伝統板・第二 2581588

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神癒 ⑧

1:伝統 :

2023/11/30 (Thu) 09:39:04


人間の生活する4つの面

    *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月30日)より

人間は4つの世界に住んでいるのである。
それを概括して、物質の世界、精神の世界、霊の世界、
さらに実相の世界に住んでいるのである。

物質の世界においては物質の法則が働く。
われわれは空気を呼吸せずに生活することはできないのである。
水を飲まないでは生きることはできないのである。

この面では物質の法則がわれわれに作用する。
この方面を無視することはできないのである。

だからわれわれは自然科学の研究を無視するものではない。
しかしながら、自然科学はまだ発達の途上にあるのである。

昨日(きのう)の良薬は今日(きょう)の無効薬となりつつある。
治療の方法も日進月歩しつつある。
日進月歩するということは昨日の是が今日の否となるということにすぎない。

われわれは科学的研究の成果を無視することはできないが、
全的にそれのみに頼ることはできないのである。

科学者は海水の成分と科学的にまったく同一の成分の塩水を造ることはできるけれども、
この精確な成分の塩水中では海中棲物(せいぶつ)は育たないのである。

この世界には、現在の科学者の未だどうしても発見しえない生命に必要な
ある要素が存在するのであって、科学的に構成要素は同一なるビタミンB1であっても、
米糠のビタミンB1とは現在の科学者には未知のある要素において異なるのであって、
これは臨床効果においても見られるところである。

さらに人間の一面は精神的なものであって、いかに医療を加えても、
心のうちに恐怖や心配や悲しみや、ある人に対する憤(いきどお)りや憎しみを
捨てないでいるかぎりにおいては、薬効があらわれないことがしばしばあるのである。

それにもかかわらず、現代の医学が人間の物質的面のみに注目して不用意に
その病気の恐るべき名称や今後の帰趨を言葉にあらわすために、
患者は不要の恐怖心配にとらわれて生活力を萎縮せしめ、かかる不用意なる医者の
診断がなかったならば、もっと長生きしたであろうと思われる患者を
急速に死に導いてゆく実例も多いのである。

これなどは、医者の言葉の暴力によって、人間を気死せしめたと言うべきであって、
言葉の暴力は、人間の法律上では罰せられないかもしれないけれども、
神の掟の前には腕の暴力も言葉の暴力もその人を害した程度にしたがって、
「罪あり」と認めらるべきものである。

さらに人間は霊的存在であって、霊の故障によって起こる病気は、
物質治療も、精神治療も結局は効果をあらわさないのであって、
霊そのものを悟りに導く方法が必要なのである。

生長の家の神想観や聖経の読誦によって病気が治る場合があるのは、
本人の精神状態に及ぼす心理的効果も与(あずか)って力があるけれども、
その人の本霊の悟りと、その人の守護霊(祖先霊を含む)の悟りの向上による
ところが多いのである。

医療や心理学的暗示療法などが効果をあらわさないところの脊椎カリエスや、
癲癇の発作が聖経の読誦で全治してしまう実例の多いのも、
これらの病気が霊的障礙であるからである。

顕微鏡によってのみ見える微生物の世界に、病原体を発見するにやぶさかでない
現代の医学が、なぜ肉眼で見えないという理由だけで霊の障害による病源を
研究することを迷信視しようとするのであろうか。

さらに人間は実相の世界において、永遠不滅の存在であるのであり、
それを悟ることによって現象界のいっさいの苦悩の上に超出できるのである。

(初出は、『生長の家』(昭和26年10月号 巻頭言)
 https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/064faba728bb4e2b6bb7c06e42aa9a6b
 VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-10-01))


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「神癒への原理 (10739)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2065 (消滅)

   伝統第二「光明掲示板・第二「神癒への原理 (10739)」」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7823515 

(2)光明掲示板・第三「神癒」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=243

(3)光明掲示板・伝統・第一「神癒 (68)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=42

(4)伝統板・第二「神癒①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458999

(5)伝統板・第二「神癒②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6910051

(6)伝統板・第二「神癒③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7640600

(7)伝統板・第二「神癒 ④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7820270

(8)伝統板・第二「神癒 ⑤」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989682

(9)伝統板・第二「神癒 ⑥」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8153560

(10)伝統板・第二「神癒 ⑦」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8265674

     <感謝合掌 令和5年11月30日 頓首再拝>
2:伝統 :

