伝統板・第二

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節分 - 夕刻版

2016/02/02 (Tue) 20:59:10

明日は節分です。魔を退散させ、福を呼び込む儀式が行われる日です。

旧暦では(大晦日)、「けがれ」や「災い」を追い払い、
新たな年を迎えるために厄払いも行われていました。


豆まきをするときは「鬼は外~福は内~」といってまきますが、
あるところでは「鬼は内~福は外~」と掛け声をするところがあります。



《「鬼は内、福は外」 三和町の大原神社で2、3日に節分行事》

 ―― 三和町大原で節分行事の「鬼迎え」 神社では「鬼は内、福は外」 ―― 


同神社の豆まきは「鬼は内、福は外」で、一般的な掛け声とは正反対。

鬼(厄)を神社に迎え、氏子の家庭に福を授けるために、この掛け声になったと伝わる。

神社の節分祭を盛り上げようと「鬼迎え」と名づけて1996年から始められた。
3組の赤鬼、青鬼が各家庭の「厄」を持ち帰り、3日夜に神社で行われる節分行事
「追儺式」で厄払いをしてもらうという。

http://www.ryoutan.co.jp/news/2012/02/03/004738.html

Web:大原神社 節分祭 追儺式
    → http://www.tasogaretombo.com/setubun
 

<関連Web>

(1)本流宣言掲示板「鬼退治~魔滅(豆)まき (6534)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1508

(2)光明掲示板・第二「節分 (5154)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1066 

(3)光明掲示板・伝統・第一「節分 (163)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=72

            <感謝合掌 平成28年2月2日 頓首再拝>

節分の鬼退治に関連し、桃太郎の鬼退治 - 伝統

2016/02/03 (Wed) 19:57:26


           *「子供と母の本」(P226~235)より

こんな話があります。

「昔々、ある処にお爺さんとお婆さんがおりました。 
お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。 

お婆さんが川で洗濯をしていますと、川の上流からドンブリコ、ドンブリコと
桃の果(み)が1個流れて来たのであります。 

お婆さんがその桃の果を拾って自宅へ帰って、それを二つに割ってみたら、
中から桃太郎という男の児が生まれてまいりました。 
その桃太郎が生長して鬼が島に征伐に行きました」


これは最も簡単な神話であります。

皆さん、これを唯の童話だと考えていらっしゃるでしょうけれども、
だいたい童話とかお伽噺とかいうものには、作者があるんです。 

しかし、神話には、作者がないんです。 
日本の古代民族が直感によって悟った真理を、
たれ言うとなしに伝えられて来たのが神話です。 

その作者というものは、日本の古代民族全体だと考えていいのであります。

この桃太郎の神話は、表面は極く簡単なお伽噺のようでありますが、
深い真理がそれに含まれているのです。 


それは、“お爺さんは山へ柴刈りに” というのは、
お爺さんは、心の雑木・雑草を刈り取る ―― 
すなわち雑念妄想を刈り取って自分の心を浄めて、静かにならしめる事です。 

そうして“お婆さんは川へ洗濯に”というのは、
自分の心の垢をキレイに洗濯する事であります。 

こうして心が浄まり静かになると、生命の実相の真理がよく自分のものになる
という事が“桃の果”を拾うということであります。

 
“川の流れ”というのは、
これは神から発した「生命(いのち)の川」の流れでありまして、

“桃の実”というのは、「生命の川」の流れの岸に養われた
「桃の樹」に生(な)った果実であります。 

「桃の樹の実」は「桃子不死(とうしふし)」(桃子とは桃の実のこと)
という語がありまして、東洋でも「生命の樹の実」だとされていて、
それをたべれば不死といわれているのであります。



