伝統板・第二 2558645

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幸福の筐を開く⑪

1:伝統 :

2023/03/12 (Sun) 05:09:00


幸福は内にあり

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月12日)」より

持ち主もなく宝物がいたるところに埋(うず)められている。
誰もそれを掘り出さないだけだ。

幸福になる道はただ《自分で》掘り出すことにある。

・・・

<関連Web>

   ”生長の家“本流宣言”掲示板”「幸せとは (5453)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1185   (消滅)

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「幸い (475)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=137     

(2)「光明掲示板・第ニ」内スレッド「幸福 (10773)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2071  (消滅)

   伝統板・第二 にて再掲示
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7817631

(3)光明掲示板・第三「幸福 (85)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=42

(4)光明掲示板・伝統・第一「幸福への出発」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=17

(5)伝統板・第二「幸福の筐を開く①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6493420

(6)伝統板・第二「幸福の筐を開く②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6840845

(7)伝統板・第二「幸福の筐を開く③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7564514

(8)伝統板・第二「幸福の筐を開く④」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7609493

(9)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑤」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7726414

(10)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑥」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7817369

(11)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑦」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7891876

(12)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑧」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7987733

(13)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑨」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8112999

(14)伝統板・第二「幸福の筐を開く⑩」
   → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8247383

           <感謝合掌 令和5年3月12日 頓首再拝>
2:伝統 :

2023/03/13 (Mon) 04:39:45


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月13日)」より

幸福になりたければ、まず自分が幸福になれである。
あたりまえのことがあたりまえである。
噛みしめれば味がある。

注意すべきは、幸福とは心の一つの状態であるということである。
金殿玉楼の中にいて、輾転(てんてん)反側して眠れない人もいれば、
弾丸雨飛の中にいて喜びいっぱいの人もある。

           <感謝合掌 令和5年3月13日 頓首再拝>
3:伝統 :

2023/03/16 (Thu) 00:15:47


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月16日)」より

幸福は無我の中にある。従うことの中にある。

幸福が我欲の中や、強情我漫の中にあると思っている間は、
その人の心に悪魔が忍び込んでいるのである。

無いものを「有る」と主張する嘘つきが悪魔である。

            <感謝合掌 令和5年3月16日 頓首再拝>
4:伝統 :

2023/03/25 (Sat) 05:04:36


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月25日)」より

胸を広くして待っていること。

ここに幸福の秘訣がある。

            <感謝合掌 令和5年3月25日 頓首再拝>
5:伝統 :

2023/04/13 (Thu) 03:30:58


           *「光明道中記」(4月13日)より
             ~招かずして幸福来る日

【貨幣を与えると労働力が動き出して価値創造が始まるのであります。
                       (『百事如意』)】


何でもあまり追っ駈け廻すと嫌われる。
恋人にさえもあまり執着するならば、その人は嫌われるであろう。
執着と云うものは相手にまつわり着き、
相手を心で縛って窮屈な感情を起こさしめるからである。

「金」を追っかけると「金」は逃げて了(しま)うか、
「金」から来る「幸福」は逃げて了う。
「儲けよう」と思ってそればかりを追っかけている相場師に、
結局儲けた人も幸福になったひとも一人もない。

「眠り」を追っ駈け廻して「是非眠らねばならない」と
「眠り」を追っ駈け廻す時は「眠り」は逃げて了う。
―― 心の法則は何事に当て嵌めても同一効果である。

夜よく眠る法は、寝床は眠くなるところだ、と知らなければならない。

人生も同じことである。
幸福に《なろう》とするよりも、
人生と云うところは幸福な所だと気が附けば
幸福がおのずから来るのである。

今晩はまた眠れないだろうと予想することは寝床とは眠くならぬ所だと
予想することになるから、不眠の原因となる。

今晩は眠れないだろうの感情は恐怖を伴った感情である。

恐怖は外敵に対峙する感情であるから、
外敵がある場合眠らないでいることが必要であるから、
不眠は自然の自衛作用である。

自衛作用を病気だと取違する者は愚か者である。

            <感謝合掌 令和5年4月13日 頓首再拝>
6:伝統 :

2023/04/14 (Fri) 05:04:32


           *「光明道中記」(4月14日)より

【誰でもあらゆる物を有(も)って出発する。
 全てが吾がうちに在るんですからな。(百事如意)】


「幸福」の天使(てんのつかい)が出て来まして
或る日私に斯(こ)う言いました。――

「私は常にあなたの後を追っ駆けて走っているのですのに、
あなたは何故(なぜ)そんなに逃げるのですか。
もっと緩(ゆっく)り歩きなさい。

急ぐことは要らないのです。当たり前に歩いていさえすれば
私は屹度あなたに追着くことが出来るのです。
それだのにあなたはそんなに私から逃げて走って行くのですか」

私は答えました ――

「幸福さん、私は貴方(あなた)から逃げているのではありません。
 私は貴方に近附こうとして一所懸命走っているのです。
 それだのに貴方は私が走れば走る程逃げて行くのです」


「幸福」は斯う答えました。

「私は逃げていません。私も貴方に追着こうとして走っているのです。
 それだのに私は貴方に追着けないのです。

 あ、判りました。
 私たちは人生と云う円周の上を走っているのでした。
 どちらかが緩(ゆっく)り歩いたら、
 すぐ二人は一緒のところへ来るのでした」


「斯うですか? 」私は人生の歩みを止めました。
と同時に「幸福」の天使の姿は見えなくなり、

「止まっては可(い)けません。
 止まってはどう云うものか
 私にはあなたの姿が何処(どこ)にいるか見えなくなるのです」

と云う声だけが聞こえました。――

            <感謝合掌 令和5年4月14日 頓首再拝>
7:伝統 :

2023/04/15 (Sat) 05:03:30


    *「光明道中記」(4月15日《喜びに招かれる日》)より

【・・・この力と接触する道は、
 最大多数の人間には最大多数の善を為そうと思って
 自己の生活を正しくすることです。『百事如意』】


「幸福」はあなたを愛人のように追駆けて走っており、
あなたも亦「幸福」を愛人のように追駆けて走っており、
そうして互いに相逢ことが出来ないのは、

「幸福」と同一円周上にいながらあなたが「幸福」を
あまりに追駆け廻しているからだと云うことに
気がお着きになったことでしょう。

一所懸命に「幸福」を追賭け廻している限り、
ついに吾々は「幸福」に追着くことが出来ないのです。

では停止して了(しま)ったら、
「幸福」の方から追着いてくれるでしょうか。

吾々が人生の働きの歩みを停止したら、
「幸福」の眼には吾々の姿が見えなくなるのです。

何故なら各人は、「生命」であり、「生命」は活動している時だけ、
その姿が顕れているからです。
「生命」が活動を止(や)めたときに、そこに吾々はもういない。

吾々の姿は無くなるのです。

だから「幸福」の天使(てんのつかい)に追着いて貰うためには
吾々は「幸福」を追駆け廻してはならないし、
それだと言って「生命」の歩みを止(と)めてはならないのです。

「幸福は必ず自分に追着いてくれるもの」と信じて、
急がず焦らず悠々と着実に今自分に与えられたる人生の行路を歩む者には
遂に幸福が追着いてくれるのです。 

          <感謝合掌 令和5年4月15日 頓首再拝>
8:伝統 :

