伝統板・第二 2552108

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あなたはいつも健康である ⑤

1:伝統 :

2022/07/17 (Sun) 07:02:33


《常に健康を思え》

       *「眞理」第2巻基礎篇第9章(P251~252)より

心に常に思っていることがあらわれるのが「心の法則」である。

病気の癒(い)えない人は病気を常に気にしている人である。

病気が癒えるためには病気を気にする心を捨て、
「既に健康である」と云うことを
常に思うようにしなければならないのである。

現に病気をしていながら「既に健康である」
と思うには如何にすべきであるか。

それは「人間は神の子、はじめから健康なのだ。病気とはウソなのだ」と、
現象の被覆(ひふく)を超えて、その奥にある実相をみつめるようにするが
最もよい方法である。

それには『生命の實相』の如き霊感と論理の書を読んで、
現象の奥に完全なる実相があることを悟るのも一方法であるが、
神想観の如き瞑想法を行って、「完全に健康なる自己の実相」を心に描いて
それを心で見詰めるのもよい方法である。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「あなたは常に健康である (3205)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=626

(2)伝統板・第二「あなたはいつも健康である①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6853324

(3)伝統板・第二「あなたはいつも健康である②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7654851

(4)伝統板・第二「あなたはいつも健康である③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7836726

(5)伝統板・第二「あなたはいつも健康である ④」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8005480

            <感謝合掌 令和4年7月17日 頓首再拝>
2:伝統 :

2022/07/21 (Thu) 09:05:57


        *「眞理」第2巻基礎篇第9章(P256~257)より

完全なる健康は、凡(およ)そ生ある者の正常なる現象であります。
生命(せいめい)は神より来(きた)り、神は完全であるからであります。

神の完全なる生命(せいめい)が機会毎にそれの表現をもとめて
現象化しつつあるのが生物でありますから
一切の生物は本来健康なのが本当の相(すがた)であります。

それなのに何故(なぜ)不完全な病的現象があらわれるかと云えば、
自己の神性をみとめず、従ってまた他(た)の神性をもみとめず、
互いに侵(おか)し合おうとするからであります。

この世界は、絶対に侵(おか)し合いの世界ではない。
助け合いの世界なのです。

これが実(じつ)の相(すがた)なのです。

それにも拘(かかわ)らず、それを信ぜず、侵し合いが実相だと信じますから、
完全な実相の上に、信念の投影としての侵し合いの相(すがた)があらわれ、
黴菌やその他(た)のものに侵されたる如き状態をあらわすのであります。

その証拠にひとたび侵し合う心を捨て、
恐怖を捨て絶対感謝の生活に入(はい)るとき、
黴菌に侵されたと見える如き病気も消滅するのであります。

            <感謝合掌 令和4年7月21日 頓首再拝>
3:伝統 :

2022/07/27 (Wed) 10:26:34


       *『 生長の家 』(昭和24年3月10日の法語)より

   吾々の肉体は
   吾々の生命力の貯水池のようなものである。

   吾々の生命力は
   肉体の中に仮りに体力として貯えられて
   各方面の用に使われるのである。

   もしこの活力の貯水槽に漏れがあったならば、
   常に吾らの活力は
   最高度の水準に保たれることはできないのである。

   もし貯蓄しておいた銀行が
   破産してしまうと云うようなことがあるならば、
   その貯金は使えないように、

   吾々の肉体に預けてある所の活力が、
   何らかの 「 漏(も)れ 」 によって、
   何時(いつ)の間(ま)にかなくなってしまっていると云うことが
   あってはならないのである。

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ebd6d39a4ba597c90a3de1f23b6b5a38

            <感謝合掌 令和4年7月27日 頓首再拝>
4:伝統 :

2022/07/29 (Fri) 07:53:12


体は神殿/神殿を愛すると健康に美しくなります
kokoro century2(2022/04/22)
https://www.youtube.com/watch?v=OXMH5lYxJzw


<参照>
あなたの体は神殿です
https://ameblo.jp/yuru-home/entry-12718883190.html

           <感謝合掌 令和4年7月29日 頓首再拝>
5:伝統 :

2022/08/07 (Sun) 11:43:24


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月7日)より

健康を破壊してどうしても快復し難いのは、
その人が「自分は健康を損なった」という観念にしがみついているからである。

いろいろの療法や、思念や、聖典読誦が功を奏さないのは、
一方に「自分は病気だから、こうして治そう」というように、
「自分は病気だから」の観念に固くしがみついて、
それと相撲をとっているからである。

「病気はない」は真理であり実相であるから、
その健康なる実相を招(よ)び出そうとしながら、
「自分は病気だから」という考えの上にいつまでも足踏みしているようなことでは
「病気はない」の観念を招(よ)び出すことはできないのである。

「自分は病気だから」の観念を抛擲(ほうてき)して、端的に、
「自分は健康だ」の観念に置き換えたらその病気は癒えるのである。

ではその方法はいかん?

