさん食べたり飲んだりしました。
次の朝、節分も終わり、辺りは静まり、
「節分も終わった。山に帰る頃じゃ。」と赤鬼。

「豆まきされずに、ここで数日の素晴らしい日々を過ごせた。」と青鬼。

「もし、良かったら、好きなだけここに居て下さっても結構ですよ。」とおかみさん。

「そうです。私どもも腹一杯食べたり飲んだりすることができましただ。
 米がなくなるまでここに居てくだされ。」とお百姓さん。

「残念ながら、それはできん。米をお金にかえて、そのお金で一生懸命働け。」と赤鬼。

「鬼でも貧しい人間は助ける。」

鬼達は静かに家をあとにし、それからお百姓さんとおかみさんは、
鬼に言われたように一生懸命働きました。
そして、まもなく村一番のお金持ちになりました。

https://www.douwa-douyou.jp/contents/html/douwastory/douwastory1_30.shtml

・・・

<関連>

(1)本流宣言掲示板「鬼退治~魔滅(豆)まき (6534)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1508

(2)光明掲示板・第二「節分 (5154)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1066 (消滅)

(3)光明掲示板・伝統・第一「節分 (163)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=72

(4)伝統板・第二「節分」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747226

(5)伝統板・第二「節分祭」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703455

           <感謝合掌 令和4年2月2日 頓首再拝>

【旅人の話】 - 伝統

2022/02/28 (Mon) 02:24:44


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.05.20)より

   (致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   ある町がありました。
 
   一人の旅人がその町にやってきました。

   町の入り口のところに一人の老人が座っていました。

   旅人は聞きます。

   「おじいさん、この町はどんな町?」


   おじいさんは聞きます。

   「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」

   旅人は答えました。

   「いやあ、前にいた町は嫌な人ばかりで、ろくな町じゃなかったよ」

   「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」


   また別の日に旅人が来る。

   「おじいさん、この町はいったいどんな町ですか?」

   おじいさんは聞く。

   「あなたがこの前にいた町はどんな町でしたか?」

   「私が今までいた町は、すばらしい町で、
    人々は親切で、あんなによい町はありませんでした」

   「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」と答える。


   これは逸話です。

   言い方はいろいろあるようですが、昔からある有名な話です。

   二人の旅人が来た町は同じなんです。

   結局この逸話の言いたいことは何か。

   環境というものは「その人の心が決める」ということです。


   我々が何のために学ぶのかというのは、
   環境をよりよく作るために学んでいるわけですね。

   結局環境を作るのはその人なんですね。

   その人の心が環境を決める。

   環境に左右されるのではなく、環境を作れる人間になりたいものです。



   最後に、昭和の碩学(せきがく)
   安岡正篤(まさひろ)先生の言葉を紹介します。


   「環境が人を作るということに捉われてしまえば、
    人間は単なる物、単なる機械になってしまう。

    人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる
    所以(ゆえん)がある、自由がある。

    即(すなわ)ち主体性、創造性がある。

    だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。

    人間が出来ないと環境に支配される」
           (安岡正篤一日一言/致知出版社)


  <『はじめて読む人のための人間学』致知出版社
            https://amzn.to/2S9D6uH >

           ・・・

小林正観さんは、幸も不幸もないという。

病気や災難も同じで、それを「不幸だ」と思う人もいるし、
「自分へのメッセージだ、(教えてもらって)ありがたい」
と思う人もいるからだ。

つまり、同じ状況(環境)でも、
それを「最悪だ、ツイてない」と思うのか
「最高だ、ツイてる」と思うかは、
その人の心が決めるということ。


自分の住んでいる町や勤めている会社、通っていた学校を、
「ヒドイところだった、不幸」と思うのか
「いい人ばかりだった、幸せ」と思うのか。

すべては、見方次第、考え方次第、その人の心が決めている。


人はみな旅人だ。

人生という旅をしている。

その旅の中で、色々な人に出会い、色々な所に住み、色々な仕事をする。

その遭遇(そうぐう)した様々なシーンを、

「楽しいと思ったのか、つまらないと思ったのか」、

「面白いと思ったのか、くだらないと思ったのか」、

「いいところだと思ったのか、ヒドイところだと思ったのか」。


人生が終わってあの世に旅立つとき、聞かれることが一つあるという。

それが、「人生を楽しみましたか」。


人生を「ああ、面白かった」と言って、あの世に旅立ちたい。

           <感謝合掌 令和4年2月27日 頓首再拝>

【浦島太郎の時間】 - 伝統

2022/03/01 (Tue) 02:17:06

浦島太郎

http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/07/01.htm


【浦島太郎の時間】

         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.02.26)より

   (葉室頼昭(はむろよりあき)氏の心に響く言葉より…)

   昔話というのは、いわゆるおとぎ話のことです。

   おとぎ話というのは、昔から何度も何度も語り伝えられていくうちに
   だんだんと研ぎ澄まされた、素晴らしい真実の話なのです。

   それがおとぎ話だと思います。

   このおとぎ話というのは、
   いかにも子ども向けの話のように見えるけれども、
   この中には人間の生きるべき真理、いのちというものが
   理屈なく語られているのではないかと思います。


   落語にも古典落語がありますが、
   これも昔からいろいろな落語家が語っているうちに、
   研ぎ澄まされて素晴らしい話になったのが古典落語です。

   ですから、この話の中には神さまが伝える真実が伝えられていますので、
   名人と言われる落語家が語ると、何度聞いても面白く、
   物語もすべて知っているのに面白さが表れてきます。


   おとぎ話もこれと同じで、
   子どもの時、毎日のように、おじいさんおばあさん、
   お父さんお母さんから、同じおとぎ話の話を聞いても、
   あきないで子どもたちは聞きます。

   これは理屈ではなく、世の中の神さまの真実のいのちを
   伝えているからだと思います。


   「浦島太郎」というお話しがありますね。
   これは人間の生きる道は、他の動物とは全く違うということを
   伝えているお話だと思います。

   人間以外の生物は、みな自分が生きるために食料を求め、
   セックスをして子どもを産んで生きていますが、
   人間だけは自分のために生きるのではなく、
   人を幸せにするということで生きているのです。