《桃太郎が鬼ガ島を征伐したという意味》

だから、お婆さんが、「生命の樹の実」を拾って家へ持って帰って、
それを二つに割ってみたら、そこに桃太郎すなわち「生命太郎」というのが
生まれて来たというのです。 

その生命太郎こそ 「生命の実相」 のことであります。 

桃の中のサネという字は「実」という字であります。 
桃の実(み)すなわち生命の樹から生まれて来た”生命の樹”の果実の実相 ―― 
実(さね)の相(すがた)―― というものを、人間が自覚した時

”鬼が島”すなわち死の国が征伐され、病気も死ぬこともなくなるという意味の
神話がこの桃太郎の物語であります。

この事は真理でありまして、『生命の實相』の本を読んで悟ったために
肺病はもちろん癌までも治った人がたくさんあるのであります。 

”鬼が島”というのは、鬼のいる地獄の事をいったので、もう一つ簡単にいえば、
結局「死の世界」の事であります。 

桃太郎すなわち「生命の樹」の果実の中の実相のいのちが、
「死の世界」を征伐したのであります。 

言いかえると、生命の実相を自覚(さと)ると結局、吾々は死ぬことはないのである
 ―― という深い真理が、この桃太郎の物語の中に表れているから、

これから、これは単なるお伽噺ではない、
日本の古代民族が宇宙を真理をさとって、
神話の形で伝えたものということになるのであります。

             <感謝合掌 平成28年2月3日 頓首再拝>

「京都」の節分 - 伝統

2017/02/02 (Thu) 18:22:02

魔を滅する。豆まきの長い歴史を持つ「京都」の意外な節分

       *Web:MAG2NEWS(2017.01.27)より

《京の節分》

節分で撒く豆や鬼の種類の意味するもの、
柊鰯(ひいらぎイワシ)の風習などをご存じでしょうか?

今回は日本人なら知っておきたい節分の風習やその歴史を読み解いてみたいと思います。
そして、今でも節分の行事である追儺(ついな)式や鬼法楽(おにほうらく)が
行われている神社やお寺をご紹介します。


《節分の由来》

節分とは、季節の変わり目を意味します。
昔は「せち分かれ」と言って立春、立夏、立秋、立冬の
季節の始まりの日の前日を節分と言いました。

しかし、現在では、冬から春になる立春の前日の2月3日だけが節分として残りました。
また、立春は1年の始まりと考えられていて、立春の一日前の節分は大晦日にあたります。

立春を1年のはじまりである新年と考えれば、節分は大晦日にあたります。
平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師(おんみょうじ)によって
旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。

室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し民間にも定着していきました。


《なんで豆をまくのか?》

季節の変わり目には鬼が出ると言われています。
その鬼を退治するために豆をまくようになったのです。
豆は昔から邪気を払う力があると言われてきました。

そのため鬼を追い払うために豆をまくようになりました。


またかつて鞍馬山の近くの鬼が村人たちを困らせていた時に
鬼を追い払うのに豆を使ったのが由来とも言われています。

魔(鬼)を滅することに通じるため豆が使われたとも。
諸説ありますがどれが本当なのかというよりも、おそらく全て当てはまるのでしょう。


《豆まきの正式ルールとは?》

豆まき用の福豆を升に入れて、
豆まきの直前まで神棚にお供えして、神様の力を宿すようにします。
神棚がない場合は目線より高い場所に白い紙にのせてお供えをします。

節分の日、日が沈む頃窓を開けて、家の奥から外に向かって豆を撒きます。
豆をまくのは、家の主人か年男とされています。

掛け声は、「鬼は外、福は内」と元気良く。

鬼を追い払ったら急いで窓を閉めます。
窓を閉めたらすぐに自分の数え年の数だけ豆を食べます。
豆を食べることで、鬼退治が完了したことになります。

数え年の数だけ豆を食べると、病気にならず健康でいられると言われています。

豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。
生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。
「炒る」は「射る」にも通じ鬼を封じ込めるという意味があります。

豆は食べてしまうことにより、鬼を退治したということになります。

鬼がトラのパンツをはくわけは、「鬼門」に由来します。
「鬼門」は鬼の出入りする方角で「北東」とされています。
この方角は十二支にあてはめると「丑(うし)」「寅(とら)」の方角にあたります。
そのため鬼は「牛(丑)」の角をもった姿で、「虎(寅)」のパンツを履いているのです。


