伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑮ - 夕刻版

2023/03/21 (Tue) 14:41:22

そのまま常楽~吉田国太郎

           *「常樂への道」(P3~4)より

或る日の記。 ―― 

今朝、熱海は雨。
まばらな松の並木越しに、海と山とのみえている旅館の二階。
部屋には暖かく陽がチンチンと沸つている。
おだやかなよい感じである。

未だ誰も来訪者もない早朝の一時、
『生長の家』誌の二月号を一日から読みなほす。

自分は幸せだ。
こんな気分が、ふーっとこころの中へ湧いて来る。
穏やかな静けさである。

然し、その静けさの中に何もかもすべてが入っている様なこの静けさ。
ふーっと一点になつて湧き出し自分の中一杯にひろがったこの穏やかな静けさ。
何処から湧いてきたのだらう。

かう考へた時、何か合掌したい気分であつた。

既に自分は幸せである。

無限の神が、その渾(すべて)の力をそそいで、愛していてくれるのだもの、
生かしていてくれているのだもの、助けていてくれているのだもの。
救つていてくれるのだもの。

いつもいつも、そして、今も、たった今も、
繰り返しとなへながら、沁々(しみじみ)幸せだと思う。

あんな濁りきつていた自分が、そして、悲しむばかりで慰(なぐさ)まることの
なかった自分が、よくぞ此処迄やって来(こ)られた。
助けの力が有難かった。

自分に自分でお礼の云いたくなった朝である。

『神、その創りたる様をみたるに甚だよかりき。』

かう言葉しながら外をみる。
山の眺め、海の眺め、それらをこめて雨足の響き。
美しい、何か、目に見えないものに触れた感じである。

神がおられるのだなあと思う。
美しいと感じられた自分がうれしい。
自分も亦美しいのだ。

繰りかへしていると、ずーつと深い処から動き出してくるものがある。
粛然と襟を正し、居住いをあらためたくなる様なものである。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8298091

(11)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8301267

(12)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8304221

(13)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8307975

(14)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑬」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8310829

(15)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑭
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8313692


(16)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6620484

(17)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7220053

(18)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7912130

          <感謝合掌 令和5年3月21日 頓首再拝>

先ず神に与えよ!  什一献金の秘密 ~林 光彦 - 伝統

2023/03/22 (Wed) 04:48:14

先ず神に与えよ!  什一献金の秘密 ~林 光彦(沖縄教区教化部長)

 
『常に他の人たちのために尽し、他の人のためにはかり、他を祝福し、
 他の人の幸福のために、「自己を与える」ならば、
 自分もまた、他から祝福され、他から持ち上げられ、
 自然に自分が幸福になるのである。』 
          (谷口雅春先生著 『人生の秘訣365章』 より)


すべて善きものは神よりきたる。 これが根本真理である。 
私たちの生命は神よりきたる不滅の生命である。 
その生命の本源である神が、すべてのすべてであることを知るとき、
私たちは渾てを神にささげたくなるのが本当である。 

供給の源なる神に感謝し、神にささげる。

“与えよ、さらば与えられん”

の根本は、先ず、すべてのすべてなる神に与えることでなければならない。 

供給の本源に与えることを忘れてはならない。 
これが初めであり、すべてのすべてである。

神の恵みにつつまれていながら、その恵みに盲目になって、
感謝することを忘れているとしたら、それは忘恩の徒ということになる。

忘恩の徒にならないで、本源の神に感謝をささげるとき、
一層ゆたかに神の恵みは与えられることになる。 

与える心ゆたかな人に、ゆたかさは与えられるのである。 
神はえこひいきはされない。 

しかし、与える心ゆたかなる人は、その与えるという価値によって、
より多くゆたかに返されるのである。 

これが心の法則だ。

イエスは、

「人に与えよ、さらば汝らも与えられん。 
人は量をよくし、押し入れ、揺り入れ、溢るるまでにして、汝らの懐中に入れん。 
汝等おのが量る量にて量らるべし」 (ルカ伝 6ー38) といっている。

さらに、「与える者は、より多く与えられ、今与えられている以上を求めて
与えることをしない者は、欠乏をのみ味うのである。 
自由なる魂は肥え太るのである。 水そそぐ者は、自らも水注がれるのである」  

と教えている。


さて、ユダヤ人の繁栄の秘密はどこにあるかといえば、
それは神に対する献金として収入の10分の1を什一税として
必ず捧げるところにあるといわれている。

ユダヤ人は、これを旧約の時代より実行して、
すべての農民が繁栄し、富者が無数に続出したのである。

ところが、あるとき、アダムのように人間智に賢しい者があらわれ、
この繁栄は、何も什一献金するから神が祝福し給うたというわけではない。 
ユダヤ民族がすぐれた智能をもっているからである。 

だから什一献金をやる必要はない。 
ただちにやめるように、というわけで什一献金をやめることにした。

そうしたら、それからまもなくのこと、
イナゴの大群がどこからともなく発生して、
天日をおおいかくす雲のごとくやってきた。 

そしてユダヤ全土の畑の作物をすべて食い荒して、どこへともなく消えさって行った。 
作物はなに一つ残らず、荒れはてた田畑のみが残ったというのである。

こうしてユダヤ全土が飢饉に襲われ、
ユダヤ人はいっぺんに貧しくなったということである。

この飢饉に陥ったとき、マラキという預言者が立ち上り 
「 ・・・ ひと神の物をぬすむことをせんや。 されど汝らわが物を盗めり。 
汝らは又 “何において汝の物をぬすみしや” といえり “十分の一” 
および献物に於てなり。 汝らは呪詛をもて詛わる。 
〈イナゴの大群の襲来をいう〉 また汝ら一切の国人はわが物をぬすめり。 
わが殿に食物あらしめんがために、汝ら什一をすべて我倉にたずさえきたれ。 
而して是をもて我を試み、わが天の窓をひらきて容べきところなきまでに
恩沢を汝らにそそぐや否やを見るべし」 (マラキ書 第3章)  と神啓を伝えた。

 
ユダヤ人は、これに従い、再び神に什一献金をし始めたのであった。 
やがて古えの繁栄と富は恢復し、いまにいたるもユダヤ人は富み、
全世界の金融を支配する大きな力をもつようになったのであった。


この話からも分るように、神を無視して、
みずからの智能だけに頼る者は、やがて自壊するときがくる。 

すべての繁栄と幸福はことごとく神よりきたるのであるから、
その初穂を神に献資し、神の御用に献納するということは、
神をわがものとすることにつながるのである。

「我れにかえれ、われ亦なんじらに帰らん」 (マラキ書 第3章) 
ということになるのである。
 
もとより、神は霊であり、一切をもち給うのであるから、
神が献金や献げ物を必要とされるのではない。 

それは人間自身の心の問題である。 

報本反始の心を大切にするとき、循環の法則、
与えよさらば与えられんの黄金律が実現し、
われらの供給も無限となるのである。

箴言にも、 

「汝のたましいと、汝の収入の初穂をもって神をばほめまつれ。 
 かくて汝の穀庫はゆたかに満ち、汝の大桶は新しき酒にあふれん」 

ということがしめされている。

収入(みいり)の初穂をもって神をばほめまつると共に、
わたしたちは時間、労力、能力などの初穂をも神に捧げて、
神をほめまつりたいものである。


与えよ、さらば与えられんは、幸福生活の第1ヶ条である。 
受けるのみで、与えなければパイプの中は閉塞してしまう。 

それゆえ、私達は、先ず第一に神に還元することによって、
私達のごとく救われる人々をふやして行きたいもの。

むくいを求めず、惜しみなく与えるとき、
神からの無限の供給のパイプは閉塞されず、滔々として新しき供給は流れいる。 

わたしたちがつながる神は、「一切の宝、一切の美、一切の生命」 の
本源なる神であり、多宝無限供給の神である。 
 〈※参照:無限供給の神示〉 

その神に直結して、人類光明化に献資する聖なる菩薩となるとき、
われらの前に常識をこえた驚異的な繁栄と幸福が、訪れてくると信ずるのである。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ec73d5dcb91a2dd2d934bd41b2f0a2b8
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-07-28)

          <感謝合掌 令和5年3月21日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 01 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/22 (Wed) 14:16:42

生長の家 谷口雅春 詳密講習会 01 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/03)
https://www.youtube.com/watch?v=ZCMdy8MqIZg

          <感謝合掌 令和5年3月22日 頓首再拝>

真理を供養して差し上げるのは子孫の義務であり役目である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/03/23 (Thu) 04:58:23


          *生命の實相』久遠仏性篇 より

最高の救いは、やはり真理のお経を意味が本当に分かって読むに限るのです。

ですからわれわれは暇があれば朝晩は必ず
「祖先の霊魂の悟りのための供養として・・・」といって

生長の家の聖経『甘露の法雨』を誦(よ)むなり、
先祖から伝わっている宗教の経典を読むということにされることが

祖先に対する子孫の務(つと)めなのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/fa6bb762d8f273710bc0a103a0e19fd6
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-13)