   自分以外の幸せのために生きるというのは、人間以外にはおりません。

   これをむずか しいことばで言えば、陰徳ということだと思います。

   陰徳というのは、人に知られずによい行ないをすることです。


   浦島太郎が、子どもたちがいじめている亀を助けるというのは、
   助けたからといって、自分が何か見返りを求めるということではない。

   ただ かわいそうだから助けてあげただけです。

   何ら見返りを求めない。

   そうしたら亀がお礼にと言って
   竜宮城に連れて行ってくれたというお話です。


   つまり、見返りを求めない陰徳の生活をすると、
   神さまの世界に近付けるという、
   人間本来の生き方が語られています。

   それに比べて現在の人間は、特に戦後の日本人は、
   外国から入ってきた理屈の教育で、
   人のことよりも自分の目先の欲だけで生きるという
   我欲の生活をするようになったため、
   現在のような乱れきった世の中になってしまったのだと思います。

   人の幸せのために生きるなどと言うと、
   そんなことでは今の世の中は生きてはいけない
   という人が たくさん いますが、
   これはまったく逆だと私は思います。


   神社でも、ただ神さまをお悦ばせする祭りだけを、
   繰り返し繰り返し行っております が、
   その結果、春日大社は千三百年たった現在でも、
   祭りは続き繁栄しています。

   これこそ人間の生きる道を、神社の祭りは示していると私は思うのです。

         <『神道と《うつくしび》』春秋社
                https://amzn.to/3IdEtxL >

           ・・・

葉室氏は、浦島太郎の「時間の概念」についてこう述べている。


『また、浦島太郎が竜宮城で時間の経つのも忘れて楽しく過ごし、
 再び自分の家のところに帰ってきたら、
 知っている人は皆とうの昔に死んでおり、
 誰もいなかったということですが、

 これは竜宮城で何日か遊んだだけだと思っていたけれど、
 地上では数百年もの年月が過ぎていたことを語っています。

 現在のわれわれは地球上で毎日、時間単位で生活しておりますが、
 この時間というものはあくまでも人間が作ったものであって、
 神さまの世界には人間が考える時間というものは存在しません。

 例えば、嫌なことを経験すると、早くそれから抜け出したいと
 誰でもが思いますが、なかなか時間は過ぎてくれません。

 それなのに、無我夢中で楽しいことをしていると、
 時間の経つのも忘れてしまうということは、
 誰でも経験したことがあるでしょう。

 時間というものが、外にあるのではなく、
 自分の心の中にあるということを、
 このおとぎ話は示しているのではないでしょうか。

 こうした時間の違いということについて、
 宇宙飛行士の毛利さんがおもしろい話をされていました。

 例えば光に乗って何億光年という先にある星に行って帰ってきたとする。

 すると自分は歳を取らない。

 ただ瞬間的に行って帰ってきたのだけれども、
 地球では何億年もたっているということになる。

 理論的にはそうなるという話をしていました。

 どうしてこのようなことを、日本人の祖先たちは知っていたの でしょうか。

 ですから私は、日本人というのは本当に素晴らしい民族だと思うのです。』



物理学者の保江邦夫氏はこう語っている。(タイムデザインの法則)より

『現代の物理学の世界では、
「時間というものはこの世には存在していない」というのは常識となっている。

 それは、量子力学の考え方だ。

 天文学者のアーサー・エディントンが、世界で最初に、
 「未来は過去の延長ではなく、未来と過去が今を決める」と言った。

 つまり、過去の延長線上に今や未来があるわけではなくて、
 「未来と過去が同時に今を規定する」ということ。』



誰もが知っている「浦島太郎」の話。

その時間の概念は、現代の最新の量子力学と同じ考え方だった。


「古くて古いものは滅び、新しくて新しいものも滅びるが、
 古くて新しいものは栄える」という。

それを、伊勢神宮は「常若(とこわか)」という。


陰徳を積み、常に若くありたい。

           <感謝合掌 令和4年2月28日 頓首再拝>

「うさぎはなぜかめに負けたのか」 - 伝統

2022/04/01 (Fri) 01:16:15

「うさぎはなぜかめに負けたのか」~四代目 三遊亭圓歌(落語家)


        *メルマガ「致知BOOK」(2022年03月30日)
         ~『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』より

私が、笑いを交えながら人生や経営、子育てなどについて、
私なりの考えを盛り込んだ、いまの落語や講演のスタイルを
確立したきっかけを与えてもらったのは、
遠縁に当たるジュポン化粧品本舗の故養田実社長です。

