伝統板・第二
神社~今月の言葉(5月) - 夕刻版
2025/05/01 (Thu) 14:31:06
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和七年五月)】
李白
天 我が材(ざい)を生(しょう)ず
必ず用(よう)有り
(天が自分という人間をこの世に生んだのには
必ず用、すなわち使命がある。)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r705/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202505.pdf
<感謝合掌 令和7年5月1日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和七年五月)】 - 伝統
2025/05/02 (Fri) 04:56:08
莫逆(ばくぎゃく)の友(とも)
~ 荘子 ~
お互いを深く理解し合い、どんな事態に遭遇しても、
決してゆらぐことのない信頼関係を築きあった
真の友情を指す言葉です。
新緑に風薫る五月、年度が替わって新しい出会いの季節と
なり、友を、親を、上司を、職場を、自分を取り巻く
全ての人と信頼関係を築き、よき社会を形成しましょう。
https://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html
<感謝合掌 令和7年5月1日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和七年皐月)】 - 伝統
2025/05/02 (Fri) 13:17:46
人を相手にせず、天を相手にせよ
~ 大西郷遺訓 ~
(説明)
西郷隆盛は若年以来、修養に修養を重ねた傑物である。
ここにいふのも敬天愛人のモットーと並んで尊いものがある。
一般論としては、天を敬ひ人を愛するの方が受け入れ易い。
然し人が信用できないやうな場合には、
何を相手にしたらよいのか。
大西郷は「天のみが最後の拠り所だ」としたのである。
明治維新前後の色々の問題は、
前者の敬天愛人の四字で切り抜けることが出来た。
然し明治以降の難問にぶつかることが多くなったとき、
人も相手に出来ない、特に征韓論に際しては、
「天を相手にせよ」の境地にまだ進んだと言はざるを得ない。
それは正に人間最後の境地である。
世には「人事をつくして天命を待つ」といふ格言もある。
隆盛の心境も正にその通りであったかもしれない。
然し最後の最後の心の拠り所は、
「天命」だけだったといふのである。
天命とは何か。
神職でいへば、「最後は神のお言葉に待つ」ことと同じである。
一般には人の言葉は、神のご意志の現はれであるとして
人の言葉を聞くべきであるとされてゐる。
然し絶体絶命といふ、追ひいつめられたとき、
人の言葉も信用できないといふ場合には、心の拠り所は
「天命」―― 神の教へ神の言葉に従う以外にない。
敬天愛人をモットーにした大西郷でも、かうした覚悟は、
一生のうちには一度は来るといふ実感がここにはある。
(神道百言 般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和7年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月2日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和六年五月)】 - 伝統
2025/05/03 (Sat) 04:52:50
南方熊楠
世界にまるで不用の物なし
南方熊楠 (みなかた くまぐす)
明治から昭和期の博物学者、生物学者、民俗学者。米国、英国等へ留学し、
様々な言語の文献を用いて国内外で多くの論文を発表した。
特に粘菌(ねんきん)などの微生物の研究は世界的に知られる。
また、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な役割を果たした。
生涯、在野の学者に徹し、地域の森林生態の保護にも力を注いだ。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0605/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202405.pdf
<感謝合掌 令和7年5月2日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和六年五月)】 - 伝統
2025/05/03 (Sat) 19:37:07
済世(さいせい)の志
~ 菜根譚 ~
世を正し、民を救おうとする志をいう。
後漢書に
「性剛毅にして大節あり、常に済世の志を懐く」
とあります。
共に世の為、人の為に努力しましょう。
https://www.shirayama.or.jp/kotoba/k06.html
<感謝合掌 令和7年5月3日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和六年五月皐月)】 - 伝統
2025/05/04 (Sun) 02:14:36
大神の道はかしこし天地(あめつち)の
萬(よろず)の物の出で来る見れば
~ 本田親徳・霊魂百首 ~
(説明)
神道は「産霊(むすび)の道」であるといわれる。
「産霊の道」とは生成化育・修理固成の道である。
それは、この天地も、大地の上のあらゆる生物が、
芽を出し、育ち伸びていく姿を見ても、かくあらしめている、
すべてのものを生み、育て、伸ばす大きな力が
この天地間に存在することを知り得る。
神道は、すべてのものを生み、育て、伸ばす大きな力に
対して感謝し、この大きな力の発現を祈る道です。
(神道百言 般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和6年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月3日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和五年五月)】 - 伝統
2025/05/04 (Sun) 14:48:29
千 利休
習ひつつ 見てこそ習へ
習はずに 善悪(よしあし)いふは
