伝統板・第二
正食 ③ - 伝統
2020/11/20 (Fri) 04:52:15
正食に帰る日
*「光明道中記」(11月20日)より
【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
(『生命の實相』第十四巻)】
国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。
砂糖の過食は、人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための
「何を食い何を飲まんと思う」心の状態の反影としての不自然食である。
その不自然的害悪を成るべく避けるためには2つの方法がある。
成るべく自分の生活地の緯度の近いところで産した砂糖を食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの沖縄方面で採れる砂糖を食すべきである。
同一の形に見える砂糖でも霊妙な感覚で感ずるならば、
産地によって悉くその成分が異なるのである。
日本の精糖源は台湾、東南アジア、南米と段々日本を遠ざかって行くが、
日本の需要は出来るだけ、北は北海道の砂糖、南は沖縄産の砂糖を以てする方が、
日本人の健康食に敵(かな)う。
沖縄糖の中には精製工程が不完全で
手工業的製産で黒砂糖などを作っているとこともあるらしく、
それらは一層完全食として体位向上に適するものである。
菓子も「黒羊羹」のように黒砂糖のものの方が飽きが来ないのは、
成分が自然をそのままで平均しているからである。
自然が尊い。
・・・
<関連Web>
(1)伝統板・第二「正食」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7078491
(2)伝統板・第二「正食 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7774414
<感謝合掌 令和2年11月20日 頓首再拝>
エネルギーをいただく - 伝統
2020/12/01 (Tue) 04:43:02
*Web:かんながら(2020年11月30日)より
仮面によって無意識の層に閉じ込められた怒りのエネルギーは、
日常での我々の行動にも影響を与えています。
それが出やすいのは食事の時。
怒りを溜め込んだ人の食べ方は、
食物を破壊するような噛み方になります。
バリバリと砕いてのみ込むのです。
まるで野生の動物が敵を攻撃する時みたいです。
我々は人に対して噛みつくことができないから、
それを食べ物に対してやっていたりします。
そうやって食べた食べ物と、愛しんでいただく食べ物とでは、
体内で消化されるときに違いが起きるのは言うまでもありません。
我々は物資を食べるというよりはエネルギーを頂いているのだから。
だから食べる時は、
怒りから意識して離れることが大事なわけです。
怒りは意識すれば出てきません。
怒りは無意識の土壌でしか発揮できないから。
その証拠に、いますぐ怒れますか?
怒るフリはできても、本当には怒れないでしょ?
意識的には怒れないのです。
だから意識的に食べるということが大切になります。
食べる時は、他のことをゴチャゴチャ考えずに、
いま食べようとしているものと完全に向き合っていただく。
簡単に言えば品よくいただくということ。
これは健康の土台だと思います。
当たり前の話でしたが、食べるたびにお互い思い出しましょうね。
(https://abetoshiro.ti-da.net/e11752937.html)
<感謝合掌 令和2年12月1日 頓首再拝>
体を冷やさない食事の工夫 - 伝統
2020/12/03 (Thu) 04:33:16
*メルマガ「魔女の家庭医学」(2020.12.01)より
マクロビオティックの陰陽調和で考えても、
陰性の季節には、陽性の食品を摂るのは正解です。
だから、冬は地面の近くに生える野菜や、根の野菜を多く食べるのです。
動物性の食材も陽性なので、少しは食べてもいいですね。
魚には、肉にはない旬があります。
冬の魚は、冷たい海に対応できるように、たっぷりと脂が乗っていますが、
人よりも体温の低い魚の脂は、食べても人の体の中で溶けているので、
さほど気にする必要はありませんね。
しいて言えば、酸化しやすいので、
新鮮な魚を食べることくらいでしょうか。
逆に脂をまとった動物の肉は、人の体温よりも高いので、
人の体に入った時に固形になりやすく、
腸内や血管を汚す可能性があるので、
食べすぎないようにしなくてはいけません。
魚や肉を食べる習慣のない人や、ほんの少し陽性にしたい人は、
味付けを濃くすることで、陰陽の調節ができます。
塩を摂るのが気になるようなら、
味噌や醤油などの発酵調味料なら、
塩の害を気にする必要がないでしょう。
また、塩も煮る時に最初から塩味で茹でてしまえば、
野菜のもルラルやビタミンと結合してくれるので、
良い血液を作ってくれます。
熱々を食べたいときでも、レンジで調理をするのは禁物です。
冷え性さんは、温かいものを食べたいので、
レンジを使う人もいるかもしれませんが、
料理は温かくても、レンジの調理は体を冷やす作用がありますので、
冷え性さんほど電子レンジの多用は控えてください。
<感謝合掌 令和2年12月3日 頓首再拝>
《健康のためには獸肉食を避けよ》 - 伝統
2020/12/12 (Sat) 04:56:26
*『 生長の家 』(昭和43年7月20日の法語)より
善念を起すとき、健康に必要なる内分泌が分泌せられる。
あなたが常に善念をもちつづけるとき、その善念は、大生命の叡智をして
少しも歪みなくあなたの“心のレンズ”を透過して潜在意識に入らしめ、
その潜在意識の指導によって生理作用が健全なる方向にいとなまれることに
なるのである。
しかしながら、肉体的方面の注意もまた肝要であるのである。
肉体は魂(生命)の棲む“宮”であるからそれを清潔にすることを
怠ってはならないし、清淨にして、健康な食物をその人の体格に応じた
適当な分量をとるがよいのである。
近代の健康食だと考えられている獣肉食の如きは、
人間を肥滿に導くかは知らないが、
それは自然の健康な肥滿ではないのである。
体重重がある標準以上になることは、
あまり痩せすぎているのと同様に不健康のしるしである。
巨大な体格・体重をもつ横綱たちが、
“栄養々々“と美食を過食するために糖尿病にかかって
土俵を降りて行く実例をみるのは誠に遺憾なことである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4334
<感謝合掌 令和2年12月12日 頓首再拝>
《食物は心を左右する》 - 伝統
2020/12/16 (Wed) 02:24:55
*『 生長の家 』(昭和43年7月21日の法語)より
日本政府はメキシコから流行病の菌で汚染したかも知れない牛肉を
加熱装置で消毒した保證のあるものならば輸入することにしたという
報道をきいて私は愕然として驚くと共に悲しんだのである。
何のためにそのような不潔な獣肉を輸入して国民の血液を
よごさねばなないのか私は政府要路の人たちにききたいのである。
「食は心なり」という諺もあるのである。
肉食をする獅子や虎や狼は獰猛であって自己の食欲を滿たすためには
他の生命を傷つけることを何とも思わないのである。
そして平常は働かずに懶けている。
懶けていて貪り喰いたいのが肉食獣の性質である。
日本も戦後肉食が殖えて来るにしたがって懶けていて貪りたい人間が
次第に殖えているのである。
即ちストライキや遵法闘争で出きるだけ働く時間を少なくして
収入を貪りたい肉食獣的パターンの人間が増加しているのである。
この事は「類を以て集まる」といふ法則からも説明できるが、
人はその食する食物によってその性質が左右という
「食心一元」の理からも説明できるのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4335
<感謝合掌 令和2年12月16日 頓首再拝>
身土不二 - 伝統
2020/12/25 (Fri) 04:43:23
*Web: Japan On the Globe(R02.11.08)より
国柄探訪: 人間の身体と大地は繋がっている
〜「身土不二(しんどふじ)」の思想
日本人は、日本列島で採れる豊かな食材に合った身体を発達させてきた。
1.「身土不二」の思想
「身土不二」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。
「身」すなわち人間の身体と、その人間が生まれ育った「土」
つまり大地は「不二」、二つではなく一体だという思想です。
西暦1300年頃、中国の仏教書に出てくるのが、
文献としては最初のようです。[山下、p111]
考えて見れば、私たちの身体は食べたものを分解し、
そこから得られた栄養素から形成されています。
そして、すべての食物はもともと、
大地から育った植物か、それを食べて育った動物でした。
したがって、我々の身体は食べ物を通じて大地と繋がっているのです。
この認識の上で、身土不二は、生まれた場所から歩いて行ける範囲、
3里(12km)ないし4里(16km)の範囲で育った食物を食べるのが良い
という思想です。
タイの養殖エビ、カリフォルニアのオレンジ、オーストラリアの牛肉を
日常的に食べている我々の現代の生活から見れば、
とんでもない暴論に聞こえます。
しかし、この説には科学的根拠がないわけではありません。
たとえば、日本人には牛乳を飲むとお腹を壊す人が少なくありません。
これは牛乳が、もともと日本の土地で生み出された飲み物ではないからです。
2.牛乳でお腹を壊さない方が少数派
インドから独立したバングラデシュがたび重なる洪水と飢餓で
苦しんでいるため、フランス政府が救援物資として粉ミルクを
贈ったことがありました。
ところが、それを飲んだバングラデシュの人たちが下痢と腹痛を訴え、
死者まで出る騒ぎになったそうです。
粉ミルクに毒が入っていたという噂まで広がって、
国際問題にまで発展したのです。
フランス政府は医師、看護婦、栄養士からなる調査団を派遣し、
現地の水が問題だと見当をつけてミネラルウォーターも
持っていったのですが、水が原因ではなかった事がわかりました。
アメリカのケネディ政権の時代にも、
ブラジルに送った粉ミルクで同様の事件が起こりました。
ブラジルの水が良くないのだろうと、沸騰消毒するなどして
ミルクを飲ませても、結果は同じでした。
