伝統板・第二 2547396

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祈り(8)

1:伝統 :

2023/04/12 (Wed) 04:59:56


《祈りは必ず成就する》

      *「光明法語」(4月12日)より

吾々の祈りは必ず成就する。それは間違いのなきことである。
併しながらその祈りとは、数分間、神社または祭壇でとなえることのみが
祈りではないである。

祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。
生命の奥深くで、念じていること、唱えていること、呟いていることは
悉く”いのり”である。

だから、不幸を呟いている者は不幸が来るように祈っているのである。
病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴えている者は病気や苦痛が来るように
訴えているのと同じことである。

・・・

<関連Web>

(1)本流宣言掲示板「人は何のために「祈る」のか (4612)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=965

(2)光明掲示・第一「祈りとは」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1417 (消滅)

(3)光明掲示板・第二「「不断念仏」「平生業成」」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2014(消滅)

(4)伝統板・第二「祈り」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818447

(5)伝統板・第二「祈り(2)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7543475 

(6)伝統板・第二「祈り(3)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7738427

(7)伝統板・第二「祈り(4)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7866654

(8)伝統板・第二「祈り(5)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7980268

(9)伝統板・第二「祈り(6)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8139198

(10)伝統板・第二「祈り(7)」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8254440

          <感謝合掌 令和5年4月12日 頓首再拝>
2:伝統 :

2023/04/16 (Sun) 05:05:26


         *「光明法語」(4月16日)より

祈りが成就しないのは、その祈りが其の人の本性に合致しない場合か、
その祈りがまだ実を結ぶ時期に達していない場合かである。

若し吾々が自分の本性に合致しない祈りを、
たとえば「大和の国」なる日本が「戦力によって勝たしめ給え」と云うような
祈りを行なうとも其の祈りは成就しないことになるのである。

朝顔は美しき朝顔の花を咲かしめ給えとこそ祈るべきであり、
梅の樹は美しき梅の花を咲かしめ給えとこそ祈るべきである。
其の他の花を咲かしめたまえと祈っても成就するものではない。

          <感謝合掌 令和5年4月16日 頓首再拝>
3:伝統 :

2023/04/17 (Mon) 04:08:47


         *「光明法語」(4月17日)より

時期に適しない祈りは成就しないが、その祈りを持ちつづけるならば、
時期が来たときになって自然成就するのである。
急いではならない。

寒中に朝顔の花を咲かしめ給えと祈るような祈りは成就しないが、
温室で咲かせても貧弱な花しか咲かないのである。
何事も時期が来ると云うことが必要である。

時期にの乗ると云うことは神のみこころに乗ると云うことである。
「みこころの儘に適当な時期に、適当な場所に、適当な何々を与えたまえ」と
云うような祈りこそ最も謙遜な祈りである。

          <感謝合掌 令和5年4月17日 頓首再拝>
4:伝統 :

2023/05/04 (Thu) 05:02:22


       *「光明法語」(5月4日)より 

祈りが成就するには「時」の要素がいるのである。
今日(きょう)、種子(たね)を蒔いたからとて
明日必ず芽が出ると云う訳のものではない。

「時」の要素を忘れてしまって、
今日の種子が明日ただちに芽が出ないからとて、
種子を掘り返してしまうようでは駄目である。

必ず神(法則)はその種蒔(たねまき)に応えたまう
と云う確信が必要なのである。

何事も急いではならないのである。
時が解決して呉れるのである。

「果報は寝て待て」と云う言葉があるが、信じて待てば、
種子を蒔いて置きさえすれば必ず発芽するのである。

          <感謝合掌 令和5年5月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2023/05/06 (Sat) 08:40:17


       *「光明法語」(5月6日)より 
        《電源に結びついても直ぐには熱くならぬ》

電気鏝(こて)を温めるのでも、
スイッチを入れたからとて急に一ぺんに加熱する訳ではない。

スイッチを入れることは電源につながることに過ぎない。
と同時に電流は流れ入って来るが鏝は必ずしもすぐに温かくはならない。

鏝が温かくならないのは電流が来ないからではなく、
時間の要素が足りないからだ。

祈りと云うことは「神」と云う無限供給の電源とつながることではあるが、
その電源につながっても、その瞬間に欲する物が出るとは限らない。

鏝が温まるのを待つと同じに、
祈りに於いても結果が現れるまで待つ忍耐が必要である。

          <感謝合掌 令和5年5月6日 頓首再拝>
6:伝統 :

