伝統板・第二

2530176
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

明治天皇御製(6) - 伝統

2022/04/02 (Sat) 08:27:12

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌

【明治天皇御製】

  < 川 (明治四十ニ年) >

 国民(くにたみ)も つねにこころを あらわなむ 

  みもすそ川の 清き流(ながれ)に


  (国民も常に心を洗い清めてほしいものだ。
   神の宮居のそばを流れる、みもすそ川(伊勢の国の五十鈴川の
   別称)の清らかな流れに身をそそいで)



【昭憲皇太后御歌】

  < 節分 (明治三十四年)>

 おにやらふ 声いへごとに きこえにし 昔のけふを おもひでつつ

  (「鬼は外…」と、節分に豆を撒く声が家ごとに聞こえてきた、
    幼い頃のこの日が今懐かしく思い出されます。)

 (Web:小国神社(2021.03.04)
      http://www.okunijinja.or.jp/season/?vol=254#anc

・・・

<関連Web>

(1)当掲示板内「明治天皇御製(1)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6492813

(2)当掲示板内「明治天皇御製(2)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6541848

(3)当掲示板内「明治天皇御製(3)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6684573

(4)当掲示板内「明治天皇御製(4) 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7652516

(5)当掲示板内「明治天皇御製(5) 」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7962187

           <感謝合掌 令和4年4月2日 頓首再拝>

【明治天皇御製】 - 伝統

2022/04/16 (Sat) 03:40:23


  < 心 (明治三十九年) >

 世の人に まさるちからは あらずとも 心にはづる ことなからなむ


  (世間の人と比べて特別優れた力は持っていなくても、
   己の良心に対して恥ずべきことがないようにしたいものである。)

            ・・・

  < 柱 (明治四十ニ年) >

 橿原の とほつみおやの 宮柱 たてそめしより 國はうごかず

  (橿原の遠いご祖先、すなわち神武天皇が橿原の地に皇居を造営し、
   初めて国柱、国の基礎をお建てになって以来、
   我が国はゆるぎもしないことだ。)

           <感謝合掌 令和4年4月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/05/02 (Mon) 10:20:02


【明治天皇御製】

   花になり 実になるみれば 草も木も なべてつとめの ある世なりけり 


   (花を咲かせて実になるさまを見ていると、
    草も木も世の中の全てのものに、
    定まった役目があるのだと思われる )                        

                                           (明治43年)

【昭憲皇太后御歌】

   言の葉の 友ははやくも つどひけり けふさきそめし 花のこかげに 


   (春を待ちかねて和歌の友は、早くも集まって来ました。
    やっと今日咲きはじめた桜の木陰に )


 (Web:小国神社(2021.03.17)
      http://www.okunijinja.or.jp/season/#anc

           <感謝合掌 令和4年5月2日 頓首再拝>

【明治天皇御製】 - 伝統

2022/05/16 (Mon) 10:12:23


  < 友 (明治三十六年) >

 もろともに たすけかはして むつびあふ

      友ぞ世に立つ 力なるべき


  (お互い助け合い、睦びあっている友達がいるということは
   世の中を立派に生きてゆく上での大きな力となるのもである)

            ・・・

  < 心 (明治三十八年) >

 すなほなる をさな心を いつとなく

      忘れはつるが 惜しくもあるかな


  (素直な幼心を、いつの間にかすっかり忘れてしまうことが、
   人間としてとても残念なことである)

           <感謝合掌 令和4年5月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/06/02 (Thu) 06:41:17


【明治天皇御製】


  目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは

         人の心の まことなりけり            


  (目に見ることのできない神に向かい、
   少しも恥ずかしくない清らかな正しい心境というものは、
   誠の心で、それはわれわれにとって最も貴いものである。)

          ・・・


【昭憲皇太后御歌】


  人しれず 思ふこころの よしあしも

         照し分くらむ 天地(あめつち)のかみ       


  (「独(ひとり)を慎む」という言葉があるように、
    他人が見ていようがいまいが、悪い事をしてはなりません。
    神々様は、すべてを見通していらっしゃいます。)

           <感謝合掌 令和4年6月2日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2022/06/17 (Fri) 07:26:22


【明治天皇御製】

  いつかわが 心にかかる 雲はれて すずしき月の かげにむかはむ

  (いま心にかかっている心配ごとは、
   月にかかる雲がいずれは消えてきれいに澄んだ月を仰ぐように、
   晴れやかな青空が広がる、そんな日がきっとおとずれるでしょう。)

  (https://ameblo.jp/195906/entry-12308712606.html

              ・・・

【明治天皇御製】

  もろともに たすけ交わして むつびあふ友ぞ 世に立つ力なるべき

  (共に助け合い睦び合い 切磋琢磨して向上していく 友がいてこそ、
    世に出て活躍する 力となる。)

  (https://ameblo.jp/195906/entry-12137477729.html

           <感謝合掌 令和4年6月17日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2022/07/02 (Sat) 07:44:48


  < 述懐 (明治三十七年) >

 むらぎもの こころをたねの をしへ草 おひしげらせよ 大和しまねに


  (人々として生きてゆく上で、精神的な根本となるべき教えを
   この国の隅々まで行きわたらせるよう努めなければならない)

            ・・・

  < 行 (明治四十年) >

 やすくして なし得がたきは 世の中の 人のひとたる おこなひにして


  (たやすいはずのことでありながら、なかなか実行できないのは、
   この世の中の人としての道にかなった行いというものである)

           <感謝合掌 令和4年7月2日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2022/07/16 (Sat) 07:37:41


【明治天皇御製】

  < をりにふれたる (明治三十七年) >

 いにしへの 御代の教に もとづきて ひらけゆく世に たたむとぞ思ふ


  (遠い昔の聖賢の教えにもとづいて、
   新しく開けてゆく世の生き方に対処してゆこうと思う。)


            ・・・

【明治天皇御製】

  < 厳上松 (明治三十七年) >

 苔むせる いはねの松の 萬代も うごきなき世は 神ぞもるらむ


  (苔むした古い巌に根を張って生えている松の古木のように、
   万代の後までもゆらぎのないこの世を、神様はおまもりくださるであろう。)

           <感謝合掌 令和4年7月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/08/04 (Thu) 10:29:35


【明治天皇御製】

 あさみどり 澄みわたりたる 大空の 廣きをおのが 心ともがな  

            (心は廣く 大きく持ちたいものです)



【昭憲皇太后御歌】

 しげりたる うばらからたち はらひても ふむべき道は ゆくべかりけり 

       (あらゆる困難を切り開いてでも正しい道を進むべきです)

           <感謝合掌 令和4年8月4日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2022/08/16 (Tue) 10:17:03


  < 道 (明治四十三七年) >

 いとまなき 身も朝夕に いそしみぬ おもひ入りぬる みちのためには


  (暇とてないわが身も、朝につけ夕につけていそしみはげんできた。、
   ひとたび思い定めて志した道を遂げるためには。)