          <感謝合掌 令和5年3月22日 頓首再拝>

あなたの子供を褒めて感謝してあげなさい~谷口雅春先生 - 伝統

2023/03/24 (Fri) 04:59:25


          *『白鳩』(昭和39年7月号)より

感謝の心は、すべての人々をあなたの味方にすることができるのです。

感謝されるとき、相手の人は、
屹度全力をつくしてあなたのために尽してあげようと思うでしょう。 

自分が一所懸命に尽しても、その努力を認めて感謝してくれなかったら、
力が抜けてしまって努力が続かないのが普通の人間の心理なのです。

あなたの子供が努力して勉強し、成績をあげていても、
両親がそれを認めて賞めてくれず、感謝してくれなかったら、
子供は張り合いがなくなって努力しなくなるでしょう。 

誰も認めず、誰も賞めてくれず、誰も感謝してくれなくとも、
使命に対して邁進できる人は、特別に霊魂の発達した人のみに
限られているのであって、

普通人にはやはり認めて賞めて感謝を献げてあげるとき、
その完全な実相が喚び出されて来るのです。

私たちは感謝の言葉を語るとき、賞讃の言葉を語るとき、 
“神の愛” が地上の人類を照らし温めるためのチャンネル
となることができるのです。 

植物が太陽の光を受けて伸びて行くのと同じように、
人間は、 “神の愛” を、親や、夫や、先輩の “讃め言葉” や、 
“感謝の言葉” を通じて受けて、その魂が生長して行くのです。

たった一語の感謝や賞讃の言葉が、
どんなに相手の人に生き甲斐を感じさせ、
仕事や勉強の励みになるか気が付かない人が多いのは残念なことであります。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p13.html
晴れときどき(2013 年 11 月 17 日)

          <感謝合掌 令和5年3月23日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 02 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/25 (Sat) 14:35:23

生長の家 谷口雅春 詳密講習会 02 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/05)
https://www.youtube.com/watch?v=0OPfko1bqX8

          <感謝合掌 令和5年3月25日 頓首再拝>

霊界へ捧げる真理の言葉  ―  流産児供養 ~ 楠本 加美野 - 伝統

2023/03/26 (Sun) 04:51:10


          *『精神科学』(昭和62年8月号)より

「人間は肉体で、死ぬと灰となってしまう」 という人生観からは、
霊界を認めないから先祖供養の必要がなくなるわけです。

生長の家は、人間は肉体ではなく霊的存在であり、
生き通しであるという人生観です。 

死ぬことは、この世から霊界に誕生することになるのです。

霊界と現世とはどんな関係にあるのでしょうか。 

『霊供養入門』 には次のように書かれています。

「人間の運命の半分は前世の業績、
 残りの半分の1/2は自分の努力による業績、
 残りの半分の、もう1/2は、神又は高級霊の加護による
 運命の改善又は修正によって、もっと不幸になる筈の運命が救われる
 ということになる」

「霊界において迷っていたり、あるいは病気で苦しんでいる霊がいると、
 『なんとか救われたい』と思って、その霊が“頼み心”を起す、
 この“頼み心”は親子とか孫とか親類の人とか、
 そういう親しい人や、感じやすい人が感ずることになる。 

 つまり霊界を“放送局”とすると、
 現実界の人間が“受信機”になって感応するわけである。 

 そして胃病で苦しんでいる霊が『助けてほしーい』という念波を
 孫娘にでも送ると、その孫娘が胃病になるということになるのである」


つまり先祖が高級霊であると、その人の運命を幸福に導いてくれるし、
迷っていると逆に不幸になるわけです。

それでは迷っている霊に、高級霊になって貰うにはどうしたらよいでしょうか。 

更に 『霊供養入門』 には次のようなことが書かれています。

「霊界の祖先霊を30代も遡れば大変な巨大な人数に達するので、
 その巨大な人数の祖先の霊魂のうちには既に悟りを開いて
 仏陀の境涯に達している者もあるが、

 迷境を彷徨して苦しんでいる霊もあるので、それらの諸霊に
 “人間・神の子”の真理を知らせて“本来神通自在の境”に
 達するように導いて差し上げる事は、

 吾々子孫が先祖に尽す最高の孝養なる布施行と言わざるを得ない。 

 毎朝又は毎夕、仏前又は神前で先祖霊に対して聖経『甘露の法雨』を
 読誦することは重要なことである」

と先祖に 『甘露の法雨』 を誦げる重要性が強調されています。

しかし、ここで心得ねばならぬことは、
「お前は迷っているからこの真理のお経をおききなさい」では、
いくら聖経を誦げても霊魂達は、聴きに来ないかも知れないのである。 

だから唯、「尊敬と報恩、感謝の念をもって誦むこと」 と 
『人生を支配する先祖供養』 に書かれています。

       *      *

ここで岡本さん母娘の体験談を紹介します。 

岡本さんの長女は優等生であったが、中学に入ると登校拒否になった。 
よいと言われることは何でもやったが解決しなかった。 
とうとう母娘で練成に参加したのです。 

娘をおいて母親が帰る予定であったが、娘の問題は母親の問題である。

「その問題とは “流産児はいないか” 
 “その子が幼い頃、夫婦が不調和なことはなかったか” 
 “両親自身が、自分たちの両親に心配かけたことはなかったか” ですよ」 

と話した。

思い当たることがあったのか、母親は10日間の練成を受けることになった。

母親は練成中の体験を次のようにのべています。

「先生から “娘の問題でなく、私の問題だ” といわれ、
 『あなたが10日間の練成を受けなさい』 と言われました。 
 それで主人に電話しましたら、『そうしなさい』ということでしたので受けました。

 最初娘は食事もせず、眠れないといって『祈りの間』に入って聖経を誦げていました。 
 そして先生に『帰りたい』と言って無理ばかり言っていました。 

 でも時が経つにつれ、皆様の暖かい御愛念によりまして、
 だんだん立直って参りました。 

 私も先生方の講話を聞きながら、今迄の自分の事を懺悔いたしました。 
 父母に対して、主人に対して感謝しているつもりだけでした。 
 これはきっと娘が観世音菩薩となって、
 この練成会に導いてくれたのだと思いました。

 流産児供養の説明を聞いてわかったのですが、流産児の7つの訴え  ―  
 やる気がない、暗い所が好き、冷え症、お菓子が好き、淋しい、親に反抗、無駄遣い
  ―  の全部が娘にあてはまっていましたのでびっくりしました。 

 私には流産児がおりませんが、母親にあったのです」


流産児は救われたくて、現世にいる兄弟を通じて霊界から訴える場合が多いのです。 
親は子の苦しみを目の辺にして、流産児の苦しみがわかるのです。 
岡本さんの場合は、姉妹の子にあらわれた例です。 

胎児はこの世に使命があって宿ったにもかかわらず、
殺されてあの世でその使命を果すこともなく苦しんでいるのです。 

その苦しみがわが子にやる気がないように現れてくるのです。 

その他の6つの姿も同じです。

ですから本人を直接よくしようとしてもよくなりません。 
先祖の墓を建ててもよくなりません。 
親が流産児を愛して、真理の言葉を誦げることによって流産児が救われるのです。 

岡本さんの場合は、娘である岡本さんが親の気持になればよいわけです。

「流産児供養祭が終ると娘が、『お母さん、赤ちゃんが5人でてきたよ。 
 光の方へ行くように言ったら、
 赤ちゃんが“光の方へ行ったら、お母さんいるの”と言ったよ。 
 “聖経を誦げてあげる”と言ったら“ミルクが欲しい”と言っていたよ』 

と言いました。 

娘は 『嬉しくって嬉しくって涙が出てきた』 と言いました。 
頭痛も治ってしまいました」


供養には法施と物施とがあり、
聖経を祖先の悟りのために読誦するのは法施、
仏前に物を御供えするのが物施です。 

聖経をあげると共に、ミルクをあげることも必要です。 
流産児は親の愛を求めて親に反抗するのですから、愛されると満足します。 

ミルクをのませたいという親の愛念を感じて流産児は満足するのです。

娘さんは次のように決心しました。

「御先祖様がここに呼んで下さったんです。 
 “生長の家嫌い”な私に、本当の御教えを知らせて下さったんだ。 
 御先祖様有難うございます。 お父さん、お母さん心配かけてすみませんでした。 
 有難うございます。 私は生長の家が嫌いでした。 
 だから、生長の家を理解していない方々に、
 本当の生長の家の真理を拡めるのが私の使命だと信じます。 
 人類光明化運動に頑張ります」


顕幽相通じあう世界です。 

霊界への真理の供養 “法施” の功徳は、限りないものがあります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/c8ced68956ff7c7cc0e1c839c34479f1
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-07-29)

          <感謝合掌 令和5年3月25日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 03 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/26 (Sun) 18:56:57


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 03 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/06)
https://www.youtube.com/watch?v=W98r4uYed-Y

          <感謝合掌 令和5年3月26日 頓首再拝>

「今」を十分に生き抜くとき、真の「生命の歓喜」がある~谷口雅春先生 - 伝統

2023/03/27 (Mon) 05:00:43


         *『生命の實相』生活篇 より

われわれにとって「生きる」とは
「今」よりほかに別の時がないということである。


われわれがもし過去のことを歎(なげ)いたり、
未来のことを思いわずらったりするならば、
それだけ自分の「今」に集中すべき生命が浪費されるほかに効能はない。


「今」が浪費されるとき、われわれの「生命」の生長はそれだけ遅れる。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a9cc6b7a49bcf92f5f9ff1bf7e48995e
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-14)

          <感謝合掌 令和5年3月26日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 04 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/27 (Mon) 14:44:17


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 04 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/07)
https://www.youtube.com/watch?v=Q1SuuuARp1k

          <感謝合掌 令和5年3月27日 頓首再拝>

信仰にも貞操がなくてはならぬ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/03/28 (Tue) 04:42:49


         *『生長の家』(昭和33年5月号)より

生長の家の神様は罰を与えないけれども、
自分自身で自己処罰して罰を当てるのです。

人間は「肉体」ではないのですから、
霊であったら、普遍的な存在であり、自他一体でありますから、
他を生かすようにしていれば自分が生きて来るようになるのです。 

他を生かすことを止めて利己的になり、
互いの恩愛を遮断するようになると、
大生命の流れがそのままに現象化しないで病気があらわれます。

 
「人間は神の子である」ということを本当に自覚したら
自然に他の人にもその真理を伝えたくなるのです。 

他に伝えたくならないようだったら
「人間・神の子、自他一体」の真理を自覚していない証拠です。 


『報恩行に就いての神示』にありますように、
吾々は、神様の真理を知らしてもらう機縁を与えて下さった橋架けになった人
 ―― 真理と縁を結んでもらった人に対して、
その恩というものを忘れてはならないのです。

