伝統板・第二
想念 ③ - 伝統
2022/06/02 (Thu) 06:38:36
人間は放送局であると同時に受信セットである
*『光明法語』(6月2日)より
一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。
二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって想念の集団をなして具象化するのである。
だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。
・・・
<関連>
(1)伝統板・第二「想念」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7314125
(2)伝統板・第二「想念 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7978944
<感謝合掌 令和4年6月2日 頓首再拝>
吾々の想念は全宇宙に伝わる - 伝統
2022/07/12 (Tue) 07:27:13
*『光明法語』(7月12日《宇宙は一つの生命体である》)より
運動と云うものは「動くもの」とそれがその中で動くところの
「媒質」とによって可能となるのである。
例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。
では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。
ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。
<感謝合掌 令和4年7月12日 頓首再拝>
《自己の内にある逆念を警戒せよ》 - 伝統
2022/07/18 (Mon) 08:00:42
*「眞理」第2巻基礎篇第12章(P327~328)より
人間に知られているエネルギーのうちで、
想念の力は最も微妙にして、最も目に見えないから、
防ぎようのない力である。
すべての人間は想念の力を使っているのであるけれども、
大抵は無意識にそれを使っているにすぎない。
しかもその想念の力を逆(さかさ)まに使って、
自分を害するように使っている。
悲観的な想念(ものおもい)、腹立ちの想い、
自暴自棄(やけくそ)の想い、嫉妬の想い、
恐怖の想い、病気を心に描くこと、敵を心に描くこと、
損失を心に描くこと、不調和を心に描くこと、戦争を心に描くこと
・・・これらはすべて想念(そうねん)を破壊的な方面に使っている。
自分で自分の運命を破壊的方面に
使用しつつあるものだと云わなければならない。
これが「おのれに背くもの」である。
謂(い)わば、獅子身中の虫である。
外から見たら頑健に見えている肉体が、
おのれの内に巣食うところの虫によって
俄然(がぜん)として破壊することがある。
<感謝合掌 令和4年7月18日 頓首再拝>
常によき念を送る - 伝統
2022/09/10 (Sat) 07:50:50
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月10日)より
「神の無限の愛われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然として輝き給い、
すべての不安、恐怖、憂鬱を雲のごとく散らしめたまうのである。」
常に暇あればかく念じて自分自身の心の中に神の愛をもって満たせ、
もしあなたがたれかに貸し金があったり、店子が家賃を払ってくれなかったり、
商品の決済をしてくれなかったりしたとて、その債務者が不正直で悪意があるとか、
払わぬつもりでいるとか考えてはならないのである。
もしそんな想念を起こしたならば相手はますます不正直になり、誠意がなくなり、
払わぬつもりになるばかりである。
自分に債務のある者を常に善意をもって扱い、善念を送り、愛念を送り、
無限供給の念を送ればその債務は速やかに払われる。
<感謝合掌 令和4年9月10日 頓首再拝>
想念感情は同類相(あい)引く - 伝統
2022/09/26 (Mon) 05:09:23
*「光明法語」(9月26日)より
大生命は流れるが、どんな形に流れさせるか。
大生命は創造するが、どんな形を創造させるかその形を決定し、
創造されるものの姿を決定するのは、自分の感情であり、想念である。
それは類似の波長は共鳴し、相牽(あいひ)くと云う法則に随って、
明るき感情は明るき想念を呼び出し、明るきものを創造せしめる。
暗き感情は暗き想念を呼び迎え、暗きものを創造せしめる。
一瞬時と雖も暗き感情をもつ事は罪悪である。
罪悪とは本来の明るい姿をツツム事である。
<感謝合掌 令和4年9月26日 頓首再拝>
自力の思念伝達法 - 伝統
2022/10/16 (Sun) 07:22:52
*「光明法語(10月16日)」より
自己の思念力を念送して相手の悩みを癒やす方法は、電波の波及と同様の原理を、
電波よりも尚一層精妙なる霊的波動にあてはめたものである。
その方法は、自己の送ろうとする思念又は想念を、心の中で繰返し繰返し、
余念なく、他念なく強烈に繰返す事によって成立っている。
時には十数分間、時には十数時間も強烈に同一想念を繰返すのである。
そして、それは相手に於いて効果を顕す事があるが、
その時には思念者は精力を消耗してフラフラになっている事が多い。
<感謝合掌 令和4年10月16日 頓首再拝>
癌腫も筋腫も、想念によって消滅しうる - 伝統
2022/11/25 (Fri) 07:21:45
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月25日)より
われわれが「手を動かそう」と思えば、
その想念のエネルギーが神経系統を伝わって一部の筋肉に収縮運動を起さしめ、
その反対側の筋肉を弛緩せしめて、想念したとおりの運動を
そこに起こすのである。
その神経系統を伝わるところの想念のエネルギーなるものは何であろうか。
それは一種の電気的流れであると想定されるのである。
それが電気的流れであるとするならば、それは確かに「電子」が想念によって
発射せられて神経組織をその「電子」が走るものだと解釈されうるのである。
患者の睡眠中における夢の変化にしたがって、脳髄より放出される電気的流れに
著しい変化が起こるということは、それを実験機械によって図表的に
その変化を記録した人もあるのである。
そうすれば脳髄という機械装置は、電子を放出するところの、
一種のサイクロトン装置であるということができるのである。
それを操る原動力と操縦士とが「想念」という不可思議体である。
むろん、神経伝達によって筋肉を動かす力は、たんに現在物理学界において
その存在を認められている「電子」だけではないのである。
もっともっと精妙な種類の素粒子を
想念にしたがって放出するのであろうと信ぜられる。
しかしいずれにせよ、神経伝達されるところのエネルギーの一部には
電子の流れが含まれていることは、
想念によって人体の電気的流れが変化することが
電流計によって測定されることによって明らかである。
したがってわれわれの脳髄は、極めて少量の頭蓋骨容積の中に、
人造のサイクロトンよりも精妙なる高級サイクロトンを包容するものだと
言わなければならないのである。