それは、すでに自分は健康である、
完全に創造されているとの前提の下に神に感謝するのである。
合掌神想観をなして、次の如く神に感謝すべきである。

「神はすべてのすべてであり、完(まつた)き生命(いのち)であり、
 完(まつた)き叡智(みちえ)であり、完(まつた)き聖愛(みあい)である。

 すべてのもののうちに神の生命(いのち)は生き、神の叡智(みちえ)は充ち、
 神の聖愛(みあい)は満ちている。

 その例に漏れず自分のうちにも神の完(まつた)き生命(いのち)、
 完(まつた)き叡智(みちえ)、完(まつた)き聖愛(みあい)は充ち、
 それによって自分は完全に健康に生かされているのである。

 自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。

 自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。・・・」

こう、現に今健康で”ある”ところの思いに浸りきって、如実にそれを実感して
本当に感謝の言葉を述べることは、「自分は今病気だから、治すために・・・」
などという考えを一転せしめる力がある。

最後の「今まったく完全に健康に生かされている、ありがとうございます」
の言葉をできるだけ実感せまる調子で、心のうちに幾回でも、
その実感が徹底するまで繰り返すがよいのである。

      <感謝合掌 令和4年8月7日 頓首再拝>
6:伝統 :

2022/08/27 (Sat) 06:45:33


       *「光明法語」(8月27日)より

人間が健康になるには喜んで働く事である。

「自分の活動を正確に目的の方向に向ける時
 吾々の心理的・生理的機能は、最も完全に調和を来たすのである」
とアレキシス・カレル博士も言っている。

又博士は
「精神活動の統一は、
 内臓や神経機能のより以上の調和を齎(もたら)すものである」
とも言う。

病床にいて仕事もなく、あれを考え、これを憂え、
精神活動に何の統一も集中も無なくただ病気の悪くなる事のみを
心に描いて心配している様な生活が病気に悪いのは勿論である。

      <感謝合掌 令和4年8月27日 頓首再拝>
7:伝統 :

2022/09/11 (Sun) 07:55:10


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.09.07)より

   (慶応義塾大学医学部教授、伊藤裕(ひろし)氏の心に響く言葉より…)

   「ほっこり」という言葉、 どんな時に使いますか。

   なんとなく心地よかったり、なごんだり、ホッとしたりするときに、
   ふと、口に出るのではないでしょうか。

   実は、この「ほっこり」こそが、医学的にも、
   人間にとって、大切な体と心の状態であり、幸せの源泉なのです。


   老若男女、職業や住んでいるところを問わず、
   このせわしない現代を生きるすべての方に、
   ほっこりの大切さをお伝えしたくて、この本をつくりました。

   日々の生活のなかで、なんとなく閉塞感や
   圧迫感を感じている人が多いといいます。

   先のことを考えて不安になったり、
   いろいろ思いわずらって気持ちが重くなっ たり......。


   よくいう、「自分らしく生きる」「自分の個性を大事にする」というのも、
   ほんとうはとても疲れることです。

   いまは、SNSの広がりで、
   常に「自分」というものを発信し続けないといけない社会になっています。


   常に誰かに見られているような感覚があり、
   個性的に生きないといけない、際立っていないといけないと、いわば、
   ガラス張りのショーウインドーに立って、

   「自分がどう見られるのか」ということを
   意識しているような状態になっているのです。

   常に自分を厳しく見つめる、「もう一人の自分」がいる。

   意識が敏感に、過剰になっているのです。


   頭で考えた自分の理想像や、
   「こうあるべき」というのは、頭で考えた世界で、
   その理想に合わせた生活をしないといけない、というのは、
   無理があるのだと思います。

   「自分らしく」生きなくたっていい。
   かっこよくなくていい。

   ただ生きていたらそれでいい。

   そう思えたら、とても楽になれるのではないでしょうか。


   たとえば、あなたが、のどが渇いて、
   目の前のペットボトルに手を伸ばし、口につけて飲んだとします。

   脳が渇きを感じて、ペットボトルを取るように
   体に指示を出し、結果、体を動かし、飲んだ――
   そう思っている人が多いと思います。

   ところが、最近の脳科学の研究によって、
   体が動いてから、ほんの少し後で、脳が「のどがかわいた」という意識を覚える、
   いわば「後付けで」感じているということが分かってきました。


   つまり、
   わたしたちが脳で何かしようと決めてから、脳が体に指示を出すのではなく、

   体が先に動いて、少し後で脳がそれを「追認」しているのです。

   わたしたちは、自分では、自分がいろいろなことを考えたり計画をしたりして、
   行動していると思っていますが、
  
   実際には、頭で考えてから行動するようなことは、
   わたしたちが生命としていとなんでいる行動のうち、
   ごくごく一部にすぎません。

   体が感じとったものが
   無意識のうちに行動をうながし、
   脳も同調する......それが自然なことなのです。


   動物たちは、自分の行動を言葉で理解しているわけではないですけれども、
   流れるように行動して生きています。

   本当はわたしたち人間にも、本来、体で感じたことが素直に脳に伝わって、
   自然に体がうまく動いていくというシステムが備わっているのです。

   体は常に「よくなろう」「良い状態を続けよう」として、
   呼吸をし、血液が流れ、消化をし、排せつをしているのです。


   もしも幸せになりたい、健康でいたいと思っているなら、
 
   まずは、ザワザワする心、考えすぎる脳を休めて、静かに体の声を聴くことです。

   体に良いことをしているときに、
   それを脳が「快感」「幸せ」と感じるようにできているのです。

   「ああ、ほっこりする」 と感じるとき、
   体には良いエネルギーが満ちあふれています。

            <『ほっこり』クロスメディア・パブリッシング>

         ・・・

伊藤裕(ひろし)氏は、私たちの脳はオーバーワークになっている、という。

だから、「ほっこり」に必要なのは、脳を休めること。

そして、五感を取り戻すために必要なメソッドを実行すること。


それはたとえば…

◆ゆっくり入浴し、「フーっ」と深呼吸すること

◆コーヒー、お茶など温かい飲み物を、湯気を感じゆっくり味わうこと

◆体を動かして、疲れてみること
 (パソコンやスマホだけで頭だけ疲れている状況をなくす)