2023/04/17 (Mon) 13:31:22


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年4月17日)より抜粋

(1)日本人の多くにはこの世での利益や得する事、
   地上での幸せや喜びばかり求める傾向があります。

   神社に参拝に行っても、この世の利益を求め、
   欲を叶えてくれることろは無いかと探しています。

   スピリチュアルでもいかに楽して
   願いが叶うかばかり言っているのが人気です。

   もともと日本人にはこの世での得ばかりを求める傾向が
   強いのです。

(2)仏教などはむしろ、この世の欲を手放すように説いています。
   お釈迦様はこの世は苦界といって、
   苦しみの世界だと教えられました。

   お釈迦様は、この世の物は苦の原因だと悟り、
   執着を手放していく事で、清浄な世界に帰れると説きます。

(3)昔から「触らぬ神に祟りなし」という諺がありますが、
   日本では神と崇められている存在は実は魔であったり、
   罰を与える様な祟る存在であったりします。

   現世利益と祟りというのは表裏一体であって、
   拝んでいれば利益を与えるが、ないがしろにすれば祟る
   という事と繋がっています。

   この世の物ばかり求めても、やがては苦に転じていきます。

(4)お釈迦様は、苦と楽と、どちらにも偏らずに歩むという事で、
   苦楽の中道を説かれました。

   この世の春を謳歌しているような、楽の世界に生きるのも
   転落の道であり、来世の幸を求めて苦行をするのも同じです。

   現代人はこの世の楽ばかり求めていますけど、
   それもまた極端であるのです。

   どちらにも偏らずに、
   来世にも通じる幸せの道を歩まなくてはなりません。

https://www.spacebrothers.jp/2023/04/blog-post_17.html

          <感謝合掌 令和5年4月17日 頓首再拝>
9:伝統 :

2023/04/26 (Wed) 05:00:57


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月26日)」より

本当の幸福は淡々たる水のごときものである。
淡々たる水のごとき幸福によってのみ魂は本当の渇(かつ)を癒されるのである。

どぎつい幸福、有頂天な歓喜、陶酔的な快味は、アイスクリームのごとく、
コーヒーのごとく、砂糖入りの紅茶のごとく、酒のごとく、アルコールのごとく、
刺激が強いかわりにいつまでも渇きは続くのである。

淡々たる生活の本当の幸福の味を知るようになるまで、
人間は彷徨(さまよ<ほうこう>)い歩かねばならないのであろう。

          <感謝合掌 令和5年4月26日 頓首再拝>
10:伝統 :

2023/04/30 (Sun) 08:18:11


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.3.9)より


   (鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…)

   《本当の幸せは「何もない」ところから生まれる》

   これはトルストイが書いた『戦争と平和』という本の後ろのほうに出てくる言葉です。
 
   ピエールという登場人物が、こういうことをいっています。


   「一切の不幸せ、人間にとっての不幸は、
    不足から生ずるのではなく、有り余るところから生ずるのだ」


   なんでも欲しいものが手に入る。

   自分の求めたものがなんでも手に入ると、
   「自分は幸せだ」と思い込みます。

   ところが、そうではない。

   なんでも手に入ることは、実は不幸せなことなのだと
   トルストイはいっているのです。


   私も疎開を経験するまでは、
   欲しいものがすぐになんでも手に入ることを
   幸せだと思っていました。

   しかし、いまになって振り返って考えてみますと、
   あのままでは私は、刑務所に入るような
   とんでもない人間になっていたかもしれない。

   しかし、疎開をして、ありがたいことに
   何もない環境の中に置かれた。

   欲しいものどころか、
   その日その日を生きるのに必要最低限のものしかない生活を
   送ることになりました。


   そのような、いつも不足している、物不足の生活に陥ったときにはじめて、
   私には両親に対する感謝の気持ちが湧いてきた。

   世の中を生きていくというのは大変なものだ、ということに気づいたのです。


   このように、本当の幸せというのは、
   厳しいルールがありながら、そのルールを自分がいつも受け入れて、
   やがてルールがあることさえ気がつかなくなったときにやってくるものです。

   そのときはじめて、本当に幸せになれる。

   だから、持っていない、足りないというのは、
   とてもありがたいことなんです。


   本当の幸せというものを違う言い方でいいますと、それは
   「いつまでたっても色あせないもの」です。

   それはどういう意味でしょうか?

   たとえば、物やお金のように形があるものは、
   いよいよこれで命が尽きるというときに、
   いくらたくさん持っていたところで、なんの役にも立ちません。


   ところが、幸せというのは形がありません。
   お金で買えるものでもありません。

   きちんとルールを守る生き方を続けることによって、心の中に生まれるものです。

   だから、いつまでたっても色あせることがないのです。


   それから、本当の幸せとは、いくら受けても受けても飽きないものです。

   また、いくら相手に与えても、相手も飽きることがない。

   これが本当の幸せの定義です。

   今の自分に与えられた環境がとてもありがたいものだということに
   ぜひとも気づいて、それを大事にして、幸せになっていただきたいと思い ます。


   坂村真民先生の詩を読んで、終わりにしたいと思います。


     だまされてよくなり 
     悪くなってしまっては駄目

     いじめられてよくなり 
     いじけてしまっては駄目

     ふまれておきあがり 
     倒れてしまっては駄目

     いつも心は燃えていよう 
     消えてしまっては駄目

     いつも瞳は澄んでいよう 
     濁ってしまっては駄目


    (香川県善通寺市立東中学校での講演より)抜粋引用

         <『あとからくる君たちへ伝えたいこと』致知出版社>

       ・・・

お金も、物も、そして健康も、
あればあるほどその大切さを感じなくなり、ぞんざいに扱うようになる。

宝くじが当たり莫大なお金が
転がり込んできた人は、それをめぐって親族で争いが起きたり、
数年でそれを使いはたしてしまったりと、
結局不幸になる人が多いという。

日頃、体が頑丈で病気一つしたことがない人は、
体をいたわることをせず不摂生を繰り返し、
結局病気になってしまうという例もある。


お金や物といった「豊かさ」にどっぷりつかると、
人はその状態に慣れてしまう。

そして、それがどんなに「ありがたいこと」なのかを忘れてしまう。


健康な人は、病気になってみて、はじめて健康のありがたさに気づく。

マスクや規制のない通常の生活のありがたさも、この何年かの
コロナ禍があってはじめて気づいた。

まさに、「当たり前」の反対が
「ありがたし(有り難し)」であるように、

豊かなことや当たり前の日常は、
有ること難しいまるで「奇跡」のようなことなのだ。


「一切の不幸せ、人間にとっての不幸は、
 不足から生ずるのではなく、有り余るところから生ずるのだ」

本当は…

「裸にて生まれてきたに何不足」。


淡々と過ぎる「当たり前の日常」のありがたさに感謝したい。

          <感謝合掌 令和5年4月30日 頓首再拝>
11:伝統 :