そこから始まった調査の結果、驚くべき発見がありました。
まず、すべての人類は、生まれてから7歳ぐらいまでは
乳に含まれる乳糖(ラクトーゼ)を消化吸収する
酵素(ラクターゼ)をもっています。
これがないと母乳を飲んでも下痢してしまうのです。
ところが一部の人々では、
7歳を過ぎるとラクターゼが消滅する事が判りました。
バングラデシュの人たちもブラジルの人も、ラクターゼを
もっていなかったことが症状の原因だったのです。
当初、このラクターゼ欠乏症は一部の人々とみられていました。
しかし、調査が進むにつれて、じつはそれが世界の多数派で、
むしろ7歳以降もラクターゼを持っている人々の方が、
世界全体で20%程度の少数派であるという事実が判明しました。[山下、p52]
3.ヨーロッパの自然環境の貧しさから生まれた牛乳を飲む習慣
成人してもラクターゼを持っているのは、
スウェーデンやノルウェーでほぼ90%と、ヨーロッパ北部が中心でした。
ヨーロッパ北部は寒冷のため濃緑色の葉物野菜は育たず、
不足するカルシウムを摂取するために、6千年ほど前に
牛や羊の家畜化を始めてから、その乳を飲むようになったのです。
その過程で、離乳期が終わってもラクターゼを分泌し続ける体質が
突然変異で現れ、適者生存でヨーロッパ人の主流となりました。[島田、p87]
したがって、ヨーロッパ人が牛乳を飲むのは、
厳しい気候のもとで野菜に恵まれない風土に、
やむなく適応した結果なのです。
言わば、彼らなりの「身土不二」の実践でした。
明治時代に医学や栄養学の指導者としてやってきたのは、
北ヨーロッパに住むドイツ人が中心でしたので、
牛乳を飲むことを「文明的」な食事として推奨しました。
この誤解が今も続いているようです。
ヨーロッパ人のような体質の突然変異を経験せず、
自然の豊かな国土に住む日本人は、
わざわざ牛乳をカルシウム源として飲む必要はありませんでした。
小松菜や大根の葉など濃緑色の葉物野菜、および味噌、豆腐、納豆など
大豆を使った食品で十分にカルシウムを採れるからです。
特に大根の葉は同じ重量の牛乳に比べて、
2倍のカルシウムを含んでいます。
島田彰夫・医学博士は、日本に輸入される欧州の食物に関して、
こう感想を述べています。
近年になって、ヨ−ロッパからもいろいろな食品が
輸入されるようになったが、小さな草や木の実から作られる
ジャムなどをみるとき、これほど小さな実まで、加工して
保存しなければならなかった、ヨーロッパの自然環境の厳しさ、
あるいは貧しさを意識しないわけにはゆかない。[島田、p155]
4.「まわりじゅう食べものだらけ」
ヨーロッパに比べれば、日本列島の自然の豊かさは歴然としています。
鹿児島に住んでいるあるアメリカ人女性は
「日本の田舎の人は、食べものに囲まれて暮らしている」と言って、
こう続けたそうです。
海に出れば魚、貝類、海草、山へ行けば木の実、草の実、山菜。
季節ごとにいろんな食べものがとれる.こんな豊かな自然はほかにないわ。
まわりじゅう食べものだらけ。[山下、p41]
我々の先祖は、代々、
この恵まれた自然の中で得られる食べ物で生活していました。
3里四方で採れる食材だけで栄養は十分でした。
上の発言に「海草」が出てきますが、最近の研究では
海草を分解できる腸内細菌を持っているのは、
世界の中でも日本人だけだそうです。
多くの外国人は寿司は好きでも、
海苔は「ブラック・ペーパー」と言って嫌います。
海苔の食物繊維を消化できず、そのまま排泄してしまうのですね。
日本人は海草類を食べ続けた過程で、
それに適した細菌を腸内に取り込んだようです。[大腸]
日本の伝統食に関して、島田博士はこう結論づけています。
私たちの先祖が大事にしてきた米、粟、麦、ソバなどは、
澱粉の供給源として非常に優れたものである。
これで十分な炭水化物と若干の蛋白質は確保できるから、
あとは蛋白質と脂肪の供給源があれば三大栄養素は大丈夫である。
大豆はこの両方を満足させる食品である。
日本人が穀類(米とは限らない)と大豆を核とした食生活を
営んできたことは理にかなったことであった。
他にいくらかの野菜があればビタミンもミネラルも
必要な量は確保できる。[島田、p47]
5.欧米人を驚かせた、かつての日本人の体力
戦国時代に日本に上陸した最初のキリシタン宣教師フランシスコ・ザビエルは、
日本人を観察して
「彼らは時々魚を食膳に供し米や麦も食べるが少量である。
ただし野菜や山菜は豊富だ。
それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、
まれに高齢に達するものも多数いる」
と書き残しています。
明治初年に日本で動物学・生理学を教えたアメリカ人のエドワード・モースは、
人力車の「車夫たちは長休みもしないで、三十哩(今でいうおよそ50km)を
殆ど継続的に走った」と驚きを語っています。[アグリコ日記]
これに比べれば、現代日本人は、かつてのご先祖様より
はるかに豊かな栄養をとっているのに、これほどの体力はありません。
逆に国民病とも言われるスギ花粉症などに悩まされています。
和歌山県の山村に住む医師の報告によれば、
山林労働者は大量にスギ花粉を吸っているはずなのに、
スギ花粉症の人はほとんどいないとの事です。
原因を調べてみると、山林労働者の朝食は米飯が95%であるのに、
スギ花粉症の人々は60%がパン食でした。
そこでスギ花粉症の人々の朝食をパンから米飯に変えると、
ほとんどの人の症状が楽になったそうです。
この原因として、麦は米に比べるとほとんどが輸入のため
収穫したあとに農薬をかける(ポストハーベスト農薬)ので
残留農薬が多い、パンは米に比べ食品添加物が多い、
などが考えられています。[山下、p210]
6.「米を食べるとバカになる」
現在の我が国の食糧自給率はカロリーベースで37%程度です。
「身土不二」の3,4里をぐっと広くとって、
日本人は日本列島で採れるものを食べるべきと解釈しても、
63%の輸入食材はこれに適合しません。
その一方で、昭和36(1961)年に609万ヘクタールあった国内の農地は、
半世紀後の平成26(2014)年には、452ヘクタールと
26%も減少しています。[東北農政局]
すなわち、日本列島の豊かな農地の1/4も遊ばせておいて、
食料の6割を海外から輸入している、という事態になっているのです。
その主な原因は日本人の食生活が
パンや肉などを中心とした欧米流に変わりつつあるからです。
米飯食からパン食に変わったのは、
それを促進した一大キャンペーンがあったからです。
昭和30年代、日本は高度経済成長のために
アメリカへの工業製品輸出を増やす必要がありました。
そのためには輸出入のバランスから、
アメリカからの食料輸入を増やすことが求められました。
食料輸入を増やせば、農村の労働力を大量に都市部に移して、
工業化を促進することができます。
アメリカとしても、農産物の対日輸出を増やすことは大歓迎です。
こうして日本人の米飯食をやめさせ、パン食に切り替えることは、
当時としては一石三鳥の政策だったのです。
そこで日本人にパンを食べさせようという
キャンペーンが大々的になされました。
当時、大脳生理学の専門学者が米食を否定し、
それをもとに製粉・製パン業界が「米を食べるとバカになる」
というパンフレットを何十万部もばら撒きました。
朝日新聞も昭和32年9月3日の『天声人語』で、こう述べています。
胃拡張の腹一杯になるまで米ばかり食うので
脚気や高血圧などで短命の者が多い。
津軽地方にはシビガッチャキといって、めし粒を食った
コイや金魚のようにブヨブヨの皮層病になる奇病さえある。
日本では米を主食というが、
今の欧米人は畜産物が主食で穀物が副食物だ。
五十年前までアメリカの農民も穀物の方を多く摂ったが、
今では肉、牛乳、卵などの畜産物を主食にするのが世界的な傾向だ。
その点で日本は百年も遅れている。[山下、p70]
嘘っぱちの内容を、「上から目線」で自信たっぷりにお説教する姿勢は、
「従軍慰安婦」虚報とそっくりですね。
パン食推進の陰の仕掛け人であったと思われる米国の小麦協会の幹部は、
こう発言したと伝えられています。
「いまになって日本では『米を見直す』キャンペーンを
始めていることは承知しています。
しかし、すでに小麦は日本人、特に若い層の胃袋に
確実に定着したものと私たちは理解しています。
今後も消費はふえることはあっても減ることはないでしょう。
私たちの関心はとっくに他のアジア諸国に移っています。
日本の経験で得た市場開拓のノウハウを生かして、
この巨大な潜在市場に第二、第三の日本を作っていくのが
今後の任務です。
日本のケースは私たちに大きな確信をあたえてくれました。
それは米食民族の食習慣を米から小麦に変えていくことは
可能だということです。[山下、p72]
7.何百世代にもわたって追求してきた伝統的な食事
目先の経済発展政策と、「日本は百年も遅れている」などという
自虐マスコミによって、我々の食生活自体がねじ曲げられてしまったのです。
こういう策略にまんまと載せられてしまうのは、
根拠のない西洋崇拝によって、我々が先祖伝来の智慧を
軽んじてきたからでしょう。
わが国民は、古来、飲む水、食う穀(こく)、木の芽も草の根も、
すべて、ことごとく神である、という思想をもっていた。
水は 美津波能売神(みつはのめのかみ)
穀物は 大宣都比売神(おおげつひめのかみ)
木は 久々能智神(くくのちのかみ)
草は 鹿屋野比売神(かやのみめのかみ九
などいろいろ
われわれの遠き親たちにとって、いっさいは神であり、
その神実(かみざね)を飲み、かつ食うことによって
神々の機能を享(う)けつぎ、生命を作り、保つのであると信じていた。
彼らにとっては、食うことは、すなわち神々の恩寵に浴し、
神々の息吹きをうけ、神性に近づくことであると信じていた。[桜沢、398]
この自然観にしたがって、我々の先祖は縄文時代以来、1万数千年にわたって、
日本列島の豊かな自然との「和」のもとで、我々の身体に最適な食事を
追求してきました。島田博士は、こう結論づけています。
「伝統的な食事は、それを満足するまで食べたときには
栄養もちゃんととれている。
適切な栄養の摂取ができたかどうかなど、いちいち考える必要がない。
…中略…
それはなぜかというと、伝統的な食事は、一つの民族が何世代もかけて、
どうすれば適切な栄養の摂取ができるかを追求し到達した
料理の体系に基づいているからだ。[島田、p205]
それでは、我々は、ねじ曲げられてしまった現代の食生活を、
どうすれば正しい姿に戻せるのでしょうか?
