伝統板・第二 2582339

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英霊の言乃葉 ⑲

1:夕刻版 :

2022/11/01 (Tue) 15:25:56


靖国神社社頭掲示~令和4年11月

妻への手紙

陸軍上等兵  橋場 勝太郎 命

昭和19年11月5日
中華民国湖南省にて戦病死

北海道釧路市富士見町出身 23歳


前略 勝紀、美恵子変はりなきや。
良く御両親に仕へ懸命に二子(ふたつご)の教育を成し居る事と思ふ。

自分は遥か中支の一角で深み行く秋を感じつつ、
元気で御奉公して居る故安心ありたし。

勝紀大きくなった事であらう。
我儘させずに良い子供に育ててほしい。
千鶴子へよろしく。

お前も身体を大切にしてくれ。
皆の健康を祈つて居る。

尚、助宗(すけそう)の子、筋子(すじこ)、イカ、タコの粕漬け、
鰯、鮭等、なんでも良いから正月に間に合ふ様に送つて欲しい。
楽しみにして居る。

                             草々

                            勝太郎

朝枝殿

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

          <感謝合掌 令和4年11月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2022/11/02 (Wed) 13:27:07


妻への手紙

陸軍大尉  皆川 孫六 命

昭和19年10月10日
東部ニューギニア・セピック州マリンにて戦死

福島県南会津郡只見村出身 32歳


(前略)

今更(いまさら)言ふ必要も無いが、俺の出征後は将校の家族として、
世間に非難されることの無い様、つつましく身を修めて坊やの教育に
全力を盡せ。

子供の可愛さに溺れて世に言ふ親馬鹿にならない様にせよ。

又、武人たるもの一度戦場に立てば一死(いっし)以(もつて
生還を期せず。
一片の肉をも止(とど)めず散華(さんげ)するは、
故(もと)より本望とするところだ。

殊(こと)に近代戦に於いては、
遺骨の帰らざる事あるは決して珍しくはないのだ。

仮令(たとひ)、遺骨帰らざる事あるも、
国家の為充分の御奉公をしたと思ひ、喜ばねばならぬ。

常々より此の覚悟を持つことが必要だ。

田子倉(たごぐら)にも時々行って泊る様にせよ。

(中略)

皆によろしく。


   十四日

                   皆川

美枝子様


   大御心(おおみごころ)やすめまつらん とこしへに
   我(われ)靖国の神となりて

          <感謝合掌 令和4年11月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2022/11/03 (Thu) 15:36:54


絶筆

陸軍大尉  猪瀬 徳 命

昭和20年4月16日
フィリピンにて戦死

栃木県宇都宮市西原町出身 26歳


決戦場進発の前夜一筆仕(つかまつ)る


一、帝国決戦正面軍の一員たる
  実に男児(だんじ)の本懐万死(ばんし)以って
  任務を完遂せん事を期す


一、父母様御安堵御長正(ちょうせい)の事願ひ上(あ)ぐ


    昭和十九年十月三十一日

           於比島(おいてひとう) 猪瀬 徳

          <感謝合掌 令和4年11月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2022/11/05 (Sat) 04:49:29


明子へ

陸軍上等水兵  西村英吉 命

昭和19年11月12日
東支那海にて戦死

大阪府大阪市東区谷町出身 28歳


父は軍人の本分を盡して、護國の人柱となる。

明子は父の死を知り寂しく悲しく思ふだらうが、
決して心配せぬ様にして欲しい。

父は死しても霊(たましい)は明子と共に毎日一緒に暮らしてゐる。
明子が立派な人になる様に、病気もせず元気に学校に行ける様に、
神様に祈ってゐる。

父が応召に際して書き付けた訓(おしえ)をよく守って、
美しい心の人になる様に心掛けて欲しい。

幼いお前をよく叱ったが、
立派な父の後継人になって欲しかったからだ。
何卒許してくれ。母の教へをよく守って孝行をして欲しい。

お前が立派な人になるのを、父は何よりも楽しみにしてゐる。


昭和十九年五月三十日

                        父

明子へ

  ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

          <感謝合掌 令和4年11月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2022/11/05 (Sat) 13:06:06


出発に際し

陸軍少佐 松本清司 命

昭和十九年十一月十五日
フィリピン、レイテ島にて戦死
東京都日本橋区江戸橋出身 三十二歳


出発に際し一筆書き遺し候、
今般出征の大命に接し誠に武人の本懐、
男子の名誉と存じ候。

御身、今日の事あるは結婚当日より十分に覚悟に候へば
さして驚かる事もこれ無かるべしと存じ候。

(中略)

我亡き後、母および子を抱え御身のご苦労の程、十分にお察し申し上げ候も、
遺族として国民の尊信、一家に集まるに至るべき、
その点十分にご自覚の上、遺藉(いしゃ)の甘さに馴(な)るる事なく、
謙譲の美徳を発揮して世人の恩に報いる様、老婆心ながらお願ひ申し上げ候。

(中略)

以上、種々申し述べ候も我、今出征するに際し、
十分に御身を信頼致し居り候へば、何ら心残り等これ有るものに非ず。
意(こころ)を安んじて征途に上り得るを深く感謝するものに候。

宜しく健康に留意してお暮し下さる様、
尚(なお)くれぐれ茂雄の教育お願い申し上げ候。

    十一月二十二日よる書く
                         清司

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-entry-4097.html )

・・・

『11月拝殿掲示』
          大正天皇御製
            寄國祝        (大正5)

     年どしにわが日の本のさか行くも
     いそしむ民のあればなりけり

           <感謝合掌 令和4年11月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2022/11/06 (Sun) 15:04:18


遺言


陸軍曹長 笹 榮藏 命 

昭和十九年十一月二十八日
中華民国雲南省遮放陣地にて戦死
和歌山県日高郡竜神村出身 
三十三歳
   

大命に依り勇躍征途に就く
男子の本懐之に過ぐるものなし

心に掛る事はなし
一人の親一人の子供を大切にして幸福に暮らされよ
近親一同に宜しく頼む

    空晴れて 心にかかる 雲もなし
                      榮藏
 笹 春枝殿



幼くて何事も不明だらう
やがて分かる時は来る
良く母の教へを守り立派な人間となれ
父は其れのみ祈る

    忠 孝 一 致

 昭和十九年六月十五日
                      父
 幸代へ

  ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20171127.html )

・・・

『11月拝殿掲示』

       明治天皇御製

            鏡      (明治37年)

     榊葉にかくる鏡をかがみにて
     人もこころをみがけとぞ思う

           <感謝合掌 令和4年11月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2022/11/07 (Mon) 13:09:11


出動命令下る

陸軍兵長 山口 隆 命 

昭和二十年二月二十六日
ビルマ・カズンにて戦傷死

福岡県朝倉郡三輪村出身 
二十五歳


恵美子、順子  兄は常夏の国の戦場へ行く。
内地にては最後の手紙だ。

兄は男児として、此れほど喜ばしいことはない。
一月三日会つたのが最後になつたかも知れない。
生きて帰るとは思はぬ。

ただ、千人針にあふれる銃後の人々の貴い力と
御守札の力を頼んで、大いに張り切つて働いてくるよ。

今までは何もせず不孝であつた。
 兄は今、死にに行くよ
 大日本帝国 天皇陛下万歳

留守中、兄に代わつて満兄と共に御両親様に孝行をしてくれ。
そして、兄妹仲良くしてくれ。

では、左様なら。皆様の健康と多幸を祈る。

隆より

  ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20161127.html )

・・・

『11月拝殿掲示』
       明治天皇御製

           秋祝      (明治35年)

     すめ神にはつほささげて國民と
     共に年ある秋を祝はむ

           <感謝合掌 令和4年11月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2022/11/08 (Tue) 15:49:41