生長の家の誌友は生長の家という縁を通して、
神様を知らしていただいたのでありますから、

「もう真理を知ったから、私は神様と直通だ。 
 もう生長の家など通さないでよい」などと恩を遮断すると、

其の生命を断ち切る心の反映として、
現象界に病気その他の不幸があらわれて来るのです。

生長の家の教えは簡単ですから、
もう知ったら止めようと思ったらいつでも止められるけれども、
知るという事と体得するという事とは違う。 

生長の家の真理の書物は非常に沢山ある。 
他のどの宗教にも無いくらいに沢山あるけれども、

簡単に言えば

縦の真理は“人間・神の子”ということであり、
横の真理は“環境も肉体も吾が心の影”ということで、
縦と横との二つの真理で、それでおしまいだ。 

「それで分った。はい、さようなら。
 人間は神の子だから自分は神の子で神様は親だから
 『子』と『親』とこれから直通だ」 という訳で、

相愛会へも教化部へも道場へも往かぬ。 
そして「わしはわしで独立独歩の神様の子だ」と考える人もあるけれども、
それはやっぱり間違っているのであります。 

それは人間というものが、神様とのみ直通していると考えて、
神の子の相互関係による孤立した存在ではないというところの真理を
忘れてしまっているのであります。 

 
人間は「全体」の中にいるところの「一人」であって、
全体とのつながりに於て生かされているのであるということが
神の子の自覚であるということを忘れてしまって、自分だけの力で神様と直通だ! 
というような考えを起しているから、
そういう間違った考えを起すことになるのであります。

 
臨済宗方広寺派の管長柴山老師が大分市の関川晃代さんに言われた言葉に 

「あんたは、生長の家によって真理を悟らしてもらったんだから、
 ほかの宗教によろめいて行ってはいけませんよ。 
 信仰にも貞操がなければならない」 

というのがありますが、まことに、そうであります。

「万教は唯一つの真理に帰するから、何処へよろめいて行っても同じじゃないですか」 
という理窟づけをして他の宗教をのぞいてくる人がありますが、
これは自分の神性をひらかして頂いた「因」に対する純潔を欠いているので、
なんぼう偉そうに道をといてもいけないのです。

嘗て講談社の校正係をしとった人で、人を怨み憎んで殺してやりたい位だったその怨みが、
生長の家の神示を実行して、消えた。 そして今は清々しい気持になれた。 

その怨みが消える方法を教えてもらったのは生長の家のお蔭であるというので、
毎年二、三遍は必ず、私にお礼の手紙をよこす人がありますが、

そういう人は、本当に因縁の理を知り、
恩を忘れない立派な人だと言わなければなりません。


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晴れときどき(2013 年 11 月 18 日)

          <感謝合掌 令和5年3月27日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 05 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/28 (Tue) 15:32:23


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 05 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/08)
https://www.youtube.com/watch?v=TEwORYVuxwY

          <感謝合掌 令和5年3月28日 頓首再拝>

運命の転換~原田 昭(鳥取教区教化部長) - 伝統

2023/03/29 (Wed) 04:23:11


       *昭和63年2月「第14回 繁栄特別ゼミナール に寄せて」 より

今日に至る迄如何に多くの人々が、生長の家の説く真理によって救われ、
繁栄を実現し、運命を好転させていることであろうか。 
それは数々の体験が物語っている事実である。 

運命を好転し、無限の繁栄を得るには、神意を展開することである。 
神意に叶った繁栄でなければ、一時は栄えても、結局は長続きするものではない。 
神意ですべてを行ずるとき、無限の繁栄が得られるのである。

 聖経 『甘露の法雨』 に、

「神があらわれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、
 調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、
 相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」

 と示されている。

乏しきものがないのが、神の創造された世界である。 
それは、繁栄のみの世界である。 
即ち “神は愛なり” であり、愛を実践するところ必ず、
無限の繁栄が展開されるのである。 

今や世界には数知れず宗教があるが、ほとんどが、現象論であり、
“人間は罪の子”と言っている。 

我が国では宗教団体が18万4千あるそうであるが、
わが生長の家の教えは唯神実相哲学である。 

実にすべての繁栄も人間の運命の転換も、
ここから始まるところの大真理である。 

神と神のみ実在であり、神ならざるものは無いという哲学である。


さて、富とは人のお役に立つ働きを最大限に行ずることである。 
人の為になる働きが、愛であって、愛を行ずるところ富に変るのである。 

即ちとの貢献度の高いものほど繁栄しているのは事実であり、
栄えている企業皆然りである。

 
生長の家の説かれている繁栄の原理の第1に父性原理  ― 奉仕し与えること、 
第2に母性原理  ― 受けて感謝する、との2大原理が説かれている。 

この原理は古今天地の法則であり、永遠に変らざる大真理である。

“蒔かぬ種は生えぬ” という言葉とおり、
真に繁栄を享受しようと願うならば、繁栄の種を蒔かなければならない。 

真に幸福を願うならば、幸福の種を蒔かなければならないのである。 
人の幸に貢献する。 

如何にすれば人が喜んでくれるだろうか、
如何にすれば人類が幸福になってくれるだろうか、と。 

即ち、愛を実践するところに、神の力、神の智慧が天降り、
凡てい於て好転し、協力者があらわれ、
“不思議”という妙智力が、展開するのであり、
たちまち此の世は光明浄土となる。 

経済の原則は 「自然、労働、資本」 であるが、
自然即ち神は、ただ与えているのみである。

さらに、清貧礼讃の心は人間を貧乏にする、と 
『生命の實相』 第8巻〈※頭注版〉 に示されてある。 

貧乏でいることが高徳であると思い、富んでいることを恰も罪悪の如く考える。 
そして宗教家が富んだりすると悪評が渦巻く。 
しかし、宗教家が富まなければ、一体誰が富むのか。 

宗教家こそ常に神の国の無限の愛と、無限の智慧と、
無限の創造力に直接触れているのであり、宗教家こそ富んで当り前の筈である。 

にも関わらず、宗教家が自ら富んでみせることが出来ないようでは、
その教えは空理空論であり、その信仰は実を結ばない信仰と言わなければならない、
と説かれているのである。

運命の好転も結局、「人間・神の子、円満完全」 であり、
既に富んでいる、という自覚から展開するものである。 

吾々は大いに無限の繁栄の実を上げ、
天下に生長の家の説く真理を素晴しさを、
展開し実践して参りたいと思う次第である。

国と共に栄え、教えと共に栄え、中心帰一の真理をしっかりと行ぎ、
無限力を発揮して繁栄の実を上げて参りたいと熱願する次第である。


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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-07-30)

          <感謝合掌 令和5年3月28日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 06 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/29 (Wed) 15:05:15


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 06 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/09)
https://www.youtube.com/watch?v=MhH_-QfKx1Q

          <感謝合掌 令和5年3月29日 頓首再拝>

神と偕(とも)に歩(あゆ)む時にのみ人は栄える~谷口雅春先生 - 伝統

2023/03/30 (Thu) 04:45:04


        *『真理』基礎篇 より

「愛」の心によって事を成すとき、
それはおのずから栄えることになるのである。

常に自分と自分の仕事を神の愛の御手(みて)にゆだねて、
神の愛がわが身わが心を通して、人々を愛したまう行事が、
この仕事であるから、

自分には善き運命が来るほかはないと信じて
一心(いっしん)に仕事に打ち込めば必ず成功する。


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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-15)

          <感謝合掌 令和5年3月29日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 07 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/30 (Thu) 13:25:05


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 07 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/10)
https://www.youtube.com/watch?v=ggcyqGiwO3Q

          <感謝合掌 令和5年3月30日 頓首再拝>

『 夫 婦 茶 碗 』~谷口恵美子 - 伝統

2023/03/31 (Fri) 04:54:11


   仲の良い夫婦は
   夫婦茶碗で
   御飯をいただくとばかり 
   若い頃のわたしが思っていたのは
   間違いでした


   仲の良い夫婦は
   おやつのひとときを
   夫婦湯呑で楽しむと思ったのも
   わたしの勘違いだったようです


   母は昔から
   夫婦茶碗を貰っても
   夫婦湯呑を貰っても
   お揃いのものを一度も使わない
   『夫婦揃った物のうち
   片方が欠けたらいやだもの』


   わたしは母に
   『同じ絵柄のお揃いで
   御飯をいただいたら楽しいのに ・・・・・ 』
   と言いかけて
   母の、父への深い思いに
   言葉をのみこみ
   母の横顔を見つめた


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晴れときどき(2013 年 11 月 20 日)

          <感謝合掌 令和5年3月30日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 08 宇治別格本山 - 伝統

2023/03/31 (Fri) 15:25:25



生長の家 谷口雅春 詳密講習会 08 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/11)
https://www.youtube.com/watch?v=Vrg-MnHs4hM

          <感謝合掌 令和5年3月31日 頓首再拝>

自分の心にあるものだけが見える~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/01 (Sat) 04:47:55