2019年から始まった「国連 家族農業の10年」が
重要なヒントを投げかけてくれます。
次号でとりあげましょう。
→ http://blog.jog-net.jp/202011/article_4.html
(http://blog.jog-net.jp/202011/article_2.html)
<感謝合掌 令和2年12月25日 頓首再拝>
《食物は容貌及び性格を變化する》 - 伝統
2020/12/30 (Wed) 05:00:40
*『 生長の家 』(昭和43年7月22日の法語)より
徳川幕府時代の美人が面長であったのは
歌麿の浮世繪を見てもわかるのであるが、
近代に於いては円ぽちゃの美人が殖えて来つつあるのである。
それは食物の關係からであることが証明されるのである。
肉食獣の顔貌は肉や骨を咬みくだくために顎の力学的関係から
支点から重点に至る距離が短いほど、
力を少なく加えて咬みくだく力が強くなるので、
顎が前方に長く伸びずに横に張ってゐるので円顔になるのである。
肉食を幼い時から続けていると、
歯の形も肉食獣に近づいて来たのである。
即ち草食動物には野菜等を咬み切るためにもっている
菜刀の形をした門歯が発達しているのであるが、
獣食肉を多食する人の門歯がだんだん肉食獣の歯
即ち犬歯に似て来てその先端が尖って来つつあるのである。
食物がこのように生理作用までも変化する力があり、
生理作用は潜在意識の支配するところであることを考えると、
食物の変化が“意識”に影響を与えることは
類推するに難くないのである。
即ち獣鳥肉を多食するときは、
平和的な門歯が戦闘的な犬歯に変形すると同じく、
それを食する人の精神状態が平和的性格から好戦的性格に移行することは
やむを得ないというほかはないのである。
肉食愈々多くして、平和を叫びながら、
平和を理由に戦争や闘争を繰返す人類の現状を見るとき、
食生活の平和化の必要を私は痛感せずにいられないのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4336
<感謝合掌 令和2年12月30日 頓首再拝>
《肉食生活を続ける限り世界に平和は来たらず》 - 伝統
2021/01/17 (Sun) 02:52:33
*『 生長の家 』(昭和43年7月23日の法語)より
私はアメリカへ行ったとき、立派な宗教家で尊敬に値する地位にある米人と
会食した際に、その米人が鶏肉を串に刺したやうに、大腿部の肉から
突き出ている骨を指先で握りながらその肉を貪り食っているその姿を見た時に、
平和を唱えながら日本に原爆を落とし、ベトナムで血を流している米人の性格の
根元をみたような気がしたのである。
「これでは世界に平和が来るのは未だし」といふ感を深うした訳である。
日本人の食生活が段々アメリカ化して肉食偏重に傾いて来つつあるとき、
「ヤンキー・ゴー・ホーム」などといっても外部の米国人を追い払うことができても、
内臓の中までも侵入して来て血液を、そして精神をも、肉食獣化して来つつある
外来毒素を一体どうするつもりであろうか。
「ヤンキー・ゴー・ホーム」はその米国的食生活を追放させなければ、
精神までも「大和」から「好戦的」に変えてしまいつゝあるのである。
外部へ向かってくに国際的に戦争するかわりに、毎日ゝゝ、賃上げ闘争、遵法闘争、
学生闘争、何々闘争・・・で開け暮れしている現状の根元的原因の一つは、
その門歯が肉食獣化しつゝある原因と同じものであるのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4337
<感謝合掌 令和3年1月17日 頓首再拝>
《古川大航老師の絶対菜食・絶対健康》 - 伝統
2021/02/01 (Mon) 04:53:54
*『 生長の家 』(昭和43年7月24日の法語)より
ラジオやテレビや新聞雑誌で肉食を良質の食物であるとして、政府までも
国民の健康上、肉食奨勵に協力する立場をとっている如き
放送などを聴くのは残念である。
菜食・穀食で健康が長く維持できないといふことは決して無いばかりか、
肉食の消化・発酵中に起こる分解過程に於いて生ずる毒素は、
植物食では軽微であるけれども肉食による蛋白質分解産物中には、
人体に対して猛毒として作用するものを生ずるのである。
それは腐敗蛋白質を食した時と、腐敗植物食を食した時との、
人体に対する中毒的反応の強弱を見れば明かなことであり、
結局、肉食の過多は栄養学的に言っても酸性食の過多となり、
更に蛋白質の分解毒素を毎日少量ずつ吸収しつゝあるのであるから
人体細胞が多少とも中毒し、速かにその老衰をはやめることになるのである。
禅宗妙心寺派の管長古川大航老師は九十六歳にして壮年の如く海外に
宣教旅行をすること数回、絶対菜食であって、海外に於いても信者が
絶対菜食を用意していて、ダシにさへ獣鳥魚肉一切を用いない
清浄食を食されるのであると承ってゐる。
九十六歳にして尚、壮者を凌ぐこの老師の精力を見るとき、
人間に動物性蛋白が必要だといふ臆説は砕けてしまうのではないか。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4338
<感謝合掌 令和3年2月1日 頓首再拝>
《菜食動物と肉食動物との性格の相異》 - 伝統
2021/02/17 (Wed) 02:09:39
*『 生長の家 』(昭和43年7月25日の法語)より
牛や馬は菜食動物であるが、その性格に戦闘的なところは少く、
柔順にして勤勉、よく忍耐の徳を保って働くのである。
その容貌は面長であって平和である。
これは食物の関係からも来ているに相違ないのである。
私は今、最近逝去せられた一燈園の開祖西田天香老師が
やはり九十六歳の高齢であったことを思ひ出すのである。
天香老師は“無相の生活”を理想とせられたので、
古川大航老師のように接待菜食を堅持することなく、頼まれて托鉢奉仕に
出向かれた先で出される食物を差別なく合掌して“仏物”として
食されたのであり、
このような心境に於いては、京都医大島薗内科でビタミン絶対欠損の食事を
実験的に二ヶ月間試みられたけれども脚気の症状は全然あらわれなかった
という体験の持主である。
心境の浄化は、食物の良不良を超える実験である。
それでも無差別に何でも拝んで食された食物の中には動物食もあったであらう
と思われるが、動物食も食された天香老師は九十六歳で示寂、絶対菜食を今も
堅持せらる古川大航老師は同じ年齢で尚、青年の如く矍鑠たるものがある。
天授の寿命の問題もあるので、食物のみを原因としては容易に結論を
与えることはできないが、この両老師の比較はある参考資料にはなると思う。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4339
<感謝合掌 令和3年2月17日 頓首再拝>
家畜たちの魂と使命、植物の役割 - 伝統
2021/03/06 (Sat) 04:43:55
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年7月6日)より
昨日はペットの魂について書きましたが、
人間の近くにいる同じ動物として家畜たちも存在します。
その魂の違いについて述べてみたいと思います。
ペットは人間の飼い主と共に生活し、家族のように暮らす動物たちです。
一方で家畜たちは、おもに牛や豚、鶏などですが、
彼らは人間に食べられる目的で飼われています。
彼ら家畜たちもまた、動物の魂を宿す存在です
ペットは人間と共に暮らすのに、
家畜は食べられてしまうため、可哀そうではないかと思ってしまいます。
同じように感情もあるなかで、
人間に殺されて食べられてしまうのは悲劇のようにも見えます。
このような家畜として生まれる彼らも、
自らの運命を受け入れてきたのかどうかと言う疑問もあるでしょう。
はじめから大きくなれば人間に食べられてしまう
と分かっていて魂が生まれてきているのかですね。
これはある程度種としては受け入れて生まれてきているように思います。
ペットの場合には、人間のそばに暮らしていて、
同じような生活をすることで魂の学びをしているのでしょう。
家畜の場合には、自分の肉体の命を人間に捧げることで、
自己犠牲的でありますが、献身的な役割を請け負って
学んでいるように思います。
自らの肉体生命を人間に寄与することで、
献身的な魂の役割を果たし、使命を持って生まれてきています。
ちなみに動物だけではなく、植物にも魂はあり、
野菜などの人間に食べられる魂は、家畜と同じように自己犠牲の精神で、
自らの肉体生命が役立つことを使命として生まれてきている面がある
と思います。
植物の場合には、他にも綺麗な花を咲かせる様な、
目で見て楽しみを与える役割の者もいますし、
薬草みたいに、食べると体にいい効果を発揮する健康面の役割を持つ
者もいます。
そのようにペットになるものや家畜になるもの、
綺麗な花を咲かせるもの、食べるとおいしいもの、
食べると健康になるものなど、それぞれが役割を持って
生まれてきているのは間違いないでしょう。
そうした生き物の種として、人間に食べられたくない、
貢献したくないと思っている動物の場合には、
肉が不味くなったり、毒を持ったり身体に悪いような身体になっていきます。
魂としてそうした傾向があると、肉体にも影響してきて、
食べられないような身体になっていくようです。
家畜の肉が人間たちに好まれるのも、
やはりそこに種として食べられることを良しとする思いがあるからこそ、
美味しいものに変化していったはずです。
もちろん個々には食べられたくない
という自己生存欲は各自が持っているでしょうが、
種としてトータルで見ると食べられることを受け入れているといえます。
その生き物の魂が持っている役割意識が、
生命としての肉体に変化をもたらしていって、
各々に相応しい命になっていったといえます。
人間の健康に貢献したいという意識を持った植物の魂は、
やがて肉体が変化していって、漢方薬使われるような植物になっていったり、
ハーブのような植物に変わっていったという歴史があるでしょう。
家畜たちも同じように、人間に食べられることで活動源となり、
美味しさを感じて、健康に貢献するという思いが、
美味しい肉を作り出していったのです。
もしも彼らが人間には絶対に食べられたくないと念じていったなら、
身体に毒を生じてきて、食べたら人間が倒れてしまうように
なっていたはずです。
そうならないのは、食べていただくことが
彼らとしての使命を果たしていることになっているからです。
私たちは感謝してそれを受け、
彼らの犠牲を無駄にしない生き方を心がける事が必要なのだと思います。
(https://www.spacebrothers.jp/2020/07/blog-post_6.html)
<感謝合掌 令和3年3月6日 頓首再拝>
肉類は全食量の 1/8 を適量とする - 伝統
2021/03/14 (Sun) 02:18:34
*「光明道中記」(3月14日《自然を拝む日》)より抜粋
【不健康は自然の生命の流れが何かの不自然で塞がれたことである。(『百事如意』)】
人間を造ったのは「自然」である。
自然を静かに観察する時は、何が生命を活(い)かすものであり、
何が生命を抑えるものであるかが判る。
(中略)
歯の形を見よ。
人間は何を食する生物であるか。
門歯8枚は菜食動物の歯、犬歯(けんし)4枚は肉食動物の歯、
残り20枚は臼歯(きゅうし)であって
穀食を搗(つ)きくだくように設計せられている。
人間は菜食が好いか肉食が好いかは、自然を観察すれば好い。
32枚の歯のうち4枚だけが肉食の歯であるから、
肉類は全食量の 1/8 を適量とする。
<感謝合掌 令和3年3月14日 頓首再拝>
人間はその食するところの食物に似る - 伝統
2021/03/15 (Mon) 04:01:38
*「光明道中記」(3月15日《待人来る日》)より
【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。
此(この)法則で運命が形成される。 (『生命の實相』第一巻)】
ドイツの諺には「人間はその食するところの食物に似る」と云うのがある。
日本でも石塚食養法の石塚左玄氏は此の説をとなえて、
その食養法もそれによって指定せられていたのである。
ドイツでは生人参(なまにんじん)を食べると美しい歯と顔色になり、
蔓条(すじ)を追うて薯(いも)を作って行く馬鈴薯は推理力を、
その蔓(つる)の曲線美が芸術的である蔓豆は芸術的能力を発達させると言っている。
そこで人参を多く食するロシア農民は歯が非常に美しく顔色が人参色をしている。
