伝統板・第二 2544172

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賢者の一日一言(R6年3月)

1:夕刻版 :

2024/03/02 (Sat) 04:56:06


このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「リーディング(エドガー・ケイシー)21(R4.3)」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8251477

(2)伝統板・第二「安岡正篤・一日一言」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812217
  
(3)伝統板・第二「松下幸之助 一日一話」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7811995

(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733095

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言84~ふりそそぐ愛の光・実相と現象」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8251349

・・・

賢者の一日一言《1日》


(1)【 3月1日 】 

   悲しみの時ですら、喜びを見出しなさい。
   苦しみと共にやって来る楽しさを見出しなさい。

   Then see the joy, even in sorrow.
   See the pleasure that may even come with pain.

   (3440-2)

・・・

(2)【 3月1日 】 初心を原(たず)ねる

   何か生涯の大仕事をやり遂げて、そして人生の行路も終わった、

   即(すなわ)ち「功成り行満つるの士」はその末路を見る。

   これでやれやれなんて思うと、老いこんでしまったり、
   あるいは有頂天(うちょうてん)になって弛(ゆる)んでしまう。

   その反対に、行き詰まってしまって、勢も蹙(すぼ)まり、意気上がらぬ、

   どうにもこうにもぺしゃんこになってしまった人間は、
   そこでへこたれず、元気であった初心を原(たず)ねるが宜しい。

   そうすれば、また新しく出かけることができる。

・・・

(3)【 3月1日 】 ほんとうの勇気

   私は一般的に、ほんとうの勇気というものは
   一つの正義に立脚しないことには、
   また良心に顧みてこれが正しいと思わないことには、
   湧いてこないと思うのです。

   だから、勇気が足りないということは、
   何が正しいかということの認識が非常にあいまいであるところから
   出てきている姿ではないかという感じがします。

   人びとがそれぞれに自問自答して何が正しいかということを考える。
   そして、この正しさは絶対譲れない、この正しさは通さなければいけない
   という確固とした信念を持つならば、
   そこから出てくる勇気は、
   たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。

   そういうような感じを私は持っているのです。

・・・

(4)【 3月1日 】 万巻の書を読むに非ざるよりは

   万巻(まんがん)の書を読むに非(あら)ざるよりは、
   寧(いずく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得(え)ん。

            安政三年秋冬「松下村塾聯」

   【訳】

   沢山の書物を読破するのでなければ、
   どうして長い年月にわたって名を残す、
   不朽の人となることができるだろうか。

   できはしない。

   自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、
   どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。

   できはしない。

・・・

(5)《1日 愛は与えればかえって来る①》

   この世界には愛が満ち充ちているのである。

   野にも山にもお空にもお土にも日光が輝いているのではありませんか。

   これが神様の愛のあらわれなのであります。

   自分の造ったことのない日光、空気、水、着物の材料、木材、
   手にふれるもの、見えるもの、食べるもの、
   ことごとく人間以外の不思議な力で与えられたのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P170)より

           <感謝合掌 令和6年3月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2024/03/03 (Sun) 05:00:06


(1)【 3月2日 】 

   一つ一つの活動が、神の栄光と、
   あなた自身の良心の誉れとなるような生き方をしなさい!

   So live, then, that each activity is to the GLORY of God
   and to the HONOR of thy conscience!

   (263-18)

・・・

(2)【 3月2日 】 進歩の源泉

   人間の進歩というものは、
   偉大なる発明発見でも悟りでも、
   すべてインスピレーションとか感動から始まる。

   ただし感動するためには、
   我々の心の中に感受性がなければならない。

   感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。
   放心したり、自分が自分を忘れていたら、これはあるわけがない。

・・・

(3)【 3月2日 】 魂のこもった朝礼

   朝、仕事をはじめる前に朝礼をする会社や商店が多いようであるが、
   この朝礼をただ惰性で行ってはいないだろうか。

   会社や商店が順調にのび、世間の評判もよくなる。
   銀行も金を貸してくれるし、事業もたやすくできる。

   そうなってくると、最初全員が真剣であった朝礼も何となく気がゆるみ、
   形だけに終わってしまいがちである。

   社員も従業員も一番注意せねばならないのは
   こうした時期ではないかと私は思っている。

   だから、朝礼をするならば
   魂のこもった朝礼というものを常に心がけねばならない。
   そうでなければ朝礼を行なう価値がない。

   形だけなら何にもならないと思うのである。

・・・

(4)【 3月2日 】 自ら淬厲して

   自(みずか)ら淬厲(さいれい)して、敢へて暇逸(かいつ)することなかれ。

            安政二年四月二十四日「清狂に与ふる書」


   【訳】

   自分から進んで人格修養に努め、
   決してのんびりと遊び、無駄な時間を過ごしてはならない。

   *清狂-周防国遠崎村(現、山口県柳井市遠崎)妙円寺の海防僧月性。松陰の同志。

・・・

(5)《2日 愛は与えればかえって来る②》

   この不思議な力は天地のあいだに何処にでも満ち充ちていまして、
   吾々に必要なものを与えて下さっているのであります。

   この眼にみえぬ不思議な力が、神さまの愛であります。

   もし、私たちが、このように頼みもしないのに、
   神さまの愛につつまれ、色々のものを与えられているとしますと、
   私たちもまた神様のように人々に愛を与えて行かなければ
   申し訳がないことがあります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P170~171)より

           <感謝合掌 令和6年3月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2024/03/04 (Mon) 04:58:04


(1)【 3月3日 】 

   規則的な時間を、主との日々の交わりを、
   主と共なる日々の歩みと語らいを、放棄してはなりません。

   Forsake not thy regular period, thy daily communion,
   thy daily walk and talk with Him.

    (540-18)

・・・

(2)【 3月3日 】 女人五徳

   女人に五徳というものがある。
 
   第一は「平素人と争競(そうきょう)せず」。

   武家社会で婦人に社交を戒めたことには深い意味がある。
   とかく無教養な婦人ほど社交に出ると他人と比較争競したがるからだ。

   人と争い競わぬというのは男女を問わず大切な徳である。
 

   第二に「苦難中怨言(えんげん)無し」。

   苦しみ悩みの中にあって怨(うら)み言を言わない。
   或(あ)る人が会社に辞表を出して帰って来た。

   妻に一言、「辞表を出したよ」と言うと、彼女は言下(げんか)に
   「それじゃまたお好きな魚釣りができますね」
   と言ったという。

   これは嬉しい。
   かくあるのが本当の女性だ。


   第三は「飲食を節す」。

   これは美徳だ。
   牛飲馬食の女性ではいささか興が冷める。


   第四が「事を聞いて驚喜せず」。

   激情を露(あらわ)にせずに、しっとり落着いているのがよい。


   第五は「よく尊敬す」。

   何事によらず尊敬することを知るというのは貴い徳だ。
   人間はこれあるによって進歩する。

・・・

(3)【 3月3日 】 ダム経営

   ダムというのは、あらためて言うまでもなく、
   河川の水をせきとめ、たくわえることによって、季節や天候に左右されることなく、
   常に必要な一定量の水を使えるようにするものである。

   そのダムのようなものを、経営のあらゆる面に持つことによって、
   外部の諸情勢の変化があっても大きな影響を受けることなく、
   常に安定的な発展を遂げていけるようにするのが“ダム経営”の考え方である。

   設備のダム、資金のダム、人員のダム、在庫のダム、技術のダム、
   企画や製品開発のダムなど、いろいろな面にダム、
   言いかえれば、余裕、ゆとりを持った経営をしていくことが肝要であろう。

・・・

(4)【 3月3日 】 女子を教戒せずんば

   女子の教戒(きょうかい)の事、先師の深意(しんい)尤(もっと)も味ふべし。

   夫婦は人倫(じんりん)の大綱(たいこう)にて、父子兄弟の由つて生ずる所なれば、
   一家盛衰治乱(いっかせいすいちらん)の界(さかい)全(まった)く茲(ここ)にあり。

   故に先(ま)づ女子を教戒(きょうかい)せずんばあるべからず。
   男子何程(なにほど)剛腸(ごうちょう)にして武士道を守るとも、
   婦人道を失ふ時は、一家治まらず、子孫の教戒(きょうかい)亦(また)廃絶するに至る。

   豈(あ)に慎(つつし)まざるべけんや。

             安政三年八月以降「武教全書講録」

   【訳】

   女子を教え、戒めることについて、
   山鹿素行先生の深いお考えを味わうべきである。

   夫婦は人として守るべき道の大本であり、父子兄弟が生まれ出る所である。
   だから、一家が栄えるのも衰えるのも、また、世の中が治まるのも乱れるのも、
   まったくここが分かれ目である。

   だから、まず、女子を教え戒めなくてはならない。
   男子がどれほど肝っ玉が据わり、武士道を守ったとしても、
   女性が人としての道を失ってしまえば、一家は治まらず、
   また、子孫への教えや戒めも絶えてなくなってしまう。

   どうして慎まないでよかろうか。
   慎むべきである。

・・・

(5)《3日 愛は与えればかえって来る③》

   愛は円環であります。
   与えればまた自分に還って来るのであります。

   「私は誰からも愛されて幸福だ」と云うような人は、
   屹度人々に対して愛を持ち、人に深切を尽す人に相違ないのであります。

   「私は人に愛されないから詰らない」と云うひとは
   屹度自分が人に対して深切でなく、人を愛しない人であります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P171)より

           <感謝合掌 令和6年3月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2024/03/05 (Tue) 02:12:50


(1)【 3月4日 】 

   あなたの兄、あなたの救い主、あなたのキリストとしばしば語りなさい。

   Speak oft with thy brother, thy Savior, thy Christ.

   (254-76)

・・・

(2)【 3月4日 】 但惜身命と不惜身命

   お互いがこうして生きている。
   考えてみれば、これくらい不思議なことはない。

   この悠久なる時間と、この茫漠(ほうばく)たる空間の中にあって、
   たまたま時と所を一にしてこうしているという、

   こんな不思議なことはないということがわかれば、
   この現実、この刹那、この寸陰(わずかの時間)、
   この場、この身というものが、何よりも大事なのである。

   無限に愛惜(あいせき)すべきものになる。
   これを「但惜身命(たんじゃくしんみょう)」という。


   それを把握するためには、
   取りとめのない日常の身命などは、値打ちがない。

   これは不惜身命(ふしゃくしんみょう)(身命を惜{お}しまぬ)である。
 

   真に道を得るためには、それこそ不惜身命でなければならない。

   何が故に身命を惜しまぬかといえば、
   但惜身命──本当の身命というものを限りなく愛するからである。

   真の自己・真の存在というものを限りなく愛着するが故に、
   この取りとめない、はかない、迷える身命など、問題ではない。

   命がけで命を惜しむ。
   但惜身命なるが故に、不惜身命。
   不惜身命にして、但惜身命になる。

・・・

(3)【 3月4日 】 自分で人事をする

   先日、社内で広告担当員を募集したところ、誰も志願しないというのです。
   これは意外でした。

   聞くところによると、
   そういうことを会社に対して言いにくいのではないかということでした。
   もしそうだとすると、
   会社がその人の適性を見つけなければならないということになってきます。

   が、社員が多くなると、人事部がいかに懸命であっても、
   一人ひとりの性格を知って適切な人事をすることは、
   なかなかできないだろうと思うのです。

   だからほんとうは、本人に人事をしてもらうのが一番いいのです。
   “私にはこういう適性があるのだ”ということを表現してもらうことが
   一面非常に大事だと思います。

・・・

(4)【 3月4日 】 至誠神を感ず

   至誠神を感ず。

            嘉永三年八月カ「守永弥右衛門に与ふる書」

   【訳】

   まごころは神様さえも感動させる。

    *長州藩士。荻野流砲術家。松陰は十七歳の頃、守永に従学した。

・・・

(5)《4日 愛は与えればかえって来る④》

   人を愛する人には、人々の顔が
   常に自分に微笑をたたえて祝福してくれているように見えます。
   (祝福してくれると云うのは、
    幸福であれと呼びかけていてくれると云うことです。)

   自然を愛する人には
   自然が優しく自分に話しかけてくれるように感じられ、
   自然が愛の微笑を自分に送ってくれるように感じられるものなのです。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P171)より

           <感謝合掌 令和6年3月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2024/03/06 (Wed) 04:54:21


(1)【 3月5日 】 

   あなたの高次の自己、魂の自己が判定を下します。

   Thy higher, thy soul self is ever the judge.