        * 『維摩経』 を現代に生かす 第4回 より

お釈迦さんが舎利弗から、

「お釈迦さん、あなた様が住んでおられる世界がこのように
 きたない状態(すがた)であると致しますと、
 矢張りあなたの心がきたないんじゃないんですか?」

と一本やられた。 ところがお釈迦さんは、

『日月豈不浄ならんや、而も盲者は見ず』  と応じられた。

「なにも日月が汚れているんじゃない、日月が暗いんじゃない。 
 いくら明るく照っておっても、盲者すなわち盲人は見ることが
 能(で)きないのである」 

とおっしゃたわけであります。

その時に、螺髻梵王がですね、
言葉を挟んで舎利弗に言ったというのであります。

「舎利弗さん、あんたそんな馬鹿な考えを起してはいけませんよ。 
 この仏の国土を不浄だなどというなんて真にけしからん。 
 私が釈迦牟尼仏のこの国土を拝見しますと、その浄らかなることは、
 譬ば他化自在天の宮殿のように清浄に見えまするぞ」 

と、こう言ったのであります。

すると舎利弗が、

「わたしが此の国土を見ますと、突兀とつき出た丘があり、窪んだ坑があり、
 荊棘が生い茂る、石ころが道に散乱していて歩行に不便であり、
 平野少なく、山岳重畳して、色々の悪が充満しているように見えるのでございます」 

と、こう言って現象の色々の悪い状態を話したのであります。

その時に螺髻梵王がこう言った。

「人間の心に高い低いがあって、仏の智慧即ち実相を観る智慧によって
 見ないで、五官の感覚の眼で見るから、この世界を不浄であると観るのであるぞ。 

 舎利弗さん、菩薩は一切衆生に対して悉く平等の偏頗のない心をもって
 見るのであるから、平等に見えるのである。 

 突兀として凸凹の山岳重畳した、荊棘が生いしげり、窪んだ坑があり、
 つき出た石がある、そんな世界を見るのは、お前の心が平等でない
 突兀した心を持っているからであるぞよ。 

 深く実相に徹する心、清浄の心をもって、仏の智慧を得て、
 この国土が実に平かな世界であるということが見えるように、
 まあ、精進努力しなさいよ」

こういうように言われたというのであります。 

すべて自分の心の世界を見るのであります。


例えば色盲というのがありますね。 

この世界に爛漫と美しく桜の花が咲いておっても、
その桜色の美しさを見ることができないのである。 

あるいは若葉の緑が美しく薫るように輝いておっても、
その緑が薄黒く見えるのである。 

つまり紅緑色盲というのがありますね。

それは、自分の心の中に色々の美しさを素直に受け入れる心がなかったから、
その色々の美しさを見ることが能きないのである。 

この世界に美しい色が無いというのではないのである。 

見る心に‘それ’が無いのである。 
自分の心に在るものだけが見えるのである。


ここは非常にむずかしい真理なんでありますがねえ。 

それがわからないと、生長の家で説いていることも、
『維摩経』 で説いていることもよくわからない
ということになるのであります。


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          <感謝合掌 令和5年3月31日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 09 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/01 (Sat) 14:45:02


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 09 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/12)
https://www.youtube.com/watch?v=_R4A-jO1Vz8

          <感謝合掌 令和5年4月1日 頓首再拝>

恐怖心を取り去って「健康」の相(すがた)を心に描(えが)け~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/02 (Sun) 04:51:59


         *『真理』青年篇 より

吾(われ)らは恐るることなく(恐怖心は信仰とは逆の波動である)
既に健康であると念じて「健康」の相(すがた)を
心に描(えが)くことが必要なのであります。


吾々は常に自分を不完全な肉体的存在だと思わないで、
円満完全なる神の子そのものだと観(かん)ずるように
しなければならないのであります。


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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-16)

          <感謝合掌 令和5年4月1日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 10 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/02 (Sun) 14:06:35


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 10 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/13)
https://www.youtube.com/watch?v=uhl1KqJ-rm0

          <感謝合掌 令和5年4月2日 頓首再拝>

真の自己を知る~徳久克己 医博 - 伝統

2023/04/03 (Mon) 04:49:32


       *『生長する青年』(昭和25年12月号)より


 『私の哲学は先ず人間そのものの置換えから出発します。 
  「物」である人間から霊である人間へと価値が換るのです。 
  斯の如き価値の顛倒の後「人間を尊べ、先ず自分自身を尊べ」と
  申すのであります』  (『生命の實相』 第18巻)


諸君が、一切の過去を清算して新しい人生の出発をするためには、
先ず「自己」の置換えをしなければならない。

人間とは如何なるものか? 
人生の目的は? 
今、自分は何をなすべきか? 

等々の人生観が根本的に転換しない限り、
人間が外面的に如何に変った如く見えても、
それは一時のメッキにすぎないのである。 

生長の家の御教にふれて、
多くの人々がまるで別人の如く変化してゆくのは、
その人々の根本的な「人生観」が変るからである。

  『人間は神の子である』

この簡単明瞭な真理は、その人間の根本的な「観」の転換をきたし、
「有限弱小の無価値な自己」より「無限強大なる絶対価値の自己」へと
自己自身を置き換えることによって、別人となるのである。 

人間は自己の「観」の如くに行動するものであって、

自己を動物的存在であると観じていれば、
動物的本能である性欲と食欲にのみ動かされ、

自己を 『神の子なり』 と観ずれば、
神の本質を実現すべく行動するのである。

諸君が、自己自身を如何なる存在であると観じているか、
他の統べてのことを放棄して先ず自己をしっかりと見つめよ。 

諸君は一点の疑いもなく心の底から 『吾、神の子なり』 と、
深く深く自覚を持っているか? 

先ずこの自己内観から、諸君は出発しなければならない。 

他の総てのことを如何にうまく処理する自信があっても、
この 『吾、神の子なり』 の自覚に欠けているならば、
それは砂上の楼閣の如きもので、外見は如何に立派であっても、
何時崩れ去るか分らない実に危険極まりないものである。

諸君が最も危険な時は、真の自己自身を見失った時である。 

即ち、言葉をかえて云うならば、
諸君が 『吾、神の子なり』 と云う自覚を失った時である。

諸君は、先ず諸君自身を内観し、諸君の本然の姿をじっと眺めて、 
『吾、神の子なり』 との自覚を、今一度深める神想観をして、
最高至上なる神と一体なる吾を生活に実現しなければならない。

諸君の本然の姿は『神』なのであるから、
それ以外のくだらないことにエネルギーを浪費することは、
神を冒涜することであるからである。 

諸君! 目をつぶって合掌して坐し 

『吾、神の子なり。 吾、神の子なり』 

と繰り返し繰り返し唱え、
諸君の本当の本当の自分を、はっきりと見極めよ! 

それから現象界の総てのことは、自ずから展開してくるのである。


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晴れときどき(2013 年 11 月 22 日)

          <感謝合掌 令和5年4月2日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 11 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/03 (Mon) 13:27:31



生長の家 谷口雅春 詳密講習会 11 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/14)
https://www.youtube.com/watch?v=jsS9KylA4mw

          <感謝合掌 令和5年4月3日 頓首再拝>

久遠の尊師と歩いた人類光明化の道  ―  中林政吉 - 伝統

2023/04/04 (Tue) 04:07:37


         *『精神科学』(昭和63年1月号・柴田達成) より

忠犬ハチ公でおなじみの渋谷から吉祥寺までを結ぶ “井の頭線” の途中に、
「池ノ上」 という小さな駅がある。 歩いて5分もすると閑静な住宅街に入るが、
この一角に中林政吉先生の家があった。 

筆者は、言葉を交したことはないが、中林先生と会うのは初めてではない。 
東京へ出てきて、渋谷青年会を結成(つく)り、原宿の本部へ足繁く通っていた頃、
中林先生をよく見かけたものである。 

端正な顔立ちと、もの静かな威厳にただ遠くから合掌していたのは、
もう、ふた昔も前の話であったが ・・・ 。

「エエ。 あなたの名前は存じていましたよ。 
 しかしお会いするのは初めてですね」

開口一番、中林先生はそうおっしゃってニッコリされた。

晩秋のやさいい日差しが部屋の中を包んでいた。 
先生はその日差しに心地良く身をゆだねながら、
過ぎ去った人生をたぐり寄せてくれるのだった。 
それは色彩も鮮やかな一幅の名画であった。

 
「僕は明治36年7月に越後川口で生まれました。
 1年の半分は豪雪に埋まる山間部でした。 
 耕地が少ないので貧しい農家が多くて、
 出稼ぎで生計を建てるような生活でした」

中林先生の家は22代も続いた古い家柄であったが、
不運にも家運は傾斜していて、
大学進学も断念せざるを得ないような状態であった。 

普通こういう場合、青雲の志をいだいて東京へ出てくるものだが、
中林先生は北海道へ渡り、札幌のデパートの店員になった。

弱冠18歳の青年であったが、この地で文学と絵画に関心を深めていった。 
文学をかじると、思想的な模索が始まった。 
左翼思想にひかれて行くのはごく自然であった。 
郷里(くに)の貧しい農民たちを見てきた精神的背景もあったのかもしれない。

「当時、“種蒔く人” という社会主義文芸誌のグループがあって、
 そこへ傾斜していったわけです。 
 金子洋文、佐木孝丸、小牧近江といった人たちがいました。」 

社会的矛盾に立ち向かおうという正義感もあったのだろう。

「まず、僕の働いているデパートの職場で婦人解放運動を始めたのです。 
 いわゆる実践活動です。 
 しかし途中から左翼の事件にかかわって、札幌から東京出てきたわけです」

東京へ出てきた中林先生は、
上野の下谷に 「リリオム」 という喫茶店を開店した。 
昭和8年のことであった。 
知人の紹介で結婚もしていたから、店は奥さんとふたりできりもりした。 

近くに現在の芸大や、太平洋美術学校があったから、
客は若い芸術家のサロンであった。 
中林先生もその雰囲気に酔っていた。

その当時は、画家とか芸術家は、世間一般からは理解させなかった。 
貧乏という名前がついてまわったのだ。 これは日本だけの偏見ではない。 
西洋の、後年、名を残した画家たちも生前は押しなべて不遇であった。