2023/05/14 (Sun) 05:07:12


       *「光明法語」(5月14日)より

祈りというものが短時間の言葉で
神に所謂(いわゆ)る「祈り」を捧げるものであると思うのは
間違いである。

「祈り」と云うのは魂の底ふかく
その人が生命で宣(の)べているところのものであるから、
今朝(けさ)「神の無限供給が自分に流れ入る」と念じながら、
ラジオ放送や新聞記事で世間の経済恐怖をきいて、

「こんなに不景気になってはたまらない」などと考え、
または人と人との噂話に不景気や物質の不足を話しているようなことでは、
それは「不景気」や「物質不足」を祈り顕わしているようなものである。

          <感謝合掌 令和5年5月14日 頓首再拝>
7:伝統 :

2023/05/15 (Mon) 10:30:00


       *「光明法語」(5月15日)より

「常の祈り」が大切である。
所謂る「不断念仏」「平生業成(へいじょうごうじょう)」である。

平生(へいぜい)の祈りの業(ごう)が成就して、
現象界に現れるのである。

朝起きれば、

「寝ている間にも呼吸をなさしめ給い、血液を循環せしめたまい、
 夜中自分の生命を護り給うた神よ、有難うございます」

と神に感謝し、

「一夜を暖かく眠らせ給うた布団よ有難うございます」

と感謝して起きるのである。

今与えられている事に充分感謝しないでいて、
次の善きものが与えられると云うことはあり得ない。

感謝することによってのみ、
今与えられたものの充分の価値が享受出来る。

        <感謝合掌 令和5年5月15日 頓首再拝>
8:伝統 :

2023/05/18 (Thu) 07:38:22


       *「光明法語」(5月18日)より

「わが仕事はわれとわが家族と全人類の福祉のための祈りである」。
常に仕事をなさんとする時には目をつぶりてかく祈りてから始めよ。
仕事のあいまに、「仕事が祈りである、祈りが仕事である」と念ぜよ。

かくすれば仕事の質が上がり、量が殖え、新しき智慧が発現し、
仕事に新生面がひらかれるのである。
思わぬ間違いが発見され故障に到らずにすむのである。

「仕事よ有りがとう。この仕事は神のみ栄えである」と念ぜよ。
かくすれば神のみ栄えの顕現として立派な仕事が成就するのである。

        <感謝合掌 令和5年5月18日 頓首再拝>
9:伝統 :

2023/05/19 (Fri) 07:45:45


       *「光明法語」(5月19日)より


食事のときには、

「神の生命と愛とが食物の形となって吾に栄養を与え、
 我が生活をして神の光栄をあらわさし給う」

と念じて食せよ。


飲料をとるときには

「わが過ちて人を憎み、恨み、憤りたる罪をこの飲料にて洗い流し、
 再びかかる罪を繰返すことなきしるしとして之を飲む」

と念じて飲むが好いのである。

不平や不快や憤り恐怖を感じながら食物をとることは
唾液の中に毒素をつくり、それを服(の)んでいると同じである。

食事は不味くなり消化不良となり、身体を不健康にするのである。

        <感謝合掌 令和5年5月19日 頓首再拝>
10:伝統 :

2023/05/28 (Sun) 11:32:35


      *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月28日)」より

われわれの魂の底なる希望を実現する祈りを、
紙に書いて神に訴えるようにする時、
その祈りの実現性がいっそう多くなるということは
グレン・クラーク教授の著書の中にも書かれている事実である。

生長の家の信徒の中にも欲する事物を紙に書いて壁面に掲げ置き、
常にそれを眺めて、そのすでに成就せる有様を心に描いて感謝する
気持を起こしているとき、
その希望が成就せる実例はずいぶんたくさんあるのである。

