伝統板・第二

2580865
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

「争わない生き方」 - 夕刻版

2016/06/01 (Wed) 20:19:59

最近、複数の異色の弁護士による、著書が注目を集めております。

このスレッドでは、その異色の弁護士の一人である「西中務」氏による著書から、
ピックアップして紹介してまいります。

・・・

(本書の紹介として)

支局長からの手紙~争わない生き方のすすめ /奈良

         *毎日新聞2016年3月6日 地方版 より

私の尊敬する弁護士の一人、西中務先生(73)の著書
「ベテラン弁護士の『争わない生き方』が道を拓(ひら)く」
(ぱる出版、本体1300円)が人気です。

西中先生は「争う心から幸せは生まれない」と呼びかけ、訴訟(裁判)をした方が
高い弁護士報酬をもらえる場合が多いのに、できれば話し合い(示談)で済ませるように
依頼者に勧めています。

この本には、西中先生の弁護士観や46年間の弁護士生活で出合った
たくさんの興味深いエピソードが散りばめられています。発売から3カ月余りで増刷6回を重ね、
一般の人の出版としては非常に多い約1万冊を売り上げています。

 
西中先生は大阪市北区の「エートス法律事務所」の弁護士で、
事務所の別室である通称「エートスステーション」という事務所と
同じビル内にある部屋(約100平方メートル)を市民の勉強会や交流会などに
無償で貸し出すなど、奉仕活動にも力を入れています。

 
本は83個のテーマで構成され、各テーマが見開き2ページで完結し、
読みやすい仕立てになっています。

 
「他人の悪いところが目についたら、それは自分の中にもあるという証拠」というテーマでは、

「他人の悪いところが目についたら……相手を通して、嫌な自分を見ている」
「もし、自分と相手がまったく別の次元にいたならば、喧嘩(けんか)にも言い合いにもなりません」
「苦手な人は、あなたが変わるきっかけを与えてくれる大切な人物です」

などと指摘しています。

 
「争わない人は、相手を責めずに自分の気持ちを伝える」というテーマでは、
同じ事柄でも、受け止め方によって喜びや感謝にもなるし、
逆に悪感情にもなると述べています。

例えば、自分が講演をしている場面に誰かが遅れて来た場合、
「遅れてくるなんて失礼」と思うか「忙しいのにわざわざ来てくれて」と感謝するかで
大きく違うと指摘しています。

そして、
▽人から悩みを聞かされたときは、説教やアドバイスをするより、
 ひたすら相手の気持ちを聴き、「~なのよ」と聞いたら「そう。~なのね」と返してあげると、
 相手の悩みは自然に解決に向かう。

▽他人の行動で自分が悩んでいる場合、「あなたのこの行動で困っているから
 助けてほしいと率直に伝えれば、ほとんどの相手は行動を改める」・・・などと助言しており、

なるほどと思って読みました。


また、
「一流の人が、出会った人を味方にする方法」
「選挙運動をしなくても、当選してしまう人の、心の伝え方」
「お世話になった人が入院されても、見舞いには行かないこと」といったテーマでは、
こまめにはがきを書くことで人間関係がいかに良くなっていくかを詳しく説明しています。


ほかにも、
「一切の悩みは、人と比較をすることから生じる」
「生きている意味がわからなくなったら、人の役に立つことを考える」
「人間の価値は、地位ではなく、どんな生き方をしたかで決まる」

「生きていることは奇跡だという感謝の意識を持つ」
「目先の利益を選べば、未来の協力者を潰すことになる」などのテーマがあり、
目次を見ているだけで教訓になります。

 
私は仕事をきっかけに西中先生と数年前から親しくお付き合いさせていただいていますが、
目先の損得より信頼や義理人情を大切にする先生の生き方が反映され、大変勉強になる本でした。
皆さまも、機会があれば、手にとってみられてはいかがでしょうか。【奈良支局長・岩崎日出雄】

    (http://mainichi.jp/articles/20160306/ddl/k29/070/278000c

・・・

編集者による紹介Web「ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く」
 → http://booklog.jp/item/1/4827209685

            <感謝合掌 平成28年6月1日 頓首再拝>

争う心から幸せは生まれない - 伝統

2016/06/02 (Thu) 18:29:15

01【まえがき】争う心から幸せは生まれない (P4~5)より抜粋

45年間、弁護士として学んだ私の結論は

「争う心からは決して幸せは生まれない」ということです。

弁護士の仕事というと、人の争いごとで儲けていると思われるかもしれませんが、
それは、大きな誤解です。

弁護士ほど、「争わない生き方」を望んでいる職業はないと思います。
なぜなら、争いをして人生によいことは何もないと毎日実感しているからです。

私は、世の中から争いがなくなり、すべての人が豊かで喜びにあふれた価値ある
人生を送ることができるよう望んでいます。

そして、弁護士の仕事がなくなること、
つまり揉め事や裁判がない世の中を目指しているのです。


本当の人生の成功者とは、経済的だけでなく、精神的にも豊かな人のことだと
私は思います。この本は、そんな「心の億万長者」になる方法について書かれています。

では、どうしたら「心の億万長者」になれるでしょうか?

それは、己の損得を超え、人や社会のために生きることです。

争って勝利を手にするよりも、争わないほうがずっと幸せだと知った私が、
この本を書くのは、罪滅ぼしとしての遺言の意味もあります。

争わない生き方をすすめる弁護士がひとりくらい、いてもいいではありませんか。

            <感謝合掌 平成28年6月2日 頓首再拝>

法律では、人の争いをなくすことはできない - 伝統

2016/06/03 (Fri) 18:47:40

02 法律では、人の争いをなくすことはできない (P12~13)   

あるガンの名医の方が、ガンを治しても再発するのは、
その人の生活習慣や考え方に原因があるということをおっしゃっていました。
 
人と人との争いも、私は同じことだと思っています。

私は弁護士として45年間活動してきましたが、
争いを法律で解決しても、同じ人がまた同じような争いを起こすのを、
何回も目にしてきました。

その人の根本的な問題を解決しない限り、
その人はまた別の人との争いを始めてしまうのです。

「法律では、人の争いはなくせない」
このことを知ったとき、私は非常に衝撃を受けました。

私が弁護士になったのは、社会的弱者を守り、世の中の争いをなくしていくことで、
人を幸せにしていくことができると考えていたからです。
しかし、弁護士が行っている仕事とは、争いを解決するための
対処療法でしかなかったのです。