奥さんと中林さんは、若い芸術家たちの最もよき理解者であり、
精一杯の支援をしてはばからなかった。 
それが彼等を歓喜させたのだ。

「小さい頃、画家になりたかったこともあって、
 店の中は美術書や、演劇関係の本、文学書、
 クラシックレコードも集めて環境を演出しました」

客の中に鶴岡政男、麻生三郎、難波田龍起といった後年、
洋画壇で大成した人がいた。 
そして忘れることの出来ないのが 佐藤俊介氏 であった。

「ある日、彼が 『生命の藝術』 という雑誌を寄贈(くれ)たのです。 
 僕はまだ唯物論者でしたから、たんなる観念論の雑誌だ
 と思って気にも止めなかったのです。 
 ところが彼はその後も 『生命の藝術』 を寄贈(おい)ていくわけです。 

 ある日その裏表紙に 『生命の實相』 の広告が出ていたのです。 
 目次を読んで行く内に 『生命の實相』 が読みたくなったのです」

これが神縁であったのだ。 
初版黒革表紙三方金の 『生命の實相』 を佐藤氏が快く貸してくれた。 

それまで進歩的で新しいと思っていた共産主義思想が、
音をたてて自分の中で崩壊して行くのがわかるようであった。 

「『生命の實相』 を読んで、社会を改造する本当の道を教えられたのです。 
 谷口先生が生長の家の真理を宣布する出版会社 
 〈光明思想普及会、現・日本教文社〉 
 を発足するというので、社員募集があったのです。 
 僕は真先に駆けつけて第1号に採用されたのです。 
 そう、あれは昭和10年2月のことでした」


ここで佐藤俊介氏こと 松本俊介氏 を少し紹介したいと思う。 
実兄の彬氏は谷口雅春先生に共鳴して 「生命の藝術社」 を設立して 
『生命の藝術』 を創刊した人であった。 

父親の勝身氏は岩手の盛岡で生長の家の支部長の要職にあったが、
後に一家をあげて上京して、光明思想普及会の編集部に入社している。 

松本家に入籍した俊介氏であったが、
妻・禛子さんの父親・松本肇氏 〈慶応大学英文学教授〉 
も熱心な生長の家の幹部であった。

こうして光明思想の感化に恵まれる環境にあったが、
13歳の時、流行性脳髄膜炎にかかり聴覚を失っていた。

「僕との会話はすべて筆談でした。 
 お金を貸してくれといえば、その日の仕入れ分だけ残して貸してやりました。 
 勝れた評論と絵画に才筆をふるいながら36歳の若さで夭逝したのです」

しかし、中林先生にとっては生涯、忘れることの出来ない友人だった。 
何よりも生長の家との出会いの橋渡しをしてくれた恩人であったのだから。 

そして、生涯もうひとり忘れることの出来ない恩師がいる。

「谷口雅春先生です。 
 先生とは10年違いますが、思い出もずい分あります。 
 僕が満州から引き揚げてきた時、先生はお祝だといって
 3千円くださったのです」

いきなり満州といっても困惑される読者諸兄もいらっしゃるだろう。 
谷口先生は、
「真の民族協和生長の家の信仰と、その精神をもって初めて達成される」  
と教示されて、次々と講師を大陸に派遣された。

中林先生も昭和15年6月、満州国駐在講師として赴任する。 
奥さんと子供には、あとから来るようにといって、
とりあえず単身赴任であった。 

鞍山昭和製鋼を中心とする工場、会社、奉天の工業地帯、
さらに新京の中央官庁、満鉄社員会の光明化に努められて、
昭和17年には、「満州国建国10周年慶祝講習会」 
が開かれた。 

谷口雅春先生が初めて国外出張された記念すべき講習会であった。

「奉天、新京、ハルビン、大連等から集った聴衆は2500名を数えたのです」

しかし20年8月8日、ソ連軍の参戦を知らされて、
1週間後に天皇陛下の玉音放送を聞いて茫然自失の状態になったという。

それから地獄絵図が展開された。 
ソ連軍がソ満国境より雪崩のごとく侵攻してきて
正視できない暴威を振ったのだ。 
混乱は続いた。 

今度は新京に進撃してきた、八路軍の市街戦が展開された。 

この時、中林先生は左下顎部に銃撃を受けている。

「しかし民族協和の実証がまもなく示されたのです。 
 新編中国軍の下士官たちから、同居がゆるされたのです。 
 彼等5人と家族同様の生活が引き揚げまで続いたのですから ・・・ 」

 
昭和20年10月に佐世保に上陸すると、
不思議なことに、手もとにあった新聞に生長の家の広告が出ていたのである。

「もう、取るものもとりあえず、引き揚げのままの姿で
 一家で谷口先生の所へ駆けつけたのです。 
 今でも思い出します。 先生はモンペをはいて畠仕事をされていました。 
 そうして、お祝いだといって3千円と、着物一揃いを下さったのです。 

 その時の3千円といえば大変なお金です。 
 裸一貫で帰って来て、国から支給(いただ)いたお金は
 一人に付き1千円でしたから」


中林先生のお宅には、故林武氏の赤富士の絵が飾ってある。 
林武氏も生長の家の信徒として、あまりにも有名であったが、
中林先生は、この絵を林さんから贈られたという。 

小さい頃、絵描きになりたいと思ったという中林先生の夢は実現しなかったが、
こうして高名な洋画家と出会えたのも、生長の家の奇しき縁であったと思うと、
不思議な気がする。 

筆者は、林さんの絵の中に、中林さんの魂も共存して生
きているような気がしてならなかった。

今、中林先生は静かに航海の余韻をかみしめている。 
思えば長くて、短い航海であった。

 
「谷口雅春先生とご一緒させて頂いた僕の50年は、
 神さまと、雅春先生に生かされてきたのだと、しみじみと感じています。 
 僕の心の中に生きている雅春先生に、今はただ合掌する日々です ・・・ 」

思えば、かつて一緒に人類光明化運動に魂をうち込んだ生命の友だちも
今は鬼籍の人となってしまった。

「吉田國太郎、服部仁郎、辻村彦次郎、高橋直治くんたちのことも
 思い出すなあ ・・・ 」

頭髪はめっきり白くなったが、
血色のいい顔は明日をみつめて青年の覇気があった。

ふた昔前に初めて筆者がお会いした時の威厳も健在であった。 

そして高貴な風貌に、仏像にも似た気品が輝いていた。

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          <感謝合掌 令和5年4月3日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 12 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/04 (Tue) 15:03:20



生長の家 谷口雅春 詳密講習会 12 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/15)
https://www.youtube.com/watch?v=J-iMirEcoq8

          <感謝合掌 令和5年4月4日 頓首再拝>

喜びと愛と太陽の光線とを、人生にまいて歩け~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/05 (Wed) 04:56:12


          *『生命の實相』生活篇より

諸君が心で喜びを放送すれば、
その念(おもい)は消えるものではないのである。

念(おもい)は種子(たね)だ。

やがて諸君が撒(ま)いた喜びの念(おもい)が、
幾万粒(いくまんつぶ)の歓(よろこ)びの果実となって
枝もたわわにこの世界に色づくことであろう。

その日のために、その日を待ちつつ
「生長の家」はここに諸君にこの善き生き方を語るのである。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a9e73d5ce40cda62cfe352b61ebc2125
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-17)

          <感謝合掌 令和5年4月4日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 13 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/05 (Wed) 13:38:35


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 13 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/16)
https://www.youtube.com/watch?v=VsksPFz3lNI

          <感謝合掌 令和5年4月5日 頓首再拝>

真に偉大なる者~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/06 (Thu) 04:54:41


       *『生長の家』(昭和47年2月号)より

真に偉大なる者は不屈の決意をもって、
自分の理想を貫き通す忍耐がなければならぬ。

そのためには一念不動でなければならない。

内から外からの誘惑に左顧右眄するようであってはならない。 
そして理想を貫き通すために、最も苛辣な条件をも莞爾として受け、
どんな擾乱の中にも心の平静を失わず、
熟慮の後は敏速に断行する果敢な精神をもたねばならぬ

 ―― しかしそれらの諸徳を実現し得る根本となるものは、
自己が “神の子” であり、“常に神と偕にあり” との自己信頼である。 

自己信頼とは仮にいうけれども、小さな自我への信頼ではなく、
神への全托から来る自己信頼でなければならない。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p14.html
晴れときどき(2013 年 11 月 25 日)

          <感謝合掌 令和5年4月5日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 14 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/06 (Thu) 14:06:08


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 14 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/17)
https://www.youtube.com/watch?v=axHbANx3tfs

          <感謝合掌 令和5年4月6日 頓首再拝>

人工受精で生れる子供~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/07 (Fri) 11:03:59


         *昭和33年3月号 より

生長の家に於いて、いろいろの奇蹟が現れると言うのは、
いままで釈迦キリストだけに起る特殊現象だと認められていた
ところの出来事が、決して特殊現象ではなくて、
凡ての人間がそれなんだと言うことを万人に知らせるからであります。

 
それは吾々が受胎するのは、
卵(らん)が母親の卵巣から喇叭管の中に降りて来る。 
それに夫の精虫が入って行って結合する。 

そして受精した卵(らん)が子宮へ降りて来て妊娠するのである
と言うことに解釈されています。 

これは子供が出来る手続きの物質的観察であるのであります。 

併しそれは妊娠する場合の生理的手続きであって、妊娠の本体ではないのです。 

何故なら、精虫と卵子とが結合したら、必ず人間になるか
と言うと決して人間にはならないのであります。 

それは或る化学変化は起るかも知れんけれども、
必ずしもそれが人間にならないのであります。

いくら生殖細胞が増殖しても、それは葡萄状鬼胎になったりします。 
そこに神の霊が天降って来て、そして初めてそこに 「聖霊の受胎」 
と言うものが起って、増殖する細胞が人間の理念に支配されて、
人間の形に生長した人が生れると言うことになるのであります。