            ・・・

  < 書 (明治四十年) >

 いにしへの 書の林を わけてこそ あらたなる世の 道もしられる


  (古くからの多くの書物を読み、丹念に研究してこそ、
   あたらしい世の中のあるべき道も、おのずと知られて来るものである。)


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2022-08-11.html

           <感謝合掌 令和4年8月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/09/03 (Sat) 10:15:13


【明治天皇御製】

  目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり     

           (神様に恥じない心 こそ 誠の心です)

           ・・・

【昭憲皇太后御歌】


  人しれず 思ふこころの よしあしも 照し分くらむ 天地(あめつち)のかみ  

           (心の中も 神様は 見ていらっしゃいます)


   ( https://ameblo.jp/ai-c-m-ai/entry-12596023272.html より)

           <感謝合掌 令和4年9月3日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2022/09/16 (Fri) 11:57:34


  < 神祇 (明治三十九年) >

 日の本の 國の光の そびゆくも 神の御稜威に よりてなりけり


  (日本の国力が輝かしく発展してゆくのも、
   まったく神の御威光によるものである。。)

            ・・・

  < 秋祝 (明治三十五年) >

 ことしげき この秋にしも 千町田の みのりよろしと 聞くがうれしさ


  (いろいろなことがあって忙しい今年の秋ではあるが、
   日本国中の多くの田んぼの実りが良いと聞くのは、実に嬉しいことである。)

           <感謝合掌 令和4年9月16日 頓首再拝>

明治神宮の御祭神 明治天皇さまから国民の皆様への緊急メッセージ - 伝統

2022/09/24 (Sat) 11:45:35


今回は、御製の紹介ではありません。

止むにやまれぬ時代背景から、
明治天皇さまと拝される存在による、
日本国民の方々へのメッセージの紹介です。


     *Web:菊水千鳳の不思議体験日記(2022-09-08 )より

明治天皇さま


 【尊き国民の皆様へ

  国民の皆様に言葉を発するのは随分と久しい

  天皇の権限は失われたものの
  主権国家としての地位を維持されておるよう

  お国のためと 天皇のために旅立たれた数多くの命

  別れをつげなければならなかった 多くの関係者の方々に
  多大な犠牲をしいてしまったこと

  痛恨の極みとして受け止めております


  (太平洋戦争前) 国家の秩序が大いに乱れ
  国内では様々な動乱が発生し
  政治が大いに乱れてしまった

  領土を拡張することは国益に繋がる

  それは本土防衛にも寄与する

  だが度を越え戦火を増やすならば
  それに耐えうるだけの軍事力が維持されなければならなかったはず


  意地を張るだけではいけない
  (意地を) 隠すところは隠し
  表に出さずして交渉を進めるべきであった

  (太平洋戦争は)
  一か八かの賭けではならなかった

  勝算(しょうさん)を常に念頭にいれながら
  国が不利益にならぬよう振る舞うことが正解であったといえよう

  ソ連とのにらみ合いは いつまでも続くものだとして
  国防をそちらによりいっそう向けるべきであった

  防御を固め 守備力を増強させるべきであった

  国家の利益 不利益を配慮しながら
  様々な難局に対処すべきであった


  今日 思わぬ展開で こちら(←俺の目の前)にお邪魔するに至った経緯は
  国家の難局を見事にかわした
  英雄 東郷元帥海軍大将 並びに大山元帥陸軍大将の意によってである



  重ねて この度 (明治)神宮について(ブログ)書かれるということと合間って
  原爆の日 終戦記念日の時を迎える時期であるからである


  頃合い良し
  時良しと判断した


  これより本題に入ろう



  諸君よ
  〈すぎたるはなおおよばざるがごとし〉
  とあるように
  今の時代背景からして
  これが当てはまる


  海に囲まれし我が国にとっての利点は
  隣国との国境が陸と接していないことである

  陸続きではないことから
  隣国の影響が直ちにこちらに及ぼすことは少ないということである


  それゆえ 諸君は国内に目が行きがちである


  国内は平和の象徴ともいうべき姿が披露されておる
  軍隊を持たない 戦争を放棄した国家として
  日々安泰であるとして錯覚しやすい

  危機感が薄まるといえる


  ここで心して述べたい


  直ちに憲法を改正せよ!
  諸君の明日への未来のためであるぞ!

  国家の不利益とならぬよう
  国防に万全をきするのだ


  少々なことではへこたれない軍隊を持ちいて 同盟国との優れた連携体制によりて
  再び戦火に見舞われようとも覚悟を決めなさい

  守備体勢を強化するだけでなく
  改正により攻撃力を増強させる時である


  待ったなしぞ

  同盟力なども含めて国家が軍備増強に転じることができれば
  敵国家は たやすく攻めようとはしなくなるであろう

  こちらから戦争を無論 仕掛けるのでもなく
  戦争を仕掛けてくる敵国の意欲を削ぐことに繋がる

  敵への威嚇(いかく)にもなる

  体制を整えよ
  直ちにである

  戦争に反対するのならば
  憲法改正に大いに賛同し
  軍備を増やすよう支持せよ

  憲法改正の支持者となることだ

  我が国家は強しぞ
  と構えるのだ

  戦争をしないという大願が叶うかもしれぬぞ


  だが
  戦争が起きてしまう確率が高まりつつある


  民の安全 国土防衛に努めよ



  それでは帰る

  ご清聴 ありがとう
  本日はこれにて】



こうして帰られました。


明治天皇さまのお言葉
畏れ多くも拝聴しました。

戦わずして勝つための意味も含めた憲法改正の御提案
戦争を経験してこられたトップのかたの
率直な、そして貴重なメッセージでした。

皆様の平和な日常を、そして笑顔を守るためにも、
ぜひ御検討していただけたらと思います。

https://ameblo.jp/kikusuisenhou/entry-12763287469.html

          <感謝合掌 令和4年9月24日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/10/02 (Sun) 10:03:33


【明治天皇御製】

 <神祇(じんぎ)>

 目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり


   (普通では目に見ることのできない神様に向かって、
    少しも恥ずかしくないという清らかな正しい心境というものは、誠の心で、
    それは私達にとって最も貴いものであります)

    https://www.sankei.com/article/20201204-4MOLCDR7SBOSNJFLZFFKGBKVNA/



【昭憲皇太后御歌】

  <(明治十二年以前)》>

 みがかずば 玉もかがみも なにかせん 学びの道も かくこそありけれ


   (常日頃から怠ることなく磨かねば、玉も鏡も本来の輝きを放ちません。
    学問の道をとげようとするのも同じです)

   https://www.lib.ocha.ac.jp/archives/exhibition/da/da1010.html

          <感謝合掌 令和4年10月2日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2022/10/16 (Sun) 07:35:49


「明治天皇御製」

  <  神祇 (明治三十九年) >

 國民の うへやすかれと 思ふにも いのるは神の まもりなりけり

  (国民の身の上が安らかであるように思うにつけても、
   お祈りするのは我が国の神々のご加護がありますようにということです)


            ・・・

「明治天皇御製」

  < 秋祝 (明治三十五年) >

 すめ神に はつほささげて 國民と 共に年ある 秋を祝はむ


  (皇神に今年の新穀をお供えして、
   国民と共に五穀の稔り豊かな秋をお祝いしよう。)

