伝統板・第二 2557076

本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。


無限の富を汲みだす⑨

1:伝統 :

2022/05/13 (Fri) 07:23:24

今日は13日の金曜日です。

世間では、13は、忌み嫌い縁起の悪い数字になっております。

けれども、それは為政者が勝手にでっち上げたもので、

本来は富や幸運をもたらすも「トミ(13)」の日です。


富をもたらす黄金の『7つの知恵』

(1)第1の知恵 財布を太らせることから始めよう

   財布に10枚のコインを入れたなら、
   使うのは9枚まででやめておくのです。

   すぐに財布はふくらみ始めるでしょう。
   財布がだんだん重くなっていく感触は、
   手に持つと気持ちが良いものですし、
   みなさんの胸にもずしりとした満足感が湧いてきます。


(2)第2の知恵 自分の欲求と必要経費とを混同するべからず

   コイン1枚であったとしても、お金を使うときには、
   それが100%使う価値があるものでなければならない
   ということを肝に銘じるべきだ。


(3)第3の知恵 貯めた資金は寝かさず増やすべし

   人間にとって財産とは、財布の中に持っている現金ではありません。
   しっかりした定期的収入こそが財産なのです。

   財布の中に絶えず流れ込み、いつも中身をふくらませてくれる
   金の流れこそが財産なのです。


(4)第4の知恵 損失という災難から貴重な財産を死守すべし

   経験を積んだ人々の知恵を活用し、
   危険な投資から自分の財産を守る必要がある。


(5)第5の知恵 自分の住まいを持つことは、有益な投資と心得よ


(6)第6の知恵 将来の保障を確実にすべく、今から資金準備に取りかかるべし

  ①将来に備えて相応の所得を用意しておくこと。

  ②あなたが死んでも家族が快適な生活を続けられるように準備をしておくこと。


(7)第7の知恵 明確な目的に向かって、自己の能力と技量を高め、よく学び、
         自尊心を持って行動すべし

   大切なのは、明確で具体的な望みを実現する方法を身につけること。

   (『バビロンの大富豪』より抜粋)

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「無限の富 (5854)」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1098

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「無限の富を汲みだす (120) 」
     → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=56 (消滅)

   「伝統板・第二」スレッド「無限の富を汲みだす」(光明掲示板・第二)
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7895683  

(3)「光明掲示板・第三」内スレッド「無限の富を汲みだす (69)」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=35

(4)「光明掲示板・伝統・第一」スレッド「無限の富を汲みだす (67)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=41

(5)「伝統板・第二」スレッド「無限の富を汲みだす①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6460527

(6)「伝統板・第二」スレッド「無限の富を汲みだす②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6824314

(7)「伝統板・第二」スレッド「無限の富を汲みだす③」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7542012

(8)「伝統板・第二」スレッド「無限の富を汲みだす④」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7752637

(9)伝統板・第二「無限の富を汲みだす⑤」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7895248

(10)伝統板・第二「無限の富を汲みだす⑥」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7989074

(11)伝統板・第二「無限の富を汲みだす⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8084722

(12)伝統板・第二「無限の富を汲みだす⑧」
     → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8235501

           <感謝合掌 令和4年5月13日 頓首再拝>
2:伝統 :

2022/05/16 (Mon) 10:10:09


        *「光明法語」(5月16日)より

富を獲得するためには
何か不正なことを行なわないと得られないと思うのは間違いである。

また富と云うものが
神のみ心にかなわぬものだと考えるのも間違いである。

富と云うものは神の「生命(いのち)さきはえ」が
現象界に具現化したものであるから、

人間自身も生命(いのち)を出して与えた程度に従って
得られるのである。

与えれば与えるほど、換言すれば多くの人々に役に立つ働きをし、
多くの人々の役に立つ製品をつくり出したとき、
その人の収入は殖え、その人の富は増加するのである。

           <感謝合掌 令和4年5月16日 頓首再拝>
3:伝統 :

2022/05/22 (Sun) 09:23:03


       *「光明法語」(5月22日)より

若し諸君が富もうと思うならば、
富む事が罪悪であると云うような考えを捨てなければならぬ。

若し潜在意識が「富」を「避くべき罪悪」であると信じているならば、
潜在意識に諸君はする事なす事、
貧乏になるような行動をすることになるのである。

神は決してケチを喜び給うような方ではない事は、
地球と云う箱庭に太平洋と云う池をつくり、富士山と云う築山をきずいて、
その美しさを賞(め)でたまう事実を見てもわかるのである。

神の計画は大仕掛である。
人間も神の子ならば大仕掛に富んでも好い。
大なる計画は人を引着ける。

           <感謝合掌 令和4年5月22日 頓首再拝>
4:伝統 :

2022/05/23 (Mon) 11:25:11


       *「光明法語」(5月23日)より

富とは「金」のことではない。
封鎖されれば使えなくなるような「金」や紙幣は真の富ではない。

富とは「価値」である。「値打」である。
値打の中には色々の善き考え、身体(からだ)の健康、人格の魅力、
日常生活の快適や豊富さ、享受力の豊かさ、創造力の豊かさなどと云うものが
含まれている。

兎も角、諸君がこれらの富を得んとすれば、
それを得ることが決して罪悪でないと云うことを先ず知り、
自分が神の子であるから此等のものは必ず得られると云うことに確信を有(も)ち、
且つ必ず得て見せると云う大決心をしなければならぬ。

           <感謝合掌 令和4年5月23日 頓首再拝>
5:伝統 :

2022/05/24 (Tue) 09:07:37


       *「光明法語」(5月23日)より

富は先ず「善き考え」の具象化(かたちになったもの)であるから、
善き考えを起こさなければならぬ。

人間知恵で善き考えを起こしたくらいでは、
人に抽(ぬき)んで大なる富を得る事は出来ないのである。

多くの発明は天来のインスピレーションで成り立っているのである。
だから大いに富むためにはインスピレーションを得なければならない。
インスピレーションを得るためには神に波長を合わさなければならない。

神に波長を合わすためには、心を清め、心を静かにして、
神想観を行じなければならぬ。

           <感謝合掌 令和4年5月24日 頓首再拝>
6:伝統 :

2022/05/25 (Wed) 11:33:39


       *「光明法語」(5月25日)より

神の有ち給えるすべての富は既に汝に与えられているのである。
それをみずから取るか遠慮して取らないかは自分の自由である。

次のものを求むるよりも前に、既に与えられているものを完全に保有し、
感謝し、それを働かせているかいないかを反省すべきである。

既に与えられているものに感謝し、既に与えられている自分の富を、愛を、能力を、
深切を、充分人に与え、且つ働かせてこそ、新たなるものを求むるべきである。

その時にこそ神が既に豊かに与えたまうている物を取る力が出来ているのである。

           <感謝合掌 令和4年5月25日 頓首再拝>
7:伝統 :