近頃人工受精と言う事が時々話され、その成功した実例が
あげられることがありますけれども、人工受精によって生れる子供の数は、
非常に少ないのであります。 

此の問題は 『生命の實相』 の第5巻に多少言及されているのであります。

大体夫婦が結合しますと、その時に “愛情の霊的波動” と言うのが起り、
その波動が、宿るべきところの霊魂を呼び寄せて、
そこに受胎と言うことが行われるのであります。 

だから幾ら物質的に卵子と精子とが結合いたしましても、
そこにそう言う聖霊の受胎と言うものがなければ、
物質だけが結合しても、決して、妊娠現象は起らないのであります。

『生命の實相』 の第5巻の中に、こう書いてあります。

「人工受精によって生れるところの子供は、往々にしてあるけれども、
 それは概ね高級霊であって、性交時の愛情の霊的波動によって、
 盲目的に引きつけられて受胎する霊魂ではなく、

 そこに人工受精と言う事が行われると言うことを知って、
 特別にそこへ生れようと欲する霊魂が意識的にそこに受胎して来るのである。 

 併しそう言う実例は少ないのであるけれども、絶無ではないのである」

と書かれているのであります。

ところが普通の受胎の場合には、特殊の高級霊を除いては、
意識的に自分が宿るところの母親の胎内を選んで入って来ると言うことがないので、
無意識的に引きつけられて、ラジオの波がラジオ・セットに入ってくるように、
波長の牽引によって受胎してくるのであります。 

すなわち、普通に受胎して来る霊魂は霊界で眠っているままに、
地上の夫婦の愛情の霊的波動が起った時に、無我夢中でその霊的波動に呼び寄せられて、
そこに受胎をすると言うことになっているのであります。

だから普通の霊魂は、眠っている間に胎内にやどる結果、
前世に自分が霊界で何をしていたかの記憶が全然ないのです。 
随って、霊界の話をしても、それを信じないのであります。 

ところが高級の霊魂は、意識して胎内にやどって来ますから
霊界の記憶が、とも角、おぼろげながらにもあります。 

従って、現世に生れてから霊界の存在の話を聞いたら、
直ぐ 「成る程」 と信ずるようになるのであります。

人間が、単に卵子と精子として結合して生れるのであったならば、
母親の胎内も要らんことになります。 

試験管の中に卵子を入れて、そこへ精虫を入れて結合させる。 
そして人体を造るのに必要なところの成分をそこに全部入れて、
一定の温度にして置くとそれが人間になるか、と言う問題が起るのであります。

併しそれは絶対に人間にはならんのであります。 

それが若し出来たら、これは素晴しいことであって、
私の人生観も変えねばならぬことになるわけですけれども、
それは決してそうはならんのです。 

いくら試験管の中で卵子と精子とを結合させても、これを人間の胎内に入れて、
そこに “神の霊” が宿って来なかったら、人間にはならんのであります。

「人間」 は結局、“神の霊” が天降って来たものであるからです。 

そして卵子とか精子とか言うものは人間を生み出すための一つの材料であって、
この両者が結合すると、そこに “神の霊” が天降って来るところの 「場」 
即ち “フィールド” が出来、その「場」にあるところの栄養分をその神霊が 
「人間」 なる理念の形に “いのち” の波動の力によって配列して並べるのであります。

こうして一定の人間の容貌を持ち、一定の生理的組織を持った人間が
そこに生れてくると言うことになるのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/64bd2d0279b8f5dd84a650cdc3650d2c
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-01)

          <感謝合掌 令和5年4月7日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 15 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/07 (Fri) 15:20:28


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 15 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/18)
https://www.youtube.com/watch?v=sbrYxv9y66Y

          <感謝合掌 令和5年4月7日 頓首再拝>

朝の時間を生かすものは生命を生かすものである~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/08 (Sat) 04:56:38


          *『生命の實相』生活篇より

およそ時間をたくみに生かす者は、自己の生命を生かす者である。

なぜならわれわれの生命は時間的継続そのものであるからである。


わたしのように朝の時間をたくみに利用することによって
二重に生きることができる者は
仮に五十年の生涯でも百歳を生きたとどうようとなるであろう。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/253207255fc72fa6f73e4ef8d517662a
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-19)

          <感謝合掌 令和5年4月7日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 16 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/08 (Sat) 12:04:53


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 16 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/19)
https://www.youtube.com/watch?v=x5w7-t-XfAo

          <感謝合掌 令和5年4月8日 頓首再拝>

癒された人は、神の栄えを現さねばならぬ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/09 (Sun) 04:52:00


       *生長の家』(昭和36年9月号)より
        指導者特別詳密教修会 速記録)

皆さんのうち誰でも病気が癒されるのは、
自分が神を利用して助かるために癒されたのではなく、
神様の栄えを現さんが為に神様が奇蹟を演じたまうたのであります。 

それを自分だけが治ったらそれを隠して置いて、
自分だけ得を取って、人に功徳を施さないで、 
「恩返しに教を伝えましょう」 と云う心を起さないのは、
又逆戻りするのであります。

奇蹟が起るのは、神の栄えを現す為に神様を知らないような人に 
“私は斯う云う体験がある” と体験によって神様を指し示す為に、
そういう奇蹟というものが出て来る訳であります。 

神様はこんな肉体みたいなものを治してみたって
つまらんと考えておられる。

それは肉体をいくら治して置いたとて、
何百年も保つものではないのであって、
どうせ今は治っても腐ってしまうもんですから、

そんなに治してみたってつまらん ―― という事になるんだけれども、
神様はその肉体の奥にある其の人の魂を向上せしめたいというわけで、
その機会を与えるために病気を治し、 “神の存在を知らしめたい” 
というのが、これが神様の願いであるのであります。

それですから、癒された人はその栄えを神に帰して、
神様の道を弘めようとする時に、その治りが更に色々の経済的な
状態にまで発展して行って豊かになるという事になるのであります。 

だから生長の家講師たる者は、一時的に病気が治って、
あとから又再発するような治し方をしてはならない。


本当の癒しというものは、
単に肉体の一部が病気が癒されるだけではなく、
人間全体が全面的に癒されなければならない。 

病気だけが癒された結果、身体が丈夫になったから神様が太くなって、
どんな悪いことも平気で出来るとか、
恩を忘れて利己主義者になるような導き方をしてはならない。 

肉体だけでなく、心も魂も癒されるように導いてあげなければ、
本当の導き方にはならないのです。

治して貰っておいて、あちらを向いて “さよなら” 
というように導いたら、それは人間を恩知らずに導いたのであって、
それは魂の上から言うと却って悪く導いたという事になるのであります。

だから皆さんは折角この教えを伝えるときには、
その伝えられた人が必ず少なくとも十人には伝える
というように導いて頂きたいのであります。 

誰でも十人位は勧め易い近親者や友人があるでしょ。 
生命保険でも外交員になったらですね、最初は誰でも親類の人や、
知人の人に頼んではいってもらって、責任契約額を果すのであって、
それから後は、その人の熱意と手腕とにあると言われています。 

生命保険でさえもそうでしょう。 

そうすれば人を救ける、真に生き甲斐を与える生長の家の教えは、
一人が十人位に伝える位の事くらい何でもない易しいことだ
と私は思うのであります。 

こうして一人が十人に伝えたら、
十人のうちの一人や二人位は本当に又真剣になり、
本当に神から与えられた使命を自覚して、
神様の為に伝道しようという人が出来て来るに相違ないのであります。 

そうすれば本当に真剣に真理を伝える人が次第に倍加倍加して行って、
ついに人類全体を光明化することも可能となるのであります。

だから、肉体を癒すことだけを主眼にしないで、魂を救い、
それによって神の栄えを現す人数を倍加、倍加していって
頂きたいのであります。



https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p14.html
晴れときどき(2013 年 11 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年4月8日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 17 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/09 (Sun) 15:12:32


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 17 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/20)
https://www.youtube.com/watch?v=47rfwcUYkCw

          <感謝合掌 令和5年4月9日 頓首再拝>

真理を知る時、吾々は神の恩寵を見る~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/10 (Mon) 04:56:41


         * 『生活改善の鍵』 より

もし吾々が欠点を拾い上げてそれを問題にする心があるならば、
欠点はいくらでも自分の目の前に現れて来て
自分の魂を掻き乱すより仕方がないのである。 

それは 「類は類を呼ぶ」 の法則によって
そうならずにはおれないのである。 

それはどこに吾々が生活していようと、
誰と生活していようと如何なる仕事をしていようと、
結局は 「類は類を呼ぶ」 ことになるのである。 

自分の目の前に何か不完全なことが現れて来るのは、
結局自分自身の中にそれと同じものがあるからである。 

もし吾々が豊かな、調和せる、楽しい生活を欲するならば
不完全を見ない心にならなければならないのである。 

不完全を一つ一つ見つけてそれをとりあげている限りは、
その不完全さはいくら捨てても捨ててまだ新しいものがでてくるのである。

 
もし吾々が他をさばき、他に憤激し、
他を誤解して悪く考えることがあるようでは
吾々の住んでいる環境はますます紛糾するばかりである。 

なぜならその人の心は天地一切のものと和解していず、
批評や憤激や誤解等によって、凡ゆる人と凡ゆる事物とに
対立的な関係に立つからである。 

そして何かこの世の中に害を与える不調和な存在があるのだ
という信念をますます強めることによって、その信念の反映として
不調和の現象はいよいよますます吾々の周囲に現われて来るのである。