馬鈴薯を小麦の代りに食べているドイツ人は世界一の哲学者科学者などを輩出している。
石塚氏は目の形が食物の形に似る事を事実を以て指摘した。
麦を常食とする人の目は麦粒の形をしており、米を常食とする人の目は米粒の形に
切れていると言って、その典型的な写真をその著書に掲げた事がある。
藷(いも)類を多食すると、手足が大きく伸びるのは藷そのものが
手足を伸ばして伸びて行くものだからだろうか。
藷は横にのびるものであるから、それを多食する者は正坐が下手であって
ごろごろと転がるものが好きである。
米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように殖えるのである。
日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。
「実るほど頭のさがる稲穂かな」。
<感謝合掌 令和3年3月15日 頓首再拝>
類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」 - 伝統
2021/03/16 (Tue) 01:58:19
*「光明道中記」(3月16日《「寂(さ)び」を知る日》)より抜粋
【教育とは本人の内に宿る天分を引き出すことである。(『生命の實相』第七巻)】
類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」
執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、欲深き者である。
日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの
―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)の如き背の青き魚、
鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、
その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる時には、
皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。
生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。
<感謝合掌 令和3年3月16日 頓首再拝>
吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべき - 伝統
2021/03/17 (Wed) 04:43:59
*「光明道中記」(3月17日《人(ひと)相応(そうおう)を知る日》)より
【教育とは引き出すこと。(『生命の實相』第七巻)】
「人はその食に似る」と言えば如何にも唯物論的に考えられる。
人間が食べるところの「物」に似ると云うのであれば「物」が主となり、
人間が従になって了う。
併し更に深く考えて見ると、
「物」は本来自性(じしょう)なく、「物、物に非ず」である。
それが或る一定の形状、色彩、性質を有すると云うことは、
それはその「物」の内部に、その形状、色彩、性質に対応するところの
心の波が存在していることを現わしているのである。
例えば吾々が顔を赧(あか)くするならば、
顔は物質であって、自性なく、自分の力で赧(あか)くはならない、
何か赧(あか)くなるところの心の波が内部に起るときに
顔が赧(あか)くなるのである。
それと同じく或る植物が或る一定の形状をしていると云うことは、
その植物の内部に動いている心の波が、
そう云う形をもって象徴(しるし)となし得るような相(すがた)で
波打っているのである。
草花の美しさは十七八歳の少女の羞じらう感じを与える
―― そしてその草花は生殖のために蝶(ちょう)を招んでいるではないか。
やっぱり、形は心の影だ。
そうすれば吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである。
人間自身に内在する諸種の潜在的性質のうちから、
その食物に内在する心の波が「共鳴」の原理によって、
その同種のものだけを表面に引出すからである。
<感謝合掌 令和3年3月17日 頓首再拝>
数代に亙(わた)って肉食生活が続くと、肉食獣に似て来るという事実 - 伝統
2021/03/19 (Fri) 02:34:56
*「光明道中記」(3月19日《人格完成の日》)より
【教育の目的は完全なる人格の養成にある。(『生命の實相』第十三巻)】
実際、肉食を多くする人間は、それが数代に亙(わた)って続くときは
人間の骨格、歯の形状さえも肉食獣に似て来るのは事実である。
近頃の若い人たちは外側の門歯4本が犬歯のように尖っている人が可成り多い。
下顎が発達して横に広がり、下顎の蝶番(ちょうつがい)の支点から力点までの
距離が短く、強靭なる肉を前歯で噛むのに力の節約が出来る設計になる。
その結果、平安朝や元禄時代の面長の瓜実顔(うりざねがお)の
上品にも優美な顔は少なくなって顎が横広がりである円顔が多くなる。
所謂近代的美人が円顔であるのは、人間の形態が、その食物の結果、
羊や馬のような草食的従順形態から、ライオンや虎や猫のような
肉食的攻撃形態に移ったことを示している。
その肉食動物は表面媚び優しく装(よそお)いて、
(猫やライオンや虎などの外装の毛皮の如何に優美なるかを見よ)
油断を見て跳(と)びかかって相手の死命を制するのである。
正々堂々と働かずに、猫撫で声の如き外交をもって
人の膝に登りつき他の寵(ちょう)を得る。
牛馬の如き草食的従順形態は、外面を飾らず、猫撫で声も出さず、
その装いも美しく飾らず、
ただ営々と努力を持って世のために自己を献(ささ)げて働くのである。
<感謝合掌 令和3年3月19日 頓首再拝>
食べ物の性質が、類似の性質を人間から引き出す - 伝統
2021/03/20 (Sat) 03:19:03
*「光明道中記」(3月20日《根気の良くなる日》)より
【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】
植物食の中でも色々の食物がある。
その食物の中に内在する「心的存在(こころのなみ)」は
その植物の性質(こころ)だけの相異である。
速やかに成長して速やかに腐敗し枯死するような植物には、
その通りの心がある。
そいう「心」を含んでいる食物を食すれば、吾々の神の子としての自覚が
積極的に相手を支配しない限り、自分が受動的である限り、
速やかに伸びて持続性のない性質が引き出される。
(悟って超越すれば別である)
類似のものが類似のものを引き出すのである。
昆布、大根、蒟蒻(こんにゃく)、蓮根(れんこん)などの
「コン」の名の附く食物は
「根気」をよくし、持続性を強める。
これは言葉の類似による「類は類を呼ぶ」心の法則の応用である。
牛蒡(ごぼう)などは一以て貫く精神のあらわれとして、
食すれば終始一貫持続性を強める。
伸びるばかりで自分ひとりで立つことの出来ない瓜類、蔓藷(つるいも)類などは
引締る力のないものとして、引締る力のある塩気を強く鹹(しおから)くして
食すべきである。
塩気は物を引締るから肉類などを鹹(しおから)くすると硬くなりすぎる。
万物は陰陽で保つ。求心力と遠心力である。
塩気は求心力、霊の力であり、
水気は遠心力 ―― ぶよぶよと膨れて外にひろがる力である。
家庭にも食物にも調和が必要である。
(以上、石塚食養法の理論)
<感謝合掌 令和3年3月20日 頓首再拝>
遠心・求心を考慮して調理した食物を - 伝統
2021/03/21 (Sun) 02:55:43
*「光明道中記」(3月21日《実相展(ひら)いて現象整う日》)より
【心が交わらないなら、肉体が交じり合って何の夫婦のまじわりでありましょうぞ。
(『生命の實相』第二十巻)】
肉は焼けば縮まる、求心性の強いものであるからである。
餅は焼けば膨れる、遠心性のあるものだからである。
更に砂糖の乾餅(かきもち)は焼けば随分と大きく伸びる。
遠心性のものに遠心性のものを重複追加したからである。
肉は塩漬けにして焼けば益々縮まって硬く不味(まず)くなる。
求心性のものに求心性のものを重複追加したからである。
肉は淡(うす)く塩気を与え、砂糖を加えて甘味多くして食すれば美味である。
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和である。
太陽は光を放ち、地球は光を吸収する。
遠心性と求心性との調和である。
其の調和の中から万物が生まれるのである。
肉食を主にしている西洋人が砂糖を多食するのは余りに害はない。
それは求心性の肉と遠心性の砂糖が調和するからである。
焼けばふくれる遠心性を其の内部力として包蔵する米を常食としながら、
徒(いたずら)に西洋の食習慣を輸入して、同じく遠心性の砂糖を過食する
ところに弊害があるのである。
遠心性を其の内部力として包蔵する食物を偏して食せば、
遠心性を中に空(うつ)ろにするが故に、内部が空ろになる筈である――
それは大阪医大の片瀬淡教授が実験せる砂糖過食の酸性血液症が
骨の成分が溶解して骨が軽石状になった実験に相照応する。
<感謝合掌 令和3年3月21日 頓首再拝>
《平和論と殺生食について》 - 伝統
2021/09/29 (Wed) 04:59:18
*『 生長の家 』(昭和43年7月26日の法語)より
牛を屠殺場へ曳いて行くときには、何となくそれを感じて牛も涙をこぼす
ということを私はきいたことがある。
私は『生命の實相』の本の中でアメリカの屠牛場の悲惨な光景を書き、
トルストイの菜食論を紹介した。これを読む人がひとりでも多く、
肉食の残虐行為から遠離せられんことを希望したからである。
仏教は因果を説く、殺生を十不善の第一誡においてゐるのである。
そして原因あれば結果は循環して来ることを説くのが仏教である。
殺すものは殺されるのである。
人類が動物食を續行し、殺生という悪徳の上に人類だけが繁栄しようと思って、
いくら平和論を説いても、それは自己の殺生欲をくらます胡魔化しに
過ぎないのである。
平和論を為すもの、本当に平和を欲するならば
肉食という殺生食をやめる事からはじめなければならないのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4340
<感謝合掌 令和3年9月29日 頓首再拝>
食を正す - 伝統
2021/11/17 (Wed) 04:54:37
*「光明道中記」(11月17日《鶏卵礼讃を止める日》)より
【汝等何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ。(『生命の實相』第一巻)】
鶏の飼料の値段が昂騰しているのに鶏卵は
生産過剰で価格が低落して副業農家は赤字で悩んでいるとの事である。
幼少期には鶏卵は発育促進にバランスを得た栄養成分をもつのであるから
大いに食べて農家の経済を補ってあげるがよい。
何しろ1個の卵殻の中にある成分だけで、
雛鳥の骨格も筋肉も内臓も脳髄も生成するだけの成分が
揃っているのだからである。
併し病人や老人にとっては、あまり推奨し得る食物ではない。
それはその成分にコレステロールが含まれているからである。
コレステロールは老人に於ては血管壁に沈着して血管の硬化し、
高血圧や、脳出血の原因になる。
病人にとっては消化不良では醗酵性下痢を起すことがある。
鶏卵は柔らかいから病人の食用として消化が好いなどと
思っていると全然その反対である。
人間は「何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ」が生長の家の主張である。
鶏卵食を摂(と)らなければ、また何々食を摂らなければ
病人や虚弱者に栄養が摂れないなどと思うなというのである。
鶏卵以外の普通の食物にもっと栄養の多いものがザラにあり、
外見は硬くとも、硬い食物繊維が胃腸を刺激して消化液の分泌を促進する。
鶏卵を食するなら硬く茹でた方が生卵よりもよく消化する。
鳩や鶏は消化を促進する刺激剤として瓦礫や貝殻を食したりする。
<感謝合掌 令和3年11月17日 頓首再拝>
日本的食物に目覚める日 - 伝統
2021/11/19 (Fri) 04:47:30
*「光明道中記」(11月18日)より
【自然は生命の源泉である。(『百事如意』)】
日本人の体位低下は、西洋人の健康増進法を直輸入したところに原因していることを
気付かぬ人が多いのは残念である。
同じ人間のようでも西洋人の健康食物と日本人の健康食物とは異なるのである。