          <感謝合掌 令和4年10月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/11/02 (Wed) 09:28:12


【明治天皇御製】

   澄めるもの 昇りてなりし 大空に むかふ心も 淸くぞありける



    何といふ淸らかな世界であり、淸らかな人心であらうぞ。
    これは澄み切つた實相の大空をもうたはれた御歌である。

    心淨らかであられる人でないと、このやうな清淨な實相を
    詠みあげた御歌をつくることはできないのである。

    作品にはその人の魂があらはれる。

    維摩経には「菩薩心淨ければ佛土淨し」とある。

        (昭和48年「生長乃家」6月6日)



【昭憲皇太后御歌】

   みがかれて ひかりいでたる 玉みれば 人のこころに ひとしかりけり


    これも人間の心の清淨な實相をじつと見つめてゐられる人でないと
    詠むことのできない御歌である。

    全ての人間は”神の子”として玲瓏玉の如き澄み切つた
    清淨な魂が宿つてゐるのである。

    しかしそれは宿つてゐるけれども實相を觀る心の内には見えないで、
    表面のアラ探しをして憎しみ合ひ、爭ひ合い、互に惡口雑言して
    苦しめ合ふのである。

    しかし實相圓滿清淨の「人間・神の子」の魂は
    すべての人に宿つてゐるのである。

    今、皇太后陛下の眼の前に光輝燦然と輝く”玉”が置かれてゐるが、
    これを見るにつけても、此の寶石もそれが原石である間は、
    その光が埋もれてゐて見えなかつたが、
    磨くに從つてこのやうな光輝を發するのである。

    それと同じく人間の魂に宿つてゐる”神の子”の實相も
    磨くに從つて輝きを發するのであるから、われわれも常に反省して
    自己の魂を磨くやうにしなければならないといふ
    深い脚下照顧の御心があらはれてゐるお歌である。

        (昭和48年「生長乃家」6月7日)

https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8296074

          <感謝合掌 令和4年11月2日 頓首再拝>

明治節、清明心の日 - 伝統

2022/11/03 (Thu) 07:32:35


          *「光明道中記」(11月3日)

【至上の愛は神と偕なる時おのずから出来る愛だ。(『生命の實相』第十一巻)】


   さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり


明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。

何故(なにゆえ)朝日はあんなにさわやかなのだろうか。

それは新たに生まれたからである。
手垢がついていないからである。

心に手垢がついていないと云うことが、
こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わしめるのである。

太陽には我はない。そのままである。従順である。
さしのぼる時がきたとき差しのぼり、沈むときには沈んで悲しむと云うことがない。
落日を悲しいと見る者は見る人の心の反影に過ぎない。

烈々と照っても功を誇らず、常に跡をのこすことを求めず、来って驕(おご)らず、
去って悲しむと云うことがないのである。

而も一切衆生として、一物(もつ)として、その恩恵を受けないものはない。

まことに広大無辺なる姿である。

吾々の 《いのち》 は太陽より来る。
吾等太陽の如く生きんかな。
吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。

どんな時にも光のみを見るのが日本人である。

よろこべ、勇み、楽しみ、潔(きよ)く前進せよ。

          <感謝合掌 令和4年11月3日 頓首再拝>

「朝」と「松」~明治天皇御製 - 伝統

2022/11/15 (Tue) 07:43:01

「朝」と「松」
Web:粟野真弘のblog(2022年11月12日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/57103510.html

「朝」
 世を守る神のみたまをあふぐかな
      朝ぎよめせし殿にいでつつ

「松」
 さまざまの世にたちながら高砂の
      松はうごかずさかえきぬらむ

          <感謝合掌 令和4年11月15日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2022/12/03 (Sat) 08:02:01

《明治天皇御製》

 おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり


   大空にそびえ立つ高い山にも、登ろうと登る道はあるものです。
   努力さえすれば、必ず達成されます。


《昭憲皇太后御歌》


 かりそめの ことはおもはで くらすこそ 世にながらへむ 薬なるらめ


   小さいことは気にしないで、一日一日を精一杯生きることが、
   健康と長生きの最良の薬です。


https://ameblo.jp/ai-c-m-ai/entry-12598092790.html

          <感謝合掌 令和4年12月3日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2022/12/16 (Fri) 11:51:39


「明治天皇御製」

  < 述懐 (明治四十三年) >

 おのが身は かへりみずして ともすれば 人のうへのみ いふ世なりけり


  (自分自身のことはかえりみもしないで、
    ともすると他人の事ばかり、あれこれと悪しざまに言う世の中である。)

            ・・・

  < 歳暮 (明治十七年) >

 をしめども 今年はくれぬ あたらしき 初日のかげに いざやむかはぬ


  (いくら惜しんでも今年1年は暮れてしまった、
    さあ新しい年の初日の光に向かって新しい歩みを踏み出そう。)

          <感謝合掌 令和4年12月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2023/01/16 (Mon) 08:19:06


【明治天皇御製】

 われもまた さらにみがかむ 曇なき 人の心を かがみにはして

   (私もさらにみがこう。曇りひとつ無い美しい人の心を鏡として。)



【昭憲皇太后 御歌】

 むらぎもの 心にとひて はぢざらば 世の人言(ひとごと)は いかにありとも

   (自分の良心にきいてみて少しも恥ずるところがなければ、
     世間の人は何と言おうと動揺することはありません。)

 (https://ameblo.jp/fumi-kokko1103/entry-12649986239.html

          <感謝合掌 令和5年1月16日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/02/15 (Wed) 08:02:52


  < 述懐 (明治四十ニ年) >

 かたしとて 思ひたゆまば なにごとも なることあらじ 人の世の中


  (むずかしいからといって、為すべきことを怠るようでは、
   人の世の中のことは、決して成功するものではありません。)

            ・・・

  < 雪 (明治十七年) >

 ふりゆもる ゆきふみわけて とふ人の ふかきこころも 見ゆるけさかな 


    (雪の降り積もった今朝は、
     わざわざ雪を踏み分けてまで訪れてくれる人の
     深い心まで見えるような気がします。)

          <感謝合掌 令和5年2月15日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/03/16 (Thu) 04:22:41

  < 山 (明治四十一年) >

 萬代の 國のしづめと 大空に あふぐは富士の たかねなりけり


  (千代に八千代に益々発展するこの日本の鎮護として、
   いつも大空に仰ぐのは富士山の気高い姿である。
   その姿に恥じる事のない立派な国となるよう、互いに努めていきましょう。)

            ・・・

  < 述懐 (明治四十年) >

 ゆるされて まなびの窓を いづる子よ 思はぬ道に ふみな迷ひそ 


    (学業が成り、卒業することを許されて、この学び舎から巣立っていく子よ。
     思いもよらぬ道に踏み込み、迷うことのないよう気をつけなさい。)