◆美術館などできれいな色のものを見ること

◆素手や裸足で土に触れること

◆伝統音楽や風鈴など、アコースティックな音を聴くこと



わたしたちは、脳で何かしようと決めてから、脳が体に指示を出すのではなく、
体が先に動いて、少し後で脳がそれを「追認」しているのだという。

だからこそ、感性を取り戻し、五感で感じることが必要となる。

五感が戻ってくると、「ほっこり」という感覚も戻ってくる。


ときには、脳を休め、「ほっこり」を取り戻したい。

      <感謝合掌 令和4年9月11日 頓首再拝>
8:伝統 :

2022/10/02 (Sun) 07:05:24


        *「光明法語(10月2日)」より

各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき
人体の健康は最も完全に実現するのである。

完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。
人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、
人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、
心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。
汝ら互いに調和せよ。

       <感謝合掌 令和4年10月2日 頓首再拝>
9:伝統 :

2022/10/03 (Mon) 04:53:26


        *「光明法語」(10月3日《物質の自覚》)より

完全なる健康の裏には「完全」なる調和の念がなければならないのである。

先ず肉体は「物質」であるとの念を捨てよ。

物質は結局バラバラのものであって互いに漠然とした一体の自覚なきものであるから、
吾々の肉体が物質で出来ているものだとの考えが吾々の心を占めている限り、
自己の肉体はバラバラのものであると云う念を抱いていることになるから、
その念があらわれて完全なる健康は得がたい。

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれるのである。

       <感謝合掌 令和4年10月3日 頓首再拝>
10:伝統 :

2022/10/04 (Tue) 06:33:21


        *「光明法語(10月4日《肉体健康の秘訣》)」より

肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。
肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。
肉体を「霊の完全なる表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。

肉体を醜いものと考えてはならないし、
それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。

常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。
而(しか)して病気を見る勿(なか)れ、病気を想念する勿れ。

       <感謝合掌 令和4年10月4日 頓首再拝>
11:伝統 :

2022/10/05 (Wed) 07:19:18


        *「光明法語(10月5日)」より

健康美の発現を悦べ。

それが体操であれ、スポーツであれ、舞踊であれ、
健康美の表現されているものを素直に悦ぶ心がなければ、
ただの健康は得られても健康美ある肉体の美しさは得られないのである。

何でも愉快に体操でもスポーツでも舞踊でも、
健康の美の発現を実際に喜んで実践するとき健康美はあらわれる。

何でもそれを讃えてやり賞(ほ)めてやり喜んでやったならば、
それは益々発達しその完全なる姿を現すのだ。


肉体美もその通りである。
肉体を軽蔑してはならぬ。

       <感謝合掌 令和4年10月5日 頓首再拝>
12:伝統 :

2022/10/06 (Thu) 06:49:44


      *「光明法語(10月6日《肉体を憎む勿れ》)」より

肉体を憎む者は、その肉体が虚弱となるであろう。

聖フランシスは其の著しい実例である。
彼は常に虚弱であったし、その最後には聖痕(せいこん)と称する十字架に釘づけられ、
槍でつかれた通りの傷さえも其の肉体に生じたのである。

聖フランシス程でなくても肉体を憎む者は肉体が喜ばないから、
其の最高の完全さを発揮する事は出来ない。

肉体を愛しなければならぬ。
しかし、肉体を物質として愛する者は肉体をやはり軽蔑する者だ。
肉体を霊として、霊の最高顕現として愛せよ。

       <感謝合掌 令和4年10月6日 頓首再拝>
13:伝統 :

2022/11/01 (Tue) 08:40:21


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、
「当に有るべからざるもの」すなわち「不当有(ふとうう)」であるから、
不当有(ふとうう=まちがい)の上に物を建てたものは、
いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、
神に対する背反である。

神は「生命(せいめい)」であるから、
「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」に背反している
のであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち
「生命(せいめい)」に背反している限り、
すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和4年11月1日 頓首再拝>
14:伝統 :

2022/11/12 (Sat) 07:03:58


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和4年11月12日 頓首再拝>
15:伝統 :

