伝統板・第二

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山鹿素行 - 夕刻版

2015/05/15 (Fri) 17:52:10

  *光明掲示板・伝統・第一「山鹿素行「中朝事実」」からの継続です
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=107


・・・

山鹿素行~その1

     *『祖国と青年』(平成25年2月号掲載)
      ~日本協議会理事長 多久善郎 ブログ より

   先師曾て北條安房守の宅へ召し出され、
   赤穂謫居の命を承けられたる時の事を見ても、
   先師平日の覚悟筋を知るべし。 (吉田松陰『武教全書講録』)


幕末の志士吉田松陰は、北方の脅威の実体を探る為に、
肥後藩の宮部鼎蔵と共に東北視察の旅に出かけた。

二人はそれぞれの藩で、山鹿流の軍学を教える教師の立場にあった。
年齢は宮部が十歳上だが、日本の将来を憂える同志として、生涯互いを尊敬しあった。
この二人が学問上の「師」と仰いだのが山鹿素行である。

江戸時代初期に生きた山鹿素行(1622~1685)は、
大変な学者で人間コンピューターの様な人である。

二十歳位までに当時出ていた殆どの書物を読破し、
兵法・儒学・神道・仏教・古典など全ての学問をマスターした
というのだからすさまじい。

その上で、武士とは如何にあらねばならないかを体系化した。

その様な大天才。
将軍家を始め全国の大名から「是非政治顧問に」と引っ張りだこになった。

だが、素行は幕府が奨励していた朱子学に異論を唱える。
その結果、赤穂藩に追放となった。『聖教要録』事件である。
素行は処分される事を覚悟でこの著作の出版に踏み切った。

それ故幕府から呼び出しがあった時、素行は覚悟を定めて身を浄め、
身支度を整えた際、立ったままで遺書を認めた。
その上で北條安房守の家に向かった。

そこで処分が言い渡された際も素行は「自分は武士たる者の心がけとして、
家を出る時にはあとの心残りがない様、常日頃から覚悟している。」
と平然と述べた。そして、そのまま赤穂藩邸に預けられたのである。

 
吉田松陰は、松下村塾での初講義として山鹿素行『武教全書』を取り上げ、
その中で、山鹿素行先生を師と仰ぐ理由を熱く語った。

その第一の理由が、この赤穂藩に流され謹慎処分を受けた際の
素行先生の身の処し方であり、武士としての日常の覚悟の姿であった。


   先師、満世の俗儒外国を貴み我が邦を賤しむる中に生れ、
   独り卓然として異説を排し、上古神聖の道を窮め、中朝事実を撰ばれたる
   深意を考へて知るべし。 (吉田松陰『武教全書講録』)

 
山鹿素行が赤穂に流されたのは、四十五歳の時だった。
それから十年もの間、素行は赤穂の地で過ごす。

赤穂藩主浅野長直は以前から素行に師事していたので、
赤穂藩は賓客を扱う様に素行の世話を尽した。
その際のお世話役が、後に忠臣蔵で有名になる大石内蔵助良雄の従祖父であった。

 
ものは考えようだが、大学者の素行が江戸に居続けたなら門弟が毎日押し寄せて、
自らの学問的探求や思索はままならなかったのではないだろうか。

田舎に流されたおかげで静謐な環境を得て素行は独自の思索を深め、
執筆も捗り、多くの名著を著す事が可能となったのである。

その代表的なものが『中朝事実』である。


この本は後に、乃木大将が殉死する直前に遺書代わりに、
当時学習院生だった裕仁親王殿下(昭和天皇)に贈った事で有名である。
何が書かれているのだろうか。


江戸時代の学問は儒学が中心だった。
儒学はシナの孔子や孟子を聖人賢人と仰いでいる。

それ故、ともすれば、江戸時代の学者の中には「シナこそが聖人君子の国である。
それに比べて日本は文化の度合いが低い。シナ人に生れれば良かった。」
などと考える者まで居た。

それに対し素行は

「シナを中華・世界の中心の国だと言うが、
実際の歴史はどうなんだ。シナでは暴君が跡を絶たないし、
革命の連続で後世一度たりとて理想の聖人君子の国など実現していない。
孔子や孟子は理想を掲げたが結局は挫折し失意の生涯だった。」