          <感謝合掌 令和5年3月16日 頓首再拝>

明治天皇御製・昭憲皇太后御歌 - 伝統

2023/04/02 (Sun) 07:28:48


【明治天皇御製】

 <「祝言」 >

 受けつぎし 国の柱の 動きなく 栄えゆくよを なほいのるかな
 
  (天照皇大神より皇統連綿と受け継いで来りたまいし
   大日本国の基(国の柱)の動くことなく万々歳まで栄えゆくは
   勿論ながら、なほ此上にも栄えを神明に祈ることであるよ)

           ・・・

【昭憲皇太后御歌】

 人ごとの よきもあしきも こころして きけばわが身の ためこそなれ

   (世間の人の言葉の、良いことも悪いことも、深く心をかたむけて
    その真実を聞こうとすれば、すべてわが身のためとなります)

          <感謝合掌 令和5年4月2日 頓首再拝>

【明治天皇御製】 - 伝統

2023/04/15 (Sat) 07:53:55


 <折(おり)にふれて (明治三十七年))>

 さまざまの うきふしを經て 呉竹の よにすぐれたる 人とこそなれ


 (竹の幹が多くの節を持って、どんな風雪にも堪えられるように、
   人はさまざまの艱難辛苦を凌いで、
    はじめて世の中に優れた人となるのです。)

           ・・・

 <鶯(明治三十四年))>

  春つげて なくうぐひすの はつこゑは 人のこころを 花にするらし

  (春を告げる鶯の初声は、

   冬の間春を待っていた人々の心を、華やいだ気持ちにさせてくれるのです。)

          <感謝合掌 令和5年4月15日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/05/17 (Wed) 07:07:24


  < 折にふれて (明治四十年) >

 世の中の 人におくれを とりぬべし すすまぬ時に すすまざりせば


  (世の中は日進月歩で、絶えず進歩しています。
   日頃の努力を怠るようなことがあれば、
   進むべきときに進むことができず、
   世間から取り残されてしまうでしょう。)

            ・・・

  < 梅 (明治ニ十五年) >

 咲きそめし かきねの梅の ひと枝を おみのためにと 手折りつるかな 


  (美しく咲く垣根の梅を、
   普段尽くしてくれる臣下に見せてやりたいと思い、
   一枝手折り持ち帰りましょう。)

          <感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/06/16 (Fri) 11:50:28


  < 孝 (明治三十九年) >

 たらちねの 親につかへて まめなるが 人のまことの 始なりけり


  (心をこめて、父母にお仕えすることが、
   人のまことの行いの始まりで、
   これが広く社会生活を営む基本となるのである。)

            ・・・

  < 更衣 (明治四十三年) >

 なつ衣 かへし朝(あした)は うなゐ子も こころかろげに あそぶなりけり 


    (すずしい夏の衣服に着替えた朝は、幼い子供までが、
     心も軽やかにのびのびと遊んでいることである。)

          <感謝合掌 令和5年6月16日 頓首再拝>

【明治天皇御製】 - 伝統

2023/07/06 (Thu) 12:41:27


  < 虫 (明治四十四年) >

さまざまの 虫のこゑにも しられけり いきとしいける 物のおもひは


Web:和歌から学ぶ日本の心
https://ameblo.jp/kimiko-yamatouta/entry-12074130476.html



  < 虫 (明治四十一、四十一年) >

さよふかく 心しづめて きく時ぞ むしの鳴くねは あはれなりける
                        (41年)

ひとりして 静かにきけば 聞くままに しげくなりゆく 虫の声かな
                        (42年)

Web:国民文化研究会
http://www.kokubunken.or.jp/kokumindouhou/614.html

・・・

<参照>

地球を癒やすカギは日本語の可能性
伊勢ー白山 道(2023-07-06)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/7e450d00bc2e0efc763e819702b76f00

          <感謝合掌 令和5年7月6日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/07/19 (Wed) 09:39:40

「明治天皇御製」

    < 心 (明治三十八年) >

 しのびても あるべき時に ともすれば あやまつものは 心なりけり


  (人の心というものは、耐え忍んでいなければならないときに
   つい辛抱しきれずに、軽はずみなことをして、
   取り返しのつかない失敗をするものだ。)

            ・・・

    < をりにふれたる (明治三十八年) >

 雨すぎて みどりにはれし そらみれば 日かげは夏に なりにけるかな 


    (うっとうしい梅雨がすぎさって、みどりに晴れ上がった空を見ると、
     日ざしはすっかり夏のさわやかさになったことだ。)

          <感謝合掌 令和5年7月19日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/08/15 (Tue) 10:46:42


  < 心 (明治四十五年) >

 いかならむ ことある時も うつせみの 人の心よ ゆたかならなむ


  (いつ、どのような思いがけない事態が起きても、
   世の中の人々の心は、あわてふためくことなく、
   広く豊かであってほしいものだ。)

            ・・・

  < をりにふれたる (明治三十四年) >

 民のため 年ある秋を いのる身は たへぬあつさも いとはざりけり


  (国民のため実りの多い秋を祈るこの身は
   たえきれないような夏も暑さも、少しも苦にならないことだ。)

          <感謝合掌 令和5年8月15日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2023/09/21 (Thu) 09:55:26

北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
粟野真弘のblog(2023年09月09日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2023-09.html


  < 日 >

 さしのぼる 朝日のごとく さはやかに もたまほしきは 心なりけり




  < 雨のふりつづくころ >

 はれまなき 雨につけても 思ふかな ことしの秋の みのりいかにと


          <感謝合掌 令和5年9月21日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/09/23 (Sat) 08:59:10


(上の明治天皇御製2首の詳細な情報です)

  < 日 (明治四十ニ年) >

 さしのぼる 朝日のごとく さはやかに もたまほしきは 心なりけり


   (空高く昇っていく朝日のように、いつも清々しく、
    明るく爽やかな心を持ちたいものです。)

            ・・・

  < 雨のふりつづくころ (明治三十五年) >

 はれまなき 雨につけても 思ふかな ことしの秋の みのりいかにと


  (晴れ間なく長雨が降り続くにつけて、
   国民の生活はどうであろうかと心配になります。
   今年の秋の収穫はどうであろうか。)

・・・

『歴代天皇の御製集』

     *メルマガ「人間力」(2023.9.23)より

むらぎもの心のうちに思ふこといひおほせたる時ぞうれしき

(心の内に思うことを一首の歌に
 正しく表現できた時の何とうれしいことか)