2023/06/03 (Sat) 08:30:04


       *『光明法語』(6月3日)より

吾々は誰も幸福を求める。
然し乍(なが)ら大抵は外の世界にそれを求め、
外の手段方法をとつおいつ心配して心を労するのである。

併しそれは拙劣(せつれつ)なる求め方である。

労して誰も幸福になれるのであったら、
「稼ぐに追いつく貧乏なし」の諺その儘に
誰も彼も幸福に豊かに富める筈であるが、

事実は
「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)
 楽にならざりじっと手を見る」
という石川啄木の歌のように、
いくら人間力で労して見ても幸福になり切れない場合が多いのである。

ここに反省しなければならぬものがある。

心の方向を転換しなければならぬ。

           <感謝合掌 令和5年6月3日 頓首再拝>
12:伝統 :

2023/06/07 (Wed) 09:56:32


    *『光明法語』(6月7日)より

神は吾々の親様である。
神が吾々に不幸を強要したまうことはあり得ないのである。

神は吾々神の子に幸福を与えたくて仕方がないのである。

幸福が来ないのは親が与えたまわないのではなく、
『法華経』の長者窮子の譬えにあるように
神の子みずから親のみ許(もと)をはなれて
神の賜(たまもの)から逃げ出しているのである。

先ず自身が神の子であると知ることが
貧窮の子が長者の父のみ許(もと)に到ることにあたるのである。

そして自分の本来の位置を自覚して人間を、
不幸になるよう定められているような下らないものだと
思わぬことである。

        <感謝合掌 令和5年6月7日 頓首再拝>
13:伝統 :

2023/06/11 (Sun) 05:00:37


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月11日)より

金(かね)が幾億万円自分の前に積み上げられたとて、
それを使うことができなければ自分が幸福だというわけではない。
そこでわれらは、金を使うことができるので幸福だと考える。

では魔法使いが一瞬目の前に幾億万円の金をあらわして、
次の瞬間その幾億万円を眼界から消し去って

「もうお前は金を使ってしまった。お前は金を使ったから幸福だろう」

と宣告してもわれらは幸福になれる訳ではない。

そこで「それが幸福でないのは、その金を自分で使わないからだ」と
われわらは考えるであろう。

では、自分で金を使うことが幸福であろうか。

金を自分で使うのが幸福であるならば、
なぜ金持はその金を召使や他の人に対して
自分が坐っていて必要な品物を買わせているのであろう。

なんでも自分で買物に出かけなければ幸福でありえないというならば、
金持はその多くの金を消費するために、
毎日自分で多数の商家を訪問して歩かねば幸福になりえないであろう。

しかしそんなことをしている金持も幸福者も一人もない。

そこでこんなことがわかる。

金はたくさん持っているということが幸福ではなく、
それを使うということが幸福でもなく、
自分が使うということが幸福でもない。

金というものは持っていても使っても
幸福になんの関係もないものなのである。

ただ金はわれわれに、また他々(ひとびと)に、働きの動機を与える。
金はわれわれを、そして人々を働かせる媒介となるものなのである。

その「働き」または「働かせ」の感じが幸福であるのを錯覚して
「金が幸福を与える」と誤想しているのである。

働き ―― 活動 ―― のみが人間の本当の幸福なのである。

猟師は獲物をことごとく自分が食べるのではない。
猟師は猟(りょう)をすること、その働きのみが楽しいのである。

人を救うことそのことが楽しいのである。
救った結果収入がないとかあるとかいうことは問題ではない。

多くの生長の家の誌友たちが自分で自動車賃などを費やして、
人々を救(たす)けてあげているのは涙ぐましい立派な行ないであるが、
それはその人の中に宿っている「神」が働いているのである。

「神」は「生命(せいめい)」であり「働き」である。

働くもののみが幸福であり、健康であり、
活々(いきいき)してくるのである。

           <感謝合掌 令和5年6月11日 頓首再拝>
14:伝統 :

2023/06/17 (Sat) 04:56:09


            *「光明法語」(6月17日)より

   「思い」の種子は「行為(おこない)」の実を結ぶが、
   一つの「行為」はまた多くの「思い」の果(み)を結ぶ。
   それは互いに映し合って「合わせ鏡」の如くである。

   また「思い」の方ではそんなに深切な気持ちが起こっていないにしても、
   そこに思い切って深切な行為(おこない)を実行して見た時に、
   不思議に「嬉しい思い」が湧いてくることを発見するであろう。

   そこに常に深切な行為(おこない)をする人は、
   常に幸福な思いを味わう人だと云う事が出来るのである。

   又、相手の感謝の表情を見る事は人生無上の楽しみである。
   感謝は感謝の共鳴を喚(よ)び起こすのである。

           <感謝合掌 令和5年6月17日 頓首再拝>
15:伝統 :

2023/08/20 (Sun) 09:52:49


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.5.2)より

   (精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…)

   毎日、日記をつけている主婦が、
   あるとき亭主と大ゲンカをし、あまりの腹立ちように、

   「このことだけは、書いておかなくても一生忘れない」

   と思い、日記に書かなかった。

   ところが数年後、ふとそのケンカのことを思い出したが、
   何が原因であのような 大ゲンカになったのか、
   さっぱり思い出せなかったという。

   イヤなケンカを思い出したくないために
   記憶を隠蔽してしまったのかもしれない。


   いずれにせよ、人間は、忘れる動物である。

   これは実に便利な能力だ。


   学生の頃には、試験前に
   「なぜ人間は忘れる動物なのか」と嘆いたこともあるだろうが、
   今となってみれば、ありがたい能力であることがわかる。

   イヤなことがあっても、翌日には忘れられる。

   腹立たしいことがあっても、いつまでも覚えているものでもない。


   年をとると、だんだん物忘れにも拍車がかかってくるが、
   これがまたすばらしいメカニズムである。

   年をとると、昔のイヤなことはみんな忘れてしまい、
   相対的に「いいこと」が記憶に残り、

   「まあ、なんだかんだといっても、幸福な人生だったな」と
   思えるようになる。

   うまくできているではないか。

       <『ほっとする生き方』新講社ワイド新書>

       ・・・

人生のすべての瞬間を記憶しているという、
オーストラリアに住む、レベッカ・シャーロックという女性がいる。


『彼女は、自伝的超記憶(HSAM)を持つと診断され、
 生後12日目から現在までのほとんどすべての日の、
 食べたものや着た服、天気などをはっきり覚えているという。

 このような記憶を持つ人は、世界で80人いるといわれる。

 「ハリー・ポッター」全7巻のすべての文章を一字一句違わず、
 正確に記憶している。

 嫌な経験も忘れないし、
 これまで感じたすべての感情を追体験することになる。

 そのため、1日中、気分が沈むこともあるという。

 だから、嫌な記憶をなくせるなら、すぐに治療したい、と。

 もちろん、幸せな記憶は全部取っておいて…。』
            (VICE Australia)の記事より。


『人間は忘れるようにつくられているんです。
 この「忘れる能力」というのは「救い」です』 (瀬戸内寂聴)


もし、何年か、何十年か前の、もう思い出したくもないような嫌な記憶が、
次々と鮮明に思い出せるようになったら、多くの人は精神的に参ってしまうだろう。

我々は忘れることができるから、
精神に異常をきたさないで、なんとか平穏に暮らすことができる。


年を重ねると、
人の名前や固有名詞がすぐに出てこなかったりする。

しかし、それも年相応に必要な能力なのかもしれない。


「忘れる能力は救い」という言葉を胸に…

「まあ、なんだかんだといっても、幸福な人生だったな」と

思える人でありたい。

            <感謝合掌 令和5年8月20日 頓首再拝>
16:伝統 :

