伝統板・第二
神を憶う、呼ぶ② - 伝統
2023/06/09 (Fri) 10:45:28
*伝統板・第二「神を憶う、呼ぶ」からの継続です。
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6965540
神の全能を信じて常に神に振り向けよ
*『光明法語』(6月9日)より
汝が困難に直面するとき常に神に振り向けよ。
汝が人間力を絶したる複雑困難なる問題に面した時、
常に神に振り向くべし。
神はすべての解決である。
「神様」と呼びかけよ、全身全霊をもって神に呼びかけよ。
その間神の全能を信ずべし。
少々の疑いも、恐怖も持つべからず。
疑いと恐怖とは神の救いの波に対する絶縁体である。
完全なる信のあるところ恐怖はないのである。
恐怖なくして神に振り向き、
「神はすべての方法と手段とを有(も)ち給う。
如何なる複雑な問題も、すべて調和した姿に解決する方法を知り給う」
と念ぜよ。
<感謝合掌 令和5年6月9日 頓首再拝>
神を招き入れる扉 - 伝統
2023/06/28 (Wed) 05:04:24
*『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月28日)より
神は開いた心の扉からのみ入り来たり給うのである。
心を開いて待つことが神を招く方法である。
明るい心、歓喜の心、愛の心、智慧ある悟り、
すべて神を招き入れる扉である。
<感謝合掌 令和5年6月28日 頓首再拝>
《神が此処にいる》 - 伝統
2024/02/08 (Thu) 08:33:38
*「光明法語」(2月8日)より
神が此処にいる。
そしてそれは全能であり、吾々の父であり、永遠に吾々の味方である。
この事を銘記せよ。
人間に能わぬことも神は成し給うのである。
太陽を創造し、星を彼方にちりばめ、
無数の空の鳥を飢えることなく養いたもう
神が此処にい給うのである。
何も恐るることはない。
神を思い出さなかったことを恐れよ。
神を思い出すことは神が流れ入り給う通路を作ることになるのである。
衆生、ほとけを憶念すれば、佛、衆生を憶念したまう。
神は吾らを忘れ給わないが、こちらが波長を合わす事が必要である。
<感謝合掌 令和6年2月8日 頓首再拝>
神の全能を信じ、全身全霊をもって神に呼びかけよ - 伝統
2024/06/09 (Sun) 11:58:40
*『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月9日)より
~神の全能を信じて常に神に振り向けよ
汝が困難に直面するとき常に神に振り向けよ。
汝が人間力を絶したる複雑困難なる問題に面した時、常に神に振り向くべし。
神はすべての解決である。
「神様」と呼びかけよ、全身全霊をもって神に呼びかけよ。
その間神の全能を信ずべし。
少々の疑いも、恐怖も持つべからず。
疑いと恐怖とは神の救いの波に対する絶縁体である。
完全なる信のあるところ恐怖はないのである。
恐怖なくして神に振り向き、「神はすべての方法と手段とを有(も)ち給う。
如何なる複雑な問題も、すべて調和した姿に解決する方法を知り給う」と念ぜよ。
<感謝合掌 令和6年6月9日 頓首再拝>
心の扉を開け放ち、神を招き入れる - 伝統
2024/06/28 (Fri) 10:37:19
*『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月28日)より
神は開いた心の扉からのみ入り来たり給うのである。
心を開いて待つことが神を招く方法である。
明るい心、歓喜の心、愛の心、智慧ある悟り、すべて神を招き入れる扉である。
<感謝合掌 令和6年6月28日 頓首再拝>
常に神または仏を憶(おも)う - 伝統
2024/08/04 (Sun) 11:57:24
*「光明道中記」(8月4日 常に神を憶う日)より抜粋
【「幸福」とは神の実現である。そのほかに人間の幸福はない。
(『生命の實相』第十一巻)】
神は無限の智慧、無限の愛、無限の生命(いのち)であり、
世の終わりまで”常に”吾等と偕に在り、
吾等を愛し、吾等を護りつづけていられるのである。
此の不思議なる神または仏の護りを受けようと思う者は
常に神または仏を憶(おも)うことである。
仏典に「衆生仏を憶念すれば、仏衆生を憶念す」とある。
神を、仏を、憶おうとするには常にそれを思い起こさしめる書物を携帯して
少時間を利用してそれを読むことである。
<感謝合掌 令和6年8月4日 頓首再拝>
《神にのみ頼れ》 - 伝統
2025/01/29 (Wed) 11:39:19
*「光明法語」(1月29日)より
吾はもはや吾自身に頼らないのである。
凡(あら)ゆる条件にも境遇にも頼らないのである。
吾は思念の力にも又祈りの力にも頼らないのである。
吾はただ神にのみ頼るのである。
私が祈るのは祈りに頼るためではない。
神に頼る言葉にすぎないのである。
だからその祈りの言葉が如何にまずくともそんなことは問題ではないのである。
誠を以って祈れば神は必ずその祈りに答え給う。
神は求むるに先だちですでになくてはならぬものを知り給う。
唯われは神を愛するが故に、神の名をよばずにはおれないのである。
<感謝合掌 令和7年1月29日 頓首再拝>
《神が此処にいる》 - 伝統
2025/02/08 (Sat) 10:44:09
*「光明法語」(2月8日)より
神が此処にいる。
そしてそれは全能であり、吾々の父であり、永遠に吾々の味方である。
この事を銘記せよ。
人間に能わぬことも神は成し給うのである。
太陽を創造し、星を彼方にちりばめ、
無数の空の鳥を飢えることなく養いたもう
神が此処にい給うのである。
何も恐るることはない。
神を思い出さなかったことを恐れよ。
神を思い出すことは神が流れ入り給う通路を作ることになるのである。
衆生、ほとけを憶念すれば、佛、衆生を憶念したまう。
神は吾らを忘れ給わないが、こちらが波長を合わす事が必要である。
<感謝合掌 令和7年2月8日 頓首再拝>