「それに比べて日本の歴史はどうだ。
日本書記を繙けば、万世一系の天皇様を中心に仁慈深い政治が
連綿と続いているではないか。聖人・賢人が綺羅星の如く輩出されている。

聖賢の国・理想の国はシナではなく日本なのだ。
仁徳が高くて世界から仰がれる国、即ち『中朝』は、わが日本である。
それは、歴史の『事実』が示している。」

と考え、実際日本書記に記された記述を元に著したのがこの『中朝事実』だった。

 
吉田松陰は言う

「素行先生は、世の中の学者達が外国を貴んでわが日本を貶める風潮の中で、
ただ一人その様な説を排して、古代から連綿として受け継がれた神聖の道を
極められて、中朝事実を撰述されたのである。その深いお考えを知るべきである。」

と。


   凡そ士の職といふは、其身を顧み、主人を得て奉公の忠を尽し、
   朋輩に交りて信を厚くし、身の独を慎んで義を専とするにあり。
                  (『山鹿語類巻第二十一「士道」』) 

ここから、山鹿素行が著した武士道の中味に入って行こう。
まとまった形で著されているのが、『山鹿語類』巻第二十一の「士道」と、
巻第二十二~巻第三十二迄の「士談」である。


「士談」は「士道」の内容を、
古今内外の具体的な史実を紹介して理解が深まる様に語られている。

「士道」は次の項目から成っている。

一、本を立つ

①己れの職分を知る 
②道に志す
③其の志す所を勤め行うに在り


二、心術を明かにす
 ①気を養い心を存す
  ⅰ気を養うを論ず ⅱ度量 ⅲ志気
  ⅳ温藉 ⅴ風度 ⅵ義理を弁ず
  ⅶ命に安んず ⅷ清廉 ⅸ正直
  ⅹ剛操

 ②徳を練り才を全くす
  ⅰ忠孝を励む ⅱ仁義に拠る ⅲ事物を詳らかにす ⅳ博く文を学ぶ

 ③自省 ⅰ自戒

三、威儀を詳らかにす

 ①敬せずということなかれ
 ②視聴を慎む 
 ③言語を慎む

 ④容貌の動を慎む 
 ⑤飲食の用を節す
 ⑥衣服の制を明かにす 

 ⑦居宅の制を厳にす 
 ⑧器物の用を詳らかにす 
 ⑨総じて体用の威儀を論ず

四、日用を慎む
 ①総じて日用の事を論ず 
 ②一日の用を正す 
 ③財宝授与の節を弁ず
 ④遊会の節を慎む

 素行は冒頭で、士に生れたのだから「士の職分」とは何かを考えろ、と厳しく求める。

農民や工人、商人はそれぞれが、
物を生産したり作ったり流通させたりして人々の役に立つ仕事をして生きている。

しかし、武士は生産活動に従事しなくても暮らしていける。
何故なのか。それは、武士には社会的に重要な役割があるからだ。

その事をしっかりと考えなくてはならない。

それが、ここで紹介している

「自分自身を常に顧みて、仕えるべき主人を得て奉公の誠を尽し、
同輩や友人には信義を篤くして交わり、己を慎んで常に正義を貫く事を
第一義として生きること」

である。

即ち社会のリーダーとしての道徳的な高みを常に示す事こそが
武士の仕事(職分)だというのである。



   行ふと云へども、一生是れをつとめて死而後已にあらざれば、中道にして廃す、
   道のとぐべき処なし。故に勤行を以て士の勇とする也。 
                    (『山鹿語類巻第二十一「士道」』)


武士としての社会的な責任を強く自覚し、わが国の将来を憂えて、
天下国家の為己に厳しく生きたのが吉田松陰だった。

松陰は幼い頃から山鹿素行の述べる武士としての使命感を
叩き込まれて成長したのである。

 
素行は次の様に述べる。

自分の職分を自覚したなら、職分をつとめる為の「道」に志すべきである。
その為に良き師を求めなくてはならない。

もし良き師がみつからないなら、自分の心に問いかけ、
聖人賢人が残された書物をひもといて道の在り処を見つければ良い。

だが、職分を知って、その道に志しても、勤めてその志す事を行わないならば、
言葉だけの志になってしまう。と。


その次にここで紹介した言葉を述べる。

「よく行っても、生涯その志を貫いて死して後已む(死ぬ迄やり続ける)の
覚悟でなければ、途中で放棄してしまい、志は成し遂げる事が出来ない。
それ故、勤め行い続ける不断の努力こそが、武士のまことの勇気なのである。」