ある婦人は一大難関に出会(でくわ)して、
人間力ではどうしてよいかわからない時、
突如として神に頼もうという感じが湧き起こり、
神に対して手紙を書きはじめたのである。

「神よ、あなたは無限智であります。無限愛であります。無限力量であります。
 あなたは無限の愛をもってわたしを導いて下さいます。
 あなたは無限の智慧をもって
 わたしがこの難関を切り抜ける道を教えて下さいます…」

それから具体的な問題をこまごまと
その神様に送る手紙の中に書きはじめたのである。

すると、自分一人でどうしようかと思いまどう
心の騒ぎがしだいに落ちついてきて、神とともに、その事件について
対処する道を考えているような安らかな気持になってきたのである。

そのうちに事件の全貌がハッキリしてきた。
何が問題の重要な部分であるか、何が問題とするに足りない部分であるかが
ハッキリしてきたのである。

その神への手紙を書いているうちにはまだ完全にその問題は解決せず、
解決の緒(いとぐち)が見えていただけであったが、
その3日後にはすべてのことが順調に進行して万事解決したのである。

病気の時に神にこれに類する手紙を書いて、
急に病気が快方に向かった実例があるのである。

神に手紙を書くことによるこれらの功徳が起こる原因は、
それを書いているうちに心が完全に神に向かうことになるからである。

そして「吾れ神と偕(とも)に在り」という自覚が起こってき、
そのために心の平和が回復し、神の叡智に波長が合うようになってき、
したがっていっさいの問題が順調に解決するようになるのである。

ただ、祈っているだけでもむろん効果があるのであるが、
15分間以上も雑念なしに完全に神に心を振り向けて祈ることは
やや困難な人が多いのである。

しかし手紙を書くとなれば、
30分はおろか1時間以上も神に対して心を集中することができる。
そのために神との一体感がいっそう起こりやすく、
効果もそれに従って多いのである。

           <感謝合掌 令和5年5月28日 頓首再拝>
11:伝統 :

2023/06/08 (Thu) 11:25:32


       *「光明道中記」(6月8日)より
        ~祈りに始まり祈りに終る日

【祈りに始まり祈りに終るとき、
 心の中に滞(とどこお)りがなくなり
 自由自在の境涯になる。    『生命の實相』第一巻)】 
  
神様、あなたは全ての渾(すべ)てでいらっしゃいます。
あなたは一切のところに充ち満ちていらっしゃいます。

あなたは智慧でいらっしゃいます。
あなたは愛でいらっしゃいます。
あなたは生命でいらっしゃいます。

あなたのお造りになった世界には
罪も病も死も一切の不幸も争いもないのでございます。

其処には既に、日本天皇陛下に中心帰一せる
天国浄土が実現しているのでございます。

神意(みこころ)の天に成るが如く地にも成らせ給え。
実相の世界の既に完全なるが如く現象の世界をも完全ならしめたまえ。
中心帰一の天国を地上にも来(きた)らしめ給え。

みこころの実現するための道具として私をお使い下さい。
間違いなくみこころを行ずることが出来ますように
あなたの智慧を私に流れ入らしめ給え。
私をお導き下さい。

どれだけ働いても労(つか)れませねように
あなたの生命を私に注いで下さい。

すべての人々を赦し、赦すだけではなく、
すべての人々に感謝出来ますように、あなたの愛を私に流れ入らしめ給え。

自壊作用なくして理想世界が実現しますように。

すでにわが願いがあなたに聴かれたることを感謝いたします。

           <感謝合掌 令和5年6月8日 頓首再拝>
12:伝統 :

2023/08/29 (Tue) 08:31:11


        *「光明法語」(8月29日)より

カレル博士は肉体に解剖的な結果を引起すところの精神状態の一種として
「祈り」の精神状態を指摘している。

博士は

「それは哲学者や科学者には分かりもしないし、達することも出来ないが、
 心の純真な人は、神をまるで太陽の熱や、友達の如く容易く感ずることが
 出来る」

と言っている。

特に博士が指摘した健康を改善する祈りは

「先ず全く捨我、捨我なき状態たる事を要する」。

自分の病気を癒し給えると祈るよりも
他の人々の為に祷る祈りが効果を現すのである。

           <感謝合掌 令和5年8月29日 頓首再拝>
13:伝統 :