2022/12/19 (Mon) 09:06:15


   *「光明道中記」(12月19日《妄執を斬る日》)より抜粋

【妻の非難の念波は良人(おっと)の心を淋しくする。また良人を病気にする。
                       (『生命の實相』第六巻)】

人間は健康なのが自然であって、不健康なのが不自然なのである。
そうすると不健康とは不自然な生活が起ったと云うことである。

不自然な生活の中には、
憤(いか)りに耽(ふけ)ること、
人を怨み憎むこと、

悲しむこと、
陰気に沈むこと、
笑わぬこと、

いつまでも同じ感情に沈むこと、

仕事をせぬこと、
上に仕えて素直でないこと、
兄弟仲よかざること、

人をゆるさぬこと、
嫉妬心を起すこと、
あせり急ぐこと、・・・等々の心持である。

            <感謝合掌 令和4年12月19日 頓首再拝> 
16:伝統 :

2023/02/02 (Thu) 04:59:50


           *「光明道中記」(2月2日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。
 どんな粗食でも最上の栄養に変わる(『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、自殺して死んだ医学博士で
羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。
その人が若返り法の本を書いたことがある。
その本の中に肥えたい人の食事法と、痩せたい人の食事法とが
書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、
低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。

そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。
腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、
天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を貼り附けて置いて、
食事をしながら、天井を仰ぎ見て、
「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、粗食からでも
豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために他の内臓の能力(キャパシテー)と
平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には
筋肉の増大は返って負担となる。

          <感謝合掌 令和5年2月2日 頓首再拝>
17:伝統 :

2023/03/21 (Tue) 05:09:01


           *「光明法語」(3月21日)より

人間を物質だと思っている
 ―― その信念の程度に随って人間は物質の法則に支配され易くなり、
物質と同様に疲労と老衰と病気とに曝(さら)されるのである。

物質は大生命より発した波動のうちで最も粗雑低級な波動であるから、
霊の無限、無消耗性をあらわすことは出来ないのである。

人間を物質だと観ずる念波は、
自分の生命にこの無雑低級な消耗性を引寄せることになるから、
自分自身を消耗性の姿をあらわすことになり、
それだけ自分自身を不健康にあらわすことになるのである。

          <感謝合掌 令和5年3月21日 頓首再拝>
18:伝統 :

2023/04/16 (Sun) 07:25:23


           *「光明道中記」(4月16日)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

          <感謝合掌 令和5年4月16日 頓首再拝>
19:伝統 :

2023/04/19 (Wed) 05:04:56


           *「光明道中記」(4月19日)より
             ~相倶(あいとも)に扶(たす)くる日

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。     (『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

          <感謝合掌 令和5年4月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2023/08/07 (Mon) 05:01:23


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月7日)より

健康を破壊してどうしても快復し難いのは、
その人が「自分は健康を損なった」という観念に
しがみついているからである。

いろいろの療法や、思念や、聖典読誦が功を奏さないのは、
一方に「自分は病気だから、こうして治そう」というように、
「自分は病気だから」の観念に固くしがみついて、
それと相撲をとっているからである。

「病気はない」は真理であり実相であるから、
その健康なる実相を招(よ)び出そうとしながら、
「自分は病気だから」という考えの上にいつまでも
足踏みしているようなことでは
「病気はない」の観念を招(よ)び出すことはできないのである。

「自分は病気だから」の観念を抛擲(ほうてき)して、端的に、
「自分は健康だ」の観念に置き換えたらその病気は癒えるのである。

ではその方法はいかん?

それは、すでに自分は健康である、
完全に創造されているとの前提の下に神に感謝するのである。

合掌神想観をなして、次の如く神に感謝すべきである。

「神はすべてのすべてであり、完(まつた)き生命(いのち)であり、
 完(まつた)き叡智(みちえ)であり、完(まつた)き聖愛(みあい)である。

 すべてのもののうちに神の生命(いのち)は生き、神の叡智(みちえ)は充ち、
 神の聖愛(みあい)は満ちている。

 その例に漏れず自分のうちにも神の完(まつた)き生命(いのち)、
 完(まつた)き叡智(みちえ)、完(まつた)き聖愛(みあい)は充ち、
 それによって自分は完全に健康に生かされているのである。

 自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。

 自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。・・・」

こう、現に今健康で”ある”ところの思いに浸りきって、如実にそれを実感して
本当に感謝の言葉を述べることは、「自分は今病気だから、治すために・・・」
などという考えを一転せしめる力がある。

最後の

「今まったく完全に健康に生かされている、ありがとうございます」

の言葉をできるだけ実感せまる調子で、心のうちに幾回でも、
その実感が徹底するまで繰り返すがよいのである。

            <感謝合掌 令和5年8月7日 頓首再拝>
21:伝統 :

2023/08/19 (Sat) 15:06:18

薬で病気になる理由
Web:note中村 篤史/ナカムラクリニック(2023年8月17日)
https://note.com/nakamuraclinic/n/n5a462aa7787e?magazine_key=m76003541a54a

            <感謝合掌 令和5年8月19日 頓首再拝>
22:伝統 :

2023/09/02 (Sat) 11:41:00


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.5.10)より

   (植西聰(あきら)氏の心に響く言葉より…)