もちろん、目の前の争いを解決することで、幸せになる人々もたくさんいます。
ただ、それだけではいけない、という思いを、私は強く感じたのです。
 
では、何によって人の争いがなくなり、社会的弱者も含め、皆が幸せになれるのでしょうか。
かつての私は、皆が法律を順守すれば、争いはなくなると思っていました。
しかし、そうではなかったのです。

「法律さえ守れば、何をやってもいい」

そんな傲慢な考えを持っていると、争いが起きてしまうのです。
法律は、人が守るべき最低限のルールでしかありません。

幸せに生きるためには、法律よりもずっと大切なものがあると気づいたのです。


それがこの本に書いた7つの「心」です。
感謝、報恩、利他、謙虚、品性(徳を積む)、天命(運を天に任せる)の7つの心を
基本に生きていれば、現在も未来も、幸せな状態に変えることができるのです。

これは、人間の生き方の原則でもあると私は思っています。

いつの時代になっても決して変わらない原則を、
後世に伝えることが、私の使命であると強く感じています。

            <感謝合掌 平成28年6月3日 頓首再拝>

「法律さえ守れば何をやってもいい」という考え方が、争いの原因 - 伝統

2016/06/04 (Sat) 18:19:28

03「法律さえ守れば何をやってもいい」という考え方が、争いの原因(P14~15)

かつて私は、法律を全員が守れば、争いはなくなると思っていました。
しかし「法律を守れば何をやってもいい」という考えから自体が、
争いの原因だったのです。

そこで私は、「法律的な罪」という概念とは別の、
「道徳的な罪」という概念で物事を考えるようにしました。

(中略)

自ら不幸せになろうと思っている人は誰一人いないでしょう。
それにもかかわらず、私には、自ら不幸の道へと突き進んでいる人が多いように思います。

人間の最大の錯覚は、法律を守りさえすれば、何をやってもよいという考えのもとに、
「経済的な成功」や「学力・権力・地位・名誉」を求めてしまうことです。

経済的な成功には限りがありません。
お金を得れば得るほど失う恐怖がつきまとい、
結局安らかとはほど遠い精神状態になっている人もいます。

また、権力や地位、名誉があるがゆえに、小さな失敗も許されず、
足下をすくわれまいと神経を尖らせている人たちもいます。
これは、幸せな状態とはとてもいえないのではないでしょうか。
 
このような人たちに出会うたびに、
私の中では大きな疑問とやるせなさが膨らんでいきました。
学力、金、権力、地位、名誉は生きていくためには必要なものです。

しかし、これらは所詮道具にしかすぎないのです。
真に幸せな人生を実現するためには品性(人間力)が最も大切なものです。

(以下略)

            <感謝合掌 平成28年6月4日 頓首再拝>

「幸せになるためのルールは、法律では定められていない」 - 伝統

2016/06/05 (Sun) 19:19:39

04 「幸せになるためのルールは、法律では定められていない」(P16~17)

私たちは皆、幸せを求めて日々を生きています。
それにもかかわらず、幸せになるためのルールは、法律では定めていません。

どのように生きればよいのかは、書かれていないのです。
かといって、自分勝手に生きてしまうと、間違った道へと進んでしまいます。

弁護士である私のもとには、トラブルにあった方がやってきます。
相談を受けるために」お話を伺っていると、どうも生き方そのもののルールを
踏み外している方が多いように見受けられました。

そこで私は、人間の生き方そのもののルールを求めて
人間的に素晴らしい方からたくさんの学びをいただいてきました。

また、仏典や聖書をはじめとする古典を数多く読んでまいりました。
どれにも、人間の生き方そのもののルールが書かれてありました。
仏典や聖書には、いろいろとありがたいことが書いてあります。

その教えは、結局「よいことをしなさい。悪いことをしてはいけません。
お世話になった方に感謝しなさい。人の嫌がることをしてはいけません

人の喜んでもらえることをしなさい。
困っている人に手をさしのべなさい。
人を傷つけることを言ったりしてはいけません」など。

これらのことは、誰でもどこでもすぐに実践できる、ごくごくあたりまえのことです。
誰一人として、この考えを間違っていると批判する人はいないでしょう。


しかし、いざ実践していくとなると、非常に困難であることがわかります。
なにも大きなこと、難しいことをしようと気負うのではなく、小さな基本的なことを
一歩ずつ罪重ねていく、その結果が現在の自分の姿ではないでしょうか。

私自身、世の中を少しでもよくしていこうという
与えられた使命をただ淡々とこなしていきたいと思います。

自己の向上には、これしかないと思います。

            <感謝合掌 平成28年6月5日 頓首再拝>

なぜ同じ人が同じような争いを繰り返すのか? - 伝統

2016/06/06 (Mon) 18:50:23

05 なぜ同じ人が同じような争いを繰り返すのか?  (P18~19)

弁護士をしていると、同じ人から何度も争いの相談を受けることがあります。
飲食店であれば、また来てくれた、と嬉しいはずですが、
弁護士の場合は複雑な気持ちになります。


私が弁護士になりたての頃、兄弟間の相続争いの事件を担当しました。
長期の裁判の末、一件落着して喜んだところ、数年後また相談に来られました。
今度は母親の介護問題について深刻な争いでした


この問題も数年の裁判の後、解決しました。
これですべての問題が解決し、以後、この方はきっと幸福な人生を送られると
安堵していたところ、また、相談に来られました。

今度は母親の相続についてのトラブルだったのです。
依頼人のトラブルをせっかく解決したと思ったら、また同じような
トタブルに見舞われています。


なぜ、このように同じ人が似たような争いを繰り返すのでしょうか。
原因は、はっきりしています。

依頼人の考え方、生き方が変わらなければ、何度解決したとしても
同じことの繰り返しになるのです。

私は弁護士ですから、法律を用いて争いの決着をつける仕事です。
しかしそれは対処療法にしかすぎず、依頼人の心、考え方まで私が変えることはできません。


これではまるで、泥水で皿を洗っているような状態です。
泥水で皿を洗っても、きれいにはなりません。

泥水は、人間の心を表していると思います。
私たちの心を清らかにしない限り、争いという汚れた皿はきれいにならないのです。
汚れた皿を問題にするのではなく、まずは泥水をきれいにすることから始めましょう。

            <感謝合掌 平成28年6月6日 頓首再拝>

日本のよき伝統文化を極めて、トラブルに強くなる - 伝統

2016/06/07 (Tue) 17:55:56

06 日本のよき伝統文化を極めて、トラブルに強くなる(P20~21)