《鬼の種類》

一般的に知られているのは赤鬼と青鬼ですが
その他にも緑鬼、黒鬼、黄(白)鬼と鬼は5色います。

仏教の教えで五蓋(ごがい)というものがあります。
心穏やかに過ごすためには心に蓋(ふた)をしている5つの煩悩を外しなさいという教えです。
その5つの煩悩を象徴しているのが5色の鬼の姿です。

鬼は人間の煩悩だったのです。

(1)赤鬼は貪欲、欲望、渇望を意味します。
   悪い心の象徴で豆をぶつけることで、
   自分の中の悪い心が取り除かれると言われています。

(2)青鬼は悪意、憎しみ、怒りを意味します。
   貧相な自分自身に豆をぶつけ福相、福徳に恵まれると言われています。

(3)緑鬼は倦怠、眠気、不健康を意味します。
   自分の体に豆をぶつけ
   体を健康に保つことを言い聞かせるといいとされています。

(4)黒鬼は愚痴や疑いの心、疑念を意味します。
   自分に豆をぶつけることで卑しい気持ちを追い払い、
   平穏を願うとされています。

(5)黄鬼(白鬼)は後悔、甘え、我執(我を通すこと)を意味します。
   豆をぶつけることで自己中心的な考え方を反省し、
   公平な判断が出来るようになると言われています。


豆まきは現在では地域によって落花生をまく事が主流になっている地域が結構あるようです。
北海道、東北、北陸と九州の南の地域では落花生をまく事が主流になっているようですよ。

節分の時に落花生を撒くようになったのは殻にくるまれたままなので
食べる際に衛生的だという理由からだとか。


《柊鰯(ひいらぎいわし)》

節分になるとスーパーに恵方巻きとイワシが沢山並びます。
節分にイワシは西日本の風習のようですね。

節分に柊(ひいらぎ)とイワシを玄関に飾る意味は?

柊はトゲがあって触ると痛いです。イワシは生臭いですよね。
このトゲと生臭いニオイが鬼を退治するのに役立つのです。
昔から鬼はニオイには弱いとされています。

節分には鬼の目つきを表すように
イワシのえらから目に向かって柊の枝を突き刺したものを玄関や勝手口に飾ります。
家に鬼が寄り付かないようにするという風習です。

                 ・・・

平安時代に起源を持つ追儺式や鬼法楽など
節分の儀式が行われている神社やお寺をご紹介します。


《吉田神社》

2月2日と3日は参道や境内に沢山の露店が並び多くの人で賑わいます。
2日の18:00から行われる追儺(ついな)式は有名でとても見ごたえのある神事です。

黄金の四つ目の仮面をかぶった方相氏(ほうそうし)が
松明(たいまつ)を持った童子をと共に現れます。
赤・青・黄鬼を追い詰め、桃の弓を使って鬼たちを払います。

期間中に授与される「疫神斎」と書かれた神札は、
悪病災難除けにご利益があるとされています。

●日時:2017年2月2日(木)~4日(土)