   大慌ての毎日では、
   人生はあっという間に過ぎ去ってしまいます。

   ときどきは生きるペースをリセットする機会が必要です。


   中国の思想書である『菜根譚(さいこんたん)』には
   次のような言葉があります。

   「時間の流れは、本来は、とてもゆったりとしている。
    しかし、大慌てをして先を急ぐ人たちが、
    時間の流れを速めてしまうのだ(意訳)」


   この『菜根譚』という書物が書かれたのは、今から
   400~500年ほど前のことです。

   「ああ、忙しい。やることが山積みだ」

   「時間がない。急がなければ」

   こうした思いに背中を押され、お尻を叩かれて、
   バタバタとあわただしい時間を過ごしている人が、
   すでにその当時にもたくさんいたのです。


   現代社会では、当時とは比べようもない多くの人が、
   このような思いをしていることでしょう。

   しかし「大慌てをして先を急ぐ生活」を
   毎日のように送っていると、だんだんと心がすり切れていきます。

   ストレスから、心がボロボロになっていくのです。


   ときには「ゆったりとしている、本来の時間の流れ」を
   実感できるような機会 を持つことは、
   心をすり切れさせない秘訣なのです。

   自然が豊かな地方などへ旅行をして、のんびりとくつろいでいると
   「時間の流れが、ゆったりしているなあ」
   と実感できるものです。

   ゆったりとした時間の流れを感じ、
   速めてしまっていた自分の生きるペースをリセットするのです。

   時間に追われる日常を過ごしている人ほど、
   こうした機会を持つことを大切にしなければいけません。


   《速すぎる時間の流れをリセットしてみる》

       <『心の乱れを整える9つの習慣』永岡書店 >

      ・・・


順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏は
「健康法」についてこう語っている。


『もし誰かに「究極の健康法を教えてください」
 と言われたら、「ゆっくり生きること」と私は即座に答えます。


 「ゆっくり生きる」という言葉には
 「健康のすべて」が集約されていると考えられるからです。

 私たちの体の調子を支配しているのは自律神経。

 心臓や胃腸を動かしたり、血液をつくり、血管の収縮を管理するなど
 「自分では意識して動かせない部分」の
 すべてを担っているのが自律神経です。

 この自律神経が乱れると、
 体の調子が悪くなり、果ては病気になってしまう。

 残念ながら、多くの人が送っている
 「忙しく、落ち着かない日常」は、
 自律神経がもっとも乱れやすいライフスタイル。

 心臓や胃腸の働きが悪くなり、
 血液の質が下がり、血流も悪くなります。

 その結果、心臓や脳の疾患、
 血管系の病気、胃腸のトラブルなどを
 起こしやすくなってしまうのです。』

   (ゆっくり生きれば遠くまでいける/大和書房)より



「ゆっくり歩く」「ゆっくり話す」
「ゆっくりとした動作」「ゆっくり食べる」…

すべての日常のテンポを「ゆっくり」行うようにしてみる。


そして、呼吸もゆっくりとする。

長生きは、
「長息(ながいき)」だと言われる。

長く深く鼻から息を吸い、
長く深く口から息を吐く。

ヨガや禅で行われる
腹式呼吸の呼吸法だ。

呼吸が速くなれば、呼吸も浅くなる。

呼吸が浅くなれば、血流が悪くなる。


本当は、人生は「ゆったり」と流れている。

勝手にあくせくと生きているのは我々だ。


ゆったりと生きることができる人でありたい。

      <感謝合掌 令和5年9月2日 頓首再拝>
23:伝統 :

2023/10/02 (Mon) 09:12:50


        *「光明法語(10月2日)」より

各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき
人体の健康は最も完全に実現するのである。

完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。
人間の健康も先ず人間同士が完全に
「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、
人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、
心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。
汝ら互いに調和せよ。


       <感謝合掌 令和5年10月2日 頓首再拝>
24:伝統 :

2023/10/03 (Tue) 11:52:15


        *「光明法語(10月3日)《物質の自覚》」より

完全なる健康の裏には「完全」なる調和の念がなければならないのである。

先ず肉体は「物質」であるとの念を捨てよ。

物質は結局バラバラのものであって互いに漠然とした一体の自覚なきものであるから、
吾々の肉体が物質で出来ているものだとの考えが吾々の心を占めている限り、
自己の肉体はバラバラのものであると云う念を抱いていることになるから、
その念があらわれて完全なる健康は得がたい。

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれるのである。

       <感謝合掌 令和5年10月3日 頓首再拝>
25:伝統 :

2023/10/04 (Wed) 10:49:22


        *「光明法語(10月4日)」より

肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。
肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、
その肉体は健康になる事は出来ない。

肉体を「霊の完全なる表現」であると信じ、
それを愛し敬しなければならない。

肉体を醜いものと考えてはならないし、
それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。

常に神想観する時に
「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。

而(しか)して病気を見る勿(なか)れ、病気を想念する勿れ。

       <感謝合掌 令和5年10月4日 頓首再拝>
26:伝統 :

2023/10/05 (Thu) 08:20:36


        *「光明法語(10月5日)」より

健康美の発現を悦べ。

それが体操であれ、スポーツであれ、舞踊であれ、
健康美の表現されているものを素直に悦ぶ心がなければ、
ただの健康は得られても健康美ある肉体の美しさは得られないのである。

何でも愉快に体操でもスポーツでも舞踊でも、
健康の美の発現を実際に喜んで実践するとき健康美はあらわれる。

何でもそれを讃えてやり賞(ほ)めてやり喜んでやったならば、
それは益々発達しその完全なる姿を現すのだ。


肉体美もその通りである。
肉体を軽蔑してはならぬ。

       <感謝合掌 令和5年10月5日 頓首再拝>
27:伝統 :

2023/10/14 (Sat) 08:41:42


【ベストセラー】「薬に頼らない新時代の医学」を世界一わかりやすく要約してみた
【本要約】( 2023/09/20)
https://www.youtube.com/watch?v=6bo_8uJcZHI


▼【目次】
0:00 ご挨拶・導入
0:32 本日のお品書きと基本的な考え方

    (1)自分で選び、自分で行動する
    (2)自分の体のことを人任せにしない

0:51 ①限 1日2回アレするだけで、万病を招く炎症がドンドン消えていく!

