伝統板・第二

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賢者の一日一言(R4年12月) - 夕刻版

2022/12/02 (Fri) 04:49:23

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。


このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「『一日一語』(二宮尊徳) 」
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(2)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
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(3)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
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(4)伝統板・第二「吉田松陰・一日一語」
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(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言69~日常生活の勝利と幸福」
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賢者の一日一言《1日》

(1)【 12月1日 】我が道は至誠と実行のみ(一)

   我が道は至誠と実行のみ。

   故に鳥獣虫魚草木にも皆及ぼすべし。
   況(いわ)んや人に於けるをや。

   故に才智弁舌を尊まず。

   才智弁舌は、
   人には説くべしといへども、
   鳥獣草木を説く可からず。

   鳥獣は心あり。
   或は欺(あざむ)くべしといへども、
   草木をば欺く可からず。

   夫(そ)れ我が道は至誠と実行となるが故に、
   米麦菰菜(そさい)瓜茄子にても、
   蘭菊(らんきく)にても、
   皆是を繁栄せしむるなり。

        (夜話一三九)


   【略解】
 
   まこと再三再四、
   復誦すべき至言である。

・・・

(2)【 12月1日 】天真

   人間という物は、
   その人が偉くなるほど、
   次第に自分の愚かさに気付くと共に、
   他の人の真価がしだいに分かってくるものであります。

   そして人間各自、
   その心の底には、
   それぞれ一箇の「天真」を宿していることが分かってくるのであります。

・・・

(3)【 12月1日 】 《人間作り》

   花作りも
   人間作りも同じだ

   どんないい種でも
   しっかりと土作りをし
   たっぷりと肥料をやり
   うんと光と水とを与えてやらねば
   いい花は咲かない

   日々の努力
   念々の精進

   その果てに
   見事な花が咲き
   見事な実がなり
   真実な人間が出来あがる

・・・

(4)【 12月1日 】 節を全うする

   恬静淵黙、身を潔くし節を全うする者あり、
   生を偸みて苟活し時と俛仰する者あり。
   是れ皆真偽の晰かにし難く、疑似の弁へ難き者なり。   

            安政2年12月26日「居易堂集を読む」

   【訳】

   日頃よりおっとりして口数は少ないが、
   自分の身を潔白に保ち節操を守り続ける人がいる。

   無為の人生を送り一時的な安楽を貪り、
   時代の風潮に調子を合わせて生きる人がいる。

   これは全て何が正しくて何がまちがっているかを明らかにすることができない人、
   ホンモノと似ていて紛らわしいニセモノを見抜くことができない人である。

・・・

(5)《1日 人生の不要物を省きましょう》

   世の中の出来事には、必要なものと、
   不必要なものとが混(ま)じっているのです。

   必要なと云っても必ずしも「実用的」と云う意味ではありません。

   美的なもの、芸術的なもの、「無用の用」と云うようなものもありますが、
   しかし精神的にも物質的にも不必要なもの、
   例えば御飯に混じった「砂」のようなものは
   全く不必要なものと言わねばなりません。

   僅かの砂が御飯に混じっているだけで
   全体の味がスッカリ駄目になってしまうのであります。

   さてその「砂」のようなつまらないものを
   あなたの人生の中に入れないように致しましょう。

   御飯の前に、家族が食膳に来るのが1分間でもおくれたら
   金切声をあげる婦人、こんな婦人は全体の食事の気分を
   毀(こわ)してしまう砂のようなものです。

       *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P309~310)より

           <感謝合掌 令和4年12月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2022/12/03 (Sat) 04:58:39



(1)【 12月2日 】我が道は至誠と実行のみ(二)

   仮令知謀(たとえちぼう)孔明を欺(あざむ)き、
   弁舌蘇張(べんぜつそちょう)を欺くといへども、
   弁舌を振(ふるつ)て草木を栄えしむる事は出来ざるべし、

   故に才智弁舌を尊まず、
   至誠と実行を尊ぶなり、

   古語に至誠神の如しと云といへども、
   至誠は則神と云も、
   不可なかるべきなり、

   凡(およ)そ世の中は智あるも学あるも、
   至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。

                     (夜話一三九)

   【略解】
 
   いかに才知あり弁舌ありといえども、
   至誠と実行がなければ、
   事は運ばず成立しないとの一大信条の表明です。

・・・

(2)【 12月2日 】人間的威力を鍛錬する

   真の修養とは、
   人間的威力を鍛錬することです。

   無力なお人よしになることは、
   大よそ天地隔たることと言ってよいのです。

   つまり真の内面的な自己を築くことです。

   その人の前では、
   おのずから襟を正さずにはいられないというような人間になることです。

・・・

(3)【 12月2日 】 《一心称名》

   念ずれば花ひらく
   念ずれば花ひらくと
   唱えればいいのです
   ただ一心に唱えればいいのです

   花が咲くとか
   咲かぬとか
   そんな心配はいりません

   どうかあなたの花を
   あなたの心田(しんでん)に
   咲かせてください
   必ず花はひらきます

・・・

(4)【 12月2日 】 自ら断ずるに在るのみ

   古語にも「我が志(こころざし)先づ定(さだ)まりて、
   詢謀(じゅんぼう)するに皆同じ。
   鬼神(きしん)其れ倚(よ)り亀筮(きぜい)協(かな)ひ佑(たす)く」と。
   然れば志の定まると定まらぬと、自ら断するみ在るのみ。  
 
            安政2年11月11日「講孟剳記」

   【訳】

   昔の言葉にも、

   「志をまず決定し、その上で問いを諮ると、結論は皆同じである。
   神様も守ってくだされば、占いの結果も一致し、志を助けてくれる」

   とある。

   とすれば、志が定まるか定まらないかは、
   まず自分が決断するか否かにかかっている。

・・・

(5)《2日 気を悪くする言葉を言うな》

   絶えず、家族の欠点を見たり、暗い面(めん)を見たりして、
   小言を言ってはなりません。
   家庭全体の空気を悪くしてしまいます。

   「つまらないもの」を取上げて、
   家じゅう一ぱいにひろげないことが必要なのであります。

   家族の心をイライラさせるような詰らぬ事は、
   取上げずに、善い事ばかりを取上げて笑って暮すようにすれば、
   あなたの人生は屹度(きっと)楽しくなるに違いありません。

   着物に縫(ぬ)い込まれたピンのように始終、家族を
   チクチク刺すような言葉を出す癖はやめなければなりません。

   あまり「どうでも好(よ)いこと」を
   「是非こうでなければならぬ」と力んではなりません。

   何よりも大切なことは、
   その家族の精神的雰囲気が腐ってしまわないことです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P310)より

           <感謝合掌 令和4年12月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2022/12/04 (Sun) 04:50:35


(1)【 12月3日 】この覚悟、事を成す大本

   夫(そ)れ開闢(かいびゃく)の昔、
   葦原に一人天降りしと覚悟する時、
   流水に潔身(みそぎ)せし如く、
   潔(いさぎよ)き事限りなし。

   何事をなすにも此の覚悟を極むれば、
   依頼心なく、
   卑法卑劣の心なく、

   何を見ても、
   羨(うらや)ましき事なく、

   心中清浄なるが故に、
   願ひとして成就せずと云ふ事なきの場に至るなり。

   この覚悟、
   事を成す大本なり。

   我が悟道の極意なり。
   此の覚悟定まれば、
   衰村起すも、
   廃家を興すもいと易し。

   只此の覚悟一つのみ。

                (夜話一三四)


   【略解】
 
   この天上天下にただ一人、
   天の使命を帯びて派遣せられし覚悟なるか。

・・・

(2)【 12月3日 】単純なものだからこそ

   植物というものは、
   動物、とくに人間から見れば、
   生命の最も低い発現段階といつてよいでしょう。

   すなわち、
   宇宙の大生命は、
   植物としては、
   その最も単純な姿を示すわけです。

   が同時にまたすべて単純なものは、
   つねに自己の全体の姿をはっきりと現すと言えましょう。

・・・

(3)【 12月3日 】 《いきいきと生きよ》

   「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」

   これはゲーテの言葉のなかで、もっとも好きな言葉だが、

   仏教渡来以前の日本人は、
   本当に明るくいきいきと生きていたであろうと思う。
   わたしはそういう人が好きである。

   (中略)

   もう一つ好きな言葉を挙げておこう。

   「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
    一歩一歩がゴールであり、
    一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない」

・・・

(4)【 12月3日 】 確節の修行怠るべからず

   人の父母の存没妻子の有無等にて時々変革あるなり。
   確節(かくせつ)の修行怠るべからず。  

            安政6年正月10日
            「※佐世八十郎・岡部富太郎・入江杉蔵あての書翰」

   【訳】

   人間は、父母の生死や妻子の有無などによって、
   (志や気持ちなどが)その時々に変わるものである。
   だからこそ、志を確実なものとする修行を怠ってはならない。

    ※1 長州藩士 佐世八十郎一誠。後、前原一誠。松陰の高弟。

    ※2 長州藩士 岡部富太郎。松陰の友人来原良三の甥、松下村塾の門人。

    ※3 長州藩士の足軽入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

(5)《3日 時間を浪費してはならない》

   不愉快な事を、心の中に止(とど)めて置くものは
   まるで靴の中に小石を入れて穿(は)いているようなものであります。

   あなたが人生の旅路を歩いている間じゅう
   其れはチクチクと貴方を刺して苦しめるのです。

   何故、その小石をその「要らないもの」を、
   あなたの心の靴から捨ててしまわないのですか。

   そんな要(い)らない事にいつまでも拘(かか)わって、
   あなたの生涯の時間を少しでも浪費してはなりません。

   吾々は吾々に与えられたる生涯の時間を、もっと楽しいことに、
   もっと有用な事のために使おうではありませんか。

   此の地上に生れた期間は実に短いのであります。
   つまらぬ事に使っていては有効に使う時間は無くなってしまうのであります。

      *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P310~311)より

           <感謝合掌 令和4年12月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2022/12/05 (Mon) 04:59:07

(1)【 12月4日 】回村の行の威力

   予昔桜町陣屋に来る。
   配下の村々至惰(しだ)、
   至汚(しお)、如何共すべき様なし。

   之に依って予深夜、
   或は未明、村里を巡行す。

   惰を戒(いまし)むるにあらず、
   朝寝を戒むるにあらず、

   可否を問はず、
   勤惰を言はず、

   只自らの勤めとして、
   寒暑風雨といへども怠らず、

   一二月にして、
   初めて足音を聞きて驚く者あり。
   又足跡を見て怪しむ者あり。
   又現に逢ふ者あり。

   是より相共に戒心を生じ、
   畏心を抱き、
   数月にして、
   夜遊(よあそび)・博奕(ばくえき)・闘争等の如きは勿論、
   夫婦の間、
   奴僕(ぬぼく)の交り、叱咤(しった)の声無きに至れり。

                      (夜話一三五)

   【略解】

   先ず着手せられし回村の行の威力。

・・・

(2)【 12月4日 】老木の味わい

   私は老木を見ることが好きであります。

   鬱然(うつぜん)たる老木の姿に接する毎に私は、
   そこに完成せられた人間の内面的な消息を、
   まざまざと形の上に見る思いがするわけです。

   同時にまた、
   自分も年老いたならば、
   あの老木の持つような味わいを、
   多少なりともわが身の上に得られるようでありたいと思うのです。

・・・

(3)【 12月4日 】 《初めの日に》

     その一

   なにも知らなかった日の
   あの素直さにかえりたい
   一ぱいのお茶にも
   手を合わせていただいた日の
   あの初めの日にかえりたい
 
     その二

   慣れることは恐ろしいことだ
   ああ
   この禅寺の一木一草に
   こころときめいた日の
   あの初めの日にかえりたい

・・・

(4)【 12月4日 】 道は身の本尊にて 

   道(みち)は身の本尊にて、身の尊き所以は道(みち)にあり。 
  
            安政3年5月29日「講孟剳記」

   【訳】

   人として正しい道は身体の本尊である。
   人が尊い理由は、その身の中に本尊、
   つまり、人として正しい道を自覚しているからである。

・・・

(5)《4日 自分の時間を自己改善に使いましょう》

   多くの婦人は百貨店で自分の気に入る買い物をするのに、
   半日又は一日を費やすことがあります。

   つまらないスーツ一枚、ボタン数個・・・等々と云うような、
   何でもない「物質」を選ぶために、
   半日も一日も費(つい)やしてしまうことは全く気の毒なことだ
   と言わなければなりません。