愚なりけれ
(説明)
人から正しく習わずに
あらゆる物事に対して
自己流で善し悪しを
決めてしまうことは
勿体(もったい)ないことだ
『利休百首』
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0505/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202305.pdf
<感謝合掌 令和7年5月4日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和五年五月)】 - 伝統
2025/05/05 (Mon) 04:49:35
福(さいわい)は徼(もと)むべからず
~ 菜根譚 ~
幸福はこちらから求めて求められるものではない。
ただ楽しい気持ちを養い育てて、
苦境を脱したときに、幸せが訪れます。
http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k05.html#m0505
<感謝合掌 令和7年5月4日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和五年五月皐月)】 - 伝統
2025/05/05 (Mon) 13:22:33
花は盛りに、月は隈なきのみ見るものかは
~ 兼好・徒然草 ~
(説明)
兼好法師は神道の吉田家の出身である。
神道は生きることに主眼点を置くが、
佛教は死に方を教えるという。
人生には2つの面がある以上、
死生ともに学ぶべき道だといえる。
兼好はこの2つを見極めた名手の一人であると言える。
花の満開は人目をひきつけるが、
紅葉はその退き際に紅葉して、その最後を飾っていく。
月は満月が美しいとされるが、
一文字の朔(新月)も、朏(三日月)も美しさへの前提として鑑賞される。
人生は百点が満点であるが、実際の生活は八十点をよしとする。
また、何でも知っているぞという見せつけを無くすことが美しい。
百点の人は近づきがたい。
八十点の方が愛想があって、近づき親しみやすい、
というのが人生の妙である。
何でも知っていることは喋ったら良いのではなく、
八十点少したりないしゃべり方が愛嬌があるのではなかろうか。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和5年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月5日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和四年五月)】 - 伝統
2025/05/05 (Mon) 20:11:21
井上 靖
努力する人は希望を語り
怠ける人は不満を語る
(不満や愚痴は外にもらさず
心の内にとどめ置き
感謝や希望は内にとどめず
声に出して広めましょう)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0405/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202205.pdf
<感謝合掌 令和7年5月5日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和四年五月)】 - 伝統
2025/05/06 (Tue) 04:05:36
四海同朋(しかいどうほう)
~ 論語 ~
道をもって交れば、天下の人は全て兄弟のようなものであります。
敵視したり争ったりせず、皆仲よく暮らしたいものです。
「敬して失うことなく、恭しくして礼あり」
http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k04.html#m0405
<感謝合掌 令和7年5月5日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和四年五月皐月)】 - 伝統
2025/05/06 (Tue) 13:58:06
馬は速しとて、朝しばらく走りて止まんには、
いかでか牛の終日歩かんに及べき。
今日やまず、明日やまず、今年止ず、明年やまず、
而して後そのしるしあり。
~三浦梅園・梅園叢書~
三浦梅園は江戸末期の儒医であり、条理学の創始者である。
馬は走るのが速いといっても、朝くしばらく走って止まっていたのでは、
結局、牛の歩みにも劣る。
毎日、今日も、明日も、今年も、来年も、
牛の如くネバリ強く、歩み続けていれば、
その結果は馬鹿にならないものがある。
毎日を努力し続ける以外にないというのが、
人生の験しを見る前提である。
正直の二字を一生守りつづける。
それ以外に人生はないと考えるのも一方法である。
馬鹿正直と言われてても、ずるかしこい者よりも、
最後には、賞められ者になる。
一生、正直の二字に、はずれない人として尊敬された生活を送った
江戸時代伊勢神宮の神職、出口延佳は、
この人には虚言を話すと虚言の通りに実行するので、
他人は虚言をつくのを止めたといわれている。
正直な人生を送るものは、他人として自然に正直ならしめると
いわれている。
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和4年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月6日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和三年五月)】 - 伝統
2025/05/07 (Wed) 04:56:27
坂 静山
怠らず 行かば千里の
末(すえ)も見ん 牛の歩みの
よし遅くとも
・・・
牛の歩みのように
たとえゆっくりでも
怠らず続けていけば
遠い道のりでも
たどり着くことができる
坂 静山 (ばん せいざん)
尾張(愛知県)出身。江戸前期から中期に活躍した歌人。
京都公家烏丸光雄(からすまる みつお)に二条流和歌を学び
「和歌継塵集(わかけいじんしゅう)」などを著した。
なお、「坂」は「阪」とも書き、「さか」とも読む。
門人には和歌に風刺や皮肉を織り込んだ「狂歌(きょうか)」を
流行させた内山賀邸(うちやま がてい)や
平秩東作(へづつ とうさく)などがいる。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0305/