生物の食物は、其処に生まれた周囲に生じている食物を食べるのが適食である。
同じ芋虫だと言って大根に出来た芋虫は大根の葉を食って最も生長する。
蚕は桑の葉に生じた芋虫であるから大根を食わせたら死んでしまうであろう。
西洋人と日本人との相異は、その出生せる場所が異なるから、
桑に出来た芋虫と、大根に出来た芋虫との食物の相異のように、
人間の食物も相異しなければならぬ。
日本人に西洋的食餌を押付けるのは、蚕に大根葉を食わせるのと同じである。
体位が低下し虚弱になるは、そのまま素直(与えられた場所のもの)を失って、
何を食い何を飲まんと思い煩(わずら)ったからである。
三韓征伐時代の日本人は西洋人の食物を全然食しないで
純粋の日本食で玄米を食していたから、
その体躯はいまよりもズッと骨太であった。
当時の軍刀などはあまりに長身で現在の日本人はそれを引き抜くことすら困難である。
また重量も非常に重く到底現在の日本人には自由に振舞わしかねるものである。
<感謝合掌 令和3年11月19日 頓首再拝>
身土不二の真理を悟る - 伝統
2021/11/20 (Sat) 04:55:18
*「光明道中記」(11月19日)より
【消化吸収とは食べた物を「人間自身」に変化してしまうことである。
(『生命の實相』第六巻))】
台湾の水牛は台湾産の稲藁(いねわら)を食うが、
日本産の稲藁を与えても食わないと云うことを
台湾から来た人に聴いたことがある。
人間から見れば産地が異なっても同じ稲藁に見えるけれども、
動物は本能が発達しているから、
産地の相異による自分の食物としての適不適を知っているのである。
尤(もっと)も熱帯産米は幾分パサパサしていて日本人の嗜好に適しない。
何故パサパサするかと言うと、脂肪分が少いからである。
熱帯地に住む人間には身体を熱せしうむる脂肪分が不必要であるから、
自然は熱帯地米の脂肪分を減じているのである。
茲(ここ)にも大自然が観られる。
大自然の心は熱帯地に住む人には熱帯の産物を食せよ、
寒帯の人間には寒帯の食物を食せよと云うことである。
北海道その他、寒冷の地域に行くと
脂肪の多い鮭や鱒が河川を盛り上るように上って来る。
寒地の人間の食物としてあれほど身体を温める食物は他に多くないのである。
鮭や鱒は温帯の大多数の日本人には食用に供することは遠慮し、
緯度から言えば北海道と同じ又はその以北にあたる
ヨーロッパ方面に住む民族に輸出すべしである。
国際収支の上からも健康上からもこの方がよいのである。
魚も、果物も、成るべく自分の住む土地の附近に出来たものを食べるべし。
エネルギー危機の時代に輸送力の節約にもなる。
<感謝合掌 令和3年11月20日 頓首再拝>
正食に帰る日 - 伝統
2021/12/27 (Mon) 04:56:28
*「光明道中記」(11月20日)より
【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
(『生命の實相』第十四巻)】
国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。
砂糖の過食は、人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための
「何を食い何を飲まんと思う」
心の状態の反影としての不自然食である。
その不自然的害悪を成るべく避けるためには2つの方法がある。
成るべく自分の生活地の緯度の近いところで
産した砂糖を食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる
甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの
沖縄方面で採れる砂糖を食すべきである。
同一の形に見える砂糖でも霊妙な感覚で感ずるならば、
産地によって悉くその成分が異なるのである。
日本の精糖源は台湾、東南アジア、南米と段々日本を遠ざかって行くが、
日本の需要は出来るだけ、北は北海道の砂糖、
南は沖縄産の砂糖を以てする方が、日本人の健康食に敵(かな)う。
沖縄糖の中には精製工程が不完全で
手工業的製産で黒砂糖などを作っているとこともあるらしく、
それらは一層完全食として体位向上に適するものである。
菓子も「黒羊羹」のように黒砂糖のものの方が飽きが来ないのは、
成分が自然をそのままで平均しているからである。
自然が尊い。
<感謝合掌 令和3年12月27日 頓首再拝>
日本人はバターやクリームを避けたほうがいい - 伝統
2022/02/24 (Thu) 04:44:57
*メルマガ「川島 和正」(2022年02月23日)より
最近私は日本に滞在していて
ほとんど洋食を食べておらず、和食中心の生活をしています。
その結果、健康のことをあまり考えず
フレンチやイタリアンを食べまくっている時より
とても体調良く過ごせています。
これはなぜかということなのですが
多くの日本人は
バターやクリームなどベトベトした動物性脂肪を
消化する能力が低いからです。
日本人は明治になるまで
さっぱりあっさりしたものしか食べてこなかったため
そうではないベトベトな食べ物や激辛な食べ物を消化しにくいと
考えられるのです。
また、日本においては
1980年頃から大腸がんの数が右肩上がりで増えてきており
これもベトベトした動物性脂肪を取るようになったからと
言われています。
というわけで
あなたが、バターやクリームを意識していなかった場合、
これらを避けてみると体調が良くなるかもしれませんので
試してみることをお勧めします。
特に、うんちが便器にこびりつくほどベトベトの場合
腸内もかなりベトベトで体調不良や肌荒れや癌の原因に
なっているはずですので、
気を付けたほうがいいですね。
なお、欧米の論文では
乳製品が体にいいという結果が多いため
それを取り入れる日本人もいますが
人種が違うため、鵜呑みにするのは危険だと思います。
私は今ヨーロッパ人と暮らしていますが
私がバターをとると体調が悪くなる一方
内陸の民族だった彼女は
昆布の出汁やヒジキをとると体調が悪くなったりしますので
先祖によって体質は異なるなと日々実感しています。
<感謝合掌 令和4年2月24日 頓首再拝>
日本的食物に目覚める日 - 伝統
2022/11/18 (Fri) 07:52:26
*「光明道中記」(11月18日)より
【自然は生命の源泉である。(『百事如意』)】
日本人の体位低下は、
西洋人の健康増進法を直輸入したところに原因していることを
気付かぬ人が多いのは残念である。
同じ人間のようでも西洋人の健康食物と
日本人の健康食物とは異なるのである。
生物の食物は、
其処に生まれた周囲に生じている食物を食べるのが適食である。
同じ芋虫だと言って大根に出来た芋虫は大根の葉を食って最も生長する。
蚕は桑の葉に生じた芋虫であるから
大根を食わせたら死んでしまうであろう。
西洋人と日本人との相異は、その出生せる場所が異なるから、
桑に出来た芋虫と、大根に出来た芋虫との食物の相異のように、
人間の食物も相異しなければならぬ。
日本人に西洋的食餌を押付けるのは、
蚕に大根葉を食わせるのと同じである。
体位が低下し虚弱になるは、
そのまま素直(与えられた場所のもの)を失って、
何を食い何を飲まんと思い煩(わずら)ったからである。
三韓征伐時代の日本人は西洋人の食物を全然食しないで
純粋の日本食で玄米を食していたから、
その体躯はいまよりもズッと骨太であった。
当時の軍刀などはあまりに長身で
現在の日本人はそれを引き抜くことすら困難である。
また重量も非常に重く
到底現在の日本人には自由に振舞わしかねるものである。
<感謝合掌 令和4年11月18日 頓首再拝>
身土不二の真理を悟る - 伝統
2022/11/19 (Sat) 07:33:12
*「光明道中記」(11月19日)より
【消化吸収とは食べた物を「人間自身」に変化してしまうことである。
(『生命の實相』第六巻))】
台湾の水牛は台湾産の稲藁(いねわら)を食うが、
日本産の稲藁を与えても食わないと云うことを
台湾から来た人に聴いたことがある。
人間から見れば産地が異なっても同じ稲藁に見えるけれども、
動物は本能が発達しているから、
産地の相異による自分の食物としての適不適を知っているのである。
尤(もっと)も熱帯産米は幾分パサパサしていて日本人の嗜好に適しない。
何故パサパサするかと言うと、脂肪分が少いからである。
熱帯地に住む人間には身体を熱せしうむる脂肪分が不必要であるから、
自然は熱帯地米の脂肪分を減じているのである。
茲(ここ)にも大自然が観られる。
大自然の心は熱帯地に住む人には熱帯の産物を食せよ、
寒帯の人間には寒帯の食物を食せよと云うことである。
北海道その他、寒冷の地域に行くと
脂肪の多い鮭や鱒が河川を盛り上るように上って来る。
寒地の人間の食物としてあれほど身体を温める食物は他に多くないのである。
鮭や鱒は温帯の大多数の日本人には食用に供することは遠慮し、
緯度から言えば北海道と同じ又はその以北にあたる
ヨーロッパ方面に住む民族に輸出すべしである。
国際収支の上からも健康上からもこの方がよいのである。
魚も、果物も、成るべく自分の住む土地の附近に出来たものを食べるべし。
エネルギー危機の時代に輸送力の節約にもなる。
<感謝合掌 令和4年11月19日 頓首再拝>
正食に帰る日 - 伝統
2022/11/20 (Sun) 07:42:20
*「光明道中記」(11月20日)より
【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
(『生命の實相』第十四巻)】
国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。
砂糖の過食は、人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための
「何を食い何を飲まんと思う」
心の状態の反影としての不自然食である。
その不自然的害悪を成るべく避けるためには2つの方法がある。
成るべく自分の生活地の緯度の近いところで産した砂糖を
食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる
甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの
沖縄方面で採れる砂糖を食すべきである。
同一の形に見える砂糖でも霊妙な感覚で感ずるならば、
産地によって悉くその成分が異なるのである。
日本の精糖源は台湾、東南アジア、南米と段々日本を遠ざかって行くが、
日本の需要は出来るだけ、北は北海道の砂糖、南は沖縄産の砂糖を
以てする方が、日本人の健康食に敵(かな)う。
沖縄糖の中には精製工程が不完全で手工業的製産で
黒砂糖などを作っているとこともあるらしく、
それらは一層完全食として体位向上に適するものである。
菓子も「黒羊羹」のように黒砂糖のものの方が飽きが来ないのは、
成分が自然をそのままで平均しているからである。
自然が尊い。
<感謝合掌 令和4年11月20日 頓首再拝>
肉類は全食量の 1/8 を適量とする - 伝統
2023/03/14 (Tue) 05:09:08
*「光明道中記」(3月14日《自然を拝む日》)より抜粋
【不健康は自然の生命の流れが何かの不自然で塞がれたことである。
(『百事如意』)】
歯の形を見よ。
人間は何を食する生物であるか。
門歯8枚は菜食動物の歯、犬歯(けんし)4枚は肉食動物の歯、
残り20枚は臼歯(きゅうし)であって
穀食を搗(つ)きくだくように設計せられている。
人間は菜食が好いか肉食が好いかは、自然を観察すれば好い。
32枚の歯のうち4枚だけが肉食の歯であるから、
肉類は全食量の 1/8 を適量とする。
<感謝合掌 令和5年3月14日 頓首再拝>
食によって、姿形・性質が形成される - 伝統
2023/03/15 (Wed) 05:07:11
*「光明道中記」(3月15日《待人来る日》)より
【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。
此(この)法則で運命が形成される。(『生命の實相』第一巻)】
ドイツの諺には「人間はその食するところの食物に似る」と云うのがある。
日本でも石塚食養法の石塚左玄氏は此の説をとなえて、
その食養法もそれによって指定せられていたのである。
ドイツでは生人参(なまにんじん)を食べると美しい歯と顔色になり、
蔓条(すじ)を追うて薯(いも)を作って行く馬鈴薯は推理力を、
その蔓(つる)の曲線美が芸術的である蔓豆は芸術的能力を発達させると言っている。