これを避けるためには、吾々は真理を知らなければならない。 

ただこの世界には神と神の子のみとが存在する、
という真理を知る時吾々は凡ゆる人々の中に観世音菩薩の示現を見、
凡ゆる環境に神の恩寵を見ることができるのである。 

この心境に立到った時に於いてのみ、
吾々は凡ゆる人と事物と環境とに対してしばられない所の
完全なる自由を獲得することができるのである。

クリスチャンはこれを 「愛」 といい、仏者はこれを 「慈悲」 という。 

愛と慈悲のみが自分自身を完全なる自由にまで解放することができるのである。 

愛とか慈悲とか必ずしもセンチメンタルに
人の欠点に同情することではないのである。 

それは欠点に気がつかないで、ただ美点のみを見る事ができる心である。 

悪をどうこうするのではなくして、「悪を見ない」 のである。 
不完全なものは自分の前に現れたと見える瞬間、それを追放する事である。 

その 「悪想念」 に立ちのきを命ずることなのである。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/eff7c68cae4fcdeb6a940cbbd53cc04b
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-03)

          <感謝合掌 令和5年4月9日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 18 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/10 (Mon) 13:21:59


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 18 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/21)
https://www.youtube.com/watch?v=wuDPd346FVA

          <感謝合掌 令和5年4月10日 頓首再拝>

人間は神の子であるから疲れない~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/11 (Tue) 04:50:21


           *『真理』実相篇 より

神は常に働きたまう。

それゆえに神の子なる自分も常に働くのである。


神は倦(う)むことなく、疲れることなく働きたまうのである。

それゆえに、人間もまた倦むことなく疲れることなく
働くことができるのである。


倦むとか疲れるとか云(い)うのは心の問題である。

物質には心がないから倦むとか疲れるとか云うことはないのである。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/4b1cd549d77abb503467b7f4582cbfda
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-20)

          <感謝合掌 令和5年4月10日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 19 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/11 (Tue) 15:23:19


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 19 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/22)
https://www.youtube.com/watch?v=p69GTNCIstw

          <感謝合掌 令和5年4月11日 頓首再拝>

真理を知るには~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/12 (Wed) 04:45:48


        *『生長の家』(昭和22年12月号)より

「如何なる言葉も、伝えんとする真理を完全に表現出来ない。 
 完全なる真理でないものは虚偽である。 

 人は虚偽の言葉を表現することによって
 辛うじて自己の伝えんと欲することを表現するのである。 

 されば言葉は沈黙にまさり、沈黙は言葉にまさるのである。 

 事物は存在すると同時に存在しない。 
 有であると同時に無である。 

 全宇宙にはただ一つのものがある。 
 それは創造者にして同時に被造物と現れ、
 心的存在にして物的表現をもち、
 善であると共に不善である ・・・・・」

これはエマースンの論文の一節である。 

真理を知るためには、文字そのものに捉われず、
行間又は字間の間を縫って沈黙の間に鳴るヒビキを聴く事を要するのである。

 
釈迦は四十年説法して「一字不説」と云い、
禅宗では「言詮不及・不立文字」と云う。 

不立文字と云いながら数千数万言を長口舌するもの禅であり、
世尊陞坐して一字説かずして、文殊菩薩撃槌して「説法終れり」と云う。 

われ既に生命の實相を説いてあますところなしと雖も、
いまだ一字も説かず、これから、益々長口舌を揮わんとする所以も
爰にあるのである。

 
言語は沈黙にまさり、沈黙は言語にまさる。 
共に真理にして真理にあらず。 

黙して神想観して天地の啓示を受け沈黙のうちに得たる啓示を文章にあらわす。 
 
不言にして多言、多言にして不言。 
真理は無にして有、有にして無。 
説いて説かず。 

聴き方上手読み方上手が必要である。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p14.html
晴れときどき(2013 年 11 月 30 日)

          <感謝合掌 令和5年4月11日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 20 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/12 (Wed) 13:37:16


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 20 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/23)
https://www.youtube.com/watch?v=HPqHJnTdxtw

          <感謝合掌 令和5年4月12日 頓首再拝>

悪しき遺伝がある場合の妊娠中絶  ―  堕胎にからまる霊的問題 (2)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/13 (Thu) 02:53:45



          *『精神科学』(昭和33年6月号)より

既に結婚した夫婦間に受胎した子供ではなく、
「絶対に結婚不可能な場合の男女のあやまちの結果、
 妊娠した胎児の処置は如何にすべきか」 の問題があります。

これは机上で考え出した問題ではなく、
実際にそのために悩んでいる婦人からの質問でありますが、
その男女の間に本当に誠意と愛情があったら、
決して 「絶対に結婚不可能」 ということはあり得ないのであります。

その男女があまりに年少であって経済的に自立し得ない場合もありますが、
それでも産めば、必ず何らかの社会施設が保護してくれることも可能であるし、
両親の反対の場合も、子供が出来れば、その両親にとっては孫でありますから、
両親の反対も解消する可能性も出て来ます。

それにはその過ちを犯した男女が両親に対して、本当のお詫びの心を起し、
両親に対して 「実相完全の相」 を念じ、和解の神想観をすれば、
必ず両親はその子と孫とを祝福する気持になってくれると信じます。


また悪しき遺伝があると考えられているに拘らず恋愛関係に入ったために
妊娠した場合に、優生学上、そのような悪遺伝を有する子供の血統を絶やすために、
堕胎すべきか否かの問題もありますが、これは明らかに優生保護法にもとづく
堕胎公許の対象となるべき対象でありますが、

心霊学上から観ずるとき、更に実相哲学から考察するとき、
「悪遺伝」 というものは ‘肉体にはない’のであって、
‘肉体の形 〈細胞の排列の状態〉 は心の作用によって変化するのであります。’

従って遺伝は 「心」〈生れ更って来る霊魂の潜在意識〉 にあるのであって、
癩病などの如きは 〈医学では現在は伝染病として認め、遺伝病とはみとめていなが〉 
祖先に重大な悪業を積んで、誰からか非常にうらまれ、
その強烈なる怨霊の憑依によって癩病をあらわしている 
〈これは霊媒の実験による〉 のであります。

それですからその怨霊に憑依されている人が死にますと、
その怨霊の憑依の場がその親族縁族の誰かに転居し憑依して
又その人に癩病の状態をあらわします。 

このように転々と次の代の肉親者に憑依して癩の兆候をあらわすので、
或る時代には癩は遺伝と認められていたのであります。 

ところが 『甘露の法雨』 の読誦により癩の全快退院せる実例は
岡山の愛生園にもあり、又、長崎の 『白鳩』 誌友のうちには、
ひたすら 『甘露の法雨』 の読誦によって、多くの癩患者の症状を
消滅せしめた有名な誌友もあります。

 
『甘露の法雨』 のような聖経の読誦によって癩が治るのは、
明かに憑依せる怨霊または迷霊が悟りをひらいて成仏した証拠だ
とみとめられるのであります。 

だから、このような遺伝のある人が妊娠しても
必ずしも妊娠中絶の必要は無いのであります。

癩のような遺伝ではなく、奇型な体躯をもって生れて来る者があり、
親類縁者にこのような者がある場合、その者が妊娠したら悪遺伝が続くか
といいますと、決してそんな事はないのであります。 

奇型をもって生れて来るのは、高級霊が、わざと不自由な 
〈又は他から辱しめられるような〉 肉体をもってこの世に出現し、
その不自由や辱しめによる受苦のうちに、魂を普通よりも急速に鍛錬して
魂を向上せしめるために、みずから選んでそのような肉体を創造して
生れて来たのでありますから、

その奇型は遺伝するのではなく、或る高級霊が宿った一代限りのもので
あるから、安心して妊娠して子供を造っても差支えないのであります。

また不具の肉体をもって生れ、大人にならないで
幼児期又は嬰児期に死ぬような子供がある場合にも、それは遺伝しない。

そのような場合には、霊魂が完全に肉体に宿り切らないために、
肉体の状態が完備しないままに 〈即ち不具に〉 放置せられるのであります。 

だから、これも遺伝に関係がないから、
一度、このような不具の児を生んだ親類の者がいるからとて、
その人と結婚して悪いということはありません。 

『生命の實相』 霊界篇 にはこの因縁を次のように示されているのであります。

「幼くして死する児童の霊魂もまた高級スピリットである。 
 かかる場合にはその霊魂は全然その肉体の器官に宿り切らないことがしばしばある。 

 彼らは自己の運命をあらかじめ知っているので、自己の 『肉の宮』 を
 造るのにみずから骨を折ろうとしないで、その肉体をしてただ動物的営みを
 なすままに放置する。 

 かかる場合、その生涯が極めて短すぎて、進化のための試練とならない事もある。 

 然しながら、茲に極めて稀な場合がある  ―  生れてもその肉体が
 少しも発達しないで、痴呆の状態で老齢に入るのである。 
 これなどは前世に於ける非常な過失の贖い  ―  恐ろしい罪障消滅法  ―  
 と解すべきであろうか? レイヌは答える。

 『多分それは罪障消滅法でも最も辛いものなのです  ―  
  何故なら此等の霊魂はスピリットとしての意識が残っているからです。 
  此等の霊魂は完全に肉体中に這入り切らないで、霊界にいながら
  その肉体につながっているために、スピリットそれ自身としての
  意識の一部が存していて、そのために鋭い苦痛を感ずるのです。 

  わたしたちは此等の人たちに愛を感じ、
  これらの人たちの為になることをしてあげなければなりません。 

  併しこれらの人たちを憐れんではなりません
   ―  それはその霊魂の苦痛を増すばかりですから』 ・・・ 」


『憐れんではなりません』 とあるのは、
これらの霊魂は高級霊であって、みずから進んで罪障消滅のために
苦痛を受けるべく、一種の宗教的苦行としてそのような
不具の肉体に宿っているのだから憫れまるべきものではなく、
寧ろその悲壮にして勇敢なる決意を賞揚してあげるべきものであるからです。

そのような苦痛が霊魂の進化に役立つかどうかという問題について 
『生命の實相』 携帯版 第9巻 霊界篇 117頁に於いては、
高級霊ヴェッテリニの意見として次のような問答が掲げられています。

 
問  ― その人の生涯が打ちつづく肉体的苦痛であるような人は、
     その肉体的苦痛によって前生に犯した罪障を消滅させているのか?