養田社長は若いころ、柳亭痴楽師匠に弟子入りし、
落語家を目指した経歴の持ち主だけに、
私の気持ちをよく理解してもらい、

「これからの時代、落語だけで食べていくのは難しいから、
半分は落語、半分は講演にして企業を回ってみたらどうか」

と、いろいろな異業種交流会などに連れていってくださったのです。

私はここで学んだ多くの経営者の言葉や、
本で読んだ中村天風、森信三、石川洋といった
先哲の言葉にヒントを得ながら、

それをどう落語家の自分なりに消化し、
人々を笑わせ、元気づけていけるかということに知恵を絞りました。

古典落語を基礎にこれらを取り入れた私の芸風の確立は、
すなわち私の人生観の確立でもありました。


養田社長から教わった忘れられない話があります。

私が真打ちになったのは昭和62年5月。

林家こぶ平さんと一緒の昇進でした。

真打ちが発表されると、二人がいる部屋に一斉にマスコミが押し寄せたのです。

ところが、フラッシュを浴びたのはこぶ平さんだけ。
数メートル横に私がいたのですが、どこの社も見向いてもくれませんでした。

考えてみれば、こぶ平さんは正蔵、三平と続いたサラブレッド、
一方の私は、いわば落語界には何の縁もない田舎生まれ、田舎育ちの駄馬でした。

私はくやしくて涙を抑えられなくなって走って外に飛び出し、
電車に乗りました。そこに偶然にも養田社長がいたのです。

「歌さん(※当時は三遊亭歌之介)、浮かぬ顔してどうしたんだ」

と聞かれ、私は理由を話しました。

すると養田社長はこう切り出したのです。

「うさぎとかめの童話があるだろう。
 うさぎは、どうしてのろまなかめに負けたのか。言ってごらん」

私は答えました。

「うさぎにはいつでも勝てると油断があったのです。
 人生は油断をしてはいけないという戒めです」と。

養田社長は

「本当にそう思っていたのか。零点の答えだ」

と語気を強めて、静かにこのように話したのです。

「かめにとって相手はうさぎでもライオンでも何でもよかったはずだ。
 なぜならかめは一遍も相手を見ていないんだよ。

 かめは旗の立っている頂上、つまり人生の目標だけを見つめて歩き続けた。

 一方のうさぎはどうだ、

 絶えずかめのことばかり気にして、
 大切な人生の目標をたった一度も考えることをしなかったんだよ。

 君の人生目標は、こぶ平君ではないはずだ。

 賢いかめになって歩き続けなさい」


さらに養田社長は言葉を続けました。

「どんな急な坂道があっても止まってはだめだよ。
 苦しいときにはああ何と有り難い急な坂道なんだ、
 この坂道は俺を鍛えてくれているではないか、と感謝しなさい。

 有り難いというのは難が有るから有り難いんだよ」と。

私は社長のこの一言で迷いが吹っ切れたのです。

そして、自分の人生の目標に向かって黙々と歩き続けよう、と思ったのです。

・・・

参照スレッド

(1)スレッド「ひかりの一日一言⑮」の6月9日の言葉において、
   「兎と亀」について、『常に進歩し続ける者が勝者になる』と、
   谷口雅春先生はとりあげております。
    http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(2)弁護士西中務氏による「ウサギとカメ」
    https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6899459
   09 一切の悩みは、人と比較することから生じる(2016/06/10 )

(3)なぜカメはウサギに勝てたのか?
   成功者(成幸者)への道⑧(2021/03/30)
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8122327

・・・

兎と亀の物語~谷口清超先生
愛国本流掲示板
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=5404

(伝統第二
 道産子2016/07/05 (Tue) 07:43:46~2016/07/10 (Sun) 08:30:30
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6882418 )

           <感謝合掌 令和4年3月31日 頓首再拝>

「ガチョウと黄金の卵」~幸福の卵を手に入れるには - 伝統

2022/05/15 (Sun) 18:14:17


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2022年5月14日)より

イソップ物語の中に、「ガチョウと黄金の卵」という話があります。

ある日、農夫は自分の飼っているガチョウが、
黄金の卵を産んでいるのを見つけて驚きます。

翌日もガチョウは、1日に1個ずつ黄金の卵を産み、
その卵を売った農夫は金持ちになっていきます。

お金持ちとなった農夫は、
1日1個しか卵を産まないガチョウに物足りなさを感じていきます。

そして「きっとガチョウの腹の中には金塊が詰まっているに違いない」
と考えるようになります。

欲を出した農夫は、
黄金の卵を産むガチョウの腹を切り開いてしまいます。

ところが腹の中に金塊など少しもありません。

農夫は金塊を手に入れられなかったばかりか、
その上、大切なガチョウまで死なせてしまい、
1日1個の黄金の卵も手に入れられなくなります。


これは人の欲が過ぎると、
いずれ破滅を導いてしまうという教訓話でしょう。

人というのは、すぐに成果を求めてしまいがちです。

インスタントに何でも今すぐに手に入れることを求めます。

YouTubeなどでも、スピリチュアル系で人気の動画は、
これを観れば願いが叶うとか、
すぐに引き寄せられるというようなものです。

それだけ人は努力無しに、すぐに結果がほしい、
楽して得をしたいと欲の皮がはっています。

ですが、真に望むものは、
なかなか手に入れられず、時間のかかることが多いです。

子供がはやく大人になりたいからと、
一日でたくさんの食事をとっても、一気に成長することはありません。

すぐに筋肉をつけたいと、
無理して1日でたくさんの筋肉トレーニングをしても、
その日のうちに効果が現れたりはしません。

そのように、努力をしても今すぐには得られたいことが多いのです。

少しづつ蓄積していって、水がめに水滴を一滴一滴たらして、
やがて満ちていくように、長い積み重ねが必要です。

すぐに成果が得られないからと、
無理やり結果を出そうとしたり、邪まなやり方で成果を得ようとすると、
ガチョウのお腹を裂いた農夫のように、全てを失います。

すぐにお金を得ようとして犯罪まがいの事をしたり、
詐欺をしては、いずれ身を打ち崩します。

そこまでいかなくても、ギャンブルや一か八かの賭けにでたり、
投機で儲けようとか、投資話に乗ったり、
マルチ商法にはまったりする人も出てきます。

そうしたものに引っ掛かる人は、
たいてい、楽して儲けたいとか、すぐに結果を求めるタイプです。

コツコツと努力を重ねるタイプの人は、
そうしたうまい話には引っ掛からないでしょう。

焦らずに、じっと待って、努力の蓄積を続けていく必要が、
成果を得ていくためには必要です。

https://www.spacebrothers.jp/2017/11/blog-post_13.html

           <感謝合掌 令和4年5月15日 頓首再拝>

七羽のカラス - 伝統

2022/11/01 (Tue) 15:08:23

グリム童話「七羽のカラス」
福娘童話集
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/09/03.htm


朗読
https://www.youtube.com/watch?v=Yn5bbwFAv1k


七羽のからす(グリム兄弟、1857)のあらすじ。
https://furansugonosekai.com/the-seven-ravens/


<参照>
親の言葉が子供に呪いとしてかかる
Web:宇宙の兄弟たちへ(019年12月13日)
https://www.spacebrothers.jp/2019/12/blog-post_13.html

           <感謝合掌 令和4年11月1日 頓首再拝>

鉢かづきの物語 - 伝統

2022/11/02 (Wed) 04:55:50


不幸が幸福に転じる時 鉢かづきの物語
宇宙の兄弟たちへ(2022年10月31日)
https://www.spacebrothers.jp/2022/10/blog-post_31.html

(学びのポイント)

(1)一見すると不幸と思われる物事は、将来からみると、
   実は幸福の種であったことが分かる事もあります。

(2)私たち地上にいる人は、身近なスパンで物事をとらえ、
   安易にこれさえ得られたら幸せだと思い込んでしまいます。

   しかし、天上界の視点からすると、
   人生をもっと長い目で見て、将来の幸福のためには、
   いまは苦労をしていた方がよいと判断される場合もあります。

   そのように、必ずしも地上の私たちが考える事と、
   本当の幸せとはかみ合っていない事があるのです。

(3)もしも不幸と思われる出来事が起こったとしても、
   それは将来の私たちの幸福のためになされたことかも知れませんし、
   そこに隠された意図があるのだと、
   受け入れることが大切なのだと思います。



