伝統板・第二
神社~今月の言葉(5月) - 夕刻版
2025/05/01 (Thu) 14:31:06
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和七年五月)】
李白
天 我が材(ざい)を生(しょう)ず
必ず用(よう)有り
(天が自分という人間をこの世に生んだのには
必ず用、すなわち使命がある。)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r705/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202505.pdf
<感謝合掌 令和7年5月1日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和七年五月)】 - 伝統
2025/05/02 (Fri) 04:56:08
莫逆(ばくぎゃく)の友(とも)
~ 荘子 ~
お互いを深く理解し合い、どんな事態に遭遇しても、
決してゆらぐことのない信頼関係を築きあった
真の友情を指す言葉です。
新緑に風薫る五月、年度が替わって新しい出会いの季節と
なり、友を、親を、上司を、職場を、自分を取り巻く
全ての人と信頼関係を築き、よき社会を形成しましょう。
https://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html
<感謝合掌 令和7年5月1日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和七年皐月)】 - 伝統
2025/05/02 (Fri) 13:17:46
人を相手にせず、天を相手にせよ
~ 大西郷遺訓 ~
(説明)
西郷隆盛は若年以来、修養に修養を重ねた傑物である。
ここにいふのも敬天愛人のモットーと並んで尊いものがある。
一般論としては、天を敬ひ人を愛するの方が受け入れ易い。
然し人が信用できないやうな場合には、
何を相手にしたらよいのか。
大西郷は「天のみが最後の拠り所だ」としたのである。
明治維新前後の色々の問題は、
前者の敬天愛人の四字で切り抜けることが出来た。
然し明治以降の難問にぶつかることが多くなったとき、
人も相手に出来ない、特に征韓論に際しては、
「天を相手にせよ」の境地にまだ進んだと言はざるを得ない。
それは正に人間最後の境地である。
世には「人事をつくして天命を待つ」といふ格言もある。
隆盛の心境も正にその通りであったかもしれない。
然し最後の最後の心の拠り所は、
「天命」だけだったといふのである。
天命とは何か。
神職でいへば、「最後は神のお言葉に待つ」ことと同じである。
一般には人の言葉は、神のご意志の現はれであるとして
人の言葉を聞くべきであるとされてゐる。
然し絶体絶命といふ、追ひいつめられたとき、
人の言葉も信用できないといふ場合には、心の拠り所は
「天命」―― 神の教へ神の言葉に従う以外にない。
敬天愛人をモットーにした大西郷でも、かうした覚悟は、
一生のうちには一度は来るといふ実感がここにはある。
(神道百言 般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和7年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月2日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和六年五月)】 - 伝統
2025/05/03 (Sat) 04:52:50
南方熊楠
世界にまるで不用の物なし
南方熊楠 (みなかた くまぐす)
明治から昭和期の博物学者、生物学者、民俗学者。米国、英国等へ留学し、
様々な言語の文献を用いて国内外で多くの論文を発表した。
特に粘菌(ねんきん)などの微生物の研究は世界的に知られる。
また、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な役割を果たした。
生涯、在野の学者に徹し、地域の森林生態の保護にも力を注いだ。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0605/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202405.pdf
<感謝合掌 令和7年5月2日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉(令和六年五月)】 - 伝統
2025/05/03 (Sat) 19:37:07
済世(さいせい)の志
~ 菜根譚 ~
世を正し、民を救おうとする志をいう。
後漢書に
「性剛毅にして大節あり、常に済世の志を懐く」
とあります。
共に世の為、人の為に努力しましょう。
https://www.shirayama.or.jp/kotoba/k06.html
<感謝合掌 令和7年5月3日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉(令和六年五月皐月)】 - 伝統
2025/05/04 (Sun) 02:14:36
大神の道はかしこし天地(あめつち)の
萬(よろず)の物の出で来る見れば
~ 本田親徳・霊魂百首 ~
(説明)
神道は「産霊(むすび)の道」であるといわれる。
「産霊の道」とは生成化育・修理固成の道である。
それは、この天地も、大地の上のあらゆる生物が、
芽を出し、育ち伸びていく姿を見ても、かくあらしめている、
すべてのものを生み、育て、伸ばす大きな力が
この天地間に存在することを知り得る。
神道は、すべてのものを生み、育て、伸ばす大きな力に
対して感謝し、この大きな力の発現を祈る道です。
(神道百言 般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和6年5月<皐月>をクリック)
<感謝合掌 令和7年5月3日 頓首再拝>
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和五年五月)】 - 伝統
2025/05/04 (Sun) 14:48:29
千 利休
習ひつつ 見てこそ習へ
習はずに 善悪(よしあし)いふは
愚なりけれ
(説明)
人から正しく習わずに
あらゆる物事に対して
自己流で善し悪しを
決めてしまうことは
勿体(もったい)ないことだ
『利休百首』
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0505/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202305.pdf
<感謝合掌 令和7年5月4日 頓首再拝>