<感謝合掌 令和7年5月6日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和三年五月)】 - 伝統
2025/05/07 (Wed) 13:20:20
春宵(しゅんしょう)一刻(いっこく)、 値千金
~ 蘇軾 (そしょく) ~
春の夜は、短い時間も千金に値するほど情趣がある。
花は清らかに香り、月は霞み、静かに夜が更けてゆく。
寒くもなくただただ心地良い。、
素晴らしい時は何ものにも代えがたいものです。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k03.html)
<感謝合掌 令和7年5月7日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和三年五月皐月)】 - 伝統
2025/05/08 (Thu) 04:53:46
ありがたやよろづの神が入りそめて、入りての後は神や守らん
~ 三河花祭歌 ~
(説明)
信仰とは神々の神威・神徳を先ず受け入れることから始まる。
信仰によって生かされているという有り難さが解って来ると、
毎日の生活が、「お蔭さまで」という言葉通り、
感謝の生活が身についたもののなって来る。
正直でも誠でもよい。
神の御教えによって、そのひとつでも身についたとき、
神のお蔭であるという有難さが、身に沁々と味わわれて来る。
それからは一歩一歩、
毎日が神の懐のうちで生活しているのも同然となる。
正直・清浄・誠の神の教えを、ひとつでも実行するかしないか、
これが「ありがたさ」や「お蔭さま」の生活が、
本当に味わえるかどうかの分れ目である。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和3年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月7日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和ニ年五月)】 - 伝統
2025/05/08 (Thu) 14:24:42
二宮尊徳
今日の暮らしは昨日にあり
今日の丹誠(たんせい)は
明日の暮らしとなる
恵みとは日々の暮らしを大切とすることで与えられるものである
『万物発言集草稿』
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0205/)
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202005.pdf)
<感謝合掌 令和7年5月8日 頓首再拝>
【白山比咩神社 5月のことば(令和2年5月)】 - 伝統
2025/05/09 (Fri) 04:52:23
巧遅(こうち)は拙速に如(し)かず
~ 普書 ~
物事は巧(たく)みであっても、
のろのろしているよりは
拙(つたな)くとも早い方がよい。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k02.html )
<感謝合掌 令和7年5月8日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(令和2年皐月)】 - 伝統
2025/05/09 (Fri) 13:14:59
神は目に見得給はねども、
人として一心不乱に祈り願はば感応ありて、
家内安全、子孫長久して、
我が思ふこと、為す所として成就せずといふことなし
~ 藤原義友・宗源唯一神道手引草 ~
人間界にあっては、お願いをするにしても相手が眼の前に居られるならば、
お願いをすれば、それは善し、それは悪しとして、すぐに感応がある。
これに対し、神にお願いをすることは、相手は眼に見えないのであるから、
すぐに感応があるという訳にはいかない。
「一心不乱」に祈るか祈らないかによって、感応のあることを知り、
信仰上に於いては、真心をこめて、「一心不乱」、ただ一筋に祈りつづける
以外に、家内安全にしても子孫長久にしても、その願いを聞き届けて
下さる筈はない。
若しも信仰心を以て、神に祈願をこめるなら、「真剣」にやりなさい。
人間界にあっても、相手に真剣に訴えるなら感応があるように、
神信仰心も、真剣以外にないことを強調したものである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」令和2年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月9日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和元年五月)】 - 伝統
2025/05/10 (Sat) 04:29:48
天照大御神(あまてらすおほみかみ)
天壌無窮(てんじょうむきゅう)
天壌無窮の神勅
皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して曰(のたま)はく、
「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の國(くに)は、
是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。
宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。
行矣(さきくませ)、宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無(な)かるべし」
【口語訳】
天照大御神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に勅して申されるには、
「豊かで瑞々しいあの国は、わが子孫が君主として治めるべき国土です。
わが孫よ、行って治めなさい。さあ、出発しなさい。
皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません。」
三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)
「八咫鏡(やたのかがみ)」、