遺書

陸軍大尉 小林善彦 命 

昭和十六年十一月二十九日
タイランド湾にて戦死

広島県御調郡向島西村出身 
二十三歳


不肖善彦、今世に生を享け大君の恵みを忝(かたじけの)うし、
父母の慈愛に育てられ今日斯くあるに至る。
深く其の御恩に感謝すると共に粉骨砕身以って報恩せんとす。

中略

此の度の死、もとより覚悟の事にて善彦は笑って護國の神とならん。

戦ひて敵兵を憎まず。蓋(けだ)し敵も國を愛するが故に、
故郷に父母妻子を残し来る者なればなり。
彼等は誤れる為政者の股肱(ここう)となり死す。

善彦は八紘(はっこう)一宇(いちう)の大理想実現の為、
皇國の礎石となるなり。
嗚呼(ああ)男子の本懐これに過ぐるなし。

中略

死後、特別に法事等の事を行はず、靖國神社に参拝し下されば、
善彦は春ともなれば桜花となりて境内に咲き、
喜びて皆様をお迎へ申し上げるなり。

善彦は靖國の神々と共に皇國を永久に護るらん。

御父上様御母上様、度重なる生前の不孝まことに御詫びの言葉もなし
深く深く心より御詫び申し上ぐ。

昭和十六年十月一日
                       小 林 善 彦

   ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20151106.html )

・・・

『11月拝殿掲示』

     明治天皇御製

        紅葉         (明治42年)

  もみぢばの赤きこころを靖国の
  神のみたまもめでてみるらむ

           <感謝合掌 令和4年11月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2022/11/09 (Wed) 13:32:26


遺書

海軍二等機関兵曹 姫野清馬命

昭和十七年七月五日
アリューシャン列島アガツ島付近にて戦死

福岡県糸島郡福吉村出身
二十六歳


母上様には、色々と御心配を掛けまして申し訳ありません。

海軍軍人となったこの上は、誠心誠意奮闘する覚悟です。

軍人たる者何時身を捨つることあるや、今から決心してゐます。

母上様の並大抵ならぬ苦労は、身に沁みて有難いと思ってゐます。

小生今までの御不孝をお許しください。

「一死報國」以って繕はして戴きます。

母上様に対して深甚の感謝を捧げます。
  
                         敬具

昭和十一年五月三十日

                       姫野清馬
 
母上様


・・・

参考Web

『靖國』11月(霜月)より
http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=2261


『11月拝殿掲示』

       昭和天皇御製

            楽       (昭和48年)

     豊年のにひなめまつりの夜はふけて
     しづけき庭に楽の音きこゆ

           <感謝合掌 令和4年11月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2022/11/10 (Thu) 13:24:27


それは運命だと思ひます

陸軍伍長 宗本琢磨命

昭和十九年十一月十一日
比島カモテス海峡にて戦死

岡山県苫田郡中谷村出身
二十三歳


蝉の声かしましき八月の初旬、今昭和十九年八月の始め、
友と共に戦地に行かんとするに当り、
一筆父上に呈し、不孝を詫びんとす。

(中 略)

何処に行き、どんな事が起っても
琢磨はお父さんの子であると云ふことを忘れない積りです。
そこから必ず自分の進む可き、何らかの方向が示されると信じます。

両親が今迄、琢磨を引張ってきて下さった強い強い力は、
やがて琢磨が自分一人で押進んでゆく強い力と成ると信じます。

風波荒い社会、つくづくさう感じます。
波静かな両親の港に憩ふときのみ、
琢磨は何もかも忘れて安らかな気になります。
淋しい、さう云ひたい今の気持ちです。

いくつになっても、
やっぱり親程よいものはこの世にないとつくづく思ひます。

戦地の病院で息を引取る病人が、
最後に云ふことばは「お母さん」の一声です。

いつまでもいつまでも、
親のもとにいたい、さうした気持ちで一杯なのです。

然し、男である以上、まして父の子である以上、
日本の男の皆やることは死んでもやらねばならないのです。

お父さんの云はれた通り、必ず死ぬ人間で有る以上、
どこでいつ死んでもそれは運命だと思ひます。

幸にして妻子はなし。唯々両親様の健康は、
一日も長くすこやかなれと祈るのみです。

其の日、其の日の最善を尽しつつ琢磨は元気で行ってきます。
決して進んで死を望むやうな琢磨ではありません。

然し、死す可き時には潔く死にます。
其れが男子の一生として、亦、両親様も一番喜んで下さる道と信じます。

美佐子、綾子もよくよく両親様の注意を守り、立派な女性となるやう。
 
昭和十九年八月四日 朝



・・・

<参考Web:平成25年11月16日の靖国神社:
https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2014-01-02-1 >

           <感謝合掌 令和4年11月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2022/11/11 (Fri) 13:21:10


遺言状

陸軍伍長 辻本孝一命

昭和二十年十一月三十日
ソ連シベリヤハバロフスク州
コムソモリスク収容所にて戦病死

大阪府大阪市浪速区出身 二十三歳


本日、遂に此の書が開かれた。
小生は入営兼出陣の際より、生還を期せず。
先づ、父上様始め皆様の御恩を謝す。

出陣の時より、家の生活に付ひては少しも気に掛けず、
皆、初子、父上様に御委託済の事。

修二も軍属にて何処に有りや不明。
家の事は、父上様に修二に宜敷き様、取計って頂き度い。

初子もよき人妻になる様。
良一もしっかり勉強して、よき日本人になってくれ。

そして、皆力を合せ、父上様を助け、よき家庭を建設してくれ。
家の心配事は自分等にて片付けず、宜敷く親族の方に御相談する様、
小生よりも宜敷く別書に書いてある。

そして、家族一体幸福、安全を期して頂き度い。
修二よ。初子よ。花子よ。良一よ。
皆、皆、力を合せて父上を助け、大日本帝国の為、頑張ってくれ。

父上様にも充分身体に気を付けられ、楽しく余生を御過し下さい。

                            以上

  昭和十九年三月
     入営、出発に際して
                          孝 一
   父上様
   修二
   初子
   花子
   良一         

・・・

 『11月拝殿掲示』

   明治天皇御製

   をりにふれたる         (明治36年)

    豊年(とよとし)の新嘗祭(にひなめまつり)ことなくて
    つかふる今日ぞうれしかりける


<靖國だより-霜月  24.11.12
    http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?no=1294 >   

           <感謝合掌 令和4年11月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2022/11/12 (Sat) 14:09:40


戦地の兄へ


陸軍軍属(看護婦)湯川カツ命

昭和二十年十一月三十日
内地帰還後、本籍地にて戦病死

新潟県中魚沼郡川治村出身 二十四歳


叢(くさむら)より聞ゆる虫の音(ね)に、
初秋の訪れを一入(ひとしお)深く感じて参りました。
兄さん、先日はお便り有難う御座いました。

私も宮ちゃんも相変らず元気にて服務致して居ります故、
他事乍ら御休心下さいませ。

此方(こちら)は内地の彼岸頃の気候で、とても凌(しの)ぎ良くなりました。
参った当時より、多忙な日々を過して居りますが、
仕事にも大分馴れて参り、楽しい日を送り迎へして居ります。

兄さん今度お便り下さる時は、表記の通りにして下さいね。
四九六部隊で充分参りますから、お願ひ致します。

もう時間が迫って参りました。又後にて。
健康に注意して頑張って下さいませ。

かしこ

・・・

 『11月拝殿掲示』

(現上皇陛下)御製   
 
  勤労奉仕団の人々より今年の作柄を聞きて  (平成7年)

   豊かなる実りなりしといふ人の
   多き今年の秋を喜ぶ


・・・

<参考:

(1)靖國だより-霜月  23.11.7
    http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20111107.html 

(2)今日の靖国●皇紀二千六百七十一年霜月廿五日
    http://mishimadai.blog72.fc2.com/blog-category-11.html >

           <感謝合掌 令和4年11月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2022/11/13 (Sun) 15:03:21


遺書

陸軍曹長  久米俊彦命

昭和十九年十一月二十日
フィリピン群島ミンダナオ島サンカナンにて戦死

鹿児島県鹿児島郡西桜島村出身 二十五歳


畏クモ大命ニ依リ、外敵征討ノ途ニ就ク。
男子ノ本懐之(これ)ニ勝(まさ)ルモノナシ。

遂ニ待望ノ日ハ来ル。
生キテ祖國ノ土ハ踏マズ。
笑ッテ護國ノ鬼ト化ス。

為念一言遺ス。

一、皇恩ニ感謝シ、皇室ノ御繁栄ヲ祈ル。
一、戦死ハ武人ノ本懐ナリ。嘆クナカレ。
一、名誉アル遺族ナリ。世人ノ講評ヲ享(う)クルナカレ。
一、兄弟姉妹相助ケ、母上ニ孝養ノコト。

二十有余年間ノ親不幸ヲ謝シ、母上ノ御健康ヲ祈ル。
慎也ハ軍人トナル様、励マサレタシ。

      今日ありて 明日ある身とは 思ふなよ
        皇國(すめらみくに)の 防人(さきもり)ならば

      なげくなよ 桜の花と ちりし我
        ほほえみ来たれ 靖國の杜

母上様
兄上様
姉上様

・・・

 『11月拝殿掲示』
    
 大正天皇御製

    秋日憶遠征(大正3年)

 軍人つつがなかれと思ふかな
 秋の夜寒になるにつけても

  (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20101115.html


<参考>

靖国神社 (平成22年11月7日) [靖国神社]
https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-11-07-2

           <感謝合掌 令和4年11月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2022/11/14 (Mon) 15:10:05


靖国神社デ祈ッテヰマス

陸軍少佐 池亀 重作 命
昭和十七年十一月二十三日
ソロモン群島ガダルカナル島九〇三高地附近にて戦死

新潟県西頸城郡磯部村出身 四十歳


父ヨリ
惠子ヨ、可愛イ惠子ヨ。

父ハ惠子ガ早ク大キクナリ、立派ナ人ニナリ、
御國ノタメニ働クコトヲ祈リマス。

母ノ教ヘヲヨク守リ、誰ニモ負ケヌ様ニ、オ勉強シナサイ。
「努力ハ天才ニ優ル」ト言フ事ヲ念ニ収メ、
偉イ人ニナッテ母ニ孝行ヲシナクテハナリマセン。

父ハ東京ノ靖国神社デソレバカリ祈ッテヰマス。


 (https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/acd3a86b1f9aae7c9a97c91fdea53e2f )

           <感謝合掌 令和4年11月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2022/11/15 (Tue) 15:29:03


最後の手紙

海軍二等兵曹 西島光男命

昭和十七年十一月十一日
印度洋にて戦死

山口県豊浦郡宇賀村出身
二十四歳


前略
永らく御無沙汰致しましたが、
其の後御一同様には御変なく御消光の事と遠察致して居ます。
自分も某地に歸着以来は益々元気で軍務に精勵致して居ます故御安心下さい。

今日再び命を受け○○方面に作戦行動致す様に成りました。
行動中は勝手乍ら御便りが出来ませんので其の点御心配なく。

上御一人のためだ・・・・・・全能力を発揮して益々奮闘致します。
我々は出動命令を受け任地に向ふ時はこれが最後だと思ひ、
直に皆々様に御心配をかける様な気がします。

然し何時が最後に成るか解りません。
この便りが父の許につく頃は、もう緑の六甲山も附近の山々も、
カーキ色にそまる頃かと思って居ます。

最後に御一同様の御健康を祈る。
では元気で任地に向ひます。
皆々様も嬉んで送って下さい。

              左様奈良
          呉局気附報國丸
西島光男


           <感謝合掌 令和4年11月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2022/12/01 (Thu) 14:51:43


遺書

陸軍曹長  金子正男 命

昭和20年3月19日
フィリピン・ルソン島にて戦死

新潟県佐渡郡新穂町出身 24歳


兄として何一つ出来なく申訳なし

大命(たいめい)に依(よ)り征途(せいと)に就(つ)く

再び生還(せいかん)を帰(き)せざる覚悟なり

大和女として男々(おお)しく生きられよ

今度会ふ日は靖社

最後に多幸(たこう)を祈る

                      兄


 妹へ

         <感謝合掌 令和4年12月1日 頓首再拝>
17:伝統 :

2022/12/02 (Fri) 14:36:16


大晦日友に宛てた葉書

陸軍大尉  古橋雅夫 命

昭和20年8月3日
フィリピン方面にて戦死

東京都淀橋区角筈出身 21歳


前略

愈々(いよいよ)今年も後(あと)四時間です。
少し早いですが「新年おめでたう」。

さて私の此の三重空(みえくう)に於ける基礎教育も未だ不完全ながら、
何(ど)うにか終了し、来年早々退隊し、外地へ征く事になりました。

意気(いき)天(てん)を衝(つ)くものがあります。

本日、大掃除後不意に外地へ行く者の発表があり、私の名が呼ばれた時の
気持ち、・・・まるで戦地へ征く様な。又、決死隊に選ばれた様な、
愉快な何とも云へぬ気持ちでした。

まうこれで当分の間お便りできない事と思ひますが、
戦地に征く迄(まで)は、元気に訓練を受けて居ると思つて下さい。

 ではお元気でおくらし下さい。


    *三重空~三重海軍航空隊

          <感謝合掌 令和4年12月2日 頓首再拝>
18:伝統 :

2022/12/03 (Sat) 14:17:32


お父様へ

陸軍整備兵長 山藤 恵 命

昭和十九年二月六日
マーシャル諸島にて戦死

山口県山口市大字矢原出身
二十三歳


拝啓 お父様久しく御無音(ごぶいん)致しましたが
その後お変わりありませんか、お伺ひ申します。

降(くだ)りて私も元気に軍務に励んでゐます故(ゆえ)、
他事(たじ)ながら御安心下さい。

私もこの度、命(めい)に従ひ南方第一線に出ます。
いろいろと御相談致したい事もありますが、
面会する時間もありません。

明日十二月七日夜出発致します。
さうして来年三月、四月に帰る予定です。

また面会する時もある事と思ひます。
其の日が来るまで御身(おんみ)お大切になさいませ。

さうして幸多き年をお迎えになることを
遠きこの地よりお祈り致します。

くれぐれもお体に御注意ください。お願ひ致します。

   十二月六日より         さやうなら

                     恵 より

お父様へ

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

          <感謝合掌 令和4年12月3日 頓首再拝>
19:伝統 :

2022/12/04 (Sun) 17:57:06


生還は期せず


陸軍衛生伍長 円城知三(ともぞう)命

昭和十九年十二月十日
フイリピン・レイテ島ダナオ湖にて戦死

滋賀県犬上郡豊郷村出身 三十四歳


手紙、正(まさ)に拝見致しました。
子供の便り殊(こと)に嬉しく、折々読み直す楽しさ何にも勝ります。

同封の為替、当地にては如何ともなし難く、変そう致します故、
宜しく取り計らひ下さいますやう。

戦争も刻一刻と深刻になしました。
自分も時折(ときおり)心残りを書き連ねるますが、
敢(あ)えて生還は期せず、南海の曙消え行く星の数に
喜んで入ります。

高きうねりも、いつか凪(な)ぐことも有ります。
その時は南の空に輝く星の数に入っているかも知れません。


お前に残す言(こと)の葉は無いが、
行く末永き子等を思ふ時、自分も親である。
強い様で弱い所もある。

これだけは充分頼む。
世の人に辱(はじ)んことを切に望む。

 七月一日

                  知三

ヤエ殿

   ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

           <感謝合掌 令和4年12月4日 頓首再拝>
20:伝統 :