   (815-7)

・・・

(2)【 3月5日 】 運命の法則をつかむ

   運命は動いて止まないが、そこにおのずから法則(数)がある。

   そこで自然界の物質と同じように、
   その法則をつかむと、それに支配されないようになる。

   自主性が高まり、創造性に到達する。

   つまり自分で自分の「命」を生み、運んでゆけるようになる。

・・・

(3)【 3月5日 】 庄屋と狩人ときつね

   昔のたとえ話に庄屋と狩人ときつねの話がある。

   狩人は庄屋の前ではかしこまっている。
   しかし庄屋はきつねにばかされる。
   きつねには弱い。

   そしてきつねは鉄砲で撃たれるかもしれないから狩人はこわい。
   結局この中で誰が偉いとも何ともわからない、という話である。

   私は今日でもこの話は生きていると思う。
   勝負に勝つ人が偉いのでも、負ける人が偉くないのでも何でもない。
   教育する人が偉いのでもないし、教育を要する人ができが悪いのでもない。

   それぞれやっぱり一つの生きる姿である。

   そう考えれば、喜んで人に協力することができるし、
   また協力を受けて仕事ができるのではないかと思うのである。

・・・

(4)【 3月5日 】 道を楽しみ

   道を楽しみ身を善(よ)くし分(ぶん)に安(あう)んじ
   遇(ぐう)に随(したが)ふ。

            安政三年三月八日「白楽天の詩を読む」


   【訳】

   君子としての道を楽しみ、自分の身をよきものとし、
   身の程をわきまえて、(今ある場所で)なすべきことをなす。

    *白居易。中国、中唐の詩人。

・・・

(5)《5日 悪い人間はひとりもいない①》

   すべてのものは神の生命(いのち)のあらわれ、
   神の智慧のあらわれ、神の愛のあらわれでありますから、

   私たちが心を清くして、まともに、その本当のすがた
   (この本当の《すがた》を「実相」と云います)を見ましたならば、
   悪いものは一つもなく、悪い人もひとりもなく、
   意地の悪いひとも一人もないのであります。

   それが不完全な悪い相(すがた)に見えるのは、
   こちらの心のレンズが歪んでいるからであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P171~172)より

           <感謝合掌 令和6年3月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2024/03/07 (Thu) 04:56:56


(1)【 3月6日 】 

   この人への第一の戒めは、「あなた自身の理想を知れ」です。

   自分が本質的に何をしたいと思っているのか、それを知ることです。

   それがわかったなら、なによりも自分自身に対して正直であることです。

   Then, the first injunction as would be to the entity:
   Know what is thy ideal.

   Know innately within self what ye desire to do.

   Then most of all be honest with thine own self.

   (674-3)

・・・

(2)【 3月6日 】 独

   「独」というものは
   人の世から離れた、さびしい隠者の一人という意味ではなくて、
   「絶対」という意味だ。

   「独立」というものはなんら他に依存せず、
   自分自身が絶対的に立つということだ。

・・・

(3)【 3月6日 】 不安に挑む

   いつの世でも、われわれにとって
   完全に安穏であるという状態はないといってよい。

   お互い人間である以上、程度の差こそあれ
   不安動揺なしにはいられないと思う。

   それが人間本来の姿である。

   しかしだからといって、ただ不安動揺し、それにおびえてなすところなく
   ウロウロしているというのでは、そこから何も生まれてこない。

   そうではなく、不安は感じるが、
   しかしその不安に敢然と闘いを挑み、これを打破していく。

   むずかしい仕事、困難な要求に直面して、一面に不安を感じるが、
   反面かえって心が躍る。

   そしていろいろの考えを生みだしこれを克服していく。
   そういうふうでありたいと思う。

・・・

(4)【 3月6日 】 志専らならずんば

   志(こころざし)専(もっぱ)らならずんば、
   業(ぎょう)盛(さかん)なること能(あた)はず。

            安政二年八月二十二日「古助の江戸に遊学するを送る序」


   【訳】

   心を目指すものに集中しなければ、勉強や事業などを盛んにすることはできない。

    *長州藩の重臣浦氏の家来白井小助。江戸遊学以来の友人。
     下田事件時、松陰のために奔走した

・・・

(5)《6日 悪い人間はひとりもいない②》

   安物のガラス窓からのぞいて見ると、
   人間の顔が歪んだり、景色や花がゆがんで見えます。

   しかし本当の人間は歪んでいるのではありません。
   これはガラスが歪んでいるからであります。

   それと同じく、こちらの歪んだ心からながめて見ると、
   神様のおつくりになった深切な人間も歪んで見えるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P172)より

           <感謝合掌 令和6年3月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2024/03/08 (Fri) 04:56:26


(1)【 3月7日 】 

   あなたがその兄弟に日々為すことは、
   あなたの造り主に為すことに等しい。

   That thou doest then unto thy brother day by day,
   that thou doest unto thy Maker.

   (1301-1)

・・・

(2)【 3月7日 】 信念と気節 ①

   世をあげて利を競うに忙しい。
 
   しかし各自の利害は、いつか、どこかで、必ず衝突する。
 
   これを解決するものはやはり正義である。
 
   正義はどうして決まるか。

   利害関係の外に立つ、
   良心と達識とを持つ人々の、明察と公論による。

・・・

(3)【 3月7日 】 大西郷の遺訓

   西郷隆盛が次のような遺訓を残している。

   「国に功労がある人には禄を与えよ。
    功労あるからといって地位を与えてはならない。
    地位を与えるには、おのずと地位を与えるにふさわしい
    見識がなければならない。

    功労があるからといって、
    見識のないものに地位を与えるということは国家崩御のもととなる」と。

   これは国のことであるが、事業経営についても同じことが言える。
   あの人は会社に大きな功労がある、
   だから重役にしようとなりがちであるが、
   この点は充分に注意しなければいけない。

   あくまでも、功労ある人には賞をもって報い、
   その見識ある人に地位を与えることが大事だと思う。

・・・

(4)【 3月7日 】 心は公なり

   体(からだ)は私(わたくし)なり、心は公(おおやけ)なり。
   私を役(えき)して公に殉(したが)ふ者を大人(たいじん)と為(な)し、
   公に役して私に殉(したが)ふ者を小人(しょうじん)と為す。

           安政三年四月十五日「七生説(しちしょうせつ)」

   【訳】

   身体は個人的なものである。心は公共のものである。
   私を使って、公に従う人を立派な人という。

   公を使って、個人的なことに従事させる人を、
   賎しい心の、つまらない人という。

・・・

(5)《7日 悪い人間はひとりもいない③》

   本当は不深切な人間や、意地悪の人間などは
   神様がお造りにならないから、そんな人間はひとりも
   此の世の中にはいないのであります。

   すべての人間はあなたに対して好意をもっており、
   あなたに対して「幸福であれ」「成功せよ」「仲好くしましょう」と
   呼びかけているのであります。

   先ず、あなた自身が心の中で、すべての人に対して
   「幸福であれ」「成功せよ」「仲好くしましょう」と
   心の中で呼びかけて御覧なさい。

   屹度、それと同じことを云っているような顔をして、
   貴方に対して深切にしてくれるでしょう。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P172)より  

           <感謝合掌 令和6年3月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2024/03/09 (Sat) 04:56:06


(1)【 3月8日 】 

   自分自身にとって疑問に思うこと、
   自分自身が疑問符を付けるようなことは、
   どんなことでも、精神的にも、肉体的、霊的にも、
   決して行ってはなりません。

   Never do in a mental or physical
   or spiritual manner ANYTHING that is to self questionable,
   or to which ye yourself may even put a question mark.

   (674-3)

・・・

(2)【 3月8日 】 信念と気節 ②

   正義は往々(おうおう)自己の不利に見えるところが少なくない。
   しかし結局、正義が真の利益である。
 
   自ら信ずる正義の為に、
   不利はおろか、時には死をも辞せぬことが、
   人間の貴い道徳であり、権威である。
 
   この信念と気節とが、一切の困迷を救って、
   国民の新運命を開く鍵(かぎ)である。

   この信念と気節のある人々が
   国民の指導者に輩出(はいしゅつ)するほか、
   日本を救う道はない。

・・・

(3)【 3月8日 】 利は元にあり

   昔から「利は元にあり」という言葉があります。
   これは利益は上手な仕入れから生まれてくるということだと思います。

   まずよい品を仕入れる。
   しかもできるだけ有利に適正な値で買う。
   そこから利益が生まれてくる。

   それを「利は元にあり」と言ったのでしょうが、
   実際、仕入れはきわめて大事です。

   ところが、この「利は元にあり」ということを、
   ともすれば単に安く買い叩けばよいというように
   解釈する人があるようです。

   しかし、決してそうではなく、
   仕入先を、品物を買って下さるお得意先と同じように
   大切にしていくことが肝要だと思います。

   そういう気持がないと、結局は商売は繁昌しないと言えましょう。

・・・

(4)【 3月8日 】 学は人たる所以を学ぶなり

   余(よ)曰く、「学は、人たる所以(ゆえんを学ぶなり。
   (中略)
   抑々(そもそも)主人の最も重(おも)しとする所のものは、君臣の義なり。
   国の最も大なりとする所のものは、華夷(かい)の弁(べん)なり(中略)」と。

            安政三年九月四日「松下村塾記」

   【訳】

   私はいう。「学問は、人が人である、そのいわれを学ぶものである。
   (中略)
   大体、人にとって最も大事なのは、
   君臣の義、つまり君主と臣下の聞の正しい道である。

   国家にとって最も大事なものは、華夷の弁、
   すなわち我が国と他国との別れるいわれ、
   つまり違いを認識することである(中略〉」と。

・・・

(5)《8日 貧乏もなく病気もない①》

   神様のお造りになった実際の世界には
   意地悪や、不深切な人間が《ない》ばかりではなく、
   更に、貧乏もなければケチな人間も《ない》のであります。

   貧乏や不深切や病気などは、
   神の無限の愛、無限の智慧につくられた世界にはどう考えて見ても、
   ありようがないのであります。

   それなのに、そうあらわれてみえるのは人間が勝手に、
   利己主義の心で、働きの出し惜みをしたり、深切の出しおしみをしたり、
   循環さすべきものを循環させないでいたりするからであって、
   働きがないのではなく、深切がないのではなく、

   無限の富がないのではなく、
   ただ自分の心の歪みでそれを隠しているに過ぎないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P173)より

           <感謝合掌 令和6年3月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2024/03/10 (Sun) 05:01:16


(1)【 3月9日 】 

   人は自ら率先して奉仕の機会を求めなければならなりません。
   奉仕が人を求めることは滅多にないのですから。

   神は一人一人に能力を授けられました。
   人は自分から求めてそれを神の奉仕のために使うのです。

   Individuals must first seek that they be of service.
   Service rarely seeks individuals. God has given every man his abilities.
   Man seeks to apply same to God's service.

   (254-31)

・・・

(2)【 3月9日 】 人間の不幸

   何ものにも真剣になれず、
   したがって、何事にも己(おのれ)を忘れることができない。

   満足することができない、楽しむことができない。

   したがって、常に不平を抱き、
   不満を持って何か陰口を叩(たた)いたり、
   やけのようなことを言って、

   その日その日をいかにも雑然、
   漫然と暮らすということは、
   人間として一種の自殺行為です。

   社会にとっても非常に有害です。
   毒であります。

・・・

(3)【 3月9日 】 三日の手伝い

   「三日の手伝い」という言葉があります。

   たとえ三日間の手伝い仕事であっても、
   その仕事に一生の仕事のような心構えで真剣に立ち向うならば、
   そこから必ず大きなものを得ることができる、ということです。

   そうしてこそあらゆる場面に直面しても動じない精神が身につく
   ということでしょう。

   そう言うと「本業についたらもちろん一生懸命に努力する」
   と言う人がいるかもしれません。

   しかし、私のこれまでの体験から言うと、現在与えられた、
   いまの仕事に打ち込めないような心構えでは、
   どこの職場に変わっても、決していい仕事はできない。

   これははっきり申しあげることができると思うのです。

・・・

(4)【 3月9日 】 近き所を

   人各々資質(ししつ)あり。
   故に古人を学びて其の性(せい)の近き所を得べし。

             安政二年七月二十九日「講孟剳記」

   【訳】

   人にはそれぞれ生まれつきの性質がある。
   だから、昔の心ある人に学び、
   自分に近いよい性質を自分のものとするべきである。

   そう世の中に生きている人すべてに良い所はある。
   其の良いところを褒めて、上手に生かしてあげれば
   人は才能以上の力を発揮することがある。

・・・

(5)《9日 貧乏もなく病気もない②》

   この自分の心の歪みを、すべての人類が取り去ってしまいましたら、
   必ずや、其処に無限の供給が満ちあふれており、
   すべての人が深切に扶け合っている幸福な世界の実相(じっそう)が
   あらわれて来るのであります。

   皆さん、心の歪みを取去りましょう。
   先ず自分から、人に深切をして見ましょう。

   働きの出し惜みなどしないで、出来るだけ、
   人のためになる働きを、心掛けてやりましょう。

   お金や賃金のために働くなどと云うケチな考えを捨てましょう。
   「人のために働くのが菩薩行だ」と云う尊い考えで、
   尊い人間の働きをこの世界に加えて行きましょう。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P173~174)より

           <感謝合掌 令和6年3月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2024/03/11 (Mon) 04:54:48


(1)【 3月10日 】 

   あなたが自分自身の内に平安を見出せない限り、幸せも喜びもあり得ません。

   There CANNOT be happiness or joy save when self
    has found peace WITHIN self.