    (1)鼻うがい
    (2)あいうべ体操
    (3)睡眠時に「マウステープ」を活用する

25:27 ②限 薬に頼らず万病を遠ざける「新時代のセルフケア」3選

    (1)心と体を癒やす「オーソモレキュラー」

    (2)免疫力を高める、腸の特効薬を摂取する

       酢キャベツ
       米のとぎ汁漬け

    (3)「足指伸ばし」で正しく立つ

       <感謝合掌 令和5年10月14日 頓首再拝>
28:伝統 :

2023/10/23 (Mon) 11:57:42

これからの人類の肺に注意
伊勢ー白山 道(2023-10-21)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/9a0c3b478a2214e87422357c5ada204a

       <感謝合掌 令和5年10月23日 頓首再拝>
29:伝統 :

2023/11/01 (Wed) 09:16:43


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、
「当に有るべからざるもの」すなわち「不当有(ふとうう)」であるから、
不当有(ふとうう=まちがい)の上に物を建てたものは、
いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、神に対する背反である。

神は「生命(せいめい)」であるから、
「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、
「神」すなわち「生命(せいめい)」に背反している限り、
すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和5年11月1日 頓首再拝>
30:伝統 :

2023/11/12 (Sun) 13:38:05


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和5年11月12日 頓首再拝>
31:伝統 :

2023/11/22 (Wed) 09:33:19

病にならない秘訣とは?
Web:世界の動向と経済を分かりやすく語る(2023-11-21)
https://ameblo.jp/ba5603/entry-12829346044.html

(以下は抜粋です)

(1)病にならないためには

  Q:病にならないためには、どうすればよろしいのでしょうか?

  A:余計なものを肉体に入れないことです。

   ✳️余計なものとは、無害なもの(自然のもの)ではなく、
    有害なもの(人工のもの)を飲んだり食べたり塗ったりしない、
    注射もしないということです。

  《健康を取り戻すのは肉体自身=自己治癒力》


(2)病を改善するためには

  Q:病を改善するためには、どうすればいいでしょうか?

  A:余計なことをしないことです。

   ✳️余計なこととは、肉体を癒やすのは肉体自身ですから、
    おのれは「自己治癒力の妨げになる行為をしない」ということであり、
    ゆっくり寝て自己治癒力を高めるということです。


(3)本来の健康を取り戻すためには

  Q:本来の健康を取り戻すためには、どうしたらいいでしょうか?

  A:人が入っていない奥山の黒土を少々食せばいいです。

   ✳️現代日本人は、消毒薬や添加物、抗生物質等で、
    腸内細菌の種類が激減してしまっているようです。

    そのため、腸内細菌を取り戻す必要性があることから、
    たくさんの種類の細菌やバクテリアが含まれている黒土を食す
    ということです。

    実際には水に溶いて飲むということのようです。

    土を食べるという食文化は、腸内細菌を整えるための方法として、
    古来より世界中に伝承されているようです。


    また、血液や栄養は腸で作られるとのことですので、
    健全な血液を作り続けるためにも、本来は、いろいろな腸内細菌が
    必要不可欠ということになります。

       <感謝合掌 令和5年11月22日 頓首再拝>
32:伝統 :

2023/12/19 (Tue) 11:37:18


   *「光明道中記」(12月19日《妄執を斬る日》)より抜粋

【妻の非難の念波は良人(おっと)の心を淋しくする。また良人を病気にする。
                       (『生命の實相』第六巻)】

人間は健康なのが自然であって、不健康なのが不自然なのである。
そうすると不健康とは不自然な生活が起ったと云うことである。

不自然な生活の中には、
憤(いか)りに耽(ふけ)ること、
人を怨み憎むこと、

悲しむこと、
陰気に沈むこと、
笑わぬこと、

いつまでも同じ感情に沈むこと、

仕事をせぬこと、
上に仕えて素直でないこと、
兄弟仲よかざること、

人をゆるさぬこと、
嫉妬心を起すこと、
あせり急ぐこと、・・・等々の心持である。

            <感謝合掌 令和5年12月19日 頓首再拝> 
33:伝統 :

2023/12/20 (Wed) 11:08:02

【なぜ報道しない?】本当は身体に良い万能薬3選を紹介
伊木ヒロシ( 2023/12/19)
https://www.youtube.com/watch?v=wFFn4c-mgcs

       <感謝合掌 令和5年12月20日 頓首再拝
34:伝統 :