吉田松陰が自らの信條としていたのもこの「死而後已」の四字だった。
志を抱いても、それを生涯貫かなければ意味は無い。

「百里を行く者は九十を半ばとす」(『戦国策』)との言葉もある様に、
九割方やり抜いても、後の一割で気を抜けば失敗に終わる、
最後の一割にこそ力を込めてやり抜く胆力が求められるのである。
 
 
修養に求められるのは、継続する「意志力」である。
新渡戸稲造は朝の水行と英文日記を終生続けたという。

私は、毎日寝る前に修養書の素読と秀歌の拝誦を自らに課している。
広島の井坂信義君はメルマガで「明治天皇御製一日一首」を出しているが
既に492号を数えている。

 
武士とは、精神的高みに生きる者を言う。
退職金が減るので、任期終了間際に早期退職する教員の事が話題になっているが、
金の為に教育者としての使命を放棄する晩節を汚す行為である。

三島由紀夫氏が『英霊の聲』の中で述べた

「ただ金よ金よと思いめぐらせば 人の値打は金よりも卑しくなりゆき」

との言葉が思い起こされてやまない。

教育者には本来、武士の如き高い人格が求められる。

だから「教師」と仰がれたのである。

  (http://blog.goo.ne.jp/takuyoshio/e/013a1bae4636333ba00251d4ada50013

            <感謝合掌 平成27年5月15日 頓首再拝>

山鹿素行~その2 - 伝統

2015/05/17 (Sun) 20:08:48


     *『祖国と青年』(平成25年3月号掲載)
      ~日本協議会理事長 多久善郎 ブログ より

   先づ気を養ひ得るを修身存心の本とすべき也。 (『山鹿語類巻第二十一「士道」』)

今号では、四項ある「士道」の第二項目、
「心術を明かにす」即ち、「日常の心の持ち方」について述べている所から、
四つの言葉を紹介する。

素行は、

「何よりも、気を養う事の出来る事が、身を修め立派な心を身に付ける基本である」

と述べる。

「気」とは何か。
気を使った熟語は、気分・元気・気力・気持ち・病気など多数あり、よく使われる。
『広辞苑』を見ると、四つの意味が書かれているが、
素行が使っているのは、その内の二番目の「生命力の原動力となる勢い。活力の源。」
の意味であろう。

その「気」を養う事が修身の根本であるというのだ。
「養う」とはいかなる事か。

素行はこの言葉に続けて「自分が持っている生まれつきの気質には
強すぎたり弱かったりする部分があるので、様々な事に常に程よく対応できる様な気質を、
日常生活の中で工夫して身に付ける事である。」と述べている。

確かに、気が強すぎれば他者を寄せ付けないし、
弱ければ他者のペースに呑み込まれてしまう。
強すぎる「気」は長続きしない。強さが途絶えたところで、敗北を喫してしまう。

素行のこの言葉は孟子の「浩然の気を養う」を意識して書かれている。

「浩然の気」は、かぎりなく広大で、天地に充満し、生命や活力の源になる気を言う。
それは「義を繰り返し行う事で得られ、心に疚しいことがあれば直ぐに消えてしまうもの」
である。

(中略)


   温籍と云ふは、含蓄包容有りの意也。内に徳をふくみ光をつつみて、
   外に圭角あらはれざるのこと也。 (『山鹿語類巻第二十一「士道」』) 

次に素行は、心の広さ、高さ、深さ、について「度量」「志気」「温籍」「風度」
という言葉を使って述べている。
字数の関係もあるので、ここでは、「温籍」についてのみ紹介しよう。

「温籍」とは、あまり聞き慣れない言葉だが、「おんしゃ」と読んでも良い。
ただ安岡正篤氏が「うんしゃ」と呼ばれているので、それに倣う。
意味は「心広く包容力があってやさしいこと」(広辞苑)とある。


素行は言う。

「立派な男子は、度量が広くて気節が大きくなければならないが、
その奥には、おのずから温かくて潤いのある所が無くてはならない。」

「温籍というのは、心の奥に含蓄があり、包み入れられているという意味である。
何が包まれているのか。それは、内に徳を含み光を包んでおり、
外に尖った角が表われない事を言う。」