2023/08/30 (Wed) 11:30:02


        *「光明法語」(8月30日)より

カレル博士は言う、

「総じて祈る人は、自己が治癒することを願うものではない。
 祈る人は他の人々の為に祈る。

 この種の祈りは、その条件として自分を放擲(ほうてき)すること、
 即ち一種の禁欲、没我の高い精神を要する。

 謙遜な人々、無知な人々、貧しき人々は、
 富める人々や、知識ある人々よりも、その可能性が一層ある。

 祷(いの)りが時として奇跡を起こすのは斯う云う訳である」と。

自分の病気の癒える事を常に念ずる者は
病いを心の描くから却って癒えないのである。

           <感謝合掌 令和5年8月30日 頓首再拝>
14:伝統 :

2023/10/10 (Tue) 08:53:35


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月10日)より

祈る場合に、まずその祈り求めるものが、正しいかどうかを省みよ。
正しいということを窮屈な意味にとってはならない。

(1)その求めるものは建設的なことであるか。
   破壊的なことは正しい願いではない。

(2)だれかを豊かにすることであるか。
   (だれかを乏しくならせることは正しい願いではない)

(3)だれかを不幸に陥れたり、損失を与えたりするものではないか。

(4)この世に混乱を起こしたり、
   だれかの感情を掻き乱したりするものではないか。

これらの自己反省してみて、
それのテストに及第するものであれば、祈ってよいのである。

そしてその祈りの言葉は、宇宙的な創造力によってバックされ
実現の途上にあると信じてよいのである。

           <感謝合掌 令和5年10月10日 頓首再拝>
15:伝統 :

2023/10/12 (Thu) 15:26:13


          *「光明法語(10月12日)」より

祈りには2つの種類がある。

自力的な祈りと他力的な祈りと。
基督教的に云えば洗礼のヨハネ式祈りとイエス式祈りのとの区別である。

山伏的な修験者的な行(ぎょう)により
天国(又は幸福)を地上に来(きた)そうとする自力の行は
断食水行野蜜を食(くら)いて粗衣粗食をした洗礼のヨハネによく顕れている。

仏教でも聖道門の行者は
自力的精進によって仏陀(さとり)の境地に達しようとした。

併し法然や親鸞やイエスは、仏の本願力又は神の恩寵によって
「与えられた天国」を受けようとした。

           <感謝合掌 令和5年10月12日 頓首再拝>
16:伝統 :

2023/10/13 (Fri) 09:06:19


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月13日)より

祈りと思念は宇宙の大自療力に触れるところの道である。
しかし祈っても思念しても治らない人もあるのはなぜであろうか。

祈りはけっして口先だけの業(わざ)ではないのである。

それは精神を高揚したる状態であり、信仰の高調したる状態であり、
ハッキリと神の恵みを確認したる状態であり、健全なる想念の持続したる状態であり、
悪の存在を全的に否認して、神の存在のみを全的に承認したる状態であるからである。

だからこの精神状態に達しえない祈りや思念においては、必ずしも完全に
効果を挙げることができないのである。

キリストが「もし芥子種ほどの信だにあればこの山に動いて海に入(い)れと言うと
いえども必ず成らん」といった所以である。

           <感謝合掌 令和5年10月13日 頓首再拝>
17:伝統 :

2023/10/14 (Sat) 09:09:42


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻(10月14日)より

ラジオが鳴り出すのは、
ラジオ・セットそのものの中の機構の調節によるがごとく、
祈りが効果をあらわすのも、自分の心の調節いかんにあるのである。

われわれがラジオ・セットの調節を誤って、ラジオが鳴り出さないときにも、
放送局の放送はプログラムのとおりに《ある》と同じように、

われわれの心の調節を誤って、
神の恵みが現実世界にあらわれてこない時にも、
依然として神の恵みは、宇宙に充つること
あたかもラジオ波(なみ)のようにである。

祈らないでも神の恵みは充ち満ちているが、本当の祈りによって
その心境になったとき現実世界に、
その恵みがテレビジョン化して現われてくるのである。

           <感謝合掌 令和5年10月14日 頓首再拝>
18:伝統 :