2022/06/11 (Sat) 10:30:47


     *Web:大空からのメッセージ(2014年11月07日)より

(1)1日15分ほど腰をおろし、心を静かに落ち着けて天にこう祈りなさい。

   「わたしに恵みを与えてくれていることに感謝します」。

   あなたはますます恵みを受ける存在となるでしょう。

(2)「お金が憎い」とか「汚い」といった言葉を使ってはいけません。
   人は批判するものを失うことになるのです。

(3)「考え」は目に見えない非物質的な力ですが、
   それを用いて資本を作ることができます。

(4)あなたが貧しい心の持ち主であるなら、
   あなたが引きつけるのは貧しさばかりです。

(5)あなたが富や成功や適切な行為や昇進を肯定したら、
   あとで打ち消さないように注意しましょう。

   それは酸にアルカリをまぜるようなもので、
   中和され不活性化してしまいます。

(6)あなたが欲するものをはっきりとした形でとらえて想いなさい。
   それがあなたの部屋の中にあるのを見なさい。

   手で触れて、その感触を味わってみなさい。
   そうすれば、それはあなたのものになります。

(7)あなたは富を得るのではありません。

   発見するのです。

   富と栄光はあなたの内にあり、あなたに発見されるのを待っています。

(8)いま裕福でなくても裕福であるかのごとくふるまいなさい。
   演技も上手にやれば、潜在意識に命令を与えます。

   そうなれば、もはやそれは演技とはいえません。
   現実そのものです。

(9)お金は悪いものではありません。
   金銭にまつわる悪い出来事は無知と間違った使い方から生じるのであって、
   お金そのものに責任があるわけではないのです。

(10)すべての富は心の中にあります。

   富か、それとも貧困かを決定するもの、それはあなたの心の態度です。

   富を考えれば富を招きます。
   貧困を考えれば貧困がやってきます。

   どちらを選ぶかはあなた自身なのです。

           <感謝合掌 令和4年6月11日 頓首再拝>
8:伝統 :

2022/06/14 (Tue) 06:56:30


     *Web:大空からのメッセージ(2014年11月07日)より

(11)もっと大胆に、自分は金持ちになる権利があるのだと断言しなさい。
   そうすれば、あなたの心の深層はあなたの断言に報いてくれます。

(12)宇宙に法則があるように、富を得るにも一定の公式があります。
   それは「自分には豊かになる権利がある」と心の底から信じることです。
   それをできた人が富を手に入れているのです。

   この公式を無視してどんなにがんばっても富を手に入れることはできません。

(13)何かを犠牲にして別のものを手に入れようとしてはいけません。
   人生のよきものはすべて手に入れるか否かどっちかなのです。
   もっとよくばりになりなさい。

(14)感謝の気持ちを常に持っている人は、
   宇宙の力、無限の英知と調和することができます。

   そういう人はあらゆる恩沢を引きつける精神的磁石となります。

(15)競争心はあなたの富に限界をもたらします。
   空気がなくなってしまうことのないように、
   宇宙の無限の富もなくなることはありません。

   何も奪うことなく、欲するすべてが手に入ることを知りなさい。

(16)欠乏、限界、拘束などを感じ、その考えに囚われていると、
   あなたはいっそうの欠乏とさまざまな限界を作り出してしまいます。

   あなたが注意を振り向けるものはすべてあなたの心の中で拡大されます。

(17)考えるということは非物質的なことですが、
   それによって見えざる宝庫から手に触れることのできる富を
   引き出すことができるのです。

   富を思えば豊かになります。
   また、貧乏を思えば貧乏になります。

(18)思うようにお金の貯まらない人は、
   心の底でお金なんかいらないと思っているのです。

(19)自然は限りなく豊かであり、途方もなく贅沢ですべてにわたって鷹揚です。
   自然の豊富さを観想すれば、より豊かな人生を体験するようになります。

(20)自分が何かを得たいと思うなら、まずそれを求めなくてはなりません。

   求めるとは漠然とあれがほしいと考えることではありません。
   もっと強烈に思うことです。
   そしてその思いを持続させることです。

   そういう求め方をすれば手に入らないものはないといっていいでしょう。

           <感謝合掌 令和4年6月14日 頓首再拝>
9:伝統 :

2022/06/19 (Sun) 07:05:27


     *Web:大空からのメッセージ(2014年11月07日)より

(21)心の中を豊かな考え、イメージ、気持ちで満たすことが、富に至る第一歩です。
   そしてその豊かな考えはそれ自体、欲しているものの実体であり、
   まだ見えざるものがやがて実現する確証なのです。

(22)精神的であれ、物質的であれ、富がもたらされる全過程は、
   感謝という一語に要約することができます。
   あなたが感謝の心を持たないとしたら豊かさとは縁遠いに違いありません。

(23)請求書を支払い、負債をいっさいなくしてしまう魔法のような公式。
   それは請求書を受け取ったときにそれと同額の収入があったと思い、
   感謝することです。

   そうしているうちに、
   その想像の収入はしだいに潜在意識に植えつけられていきます。

(24)惜しみなく喜んで豊かな気持ちで与えなさい。
   そうすればその何倍、何十倍の富が必然的にあなたのものになるでしょう。

(25)潜在意識の法則ではお金の悪口をいってはなりません。
   お金の悪口をいえばお金は逃げていきます。

   悪口をいわれて喜ぶ人がいないように、
   お金を呪ってそれを得ようとするのは間違いです。

           <感謝合掌 令和4年6月19日 頓首再拝>
10:伝統 :

2022/06/20 (Mon) 07:11:34


     *Web:大空からのメッセージ(2014年11月07日)より

(26)潜在意識はあなたがその中に預け入れるものをなんでも増殖します。
   だから豊かになりたいと思うなら、まず潜在意識に投資するべきです。

(27)他人のためにお金をつくるようにしなさい。
   そうすればあなたにもお金ができます。
   あなたは自分が期待していたよりずっと繁栄します。

(28)他人をあざむき、他人から奪い、他人をだますことは、
   欠乏、損失、不自由となってあなたにはね返ってきます。

(29)天地は限りなく豊かであり、途方もなく贅沢です。
   そしてあなたに富を与えようとしています。

   それに気づいて心の法則を働かせるとき、
   自然の富はあなたのもとへ流れ込みます。

(30)同僚が成功し繁栄するのを喜びなさい。

   それが自然にできるようになれば、
   あなたはよき同僚に囲まれ、
   富にも囲まれていくでしょう。

           <感謝合掌 令和4年6月20日 頓首再拝>
11:伝統 :

2022/06/21 (Tue) 07:21:10


       *「光明道中記」(6月21日《三たび自己を顧みる日》)より抜粋

宇宙の富は宇宙全体の《もの》であるから、
宇宙無限の富の供給を受けんと思う者は、自分が多く供給されればされるだけ、
それを使って全体のために使い得る用途を見出さなければならぬ。

金でもたんまり入って来たら、
日頃買いたいものを思う様買って利己的に楽しめるのになア
―― などと利己的なことを考えながら神から無限供給が来ると思ってはならない。

欠乏するかも知れぬと思って、有用なことに使うことを恐れている者は
要するに無限供給を知らぬものである。

無限供給は与えられたものを以て
最高度に全体のために奉仕することによって循環して来るのである。

豊富に与えられんと思う者は豊富に与えなければならぬ。
豊富に与えるとはただ無暗(むやみ)に非効率な出し方をすることではない。

叡智の伴わない施与(ほどこし)は自由を傷(きずつ)ける。

           <感謝合掌 令和4年6月21日 頓首再拝>
12:伝統 :

