伝統板・第二
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人間の自由 ③
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1:伝統
:
2024/05/08 (Wed) 12:00:33
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*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月7日)」より抜粋
人格の本質は「自由」ということである。
それゆえにわれわれは常に今あるよりもなおいっそうの自由を得んことを念願し、
今あるよりもなおいっそうの自由を得た時に幸福感を味わい、
今あるよりも自由が少なくなった時に不幸の感に打たれるのである。
われわれは戦後祖国の民主化によって多くの自由を獲得したのである。
しかし、われわれは外からの自由は得たけれども
内なる暴君「にせものの我」の支配下にあって、
完全なる自由はなかなか得ている者は少ないのである。
この「内なる暴君」は
地球上のいかなる残虐の君主よりもなお苛酷にわれらを苦しめるのである。
そしてこの暴君の支配を受ける時われわれはみじめとなり、恐怖にみたされ、
猜疑にさいなまれ、憤怒に傷つけられ、貪欲に蝕まれ、傲慢によってみずから傷つき、
あらゆる不幸がおそいかかってくるのである。
われわれはこの暴君の支配から脱しないかぎりは真に自由を得ることはできないのである。
しかし真の人間である自分は決してかかる暴君の奴隷となって苦しめられるようには
できていないのである。
われわれはこの真の自分を発見し、
それに完全なる自由を与えなければならないのである。
真の自由を得るには真理を知ることが必要なのである。
だから、イエスは「真理は汝を自由ならしめん」と言っているのである。
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<関連>
(1)伝統板・第二「人間の自由」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6872118
(2)伝統板・第二「人間の自由 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7934884
<感謝合掌 令和6年5月8日 頓首再拝>
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2:伝統
:
2024/05/09 (Thu) 11:21:25
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*「光明法語」(5月9日)より
種子(たね)の中にはその生長に必要なる要素を周囲の太陽、空気、水分、地中から
吸収して自己をして発芽せしむる力を蔵しているのである。
それと同じく人間も己の魂の生長に必要な凡ゆる要素を
自己の周囲から吸収する力を持っているのである。
併し種子は、その生長に必要な要素に置かれるとき、
「自分は発芽することを欲しない」とその生長を阻む自由はもっていないのである。
ただ人間のみ自由意志をもっていて自分を生長させもし、
退歩せしめすることが出切るのである。
<感謝合掌 令和6年5月9日 頓首再拝>
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3:伝統
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2024/05/10 (Fri) 12:25:46
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*「光明法語」(5月10日《人間は神的実現》)より
人間は神の造りたまえる最後の最高の自己実現であるから、
人間以下のあらゆる動物の段階の各要素を自己の内に含んでいる。
最後の最高の神的実現にまで生活を高めることも出来れば、
あらゆる種類の動物的状態も実現することも出来るのである。
肉欲食欲のみに快感を求めるものは、
人間でありながら動物の状態に退歩することである。
仏典にも人間の内部には、地獄、餓鬼、畜生、人間、天人の各要素を
自己の内部に包蔵すると説かれている。
その要素のどれを発揮するかは人間の自由である。
<感謝合掌 令和6年5月10日 頓首再拝>