そして想念が素粒子を支配してあるいは電子をあるいは他の素粒子を、
自由自在に分離したり組み合わせたり、配列したりすることができるものだ
ということがわかるならば、
想念によって、人体に癌腫を発生したり、筋腫を発生したり、
あるいはそれを消滅せしめたりなしうる理由も当然のことだと
言わなければならないのである。
<感謝合掌 令和4年11月25日 頓首再拝>
人間はその想念によって、環境や遺伝から波長に合うものだけを吸収する - 伝統
2023/03/05 (Sun) 05:02:58
*「光明法語」(3月5日)より
~人間は環境にも遺伝にも支配されない
人間は環境に支配されると言うが、
真の環境は自分自身の想念である。
人間は自己選択の自由に与えられているのであって、
如何なる環境からでも、自分の想念によって
其の波長に合うものだけを吸収するのである。
縦には無限の遺伝の中から、
自分の想念に合うものだけを表現するのである。
人間の遺伝を遡(さかのぼ)れば神に達するのであるから、
吾らは中間の遺伝を無視して、神に波長を合わせさえしたら、
神の完全さが今此処に実現するのである。
神に波長を合わすのが神想観である。
<感謝合掌 令和5年3月5日 頓首再拝>
想念(こころ)を大きく持つ - 伝統
2023/05/11 (Thu) 05:04:48
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より
第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。
想念(こころ)は大きくなければ、
第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。
想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。
凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。
小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。
人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。
<感謝合掌 令和5年5月11日 頓首再拝>
正しき想念と正しき言葉が幸福を現象化する - 伝統
2023/05/16 (Tue) 08:19:15
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より抜粋
しからば諸君はまず何を想念すべきであろうか。
悪を想念するならば、悪は現象し来たるであろう。
善を想念するならば、善は現象し来たるであろう。
病気を想念するならば、病気は現象し来たるであろう。
戦争や敵意を想念するならば戦争や敵意は現象し来たるであろう。
平和のみ善意のみ想念するならば
平和のみ善意のみが現象し来たるであろう。
釈尊は人生のもろもろの苦しみを解脱する八つの道を
八聖道として教えたのであるが、その最初に置いたのは
正見(しょうけん)と正思惟(しょうしい)とであった。
正見とは正しき見解―正しき世界観の確立である。
この世界は有情非情同時成道・山川草木国土悉皆成仏の世界であり、
すべて仏心の展開せる世界であって悪は存在しないとの
正しき見解の確立である。
すべての人間はすでに成れる仏であって完全なる自由を有するとの
正しき人間観の確立である。
かくて正しき世界観人生観立ってのち、われらは想念の自由によって
正しくその真理を思惟しなければならない。
またわれらは言葉の自由によって
正しくその真理を表現しなければならない。
もしわれらが正しき世界観、人生観に到着していようとも、
正しく想念せず、正しく善き言葉のみを発しないときには、
われらの人生は不幸にみちたものとなり、
われらの住む世界は悲惨憂苦みち満ちたものとなる
ほかはないのである。
われらの人生が幸福なものとなるか、不幸なものとなるかは、
われらの想念と言葉が何を表現するかによって定(き)まるのである。
人類の霊魂なお稚くして何を想念すべきか、
何を言葉に表現すべきかを知らず、
いたずらに敵意ある世界を心に描き、
(正見の反対の邪見である)互いに悪想念と悪感情とをそそり、
言葉に敵意を表現するをもって足れりとなす。
その行くところや悲惨なる末路なるべきは、
およそ「心の法則」によって、然らざるをえないのである。
人間の霊魂よ進歩せよ。
高級の霊魂は今後の世界の推移をいかに見るか。
われらはここに人生の深き指針として本全集『生命の實相』
第九巻・第十巻「霊界篇」を世に送り、
魂の向上の必須要件を説くとともに、
今後の世界の推移を示す指標とするものである。
<感謝合掌 令和5年5月16日 頓首再拝>
人間は放送局であると同時に受信セットである - 伝統
2023/06/02 (Fri) 10:05:15
*『光明法語』(6月2日)より
一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。
二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって
想念の集団をなして具象化するのである。
だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。
<感謝合掌 令和5年6月2日 頓首再拝>
想念を整える - 伝統
2023/06/20 (Tue) 10:09:22
泣く人続出でテープを止めるひとりさん【潜在意識を使って必ず夢を叶える法則】
幻の講演会【斎藤一人】これを聴くと必ず成功しちゃう
パワースポット358巡り(2023/06/15)
https://www.youtube.com/watch?v=GoGBi0xNNSw
<感謝合掌 令和5年6月20日 頓首再拝>
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動く - 伝統
2023/07/12 (Wed) 04:51:39
*「光明法語」(7月12日《宇宙は一つの生命体である》)
運動と云うものは「動くもの」とそれがその中で動くところの
「媒質」とによって可能となるのである。
例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。
では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。
ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。
<感謝合掌 令和5年7月12日 頓首再拝>
微生物は人間の念に感応する - 伝統
2023/08/15 (Tue) 05:07:39
*「光明法語」(8月15日《微生物と念の感応》)より
近頃、柴田酵素や渡辺酵素で肥料を速成して、
その施肥効果により二倍増産三倍増産を得る事が可能であると説くものがある。
実際試みて何等効果がなかったと言うものもあり、効果著しかりしと言うものあり、
批評まちまちであって一定の結果を得ない。
農事試験場では実際上効果なしとして一旦否定したるも、
此の種民間の評判高き故、もう一度実験して見ると云うことである。
酵素は微生物の生産物である。