古来より、日本人はたぐいまれな道徳心を持った民族でした。
トロイア遺跡を発掘したドイツの考古学者であるシュリーマンは、1865年に日本を
訪問した際、日本人の道徳心に驚いたとする記述があります。

港で役人がシュリーマンの荷物をチェックしようとしたところ、それを面倒がった
シュリーマンはお金を払うこおtでチェックを免れようとしました。すると役人は
自分の胸を叩いて「日本男児」と言い、それを拒否したといいます。

「彼らに対する最大の侮辱はたとえ感謝の気持ちからでも現金を贈ることであり、
彼らの方も現金を受け取るくらいなら切腹を選ぶのである」
とシュリーマンは記しています。

道徳を財産より優先するのが、
日本人としての古き良き伝統であり文化であったことの証明です。


そこに日本人の強さであることを見抜いたアメリカは、占領政策として
学校教育における「道徳教育」「歴史教育」「宗教教育」を排しました。

そして、衣服、住環境、食事などの文化が欧米化していくなかで、日本人の精神が
失われていってしまったと感じています。戦後の欧米化によって、道徳の判断規準
までも欧米化してしまったのです。

日本文化が失われるとともに、日本人は道徳観までも失ってしまいました。

私たちは、過去から受け継いでいるよき伝統や文化を取り戻していくべきでしょう。
冠婚葬祭を大切にし、1年の終わりには年賀状を書き、年の初めには初詣をする。
こういった日本ならではの季節行事や催事の一つひとつを、後世に受け継いでいくとが
大切です。


柔道、華道、書道などの「道」がついた文化には、強い精神力を養うための心の修行が
根強く受け継がれていると感じます。柔道には忍耐力、華道や書道には集中力などを
養う要素が含まれています。

道を極めるのは、そのことを修練するだけでなく、心を鍛える意味もあるのでしょう。
道を極めた人は、精神力も鍛えられているので、多少のトラブルに見舞われても、
微動だにしません。

強くなりたいなら、まず「道」を極めてみてはどうでしょうか。

            <感謝合掌 平成28年6月7日 頓首再拝>

他人の悪いところが目についたら、それは自分の中にもあるという証拠 - 伝統

2016/06/08 (Wed) 18:21:57

07 他人の悪いところが目についたら、それは自分の中にもあるという証拠(P22~23)

あなたには、苦手な人や嫌いな人はいるでしょうか?
ひとりやふたりはいるかもしれません。
では、なぜその人のことが苦手なのでしょうか?

苦手な人には近づかなければいいと思われているかもしれません。
けれども、私は、あるとき、はっとしたことがあります。
この人の嫌なところは、自分の嫌なところだと気づいたからです。


他人のあら探しが得意な人、そして批判をしてばかりの人がいます。
その人は、自分の悪いところには目を向けていなかったりしますが、他人の悪いところが
目についたら、それは自分の中にもある悪いところのはずなのです。

気になったということは、自分が気にしていることだからなのです。

自分の価値観や、判断基準に反することをする人が、自分にとって苦手な人で
ある場合もありますが、自分の嫌な面をその人といることで見せつけられることが
耐えられないという場合もあるのです。

つまりそれは、相手を通して、嫌な自分を見ているのです。
人と人は鏡のような関わりを方をすると言われています。
言い合いをするのは、自分も相手と同じ場所に立っているからです。


もし、自分と相手がまったく別の次元にいたならば、喧嘩にも言い合いにもなりません。
相手を悪く言う、批判をしている時点で、自分も他人からそのように思われているのです。

これは耳の痛い話かもしれませんが、自分の嫌な部分を直すチャンスなのです。
嫌な人が目の前にいるのは、あなたのために用意されたチャンスだと考えてください。


「この人から、私は何を学べるだろうか? 」

その質問を自分の心に投げかけ、答えを探してみてください。
そこに嫌な自分を見るかもしれませんが、それはチャンスです。
目を背けずに向き合ってみてください。

苦手な人は、あなたが変わるきっかけを与えてくれる大切な人物です。

            <感謝合掌 平成28年6月8日 頓首再拝>

満場一致の判決は、なぜ危ういか? - 伝統

2016/06/09 (Thu) 17:30:06

08 満場一致の判決は、なぜ危ういか? (P24~25)

アメリカのNASAが宇宙船の乗組員を選ぶときには、あるルールがあります。
それは、乗組員の中に、人種、職業、性格、性別、趣味など、
必ず異なる人を入れるようにするというものです。

これは、オッドマンセオリーという組織論から決められたルールだそうです。
オッドマンセオリーのオッドマンとは、奇妙な人という意味です。

ある基準だけに基づいて選ぶと、優秀な人は集まりますが、
皆同じような考え方の人間の集まりとなってしまう可能性があるのです。


宇宙で何か緊急事態が発生した場合、
皆が同じような考え方だと、パニックになりやすいでしょう。
そこで、さまざまなタイプの人間を入れることで、
さまざまなトラブルに対応できるようにしているのです。
 
違う価値観、異なったものの見方、考え方、感受性の人の集まりであれば、
事故に対する反応も異なり、誰かが冷静に対応してくれるでしょう。


オッドマンセオリーと似た話に、昔のユダヤの裁判所では、
満場一致の判決は無効になるという決まりがあります。

満場一致の判決だと、外部から強い圧力がかかっているか、
あるいは熱狂の中にいて勢いで決めてしまっているという可能性が高いためだそうです。

かつてのフセイン政権時代のイラクは、
国民投票をすると100%の国民がフセイン支持でした。
反対をすると危ないという空気があったに違いありません。

 
人が皆、同じ方向を向くというのは、おかしなことです。
私たちは、誰かの言いなりになるべきではありません。
一人ひとりが自らの考えや意志を持つべきです。

私たちは、一人一天分を授かって生まれています。
すなわち、一人一使命を託されているのです。

豊かな時代になったからこそ、私たちはそれぞれの個性を発揮し、
世のため人のために行動していくことが求められていると言えるのではないでしょうか。

            <感謝合掌 平成28年6月9日 頓首再拝>

一切の悩みは、人と比較することから生じる - 伝統

2016/06/10 (Fri) 19:35:45



スレッド「ひかりの一日一言⑮」の6月9日の言葉において、「兎と亀」について、
『常に進歩し続ける者が勝者になる』と、谷口雅春先生はとりあげております。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

ここでは、西中務氏は、異なる面から捉えた「ウサギとカメ」を取り上げ、
他者との比較することは愚かな事であると訴えております。

・・・

09 一切の悩みは、人と比較することから生じる(P26~27)

ウサギとカメが競争をしてカメが勝つ昔話があります。
勝ったのは、足が遅いカメのほうでした。

カメが勝った理由はなんだと思いますか?