   (2427-1)

・・・

(2)【 3月10日 】 「知」と「行」

   「知は行の始めなり。行は知の成るなり」という王陽明の説明がある。

   「知」というものは行ないの始めである。
   「行」というものは「知」の完成である。

   これが一つの大きな循環関係をなすものである。

   知から始まるとすれば、行は知の完成、
   そしてこれは行の始めが知だから、知というものは循環するわけです。

   本当に知れば知るほどそれは立派な行ないになってくる。
   知が深くなれば行ないがまた尊くなる。

・・・

(3)【 3月10日 】 日本の伝統精神

   私は日本の伝統精神はきわめてすぐれたものだと思います。

   ではその伝統精神とは何か。

   その一つは「和を以って貴し」とする平和愛好の精神です。
   1350年も前に、この「和」の精神が聖徳太子によって掲げられています。

   第二は「衆知を以って事を決す」という、つまり民主主義です。
   古事記にも800万の神々が相談して事を決したとあります。
   日本は真の民主主義の本家本元だと言えるでしょう。

   第三は「主座を保つ」。
   古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを消化吸収し、
   日本化してきました。

   この和、衆知、主座という三つの柱を守っていくことは、
   今後においても大切なのではないでしょうか。

・・・

(4)【 3月10日 】  聖賢の貴ぶ所は

   聖賢(せいけん)の貴(たっと)ぶ所は、
   議論に在(あ)らずして、事業(じぎょう)に在(あ)り。

   多言(たごん)を費(ついや)すことなく、
   積誠(せきせい)之(こ)れを蓄(たくわ)へよ。

           安政三年六月二日「久坂生の文を評す」


   【訳】

   立派な人が大事にするのは、議論ではなく、行動することである。

   ぺらぺらしゃべっていてはいけない。
   人としての誠をしっかり蓄えなさい。

    *長州藩医の子久坂玄瑞。
     松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
     吉田松陰の妹文(あや)が嫁いだ。

・・・

(5)《10日 神さまは与え切りです》

   神様は利己主義ではないのです。
   神様はすべてのものを造って私たちに与えたまい、
   一銭一厘の賃金をも要求してはいられないのです。

   「神様の造りたまうた世界には貧乏も病気もない」と云う
   実相を見ようと思ったならば、私たちの心が、神様のような、
   利己主義でない心にならなければなりません。

   神様のような与え切りの心にならなければなりません。
   自分の肉体を賃金で切り売りするようなサモシイ心を捨てて、
   人類全体を富ますために無条件で働くような心にならねばなりません。

   ケチな心、サモしい心、利己主義の心などは、
   神様の造りたまうた完全な世界の上に、迷いの雲をかけて、
   お月様を雲で曇らせるように、
   その本当の完全な相(すがた)を蔽い隠してしまうのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P174~175)より

           <感謝合掌 令和6年3月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2024/03/12 (Tue) 03:58:54


(1)【 3月11日 】 

   名誉や富は(これらは結果として必ず来る)、
   意義深く過ごした人生の結果として、
   また人に与えた奉仕の結果として受け取るようにしなさい。

   他人を自分の名誉や富の踏み石に利用してはなりません。

   Let these elements (for they are sure to come, both fame and fortune)
   be a RESULT of a life and experience, and service,
   well rendered - rather than using OTHERS as stepping stones TO same.

   (2917-1)

・・・

(2)【 3月11日 】 四十、五十にして聞こゆるなきは ①

   世間的にはさして地位や名声がなくても、
   いわゆる名士・有名人でなくても、
   自らその環境の中で名が聞こえない、
   おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、
   お前おったのか、
   というようなことではつまらない。

   少しできた人間ならば世間はともかく、
   少なくともその仲間環境の中には
   必ず聞こえるものだ。

   「四十、五十にして聞こゆるなきは
   (畏{おそ}るるに足らざるのみ)」というのは
   そういう意味だと解釈しても、
   私は少しも差し支(つか)えないと思う。
   またそれでよい。

・・・

(3)【 3月11日 】 塩の辛さはなめてみて……

   たとえば水泳の先生が、3年間講義をしたとします。
   それでこの講義を受けた人がすぐ、泳げるかといいますと、
   必ずしも泳げないと思うのです。

   また、塩の辛さというものでも、
   塩をなめさせることをしないで、
   塩は辛いぞ、と言ってもわからないでしょう。

   塩の辛さはなめてみてはじめて、ああこれが塩の辛さやな、
   とわかるわけです。

   処世のコツとでも申しますか、
   お互いの人生において大切な事柄を会得するということも、
   事を行なって、そのやったことを、仔細に考え検討してゆくところから、
   はじめて可能になるのではないかと私は思います。

・・・

(4)【 3月11日 】 境逆なる者は

   境(きょう)、順(じゅん)なる者は怠(おこた)り易(やす)く、
   境逆(ぎゃく)なる者は励(はげ)み易し。

               安政二年秋「講孟剳記」

   【訳】

   万事都合よく運んでいる境遇にある者は怠りがちである。
   また、思うようにならず苦労の多い境遇にある者は励みやすい。

・・・

(5)《11日 互に他(ひと)の為をはかれ①》

   自分の得になると云う事を先に考えて物事をするようでは、
   人間は幸福にはなれません。人類に幸福は出て来ません。

   そのような利己的考えを先ず捨てること、

   他(た)の人が幸福になるようにと、すべての人が自分の得をアトにして、
   他(た)の人の幸福を図ってあげるようにしたとき、

   人間の心が、神様の心の波長と一致するようになり、
   人間全体に幸福な世界が生れて来るようになるのです。

   そして全ての人間が他(ひと)の為に、他(ひと)の為にと働きますから
   自然に生産がふえて来て、貧乏もなくなってしまうのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P175)より

           <感謝合掌 令和6年3月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2024/03/13 (Wed) 04:42:23


(1)【 3月12日 】 

   (問)私はどうすればもっと霊的になれますか?

   (答)あなたが知っていることを実践することだ。

   (Q) How can I be more spiritual?
   (A) Applying that ye know.

   (1469-1)

・・・

(2)【 3月12日 】 四十、五十にして聞こゆるなきは ②

   名を天下に馳(は)せるなどということは
   あえて自ら欲すべきことではない。

   場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。
   いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。

   大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、
   四十、五十になった値打ちはない。

   いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、
   家に帰っても女房・子供からいやがられる、
   そんなことでは人間はダメである。

・・・

(3)【 3月12日 】 得心がいく仕事を

   私たちが仕事なり商売を進めていく上で、いいかげんな妥協をしない、
   言いかえれば自分に得心がいくまでは仕事を進めない、
   ということが非常に大事ではないかと思います。

   たとえば、かりにある品物に大量の注文があったとします。
   そういう場合に、ともすれば、あとで注文が取れなくては困るからというので、
   つい安易に妥協しがちになります。

   けれども、そのようなときに往々にして失敗があるわけです。

   ですから、いかなる人の注文であっても自分が得心しない仕事は進めない
   という基本の考えをしっかり持たないと、仕事が大きくなり扱う品物が多くなるにつれて
   収拾がつかなくなってしまいかねないと思うのです。

・・・

(4)【 3月12日 】 経書を読むの第一義は

   経書(けいしょ)を読む第一義は、
   聖賢(せいけん)に阿(おもね)らぬこと要(かなめ)なり。

               安政二年六月十三日「講孟剳記」

   【訳】

   聖人・賢人の言行や教えを記した書を読む際に一番大切なことは、
   その内容に媚(こ)びへつらわないことである。

・・・

(5)《12日 互に他(ひと)の為をはかれ②》

   自分の快楽を追いもとむれば却って快さも楽しさも逃げてしまいます。
   これは今迄多くの人類が実験して来たところであって
   決して間違いはないのであります。

   多くの人は自分の幸福、自分の快楽を追っかけまわした結果、
   とうとう抜き挿しならぬ羽目に陥っています。

   自分の妻以外に、妾(めかけ)をこしらえたら、さぞや幸福になり、
   快楽が得られると思って、さてそれを実行して見ますと、
   直ちに家庭は地獄になってしまいます。

   自分も妻も、もう一人の女も、心の中の苦しみは
   到底言葉で尽しようのないような苦しいものとなってくるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P175~176)より

           <感謝合掌 令和6年3月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2024/03/14 (Thu) 04:12:26


(1)【 3月13日 】 

   あなたが命のあることを神に感謝していることを、
   あなたの崇める神に知っていただけるような仕方で、
   その日を、讃美のうちに、感謝のうちに過ごしなさい。

   Keep then that Day in praise, in thanksgiving,
   in such ways, such a manner that ye show to thy conscience
   that what ye worship as thy God is aware of THY appreciation of LIFE!

   (3976-21)

・・・

(2)【 3月13日 】 第一流の人物 ①

   第一流の人物はどこか普通の人の型に嵌まらぬものがなければならぬ。
   凡人の測り知れない多面的な変化に富んでいなければならぬ。

   天に通ずる至誠、世を蓋う気概と共に、
   宇宙そのもののような寂寞をその胸懐に秘めていてほしい。
   春日潜庵(かすがせんあん)は確かに当時人間の第一流である。

    <参照:春日潜庵より学ぶ!
       → https://shutou.jp/post-3760/ >

・・・

(3)【 3月13日 】 よしみを通じて

   最近は商売の上での競争が大変激しくなり、同業者どうしでも、
   ともすればお互いを競争相手とばかり考えているようです。

   もちろん競争意識は必要でしょうが、考えてみれば、
   誰も争うために商売をしているわけではありません。

   ですから、近所に新しく同業者のお店ができたからといって、
   目にカドを立てるのでなく、おおらかに迎える。
   新しいお店の方も、先輩に対し謙虚な気持でいわば“仁義”をきる。

   そういう好もしい姿は、
   お客さまのお店全体に対する信用を高めることになるでしょう。
   だから一方で適正な競争をしつつも、同じ道にたずさわるお店どうし、
   お互いによしみを通じていくことが大切だと思うのです。

・・・

(4)【 3月13日 】 永久の良図を

   永久(えいきゅう)の良図(りょうと)を捨てて
   目前(もくぜん)の近郊(きんこう)に従ふ、
   其の害(がい)言(い)ふに堪(た)ふべからず。

              安政二年六月十八日「講孟剳記」

   【訳】

   将来にわたり続くよい計画を捨てて、目の前の手近な効果を取る、
   その害は言葉で表すことができないほど大きい。

・・・

(5)《13日 互に他(ひと)の為をはかれ③》

   相場で金(かね)を儲けたら、競争で金(かね)を儲けたら、
   パ〇ンコで沢山点数をとったら、さぞ愉快であろうと思いながら、
   さて金が儲かって見ると、またそれだけでは足りなくなり、
   金(かね)に対する渇きは益々殖えるばかりです。

   ちょうどそれは、咽喉(のど)の渇きを癒やすために、
   塩水(しおみず)を飲むのにも似ています。
   飲めば飲むほど咽喉(のど)は益々乾くのです。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P176)より

           <感謝合掌 令和6年3月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2024/03/15 (Fri) 04:57:00


(1)【 3月14日 】 

   忍耐すること、公正であること、親切であること、辛抱すること、同胞愛を示すこと。
   これらを実践したなら、将来どんなことが起きるか心配する必要はありません!

   Be patient, be just, be kind, be longsuffering, show brotherly love
   - and then don't worry about what's going to happen!