2023/12/15 (Fri) 09:52:41


        *「光明法語」(12月15日)より

イエスさえも審判いたならば審判(さば)かれて十字架に架かるのである。
普通の人間が人を審判いて幸福になれる筈(はず)はない。

「兄弟を憤る者はゲヘナの火に投げ入れられん」とまでイエスは激語している。

多くのなかなか治らない難病は
人を恨んでいる為に、又は人を赦(ゆる)していない為に治らない。

病める者は眠りしなに、赦していない者があればそれを思い出して

「私は貴方(あなた)を赦しました。貴方も私を赦しました。
私はあなたに感謝しています」と深く念ずる事によって治るのである。

       <感謝合掌 令和5年12月15日 頓首再拝>
3:伝統 :

2023/12/20 (Wed) 11:45:18


       *「光明道中記」(12月20日《大調和の日》)より

【躓いたがために落ちる人もあれば、
 躓いたがために落ちる前に気がつく人もある。(『生命の實相』第十一巻)】

人間は自分の生活が不自然な為に病気になるばかりではなく、
自分が不自然な思いをもつことによって病気になるばかりではなく、
その時代の人類の思想を反映して病気になるものでもある。

人間の思想が波動であること、そして人間の心が、
非常に鋭敏な波動受信機であると云うこと。

斯う云うことを考えめぐらせて見れば、
その世紀の人類の思想が吾々を病気にもし、
健康にもするものであることが明らかになるであろうと思う。

人間のように鋭敏(デリケート)な感受機関を有しない動物でさえも、
周囲の精神波動に感じて病気になるのは、
山野の獣(けもの)が病気にならないのに、

家に飼(か)うと、手厚い保護(実は「心配」と云う病的念波)を
受けながらも病気になる事実で明かである。

この理論で行くならば、家庭に病人を無くするには、
やはり周囲の精神波動を浄(きよ)めねばならぬのは明らかである。
病気を心に思いすぎる精神習慣の人は、その習慣を改めなければならない。

誰も病気のことなど思わず、常に快活にしているように努め、
家庭の空気が光明化するような明るい読み物を常に読まねばならぬ。

「何でもクヨクヨするな」 

この言葉を病人の多い家庭に捧げる。 

          <感謝合掌 令和5年12月20日 頓首再拝>
4:伝統 :

2023/12/22 (Fri) 11:46:37


     *「光明道中記」(12月22日《完全解放の日》)より

【本当の明るさは真理と愛と智慧とから来るのみである。
                   (『生命の實相』第八巻)】

本当の智慧は神と和解しなければ得られないのである。

神に和解するとは全き信仰を以て神の愛を信じることである。
神の完全を信じることである。
神の造りたまいし世界に悪が存在しないことを信ずることである。

不安があるのはまだ神を本当に信じているのではない。
既に癒されているのである。

「汝の罪赦されたり、立ちて歩め」と云うのは、
キリストが二千年前のみに言われた言葉のみではない。
常に神は吾々に対(むか)って「汝の罪赦されたり、立ちて歩め」と
仰せられているのである。

この言葉を信ずるものは幸いなるかな。

汝の罪は赦されているのである。
されば吾れもまた神が吾れを赦したまいし如く、
すべての人の罪をも赦さねばならない。

一切の怒(いかり)の想い、一切の怨みの想い、一切の憎みの想いを
愛と赦しとによって書き換え、更にそれを感謝によって光を点じなければならない。
然るとき汝の病は消えるであろう。

或る日道場へ訪れた山形県の一婦人が5歳の小児が生まれてから
少しも歩むことも物言うことも出来なかったが、『生命の實相』を読み、
その教に照らされて、不仲であった母親に感謝の心を起した時、
初めてその小児は歩み出し、ものを言い出したと言った。

          <感謝合掌 令和5年12月22日 頓首再拝>
5:伝統 :

