伝統板・第二 2556707

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法則としての《神》 ⑤

1:伝統 :

2022/07/24 (Sun) 04:55:47


二つの法則

      *「光明法語」(7月24日)より

人生には、精神の道と、肉体の道とが
互いに縄のように交わりながら進んでいる。

吾々は心の法則の中にも住んでいるし、
物質の法則の中にも住んでいるのである。

毒物(本来食物として創造(つく)られていない物の意であって、
それは他の用途に使えば毒物ではない。本来毒物は何もない)を
食すれば胃腸を害し消化力を減ずるのは
物質の法則によるのであるが、

心配したり、腹立ったり、不快な思いをしながら食べるとき
胃腸を害し、消化力がにぶるのは心の法則によるのである。

・・・

<参考>

(1)伝統板・第二「法則としての《神》①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6532750

(2)伝統板・第二「法則としての《神》②」からの継続です。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6957478

(3)伝統板・第二「法則としての《神》 ③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7708844

(4)伝統板・第二「法則としての《神》 ④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7973986

        <感謝合掌 令和4年7月24日 頓首再拝>
2:伝統 :

2022/07/26 (Tue) 05:07:14


       *「光明法語」(7月26日)より

神は決して「法則」と云うようなもので
自縄自縛されてい給うような方ではない。
その意味に於いて、神自身から言えば、「無法則」である。

しかし、神はその創造活動があらゆる方面において
調和し、秩序だっているから、それを人間の方から見ると、
神の創造は「法則」と云う「道」を通って行なわれるように見えるのである。

精神の法則も、物質の法則も
「一(ひとつ)」の神の調和した創造の二面であるから、
互いに調和しているのである。

不調和に見えるのは観察が足らなぬのである。

        <感謝合掌 令和4年7月26日 頓首再拝>
3:伝統 :

2022/07/27 (Wed) 05:04:23


       *「光明法語」(7月27日《行く処必ず安全》)より

爆弾に中(あた)っても死なないと云うのは神の法則の自己破壊であって、
そんな事が尊いのではない。

爆弾の中らぬような所へ、自然に、心の働きで、
自分の身体(からだ)が行っている事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

毒を飲んでも死なぬのではなく、毒など自然に飲まなくなる事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

天災地変や列(汽)車の顛覆が起こっても大丈夫と云うのではなく、
天災地変や列(汽)車の顛覆の所などへ立ち寄らぬ様になるのが
心の法則と物質の法則との調和である。

        <感謝合掌 令和4年7月27日 頓首再拝>
4:伝統 :

2022/08/07 (Sun) 07:20:19


        *「光明法語」(8月7日《神とは何ぞや》)より

物理学者や天文学者の研究が発見したところでは、
物理や天文の世界を支配しているのは数学的法則であって、
滅裂(めつれつ)出鱈目(でたらめ)のものではないと云う事である。

物質の世界や天体の世界が、法則なき雑然とした
滅多(めった)矢鱈(やたら)に成り立っているものならば、
それは偶然の出鱈目の産物だと言い得るであろうが、

数学的法則でそれが成り立っている事を知るならば
物質や天体を構造せしむるに到った力は余程数学的知性をもった
エネルギーだと言わねばならないのである。

叡智を有する不可思議力を神と言う。

        <感謝合掌 令和4年8月7日 頓首再拝>
5:伝統 :

2022/08/08 (Mon) 06:46:12


       *「光明法語」(8月8日)より

人間の頭脳が、自然を研究するに従ってそれを支配する法則が
段々徐々にわかれば、自然を構造したところの知性(神)は、
吾々人間の頭脳知よりも遥かに発達した知性であると言わなければならない。

「神」と言うと迷信くさく思う人があるが、
「法則」と言えば、科学者も信仰しているものである。

『甘露の法雨』には、神の事を「宇宙を貫く法則」と書かれている。

すべての事物は法則によって支配されている。

併し法則をば必ずしも「物質法則」に限る必要はない。

        <感謝合掌 令和4年8月8日 頓首再拝>
6:伝統 :