「智恵が少なく、才能が無い者は、心の器が狭いので、
自分の知識を誇って、世の中にひけらかす。

一方、度量が広く心映えが良い人は、精神性に於ても他の何者からも傑出しているので、
一向に自分が行った功績や名誉を誇る事は無いし、かっとなって人と言い争う事も無い。

温和な心が自ずと顔に表れて「仁人君子」の姿となって来る。
物事に交わったり、人と一緒に居る時は、陽春のうららかな日ざしが
周りの人や物を育むように、周りを明るく和やかにするものである。

それこそが立派な人物が備えた『温籍』というものである。」

 
現代では、「オーラがある」などと称する人もいるが、
その人物が居るだけで回りが明るくなる事があるし、
その反対に回りが暗くなる人も居る。

大学サークルで上手く行っている所は、
その場が明るい雰囲気に満たされているからである。

人は「徳」の有る人物に惹きつけられる。
心のうちに「徳を含み光を包ん」でいるか否かが、人物の魅力を生み出すのである。

佐藤一斎が『言志後録』の中で述べ、広田弘毅など多くの人物の座右の言葉となった
「春風接人・秋霜自粛」に通じる言葉である。

武士は戦士であるが故に、強さや激しさが求められる。
だが、有事の「強さ」は平時の「穏やかさ」の内に養われる。
その穏やかさは、自らの内に対する厳しい修養と本物を身に付けた自信から生れる。

「温籍」を是非備えたいものである。


   聖人君子の好み悪む処も亦凡人に異なるべからずして、
   其(義と利)の間、惑を弁ずるにあるのみ也。
                    (『山鹿語類巻第二十一「士道」』)

 
ここで素行は、「義と利の間の弁え」について述べる。

「立派な武士が、心を磨いていく上で工夫を要する点は、
人としての正しい道を指し示す『義』の道と、物や金、地位などの利益を
齎す『利』の道とを如何に弁えるか、という事である。

君子と小人(徳のない人物)の違いや、
王道と覇道(権力者)の違いも全てがここから生じる。

昔から学問を修める者は、義と利の弁えを詳細に研究して実践したので、
正しい道に入る事が出来たのである。

『利』は人が甚だ好むものであり、物質的な欲望や安逸さに流れんとする
弱い心によって、利益に引きずられて溺れてしまうものである。

それ故、生死についても死を厭い生を求めるし、苦労を嫌って安逸に流れ、
衣食住や視聴言動に於ても『利』に流れやすいものである。
七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)の発する所、これらの情がつきまとってくるのだ。


聖人君子の教えは、生を嫌って死を選び、みずからは損をして利を捨てよ、
苦労をとって安逸を捨てよ、などというものではない。

聖人や君子が好み、憎むところも、一般の人と異なる事はない。
ただ、義と利の間にある『惑い』をしっかりと弁え、迷わないという点にある。

どのような事を『惑い』と言うのか。
それは、ただ自分の身だけを利して、他をかえりみない。
それを『惑い』と言うのである。

聖人・君子は事の軽重を区別して良く判断するのである。」

 
儒学は、孟子の「王何ぞ必らずしも利を曰はん。また仁義あるのみ。」の言葉から、
仁義を重んじ利を否定している様に誤解されているが、
決して利を否定している訳ではない。

義を積み重ねる事によって利は自ずと生まれて来るとの立場なのである。
利に執着して我利我利亡者となる事を否定しているに過ぎない。

素行も同様である。

重要なのは、義と利との調和であり、利によって惑わされ
義を踏みにじる醜い選択があってはならない事を言っているのだ。

義に基づく利は、自分だけでなく他の人々や社会をも豊かにして行く。
一時期、『清富の思想』というのが流行ったが、
清らかに豊かに生きて行く事が出来るなら、それが最も良い。


   清廉正直も剛操を以てせざれば立たず (『山鹿語類巻第二十一「士道」』) 

 
更に素行は、「命に安んず」「清廉」「正直」について述べている。

「命に安んず」とは、自らに与えられた地位や境遇は天が下したものであり、
貧富や貴賤の差に囚われることなく、好悪の情に惑わされる事無く、
今の境遇を天命と定めて、心安らかに生きよ、と語る。