そこで人参を多く食するロシア農民は歯が非常に美しく顔色が人参色をしている。
馬鈴薯を小麦の代りに食べているドイツ人は世界一の哲学者科学者などを輩出している。
石塚氏は目の形が食物の形に似る事を事実を以て指摘した。
麦を常食とする人の目は麦粒の形をしており、米を常食とする人の目は米粒の形に
切れていると言って、その典型的な写真をその著書に掲げた事がある。
藷(いも)類を多食すると、手足が大きく伸びるのは藷そのものが
手足を伸ばして伸びて行くものだからだろうか。
藷は横にのびるものであるから、それを多食する者は正坐が下手であって
ごろごろと転がるものが好きである。
米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように殖えるのである。
日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。
「実るほど頭のさがる稲穂かな」。
<感謝合掌 令和5年3月15日 頓首再拝>
人はその食物に似る - 伝統
2023/03/16 (Thu) 04:17:15
*「光明道中記」(3月16日《「寂(さ)び」を知る日》)より
【教育とは本人の内に宿る天分を引き出すことである。(『生命の實相』第七巻)】
日本人は鯛を目出たいと言うが、西洋人は鯛を不潔な魚であり
掃除夫(スカベンジャー)だと言って食べない。
鯛は死骸でも腐肉でも何でも海中の不浄物を食して、
海中を掃除する役目をすると信じられているからである。
西洋人は日本人が生臭いとして上品な食物でないとしている鰊(にしん)、鰯(いわし)、
鮭などのようなものを賞美する。類は類を招き合う、
西洋人は一言にして言えば生臭い人種である。
第一体臭が非常に強い。
その文化も生まであって、悪どくて、「寂び」の味いがない。
「寂び」の味わいを知る者は日本民族のみである。
吾々は世界一の執着なき国民である。
味いも淡々たる物が好まれるがために、鯛の如き濃厚ならざる食物が賞美せられる。
日本人を侵略民族のように思うのは日本人を知らざる者である。
類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」
執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、欲深き者である。
日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの
―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)の如き背の青き魚、
鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、
その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる時には、
皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。
生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。
<感謝合掌 令和5年3月16日 頓首再拝>
形が善き性質を表現する食物を食べるべきである - 伝統
2023/03/17 (Fri) 05:02:56
*「光明道中記」(3月17日《人(ひと)相応(そうおう)を知る日》)より
【教育とは引き出すこと。(『生命の實相』第七巻)】
「人はその食に似る」と言えば如何にも唯物論的に考えられる。
人間が食べるところの「物」に似ると云うのであれば「物」が主となり、
人間が従になって了う。
併し更に深く考えて見ると、
「物」は本来自性(じしょう)なく、「物、物に非ず」である。
それが或る一定の形状、色彩、性質を有すると云うことは、
それはその「物」の内部に、その形状、色彩、性質に対応するところの
心の波が存在していることを現わしているのである。
例えば吾々が顔を赧(あか)くするならば、
顔は物質であって、自性なく、自分の力で赧(あか)くはならない、
何か赧(あか)くなるところの心の波が内部に起るときに
顔が赧(あか)くなるのである。
それと同じく或る植物が或る一定の形状をしていると云うことは、
その植物の内部に動いている心の波が、
そう云う形をもって象徴(しるし)となし得るような相(すがた)で
波打っているのである。
草花の美しさは十七八歳の少女の羞じらう感じを与える
―― そしてその草花は生殖のために蝶(ちょう)を招んでいるではないか。
やっぱり、形は心の影だ。
そうすれば吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである。
人間自身に内在する諸種の潜在的性質のうちから、
その食物に内在する心の波が「共鳴」の原理によって、
その同種のものだけを表面に引出すからである。
<感謝合掌 令和5年3月17日 頓首再拝>
肉食を多くする人間は、肉食獣に似て来る - 伝統
2023/03/19 (Sun) 05:00:00
*「光明道中記」(3月19日《人格完成の日》)より
【教育の目的は完全なる人格の養成にある。(『生命の實相』第十三巻)】
実際、肉食を多くする人間は、それが数代に亙(わた)って続くときは
人間の骨格、歯の形状さえも肉食獣に似て来るのは事実である。
近頃の若い人たちは外側の門歯4本が犬歯のように尖っている人が可成り多い。
下顎が発達して横に広がり、下顎の蝶番(ちょうつがい)の支点から力点までの
距離が短く、
強靭なる肉を前歯で噛むのに力の節約が出来る設計になる。
その結果、平安朝や元禄時代の面長の瓜実顔(うりざねがお)の上品にも優美な顔は
少なくなって顎が横広がりである円顔が多くなる。
所謂近代的美人が円顔であるのは、人間の形態が、その食物の結果、
羊や馬のような草食的従順形態から、ライオンや虎や猫のような
肉食的攻撃形態に移ったことを示している。
その肉食動物は表面媚び優しく装(よそお)いて、
(猫やライオンや虎などの外装の毛皮の如何に優美なるかを見よ)
油断を見て跳(と)びかかって相手の死命を制するのである。
正々堂々と働かずに、猫撫で声の如き外交をもって
人の膝に登りつき他の寵(ちょう)を得る。
牛馬の如き草食的従順形態は、外面を飾らず、猫撫で声も出さず、
その装いも美しく飾らず、
ただ営々と努力を持って世のために自己を献(ささ)げて働くのである。
<感謝合掌 令和5年3月19日 頓首再拝>
類似のものが類似のものを引き出す - 伝統
2023/03/20 (Mon) 05:03:27
*「光明道中記」(3月20日《根気の良くなる日》)より
【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】
植物食の中でも色々の食物がある。
その食物の中に内在する「心的存在(こころのなみ)」は
その植物の性質(こころ)だけの
相異である。
速やかに成長して速やかに腐敗し枯死するような植物には、その通りの心がある。
そいう「心」を含んでいる食物を食すれば、吾々の神の子としての自覚が
積極的に相手を支配しない限り、自分が受動的である限り、
速やかに伸びて持続性のない性質が引き出される。
(悟って超越すれば別である)
類似のものが類似のものを引き出すのである。
昆布、大根、蒟蒻(こんにゃく)、蓮根(れんこん)などの
「コン」の名の附く食物は「根気」をよくし、持続性を強める。
これは言葉の類似による「類は類を呼ぶ」心の法則の応用である。
牛蒡(ごぼう)などは一以て貫く精神のあらわれとして、
食すれば終始一貫持続性を強める。
伸びるばかりで自分ひとりで立つことの出来ない瓜類、蔓藷(つるいも)類などは
引締る力のないものとして、引締る力のある塩気を強く鹹(しおから)くして
食すべきである。
塩気は物を引締るから肉類などを鹹(しおから)くすると硬くなりすぎる。
万物は陰陽で保つ。求心力と遠心力である。
塩気は求心力、霊の力であり、
水気は遠心力 ―― ぶよぶよと膨れて外にひろがる力である。
家庭にも食物にも調和が必要である。
(以上、石塚食養法の理論)
<感謝合掌 令和5年3月20日 頓首再拝>
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和の食 - 伝統
2023/03/21 (Tue) 05:05:32
*「光明道中記」(3月21日)より
~実相展(ひら)いて現象整う日
【心が交わらないなら、肉体が交じり合って何の夫婦のまじわりでありましょうぞ。
(『生命の實相』第二十巻)】
肉は焼けば縮まる、求心性の強いものであるからである。
餅は焼けば膨れる、遠心性のあるものだからである。
更に砂糖の乾餅(かきもち)は焼けば随分と大きく伸びる。
遠心性のものに遠心性のものを重複追加したからである。
肉は塩漬けにして焼けば益々縮まって硬く不味(まず)くなる。
求心性のものに求心性のものを重複追加したからである。
肉は淡(うす)く塩気を与え、砂糖を加えて甘味多くして食すれば美味である。
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和である。
太陽は光を放ち、地球は光を吸収する。
遠心性と求心性との調和である。
其の調和の中から万物が生まれるのである。
肉食を主にしている西洋人が砂糖を多食するのは余りに害はない。
それは求心性の肉と遠心性の砂糖が調和するからである。
焼けばふくれる遠心性を其の内部力として包蔵する米を常食としながら、
徒(いたずら)に西洋の食習慣を輸入して、同じく遠心性の砂糖を過食する
ところに弊害があるのである。
遠心性を其の内部力として包蔵する食物を偏して食せば、
遠心性を中に空(うつ)ろにするが故に、内部が空ろになる筈である――
それは大阪医大の片瀬淡教授が実験せる砂糖過食の酸性血液症が
骨の成分が溶解して骨が軽石状になった実験に相照応する。
<感謝合掌 令和5年3月21日 頓首再拝>
鶏卵礼讃を止める日 - 伝統
2023/11/17 (Fri) 09:48:52
*「光明道中記」(11月17日)より
【汝等何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ。(『生命の實相』第一巻)】
鶏の飼料の値段が昂騰しているのに鶏卵は
生産過剰で価格が低落して副業農家は赤字で悩んでいるとの事である。
幼少期には鶏卵は発育促進にバランスを得た栄養成分をもつのであるから
大いに食べて農家の経済を補ってあげるがよい。
何しろ1個の卵殻の中にある成分だけで雛鳥の骨格も筋肉も内臓も
脳髄も生成するだけの成分が揃っているのだからである。
併し病人や老人にとっては、あまり推奨し得る食物ではない。
それはその成分にコレステロールが含まれているからである。
コレステロールは老人に於ては血管壁に沈着して血管の硬化し、
高血圧や、脳出血の原因になる。
病人にとっては消化不良では醗酵性下痢を起すことがある。
鶏卵は柔らかいから病人の食用として消化が好いなどと
思っていると全然その反対である。
人間は「何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ」が生長の家の主張である。
鶏卵食を摂(と)らなければ、また何々食を摂らなければ
病人や虚弱者に栄養が摂れないなどと思うなというのである。
鶏卵以外の普通の食物にもっと栄養の多いものがザラにあり、
外見は硬くとも、硬い食物繊維が胃腸を刺激して消化液の分泌を促進する。
鶏卵を食するなら硬く茹でた方が生卵よりもよく消化する。
鳩や鶏は消化を促進する刺激剤として瓦礫や貝殻を食したりする。
<感謝合掌 令和5年11月17日 頓首再拝>
日本的食物に目覚める日 - 伝統
2023/11/18 (Sat) 09:51:26
*「光明道中記」(11月18日)より
【自然は生命の源泉である。(『百事如意』)】
日本人の体位低下は、西洋人の健康増進法を直輸入したところに
原因していることを気付かぬ人が多いのは残念である。
同じ人間のようでも西洋人の健康食物と
日本人の健康食物とは異なるのである。
生物の食物は、
其処に生まれた周囲に生じている食物を食べるのが適食である。
同じ芋虫だと言って大根に出来た芋虫は大根の葉を食って最も生長する。
蚕は桑の葉に生じた芋虫であるから大根を食わせたら死んでしまうであろう。
西洋人と日本人との相異は、その出生せる場所が異なるから、
桑に出来た芋虫と、大根に出来た芋虫との食物の相異のように、
人間の食物も相異しなければならぬ。