まんが日本昔ばなし 鉢かつぎ姫
https://www.youtube.com/watch?v=CNB1Ieys5co


鉢かづき姫のサクッとあらすじ!
https://arasuji-m.com/hachikadukihime/





<参照>

日本昔話 鉢かづき姫
https://www.youtube.com/watch?v=NBSlxBNXUKY



鉢かづき姫 4kHDVer0,7
https://www.youtube.com/watch?v=4wCotIJoIpk

           <感謝合掌 令和4年11月1日 頓首再拝>

藁(わら)しべ長者 - 伝統

2022/11/03 (Thu) 04:54:23


    *メルマガ「大安吉日に送る勝ち神からの手紙」(2022.11.1)より

「今昔物語」にある「藁(わら)しべ長者」の話を聞いたことがあると思います。
身寄りのないひとりの青侍が、観音様のご利益で長者になるという物語です。

「このまま貧乏で終わるなら、ここで餓死します。
 何か少しでも与えて下さるのなら夢でお知らせください」
と観音様の前でひれ伏しました。

21日間が過ぎ、やがて夢に僧が現れます。
「お前がお寺を出ていく時、手に触れたものがあれば、
 それが贈り物だから持っていくように」というお告げです。

そこで、寺を出ていくと大門の前でつまずいて転んでしまいました。
その時、その拍子に一本の藁(わら)を掴んでいたのです。

「この藁がお告げか・・・」と思い、さっそく持って帰った。
途中、虻が顔の周りを飛び回っていたので、
持っていた藁しべで括ってしまったのです。

帰る途中、藁しべで括った虻を見て、ある貴族の女に会います。

観音参りの途中であったその女の乗る車には幼児が乗っていて、
男の持っているものが欲しいというのです。
従者がやってきて、蜜柑3つと交換することになりました。

蜜柑3つを持って歩いていると、また身分の高い人に出会いました。
観音参りに来たその人は、疲れ果て息も絶え絶えになっていたので、
持っていた蜜柑をその人に与えました。

すると、見る見るうちに気力が回復し、元気になっていったのです。
お礼にといって、布三反をもらい受けることになりました。

藁しべ一本が布三反になったことに驚き、喜んだ男は、
一晩宿に泊まり翌朝また出かけて行きました。

歩いていると、馬に乗った立派な人に出会います。
ところが、その馬が突然目の前で倒れて死んでしまった。

立派な人は別の馬に乗り換えていってしまったが、
この死んだ馬の処理を従者から頼まれました。

実はこの馬が名馬であったので、布一反と引き換えに
死馬を譲り受けることになりました。

その後、観音様の方に向かって「馬を生き返らせ給え」と祈った所、
目を開け息をふきかえしたのです。
残りの布二反で鞍と馬の餌を買い、京に向かいました。

都でこのような名馬に乗っていると怪しまれるので、
売ってしまおうと、今から旅をしようとする人に声をかけました。

すると、田と米を交換で名馬を買ってくれることになりました。

以来、男はこの田から採れた米で生活し、
どんどん豊かになっていきました。
これも観音様のご利益だと思い、以後参拝を続けていったのです。


これが、藁しべ長者の話の概要です。
観音様は奈良にある長谷寺の十一面観音です。
長谷寺は紅葉が見事なお寺ですが、今はまだ時期が早く、
山が錦に染まるまで時間がかかります。
ですから、今は参拝客はわずかで、ゆっくり参拝できる時なのです。

本堂は国宝で、参拝客が少ない時には、
舞台からの見晴らしは素晴らしい景色です。

このお寺は徳川幕府によって造営され、
観音信仰の中心的な役割を果たしています。
今は秋の特別拝観で本尊の十一面観音様の御足に触れることができます。
日本最大の12メートルある本尊の足元で縁を結ぶことができる機会なのです。

先日は、藁しべ長者の話を思い出しながら、
十一面観音様との縁を結んできました。

藁しべ長者の物語は、
「何事も小さなきっかけから」ということに気づかせてくれます。

ひとつの些細な出来事が、大きな結果につながっているということです。

初めのきっかけは、大門の前で「転んでしまった」ことです。

転んだことによって、捉まえたものが一本の藁しべです。

夢のお告げがあったとはいえ、男には深い信仰心があったのでしょう。
そして、「夢のお告げ」とともに、寺を出ていった行動力があります。

夢のお告げがあっても、何も起こさなければ、何も起こりません。
男が藁しべ長者になる過程には、
信仰心そして行動力そして何より素直な心があったのでしょう。


<参照>
わらしべ長者(わらしべちょうじゃ) 童話 動く絵本/日本の昔話
https://www.youtube.com/watch?v=nSwrWT0S_CU

           <感謝合掌 令和4年11月2日 頓首再拝>

ごんぎつね - 伝統

2022/11/09 (Wed) 13:29:59


        *メルマガ「人間力」(2022.11.9)より

新美南吉の『ごんぎつね』は人々によく知られた童話です。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html

文学博士でシスターの鈴木秀子先生は
『致知』12月号(最新号)の
連載「人生を照らす言葉」にて

この作品から読み解ける人生の知恵についてご紹介くださっています。

その一つが人間誰にでも訪れる死との向き合い方です。

───────────────────

(鈴木)

『ごんぎつね』の最後は、
裏口からこっそり家の中に入った
ごんが兵十に見つかり、
火縄銃で撃たれてしまう場面です。

…………………………………………………

そして足音をしのばせてちかよって、
今戸口を出ようとするごんを、
ドンと、うちました。

ごんは、ばたりとたおれました。
兵十はかけよって来ました。

家の中を見ると土間に栗が、
かためておいてあるのが目につきました。

「おや。」と兵十は、
びっくりしてごんに目を落としました。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」

ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。

…………………………………………………

悲しい結末ですが、兵十はようやく
ごんの真心に気づき、和解することができました。

この童話を通して兵十とごんが伝えてくれているのは、

完全な善人でいることができない人間が
その弱さや誤解、葛藤などを乗り越えて
相手を思いやる力を発揮していく素晴らしさです。

ごんは自分に銃を向けた兵十に対して
恨みを抱くことはありませんでした。

兵十にはごんを殺してしまったことへの
後悔の思いが続いたことでしょう。

しかし、そこで生まれた友情は
兵十の心の種火となって、
その後の生きていく力になったに違いありません。

人生を締め括るに当たっての、
死者と生者のかけがえのない和解のひと時。
これを私は「仲良し時間」と呼んでいます。

私たち人間は死が近づいてくると、
人生で縁のあった人たちへの感謝や
相手を大切に思う気持ちを表現せずにはいられなくなるといいます。

病床で気力すらなかった人たちが
苦しい息の底から

「いい家族が与えられて幸せだった」
「皆のおかげだ。ありがとう」

と口にしたり、
意識がなかった人が微笑みかけたり、
表現は人それぞれですが、
愛と感謝の思いを伝えようとします。

(中略)