   若しその時間を、スーツなどを選ぶかわりに
   「自己改善」の目的のために使ったならば、
   どんなにか其の人の生活は改善され、その人の知性が向上し、
   真に世のため人のためになる能力が養成されるでしょうけれども、

   自分の服飾ばかりに半日も一日も時間を費やすのは
   全く惜しいことだと言わねばなりません。

   こんなことは自分の「生命(せいめい)」と云うものを
   自己享楽のためのみに使うために与えられている
   と思う誤解から生じたのです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P311~312)より

           <感謝合掌 令和4年12月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2022/12/06 (Tue) 04:53:00


(1)【 12月5日 】白盃白酌たるべし

   翁折々補労(ほろう)のために、
   酒を用ひららる。

   曰く銘々酒量に応じて、
   大中小適意の盃を取り、
   各々自盃自酌たるべし。

   献酬する事勿(なか)れ。
   是れ宴を開くにあらず。
   只労を補はんがためなればなりと。

   或いは曰く、
   我が社中是れを以て、
   酒宴の法と為すべし。

              (夜話二一五)

   【略解】

   「自盃自酌たるべし。
    献酬する事勿れ」
   という酒宴の方法には大いに共鳴するものがある。 

・・・

(2)【 12月5日 】風雪の鍛錬

   私は老木を見ていますと、
   その枝の一つひとつが、
   いかに多くの風雪にたえて来たかということを、
   しみじみと感ぜしめられるのであります。

   いやしくも老木といわれる以上は、
   ただ木が大きいというだけではなくて、
   そこに一種言いがたい気品とも言うべき趣がなくてはなりません。

   そしてその趣は、
   風雪によって鍛えられて、
   いわばその生なところがことごとく削りとられて、
   残すところがなくなったものであります。

   それ故植物でありながら、
   永年の風雪の鍛錬によって、
   そこには一種精神的ともいうべき気品が現れて来るのです。

・・・

(3)【 12月5日 】 《きわみに》

   かなしみの
   きわみに
   詩が生まれ

   かなしみの
   きわみに
   光が射し

   かなしみの
   きわみに
   手が合わされる 

・・・

(4)【 12月5日 】 己を成して

   士を得るは最も良策。
   併し士をして吾れに得られしむるの愈れりと為すに如かず。
   己れを成して人自ら降参する様にせねば行けぬなり。
   (中略)人を結ぶも吾れより意ありては遂に長久せず。
   (中略)只だ自力を強くして自ら来る如くすべし。   

            安政5年6月28日「※久坂玄瑞あての書翰」

   【訳】

   心ある立派な武士を同志として得るのは最善の策である。
   しかし、そのような武士に、お前(高弟久坂玄瑞)のところに
   自らやってこようと感じさせる方が、より勝っている。

   自分を鍛えて立派な人物とし、
   人が自分から寄って来るようにしなければいけない。

   (中略)

   人と同志になるとしてもお前の意志からでは長続きしない。

   (中略)

   ただ、我が身の人間としての魅力を鍛え上げ、
   相手が自分から来るようにすべきである。

    ※1 長州藩医の子 久坂玄瑞。松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
       吉田松陰の妹文が嫁いだ。


・・・

(5)《5日 出来るだけ多くの人のために》

   服飾専門家が服飾の研究に百貨店等で半日でも一日でも、
   数日でも費やすのは、それは自己教養のためになることもありましょう。

   併し、一枚の着物を買うのに半日も一日も費やすのは
   生命(せいめい)の尊さから比較して勿体(もったい)ないと思うのです。

   服飾専門家の研究の中には、「自分」だけでなしに
   多くの人々を美しくしてあげたい動機が含まれておりますが、

   自分の一枚の着物を選ぶことには
   「自分」以外の人のことが考えられていないから、
   そんな狭い範囲のことに長時間を費やすのは勿体ないと云うことなのです。

   人間の行為の価値は、その人がどれだけ多くの人々の
   幸福のために費やされているかと云うことによって定(き)まるのです。

   自分だけの事を考えているのは、高等動物よりも劣っているのです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P312~313)より

           <感謝合掌 令和4年12月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2022/12/07 (Wed) 04:56:48


(1)【 12月6日 】一に譲道

   禽獣(きんじゅう)争奪を専らにし、
   僅かに生活を得て礼譲の道なし。
   故に古(いにし)へより以来一日も安んずるを得ざる人なり。

   人は則ち此れに異り、
   神聖建つる所の譲道に依り、
   五倫の道を行い、
   各々父母妻子を保(やす)んじ、
   以て其の生を楽しむ。

                (語録四一四)

   【略解】

   人が禽獣に異なる所以(ゆえん)のものは、
   この譲道にありと教えられる。

   かくして五倫の道とは、
   父子間の親、
   君臣間の義、
   夫婦間の別、
   長幼間の序、
   朋友間の信を指す。

・・・

(2)【 12月6日 】生活の鍛錬

   このようなことは、
   またわれわれ人問の世界についても言えるようであります。

   即ち一人の優れた人格というものは、
   決して生やさしいことでできるものではありません。

   その人が、
   現実生活においてなめた苦悩の一つひとつが、
   その人を鍛えて、
   その人から生なところを削りとっていくわけです。

   すなわち生活の鍛錬が、
   その人からすべての甘さを削り取っていくわけです。

・・・

(3)【 12月6日 】 《死とは真剣の代語である》

   「死とは真剣の代語である」。
   死生を解決せずして宗教は存在しない。

   どうでもいいという人間は別として、
   人間らしく世を終わりたいなら、
   自分は自分なりの死生観を持たねばならね。
 
・・・

(4)【 12月6日 】 僕は忠義をする積り

   僕(ぼく)は忠義をする積り、諸友は功業(こうぎょう)をなす積り。   

          安政6年正月11日「某あての書翰」

   【訳】

   僕は主君や国家に対し、まごころをもって仕えるつもりである。
   君たちは、手柄を立てようとしているだけである。

・・・

(5)《6日 神について瞑想なさい》

   「神は到る処(ところ)に、そして此処に、自分の内に、
    そして自分の周囲に、到る処にましますのである。

    吾々は神の護りから逃れ出ようと思っても
    逃れ出ることは出来ないのである。

    此処に、此処に、私の内に、神は到る処に・・・」

   この言葉を眼をつぶって心を静めて繰り返し繰り返し念じて御覧なさい。

   その言葉が貴方の生命(せいめい)滲み(し)透(とお)って来るに従い、
   貴方の内にある神が目覚めて喚(よ)び出されてまいります。

   あなたの内に猛然とした自信力が、
   如何なる困難にも打ち克つ自信力が湧き出て来ます。

   あなたの「内なる神」から輝く後光が射(さ)して来ますす。

   これが「言葉の力」なのです。

   喜びに満たされて来ます。

   そしてその「内なる神」に感謝しなさい。

   其処から無限の供給も、問題解決の鍵も得られるのです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P313)より

           <感謝合掌 令和4年12月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2022/12/08 (Thu) 04:53:24


(1)【 12月7日 】報徳勤勉

   苟(いやし)くも人たる者は徳に報ずるの心を懐(いだ)き
   勤勉にして懈(おこた)らずんば、
   則ち智力乏しと雖(いへど)も、
   而(しか)も其の功必ず以て家を興し、
   身を安んずるに足らん。

   三才の徳、
   豈(あに)其れ一日も遺(わす)るべけんや。

                 (語録四一六)

   【略解】
 
   三才の徳とは、
   天・地・人の徳を言う。
   この三才の徳に報ずるは人道の極なりと教えている。

・・・

(2)【 12月7日 】道理を知る

   人間は読書によって物事の道理を知らないと、
   真のカは出にくいものです。

   そもそも道理というものは、
   ひとりその事のみでなく、
   外の事柄にも通じるものです。

・・・

(3)【 12月7日 】 《鳥は飛ばねばならぬ》

   鳥は飛ばねばならぬ
   人は生きねばならぬ

   怒涛の海を
   飛びゆく鳥のように
   混沌の世を生きねばならぬ

   鳥は本能的に
   暗黒を突破すれば
   光明の島に着くことを知っている

   そのように人も
   一寸先は闇ではなく
   光であることを知らねばならぬ

   新しい年を迎えた日の朝
   わたしに与えられた命題

   鳥は飛ばねばならぬ
   人は生きねばならぬ 

・・・

(4)【 12月7日 】 涓埃、国を益することあらば

   国家まさに多事、吾が生るるや辰(とき)ならざるに非ず。
   涓埃(けんあい)、国を益することあらば、敢へて身後の賓(ひん)を望まんや。   

          安政元年冬「幽囚録」

   【訳】

   今、まさに国家多難の時である。
   よくぞ男児としてこの好機に生まれたものである。
   (私ごときが)わずかでも国家のためになることが
   できるのであれば大満足である。

   どうして、死後の名誉などを望もうか。
   望みはしない。
 
・・・

(5)《8日 既に吾等は天国浄土にいるのです》

   本当は信仰の道を長い間旅して歩いて、
   天国浄土へ到着するのではないのであります。

   吾々は既に天国に居(お)り浄土にいるのであります。

   されど「心其処に在らざれば見れども見えず。聴けども聴けず」
   であります。

   吾々が信仰の道程を「旅」すると云う譬喩(たとえ)を使うのは、
   自分の意識の進歩する状態を(次から次へと一層ハッキリ実相が
   見えて来る状態を)喩えに言ったのに過ぎません。

   吾々は既に天国浄土におり、神と既に一体であることを唯(ただ)、
   智的に理解するだけでは足りないのであります。

   それを全心全霊をもって体感体得しなければならないのでです。

   単に体感体得するだけではなく、
   その自覚で毎日を生きなければならないのです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P314~315)より

           <感謝合掌 令和4年12月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2022/12/09 (Fri) 04:58:03


(1)【 12月8日 】人の窮乏を助く

   余幼少より敢(あ)えて招飲(しょういん)に赴(おもむ)かず。

   索綯作籃(さくとうさくらん)を以て人の窮乏を助くるを楽と為す。

   爾来孜孜(じらいしし)として事に斯(これ)に従う。
   敢えて自己の衣食を計らず。
   以て今に至る。

                  (語録四五五)

   【略解】
 
   索絢作籃とは、
   なわないとかごつくりのこと。

   寸暇を惜しんで撓(たゆ)まず微善を積むという生活がうかがえます。

・・・

(2)【 12月8日 】一日が一生になる

   今日という一日を、
   真に充実して生きるところに、
   やがてまた一生そのものを充実して生きる秘訣がある。

     ・・・・・・結局は一日一日の移りゆきの外ないわけです。

・・・

(3)【 12月8日 】 《自訓》

   弱音を吐いちゃいかん
   愚痴を言っちゃいかん

   千里万里を飛んでくる
   渡り鳥たちを思え

・・・

(4)【 12月8日 】 御勤政と御講学

   君徳(くんとく)の儀、
   恐れながら御勤政(ごきんせい)と御講学(ごこうがく)の
   二つに之れある儀と存じ奉り候。  
 
          安政5年7月10日「急務四条」

   【訳】

   君主としての立派な徳を身に付けられる方法は、
   政務と学問にお励みになることの二つであると考えます。

・・・

(5)《8日 既に吾等は天国浄土にいるのです》

   本当は信仰の道を長い間旅して歩いて、
   天国浄土へ到着するのではないのであります。

   吾々は既に天国に居(お)り浄土にいるのであります。

   されど「心其処に在らざれば見れども見えず。聴けども聴けず」
   であります。

   吾々が信仰の道程を「旅」すると云う譬喩(たとえ)を使うのは、
   自分の意識の進歩する状態を(次から次へと一層ハッキリ実相が
   見えて来る状態を)喩えに言ったのに過ぎません。