それはウサギが油断をして途中で居眠りをしたからでしょう、と
ほとんどの人が答えます。
確かにそうなのですが、本当の理由はこうです。

ウサギはカメと比較して、自分のほうが速いから少しぐらい休憩しても
だいじょうぶだと思ったから居眠りをしたのです。

カメはどうでしたか?

ウサギが自分よりもずっと速いことを気にしていたなら、
もしかしたら緊張したり、落ち込んだり、勝つことなど不可能だと
考えたりしたかもしれません。

けれどもカメは、一度もウサギと自分を比べたりはしませんでした。
ただ、ひたすら、ゴールだけを目指して走り続けたのです。
だから勝てたといってもいいのではないでしょうか。


「一切の悩みは比較より生じる」というのは、国民教育者森信三先生の言葉です。
すべての悩みの原因は、他人と比較することだというのです。

確かに、兄弟や同級生と比べて、「この子は勉強ができない」などと嘆く親がいますが、
子どもが健康で素直に育ってくれているのに、なんの不服があるのでしょうか。

わざわざ人と比較して、悩みをつくる親がいます。
子どもは、こんなにもスクスクと育っているのに。

また、健康診断で人より背が低い、体重が重いなどということで悩む子どももいます。
自分が健康であればそれでいいではありませんか。

お金に関しても同じです。
隣の家はあんなに立派なのに、ウチは恥ずかしいだの、同僚の給料よりも自分の方が
少ないのはなぜだろうか、などと思い悩むのは、本当に愚かです。


反省することが悪いわけではないのですが、他人や他社との比較は、
ほととどの場合無駄です。

自分の中のオンリーワンをみつけて、その部分を磨くほうがよほど幸せで、
賢い生き方だと思います。


会社でも自社の得意分野や自社ならではの特徴を伸ばすことが生き残る術です。
他社がやってうまくいっているから、ウチもやろうなどと、
似たようなことを始めてみても、うまくいかないことがほとんどです。

答は自分の中にあるのです。

            <感謝合掌 平成28年6月10日 頓首再拝>

生きている意味がわからなくなったら、人の役に立つことを考える - 伝統

2016/06/14 (Tue) 18:55:48

10 生きている意味がわからなくなったら、人の役に立つことを考える P28~29

(前半略)

今、日本は高齢化社会で、寿命がどんどん伸びています。
今から30年後の2045年には、平均寿命が百歳になるとテレビでも発表されています。

人は長く生きてきたというだけで、たくさんの智恵やノウハウが蓄積されてきているはずです。
それをシェアすれば、きっと誰かのために役に立てることがあるはずです。


私たちが生まれてきたのは、世の中をよくするためではないかと私は思います。
少しでもできることがあるなら、やってみようではありませんか。
これが生き甲斐になります。

ひとりの力が小さくても、多くの力が集まれば大きくなるのですから。

            <感謝合掌 平成28年6月14日 頓首再拝>

子どもたちに見放され、孤独な人生を送ることになった原因とは - 伝統

2016/06/16 (Thu) 19:29:46

12 子どもたちに見放され、孤独な人生を送ることになった原因とは P32~33

(前半 略)

私は弁護士としても、いろいろな生き方をされてきた人たちを見てきました。

これらの事例(*)は、ほんの一例にすぎません。

(*「子どもが5人いるが、まったく寄り付かない」
  「高級老人ホームに入っているが、一度たりとも息子(3人~国立大学を出してもらい、
   高級官僚、大学医学部教授、大企業の役員)たちが来たことがない」という事例)


人の生き方はそれぞれでいいと思いますが、
生き方の原理原則(羅針盤)を学ぶことが人生にとって大切なことだと思います。

            <感謝合掌 平成28年6月16日 頓首再拝>

人間の価値は、地位ではなく、どんな生き方をしたかで決まる - 伝統

2016/06/17 (Fri) 18:19:52

13 人間の価値は、地位ではなく、どんな生き方をしたかで決まる P34~35

「人間の価値は、どんな地位に就いたか、どんな学校を出たのか、
どんな会社に勤めているのか、どんな家に生まれたのかではなく、
どんな生き方をしたのかで決まるのです」

これは私が尊敬する天分塾の元塾頭である鈴木民二さんの言葉です。
私と鈴木民二さんの邂逅(かいこう)はもう20年以上前になります。
私は、鈴木さんの主宰されていた人間学ゼミに一受講生として参加しました。

開口一番、冒頭の「人間の価値は・・」と話されました。


すると、私の隣に座っていた青年が、猛然と反論してきたのです。
鈴木さんは、青年の言葉に一つひとつ「ああ、なるほど」「そうですか」「そうですね」などと、
丁寧に誠実に、そして優しく応対されていました。

その真摯(しんし)なお人柄に接し、
私は胸の鼓動を抑えることができず、大変な感動を覚えました。

先生はとても包容力、寛容力のある慈愛溢れたお人柄で、
その後も鈴木さんに対する尊崇の念はますます深まるばかりです。

鈴木さんは、決して人の悪口を言わず、差別もせず、
すべてを受け入れられる姿勢で生きていらっしゃいます。
だからこそ、皆さんから信頼されているのです。


鈴木さんは、現在、毎月勉強会をされていますが、
その中に毎回50名から60名くらいの参加者が集まる勉強会(人間図書館)があります。

この会は現在までに100回以上続いており、
その勉強会の中でお話をされる方々も200名を超えるまでになりました。

また、いつも感心いたしますのは、ボランティアでの協力者がどんどん現れることです。
これも鈴木民二さんのお人柄だと思います。

            <感謝合掌 平成28年6月17日 頓首再拝>

華かやな人生を歩んでも、どのように死を迎えるかが大切 - 伝統

2016/06/20 (Mon) 19:35:19

14 華かやな人生を歩んでも、どのように死を迎えるかが大切 P36~37

もう3年前になります。
門構えの立派な邸宅で奥様が亡くなり、数日間発見されなかったことがあります。
知人だったので、ショックを受けました。
なぜ気づいてあげられなかったのだろうと悔やまれました。

もし、毎日お会いしていたならば、今日はどうなされたのだろうかと心配もし、
お宅をほうもんしていたかも知れません。
しかし、日ごろあまり交流のない方でしたから、気づく術もありませんでした。


人生は「棺(かん)を蓋う(おお)うて定まる」と言います。
そんなに華やかな人生を歩んだとしても、死をどのように迎えるかが大切では
ないのかと、この出来事があって実感しました。