           明治天皇


古来、人々は和歌を通して心を通わせてきました。

和歌にはその人の一瞬一瞬の
心の機微が収められており、
何千年、何百年前に読まれた御製を通して、
天皇の大御心にも触れることができます。

『致知』最新号のインタビュー記事でも紹介され、
このたび刊行となる、


『歴代天皇の御製集』


では、

神武天皇から上皇陛下まで九十五方・約二七〇首を、
御事績や詠まれた情景なども含めた解説とともに紹介。

国民文化研究会の有志メンバーが、
六年もの歳月をかけて完成しただけあって、
その内容は実に味わい深く、趣があります。

歴代天皇の詠まれた御製を年代順に辿ることで、
二千六百年余の歴史を貫く日本の息吹を
自然と体感できることでしょう。

折々の御製に込められたその祈りは、
日本の躍進、先の戦争、大災害など、
我が国が歩んできた道をまざまざと映し出します。
 
日本とはどんな国なのか、
何が日本を日本たらしめているのか――。

日本と皇室を知るための必読書として、綿々と紡がれてきた日本の心を、
本書から一人でも多くの方に感じていただければと願います。

全三百頁に及ぶ歴史的著作です。


東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏もご推薦の一書。


………………………………………………
『歴代天皇の御製集』のここがスゴい!
………………………………………………

【1】神武天皇から上皇陛下まで、
   九十五方の御製を一冊に収録

   ※歴代天皇の大御心の機微に触れながら、
    日本の歴史を辿ることができる


【2】約二百七十首、一首一首に丁寧な解説

   ※天皇の御事績、和歌が詠まれた情景、
    その御心情までがわかりやすく理解できる


【3】歴代天皇の祈りに、思わず胸が熱くなる

   ※和歌の調べから、作者の心に近づき、
   「日本」という国を知ることができる
    全300ページの永久保存版



…………………………………………………
東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏ご推薦
…………………………………………………

「國史の要諦を略述した
 立派な通史の一例となつてゐると
 筆者は評價するものであります」

          小堀桂一郎

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

全300ページの永久保存版
皇室と日本を知るための必読書

 『歴代天皇の御製集』

  公益社団法人 国民文化研究会・編著

      <感謝合掌 令和5年9月23日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/10/15 (Sun) 12:02:14


北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
秋の参拝・粟野真弘のblog(2023年10月08日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/57888609.html



  < 松 >

 あらし吹く 世にも動くな 人ごころ  いはほにねざす 松のごとくに


  < 秋風 >

 しげりあふ 森の下みち 椎の實も をりをりおちて 秋風ぞふく

      <感謝合掌 令和5年10月15日 頓首再拝>

「明治天皇御製」 - 伝統

2023/10/27 (Fri) 10:13:46

(上の明治天皇御製2首の詳細な情報です)

  < 松 (明治四十ニ年) >

 あらし吹く 世にも動くな 人ごころ

    いはほにねざす 松のごとくに


   (たとえ、どのように嵐が吹き荒ぶ激しい世の中の変動に
    あっても、あの巌の上にどっしりと根を張っている松の
    大木のように、しっかりとした信念を持って、
    心を動揺させてはなりません。)


https://plaza.rakuten.co.jp/kajiro/diary/200604130000/

            ・・・

  < 秋風 (明治三十四年) >

 しげりあふ 森の下みち 椎の實も

     をりをりおちて 秋風ぞふく


  (枝々が繁りあう森の下道。
   そこに椎の実もはらはらと落ちてきて、
   秋風がふいていることだ。)

https://note.com/musubi_gr/n/nda7109a10f31

・・・

以下は、メルマガ「 国際派日本人養成講座」(R05.10.15)からの抜粋です。

国柄探訪: 先人の喜びや悲しみに思いを馳せる
〜『歴代天皇の御製集』

■1.歴代天皇の御歌を通じて、我が国の歩みに思いを馳せる

『歴代天皇の御製集』と題した書籍が出版されました。

「歴代天皇95方の御歌を読む」と副題がつけられ、
帯には「歴代の天皇は何を思われ、何を祈られてきたのかー。
神武天皇から上皇陛下まで約270首」とあります。


有史以来、我が国は常に皇室とともにありました。
歴代天皇がその時々の思いを御歌にして詠まれている、ということは、
それらの御歌を通じて、国の歩みも振り返ることができるということです。


小堀桂一郎・東京大学名誉教授も推薦の言葉で
「國史の要諦(ようてい、最も大切なところ)を略述した
立派な通史の一例となっている」と指摘されています。

と言っても、難しい本ではありません。
御歌の漢字にはすべてふりがながふってあり、
難しい語句には解説が添えられ、また御歌の現代語訳も記されています。

さらに簡潔な解説も添えられているので、たとえば、
小中学生の歴史の授業で、時の天皇はこういう御歌を詠まれていると、
エピソードとして紹介するにも良いと思います。

 
今回は、国の歩みを振り返る一例として、近代の天皇方が
19世紀以降の世界の荒波に、どのような思いで立ち向かわれてきたのか、
御歌を通して見てみましょう。


■2.孝明天皇「こゝろにかかるる異國(ことくに)の船」

1853年、ペリーの黒船艦隊が江戸湾に来航し、国交を要求しました。
「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん、宇治の高級茶、蒸気船にかける)
 たった四盃(四隻)で夜も寝られず」と、日本中が大騒ぎになりました。

「ペリーは単に国交を求めに来ただけなのに、
 鎖国が破られると大騒ぎしていたのは、
 当時の日本人の国際常識のなさ」

などという見方は皮相的です。

その11年前には、イギリスがアヘンを持ち込んでいるのを止めようとした
清国に戦争を仕掛け、屈服させて香港を割譲させました。
今日の麻薬マフィアなみの悪行を、国家としてやっていたのです。

ペリーは幕府に白旗を送って、国交要求を拒否したら戦争になり、
当然日本は負けるから、降伏する際にはこの白旗を使え、
との脅迫までしていました。

ちなみに、孝明天皇はアメリカ船に水や燃料を提供する人道的な措置であれば
問題ないと考えており、それに沿って幕府は翌年、ペリーと日米和親条約を
結びました。

ただし、通商条約はアヘン戦争やアメリカの脅迫的な手口から見て、
問題だと考えられていました。
[JOG(994)] こうした状況の中で、孝明天皇は次の御歌を詠まれました。


  あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかかるる異國(ことくに)の船

   (朝にもタベにも民安かれと祈るこの私の心にかかって仕方がないのは
    異国船のことであるよ。)

安政元年(一八五四)に詠まれた御製。
前年にペリーが浦賀に来航し、世情は騒然となり、幕府はその対応に苦慮した。
この年にはペリーが再来して日米和親条約が結ばれている。

アヘン戦争で清が英国に敗れ、西欧列強に蹂躙されたことから見ても
天皇は我が国の行く末を深く憂慮されていたのであった。



■3.明治天皇の「など波風のたらさわぐらむ」

明治37(1904)年2月4日、日本政府は御前会議にて、
対露開戦を決定しようとしていました。

ロシアは義和団の乱に乗じて満洲を武力制圧し、
さらには朝鮮半島にまで軍事基地を築こうとしています。

明治政府は5ヶ月もロシアと平和交渉を続けましたが、
のらりくらりの応対の陰で、着々と軍備増強を進める一方でした。

御前会議の日の早朝、夜の明けるのを待ちかねて、
明治天皇は元老・伊藤博文をお召しになり、再度、意見を聞かれます。

伊藤は「今日は最早断然たる御覚悟をあそばされる時期でございましょう」
と奉答しました。

 御前会議で対露開戦が決定され、
戻ってこられた明治天皇は、皇后に沈痛の面持ちで、
「いよいよ、ロシアと国交を断絶することに決定した。
 朕の志でないが、已むを得ない」と語られました。[JOG(1261)]