2022/12/05 (Mon) 15:32:50


俺は元気で征く

陸軍大尉  瀬川正俊命

昭和十九年十二月七日
フィリピン、オルモック湾にて戦死

大阪府大阪市福島区大野町出身 
二十一歳


兄上様、正俊は帝国軍人として、最後の名誉を
与へられました。誓つてやります。

母上様、二十一星霜のご訓育は無駄ではありませんでした。
くれぐれもお大事に。

正子姉さん、母上をお願ひします。

植木の兄上姉上、元気で頑張れ。
叔父様お世話になりました。
ご奮闘下さい。

(中略)

亘(わたる)君よ日本男児は、常に腹と體(からだ)を錬(ね)れ。
如何なることも断じて貫け、俺は元気で征く。


   最後に一首

    米英の夷(えびす)は如何に驕(おご)るとも

          なんぞ敵なる八紘一宇に

・・・

『12月拝殿掲示』

       昭憲皇太后御歌

         歳暮   (明治21年)

     うつばりのちりもはらひて玉すだれ
     かけあらたむる年の暮れかな

     ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-201812.html )

           <感謝合掌 令和4年12月5日 頓首再拝>
21:伝統 :

2022/12/06 (Tue) 13:52:22


遺言

陸軍中尉 吉川 泰 命 

昭和十九年十二月八日
フィリピンレイテ島
ブラウエン飛行場にて戦死

熊本県飽託郡託麻村出身 
二十二歳

  
       天皇陛下萬歳

         魁

       七生報國


 御両親様へ

   永らく御世話になりました
   天皇陛下の為に死にます


 姉上様

   永年の御指導有難うございました
      

 弟へ

   天皇陛下の御為に勉強せよ
   父母に孝なるべし


 妹へ
   しっかり勉強せよ

             昭和十九年七月十六日

             陸軍少尉 吉 川  泰 

・・・

『12月拝殿掲示』


       明治天皇御製

           をりにふれたる  (明治45年)

     はれわたる空をぞあふぐむらぎもの
     こころのちりをはらいきよめて

    ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-201712-14.html )


           <感謝合掌 令和4年12月6日 頓首再拝>
22:伝統 :

2022/12/07 (Wed) 14:33:38


姉上様

海軍少佐  服部 照親 命

昭和十六年十二月十七日
ボルネオ島バラム岬沖にて戦死

愛知県中島郡明治村出身 
二十九歳


日露戦争直後よりの宿命的な戦いの幕は、何時切らるるか知らず。
〇〇に在りて命令一下直ちに出撃、
お国の為に日本民族発展の為に戦ふべき物心技の準備は成つた。

如何なる順調なる戦なりとも、最後の敵を破る迄は心を弛めず、
如何なる苦戦に遭遇しても日本海軍の勝利を期して、
生命あらん限り日頃の腕を発揮して戦ひ進まん。

笑つて死に(生かも知れません。死生命あり論ずるに足らず、死生歸一)
つき得る弟の幸福を欣んで下さい。
さらば御機嫌宜しう。
                              
                           照親

姉上様

・・・

『12月拝殿掲示』
       
明治天皇御製
           
     歳慕      (明治17年)

     をしめども今年はくれぬあたらしき
     初日のかげにいざやむかはむ

     (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20161225.html )

           <感謝合掌 令和4年12月7日 頓首再拝>
23:伝統 :

2022/12/08 (Thu) 13:29:37


遺書

陸軍兵長 小寺 正雄 命 

昭和二十年七月十五日
フィリピン レイテ島にて戦死

兵庫県姫路市十二所前町出身 三十四歳


貞子殿
                    正雄

再び召されて戦野に征く。
日本の女子と生まれ来て此の昿古(こうこ)の大戦に遭ひ、
その夫が勇躍(ゆうやく)國難に馳せ参ずるについては、
御身の決心も自ずからついてゐた事と思って居る。

温室に育って社会の辛苦も未だ味はへる事少なき御身には、
様々の難路も横たはって居るやも知れぬ。

唯願ふは正彦の為に強く正しく生き抜いて呉れん事のみ。
尚、御身には頑固に見える父であるが、
僕にとっては唯一の親、宜しく頼む。


正彦へ

                  父 正雄

未だ西も東も判らぬ乳児なるも、
やがては国難に逝きし父の心事も解る時が来ると思ふ。
幸、不幸は心の持ち方如何に依る。
唯願ふは将来国家有為の人材とならん事。

父は靖國の宮居より汝が成長を見守って居る。
母を大切にせよ。

昭和十九年四月三十日

   (http://seirei.org/?p=649

・・・

『12月拝殿掲示』

  明治天皇御製
         冬祝       (明治42年)

     みかぐらを神にささげてゆたかなる
     年のをはりをいはいけるかな

  (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20151210.html )

           <感謝合掌 令和4年12月8日 頓首再拝>
24:伝統 :

2022/12/09 (Fri) 14:42:05


遺書

陸軍大尉 片岡正光 命

昭和十九年十二月五日
フィリピンレイテ島レイテ湾にて戦死

熊本県鹿本郡菊鹿村出身
二十七歳


父上様、愈々私の真価を発揮する時が参りました。
日本男児として、そして又、父上様の子として立派に皇國に殉じます。

今や皇國存亡の決戦に臨んで居る日本人は、総て生死を超越し、
一筋に任務を完遂し皇國を守護し奉るべきであります。

何卒この機この決戦場に送り得る子を持たれたる幸を心して下さいませ。

御老体のこと故、何かと御心労も多き事と思ひますが、
姉上様と共に健やかにお過ごし下さいます様お願ひ致します。

もう少し生きて貰ひたかつた、せめて孫の顔位見たかつたと
お考へになるかも知れませんが、私としましては、今斯くして
死場所を得る事が最上と信じます。

武士の道、帝國陸軍将校の道、皇國の必勝を信じて淡々と勇躍出発します。

何も思ひ残す事はありません、私の戦死をせめてもの喜びとして下さいます様。

では、くれぐれも御身御大切にお過ごし下さいませ。

老いの目に涙殺して笑み給ふ
        父上の姿伏し拝みつつ
 
十一月十八日
                               正光
父上様

・・・

『12月拝殿掲示』
       
   明治天皇御製
      
      煤拂       (明治37年)

     ちはやふる神のおましをはじめにて
     今年の塵を拂はせてけり

    ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20141210.html )

           <感謝合掌 令和4年12月9日 頓首再拝>
25:伝統 :