2022/06/22 (Wed) 07:25:10


     *「光明道中記」(6月22日《神意(みこころ)を行ずる日》)より

【十字架を負うてすべての持てるものを捨てて我に従え。(『生命の實相』第九巻)】

金は必ずしもある切り出し切るのが神意に適うのではない。
と言って金の出し惜しみをするのが神意に適うのでもない。
全体のために有用に使うことである。

今、有用に使う道が発見せられないならば、
「有用に使う道を発見せしめ給え」と祈りつつ、
有用に使う道が発見されるまで貯蓄して置くべきである。

有用に使う道を発見せずしてみだりに金を放出する者を浪費者と言うのである。
浪費者は天物を亡殄(ぼうてん)するものであるから、
やがて自己が貧しさに苦しまねばならぬ時が来るであろう。

貯蓄は老衰後のためや手足が不自由になったり、
頭脳(あたま)が役に立たなくなった時の
生活費にと貯えるべきものではないのである。

老後のためと思えば老衰が来るであろうし、
手足の不自由の時のためだと思えば手足が不自由になるであろうし、
頭脳が役に立たなくなった時のためだと思えば、やがて頭脳が役に立たなくなって
来るだろう。

思う通りに何事でも成就するからである。

「貯蓄は有用なる使途を発見するためのものだ」と思って貯蓄すれば、
やがて有用なる使途が発見されるであろう。

その使途はまたその人を高め上げ無限供給を招(よ)ぶであろう。

           <感謝合掌 令和4年6月22日 頓首再拝>
13:伝統 :

2022/06/26 (Sun) 07:08:08


     *Web:大空からのメッセージ(2014年11月07日)より

(31)貧すれば鈍するというのは真実です。
   思考の貧しさが現実の貧しさを招くからです。
   この悪循環をどこかで断ち切らねばなりません。


(32)貧困は美徳ではありません。むしろそれは病です。
   人が決して病になることを欲しないように、
   貧困になることを欲する者はいません。

(33)貧乏は一種の病気です。
   病気は癒されなければならないように、
   貧乏も癒されなければなりません。

   貧乏の中に美徳などはありません。

(34)富はどこにありますか。
   それはあなた自身の内、あなたのまわりのいたるところにあります。
   神がどこにでもおられるのと同じように無限の富は存在しているのです。

(35)富はよきものです。
   これを無視したり否定してはなりません。
   そんなことをすると手痛いシッペ返しをくらうことになりかねません。

           <感謝合掌 令和4年6月26日 頓首再拝>
14:伝統 :

2022/07/12 (Tue) 07:29:39


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月12日)より抜粋

あの利益、この利益と求めている者にもお蔭はあることはあるが、
割合にお蔭が少ないものである。

なぜなら現象に捉われて、
生命それ自身の自由自在さを失ってしまいやすいからである。

あの利益、この利益と求めるものは近眼(ちかめ)である
 ―― 心の近眼(ちかめ)である。

孑孑(ぼうふら)を追い求めるよりも
呑舟(どんしゅう)の大魚(たいぎょ)を求むるに
若(し)かずである。

すべての利益が与えられているのに、
あの利益、この利益と求むるには及ばないのである。

           <感謝合掌 令和4年7月12日 頓首再拝>

15:伝統 :

2022/07/14 (Thu) 06:55:16


     *Web:大空からのメッセージ(2014年11月07日)より

(36)富める人はますます富み、いっそうの幸福を引きつけるようになります。
   それは彼らが神の無限の富で心を満たしているからです。

   喜びをもって富を期待し、それを受け入れる準備ができたとき、
   お金はあらゆる角度からあなたへと流れてきます。


(37)富をふやすコツは一人占めの発想から脱却することです。

   人と協力し、人のためになることを目指すとき、
   あなたの富は大きくなるでしょう。

   神と協力しようとするとき、
   あなたの富はほとんど無限に大きくなるでしょう。

(38)富を思えば豊かになります。貧乏を思えば貧乏になります。

   思うことは非物質的ですが、
   この想念の世界こそすべてを創り出す源なのです。

(39)富を阻む障害は心の奥深いところにあります。

   他人をねたむことは富の流れを阻むばかりか
   悲惨と窮乏を引きつける原因になります。

(40)咎めてよい人はだれもいません。
   政府や税金や社会や世相などを咎めるのをやめなさい。

   大きく考え、豊富なさまを心に描きなさい。
   そうすれば、後は牽引の法則がすべて引き受けてくれます。

https://ameblo.jp/ooinarukuu/entry-11949367296.html

           <感謝合掌 令和4年7月14日 頓首再拝>
16:伝統 :

2022/07/15 (Fri) 07:40:37


      *『人生の秘訣365章』第7篇(P177~178) より

神から与えられている富は貨幣の形をしている訳ではなく、
また物質の形をしている訳ではないのである。

それは人類の心の中に宿っている愛と智慧とであって、
愛と智慧とを充分出しさえすれば、
それは愈々益々人類を益することになり、

人類を益する事業又は企画を実践するならば
それが自然に“富”となってあらわれて来るのである。

神の富は、人間の愛と智慧とを通して具体的な表現を遂げるのである。


常に人類が何をもとめているかを察せよ。

人が求めているものを与えるのが“愛”である。
人類が楽しみを得るものを考えてそれを与えよ。
それが“愛”を与えることである。

しかしその“楽しみ”が人を堕落せしめるような“楽しみ”を与えるならば、
一時その人を悦ばすことができても永遠にその人を幸福にすることにならないから、
その結果の報いは、それを与えた人も受けなければならないのである。

           <感謝合掌 令和4年7月15日 頓首再拝>
17:伝統 :

2022/07/17 (Sun) 06:58:20


     *『人生の秘訣365章』第7篇(P178~179) より

外の富に頼るな。
内に宿るところの無限の富、無限能力に頼るがよい。

外の富は、内に宿る無限能力の一部が
外に影を映したものに過ぎないのである。

“影”はそれを映し出している本体がそこを去るとき
忽ち消えてしまう性質をもっているものなのである。

“影”を追い求める迷いを棄てて
実体を表現するために何を為すべきかを求めよ。

唯一の実体は神である。
神は愛であり智慧である。
されば、神の愛と智慧とを表現するために何を為すべきかを、
神想観中に祈るがよいのである。

そしてその時思い浮かぶことを、神の啓示として素直に受けとり、
手帖を用意しておいて書きしるし、そのうち直ぐ実行できる事は
直ちに実行するがよいのである。

神からの啓示が来ても、それを直ぐ実行しない時には、
次から本当の啓示が来なくなることがあるのである。

           <感謝合掌 令和4年7月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2022/07/20 (Wed) 07:36:57


      *『人生の秘訣365章』第7篇(P179~180) より

イエスが五つのパンを五千人に頒(わか)ち与えて、
あとに尚十二籠に山盛りのパンが残ったという奇跡は、

愛によって“富”が行使せられるとき、
無限供給の“富の本源”なる神からパイプが通じて、
裕(ゆたか)に富が与えられることを実証するものなのである。

物質そのものを尊重するのではなくして、
物質の奥にある“神の愛”を礼拝し尊重する意味に於いて、
イエスはどんな小さなパン屑をもそれを拾い集めさせているとき、
十二籠に山盛りのパンが残ったのである。