2023/10/30 (Mon) 09:05:35

幸福への道はただひとつ エピクテトス
Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年10月28日)
https://www.spacebrothers.jp/2018/07/blog-post_21.html

   幸福への道はただひとつしかない。
   意思の力でどうにもならない物事は、悩まないことである。

            <感謝合掌 令和5年10月30日 頓首再拝>
17:伝統 :

2023/11/23 (Thu) 10:12:27


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年11月22日)より

人は不幸を避けたいと表面意識では願っていますが、
逆に不幸を引き寄せてしまっていることが多くあります・

その原因にはどのようなものがあるか考えてみたいと思います。

病を患ったり、事故を起こしたり、事業に失敗するなど、
一見すると不幸に見える事も、
ご本人が引き寄せてしまっていることがあります。

それは不幸に見舞われることで、周りからの同情を集めたり、
愛情を注がれるように潜在意識で願っていることがあるからです。

よく子供は、親の気を引いて、愛情を自分に向けさせるために、
熱を出したりとか、病気の症状を出すことがあります。

それは自分から親の愛情が離れていってしまうのではないか
と不安になり、引き留めようとするからです。

たとえば何らかの不祥事を起こして、
周りから責め立てられている場合など、
病気で倒れてしまうことがあります。

これは周囲からの攻撃にさらされ、自分を守り、
まわりから同情されたいという願いから、
そうした病気を引き寄せることもあるのです。

男女間であっても、最近うまくいっていない場合や、
対立が続いているような時には、そのどちらかが病気で倒れ、
相手との修復を願うという事があります。

病気になるとまわりが同情して、優しく接するため、
自ら知らず知らずに引き寄せてしまっていることがあるのです。


お年寄りの方も、身体のあちこちが不自由していく理由に、
身体の問題も当然ありますが、なかには周りの気を引きたいとか、
優しく接して欲しいという理由で患ってしまっている場合もあります。

身体が不自由になってくると、
お子さんなどが世話をやいてくれるため、
潜在意識でその状況を願っていることがあります。


経営者などでもそうですね

会社がうまく行って独り勝ちのような状況だと、
周りから嫌われたり、風当たりが強くなってきます、

調子がわるくなると、周りも同情的になったり、
攻撃してくることも無くなるため、
いつしかセーブしてしまう事もあります。

個人においても、あまりお金持ちをアピールしていると、
周りから嫉妬されたり、嫌われたりしていきます。

するとそうした批判の目をそらすために、
いつしか貧しくなっていくことがあります。

表面意識ではお金持ちでいたいと願っても、
潜在意識でお金を持たずに、周囲から愛情を受けたい
と願っていたりします。

ですので不幸に見える出来事が訪れたとしても、
そのなかには自身で引き寄せてしまっているものもあるのです。


もちろん人生の中には避けて通れない出来事は否応なく訪れてきます。

しかし必要以上に引き寄せないでおくことも可能でしょう。

こうした不幸を引き寄せるもとには、同情されたり、
愛情を自分のもとに集めたいという欲求があります。

子供の頃の習性で、人間にはそうしたところが残っていますが、
これを意識して改めていくのがよいでしょう。

人から愛を得ようとするのではなくて、
人にどれだけ愛を与えられるかを考えてみるのです。

思いを転換し、どれだけ愛情を得られるかではなくて、
人に対してどれだけなすことが出来るのか、
愛を世界に流していくことが出来るかを考えてみましょう。

すると与えた分は、いずれ自分へと返ってきます

発想を転換していくことで、
負のスパイラルから抜け出すようになります。

https://www.spacebrothers.jp/2019/01/blog-post_11.html

        <感謝合掌 令和5年11月23日 頓首再拝>
18:伝統 :

2023/12/26 (Tue) 10:43:39


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月26日)より

不幸、災厄、病気
・・・ことごとく心に描かれた観念が具象化するものであるから、
不幸を喞(かこ)つなかれ、災厄を呟くなかれ、
病気を愬(うった)えるなかれ。

不幸来たるごとに、災厄来たるごとに、病気が来たるごとに、
その反対の幸福を語れ、祥益(しょうえき)を語れ、健康を語れ。

すでにかく幸福で祥益と健康とにめぐまれていると念ぜよ
―― それが実現するために完全なる智慧か流入し来たると念ぜよ。

自己が不幸を、災厄を、病気を語らないばかりでなく、
他(た)の人々がかかることを語る時聴き手になってはならぬ。

もし聴き手になったならば、あなたは自己に、不幸災厄病気に対して
無防備に扉をひらいたと言わなければならないであろう。

そんな時に最もよいことは、
ツンと澄まして相手との調和を悪くすることではなく、
話題を転ずることである。

         <感謝合掌 令和5年12月26日 頓首再拝>
19:伝統 :

2023/12/28 (Thu) 09:40:53


     *「光明道中記」(12月28日《幸福成就の日》)より

【実相を悟るものに不足の感じは起こらない。(『生命の實相』第一巻)】

人間は誰でも幸福に成りたい。
しかも多くの人達は幸福に向う道を誤まっているのである。
或る人たちは幸福と快楽とを混同している。

そして幸福になろうとして快楽を得ようとし、
快楽を追求して結局得るところのものとては幸福ではなくて、
苦痛であったと云う場合が多いのである。

仏者は五官の快楽を、瘡面(かさぶた)の痒きを掻くに喩えたことがある。
また渇者が塩水を飲んで渇を医(い)やすに喩えたことがある。

五官の快楽を求める習慣を得るときは、それを得なければ淋しいし、
得れば尚一層、得なければ淋しいこと、阿片中毒の如き状態となる。

阿片中毒者は阿片の奴隷であるし、
五官の快楽を追求せねば淋しい人達も、五官の奴隷である。

金銭の欲望を追求し、追及し、
飽くことなき渇欲に心身を疲労せしめている者も金銭の奴隷である。

本当の幸福は五官の快楽や、金銭の集積で得られないこと、
本当の幸福は阿片の吸引では得られないのと同じである。

本当の幸福は愛と深切と思いやりと、
些(ささ)やかな事物の奥にも輝いている天地の恵みを見ることである。

若し魂の眼(まなこ)が開かなかったならば幸福は何処にもない。

          <感謝合掌 令和5年12月28日 頓首再拝> 
20:伝統 :

2023/12/29 (Fri) 09:56:41


    *「光明道中記」(12月29日《気高き心を把持する日》)より

【心は容貌に彫刻の鑿を揮う。
心が刻まないとき年の皺は刻まれない。(『生命の實相』第一巻)】

幸福は五官の満足、所有の満足によって得られるのではない
と云うことが判ったならば、
吾等は別の方向から幸福を求めなければならないのである。

それはどんな方向からかと言えば与える方向からある。

所有欲は奪う方向から幸福を得ようとしたのであるが、
吾々が世のために尽す真行(しんぎょう)や、国のために尽す忠誠や、
社会のために尽す奉公の幸福感などは、孰(いず)れも与える
方向から得られる幸福なのである。