   (2823-3)

・・・

(2)【 3月14日 】 第一流の人物 ②

   程明道(ていめいどう)は、
   自分は平生(へいぜい)多くの人に接するが
   「不雑」なる者が三人あるとて

   張横渠(ちょうおうきょ)と
   邵康節(しょうこうせつ)と
   司馬光(しばこう)とを挙げて、

   特に邵康節に対して
   「乱世の姦雄(かんゆう)にして道学の所得ある者」
   と評しているが、
   多面的な人豪(じんごう)というものを
   推賞し得て適切である。

   潜庵にもこの様な「不雑にして人豪」の風趣が
   ゆかしく思い起されるのである。

・・・

(3)【 3月14日 】 人間疎外は人間が生む

   現代文明における、科学技術の発達によって人間が軽視され、
   忘れられているということが問題になっています。

   そういった人間疎外をなくすためには、
   常に人間の幸せということが前提にされなくてはなりません。

   「なぜこういう新しい機械を造るか」「それは人間の幸せのためである」
   ということがいつも考えられ、それに基づく配慮がなされるならば、
   どんな機械が生み出され使われても人間疎外は起こらないと思います。

   現実に人間疎外のような観を呈しているのは、
   機械が人間を疎外しているのではなく、
   人間自身が人間を大事にせず、人間疎外を生んでいるものではないでしょうか。

・・・

(4)【 3月14日 】 人を信ずるに失するとも

   抑々(そもそも)知を好む者は多くは人を疑ふに失(しっ)す。
   仁を好む者は人を信ずるに失す。両(ふた)ら皆偏(へん))なり。
   然(しか)れども人を信ずる者は其の功を成すこと、
   往々(おうおう)人を疑ふ者に勝(まさ)ることあり。
   (中略)
   故(ゆえに)に余(よ)寧(むし)ろ人を信ずるに失するとも、
   誓って人を疑ふに失することなからんことを欲す。

              安政二年八月六日「講孟剳記」

   【訳】

   だいたい、知を好む人は人を疑いすぎて失敗するものである。
   また、仁(人として踏み行うべき道)を好む人は人を信じすぎて失敗するものである。
   両方とも、偏っているというべきである。
   しかし、人を信じる者、その結果は、人を疑う者にまさっていることがある。
   (中略)
   だから、私は人を信じて失敗するとしても、
   人を疑って失敗するということがないようにしたい。

・・・

(5)《14日 互に他(ひと)の為をはかれ④》

   そうして儲かれば儲かるほど欲がふかくなり、
   人が自分より余計儲けたら自分は損をしたような気持になりあせります。

   そしてもっと儲けなければと、愈々あせる結果、
   どんなに運よく今まで儲かっていましても、多くの回数のうちには
   一ぺんや二へんは見当ちがいをして損をします。

   その損が今まで儲けたよりも、幾層倍大きな損となって来ます。
   波乱万丈、昨日の王者のような富が
   今日は地獄のような貧乏の苦しみにさいなまれるのです。

   我欲とはこんなものです。
   得をしようと思えば却って損をします。

   ひとの為に、ひとのためにと一所懸命、自分をささげていましたら
   却って自分が栄えるようになるのです。

        *「眞理」第1巻入門篇第9章(P176~177)より

           <感謝合掌 令和6年3月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2024/03/16 (Sat) 05:00:03


(1)【 3月15日 】 

   外見は色あせる。
   しかし、生命の美しさ、人間性の美しさは、
   自己のパーソナリティを通して輝き、色あせることのない美を与える。

   For the external fades, but that beauty of life,
   of individuality shining through that personality of self,
   gives the beauty that fades not.

   (2071-2)

・・・

(2)【 3月15日 】 心・古教を照らす

   鎌倉の虎関(こかん)禅師に
   「古教照心・心照古教」の言葉がある。

   古教・心を照らすことは
   まだ行うことができる。

   心・古教を照らすに到って、
   真の活学というべきだ。

・・・

(3)【 3月15日 】 会社の力を見きわめる

   私は常に自分の会社の自己検討ということをしています。
   要するに新しい一つの仕事を始めるにしても、
   それは考えのうちに入れておくだけですぐには手をつけません。

   きょう手をつけるのは、きょうの自分の食欲に合ったものだけです。
   それ以上はいくらおいしくても食べません。

   それが自分の腹であれば、うまく調節できますが、
   事業欲は食べすぎても調節するものがありませんから、
   ただ自分の良識によって調節するしか方法がありません。

   だから常に自己反省をして、あわせて会社の総合力を検討し、
   それにふさわしい仕事をしていこうと心がけています。

   そこを見きわめることが、経営者として、非常に大事なことだと思います

・・・

(4)【 3月15日 】  浩然の気①

   ○至大至剛(しだいしごう)、直(ちょく)を以(もっ)て養’やしな)ひて
   害(がい)することなければ、則(すなわ)ち天地の聞(かん)に塞(ふさ)がる。

   孟子本文

   此(この)の一節最も詳(つまびら)かに読むべし。
   至大(しだ)とは浩然(こうぜん)の気の形状なり。
   「恩を推(お)せば、以て四海を保(やす)んずるに足る」と云ふも、
   即(すなわ)ち此の気なり。

   此の気の蓋(おお)ふ所、四海の広き、万民の衆(おお)きと云えども及ばざる所なし。
   豈(あ)に大ならずや。
   然れども此の気を養はざる時は、
   一人に対しても忸怩(じくじ)として容(い)れざる如(ごと)し。
   況(いわん)や十数人に対するをや。
   況や千万人をや。
   蓋(けだ)し此の気養ひて是れを大(だい)にすれば、
   其の大(だい)極(きわま)りなし。
   餒(だい)して是れを小にすれば、其の小亦(また)極りなし。

   浩然は大の至れるものなり。
   至剛(しごう)とは浩然の気の模様なり。
   「富貴(ふき)も淫(いん)する能(あた)はず、
   貧賎(ひせん)も移(うつ)す能はず、威武(いぶ)も屈する能ず」と云ふ、
   即ち此の気なり。



   【訳】

   ○至大至剛、直を以て養ひて害することなければ、
   則ち天地の聞に塞がる(この上もなく大きく、この上もなく強く、しかも、正しいもの。
   立派に育てれば、天地の聞に充満する程になる。それが浩然の気であるという)。

   孟子本文


   この一節を最も詳細に読まねばならない。

   「至大」とは、浩然の気の形、ありさまである。
   孟子が「恩を推せば、以て四海を保んずるに足る(人としての
   情け心を押し広めてさえゆけば、
   広い天下でも治めていくに十分であることいっているのも、
   つまり浩然の気のことである。

   この気が覆う広さは、天下がいかに広くても、
   人々の数がどれほど多くても、とうてい及ばないのである。
   何と大きいことではないか。
   しかしながら、常日頃、我が身にこの気を養わないでいれば、
   たった一人の人間に対しても恥じ入ってたじろぎ、
   これを受け入れることができないのである。

   ましてや十数人に対しては、いうまでもない。
   また、千万人に対しては、なおさらのことである。
   確かに、この気を養って、大きくすれば、際限もなく大きくすることができる。

   ところが反対に、小さくさせてしまうと、際限もなく小さくなってしまう。
   「浩然の気」というものは、この気を最も大きくしたものである。
   「至剛」とは、浩然の気の模様、つまりありさまである。

   「富貴も淫する能はず、貧賎も移す能はず、威武も屈する能はず
   (財貨が多く位が高くても、その心を堕落させることができず、
   逆に、貧乏で身分が低くても、その心を変えさせることができない。
   威光や武力をもってしてもおびえさせることができないこという、
   それが、この気のことである。

・・・

(5)《15日 明るい快い心持ちにおなりなさい①》

   「笑う門に福来る」「泣き面に蜂」と云う諺(ことわざ)がありますが、
   多くの人たちは、「不幸が来る」と思って
   ニガ虫をかみつぶしたような顔をしているために、

   折角、あなたの友達となり、力となってあげようと思って来ている人を
   追い出してしまっていながら、それに気がつかないのです。

   習慣的ににがい顔や、その人に会うと気持の悪い顔などをしているために、
   折角の力になってくれる筈の人が遠ざかってしまうのであります。

   誰でも暗い不快な気持よりは明るい気持の方が好きですから、
   力になる友だちや協力者を得るためには、あなた自身が先ず、
   「明るい快い気持」の顔をしていなければなりません。

        *「眞理」第1巻入門篇第11章(P177)より

           <感謝合掌 令和6年3月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2024/03/17 (Sun) 04:58:58


(1)【 3月16日 】 

   あなたがどこかで失敗したことがあるからといって、恐れてはなりません。
   主は、「あなたが人々を許すように、私もあなたを許す」と言われたのですから。

   Be not afraid because ye have faltered anywhere.
   For He has said, "I forgive, even as ye forgive others."

   (3376-2)

・・・

(2)【 3月16日 】 無心の読書

   読書、思索は無心でやるのがよい。
   金剛経にいう「無住心」だ。

   ためにするところがあると、
   折角の読書、思索も害になる。
   少なくもわずらいとなる。
 
   昔の学生は大部の書を読むことを
   一つの楽しみとし、誇りとした。

   「史記」や「資治通鑑(しじつがん)」などは
   その恰好の材料だ。

   よい意味での猛気(もうき)といってもいいが、
   この気魄(きはく)がないと学問もものにならない。

・・・

(3)【 3月16日 】 60%の可能性があれば

   ある仕事をある人にしてもらう場合、
   その人が適任かどうかということがきわめて重要ですが、
   実際には、それはなかなかわかりません。

   それではどうするかということですが、
   この人だったらまあ60%ぐらいはいけそうだなと思ったら、
   もう適任者として決めてしまうのです。

   80点までの人を求めるということも不可能ではないでしょうが、
   しかしそれには非常に時間と手数がかかります。

   だから、これならまあ80点ぐらいはあるなと思ったらもう、
   「君大いにそれをやってくれ」というようにするわけです。
   するとたいていうまくいくのです。

   全部が全部ではありませんが、中には100点満点ということもあります。

・・・

(4)【 3月16日 】  浩然の気②

   此(この)の気の凝(こ)る所、火にも焼けず水にも流れず。
   忠臣(ちゅうしん)義士(ぎし)の節操を立つる、
   頭は刎(は)ねられても、腰は斬られても、操(みさお)は遂(つい)に変(へん)ぜず。

   高官(こうかん)厚禄(こうろく)を与(あた)へても、
   美女淫声(いんせい)を陳(つら)ねても、節(せつ)は遂に換(か)へず。
   亦(また)剛(ごう)ならずや。
   凡(およ)そ金鉄剛(きんてつごう)と云(い)へども烈火以て溶(と)かすべし。
   玉石堅(ぎょくせきけん)と雖(いえど)も鉄鑿(てつさく)以て砕(くだ)くべし。
   唯(た)だ此の気独(ひと)り然(しか)らず。
   天地に通じ古今を貫き、形骸の外(そと)に於(おい)て独り存するもの、
   剛の至(いた)りに非(あら)ずや。至大至剛は気の形状模様にして、
   直(ちょく)を以て養ひて害することなきは、即(すなわ)ち其の志を持して
   其の気を暴(そこな)ふ義にして、浩然の気を養ふの道なり。

   其の志を持すと云ふは、我が聖賢を学ばんとするの志を持ち詰めて
   片時も緩(ゆる)がせなくすることなり。
   学問の大禁忌(きんき)は作輟(さくてつ)なり。

   或(あるい)は作(な)し或は輟(や)むることありては
   遂(つい)に成就(じょうじゅ)することなし。
   故に片時も此の志を緩(ゆる)がせなくするを、其の志を持(じ)すと云ふ。

          安政二年七月二十六日「講孟剳記」

   【訳】

   この気が凝り固まれば、その心は火にも焼けず、水にも流れない。
   忠義の臣や自分を捨てて、正義に殉ずる人がその節操を堅く守る様は、
   頭を例ねられ、腰を斬られでも、絶対にこれは変えないのである。

   高い地位や俸給を与えても、また、その眼前に美女を並べ、
   その淫らな声色を聞かせても、節操は最後まで変えないのである。

   何と強く堅く、猛きことではないか。
   およそ金や鉄であっても、烈しく燃える火で溶かすことができる。
   玉石であっても、鉄の撃で砕くことができる。

   ただ、この浩然の気だけはそうではない。

   天地の果てまで満ち溢れ、昔から今までずっと一貫しており、
   形を超越して、ただ一つだけ存在するものである。
   何と至剛の極まりではないか。

   至大至剛は浩然の気の形とありさまであり、
   孟子の「直を以て養ひて害することなき(この気を正しい道を実践することによって
   養い育て、これを害することがない)」と、いうのは、
   その志をもちつづけて、その気を暴(そこな)うことがないということであって、
   これこそが、「浩然の気」を養う方法である。

   その志をもっというのは、聖賢の正しい生き方を学ぼうとする志をもちつづけて、
   一瞬でも気を抜かず、いい加減にしないことである。

   学問を進める上で絶対にしてはならないことは、
   やったりやらなかったりということである。

   ある時にはやり、ある時にはやらないということでは、
   結局、成し遂げるということはない。

   だから、つかの間もこの志をいい加減にしないことを、
   その志をもちつづける、というのである。

・・・

(5)《16日 明るい快い心持ちにおなりなさい②》

   その「明るい快い気持」になるためには
   「既に自分は幸福だ」「既に自分は金持だ」
   と思わねばなりません。

   すなわち、今あらわれている相(すがた=これを現象の相)はどうあろうとも、
   それは今までの自分や周囲の人々の心のヴェールをかけて見たすがたであって、
   実の相(すがた=実相)は「既に自分は幸福だ」と思い、信じ、

   そのつもりで、笑顔をし、感謝報恩のつもりで、人のために尽していますと、
   実相(じっそう)の完全な相(すがた)があらわれて来るようになる
   のであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第11章(P177~178)より

           <感謝合掌 令和6年3月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2024/03/18 (Mon) 04:57:17


(1)【 3月17日 】 

   消化吸収と排泄が正常に近い状態で保たれるなら、
   その寿命はその人が望むだけ延ばすことができる。

   If the assimilations and the eliminations would be kept nearer NORMAL
   in the human family,
   the days might be extended to whatever period as was so desired.