「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」、
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)《別名:草薙剣(くさなぎのつるぎ)》」
を総称して「三種の神器」と言います。
八咫鏡と八坂瓊曲玉は、天照大御神が天の岩戸にお隠れになられた際、
岩屋の外にお出ましいただくための祭りの祭具として作られました。
天叢雲剣は、出雲で素戔嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇を退治した折、
大蛇の尻尾から出てきたもので、あまりに霊威溢れる剣だったので、
天照大御神に献上されました。
後に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征討の際に火攻めにあったとき、
この剣で草をなぎ払い、火難より免れたことから、
「草薙剣」とも呼ばれるようになりました。
天照大御神は、天孫瓊瓊杵尊の葦原中津国への降臨に際して、
この三種の神器を授けて、天照大御神の子孫である皇孫尊が
末永く日本の国を治めるようにとの「天壌無窮の神勅」を下されました。
以後、皇位の継承とともに連綿と引き継がれて現在に至っています。
( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0105/ )
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201905.pdf)
<感謝合掌 令和7年5月9日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (令和元年五月)】 - 伝統
2025/05/10 (Sat) 13:40:17
和風慶雲(わふうけいうん)
~ 近思録 ~
さわやかでのどかな気候の中、
おだやかな風は新しい時代の幕開けであり、
めでたい雲が鳳凰のごとくたなびく姿は、
まさに吉兆のあかしとも言えます。
共々に「令和」を言祝ぎましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html#m3105 )
<感謝合掌 令和7年5月10日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(令和元年皐月)】 - 伝統
2025/05/11 (Sun) 04:50:57
天地の神のめぐみしなかりせば
一と日一と夜もありえてましや
~ 本居宣長・玉鉾百首 ~
(説明)
天地の神の恵みがあればこそ、毎日の生活も事もなく送ることが出来る。
自分が生まれる事については、すでにその背後に祖先・両親のお蔭がある。
世に生まれ出で衣食住の満足に出来るのも、天地人総てのお蔭である。
更に自分達の生きている国土も自分達の造ったものではなく、
天地の神の賜物であり、呼吸して生きられる息も
天地の神の恵みに外ならない。
それを思うとき、こうして生きていられるのは、
大小となく、天地の神の恩恵によらざるはない。
ここに自分が生きているのではなく、
生かされている道理がある。
神あっての自分であり、
神の懐に抱かれて生かされている事に対して、
感謝と報恩の念を持つべきである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」令和元年年5月<皐月>をクリック)
・・・
<参考:玉鉾百首を讀まう
http://takato112.blog80.fc2.com/blog-entry-1131.html >
<感謝合掌 令和7年5月10日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成三十年五月)】 - 伝統
2025/05/11 (Sun) 14:55:17
脇坂義堂
足ることを 知る心こそ
宝船 世をやすやすと
渡るなりけり
(意味)
満足を知ることは、
とても尊いことである。
そうすれば世の中も、
たやすく渡ることができる。
『五用心慎草(ごようじんつつしみぐさ) 下之巻』
【五用心慎草】
→ http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=NARA-00142
・・・
脇坂義堂 (わきさか ぎどう)
江戸時代後期の心学者。
石田梅岩の弟子である手島堵庵(てじま とあん)に学び全国を遊説するも、
一時は堵庵に破門される。
その後、人足寄場などで講義を行うとともに、
地方でも積極的に遊説を行ったことから、破門を解かれ、
石田梅岩先生門人簿に載せられた。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3005/)
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201805.pdf)
<感謝合掌 令和7年5月11日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成三十年 五月)】 - 伝統
2025/05/12 (Mon) 04:50:47
「己を脩(おさ)めて、以て人を安(やす)んず」
(己以安人)
~論語(憲問第十四)~
(意味)
学ぶことが貴いのは、
人や社会に貢献できるようになるからであり、
ひたすら勉強するのではなく、時に立ち止まり、
どう約立てられるかを考えることが大切で、
それが豊かさを生むことになります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html#m3005)
<感謝合掌 令和7年5月11日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(平成三十年皐月)】 - 伝統
2025/05/12 (Mon) 13:04:09
幾そたびかき濁してもすみかえる
水や皇国の姿なるなむ
~ 八田知紀・しのぶぐさ ~
(説明)
水は一度濁っても、やがて澄み清くなるように、
日本の変動も、やがては落ちつくところに落ちつくであろう。
日本の長い歴史、又幕末の日本の国情を見て、
日本の国では必ず天皇の中心に落ちつくところに
落ちつくことを述べたものである。
戦後の変動の激しさを見て、日本はこれからどう変化するので