2日18:00~追儺式
3日23:00~火炉祭



《壬生寺》

壬生寺の節分会は平安時代、白河天皇の発願によって始められ、
900年以上もの歴史を持つ由緒ある行事です。

素焼きの瓦・炮烙(ほうらく)に年齢などを書いて
奉納するのは壬生寺ならではの信仰です。
奉納した人は厄除け・開運を得るといいます。

これらの炮烙は壬生狂言で初めに上演される
「炮烙割(ほうらくわり)」で割られます。

2月2日と3日は、特別に壬生狂言「節分」を上演します。
4日には善哉(ぜんざい)の無料接待があります。

●日時:2017年2月2日(木)~4日(土)8:30~21:30
壬生狂言「節分」は一日8公演で2日、3日共に13:00~20:00まで。



《八坂神社》

境内の舞殿で
2日13:00から先斗町歌舞会、
14:00から弥栄雅楽会、
15:00から宮川町歌舞会が舞踊や舞楽奉納を行います。

3日11:00から日本今様謌舞楽会による今様奉納、
13:00から祇園甲部歌舞会、15:00から祇園東歌舞会による舞踊奉納を行います。

歌舞会による舞踊や舞楽奉納は黒紋付き姿の芸舞妓さん達によって行われるので
とても艶やかな行事です。

また、両日16:00から祇園商店街・四条繁栄会商店街の振興組合による
華やかな豆まきも行われます。

●日時:2017年2月2日(木)・3日(金)



《須賀神社》

須賀神社は平安時代初期に創建されたとても歴史のある古社です。

節分祭では、烏帽子に水干姿、布で顔を隠した懸想文(けそうぶみ)売りが
梅の枝を担いで「懸想文(恋文)」を売り歩きます。
これは平安時代、貴族達が顔を隠して懸想文の代筆をしたのが始まりだったと伝わります。

それがいつしかお守りとして授与されるようになり現在に伝わっています。
女性であればタンスや化粧台の引き出しに入れておくとさらに美しくなると言われています。
また良縁に恵まれ、衣装持ちになれるなどとも言われてきました。

●日時:2017年2月2日(木)・3日(金)9:00~20:00
追儺(ついな)招福豆まきは2日(木)15:00~



《平安神宮》

正午から大蔵流茂山社中による奉納狂言が行われます。

2月3日の13:00から節分祭、14:00からは
鬼を追い払う「大儺之儀(だいなのぎ)」が行われます。
大儺之儀は平安朝当時の追儺式の作法、祭典、衣裳を忠実に再現しています。

15:00からの大極殿の福豆まきでは
いったん祓われた邪鬼が再び侵入し、打豆によって祓われます。
参拝者には福豆が撒かれます。また甘酒の無料接待も受けられます。

●日時:2017年2月3日(金)13:00~17:00
(13:00~節分祭、14:00~大儺之儀、15:00~豆撤行事に引き続き大火焚祭)



《廬山寺》

鬼法楽は平安時代に廬山寺の開祖・元三大師が、
護摩の力で悪鬼を退散させた故事にちなんで始まった行事だと伝わります。
ちなみに元三大師はおみくじを発案した人だと伝えられています。

15:00からは、鬼おどりが開催されます。
人間の三毒「貪欲」「怒り」「愚痴」の化身である
赤、青、黒の鬼が足を踏み鳴らし踊りながら大師堂の堂内に侵入します。
鬼たちは護摩の法力、追儺師(ついなし)の法弓により退散します。

その後僧侶や福娘らによる豆まきが行われ、参拝者に副豆と餅が振る舞われます。

●日時:2017年2月3日(金)15:00~鬼法楽(鬼おどり)、
16:00頃~豆まき、17:00~古札焼き式


     (http://www.mag2.com/p/news/236174


             <感謝合掌 平成29年2月2日 頓首再拝>

節分の豆まき - 伝統

2017/02/03 (Fri) 19:27:59


          *Web:鳥森神社 より

毎年2月3日は「節分」です。

《では「節分」とは何でしょう?》

「節分」とは、文字通り季節を分ける日なのです。
本来、春と夏、夏と秋、秋と冬、冬と春というように1年に4回の節分があるのです。
それら節分の翌日が立夏、立秋、立冬、立春で、次の季節の最初の日となります。

これら「節分」のうち、冬と春を分ける節分、すなわち2月3日が
最も知られているのはどうしてでしょうか?