   (311-4)

・・・

(2)【 3月17日 】 利益と義理 ①

   佐藤一斎の言志後録に曰く
 
   君子亦利害を説く。利害は義理に本づく。小人亦義理を説く。義理は利害による。
   同じく云う。眞の功名は道徳便ち是なり。眞の利害は義理便ち是なり。
 

   君子 ―― 人格者、立派な教養のある人は、
   どうかすると利害などというものは説かないように誤解する者がある。
   人間に利害はつきもので君子も利害を説く。

   然し君子の説く利害は義理が根本である。

・・・

(3)【 3月17日 】 修養に場所を選ぶな

   人は若い間の心がけのいかんにより、後にずいぶん差の生ずるものである。
   もし若い時代に自己実力の養成に励まず、修養に努めなかったならば、
   必ず後年、後悔するときがくると思う。

   しかるに若い人の間で
   「この仕事は自分の性分に合わない、あの主任の下ではどうも働き甲斐がない」と、
   不足をもらす人がある。

   これは自己中心の物の考え方の弊害であろう。

   真に自己の適所を見出すまでには、
   いろいろな経験を積まなければならない。

   また性格、意見の異なった指導者の下で自己を磨くことによってこそ、
   かえってよりよく修養が得られるものであることを、
   深く知らなければならないと思う

・・・

(4)【 3月17日 】 事務を以って世上話となす者

   心身家国切実の※事務を以て世上話となす者、取るに足るものあることなし。  

            安政2年6月22日「講孟剳記」

   【訳】

   自分の心や身体、家、国家に関わる大切な問題を、
   世間話として口にするようなものは、取るに足らない。

    ※事務は時務である。時務とはその時になすべき政務などの課題。

・・・

(5)《17日 明るい心で恩返しに何かさせていただきましょう①》

   だから、実相の円満完全な有様を常に見つめている者は
   徹底的に楽天主義になるのであります。

   楽天主義とは、厭世主義とは全然反対であって、
   どこどこまでも此の世を楽しいとする主義であります。

   こんな楽天主義の人ばかりが此の世の中に住んでいますと、
   世界は自然に平和になるのであります。

   今世界が二つにわかれて、いつ戦争が起るかわからないような
   危険な状態になっていますのは、互に「何か悪いことが起るにちがいない」
   と思って、相手をうたがっているからであります。

   「既に皆は幸福だ」と思わないからであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第11章(P178)より

           <感謝合掌 令和6年3月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2024/03/19 (Tue) 04:55:43


(1)【 3月18日 】 

   誰かがときどきあなたを疑うからといって、
   それで動揺してはなりません。

   自分のバランスを保ち、あなたが主の愛、主の誡め、
   主の約束を他の人達に実践するならば、
   主が親しくあなたと共にいてくださることを覚えておきなさい。

   Don't be disturbed because others may at times question you.
   Keep your own balance and know the Lord is with thee personally,
   as ye personally apply His love, His precepts,
   His promises toward others.

   (1179-12)

・・・

(2)【 3月18日 】 利益と義理 ②

   義とは実践の法則であり、理とはその理由である。

   君子のいう本当の功名手柄は、人間としていかにあるべきかの道徳から出る。
   つまり本当の利益というものは、
   義理にかなうものでなければならぬということである。
 
   ところが世の中の利害というものは大抵義理に反して打算にはしる。
   これが問題である。

・・・

(3)【 3月18日 】 年功序列と抜擢

   それぞれ長短のある年功序列、抜擢をどのように行なっていくかということは、
   それぞれの企業の実態、情況により一概には言えないと思うが、

   私自身について言えば、
   だいたい年功序列70%、抜擢30%というような感じでやってきた。
   これが反対に年功序列30%、抜擢70%になると非常に面白いと思うのだが、
   それはやはりまだ先のことで、今日の日本においては、年功序列を主体としつつ、
   そこに適度に抜擢を加味していくことが無理のない姿だと思う。

   しかし考えてみれば、抜擢の何十%かは賭けである。
   だが、ときにはあえてその冒険をおかす勇気を持つことが、
   企業発展の上で求められている時代であると思う。

・・・

(4)【 3月18日 】 盛強を勉めずして

   吾(わ)れ盛強(せいきょう)を勉(つと)めずして人の衰弱を願(ねが)ふ。
   是れ今人(こんじん)の見(けん)なり。
   悲しいかな、悲しいかな。

            安政二年七月十九日「講孟剳記」

   【訳】

   自分の意気を盛んとし、精神を強化せずして、他人の衰え、弱化を願う。
   これは今の人々の考え方である。
   悲しいことである。悲しいことである。

・・・

(5)《18日 明るい心で恩返しに何かさせていただきましょう②》

   若し世界の人々が人間の実相(じっそう)が神の子であって
   決して他(ひと)を侵略などするものはいないと、
   今信じることが出来ましたならば、

   今、この世界に平和が来まして、武器をつくる必要もなくなりますし、
   重い税金をかけられることもなくなるのであります。

   全世界の人がそうなるのを待っていても仕方がありません。
   先ずあなたひとりから明るい心になることです。

   「自分は幸福です」と思って、
   幸福の微笑(びしょう)を人々に投げかけることです。

  「私に出来ることなら何かさせて下さい。私がは恩がえしがしたいのです」と
   明るい気持で人々に深切をしてあげることです。

   其処から、明るい、何か暖かいものが、あなたの心から流れて出、
   周囲の人々の心を《なごやかな》、平和な、楽しいものに
   ならせることになるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第11章(P178~179)より

           <感謝合掌 令和6年3月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2024/03/20 (Wed) 04:59:05


(1)【 3月19日 】 

   天父の祝福は、奉仕する人、一途に奉仕する人の労働の上に注がれる。

   The blessings of the Father's rest upon the labors of those
   who would serve - serve - serve.

   (254-18)

・・・

(2)【 3月19日 】 「成る」と「為す」

   「やれるだけやる。そして成る様にしか成らぬ」。

   成るということの中に為すということがあり、
   為すということの中に成るということがある。

   成るということは為すということ、為すということは成る
   ということが分れば、命を知るというものだ。

・・・

(3)【 3月19日 】 日本の資源は人

   日本の資源は人そのものです。
   いま日本から人を5千万人も取ったら、日本はまいってしまいます。
   人が多いのは資源の多い姿です。

   しかも、普通の資源であったらじっとしていますが、人間は働きます。
   一方で費やすという点もありますけれど、
   やはりそれ以上のものをつくり出すものを持っています。

   われわれは、この人間が資源であるということを
   はっきりと認識することが大事だと思います。

   また人間という無限の資源を持っているのだということを
   もっと教えなければいけないと思います。

   もちろん人が多いというだけではダメで、
   その質をよくすることが必要なのは言うまでもありません。

・・・

(4)【 3月19日 】  君子は交わり絶ちて悪声を出さず

   君子は交(まじわ)り絶(た)ちて悪声(あくせい)を出(いだ)さず。
   忠臣は国を去りて其の名を潔(いさぎよ)くせず。

   楽毅(がっき)

   大義を以て絶交に及ぶと難も、私情遂に悪声を出すに忍(しの)びざるなり。
   已(や)むを得(え)ずして国を去ると雖(いえど)も、
   旧情(きゅうじょう)遂(つい)に
   吾(わ)が名を潔(いさぎよ)くするに忍びざるなり。
   故(ことさ)らに矯飾(きょうしょく)して長者の風をなすに非(あら)ず。

               安政二年八月九日「講孟剳記」


   【訳】

   立派な人は、ある人となんらかの事情で交際を絶たねばならなくなったとしても、
   その人の悪口はいわない。

   立派な家来というものは、なんらかの事情で仕えた国家を
   さらねばならなくなったとしても、
   自分は潔白で罪はないなどということはいわない。

   楽毅

   道義に基づいてある人と絶交せざるを得なくなったとしても、
   その人の悪口をいうのは、情において忍びがたいことである。

   また、やむを得ず仕えた国家を去るとしても、自分だけは潔白だったなどと
   自己弁護するのは、情において堪えられないことである。

   だからといって、殊更(ことさら)に上辺を飾り、
   徳の高い人のふりをせよというのではない。

    楽毅-生没年不詳。中国、戦国時代の燕の武将。

・・・

(5)《19日 明るい心が幸福のもと①》

   キリストは「光のあるうちに光の中を歩め」と云いました。
   キリスト教の神様は光の神様、明るい神様です。

   仏教ではアミダ様と云います。
   これを支那の道綽(どうしゃく)禅師と云うお坊様が
   尽十方無礙光如来と翻訳なさいました。

   あらゆる方角、どこもかしこも尽(ことごと)く、
   どんな障害物も礙(さまた)げることが出来ない
   光の如来さまと云う意味であります。

   やはり仏さまは明るい光ですね。
   真言宗では大日如来と云います。

   日本では天照大御神と申しまして、
   宇宙全体を照らす光の神様と云うことになっております。

   兎も角、どの宗教でも、神様は「光」に
   たとえられている位に明るいのでありますから、
   その神様の眼に見えないお助けを頂こうと思いましたら、
   それと同じ心の波長、すなわち明るい心を起さなければ
   ならないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第11章(P179~180)より

           <感謝合掌 令和6年3月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2024/03/21 (Thu) 05:01:01


(1)【 3月20日 】 

   あなたの今の境遇は、物質的にも、精神的、霊的にも、
   あなたがより大きなもの、もっと優れたものを成し遂げるのに
   必要な成長をもたらすものであり、
   あなたは今の状況をやり抜かなければならない。

   In the environ as the body finds self in the present
   is that necessary for the body-consciousness,
   the body-mind, to pass through for that
   development necessary for bigger, better, greater things
   the body may accomplish in a material, in a mental, in a spiritual manner.

   (311-5)

・・・

(2)【 3月20日 】 徳は得なり

   「徳」というのを平たく初歩的に言うと、
   人間が自然から与えられているもの、
   即ち得たるところのもの、みな「徳」だ。

   だから「徳は得なり」という文字の註釈がある。

   天から、自然から、親から生んでもらって与えられたものはみな「徳」である。
   しかしその与えられたものの内容はいろいろで、
   その中の特に根本的なものを他のものに対して「徳」という。

・・・

(3)【 3月20日 】 まず自分から

   反省を求める者には反省を求める、
   また自分たちにおいて反省すべき点があれば、
   大いに反省して協力体制をとってゆく。

   そういうことを誰かが言い出し、誰かがやらねばならないのに、
   誰もが非常な安易感に浸ってしまって、
   成りゆきまかせ、他人まかせになってしまっている。

   それが日本の現状でしょう。
   これでは物事は好転していきません。

   きょう一日が過ぎれば、あすはあすの風が吹くだろうというような
、  事なかれ主義はいつか行き詰まります。

   お互いに全体として考え直そうという行き方を“誰か”ではなく、
   まず自分が生み出さなくてはならないことを深く自覚すべきだと思うのです。

・・・

(4)【 3月20日 】 心なり

   俗論(ぞくろん)見る所は形の上なり。君子の論ずる所は心なり。

             安政二年八月六日「講孟剳記」

   【訳】

   俗人が見るのは形である。心ある立派な人が見るのは心である。


・・・

(5)《20日 明るい心が幸福のもと②》

   明るい心を起しなさい。
   暗いところにはじめじめした苔(こけ)かバイキンか
   黴(かび)のようなものしか生(は)えないのであります。

   明るい心になりなさい。
   南を受けた暖かい土地には立派な樹木が育ちます。
   それは明るいからです。

   皆さんも既に幸福なのだと云うことを信じて、
   幸福の明るい心の波を起しなさい。

   すると、「既に幸福なる」実相の完全な豊かな姿があらわれて、
   現実にも幸福に健康に豊かになるのであります。

   もう其処には不幸も病気も貧乏もないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第11章(P180)より

           <感謝合掌 令和6年3月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2024/03/22 (Fri) 04:57:01


(1)【 3月21日 】 

   天使が訪れたくなるような、
   天使すら客人として招かれることを望むような
   家庭や住まいを作りなさい。

   Make thine home, thine abode,
   where an angel would DESIRE to visit,
   where an angel would seek to be a guest.