微生物は人間の念に感応し易い。
念によって効果を異(こと)にするは当然である。
<感謝合掌 令和5年8月15日 頓首再拝>
斯く心は病菌に作用す - 伝統
2023/08/16 (Wed) 07:59:56
*「光明法語」(8月16日)より
嘗て、千葉大医科と、慶応大医科とで、
チフス菌は鼠の腸内にて殺菌消化されて形を止めなくなると言い、
一方は然らずと言い、両大学にて各々実験を行い、両方とも自己の
主張する通りの実験の結果を得、
孰(いず)れにも勝敗決せずして物別れになった事があった。
同一程度の重症の結核患者で、一方は暗く悲哀と絶望の精神をもち、
他方は明るく楽天的なる精神をもったとせよ。
明るき楽天的なる精神の者は快方に向かい、
悲哀と絶望に沈みたる者の結核菌は益々繁殖して病は増悪する。
<感謝合掌 令和5年8月16日 頓首再拝>
常によき念を送る - 伝統
2023/09/10 (Sun) 11:45:41
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月10日)より
「神の無限の愛われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然として輝き給い、
すべての不安、恐怖、憂鬱を雲のごとく散らしめたまうのである。」
常に暇あればかく念じて自分自身の心の中に神の愛をもって満たせ、
もしあなたがたれかに貸し金があったり、店子が家賃を払ってくれなかったり、
商品の決済をしてくれなかったりしたとて、その債務者が不正直で悪意があるとか、
払わぬつもりでいるとか考えてはならないのである。
もしそんな想念を起こしたならば相手はますます不正直になり、
誠意がなくなり、払わぬつもりになるばかりである。
自分に債務のある者を常に善意をもって扱い、善念を送り、愛念を送り、
無限供給の念を送ればその債務は速やかに払われる。
<感謝合掌 令和5年9月10日 頓首再拝>
自力の思念伝達法 - 伝統
2023/10/16 (Mon) 13:09:30
*「光明法語(10月16日)」より
自己の思念力を念送して相手の悩みを癒やす方法は、
電波の波及と同様の原理を、電波よりも尚一層精妙なる
霊的波動にあてはめたものである。
その方法は、自己の送ろうとする思念又は想念を、心の中で繰返し繰返し、
余念なく、他念なく強烈に繰返す事によって成立っている。
時には十数分間、時には十数時間も強烈に同一想念を繰返すのである。
そして、それは相手に於いて効果を顕す事があるが、
その時には思念者は精力を消耗してフラフラになっている事が多い。
<感謝合掌 令和5年10月16日 頓首再拝>
クーエの自己暗示法 - 伝統
2023/10/17 (Tue) 10:40:37
*「光明法語(10月17日)」より
クーエの自己暗示法は
「自分はこれから毎日あらゆる点で一層よくなる」
と云う同一思念を20回繰返す事によって成り立っている。
併しこれは念力波及の方法ではなく、
ただの言葉で、その想念を潜在意識につぎ込めば、
潜在意識が絶大なる力でその言葉の通りを成し給うと云う信念に基いている。
これは精力を消耗し尽す事はない。
クーエも他に念力を送る場合もある。
子供をよくしたいと思う時、
欲する内容の言葉を眠れる子供から1米(メートル)
離れて繰返し唱えれば好結果を得ると主張したのである。
<感謝合掌 令和5年10月17日 頓首再拝>
癌腫も筋腫も、想念によって消滅しうる - 伝統
2023/11/25 (Sat) 12:06:00
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月25日)より
われわれが「手を動かそう」と思えば、
その想念のエネルギーが神経系統を伝わって
一部の筋肉に収縮運動を起さしめ、その反対側の筋肉を弛緩せしめて、
想念したとおりの運動をそこに起こすのである。
その神経系統を伝わるところの想念のエネルギーなるものは何であろうか。
それは一種の電気的流れであると想定されるのである。
それが電気的流れであるとするならば、それは確かに「電子」が想念によって
発射せられて神経組織をその「電子」が走るものだと解釈されうるのである。
患者の睡眠中における夢の変化にしたがって、
脳髄より放出される電気的流れに著しい変化が起こるということは、
それを実験機械によって図表的にその変化を記録した人もあるのである。
そうすれば脳髄という機械装置は、電子を放出するところの、
一種のサイクロトン装置であるということができるのである。
それを操る原動力と操縦士とが「想念」という不可思議体である。
むろん、神経伝達によって筋肉を動かす力は、たんに現在物理学界において
その存在を認められている「電子」だけではないのである。
もっともっと精妙な種類の素粒子を想念にしたがって放出するのであろう
と信ぜられる。
しかしいずれにせよ、神経伝達されるところのエネルギーの一部には
電子の流れが含まれていることは、
想念によって人体の電気的流れが変化することが
電流計によって測定されることによって明らかである。
したがってわれわれの脳髄は、極めて少量の頭蓋骨容積の中に、
人造のサイクロトンよりも精妙なる高級サイクロトンを包容するものだと
言わなければならないのである。
そして想念が素粒子を支配してあるいは電子をあるいは他の素粒子を、
自由自在に分離したり組み合わせたり、配列したりすることができるものだ
ということがわかるならば、
想念によって、人体に癌腫を発生したり、筋腫を発生したり、
あるいはそれを消滅せしめたりなしうる理由も当然のことだと
言わなければならないのである。
<感謝合掌 令和5年11月25日 頓首再拝>
周囲の念波を反映して高徳者に顕れる病い - 伝統
2023/12/16 (Sat) 09:37:50
*「光明道中記」(12月16日《心全く平和の日》)より
【外の空気よりも心の内に平和な空気をつくる事は一層大切である。(『百事如意』)】
強健は必ずしもその人の精神的高位を示すものではない。
野獣は人間よりも強健である。
彼等は殆んど病気に罹らないが、人間よりも精神的高位であると云う訳には行かない。
野蛮人は文明人よりも病気に罹らないし、血を見ることを何とも思わないで
外傷的苦痛などは殆んど感じないらしいけれども、彼らは文明人よりも
精神的高位にあると云うことは出来ない。
人間が野獣よりも、そして文明人が野蛮人よりも、精神的高位にあると云うのは、
それは感じ易さが鋭敏でありデリケートであると云うことである。
高徳者の病気と云うことを考えてみる。
感じ易く、デリケートな心の琴線を有(も)っている高徳人は、
此の世界に漂うている色々の念波
―― その中には、憎悪の念波や、憤り、争い、呪い、悲しみ、羨望、
嫉妬などの、感じ易い人々にはとても耐えがたい不快な念波もあるし、
まことに神々(こうごう)しい忠義や、孝行や、無我帰一や、
自己犠牲や、深切や、相愛や・・・
その他数え切れない善き念波も混じっているのである ――
それらの念波の中にあってあまりの感じ易さに、苦しくなることがあるであろう。
フランシスのように感じ易い人は時々周囲の念波を反映して病気になったものらしい。
<感謝合掌 令和5年12月16日 頓首再拝>
周囲の念波の攪乱(こうらん)的影響と対処法 - 伝統