戦争になれば、日露両国とも多くの犠牲が出ます。
また、もし負けたら、その後、日本は当時のフィンランドやポーランドと
同様の属国となってしまう可能性が大でした。

そうなったら、日本国民もロシアの対外征服戦争にかり出されることでしょう。
国民をそのような目に遭わせては、今まで独立を保ってきた
121代の歴代天皇にも何とお詫びすればよいのか。


  四海兄弟(明治三十七年・一九〇四・御年五十三歳)

   よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたらさわぐらむ

   (日本を取り囲む世界の国々も、みな兄弟同胞と思っているこの世であるのに、
    どうして波風が立ち騒いで、このような戦争に至るのであろうか。)

    〇よもー四方(よも)とは日本をめぐる東西南北をさし、
     「よもの海」とは世界中との意。

    ○などー「どうして」の意。

 
大国ロシアは着々と東方への侵略を進めていたが、
我が国は存亡をかけてついに宣戦布告。
この御製は、明治三十七年日露戦争の開戦直後の作とされていこる。

我が国をめぐる国々との和平を常に願われていた明治天皇にとっては、
ロシア王室との厚誼もあり、無念の開戦であった。

この御製は英訳されて世界中に感銘を呼び、
特に米国大統領ルーズベ〇トの心を動かして
ポーツマス講和会議仲介の一助となったと伝えられている。


■4.大正天皇「めぐりの海は朝なぎにして」

1914(大正3)年から1918(大正7)年まで続いた第一次大戦は
900万人もの犠牲者を出しました。

その反省から平和への希求が強まり、
国際連盟が創設され、軍縮が進められました。
その国際的リーダーシップをとった五大国の一つが日本でした。

国際連盟の発足と同時に、
大正天皇は「世界大戦に就いて平和克復の大詔」を発せられました。

「平和全く復するに至りたるは、朕の甚(はなは)だ懌(よろこ)ぶ所なり」

と平和の回復を喜ばれつつ、平和協定の成立と国際連盟の創設を
「朕が中心實(じつ)に欣幸(きんこう)とする所なると共に、
又、今後國家負荷の重大なるを」感じざるをえない、
と日本の世界平和に対する責務の重さを説かれました。[JOG(1008)]

この翌年初めの歌会始めにおいて、披露されたのが次の御歌です。

1853年のペリー来航から66年。極東の閉ざされた国が、
非白人国家として世界で最初に近代化を遂げ、独立を護り、
世界の指導的大国となったのです。
明治天皇が「など波風のたらさわぐらむ」と歌われた海は、
しばしの朝なぎを迎えました。


  朝晴雪(あさばれのゆき)(大正八年・一九一九・御年四十一歳)

    ゆたかにも雪ぞつもれる秋津しまめぐりの海は朝なぎにして

  大正八年歌御会始の御製。

  「秋津しま」(日本列島)を高空から俯瞰するようで一読胸が広がり雄大であり、
   しかも静かな透き通る印象の御歌である。

  「雪は豊年の瑞(しるし)」という諺(ことわざ)があるが、
  雪が一杯に積もった「秋津しま」を年初にお詠みになることで、
  この年の平和と豊年を祈られた新たな「国見」の御歌といえよう。

  「めぐり(周囲)の海の朝なぎ」というお言業には、
  前年の大戦終結と平和回復のおよろこびも湛(たたえ)えられているようである。


■5.大東亜戦争降伏にいたる苦闘

昭和20(1945)年8月9日未明、
日本政府が和平交渉仲介を依頼していたソ連が、
突如宣戦布告し、満洲になだれ込みました。

ルーズベ〇ト大統領が米政府・軍部の高官たちの声を抑えつけて、
日本に無条件降伏を要求し、ソ連が参戦する前に日本が降伏できないように
仕向けていたのです。

そのルーズベ〇ト大統領が4月12日に急死し、
米政府は7月26日には日本の降伏条件を含めたポツダム宣言が出されました。

しかし、対ソ威嚇のために原爆の使用を決めていたトルーマン大統領は
原案から天皇制容認条項を削除していました。
「やつらは降伏しないだろう」と、その時の日記に書いています。[JOG(99)]

そのトルーマンの思惑通り、日本政府はポツダム宣言を受諾できないまま、
8月6日に広島に原爆攻撃、9日には二発目の原爆攻撃がなさたのです。

昭和20年8月9日深夜、緊急の御前会議が開かれました。

「天皇の国法上の地位を変更しない」という条件のみをつけて
受諾しようというもの、

東郷外相ら3名。阿南陸相ら3名は、
さらに占領、武装解除、戦犯処置に関する
合計4条件での受諾を主張しました。

これに鈴木貫太郎首相が前者に賛成すれば、4対3で決議できます。

しかし、一内閣の多数決だけでは
軍部始め、多くの国民が納得しないでしょう。

鈴木首相は、ここで昭和天皇に

「御聖断を拝しまして、本会議の結論といたしたいと存じます」

とお願いしました。


■6.昭和天皇「身はいかならむとも」

 後に昭和天皇は次のように述べています。

__________
 いまや何人の権限を犯すこともなく、また何人の責任にもふれることなしに、
自由に私の意見を発表して差し支えない機会を初めて与えられた。
・・・私と肝胆(かんたん)相許した鈴木であったから、このことができたのであった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ここで、昭和天皇は次のように語られました。
__________
 空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、
世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。
私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。

今となっては、一人でも多くの国民に生き残っていてもらって、
その人たちに将来再び立ち上がったもらうほか道はない。
�ゥ�ぢ私は涙を飲んでポツダム宣言受諾に賛成する。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

この時点では、皇室制度も、昭和天皇の御身そのものも、
どうなるか、予断を許しませんでした。
しかし、「身はいかならむとも」という捨身の御覚悟で、
ポツダム宣言受諾を決心されたのです。

昭和天皇の捨て身の御覚悟の一声により、
陸海軍350万余もの残存兵力が一斉に降伏するという、
世界史に残る見事な降伏ぶりが示されました。

解説に言うように、まことに
「国民として後世まで語り継ぐべき御歌」であり、ドラマです。

        
  (終戦時の御製)三首(昭和二十年ー一九四五ー御年四十五歳)

  爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

  身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて

  國柄をただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 
戦争終結時のご聖断における悲壮なご決意が窺える連作である。

特に一首目の「身はいかならむとも」の捨身のお心は
字余りのご 表現となっていて読むものの胸に響いてくる。

天皇のこのご精神が亡国の危機を救った最大のカであったと言えようが、
当時の天皇のお心もちをこの御製ほどよく伝えるものはない。
国民として後世まで語り継ぐべき御歌であろう。


マッカーサー司令官は後年、
昭和二十年終戦の翌月に昭和天皇と初めて会見した時のご様子を
「もし、国の罪をあがなうことができるなら、
 進んで絞首台に上ることを申し出るという日本の元首に驚いた」
と述べている(昭和三十年九月十四日読売新聞・重光葵外相手記)。