2023/10/15 (Sun) 11:59:17


          *「光明法語(10月15日)」より

天の父われに在(いま)してみ業(わざ)を成し給う式の祈りは、
天の父のみ業の荘厳極(きわま)りなく美しき事を認め、
ただ讃(ほ)め称(たた)えるだけで好いのである。

観と讃嘆である。

此の種の祈りは長時間やってもつかれる事はない。
天の父の無限の力が流れ入って
却って心気爽快、再生の思いがするものである。

聖書によれば、イエスは常に暁方(あけがた)に山に入って
長時間祈っていたらしい。

彼はそれによって力を得、実際病いを治す時には、
「神が成し給う」と思うだけで、祈りもしないで、
「起ちて歩め」と言ったようである。

        <感謝合掌 令和5年10月15日 頓首再拝>
19:伝統 :

2023/10/22 (Sun) 09:31:58


          *「光明法語(10月22日)」より

神様にまかす位ならば、「祈り」の必要はない。
「祈り」をするのは自分の願いをかなえる為であって、
祈りに志向性はつきものである。

自分の願いがないならば「祈る」必要はない
 ―― と考えるのは間違いである。

「祈り」と云うものは、
「親なる神」と「子なる人間」との人格的交わりとして
欠くべからざる人間の行事なのである。

だから、潜在意識の深き願いは、神のみこころでなくても
「心の影」として実現するのである。
だから、欲するものを実現するばかりが祈りではないのである。

        <感謝合掌 令和5年10月22日 頓首再拝>
20:伝統 :

2023/11/15 (Wed) 11:53:45


     *「光明法語」(11月15日《「声」と「コトバ」》)より

祈りには自力の祈りと、他力の祈りとがある。
自力の祈りは、洗礼のヨハネの如く 「曠野(あらの)に叫べる声」 である。
曠野とは、そこに神の生命が満ちていないと云う意味である。

人と人とは個々に孤立していて、
神の生命によって互いにつながっている自覚がないのである。
互いに呼び交わす声は、声にとどまり、
互いに意味が疎通する 「コトバ」 にはなっていない。

互いに意味が疎通するには一人の生命の動きが神と云う共通の媒介によって
他の人々の生命の動きと共感しなければならぬ。

            <感謝合掌 令和5年11月15日 頓首再拝>
21:伝統 :

2023/12/01 (Fri) 11:50:31


        *「光明道中記」(12月はじめの祈り)より

わが毎朝念ずる衆生のための祈り――

私の生命は宇宙の生命と一体である。
されば吾は宇宙の凡てのものを知っているのである。

わが生命は神と一体なるが故に、わが欲(おも)うところは、
神必ずこれを成し給うのである。

光が昇れば隈なくすべての所を照らすが如く、
暗(やみ)のあるところにわが光明思念は必ず
行き亘り、悩みのあるところにわが念ずる光明の言葉は満ち亘るのである。

われは光明思念をすべての悩みありと迷える人々に送る。
送るに随って人々の悩みは消えるのである。

与えれば与えるほど殖えるのが法則であるが故に、
このことによって吾が光明は愈々輝き、
吾が健康は愈々増進するのである。

病める者、悩める者、重荷を負える者に、
われは「光明思念」の導管より生命の水を送るのである。

「今より後、罪も病も死も貧も争いも一切の不調和もなし」

われは今「光明思念」を放送する。わが光明思念は、
われを通して流れ出でたる神の生命であるから、
その光明思念は宇宙全体に充ちひろがり、すべての悩める者を癒すのである。

神よ、わが祈りを聴き給いしことを感謝します。

        <感謝合掌 令和5年12月1日 頓首再拝>
22:伝統 :

2023/12/08 (Fri) 12:08:58


       *「光明法語」(12月8日)より)

神よ、生きとし生ける者を生かし給える吾等の《みおや》なる神よ。
わたし自身の本来のものでない願いを、
わが胸より去らしめ給え、わが心を浄め給え。
わが魂の切なる願いのみを願うことが出来る様になりますように   
 <今日の祈り>