2024/01/09 (Tue) 10:38:14


        *「光明法語」(1月9日)より

汝ら眠りに入る時、汝の掌(たなごころ)を汝の眼の上に置きてかく念ぜよ。

「この眼は神の眼である。善以外のもの、美以外のもの、
 完全以外のものは何物も見ないのである。

 この眼は神の眼である。
 毎日毎日一層その実相の完全なる視力があらわれつつあるのである。

 自分の眼は神の眼である。
 人々の善さのほか美しさのほか、完全さのほかは何物をも視ないのである」。


かく念ずること毎就寝時にして、数ヵ月たちし時、
或る朝目覚むれば眼鏡(めがね)をかけていた眼が見えない。

眼鏡を外(はず)せば完全に見えた。

その人の乱視性近視は治ったのであった。

           <感謝合掌 令和6年1月9日 頓首再拝>
6:伝統 :

2024/01/12 (Fri) 09:55:22


           *「光明道中記」(1月12日)より

【自療力さえ誘導されたならばあとは治るのであります。
                (『生命の實相』第ニ巻)】

肉体はそれ自身の力で生理作用を営むのではない。
血液は肉体の機械的構造によってのみ循環するのではない。

それは毛細現象と云う毛細管が液体を吸着する力によってのみ
循環するのではない。

毛細血管は心臓の如く脈動し、
心臓の如く弁を備えて血液を循環せしめる輔(たすけ)をする。
それ故に血液循環の原動力は心臓にあらずして
毛細血管の物理的構造にあると説を立てる人もある。

併し物理的条件は生命のつくった利用し得べき装置にあるに過ぎないから、
1分間前に脈動していた血管も心臓も、「生命」が其処を去るならば、
その物理的構造は1分間前と同様であっても、
もう血液は循環しなくなるのである。

所詮は物理的構造はその補助であって、
生命機能の本体ではないのである。

生命は常に「無空間の世界」から無線操縦の波を送って
肉体と云う装置を支配している。

そのためにこそ肉体は「生命体」として
普通の物質を試験管に入れたのとは
異なる物理化学的発展を遂げるのである。

生命がその操縦波を送らなくなったとき死と言い、
またその操縦波が恐怖、懊悩、心配、煩悶、憤怒、呪詛等によって
攪乱せられたる状態を病と言う。

       <感謝合掌 令和6年1月12日 頓首再拝>
7:伝統 :

2024/01/28 (Sun) 09:30:30


    *「光明道中記」(1月28日《一切人間を礼拝する日》)より

【既に善があってそれが出て来る。その善と云うものが存在の本体であり、
            自分の本体なんです。(『驀進日本の心と力』)】

善とは外から縛る囹圄(れいご)ではない。
吾々の生命の本性が善なのである。

吾々の生命の本性が善であるが故に、
善は内から一種の否定すべからざる圧力を以て迫って来、
吾々をして善を為すように強制する。

この力を倫理学者は当為(Sollen)と名附けた。
若し善の内圧を拒むならば、吾々の生命は苦痛を感じ、苦悩を感じ、
その苦痛苦悩を表面にあらわして、それは吾々の肉体に
色々の具体的病気として表れる。

病気は抑圧されたる「善」への衝動の悩み苦しむ有様だとも、
「善」が実現せんとしてまだ空虚の状態であるとも言い得る。

従って、「善」を為すように勧めることによって
病気が治った実例は沢山ある。

生長の家へ相談に来て病気が治って帰る人々の殆ど全ては
善を為すように勧められ、善を為さんと決心し、
抑制せられていた「善」への衝動が解放される故に治るのである。

すべての善のうち最も大なるものは中心に帰一する心をもつことである。
子は親に対して、妻は夫に対して素直に随順感謝するとき
病気が不思議に治るのである。

          <感謝合掌 令和6年1月28日 頓首再拝>
8:伝統 :