日本人に西洋的食餌を押付けるのは、蚕に大根葉を食わせるのと同じである。
体位が低下し虚弱になるは、そのまま素直(与えられた場所のもの)を失って、
何を食い何を飲まんと思い煩(わずら)ったからである。
三韓征伐時代の日本人は西洋人の食物を全然食しないで
純粋の日本食で玄米を食していたから、
その体躯はいまよりもズッと骨太であった。
当時の軍刀などはあまりに長身で
現在の日本人はそれを引き抜くことすら困難である。
また重量も非常に重く到底現在の日本人には自由に振舞わしかねるものである。
<感謝合掌 令和5年11月18日 頓首再拝>
身土不二の真理を悟る - 伝統
2023/11/19 (Sun) 11:18:12
*「光明道中記」(11月19日)より
【消化吸収とは食べた物を「人間自身」に変化してしまうことである。
(『生命の實相』第六巻))】
台湾の水牛は台湾産の稲藁(いねわら)を食うが、
日本産の稲藁を与えても食わないと云うことを
台湾から来た人に聴いたことがある。
人間から見れば産地が異なっても同じ稲藁に見えるけれども、
動物は本能が発達しているから、
産地の相異による自分の食物としての適不適を知っているのである。
尤(もっと)も熱帯産米は幾分パサパサしていて日本人の嗜好に適しない。
何故パサパサするかと言うと、脂肪分が少いからである。
熱帯地に住む人間には身体を熱せしうむる脂肪分が不必要であるから、
自然は熱帯地米の脂肪分を減じているのである。
茲(ここ)にも大自然が観られる。
大自然の心は
熱帯地に住む人には熱帯の産物を食せよ、
寒帯の人間には寒帯の食物を食せよと云うことである。
北海道その他、寒冷の地域に行くと
脂肪の多い鮭や鱒が河川を盛り上るように上って来る。
寒地の人間の食物としてあれほど身体を温める食物は
他に多くないのである。
鮭や鱒は温帯の大多数の日本人には食用に供することは遠慮し、
緯度から言えば北海道と同じ又はその以北にあたるヨーロッパ方面に
住む民族に輸出すべしである。
国際収支の上からも健康上からもこの方がよいのである。
魚も、果物も、成るべく自分の住む土地の附近に出来たものを食べるべし。
エネルギー危機の時代に輸送力の節約にもなる。
<感謝合掌 令和5年11月19日 頓首再拝>
正食に帰る日 - 伝統
2023/11/20 (Mon) 09:05:06
*「光明道中記」(11月20日)より
【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
(『生命の實相』第十四巻)】
国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。
砂糖の過食は、人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための
「何を食い何を飲まんと思う」
心の状態の反影としての不自然食である。
その不自然的害悪を成るべく避けるためには2つの方法がある。
成るべく自分の生活地の緯度の近いところで産した砂糖を食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの沖縄方面で採れる砂糖を
食すべきである。
同一の形に見える砂糖でも霊妙な感覚で感ずるならば、
産地によって悉くその成分が異なるのである。
日本の精糖源は台湾、東南アジア、南米と段々日本を遠ざかって行くが、
日本の需要は出来るだけ、
北は北海道の砂糖、南は沖縄産の砂糖を以てする方が、
日本人の健康食に敵(かな)う。
沖縄糖の中には精製工程が不完全で手工業的製産で黒砂糖などを
作っているとこともあるらしく、
それらは一層完全食として体位向上に適するものである。
菓子も「黒羊羹」のように黒砂糖のものの方が飽きが来ないのは、
成分が自然をそのままで平均しているからである。
自然が尊い。
<感謝合掌 令和5年11月20日 頓首再拝>
食によって、姿形・性質が形成される - 伝統
2024/03/15 (Fri) 09:30:34
*「光明道中記」(3月15日《待人来る日》)より
【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。
此(この)法則で運命が形成される。(『生命の實相』第一巻)】
ドイツの諺には「人間はその食するところの食物に似る」と云うのがある。
日本でも石塚食養法の石塚左玄氏は此の説をとなえて、
その食養法もそれによって指定せられていたのである。
ドイツでは生人参(なまにんじん)を食べると美しい歯と顔色になり、
蔓条(すじ)を追うて薯(いも)を作って行く馬鈴薯は推理力を、
その蔓(つる)の曲線美が芸術的である蔓豆は芸術的能力を発達させると言っている。
そこで人参を多く食するロシア農民は歯が非常に美しく顔色が人参色をしている。
馬鈴薯を小麦の代りに食べているドイツ人は世界一の哲学者科学者などを輩出している。
石塚氏は目の形が食物の形に似る事を事実を以て指摘した。
麦を常食とする人の目は麦粒の形をしており、米を常食とする人の目は米粒の形に
切れていると言って、その典型的な写真をその著書に掲げた事がある。
藷(いも)類を多食すると、手足が大きく伸びるのは藷そのものが
手足を伸ばして伸びて行くものだからだろうか。
藷は横にのびるものであるから、それを多食する者は正坐が下手であって
ごろごろと転がるものが好きである。
米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように殖えるのである。
日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。
「実るほど頭のさがる稲穂かな」。
<感謝合掌 令和6年3月15日 頓首再拝>
人はその食物に似る - 伝統
2024/03/16 (Sat) 09:20:07
*「光明道中記」(3月16日《「寂(さ)び」を知る日》)より
【教育とは本人の内に宿る天分を引き出すことである。(『生命の實相』第七巻)】
日本人は鯛を目出たいと言うが、西洋人は鯛を不潔な魚であり
掃除夫(スカベンジャー)だと言って食べない。
鯛は死骸でも腐肉でも何でも海中の不浄物を食して、
海中を掃除する役目をすると信じられているからである。
西洋人は日本人が生臭いとして上品な食物でないとしている鰊(にしん)、鰯(いわし)、
鮭などのようなものを賞美する。類は類を招き合う、
西洋人は一言にして言えば生臭い人種である。
第一体臭が非常に強い。
その文化も生まであって、悪どくて、「寂び」の味いがない。
「寂び」の味わいを知る者は日本民族のみである。
吾々は世界一の執着なき国民である。
味いも淡々たる物が好まれるがために、鯛の如き濃厚ならざる食物が賞美せられる。
日本人を侵略民族のように思うのは日本人を知らざる者である。
類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」
執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、欲深き者である。
日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの
―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)の如き背の青き魚、
鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、
その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる時には、
皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。
生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。
<感謝合掌 令和6年3月16日 頓首再拝>
吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである - 伝統
2024/03/17 (Sun) 12:06:15
*「光明道中記」(3月17日)より
~人(ひと)相応(そうおう)を知る日
【教育とは引き出すこと。(『生命の實相』第七巻)】
「人はその食に似る」と言えば如何にも唯物論的に考えられる。
人間が食べるところの「物」に似ると云うのであれば「物」が主となり、
人間が従になって了う。
併し更に深く考えて見ると、
「物」は本来自性(じしょう)なく、「物、物に非ず」である。
それが或る一定の形状、色彩、性質を有すると云うことは、
それはその「物」の内部に、その形状、色彩、性質に対応するところの
心の波が存在していることを現わしているのである。
例えば吾々が顔を赧(あか)くするならば、
顔は物質であって、自性なく、自分の力で赧(あか)くはならない、
何か赧(あか)くなるところの心の波が内部に起るときに顔が赧(あか)くなるのである。
それと同じく或る植物が或る一定の形状をしていると云うことは、
その植物の内部に動いている心の波が、
そう云う形をもって象徴(しるし)となし得るような相(すがた)で
波打っているのである。
草花の美しさは十七八歳の少女の羞じらう感じを与える
―― そしてその草花は生殖のために蝶(ちょう)を招んでいるではないか。
やっぱり、形は心の影だ。
そうすれば吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである。
人間自身に内在する諸種の潜在的性質のうちから、
その食物に内在する心の波が「共鳴」の原理によって、
その同種のものだけを表面に引出すからである。
<感謝合掌 令和6年3月17日 頓首再拝>
食が骨格を変え、人格をも変える - 伝統
2024/03/19 (Tue) 12:42:11
*「光明道中記」(3月19日《人格完成の日》)より
実際、肉食を多くする人間は、それが数代に亙(わた)って続くときは
人間の骨格、歯の形状さえも肉食獣に似て来るのは事実である。
近頃の若い人たちは外側の門歯4本が犬歯のように尖っている人が可成り多い。
下顎が発達して横に広がり、下顎の蝶番(ちょうつがい)の支点から力点までの
距離が短く、強靭なる肉を前歯で噛むのに力の節約が出来る設計になる。
その結果、平安朝や元禄時代の面長の瓜実顔(うりざねがお)の上品にも優美な顔は
少なくなって顎が横広がりである円顔が多くなる。
所謂近代的美人が円顔であるのは、人間の形態が、その食物の結果、
羊や馬のような草食的従順形態から、ライオンや虎や猫のような
肉食的攻撃形態に移ったことを示している。
その肉食動物は表面媚び優しく装(よそお)いて、
(猫やライオンや虎などの外装の毛皮の如何に優美なるかを見よ)
油断を見て跳(と)びかかって相手の死命を制するのである。
正々堂々と働かずに、猫撫で声の如き外交をもって
人の膝に登りつき他の寵(ちょう)を得る。
牛馬の如き草食的従順形態は、外面を飾らず、猫撫で声も出さず、
その装いも美しく飾らず、
ただ営々と努力を持って世のために自己を献(ささ)げて働くのである。
<感謝合掌 令和6年3月19日 頓首再拝>
食物にも調和が必要である - 伝統
2024/03/20 (Wed) 11:20:08
*「光明道中記」(3月20日)より
【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】
植物食の中でも色々の食物がある。
その食物の中に内在する「心的存在(こころのなみ)」は
その植物の性質(こころ)だけの
相異である。
速やかに成長して速やかに腐敗し枯死するような植物には、その通りの心がある。
そいう「心」を含んでいる食物を食すれば、吾々の神の子としての自覚が
積極的に相手を支配しない限り、自分が受動的である限り、
速やかに伸びて持続性のない性質が引き出される。
(悟って超越すれば別である)
類似のものが類似のものを引き出すのである。
昆布、大根、蒟蒻(こんにゃく)、蓮根(れんこん)などの「コン」の名の附く食物は
「根気」をよくし、持続性を強める。
これは言葉の類似による「類は類を呼ぶ」心の法則の応用である。
牛蒡(ごぼう)などは一以て貫く精神のあらわれとして、
食すれば終始一貫持続性を強める。
伸びるばかりで自分ひとりで立つことの出来ない瓜類、蔓藷(つるいも)類などは
引締る力のないものとして、引締る力のある塩気を強く鹹(しおから)くして
食すべきである。
塩気は物を引締るから肉類などを鹹(しおから)くすると硬くなりすぎる。