2022/12/10 (Sat) 14:56:35



吾々(われわれ)の神聖さがあります


海軍少佐 矢野徹郎命
昭和十九年十二月七日
比島方面にて戦死

愛媛県越智郡津倉村出身
二十五歳


お便り有難う。お元気何よりです。
愚生相変らずにて大空を翔けて居ります。
早いものです。一年余の歳月が流れました。

大祭も近づく頃!肌寒い風の吹く頃は、常に駅伝のことを思ひます。
日一日と風がつめたくなるに従って、練習も苦しくなって行った。

山田は実に懐かしい土地です。
一木一草、思出でないものはありません。

宮川、御幸みち、塚山の下宿生活、山寮の思出、古市時代、親しき友。
友の姿を偲びつつ、弛みがちなる心を引締めてゆく。

大空を翔ける心、既に何人かの屍をのり越へて来た。
日々の訓練は生命がけであります。
訓練が生命がけであるだけに、戦友との結びは兄弟以上のものがあります。

学生時代の様な子供の遊びの域を脱し、
最早(もはや)大人の時代へ遷(うつ)らせます。

吾々の生活…飛行機に乗ったとき、全てを忘れることです。
ここに他と異なる吾々の神聖さがあります。

今日は雨で飛行場のエンドがかすんでみえる。
はるかに石の鳥居が寂(じゃく)として立ってゐる。
昨日迄立ってゐた幟もとりはらわれた。秋祭りも終った。

    秋祭り 幟はためき 虚空(こくう)高し  

秋の空!なんと大きな心。大空に向って深い呼吸をしてごらん。
身も心も清々しく、己の心も大空の様な偉大さをわきたたせる。

急上昇するとき、淡雲がぐくっと顔前にせまる。
操縦桿を右にとる。大きな円を画いて吾が飛行機はもとの姿勢にかへる。

なんとすばらしい生活ではありませんか。 

                              
     「醜の御楯(しこのみたて)」

   吾も亦 この鎮宮に 祀れん日もあらんかと 宮造りしみじみ拝す

   五尺の身 ありとあらゆる 力もて 尽しまつらん 醜の御楯は 

・・・

『12月拝殿掲示』

   御製

     ラトビア占領博物館     (平成19年)

    シベリアの凍てつく土地にとらはれし
    我が軍人(いくさびと)もかく過しけむ   

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20131213.html )


           <感謝合掌 令和4年12月10日 頓首再拝>
26:伝統 :

2022/12/11 (Sun) 14:49:52


遺書

陸軍少佐 山本卓美命

昭和十九年十二月七日
比島レイテ島付近にて戦死

福岡県糸島郡前原町出身
二十一歳


父上様
母上様

卓美ハオ先ニ失礼致シマス。
二十有余年ノ間、此ノ上ナク可愛ガッテ頂キマシタ。

山ヨリモ高ク、海ヨリモ深キ養育ノ御恩ニ何等報ユル所ナク、
御心配ヲカケ通シテ参リマシタガ、今ヤ御恩ノ万一ニ報ユル時ガ参リマシタ。

光栄アル八紘隊長ニ選バレ、南海ニ水漬ク屍トナルハ男子ノ本懐、
只々感謝感激ノ外アリマセン。

信ズルハ 皇国ノ必勝
祈ルハ  皇運ノ無窮
靖國神社デ、オ待チ致シテ居リマス。
御両親様、幸福ニ御暮シ下サイマス様、心ヨリ祈リ上ゲマス。

  昭和十九年十一月三十日
                          山本卓美

・・・

『12月拝殿掲示』

  明治天皇御製

   人   (明治43年)

    をちこちにわかれすみても國を思ふ
    人のこころぞひとつなりける

    ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20121214.html )

           <感謝合掌 令和4年12月11日 頓首再拝>
27:伝統 :

2022/12/13 (Tue) 04:49:39


(この社頭掲示の、横山正治命は、12月8日大東亜戦争開戦で、
 ハワイ真珠湾における特別攻撃隊とその戦死者九人のひとりです)

これに過ぎたるは無し

海軍少佐  横山正治命

昭和十六年十二月八日
ハワイ方面にて戦死

鹿児島県鹿児島市下荒田町出身
二十三歳


皇国非常の秋(とき)に際し、死処を得たる小官の栄誉、之に過ぎたるは無し。
謹しみて、天皇陛下の万才を奉唱し奉(たてまつ)る。

二十有三年の間、亡父上、母上様始め家族御一同様の御恩、
小学校、中学校の諸先生並びに海軍に於て御指導を賜りたる教官、
上官、先輩の御高恩に対し衷心より御礼申上げ候。

同乗の上田(かみた)兵曹の遺族に対しては気の毒に堪へず。
最後に、皇恩の万分の一にも酬(むく)ゆる事なく、
死する身を深く愧(は)づるものに有之候(これありそうろう)。

海軍中尉 横 山 正 治

・・・

<参考Web>

(1)横山少佐と私
   http://www.iuk.ac.jp/~itoh/zuihitu3.htm

(2)真珠湾の九軍神 横山 正治海軍少佐
   https://ameblo.jp/tank-2012/entry-11960410849.html

・・・

『12月拝殿掲示』

 昭和天皇御製    
               (昭和22年)

   冬枯のさびしき庭の松ひと木
   色かへぬをぞかがみとはせむ

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/blog-date-20111212.html )

           <感謝合掌 令和4年12月12日 頓首再拝>
28:伝統 :

2022/12/13 (Tue) 14:24:52


立派な死を遂げます

海軍飛行兵長  硲(はざま)  榮次命

昭和十八年十二月二十八日
ビスマルク群島方面にて戦死

大阪府大阪市住吉区出身 十九歳


前略(鉛筆にて失礼)
先日は有難うございました。
いよいよ戦地に行くこととなりました。

不用品を送ります。中に時計と、通帳(現金在中)があります。
時計は兄さんへ返上致します。
通帳は「ミシン」代の費用として、尋子にやって下さい。

生を受けて十九年、
母様に何の孝養も尽さず、親不孝の罪をお許し下さい。

陛下の御民の一人として立派な死を遂げます。

   大空に生き
     大空に死す
      これ男子の本懐なり

最后に一同様の御壮健をお祈り致します。
                
              榮次より

母上様

・・・

 『12月拝殿掲示』

 明治天皇御製

    道 (明治43年)

 ならび行く人にはよしやおくるとも
 たヾしき道をふみなたがへそ

           <感謝合掌 令和4年12月13日 頓首再拝>
29:伝統 :

2022/12/14 (Wed) 14:36:36


たゞ母さんだけは 大切にして上げて下さい

海軍一等航空兵曹 大西 貞一命

昭和十四年十二月二十六日
中華民国甘肅省蘭州にて戦死

香川県香川郡安原村出身


(前略)

身を海軍航空界に投ずる時より今日あるを覚悟はしてゐました。

武人として将又(はたまた)光誉ある帝国海軍の航空兵として
敵地の空に華々しく戦死してゆく事は、この上なき名誉であり男子の本懐、
これに過ぐるはないと思ひます。

(中略)

たゞ母さんだけはどうか大切にして上げて下さい。

お年寄だから精々楽をさして上げて下さい。
お小遣を充分上げてお寺に詣ったり、
又お母さんの好きな処へ遊びに行かして上げたりして、
出来るだけ慰めて上げて下さい。

それだけは呉々も兄さんにお願ひ申上げます。

(中略)

戦死したら、村の小学校の子供が葬式に参列してくれるでせうね。
可愛らしい子供がね。それが楽しみです。

(中略)

では兄さん、さやうなら。どうかお元気で、しっかり頑張って下さい。
母上様をはじめ皆様の御健康と御多幸を祈ります。

 昭和十四年五月二十五日夜

      再び最后に際して     貞一

市太郎兄上様


           <感謝合掌 令和4年12月14日 頓首再拝>
30:伝統 :

2022/12/15 (Thu) 13:41:07


白木の箱が届いたら

陸軍伍長 小塩 久夫命

昭和十九年十二月二十三日
比島北サンフェルナンド
北方海域にて戦死

鳥取県西伯郡大高村出身 
二十六歳


(前略)

お母様、かうして懐しい御名をお呼びするのも幾度もないでせう。
でもお母様、決して悲しんではなりません。久夫は立派な軍人です。
母上は、此の久夫のお母様です。

(中略)

