伝統板・第二 2542743

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ひかりの一日一言108~ひかりの語録(3月)

1:伝統 :

2024/03/01 (Fri) 04:58:03

ひかりの一日一言《1日》

幸福(こうふく)とは神のみ心に従って生きることである。
神の実現である。
そのほかに人間の幸福(こうふく)はない。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2024/03/02 (Sat) 05:05:17


快楽は自己欺瞞に過ぎない。
「物質」そのものが「生命(せいめい)」にとっては自己欺瞞なのである。
「肉体」そのものが「生命(せいめい)」にとって自己欺瞞なのである。
だから物質的快楽、肉体的快楽が自己欺瞞であるのは言うまでもない。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2024/03/03 (Sun) 05:04:51


性欲は愛ではない。
性欲は肉体に属するもので、愛は霊に属するものである。

霊界に行(ゆ)けば、愛はあれど性欲はない。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2024/03/04 (Mon) 05:03:39


宗教の宗教たる所以(ゆえん)は
自己の生命(せいめい)の円相を自覚せしめるところにある。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2024/03/05 (Tue) 06:14:16


社会は《自制の道場》である。
この点では、魂は家庭におけるよりも、社会において鍛えられる。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2024/03/06 (Wed) 05:02:50


すべての善(よ)きものは調和した状態より生まれる。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2024/03/07 (Thu) 05:01:40


言葉の槍(やり)ほど恐ろしいものはない。

昔から言葉の槍で刺し通された人の数(かず)は
いかなる戦争の犠牲者よりもおびただしい。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2024/03/08 (Fri) 05:01:59


偽善(ぎぜん)は偽悪(ぎあく)よりもいっそうよい、
善に習うものはついに善になってしまう。

悪の真似をしている者はついに悪になってしまう。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93)より

       <感謝合掌 令和6年3月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2024/03/09 (Sat) 05:00:48


悪というものは存在しない。
すべての悪は偽悪(ぎあく)である。
偽悪に耽(ふけ)るな。

汝は神の子ではないか。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P93,94)より

       <感謝合掌 令和6年3月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2024/03/10 (Sun) 05:05:50


人間は虎ではないから大声で怒号する必要はないのである。

愛の言葉で諭(さと)せば解るのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2024/03/11 (Mon) 05:01:25


神は、ただ信じても何(なん)にもならぬ。

まちがった信じ方はかえって禍(わざわい)を招(まね)く。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2024/03/12 (Tue) 04:06:17


外にある神ではない、わが内(うち)にあり、
すべての物に滲(にじ)み透(とお)って生かしている神を信ぜよ。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2024/03/13 (Wed) 04:47:28


わが神は愛の神、智慧の神、生命(せいめい)の神である。

われらがその神の子であると信ずるのが本当の信仰である。
この信仰に立つとき、われらは不動の堅信を得(う)るのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2024/03/14 (Thu) 04:21:20

怒りの神、刑罰の神、復讐の神、賽銭(さいせん)で動く神、
お追従(ついしょう)をいわれて御利益を与える神

 ―― そんな気まぐれにいろいろ変わる神を信ずれば
その人の信念も動揺せざるを得ない。

そんな人はその信念の動揺に従って
御利益のあることも、ないこともある。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2024/03/15 (Fri) 05:01:42


死に際(ぎわ)になって、金(かね)は幾らでも出すから助けてくれと言っても、
神は、金(かね)は要らぬから助けようがない。

心に真理をさとったら神の助けがひとりでに這入(はい)ってくる。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2024/03/16 (Sat) 05:04:49


今日(きょう)いちにち心(こころ)乱さず神性の自覚に生きよ。

自分は自分の自在である。

自分は神の子であるからである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94)より

       <感謝合掌 令和6年3月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2024/03/17 (Sun) 05:02:55