2023/12/17 (Sun) 10:01:52
周囲の念波の攪乱(こうらん)的影響と対処法
*「光明道中記」(12月17日)《神の愛を念ずる日》より
【病菌は病気に対する人類的恐怖の客観化したものである。
(『生命の實相』第十一巻)】
高徳者が病気になるのは、
周囲の念波の攪乱(こうらん)的影響によるのである。
腹痛の人が私の前へ来ると私のお腹が痛くなる。
胸の悪い人が私の前へ来ると私の胸が苦しくなる。
また遠隔思念でもして貰いたく、私に哀願している念波が
私を苦しめることもあり勝ちである。
私は並々はずれた細かい皮膚の顔貌をしているのでも判るように、
私の感受機関は非常にデリケートであって、
そのために色々の不快な念波を受けて苦しんだものである。
私はその状態から抜け出したいと色々と工夫を重ねたものです。
今でも充分そのデリケートさが克服されたとは思っていないが、
その工夫の中に次第に、どんなにデリケートであっても、
波長を合わさぬことによって、
それらの不快な念波を避けることを発見し、今では稍々(やや)成功して、
どんな病気の人がわたしに心で縋(すが)って来ても、
その念波を外して了うことが出来るようになったのである。
その方法は神想観中に
自分の周囲に神の愛の念波が取巻いて自分を護っており、
どんな不快な念波も必ず一度は神の愛の念波が光明化してから
私に伝えられると念ずることによってである。
<感謝合掌 令和5年12月17日 頓首再拝>
《先ず想いを変えよ》 - 伝統
2024/01/04 (Thu) 12:36:46
*光明法語(1月4日)
自己の環境も肉体も自己の念(おもい)の反映であるから、
思いを変えれば環境も肉体も変わるのである。
不幸を思えば不幸が来(きた)るのである。
若(も)し自分に危険が迫って来るとするならば、
それは如何に外から迫って来るかのように見えようとも、
それは自己の心のうちに生じたものであることを知らねばならぬ。
危険を予感するものには危険が来るのである。
自己の運命は自己が作者であり、自己が完成者である。
不幸から自己を護るのは、自分の心のうちに不幸を予感することを
止(や)めることから始めねばならないのである。
<感謝合掌 令和6年1月4日 頓首再拝>
自分自身の想念を神の波長に合わせる - 伝統
2024/03/05 (Tue) 10:28:11
*「光明法語」(3月5日)より
~人間は環境にも遺伝にも支配されない
人間は環境に支配されると言うが、真の環境は自分自身の想念である。
人間は自己選択の自由に与えられているのであって、如何なる環境からでも、
自分の想念によって其の波長に合うものだけを吸収するのである。
縦には無限の遺伝の中から、
自分の想念に合うものだけを表現するのである。
人間の遺伝を遡(さかのぼ)れば神に達するのであるから、
吾らは中間の遺伝を無視して、神に波長を合わせさえしたら、
神の完全さが今此処に実現するのである。
神に波長を合わすのが神想観である。
<感謝合掌 令和6年3月5日 頓首再拝>
想念(こころ)を大きく持つ - 伝統
2024/05/11 (Sat) 09:23:49
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より
第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。
想念(こころ)は大きくなければ、
第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。
想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。
凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。
小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。
人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。
<感謝合掌 令和6年5月11日 頓首再拝>
正しき想念と正しき言葉が幸福を現象化する - 伝統
2024/05/16 (Thu) 10:47:40
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より
宇宙にあるあらゆる理念のうち全包容的最高理念が人間である。
だから人間は万物を従わせ、万物を生かし、
万物をその使命のところに配置する権能を有するのである。
人間が人間としての価値と存在の意義は、自己選択をなしうるということにあるのである。
万物を従わせるとは、自己選択をなしうることである。
曰く、想念の自由、感情の自由、意志の自由、言葉の自由、行動の自由ということである。
毎日、毎時、毎分、毎秒、毎瞬、われわれは何を想うか、いかなる感情を起こすか、
何を意志するか、何を言論するか、何を行動するかの自由を持っているのである。
その自由のゆえにこそ人間の尊厳が存在するのである。
かくのごとき自由は機械にはもちろん、
単なる動物にすら存在しないところのものである
しからば諸君はまず何を想念すべきであろうか。
悪を想念するならば、悪は現象し来たるであろう。
善を想念するならば、善は現象し来たるであろう。
病気を想念するならば、病気は現象し来たるであろう。
戦争や敵意を想念するならば戦争や敵意は現象し来たるであろう。
平和のみ善意のみ想念するならば平和のみ善意のみが現象し来たるであろう。
釈尊は人生のもろもろの苦しみを解脱する八つの道を八聖道として教えたのであるが、
その最初に置いたのは正見(しょうけん)と正思惟(しょうしい)とであった。
正見とは正しき見解―正しき世界観の確立である。
この世界は有情非情同時成道・山川草木国土悉皆成仏の世界であり、
すべて仏心の展開せる世界であって悪は存在しないとの正しき見解の確立である。
すべての人間はすでに成れる仏であって完全なる自由を有するとの
正しき人間観の確立である。
かくて正しき世界観人生観立ってのち、われらは想念の自由によって
正しくその真理を思惟しなければならない。
またわれらは言葉の自由によって正しくその真理を表現しなければならない。
もしわれらが正しき世界観、人生観に到着していようとも、
正しく想念せず、正しく善き言葉のみを発しないときには、
われらの人生は不幸にみちたものとなり、われらの住む世界は
悲惨憂苦みち満ちたものとなるほかはないのである。
われらの人生が幸福なものとなるか、不幸なものとなるかは、
われらの想念と言葉が何を表現するかによって定(き)まるのである。
人類の霊魂なお稚くして何を想念すべきか、何を言葉に表現すべきかを知らず、
いたずらに敵意ある世界を心に描き、(正見の反対の邪見である)互いに
悪想念と悪感情とをそそり、言葉に敵意を表現するをもって足れりとなす。
その行くところや悲惨なる末路なるべきは、およそ「心の法則」によって、
然らざるをえないのである。
人間の霊魂よ進歩せよ。高級の霊魂は今後の世界の推移をいかに見るか。
われらはここに人生の深き指針として本全集『生命の實相』第九巻・第十巻「霊界篇」を
世に送り、魂の向上の必須要件を説くとともに、
今後の世界の推移を示す指標とするものである。
<感謝合掌 令和6年5月16日 頓首再拝>