望み叶って、あの靖國のみ社に赴けますならば、
香り高く咲きにほふ九段の桜の下でお母さんの訪れを待ってゐます。

何一つとして御手助けもする事を得ず、去り逝く久夫を許して下さい。
久夫は勇ましく華と散り逝く覚悟です。

久夫、死の報あっても決して悲しんではいけません。
泣いては兵の母として何よりの辱です。

白木の箱が届いたら、唯一言「久夫よくやった」と莞爾とほめてやって下さい。
お母様が育てた鼻たれ坊が晴れてお役に立つときが訪れたのです。
久夫はそれを頼りに喜んで靖國の宮に迎へられます。

(中略)

ではお母様、末永く御幸福であって下さい。
久夫は常にお祈りしてゐます。(後略)
                         
                          久夫より 

母上様


           <感謝合掌 令和34年12月15日 頓首再拝>
31:伝統 :

2023/01/01 (Sun) 19:52:33


故郷の妻へ

陸軍歩兵上等兵 加藤 乙壽 命

昭和十四年十二月十四日
中華民国湖北省にて戦死

福島県耶麻郡磐梯村出身 
二十七歳



拝啓 悠美子は丈夫ですか。お母様始め皆様元気ですか。

お国の寒(かん)はどうです。此方は、とても暖かです。
今日も花が咲くかと想はれる暖かさです。
毎日、小春日和が続きます。
これ以上は寒くならないさうです。

お国は雪が沢山降りましたが。
旧’きゅう)の正月も程(ほど)なく来るでせう。
自分が留守でも良い正月を迎える様、遠い異郷の空より祈つて居ります。

此の間、東北三県の慰問団が参りました。
渡支以来初めての事とて、大変懐かしく宮城・福島・新潟と、
民謡・音楽舞踏・万歳と時間の過ぎ行くのも忘れて楽しく懐かしく、
銃後の皆様の赤誠(せきせい)に感激つかまりました。

(中略)

自分は少しも国の為に盡さぬのに、
慰問を受けたり慰問袋をもらったりして勿体なく感じます。

お前も益々元気で身体に気を付けて、家の事はしっかりやってくれ。
ここへ来て勤務ぶりを見てもらふと思つて写真を撮りました。
緊張した顔、皆様に見せてくれ。

お父様にも宜しく言つてくれ。 さやうなら。

                        乙壽より

きよの様   

            <感謝合掌 令和5年1月1日 頓首再拝>
32:伝統 :

2023/01/02 (Mon) 18:56:24


門司でひと時のお正月

陸軍曹長 田中 英男命

昭和ニ十年六月十日
フィリピン・ミンダナオ島にて戦病死

神奈川県横浜市鶴見区潮田町出身 
二十五歳


拝啓 長らく御無沙汰致しました。
其の後、父上母上様には昭和十九年の正月も一家繁昌、
一同無事御健康の下(もと)にお過ごしの事と推察致します。

英男も益々元気旺盛に軍務に服し、正月も満州より帰り、門司にて
暮れより正月一杯愉快に民家に泊り楽しく送りました。

当地の人の御厚情に依(よ)り本当に家に帰つた様な気がして、
久しぶりで呑気な正月を送りました。(中略)

この手紙のつく頃、我々は堂々の輸送船団を組んで、世界注目の
作戦場南方へ南方へと進んでいる最中(さいちゅう)だらうと思ひます。
任地は何処(どこ)か分かりませんが、無事到着の節は大至急
御通知するつもりで居(お)ります。(中略)

父上母上様、軍隊生活二年、初年兵時代の様に体も弱くなく、生気溌剌として
勇躍任務に就(つ)かんとして居ります故(ゆえ)、
何も心配する事はありません。

父上母上様も昭和十九年の決戦下、愈々(いよいよ)御健勝に
職場に邁進されん事をお祈り致します。

最期に母上様には特にお体(からだ)の弱い事ですから、
充分お体に御留意され御無理されぬ様、英男心からお願ひ致します。

(中略)

   一月四日 夜

                     英男
                      門司にて

父上様
母上様

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

           <感謝合掌 令和5年1月2日 頓首再拝>
33:伝統 :

2023/01/03 (Tue) 17:06:01


元日の横須賀より

陸軍一等機関兵曹  黒淵竹夫 命

昭和19年6月19日
マリアナ諸島サイパン島西にて戦死

岩手県和賀郡澤内村出身 25歳



明けましておめでとうございます。

御家内皆様には、無事正月を迎へられた事と察します。
横須賀より皆々様の幸あらんことを祈ります。

私も昭和十八年の新春を〇〇〇〇学校に於いて迎へました。
唯(ただ)元気あるのみであります。
午前九時遥拝式を行ひ、終はわつて半舷(はんげん)外出をゆるされました。

雑煮を戴きました。
市中は我々が子供の時の遊びと違つて「ハネツキ」などで
遊んで居ります。道路も着飾った人達で満員であります。

映画館などは大騒ぎです。
二年ぶりにて陸上で迎へる正月は格別なものです。

しかし、何となく雪の降らぬのが物足りない様な気が致します。
正月と言ふても正月の様でありません。

押されて歩くよりと思ひ下宿に帰れば、お母さんは色々と御馳走を
作つて下さいまして、本当の年を重ねました。
家で兄弟達と並んで食べる様な気が致しました。

兄さんも私も軍隊に出て定めし物淋しい正月でせう。
しかし戦ひを勝ち抜くまでは、必ず元気で戦ひます。

その暁(あかつき)には兄さんと二人、年を松の木の下にて
親達の前で重ねます。私もそれ迄は絶対に戦ひます。

元気にて何卒その日を待つて年を重ねて下さい。


この写真は十二月二十二日に写したのですが、笑って見て下さい。
御機嫌やう。

  一月一日

                        竹夫

御家内皆様

    (https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

         <感謝合掌 令和5年1月3日 頓首再拝>
34:伝統 :

2023/01/04 (Wed) 14:03:44


大和魂

陸軍兵長  吉田稔 命

昭和20年1月20日
フィリピン ルソン島ラウニオン州にて戦死
群馬県桐生市小曾根町出身 24歳



出陣に際して一筆申し上げます。

当地にて明日への英気を養ひ西代旅館には、いといと御世話様になり
愈々出発も真近(まじか)になり、こんばんは一同十数名にて
質素な出陣の指揮を施行し実に愉快な一時(ひととき)でした。

この上は大いに神州の正気(せいき)を振り起して、
断固聖戦完遂の道に向かって邁進し、万一の場合は従容として
死に就く覚悟で御座います。

 7月28日晩

                     稔 より

父上様

  身はたとひ南の海に散らむとも

    永遠(とわ)に生きなむ此の大和魂  

   ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

            <感謝合掌 令和5年1月4日 頓首再拝>
35:伝統 :

2023/01/05 (Thu) 14:34:39



愛児への便り

陸軍大尉 木目田知 命

昭和十九年ニ月二十八日
ニューギニア・ウエワクにて戦病死
東京都南多摩郡南村出身
四十二歳

  → https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/2a5d69e95b9762bd1841f50327e18ff0

           <感謝合掌 令和5年1月5日 頓首再拝>
36:伝統 :

2023/01/06 (Fri) 15:13:38


思ひ出の日

陸軍曹長 川本 重俊 命

昭和二十年三月八日 
ビルマ、チャウピュー県カンゴー付近にて戦死
兵庫県武庫郡御影町出身 
二十八歳


御無沙汰致しました。

相変はらず御両親始め皆元気の事と思つてゐますが、
随分寒さもきつい事でせう。俊征も寒さに負けず大きくなつてゐますか。

こちらは相変はらずの暑さで、皆は特にむしむししてゐて一日中汗が滲んで、
毎日洗濯と水浴に追はれている様です。

然し皆元気で頑張つてゐるから安心して下さい。

こちらで正月元旦に写した写真が出来上がつたので、
郵便で今日送りますが、この葉書よりは大分遅れる事でせう。

一枚は松の代はりに椰子(やし)の葉で飾つた門松を背景に
日章旗(にっしょうき)を中に立てて、隊長殿、森川大尉殿を中心にして。

別の一枚は、裸で餅つきの風景を撮つたのですが、
残念ながら臼(うす)が下にきれて見えなくなりました。
後ろに写つてゐるマンゴの樹が、今を盛りと香りを放つてゐます。