それは、1年の最後の季節である冬から新しい年の春への分かれの日にあたり、
つまり1年の最後の日、すなわち大晦日にもあたると考えられているためです。

この季節の一年という考えから、2月3日の節分が一年の節目とお考えになり、
節分を過ぎてから「厄祓」や「厄年の祓」をされる方もいらっしゃいます。


《節分には「豆まき」を行うのですが、なぜ豆まきを行うのでしょうか?》

節分のルーツは、中国で古くから行われていた追儺<ついな>の儀式に由来するもの
と考えられています。

追儺は、紀元前3世紀の秦の時代にはすでに行われており、
豆で鬼打ちをし、疫病や災害を追い払うというものでした。

日本へは、遣唐使によってもたらされ、宮中の年間行事として、
鎌倉時代末頃までは大晦日に行われていました。
今でも節分を、年越し、年取り、節変わりと呼ぶ地域があるのは、その名残でしょうか。

さて、節分と言えば「福は内、鬼は外」の豆まき。

宮中の行事が民間に伝わっていったとも、
中国の明時代の風習が輸入されたともいわれていますが、

日本では文献に初出する豆まきの記載は、室町時代に遡り、
将軍様も豆打ちに興じたという話も残されています。

それによると豆まきは疫病等を祓うために行われていたようです。


日本人は健康であることを「まめ」といいます。
豆に語呂を合わせたもので、大豆はまさに健やかさの象徴です。

節分には煎った大豆を、年の数だけ食べるというのが習わし。

また一部では、年よりひと粒だけ多く食べて、
「来年もまめで達者で」と願う地域もあります。

豆には「魔<ま>滅<め>」の意味があり、さらに、その生命力、繁殖力が尊ばれました。
つまり、節分に豆をまくのは新しい年を迎えるにあたっての魔除けの意味合いが強いのです。


加えてもう1つの「節分の豆まき」の説は「古事記」の神話の中にあります。

死んだイザナミをさがして黄泉<よみ>の国へ行ったイザナギは、
鬼に変わったイザナミの醜い姿を盗み見た為に、黄泉の国の軍勢に追われます。
そのとき、イザナギはとっさにかたわらの木から桃の実を3個ちぎって投げつけ、
追っ手を退散させたといいます。

桃は聖なる力と生命力を持ち、
その桃の持つ霊力で追っ手(=死の穢・恐怖)を退散させたのです。


節分に豆をまくのは、大豆にもこの桃の実と同じように
魔をはらう霊力があると信じられていたから、という説もあげられます。


豆まきの他に、同じような意味合いの習わしもあります。
ひいらぎの枝に、焼いた鰯の頭を刺したものを玄関口や門にたてるという習いがそうです。

これは、悪病が入ってきても、ひいらぎの棘に刺さって痛がり、
鰯の悪臭にびっくりして逃げていくように、という意味が込められているのです。


では、節分には欠かせない憎まれ役の「鬼」とは何なのでしょう。
これは冬の寒気であり、病気ひいては死や死の恐怖であったと思われます。
暖房も医療もままならなかった時代には、冬はことさらに厳しい季節であったはず。

「人に災いをもたらす、目に見えない隠れたもの」を鬼とし、
家のすみずみから追い払うことで、我が身にふりかかる一切の災難を振り切り、
健康で平和な暮らしを営むことができるようにと想いを込めたのでしょう。
 

平安時代の和名鈔によると、鬼はもともとは「隠<おぬ>」といい、
「おぬ」がなまって「おに」なったのだそうです。

そして、鬼の持ち物は金棒、小槌、隠れ蓑の三つで、
本来、鬼は目に見えないものだったようです。


現在のような鬼の姿が完成したのは平安時代中期頃で、
この一般的な鬼の姿の完成には、次のような訳がありました。

古来より北東の方角を鬼門としていました。
北東の方角は、かつての表し方だと丑寅の方角といいます。

すなわち、丑寅の方角=鬼門、と、いうことから鬼は牛の角があり、
虎の皮のふんどしをつけた姿で表されるようになったといいます。

    (http://plaza.rakuten.co.jp/karasumorijinja/diary/200601160000/

             <感謝合掌 平成29年2月3日 頓首再拝>

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