想念の法則によって、健康も幸福も築いている - 伝統
2024/05/31 (Fri) 11:44:00
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より
心の法則にせよ、物質の法則にせよ、
いずれも反対の方向に働くことができるのである。
同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。
ある種の想念と感情は建設的創造的であって、友そのほか助けとなる力を呼ぶ。
これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。
それは誤解と争いと悪意とを創る。
この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。
実際失敗する人は、
好ましくない状態を作り出す方向に心の法則を働かしているのである。
次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。
すなわち
「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、その好ましいものと同様に、
あなた自身が心の法則に働かしめてみずからそれをもたらしたから
そこに存るのだ」ということである。
些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。
その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。
諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、
そこで想念の法則が、あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。
「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる
宇宙普遍の心、阿頼耶識の働きを言うのである。
これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。
阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、
もっと広義に用いられる。
夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。
それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。
阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、
肉体を創造する力は完全となるのである。
われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。
これに反して阿頼耶識が浄化されないとき
肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。
<感謝合掌 令和6年5月31日 頓首再拝>
人間は放送局であると同時に受信セットである - 伝統
2024/06/02 (Sun) 11:19:15
*『光明法語』(6月2日)より
一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。
二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって
想念の集団をなして具象化するのである。
だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。
<感謝合掌 令和6年6月2日 頓首再拝>
意地でも、悪口さえも思ってあげるもんか - 伝統
2024/06/15 (Sat) 12:48:24
意地でも、悪口さえも思ってあげるもんか
伊勢ー白山 道(2024-06-15 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/cec5697d8afec64a820951c0600fadb8
<感謝合掌 令和6年6月15日 頓首再拝>
吾々の想念は全宇宙に伝わる - 伝統
2024/07/12 (Fri) 11:19:31
*『光明法語』(7月12日《宇宙は一つの生命体である》)より
運動と云うものは「動くもの」とそれがその中で動くところの
「媒質」とによって可能となるのである。
例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。
では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。
ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。
<感謝合掌 令和6年7月12日 頓首再拝>
念は語ることによって現れる - 伝統
2024/08/29 (Thu) 13:01:36
念は語ることによって現れる
伊勢ー白山 道(2024-08-29)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/83bbe711d5888175803a9f756fb7c0ca
<感謝合掌 令和6年8月29日 頓首再拝>
常によき念を送る - 伝統
2024/09/10 (Tue) 11:16:28
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月10日)より
「神の無限の愛われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然として輝き給い、
すべての不安、恐怖、憂鬱を雲のごとく散らしめたまうのである。」
常に暇あればかく念じて自分自身の心の中に神の愛をもって満たせ、
もしあなたがたれかに貸し金があったり、店子が家賃を払ってくれなかったり、
商品の決済をしてくれなかったりしたとて、その債務者が不正直で悪意があるとか、
払わぬつもりでいるとか考えてはならないのである。
もしそんな想念を起こしたならば相手はますます不正直になり、誠意がなくなり、
払わぬつもりになるばかりである。
自分に債務のある者を常に善意をもって扱い、善念を送り、愛念を送り、
無限供給の念を送ればその債務は速やかに払われる。
<感謝合掌 令和6年9月10日 頓首再拝>
自力の思念伝達法 - 伝統
2024/10/16 (Wed) 11:13:50
*「光明法語(10月16日)」より
自己の思念力を念送して相手の悩みを癒やす方法は、
電波の波及と同様の原理を、電波よりも尚一層精妙なる
霊的波動にあてはめたものである。
その方法は、自己の送ろうとする思念又は想念を、心の中で繰返し繰返し、
余念なく、他念なく強烈に繰返す事によって成立っている。
時には十数分間、時には十数時間も強烈に同一想念を繰返すのである。
そして、それは相手に於いて効果を顕す事があるが、
その時には思念者は精力を消耗してフラフラになっている事が多い。
<感謝合掌 令和6年10月16日 頓首再拝>
クーエの自己暗示法 - 伝統