「清廉」とは、賄賂や財貨などに心を惹かれずに、
普通の人では踏み行う事が難しい高潔な境地に生きる事を言う。
内に清廉の徳を養っていなければ、ちょっとした利害に心を奪われて堕落してしまう。

「正直」の「正」とは、正義がある所は固く守って心が変わる事のない事を言い、
「直」とは、親疎・貴賤や相手の社会的な立場によって自分の態度を変えず、
間違っている事があれば改め、糾すべきことがあれば糾し、
人に諂わず、世の中に流されない事をいう。


「清」「廉」「正」「直」、実に良い言葉である。その徳を是非備えたいと思う。
その為には、「剛操」が必要だ、と素行は言う。
「清廉正直も剛操によらなければ実現しない。」と。

「剛」とは剛毅にして物事に屈しない事を言い、
「操」とは、自らが義しいとする志を守って、いささかも変じる事がないのを言う。

「剛操」とは「剛毅・節操」のことである。
剛毅なる本質に裏打ちされた、節操を貫く生き方を言う。

その徳が備われば、安んじて死に赴く事が出来るし、困難に平然と立ち向かい、
財宝や酒食の誘惑にも迷うことなく自然と拒否する事が出来るのである。

 
「温籍」を説いた素行はここで「剛操」の大切さを強調している。
表面の温かさは、その奥にある微動もしない芯の強さに裏打ちされねば実現しない。

 
グアムで、起こった日本人観光客殺傷事件は、日本人の男に武士の魂が
完全に失われた事を示す象徴的な悲劇だった。

愛する妻が刺されんとする時に、近くにいた夫や男達は、
何故暴漢に立ち向かって戦わなかったのか。

暴漢は小柄であり、刃物しか所持していない。
近くにある棒でも、石でも持って戦えるではないか。

男が戦う意思を放棄した時、被害を受けるのはか弱い女性達である。
日本人の魂が健全な時代までは、
男達が戦い傷つき死んでいき、女性たちは守られていた。

  (http://blog.goo.ne.jp/takuyoshio/e/ba360d940759fdbd8a91498ea64a7283

            <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝>

山鹿素行~その3の① - 伝統

2015/05/18 (Mon) 19:38:31


     *『祖国と青年』(平成25年4月号掲載)
      ~日本協議会理事長 多久善郎 ブログ より

   態度が重々しくなければ武士と言えない。その為には常に「思い」を深く持て!
   事物の間において常に思を深くし詳に慮らば、各々当然の則に近かるべし。 
                      (『山鹿語類巻第二十一「士道」』)


今号では、四項ある「士道」の第三項「威儀を詳らかにす」
第四項「日用を慎む」及び附録「先生自警」から紹介する。

十年位前からテレビの歴史ドラマを見て非常に違和感を覚えるようになった。
武士を演じる役者の立ち居振る舞いが軽々しく、現代風になったのである。

例えば土佐の殿様である山内容堂が酒瓶を片手に酔っ払って獄中の武市瑞山を罵りに行く
シーンがあったが、当時の武士がその様な事を行うはずがない。

武士たちはもっと厳しく自らを律していたはずである。
私が若い頃に見た時代劇の役者達には威厳が備わり、
勧善懲悪の武士の姿に畏敬の念と憧れを抱いたものだった。

 
現代風時代劇の軽さは、
山鹿素行の言う「威儀」が脚本や演出から失われた結果生じたものだと思う。

素行は、士道の三番目の柱として
「威儀(重々しく作法にかなった振る舞い)を詳らかにす」を掲げている。

その冒頭が、「敬せずと云ふこと毋れ(全てに敬いの心を抱け)」である。

素行は言う。

「何ら思う事もなく、その場その場の成り行き次第で物事を行い、情欲に任せて振舞うから
礼儀を失する事が多く、武士の威儀が失われてしまうのである。威儀を失わない為には、
物事に対応するに当たって、常に思いを深く持ち、物事を詳らかに慮る様にすれば、
それぞれに理のかなった振る舞いが出来るはずだ。この事を『敬せずと云ふこと毋れ』
と教えるのである。」と。

「敬」とは敬い・慎みの心である。
自分が第一という「自己チュー」の者には「敬」の観念すら存在しない。

全ゆる人や事に感謝出来るなら、自ずと敬いの心が養われ、
物事への慎みも自然と身に付き「威」が備わるのである。
だが、戦後教育を受けた者には生来の「軽さ」が身にこびりついている。難しいものだ。