私は弁護士として、たくさんの人生をみてきました。
地位も名誉も財産もおありなのになぜか寂しそうな人、
不幸せに見える人にもたくさん出会いました。

不幸になろうと思って生きている人はいません。
それなのに、幸せを感じられないのはなぜでしょうか。


人生の目的とは、他を思いやり、温かい心づかいと行ないを積み重ね、
世の中をよくしていくことだと私は考えています。

それは品性を高め、徳を重ねる生き方です。

そんな生き方をしていると、家族だけでなく、会社や地域社会にまで
明るい影響を及ぼすので、多くの人に感謝もされました。
人脈もひろがり、社会にとっても大きな財産となるのです。


立派な邸宅でお亡くなりになった奥様は、寂しい思いをされていたのではないかと、
私は察するのです。奥様が徳を重ねておられたのかどうかはわかりません。
ただ、社会とのつながり、人との交流をあまりされていなかったのではないかと思います。


どんなに輝かしい人生であっても、逝(い)くときにたったひとりで
誰からも知られず天に昇りたいでしょうか。
せめて家族や友人に「ありがとう」と言ってから逝きたいものだと、私は思うのである。

そして願わくば、そばにいる人に「あなたに会えて、本当のよかった」と
言ってもらえたら、それは最高の人生といえるのではないでしょうか。

            <感謝合掌 平成28年6月20日 頓首再拝>

与える姿勢で生き、「天の蔵に」貯金をする - 伝統

2016/06/22 (Wed) 19:22:51

15 与える姿勢で生き、「天の蔵に」貯金をする  p38~39

本当に意義のある充実した人生をおくりたいならば、
人並みの生き方をしているだけではいけないと私は思います。

国民教育者である森信三先生の『修身教授録』には
「人の一倍半は働いて、しかも報酬は普通の人の二割減ぐらいでも満足しよう
という基準をうちたてることです」と書かれています。

私たちは、いかに得をするか、つまり少ない労力で多くをえようとする教育をうけてきました。
その結果、権利社会、激しい競争社会を生み、安心感のある幸せな日々を送ることが
出来ない人が、多いのです。


権利を濫用する人によって弁護士の生活が成り立っていると、
痛烈に皮肉った西洋の格言があります。

「弁護士の家は馬鹿者の頭がつくる」

私はこの格言に出会ったとき、とてもショックを受けました。

愚かな人によって、弁護士は生計をたてているというような意味です。

しかし、権利よりも義務を多くして獲得するものが少ない生き方こそが、
人々から尊敬され、充実した意義ある人生を送ることができるのではないでしょうか。

つまり100働いて80の報酬を求め、あとの20は他にプレゼントするのです。

与える人こそが幸せになると、よくいわれますが、そのとおりだと思います。
この20は、相手に与えるのと同時に天の蔵に貯金していることになり、
相手からは感謝され、神様も喜ばれるに違いありません。


このように人に与える姿勢で生きることは、
天の蔵に貯金をすることだと私は信じています。

個人の財産などたかが知れています。
火事になればなくなり、貯金は銀行が倒産したらなくなります。
けれども天の蔵の貯金がなくなることはありません。

いつだって必要なだけ手に入ると信じていれば、
個人的財産をめぐって争うことなど愚かだと気づくでしょう。

実際に徳を重ねた人は、他人が放っておきませんから、
必要なときに必要なだけのものが手に入るのです。

            <感謝合掌 平成28年6月22日 頓首再拝>

小さなひとつを徹底して実践すれば、いつか実を結ぶ - 伝統

2016/06/24 (Fri) 17:38:05

16 小さなひとつを徹底して実践すれば、いつか実を結ぶ P40~41


(前半 略)

我々が学ぶのは、極めることの大切さではないでしょうか。

たったひとつのこと、わずかなことであっても、
徹底して実践することでついに聖者の位となった周利槃特(しゅりはんどく)。

      *周利槃特(→ http://kattu.muragon.com/entry/7.html )

頭がよかったわけではありません。

むしろ記憶力がまったくない愚者である彼が、
根気よく掃除を続けて高い境地に達したことは、我々の励みになります。

私は「人のお役に立とう」という一句を心に決め、徹底して実践していきたいと思っています。

 「ひとつでいい、ひとつがいい、小さなひとつをやり続けよう、願いをもとう、実を結ぼう」

(以下 略)

            <感謝合掌 平成28年6月24日 頓首再拝>

争わない人は、相手を責めずに自分の気持ちを伝える - 伝統

2016/06/25 (Sat) 18:17:21

17 争わない人は、相手を責めずに自分の気持ちを伝えるP42~43


(前半 略)


人が悩んでいるときは、どう接したらいいでしょうか。

あなたは友人から悩みを聞いたとき、どうしていますか。
説教を始めたり、アドバイスをしたり、質問攻めをしかり、
それは違うと否定したりしていませんか?

実はこれらの接し方は、相手の心を閉じてしまう結果を招きます。


大切なのは、ただひたすら相手の気持ちを聴いてあげること、
そしてただ受け止めることです。

「~なのよ」 と聞いたら、「そう。~なのね」 と返すのです。

そすれば相手は自ら答えを出し、自然に悩みは解決に向かっていきます。
これはカウンセリングでも使われている技法ですが、
人は自分の中に必ず解決の道を持っているのです。


では他人の行動で悩んでいる場合はどうすればいいでしょうか。

相手を変えるにはどうすればいいかと、悩む人は多いですが、
気持ちを伝えるしかありません。

私はこういう理由で、あなたのこの行動で困っているから助けてほしいと
率直に伝えれば、ほとんどの相手は行動を改めるでしょう。

相手を責めるのではなく、あくまでも自分の気持ちを率直に伝えるのです。

・・・

<参考Web:本当に伝えたい事は言葉で伝えよう。
        → http://seseragi-mentalclinic.com/communication/ >

            <感謝合掌 平成28年6月25日 頓首再拝>

争わない人は、他人を非難せず、喜ばれることをする - 伝統

2016/06/26 (Sun) 19:29:31

18 争わない人は、他人を非難せず、喜ばれることをする P44~45

子どもが学校から帰ってきたときに、「早く宿題をやりなさい」と叱る親は多いのですが、
「ハキモノを揃えなさい」と叱る親は少ないのではないでしょうか。

宿題をすることは、確かに大切ですが、
その前に人間として習慣づけしなくてはことがあります。

それをしつけと世の中ではよんでいますが、宿題をやるかどうかなどは、
子どもに任せればよいのです。先生に叱られたり友だちに笑われて恥をかくことで
宿題はやったほうがいいと学んでいくからです。