“与える”という“愛”の実践と、
物質の奥にある“神の愛”の礼拝尊重とによって、
与えた富以上に無限の富が与えられることになるのである。

           <感謝合掌 令和4年7月20日 頓首再拝> 
19:伝統 :

2022/07/22 (Fri) 07:44:44


      *『人生の秘訣365章』第7篇(P180~181) より

現代は生産設備の進歩により、寧ろ生産過剰を来たして、
滞貨の増加によって不景気を招来しているような形勢を来たしつつあるのである。

それだから何でも一寸使って棄ててしまって新に買うことが滞貨を減らし、
景気をよくする道だというように考える人もあるのである。

物質が単に言葉通りに“物質”に過ぎないものであって、
その背後に“神の愛”が宿っていないのだったら

「一寸使って棄ててしまう」経済は
景気恢復に絶好の妙薬を提供するように見えるかも知れないが、

物を粗末にする経済は、物質の奥にある「神の生命」を粗末に扱う心があるために、
それより後の、無限供給の通路の扉を閉ざしてしまうことになるのである。

           <感謝合掌 令和4年7月22日 頓首再拝> 
20:伝統 :

2022/07/24 (Sun) 07:38:18


     *『人生の秘訣365章』第7篇(P181) より

日本語の“物(もの)”を“神からの祝福”のあらわれとして
尊重する場合に発する「勿体(もったい)ない」という語(ことば)は、
“これは物体(もったい)ない”という意味なのである。

百丈和尚が小川で野菜を洗っていたとき、
たった一枚の菜の葉がちぎれて流れて行ったとき、
それを走って行って拾い上げると、推し戴いて
「これは佛物(ぶつもつ)だ」といったというのは、

一枚の菜の葉と雖も、神の祝福のあらわれであって、
決して単なる物体(もったい)ではないという意味だったのである。

そのように物質を単に物質と見ないで、その奥にある神の愛と生命(せいめい)と
智慧とを礼拝する心になるとき、神の愛と生命と智慧とに吾々人間は交通でき、
それが良き“生活の智慧”となって繁栄がもたらされることになるのである。

           <感謝合掌 令和4年7月24日 頓首再拝> 
21:伝統 :

2022/07/25 (Mon) 09:09:54


      *『人生の秘訣365章』第7篇(P182~183) より

今、既に自分が實相に於いて無限供給を満喫していることを信ぜよ。

肉眼で見えるものしか信じない人々にとっては、現在、物質世界に於いて
貧しい生活を営みつつあるのに、「既に實相に於いて無限供給を満喫しつつある」
と信ずることは困難であるかも知れないけれども、宇宙の一切のものは、
すべてもとは不可視の本源から生まれ出て来たのである。

宇宙の最始源には、天体も何もなかったのである。
それを神が想念を起して、心に描くことによって、
その描かれたものが法則を通して実現することになったのである。

そしてその“神の生命(いのち)”が吾々自身のいのちとなっているのであるから、
吾々自身もまた、想念を心に描くことによって、不可視の世界から、法則を通して
自然の秩序を経て“富”を此の世に実現することが出来るのである。

この「法則を通して」ということが大切であって、妖術の如く、幻術の如く
“富”が忽然として顕現するのではなくて、最初に心に強く描けば、
その描いたものを実現するための行動が、自分自身及びその問題に連関する人々に起り、
自然の秩序を通して、心に描いたものが実現することになるのである。

           <感謝合掌 令和4年7月25日 頓首再拝> 
22:伝統 :

2022/07/28 (Thu) 07:34:17


       *『人生の秘訣365章』第7篇(P183~184) より

あなたは何よりも先ず神の造り給うたこの世界は「すべて善し」であって
「悪」はないということを知らなければならないのである。

従って悪なる“貧しさ”というものも實相に於いては存在しないのだ
ということを知らなければならないのである。

神のつくり給うたこの世界は、“エデンの楽園”といい、“極楽世界”といい、
“龍宮海”といい、“天国”といい、その呼び名は典拠によって色々異なるけれども、
すべてそれは裕(ゆたk)な豊富な世界であるように表現されているように、
貧乏などというものは実際に於いて存在しないのである。

貧乏というものは本当にあるのではなく、その人の心のうちに描かれ、
それを行動化して自分で造り上げたものであるから、あなたが想念の世界に於いて

「貧乏などというものは存在しない、自分は“神の子”として今現に富めり」

という念を強く把握し、勇気と歓びとをもって行動すれば、
運命は自然にひらけて、あなたは屹度富むようになるのである。

           <感謝合掌 令和4年7月28日 頓首再拝> 
23:伝統 :

2022/08/09 (Tue) 13:08:10


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<8月9日>(P45)より

もし、自分が利益を獲得することが利己的目的でないならば、
もし自分が利益を獲得することが一切衆生を利益する目的に適うならば、
もし自分が利益を獲得することが他の人に光を与える手段を供しうるならば、

その利益の獲得を神に求めてもさしつかえないのである。
神は必ずその利益を与え給うに相違ないのである。

金銭、財貨そのものは浄でもなければ不浄でもない。
それを一切衆生を扱うために集めるならば多々ますます集めることも善である。

神の無限供給を得るにはまず神の無限性を信じなければならぬ。
われわれに宿る神が、常にわれわれを導き給うと信じなければならぬ。
われわれが神にいかほど求めても、求めすぎるということはないのである。

神は太平洋を自己の箱庭の池として造り、富士山をその築山とし、
ナイヤガラ瀑布を盆景の滝としたまうほど豊富な神である。

神はけっしてケチな神ではないのである。
神はけっして、空気を人間が吸ったら、ちょうど一バイで少しも余りがないように、
ギリギリ一パイに製造し給うたごときケチな存在ではないのである。

空気のみならず、日光でも、地下水でも、植物でも、海水でも、
使っても使っても無限に余るほどに製造し給うているのである。

だから神に求めすぎるということはけっしてないのである。
むしろ、われわれは神に求めることがあまりにも少なすぎるということをこそ
かえって恥ずるがよいのである。

われわれは、何よりも、わが業(わざ)はわが為(な)すにあらず、
われに宿り給う神が為し給うのだと信じなければならぬ。

この大信念が切々たる実感として溢れてくるまで、幾度(いくたび)でも繰り返し、
「わが業(わざ)はわが為(な)すにあらず、われに宿り給う天の父これを為し給う」
ということを念ぜよ。

しかして神に依り頼れ。
希望を持て。
心を平静に持て。

神の愛を信ぜよ。
無限性を信ぜよ。

神がその聖なるみ業(わざ)を自己を通して為し給うのだと信じて、
それを繰り返し念じて、自己の心を一変せよ。

      <感謝合掌 令和4年8月9日 頓首再拝>
24:伝統 :