ヴェッテリニの答
  ― 「常にそうである。 それは贖いである。 時として自己の
     罪障消滅法として霊魂がみずから選んで不健康の肉体に
     宿っているのもある」


片輪の肉体に宿って生れた人たちの霊魂が高級霊であって、
みずから選んで苦行の生活を選んでいるのであるという問題では、
同じく霊界篇の135頁に次のように録されている。


「例えばビセートロのような慈恵院には4、5百人もの幼児が
 そこに収容されているのであるが、皆白痴か、片輪者かで、
 3歳ないし12歳迄で死ぬような運命をもっているのである。 

 では、吾等は此等の憫れな幼児を高き進化を遂げた霊魂である
 と信ずべきであろうか? 

 答えは正に然りと言う  ―  『彼らはすべてほぼ同じ階級の  ―  
 かなり高き階級の霊魂であるのだ。 この世に出生せんとする瞬間、
 彼等は自分の前途に如何なる運命が横たわっているかを察知する。 

 が、彼等は此の苦痛多き運命を甘受する。 
 時としては自ら進んで此の苦痛な運命を選んで受ける

   ―  それは一層高き進化に尚一層速かに到達せんと欲するからなのだ』 ・・・・ 」


このような霊界と現実界との関係がわかって来ると、
肉体的不具者は、肉体の遺伝によって不具者として生れているのではなく、
高級霊が、普通の生活よりも、苦行の生活が一層速かに過去の罪障を消滅せしめて、
霊魂自身の浄化と進化とを急速に遂げんがために、

或る不具者の肉体に宿ったのであるから、
その不具の状態は、その霊魂が宿っているところの一代限りのもの
であることが判るのであります。

その意味に於いて、不具者といえども、適当な配偶を得て結婚し妊娠した場合は、
決して中絶する必要なく、

子供を生み育てて、父親又は母親という 「場」 に於いてでなければ
体験することのできない愛情や、育児の面倒や、扶養の義務の遂行によって、
自分自身の体験を深め、以って自己の霊魂の進歩に資するのが、
その人が地上に生れて来た使命遂行に必要なことと言わなければなりません。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/678b7b3adceb17bdf0a7aef1eb14bb4b
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-04)

          <感謝合掌 令和5年4月12日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 21 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/13 (Thu) 15:23:36


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 21 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/24)
https://www.youtube.com/watch?v=0RVK6vGgk_g

          <感謝合掌 令和5年4月13日 頓首再拝>

“ 私は成功だ、私は幸福だ ” と言葉で断言せよ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/14 (Fri) 04:52:27


         *『生命の實相』参考篇 より

「わたしはやがて幸福になるだろう」というような
想像的分子を混じえた言葉よりも、

「わたしは幸福の運命に造られているのだ、幸福とはわたしのことだ。
 今わたしは幸福だ。愉快だ」というふうに、

今(いま)現(げん)に実際は苦しい境遇にいても
断々乎(だんだんこ)として、
その反対を言葉で断定して自分の耳にきかせるのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/2da5719ac2447b3f66dd0f8dbdac311e
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-22)

          <感謝合掌 令和5年4月13日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 22 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/14 (Fri) 15:01:51


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 22 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/25)
https://www.youtube.com/watch?v=KFif1PMvuaU&t=2s

          <感謝合掌 令和5年4月14日 頓首再拝>

『真理の要項』~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/15 (Sat) 04:55:13


    *『生長の家』(昭和25年3月創刊満二十周年記念号 巻頭言)より 

ただ真理のみを語れ。
多言なるべからず。 
多言なれば調子にのりて虚偽を語ることあるべし。

ただ優しき言葉のみを語れ。
烈しき語調の言葉は深切より出づる場合にも、
憎悪をもって語らるる言葉なりと誤解せらることあり。

心の中にても、言葉に現しても、行いにあらわしても、
人を傷つけてはならない。
 
誠実であれ。 虚偽であってはならない。
素直に、直截に、かまえることなく、
そのままの心で生活し、行い、言わねばならぬ。
        
値いなしに受けようとしてはならぬ。
肉体の汗か、心の汗か、金銭か、物質的な贈物か、
いづれにせよ何らかの値いを払って受けよ。
値いなしに受けたものは、何時かは奪い返されることがある。

自己の生活が気尚(けだか)き基礎に立つかどうか顧みよ。
汝の生活を、愛と赦しと忍耐との上に築きて、怒りと憎みとを常に支配せよ。
怒りと憎みとは神と汝を隔てる最も大なる敵である。

常に朗らかであれ。

不快なこと、争いのこと、憎むべきこと、人の悪しきことを忘れ去れ。
忘れ上手が光明生活の第一歩である。

恩を忘れてはならない。
恩を忘れる者は根を培わない樹木の枝の如く、
一時は生花の如く美しくとも やがて枯れてしまうであろう。

人に深切をつくすのが最善の宗教である。
ただ教えの説教師になってはならないのである。

一日一回以上、出来るだけ自分の利益にもならない事で、
純粋に人のために尽せ。
純粋で無我でつくすことは、其の事自体が神に通ずる祈りである。

無我の愛でささげたる奉仕は神に献げたことになるのである。

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p15.html
晴れときどき(2013 年 12 月 04 日)

          <感謝合掌 令和5年4月14日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 23 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/15 (Sat) 18:03:18


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 23 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/26)
https://www.youtube.com/watch?v=1KirjGlRvK4&t=1s

          <感謝合掌 令和5年4月15日 頓首再拝>

宗教家は 『真理の武器』 をもて~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/16 (Sun) 04:53:10


         *『希望実現の鍵』 より

吾々はこの世界に病気や不幸や貧乏が存在するということを
否定するものではないのでありますけれども、

吾々はその不幸の原因が心にあることを知り、
吾々の想念を、吾々の心を来たるべき幸福の実現のために、
自分の心の波長を 「幸福放送局」 の波長の方へふりむけて置くように
すすめずにはおれないのであります。

世界にはもっと困難が来るかも知れない、
又もっと不景気が来るかも知れない。 
第3次世界大戦が来るかも知れない。 

そういう想いが全人類の大多数に拡まりつつある。 
その人類大多数の想念の強さが真に尚一そう不幸や不景気が
実現して来る所の原因になっているのであります。

 
キリストは 「天地は失せん。 されどわが言葉は失せず」 
といっております。 

言葉は具象化して現象界に現われつつあるのであります。 
心で想うこと口でのべること、表情や態度や動作は何れも 
「生命の波動」 即ち言葉であります。

吾々は人々が前途にどんな不幸が来るかも知れぬと噂しようとも、
そういう噂が拡がるが故に、そういう言葉が拡がり、
そういう言葉が拡がるが故に、人類大多数の心が動揺し、
人類大多数の心が動揺するが故に、戦争がまき起り、
混乱が惹起(ひきおこ)され、不幸が現われて来るということを
知るのであります。

吾々は宗教家として政治や政策のことをのべるのではない。 

ただ吾々は人類の幸福と平和と繁栄とを願うが故に、
心をどの方面にふりむくべきかを説くのであります。

吾々は世間の人がどんな噂をしようともラジオや新聞が何を伝えようとも、
心の波長を神の愛の放送局に合わさなくてはなりません。 

もし吾々が真に人類を愛するならば、常に善意と愛と幸福の思念を
全世界に放送し、同時にそれと同じ波長を感受するようにしなければ
ならないのであります。


「必ずよいことが来る。 必ずよくなる。 必ず平和のみがくる」 
というような善と福とを実現するための言葉のみを吾々は考え、想念し、
放送しようではありませんか。

真理を知るものはかくの如き善念のみを放送しなければならない。 
そして全世界に拡がっている悲観的な破壊的な想念に
対抗しなければならないのであります。

吾々は人類は神の子であるから善き性質があり、
争闘の性質などのあり得べからざることの想念の性質などの
あり得べからざることの想念を強き信念を以て強調しなければならない
のであります。

吾々が実相を見る心の目を開いてみれば、実相は神の子であるから
ただ善意のみを想念しているのであります。 

それだのに悪があると疑う。 
それを新聞が書きたてる、ラジオが放送する。 
多くの人類がそれによっておどろかされる争闘の想念に拍車をかける、

そうしてその争闘が現実に具象化するのであります。

吾々はそのような混乱の世界を吾々宗教家の立場から
これを是正して行くのは 『真理の武器』 を用いる外に
仕方がないのであります。 

吾々は今、すぐ、今日よりそれを実行することができるのであります。 

今日唯今人類互いに神の子として唯拝み合うのみの思想を
大声叱呼して全人類によびかける、これこそが宗教的世界平和運動だ
といわなければならないのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/21bbafa8a932ea24efe0bc953a66852d
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-05)

          <感謝合掌 令和5年4月15日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 24 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/16 (Sun) 14:51:12


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 24 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/27)
https://www.youtube.com/watch?v=i2PpYAfEbxQ

          <感謝合掌 令和5年4月16日 頓首再拝>

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