また幸福は、それが触覚的方面、味覚的方面、所有的方面より
来るものである限り、それは著しく物質的であり、
即(つ)いた感じであり、低卑な感じであり、
それは余りに多く満たすときは苦痛に変ずる性質のものである。

いつまでも変わらない幸福は、
次第に、触感的、味覚的、所有的な方面から離れて来る。

視覚的な喜びは、触覚的な又は味覚的な悦びに比べて、
著しく「離れたる性質」のものである。

それは必ずしも触れなくとも、所有しなくとも、
離れていて味わい得るのである。

芸術を味わうよろこび、自然を鑑賞するよろこびなどは
後味の好い喜びである。

鑑賞するよろこびには、必ずしも所有することを必要としない。

          <感謝合掌 令和5年12月29日 頓首再拝> 
21:伝統 :

2024/01/02 (Tue) 10:43:17


           *「光明道中記」(1月2日)より

【愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

人を訪ねる時は、その人に幸福を手土産(てみやげ)として行くべきである。
このことを知ったとき、私はひとを訪問することが楽しみとなったのである。

誰でも人を訪問する時には
物質的手土産を持って行くことを忘れないのであるが、

手土産と云うものをただ物質的にのみ考えていた時代には
手土産なしに人を訪問することが、
何か不自然な忘れ物をしたような感じがして気が咎めたが、
手土産は必ずしも物質に限るべきものではない。

「心の手土産」と云うようなものもあると云うことが解るようになってから、
私は必ずしも人を訪問するのに以前のような窮屈な感じがしなくなったのである。

心の手土産と云うのは何か、調和と平安の精神波動を持参することである。
人を訪問するに当って、相手の家が、神の愛に満たされて
調和と平安に満たされていることを念じてその家に入るのである。

そんなことが何の価値があるかと言うのは唯物論者のことである。

人が人を訪問するのに、
その家の平安を祈りながら戸口をくぐる事は荘厳な行事である。

         <感謝合掌 令和6年1月2日 頓首再拝>
22:伝統 :

2024/01/04 (Thu) 12:39:16


        *「光明道中記」(1月4日)より

 【幸福とは神の実現である。そのほかに人間の幸福はない。
               (「生命の實相」第十一巻)】

「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津神霊(みおやがみもとつみやま)ゆ幸(さきは)え給え」

「幸(さきは)え」は「咲(さ)き生(は)え」であり、
「割(さ)き延(は)え」であり、神の生命の顕現である。

「霊(みたま)さきはえ」のみが人間の幸福なのである。

人間の幸福は富を実現することではない。
名声を挙げることでもない。

神の生命(いのち)を顕現することである。

梅の花は咲き出でることが幸福である。
それは名声を博するがためではないから奥山にいても
依然として芳しく咲き匂うのである。

それは金銭のためでないから、
盆栽として売られなくとも咲き出でるのである。

梅の花はただ咲き出で、人間はただ与えられた使命を生きる。
幸福そのなかにあり、悦びその中にあり、楽しきこと限りなし。

若(も)し人が労苦して、そこに悦びが感じられなかったならば、
それはその人が第二義的なものを求めている証拠である。

働きそのものが第一義的目的であり、
働きの中に生命が延び、霊魂が進歩する。

第二義的なものは、そのときは値打があるように見えても、
その価値には永遠性がない。

        <感謝合掌 令和6年1月4日 頓首再拝>
23:伝統 :

2024/01/16 (Tue) 11:52:21


  *「光明道中記」(1月16日《本当の幸福を把(つか)む日》)より

【ただよえる雲の彼方にまんまるに澄み切る月ごわが姿なる。
                (『生命の實相』第十一巻)】

雲を幾ら積んでも光は出て来るものではない。
肉体の快楽、五官の楽しみ、富の集積 
―― それらは多くなればなるほど人生に光が出て来るように
思って夫(それ)を積んで見る人は沢山あるが、
いずれも幸福を見出してはいないのである。

幸福は先ず光を見出すことにある。
自分が光であると云うことを先ず知ることである。
光がなければ雲は重なれば重なるほど
黯澹(あんたん)として淋しくなるばかりである。

智慧のない、愛のない、我利我利亡者が
金を蓄めているほど黯澹たるものはない。

光がさし昇れば雲の”ある”無しは問題にはならぬ。

人間の「光」は自分が照らす愛であり智慧であることを知るべしである。
自分が「愛」でなければ積み重なっているすべての持物は、
光のない荒涼な暴風(あらし)の日の雲のようなものに過ぎない。

自分に智慧がなければ、持てるすべての物は
氷山と衝突して難破する船のようなものである。

神は愛である、我は愛である。
神は智慧である、我は智慧である。

          <感謝合掌 令和6年1月16日 頓首再拝>
24:伝統 :

2024/01/20 (Sat) 11:52:53


           *「光明道中記」(1月20日)より

【心に善き言葉を食して心を幸福にすれば肉体は健康化し運命は良化する。
                     (『生命の實相』第一巻)】

幸福は感染する。
病気が感染するばかりでなく幸福は必ず感染するものである。

家庭の一人が不幸せになった時、
その家全体は何となく不幸の雰囲気に包まれ初(そ)める。

その一人の不幸が堤に穿(うが)たれた蟻(あり)の孔(あな)のように
全体の幸福を押し流して了うこともあるものである。

だから一人だけ不幸でいても好いと云うようなものではない。
自分一人が悲しみのために全体を不幸に陥れて好い権利はない。

悲しみが感染するものならば、
悲しむ者はその悲しみを他の人に伝えることを、
伝染病を予防するが如き注意深さを以て避けなければならぬ。

悲しみのある時には、神にその悲しみを訴えよ。
神は光であるから悲しみの暗(やみ)は必ず消える。

悩みのある時には、神にその悩みを訴えよ。
神は悦びであるから、その悩みは悦びに必ず変る。

腹の立った時には人に手紙を書いてはならぬ。
必ずその手紙に剣があって相手に立腹を伝染するのである。

腹の立ったときには

「腹の立つことは何もない、大調和が実相である」と念じて神想観せよ。

         <感謝合掌 令和6年1月20日 頓首再拝>
25:伝統 :

2024/02/01 (Thu) 11:19:00


      *「光明道中記」(2月1日《賞め讃える日》)より抜粋

【真に幸福になろうと思うものは、
 既に自分が幸福であることを知らねばならぬ(『生命の實相』第一巻)】

「既に自分は幸福である」此の言葉を繰返し唱えよ。
「既に自分は幸福である」と。

毎日それを繰返し重ねて行くことによって、
その人は現実生活に於いても本当に幸福になるのである。

          <感謝合掌 令和6年2月1日 頓首再拝>
26:伝統 :

2024/02/14 (Wed) 10:02:42

幸福は伝播していく|幸福になりたいなら幸福な人に囲まれる事
宇宙の兄弟たちへ(2024年2月12日)
https://www.spacebrothers.jp/2024/02/blog-post_12.html

(以下は抜粋です)