来月あたりには、実が熟して来て兵隊を喜ばせる事でせう。

(中略)

俊征も近く満一年、可愛い姿を偲んでゐます。
昨年の今日の寒さを思ふにつけても皆さんの健康を案じてゐます。

呉々も御自愛、俊征の養育にも充分注意して間違ひの無い様。

三月七日 思ひ出の日

            ・・・

『1月拝殿掲示』
       
  明治天皇御製

       神祇  (明治35年)

     やすからむ世をこそいのれ天つ神
     くにつ社に幣をたむけて

 ( http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?m&no=3720 )

           <感謝合掌 令和5年1月6日 頓首再拝>
37:伝統 :

2023/01/07 (Sat) 13:01:51


母上様

陸軍伍長 舩崎 一義 命 

昭和二十年三月三十日
ソロモン諸島ブーゲンビル島バインにて戦死

熊本県天草郡深海町出身 
二十七歳


お母上様、二十余年間何一つの孝行もできず随分と永らくお世話になりました。
もとより、この身は天皇陛下に捧げしもの
毛頭生還を期せず。

一義は笑つて如来様やお父上の浄土に参ります。
白木の箱が届いたら、良くやつたと褒めてやつて下さい。

村長様始め村の皆々様に厄介になつたと、呉れぐれも宜しく伝へてくださいませ。
お父上に別れ、又兄に別れる妹弟を立派に養育してやつて下さい。
ではお母上様、何卒老後は一層健康に注意されて随分と達者でお過ごしくださいませ。

さやうなら。
                                      
           一義
お母上様


・・・

『1月拝殿掲示』
       
  明治天皇御製
           新年祝      (明治45年)

     新年(にひどし)をいはふあしたはちはやふる
     神代にかへるここちこそすれ

 (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=3331

           <感謝合掌 令和5年1月7日 頓首再拝>
38:伝統 :

2023/01/08 (Sun) 18:26:23

父上様

陸軍兵長 福島 實 命 

昭和十九年一月十日
フィリピンにて戦死

佐賀県神埼郡東脊振村出身 
二十六歳


拝啓、その後父上他御一同様には、御変はりなく元気の事と思ひます。
實も相変はらず元気ですが、先日敗残兵の敵弾に右肩を見舞われ、
目下手厚く看護を受けてゐます。傷は浅く心配御無用です。

左は自分が作った詩です。
あまり良くできてゐませんが、御送り致します。
時候柄御自愛専一。
                        
                  敬具



父上様


武人は名を惜しむ 
咲いて大和の山桜 散って九段の宮柱

千代八千代 栄える大和仰ぎ見る 
君のめぐみのいとどたふとし

千代八千代 敵は幾万来たれども 
びくともしまじ大和魂

支那海の波路の上に父恋し


http://seirei.org/?p=719

           <感謝合掌 令和5年1月8日 頓首再拝>
39:伝統 :

2023/01/09 (Mon) 14:24:57


遺書

陸軍軍曹 本 多  正  命

昭和十九年二月二十四日
マーシャル諸島ブラウン島にて戦死

東京都新宿区牛込改代町出身 
二十四歳


妹へ

呉々も身体に注意して俺の分まで母さんに孝養を尽してくれ。

古来の日本婦人の如く、又、母さんの様に我を強く内に蔵して

しとやかな日本婦人になる様修養してくれ。

よき母こそ日本を実に興隆させる原動力になる事を自覚して。

言ふなかれ一髪のみと我が魂は

  七度生まれ祖國守らば

                         正

澄子殿

   ( http://seirei.org/?p=677 )

・・・

『1月拝殿掲示』
       
  上皇陛下御製

  「波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ」

            (歌い会始め「波」平成6年)

   (http://ginnews.whoselab.com/150110/tyasetsu.htm

           <感謝合掌 令和5年1月9日 頓首再拝>
40:伝統 :

2023/01/10 (Tue) 19:56:09


書き遺す事

陸軍上等兵 吉野浩藏命

昭和二十一年一月三十日
ソ連シベリヤセミノフカ地区
第十二収容所にて戦病死

新潟県柏崎市比角出身  
二十一歳


此の期に及んで何も書き遺す事も御座なく候へども、
此の世の名残に一筆書き残し候。

万一小生戦死の報行くも、小生は欣然(きんぜん)として国難に殉じ、
笑って帝国の礎石となり候間、決して嘆く間敷(まじく)候。

顧れば生を受けてより二十年、只御厄介になるのみにて、
何一つとして親孝行も致さず、今更ながら後悔の外無之(これなく)候。

然しながら忠孝一本とか君に忠なる事、即ち親に孝と存じ候。

我軍の戦況、愈々不利に相成候へども、
小兵等は日本の国民として情勢の如何に拘らず全力を尽して、
自己の任務に邁進すべきと存じ候。

夜青白き月光の木陰よりもるゝを見れば、
想ひは遠く故郷の空にはしり申し候。

小生の亡き後も皆様には、帝国軍人の遺族として見苦しき事のなきやう、
勝利の日迄仇敵米英の撃滅に邁進致され度候。
簡単乍(なが)ら右を以て遺書と致し候。
 
昭和二十年六月二十一日 十四時
      箇山(済南の南約十五里)にて
      雨の音を聞きつゝ
                          吉野浩藏

・・・

『1月拝殿掲示』

  御  製

       歌会始御題  風     (平成4年)

    白樺の堅きつぼみのそよ風に
    揺るるを見つつ新年(にひどし)思ふ

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=1843 )

           <感謝合掌 令和5年1月10日 頓首再拝>
41:伝統 :

2023/01/11 (Wed) 15:35:26


元気でやって参ります

海軍少尉  束原政春命

昭和二十年一月二十日
台湾南方洋上にて戦死

青森県青森市大字栄町出身
二十五歳


四年目の正月を遂に、内地で迎へる事が出来ました。
正月早々、某方面へ出撃、又一働きする機会に恵まれました。

元気でやって参ります。
家の方もみんな元気で、土産ばなしでも待ってゐなさい。
時々、亡き戦友の仏前へ参って下さい。

荷物は、鉄道便で不要の物全部送ります。
破れた靴下やシャツが入ってゐますから、修繕して使って下さい。
大したものはないですが、何かの足しになるでせう。

荷物の中に手入してないものや、洗濯してないものがある予定ですから、
よろしく御保存方御願ひします。

みんな体を大事に働き、勉強する事。
では、又便りします。

不 備
束原政春
  束原悦子殿

 酒の肴等送ってしまったのでしたら仕方ありませんが、
 未送付なれば送らずに下さい。

・・・

『1月拝殿掲示』

   御製

   歳旦祭         (平成17年)

    明け初むる賢所(かしこどころ)の庭の面(も)は
    雪積む中にかがり火赤し

  (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=1402 )

           <感謝合掌 令和5年1月11日 頓首再拝>
42:伝統 :

2023/01/12 (Thu) 12:50:51


雑煮も汗を出して腹一杯戴きました

陸軍伍長  松浦義一命

昭和十八年一月十日
ソロモン群島ガダルカナル島
タサワロングにて戦病死

愛知県東春日井郡小牧町出身
二十五歳


前略。
待ち遠しかった内地からの第一信の航空便、先月二十七日に受取りました。
余りの嬉しさに幾度もくも読み返しました。

実に、便り程いいものは有りません。
お手紙によって故郷の様子もよく分り大変喜んで居ります。
大分寒くなった様子ですね。
此方も先月は大分朝夕冷えましたが、一月になってからは寒い日はありません。