いずれのケースにしろ、
後で振り返ってあの時が「仲良し時間」だったのだ、
と気づくことが多く、
最期に大切な時間を共有することによって
様々なわだかまりや恨みが解消されていくのです。

           <感謝合掌 令和4年11月9日 頓首再拝>

美意の按配 - 伝統

2023/05/28 (Sun) 07:46:10

天の采配によって定められている運命 美意の按配

     *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年5月26日)より

美意の按配ということわざがあります。

話にはいろんなバージョンがあるようですので、
少し小説風に紹介してみたいと思います。


ある国の王様が、家来と共に狩りに出かけました。

王様は狩りが好きで、いつものように喜んで出かけたのですが、
その日は何故か、獲物が全然見つかりません。

そこでいつもは行かないような森の深いところまで
出かけていきました。

すると突然、森の中から大きな虎が現れて、
王様めがけてとびかかってきました。

「ぎゃああ!」襲い掛かる虎を振り払おうとした手に、
虎が鋭い牙を突き立てたのです。

慌ててやってきた家来が、剣で虎を追い払うと、
虎は森の中へと逃げていきました。

王様は、小指を食べられた痛みと恐怖に震えながら、
家来に向かって叫びました。

「お前がしっかり守らないから、
 虎に小指を食べられてしまったじゃないか!」

家来は、王様の怒りにも動じずに、冷静に答えました。

「これは、私の所為ではありません、美意の按配です。
 全て決まっていることですから。仕方ないのです。」


王様は、家来の言葉に憤りを感じました。

「美意の按配だと?何を言っているんだ!
 私の小指が無くなったのは美意の按配か?」

「はい、そうです。美意の按配です。」

「馬鹿なことを言うな! お前は私に逆らっているのか?」

「いいえ、逆らってはおりません。
 ただ事実を申し上げているだけです。」

王様は、家来の態度に我慢できませんでした。

「よし、お前は牢屋に入れてやる。そこで美意の按配を味わってみろ!」

「かしこまりました。それも美意の案配です。」

王様は、家来を牢屋に送り込みました。

その後、王様は再び狩りに出かけました。

家来が牢屋に入っているので、王様はひとりで狩りに出かけたのです。

しかし、王様は森の中で迷子になってしまいました。

そして、森の部族に見つかって捕まってしまったのです。

王様は神の生贄になることが決まりました。

王様は泣き叫びました。

「助けてくれ! 私は王様だ! 私を殺すな!」

しかし、森の部族は王様の言葉を理解しませんでした。

彼らは王様を祭壇に縛り付けて、ナイフを振り上げました。

その時です。

森の部族は王様の小指が欠けていることに気付きました。

彼らは驚きました。

「この人は不浄だ! 神に捧げることができない!」

彼らは王様を解放しました。

そして、森から追い出しました。

王様は危ういところで助かったのです。


国に戻った王様は、家来を牢から出して謝罪しました。

「小指が無かったおかげで命拾いした。すまなかった。」

家来は微笑みました。

「私のおかげではなく、これも美意の按配です。
 それにもし私を投獄せずに狩りに連れて行かれたとしたら、
 私が生贄にされていたでしょう。
 牢屋に入れられたおかげで私は助かったのです。」

王様は驚きました。

「そうだったのか…それも美意の按配だったのか…」


「そうです。全て美意の按配です。」

王様は家来に感謝しました。

「ありがとう。君は本当に賢い家来だ。これからも私に仕えてくれ。」

「喜んで仕えます。それも美意の按配です。」

これは神様の采配によって、
運命として定められている事がある真実を伝える物語です。

そして、地上の私たちには不運に見える事も、実は深い意味があり、
そこには神様の采配がある事を意味します。

私たちは自分の望まない出来事が起こると、それを不運として嘆きますが、
そのにも何かの意図があるのかも知れないのです。

その運命の意味を知る事で、私たちは自分の人生を生きることが出来ます。

https://www.spacebrothers.jp/2023/05/blog-post_26.html

・・・

美意の按配(びいのあんばい)
http://blog.suita.ed.jp/es/10-sinden/koutyou/2019/06/post-439.html

           <感謝合掌 令和5年5月28日 頓首再拝>

樵とヒグマ - 伝統

2023/05/29 (Mon) 15:08:26


         *メルマガ「人間力」(2023.1.12)より
          『致知』2月号窪田慈雲老師
           ~知らず知らずのうちに犯す人間の悪業とは

その昔、一人の樵(きこり)が薪(たきぎ)を取りに山へ入った際に
大雪に見舞われ、道に迷ってしまいました。

凍えて身動きが取れなくなり、いまにも命を失いそうになったところへ

大きなヒグマが現れ、樵を洞窟へ運んでその身を抱き抱えて暖め、
食べ物を与えて懸命に介抱しました。

おかげで命拾いした樵は、
数日して雪がやむとヒグマに別れを告げ、里へ帰ることにしました。

里の近くまで差しかかった時、樵は二人の猟師に会いました。

獲物が捕れずに困っていた二人に、
樵は自分がヒグマの所から帰ってきたことを打ち明けました。

そしてあろうことか、
ヒグマを仕留めた時にはその肉を分けてもらう約束をも取りつけ、
道案内を買って出たのです。

ところが、首尾よくヒグマを仕留めた猟師から
肉を受け取ろうとした途端、
樵の両腕は胴体から外れ、バサッと地面に落ちてしまいました。

猟師たちは驚愕し、樵を問い質して事情を知りました。


大恩あるヒグマを裏切ったことを厳しく責め立てられ、

深く反省した樵は、
二人に付き添われて近くのお寺を訪ね、
ヒグマの肉を寄進しました。


三世を見通す智慧を備えた住職は、
そのヒグマが菩薩の生まれ変わりであったことを見抜き、
香木の薪を集めてその肉を焼き、残った骨を集めて卒塔婆を立て
礼拝供養したのでした。