   吾々は既に天国浄土におり、神と既に一体であることを唯(ただ)、
   智的に理解するだけでは足りないのであります。
   それを全心全霊をもって体感体得しなければならないのでです。

   単に体感体得するだけではなく、
   その自覚で毎日を生きなければならないのです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P314~315)より

           <感謝合掌 令和4年12月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2022/12/10 (Sat) 04:41:37


(1)【 12月9日 】君民一体

   君民は一なり。
   なお一樹のごとく然り。
   君は幹なり。
   民は根なり。

    (中略)

   然して水気を吸うは細根なり。
   稼穡(かしょく)を務むる者は細民なり。

   細根なければ則ち幹枝花葉を養う能(あた)わず、
   細民なければ則ち経国の用度を給する能わず。

   国君たる者は宜(よろ)しく君民一体の理を悟り以て
   細民を恤(あわれ)むべきなり。

                 (語録四六二)

   【略解】
 
   稼穡とは、
   穀物の植付けと取り入れすなわち農業のこと。
   農業は国の本なり、
   この大本を忘れてはならない。

・・・

(2)【 12月9日 】生命を慈しむ

   私達が、
   自分の生命に対して、
   真に深い愛惜の念を持ち得ないのは、
   自分の周囲に無数の人々の生死を見ていながら、
   しかもそれをわが身の上に思い返さないからです。

   さらに一歩をすすめて申せば、
   わが身が人問として生をこの世にうけたことに対して、
   真の感謝の念を持たないからでしょう。

・・・

(3)【 12月9日 】 《危機の中で》

   危機の中で
   人は成長し

   危機の中で
   人は本ものになる

   だから危機を避けるな
   むしろ危機に立ち向かう心を養え

   冷たい烈風の中を
   行きつつ思う

・・・

(4)【 12月8日 】 御勤政と御講学

   君徳(くんとく)の儀、
   恐れながら御勤政(ごきんせい)と御講学(ごこうがく)の
   二つに之れある儀と存じ奉り候。  
 
          安政5年7月10日「急務四条」

   【訳】

   君主としての立派な徳を身に付けられる方法は、
   政務と学問にお励みになることの二つであると考えます。

・・・

(5)《9日 悪はない、これが問題解決の鍵である》

   「七度(ななたび)を七十倍たび赦せ」

   これがキリストの教えでありました。

   「汝の右の頬を打つ者あらば左の頬をも打たせよ」
   ――もしそんな事をしていたら、悪人が《のさばる》だけではないか? 
   それが普通人の常識であります。

   しかしキリストは

   「悪に抗する事なかれ。
    剣(つるぎ)をとる者は剣(つるぎ)によって滅びん」

   と教えられました。

   このようなキリストの本当の意味がわかるのは、
   実は自分を擲(なぐ)って来る者があることを認めて、
   そんな悪の存在を認めて置いて、更にそれを赦す
   と云うような意味ではないのであります。

   「悪はない」「敵はない」と云う意味なのです。

   だから「悪」と見える者がいくらあっても平然と赦せる訳です。
   「悪を《あり》」として認めてそれに抗している限りは、
   心の力でその存在を支えますから、悪は消えないのです。

       *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P315~316)より

           <感謝合掌 令和4年12月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2022/12/11 (Sun) 04:54:56


(1)【 12月10日 】分度は仁の大本

   分度は仁の大本なり。
   苟(いやしく)も其の本立たずして、
   徒(いたず)らに末を挙げんとせば、
   是れ民を惑はし遂に聚斂(しゅうれん)の災を開き、
   国を興さんとして、
   却って其の国を亡ぼすの大患を生ぜん。

   これ故に分度を立つる時は大仁を行ふに足り、
   分度なき時は国を廃する殃(わざわい)となれり。

                    (金言集)

   【註】
 
   聚斂とは人民からの租税のとり立て。
   分度こそ興亡の本なる所以(ゆえん)である。

・・・

(2)【 12月10日 】生命の奇跡

   そもそも私達が、
   ここに人間として、
   この世に生命をうけることのできたということは、
   決して私達の努力や計らいによるものではないわけです。

   すなわち私達は、
   自分の努力の報いとして、
   ここに万物の霊長たる人問としての生命をうけたわけではないのです。

・・・

(3)【 12月10日 】 《宇宙の愛と霊①》

   信仰には学問、頭脳、財物、そんなものは一切いらない。
   大切なものは決定心だけである。

   これさえしっかり持って精進すれば、
   必ず神仏のお側に行くことができる。
   不生不滅、不増不減の広大な世界が展開してくる。

   宇宙の愛は平等にして差別などまったくないからである。
 
   即身成仏とは、死んで仏になるということではなく、
   仏と共に生き続けるということである。

   このことがはっきりわからないと、
   この世での仕事も信仰も、
   形だけ言葉だけのものとなる。

・・・

(4)【 12月10日 】 至楽欺の中に在る 

   黄巻(こうかん)時々(ときどき)披(ひら)き且つ読めば、
   自ら忻(よろこ)ぶ至楽(しらく)欺(こ)の中に在るを。  

          弘化3年2月27日「早春、分ちて韻微(いんび)を得」

   【訳】

   書物を時々開き、そして、読めば、
   自ら書中に無上の楽しみがあることが嬉しい。

・・・

(5)《10日 心に雑草を生やしてはならない》

   若しあなたが「愛」の、「深切」の、「好意」の、「努力」の、
   行き届いた種子(たね)をお蒔(ま)きになっていながら、
   其の結果が不良の果(み)しか結ばないと云うような事が
   ありましたならば、これは如何に解釈すべきでしょうか。

   それは全くあなたは「良き種子(たね)」をお蒔きにはなったのでしょうが、
   しかし気がつかないで「悪い種子(たね)」を混ぜてお蒔きになったか、
   それ以前に蒔かれたる「悪い種子(たね)」が発芽して悪い果(み)を
   結んだにちがいありません。「

   「良き種子(たね)」を蒔いても「悪い果(み)」が出来るのは
   それはその発芽を愛念によって育てない結果であることもあります。

   愛念で始終「雑草の実(み)」(悪い雑念)が飛んで来るのを
   取り除くことを忘れていますと蒔いた種(たね)が生(は)えず、
   雑草が生(は)えることがあります。

        *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P316~317)より

           <感謝合掌 令和4年12月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2022/12/12 (Mon) 05:00:11


(1)【 12月11日 】民枯るれば国家危し

   国家の安危は下民の的栄枯に在り。

   下民の栄枯は租税の軽重に在り。
   租税軽ければ民栄ゆ。
   民栄ゆれば国家安し。

   租税重ければ民枯る。
   民枯るれば国家危し。

      (金言集)

   【註】
 
   租税の徴収には細心の注意と配慮を要する。

・・・

(2)【 12月11日 】楽天知命

   いやしくもわが身の上に起こる事柄は、
   そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、
   最善なはずだ。

   それ故我々は、
   それに対して一切これを拒まず、一切これを却(しりぞ)けず、
   素直にその一切を受け入れて、
   そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。

   したがってそれはまた、
   自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、
   天を恨まず人を咎めず、

   否、
   恨んだり咎めないぱばかりか、

   楽天知命、
   すなわち天命を信ずるが故に、
   天命を楽しむという境涯です。

・・・

(3)【 12月11日 】 《宇宙の愛と霊②》

   わたしは毎暁月を仰ぎ明星を拝し、
   石鎚の山から出現される初光を吸飲しながら、

   一つの月、一つの明星、一つの太陽の下に生きる人間たちの
   憎悪闘争のあまりにも激化してゆくことが嘆かれてならない。

   宇宙の霊は同じである。
   宇宙の愛は平等である。

・・・

(4)【 12月11日 】 妄りに其の頑質を矯めば

   ※暢夫(ちょうふ)後(のち)必ず成るあり。
   今妄(みだ)りに其の頑質(がんしつ)を矯(た)めば、人と成らざらん。  
 
            安政6年2月25日「高杉晋作あての書翰」

   【訳】

   高杉晋作は将来必ずや立派な人物となる男子である。
   今、むやみにその頑固な性格を矯正しては、立派な男子にはなれない。

   ※長州藩士高杉晋作。暢夫は字。松陰が久坂玄瑞と共に最も期待した高弟の一人。

・・・

(5)《11日 「神と偕(とも)にする」と云う気持ちで、興味をもって》

   あなたの仕事を神様に手伝って貰うようになさったならば、
   もう貴方にとって苦労しなければならぬ問題などはない筈です。

   神と共に困難な仕事の解決に当れば、その仕事が困難であればあるほど、
   その困難が《ほどけて》来るのが楽しみになるものです。

   あなたが興味をもって愉(たの)しく何かを行うときには
   苦しみも疲れもなくスラスラと仕事が運んで行くような体験を
   お持ちでしょう。

   仕事の苦労は仕事そのものの性質によるものではなく、
   貴方がそれを興味をもって元気よくやらないからです。

   仕事の興味もなく、嫌々ながらやっているのは、
   自動車にブレーキをかけて置いて走らせようとするのと同じことです。
   摩擦のみ多くして、自動車は走らずにエネルギーが失われるのです。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P317)より

           <感謝合掌 令和4年12月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2022/12/13 (Tue) 04:56:00


(1)【 12月12日 】家を斉える

   家斉ひて而(しか)して後村治まる。
   村治まりて而して後郡里平なり。

   村長より以て細民に至るまで一にこれ身を修むるを以て本となす。
   その本乱れて末治まるものはあらず。

               (金言集)

   【註】

   「修身・斉家・治国・平天下」という中国古典「大学」の名言がある。

・・・

(2)【 12月12日 】平常心是道

   要するに平生が大事なのです。

   このことを昔の人は、
   「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と申しています。

   つまり、
   剣を持ったり、坐禅をしている間だけが修業ではなくて、
   むしろ真の修業は、竹刀を捨て坐禅を解いてから始まるというわけです。

   人間もこの辺の趣が分かり出して初めて、道に入るのです。

・・・

(3)【 12月12日 】 《叫び》

   天才でない者は
   これからだ
   これからだと
   叫び続け
   言い続け
   息絶えるのだ

・・・

(4)【 12月12日 】 是れが気魄の源なり

   平時喋々たるは、事に臨んで必ず唖(あ)。
   平時炎々(えんえん)たるは事に臨んで必ず滅す。
   (中略)
   平時は大抵用事の外(ほか)一言(いちげん)せず、
   一言する時は必ず温然和気婦人好女(こうじょ)の如し。
   是(こ)れが気魄(きはく)の源(みなおもと)なり。
   慎言(しんげん)謹行(きんこう)卑言(ひげん)低声(ていせい)に
   なくては大気魄(だいきはく)は出るものに非ず。   

            安政6年2月下旬「諸友あての書翰」

   【訳】

   日ごろぺらぺらとしゃべっている男は、
   いざという段になると尻込みして、黙ってしまう。
   日ごろ勢いのいい男は、いざという段になると、
   その勢いが消えてしまう。
   (中略)
   日ごろは、だいたい用事がある時以外は、しゃべらない。
   しゃべる時には必ず、穏やかに、和やかに、
   まるで婦人やよき女性のようにする。
   これが気魄の根源である。
   言葉を慎み、行いを慎み、へりくだった言葉、小さな声でなければ、
   大きな気魄というものはでるものではない。 

