伝統板・第二

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英霊の言乃葉 34 - 夕刻版

2025/05/02 (Fri) 13:15:19

靖国神社社頭掲示~令和7年5月

遺言状

陸軍兵長  塚元 三郎 命

昭和20年12月9日
鞍山満鉄病院にて戦病死

東京都中野区小淀町出身 26歳


父上様  自分が亡き後は貯蓄等一切身の上の事は
万事宜敷くお願ひ致します。
先立つ不孝をお赦し下さい。

母上様  自分が母上様に幼少の頃より色々御面倒を
御掛け致し、死に瀕せんとせる私を救ひ下された事に
大志深謝致して居ります。

何分御老令の事とて御体を大事に十分保養されんことを
希(ねが)ひます。

(中略)

最後に自分は一般兵として、御國の為に笑って死んで行きます。

大日本帝國萬歳!
天皇陛下萬歳!

御両親様、御達者で、先立つ不孝を御詫び致します。

では、兄弟姉妹親戚御一同様、御達者で、
潔(いさぎよ)く護國の花と散ります。

兄弟姉妹様、父上母上を宜敷く御支援下され、
塚元家の繫栄を心から祈ります。

                      塚元三郎

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

       <感謝合掌 令和7年5月2日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~令和6年5月 - 伝統

2025/05/03 (Sat) 19:34:29


父上様母上様

陸軍少尉  藤藤沼 喜一 命

昭和20年1月7日
フィリピン・リンガエン湾にて戦死

栃木県芳賀郡祖母井町祖母井出身 21歳


父上、母上様

喜一の今日の知らせを御喜び下さい。
大命に依り特別攻撃隊員に参加出来ることとなりました。

喜一の心には、何の未練もありません。
只に此の名誉を喜んでおります。

五尺の体を以て三千年来の国土を防護するのです。
武人の本懐、否、男子の本懐です。

齢(よわい)二十歳にして比島沖に散る。
米艦目がけて八〇〇キログラムの爆弾を抱き突込む様を御想像下さい。
勇ましいでは有りませんか。

東航(とうこう)入校以来三ケ年の努力も
今日有るを思へばこそです。

父上、母上様今後共、御体を大切に御暮らし下さることを
靖国の社(やしろ)よりお祈り申します。

   昭和十九年十二月十六日
                     藤沼喜一
                 
父上様
母上様

   十二月一日 伍長に任官致しました。

            <感謝合掌 令和7年5月3日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~令和5年5月 - 伝統

2025/05/04 (Sun) 14:37:20


遺言状

陸軍伍長  山田 豊吉 命

昭和19年3月3日
西部ニューギニア・マノクワリ沖にて戦死

福井県三方郡十村出身 37歳




我(われ) 今 国の為に死す。
必ず 必ず 嘆く勿れ、泣く勿れ。

男子 皇国に生を受け、君国(くんこく)の為に戦の庭に
殉死するは、至上の栄誉なり。

此の肉体は、異国の土と化するとも、心霊は故国に帰り、
永遠(とわ)に生き延びて祖国日本を護るなり。

我 亡き後は身を修め、家を整へ、益々銃後の務めに奮励し、
軍人遺族として恥かしからざる様(よう)、精進すべし。

我が子は、自己の再生なり、一子(いっし)、和枝の養育に、
特に意(い)を用(もち)ゐ立派に成人さす様、
呉々(くれぐれ)も頼むなり。

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

            <感謝合掌 令和7年5月4日 頓首再拝>

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