2022/08/14 (Sun) 12:23:16


       *「光明法語」(8月14日《物質科学の目的》)より

物質を研究する科学は、その研究が次第に深くなるに随って、
その奥に横たわる法則や秩序や、
智慧なしには構造することが出来ない微妙複雑なる構造に、
驚異の眼(まなこ)をみはるに到り、

此処についに、
物質の奥底にあって一切のものを構造する本源者「霊なる神」を
みとめずにはいられなくなるのである。


凡(およ)そ「法則」とは神が人間にわざと利用しやすきよう、
常に普遍妥当なる形においてあらわれたものであって、
結局「法則」を研究する科学は神を研究することになるのである。

        <感謝合掌 令和4年8月14日 頓首再拝>
7:伝統 :

2022/09/16 (Fri) 08:16:41


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月16日)より

宇宙には動かすべからざる法則が支配しているのである。
その法則は人間が作った法律のようにごまかしたり、くぐり抜けたりできぬものであり、
絶対に終始一貫かわらざるものであるのである。

もしこの宇宙の法則の一貫不動性というものがなかったならば、
太陽系統は成り立たず、人類の生活は成り立たないことになるのである。

終始一貫性はある意味では純潔の美徳であり、ある意味では誠実の美徳である。
宇宙は純潔と誠実との美徳によって支えられているというも過言ではないのである。

人間もこの宇宙に存在する以上、誠実と純潔との美徳なければ、
大宇宙の生活と波長が合わないのである。

人生に繁昌成功せんとするには純潔と誠実とが必要である。

             <感謝合掌 令和4年9月16日 頓首再拝>
8:伝統 :

2022/10/01 (Sat) 08:41:11


      *「光明道中記」(10月1日《必ず成功する日》)より  

【生命が主であって一切の形相は従である。(『生命の實相』第八巻)】


他に損失を与えて自分が肥え太るのは成功の捷径(ちかみち)のようであるが、
それは失敗の捷径であり、窮乏に陥る近道である。

投機によって成功せんとする者はその轍をまた踏むに過ぎない。
何故なら、投機に於ては、実質的に何物も生産しないのであるから、
利益を得た半面には必ず損をした者があるからである。

損をする者があることによって儲かる事のみ考える者は、必ず最後は損をする。
或は必ずその悪業の応報として最後が悪くなるものである。

日露戦争時の成金いずこにありや、第一次欧州大戦時の成金今いずこにありや。
若しありとすれば彼はただ他人の損によって自分が利益を得ること以外に、
何か人のために貢献したものに相違ないのである。

因果はめぐる、応報は昭々として晦ますことは出来ないものである。
血を吸うて肥える蚊は必ず蚊燻(いぶ)しの攻撃を受けなければならない。

(一)生かすために斬る破邪の剣は尊ばれる。
(二)自己を護るための剣は許される。
(三)併し他を犠牲にして自己を拡張するために剣をとる者は剣によって滅びる。

「剣」と言ったのは喩(たとえ)である。

一言一行悉くこの方面に漏れるものは一つもない。

           <感謝合掌 令和4年10月1日 頓首再拝>
9:伝統 :

2023/02/28 (Tue) 07:14:17


           *「光明法語」(2月29日)より

電気の働きによって、電燈を得、電熱を得るためには、
吾等は電気の法則に従わねばならぬ。

神の働きによって色々の功徳を得る為には、
吾々は神の法則に従わねばならぬ。

神の法則とは、『与える通り与えられる』と云うことである。

若し与えられなかったら祝すべきである。
それはなお天の倉に蓄えられて増殖しつつあるのだからである。
その報いが遅ければ遅いほどそれは複利計算で
神様から利子がつけられるであろう。

一方に与えて置いたら、軈(やが)て予想もしない他のところから
無限の供給がやって来ると云うことである。

         <感謝合掌 令和5年2月28日 頓首再拝>
10:伝統 :