(1)身近にいる人の幸福は、周囲に伝わっていくのです。

(2)幸せが伝わるには、そばにいて、頻繫に接する機会がある方が
   影響が大きくなります。

(3)親族間、夫婦や親子関係でももちろん影響し合いますが、
   実は、身近な友人の間ほどには伝わる力は弱いのだそうです。

(4)周りの人を幸せにしていく事が、
   自分自身の幸せにも繋がっていきます。

   幸福は伝播していきますので、周りの人を幸福にしていけば、
   自分も幸福になっていきます。

(5)あなたの幸せを大きく左右するのは、
   あなたの身近にいる友人であるのです。

          <感謝合掌 令和6年2月14日 頓首再拝>
27:伝統 :

2024/02/18 (Sun) 09:36:05

笑う人には福来たる 「幸せ」が集まってくる5つの習慣
1分読書(2023/08/17)
https://www.youtube.com/watch?v=czPoHknZCB4


(1)視野を広げて周囲の小さな幸福に気づくことが重要です。

   完璧な人間は存在しませんが、
   視野を広げると多くの喜びを見つけることができます。

(2)幸運を呼び込む5つの習慣

  ①笑顔を楽しく笑顔を見せると良いことが起こります。
   明るい雰囲気が人間関係を生むのです。

  ②おせっかい何も求めずに親切な行動をすると、幸福の訪れます。
   他人のために何かをすることで人生は変わります。

  ③分かち合うものを分け与えることが大事です。
   人との出会いが価値を生むのです。

  ④即行動を考えるより行動することが幸運を呼び込むのです。

  ⑤脱不幸
   :物事の見方を変えることで不運から光栄に向かうことができます。

(3)このような行動を続けることで人生は楽しくなります。

   周りの人も幸せにする方法を実践しましょう。

   問題の解決は一歩一歩進むことでなんとかなるものです。

   前向きな行動を起こして幸運を引き寄せましょう。

   最後に不運から始まると幸運が遠くに見えますが、
   ほとんどのことは「中吉」程度で済むことを忘れずに、
   楽しい人生を送りましょう。

・・・

<参照>
「笑う人には福来たる 「幸せ」が集まってくる5つの習慣」高橋恵
https://1book.biz/2024/02/16/takahashi-megumi.html

          <感謝合掌 令和6年2月18日 頓首再拝>
28:伝統 :

2024/02/26 (Mon) 10:46:47


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.2.24)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   ◆《世界一幸福な国に行くことよりも 今、
      この場で幸せになることを 考えようよ》

   世界幸福度ランキングで、
   日本は5位だそう(2022年)。 1位になったフィンランドは5年連続だそうだ。

   では、日本人がフィンランドに移住したら
   幸せになれるかと言えばそうでもない。

   幸せって十人十色だからね。

   もちろん行きたい国に行って住んでもいいんだよ。

   ただ、まずは日本で、今いる場所で幸せになることを見つけようよ。

   そういう人はどこへ行っても幸せになれるよ。



   ◆《イヤな相手に復讐するのは あなたの仕事ではありません》

   イヤな相手にひどいことをされても、復讐なんかしちゃダメです。

   「復讐するのは神の仕事」と言って、
   その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、
   あなたが勝手にその人に報いを与えてはいけません。

   同じようにイヤなことをすれば、
   あなたの運勢まで悪くなっちゃうからね。

   あなたを大切にしないイヤな人からは離れて、
   自分を大切にすることですよ。



   ◆《ちょっとしたギャップって その人の魅力になる》

   一人さんは実業家として成功し、納税日本一にもなった。

   だけど、真面目でも立派でもない。

   さらにお金も女性も、旅も好きで、
   神様がつけてくれた欲は大事にしている(笑)。

   このギャップがいいって言ってくれる人がたくさんいるんだよ。

   意外な部分って、人の魅力になるからね。

   魅力を高めたいなら、いろんな顔を持ち合わせることだよ。

       <『斎藤一人 新一日一語』ぴあ>

        ・・・

◎《世界一幸福な国に行くことよりも
   今、この場で幸せになることを 考えようよ》

我々はつい、ほかのどこかに幸せがあると思ってしまう。

「今、ここ」に幸せを見つけることができない人は、どこに行っても難しい。


◎《イヤな相手に復讐するのは あなたの仕事ではありません》

復讐しようとすると、顔が悪くなる。

意地悪で、卑怯(ひきょう)で、腹黒くて、陰険で、邪悪な顔となる。


◎《ちょっとしたギャップって その人の魅力になる》

意外や意外、「この人にこんな趣味があるのか」
「こんなことを続けていたんだ」と、
自分の世界を持っている人は実に魅力的だ。

普段と違う顔、知らない世界があると、人間的な深さができる

       <感謝合掌 令和6年2月26日 頓首再拝>
29:伝統 :

2024/03/06 (Wed) 09:17:48


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月6日)」より

明るさはあらゆるものに喜ばれる。

招かれないでも明るい人は、
光線のようにどこへ行ってもそこで喜ばれる。
招かれても暗い人は、どこへ行ってもやがては嫌われる。

明るい人には常に幸福がつき纏(まと)い、
暗い人には常に不幸がつきまとう。

            <感謝合掌 令和6年3月6日 頓首再拝>
30:伝統 :

2024/03/07 (Thu) 10:25:16


       *『二宮翁夜話』
          メルマガ「致知BOOK」(2023.2.22)より

「私は、あくまでも尊徳先生の残された
 四ヵ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の
 励行を期せんことを願うのである」

            渋沢栄一


「尊徳先生は、至誠を本とし、勤労を主とし、
 分度を体とし、推譲を用とする、
 報徳実践の道を唱えられ、実行に移されたのでありますが、
 その手法は極めて科学的であり、
 経済の論理にかなうものでありました」

             土光敏夫


江戸時代、徹底した合理主義と
類い稀な行動力で興廃した600以上もの村々を再建し、
“代表的日本人”の一人と称えられる偉人・二宮尊徳。

その教えは、渋沢栄一や安田善次郎、
松下幸之助、土光敏夫、豊田佐吉、
稲盛和夫といった大事業家たちにも、
多大な影響を与えてきました。

その尊徳の身辺で4年間暮らした門人・
福住正兄が翁の言行をまとめた不朽の名著
『二宮翁夜話』が、報徳記念館初代館長・
佐々井典比古氏の読みやすい
現代語訳となって甦りました。

本書には、広く知られる、水車やたらいの水、
積小為大の説話はもちろん、
「家を興すのも積小から」
「貧乏神・疫病神の住所」
「変事に備える道」などなど、
人々の心田を耕し、人生を繁栄に導くための心得を
分かりやすく詳述。