お世話になった恩人を裏切る行為が、
いかに恐ろしい報いとなって己に跳ね返ってくるかを説く物語といえます。


それにしても、
この樵はなぜ自分を助けてくれた大切なヒグマを裏切ったのでしょうか。

一つ言えることは、

人間とは知らず知らずのうちに
こうした過ちを犯してしまいがちな愚かな存在であることを、
私たちは心に刻んでおかなければならないということです。

いずれにしても、因果を眩ますことはできません。

それが因果応報の真理なのです。

逃げる方法を考えるのではなく、来たものはすべて受け止める。

それこそが、悪縁を良縁に転ずる生き方といえましょう。

         <感謝合掌 令和5年5月29日 頓首再拝>

【弱い者でも強くなる】 - 伝統

2023/07/20 (Thu) 13:13:17


        *「おしゃかさまの童話」(谷口雅春童話集2)より

むかし、ある森の中に、夫婦の雀(すずめ)がいて、
1本の樹(き)の枝に巣をつくりました。
そしてその中にすんでおりました。
そのうちに、卵をたくさん生みました。

すると、ある時、一頭の象(ぞう)が、
暑さに悩んで樹蔭(こかげ)を求めて、
この樹(き)のところにやって来ました。

そして、苦しまぎれに、鼻のさきを樹の枝にまきつけて、
めりめりとへし折ったので、卵がみんな地に落ちてこわれました。

夫婦の雀(すずめ)はそれを見て、大いになげき悲しみますと、
啄木鳥(きつつき)が、そのなげく声を聞きつけて、やって来ました。

そして、

「なぜ、そう悲しんでいるのかね? 」

と、聞きました。雀(すずめ)はいいました。

「あばれものの象(ぞう)が来て、
 私の卵をみんなこわしてしまったのです。

 もし、おまえさんがほんとうに私どものお友だちでしたら、
 一ついい知恵を考えだして、あのあばれものをやっつけて、
 私どもの無念を晴らしてください」

これを聞くと啄木鳥(きつつき)は、

「おまえたちのいうことはもっともだ!

  『難儀(なんぎ)なときに
   われわれを見すてぬものがほんとうの友(とも)、
   おのれの努(つと)めを知るものがほんとうの奉公人、

   父に愛を示すものがほんとうの息子(むすこ)、
   夫を幸福にするものが、ほんとうの妻(つま)』

 ということがあるから、私もあまえ達のために
 一肌(ひとはだ)ぬぐ(ほんきになってちからをかすこと)
 ことにしよう。

 私には分別もあり眼もきくが、蠅(はえ)という友だちがいるから、
 その助けも借りることにしよう」

といいました。

啄木鳥(きつつき)は雌(めす)の雀(すずめ)といっしょに
蠅(はえ)のところにゆきました。そして、

「わしの友だちの雀さんが、悪い象のために卵をこわされて、
 なげき悲しんでいる。
 でおまえも私に加勢して像の奴をやっつける計略を
 成就<じょうじゅ(やりとげること)>させておくれ」

といいました。

蠅(はえ)はこれを聞くと、

「いいとも、いいとも! よろこんで、加勢するよ。
 だが、私にも蛙(かえる)という友だちがある。
 これにも加勢(かせい)を頼んだらいいだろう」

そこで、雀(すずめ)と啄木鳥(きつつき)と蠅(はえ)とは、
いっしょに蛙(かえす)のところに行って、
わけを話して加勢を頼みました。

すると、蛙(かえる)はみんなに向って、

「よし! 私がよい計略(けいりゃく)を考えたから、
 そのとおりにやってくれ。

 蠅(はえ)さん、おまえさんは、
 おひるに象(ぞう)のところに行って、
 耳の中に飛び込んでぶんぶんいわせるのだ。
 すると象(ぞう)の奴、いい気持ちになって眼を閉じる。

 そこをねらって、啄木鳥さん、おまえさんが、くちばしで象の眼をひじくり出す。
 盲目(めくら)になった象(ぞう)は、《のど》が渇いてきて、水を飲みたくなる。

 そこで私たちは蛙だから洞穴のそばで、眷属(なかま)どもといっしょに鳴きたてる。
 すると、象(ぞう)の奴、その洞穴を池だと思って、水を飲みにやって来る。
 来たらさいご、穴にはまって死んでしまう。どうだね」

といいました。

皆はその計略に従うことにしました。


蠅(はえ)が象(ぞう)の耳の中に飛びこんで、
ぶんぶんはねまわりますと、
象はいい気持で眼を閉じました。

すると、啄木鳥(きつつき)のために二つとも眼をほじくり出されてしまいました。
そのうちに真昼の暑さに《のど》が渇いてきましたので
、蛙(かえる)の声をたよりに深い穴のそばに歩みよりました。

そして、その中に落ちこんで死んでしまいました。

・・・・・

   大きな象を征服したのは、小さな多数の力である。
   弱い者でも多くあつまって心を合わせれば強くなります。

   また偉くなるには小さな者にでも嫌われてはならない。
   行き届いた心がけがいるのです。

            <感謝合掌 令和5年7月20日 頓首再拝>

ももたろう「物語の真実」 - 伝統

2023/07/21 (Fri) 03:52:33



ももたろう
https://www.douwa-douyou.jp/contents/html/douwastory/douwastory1_05.shtml


桃太郎 「物語の真実」
内山弘一の The GODチャンネル(2022/08/26)
https://www.youtube.com/watch?v=_-sSqN5Y1hc


・・・

谷口雅春先生は、桃太郎の鬼退治 を神話として捉えて、
「子供と母の本」(P226~235)にて、
その解説をしております。

伝統版「節分」
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747226
「節分の鬼退治に関連し、桃太郎の鬼退治 」(2016/02/03)

            <感謝合掌 令和5年7月20日 頓首再拝>

ハチドリのひとしずく - 伝統

2023/09/13 (Wed) 13:10:06

ハチドリのひとしずく
https://www.youtube.com/watch?v=XBKzed7KA6E

・・・

「ハチドリのひとしずく」というお話をご存知でしょうか。
https://jma-news.com/archives/aw_compass/4989

            <感謝合掌 令和5年9月13日 頓首再拝>

麦まく男 - 伝統

2023/09/15 (Fri) 04:56:35


     *谷口雅春童話集2「おしゃかさまの童話」(P12)より

むかし、ある百姓が、自分の田地を見まわるついでに、よその畑を見ると、
麦がたいそうぐあいよく生(は)えそろっていました。

青あおとした葉といい、根本(ねもと)のしっかりした具合といい、
じつに申し分のないりっぱなものでありました。

そこで、その畑の地主に向って、
「これは、またたいそうよく麦ができていますね!
 どうしたら、こんなによい麦ができますか? 」

とたずねますと、

「さようさ、別に仔細もない(こまかいわけもない)が、
 じゅうぶんに地を鋤き返して、よく平にやわらかにし、
 肥料をたくさん入れて、種まきをしたから、
 こういうふうによくできたのです」