自分が真に何をもとめているかを知らない人が随分多いのである。

そして自分のものでないものを憧れ求め、
それが成就しないからとて嘆き悲しみ、
それが成就したからとて図に乗って悪く働く。

ああ迷える人々よ。

        <感謝合掌 令和5年12月8日 頓首再拝>
23:伝統 :

2023/12/11 (Mon) 09:13:00


      *「光明法語」(12月11日《私のために奇蹟を求むな》)より

キリストの奇蹟は預言や透視や治病のほかに
水を葡萄酒に変じた物理的心霊現象(「ヨハネ伝」第二章)さえも起したのである。

日本にも孝子が瀧の水を汲んで父に与えたとき、
それが酒に変じていたと云うごとき養老の瀧の奇蹟もある。

しかしこれらの奇蹟は、神を試みるための奇蹟でもなく、
自己を誇らんがための奇蹟でもなく、
神の栄光をあらわすところの奇蹟である。

それは私的な求めによる奇蹟ではなく、公なる内部要請に基づく奇蹟なのである。
真に公なる愛に基づく祈りが起こるならば更に一層大なる奇蹟を見るであろう。

         <感謝合掌 令和5年12月11日 頓首再拝> 
24:伝統 :

2024/01/31 (Wed) 10:20:54


     *メルマガ「アネモネ」( 2024年01月26日)より

1.​光の送り方A

(1)目を閉じて深呼吸をし、「源と一体化」と意識します。

(2)被災地一帯がドーム状の光
   (白、虹色、プラチナ、ゴールド、グリーン、ピンクなど)に
   つつまれていることをイメージします。

(3)ドーム状の光に手かざしをしてエネルギーを送るイメージをしてもよいでしょう。


2.光の送り方B

(1)目を閉じて深呼吸をし、「源と一体化」と意識します。

(2)被災地の上空に光の雲
   (白、虹色、プラチナ、ゴールド、グリーン、ピンクなど)が浮かんでおり、
   そこから光の雨が降って被災地を潤しているイメージをします。


3.​光の送り方C

(1)目を閉じて深呼吸をし、「源と一体化」と意識します。

(2)被災地の上空に、太陽のような光の珠
   (白、虹色、プラチナ、ゴールド、グリーン、ピンクなど)が
   浮かんでいるのをイメージします。

(3)光の珠から、被災地に向けて光が放射され、
   降り注がれているイメージをします。


4.​光の送り方D

(1)目を閉じて深呼吸をし、「源と一体化」と意識します。

(2)被災地一帯が、巨大な光の筒
   (白、虹色、プラチナ、ゴールド、グリーン、ピンクなど)で
   すっぽりとつつまれるイメージをします。

https://www.anemone-web.jp/%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E9%9C%87%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A

       <感謝合掌 令和6年1月31日 頓首再拝>
25:伝統 :

2024/03/14 (Thu) 11:38:14


【禁忌】天皇陛下が世界に向けて発した「祈り」のエネルギーが
歴史を揺るがすレベルでとんでもなかった
哲理学作家さとうみつろう『神さまとのおしゃべり』チャンネル(2024/03/09)
https://www.youtube.com/watch?v=n55Ge09EHFY


<関連>
全てが、めくれる日
哲理学作家さとうみつろう『神さまとのおしゃべり』チャンネル(2024/03/06)
https://www.youtube.com/watch?v=snZyXjMKINE


3月20日12時06分祈りのエネルギーの発振

ただ、5つのルールがある。

ルール①
個人的な願いであること
⇒他者の願いは叶いません

ルール②
願いが肯定系であること

ルール③
当日AM11時~13時はリラックスできる場所に居ること

ルール④
マスターマインドを使う事
⇒友達3人以上と参加

ルール⑤
当日までにロジカルな「仕組み」が理解できていること

       <感謝合掌 令和6年3月14日 頓首再拝>
26:伝統 :

2024/03/22 (Fri) 08:35:47

祈りには病気を癒すパワーがある
宇宙の兄弟たちへ(2024年3月17日)
https://www.spacebrothers.jp/2015/04/blog-post_20.html

       <感謝合掌 令和6年3月22日 頓首再拝>
27:伝統 :