門人たちとの問答の中には翁の笑い声まで再現され、
まるで翁が直接教え諭してくれているような感覚を
覚えるほどです。

かの森信三先生も『修身教授録』の中で、
日本人の先哲の中で、最も優れた偉人として、
二宮尊徳を挙げるとともに、

「『二宮翁夜話』は、われわれ日本国民の
『論語』と言ってよいかとさえ思うほどです」

と述べておられるほどです。

その二宮尊徳の説いた訓えの結晶ともいえる『二宮翁夜話』。

日本人なら必ず一度は読んでおきたい不朽の名著です。

本書の中から、

「貧乏神・疫病神の住所」という説話をご紹介します。


…………………………
貧乏神・疫病神の住所
…………………………

翁がある村を巡回されたとき、怠惰・無気力で掃除さえしない者があった。

そこで、──こんな不潔きわまることにしておくと、
お前の家はいつまでも貧乏神のすみかになるぞ。

貧乏からのがれたければ、まず庭の草をとって、家のうちを掃除するがよい。
また、こんなに不潔では疫病神も宿るに相違ない。

だから、よく心掛けて、貧乏神や疫病神がおられないように掃除せい。

家の中にきたない物があればくそばえが集まるし、
庭に草があればへびやさそりが得たりとばかり住むのだ。

肉が腐ればうじが生ずる。
水が腐ればぼうふらが生ずる。

そのように、心や身が汚れて罪とがが生ずるし、
家が汚れて病気が生ずるのだ。恐ろしいものだぞ。

──と、さとされた。

            <感謝合掌 令和6年3月7日 頓首再拝>
31:伝統 :

2024/03/12 (Tue) 09:57:09


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月12日)」より

持ち主もなく宝物がいたるところに埋(うず)められている。
誰もそれを掘り出さないだけだ。

幸福になる道はただ《自分で》掘り出すことにある。

          <感謝合掌 令和6年3月12日 頓首再拝>
32:伝統 :

2024/03/13 (Wed) 12:55:52


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月13日)」より

幸福になりたければ、まず自分が幸福になれである。
あたりまえのことがあたりまえである。噛みしめれば味がある。

注意すべきは、幸福とは心の一つの状態であるということである。
金殿玉楼の中にいて、輾転(てんてん)反側して眠れない人もいれば、
弾丸雨飛の中にいて喜びいっぱいの人もある。

            <感謝合掌 令和6年3月13日 頓首再拝>
33:伝統 :

2024/03/16 (Sat) 09:22:09


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月16日)」より

幸福は無我の中にある。従うことの中にある。

幸福が我欲の中や、強情我漫の中にあると思っている間は、
その人の心に悪魔が忍び込んでいるのである。

無いものを「有る」と主張する嘘つきが悪魔である。

            <感謝合掌 令和6年3月16日 頓首再拝>
34:伝統 :

2024/03/20 (Wed) 11:11:32


        *Web:かんながら(2024年03月19日)より

自分の人生を振り返ってみると、
ドラマチックで変化にとんだストーリーでした。

だからこそ気づいたことが沢山あります。


明日の生活を心配するくらい経済的に困窮した頃もあったし、
願いが全部叶って好き放題の時期もあったし、まさに波乱万丈。

それが良かったのは、「どちらも同じだ」と経験的に知ったからです。


お金の苦労をしている人は、
お金さえ手に入れば幸せになれると思うし、

他の問題を抱えている人は、
その問題さえ解決すれば幸せになれると信じます。

確かに状況が改善されると快適だし、お金があると便利ではあります。

でもそうなったところで相変わらず「いま」があるだけで、
いろんな感情や思考が行き来しているのは同じことです。


人から何か言われて落ち込んだり、
自分でも嫌になるような歪んだ思考が現れたり、
気分がいいときもあれば、腹が立ってイライラする時もある。

精神的な日常は何も変わりません。


富裕層と呼ばれる人も、貧困生活を送る人も、
「いま」どんな気分でいるかが幸・不幸の分かれ目です。

どこまで行っても同じこと。

マインドが描く幸せな状況と、実際の幸せは違うのです。


理想的な状況になれば幸せだというのはマインドの空想に過ぎず、
その理想を生きる生身の自分が、
いまと同じ自分だという視点が欠けています。


自我(分離意識)を生きている限り、
どんな環境を手に入れようと欲求不満は残ります。

そしてその欲求不満を解決するために、さらなる理想を追い求めます。

その姿は、何も持っていなかったころに
理想を追い求めていたのと何も変わりません。

結局はどこまで行っても同じだし、
いまの自分以上には幸せになれないのです。


本当の幸せは「いま」の中に隠れています。

実際は隠れていないのですが、
僕たちの目が遠くを見ているので見えなくなっています。


いまここに寛ぐことから始めましょう。

マインドが約束する幸せな未来など来ないことを見極めて、
潔く諦める。


そのとき初めて人は「いま」に向かうことができます。

そして、最初からそこにすべてが備わっていたことに気づくのです。

そうやって目覚めが始まっていきます。

https://abetoshiro.ti-da.net/e12697521.html

            <感謝合掌 令和6年3月20日 頓首再拝>
35:伝統 :

2024/03/24 (Sun) 09:03:20


【幸運を引き寄せる】自分も家族も大切な人も幸せになる魔法の音楽
とほかみチャンネル「とほかみ解」(2024/03/15 )
https://www.youtube.com/watch?v=16T1PFKTJIw

            <感謝合掌 令和6年3月24日 頓首再拝>
36:伝統 :

2024/03/25 (Mon) 12:52:43


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月25日)」より

胸を広くして待っていること。

ここに幸福の秘訣がある。

            <感謝合掌 令和6年3月25日 頓首再拝>
37:伝統 :

2024/04/13 (Sat) 08:57:27


           *「光明道中記」(4月13日)より
             ~招かずして幸福来る日

【貨幣を与えると労働力が動き出して価値創造が始まるのであります。
                       (『百事如意』)】


何でもあまり追っ駈け廻すと嫌われる。
恋人にさえもあまり執着するならば、その人は嫌われるであろう。
執着と云うものは相手にまつわり着き、
相手を心で縛って窮屈な感情を起こさしめるからである。

「金」を追っかけると「金」は逃げて了(しま)うか、
「金」から来る「幸福」は逃げて了う。
「儲けよう」と思ってそればかりを追っかけている相場師に、
結局儲けた人も幸福になったひとも一人もない。

「眠り」を追っ駈け廻して「是非眠らねばならない」と
「眠り」を追っ駈け廻す時は「眠り」は逃げて了う。
―― 心の法則は何事に当て嵌めても同一効果である。

夜よく眠る法は、寝床は眠くなるところだ、と知らなければならない。

人生も同じことである。
幸福に《なろう》とするよりも、
人生と云うところは幸福な所だと気が附けば
幸福がおのずから来るのである。

今晩はまた眠れないだろうと予想することは寝床とは眠くならぬ所だと
予想することになるから、不眠の原因となる。

今晩は眠れないだろうの感情は恐怖を伴った感情である。

恐怖は外敵に対峙する感情であるから、
外敵がある場合眠らないでいることが必要であるから、
不眠は自然の自衛作用である。

自衛作用を病気だと取違する者は愚か者である。

            <感謝合掌 令和6年4月13日 頓首再拝>
38:伝統 :

2024/04/14 (Sun) 06:58:49


           *「光明道中記」(4月14日)より

【誰でもあらゆる物を有(も)って出発する。
 全てが吾がうちに在るんですからな。(百事如意)】


「幸福」の天使(てんのつかい)が出て来まして
或る日私に斯(こ)う言いました。――

「私は常にあなたの後を追っ駆けて走っているのですのに、
あなたは何故(なぜ)そんなに逃げるのですか。
もっと緩(ゆっく)り歩きなさい。

急ぐことは要らないのです。当たり前に歩いていさえすれば
私は屹度あなたに追着くことが出来るのです。
それだのにあなたはそんなに私から逃げて走って行くのですか」

私は答えました ――

「幸福さん、私は貴方(あなた)から逃げているのではありません。
 私は貴方に近附こうとして一所懸命走っているのです。
 それだのに貴方は私が走れば走る程逃げて行くのです」