2024/10/17 (Thu) 10:59:09
*「光明法語(10月17日)」より
クーエの自己暗示法は
「自分はこれから毎日あらゆる点で一層よくなる」
と云う同一思念を20回繰返す事によって成り立っている。
併しこれは念力波及の方法ではなく、
ただの言葉で、その想念を潜在意識につぎ込めば、
潜在意識が絶大なる力でその言葉の通りを成し給うと云う信念に基いている。
これは精力を消耗し尽す事はない。
クーエも他に念力を送る場合もある。
子供をよくしたいと思う時、
欲する内容の言葉を眠れる子供から1米(メートル)
離れて繰返し唱えれば好結果を得ると主張したのである。
<感謝合掌 令和6年10月17日 頓首再拝>
癌腫も筋腫も、想念によって消滅しうる - 伝統
2024/11/25 (Mon) 11:21:34
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月25日)より
われわれが「手を動かそう」と思えば、その想念のエネルギーが神経系統を伝わって
一部の筋肉に収縮運動を起さしめ、その反対側の筋肉を弛緩せしめて、
想念したとおりの運動をそこに起こすのである。
その神経系統を伝わるところの想念のエネルギーなるものは何であろうか。
それは一種の電気的流れであると想定されるのである。
それが電気的流れであるとするならば、それは確かに「電子」が想念によって
発射せられて神経組織をその「電子」が走るものだと解釈されうるのである。
患者の睡眠中における夢の変化にしたがって、脳髄より放出される電気的流れに
著しい変化が起こるということは、それを実験機械によって図表的に
その変化を記録した人もあるのである。
そうすれば脳髄という機械装置は、電子を放出するところの、
一種のサイクロトン装置であるということができるのである。
それを操る原動力と操縦士とが「想念」という不可思議体である。
むろん、神経伝達によって筋肉を動かす力は、たんに現在物理学界において
その存在を認められている「電子」だけではないのである。
もっともっと精妙な種類の素粒子を想念にしたがって放出するのであろうと信ぜられる。
しかしいずれにせよ、神経伝達されるところのエネルギーの一部には
電子の流れが含まれていることは、想念によって人体の電気的流れが変化することが
電流計によって測定されることによって明らかである。
したがってわれわれの脳髄は、極めて少量の頭蓋骨容積の中に、
人造のサイクロトンよりも精妙なる高級サイクロトンを包容するものだと
言わなければならないのである。
そして想念が素粒子を支配してあるいは電子をあるいは他の素粒子を、
自由自在に分離したり組み合わせたり、配列したりすることができるものだ
ということがわかるならば、
想念によって、人体に癌腫を発生したり、筋腫を発生したり、
あるいはそれを消滅せしめたりなしうる理由も当然のことだと
言わなければならないのである。
<感謝合掌 令和6年11月25日 頓首再拝>
周囲の念波を反映して高徳者に顕れる病い - 伝統
2024/12/16 (Mon) 11:13:28
*「光明道中記」(12月16日《心全く平和の日》)より
【外の空気よりも心の内に平和な空気をつくる事は一層大切である。(『百事如意』)】
強健は必ずしもその人の精神的高位を示すものではない。
野獣は人間よりも強健である。
彼等は殆んど病気に罹らないが、人間よりも精神的高位であると云う訳には行かない。
野蛮人は文明人よりも病気に罹らないし、血を見ることを何とも思わないで
外傷的苦痛などは殆んど感じないらしいけれども、彼らは文明人よりも
精神的高位にあると云うことは出来ない。
人間が野獣よりも、そして文明人が野蛮人よりも、精神的高位にあると云うのは、
それは感じ易さが鋭敏でありデリケートであると云うことである。
高徳者の病気と云うことを考えてみる。
感じ易く、デリケートな心の琴線を有(も)っている高徳人は、
此の世界に漂うている色々の念波
―― その中には、憎悪の念波や、憤り、争い、呪い、悲しみ、羨望、
嫉妬などの、感じ易い人々にはとても耐えがたい不快な念波もあるし、
まことに神々(こうごう)しい忠義や、孝行や、無我帰一や、
自己犠牲や、深切や、相愛や・・・
その他数え切れない善き念波も混じっているのである ――
それらの念波の中にあってあまりの感じ易さに、苦しくなることがあるであろう。
フランシスのように感じ易い人は時々周囲の念波を反映して病気になったものらしい。
<感謝合掌 令和6年12月16日 頓首再拝>
自分自身の想念を神の波長に合わせる - 伝統
2025/03/05 (Wed) 11:34:30
*「光明法語」(3月5日)より
~人間は環境にも遺伝にも支配されない
人間は環境に支配されると言うが、真の環境は自分自身の想念である。
人間は自己選択の自由に与えられているのであって、如何なる環境からでも、
自分の想念によって其の波長に合うものだけを吸収するのである。
縦には無限の遺伝の中から、
自分の想念に合うものだけを表現するのである。
人間の遺伝を遡(さかのぼ)れば神に達するのであるから、
吾らは中間の遺伝を無視して、神に波長を合わせさえしたら、
神の完全さが今此処に実現するのである。
神に波長を合わすのが神想観である。
<感謝合掌 令和7年3月5日 頓首再拝>
生霊の正体とスピリチュアルな対処法 - 伝統
2025/03/18 (Tue) 09:00:56
生霊の正体とスピリチュアルな対処法
Web:宇宙の兄弟たちへ(2025年3月16日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/03/blog-post_16.html
(以下は抜粋です)
(1)生霊とは何か?
①生霊とは、生きた人間の感情や意識の一部が、
肉体を離れて他人に影響を与えるエネルギー体のこと。
②生霊は、相手の思念の強さに比例して力を持ちます。
だからこそ、「意識の使い方」がとても重要なのです。
③念は距離も時空も越えて飛ぶことができるのです。
(2)生霊と「使いの者」
①生霊が“人間ではない姿”をとって現れる理由は、
その念の性質によります。
動物的本能=衝動・本能的攻撃性・執着性が念と結びつくことで、
霊的存在に転化してしまうのです。
②怒りや憎しみの念は、非常に強いエネルギーを持っています。
こうした念は、場合によっては霊的な存在を巻き込み、
「使いの者」=エネルギーの媒体として働く霊的存在を生み出します。
③そのエネルギーを受け取った相手は、体調不良・感情の乱れ
・人間関係の不和など、さまざまな形で影響を受けることになります。
(3)生霊を飛ばさないための心の在り方
①念の強さをポジティブに活かすためには、
「思いを手放す」「許す」「執着を捨てる」
といった心の在り方を意識することが重要です。
②離魂病という現象を防ぐためには、
日常的にグラウンディング(地に足をつけること)が大切です。
③生霊を飛ばさないためには、
「許しのワーク」 を行うことが効果的です。
(4)スピリチュアルな念返し・浄化テクニック
①簡単な念返し法
②ホ・オポノポノによるスピリチュアル浄化
③イメージワークによる念抜きヒーリング
(5)念の力とスピリチュアル成長
①念を光に変える生き方
②周囲を浄化する人になるために
③愛を持ち、光を放つ存在になりましょう!