で、百姓は、

「ああ、そうですか。それじゃ私もこんどそういたしましょう」

といって帰りましたが、いよいよ麦まきの時節になると、
かねて教えられていたとおりに、地を鋤き返して、地ならしをして、
肥料をじゅうぶんに与え、いよいよ種をまこうとする時に、
自分で畑の中を歩きまわってへ、せっかく鋤き返した地が固まってしまうし、
といって、これだけ広い畑中(はたなか)へまきつけるのに、
畑の中を歩かないではできません。

「はて、困ったものだ。
 自分が畑を踏みつけないで種をまくにはどうしたらよいか? 」

と、百方苦心をした末(すえ)、

「これなら大丈夫だろう」

と、自分はかごに乗って、
大の男4人を雇って来てかごを担(にな)わせ(かつがせ)、
自分はかごの中から、麦の種をまいてまわりました。

さて、こうして蒔いた麦が、具合よく生(は)えたでしょうか?

せっかく、具合よくできあがった畑も、
種まきの時にめちゃめちゃにしてしまったのであります。

自分の2本の足は、少しも畑の中を踏んであるかないが、
その代り、大の男4人の足で、しかも、重いかごを
担(かつ)ぎまわったのですから、畑じゅうはしっかり、踏みにじられて、
地所は大変固くなったから、麦もろくろく生えずに終ったとのことであります。

           ・・・

   自分は悪いことをしなければよいと思っている人でも、
   ひとに悪いことをさせて、平気でいる時がある。

   気をつけなければなりません。

            <感謝合掌 令和5年9月14日 頓首再拝>

生死をわけるスフィンクスの謎かけ - 伝統

2023/10/06 (Fri) 14:11:44


      *Web:Career for Tomorrow(3 JUL 2016)より抜粋

ギリシャ神話の「オイディプス王の悲劇」に出てくる、この謎かけ。


スフィンクスが通りかかる人間に問いかけます。

  朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。この生き物はなーんだ?


答えられない人間が次々に食い殺されてしまうなか、
主人公のオイディプスが正解すると、
スフィンクスは悔しがって身を投げて死にます。


世界的に有名なストーリーなので、
答えをご存知の方も多いかもしれません。

さて、答えはもうお分かりでしょうか。

謎かけから捉えられるもの

この謎かけの答えは・・・

「人間」です。

つまり、人間は

「赤ん坊の頃は四つん這い、次に二本足で立ち、
 老人になると杖をついて三本足になる」ということ。


一説では、三本目の足は「人生の英知(を得る)」
ということを指すという解釈もあるようです。

どちらにしても、
この謎かけの「朝」「昼」「夜」という「一日」は、
人間の「一生」を表しているんですね。


この謎かけでは、人間は人生で少なくとも2回(昼・夜)の
身体的・心理的な大きな変化を迎えると捉えられています。

https://kenyu.red/archives/3271.html

・・・
<参照>

伝統板・第二「心は何処にあるか」
《スフィンクスの謎》 2022/01/06 (Thu)
*「眞理」第1巻入門篇第7章(P70~73)
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8244682

・・・

ギリシア神話「スフィンクスの謎」
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/ima_toki/nab3mq0000000mp1.html

           <感謝合掌 令和5年10月6日 頓首再拝>

知育動画|お雛様 昔話(おひなさま むかしばなし) - 伝統

2024/03/03 (Sun) 09:13:30

アニメ 絵本読み聞かせ 知育動画|お雛様 昔話(おひなさま むかしばなし)
/雛人形の歴史について学べる昔話絵本
きっずちゅーぶ/絵本読み聞かせ動画チャンネル「KidsTube」( 2020/02/11)
https://www.youtube.com/watch?v=JsWfX5dWVpU

       <感謝合掌 令和6年3月3日 頓首再拝>

群星ユンタの由来 ~八重山の昔話~ - 伝統

2024/03/06 (Wed) 09:13:37


「群星ユンタの由来 ~八重山の昔話~」
うちなー昔話(NHK2023年放送 277回)
https://www.nhk.or.jp/okinawa/asobo/archives/277.html

・・・

沖縄の昔話と苦しむ人々を助けるスターシードの物語
宇宙の兄弟たちへ(2024年2月29日)
https://www.spacebrothers.jp/2024/02/blog-post_29.html

            <感謝合掌 令和6年3月6日 頓首再拝>

庄屋と狩人ときつね - 伝統

2024/03/07 (Thu) 10:15:46

      *「松下幸之助一日一言」 より

昔のたとえ話に庄屋と狩人ときつねの話がある。

狩人は庄屋の前ではかしこまっている。
しかし庄屋はきつねにばかされる。
きつねには弱い。

そしてきつねは鉄砲で撃たれるかもしれないから
狩人はこわい。
結局この中で誰が偉いとも何ともわからない、
という話である。

私は今日でもこの話は生きていると思う。

勝負に勝つ人が偉いのでも、
負ける人が偉くないのでも何でもない。
教育する人が偉いのでもないし、
教育を要する人ができが悪いのでもない。

それぞれやっぱり一つの生きる姿である。
そう考えれば、喜んで人に協力することができるし、
また協力を受けて仕事ができるのではないか
と思うのである。

       <感謝合掌 令和6年3月7日 頓首再拝>

かぐや姫 - 伝統

2024/03/23 (Sat) 12:10:09


かぐや姫 - かぐやひめ(日本語版)アニメ日本の昔ばなし
https://www.youtube.com/watch?v=YoohVpVo7xk

福娘童話集様作 童話『かぐや姫』
https://www.youtube.com/watch?v=Z1WK0R51la0


<参照>

かぐや姫と月
或る譬話・寓話からの学び①(2015/09/27 )- 伝統第二
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464916