あろうかとの嘆きに対し、永い眼で見るべきことを
教えたものともとれよう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
・・・
八田 知紀(はった とものり)
寛政 11(1799)年~明治6(1873)年。
鹿児島市西田に生まれる。
国学に志し和歌を香川景樹に学び桂園派歌人として名をなした。
薩摩藩京都留守下役を命ぜられ近衛家に出入りした。
明治5(1872)年宮中御歌掛に任ぜられる。
桃岡と号し高崎正風、黒田清綱ら著名な歌人を育成、
著書に『八田知紀歌集』『しのぶ草』『調の直路』などがある。
雅麗な桂園調の中にも雄渾な歌風を持つ。
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」平成30年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月12日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十九年五月)】 - 伝統
2025/05/13 (Tue) 03:46:16
孫子
進んで名を求めず
退いて罪を避けず
(故)進不求名、退不避罪
(説明)
成功しても名誉を求めることはなく、失敗しても責任回避をしない。
孫子 (そんし)
書名『孫子』。中国最古の兵法の書。
筆者の孫武は春秋時代の斉の人で、呉王闔盧に仕え、諸国を攻略して大功を立てた。
尊称をもって孫子といわれる。
また、孫武の子孫である兵法家孫?の作ともいわれている。
( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2905 )
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201705.pdf)
<感謝合掌 令和7年5月12日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成二十九年 五月)】 - 伝統
2025/05/13 (Tue) 13:15:37
理に順(したが)えば則ち裕(ゆた)かなり
~ 近思録 ~
(意味)
人間として道理にかなった行いをすれば、
全てが自信につながり心も豊かになり、
気持ちに余裕が生まれる
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html)
・・・
<参考:理に順えば則ち裕かに、欲に従えば惟れ危うし
→ https://newstyle.link/category25/entry1347.html >
<感謝合掌 令和7年5月13日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(平成二十九年皐月)】 - 伝統
2025/05/14 (Wed) 04:41:16
五月蠅(さなへ)なす人も入り来ず、
大神の鎮まりいます杜は静けし
~ 佐久良東雄歌集 ~
(説明)
神のいます杜は、静寂な所である事が望ましい。
そこは神のお住居する所であるから、境内に社務所を置き、
そこに人間が住み、常の生活が行なわれる事は、
理想としては望ましい事ではない。
いわんや、観光神社が望ましいといって境内に観賞用の樹木や草木を植え
動物を飼う事などは、境内を植物園や動物園と間違えるやり方だ
といわざるを得ない。
神の森(境内)はうるさい人間も入り込まぬ、
大神の鎮まりいます所なのだから、
静寂を第一義とすべきである。
神威にふれる所、それが静寂の地である。
神社によっては境内の一木一草に名札をつけている所もある。
何の樹か知らないが、神々しいという気分を起させるところだ
という事を忘れてはならない。
観光植物園、動物園、遊園地は境外に設けて欲しい。
神の森は神を中心に考えるべきである。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」平成29年5月<皐月>をクリック)
・・・
<参考Web:佐久良東雄(さくらあずまお)
→ http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/azumao.html >
<感謝合掌 令和7年5月13日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十八年五月)】 - 伝統
2025/05/15 (Thu) 04:49:14
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
(説明)
若いうちは勉強する時間はたくさんあると考えるが、
時間というものはすぐに過ぎ去ってしまうので、
少しの時間も無駄にしてはならない
という意味。
朱熹 (しゅき)
朱熹(しゅき)が名前で、朱子は尊称。
12世紀の南宋の儒学者で宋学(朱子学)を大成した.
朱熹の著作のどこを探してもこのタイトルの詩はないので、
別人の作ではないかとも言われています。
近年は室町時代の臨済宗の僧、観中中諦の作であるという
見方が強まっている
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201605.pdf )
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201605.pdf)
<感謝合掌 令和7年5月14日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉 (平成二十八年 五月)】 - 伝統
2025/05/15 (Thu) 13:00:59
義を見てせざるは
勇なきなり
~ 論語 ~
(意味)
正しいことがわかっていても、
それが実行できないのは勇気がないためである。
他人が苦しんでいる時に同情するだけで、
手を差し伸べなかったとしたら、
何も感じていないのと同じことで、
それは正しい行ないとは言えない。
( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )
<感謝合掌 令和7年5月15日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(平成二十八年皐月)】 - 伝統