2024/02/15 (Thu) 12:50:04


      *「光明道中記」(2月15日《卑怯を捨てる日》)より

【自己弁護したい心は卑怯なる潜在意識の作用であって、
 多くの人を病気にしている。  (『生命の實相』第四巻)】


同情を求めたい心は病気を招き、不幸を招び寄せる。

みずからを弁護したい心は弱者の心である。
それは既に弱き心であるが故に肉体も傷つき、病気に罹る。

それは既に病気の心であるが故に、
そんな心の持ち主が病気に罹り易いのは当然である。

すべてを受けると云う心の中には、
すべてに対抗するだけの強い自覚がある。

すべてを受ける心になったとき病気が治り易いのは、
すべてを受ける心は既に強い心であるからである。

「お前がこんなことをしたからこんな結果になった」とは、
家庭でも会社でもよくあり勝(がち)な争いの原因である。

そんなに罪を押しつけられたら、進んで罪を引き受けようと思っていてすらも
反抗的に「私にそんな責任はありません」と言いたくなる。

彼が「失敗(しま)った」と思っているとき、
尚追求するのは武士の情(なさけ)を知らぬものである。

彼が「失敗(しま)った」と思って悔恨の情にかられているとき、
「君が悪いのではない、私が悪いのだ」と他から言われたならば、
その人は何ぼう感激して善に復帰するだろう。

          <感謝合掌 令和6年2月15日 頓首再拝>
9:伝統 :

2024/02/28 (Wed) 09:46:08

【緊急ヒーリング、超有料級】太陽フレアによる影響で体調を崩した人に!是非‼︎
【沖縄霊能者ユタからの贈り物】( 2024/02/26)
https://www.youtube.com/watch?v=FHjLMwP5ue8

(9分頃からヒーリング)

          <感謝合掌 令和6年2月28日 頓首再拝>
10:伝統 :

2024/03/07 (Thu) 11:07:32


           *「光明法語」(3月7日)より

人の病いを心で治そうと思ったならば、
その病気を見てはならないのである。
此処に治療を要する病人があるなどと思ってはならないのである。

観たとおりに現れるのが心の法則であるから、
吾々が心で彼を病めりと観るならば、
彼は依然として病の状態でつづくであろう。

病気の存在を信ぜず、又見ざるところの人のみが
病気を消滅することが出来るのである。

此処にも神のつくらない病気などは存在しないのであり、
そんな病気に罹っている人も存在しないのであると見なければならぬ。

            <感謝合掌 令和6年3月7日 頓首再拝>
11:伝統 :

2024/03/16 (Sat) 09:17:50

【すべては導かれている】そう決めた瞬間、ミラクルが起きる!
(田坂広志さんの本を紹介)
コトゾラ【スピリチュアル本の紹介】( 2023/02/12)
https://www.youtube.com/watch?v=pFNvLg2eeeY

            <感謝合掌 令和6年3月16日 頓首再拝>
12:伝統 :

2024/05/05 (Sun) 09:22:23


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月5日)」より

『生命の實相』全卷を読めば詳しく回答のあることを、
読まずにいて幾回でも長文の質問を列記して返事を求めて来る人がある。

手紙ですめば本は買わずにすむという経済観念でやってくる人には
太刀打ちができない。

かかる人は人の時間がいくばくの価値がある物だか知らないのである。

そのこと自身が自己の心が病気であることを表わしている。
そんな虫のよさを捨てることが病気の心を捨てることである。

返信料を封入してあれば、回答を迫る権利があるかのように思って、
返事が遅れると努号してくる人もある。
返信料は郵政省が収入する。

わたしへの手紙に対するわたしの返事は、返信料の報酬として書かれるのではない。
わたしの好意によって、書かれるのである。

しかもわたしだけが返事を書いていては、
とても間に合わないので、回答係があって返事を書いているのである。

それでも肉筆では、そして便箋幾枚の短文では詳しく説明しえないので、
数百ページの書籍において回答しているのである。


地方へ派遣する講師、みんな回答係のようなものである。
道場は直接回答係の詰所である。
回答係の必要がなかったら本部の建物も講師組織もみな不要である。

われわれは回答係に奉仕せしむるために毎月少なからぬ経費を支出しているのである。
回答を求むる人はこれらの経費を分担してもよいはずだけれど請求したことはない。

生命(せいめい)の悟りに関することを、
古人は「生命(せいめい)」を抛げ出して求めたのだ。
今人(こんじん)は(そのすべてではないが)返信料だけで得ようとする。

ものは出しただけの値打ちである。

           <感謝合掌 令和6年5月5日 頓首再拝>

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