            <感謝合掌 平成27年5月18日 頓首再拝>

山鹿素行~その3の② - 伝統

2015/05/19 (Tue) 22:53:53


     *『祖国と青年』(平成25年4月号掲載)
      ~日本協議会理事長 多久善郎 ブログ より


《食べ物についてとやかくいわない事が武士の最低条件》

   飲食においても猶ほ忍ぶことを得ざれば、何を以てか忍ぶことを得べきや。
                     (『山鹿語類巻第二十一「士道」』) 

 
素行は、平和時の武士には、日常生活での「武士らしい」
厳しい自制の訓練が大切だと考えていた。
それ故、言語・視聴・衣食住のそれぞれに於いて武士らしい節度が必要だと説く。

「敬せずと云ふこと毋れ」に続けて「視聴を慎む」「言語を慎む」
「容貌の動を慎む(いわゆるポーカーフェイス)」「飲食の用を節す」
「衣服の制を明にす」「居宅の制を厳にす」「器物の用を詳にす」
「総じて礼用の威儀を論ず」と、具体的な武士の生活の在り方について注意を促している。

 
素行は言う。

「邪な色や声を見聞きする事だけを非礼と言うのではない。
邪色邪声は外から来るものだからやむを得ず見聞きする事だってありうる。
その場合は非礼の視聴とは言わない。

一方、正色正声は非礼の色声ではないが、それを見聞きする時、
当方に威儀が失われて情欲に任せて応対しているならば、
それは非礼の視聴になるのだ。」と。

あくまでも色声に応対する自らの在り方を問うている。

 
飲食について。

「(生存の為の基本的な欲望である)飲食において『忍ぶ(我慢する)』事が
出来なければ、他に何を忍ぶことが出来る様になるであろうか。」

「世の中が衰えて、正しい風俗が廃れて、人々は皆飲食を好む事に節度を忘れ、
グルメに血眼になっている。その結果、美食に耽り身体は肥え太り、
大丈夫たる志は日々日々失われ空しくなって行く。」

 
衣服について。

「サムライは身分相応に着衣すべきである。相当の位に立ってまで
みすぼらしい衣服を着てそれを恥じる事がないと思っているのは、
一見聖人の心の様に見えるがそうではない。

それは自分の身を利している事に他ならない。
公私それぞれの場に相応しい着替えを面倒がるズボラさから来ている。
安逸を好む心がそうさせているのだ。

衣服にお金を費やすことを嫌って、身分不相応のみすぼらしい服装をして
平気なのは、利害を重んじて礼を失っているからである。」

 
器物について。

「世に名高い大丈夫であっても、道に志が無く聖人の本意を知らないが為に、
平静は聊かの利害の心が無くても、器物を以って宝としている者が多い。
(珍重なる器物〔モノ〕に心を奪われてしまっているのである)尤も戒めなければならない。」

 
それぞれ身につまされる言葉である。

            <感謝合掌 平成27年5月19日 頓首再拝>

山鹿素行~その3の③ - 伝統

2015/05/20 (Wed) 17:34:37



     *『祖国と青年』(平成25年4月号掲載)
      ~日本協議会理事長 多久善郎 ブログ より


《今日一日の姿に全ての人生が集約されている》

   大丈夫唯だ一日の用を以て極と為すべき也。 (『山鹿語類巻第二十一「士道」』)

 
山鹿素行「士道」四番目の柱は、「日用を慎む」である。

「総じて日用の事を論ず」「一日の用を論ず」「財宝授与の節を弁ず」
「游会の節を慎む」から成り立っている。

『葉隠』でも日々死を覚悟して奉公に励む事を説いていたが、
素行も一日の大切さを強調する。
素行の息遣いが伝わる様に、ここでは原文で紹介する。


「大丈夫唯だ一日の用を以て極と為すべき也。一日を積みて一月に至り、
一月を積みて一年に至り、一年を積みて十年とす。十年相累りて百年たり、
一日猶ほ遠し一時にあり、一時猶ほ長し一刻にあり、一刻猶ほあまれり一分にあり。