2022/09/05 (Mon) 09:13:05


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月5日)より

負債(おいめ)というものの観念の中には、「欠乏」の感じがしているのである。
債権者は、返してくれるはずのものが「欠乏」していると考える。

負債(おいめ)というものを考えるとき、どちらの側も「欠乏」という観念から
抜け出すことができないのである。

本当に繁栄を得ようと思うならば、この欠乏の感じを「お蔭」(神からの供給)の
考えに転回してしまうことが必要である。

債権者の方からは

「あの人に貸し与えるほど豊かな供給を得てありがたい」

と考え、

債務者の方からが、

「あの人を通して無限の供給を恵みたまうてありがたい。神の無限の
 供給が種子(たね)になっていよいよますます幸福がやって来る、
 ありがとうございます」

と考えるがよい。

             <感謝合掌 令和4年9月5日 頓首再拝>
25:伝統 :

2022/09/06 (Tue) 08:18:20


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月6日)より

相手が債務を履行しないことを責める心、
払わせようと「損」を気に懸(か)ける心よりも、

「すでにわれ無限供給の富を受けたり」という
「供給豊富」の観念を常に心に持ち続ける方が、
実際に富をいっそう増大することになるのである。

気の小さいようなことではいかぬ。
一方で損をしたにしてもクヨクヨと思ってはならない。

いっさいの富は「神」より来たるのであり、
「神」はいたるところに充ち満ちていたまうのであり、
そしてわれわれの想念するとおりの形をとって顕われたまうのであるから、
「損」を心に描くことなく、自分に「損」をかけたと思う人に対しては、

特にその人が「豊富」であるように念じてやることが相手を生かし
自分の債権も生かすことになる。

             <感謝合掌 令和4年9月6日 頓首再拝>
26:伝統 :

2022/09/12 (Mon) 08:53:47


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月12日)より

各人の富は、神の無限供給の源泉を、自分の心で受けた分量であるから、
自分の心の影だということができるのである。

もしすべての人の富を回収して、それを全人類に平等に分配しても、
たちまちのうちに富む者は富み、貧しくなる者は貧しくなるのであろう。

その人の心が、その分配されたるものを操作して
おのおの異なる結果を生むことになるのである。

今日(こんにち)自分が働く力、考える力、生きる力、味わう力・・・等々を
与えられていることを感謝せよ。
すでに無限の供給の今あることに感謝せよ。

(損失なんて考える必要はないのである)そして、感謝のうちに報恩のために
働く力を、考える力を他(ひと)のために与えて奉仕せよ。

これが富の道である。

             <感謝合掌 令和4年9月12日 頓首再拝>
27:伝統 :

2022/09/13 (Tue) 07:53:27


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月13日)より

金を借りるのは必ずしも悪いことはないが、
約束の時に必ず返却しうる万全の用意ができていなければならないのである。
返却しうる可能性だとか決心だけではいけない。

碁の布石のように、この石をこう置いたらこの次の石はこうなるという
ハッキリした計画と準備があって、それで金を借りるのならよい。

実際神の無限供給があるのに、「債務を負っている」という一種の「欠乏」とか「貧乏」
とかの観念の伴いやすい生活条件に入ることは好ましくないのである。

神の無限供給の世界に入るならば、そこには債権者も債務者もないのである。
そこは、ただ恵まれている世界である。
その恵みに報謝する働きをしておれば必要なものはことごとくやって来るのである。

             <感謝合掌 令和4年9月13日 頓首再拝>
28:伝統 :

2022/09/17 (Sat) 09:08:03


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月17日)より

宇宙の終始一貫せる法則の中には、因果応報の法則がある。
原因あれば必ず結果があるという法則である。

いかに狡猾に原因だけを造っておいて、結果だけをのがれようと試みても、
結果は早いか遅いか、あるいは他の形態をもってするか、
いずれにせよその人に報いてくるのである。

イエスが5つのパンと小さき肴(さかな)2つを5千人に分け与えて
なお12の籃(かご)にパンの余りが残っていたという奇跡が行なわれたときに、
なぜそのような奇跡があらわれたのであろうか。

それは愛のゆえに分け与えたこと、
そして「廃(すた)るものなきよう擘(さ)きたる余りを集めよ」
というイエスの教えを実行したからである。

無限供給を念じさえするならば、物の余りを粗末にしてもさしつかえない
と思うのはまちがいである。

             <感謝合掌 令和4年9月17日 頓首再拝>
29:伝統 :

2022/09/20 (Tue) 08:48:39


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月20日)より

使わずに蓄(た)めておくということもある時期においては必要である。
それは種子(たね)を適当な種蒔きの時期まで保存するような意味である。

しかし未来の欠乏の恐怖によって物に執着する意味での貯蓄は、
「欠乏」の想念(こころ)が先になっているから、あまり感心しないのである。

まず神の国の無限供給を認識し、それを生かし表現することにつとめるならば、
未来も今も常に無限の供給に満たされることになるのである。

富の固定をもって真の富と考えてはならない。
固定しているかぎり、それはなんら人生に益することはできないのである。

富は有益に使うとき増殖する。

        <感謝合掌 令和4年9月20日 頓首再拝>
30:伝統 :

2022/09/26 (Mon) 12:28:35


     *『人生の秘訣365章』第11篇(P273) より

幸福は恰度適当な分量を常に神から頂いている者に与えられる。

あまりに過剰に所有が殖える事を“富”だと考えることは間違である。

物が裕にすぎて却って不幸が来るのは、
大都会の道路に自動車が密集して動きがとれなくなっているのが、
必ずしも幸福でない事実を見れば解るであろう。

富とは必ずしも物質の量によらないのである。
いくら物質の量が多くとも幸福の要素を内に含んでいないものは
“富”とは言い難いのである。

排気ガスによって空気が汚れ、これが肺癌を誘発する原因になったり、
交通事故で、ヴェトナム戦争以上に死傷者が出たりするのは、
自動車の台数がいくら殖えてもそれは本当の富ではなく、
“マイナスの富”である事を現している。

天然の風光明媚の海岸の風景を破壊して
毒煙濛々とたちのぼる臨海工業地帯に
いくら数多(あまた)の工場が建設せられても、

それは“マイナスの富”を増加して、
金銭で購(あがな)いがたい天然の風光という“富”を毀しているから
称めたことではないのである。

人類は今や、物質の富を追うラッシュで
眞の富を破壊しつつあるのではないだろうか。

        <感謝合掌 令和4年9月26日 頓首再拝>
31:伝統 :

2022/11/04 (Fri) 07:52:49


       *「光明道中記」(11月4日《福徳円満の日》)より

【完全に自分の生命を与え切ったとき自分の生命はその仕事と一つになる。
                       (『生命の實相』第四巻)】

「儲ける」の語源は「設ける」である。
設けるとは施設することであり、ものを創造することである。
創造のあるところ、「設け」があり、「儲け」があるのである。

天地の真心を受けて創造されたるものが「設けの君」である。
「もうけ」は「真受(まうけ)」である。

天地の真心を受けたとき
そこに価値施設が行われ、創造が行われ、自然に儲かるのである。

本来「儲け」は「設け」に伴うものであったのに、
近来、資本主義の爛熟期に到達するに及んで「設け」ずして、
金銭を遣(や)り取りしたり、電話で商談を運ぶのみにて「儲ける」
と云う本末転倒の扁行為(へんこうい)が行われることになったのである。