2025/05/16 (Fri) 03:27:07
天地の中にみちたる草木まで、
神の姿と見つつ恐れよ
~ 兼邦百首歌抄 ~
(説明)
平安時代以前の和歌は、
外界に見える自然の姿の美しさをそのままに歌ったものが多い。
これに対し鎌倉以降の和歌は、朱子学の影響を受けてか、
外界から内界、即ち心の受けとめ方を問題としたものが多い。
この和歌も後者のひとつである。
天地の心を歌ったもので、古典によると、
天も地も祖神が生み給わったものとする。
故に、天地だけでなく地上に生育する草木にさえも、
神の心を認めねばならぬ。
草木が青々と元気よく生育する姿を見ては、人間もかくあらんと感得する。
草木が風雨に堪える姿を見ては、人間も世の世の苦難に出合っても、
辛抱が大切だと感得する。
世の中は平穏無事ばかりではない。
苦難に堪えなければならない時もある。
また春には若芽に萌える時もあれば、
秋には一葉も残さず落葉することもある。
人生も壮時があれば、老衰もあり、生まれるものは、必ず死歿する。
いわば生者必衰の理のが、
天地、草木の生まれ、草木の色の衰えによって教えられる。
神の道理のきびしさを知らねばならぬ。
(続 神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」平成28年5月<皐月>をクリック)
・・・
兼邦百首歌抄は室町時代の吉田兼邦が百首の和歌を通して、
神道の道型を語ったものである。
<感謝合掌 令和7年5月15日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十七年五月)】 - 伝統
2025/05/16 (Fri) 13:01:05
是非の初心を忘るべからず
時々の初心を忘るべからず
老後の初心を忘るべからず
~ 世阿弥 ~
(説明)
物事をはじめた未熟のころの初心を忘れてはいけない。
それぞれの成長段階における初心を忘れてはいけない。
老境に入った時の初心を忘れてはいけない。
人生は常に新しい初心との遭遇で、
これらの初心の積み重ねが無限の可能性につながるのである。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201505.pdf)
世阿弥
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic14.html
<感謝合掌 令和7年5月16日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十七年 五月)】 - 伝統
2025/05/17 (Sat) 04:49:06
寛(かん)にして 畏(おそ)れらる
~ 菜根譚 ~
(意味)
小さな過失はとがめない。
隠し事はあばかない。
古傷は忘れてやる。
他人に対してこの3つのことを心がければ、
自分の人格を高めるばかりでなく、
人の恨みを買うこともないのである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html)
<感謝合掌 令和7年5月16日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(平成27年皐月)】 - 伝統
2025/05/17 (Sat) 14:54:56
天地(あめつち)の中にみちたる草木まで、
神の姿と見つつ恐れよ
~ 兼邦百首歌抄 ~
(説明)
古典によると、天も地も祖神が生み給うたものであり、
天地の間の草も木も、祖神が生み給うたものである。
だからこそ天地だけでなく、地上に生育する草木にさえも、
神の心を認めねばならぬ。
草木が青々と元気よく生育する姿を見ては、
人間もあくあれしと感得する。
草木が風雨に堪える姿を見ては、
人間も世の苦難に出会っても、辛抱が大切だと感得する。
世の中は平穏無事ばかりではない。
苦難に堪えなければならぬ時もある。
また春には若葉に燃える時もあれば、
秋には一葉も残さず落葉することもある。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」平成27年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月17日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成26年5月)】 - 伝統
2025/05/18 (Sun) 04:48:20
やって見せ 説いて聞かせて やらせ
讃めてやらねば人は動かぬ
~ 山本五十六 ~
(説明)
上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみよ」
を基にしたと言われる。
”ほめる”とはおだてるということではなく、
共に喜ぶということ。
仕事を教えるのには、ほめてあげることが秘訣だと説いた。
出典『山本五十六のことば』
この言葉を直接言ったという史料は残されていないが、
長岡市堅正寺の住職、橋本禅厳氏が、講話の中で山本元帥の言葉として
紹介したものが現在に伝わっている。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201405.pdf)
<参照>
山本五十六
→ http://yamamoto-isoroku.com/?page_id=40
この名言の続き
→ http://www.compass-point.jp/kakugen/4676/
<感謝合掌 令和7年5月17日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十六年 五月)】 - 伝統
2025/05/18 (Sun) 13:10:06
事(こと)に敏(びん)にして
言(げん)に慎む
~ 論語。学而第一 ~
(意味)
仕事というものは素早く、
そして正確に行なうことが、大切なのであります。
口先だけの言い訳は、
なかなか人から信頼を得られるものではありません。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html)
<感謝合掌 令和7年5月18日 頓首再拝>
【北海道神社庁、5月のことば(平成26年皐月)】 - 伝統
2025/05/19 (Mon) 04:43:30
往(ゆ)き還(かえ)る足踏みごとに産土(うぶすな)の