・・・

(5)《12日 仕事の善悪を思うな》

   如何に貴方が仕事に興味をもっていられましょうとも、
   我(が)の力で「わたしの力」だけ単独で行うのだと思っていますと、
   その仕事が大なる仕事であればあるほど疲れてきます。

   「われ自らにて何事も成さず、天の力われに宿りてこれを遂行せしめ給うのだ」
   と信じ、「神とともに・・・有りがとうございます」と念じながら仕事をして
   御覧なさい。

   仕事が楽しくなると共に、
   仕事二倍力の力が滾々(こんこん)と涌き出て来るのであります。

   アダムとイヴとは「善悪を知る樹(こ)の実(み)」をたべたために
   エデンの楽園から追放せられたのです。

   「不思善、不思悪」が禅宗の悟りであります。

   仕事を好き嫌いして、より好みをしている間は本当に楽しい、
   効果ある仕事は出来ません。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P318)より

           <感謝合掌 令和4年12月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2022/12/13 (Tue) 14:32:56


(1)【 12月13日 】なつかしい明日

   昨日より知らぬあしたのなつかしや
            もとの父母ましませばこそ

               (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   過去のことがなつかしいのは、
   われわれ人情の常ではありますが、

   まだ知らぬ明日の未来がなつかしく思われるのは
   どうしてだろうかと思いめぐらせば、

   それは宇宙創造の大父母神がおられ、
   生々発展加護を司(つかさど)っていてくださるからです。

・・・

(2)【 12月13日 】山巓に立って分かること

   人間は、
   どの下り道をとるかということは、
   山巓(さんてん)に立って初めて分かるものです。

   諸君らに、
   私のこの言葉が何を意味するか分かりますか。

   むろん今は分からんでしようが、
   もし諸君らにして、
   今後二十年精進を怠らなかったら、
   必ずや分かる時が来ましょう。

・・・

(3)【 12月13日 】 《わたしの道》

     あなたはあなたの道を行け
     わたしはわたしの道を行く
 
   これがわたしのすべてだ。

   そのために不幸になろうと孤独になろうと、
   敢えて悲しむまい。

   詩はわたしにとってこれを貫く矢のようなものだ。
   そういうことを目覚めて強く思う。
   もう誰も何者をも羨むこともない。

   自分は自分の道をまっしぐらに行けばよいのである。
   勤めをやめてから、このことがいよいよわたしの骨髄を
   一本強く貫いた感がする。
 
・・・

(4)【 12月13日 】 吾が志一たび定まりて 

   吾が志(こころざし)一たび定(さだ)まりて、沈まず漂(ただよ)はざれば、
   其れ必ず来(きた)り助くる者あらん。
   而(しか)るを況(いわん)や吾れ往きて之れを求むる、
   其れ寧(いずく)んぞ応ぜざる者あらんや。
   人(ひと)帰(き)して天(てん)与(くみ)す、
   百人固(もと)より以て千万人を得べし、而(すなわ)ち何ぞ難(かた)からん。  

             安政5年7月11日以後「※杉蔵を送る序」

   【訳】

   自分の志が一旦決まって、やる気がなくなったり、迷ったりしなければ、
   必ず助けてくれるものが出てくる。
   そうでなくても、自分からそのような同志を求めているのである。

   どうして、志に感じて応じてくれないものがあろうか。ありはしない。
   人が同志となり、更に、天さえも仲間となってくれる。

   百人どころか、千人、万人の同志を得ることさえ可能となる。
   どうして、難しいことがあろうか。ありはしない。

    ※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

(5)《13日 「神と偕(とも)に」・・・そして感謝を》

   人間の五尺何寸・十何貫の肉体の力で何が出来るものか! 
   それを先ず知ることが必要です。

   すべて偉大なる仕事は神又は霊界からの協力がって出来るのです。
   人間の頭脳智の思慮分別で何が出来るものですか。

   それはアダムとイヴとが楽園から追い出された原因になったように、
   一時は「美味(おい)しい」「旨(うま)くやった」と思っていても
   最後にはそれが失敗であったとわかるのであります。

   常に「神と偕にあり・・・神と偕にわれ働く・・・有りがとうございます」
   と神との一体感とその感謝の気持ちで仕事をすれば、
   疲れることもなく、仕事の成績も充分あがるのであります。

   真理は簡単です。
   しかし中々実行しない人が多いのです。
   毎日実行して御覧なさい。その功徳が判ります。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P318~319)より

           <感謝合掌 令和4年12月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2022/12/14 (Wed) 14:48:26


(1)【 12月14日 】早起き励行

   はや起きにまさる勤めぞなかるべし

          夢で此の世をくらしゆく身は

                (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   まず朝の早起きの励行を第一に守るべしとのお教えです。

   人はややもすれば、
   怠惰な生活に陥りやすく、
   酔生夢死の生涯に終りがちですから、

   せめて、
   早起きしようと日々心がけ、
   夢の実現に向かい勤め励まねばなりません。

・・・

(2)【 12月14日 】一筋の道

   自己の一切を捧げ、
   己れを尽くし切るところ、
   そこにおのずから一筋の道が開かれてくるわけです。

・・・

(3)【 12月14日 】 《人間味が人を動かす》

   人を動かすのは、技巧ではなく、
   その人の心の轟き、響き、躍動なのである。
   もう少し強く言うならば人間味なのである。

   これを出し得るか得ないかが、作家の生命であり、
   大問題であり、最後の勝負なのである。 

・・・

(4)【 12月14日 】 雪中の松柏愈々青々たり① 

   天の将(まさ)に大任を是の人に降(くだ)さんとするや、
   必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労(ろう)せしめ、
   其の体膚(たいふ)を餓えしめ、其の身を空乏(くうぼう)にし、
   行其の為す所に払乱(ふつらん)す。

   心を動かし性(せい)を忍び、
   其の能くせざる所を曾益(そうえき)せしむる所以(ゆえん)なり。 

   (孟子本文)

   余野山獄に在る時、友人※土屋松如(しょうにょ)、
   居易堂集<明の遺臣俟斎徐枋の著>を貸し示す。
   其の中に「潘生次耕(はんせいじこう)に与ふる書」あり。
   才を生じ才を成すと云ふことを論ず。
   大意(たいい)謂(おも)へらく、天の才を生ずる多けれども、才をなすこと難し。
   譬(たと)へば春夏の草木花葉(そうもつかしょう)鬱蒼(うっそう)たるが如き、
   是れ才を生ずるなり。
   然(しか)れども桃李の如きは、
   秋冬(しゅうとう)の霜雪(そうせつ)に逢ひて
   皆零落(れいらく)凋傷(ちょうしょう)す。
   独(ひと)り松柏(しょうはく)は然(しか)らず、
   雪中の松柏愈々(いよいよ)青々(せいせい)たり。是れ才を成すなり。

   【訳】

   天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、
   其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、
   其の身を空乏にし、行其の為す所に払乱す。

   心を動かし性を忍び、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり

  (天が重要な任務をある人に与えようとする時には、
   必ずまずその人の心や志を苦しめ、
   その体を疲れさせ、その肉体を餓え苦しませ、
   その衣食を乏しくして困らせ、また、
   こうしようという意図とは違うようにするものである。
   これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くして、
   これまでできなかったこともできるようにしようとするための試練である) 

   (孟子本文)


   私が野山獄にいる時、友人である土屋松如が、
   『居易堂集』<明の遺臣俟斎徐枋の著>を貸してくれた。
   その中に、「潘生次耕に与ふる書」というものがあった。

   それには、才能を生じ、才能をなすということが論じられていた。
   その大体の意味は、次のようであった。

   天が才能を人に与えることは多いが、
   その才能を自分のものとして、完成させることは難しい。

   才能を与えるとは、
   例えていえば、春や夏に草木の花や葉が青々と盛んに茂るようなもので、
   これが桃や李などは、秋や冬の霜や雪にあえば、みな枯れ落ちてしまう。

   ただ、松や柏だけはそうでなく、雪の中でも益々青々とそのみどりを保っている。
   これが才能を完成させるということである。

    ※長州藩士佐世氏の家来、土屋矢之助蕭海。松如は字。松陰の友人、同志。
     生涯松陰を助けた。

・・・

(5)《14日 よき友人は富より高き価値がある》

   人生の勝者となるには
   人々の心臓(ハート)をつかまなくてはなりません。

   多くの人々の心臓(ハート)をつかんだ人は、
   多くの貨幣をつかんだ人よりも富める人であります。

   よき友達を持つと云うことは
   百億の富を有(も)つよりも偉大なる事業を成し遂げることが
   出来るのであります。

   人のハートを掴(つか)むには愛が深くなければなりません。
   赦しがたい時に赦し、与え難きものを与えなければなりません。

   どんな友人を、如何に多く持つかと云うことは、その人の鏡であります。

   心が豊かで寛大でなければなりません。
   小さいことに、ケチケチしているようなことではならないのです。

   大いに与えよ、愛を与えよ、深切をあたえよ、友情を与えよ、
   それは必ず自分に返ってくるのであります。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P319~320)より

           <感謝合掌 令和4年12月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2022/12/15 (Thu) 13:47:57


(1)【 12月15日 】身を助ける原点

    飯と汁木綿着物は身を助く

         その余は我をせむるものなり

             (二宮翁道歌)

   【略解】

   ご飯と味噌汁、
   それに木綿の着物、
   この三つの原点を守りぬく決心覚悟が何より大事です。

   この原点を忘れて、
   奢侈(しゃし)放縦な暮らしぶりは、
   結局、
   身を損ね害となるものだから、
   くれぐれも用心すべきものです。

・・・

(2)【 12月15日 】真の一道

   真の一道が開かれるのは、
   かくして起ち上がった自己の内なる醜い我見をえぐり出して、
   かくして浄(きよ)められた自己の全心身を、

   己がつとめに対して、
   投げ込み捧げ切るところ、
   そこに初めて開かれてくるのであります。

・・・

(3)【 12月15日 】 《最高の人》

   最高の人というのは
   この世の生を
   精いっぱい
   力いっぱい
   命いっぱい
   生きた人

・・・

(4)【 12月15日 】 雪中の松柏愈々青々たり

   人才(じんさい)も亦(また)然(しか)り。
   少年軽鋭(けいえい)、鬱蒼(うっそう)喜ぶべき者甚だ衆(おお)し。

   然れども艱難辛苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少なからず。

   唯だ真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。
   故に霜雪(そうせつ)は桃李(とうり)の凋(しぼ)む所以(ゆえん)なり。
   艱苦(かんく)は軽鋭(けいえい)の頽(すた)るる所以、
   即ち志士の激する所以なりとあり。

   是(これ)亦全文を諳(そらん)せず、大意斯くの如し。

   今吾れ不才(ふさい)と云へども象山の徒(と)にして、亦徐氏の文を読む。
   豈(あ)に桃李に伍(ご)して松柏に咲(わら)はれんや。
   当(まさ)に琢磨淬励(さいれい)して連城・干将(かんしょう)となるべきのみ。 