   (480-20)

・・・

(2)【 3月21日 】青年よ大望を持て ①

   札幌農学校の名師クラーク去るに臨んで子弟に与えたる一語、世に知らざる者なし。

   而て多く其の片鱗を伝えて、全きを知らず。


    Boys, be ambitious.
    Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,
    not for that evanescent thing which men call fame.

    Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

・・・

(3)【 3月21日 】 春を楽しむ心

   草木は芽を出し、蕾はほころびて伸び伸びと成長する春の季節。
   春はまさに万物成長のときと言えるでしょう。


   私たちもこんな春を迎えて、大いにこれを楽しみ、
   大いに成長していかなければならないと思います。

   春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じます。
   長い人生には、ときには不愉快なこともあり、面白くないときもありますが、
   春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、
   やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、生き甲斐も感じられてきます。

   そして野山の樹々が一年一年と年輪を加えていく如く、
   お互いの心も、去年よりも今年、今年よりも来年と
   一年一年成長していくと思うのです。

・・・

(4)【 3月21日 】  天を怨み人を咎むる所なし

   己(おの)れを処するは貧賤の極(きわま)り、
   艱難(かんなん)の甚(はなはだ)しきと云(い)へども、
   雍々(ようよう)是(こ)れに処(お)り、
   一(ひとつ)も天を怨み人を尤(とが)むる所なし。

             安政二年八月九日「講孟剳記」

   【訳】

   (心ある立派な人は)自分自身に対する際、どんなに貧乏で身分が低くても、
   また、どんなに辛い状況にあろうとも、穏やかな態度でいる。
   決して、天を怨んだり、人を咎(とが)めたりする、ということはない。

・・・

(5)《21日 人間の本当のすがた①》

   お月さんが三日月に出ていても、あの本当の姿はまん円(まる)いのだ、
   斯う見るのが実相を見る見方です。

   ところが、大抵の人は現れに捉われて三日月のお月さんが出たら
   鋭い三日月がお月さんだと思うのですね。

   そう思うからそれがいけないのです。
   そう思うから本当に又鋭い状態が何時までも続くのです。

   三界は唯心の所現で、
   此方(こちら)の思う通りに形に現れて来ると云うので、
   自分が円満な心を起せば相手が円満に現れて来るのです。

   相手は丁度鏡である。

   人が鋭く出て来たらあれは私が鋭いのだ。
   斯(こ)う想えばそれでいいのです。

   出てくるものがみんな自分の心の鏡で有難いのですね。

   自分の心の鏡があるので化粧が出来るのですね。
   顔に墨が付いているのが鏡に映って分るのと同じように、
   こころに墨が付いているのが相手に映って分るのが、
   われわれの周囲にあらわれる人々の姿です。

   「有難い!」斯う思って
   相手のどんな姿でも拝むようにしなければならないのです。

   そして「有難い」と思って鏡を見たら、
   実に有難そうな自分の顔が鏡に映(うつ)る。

   「何、憎い奴めが」と思って見たら憎い奴が鏡に映る。

   他(た)の人の顔かと思ったら自分の心の顔ですね。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P181~182)より

           <感謝合掌 令和6年3月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2024/03/23 (Sat) 04:52:11


(1)【 3月22日 】 

   あなたが望んでいるものが、
   神があなたに為すことを望んでおられるものと一致するように、
   あなたの望みを変えなさい!

   Change that ye want to be in keeping with THAT
   He would have thee do!

   (1472-6)

・・・

(2)【 3月22日 】青年よ大望を持て ②

   青年よ大望を持て。金銭や利己的誇負の為ならず。
   世の人々の名誉と称するその実虚しきことの為ならず。
   人として当にしかあるべきあらゆることを達成せんとする大望を持つべしと。

   かくありてこそ語に瑕疵なきなり。

    *瑕疵とはきず、欠点のこと。

・・・

(3)【 3月22日 】 迷いと判断

   私は極小の商売から今日までの間、
   たとえば“新しい仕事をすべきか否か”を決める場合、
   全部自分一人で決断してきたかというと、決してそうではありません。

   自分はやりたいと思うけれども、それだけの力があるかどうか
   自分で判断がつかないというときも実際ありました。


   そういうときにはどうしたかというと、第三者にすっかり打ち明けて
   「いまこういうことで迷っているんだ、君ならどう思うか」と尋ねました。

   「それは松下君、あかんで」「きみの力やったらやれる」といろいろ言ってくれる。

   迷ったときには、私は得心のいくまで他人の意見を聞いてみる
   ということをやりながらだんだん大きくなってきたのです。

・・・

(4)【 3月22日 】 百人千人万人に傑出せん

   今、常人の通情を察するに、善を好み悪を悪むは固(もと)よりなれども、
   大抵十人竝(なみ)の人どならんと思ふ迄(まで)にて、
   百人千人万人に傑出せんと思ふ者更に少なし。

            安政二年(1855)八月九日「講孟剳記」


   【訳】

   今、一般の人々の気持ちを推測すると、
   善いことを好み悪事をにくむことは当然ではあるが、
   大抵人並みの人になれればいいと思っているだけである。

   百人、千人、万人の中で、
   飛びぬけてすぐれた人物になろうと思っている人は、誠に少ない。

・・・

(5)《22日 人間の本当のすがた②》

   そう云う風に、相手の姿は、こちらの心の鏡ですから、
   吾々は心を円満にして、人間と云うものは皆、神の子で、
   悪い者は一人もないのだ。

   罪人はないのだ。

   悩みもないのであって其のまま完全である。

   悪があると云うように見えるのは、それはある
   と思っている間だけあるのであって、
   其の間(あいだ)だけそうなるのだと知らねばなりません。

   「幽霊の正体見たり枯尾花」と云う俳句のように、
   本当に幽霊かと思っている間は如何にも幽霊ですが、
   気が付いて後(あと)になって見たら枯尾花であったと分るのですね。

   「あいつは悪い奴じゃ」と思うのは、薄(すすき)の穂(ほ)を夕方に見て
   幽霊と思いちがえるのと同じです。

   本当の相(すがた)すなわち実相(じっそう)がわかると、
   悪い人などは一人もない。

   みんな神様がつくられた善い人ばかりです。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P182~183)より

           <感謝合掌 令和6年3月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2024/03/24 (Sun) 04:56:04


(1)【 3月23日 】 

   他人に対する奉仕は、神への最高の奉仕です。

   Service to others is the highest service to God.

   (257-10)

・・・

(2)【 3月23日 】志士

   志士とは畢竟、正しき意味に於る理想に生きる人の称である。
   貪生的意志 Wille Zum Leben の主体に非ずして、
   化育的意志 Wille Zum Kulturleben の主体たる人の称である。

   万有を生成し化育する絶対者のいとなみである人間世界は、
   造化の正統である志士の気を失して到底進歩有るを得ない。

   我等は先ず純粋なる意味に於て志士とならねばならぬ。

・・・

(3)【 3月23日 】 即断即行

   昔から「兵は神速を貴ぶ」という言葉がある。
   一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨がかかっている場合がある。
   そういうときにいたずらに躊躇逡巡していたのでは機会は永遠に去ってしまう。

   だから大将たる者は、即断、即行ということがきわめて大事である。


   これは何も戦にかぎらず、一国の運営、会社でも同じである。
   情勢は刻々にうつり変わっていく。
   だから一日の遅れが一年の遅れを生むというような場合も少なくない。
   もちろんきわめて慎重に時間をかけて事を運ぶことが必要な場合もある。

   しかし大事にあたって即断、即行できる見識と機敏な実行力は
   指導者に不可欠の要件だと言えよう

・・・

(4)【 3月23日 】 妄りに人の師となるべからず

   師道(しどう)を興(おこ)さんとならば、
   妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。

   必ず真に教ふべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし。

             安政二年八月十六日「講孟剳記」


   【訳】

   師道を興そうとするのであれば、
   簡単な気持ちで人の師となるべきではなく、人を師とするべきではない。
   本当に教えるべきことがあって初めて師となり、
   また、本当に学ぶべきことがあって初めて師とするべきである。

・・・

(5)《23日 心の中の石を除けば「実相」の完全さがあらわれる①》

   『生命の實相』の第16巻に
   維摩経と云う聖徳太子が講義をなさった三つのすぐれた御経の中の一つを
   分り易く芝居の脚本に書き直したのが載っていますが、

   その第一幕に、お釈迦さんが足をもって石を除いた。

   そうするとそこから光線が射して来、今まで醜い色の世界であったが、
   とても美しい色の世界に変ってしまった。

   即ち、実相の美しい世界が現れて来たことが書かれているのであります。

   吾々は此の「石を除く」 ―― 心の中の石を除くということが大切なのです。

   『維摩経』にそう云うことが書いてあるのです。

   釈迦が足を上げて石を除いたということは、
   心の世界にあるところの石を除いた時に、
   初めて吾々の住む世界が平らになる、平等なる世界になるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P183)より

           <感謝合掌 令和6年3月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2024/03/25 (Mon) 04:55:01


(1)【 3月24日 】 

   憤りの入る隙がないほど、
   あなたの心、あなたの体を神の愛で満たしなさい。

   Let the love of God so fill thy mind, thy body,
    that there is NO resentment.

   (2600-2)

・・・

(2)【 3月24日 】力 量

   太い筆で細かい字を書く ―― これが人生を渉(わた)る秘訣だ。
 
   然しそれには充分の力量がなければならぬ。

・・・

(3)【 3月24日 】 協調性を持つ

   みなさんが、それぞれの会社の社員である以上は、
   多数の同僚と相接して仕事をしなければならないということになりますから、
   人の立場を重んじない、いわゆる協調性の少ない人は困ると思うのです。


   自分はこう思うが、あの人はああ思うのだな、それも一つの考え方だろうな、
   というように人の言に耳を傾ける、というところに協調性が成り立つのです。

   もちろん、自己というものを卑屈にして協調せよというのではありません。
   けれども自己にとらわれた主張は協調性を欠きます。

   この点は、どのような立場にいようと考えなければならない、
   非常に大事な問題ではないかと思います。

・・・

(4)【 3月24日 】 初一念

   人は初一念(しょいちねん)が大切なるものにて、
   (中略)
   学問を為す者の初一念も種々あり。
   就中(なかんずく)誠心(せいしん)道を求むるは上(じょう)なり。
   名利の為にするは下(げ)なり。

   故に初一念名利の為めに初めたる学問は、進めば進む程(ほど)
   其(その)の弊(へい)著(あら)はれ、
   博学(はくがく)宏司(こうし)を以て是れを粉飾すと云へども、
   遂(つい)に是(こ)れを掩(おお)ふこと能(あた)はず。

   大事に臨み進退(しんたい)拠(よりどころ)を失ひ、
   節義(せつぎ)を缺(か)き勢利(せいり)に屈し、
   醜態(しゅうたい)云(い)ふに忍びざるに至る。

            安政二年八月二十六日「講孟剳記」

   【訳】

   人間は最初に心に深く思ったことが大切である。
   (中略)
   学問をしようとする者が最初に心に深く思うことも様々である。
   その中でもとりわけ、人間としての正しい生き方を求めようとするのは
   上の部類である。
   有名になりたいとか、得をするために行うのは下の部類である。

   だから、名誉や得のために始めた学問は、進めば進むほど、その弊害が現れる。
   それを広い学識や高尚な文章で飾っても、
   ついにはこれを覆(おお)い隠すことはできない。

   また、大切な事態に際しては、進退のよりどころを失い、
   節義を欠き、権力や利益に屈してしまう。
   その見苦しく恥ずべき様子は、
   口にすることさえ忍ぶことができないまでになってしまう。

・・・

(5)《24日 心の中の石を除けば「実相」の完全さがあらわれる②》

   維摩経には此の道理を象徴的に書いてあるのであります。
   象徴と云うのは形に見えない真理を形の「たとえ」であらわしたのです。

   その場面で、寶積(ほうしゃく)という金持が、

   「中々立派なお庭でございます。
    流石(さすが)は仏さんのいらっしゃるところの
    此のお庭は実に美しいですね」

   というふうに讃嘆しましたら、

   「なんの、なんの、洵(まこと)にむさ苦しいところでございます」と
   斯ういう風に舎利弗が答えたのであります。

   舎利弗は智慧第一と云われて居る弟子ですけれども、
   人間の五官で見る智慧で、寶積から見たら立派に見えておったところの
   其の庭を、実相そのままに立派に見ることが出来ないで、
   汚(きたな)い荊棘(いばら)の生(お)い繁っている庭だと
   見たのであります。

   五官で感じられる不完全な有様に心を奪われて
   実相の完全な姿を見のがしてはならないのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P183~184)より

           <感謝合掌 令和6年3月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2024/03/26 (Tue) 04:52:49


(1)【 3月25日 】 

   人の魂をその造り主から引き離すのは諸々の欲と肉欲だけです!