私が尊敬する国民教育者・森信三先生は『しつけの三大原則』として、
朝の挨拶と「ハイ」とはっきり返事をすること、そして席を立ったら椅子を入れ、
ハキモノを脱いだら揃えることをあげておられます。

挨拶、返事、後始末については指摘してくれる人は少ないのが現実です。
そのまま大人になると、コミュニケーションが苦手で礼儀を知らない人になってしまいます。
だからこそ親こそが子どもに愛情を持ってしつけるべきなのです。


私は、挨拶、返事、後始末を徹底するというしつけに賛成するとともに、
次の2つをつけ加えたいと思っています。

(1)ひとつは、他人を非難せず、他人に喜ばれることをする。

(2)そしてもうひとつは、毎日ありがたいことをみつけ、感謝するということです。


私たちの人生は、日々の心の持ち方と行ないによって左右されます。
同じできごとが起こっても、それを他人のせいにしたり、嘆いたりする人のもとには、
よりマイナスのできごとが訪れます。


たとえば先生に叱られたとしましょう。

先生にこう言われたから自分は落ち込んだ、などと嘆く子には、
よりマイナスの出来事が訪れます。

先生の言葉に感謝し、素直に反応する子には、
いい出来事が訪れ、人生が好転していきます。


あまり無理をさせる必要はありませんが、親がすすんで挨拶、返事、後始末をして、
子ともの話を聴く姿勢を忘れないことも、大切です。

            <感謝合掌 平成28年6月26日 頓首再拝>

生きているということは、借りを作るということ - 伝統

2016/06/29 (Wed) 20:05:44

21 生きているということは、借りを作るということ p50~51

「あなたは何のために、何の目的で生きていますか? 」

あるとき、先輩に問いかけられました。
どう答えたらよいものかと、いろいろと考えを巡らせました。

子孫繁栄のため? それとも幸せになるためか?

すると先輩は、こう言うのです。

「あなたがほかからしてもらったことを思い出してください」

育ててくれた父や母、学校の先生や同級生、お医者さん、職場の上司や先輩、同僚、
隣人、農家の人、漁師さん、太陽、空気、水などの自然の恵みなど、
限りなく次から次へと思い浮かびました。

「あなたは、それらの恩人にお返ししたことは? 」

そう聞かれて、私は返事に窮しました。
私の人生は、まさに他人様にお世話になりっ放しの「借りの人生」そのものです。

毎日の食卓には、魚や肉、野菜などの料理が並んでいます。
いつも何気なく食べていました。

しかし、あるとき、私の食事のために犠牲になった、魚、牛、野菜たちが
私に向かって語りかけていることに、ハッと気づきました。

「私の肉体と生命をあなたにさしあげましょう。
あなたは、その肉体と生命を誰にさしあげますか? 」

私たちはその生をまっとうすrために、生命あるものの命を奪って生きているという
ことに改めて気付いたのでした。食卓の動植物は、全生命を私のためにさし出し、
何の要求もせずに犠牲になってくれています。

けれども、わたしはどれほどのお返しをしているのかと考えたら、
これほど自責の念にかられたことはありません。

「私の肉体と生命は、社会や人のために使わせていただきます」

私は思わずそう答えるしかありませんでした。

私は今何の目的で生きているのかといえば、一切の見返りを求めず、
少しでも社会や人のお役に立つ生き方をすることではないかと、やっと気づいたのです。

 
生きているということは、それだけで誰かに借りを作ることなのですから、
社会にお返しをしなくてはなりません。

            <感謝合掌 平成28年6月29日 頓首再拝>

人間は一生のうち、何人の恩恵を受けているだろうか - 伝統

2016/07/01 (Fri) 19:43:58

22   人間は一生のうち、何人の恩恵を受けているだろうか  p52~53

私たちの法律事務所のあるビルの1階に約40坪のスペースがあります。
さまざまなセミナーや絵画の個展、ヨガ教室など、
多くの皆さんにあらゆる催しでお使いいただいております。

平成24年の7月から貸し出しを始め、
約百団体、年間延べ1万人以上の方にご利用いただいています。

私たちは、この会場を皆様に無料でお使いおただいています。
(3人掛けの机20台、椅子90脚)南森町駅からは徒歩約5分、
大阪駅からも徒歩約15分で来られる距離ですし、大通り沿い(国道一号線)の一
等地に位置しています。
 
もちろん、維持費用や家賃は毎月発生していますので、赤字なわけですが、
「なぜ無料で貸し出しているのか」とよく聞かれます。
中には、何度も「本当に無料なのですか?」と聞かれる方もいらっしゃいます。

 
話せば長くなるので、あまり深くはお話していませんが、これはご恩返しだと私は考えています。
今から50年以上前になりますが、母校の北野高校で先輩にあたる
俳優の森繁久彌さんの講演会がありました。

「15歳の皆さんは、ひとりで生きてきたと思うかもしれませんが、
200万人の恩恵を受けて今ここにいるのです」

そんな森繁さんのお話は、当時十代だった私の心にも響きました。
現在73歳の私は、いったい何人の恩恵を受けてきたのでしょうか。

親兄弟や親戚、就職や結婚の世話をしてくださった人くらいはわかっていても、
見知らぬ人や自然の恵みへの恩返しはできません。

 
そこで、使っていただいた方に御礼や感謝の要求はしないと決め、
このスペースを無料で提供することにしたのです。
皆さんに気持ちよくお使いいただけるよう、毎朝7時前に出社して掃除や整備をしています。
それは私にとっての下坐行だと思っています。

無料だから多少汚くてもよいということは、私の矜持が許さないのです。
無料だからこそ、有料よりもよい状態で使っていただこうという気持ちです。

人と人が出逢う場所を清め、気持ちよく使用していただきたいのです。
多くの人に喜んでいただき、人のお役に立つことをしよう、それが私の純粋な願いです。

            <感謝合掌 平成28年7月1日 頓首再拝>

どんな罪深い人でも、その人自身の幸せを思えば、除外することはできない - 伝統

2016/07/07 (Thu) 19:35:04

28 どんな罪深い人でも、その人自身の幸せを思えば、除外することはできない P64~65

松下電器、パナソニックの松下幸之助さんが、
どうしてもやめさせたい不良社員に頭を悩まされていたことがあるそうです。
確かに自分の会社に不良社員がいたら、やめてもらいたくなるでしょう。