■7.上皇陛下「平(たひ)らけき海その果てに見ゆ」

上皇陛下は、大戦中、国内で唯一戦場となり、
戦後は長らくアメリカに支配された沖縄には、
皇太子時代から何度も訪問されています。

陛下が訪れられた最後の激戦の地・摩文仁(まぶに)ヶ丘には
多くの慰霊碑、慰霊塔が立ち並び、戦の激しさを物語っています。
そして、その先にはあまりにも美しい、静かな南の海が広がっています。
 
        
  
    沖縄平和祈念堂前(平成五年・一九九三・御年六十一歳)

   激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平(たひ)らけき海その果てに見ゆ

   (激しかった戦場の跡を眺めると平らかな海がその果てに見える。)

この平成五年は植樹祭へのご臨席のため沖縄をご訪問になった。
両陛下は、直ちに南部戦跡へ向かわれ糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)の
戦没者墓苑にご到着、摩文仁ヶ丘にのぼられて、
沖縄戦に散華された十八万余柱が眠る納骨堂前の参拝所で深々とご一礼をなさった。

沖縄歴史上、天皇陛下としての初めてのご訪問は実に英霊ヘのご祈念に始まった。


■8.「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」

 こうして近代5方の天皇の御歌を拝するだけで、
我々は我が先人たちの苦難に満ちた歩みを追憶することができます。

ここで思い出されるのが、天才数学者・岡潔の次の言葉です。
__________

 ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという
強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、
しあわせだと思いませんか。[岡潔『春宵十話』]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

歴代天皇の御歌を拝誦する事は、まさに

「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」

ための、誰にでもできる簡明な道なのです。
(文責 伊勢雅臣)

      <感謝合掌 令和5年10月27日 頓首再拝>

明治節 - 伝統

2023/11/03 (Fri) 10:36:28


   *「光明道中記」(11月3日《明治節、清明心の日》)より

【至上の愛は神と偕なる時おのずから出来る愛だ。(『生命の實相』第十一巻)】


   さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり


明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。

何故(なにゆえ)朝日はあんなにさわやかなのだろうか。

それは新たに生まれたからである。
手垢がついていないからである。

心に手垢がついていないと云うことが、
こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わしめるのである。

太陽には我はない。そのままである。従順である。
さしのぼる時がきたとき差しのぼり、沈むときには沈んで悲しむと云うことがない。
落日を悲しいと見る者は見る人の心の反影に過ぎない。

烈々と照っても功を誇らず、常に跡をのこすことを求めず、来って驕(おご)らず、
去って悲しむと云うことがないのである。

而も一切衆生として、一物(もつ)として、その恩恵を受けないものはない。

まことに広大無辺なる姿である。

吾々の 《いのち》 は太陽より来る。
吾等太陽の如く生きんかな。
吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。

どんな時にも光のみを見るのが日本人である。

よろこべ、勇み、楽しみ、潔(きよ)く前進せよ。

         <感謝合掌 令和5年11月3日 頓首再拝>

明治節唱歌&明治天皇の大御心に学ぶ - 伝統

2023/11/04 (Sat) 10:32:17


昨日は、明治節でした。

【歴史的音源動画】尋常小学唱歌 明治節唱歌
https://www.youtube.com/watch?v=tPHewpPqVko


明治節
    作詞 堀澤周安
    作曲 杉江 秀
一、
亜細亜の東 日出づる處(ひいづるところ)
聖(ひじり)の君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を
大御光に 隈なくはらひ
教あまねく 道明らけく
治めたまへる 御代尊(みよたふと)

二、
恵の波は 八洲に餘り(やしまにあまり)
御稜威(みいつ)の風は 海原越えて
神の依(よ)させる 御業(みわざ)を弘め
民の榮行く(さかゆく) 力を展(の)ばし
外(と)つ國國の 史にも著く(ふみにもしるく)
留(とど)めたまへる 御名畏(みなかしこ)

三、
秋の空すみ 菊の香高き
今日のよき日を 皆ことほぎて
定めましける 御憲(みのり)を崇め
諭(さと)しましける 詔勅(みこと)を守り
代代木の森の 代代長へに(よよとこしへに)
仰ぎまつらん 大帝(おほみかど)

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3675

・・・

明治天皇の大御心に学ぶ

      *メルマガ「人間力」(2023.11.03)より抜粋

……日本の近代化・日露戦争の勝因として、
日本人の精神性・国民性の高さを指摘することができる。

そして、その精神性の根本、基礎となったのが、
明治23(1890)年10月30日に、
明治天皇の御名により国民に直接下された
「教育勅語」に他ならない。

明治初年から明治20年頃にかけて、
洋館「鹿鳴館」が象徴するように、
日本の西洋化・欧化主義は極点に達していた。

欧米に追いつくためには
止やむを得ない部分もあったとはいえ、
日本人が大事にしてきた忠孝・仁義などの
倫理道徳を学ぶ学問は蔑ろにされ、
社会は道徳的混乱を深めていった。

その風潮に誰よりも心を痛められたのが
明治天皇であった。

鹿鳴館や首相官邸で
行われる夜会や舞踏会を「亡国の遊び」
とまで言われて嘆かれた。

また教育機関の欧化一辺倒の現状を憂えられた。

国民の道徳と思想の混乱を、
これ以上放置できなくなった明治天皇は、
時の山縣有朋内閣に対して

「教育に関し徳育の基礎となる箴言(しんげん)を編纂し、
 日夕(にっせき)児童をして
 読誦(どくじゅ)せしめることにせよ」

と命じられた。

「教育勅語」の起草者は、
元田永孚の後輩であり、
和・漢・洋の学問に精通した天才・井上毅(こわし)。

井上は明治天皇のご憂慮を
最もよく知る元田と協力し合い、
天皇の大御心(おおみごころ)が
誤りなく正しく立派に表現されることに
心血を注いだのであった。

その通り、「教育勅語」は日本人が
二千数百年にわたって実践してきた国民道徳、
踏み行うべき忠孝仁義の道を
簡潔に明示した近代日本最高の文章となった。

明治天皇は「教育勅語」を
小学教育の根本に据えられ、
これに基づいて道徳教育、修身教育が行われ、
明治前半期の道徳的混乱にようやく歯止めがかけられた。

事実、日清・日露、
あるいは大東亜戦争において
忠勇無双の働きをした日本人の多くは小学卒であった。

まさに「教育勅語」による道徳教育が
日本躍進の原動力となったのである。

しかし、それもGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の
占領政策、戦後教育によって葬り去られてしまった。
ここにいじめや引きこもりなど、
現代日本荒廃の要因があると思わずにはいられない。

・・・

<教育勅語>関連情報Web

(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
   「教育勅語渙発五十周年に方りての講話(昭和15年10月23日)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=40

(2)光明掲示板・第一「教育勅語 (8421)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1586 

(3)光明掲示板・伝統・第一「教育勅語 (101)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=60

(4)伝統板・第二「教育勅語)」
    → https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462898

         <感謝合掌 令和5年11月4日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2023/11/12 (Sun) 13:44:04