万物は陰陽で保つ。求心力と遠心力である。
塩気は求心力、霊の力であり、
水気は遠心力 ―― ぶよぶよと膨れて外にひろがる力である。
家庭にも食物にも調和が必要である。
(以上、石塚食養法の理論)
<感謝合掌 令和6年3月20日 頓首再拝>
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和の食 - 伝統
2024/03/21 (Thu) 10:57:59
*「光明道中記」(3月21日)より
~実相展(ひら)いて現象整う日
【心が交わらないなら、肉体が交じり合って何の夫婦のまじわりでありましょうぞ。
(『生命の實相』第二十巻)】
肉は焼けば縮まる、求心性の強いものであるからである。
餅は焼けば膨れる、遠心性のあるものだからである。
更に砂糖の乾餅(かきもち)は焼けば随分と大きく伸びる。
遠心性のものに遠心性のものを重複追加したからである。
肉は塩漬けにして焼けば益々縮まって硬く不味(まず)くなる。
求心性のものに求心性のものを重複追加したからである。
肉は淡(うす)く塩気を与え、砂糖を加えて甘味多くして食すれば美味である。
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和である。
太陽は光を放ち、地球は光を吸収する。
遠心性と求心性との調和である。
其の調和の中から万物が生まれるのである。
肉食を主にしている西洋人が砂糖を多食するのは余りに害はない。
それは求心性の肉と遠心性の砂糖が調和するからである。
焼けばふくれる遠心性を其の内部力として包蔵する米を常食としながら、
徒(いたずら)に西洋の食習慣を輸入して、同じく遠心性の砂糖を過食する
ところに弊害があるのである。
遠心性を其の内部力として包蔵する食物を偏して食せば、
遠心性を中に空(うつ)ろにするが故に、内部が空ろになる筈である――
それは大阪医大の片瀬淡教授が実験せる砂糖過食の酸性血液症が
骨の成分が溶解して骨が軽石状になった実験に相照応する。
<感謝合掌 令和6年3月21日 頓首再拝>
鶏卵礼讃を止める日 - 伝統
2024/11/17 (Sun) 11:54:52
*「光明道中記」(11月17日)より
【汝等何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ。(『生命の實相』第一巻)】
鶏の飼料の値段が昂騰しているのに鶏卵は
生産過剰で価格が低落して副業農家は赤字で悩んでいるとの事である。
幼少期には鶏卵は発育促進にバランスを得た栄養成分をもつのであるから
大いに食べて農家の経済を補ってあげるがよい。何しろ1個の卵殻の中にある成分だけで、
雛鳥の骨格も筋肉も内臓も脳髄も生成するだけの成分が揃っているのだからである。
併し病人や老人にとっては、あまり推奨し得る食物ではない。
それはその成分にコレステロールが含まれているからである。
コレステロールは老人に於ては血管壁に沈着して血管を硬化し、
高血圧や、脳出血の原因になる。
病人にとっては消化不良では醗酵性下痢を起すことがある。
鶏卵は柔らかいから病人の食用として消化が好いなどと思っていると全然その反対である。
人間は「何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ」が生長の家の主張である。
鶏卵食を摂(と)らなければ、また何々食を摂らなければ
病人や虚弱者に栄養が摂れないなどと思うなというのである。
鶏卵以外の普通の食物にもっと栄養の多いものがザラにあり、外見は硬くとも、
硬い食物繊維が胃腸を刺激して消化液の分泌を促進する。
鶏卵を食するなら硬く茹でた方が生卵よりもよく消化する。
鳩や鶏は消化を促進する刺激剤として瓦礫や貝殻を食したりする。
<感謝合掌 令和6年11月17日 頓首再拝>
日本的食物に目覚める日 - 伝統
2024/11/18 (Mon) 11:08:06
*「光明道中記」(11月18日)より
【自然は生命の源泉である。(『百事如意』)】
日本人の体位低下は、西洋人の健康増進法を直輸入したところに
原因していることを気付かぬ人が多いのは残念である。
同じ人間のようでも
西洋人の健康食物と日本人の健康食物とは異なるのである。
生物の食物は、
其処に生まれた周囲に生じている食物を食べるのが適食である。
同じ芋虫だと言って大根に出来た芋虫は
大根の葉を食って最も生長する。
蚕は桑の葉に生じた芋虫であるから
大根を食わせたら死んでしまうであろう。
西洋人と日本人との相異は、その出生せる場所が異なるから、
桑に出来た芋虫と、大根に出来た芋虫との食物の相異のように、
人間の食物も相異しなければならぬ。
日本人に西洋的食餌を押付けるのは、
蚕に大根葉を食わせるのと同じである。
体位が低下し虚弱になるは、
そのまま素直(与えられた場所のもの)を失って、
何を食い何を飲まんと思い煩(わずら)ったからである。
三韓征伐時代の日本人は西洋人の食物を全然食しないで
純粋の日本食で玄米を食していたから、
その体躯はいまよりもズッと骨太であった。
当時の軍刀などはあまりに長身で
現在の日本人はそれを引き抜くことすら困難である。
また重量も非常に重く到底現在の日本人には
自由に振舞わしかねるものである。
<感謝合掌 令和6年11月18日 頓首再拝>
身土不二の真理を悟る - 伝統
2024/11/19 (Tue) 10:45:47
*「光明道中記」(11月19日)より
【消化吸収とは食べた物を「人間自身」に変化してしまうことである。
(『生命の實相』第六巻))】
台湾の水牛は台湾産の稲藁(いねわら)を食うが、
日本産の稲藁を与えても食わないと
云うことを台湾から来た人に聴いたことがある。
人間から見れば産地が異なっても同じ稲藁に見えるけれども、
動物は本能が発達しているから、
産地の相異による自分の食物としての適不適を知っているのである。
尤(もっと)も熱帯産米は幾分パサパサしていて日本人の嗜好に適しない。
何故パサパサするかと言うと、脂肪分が少いからである。
熱帯地に住む人間には身体を熱せしうむる脂肪分が不必要であるから、
自然は熱帯地米の脂肪分を減じているのである。
茲(ここ)にも大自然が観られる。
大自然の心は熱帯地に住む人には熱帯の産物を食せよ、
寒帯の人間には寒帯の食物を食せよと云うことである。
北海道その他、寒冷の地域に行くと
脂肪の多い鮭や鱒が河川を盛り上るように上って来る。
寒地の人間の食物としてあれほど身体を温める食物は他に多くないのである。
鮭や鱒は温帯の大多数の日本人には食用に供することは遠慮し、
緯度から言えば北海道と同じ又はその以北にあたる
ヨーロッパ方面に住む民族に輸出すべしである。
国際収支の上からも健康上からもこの方がよいのである。
魚も、果物も、成るべく自分の住む土地の附近に出来たものを食べるべし。
エネルギー危機の時代に輸送力の節約にもなる。
<感謝合掌 令和6年11月19日 頓首再拝>
正食に帰る日 - 伝統
2024/11/20 (Wed) 10:56:35
*「光明道中記」(11月20日)より
【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
(『生命の實相』第十四巻)】
国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。
砂糖の過食は、人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための
「何を食い何を飲まんと思う」心の状態の反影としての不自然食である。
その不自然的害悪を成るべく避けるためには2つの方法がある。
成るべく自分の生活地の緯度の近いところで産した砂糖を食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの沖縄方面で採れる砂糖を食すべきである。
同一の形に見える砂糖でも霊妙な感覚で感ずるならば、
産地によって悉くその成分が異なるのである。
日本の精糖源は台湾、東南アジア、南米と段々日本を遠ざかって行くが、
日本の需要は出来るだけ、北は北海道の砂糖、南は沖縄産の砂糖を以てする方が、
日本人の健康食に敵(かな)う。
沖縄糖の中には精製工程が不完全で
手工業的製産で黒砂糖などを作っているとこともあるらしく、
それらは一層完全食として体位向上に適するものである。
菓子も「黒羊羹」のように黒砂糖のものの方が飽きが来ないのは、
成分が自然をそのままで平均しているからである。
自然が尊い。
<感謝合掌 令和6年11月20日 頓首再拝>
食によって、姿形・性質が形成される - 伝統
2025/03/15 (Sat) 09:44:53
*「光明道中記」(3月15日《待人来る日》)より
【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。
此(この)法則で運命が形成される。(『生命の實相』第一巻)】
ドイツの諺には「人間はその食するところの食物に似る」と云うのがある。
日本でも石塚食養法の石塚左玄氏は此の説をとなえて、
その食養法もそれによって指定せられていたのである。
ドイツでは生人参(なまにんじん)を食べると美しい歯と顔色になり、
蔓条(すじ)を追うて薯(いも)を作って行く馬鈴薯は推理力を、
その蔓(つる)の曲線美が芸術的である蔓豆は芸術的能力を発達させると言っている。
そこで人参を多く食するロシア農民は歯が非常に美しく顔色が人参色をしている。
馬鈴薯を小麦の代りに食べているドイツ人は世界一の哲学者科学者などを輩出している。
石塚氏は目の形が食物の形に似る事を事実を以て指摘した。
麦を常食とする人の目は麦粒の形をしており、米を常食とする人の目は米粒の形に
切れていると言って、その典型的な写真をその著書に掲げた事がある。
藷(いも)類を多食すると、手足が大きく伸びるのは藷そのものが
手足を伸ばして伸びて行くものだからだろうか。
藷は横にのびるものであるから、それを多食する者は正坐が下手であって
ごろごろと転がるものが好きである。
米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように殖えるのである。
日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。
「実るほど頭のさがる稲穂かな」。
<感謝合掌 令和7年3月15日 頓首再拝>
人はその食物に似る - 伝統
2025/03/16 (Sun) 10:08:51
*「光明道中記」(3月16日《「寂(さ)び」を知る日》)より
【教育とは本人の内に宿る天分を引き出すことである。
(『生命の實相』第七巻)】
日本人は鯛を目出たいと言うが、西洋人は鯛を不潔な魚であり
掃除夫(スカベンジャー)だと言って食べない。
鯛は死骸でも腐肉でも何でも海中の不浄物を食して、
海中を掃除する役目をすると信じられているからである。
西洋人は日本人が生臭いとして上品な食物でないとしている
鰊(にしん)、鰯(いわし)、鮭などのようなものを賞美する。
類は類を招き合う、
西洋人は一言にして言えば生臭い人種である。
第一体臭が非常に強い。
その文化も生まであって、悪どくて、「寂び」の味いがない。
「寂び」の味わいを知る者は日本民族のみである。
吾々は世界一の執着なき国民である。
味いも淡々たる物が好まれるがために、
鯛の如き濃厚ならざる食物が賞美せられる。
日本人を侵略民族のように思うのは日本人を知らざる者である。
類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」
執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、欲深き者である。
日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの
―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)の如き背の青き魚、
鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、
その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる時には、
皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。
生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。
<感謝合掌 令和7年3月16日 頓首再拝>