<感謝合掌 令和7年3月18日 頓首再拝>
【過去は変えられる】 - 伝統
2025/04/28 (Mon) 10:44:55
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2024.10.25)より
(鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…)
「過去は変えることができない。変えられるのは未来だけ」
だれもがそう信じています。
しかし、私はその過去さえも、
自分自身の心のもちようで変えることができる
と確信しています。
人間だれしも、思い出したくなるような過去ばかりではありません。
消せるものなら消してしまいたい。
できれば、なかったことにしたい。
そんな、思い出したくない過去もあります。
だからといって、
消しゴムで消すように簡単に消すことはできません。
やったことは、厳然たる事実として残っているからです。
しかし、消すことはできなくても変えることはできます。
もしいまなお、過去の恨(うら)みや憎しみに
縛られているとするならば、そのことに対して鈍感になる。
反対に、してもらったことを
当たり前と思っているのであれば、そのことに対して敏感になる。
つまり、恨みや憎しみを死ぬまでもち続けるのではなく、
自分のなかで浄化する。
当たり前と思っていたことに深く感謝する。
そうすれば、つらくて苦しかった過去が
美しい思い出に変わっていきます。
たとえ事実は変えることができなくても、
抱いた思いを努力で変えることはできます。
そのためにも、
思い出したくない思い出に鈍感になり、
思い出したくなる思い出に敏感になることです。
人 間の幸不幸 は、自分の捉え方でどのようにでも変えることができます。
<『困難にも感謝する』PHP>
・・・
斎藤一人さんも「過去は変えられる」という。
『なぜ、過去が変えられるのかというと、
昔のことを思い浮かべるとき、
過去の出来事はもう「思い出」ですよね。
思い出というものは、後でいかようにも変えられる。
人間は、「今がおもしろい。今がしあわせだ」と、
過去の不幸がしあわせなことに思えてしまう。
過去のイヤな出来事が、今の自分の宝なんだと思えてしまう。
過去のどんな出来事もしあわせと思える人は、今もしあわせです。
今がしあわせだからこそ、未来がしあわせになるんです。
人間は万物の霊長です。
過去は変えられるんです。
目の前の現実に向かっていけば、
イヤな出来事がやがて自分の宝になります。』
(斎藤一人 あなたが変わる315の言葉/KKロングセラーズ)より
「昔は大変だった」とか、
「昔、すごく苦労した」とか、
「若いころはこんなもんじゃなかった(楽じゃなかった)」、
「ホントにきつかった」とか言う人がいる。
今なんて、昔に比べれば、たいしたことはない、
自分は本当に苦労したんだ、と苦労自慢をする人だ。
反対に、かつて、苦労なんてしたことないよ、だから昔は、
「毎日、ホントよくふざけてたな」とか
「楽しかったなぁ」とか
「よく遊んだなぁ」と言う人もいる。
普通に考えて、困難なことや、厳しかったこと、
つらかったことがない人など一人もいないはずなのに、
人によって捉え方がまるで違う。
明るいことしか覚えていない人なのか、
つらいことや暗いことしか覚えていない人なのかの違いだ。
つまり、見方によって
過去の捉え方が変えてしまったということ。
そして、大事なのは、
どちらの方が聞いていて、楽しいか、ということだ。
人は、明るい人、楽天的な人、陽気な人に魅(ひ)かれる。
暗い人、陰気な人に引き寄せられる人はいない。
「過去は変えられる」
という言葉を胸に刻みたい。
<感謝合掌 令和7年4月28日 頓首再拝>
【明るい思いを絶やさない】 - 伝統
2025/04/29 (Tue) 10:58:37
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.1.7)より
(斎藤一人さんの心に響く言葉より…)
一人さんは昔から「自分を褒めな」「人を褒めな」って言うんです。
自分や人を褒 められることはすごい才能だから、
それですべてうまくいくよって話なんだけど。
でも最近、しみじみ思うの。
自分や人を褒められるって素晴らしいことだけど、
それ以前に「だんだんよくなる未来は明るい」を信じてなきゃ、
才能は活かせないよねって。
どんなに美辞麗句を並べても、
心のなかで「どうせダメだ」とか思っていたんじゃ、
波動は明るくならない。
というか、明るい思いがあれば、
いちいち人を褒めようとしなくても、
自然と会話をしている相手を褒めちゃうものだよ。
だんだんよくなる未来は明るいという思いがあるから、
自分に対しても、ほかの人に対しても、世の中に対しても、
進化している部分しか目に入らないんだよ。
目の前にいる人の未来は明るいから、
そのままで大丈夫だし、どんどん進化しているのがわかる。
だから、出てくるのは愛のある言葉だけだし、
サラッと人を褒められるんです。
で、愛のある人から、愛のある言葉をかけられた人は、
自信がついて、より魅力的になっていく。
お互いに愛を出し合える、幸せな世界が広がるよね。
あとね、多くの人は自分の才能を見つけるのに
必死になったりしてる。
だんだんよくなることが信じられる人は、
自分の才能を探そうとか、育てようと考える必要もないんです。
才能があろうがなかろうが、未来は明るいというその思いが、
ほんとうに明るい現実を作り出してくれるものだから。
という意味では、未来は明るいと思うこと自体が
最高の才能かもしれないね。
世の中には、字がうまいとか、足が速いとか、
頭がいいとか、いろんな才能があります。
でもほかのどんな才能よりも優れているのは、
明るい光を出せることだよ。
だんだんよくなるという明るい思いは、幸せの基本であり、
これこそがもっとも 大きな結果をもたらす才能なの。
私は多分、世界で一番「未来は明るい」と思っている人なんです。
一人さんの最大の才能は、
だんだんよくなる未来は明るいという思いがゆるぎないことであり、
それがこの世界の真実だから、ここまで成功できたんだろうね。
今までに思いついてきたいろんな知恵にしても、
私がいつも「だんだんよくなる未来は明るい」と
思っていたからひらめくことができた。
すべては未来を信じ、明るい思いを絶やさなかったことから始まった。
思いには、あらゆる能力をはるかに超える、最強の力があるんだ。
《明るい思いを絶やさなければ成功はすぐそこ》
<『斎藤一人 奇跡の人』徳間書店>
・・・
斎藤一人さんは「天国言葉」と「地獄言葉」があるという。
『天国言葉』とは、ついてる、うれしい・たのしい、
感謝してます、しあわせ、ありがとう、ゆるします。
『地獄言葉』とは、ついてない、不平不満、
グチ・泣きごと、悪口・文句、心配ごと、ゆるせない。
「未来は明るい」とは、未来が「天国」だということ。
日頃、「天国言葉」を使っていれば、
あたかもテレビのように、天国にチャンネルを合わせることができる。
明るい思いを絶やさない人だ。
ものごとの、明るい面、肯定的な面、楽しい面、にいつも焦点を当てている。
反対に、「未来は暗い」と思っている人は、未来が「地獄」になってしまう。
日頃、「地獄言葉」を使っている人だ。
ものごとの、暗い面、嫌な面、つらい面、
ばかりに焦点を当て、それを引きずっている。
どんなときも…
明るい思いを絶やさない人でありたい。
・・・
<参照>
【斎藤一人】2024年 新作メッセージ※『
奇跡の人〜望んだ未来が手に入る!』
斎藤一人さんの言霊【まるかんアプリBooks】
(2024/04/09)
https://www.youtube.com/watch?v=h2l9WeXKCuk
【斎藤一人】本「奇跡の人」まとめ!