単に商談するのみにてその間に合理的手数料以上の利潤を得るものは
中間搾取と認められるし、物質欠乏の際には異常の物価釣上で
商談するものを生じ、インフレに拍車をかけるから、
物価一切の釘付を行えば、中間搾取の余地がなくなる。

私は戦争中、何月何日現在として一切の物価を公定せよと、提唱したることがある。
すると1年半後にそれが勅令で布告せられた。

戦争中でもなければ、自由世界では物価の公定は困難であるらしく、
鉄道運賃、消費者米価、郵便料金、電話料金、電気代、ガス代等
すべて高率の引上げでインフレは益々昂進しつつある。

        <感謝合掌 令和4年11月4日 頓首再拝>
32:伝統 :

2022/11/05 (Sat) 07:16:51


    *「光明道中記」(11月5日《無限供給を受くる日》)より

【時間を巧みに生かす者は自己の生命を生かす者である。
                   (『生命の實相』第四巻)】

宇宙は無限、天地は無限供給である。
神は無限の富者、人は無限の富者の後嗣者(あとつぎ)である。

「我」と云う限界を撤廃したときに、
宇宙がそのまま自分のものとなるのである。

手を握れば一握(あく)の砂をも入るに足らず、
手を開けば、掌上に宇宙が載るのである。

生命(いのち)の営みがあれば、そこに衣食おのずからあり、
「儲け」は「設け」であるからである。

『生命の實相』の中に、金魚を入れた水盤と、
金魚を入れない水盤と2つがあって、
そのいずれにも水を満たして置けば、

金魚の住んでいる水盤には速やかに藻が生えて、
金魚はそれを食して生活しているが、
金魚の住まない水盤には容易に藻が生えないと云う
事実が書いてあるが、味わうべじである。

藻が生えてからあの水盤の中へ跳び込もうと思って、
金魚が陸(おか)から水盤の中へ跳び込まずにいたならば、
ついに、その金魚が餓死するか窒息して了うであろう。

何も食物の無い水中へでも跳び込んで、
其処に生命の《いとなみ》が始まったら、
自然と其処に藻が生えて来るのである。

《いのち》の営みは、「設け」であり、生えて来る藻は「儲け」である。
「儲け」があって働くのではない。
藻が生えてから跳び込むのではない。

          <感謝合掌 令和4年11月5日 頓首再拝>
33:伝統 :

2022/11/11 (Fri) 07:28:26


       *「光明法語」(11月11日の法語)より

神は寛大であり、無限の供給であって、
他を害せず、他の持物や享受を侵害せずして
自分に《なくてならぬもの》は必ずそれを与え給うのである。

《なくてならぬもの》とは必ずしも、切羽詰った
「それがなくては死ぬ」と云うようなものでなくとも、

その生活に

「愛を生かし、美を生かし、智慧を増進し、
 平和と調和をもたらす為に必要なるもの」

であれば、一寸した菓子や机の上の装飾物や、
ラジオ・セットや蓄音機のような生活必需品でなくとも
与えられるのである。

          <感謝合掌 令和4年11月11日 頓首再拝>
34:伝統 :

2022/12/15 (Thu) 08:06:37


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月15日)より

決意、心の世界における素描(そびょう)、その素描の上に絵の具を塗る実行、
それは絵師(えかき)だけのことではない。
人生の画布(カンパス)の上に実生活の絵を描くところの人間の一生もそれである。

真に富者(ふうじゃ)となるには、「われすでに富めり」の素描を心の中に描き、
それを実践に移さなければならぬ。しかし富とははたして何であるか。

富とは決して物質の所有ではないのである。

多くの人たちは富とは物質の所有であり、
物質を所有することによって生活の安全感と優越感とを
確保しうるもののように誤解しているのであるけれども、
物質はそれを所有すればするほど、
生活の安全感は失われるのである。

いかにしてその所有を減らさず確保しようかということは、
物質の所有者に絶えざる不安を与えるのである。

さればキリストは、

「富める者の天国(最大の安全感ある場所)に入(い)ことの
 難きこと駱駝の孔(あな)を通るがごとし」

と言ったのである。

真の富はもっと精神的または霊的なものである。
鑑賞する力の多き者は真に富める者と言うことができるのである。

山肌の美しさ、蒼空(あおぞら)に漂う白雲(はくうん)の美しさ、
路傍に咲く1本の草花の美しさ、小鳥の囀(さえず)りの美しさ
・・・挙(あ)ぐれば限りなく豊富な美しさがいたるところに
満ちているのである。

それは預金帳や小切手や金庫の中で数えられる富や、
大邸宅とその付属庭園で見られるごとき有限なる狭き美しさではない
のである。

何よりも富とは外界の物質そのものではなく、
そこから引き出し来(く)る悦びの豊富、美の感受能力、
鑑賞力の豊富さであることを知らねばならないのである。

猫や犬に活け花の美や、彫刻の美や、絵画の美や、
山脈(やまなみ)の曲線の美しさや、
樹々(きぎ)緑したたる美しさはわからない。

彼等には美の感受能力乏しきがゆえに、無限に豊富なる美の宝庫の
中に入れられていてさえも、そこから美を汲(く)み出すことを知らず、
ただ腐肉や、魚の骨をさがし求め争うているのである。

しかるにあたかも万物の霊長であり、神の最高顕現なる人間が、
この豊富なる美の宝庫なる人生に生まれながら、
腐肉を追い、魚骨(さかなのあら)を探しもとめる犬猫のごとく、
ただ固定した一塊(ひとかたまり)の札束(さつたば)や、
物質的富のみを求めるならば、

それは人間として与えられたる至高の特権を放棄せるもの
と言わなければならないのである。

しかしわれらは決して、物質的富を排斥するものではないのである。
精神的にして霊的なる富がわれらにゆたかにひらかれるならば、
必ずきまって物質的富はおのずから、その反影として整うのである。

これに反して物質的富の中には必ずしも精神的霊的なる富はひらかれない。
あまり物質の所有欲に心が捉えられるとき心は物質にしばられて
他の豊かなる美を鑑賞する暇と能力とを失ってしまうからである。

真に富まんと欲するものはまず霊的精神的なる富を得なければならぬのである。

決意、素描、実行
 ―― これは心が形の世界に顕(あら)われる3つの要素である。

            <感謝合掌 令和4年12月15日 頓首再拝> 
35:伝統 :

2022/12/16 (Fri) 08:08:10


      *「光明法語」(12月16日)より)

富と云うものは貨幣のみではない。
又物資のみでもない。

人に深切を盡して置くと、それが富である。
軈て入用の時に其の人から再び深切にされ援助される事がある。

よき考えもまた富である。
実用新案などと云って、一寸した小さな「善き考え」さえも
無限に儲けを引出すこともあり得る。

よき友人を持つ事も富の一種である。

信用も亦富である。
意思の強固さや、持続力の強さや、頭脳の良さも亦富である。
更によき妻をもち、よき子をもち、良き召使を持つ事も大なる富である。

           <感謝合掌 令和4年12月15日 頓首再拝> 
36:伝統 :