2023/04/26 (Wed) 05:03:06


         *「光明法語」(4月26日)より

神は法則である。

『甘露の法雨』には「神は宇宙を貫く法則」であると書かれている。

法則は秩序である。
秩序性は一定の規則があると云うことである。

生命は一定の秩序あるところのみ出現し、
秩序が破るれば生命は姿を消すのである。

動物は本能によって其の秩序性を守って生活し、
人間は自主的統制によって其の秩序性を守って健康に生活する。

人間の自由とは無秩序のことではなく、
自由意志と自由選択とによる完全なる自己統制である。

孔子の所謂(いわゆ)る「心の趣く所に随って矩(のり)を超えず」である。

            <感謝合掌 令和5年4月26日 頓首再拝>
11:伝統 :

2023/04/28 (Fri) 05:02:35


     *「光明法語」(4月28日《信仰の本質は「知る」にある》)より

神に対する信仰を深めるためには、
神は法則であると云うことを先ず知ることである。

種子を植えるにしても、それが必ず生えるという信仰がないと
種子を途中で掘り返して結局芽が出ないであろう。

それと同じく、神を信ずると云うことは、
法則が先ず此の世界を支配していると云うことを「知り」、
法則にまかせると云うことである。

即ち「知り」て「まかせる」のが信仰であって、
信ずるとは「知らないから、出鱈目に信ずる」と云うような
アヤフヤなものではないのである。

信ずるとは「真に知る」ことである。

          <感謝合掌 令和5年4月28日 頓首再拝>
12:伝統 :

2023/04/30 (Sun) 04:50:50


        *「光明法語」(4月30日)より

種子(たね)を植えて恐怖なしに土地に委ねることが出来るのは、
法則が支配していることを知っているからである。
法則の支配を信じなければ恐怖するほかはない。

神は法則であり、蒔いた種子の通りの芽を出さしめるのであり、
例外なしにそうであるから吾々は恐れる必要がないのである。

罪人が蒔いても善人が蒔いても法則によれば同じ種子には同じ植物が生えるのであるから、
どんな罪人も、善き種子をこれから蒔けば善き植物が間違いなく生ずるのである。

何も恐るることはないのである。
神は法則であり偏頗(へんぱ)はない。

          <感謝合掌 令和5年4月30日 頓首再拝>
13:伝統 :

2023/07/22 (Sat) 08:44:05


      *「光明法語」より」

七月ニ十ニ日の法語 生長の家と科学

生長の家は科学を否定しない。
寧ろ精神と物質との間に科学的法則を見出す。
だから精神科学といわれる所以である。

今迄は物質と物質の間のみに法則を見出して、
精神と物質との間に相互の因果関係があると云う事を忘れていた。

物質の法則の上に精神の法則の優位があるのは、ただの物理化学的法則以上に
それに精神が働きかけた時、物質はただの物質ではなく肉体となり、霊妙なはたらきを
現し、自然の物理化学的変化以上を有意志の変化にかえて了(しま)うのである。

・・・

七月ニ十三日の法語 法則とは何ぞや

法則とは物理化学の法則でも、精神の法則でも、神のはたらきの「道」である。
かかる「道」を通って、霊が、生命が、はたらくのである。

霊が、生命が、創造力が、働くところの「道」「方法」を知らないときに
吾々は生命の創造力の「道」に邪魔物を、知らず識(し)らずに置くことになる。
そこに生命の創造力は閉ざされ、病気を生じ、不幸を生じ、禍を生ずることになる。

科学とはかくの如き「道」を発見して、生命の創造力を豊かにる流露(るろ)
せしめんがためのものである。

          <感謝合掌 令和5年7月22日 頓首再拝>
14:伝統 :

2023/07/23 (Sun) 05:04:17


       *光明法語(7月23日)より)

法則とは物理化学の法則でも、精神の法則でも、神のはたらきの「道」である。
かかる「道」を通って、霊が、生命が、はたらくのである。

霊が、生命が、創造力が、働くところの「道」「方法」を知らないときに
吾々は生命の創造力の「道」に邪魔物を、知らず識(し)らずに置くことになる。
そこに生命の創造力は閉ざされ、病気を生じ、不幸を生じ、禍を生ずることになる。

科学とはかくの如き「道」を発見して、生命の創造力を豊かにる流露(るろ)
せしめんがためのものである。

          <感謝合掌 令和5年7月23日 頓首再拝>
15:伝統 :