            安政3年4月15日「講孟剳記」

   【訳】

   人間の才能もまた同じことである。
   少年の中には、すばしっこくて強く、気も満ちており、喜ぶべきものは大変多い。

   しかしながら、辛いことや困難なことを経験するにつれ、
   そのようなすばらしさがなくなってしまい、
   全くだめな人間になってしまうのも少なくない。

   ただ、本当に大きな志をもっている人は、このような状態になったら、
   ますます気持ちを奮い立たせ、
   ついにはもって生まれた才能を完成させるのである。

   とすれば、霜雪は桃李が枯れる原因であり、また、松柏が完成する原因である。

   また、艱苦は人の鋭い気性がだめにある原因であり、
   同時に志のある人が激しく奮い立つ原因なのである、と。

   全文を覚えているわけではないが、大体の意味は以上のようであった。

   今、私は才能のないものではあるが、
   佐久間象山先生の教えをいただいたものであり、
   また、徐氏の文章を読むものである。

   どうして、桃李などの仲間になって、松柏に笑われてよかろうか。
   そんなことではいけない。

   まさに我が身を磨き、鍛え上げて、
   名玉の「連城」や名剣である「干将」のようにならねばならない。

・・・

(5)《15日 朱に交れば赤くなる》

   友情の集るところにその人の成功はあり、
   友情を失うところにその人の失敗はあるのです。

   また類は類を招く法則により、
   その人の友を見れば其の人が如何なる人であるかがわかるのです。

   吾々は、自分の性質を友達に反映させもするし、
   友達の性格を自分自身に反映しもするのであります。

   「朱(しゅ)に交われば赤くなる」と云う諺(ことわざ)は
   それを表わしているのである。

   自己の美点を見つけ出し、それを賞めたたえ、
   自己の内に宿っているところの偉大なるものを
   引き出してくれるような親友を有(も)つときは、
   その人は大いに伸びることが出来るのです。

   吾々は友を信じなければならないし、
   友から信じられなければならないのです。

       *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P320~321)より

           <感謝合掌 令和4年12月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2022/12/16 (Fri) 15:42:02


(1)【 12月16日 】飛鳥川の丸木橋

   きのふけふ、あすかの川の丸木ばし

          よくふみしめてわたれ諸人(もろびと)

                (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   飛鳥(あすか)川は明日香の地を流れ、大和川に注ぐ川で、
   古来、水流の変化が甚だしいため、
   無常のたとえにされたもの。

   その飛鳥川にかけられた丸木橋をわたるときは、
   用心の上にも用心をし、
   よく踏みしめてすべり落ちないよう心すべきものです。

・・・

(2)【 12月16日 】偉大なる教育者

   真に教育者の名に値するような人々は、
   超凡の大志を抱きながら、
   色々と世間的な事情によって、
   それを実現するによしない立場に立たされた人傑が、
   現実的にはそれを断念すると共に、

   どうしても自分の志を、
   門弟子を通して達成せしめずにはおかぬ、
   という一大願を起こすところに、
   初めて生まれるもののようです。

   孔子しかり、プラトンしかり、
   わが松陰先生またしかりです。
    ・
    超凡 (ちょうぼん)=ずば抜けた

・・・

(3)【 12月16日 】 《終わりを美しく》

   落下埋没してゆくからこそ
   木々はあのように
   おのれを染めつくすのだ

   ああ

   過去はともあれ
   終わりを美しく
   木々に学ぼう

・・・

(4)【 12月16日 】 畏るべきかな書や

   読書最も能く人を移す。畏(おそ)るべきかな書(しょ)や。 
 
            安政6年4月14日「※野村和作あての書翰」

   【訳】

   読書というものは、最もよく人の心をかえるものである。
   書というものは、何と恐るべきものだなあ。

    ※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。

・・・

(5)《16日 大いに友を愛しましょう》

   友情と云うものは、
   相手から求めるばかりでは得られると云うことはないのです。

   愛して欲しいと思うだけでは友情は得られないものです。
   こちらからも大いに愛しなければならないのです。
   友情と云うものは交換的なものであります。

   何物をも与えずにいて自分だけ与えられようと思っても、
   それは駄目なことであります。

   若(も)し彼が、ケチで、意地悪で、人の欠点ばかり探して、
   利己主義であったならば、誰が彼を慕うでしょうか。

   大(だい)なる友情を得んと欲すれば、大いに寛大でなければなりません。
   大いに積極的でなければなりません。
   利己を捨てて相手のために尽くさねばなりません。

   大(おお)いに明るく朗(ほが)らかにならねばなりません。

   身を挺して友のために尽くさねばなりません。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P321)より

           <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2022/12/17 (Sat) 15:23:10


(1)【 12月17日 】深酒の戒

    右にもつはしにカを入れて見よ

       左の酒がやむかつのるか

          (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   右にもつ箸とは、
   生活や仕事のことという説もあれば、
   実際に箸は右手に盃は左手にという説もあります。

   いずれにせよ、
   深酒を戒められた一首にはちがいありません。

・・・

(2)【 12月17日 】人を知る

   我々凡人には、
   いかに優れた方でも、

   まず十年くらい私淑(ししゅく)しないことには、
   その方の真のお偉さを知ることはできないようです。

   その人を真に知るとは、
   その方の現在わが国における位置を知るのみならず、

   さらに一歩すすめて、
   その方の歴史的位置を知ることです。

   ここまで来なければ、
   真にその人を知ったとは言えないでしょう。

   ・
    私淑(ししゅく)=直接に教えは受けないが、
             ひそかにその人を師と考えて尊敬し、
             模範として学ぶこと。
 


・・・

(3)【 12月17日 】 《本当の人生》

   欲を出すな
   足るを知れ

   九十歳からの人生が
   本当の人生だ

・・・

(4)【 12月17日 】 治世から乱世なしに

   治世(ちせい)から乱世(らんせい)なしに
   直(ただち)に亡国(ぼうこく)になるべし。

            安政六年四月四日「野村和作あて書翰」

   【訳】

   国家というものは、太平の世から、秩序の乱れた世の中とはならずに、
   いきなり滅亡するものである。
    (何と恐るべきことではないか。)

・・・

(5)《17日 真の友情を得るには》

   先ずあなたの友人の幸不幸について強烈な心遣いを持つことが
   友人をあなたに引きつける原因となるのです。

   何故(なぜ)なら、あなた自身が友人の運命に引きつけられ、
   それを自身の運命の如く感じて世話してくれるから、
   相手も亦あなたに対し惹き著けられるからです。

   あなたの友人の事業、職業、著書、計画等について自分の利益を目的としないで、
   ただ友人そのもののために愛情を感じてしてあげることによって、
   あなたは彼を友人とすることができるのです。

   少しも利己心を伴わない愛情と、深切な思いやりは、
   彼をあなたに結びつける強力な精神的紐となるのであります。

   ただ集まってくる人達を、
   其人から利益を吸いとるお客のように思っているのでは
   真の友情は得られるものではないのであります。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P321~322)より

           <感謝合掌 令和4年12月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2022/12/19 (Mon) 04:49:11


(1)【 12月18日 】農は国の本なり

   古へより国本たる農業盛なる時は国豊富にして、
   仁義礼譲行はれ、
   四民各その生を楽めり、

   この業衰ふる時は国衰貧にして災害起り、
   四民手足を措(お)く処なく敗亡を免れず、

   天下国家の治乱盛衰は多端なるが知しと雖(いえど)も、
   要するに本糧の盛衰に由らざるはなし。

             (報徳論)

   【略解】
 
   「農は国の本なり」を今一度、
   日本全土にわたり再検討すべき時機が来たという感じがします。

・・・

(2)【 12月18日 】無礼講

   人間の地金(じがね)は、
   お酒の席でよく分かるものです。

   いい年をしながら、
   宴会を無礼講だなどと考え違いをして、
   勝手のいい放題をしているようでは、
   人間も一生涯浮かばれんですネ。

・・・

(3)【 12月18日 】 《かなしみはいつも》

   かなしみは
   みんな書いてはならない

   かなしみは
   みんな話してはならない

   かなしみは
   わたしたちを強くする根

   かなしみは
   わたしたちを支えている幹

   かなしみは
   わたしたちを美しくする花

   かなしみは
   いつも枯らしてはならない

   かなしみは
   いつも湛(たた)えていなくてはならない

   かなしみは
   いつも噛みしめていなくてはならない

・・・

(4)【 12月18日 】 国家を治むるの要

   国家を治(おさ)むるの要(よう)、
   民心(みんしん)を得(え)るに在(あ)り。
   民心を得るの要、文徳(ぶんとく)を修(おさ)むるに在(あ)り。

              嘉永二年五月「講義存稿三篇」

   【訳】

   国家を治める際の要点は、国民の考えや気持ちを得ることにある。
   それを得る要点は、学問を修めることによって備わる人格を身に付けることである。
 
・・・

(5)《18日 真の友情は与える愛である》

   友情はそれが表現される事によって、
   一層ハッキリし、一層確かに生長して来(く)るものである。

   友情と恋愛とは混同してはならないのです。

   異性間の友情はそれが少し性的な夾雑物を混入しないで、
   愛することは出来ないように思う
    ―― と或る青年は告白したことがあるが、

   それが異性である限り、異性的な感情のニューアンスが
   何となく彩(いろど)ることは止(や)むを得ないことです。

   しかしそれが、異性的なものを「求める」愛に変って来たときに、
   それは危険な不純物を混(まじ)えることになるのです。

   真の友情は与えることによって成立っていなければなりません。

   「恋は曲者」と云う諺があるが、それは与える領域を超えて
   「求める」愛に変って来るからであります。

      *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P322~323)より

           <感謝合掌 令和4年12月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2022/12/20 (Tue) 04:53:55


(1)【 12月19日 】教化の道

   指導者は鶏鳴に起きて、
   寒暑となく風雨となく日に順待をして早起きを導き、

   あるいは日掛縄綯(ひかげなわない)の法を示して怠惰をふるい起し、
   あるいは善を勧め悪を戒め、

   孝悌忠信を教え、
   人倫推譲の道をさとし、
   そうして民風を移しかえる。

   これが教化を布(し)くみちである。

            (報徳外記)

   【略解】
 
   民風教化の指導者のとるべき方針を示されている。

・・・

(2)【 12月19日 】老年になって読む伝記

   伝記は何人(なんぴと)にとっても必要であり、
   またいかなる年齢の人も読むべきであって、

   例えばもはや老年になって、ほとんどなすべきことのないような人でも、
   偉人はその晩年をどのように過ごしたかということを知る意味で、
   伝記は決して無意味ではないわけです。

   否、臨終の近付いたような場合すら、
   かつての日読んだ偉人の臨終の模様を想い浮かべることによって、
   人生の最期における人間的態度を教えられる最も力強い教えとなることでしょう。

・・・

(3)【 12月19日 】 《冥利》

   こちらを
   ゼロ(空)にすると
   すべて向こうからやってくる

   それは天地神仏の冥利(みょうり)で
   奇跡でも
   不思議でもない

・・・

(4)【 12月19日 】 「人の至情なり」

   知る所ありて、言はざること能(あた)はざるは、人の至情(しじょう)なり。 
 
              安政2年3月「士規七則」

   【訳】

   (よき教えを)知って、
   それを他にいわないではおられないのは、人のまごころである。

・・・

(5)《19日 理想を現実に屈服させてはならない》

   何人(なんぴと)も世に抜きんでて人類のために働き、
   彼こそ人類の恩人だと言われるようになりたいのであります。

   しかし誰もがそうなることは出来ないで、
   或る人は、青少年時代に懐)いだ)いていた夢をいつの間にか
   すっかり忘れるともなく捨ててしまって
   利己的動機のみで生活するようになるのです。

   理想は失われ、理想と現実とは別だよ
   と云う風に考えるようになるのです。
   それは「理想」の「現実」への屈服であります。

   そして吾々の内部の「理想」は、
   吾々の「真実の生命(せいめい)」の要求でありますから、
   「真実の生命」が現実に屈服したのと同じことになるのであります。

   それではまことに残念なことだけれども
   「真実の生命(せいめい)」は敗北し、
   吾々の肉体的形骸は生きているけれども、
   「本当の自分」は死んだことになってしまうのである。

      *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P323~324)より

           <感謝合掌 令和4年12月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2022/12/20 (Tue) 13:41:21


(1)【 12月20日 】縄ないのこと

   縄ないというものは至ってたやすい仕事である。

   いやしくもこれを心掛けさえすれば、
   ひとり身の者でも、
   飯たきのひまにもできることであり、
   女こどもでもできることである。

   このように至ってやさしい事柄でさえ、
   なお勉励の心がないならば、
   何をもってその家を立て直し、
   その村を復興することができようか。

         (報徳外記)