2022/12/25 (Sun) 08:04:03


     *「光明道中記」(12月25日《必ず一人を救う日》)より

【毎日一度は誰かに深切にせよ。与えることによってのみ自己は拡大する。
                       (『生命の實相』第四巻)】

富は富自身に魅力を有(も)っていて、富が蓄積されはじめると、
富を人類に有用な方向に使用することを惜しむように成り勝ちである。

そうなると、その富はやがて単なる「形骸」となり終って
内容たる「生命」を失いはじめるのである。

キリストはかかる富の魅力に捉えられざらんがために、
「富める者の天国に入ることの難きこと駱駝の針の孔(あな)を通るが如し」
と言ったのである。

すべて何でも大きくなって来るときには、「大いさ」と云うものの魅力が
加わって来るが為に、何のために「大きくなること」が必要であったかと云う
本当の目的を失って了って、「大きくなること」のみを求めるようなことになる。

人間の愛の目的が失われ、物を集め大きくしたのは「愛」の目的があった
と云うことが忘れられ、雪達磨が坂道を自転しつつ次第に大きくなりつつ、
しかも破滅に近づきつつあることを自覚しないと
同じような事実が、富の蓄積にも言い得られるのである。

富は入用の程度で満足することを知らねばならない。
入用の程度で満足していたならば、世界には資源争奪も起らなかったし、
世界の資源は人類の福祉のために自由に解放せられて黄金世界を現じたであろうし、
現代の石油ショックも起らなかったに相違ないのである。

           <感謝合掌 令和4年12月25日 頓首再拝> 
37:伝統 :

2022/12/26 (Mon) 08:08:02


     *「光明道中記」(12月26日《愛念雲の如く湧く日》)より

【周囲に対して微笑みかけよ。周囲も又汝ににこやかに微笑みかける。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

富が人類へ奉仕(サーブ)するための目的から離れて、
自働的にそれが富自身を追求するようになる時、

それは「貧乏」が人間の生命を縛るのと同様に、
「富」も亦、人間の生命を縛るようになるのである。

「富」それ自身が欲しくなったとき、
その人は、すべての供給が「神」からくるのではなく
「物」からくるのだと思い違えはじめた証拠である。

人間の幸福は「物」から来るのである、
「物」は消耗するものだとの観念が強くその人の生活をリードするから、
「富」の飽(あ)くなき蓄積がはじまるのである。

ところが人間への供給と幸福とは決して「物」から来るのでなく、
「神」から来るのである。

従って、吾々に与えられて、或いはその使用にまかせられているべき
この富と、力と、生命力とは、人間に貢献(サーブ)する目的で使用せられる限り、
永遠に神より来たって補給されて失われると云うことはないのである。

蓄えられたる「死金」ほど愚かにも滑稽なるものはない。
それは人間の魂を飢えさせ、餓鬼道の苦しみに陥(おとしい)れるものである。

「無限供給」とは撓(たゆ)みなき流れである。
それは停止ではなく、蓄積ではなく、また枯渇でもないのである。
余れるにも非ず、足らざるにも非ず、不断に周囲を潤して流れ行くものである。

           <感謝合掌 令和4年12月26日 頓首再拝> 
38:伝統 :

2022/12/27 (Tue) 09:04:27


    *「光明道中記」(12月27日《無限供給の日》)より

【自己の心だけの事物しか自分の運命に引き寄せることができない。
                       (『生命の實相』第四巻)】

富そのものを集積する蓄積と、「物」に内在する神の恵みを大切にして
少しも浪費しないことはおのずから別なことである。

キリストは「5つのパンを5千人に分けて与えた」
これは愛は神から無限供給を招(よ)び出すものであって、
外見の「物」の分量にかかわらないことが示されているのである。

併しながら5千人の食べ残ったパン屑は悉く集められて籠一杯になったともある。

これは「神の恩寵」であるところの「供給」を
少しでも無駄にしてはならないと云う教えであるのである。

富そのものの大を希(ねが)いて、雪達磨のように転げつつ大きくなることは
避けなければならないが、すべての「供給」は神よりの《もの》と知り、
少しも浪費することなく有効に利用すべく心掛けなければならないことは当然である。

そこにこそ、「富」そのものを追求するには非ざれども、
自然に湧き来る富が発生するのである。

斯くの如き富を冥加(みょうが)のある「富」と言う。
神の冥々(めいめい)の加護である「富」であり、
「福田」の表現としての「富」である。

若し吾々が日常生活に於いて釜浚(かまさら)いの御飯粒をも、
お皿に残った一滴の醤油をも浪費しないで、拝むような心持で頂くとき、
そんな収入の少ない人でも尚残って余りある籠の中に一杯のパンを見るであろう。

           <感謝合掌 令和4年12月27日 頓首再拝> 
39:伝統 :

2023/01/21 (Sat) 09:44:41


    *「光明道中記」(1月21日《笑門福来七宝充満の日》)より抜粋

妻が出しゃばりであるのは自分が出しゃばりであり、
子供が要らぬことに金を費やすのは、
儲けてはならない不当なことに儲けていた反影である。
金持三代続かないのはその為である。

善行をして次第に集った富ならば何時までも続く筈である。

ケチな心は貧しい心、出し吝(おし)みする心であるから、
一時は出口を押さえる力で蓄積が出来るものであるが、

やがてその人の周囲にはケチな心、
出し吝(おし)みする心の持ち主ばかりが集って来て、
ついにはその人自身が立たなくなり衰微して滅んでしまうのである。

贅沢な心のところにも富は永遠にいないものである。

何故なら物の価値を知らないで、湯水のように贅沢に恵みを悟らずに
使いほかしにする心の処には神の恵みは何時迄も停(とどま)らない。

            <感謝合掌 令和5年1月21日 頓首再拝>
40:伝統 :

2023/01/23 (Mon) 07:24:28


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月23日)より

心の平和を得ることが幸福の本である。

心が平和を得なければ億兆の富といえども
なんの幸福をもわれわれにもたらしえない。
それはかえってわれわれの生活を掻きみだし、
われわれを地獄へ突き落とす重荷となる。

幸福は富の有無ではない。
しかしわれわれは富を排斥するのではない。

富に捉えられずして富を善事に駆使しうる者は
富ますます多くして世のためになることますます多くなるであろうが、
多く人の場合は「富」を得るときそれに捉えられる。

俗人は「富」をもてば増殖したくなるであろうし、
それが奪われざらんことを欲して守りたくなるであろう。

ここに、人が現象に捉えられて、
自己の内にすでにある「無限の富」を忘れがちとなる
危険がひそんでいるのである。

多くの富豪の家庭にはおもしろくないことが潜んでいる。
誰でも必要以上に富をもつことは人生に不要な重荷を背負い込んだことになる。

無限供給というのは飽食の意味ではなく、
必要なだけ食膳に上(のぼ)るということである。

このことは食物に限らず「金(かね)」でも同じことである。

         <感謝合掌 令和5年1月23日 頓首再拝>
41:伝統 :