2023/07/24 (Mon) 05:03:14


      *「光明法語」(7月24日)より

人生には、精神の道と、肉体の道とが
互いに縄のように交わりながら進んでいる。

吾々は心の法則の中にも住んでいるし、
物質の法則の中にも住んでいるのである。

毒物(本来食物として創造(つく)られていない物の意であって、
それは他の用途に使えば毒物ではない。本来毒物は何もない)を
食すれば胃腸を害し消化力を減ずるのは
物質の法則によるのであるが、

心配したり、腹立ったり、不快な思いをしながら食べるとき
胃腸を害し、消化力がにぶるのは心の法則によるのである。

          <感謝合掌 令和5年7月24日 頓首再拝>
16:伝統 :

2023/07/26 (Wed) 05:01:48


       *「光明法語」(7月26日)より

神は決して「法則」と云うようなもので
自縄自縛されてい給うような方ではない。

その意味に於いて、神自身から言えば、「無法則」である。

しかし、神はその創造活動があらゆる方面において調和し、
秩序だっているから、

それを人間の方から見ると、
神の創造は「法則」と云う「道」を通って行なわれるように
見えるのである。

精神の法則も、物質の法則も
「一(ひとつ)」の神の調和した創造の二面であるから、
互いに調和しているのである。

不調和に見えるのは観察が足らなぬのである。

          <感謝合掌 令和5年7月26日 頓首再拝>
17:伝統 :

2023/07/27 (Thu) 05:07:11


     *「光明法語」(7月27日《行く処必ず安全》)より

爆弾に中(あた)っても死なないと云うのは神の法則の自己破壊であって、
そんな事が尊いのではない。

爆弾の中らぬような所へ、自然に、心の働きで、
自分の身体(からだ)が行っている事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

毒を飲んでも死なぬのではなく、毒など自然に飲まなくなる事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

天災地変や列(汽)車の顛覆が起こっても大丈夫と云うのではなく、
天災地変や列(汽)車の顛覆の所などへ立ち寄らぬ様になるのが
心の法則と物質の法則との調和である。

          <感謝合掌 令和5年7月27日 頓首再拝>
18:伝統 :

2023/08/08 (Tue) 06:53:02


       *「光明法語」(8月8日)より

人間の頭脳が、自然を研究するに従って
それを支配する法則が段々徐々にわかれば、
自然を構造したところの知性(神)は、
吾々人間の頭脳知よりも遥かに発達した知性であると
言わなければならない。

「神」と言うと迷信くさく思う人があるが、
「法則」と言えば、科学者も信仰しているものである。

『甘露の法雨』には、神の事を「宇宙を貫く法則」と書かれている。

すべての事物は法則によって支配されている。

併し法則をば必ずしも「物質法則」に限る必要はない。

            <感謝合掌 令和5年8月8日 頓首再拝>
19:伝統 :

2023/08/14 (Mon) 04:50:43


       *「光明法語」(8月14日《物質科学の目的》)より

物質を研究する科学は、その研究が次第に深くなるに随って、
その奥に横たわる法則や秩序や、
智慧なしには構造することが出来ない微妙複雑なる構造に、
驚異の眼(まなこ)をみはるに到り、

此処についに、
物質の奥底にあって一切のものを構造する本源者「霊なる神」を
みとめずにはいられなくなるのである。


凡(およ)そ「法則」とは神が人間にわざと利用しやすきよう、
常に普遍妥当なる形においてあらわれたものであって、
結局「法則」を研究する科学は神を研究することになるのである。

        <感謝合掌 令和5年8月14日 頓首再拝>
20:伝統 :

2023/09/16 (Sat) 12:35:14


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月16日)より

宇宙には動かすべからざる法則が支配しているのである。

その法則は人間が作った法律のようにごまかしたり、
くぐり抜けたりできぬものであり、
絶対に終始一貫かわらざるものであるのである。

もしこの宇宙の法則の一貫不動性というものがなかったならば、
太陽系統は成り立たず、人類の生活は成り立たないことになるのである。


終始一貫性はある意味では純潔の美徳であり、
ある意味では誠実の美徳である。

宇宙は純潔と誠実との美徳によって支えられている
というも過言ではないのである。

人間もこの宇宙に存在する以上、誠実と純潔との美徳なければ、
大宇宙の生活と波長が合わないのである。

人生に繁昌成功せんとするには純潔と誠実とが必要である。

          <感謝合掌 令和5年9月16日 頓首再拝>
21:伝統 :