ここを以て云ふ時は、千万歳のつとめも一分より出で一日に究まれり。
一分の間をゆるがせにすれば、つひに一日に至り、おわりには一生の懈怠(おこたり)とも
なれり。天地の生々一分の間もとどまらず、人間の血気一分もつかふることなし。
―此くの如くして其の天長地久を得、此くの如くして寿命の永昌をなす。」


大丈夫たらんと思う者は、其の一日を以て、御用の極みと思い定め、
全力で生きていかなければならない。覚悟を定めた一瞬一瞬の営みの積み重ねが一日となり、
一年、十年、百年となるのだ。逆に一瞬の気の緩みは一生の怠りに繋がるのである。
武士はかかる日々を刻んでいかねばならない。


その次に述べるのは、「財宝授与の節を弁ず」「游会の節を慎む」である。
ここで注意したいのは「節」の文字である。節制の事である。
武士たるものは、お金や遊び、全てにおいて節度を守らねばならない。
その節度が自らの「武士らしさ」を確保するのである。

素行は、「貨財は貧者を救い、賢人を招く等の効用があり用いる目的があれば宝になるが、
用いる目的も無くただ、貨財の収拾が目的になってしまえば、鄙吝(どけち)の情が
日々に増して、贅沢が過ぎる事による災いが生じて来る」と戒めている。

素行は、爽やかな自然の下、花鳥風月を愛でる事は、「大丈夫の遊会」だと推奨している。

しかし、その場での飲食や宴会には自ずと節度が求められると言う。
武士は、如何なる場においても強い自制心を忘れてはならない。それを失えば武士ではない。

            <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>

山鹿素行~その3の④ - 伝統

2015/05/21 (Thu) 19:19:50


     *『祖国と青年』(平成25年4月号掲載)
      ~日本協議会理事長 多久善郎 ブログ より


《自己反省力こそが感化力の原点》

   子弟の化せざるは身の責薄ければなり。 (『山鹿語類巻第二十一「士道」』) 

 
大名を始め、多くの武士たちが師事した大学者の山鹿素行。
その偉大さの秘密は、徹底した自己反省力にあった。

「士道」の最後には、
「附録」として「先生自警(自分で注意・用心する事)」十五か条、
「先生子弟の警戒」十四か条、
「先生僕を御するの警戒」二十五か条が記されている。

全て、自らの日常の心持や態度についての深い反省と戒めの言葉である。

 
「自警の一」には「早く起き、夜遅く寝る、父母に仕えて、子弟を教え、親族睦まじく、
従僕も養う、賓客があれば接見し、志士を貴んで、無能な者を憐れみ、
行って余力があれば、学問に励む。

これらは私が志すことなのだが、その実際は厚く行っている訳ではなく、
只見栄を張ってその様にしているに過ぎない。
だから、私が行っている事の全てが中途半端になっているのだ。
この点こそ、私が最も力点をおいて省みなければならない事である。」と、記してある。

偽善者になってはならない。
本物となる為に、日々自らの本心を省みよと述べているのだ。

私は、これを読んで本当に驚いた。
人間の力とは、自らの虚偽を許さない自省の力にある事を素行は己が姿で示している。

このページで紹介している言葉は、「自警の三」に出てくる。

「私は子弟に対して、薄くしか教えていないのに効果が出る事を期待し、
徳が自分には身についていないくせに、弟子たちを責める事は手厳しい。
自分の身は正しくないのに、弟子たちにばかり正しさを求めてしまう、
弟子たちを教化出来ないのは、私自身が自分を責めて
成長していく力が希薄な事に起因している。」。


「自警の九」には

「私は甚だ利害の念が強い。
それ故、利口に振舞い、行動も敏捷で、何でも自分ばかり主張し、人を立てる事をしない。
徳が薄いくせに志を得たいと思っている。
この様な自分は、人を傷つけ辱めを与える天下の罪人である。
天は決して味方されないであろう。」とある。凄まじいばかりの自己攻撃である。

ここまで、徹底的に自らの欠点を抉り出す力が、
素行をして天下第一等の人物へと磨き上げていったのだ。

己の弱さや性情を直視し、それに打ち勝つ戦いの中に平時の武士道が存在する。

http://blog.goo.ne.jp/takuyoshio/e/b2f441a367ff5d770fee618b66e9ddf9


(以上で、『祖国と青年』からの引用を終ります)

            <感謝合掌 平成27年5月21日 頓首再拝>

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