2024/01/21 (Sun) 11:38:15


       *「光明法語」(1月21日)より

神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

この神の大いなるいのち、常に新しきいのち今もわが中に流れ入りて
常にわが組織を新たならしめ給い、健全ならして給うているのである。

今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで
輝く神のいのちに満たされているのである。

もはやわが肉体は神の肉体である。
わが肺臓は神の肺臓である。
わが胃袋は神の胃袋である。
吾が全ての内臓は神の全ての内臓である。

完全に健康であるほかあり得ないのである。

          <感謝合掌 令和6年1月21日 頓首再拝>
35:伝統 :

2024/01/27 (Sat) 11:28:04


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.5.22)より

   (東海大学医学部教授、川田浩志氏の心に響く言葉より…)

   ロンドン大学のアンドリュー・ステップトゥ教授らの研究グループは、

   60歳以上の男女を対象に、生活や人生を楽しんでいる意識を調査して、
   それらと将来の身体機能との関連性について検討してみました。


   彼らは、以下の4つの項目:

   1.自分がすることを楽しんで行っている

   2.他人といることが楽しい

   3.振り返ってみると自分の人生は幸福だ

   4.最近エネルギーに満ちているように感じる


   について、「まったく自分にはあてはまらない」という場合を0、

   「ほぼあてはまる」という場合を3として、
   0~3の数字を被検者に選んでもらいました。


   そして、 4つの項目について選んだ 0~3までの数字の合計と、
   人々のその後の身体機能の変化との関係について、追跡調査を行いました。

   その結果、四つの項目すべてに3を選んだ(つまり合計が12)
   「人生を楽しんでいる意識」の高い人たち
   (男性の21%、女性のやはり21%)は、
   数字の合計が9 以下であった、

   人生を楽しんでいる意識が比較的低い人たち
   (男性の23%、女性の やはり23%)に比べて、
   将来、身体機能になんらかの問題を抱えて
   日常生活に支障をきたす人の割合が明らかに少ないことがわかりました。

   つまり、人生を楽しんでいる人ほど

   健康寿命が長く、その分、人生をさらに長く楽しめる、

   ということが示されたのです。

    <『人生を楽しんでいる人は歳をとらない』ディスカヴァー>

         ・・・

論語の中では、「楽しむ」という状態をこう言っている。

子曰く、
「これを知る者はこれを好む者に如かず。
 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」と。


孔子先生は言われた。

「物事をよく知っているという人は、そのことを好きな人にはかなわない。
 また、それをいくら好きであっても、それを楽しんでいる人にはかなわない」。

「好きこそものの上手なれ」

とは千利休の言葉だとされているが、
仕事にしても趣味にしても、それが好きだったら、必ず上達するということ。


そして、好きでやっている人より、
それを楽しんでやっている人にはもっとかなわない、という。

たとえば、人生を「修行」だと思っている人は、
困難や苦労に打ち克つと思っている。

だから、周りの人にも
「苦労」や「困難」を乗り越えることが必要だという。


しかし、楽しんでいる人は、そもそも、苦労や困難を感じない。

楽しんでいる人にも、「嫌なこと」は山ほど起こる。

しかし、楽しんでいる人は、
嫌なことや、困難なことを、ゲームのように面白いことに変えたり、
笑いに変えたりして、楽しんでしまうことができる。


好きでやっている人は、他人へ影響力は少ないが、

楽しんでやっている人は周りに大きな影響を与える。

あんなふうになりたいな、と。

好きは個人の感情だからだ。


どんな状況になろうと…

人生を楽しめる人でありたい。

            <感謝合掌 令和6年1月27日 頓首再拝>
36:伝統 :

2024/02/02 (Fri) 10:17:25


        *「光明道中記」(2月2日健康増進の日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。
 どんな粗食でも最上の栄養に変わる(『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、自殺して死んだ医学博士で
羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。

その人が若返り法の本を書いたことがある。
その本の中に肥えたい人の食事法と、
痩せたい人の食事法とが書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、
低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。
そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。

腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、
天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を貼り附けて置いて、
食事をしながら、天井を仰ぎ見て、
「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、
粗食からでも豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために他の内臓の能力(キャパシテー)と
平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には
筋肉の増大は返って負担となる。

           <感謝合掌 令和6年2月2日 頓首再拝>
37:伝統 :

2024/02/22 (Thu) 10:10:35

健康でいたいなら10秒間口を開けなさい
吉野敏明・著(P100~101)

(1)口を開ける3つの意味

  ①食いしばりを止める。

  ②口を開けることによって、
   食いしばりをしてしまったときの自覚ができる。

  ③あくびを誘発させる。

(2)あくびの効用

  ①あくびは眠いときや反対に起きようとするときに、
   あるいは疲れたときに反射的に起きる深い呼吸であり、
   生理現象です。

  ②これらの状態に共通していることは、脳の働きが
   活発ではないときだということです。

   そこで、あくびによって深い呼吸によって
   酸素を供給し脳を活性化させるのです。

  ③あくびとは、デスクワークや過度の睡眠などによって、
   過緊張になった肩や胸周辺の肋骨に酸素を供給し
   ストレッチとして自分で治療するための行為なのです。

  ④なかでも脳はエネルギーの消費がもっとも大きい臓器であり、
   体温が上昇すると脳の働きは鈍くなります。
   いわゆる、脳に血が上った状態です。

   あくびによって外から冷たい空気を体内に取り込み、
   体温を下げようとしているのです。

  ⑤あくびをしてください!
   これが大事です!