2024/03/25 (Mon) 12:55:33


           *「光明法語」(3月25日)より

イエスは『祈るとき、徒(いたず)らに言(ことば)を反覆すな。
彼らは言多きによりて聴かれんと思うなり』と教えている。

これは言を反覆してはいけないと云う意味ではない。
『徒らに反覆』しては役には立たぬのである。
言葉多く執濃(しつこ)くからみつくように懇請するから神がききたもうと思うのは
間違いである。

念佛三萬遍でも好いし、臨終の一念佛でも好い。

ただ言葉多きがゆえにきかれると思うのは、
言葉少なければきかれぬと云う恐怖心が内在する現れとも言える。

思念の言葉を反覆するのは、自分の心の波長を調整する為である。

       <感謝合掌 令和6年3月25日 頓首再拝>
28:伝統 :

2024/03/26 (Tue) 12:07:14


           *「光明法語」(3月26日)より

「神の国は汝の内にあり」とイエスの言った如く、
わが祈りの密室は《自己の内》にあるのである。

この至聖所(しせいしょ)に吾々が入るならば、
どれだけでも無尽蔵の豊富な生命、智慧、愛の供給があるのである。

しかしこの至聖所に入るにはすべての憎み、怒り、恨み、呪い、悲しみ、悩みの
非存在(ニセモノ)を排除(とりのぞ)かなければならないのである。

そして先ず神を愛することである。
隣人を愛することである。

愛なくして、欲ばっていて、自分の祈りが神に通じないと言っても、
波長が合わぬから仕方がない。

           <感謝合掌 令和6年3月26日 頓首再拝>
29:伝統 :

2024/04/01 (Mon) 13:34:10


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(4月1日)」より

なんという歓びであろう。
自分の棲んでいる宇宙には、
自分の意志に反対する意志は一つとして存在しないのである。
 
なぜなら、自分は神の子であり、宇宙生命は神御自身であり、
宇宙は神の支配下にあるからである。

われ祈れば天地応(こた)える。

神は常に我が祈りに応えたまい、
我がために処を備え給い、宝を備え給い、時を得せしめたまい、
すべての必需物(なくてはならぬもの)を与えたまうからである。

           <感謝合掌 令和6年4月1日 頓首再拝>
30:伝統 :

2024/04/08 (Mon) 10:32:16


        *「光明法語」(4月8日)より

祈りと云うものは必ずしも結果をもとめて祈るものではないのである。
祈りは「神」と「神の子」との人格的交わりである。

神から与えられた生命であるところの「神の子」なる人格は、
親なるところの神に心を転回して、神と人格的に交わる時間を
持つことは是非共必要なところの行事である。

それ自身が荘厳きわまりなき処の行事であって、
結果があるとか無いとかの問題ではなく、
直接的にそれ自身が目的である。

神から生れた人間にとっては、
神へ生命(いのち)を転回し振り向けることは、
唯嬉しい行事である。

           <感謝合掌 令和6年4月8日 頓首再拝>
31:伝統 :

2024/04/10 (Wed) 10:35:51


         *「光明法語」(4月10日)より

神に祈るときは喜びの感情を以って祈るべきである。
神に対して泣きついてはならない。

若し、久し振りに逢った実子が其の親に対して、
自己の不幸を嘆き訴えたならば、
その親は実際好い気持ちがするであろうか。
またかかる実子は親孝行だと云えるだろうか。

親に会ったとき、唯会うだけで嬉しい感情に満たされるのが
親孝行の子供ではないであろうか。

神に対して泣き言を訴えるな。
私は幸福です。健康です。豊かに暮らしていますと言え。

これが本当の親孝行の「神の子」の祈りである。

         <感謝合掌 令和6年4月10日 頓首再拝>
32:伝統 :

2024/04/11 (Thu) 10:22:56


         *「光明法語」(4月11日)より

祈りをする時には茶断ちの如き「断ち物」は要らないのである。
祈りは親に会う時であるから憔悴したる如き顔付をして見せるな。

寧ろ神の恵みであるすべてのものを豊富にとり、顔を剃り、脂(あぶら)を塗り、
髪を梳(くしけず)って元気な顔をして祈るべきである。
全て明るい心持は明るい事物を引き寄せるのである。