「幸福」は斯う答えました。

「私は逃げていません。私も貴方に追着こうとして走っているのです。
 それだのに私は貴方に追着けないのです。

 あ、判りました。
 私たちは人生と云う円周の上を走っているのでした。
 どちらかが緩(ゆっく)り歩いたら、
 すぐ二人は一緒のところへ来るのでした」


「斯うですか? 」私は人生の歩みを止めました。
と同時に「幸福」の天使の姿は見えなくなり、

「止まっては可(い)けません。
 止まってはどう云うものか
 私にはあなたの姿が何処(どこ)にいるか見えなくなるのです」

と云う声だけが聞こえました。――

            <感謝合掌 令和6年4月14日 頓首再拝>
39:伝統 :

2024/04/15 (Mon) 09:06:28


           *「光明道中記」(4月15日)より

【・・・この力と接触する道は、
 最大多数の人間には最大多数の善を為そうと思って
 自己の生活を正しくすることです。『百事如意』】


「幸福」はあなたを愛人のように追駆けて走っており、
あなたも亦「幸福」を愛人のように追駆けて走っており、
そうして互いに相逢ことが出来ないのは、

「幸福」と同一円周上にいながら
あなたが「幸福」をあまりに追駆け廻しているからだ
と云うことに気がお着きになったことでしょう。

一所懸命に「幸福」を追賭け廻している限り、
ついに吾々は「幸福」に追着くことが出来ないのです。

では停止して了(しま)ったら、
「幸福」の方から追着いてくれるでしょうか。

吾々が人生の働きの歩みを停止したら、
「幸福」の眼には吾々の姿が見えなくなるのです。

何故なら各人は、「生命」であり、「生命」は活動している時だけ、
その姿が顕れているからです。
「生命」が活動を止(や)めたときに、そこに吾々はもういない。

吾々の姿は無くなるのです。

だから「幸福」の天使(てんのつかい)に追着いて貰うためには
吾々は「幸福」を追駆け廻してはならないし、
それだと言って「生命」の歩みを止(と)めてはならないのです。

「幸福は必ず自分に追着いてくれるもの」と信じて、
急がず焦らず悠々と着実に今自分に与えられたる人生の行路を歩む者には
遂に幸福が追着いてくれるのです。 

            <感謝合掌 令和6年4月15日 頓首再拝>
40:伝統 :

2024/04/26 (Fri) 09:30:16


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月26日)」より

本当の幸福は淡々たる水のごときものである。
淡々たる水のごとき幸福によってのみ魂は本当の渇(かつ)を癒されるのである。

どぎつい幸福、有頂天な歓喜、陶酔的な快味は、アイスクリームのごとく、
コーヒーのごとく、砂糖入りの紅茶のごとく、酒のごとく、アルコールのごとく、
刺激が強いかわりにいつまでも渇きは続くのである。

淡々たる生活の本当の幸福の味を知るようになるまで、
人間は彷徨(さまよ<ほうこう>)い歩かねばならないのであろう。

            <感謝合掌 令和6年4月26日 頓首再拝>
41:伝統 :

2024/04/29 (Mon) 10:29:48

       *石井貴士・著 より

(1)あなたが幸せになれば、お金も恋人も、オプションのように、勝手についてくる。

(2)あなたが幸せになるということは、周りも幸せになるということだ。

   あなたが悪口ばかりを言う人であれば、周りも悪口が好きな人が集まる。

(3)あなたが相手を幸せにしようとすれば、
   周りにもあなたを、幸せにしようとする人が集まる。

   あなたが「幸せの磁石」になった状態を想像してみてください。

   あなたを幸せにしてくれる人が、どんどん引き寄せられる。

   あなたが笑顔でいれば、笑顔が好きな人が引き寄せられる。

(4)借金がある人の中でも、

  ①借金はあるが、一切そのことを口に出さずに、笑顔でいる人。
  ②借金があって、いつも文句を言って、仏頂面の人。

   の2通りの人がいる。

   ①の人は、借金があることさえ忘れているので、
   いつのまにか借金を返している。

(5)おなたは「幸せの磁石」になることで、人生においても成功するのだ。

   あなたが笑顔でいることで、
   あなたの元に来る人の周りにも、笑顔の磁力が宿る。

(6)自分の意識空間に、「モテている」「お金持ちだ」「成功者だ」
   という念をつけていくことができれば、
   あなたの人生は、うまくいく。

(7)出会っている人の空間によって、あなたの人生は変わる。

(8)あなたの成功の度合いは、
   いつも出会っている人の空間に、引きずられる。

(9)「あなたは必ず成功する」と信じてくれる人だけと、付き合う。

(10)成功していると思わせることができれば、成功できる。

   「笑顔でいるから、いいことがある」というのが正しい。

   周りから、成功している人だと思ってもらうことができれば、
   あなたも成功する。

(11)「あなたの夢はなんですか?」
   唐突にそう聞かれたら、あなたはゼロ秒で答えられるか?

   夢を明確にすることだ。

   夢は、明確になった瞬間に、「目標」と呼ばれるものに変わる。

(12)大きな夢を持てば、多くの人を幸せにできる。

   小さな夢しか持っていないと、
   少しの人しか幸せにしなくてもいいと脳が勘違いする。

(13)夢が叶う人は、自分には無限の可能性があると信じている。

   夢が叶う人は、いつ奇跡が起きてもいいように、準備している。

(14)夢が叶う人は、「もっと」をつける。

(15)予備校のカリスマ英語講師がこう言っていた。

   「英単語を目で見て覚える訓練をしろ。
    それができるようになれば、すべての教科も目で見るだけで、
    暗記できるようになる。
    そうすれば、受験は合格する」

(16)お金を引き寄せるのではなく、
   お金持ちになる方法を教えてくれる人を引き寄せたほうが、
   現実的にお金持ちになれる。

(17)借金で苦しんでいる場合に、どうしたら立ち直れるか。
   それは、簡単だ。

   借金をものともしない自分になれば、借金はいとも簡単に返せるのだ。

(18)人間関係の9割の悩みをなくす「1億円の法則」。

   あなたが預金残高に1億円あったら、上司に腹を立てるだろうか。

   1億あれば、すぐに辞められる。

(19)自分の幸せは、自分でコントロールできる。

   恋人がほしいのであれば、外見も内面も磨くのが一番早い。

   自分を磨いた後に、いい人に出会えば、
   理想の恋人が手に入る可能性が高い。

(20)夢を叶えることは、環境を叶えることだ。
   環境を理想のものにすれば、夢は叶う。

(21)引き寄せが起きる人は、願いを引き寄せる。

   引き寄せが起きる人は、信じている時間が長い。

   やりたいではなく、やると決めたことに、引き寄せが起こる。

(22)引き寄せ磁石は、努力次第で強くなる。

   磁力の中心を作ると、引き寄せる力は強くなる。

   準備ができている人は、引き寄せ磁石が強くなる。

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