   NOTHING may separate the soul of man from its Maker but desires and lusts!

   (1293-1)

・・・

(2)【 3月25日 】厳父と慈母

   親兄弟は本能的、自然的、先天的関係である。
   そこが師弟や朋友の関係と違うところだ。

   一家の中では父は厳、母は慈、又は悲でなければならぬ。

・・・

(3)【 3月25日 】 権限の委譲

   一人の人間の力というものはどうしても限りがある。
   その限りある力以上のことをしたり、させたりすれば往々にして失敗する。

   力にあった適正な範囲で事を行なうのが一番よいのであって、
   その事が力に余るようであれば、それを分割して
   何人かの力によって行わせることが望ましい。


   指導者としては、仕事を適切な大きさに分け、
   その分野については責任と権限を委譲して、
   各人の力に応じた仕事を徹底してしてもらうことを考えなくてはならないと思う。

   それぞれの責任範囲をはっきりさせることによって、
   仕事にムダがなくなり、能率もあがるようになるのである。

・・・

(4)【 3月25日 】  平日に議論して

   宜(よろ)しく平日に議論して、時に臨(のぞ)みて誤(あやま)るとなかれ。

              安政二年八月十六日「講孟剳記」

   【訳】

   (重要な問題は)何もない平穏無事な時に議論しておくべきである。
   いざという時に臨んで、判断をまちがえることのないように。

・・・

(5)《25日 心の中の石を除けば「実相」の完全さがあらわれる③》

   そうしたら天から螺髻(らけい)梵王(ぼんのう)の声で、

   「仏様の世界はどこもかしこも浄土であって、不浄の世界などはない」
   と厳(おごそ)かに聞えて来たのであります。

   是は例えば娘さんがお嫁に往ったと致しますと、
   こんな荊棘(いばら)の世界みたいな結婚先で、
   姑、小姑鬼千匹などというのが沢山並んでいる、

   とても助からない、まことに荊棘の生(お)い茂った
   むさくるしい世界だと思うかも知れない。

   これは自分の心の中の石を除かず、自分の心の角(かど)を周囲の鏡に映して、
   此の世界は荊棘(いばら)生(お)い繁っている世界であり、
   姑、小姑は、鬼みたいに自分をいじめる姿だと見ているのでありまして、
   本当は、この世界は神のつくりたもうた完全な世界であります。

   仏教的に云いますれば、
   仏さんの威神力(いじんりき)で荘厳(しょうごん)されている
   此の世界はどこもかしこも浄土であって不浄の世界はどこにもない。

   舅も、姑も、小姑も、みな観音様のあらわれ、お地蔵さんのあらわれ、
   或は普賢菩薩のあらわれと云うように、やさしいやさしい仏さんの
   あらわれでいらっしゃって、そしてみんなを、どうかして
   尚一層よくして上(あ)げようと思っていらっしゃるのですけれども、

   その善くして上(あ)げようと思っていらっしゃることが、
   こちらの心が歪んで見るから、
   「私の悪ばかり探して私をいじめようと思っている」などと思って、
   自分で苦しんで、此の世界を荊棘の世界に見てしまうのです。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P184~185)より

           <感謝合掌 令和6年3月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2024/03/27 (Wed) 04:52:56


(1)【 3月26日 】 

   自分を憐れみ始めた人は、すぐに他人の欠点を探すようになり、
   真の自由を忘れるようになる。

   And, an individual soul
    that begins to pity self soon finds fault with others
   and forgets the real freedom.

   (2706-1)

・・・

(2)【 3月26日 】四つの誤り

   今の世にはびこっている思想に、間違った思想が四種類ある。
 
   第一は「ひ辞」〈偏った議論〉、
 
   第二に「淫辞」〈でたらめの議論〉、
 
   第三「邪辞」〈胸に一物を持って言う邪な理屈〉、
 
   第四「遁辞」〈責任回避の逃げ口上〉
 
   である。〔孟子〕

・・・

(3)【 3月26日 】 見えざる契約

   今日、何千万人という需要家の方がたが、
   生活を豊かにしていくために物が欲しいというとき、
   それが現実に手に入らなければ、
   非常に不自由な思いをせざるを得ないでしょう。

   私たちはあらかじめそういうことを予期して、
   万般の用意をしておかねばなりません。
   それはいわば、私たちと大衆との見えざる契約だと思うのです。

   別に契約書があるわけではありませんが、私たちはこの見えざる契約、
   声なき契約をよく自覚する必要があります。

   そして、その契約を遂行していくために、
   常日ごろから万全の用意をしておくことが、
   私たち産業人に課せられた、きわめて大きな義務であり責任だと思うのです。

・・・

(4)【 3月26日 】 情の至極は

   情の至極は理(り)も亦(また)至極(しごく)せるものなり。

              安政二年八月十六日「講孟剳記」

   【訳】

   情、心の極みは、道理、人の行うべき正しい道の極みと一致するものである。

・・・

(5)《26日 心の中の石を除けば「実相」の完全さがあらわれる④》

   会社や工場につとめましても、お嫁においでになりましても、
   自分より年上の人は自分より余計経験を積んでいらっしゃいますから、
   だからその眼をもって見ればこちらはまだ足らないところが沢山あるのであって、
   ここを斯うせよと言われることは、きっとあるに違いないのです。

   その足らないところを指摘されて、言われるのはまだこちらが足らないから、
   其処を、もう少しよくして上げたいと思って、
   慈悲の心をもってそういってくださる。

   これを仏さんと見ないで、

   「吾々を憎んで『《あら》探し』をして、
    一々細かいことまで、足の上げ下ろしまで干渉するのだ。
    本当に此の世界は地獄の世界だ。人間はみな鬼千匹だ」

   と思うのは、自分の心の眼が開いていないから
   そういう風に見えるのであります。

   心の眼を開いて見たならば、そして心の石を除いて見たならば、
   そこから真理の光線がぱっと射(さ)し来って、荊棘(いばら)生い茂って
   醜きもの充満していると見え、岩石突兀(とつこつ)としていた世界が、
   素晴らしく美しい楽園に変ってしまうのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P185~186)より

           <感謝合掌 令和6年3月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2024/03/28 (Thu) 04:53:31


(1)【 3月27日 】 

   覚えておきなさい。主は甦られたのです。

   見よ、主はいつもあなたと共におられる!

   Know - KNOW that He hath risen,

    and Lo, He is with thee always!

   (254-101)

・・・

(2)【 3月27日 】陶冶する

   最高の教育を受けた人間も、
   その後の自己陶冶を缺いては、立派な人間には成り得ない。

   ごく劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。
 
   いかにも人間は陶冶次第です。

   「陶」というのは、焼物を造る、
   「冶」というのは、冶金の冶で、
   金属を精錬することであります。

   土を粘り、焼いて、陶器を造る。鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、
   人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、
   ものになりません。

   いくつになってもそうであります。

・・・

(3)【 3月27日 】 百年の計を立てる

   終戦後、日本が大きな経済発展を遂げてきたということは確かに事実ですが、
   それが果たして真の経済発展であるかどうかというと、
   いろいろ疑問があります。

   少なくとも、20年なり30年前に、20年後、30年後の日本をこういう状態に
   持っていくんだという計画を立てて取り組んだのではなく、
   いわば無我夢中で働き、ハッと気がついたら経済大国になっていた、
   というのが実情だという感じがします。


   しかしここへきて、今後ともこういう状態ではいけない。
   本当に永遠に通じるような正しい哲理哲学のもとに、大きな理念を打ち立て、
   そして100年、200年の計を立てる時期にいまはきていると思います。

・・・

(4)【 3月27日 】  己れを修め実を尽す

   世間の毀誉(きよ)は
   大抵(たいてい)其(そ)の実(じつ)を得(え)ざるものなり。

   然(しか)るに毀(そしり)を懼(おそ)れ
   誉(ほまれ)を求むるの心あらば、
   心を用(もち)ふる所皆外面にありて
   実(じつ)事(じ)日(ひ)に薄(うす)し。

   故に君子の務(つと)めは己れを修め実を尽すにあり。

              安政二年九月七日「講孟剳記」

   【訳】

   世間が(人を)褒め、貶(けな)すことは、
   大抵(その人の)実態とはちがうものである。

   それなのに、貶されることを恐れ、
   褒められたいとの気持ちがあれば、
   表面的なことばかりに心を遣(つか)うようになり、

   まごころを尽くして生きようとの気持ちは日に日に薄くなっていく。

   だから、心ある立派な人の務めは、
   自分の身を修め、まごころを尽くすことにある。

・・・

(5)《27日 心の中の石を除けば「実相」の完全さがあらわれる⑤》

   そういう風に此の世界は、
   心の眼の開き方ひとつでいいようにあらわれて来るのですけれども、
   心が色眼鏡をかけて見ると、そうすると折角いいものが悪く見える。

   嘗て私の娘が女学校にいた頃のこと、学校の友達が遊びに来て、
   お庭を見て「谷口さんのところのお庭はとてもいい」と云うのです。

   「何処(どこ)が好(い)いのですか」と問うと、

   「雑草が生い繁っているからとてもいい、
    私の家のお庭などはまん円(まる)くみんな拵(こしら)えて、
    そして綺麗にしてしまってあって少しも野趣がないから、
    そこで本当に谷口さんのところに来たらまるで山へでも
    来たような気持がして、はればれとした」

   と言って喜んでおったこともありましたが、
   そういう風に雑草が生(お)い繁っていてさえも、
   心の見方に依って、いい庭なのであります。

   一木一草にも、こちらの心がひらけば
   仏の生命(いのち)の完全なあらわれなのであります。

   これをお釈迦さんは「山川、草木、国土、悉皆成仏」と
   申されたのであります。

   ものが悪く見えるのは心が偏った見方をしているからで、
   あらゆるものを平等の心で見ないで、お庭は斯うでなければならぬ
   という或る一つの立場から見るからであります。

   「雑草はきたない」と云う立場に立つと、
   こんな雑草の生い繁っているこんな汚いお庭は駄目だと、
   折角の野趣にみちた大自然のようなお庭の美しさもわからないのです。

   ですからすべてのものを偏らずに平等の心をもって見る
   ということが必要であります。

   平等の心は素直な心です。
   そのまま平等な心、素直な心、「楝擇(けんじゃく)せぬ心」になって、
   何でも、そのもの又は其の美点をそのまま受ける気持になったときに、
   どんな荊棘(いばら)のような嫌な姿もなくなって、
   本当に浄(きよ)らかな美しい世の中があらわれて来るのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P186~187)より

           <感謝合掌 令和6年3月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2024/03/29 (Fri) 04:55:17


(1)【 3月28日 】 

   「経済的に」という考え方をやめなさい。

   経済は、あなたが正直で誠実な生き方を心がけ、
   他の人々があの道を知ることができるような人物になろう
   とすることの結果としなさい。

   そうすれば神が増し加えてくださいます。

   Leave off "financially."
   Let the financial be the result of honest,
   sincere desire to be and to live so that OTHERS may know the way also.

   GOD giveth the increase.