しかし、松下幸之助さんは、ある人の影響で考え方を変え、
どんな不良社員がいても、その存在を認め、許すことにしたそうです。
そのある人とは、天皇陛下です。

 
天皇陛下は、どんな国民であっても、その存在を認め、日本国民であることを許しています。
どんな極悪人であっても、罪を犯せば捕まえて刑事処罰をしますが、
日本国籍までは剥奪しません。

松下幸之助さんは、もし天皇陛下が経営者だったら、不良社員を更生させようとはするにせよ、
やめさせようとは思わないだろう、と考えたのでしょう。
それは、相手がどんな極悪人であっても、その人自身の幸せを考えているからだと思います。
辞めさせようというのは、自分の幸せを考えているからこそ、出てくる考え方です。

 
祈りとは、そもそも自分のことではなく、他人の幸せを祈るものであると、
松下政経塾の塾頭をされていた上甲晃さんより学びました。

はじめてこの言葉を聞いたとき、私は大いに反省したものです。
常日頃から、他人の幸せのために活動すると言っていながら、
神社では自分の幸せばかりを祈っていたからです。

それからというもの、私は神社で、すべての人の幸せと世界の平和を祈ることにしました。
不思議なことに、それから私の悩みはひとつずつ解消されていきました。

自分のことばかり祈っていたときには、悩みがつきなかったのに、すべての人の幸せを
祈るようになってからは、自然と悩むことが減っていったのです。

 
神社の正しい参拝の仕方は、神に祈るのではなく感謝をするのだそうです。
確かに日々の感謝を神に伝えることが、幸福につながるのかもしれません。
 
神社に参拝するたびに、他人の幸せを祈る大切さを思い出し、
日々の幸福に感謝をして、手を合わせてみてはいかがでしょうか。

            <感謝合掌 平成28年7月7日 頓首再拝>

争わない生き方こそが、幸運を引き寄せる - 伝統

2016/07/09 (Sat) 20:45:04

30 争わない生き方こそが、幸運を引き寄せる P68~69

あるスーパーの中で精に精肉店を営んでいた人がいました。
オーナーから「別の精肉店が入ることになったから、出て行ってほしい」と
急に言われたということで、私に相談がありました。

もし出て行くのであれば、損害賠償金を請求することもできると私は申し上げたのですが、
彼はそれを選びませんでした。7年間にわたってお世話になってきたオーナーとの
人間関係を壊したくなかったからです。

彼は文句を言わずに出ていきました。
それどころか、きれいに掃除をして「今までお世話になりました」と
丁寧に御礼を言って出たのです。

オーナーは、彼がほかで出店する場所を探すにあたって、いくつもの人脈を紹介してくれました。
おかげで、無事、新しい場所で出店することができたのです。
しかも、以前の店よりも、いい条件でした。

その後、その店で大成功した彼は、多店舗展開を考えました。
すると、元のオーナーから、前の条件で「戻ってきてほしい」という打診があったのです。

彼は、現在の店と、最初にいたスーパーとの2店舗を持つことができ、
結果的には多店舗展開に成功しました。


もし彼が、店を出ていく際にオーナーに文句を言い、
損害賠償金を請求して裁判を起こしていたらどうなったでしょうか。

新たな人脈を得ることもなく、自分で店を探すことになっていたでしょうし、
おそらく「戻ってきてほしい」とも言われなかったでしょう。


弁護士を始めたことの私は、争って勝つことがすべてだと思っていました。
けれども、争えば争うほど心がすさんできます。
また、身体にもよくありません。

本来は、争いと無縁の日々を送るほうが幸せなのですから。

争わずに和解で解決すると、相談者が幸せになる例が多いのも事実です。

いかに和解するかを考えるのも弁護士の仕事だと考えると、
私の心は晴れやかになります。

            <感謝合掌 平成28年7月9日 頓首再拝>

和解の道を探すことが、真の利益を生む行為 - 伝統

2016/07/22 (Fri) 19:17:06

31 和解の道を探すことが、真の利益を生む行為 P70~71

ある大きな企業で10年以上働いていた男性が、
退職勧奨をうけていると言って、相談に来られました。

(中略)

裁判を起こして時間と労力を費やすというのは男性にとって真の利益になるのだろうか
と考えて、和解をすすめました。そして要求額より少ない金額で和解が成立し、
男性は退職しました。


その後、役員から関連会社の中堅企業に、優秀な社員として紹介してもらうことができ、
再就職することができたのです。そればかりではありません。
残業も減り、勤務時間が減った分、家族と過ごす時間が増えました。

「最初に勤めていた企業は大きかったので、生涯を保証されているようなものだと思って
就職したのですが、わからないものですね。長年勤めてきたのに自主退職をすすめられた
ときは、目の前が真っ暗でした。妻や親戚にも心配をかけました。

今の会社は中堅であるものの、優秀な人間として紹介してもらったおかげで、
役職をいただくこともでき、本当にありがたと思っています」

と、とても喜んでおられました。


私は弁護士として、裁判を起こして会社の提示額より上乗せしてもらうことよりも、
もっと大切なことがあると思っています。長年いろいろな案件を扱ってきたわけですが、
裁判には時間がかかることがほとんどです。


話し合いで解決しないから裁判をするわけですが、裁判をしなくてすむならそれ以上の
ことはありません。そんなことを書くと、弁護士の仕事がなくなると同業の弁護士から
苦情が出るかもしれませんが、あえて書かせていただきました。

まずは和解の道を探すことをおすすめします。
私はこれからも依頼者の真の幸せは何かと考えながら仕事をしていきます。

            <感謝合掌 平成28年7月22日 頓首再拝>

人生において最も重要なことは、〝根〟につながる生き方 - 伝統

2016/08/03 (Wed) 18:07:42

34  人生において最も重要なことは、〝根〟につながる生き方  P76~77

「根を絶ちて枯れゆく運命つゆしらず色香を競う瓶中の花」という
読み人知らずの歌があります。
花瓶の花は根を絶っているからいくら美しくてもやがて枯れていくのです。
 
人生において最も重要なことは根につながる生き方であることを
30年以上前にモラロジーによって教えられました。

親とは親、祖先のことです。根を培えば植物は自ずから育っていきます。
親、祖先を大切にする人は、事業も発展し、人との争いもないということは、
私の弁護士45年の経験からも言えます。