・・・

<参照>

吉野敏明さんの「健康でいたいなら10秒間口を開けなさい」を読んでいる。
https://note.com/kous37/n/nf34e917e8f4c


<参照>ライオンあくび

なぜ人はあくびをするのか、なぜあくびはうつるのか
https://www.gizmodo.jp/2014/08/post_15228.html


ライオンあくびで脳幹を活性化
http://sizenhonpo.jp.net/index.php?QBlog-20150326-1


肩こり首筋スッキリ!ライオンあくび体操
https://www.gentloop.com/lion-akubi/

           <感謝合掌 令和6年2月22日 頓首再拝>
38:伝統 :

2024/03/10 (Sun) 12:05:18


       *『日々読誦三十章経』(十日の経言)より

吾が生きている生命(せいめい)は無限の生命(せいめい)である。
それ故に吾は完全に健康である。

吾がいだいている愛は無限の愛である、
それ故に吾れは完全に幸福である。

吾が心に宿る智慧は無限の智慧である、
それ故に吾れは平和であり調和である。

今われは平和と、安心と、及び漲る力の感じとに満たされているのである。

吾れは神の無限の生命(せいめい)の内に生きているのである。
無限の愛の内に生きているのである。
無限の智慧の内に生きているのである。

無限の智慧、無限の愛、無限の生命(せいめい)なる
吾が親(みおや)なる神に感謝いたします。

・・・

日々読誦三十章経
https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505730

         <感謝合掌 令和8年3月10日 頓首再拝>
39:伝統 :

2024/04/01 (Mon) 10:36:40


【謝罪】皆様にお伝えしなければならないことがあります
柴村恵美子-Emiko Shibamura-(2024/03/13 )
https://www.youtube.com/watch?v=XYNf4m025jA

            <感謝合掌 令和6年4月1日 頓首再拝>
40:伝統 :

2024/04/16 (Tue) 09:51:31


           *「光明道中記」(4月16日)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

            <感謝合掌 令和6年4月16日 頓首再拝>
41:伝統 :

2024/04/19 (Fri) 11:58:22


           *「光明道中記」(4月19日)より
             ~相倶(あいとも)に扶(たす)くる日

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。     (『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

          <感謝合掌 令和6年4月19日 頓首再拝>
42:伝統 :

2024/04/28 (Sun) 09:54:07


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.7.11)より

   (歯学博士、井上裕之氏の心に響く言葉より…)

   《朝から晩まで、何か仕事がある。
    書いたり読んだり、人に会ったりしているので、
    不平を考えたり言ったりする暇もない。

    病気をしている暇もない。

    病気がやってきても仕事に忙しくしているので
    病気の方でアキれて逃げてしまうのである.......
    忙しいという最強の健康法》(本多静六)



   現在、私は、数年ぶりのとても忙しい時期で、
   朝から晩までびっしり仕事が入っています。

   「一生懸命働くときだ!」と覚悟を決めています。

   ムダなことをやる時間が一切ありません。

   「体調が悪い」などと言っている場合ではありません。


   私は土日に歯科医以外の仕事をしていることが多く、
   基本的には完全な休みの日はほとんどありません。

   しかし、たまに休みの日があると、
   頭が痛くなったり、おなかが痛くなったりと、
   なぜか調子が悪くなります。

   活動しているときほど元気で体調が良く、
   気力も体力も充実しているのです。

   やるべき仕事がたくさんあるから、体調が悪くなる暇がないのでしょう。

   病は気からとよく言われますが、
   これはあながち間違っていないように思います。

   忙しくする、

   これもひとつの健康法です。

      <『1日1分蓄財王・本多静六の金言』さくら舎>

     ・・・

「小人閑居(かんきょ)して不善をなす」という『大学』の中の言葉がある。

ダメな人間は、暇をもてあますと、
つい悪いことを考えたり、悪事に走りやすいということ。


誤解を恐れずに言えば、
SNSなどでつっかかってくる人や、ネチネチと何日も苦情を言い立てる
ようなクレイマーは、暇な人間だ。

時間がたっぷりあるので、攻撃できる。

これは、心配事を抱えたり、不安になったりするのと同じで、
暇だからそれを考える時間がある。


仕事や趣味に、没頭(ぼっとう)しているときには、
不安など頭から消えている。

つまり、病気のことも考える暇がない。


長きにわたって毎日忙しく仕事をして、
定年となり、急に仕事がなくなって暇な日が続いたりすると、

「退職うつ」と呼ばれる心身が不調となることがあるという。

「暇」が原因の不調だ。


人は、忙しくてたまらないときは、ちょっとでも暇が欲しいと思う。

しかし、いざ、たっぷりの暇を与えられると、
どうしていいかわからなくなる。


いくつになっても、毎日、山ほどやることがあり、
人から頼まれ、必要とされている人は幸せだ。

「朝から晩まで、何か仕事がある」

ことは、最大の健康法。

・・・

<参照>

【読書日記Vol.2】1日1分蓄財王・本多静六の金言
https://note.com/hiroyuki8080/n/neda307de26e4

          <感謝合掌 令和6年4月28日 頓首再拝>

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