   【註】

   当時の農家にとって「縄ない」という誰でもできる凡事を
   奨励されたところに尊徳翁の偉大さがあります。

・・・

(2)【 12月20日 】偉人の背景を知る

    私達は、
   優れた方々に接する機会のあった場合には、
   その完成された老境の美を見逃さないように注意すると共に、
   ヌそこまで到達せられた生涯の惨苦(さんく)に充ちた歩みにまで、
   思い至るようでなければならぬでしょう。

   というのも、
   古来人生の惨苦をへずして偉大になった一人の人間も、
   かつてなかったことに想い至らないで、
   ただ「偉い偉い」というだけでは、
   真に偉人を敬仰(けいぎょう)するるゆえんではないでしょう。

   ・
   惨苦(さんく)=いたましい苦しみ。ひどい苦労。
   敬仰(けいぎょう)=うやまい、あおぐこと。

・・・

(3)【 12月20日 】 《宿運を知る》

   人は自分の宿運を知らねばならぬ。
   それを知ることによって、
   それに素直に従い生きてゆくことができるようになったら、
   病気になっても病気から逃れ、災難に遇っても災難から逃れ、
   失意に落ちても、そこから立ち上がることができるようになる。

   そういう世界が展開してくるのである。

   何事も無理をしたり、逆行したりするから、
   病気になったり、災難に遇ったり、失敗を重ねたりするのである。

   それらは自分を知らない処から起こってくるもので、
   自分から作り出しているようなものである。 

・・・

(4)【 12月20日 】 人情に原づかずんば

   凡(おおよ)そ事(こと)人情(にんじょう)に原(もと)づかずんば
   何(なん)ぞ成(あ)るあらん。

              安政六年五月上旬カ「某あて書翰」

   【訳】

   だいたい、何事であっても、
   人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、
   どうしてなし遂げることができようか。
   できはしない。

・・・

(5)《20日 天才を発揮するには》

   人類の歴史に於いて魏然(ぎぜん)たる
   一大記念塔を築くかのように見える一大天才、

   或いは英雄と言われるような人が、如何にして
   斯くの如き大成功をとげることが出来たのであるかと云う
   本当の理由を知らない青年が多いのである。

   そして自分も神から賦与(わけあた)えられている天分が
   何であるかと云うことがもっと早くわかるならば、
   自分も亦その方面のことを専念勉強して斯くの如き
   天才になって見ようと考えたりするのである。

   併(しか)しながら、杉の木は杉の木として、
   ただ《ひたすら》生長したのである。

   松の木は松の木として、
   唯(ただ)《ひたすら》生長したのである。

   すると斯(か)くの如き大木にそれらは生長したのである。

   青年も亦(また)、ただひたすら生長したら
   夫々(それぞれ)の特徴を有(ゆう)する偉大なる者にまで
   生長することが出来るのである。

      *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P324~325)より

           <感謝合掌 令和4年12月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2022/12/22 (Thu) 04:57:33


(1)【 12月21日 】開墾の道

   天下の利益は、
   開墾より大きなものはない。

   そして天下の病患は、
   荒地よりはなはだしいものはない。

   田地一反を荒せば米二石を失い、
   一町を荒せば二十石を失い、
   一町を荒せば二百石を失う。

   二百石といえば二万人の一日分の食糧である。
   これをひらいて耕せば二百石の米を生じて二万の民命を養う。
                            (報徳外記)

   【略解】
 
   荒地開墾より急務はない。
   将来の食糧難に備えて今こそ心すべきと思われます。

・・・

(2)【 12月21日 】安んじてこの世を去る

   このの世ににある間は、
   自分の全力を挙げてこの世の務めを尽くす。

   これやがて、
   安んじてこの世を去る唯一の秘訣でありましよう。

   いざという時に心残りのない道、
   これ真に安んじて死に得る唯一の道であります。

・・・

(3)【 12月21日 】 《地球と共に》

   神仏の姿は見ることはできないが、
   自己は見ることができる。

   自己を見つめよと世尊は言われた。

   自己の何を見つめるか。
   宇宙の中の一つの価値ある存在としての自己を見つめる。
   つまり銀河系の一つの星としての自己を見つめる。

   そしたら生れてきたことに意義があり、
   生きてゆくことが嬉しいことになろう。

   路傍のタンポポも、そうであり、
   一匹のこおろぎも、そうであり、
   一羽のみそさざいも、そうである。
 
   一千億の銀河系の中の一存在として動いている自分だと思うたら、
   何か一つぐらい意義のあることをしようという希望が生まれ、
   人生が凛凛としてくる。

・・・

(4)【 12月21日 】 積徳積善でなくては

   積徳(せきとく)積善(せきぜん)でなくては大事は出来ず。  

           安政6年4月頃「※野村和作あての書翰」

   【訳】

   人としての徳を積み、よきことを積み重ねなければ、
   大きな仕事というものはできいないものである。

    ※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。

・・・

(5)《21日 天分・天才を発揮するには》

   多くの青年は、自分はこれでないかも知れぬと思って
   躊躇し逡巡し、そのために何事にも真剣になれず、
   時間を浪費し、精力を労して、

   ついに老年に到るも何事にも偉大なる事績をのこすことなく
   此世を去って行くのである。

   すべて人間には其の賦与(わりあて)られたる天分があるのであって、
   それを意識的に発見しなければ、その天分を発揮出来ない
   と云うようなものではないのである。

   杉の木が杉の木として亭々(ていてい)と伸びているのは、
   杉の木たらんと意識して努力しているのではない。

   ただ生命(せいめい)の営みを其の儘与えられた通りに
   一日も休む暇(ひま)なく続けているのである。

   この「ただ営む、与えられたままに、休む暇なく」
   と云うことが大切である。

   すると与えられたままの天分が伸びるのである。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P325)より

           <感謝合掌 令和4年12月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2022/12/22 (Thu) 15:17:54


(1)【 12月22日 】貧民を賑わす

   国家の憂いは、
   荒地と負債とにある。

   憂いを除こうとするなれば、
   貧民を賑わさねばならぬ。

   貧民を賑わすためには、
   財を施さねばならぬ。

   しかし、
   みだりにこれを施せば、
   財が尽きて広く救済することはをできなくなる。

   これがわが助貸法の創設されたゆえんである。

                 (報徳外記)

   【略解】
 
   尊徳翁の「助貸法」こそ貧民救済の福水厚生の便法だったのです。

・・・

(2)【 12月22日 】肉体が滅びても

   一人の偉大な教師の存在によって、
   二十年、三十年、否、時には四、五十年の後に、
   その地方が根本から立ち直って、
   そこに新たなる民風が起こるというのでなければならぬでしょう。

   その時、
   その種子をまき苗を育てた教育者の肉体は、
   すでにこの地上にはないでしょう。

   しかもその精神は、
   脈々としてその地方の中心人物たちの心の底深く根を下ろして、
   その地方の改革の根本動力として働くのであります。

・・・

(3)【 12月22日 】 《世尊最後のことば》

   ことしの最も大きな喜びは、

   ヴァヤダンマー(すべてのものは)
   サンカーラー(うつりゆく)
   アッパマーデーナー(おこたらず)
   サンパーデートハ(つとめよ)
 
   という世尊最後のおことばを、
   原語で知ったことであった。

   私が満八つの時、私を観相してくれた白髯白髪の老人が、
   私を予言したその言葉を五十年後の今日、
   原語で知ったことであった。

   私はそれ以来、このことばを
   わたしの名号(みょうごう)として
   となえているのである。

・・・

(4)【 12月22日 】 「いつもでも生くべし」

   死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。
   生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。 
  
           安政6年7月中旬「※高杉晋作あての書翰」

   【訳】

   死んでも朽ちることはない、という見込みがあれば、
   いつでも(国家社会のために)身を投げ出すべきである。

   生きて大きな仕事をなし遂げる見込みがあれば、
   いつまでも生き永らえるべきである。

    ※長州藩士高杉晋作。暢夫は字。松陰が久坂玄瑞と共に最も期待した高弟の一人。

・・・

(5)《22日 心の眼を高くあげよ》

   あなたの心の眼を高くかかげよ。

   不完全を見おろすことなく、
   より完全なるものへと高く眼をあげるとき、
   貴方は高まるのである。

   あなたの心は高まり、あなたの生活は高まり、
   不完全は消え、完全のみが実現するようになるのである。

   成功する人とは、常により高きものを心に描き、
   低きもの、失敗、悲哀等に心をやることなく、
   その描かれたる高き理想に向って邁進する人である。

   その人が、不成功であるのは、
   或る意味に於いて自己破壊であるのである。

   何故なら、常にみずから好んで、低きもの、失敗、悲哀等に
   心を振り向け、自己を失敗と悲哀とに導いているからである。

   しかも本人はそれに気づかない。
   かれは自己を神の子だと気づかないからである。

      *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P325~326)より

           <感謝合掌 令和4年12月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2022/12/24 (Sat) 04:57:56


(1)【 12月23日 】身自ら先に

   孔子は「これに先んじこれに労す」と言い。
   また、「倦(う)むことなかれ」と言った。

   自分が早起きしてのちに民にこれを教え、
   自分がおそく寝てのちに民にこれを教え、
   自分が精励してのちこれを民に推しひろめ、

   自分が節倹を行ってのちこれを民に及ぼし、
   自分が推譲してのちこれをさとし、
   自分が忠信孝俤であってのち民を導く。

   百行みな同様である。

      (報徳外記)

   【略解】
 
   「率先垂範」こそ指導者のあるべき態度であることを改めて教えられました。

・・・

(2)【 12月23日 】故人に尽くす一つの途

   (故人に尽くす一つの途は)故人の書き残したもの、
   並びに生前故人と親しかった人々の、
   故人に対する思い出などを書き集めて、
   それを何らかの形で印刷して、
   故人の生前を知っている人々の間に頒(わか)つということであります。

・・・

(3)【 12月23日 】 《天を仰いで》

   心が小さくなった時は
   天を仰いで
   大きく息をしよう

   大宇宙の無限の力を
   吸飲摂取しよう 

・・・

(4)【 12月23日 】 国の宝なり

   進みて名を求めず、退きて罪を避けず、
   唯(た)だ民(たみ)を是(こ)れ保(やす)んじて、
   主(しゅ)に利(り)あるは、国の宝なり。

             安政四年以降「孫子評註」

   【訳】

   出仕昇進しても名誉を求めず、役職を退いても責任を回避しない。

   ただ国民の幸せと平和な生活だけを考え、
   その指導者である殿様のお役に立つことだけを考えるような武士は、
   国家の宝である。

・・・

(5)《23日 不幸は自己破壊の欲望から来る》

   神は霊であるから、神の創造は霊によって行われた。

   人間も霊によって創造られたのであって、
   土の塵や物質的資材によって造られたと見るのは迷いである。

   霊であるところの人間が、物質的肉体と云う
   不自由な檻の中に入れられていると云うことは、
   一種の牢獄に入れられているのと同じことであるから、
   人間は自己を破壊しようと企(くわだ)てているのである。

   人間の多くの不幸や病気が自己破壊の一形態であると云うことは、
   私が夙(と)くに『生命の實相』で指摘したところである。

   カール・メニンジャーも聖フランシスを自己破壊欲望による殉教者として
   『おのれに背くもの』の中で書いている。

   唯メニンジャーは殉教的な傾向や、自己虐待的欲望を
   被虐愛好的(マゾヒステック)な色欲遂行の転化として書いているので、

   自由なる「霊」が肉体と云う名の「牢獄」に宿ったと云う
   自己矛盾からの肉体破壊の欲望だと云う風に生命の實哲学式に
   解釈していない相違があるだけである。

   『生命の實相』を読んで、
   メニンジャーの『おのれに背くもの』を対照して読むと、
   人間の不幸や病気の原因が悉く、自己自身に反逆する
   自分の潜在意識にあることが判るのである。