 
私がいて、両親がいて、その両親にはまた親がいて、というように、
祖先はずっとつながっています。
ひとりでも命の系列が欠けると、今の私はいないのです。

「恩人の系列」であり、法学博士、歴史学者、教育者であるモラロジー(道徳科学)の
創建者、廣池千九郎先生はこれを「伝統」と呼んでいます。

25代遡れば、3355万4432人、
30代では10億7374万1824人の人間がいるのです。

私たちが存在するのは、先人たちの苦労と犠牲の累積の結果なのです。
親は、無限につながる祖先の代表であり、象徴ですから、
親孝行は私恩ではなく公恩に報いることです。

親に対する不満をこぼす人がいますが、その後ろには
数えきれない恩人である祖先がいることを忘れてはなりません。

 
作家の吉川英治さんは次のように言っています。

「私にはもう両親はいないが、会おうと思えばいつでも会うことができる。
それには、私の脈をとるのです。私の体の中に、両親も先祖も生きてくれており、
一度も切れないで続いてくれているのです」
 
この言葉に出会ったとき、改めて自分の脈打つ様子を感じながら、親や先祖に感謝しました。

私が生まれたとき、両親は心の底から喜び、あらん限りの力を注いで私を育ててくれました。
私が大病したときには「自分が代われるものなら代わりたい」と
神仏に祈って看病をしてくれました。
本当に温かく私を見守ってくれていたのです。

両親はもうこの世にはいませんが、いつだって私を見守っていてくれると信じ、
日々感謝とお詫びを申しあげています。

            <感謝合掌 平成28年8月3日 頓首再拝>

おいしいりんごを食べるだけでなく、皆のために増やす生き方をする - 伝統

2016/08/06 (Sat) 18:06:31

39 おいしいりんごを食べるだけでなく、皆のために増やす生き方をする p86~87

中学校の卒業式で、校長先生がしてくださった話で、とても印象に残っていることがあります。
何十年も前の話ですが、あまりに印象深く、ずっと覚えていました。

最近、平塚益徳さんの本を読み、平塚さんが十九歳のときお坊さんから聞いた話として
似たようなお話が紹介されていました。

細かいストーリーや表現は違いましたが、きっと言いたいことは同じなのだと、
改めて鮮明に校長先生の訓話を思い出しました。
どなたにでもわかりやすい話だと思うのでご紹介します。

 
「人間はいろんな生き方ができます。おいしいりんごばかり探して食べてしまう人もいれば、
欲張ってかき集めて家にためこんで腐らせてしまう人もいます。
あとに残ったまずいりんごばかりを食べて、文句を言う人もいます。

また、熟したりんごが木から落ちてきて頭にぶつかってしまうこともありますが、
それを痛いと嘆く人もいれば、新しいりんごを見つけたと喜ぶ人もいます。

どんな生き方を君たちは選びますか?

私は、りんごをおいしく食べるだけではなくて、
おいしいりんごを増やす生き方、つまりおいしいりんごをたくさん作り、
皆さんに食べていただく生き方を、ぜひ君たちにしてもらいたいと思います」

 
こんな訓話でした。
私たちのまわりにも、文句ばかり言う人や、嘆いてばかりいる人、
自分さえもよければいいという行動をする人、すべてに感謝してありがたく受け取る人など
さまざまな人がいます。

感謝しておいしくいただくことも大切ですが、おいしいりんごをたくさん作り、
新鮮なまま社会に送りだすことが一番大切なのではないでしょうか。

 
せっかくこの世に生まれてきたのですから、与えられたものをただ受け取る
というような受け身の生き方ではなく、社会のため、人のために尽くし、
喜んでいただける生き方をしたいものだと私は思っています。

石川洋さんの「偉い人にならなくてもよい。人のお役に立つ人間になろう」
という言葉を思い出しました。

            <感謝合掌 平成28年8月6日 頓首再拝>

支払うほうも受け取るほうも平等 - 伝統

2016/08/16 (Tue) 17:29:23

25 人はそれぞれに役割がある。
   お金を払う人も受ける人も平等だ。   P58~59

(前半略)

社会には役割分担というものがあって、弁護士や社長だけでは
この世は成り立たないのです。

清掃の方も、タクシーの運転手さんも、チラシを配る人も、とても大事で、
この人たちのおかげで快適な日々を送ることができるのです。

名前さえも知らないかもしれませんが、
お世話になっている人には感謝をしなければならないと思います。

レストランや販売店でお金を払うときに、
横柄な態度をとる人がいると悲しくなります。

たとえ自分が客であったとしても、
金を払ってあげている、という感覚ではいけないと思います。
価値に金を払うのはあたりまえなのです。

ですから、お金を払うほうが偉い人間で、
受け取るほうが下というわけではありませんし、
その逆でもないと思います。

お金は価値と交換する単位ですから、
支払うほうも受け取るほうも平等ではないでしょうか。

            <感謝合掌 平成28年8月16日 頓首再拝>

人にやさしくするには、勇気が必要だ - 伝統

2016/08/25 (Thu) 19:16:31

40    人にやさしくするには、勇気が必要だ  p88~89

徳がある人とは、人にやさしくすることができる人のことを言います。
しかし、人にやさしくするには勇気が必要です。
電車の中でお年寄りに席を譲るという行為でさえも、
勇気がなければできません。

では、どうしたら勇気を出して人にやさしくすることができるのでしょうか。

自らの危険を顧みず、他人の命を救おうとした方に、
ときわ台交番勤務で殉職された宮本邦彦巡査がいます。

宮本さんは2007年2月、東武東上線ときわ台駅の線路内に入った女性を
助けるために急行にはねられ殉職されたのです。

宮本さんは警察学校の卒業アルバムに「誠実・誠心・誠意」と
寄せ書きをされておられたそうです。

交番の前に宮本さんが立っているだけで町のみんなが安心感を持ち、
子どもたちまでが名前を覚えて「宮本さん、宮本さん」と呼びかける、
まさにお巡りさんのお手本のような人だったということです。

 
小学生から宮本さんへの手紙の中に、
「男の子の自転車を直してあげていたように、普段からどんな人にも
優しくしていたからこそ、踏切の中の人を助けようという勇気が出たのだと思います」
とありました。

きっと、宮本さんは、いつも人にやさしく、コツコツと誠実に仕事をしている中で、
力強い勇気がわいてきたのでしょう。

残された私たちは、宮本さんに勇気のすばらしさを学ぶべきではないでしょうか。

命がけで誰かを守ることなど、そうそうできることではありません。
けれども、本気で職務をまっとうし、心の底から人を救いたいという熱意に従い、
最後まで生き切った宮本さんの勇気ある行動には、心から敬意を表したいと思います。

            <感謝合掌 平成28年8月25日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.