「かぐや姫」に隠された恐怖の裏ストーリー
或る譬話・寓話からの学び③ (2017/05/05) - 伝統第二
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566


《月とかぐや姫》
お月見(2017/10/06 ) - 伝統第二
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7647563


かぐや姫が月に還った日は?
或る譬話・寓話からの学び③(2017/10/23) - 伝統第二
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566


浦島太郎と竹取物語は一つの物語だった
或る譬話・寓話からの学び③ (2017/10/24) - 伝統第二
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566

           <感謝合掌 令和6年3月23日 頓首再拝>

【神様から聞いた竹取物語①】 - 伝統

2024/03/24 (Sun) 09:53:06

【神様から聞いた竹取物語①】
小梅小町(2024/01/28)
https://www.youtube.com/watch?v=BXGEUH2Hlw8

【目次】
00:00 《竹取物語 朗読》 冒頭
00:56 竹取の翁は国造?
02:38 《竹取物語 朗読》 成長するかぐや姫
05:13 当時の暗号文化
07:19 竹取物語の面白さ
08:03 《竹取物語 朗読》 色好みの貴公子五人
08:22 結婚を申し込む貴公子
09:19 結婚を断り続ける〝竹〟の姫
11:17 《竹取物語 朗読》 私は美人ではありません
12:46 かぐや姫が五人の貴公子に求めるもの
13:40 【石作皇子】天竺にある仏の御石の鉢
18:93 【蔵持皇子】蓬莱にある玉の木
25:49 【阿部右大臣】唐土にある火鼠の皮衣
31:14 【大伴の大納言】龍の首に五色に光る珠
36:06 【石上の中納言】燕のもたる子安の貝
40:14 かぐや姫が思う愛とは?

           <感謝合掌 令和6年3月24日 頓首再拝>

神様から聞いた竹取物語② - 伝統

2024/03/28 (Thu) 10:44:33

【神様から聞いた竹取物語②】
この国を想う僧が書いた物語/富と志を持った国へ
/神も仏も必ず心の中に持っている日本人
小梅小町( 2024/02/25)
https://www.youtube.com/watch?v=B7zw5ynr9zU


【目次】
00:00 《竹取物語 朗読》
03:05 私は憧れを持たない
05:02 帝、かぐや姫に逢いに行く
08:41 当時の男性と女性、太陽と月の役割
12:18 恋をしたら、、、
15:35 古事記と繋がれるかぐや姫の罪
22:56 捕らえられてしまったかぐや姫
24:41 月の国のかぐや姫
28:36 心が美しい愛する人
32:09 月の国は民の味方
34:26 天へ帰った、かぐや姫
39:18 作者は富と心の人
43:48 日本人の心の中にあるもの

           <感謝合掌 令和6年3月28日 頓首再拝>

お金と奴隷 - 伝統

2024/04/23 (Tue) 09:45:45

お金と奴隷!誰も語らなかった 現代の奴隷はこうやって作られた
Web:世界の動向と経済を分かりやすく語る(2023-11-15)
https://ameblo.jp/ba5603/entry-12828683390.html

           <感謝合掌 令和6年4月23日 頓首再拝>

神様から聞いた浦島太郎 - 伝統

2024/04/24 (Wed) 09:24:45

【神様から聞いた浦島太郎】
乙姫は誰?/何度生まれ変わっても出会いたい人/宇宙の生命の樹
小梅小町( 2024/03/29)
https://www.youtube.com/watch?v=qDuuwBdtWYw

・・・

<参照>

伝統版での「浦島太郎」情報としては、

(1)或る譬話・寓話からの学び③
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566
   浦島太郎 - 2017/10/20 (Fri) 17:58:34

(2)或る譬話・寓話からの学び③
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566
   浦島太郎の原型/風土記・万葉集(2017/10/22 (Sun) 20:23:55)

(3)或る譬話・寓話からの学び③
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566
   浦島太郎と竹取物語は一つの物語だった(2017/10/24 (Tue) 19:09:15)

(4)或る譬話・寓話からの学び③
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7160566
   浦島伝説 壮大な変遷(2018/08/22 (Wed) 19:14:16)

(5)或る譬話・寓話からの学び④
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7870002
   浦島太郎の真実 教訓としての話(2020/07/17 (Fri) 19:51:57)

(6)或る譬話・寓話からの学び⑤
   https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8002545
   【浦島太郎の時間】(2022/03/01 (Tue) 02:17:06)

           <感謝合掌 令和6年4月24日 頓首再拝>

『おしゃかさまの童話』はしがき - 伝統

2024/04/27 (Sat) 11:28:35


Web:粟野真弘のblog(2024年04月24日)より
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2024-04-24.html


谷口雅春先生の童話集(全5巻)第2巻の『おしゃかさまの童話』に入りました。
その「はしがき」には、この童話の内容について説明があります。
少しご紹介します。


       *『おしゃかさまの童話』(P2)

世の中で一ばん偉い人は、隣りの国や、よその国を盗って力を延ばした
ナポレオンやヒットラーやジンギスカンや、秦の始皇帝ではありません。

こんな人は皆ほろんでしまいました。

ほろびないで、今も人々の心の中に生きていて人を導いて下さる
お釈迦さんや、キリストさんは世の中で一番えらい人
――たましいの偉い人――だといわねばなりません。

 
お釈迦さんも、キリストさんも、
いろいろの「喩え話」で人々をお導きになりました。

「喩え話」というのは、今でいうと童話です。
 
お釈迦さんの童話には、『百喩経』とか『本生経』というやさしい物語集があり、
『法華経』はむつかしいお経ですが、その中にもたくさんの〝喩え話〟があります。

  
この童話集にはお釈迦さんのはなされた童話の中で
皆さんの〝心の力〟になるものを主にして、なお、その上に、
わたしが工夫して書いた童話を二つ三つまじえて、

皆さんを立派な人間にする知恵と勇気と力とをつけるような話ばかりが
あつめてあります。

(『おしゃかさまの童話』谷口雅春童話集2)

・・・

 
谷口雅春童話集2『おしゃかさまの童話』
https://www.ssfk.or.jp/p/a/104002.htm

【目次より】

弱い者でも強くなる
麦まく男
道草をくっていると
おこった鳩
口先ばかりの船長
うわさの鬼
変な腫れもの
無駄骨おり
鼻のおみやげ
落胆男の乱暴
…他

           <感謝合掌 令和6年4月27日 頓首再拝>

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