自分の自在だといっても「我(が)の自分」の自在なのではない。

神に一致したとき、はじめて自由自在になるのである。
神に一致せぬとき自分と云うものが自分の思い通りに少しもならぬ。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P94、95)より

       <感謝合掌 令和6年3月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2024/03/18 (Mon) 05:02:06


世人(せじん)は欲(おも)うようにならぬが憂き世だというが、
神に一致した人には欲(おも)うようになる
嬉(うれ)し嬉(うれ)しの世(よ)だとわかるのである。

彼は神に一致しないことを少しも望まぬからである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P95)より

       <感謝合掌 令和6年3月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2024/03/19 (Tue) 05:00:53


生き生きと仕事にとりかかれ。

生き生きすることは神に一致する一つの要件である。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P95)より

       <感謝合掌 令和6年3月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2024/03/20 (Wed) 05:03:22


自分は愉快である。―― つねに想起(そうき)してかく思え。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P95)より

       <感謝合掌 令和6年3月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2024/03/21 (Thu) 05:05:23


自分は健康である。
―― 気がつくごとに常にかく思うようにすれば、
常に健康でいられるのである。

逆に、気がつくごとに、疲れたくたびれた、身体(からだ)が苦しい、
などと習慣的に思っている人がある。

この習慣を破ってその反対を思うようにせよ。
しだいに人間は強壮になるのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P95)より

       <感謝合掌 令和6年3月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2024/03/22 (Fri) 05:06:03


不眠症の原因は「睡眠が不足すると健康に悪い」という信念が
心の底にあるので、睡眠の不足を恐怖し、

「恐るるもの皆来(きた)る」の心の法則で
恐怖する睡眠不足が、不眠症になって顕れてくるのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P95)より

       <感謝合掌 令和6年3月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2024/03/23 (Sat) 05:00:30


恐怖の念(ねん)をとり去るには恐怖しまいと思っても駄目である。
人間の生命(せいめい)の本質を知れば
ひとりでに恐怖が無(な)くなるのである。

人間の生命(せいめい)は神から来(きた)り、
眠っても眠れなくとも決して疲労したり衰弱しないものである
ということがわかれば恐怖する必要がなくなるのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P95)より

       <感謝合掌 令和6年3月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2024/03/24 (Sun) 05:02:35


なんじの生命(せいめい)の有限観(ゆうげんかん)を打破し
人間生命(せいめい)の無限観(むげんかん)を樹立せよ。


        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2024/03/25 (Mon) 05:03:03


「生きる」とは「生命(せいめい)を出すこと」である。
「生命を出すこと」よりほかに生活はない。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2024/03/26 (Tue) 05:05:22


「生命(せいめい)」を出すことで「生命」が減ると思うな。

「生命」は生活するためにできているのだ。

出すことでかえって延(の)びるものが「生命」である。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2024/03/27 (Wed) 04:59:14


「生命(せいめい)」は鉛筆の芯でないから
出(だ)しすぎても折れるものではない。

折れるという恐怖で折れるのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2024/03/28 (Thu) 05:02:16


「生命(せいめい)」は蝸牛(かたつむり)の角(つの)のようなものだ。

それを出したときかえって伸びているのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2024/03/29 (Fri) 05:01:52


《取り込む》ことで殖(ふ)えるものは「物質」だけである。

「生命(せいめい)」は与えることで殖えるのである。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2024/03/30 (Sat) 04:15:40


《取り込む》ことばかりを考えて精神を労するとき、
「生命(せいめい)」はついに擦(す)り切れてしまう。
 
生命(せいめい)の本然(ほんねん)に反するからだ。

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月30日 頓首再拝>
31:伝統 :

2024/03/31 (Sun) 05:01:30

「死〇、生きる」

この言葉は「生命(せいめい)」は与える極致で
かえって生きるものであることを現わしているのである。

  *〇:ね

        *「生命の實相」第22巻聖語篇(P96)より

       <感謝合掌 令和6年3月31日 頓首再拝>

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