北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
和解による国家の統一・粟野真弘のblog(023年11月06日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/57951182.html



  < 鹿 >

 もみぢ葉は まだそめやらぬ たかねより しかのねおろす 夜はの秋風


  < 道 >

 ならびゆく 人にはよしや おくるとも ただしきみちを ふみたがへそ

      <感謝合掌 令和5年11月12日 頓首再拝>

【明治天皇御製】 - 伝統

2023/11/26 (Sun) 09:15:51


(上の明治天皇御製2首の詳細な情報です)

  < 鹿 (明治二十九年) >

 もみぢ葉は まだそめやらぬ たかねより しかのねおろす 夜はの秋風 


    もみじの葉がまだ色づかぬ山の頂から、
    鹿の鳴き声を麓の里にまで伝えてくる、夜ふけの秋風よ。(明治29年)

https://ameblo.jp/meitoku1030/entry-12773025964.html


  < 道 (明治四十三年)>

 ならびゆく 人にはよしや おくるとも ただしきみちを ふみたがへそ


    大勢の人たちと並んで進む人生で、
    たとえ人より遅れるようなことがあろうとも、
    決して正しい道をふみはずすようなことがあってはならない。

https://www.facebook.com/sumiyoshijinja/posts/2120415164649739/

https://i-mustard.hateblo.jp/entry/2015/11/19/090613

https://plaza.rakuten.co.jp/brandx7/diary/201701020000/

      <感謝合掌 令和5年11月26日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2023/12/08 (Fri) 12:27:13


北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
北海道神宮 気温1.7度・粟野真弘のblog(2023年12月02日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/58005673.html


  < 誠 >

 疾き遅き たがひはあれど つらぬかぬ ことなきものは まことなりけり


  < 歳暮 >

 おもうふこと なしをへぬまに あらたまの 年はくれにも なりにけるかな

      <感謝合掌 令和5年12月8日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2023/12/18 (Mon) 15:18:56


(上の明治天皇御製2首の詳細な情報です)
北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
北海道神宮 気温1.7度・粟野真弘のblog(2023年12月02日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/58005673.html


  < 誠 (明治三十八年) >

 疾き遅き たがひはあれど つらぬかぬ 

   ことなきものは まことなりけり 


    物事を成し遂げるまでは、人によって早い遅いの違いは
    ありますが、

    どんな時でも誠実な心さえあれば、その志を貫き通すことが
    できるのです。


  < 歳暮 (明治三十八年)>

 おもうふこと なしをへぬまに あらたまの 

    年はくれにも なりにけるかな


    ああしよう、こうしようと思っていたことを
    まだなに終えないうちに、

    今年も気づかぬうちに年の暮れになってしまったことだ。

      <感謝合掌 令和5年12月18日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2024/01/13 (Sat) 13:52:27


北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製

明治37年の御製二首
粟野真弘のblog(2024年01月12日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/58089711.html


 <新年祝> 明治37年

  あしはらの國のさかえを祈るかな
        神代ながらの年をむかへて


 <天> 明治37年

  あさみどり澄みわたりたる大空の
         廣きをおのが心ともがな

      <感謝合掌 令和6年1月13日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2024/01/27 (Sat) 11:51:36


(上の明治天皇御製2首の少し詳細な情報です)
北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製


 <新年祝> (明治37年)

 あしはらの 國のさかえを 祈るかな 神代ながらの 年をむかへて


  古くから「葦原(あしはら)の中つ国」とたたえた、
  この日本の国の永遠の栄を神に祈ることだ。
  神代のままに変わることのない新年を迎えて。




 < 天 > (明治37年)

 あさみどり 澄みわたりたる 大空の 廣きをおのが 心ともがな 

  
  あさみどり色に晴れて澄み渡った大空のように、
  広い大きな心を、お互いの心として、
  日々の生活に励みたいものだ。

         <感謝合掌 令和6年1月27日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2024/02/13 (Tue) 09:31:50

北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製

明治37年の御製二首
粟野真弘のblog(2024年02月1日)より
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/58132822.html

 <山>

「おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 

    登ればのぼる 道はありけり」


<冬夜>

「夜をさむみ ねざねの床に おもふかな

    雪に埋もれし 里はいかにと」

            <感謝合掌 令和6年2月13日 頓首再拝>

【明治天皇御製】 - 伝統

2024/02/24 (Sat) 13:15:48


(上の明治天皇御製2首の少し詳細な情報です)
北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製


  < 山 (明治三十七年)>

  おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 

    登ればのぼる 道はありけり

  (大空に高くそびえ立っているけわしい峰々にも
   登って行けば、自然と登りえる道はあるものです。

   必要なのは、頂上を究めようとする勇気と努力です。



  < 冬夜 (明治三十五年)>


  夜をさむみ ねざねの床に おもふかな

    雪にうもれし 里はいかにと

   (あまりの夜の寒さに眠りからさめて、
     床の中であれこれと思案することです。

     深い雪に埋もれている里はどんなに寒いことだろうと。

            <感謝合掌 令和6年2月24日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2024/03/28 (Thu) 11:45:11

北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製

 <水 (明治三十六年)>

「器には したがひながら いはがねも とほすは水の ちからなりけり」


 (水は円に四角に、様々な容器に順って逆らうことなく

  形を変えますが、時と場合によっては、堅い岩石をも

  貫き通す、驚くべき力があります。)


 <卒業式 (明治三十八年)>

「ゆるし文 うくる身よりも おほしたてし 人のこころや うれしかるらむ」


 (卒業証書を受ける本人ももとよりだが、
  
  それよりも本人を育て上げた人びとの心は

  さぞかしうれしいことでしょう。)

・・・

北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
令和6年3月の北海道神宮・粟野真弘のblog(2024年03月15日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/58225620.html

            <感謝合掌 令和6年3月28日 頓首再拝>

明治天皇御製 - 伝統

2024/04/12 (Fri) 09:13:32


北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製
令和6年4月の北海道神宮・粟野真弘のblog(2024年04月06日)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/58283728.html


一つ目は「心」と題してお詠みになられています。日露戦争の時。
 
 しきしまの 大和心のをゝしさは 
   ことある時ぞ あらはれにける


二つ目は「花」と題してお詠みになられています。

 たかどのの 窓てふ窓を あけさせて 
   四方の櫻の さかりをぞみる

            <感謝合掌 令和6年4月12日 頓首再拝>

北海道神宮手水舎の柱に掲げられている明治天皇御製(令和6年4月) - 伝統

2024/04/23 (Tue) 11:13:15



 <心 (明治三十七年))>

  しきしまの 大和心の ををしさは 
       ことある時ぞ あらはれにける


  (我が日本の大和心の雄々しさは
    何か非常のことが起きたその時にこそ、
     おのずから発揮されるのです。)、

           ・・・

 <花(明治四十五年))>

  たかどのの 窓てふ窓を あけさせて 
         四方の櫻の さかりをぞみる

  (高殿の窓という窓をあけ放たせて、
    四方の桜のさかりを心よくまで眺める、
     この清々しい楽しさよ。)

            <感謝合掌 令和6年4月23日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.