   日本人は何でも舶来思想でないと迷信的だと思う癖があるから
   そう云う人には、メニンジャーの本は為になる本である。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P326~327)より

           <感謝合掌 令和4年12月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2022/12/24 (Sat) 19:11:44


(1)【 12月24日 】分けあえば余る

   八人暮しの貧家が、
   たまたま一枚の着物を得た。
   一人がこれを取れば七枚分足りない。
   そこでこれを祖父に献じた。

   祖父は、
   「老骨がこんな新しい着物を着る必要がない」といって、
   長子に与えた。

   長子はこれを弟に譲った。
   弟は又これを甥に推し譲った。

   ついに七人をもれなく回って、
   みな辞退した。

   すなわち、
   これを取れば七衣が足りず、
   これを譲れば一衣でも余りがある。

            (報徳外記)

   【略解】
 
   推譲の心がけが七人の人たちの心を豊かにすることが出来た実例です。

・・・

(2)【 12月24日 】私の楽しみ

   私の楽しみは諸君らが本当に生命がけになったら、
   一生かかってどれくらいの人間になれるかということです。

   つまり人間、
   大学や専門学校などを出なくても、
   その人の覚悟と勉強しだいでは、
   どれほどの人間になれるものか、
   その生きた証拠が見たいのです。

・・・

(3)【 12月24日 】 《生きることとは》

   ああ
   生きることとは
   愛のまことを
   貫くことだ

・・・

(4)【 12月24日 】 第だ事業を勉めよ

   昔賢(せつけん)一語(いちご)あり、曰く、
   「昔過(せつか)を思ふなかれ、第(た)だ事業を勉(つと)めよ」と。  

             安政6年5月4日「※野村和作あての書翰」

   【訳】

   昔の偉い人が次のような言葉を残している。
   「過ぎ去った過ちを思い悩むな。今なすべきことに全力を注げ」と。

    ※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。
 
・・・

(5)《24日 自己の内にある逆念を警戒せよ》

   人間に知られているエネルギーのうちで、
   想念の力は最も微妙にして、最も目に見えないから、
   防ぎようのない力である。

   すべての人間は想念の力を使っているのであるけれども、
   大抵は無意識にそれを使っているにすぎない。

   しかもその想念の力を逆(さかさ)まに使って、
   自分を害するように使っている。

   悲観的な想念(ものおもい)、腹立ちの想い、
   自暴自棄(やけくそ)の想い、嫉妬の想い、
   恐怖の想い、病気を心に描くこと、敵を心に描くこと、
   損失を心に描くこと、不調和を心に描くこと、戦争を心に描くこと
   ・・・これらはすべて想念(そうねん)を破壊的な方面に使っている。

   自分で自分の運命を破壊的方面に
   使用しつつあるものだと云わなければならない。

   これが「おのれに背くもの」である。

   謂(い)わば、獅子身中の虫である。

   外から見たら頑健に見えている肉体が、
   おのれの内に巣食うところの虫によって
   俄然(がぜん)として破壊することがある。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P327~328)より

           <感謝合掌 令和4年12月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2022/12/26 (Mon) 04:05:06


(1)【 12月25日 】全功の道

   国を興し民を安ずることは大業であって、
   名利を追うともがらの企て及ぶところではない。

   いやしくもこれに従事する者は、
   禄位名利の念を絶ち、
   わずかに飢寒を免れるだけを生涯の限度とするのでない限り、
   その功を全うすることはできないのである。

              (報徳外記)

   【略解】

   興国安民の大業に従事する者がまず心すべきは名利の念を絶つことです。

・・・

(2)【 12月25日 】人生の道を真実に歩む

   とにかく諸君 !!
   人生の道は深くして、
   その味わいは実に窮(きわま)りないのです。

   希(ねが)わくば諸君 !!
   この二度とない人生を、
   できるだけ真実に歩まれることを切望して己まないしだいです。

・・・

(3)【 12月25日 】 《不死身》

   しんみんよ
   不死身の奮闘努力をするのだ

   不死身というのは
   人が寝るときに寝ず
   人が休む時に休まず
   人が遊ぶときに遊ばぬことだ

   これは天才でない者がやる
   ただ一つの生き方だ 

・・・

(4)【 12月25日 】 一時の屈は万世の伸なり

   ※家君(かくん)欣然(きんぜん)として曰く、
   「一時(いちじ)の屈(くつ)は万世の伸(しん)なり、
   庸詎(いずくん)ぞ傷(いた)まん」と。  

            安政6年5月4日「投獄紀事」

   【訳】

   父上がにっこりとしていわれた。
   「一時的に(志をくじかれ)屈することは、将来、永遠に伸びるための元となる。
    どうして、悲しむことがあろうか。ありはしない」と。

   ※実父杉百合之助。安政5年(1858)、
    松陰、野山獄への再入獄に際して送った激励の言葉。

・・・

(5)《25日 常に幸運を思い詰めよ》

   想念は、これを放置して、その自働するままに
   委(まか)せて置いてはならないのである。

   想念は放蕩息子のようなものである。
   想念は常に浮動して、従来の習慣で
   不健全なことを思い浮べ勝ちである。

   吾々は想念の手綱(たずな)をとって、
   これを引き締め正しい方向に振り向けなければならぬ。

   想念は吾々の運命を載せて歩む馬のようなものであって、
   それみずから力をもっている。

   意志の力よりも、想念の力の方が強い。
   意志はただ想念の向(むか)う方向を定(さだ)める。
   すると想念はみずから歩んで運命を決定する。

   併(しか)し想念は分散させたら力は弱くなる。
   恐怖の想念が、時として、非常な破壊的な運命を造るのは、
   恐るるものは、常に思い詰めるからである。

   幸運になるためには、恐るるものを思いつめるが如く、
   常に「幸運」を思い詰めるが好(よ)いのである。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P328~329)より

           <感謝合掌 令和4年12月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2022/12/27 (Tue) 04:48:56


(1)【 12月26日 】賞品の授与

   家業の勉不勉、
   品行の良否等を調査せられ、
   時々賞を与えられた。

   農業精勤者に対しては、
   農具(鎌鍬の類)に二宮の焼印を捺して与え、

   学問勉強家に対しては、
   修身に関する書(四書五経)に二宮の印を捺して与えた。

   その他これに准じて賞せられた。

            (逸話集)

   【註】
 
   尊徳翁は農業精勤者に、
   また学問勉強家にそれぞれ適した賞品を授けられたが、
   これも尊徳翁の督励の一法であります。

・・・

(2)【 12月26日 】一生を真実に生きる

   世の中が正直だということは、
   この一生を真実に生きてみたら、
   おのずと分かることだと思います。

   それが正直と思えないというのは、
   結局そこに自分の自惚(うぬぼ)れ根性がひそんでいるせいです。

   同時にこの点がほんとうに分かると、
   人間も迷いがなくなりましょう。

・・・

(3)【 12月26日 】 《一つのこと》

   この痩せた体をただひとつのことに費やしたい

   多くのことはできないから
   一つのことでこの世を終わろう

・・・

(4)【 12月26日 】 一日を弛めば

   足下(そっか)誠に才あり、才あれども(つと)勤めずんば、何を以て才を成さんや。
   今、歳将に除(じょ)せんとす、学(がく)弛(ゆる)むべからず、
   一日を弛(ゆる)めば、将(まさ)に大機(たいき)を失せんとす。 
 
            安政4年12月20日「※馬島生に与ふ」

   【訳】

   お前は本当に才能がある。
   才能はあるけれども日々努力をしなければ、
   どうして才能が開花させ、自分のものとできようか。できはしない。

   今年もまさに暮れようとしている。
   学問をする気持ちをゆるめてはいけない。
   一日でもゆるめれば、学問の大切な機会を失ってしまうぞ。

    ※長州藩医の子馬島光昭。松下村塾の門人。

・・・

(5)《26日 善き事のみを思い詰めよ》

   常に「不幸」を思い詰め、「病気」を思い詰め、
   「肺病」等を思い詰めるものは愚かなるかな。

   彼は「思い詰めるもの」があらわれると云う
   心の法則を知らないのである。

   汝が今まで病気を毎瞬おもい詰めていたかの如く、
   「健康」を想い詰めよ。

   汝が今まで貧乏を思い詰めていたかの如く、
   「富裕」を思い詰めよ。

   さすれば汝に「健康」は来(きた)り、
   「富」は来(く)るにちがいないのである。

   すべて人間は自分の心によって「健康」を携えたり、
   「病気」を携えたり、「貧乏」を携えたり、
   「富」を携えたりしているのである。

   如何なる状態が眼の前にあらわれて来ようとも、
   恐るるところなく、

   「われは神の子なるがゆえに、
    善い事のほか起りようがないのである。
    我(われ)は健康そのもの、富そのものなり」

   と念じ思い詰めよ。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P329~330)より

           <感謝合掌 令和4年12月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2022/12/27 (Tue) 15:45:21


(1)【 12月27日 】斃れて後止む

   翁は病後なお衰弱が甚しかったので、
   家人はこれを心配して、
   しきりに療養をすすめられると、

   翁は頑としてこれをしりぞけ、

   「いやしくも身公命を奉じて民衆を率いるもの、
    たとえ病を養うとは云え、
    安眠美食をむさぼるのは、予が主義の許す処ならず、
    予は斃(たお)れて後止むものなり」

   と云われたとのことである。

                 (逸話集)

   【註】
 
   「斃れてのち止む」の精神の権化ともいうべきお方です。

・・・

(2)【 12月27日 】置土産

   今諸君らの生活が、
   真に深く、かつ内面的に大きかったならば、

   諸君らの精神は、
   必ずや後に来る人々のために、
   一種の置土産となることでしょう。

   さらにまた、
   私共のように教職にある者としては、
   その精神は、
   仮にその学校を去る時がありましても、

   もしその生活が真実であったならば、
   必ずや後に多少の余韻が残るようでなくてはなりますまい。

・・・

(3)【 12月27日 】 《歳月》

   一日一日を重ねてゆく歳月、
   空しく過ごしてきたとは思わないが、

   取り返しのつかぬ歳月というものが、
   近頃ほど重く心にかかるものはない。

   残りの時間が、はっきりしてきたからであろう。

   テレビを見ていると、
   歳月を重ねてきた木が切り倒され、
   歳月を重ねてきた石や岩が打ち砕かれ、
   目前から消えてゆく。

   その空しさが、教えてくれるのは、
   一大事とは今日只今の事なり、
   という仏語である。 

・・・

(4)【 12月27日 】 尊王攘夷の四字を眼目として

   学問の節目(せつもく)を糺(ただ)し候事(そうろうこと)が
   誠に肝要(かんよう)にて、朱子学ぢやの陽明学ぢやのと
   一偏(いっぺん)の事にては何の役にも立ち申さず、
   尊皇接夷の四字(よじ)を眼目として、何人(なんびと)の書にても
   何人の学にでも其(そ)の長ずる所を取る様(よう)にすべし。

           安政六年十月二十日「※入江杉蔵あて書翰」


   【訳】

   学問の道理を学んで自得することが、本当に大切なことである。
   朱子学とか陽明学とか、一つのことを学ぶだけでは、何の役にも立たない。

   尊皇接夷の四文字を主眼とし、誰の書でも、誰の学問でも、
   そのすばらしいところを得るようにしなさい。

    ※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

(5)《27日 愛を実践せよ》

   成功する人は、常に「成功」を心に描いて、
   決して「失敗」を心に描かない人である。

   「成功」を心に唱え、言葉で招(よ)べば、
   「成功」が出て来るのである。

   併し「成功」が顔を出して来たとき、
   その「成功」に対してサービスしないときは
   「成功」は後(あと)もどりして了(しま)うのである。

   サービスとは与えることである。
   すべて代価を与えないで口先だけで何かを得(う)る者は詐欺師である。
   代価を与えないで、成功を得(う)る人は盗人である。