2023/09/17 (Sun) 12:57:13


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月17日)より

宇宙の終始一貫せる法則の中には、因果応報の法則がある。
原因あれば必ず結果があるという法則である。

いかに狡猾に原因だけを造っておいて、結果だけをのがれようと試みても、
結果は早いか遅いか、あるいは他の形態をもってするか、
いずれにせよその人に報いてくるのである。

イエスが5つのパンと小さき肴(さかな)2つを5千人に分け与えて
なお12の籃(かご)にパンの余りが残っていたという奇跡が行なわれたときに、
なぜそのような奇跡があらわれたのであろうか。

それは愛のゆえに分け与えたこと、
そして「廃(すた)るものなきよう擘(さ)きたる余りを集めよ」
というイエスの教えを実行したからである。

無限供給を念じさえするならば、物の余りを粗末にしてもさしつかえない
と思うのはまちがいである。

             <感謝合掌 令和5年9月17日 頓首再拝>
22:伝統 :

2023/10/01 (Sun) 10:01:02


      *「光明道中記」(10月1日《必ず成功する日》)より  

【生命が主であって一切の形相は従である。(『生命の實相』第八巻)】


他に損失を与えて自分が肥え太るのは成功の捷径(ちかみち)のようであるが、
それは失敗の捷径であり、窮乏に陥る近道である。

投機によって成功せんとする者はその轍をまた踏むに過ぎない。
何故なら、投機に於ては、実質的に何物も生産しないのであるから、
利益を得た半面には必ず損をした者があるからである。

損をする者があることによって儲かる事のみ考える者は、必ず最後は損をする。
或は必ずその悪業の応報として最後が悪くなるものである。

日露戦争時の成金いずこにありや、第一次欧州大戦時の成金今いずこにありや。
若しありとすれば彼はただ他人の損によって自分が利益を得ること以外に、
何か人のために貢献したものに相違ないのである。

因果はめぐる、応報は昭々として晦ますことは出来ないものである。
血を吸うて肥える蚊は必ず蚊燻(いぶ)しの攻撃を受けなければならない。

(一)生かすために斬る破邪の剣は尊ばれる。
(二)自己を護るための剣は許される。
(三)併し他を犠牲にして自己を拡張するために剣をとる者は剣によって滅びる。

「剣」と言ったのは喩(たとえ)である。

一言一行悉くこの方面に漏れるものは一つもない。

           <感謝合掌 令和5年10月1日 頓首再拝>
23:伝統 :

2023/10/28 (Sat) 10:51:02


       *「光明法語(10月28日《神罰ではない》)」より

病気をした為に神を知ったと言い、
災難を受けたために神信心をするようになった。
これは神の導きであったと言う人がある。

これは摂理であり、「理」であり、
神が自由意志をもって、導かんがために、
病気や不幸を課したのではない。

「理」にしたがって、心の通りの姿が、
肉体や境遇に反映してあらわれるのである。

眼をとじていれば暗いが、その暗いのは「理」に従って暗いのであって、
神罰によって暗いのではない。

暗くて頭を打つのも「理」にしたがって頭を打つのであって神罰ではない。

           <感謝合掌 令和5年10月28日 頓首再拝>
24:伝統 :

2023/10/29 (Sun) 10:50:39


          *「光明法語(10月29日)」より

「理」はどこから来たかと言うと、神から来たとも言える。
しかしそれは神罰と云うものを課するために神がつくったものではなく、
むしろ神御自身が人間によって利用できるように
「一定不変」の形になってあらわれ給うたものである。

自然界の法則も同じである。
神は「自由の本体」であるから変幻自在である。
しかし「変幻自在」では人間は神を利用することが出来ないのである。

それで神は一定不変の法則となり、一方では「科学の法則」となり、
一方では「心の法則」となってあらわれたのである。

           <感謝合掌 令和5年10月29日 頓首再拝>
25:伝統 :