神の恵みを思へ世の人
~ 本田親徳(ちかあつ)・産土百首 ~
(説明)
勤務のために、又通学するために、親子も朝家を出、
会社や学校に至り、夕方はそこから家に還る。
行き帰りともに大地の道路を踏むのである。
農夫も大地をたがやして生きる。
このように人生は終生、大地と離れて存在し得ない。
大地を踏みしめて生活するものとしては、
この大地の神なる産土 ―― 産す根の神(大地を生み生かしている神)の
お陰・お恵みを、終生、忘れてはならない。
一生、大地の根源の神なる『産土神』の信仰を、
道行く人は心得るべきである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
→ 「今月のことば」平成26年5月<皐月>をクリック)
・・・
<参考Web>
(1)産土百首リストと本田親徳
https://transpace.jp/ubusuna-honda-tikaatu/
(2)本田霊学
http://www.takamiyahachimangu.com/blog/?p=1799
<感謝合掌 令和7年5月18日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成25年5月)】 - 伝統
2025/05/19 (Mon) 13:00:20
われ人に勝つ道を知らず
われに勝つ道を知る
~ 柳生宗矩 ~
(説明)
自分の心の中に巣食う敵、つまり邪念や怠惰心、臆病といった
諸々のものを追い払ってこそ、他人に勝つ道も開ける。
他人と勝負することを考えるより、まず、
自分と闘って勝たなければならない。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201305.pdf)
・・・
<参照Web:【治国平天下 ~柳生新陰流 天下統御の剣・柳生石舟斎と柳生宗矩】
→ https://senjp.com/yagyuu/ >
<感謝合掌 令和7年5月19日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十五年 五月)】 - 伝統
2025/05/20 (Tue) 04:57:42
後生畏(こうせいおそ)るべし
~ 論語 ~
(説明)
若者は努力次第でどれだけ成長するか推し量ることはできないので
軽んじてはいけない。
(未来が現在に及ばないとは誰にも言えないのと同じ事であります。)
「後生」とは後輩や若者という意味である。
<感謝合掌 令和7年5月19日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十四年 五月)】 - 伝統
2025/05/20 (Tue) 14:34:58
和魂漢才
~ 菅原道真 ~
(説明)
日本人としての魂を忘れずに。
祖国を愛する心を持ったうえで、
世界人として国外に広い知識を求めて勉強せよ
という教え
『菅家遺誠』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201205.pdf)
・・・
<参考:菅家遺誠(かんけいかい)
教訓書。二巻。著者未詳。公家の留意すべきことを記したもの。
菅原道真の遺訓とするが、現存本は平安末期以後、室町初期以前の成立。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-013602 >
<感謝合掌 令和7年5月20日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十四年 五月)】 - 伝統
2025/05/21 (Wed) 04:44:12
辞(じ)は達するのみ
(辭達而巳矣)
~ 論語 ~
(説明)
言葉は、本当に伝えたいことを伝えるということが大切なのであります。
たくさんの言葉を積み重ねれば、
相手の心の壁を乗り越えることができるように思いがちですが、
言葉は増えれば増えるだけ意味を失い、飾りとなり大切なものを隠してしまいます。
多すぎず、少なすぎず。
それに気をつければ気持ちは素直に伝わるものです。
<感謝合掌 令和7年5月20日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十三年 五月)】 - 伝統
2025/05/21 (Wed) 14:57:06
あさみどり すみわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな
~明治天皇 (明治37年)~
(説明)
浅緑に澄みわたりたる境地は、
その清浄、正直の心を表し、
大空の広さは
度量の大きさ、睦び和む精神にあたる。
『明治天皇御集』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201105.pdf)
<参考Web>
(1)御製(あさみどり・・・)
→ https://plaza.rakuten.co.jp/meganebiz/diary/200901170000/
(2)明治天皇御集
→ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1127979/25
<感謝合掌 令和7年5月21日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十三年 五月)】 - 伝統
2025/05/22 (Thu) 04:49:09
礼は往来(おうらい)を尚(たっと)ぶ
~ 礼記(らいき)~
(説明)
礼義は、お互いに示し合うことが大切です。
どちらか一方通行というのは、失礼ということであります。
お祝いには返礼を、手紙には返事をというのは、基本的なことですが、
この基本的な事が抜けると人間関係がこじれ始めます。
感謝の心も同じであります。
<感謝合掌 令和7年5月21日 頓首再拝>
【今月の大阪府神社庁よりのお言葉(平成二十三年 五月)】 - 伝統
2025/05/22 (Thu) 13:02:54
己の欲せざる所は
人に施すこと勿れ
~ 孔子『論語』 ~
(意味)
大きな心で人を許し、
また自分が他人からされたくないと
思うことを他人にもしない。
これをふまえて交流しましょう。
(神社だより 蟻通神社の権禰宜 2011年05月30日