2023/02/22 (Wed) 07:10:16


     *「光明道中記」(2月22日《天の倉に貯える日》)より   

【有(も)たざる者は尚奪われ、有てる者は尚与えらる。
                   (「生命の實相」第十三巻)】

福田とは天の畑に蒔かれたる種子(たね)であり、
天の倉に貯えられたる善行である。

すべての祝福は斯くの如き種子、斯くの如き貯えを
先ず天の倉に有つことから始まるのである。

譬えをもって言えば、若し貧しき人が商売をして成功しようと思うならば、
商売をするための資本を少しでも先ず貯えることが必要である。

それと同じく「己(おの)が運命の貧しさを嘆け」と
言われるほどの不幸不運な人ならば、その人は天の倉に貯えられたる
自分の資本(福田)が少しもないことを現しているのであるから、
その人が自己の運命を改善しようと思うならば、
先ずどんな手段を尽してでも恰も貧しき人が資本を積むが如く、
福田を積むようにしなければならぬ。

貧しき人が資本を貯えるのにどうするか。
彼は自分の食を節し、衣を節し、
少しでもそれを資本の形で貯蔵しようとする。

それと同じく「運命の貧しき人」も、
その貧しき運命の中にいて、善念を貯え、愛念を蓄え、
善行を積み、愛行を積むようにしなければならぬ。

貧しき農夫が明日の事を思い煩(わずら)っている時、
その最後の食事を鵞鳥に恵んでやった時、
明日の朝からその鵞鳥(がちょう)が黄金の卵を生むようになったと、
西洋の寓話は語るのである。

         <感謝合掌 令和5年2月22日 頓首再拝>
42:伝統 :

2023/02/25 (Sat) 05:08:48


           *「光明法語」(2月25日)より

金は自分が儲けるから得られるのだと普通考えられているのであるが、
儲けるとは一体どう云うことか。

それを何処からか横取りして来ると云う意味であるならば、それは寧ろ搾取である。

ところが、真実はお金と云うものは何か人のためになることを尽したその報いとして、
自然に自分に廻って来るのである。
人のためになることを余計すればするほど、その人にはお金は一層多く廻って来る。

そしてそれは普通、種子を蒔くようなもので、
与えたよりも余程多く与えられることになるのである。

         <感謝合掌 令和5年2月25日 頓首再拝>
43:伝統 :

2023/03/11 (Sat) 05:05:55


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月11日)」より

すでにあるのに、多くの人が貧しいのは、
第一家庭の調和を欠いていること。

祖先の祭祀(さいし)が足りないので祖先の守護の足りないこと。

家族の不調和と祖先の祭祀の不足とで、
その人が外に出ても自分の身辺に漂うている
雰囲気が刺々(とげとげ)しくて、
他から好意を持たれないことなどである。

         <感謝合掌 令和5年3月11日 頓首再拝>
44:伝統 :

2023/03/20 (Mon) 05:05:47


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月20日)」より

小さな損得を気にする者はついに命(いのち)を磨(す)り減らす。

無限供給の宝はあなたの足下(あしもと)に踏まれているのに気がつかない。

どんなものでも羨(うらや)ましいとは思うな。

         <感謝合掌 令和5年3月20日 頓首再拝>
45:伝統 :

2023/04/18 (Tue) 05:04:44


        *「光明法語」(4月18日)より

神を絶対必要量の最低限度以上のものを与えたまわないような
「ケチな存在者」だと思ってはならない。

かく神をば「ケチな存在者」だと思うことは、
ケチな存在を祈っているのであるから
ケチな存在しか得ることが出来ないのである。

神は富士山を築山(つきやま)にしつらえ
太平洋を其のお庭の池につくりたまうた如き、
寛大にして余裕ある豊かなる存在であらせられる。

山や海さえもかく美しく豊かにつくりたまうた神が
神の最高の自己実現である人間にケチな装いしか与えたまわない
と云うことはないのである。

         <感謝合掌 令和5年4月18日 頓首再拝>
46:伝統 :

2023/04/19 (Wed) 07:08:34


           *「光明法語」(4月19日)より

吾々の豊かなる生活は、神から与えられるものではなくてはならぬ。
神に対立する富を求めてはならないのである。
ただ神のみを求めたら好いのである。

神の中に一切があるのであるから、神のみを純一無雑に求めていさえすれば
豊かななる生活は自(おのずか)ら実現するのである。

神のみを求めながら、若しその人に豊かなる生活が実現しないならば、
「豊かなる生活を送ることは神のみこころにかなわない」とか、
「富める者は天国へ行くことはむずかしい」とか云う迷いが
その人の心の何処(どこ)かに存在するのである。

         <感謝合掌 令和5年4月19日 頓首再拝>
47:伝統 :

2023/05/16 (Tue) 08:22:27


         *「光明法語」(5月16日)より

富を獲得するためには何か不正なことを行なわないと得られない
と思うのは間違いである。

また富と云うものが神のみ心にかなわぬものだ
と考えるのも間違いである。

富と云うものは神の「生命(いのち)さきはえ」が
現象界に具現化したものであるから、人間自身も
生命(いのち)を出して与えた程度に従って得られるのである。

与えれば与えるほど、換言すれば多くの人々に役に立つ働きをし、
多くの人々の役に立つ製品をつくり出したとき、
その人の収入は殖え、その人の富は増加するのである。

         <感謝合掌 令和5年5月16日 頓首再拝>
48:伝統 :

2023/05/17 (Wed) 07:01:01


        *「光明法語」(5月17日)より

「亀の子たわし」を新案して全
日本の台所の清潔に貢献した者は百万長者となり、

「わかもと」を新案して
人類にビタミンB資源を出来るだけ広く供給する試みを
考案した者は千万長者と成る。

何でも最大多数の人類に貢献した者はその報いを得るのである。

真理を最も平易なる言葉で述べ、
一千万人に生老病死を解脱する道を教えた
『生命の實相』の著者が千万長者にならないのは、

まだ彼が、清貧に執する気持ちがあり、
宗教家と云うものは富んではならないという
通念に縛せられているからである。

         <感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>
49:伝統 :

2023/05/22 (Mon) 08:51:54


      *「光明法語」(5月22日)より

若し諸君が富もうと思うならば、
富む事が罪悪であると云うような考えを捨てなければならぬ。

若し潜在意識が「富」を「避くべき罪悪」であると信じているならば、
潜在意識に諸君はする事なす事、
貧乏になるような行動をすることになるのである。

神は決してケチを喜び給うような方ではない事は、
地球と云う箱庭に太平洋と云う池をつくり、富士山と云う築山をきずいて、
その美しさを賞(め)でたまう事実を見てもわかるのである。

神の計画は大仕掛である。
人間も神の子ならば大仕掛に富んでも好い。
大なる計画は人を引着ける。

         <感謝合掌 令和5年5月22日 頓首再拝>
50:伝統 :

2023/05/23 (Tue) 10:22:18


      *「光明法語」(5月23日)より

富とは「金」のことではない。
封鎖されれば使えなくなるような「金」や紙幣は真の富ではない。

富とは「価値」である。「値打」である。
値打の中には色々の善き考え、身体(からだ)の健康、人格の魅力、
日常生活の快適や豊富さ、享受力の豊かさ、創造力の豊かさなどと云うものが
含まれている。

兎も角、諸君がこれらの富を得んとすれば、
それを得ることが決して罪悪でないと云うことを先ず知り、
自分が神の子であるから此等のものは必ず得られると云うことに確信を有(も)ち、
且つ必ず得て見せると云う大決心をしなければならぬ。

         <感謝合掌 令和5年5月23日 頓首再拝>

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