2023/10/30 (Mon) 09:12:21


          *「光明法語(10月30日)」より

高圧電線に触れて傷つくのも、機械の歯輪(はぐるま)にはさまれて傷つくのも、
食い過ぎて胃を悪くするのも、「科学の法則」にふれたからである。

腹が立ったり、悲しんだり、取越苦労をして
病気になるのは「心の法則」にふれたからである。

食いすぎて胃病になっても別にそれは神が罰を当てたのではない。
それは「理」によってなっているのであって、「理」に逆らったからに過ぎない。

省みて「理」に順応して、高圧電線にふれる時にゴムの手袋をはめ、
歯輪(はぐるま)の間に手を入れず、食べすぎねば傷つくことはない。

           <感謝合掌 令和5年10月30日 頓首再拝>
26:伝統 :

2024/01/17 (Wed) 10:50:32

「万有引力の法則」と「因果の法則」
伊勢ー白山 道(2024-01-16 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/5204037dcb6206668ae9f394084077fd

           <感謝合掌 令和6年1月17日 頓首再拝>
27:伝統 :

2024/02/29 (Thu) 10:53:35

           *「光明法語」(2月29日)より

電気の働きによって、電燈を得、電熱を得るためには、
吾等は電気の法則に従わねばならぬ。

神の働きによって色々の功徳を得る為には、
吾々は神の法則に従わねばならぬ。

神の法則とは、『与える通り与えられる』と云うことである。

若し与えられなかったら祝すべきである。
それはなお天の倉に蓄えられて増殖しつつあるのだからである。
その報いが遅ければ遅いほどそれは複利計算で
神様から利子がつけられるであろう。

一方に与えて置いたら、軈(やが)て予想もしない他のところから
無限の供給がやって来ると云うことである。

            <感謝合掌 令和6年2月29日 頓首再拝>
28:伝統 :

2024/04/25 (Thu) 10:19:01

宇宙に存在する12の法則!!
Naokiman Show( 2020/04/18 )
https://www.youtube.com/watch?v=C2bTIIRO8Cc


宇宙に存在する12の法則は、8分頃から

(1)ワンネスの法則
(2)振動の法則
(3)行動の法則

(4)呼応の法則
(5)原因と結果の法則
(6)補償の法則

(7)引き寄せの法則
(8)エネルギーは変化し続けるの法則
(9)相対性の法則

(10)二元性の法則
(11)リズムの法則
(12)陰陽の法則

       <感謝合掌 令和6年4月25日 頓首再拝>

29:伝統 :

2024/04/26 (Fri) 09:32:21


        *「光明法語」(4月26日)より

神は法則である。
『甘露の法雨』には「神は宇宙を貫く法則」であると書かれている。

法則は秩序である。秩序性は一定の規則があると云うことである。
生命は一定の秩序あるところのみ出現し、秩序が破るれば生命は姿を消すのである。

動物は本能によって其の秩序性を守って生活し、
人間は自主的統制によって其の秩序性を守って健康に生活する。

人間の自由とは無秩序のことではなく、
自由意志と自由選択とによる完全なる自己統制である。

孔子の所謂(いわゆ)る「心の趣く所に随って矩(のり)を超えず」である。

       <感謝合掌 令和6年4月26日 頓首再拝>
30:伝統 :

2024/04/30 (Tue) 11:46:04


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月30日)」より

ああ驚嘆すべきかな、自然の過程が驚くべき数学的精確さを保てることよ。

あらゆるエネルギーの法則、エネルギーの交換、化学的結合分解ことごとく
一定の法則に支配されている。

これを見るも、この世界が単なる精神なき物質の集合だとどうしていえよう。
なぜこの世界の一切の事物が数学的正確なる法則に支配されているのだろうか。

それは物質はいわゆる「物質」にあらず「理念」の表現であるからである。
「物質なし」とは常識的捉われの物質観を破摧して、
一挙に背後の理念を掴ましめんがための喝であったのである。

ここにおいて「一切の《もの》に和解せよ」「一切の《もの》に感謝せよ」の教えが
生きてくるのである。

            <感謝合掌 令和6年4月30日 頓首再拝>

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