併し酒は飲まぬ方が好い。
酒を飲むと一時気分を明るくするが、それは麻酔剤であるから
一時の心の暗さを誤魔化すのであって、次が乱れて来る。

生活に節度がなくなり、
節度がない事を豪傑ぶって自慢にするようになる。

         <感謝合掌 令和6年4月11日 頓首再拝>
33:伝統 :

2024/04/12 (Fri) 09:05:25


      *「光明法語」(4月12日)より

吾々の祈りは必ず成就する。それは間違いのなきことである。
併しながらその祈りとは、数分間、神社または祭壇でとなえることのみが
祈りではないである。

祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。
生命の奥深くで、念じていること、唱えていること、呟いていることは
悉く”いのり”である。

だから、不幸を呟いている者は不幸が来るように祈っているのである。
病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴えている者は病気や苦痛が来るように
訴えているのと同じことである。

         <感謝合掌 令和6年4月12日 頓首再拝>
34:伝統 :

2024/04/16 (Tue) 09:48:44


      *「光明法語」(4月16日)より

祈りが成就しないのは、その祈りが其の人の本性に合致しない場合か、
その祈りがまだ実を結ぶ時期に達していない場合かである。

若し吾々が自分の本性に合致しない祈りを、
たとえば「大和の国」なる日本が「戦力によって勝たしめ給え」と云うような
祈りを行なうとも其の祈りは成就しないことになるのである。

朝顔は美しき朝顔の花を咲かしめ給えとこそ祈るべきであり、
梅の樹は美しき梅の花を咲かしめ給えとこそ祈るべきである。
其の他の花を咲かしめたまえと祈っても成就するものではない。

         <感謝合掌 令和6年4月16日 頓首再拝>
35:伝統 :

2024/04/17 (Wed) 09:49:27


      *「光明法語」(4月17日)より

時期に適しない祈りは成就しないが、その祈りを持ちつづけるならば、
時期が来たときになって自然成就するのである。
急いではならない。

寒中に朝顔の花を咲かしめ給えと祈るような祈りは成就しないが、
温室で咲かせても貧弱な花しか咲かないのである。
何事も時期が来ると云うことが必要である。

時期にの乗ると云うことは神のみこころに乗ると云うことである。
「みこころの儘に適当な時期に、適当な場所に、適当な何々を与えたまえ」と
云うような祈りこそ最も謙遜な祈りである。

         <感謝合掌 令和6年4月17日 頓首再拝>
36:伝統 :

2024/04/29 (Mon) 12:24:35

          *『 生長の家 』(昭和四49年4月1日)の法語より

“ ことば ”は アイディアを乗せた生命の波動であり、
アイディアに描かれたる事物を 生命エネルギーを組み立てて
創造する本質であり、材料であり、力である。

それゆえに 何を“ ことば ”で唱えるか、何を“ ことば ”で念ずるかによって、
その人の運命が支配され、

善きアイディアを内容とする“ ことば ”を毎日念ずることにすれば、
家庭は調和し、事業は繁栄し、家庭及び自分の健康は増進するのである。

最近(昭和四十九年当時)発行された『 ジュニア希望の祈り 』というのは
小中学生の年齢の児童たちが、“ 善き言葉 ”で毎日念ずることによって、

健康で、善良な性格の、成績優良な子供になるための
“ 祈り ”につかう、簡単な“ことば”を集めたものであるから

子供をお持ちの方は、是非一冊をひとりひとりの子供のポケットに入れてあげて
必要に応じて、どの言葉で祈るがよいかを辞書をひくように検索し得るよう
小見出しをつけて工夫されたものである。


大人の人たちの祈りのためには『 私はこうして祈る 』という本があるから、
それによって検索して適当なコトバでお祈りになるとよいと思う。


谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=125

・・・

『 ジュニア希望の祈り 』
https://www.ssfk.or.jp/p/a/105051.htm


『 私はこうして祈る 』
https://www.ssfk.or.jp/p/a/105034.htm

         <感謝合掌 令和6年4月29日 頓首再拝>

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