   (2409-1)

・・・

(2)【 3月28日 】陶鋳力

   日本には世界中の飲食物がある。
   そして我々が食べても実際おいしいと思う。
   西洋人にはこれができない。

   他民族のものを食べると直ぐ腹をこわす。
   この点日本人の胃の腑は非常な包容力・消化力を持っている。
   山鹿素行に言わすと陶鋳力である。

   陶鋳力とは消化力・包容力を併せた創造力をいう。
   仏教が来れば仏教、儒教が来れば儒教と、なんでも自由自在に消化してしまう。
   時には腹下りも中毒もやるが、いつの間にか日本化してしまう。

・・・

(3)【 3月28日 】 身を捨てる度胸

   人生というものには、いろいろな問題があります。
   しかし、それらのことも過ぎ去ってみると、あのときに迷わないで
   やってほんとうによかったな、というような場合が多いのです。

   そこが大事なところだと思います。
   ある場合には迷うこともあるでしょう。
   しかし、しょせん迷ってもお互い自分の知恵裁量というものは、
   ほんとうは小さいものです。

   だから、「これはもう仕方がない。ここまできたのだから
   これ以上進んで結果がうまくいかなくても、それは運命だ」と度胸を決めてしまう。

   そうした場合には、案外、困難だと思っていたことがスムーズにいって、
   むしろ非常によい結果を生む、ということにもなるのではないかと思うのです。

・・・

(4)【 3月28日 】  深憂とすべきは

   深憂(しんゆう)とすべきは人心(じんしん)の正しからざるなり。
   苟(いやしく)も人心だに正しければ、百(ひゃく)死(し)以(もっ)て国を守る、
   其の間勝敗利鈍(りどん)ありと云(い)へども、
   未(いま)だ遽(にわ)かに国家を失ふに至らず。

             安政二年八月二十六日「講孟剳記」

   【訳】

   深く憂うべきは、人々の心が正しくないことである。
   仮にも、心さえ正しければ、全ての人々が命をなげうち、国を守るであろう。
   とすれば、その聞に、勝ち負け、また、出来不出来があったとしても、
   決して急速に国家が滅亡することはない。

・・・

(5)《28日 花王石鹸の山崎高晴氏のこと①》

   花王石鹸の副社長だった山崎高晴さんは
   戦後亡くなられたそうですが惜しい人でした。

   この方はクリスチャンでこの神戸の関西学院におられたことがあり、
   それから又同志社へもお出でになってそうして基督教に熱心だった。

   しかしどうしても基督教では満足出来なかった。
   日本的な宗教が欲しいという気がしておられたのであります。

   それから諸方に仏教を漁(あさ)ってお歩きになったが、
   それでも満足出来なかった。

   或る日のこと、南天棒という偉い禅宗の坊さんのところへ
   道を求めてお出でになった。

   すると南天棒老師が小僧さんに命じて、
   「まあ、茶をお飲みなさい」と、お茶をいれてくれるのです。

   遠慮していると、「遠慮は要らぬ、さあお飲みなさい」と、いうから、
   仕方がなしに、飲んだ。

   復(また)つぐ、復(また)飲む、復つぐ、
   飲んだらつぐ、飲んだらつぐ。
   到頭、咽喉の辺までお茶が一杯になってしまった。
   それなのに又お茶をつぐのです。

   山崎さんが「もうお茶が一杯でもう飲めません」と云ったら、
   南天棒老師はすうとお立ちになって奥座敷に行ってしまって
   いくら待っていても老師は顔を見せなかった。

   一体どういうわけかわけがわからぬ。よくよく考えて見ると、

   「お前は色々智慧学問を詰め込んで咽喉まで一パイになっておる。
    この上いくら話したって入らないよ」

   ということを形に示して教えられたのだということに気がついた
   という話をしておられました。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P188~189)より

           <感謝合掌 令和6年3月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2024/03/30 (Sat) 04:07:53


(1)【 3月29日 】 

   愛は一切の悪を思わず、それ自身のことを思わず、高ぶることもない。
   愛は、裁判に訴えられても、悲しい目に遭っても弱まることがなく、
   愛はあらゆることを耐え忍ぶ。

   For love thinketh no evil, it thinketh not of itself,
   it is not puffed up; it is not weakened by prosecution, by sorrow;
   it endureth ALL things.

   (1073-4)

・・・

(2)【 3月29日 】小才と大才

   小才が利くと、それで好い気になって、大才にならぬ。
   結局は、策士・策に倒るということになってしまう。

   むしろどちらかと言うと愚、少々頭も悪く、小才も利かぬような人間の方が、
   根が真面目なだけに、修養努力して大人物になることが多い。

   あいつは少し馬鹿だと言われる人間が、
   賢いなどと言われる人間の企て及ばぬ人物になる。

・・・

(3)【 3月29日 】 給料は社会奉仕の報酬

   給料というものは、自分の生活を営む上で当然必要であるから、
   働くことの一つの目的ではあろうが、もっと大事な目的を忘れてはならないと思う。

   それは、自分の仕事を通じて、あるいはそのつとめた会社、商店を通じて、
   社会に尽していくということである。

   いわば職業人として、産業人としての使命をよりよく遂行していくことである。
   大きな意味で言えば、人間としての使命を果たしていくことにも通じると思う。


   だから見方を変えれば、給料というものは、
   そのように仕事を通じて社会に奉仕貢献していくことの報酬として
   与えられるものとも考えられよう。

・・・

(4)【 3月29日 】 恥の一字

   恥の一字を以て人を激励す。
   恥の一宇孟子(もうし)喫緊(きっきん)の語(ご)、故に云はく、
   「人以て恥なかるべからず」、又云はく、「恥の人に於(お)けるや大なり」と。

             安政二年八月二十九日「講孟剳記」

   【訳】

   「恥」という一字をもって人を励まし、気持ちを引き立たせる。
   「恥」という一字は、孟子が最も重要視した言葉である。

   だから、「人は恥じるという心がなければならない」といい、
   また、「恥ということは、人にとって大変大切なものである」というのである。

・・・

(5)《29日 花王石鹸の山崎高晴氏のこと②》

   どうも真理と云うものは先入観念を積んで置いて、
   その立場の上に立っていたら理解することはできないのです。

   自分の考えを咽喉(のど)まで一杯入れているその立場を捨てていないから、
   そこでいくら説いて貰っても、光は充ち満ちておっても、
   古い考えの酒に酔って目が舞(ま)っているから
   それがわからないということになるのです。

   そこで生長の家では、すべて自分の立場を捨ててしまえ
   というのが教えの根本になっているのであって、

   「天地一切のものと和解せよ」と云うのも、自分の立場を捨てた時に、
   はじめて天地一切のものと和解出来るのであって、
   自由自在になれるのであります。

   何でも或る立場に立っていると、立場とか形に左右せられてしまって、
   どうしても自由を失うのであります。

   こう振向いた時に有利であると思っても
   その足場が狭いのが邪魔になって振向けなくなる。

   そこで自分の立場とか足場とかいうものを捨ててしまって、
   何(な)にもなくなったとき、即ち「空中遊歩の真人」と云うように
   自由自在になれるのです。

   その時にはじめて我々は本当の自由を得て、そこに神の子の実相が現れて、
   不完全も不自由も、一切の悪いものも殲滅して、
   好(よ)いものばかりが現れて来るのであります。

   すべて世の中の争いとか怨みとかいうものが起るのは、
   こう云うように、姑は姑の立場をもち、嫁は嫁の立場を持って
   それを放さないというようなことから起るのであります。

   この立場を捨てることを「出家」と云うのでありまして、
   「出家」と云うのは決して頭を円(まる)めたり、
   墨染の衣を着たりすることではありません。

   自分が今まで生活していた立場から出てしまうことであります。
   そうでないと本当の真理がわからないから
   お釈迦さまも出家せられたのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P189~190)より

           <感謝合掌 令和6年3月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2024/03/31 (Sun) 04:54:38


(1)【 3月30日 】 

   毎日2粒から3粒のアーモンドを食べる人は決してガンを恐れる必要がありません。

   Those who would eat two to three almonds each day need never fear cancer.

    (1158-31)

・・・

(2)【 3月30日 】脳の使い方

   人間の脳というものは、いくら使ってもくたびれないばかりでなく、
   難しいことに使えば使うほど機能が優れてくる。
   つまらないことに使っておると退化する。

   だから子供はいくら早くてもよいから、難しいことを遠慮なく教えるが宜しい。

・・・

(3)【 3月30日 】 引き下がる決断

   やるべきときにやる、引くべきときに引く、いわゆるこの出処進退ということが、
   人間として、とくに経営者として一番大事なことではないでしょうか。


   たとえば、ある一つの仕事がもう一つうまくいかず、やめた方がいいとなった場合、
   そこにはやはり何らかの犠牲が伴います。
   世間からもいろいろな批判を受けるでしょう。
   また信用も失墜するかもわかりません。

   しかしそれを惜しんでいてはいけない。
   惜しんでいるとなかなかやめられない。
   やはりそういうものにとらわれず、やめるべきものはやめるんだ
   という引き下がる決断をすることが経営者として大切だと思うのです。

・・・

(4)【 3月30日 】 人の罪

   成し難きものは事なり、失ひ易きものは機なり。
   機来(きた)り事開きて成(な)す能(あた)はず、
   坐して之れを失ふものは人の罪なり。

             安政五年三月下旬「中谷賓卿を送る序」

   【訳】

   なし遂げることが難しいのは事業である。
   失いやすいのは機会である。
   機会が来て、事業を始めてもなし遂げることができず、
   何もせずにこの機会を失ってしまうのは、人の罪である。

    ○長州藩士中谷正亮(しょうすけ)。
     松陰の同志。高杉晋作・久坂玄瑞を松下村塾へ誘った。

・・・

(5)《30日 何故、大抵の医者は生長の家に反対するか①》

   さて、生長の家は従来、医者から嫉妬の目で見られていましたが、
   医者に対して、生長の家の医学説を唱えたならば
   反対なさるということは、別に不思議なことはないのであります。

   第一それは、
   医者と云う自分の職業の立場に立っていられるからであります。

   私は医者であってそれで飯を食っているのだ。
   それで飯を食っているのに、その医学説を根底から
   覆(くつが)えすようなことを説かれたら、
   自分たちの生活を覆(くつが)えしてしまうことになる。

   だからそれを正直に承認することに抵抗を感ずる。
   そこで大抵のお医者さんが、宗教で病気が治ることに反対する。

   併し名医の方たちは患者に対して単に薬を処方するだけでなしに、
   病中の心の持方をも教えて下さることを思うと、
   やはり心で治るということも認めておられるのだろうと思うのです。

   それを認めておられるけれども、
   それを明(あから)さまに医者として発表する立場にいないのです。

   それは、

   「自分は医者であるからどうしても手術と薬剤とで治す
    という立場に立っていなければ、自分の在来の学的勉強が無駄になるし、
    自分の生活を擁護して行くことが出来ない」

   という立場から離れることが出来ないのです。

   しかし此の立場をはなれて自由自在になれた人のみ
   自由自在になれるのでありまして、

   或る時は、薬剤を使う、或る時は手術もする、
   或る時は薬剤も手術もしないで、
   唯、言葉だけで治すことが出来るのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P190~191)より

          <感謝合掌 令和6年3月30日 頓首再拝>
31:伝統 :

2024/04/01 (Mon) 04:58:05


(1)【 3月31日 】 

   妊娠は神の賜物です。
   妊娠は常にそのようなものとして考えられるべきものです。

   Conception is a gift of God; it should ever be considered such.

   (457-11)

・・・

(2)【 3月31日 】自分を責めよ

   人間なにが悩みかというと、自分が自分を知らざることである。
   人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、
   自分を論じ、自分を知るということは、実はこれが一番大事であるにかかわらず、
   なかなか難しいことである。
 
   人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。
   世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、
   一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、
   それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、よく自分を責めるがよい。

・・・

(3)【 3 月31日 】 道は無限にある

   お互い人間というものは、常にみずから新しいものをよび起こしつつ、
   なすべきことをなしてゆくという態度を忘れてはならないと思います。

   お互いが、日々の生活、仕事の上において、そういう心構えを持ち続けている限り、
   1年前と今日の姿にはおのずとそこに変化が生まれてくるでしょうし、
   また1年先、5年先にはさらに新たな生活の姿、仕事の進め方が生まれ、
   個人にしろ事業にしろ、そこに大きな進歩向上がみられるでしょう。


   大切なことは、そういうことを強く感じて、
   熱意をもって事に当たるという姿勢だと思います。
   そうすればまさに“道は無限にある”という感じがします。

・・・

(4)【 3月31日 】 目にあり

   人の精神は目にあり。故に人を観るは目に於(おい)てす。

             安政二年九月三日「講孟剳記」

   【訳】

   人の精神は目にあらわれる。
   だから、人を見る時には、目を見る。

・・・

(5)《31日 何故、大抵の医者は生長の家に反対するか②》

   けれども、そこまでになるのは余程心境が高くならねばならぬのです。
   今まで使っておったものを一度はすべて捨てなければならぬのです。

   そして「空手にして郷に帰る」と
   道元禅師の云われたように自由自在になれるのであります。

   何によらず執着というものがあると、
   暗(やみ)の国までも引きずられて行きます。

   『古事記』に書いてありますが、伊邪那美命が夜見国に往かれたら、
   その迷いの国へ伊邪那岐命が追っかけて往かれたところが、
   光の神様であるべき人間が、兎(と)もすれば迷いの執着というもので、
   暗の国に引きずられて行くことの譬えであります。

   自分の生活権を擁護しなければならぬというような立場のお医者さんに、
   今の医学を捨てなさいという事は恐らく駄目であろうと思うのです。

   そこで若しそういうお医者さんに真理を説いておあげになりたい
   と思われる方は在来の医学や医術を排斥したり攻撃するようなことなく、
   メニンジャー博士著『おのれに背くもの』のような医学者で
   精神方面の研究をしている科学者の本でも貸してあげて
   読ませてあげるのがよいと思います。

   医者一人を精神によって病いを治す本当の医者にしてあげることは、
   多勢の人を救うもとになるのであります。

        *「眞理」第1巻入門篇第12章(P191~192)より

           <感謝合掌 令和6年3月31日 頓首再拝>

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