http://www.aritooshi.org/blog/index.cgi?key=98)
<感謝合掌 令和7年5月22日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(平成二十二年 五月)】 - 伝統
2025/05/23 (Fri) 15:11:59
人間がやったことは人間がまだやれることの百分の一にすぎない
~ 豊田佐吉 ~
(説明)
人間はさまざまな事を考え発明し、行動してきているがそれは、
まだほんの一部でありまだまだたくさんの可能性が秘められている。
<感謝合掌 令和7年5月23日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十ニ年 五月)】 - 伝統
2025/05/24 (Sat) 19:00:16
正直は清浄を以て本となす
~ 度会家行「神道簡要」~
(説明)
正直とは、ただウソを言わないというだけではない。
正しい心・直き心とは、誠一途に常に反省を怠らず、
少しでも良い方に向かおうと努力する積極的な心でなければならない。
その基本として清浄であることが必要である。
正直の道は、清い心・清いおこないを絶えず持続し実行することによって達成される。
・度会家行・・・ 鎌倉末期の伊勢神宮神職
<感謝合掌 令和7年5月24日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十一年 五月)】 - 伝統
2025/05/26 (Mon) 04:53:29
疑行(ぎこう)は名なく、
疑事(ぎじ)は功(こう)なし
~ 史記 ~
(説明)
「疑行とは、確信を欠いたあいまいな行動」
「疑事も同様の意味」
つまり、物事を十分調査研究しないで、
上司・会社に述べても成功も名誉も得られない。
今や国の内外を問わず、経済の恐慌、不況の最中であることを思い、
過去の因習に囚(とら)われることなく未来思考でじっくりと努力すべきでなかろうか。
<感謝合掌 令和7年5月25日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(平成二十年 五月)】 - 伝統
2025/05/26 (Mon) 15:11:21
神仏は見えずして
傍らを離れず
~ 髙橋 泥舟 ~
(説明)
五感(見・聴・嗅・味・触)では理解できないが、
山・川・草・木 全てに神・仏が宿り、
特に親・祖父母・會祖父母等、ご先祖は慈しみの心で
常に私共を見守って下さっております。
人は一人では生きて行けません。
神・仏に感謝の心で日々を大切に暮らしたいものです。
髙橋 泥舟・・・江戸末期の幕臣。槍術の名人で講務所教授。
勝海舟・山岡鉄舟とともに「幕末三舟」と言われた。
<感謝合掌 令和7年5月26日 頓首再拝>
【今月の警固神社よりのお言葉~(令和五年 五月)】 - 伝統
2025/05/27 (Tue) 13:14:53
老驥櫪(ろうきれき)に伏す 志千里に在り 烈士暮年 壮心已まず
https://kegojinja.or.jp/kotoba.php
*警固神社(福岡)
ご祭神
八十禍津日神 〈やそまがつひのかみ〉
神直日神〈かんなおびのかみ〉
大直日神〈おおなおびのかみ〉
( https://kegojinja.or.jp/ )
・・・
老驥櫪(ろうきれき)に伏すも志千里にあり
烈士暮年壮心已(ろうしぼねんそうしんや)まず
https://ameblo.jp/hide8152221/entry-11895610534.html
<感謝合掌 令和7年5月27日 頓首再拝>
【今月の警固神社よりのお言葉~(令和四年、三年、二年、元年五月)】 - 伝統
2025/05/29 (Thu) 04:52:49
【今月の警固神社よりのお言葉~(令和四年 五月)】
努力する楽しみを知る人は
人生の真の幸せを知る人である
(https://kegojinja.or.jp/kotoba.php)
・・・
<参照>
浄願寺~令和4年4月カレンダー
http://www.jouganji.or.jp/category/%e3%82%ab%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc/
「2022年4月1日 カレンダー」をクリック
・・・
【今月の警固神社よりのお言葉~(令和三年 五月)】
花はなぜうつくしいか
ひとすじの気持ちで
咲いているからだ
・・・
日本の詩人 八木重吉 「花」
(明治~昭和の詩人、1898~1927)
美しく咲こうとか見てもらおうとか、
というような作為的なものがないから感動するのだろう。
人と人との関係も同じだ。
やってやるという姿勢では、それが相手から透けて見えてしまう。
http://yamazakinomen.mizutadojo.com/yagijyuukichi.html
https://www.notredame-jogakuin.ed.jp/1737/
・・・
【今月の警固神社よりのお言葉~(令和二年 五月)】
学は以て 已 ( や ) むべからざる青は之を藍より取りて而も藍より青し.
・・・
君子曰、
「学不可以已。」
青、取之於藍、而青於藍、
(→ http://www.maroon.dti.ne.jp/ittia/XunziMencius/BlueIsBluerThanAIndigo.html)
(「学問は途中で止めてしまってはならない。
青色は藍の草から作り出されるが元の藍よりも更に青い」
――人も学問に励むことで、その学問以上の境地へたどり着くことができる。
弟子が師よりもすぐれていることを意味する「出藍の誉れ」の出典となった一節)
・・・
【今月の警固神社よりのお言葉~(令和元年 五月)】
心は放っておくと
すぐに雑草が生える
丁寧に手入れをすれば
満開の花が咲く
<感謝合掌 令和7年5月28日 頓首再拝>
【今月の警固神社よりのお言葉~ニ十九年 五月)】【(平成二十八年 五月)】 - 伝統
2025/05/29 (Thu) 13:01:46
お役に立てればと
先ず一歩動くことが
変わるきっかけ
(http://kegojinja.or.jp/news_20170501.php)
・・・
根が張れば
自ずと木は育つ
(http://kegojinja.or.jp/news_20160501.php )
<感謝合掌 令和7年5月29日 頓首再拝>