絶対によくなる日本チャンネル(2024/07/27)
https://www.youtube.com/watch?v=ek77GAk8oVg
<感謝合掌 令和7年4月29日 頓首再拝>
想念(こころ)を大きく持つ - 伝統
2025/05/11 (Sun) 10:31:24
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より
第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。
想念(こころ)は大きくなければ、
第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。
想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。
凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。
小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。
人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。
<感謝合掌 令和7年5月11日 頓首再拝>
想いのエネルギーを操り、未来を創る - 伝統
2025/05/12 (Mon) 10:37:47
あなたの念が未来を創る──想いのエネルギーを操る秘訣
宇宙の兄弟たちへ(2025年5月11日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/05/blog-post_11.html
(以下は抜粋です)
(1)念とは、強い集中と想いが合わさったエネルギー。
(2)念の強い人に共通する二つの特性
①想いが現実になりやすい:意識が創造を加速させる。
②人生がドラマチック:魂の学びの道が濃密
強い念は、魂に深い学びをもたらすため、
平坦な人生よりも、変化に富んだ“魂の冒険”を
用意するのです。
(3)念の力を育てるために大切なこと
①前世での霊的修行が念の土台を作っている。
念の力は突然手に入るものではなく、
魂の記憶に刻まれた“修行”によって育まれてきた
可能性があります。
②今世における「集中」も念を強める鍵。
何か一つのことに情熱を注ぎ続ける人には、
「念のエネルギー」が集まりやすくなります。
それは、日々の暮らしの中の祈り、瞑想、日記、
そして地道な努力の積み重ねの中に宿ります。
心を込めて「ありがとう」と言う行為ひとつでも、
念の力は育っていきます。
(4)念の強さがもたらす影と光
①良い方向に活用すれば、人生は花開く。
②注意しなければならない“念の暴走”
(5)念の使い方で魂の成熟度が決まる
念を使う際には、次のような“魂の姿勢”が
とても大切になります。
①他者への共感と配慮
②結果に執着しすぎず、流れにゆだねる心
③「与える喜び」と「感謝の祈り」を忘れないこと
こうした姿勢を忘れなければ、
念は“進化のエネルギー”となって、
あなた自身を輝かせる灯台となるでしょう。
(6)心の奥に宿る「祈りの念」が世界を変えていく
自分の中にどんな念が宿っているのかに気づくこと、
それをどう育て、どう使っていくかを選び取ることが、
とても大切なのです。
あなたの念は、きっと誰かの心を照らし、
そしてあなた自身をも癒していくでしょう。
<感謝合掌 令和7年5月12日 頓首再拝>
何を想念するかで、現象が変わる - 伝統
2025/05/16 (Fri) 11:09:06
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より抜粋
しからば諸君はまず何を想念すべきであろうか。
悪を想念するならば、悪は現象し来たるであろう。
善を想念するならば、善は現象し来たるであろう。
病気を想念するならば、病気は現象し来たるであろう。
戦争や敵意を想念するならば戦争や敵意は現象し来たるであろう。
平和のみ善意のみ想念するならば
平和のみ善意のみが現象し来たるであろう。
<感謝合掌 令和7年5月16日 頓首再拝>
想念の法則によって、健康も幸福も築いている - 伝統
2025/05/31 (Sat) 11:34:43
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より
心の法則にせよ、物質の法則にせよ、
いずれも反対の方向に働くことができるのである。
同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。
ある種の想念と感情は建設的創造的であって、友そのほか助けとなる力を呼ぶ。
これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。
それは誤解と争いと悪意とを創る。
この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。
実際失敗する人は、
好ましくない状態を作り出す方向に心の法則を働かしているのである。
次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。
すなわち
「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、その好ましいものと同様に、
あなた自身が心の法則に働かしめてみずからそれをもたらしたから
そこに存るのだ」ということである。
些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。
その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。
諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、
そこで想念の法則が、あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。
「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる
宇宙普遍の心、阿頼耶識の働きを言うのである。
これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。
阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、
もっと広義に用いられる。
夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。
それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。
阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、
肉体を創造する力は完全となるのである。
われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。
これに反して阿頼耶識が浄化されないとき
肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。
<感謝合掌 令和7年5月31日 頓首再拝>
人間は放送局であると同時に受信セットである - 伝統
2025/06/02 (Mon) 10:35:56
*『光明法語』(6月2日)より
一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。
二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって
想念の集団をなして具象化するのである。
だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。
<感謝合掌 令和7年6月2日 頓首再拝>
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動く - 伝統
2025/07/12 (Sat) 10:20:18
*「光明法語」(7月12日)より
~ 宇宙は一つの生命体である。
運動と云うものは「動くもの」と
それがその中で動くところの「媒質」とによって
可能となるのである。
例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。
では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。
ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。
<感謝合掌 令和7年7月12日 頓首再拝>