   諸君は詐欺師や盗人になってはならないのである。
   値を払わないで得(え)たところのものは
   何時かは返さなければならないのである。

   サービスとは愛の実践である。
   愛を実践しないでいて
   「繁栄」と「成功」とは決してあらわれて来ないのである。

   「愛」のみが産み出す力である。

   愛行なるかな。愛行なるかな。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P330~331)より

           <感謝合掌 令和4年12月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2022/12/28 (Wed) 12:49:30


(1)【 12月28日 】偉大なる土木家

   翁は土木エ事をする時、
   多く目測を以てしたが、
   遠近高低、
   寸分もあやまらなかったとの事である。

   翁は大工のように物を拵(こしら)えたり、
   土木の設計をしたり、
   ふしぎな才腕をもっていたことは、
   むしろ天才と言うべきで、
   翁の一面は大土木家でもあつた。

   これ性来計数に長け、
   且(か)つ体験に富んでいたがためであろう。

                    (逸話集)

   【註】
 
   尊徳翁の特異な天才的一面を知るにふさわしい逸話です。

・・・

(2)【 12月28日 】永遠を思う

   人は夜空を仰ぐ時、
   初めて深く永遠を思うものです。

   同時に永遠を思うとき、
   人は翻ってゆかり深き人々の上を思うものであります。

・・・

(3)【 12月28日 】 《こつこつ》

   こつこつ
   こつこつ
   書いてゆこう

   こつこつ
   こつこつ
   歩いてゆこう

   こつこつ
   こつこつ
   掘ってゆこう
 
・・・

(4)【 12月28日 】 心はもと活きたり 

   心はもと活(い)きたり、活きたるものには必ず機(き)あり、
   機なるものは触(しょく)に従ひて発し、感に遇(あ)ひて動く。
   
           嘉永3年9月「西遊日記」

   【訳】

   心というものはもともと生きものである。
   生きているものには、必ず発動のはずみというものがある。
   機というものは、何かに触れることによって発動し、
   感動することによって働くものである。

・・・

(5)《28日 先ず何よりも神の智慧を求めよ》

   ソロモン王は神に対して「智慧を与えたまえ」と祈ることによって
   当時の世界第一の富める賢者となったのである。

   吾々が、此の世に於て何事を成就せんと欲するにしても、
   先ず第一に神の智慧の導きを受けなければ
   大なる成功はむつかしいのである。

   何故あなたは、先ず神から智慧を受けないで、周章狼狽して、
   他(ほか)から智慧を受けようとして奔走なさるのでありますか。

   人間のセカンド・ハンドの智慧よりも、
   神の本来の智慧の方が、よっぽど優れているということは
   言うまでもありますまい。

   『希望実現の鍵』をお読みなさい。
   『無限供給の鍵』をお読みなさい。
   『愛と祈りを実現するには』をお読みなさい。

   神の智慧に導かれて、色々の人生の問題が解決した無数の実例と、
   祈りの成就する法則が書かれております。

       *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P331~332)より

           <感謝合掌 令和4年12月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2022/12/29 (Thu) 15:07:19


(1)【 12月29日 】分を超ゆる事勿れ

   翁が今市陣屋において病重りて再び起つことが出来ないことを自覚され、
   門人一同を枕頭に侍らし

   「我が死近きにあらん、
    我を葬るに分を超ゆる事勿(なか)れ、
    墓石を立てる事勿れ、
    碑を立てる事勿れ、
    只土を盛り上げてその傍に松か杉かを一本植え置けぱそれでよろしい。
    必ずわが言に違う事勿れ」

   と遺命せられた。

   忌明けとなって門人たち議論區々(くく)として容易に決せず、
   未亡人の意志により墓碑が建立されたのみである。

                      (逸舌集)

   【註】
 
   翁最後の遺言「分を超ゆる事勿れ」日の一言、
   一代を貫く思想信念と言えよう。 

・・・

(2)【 12月29日 】すべては因縁

   世の中のことは、
   すべてが因縁でありまして、

   諸君らがこの学校に入学したということ、
   また私がこの学校に職を奉じたということ、
   さらにまた今後一年間を、
   諸君らと共に過ごすようになったということなど、

   そのいずれもがすべては因縁であって、
   深く考えれば、
   自分のカで得たことは何一つとしてないのです。

   かく考えて来ますとお互いにこの因縁の持つ無限の意味をよく考えて、
   深くこれを生かさなければならぬと思うのです。

・・・

(3)【 12月29日 】 《晩年》

   人生の晩年になって
   何をバタバタするか

   静かに座して
   宇宙無限の
   恩恵に感謝し

   日の光
   月の光
   星星の光を
   吸飲摂取して

   明るく
   楽しく
   生きてゆけ

・・・

(4)【 12月29日 】 皇神の誓ひおきたる国なれば

   皇神(すめかみ)の誓ひおきたる国なれば正しき道のいかで絶ゆべき  
 
           安政6年10月11日「※堀江克之助あての書翰」

   【訳】

   天照大神がお誓いになった我が日本国であるから、
   どうして、正しい道が絶えることがあろうか。ありはしない。

    ※水戸藩郷士 堀江克之助。江戸伝馬町獄での友人。

・・・

(5)《29日 運命を決定する「不図(不圖ふと)」の秘密》

   吾々が吾々自身の神性を自覚し、
   宇宙に満つる無限の叡智と一体となるとき、
   吾々自身は神と一体となり、神の無限の叡智が流れ入って来るのであるから、
   もう吾々は決して境遇の奴隷でもなければ、
   病気や貧乏の虜(とりこ)でもないのである。

   人間の運命は常に「フト思いついた」ことを実行することによって、
   或る人は成功し、ある人は失敗するのである。

   その「フト思いつく」不思議なる人間の内部から来る示唆が
   「神の智慧」から来るか「迷いの智慧」から来(く)るかによって、
   その人の運不運が定(き)まるのである。

   迷いから来る心の囁(ささや)きに従うとき、
   それは「おのれに背(そむ)くもの」となって其の人の運命を破壊する。

   されば、神の智慧を受けるために、
   吾等は常に怠らず神想観をしなければならぬ。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P332)より

           <感謝合掌 令和4年12月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2022/12/30 (Fri) 15:07:46


(1)【 12月30日 】不朽の業績

   翁の安政二年晦日の記事に「千秋万歳楽」と記し、
   その次に

   「予が足を開け、
    予が手を開け、
    予が書翰を見よ、
    予が日記を見よ、
    戦々兢々(きょうきょう)として深淵に臨むが如く、
    薄氷をふむが如し」

   とある。

   偉なる哉(かな)、
   尊き哉、

   一日と雖(いえど)も私念なく、
   興国安民のために、
   その偉大なる一生を捧げ尽くして、
   不朽なる実践的業績を地上に残す。
   嗚呼(ああ)。

         (逸舌集)

   【註】
 
   細心の深慮をもって「一日生涯」の日々を送られた尊徳翁のご生涯を思えば、
   仰げばいよいよ高しの感がいたします。

・・・

(2)【 12月30日 】一歩を積み重ねる

   私自身が、
   諸君らくらいの年配から、
   今日四十を超えるまでの自分の歩みを回想してみますと、
   たびたびの危いところを、
   よくもマア大過なく通って来られたものだと思うほどです。

   人間の一生は、
   決して容易ではありません。

   しかもそれは、
   一歩々々のたゆまざる歩みによって、
   しだいに開けていくものであって、
   いかに優れた英俊の資といえども、
   弱年にして人生を通観するということは不可能と言ってよいでしょう。

・・・

(3)【 12月30日 】 《ほろびないもの》

   わたしのなかに
   生き続けている
   一本の木

   わたしのなかに
   咲き続けている
   一輪の花

   わたしのなかに
   燃え続けている
   一筋の火

・・・

(4)【 12月30日 】 過ちを改むるを

   士は過(あやま)ちなきを貴(とうと)しとせず、
   過ちを改(あらた)むるを貴しと為す。 
 
           安政元年冬「幽囚録」

   【訳】

   立派なこころある人は過ちがないということを重んじるのではない。
   過ちを改めることを重んじるのである。

・・・

(5)《30日 人間が行き詰らないためには》

   吾々の運命にあらわれて来る出来事には
   「偶然」と云うものは一つもないのである。

   それは一つには自分の想念・感情の反映(かげ)として
   自分自身を反省せしめる。

   二つには内在の神又は霊界の高級霊から来る運命の導きによって、
   その人の魂にとって深い栄養となるものを与えられるのである。

   吾々は楽に何でも成就するときに、
   いい加減に有頂天になって自己反省を失い勝ちであり、
   ついに生活の方向を過って行(ゆき)詰る時が来るのである。

   人間が行き詰るのは、行き詰る時に行詰るのではなくして、
   或いは与えるべき時に与えず、
   或いは報恩すべき時に報恩せず、
   値を払うべき時に値を払わなかったように、

   自分の念(こころ)と行動によって
   悪しき種を蒔いて置いたものが発芽して結実するに過ぎないのである。

   つねに自己の想念行動を反省して、
   生活の方向を過らない人には行詰ると云うことはないのである。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P333)より

           <感謝合掌 令和4年12月30日 頓首再拝>

賢者の一日一言《31日》 - 伝統

2022/12/31 (Sat) 21:12:55


(1)【 12月31日 】父母は我身

   父母もその父母も我身(わがみ)なり
           われを愛せよわれを敬せよ

               (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   このわが一身は、
   父母から授かったものであり、
   言うなれば祖父母のいのちであり、
   もっと遡(さかのぼ)れば先祖のいのちがこめられたものです。

   こうした連綿たるいのちの系列伝統そのものですから、
   この一身を粗末にしないで敬愛し、
   慎しみ深くあらねばならぬとのことです。

・・・

(2)【 12月31日 】真に徹して生きる

   人生はしばしば申すように、
   二度と再び繰り返し得ないものであります。

   したがってまた死・生の悟りと言っても、
   結局はこの許された地上の生活を、
   真に徹して生きるということの外ないでしょう。


・・・

(3)【 12月31日 】 《六魚庵独語》

   よい本を読め
   よい本によって己を作れ

   心に美しい火を燃やし
   人生は尊かったと
   叫ばしめよ

・・・

(4)【 12月31日 】 「松下陋村と雖も」 といえども

   ※松下陋村(しょうかろうそん)と雖(いえど)も、
   誓つて神国(しんこく)の幹(みき)とならん。  

           安政5年12月冬「村塾の壁に留題す」

   【訳】

   松本村はひなびた一寒村ではあるが、必ずや日本国の骨幹となろう。

   ※松陰の生まれ育ったふるさと松本村。ちなみに、松下村塾とは、
   「松下=まつもと」で、松本村の塾という意味といわれる。

・・・

(5)《31日 思いつきを直ぐ実行せよ》

   大抵此の世の中で成功した人は、パッと第一印象的に、直感的に、
   心に浮んだことを直(ただ)ちに実行した人が多いのである。

   人に会っても第一印象として相手から受ける感じは大抵、
   その相手の人の誤魔化しのない真実を語るものであって、
   間違いがないのである。

   第二印象以下になって来ると、相手の人の体臭に慣れて来て、
   その性格の体臭がハッキリと感じられなくなるのである。

   それと同じく、パッと直感的に浮んだことには
   往々にして純粋なる神の啓示があるのである。

   直感的に思い浮んだことを、色々審議にかけているうちに、
   時はたち、好機は過ぎ去り、成功の機会を見失ってしまうことが
   往々にしてある。

   よく云う「思いついたが吉日(きつじつ)」という諺(ことわざ)には
   此のような真理が道破(どうは)されているのである。

          *「眞理」第2巻基礎篇第12章(P333~334)より

           <感謝合掌 令和4年12月31日 頓首再拝>

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