(中 略)

次に十六年の元旦は討伐中に迎へ、実に感慨無量なものがありました。
正月の三日間も実に愉快に送りました。
雑煮も汗を出して腹一杯戴きました。

兵舎の前の門松も実に堂々たるものです。
この門松の前で写真を撮って戴きましたから、
これも出来次第お送り致します。

次に同封の写真二枚は任地に到着間(ま)もなく撮って戴いたものです。
御笑納下さい。
それから、この外まだ色々の写真がありますが、これ等も追々御送り致します。
兎(と)に角(かく)、写真の通りの元気さですから御安心下さい。(後略)

一月四日

義 一
 父 上 様


 ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/6b4331095c6d5784b3ee0f010d286270 )

・・・

『1月拝殿掲示』

 皇后陛下御製

    歌会始御題      (平成19年)

   年ごとに月の在りどを確かむる
   歳旦祭(さいたんさい)に君を送りて

   (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=836 )


           <感謝合掌 令和5年1月12日 頓首再拝>
43:伝統 :

2023/01/13 (Fri) 15:19:08


遺書

陸軍伍長  清水誠藏命

昭和十八年一月十六日
ガダルカナル島セキロ河東方にて戦死

静岡県志太郡島田町出身  二十四歳


お母さん、最后の書をしたためます。
入営前及び入営后の今日に至るまで、何等孝行らしい事も出来得ず、
御世話になるばかりでした。

あの歴史的香港攻略戦には、途中矢つき病魔に倒れたは日本男子として、
又日本軍人として此の上もなきはづかしき事と、
病院の寝台の上にて涙にぬれて眠れない夜も数日続きました。

スマトラ攻略を終へ、将又香港の汚名をそそぐべき最后の御奉公する時節到来。
靖国神社にて対面出来る事も、遠からぬ事と思ひます。
何卒宜敷く御願ひ致します。

此れだけ書けばもう言ふ事はありません。
喜んで死んで行ったと、弟妹等にも言って下さい。

では、今度靖国神社にての再会楽しみに待って居ります。

誠 藏
母上様

  ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/9df3e90e3b3bca88d7b52be84a0d0232 )

・・・

 『1月拝殿掲示』
 明治天皇御製
    新年 (明治37年)

 朝づく日とよさかのぼる大空に
 のどかなる世の年たちにけり

  (http://sukurari1945.blog48.fc2.com/?mode=m&no=366 )


           <感謝合掌 令和5年1月13日 頓首再拝>
44:伝統 :

2023/01/14 (Sat) 13:51:25


僕は唱歌が下手でした

陸軍憲兵曹長 佐藤 源治命

昭和二十三年九月二十二日
ジャワ島バタビヤにて法務死

岩手県出身 三十二歳


一、僕は唱歌が下手でした
  通信簿の乙一つ
  いまいましさに人知れず
  お稽古すると母さんが
  やさしく教へてくれました

ニ、兄弟みんな下手でした
  僕も弟も妹も
  唱歌の時間は泣きながら
  歌へばみんなも先生も
  笑って「やめ」といひました

三、故郷を出てから十二年
  冷たい風の獄の窓
  虫の音聞いて月を見て
  母さん恋しと歌ったら
  みんなが泣いて聞きました

四、僕のこの歌聞いたなら
  母さんきっとうれしさに
  頬すり寄せて抱き寄せて
  「上手になった良い子だ」と
  ほめて下さることでせう

(昭和二十三年六月三日)

  (https://murauchi.info/weblog/2010/01/bokuha_shoukaga_hetadeshita.html )

           <感謝合掌 令和5年1月14日 頓首再拝>
45:伝統 :

2023/01/15 (Sun) 15:07:10


悠久の大義に生きたり

陸軍准尉 中山 義雄命

昭和二十一年一月十日
ソ連ハラグン収容所にて公務死

東京都港区芝西久保櫻川町出身 三十二歳


徒らに嘆くを止めよ。
吾笑ひて悠久の大義に生きたり。

児孫の養育及教育は妻たる然して母たる
御身の責務たり。吾が生前の言葉の如く、
立派なる御国の吾子の教育をせられたし。

男の子なれば、士官学校に入校せしむべく、教育せられたし。
女の子なれば結婚期に細かく心遣ひて、幸福なる家庭の主婦とすべし。

残せし資産は有効に使ひて、教育を怠ること勿(なか)れ。
父母の孝養は吾に代りて誠意之(これ)をなすべし。
資産の中、伍阡圓は父母様にお渡し申上ぐべし。

(中略)

吾子は吾と心得、亦お国の御宝と心得て
時に秋霜烈日、時に慈愛以て臨まれたし。
                      謹 言
昭和十九年八月二十三日
                  中 山 義 雄

 ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/824a0697f0e1c391368caacfb19709ba )


           <感謝合掌 令和5年1月15日 頓首再拝>
46:伝統 :

2023/01/16 (Mon) 14:47:48


出陣に際して

海軍大尉 塚本太郎命

昭和二十年一月二十一日
中部太平洋方面にて戦死

茨城県稲敷郡龍ヶ崎町出身 二十二歳


父よ、母よ、弟よ、妹よ、
そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。
本当にありがとう。
こんな我ままものを、よくもまあほんとうにありがとう。

僕はもっと、もっと、いつまでも皆と一緒に楽しく暮らしたいんだ。
愉快に勉強し皆にうんとご恩返しをしなければならないんだ。
春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ、夏は氏神様のお祭りだ。
神楽ばやしがあふれてる。

昔はなつかしいよ。
秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りにいったね。
あそこで、転んだのはだれだったかしら。

雪が降り出すとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。昔はなつかしいなあ。
こうやって皆と愉快にいつまでも暮らしたい。

喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって
――然しぼくはこんなにも幸福な家族の一員である前に日本人であることを
忘れてはならないと思うんだ。

日本人、日本人、自分の血の中には三千年の間、
受け継がれてきた先祖の息吹きが脈打ってるんだ。 

(中略)

至尊の御命令である日本人の血が湧く。永遠に栄あれ祖国日本。
みなさんさようなら――元気で征きます。

 昭和十八年十二月十日

  ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/816818164e40b3c38881e678ec196239 )

           <感謝合掌 令和5年1月16日 頓首再拝>
47:伝統 :

2023/01/17 (Tue) 15:06:26


「愛しきものへ」


陸軍中尉  山下 瀞 命(みこと)

昭和19年12月7日 
サイパン島にて戦死
静岡県出身  23歳



  父上母上様 

瀞は幸者でした 
喜んで笑って行きました 
最大の親孝行も致しました 
安心して行きました

専門教育迄受けさせて戴き我儘をやって来ました
故郷の山河、浜名の湖水に、遠州灘に、瀞の魂は幸福に寝っています。

姉様楽しき日を御祝致します

満雄、後は頼んだぞ 

士郎、俺の分まで孝行してくれ 

益雄、しっかり勉強して偉い人になれよ 

多可士、御母様の手伝をしなさいよ 

悟朗よ、益雄、多可士の面倒を見てやれよ

瀞は皆を何時もあの青空で見ていますよ

     一億の人に一億の母あれど  吾が母に優れる母あらめやも

御母様古賀幸子様に宜しく御伝へ下さい
                        では さやうなら

 ( https://blog.goo.ne.jp/goodtyan11221/e/a93a122e3601d550b550d628f1247c1f )

           <感謝合掌 令和5年1月17日 頓首再拝>

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